東方降魔録～the Scarlets～：第四章作者: 翼

部屋の外では、咲夜が出して来た小さな黒檀のテーブルの上でレミリアとパチュリーが静かにティーカップを傾けていた。
慌てていても始まらないし、そうそう簡単に余裕を失うようでは夜王の名が泣こうと言うものだ。
「…それで、どうなのレミィ？」
「そうね…美鈴の死に繋がるような糸はまだ見えないわ。しぶとくやってるみたいよ。もっとも、フランの力の余波で糸も綻んでて、今ひとつ見づらいのだけど」

二人のやり取りを聞いて、咲夜が静かに、会話を乱さない絶妙なタイミングで言葉を差し挟む。
「このとんでもない魔力相手に、美鈴がまだ無事だなんて…全く、信じられません」
先程から放たれている魔力の余波だけで、厳重に補強された扉がびりびりと震え、魔力を中和し切れない弱いメイド達は中てられて吐き気を堪えているのだ。抵抗するどころか威圧で身体が動かなくならないだけでも、普段の美鈴を考えるとおよそ咲夜には信じられなかった。
居眠りしている無防備な呆け顔や、うずらの世話をしている太平楽な笑顔、それにあの誕生日祝いの時の幸せそうな泣き顔が次から次へと脳裏をかすめる。あんな性格で、この離れていても体中を焦がしそうな狂気の渦を堪えていられるものだろうか。
表情こそ完全で瀟洒だが、内心は今すぐにも駆け出したい気持ちで一杯だった。部下だからではない…彼女にとって、美鈴は恩人であったからだ。

そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、ティーカップを置いてレミリアはくつくつと笑う。
「あの子の本当の力は、何かを守る時にだけ発揮されるの。だからこそ、あの子が門番なのよ」
パチュリーがその後を引き継ぐ。
「…あの子、魔力は確かにそれほどじゃない。でも、豊富な戦闘経験と生来の根性があるわ」

「乾坤一擲ぃーーーーーーーーーーー！！！！」
雄叫びを上げながら、美鈴は半泣きで星虹の弾幕の中を疾駆していた。
彼女の力ではこれらの魔弾を防御し切ることは絶対に出来はしない。しかし、あくまで「全身を防御しようと思えば」なのである。
身体全体を防御する力を足と手の先にだけ一点集中することで、魔弾をある程度までなら弾くことは可能だった。
しかし、その場に留まって防御していては、手数は追いついてもすぐに力が尽きて弾を弾けなくなっただろう。
だから、弾を横から、後ろから蹴り、あるいは掌で打って反動をつけ、アクロバットのように弾から弾へと次々に飛び移って行ったのだ。
かすり、すり抜けるよりも力の浪費こそ多いが、無数の弾を足場に上下左右なく飛び回るその動きは変幻自在で、対手の視覚を狂わせる。
また、支点があるため失敗の危険も少ない。

「うっわー…こんなやり方、初めて見たよ」
さしもの吸血鬼の動体視力すらそれを捉えきれずに、フランドールの視線はあちらこちらと揺れた。
迎撃しようと更なる魔弾を放つ彼女の脇を駆け抜け、背後に回り込み、下に回り、更に頭上に飛び上がる。
なまじ魔弾が周囲全てを密に覆い尽くすため、足場に途切れは一切ない。
そして、フランドールの頭上から、全体重を乗せて美鈴の蹴撃が落下した。
心臓は避け、顔も狙うに忍びず、腹部へと重い一薙ぎが振り抜かれた。
それがたやすく小さな身体へと食い込み、二つに折り曲げ…たその瞬間、その小さな身体は無数の緋く煌く雫と弾けた。
無数の血の水玉が、目を見開いた美鈴の周囲をルビー色の緞帳のように包み込む。

「しまった…これは！！」
「禁忌『クランベリートラップ』」
音もなく忽然と美鈴の背後に実体化した少女は、桃色の舌をちろりと出して笑うと服の裾から真っ赤なクランベリー色のカードを取り出した。
（…そうか、さっき翼が二度光ったのは！）
気の違いを見逃した自らの油断を悟り美鈴が内心臍を噛むのと同時に、フランドールの解放の言葉に反応してスペルカードが光を放った。
幼き悪魔の口元が僅かに吊り上がり、無邪気でありながらどことなく妖艶な笑みを浮かべる。
そして、無数の緋の雫が全方位から美鈴へと殺到した。
「うわぁああああああっ！！！」
絶叫と恐怖の表情を、驟雨のごとき轟音と一面の赤が飲み込んでいく。
それを見ながら、紅き滅びの月は心底楽しそうに笑った。

その双眸からふた筋の血涙が頬を伝っていることには気づかずに。