幻想郷、香霖堂。魔法の森にほど近い木々の中に佇む、店主『森近霖之助』の集めた骨董品・マジックアイテムの類の並ぶ、幻想郷でも珍しい古道具屋である。その珍品・奇品の並ぶ店先に、壷を椅子代わりにして本棚に並ぶ本を物色する少女が一人。霧雨魔理沙である。魔理沙はこの店の常連客だ。……といえば聞こえはいいが、魔理沙がこの店で物を買うことは滅多に無い。有体にいって、冷やかしの常連なのである。魔理沙は今日も例に漏れず、暇を潰すための本を読みに、朝からこの店に来ていたのだった。
「『私の為にそのような危険なことを……』『いいえ、姫のためならこの命、失っても惜しくありませぬ』か……なるほど」
魔理沙は手にした本を音読しながらうんうんと頷いている。どうやら、魔理沙が今日選んだ本は、中世の騎士の物語のようだ。幻想郷では、物語の描かれた本は貴重な品である。まず作家がいないし、いたとしてもそれを印刷・製本するような施設も無いからだ。そうした貴重な品を、ぞんざいに読み進める魔理沙を見て、霖之助はやれやれ、とため息を吐いた。
(……また、妙なものに目をつけたな)
思いながら、霖之助は手にした木彫りの人形を布で擦る。こうした骨董品に、手入れは欠かせない。正しい手入れに、正しい知識。骨董を扱う人間に必須のものだ。当然、魔理沙のように壷を椅子代わりにしたり、本に折り目をつけながらページをめくるのでは、品物の価値は激減する。それでなくても、いつのまにか本を勝手に持っていったり、品物の食器を割ったまま放置していたり、魔理沙が店に与える被害は甚大である。それでも出入り禁止にされないのは、霖之助には魔理沙に負い目があるからである。かつて修行に出たのは魔理沙の実家であるし、一番の理由は霖之助秘蔵の品々のいくつかは、魔理沙からほとんど只で譲り受けたものであることであった。
「『私の全てをあなたに捧げましょう。この剣に誓おう、たとえ死すとも魂は貴女のものであることを』……ふむふむ」
魔理沙は真面目な顔をして音読を続ける。セリフを読む演技にも、力が篭ってきた。
「おい、魔理沙……演劇の練習は結構だが、その本は僕の店の品物だって、解ってるか?」
「あー? 今いいところなんだ、邪魔するなよ」
霖之助の言葉に、本から目も離さずに答える。
「全く……とりあえず、ちょっとどいてくれ。その辺りの品物を手入れしたいんだ」
「不躾だな。香霖も騎士道精神にのっとって、正々堂々と店の主をしろよ」
「僕は騎士じゃないし、正々堂々という意味なら、十分店の主らしく振舞ってるつもりだが」
霖之助はいいからどいたどいた、と手を横に振る仕草をする。
「ああもう、わかったよ。今日はもううるさい主のいない、図書館にでも行くぜ」
口を尖らせながら、魔理沙は壷から降りる。
「それは構わないが、店の品物を万引きする気かい」
霖之助は魔理沙の手の小説を指差した。
「……ツケにしておいてくれ」
「駄目だよ。ツケだツケだって、どれだけ溜まってると思ってるんだ?」
「おいしいヅケ丼が出来るくらいは溜まってるだろうな。たまり醤油だぜ」
「解っているなら、置いていく事だね」
魔理沙はむっとした表情になると、本を壷の上に置き、出口へ向かう。出て行き様、霖之助に向かってべー、と舌を出し、乱暴にドアを閉めた。
(……少し、怒らせたかな)
霖之助は思う。しかし、こうもあっさりと魔理沙が引き下がると、何かあるように思えてくる。また何か悪戯でも思い付いたんじゃないだろうか。霖之助は魔理沙が読んでた本を手に取ると、開いていたページに目をやった。
「なるほど、な」
これを読んで魔理沙がしそうなことは、大体判る。長い付き合いだ。
(さて、『対策』を練っておくか)
霖之助はその『対策』のために、店仕舞いの準備を始めた。
魔理沙は香霖堂を出ると、さっき言った通りに図書館へ向かうことにした。時刻はまだ十時ほど。朝の香もほのかに残る森の中、不機嫌な魔理沙の足音が響く。
(まったく、香霖のヤツめ……私がどれだけ気をかけてやってると思ってるんだ)
魔理沙の感覚では、一人寂しく店番をする霖之助に、わざわざ顔を出してやっている、という認識なのである。
(霖之助も、あの本の騎士みたいになればいいのにな)
そんなことを思う。……と、ふと魔理沙は一つのことを思いついた。
「そうだそうだ、なんで今まで気がつかなかったんだろう」
言いながら、魔理沙の顔に笑みがこぼれる。魔理沙は箒を握りなおすと、まっしぐらに図書館目指して飛び立った。
『ホレ薬の製作』。霖之助の危惧は、見事に的中していたのである。
ヴワル魔法図書館。紅魔のすむ館に併設されたそこは、幻想郷でもおそらく最高の蔵書量を誇る場所である。もちろんその名の通り、主な蔵書は魔術書の類である。しかし、そこの主の趣味か、それ以外の実用書や小説なども揃っていた。魔理沙の退屈凌ぎにはもってこいの場所だ。
「ホレ薬?」
「ああ、そうだぜ」
魔理沙は図書館の主、パチュリー・ノーレッジに先ほどの『思いつき』を話していた。いつもは大きな安楽椅子でただ本に目を通しているだけのパチュリーだが、今日は持病の具合でもいいのか、魔理沙の話も割と真面目に聞いていた。
「ホレ薬ねぇ……ホロヒレ薬ならすぐに用意できるけど」
「なんだ、それ?」
「頭がホロヒレ~になる薬よ。あなたのような侵入者にはうってつけ」
「いやまあ、あいにくそういうのは間に合ってるぜ」
パチュリーは残念、と手にした本を閉じる。
「まあ、レシピならすぐに判るでしょうけど……そんなもの、何に使うの?」
「ああ、私のナイト様のためだぜ」
「夜人間?」
「Kを付けろよ。騎士様だ」
「ふうん、あなたにそんな相手がいるというのが、まず驚きね」
「あー? いないぜ。いないから、作るんじゃないか」
「なるほど、まあそんなところでしょうね。えーと、ホレ薬は確か……」
パチュリーは安楽椅子から離れると、近くの書架を指でなぞる。
「出来るだけ強力なのがいいぜ」
「強力なホレ薬……ああ、これね。クレオパトラが使ったという伝説の媚薬」
「そいつは霊験あらたかだな」
魔理沙はパチュリーからホレ薬のレシピの書かれた書物を受け取る。
「まあ、これも三日間しか効果が無いもののようだけど」
「大丈夫だ、三日目の晩にもう一回同じ薬を飲ませればいいだけからな」
それもそうね、とパチュリーは頷いた。魔理沙は本に書かれたレシピをチェックする。パームオイルに、バーベインの粉末。あとは真っ白な蝙蝠の羽、黒トカゲの尻尾、それに魔力の篭った真っ赤なバラの花びらなどなど。魔理沙の手持ちの材料でも十分に作れそうだ。
「成功したら、私にも教えてちょうだい。何かと便利そうだから」
「おう、それは構わないが……あいつは手強いからな。警戒心が強いし、味にもうるさいし、薬をそのまま飲めっていっても難しそうだ」
「それは、魔理沙が上手くやらないと駄目なんじゃない?」
「うーん……まあ、シチューでも作ってその中に混ぜるとするか。そうだ、それなら私のキノコも使えるな」
「ああ、いいんじゃない? 何のキノコを使うのかは知らないけど」
「じゃあ、早速取りかかろう。館の厨房を借りるぜ」
「ええ、頑張って~」
意気揚々と図書館を出て行く魔理沙に、パチュリーは手を振り、再び安楽椅子に腰を落ちつけた。再び読みかけの本に目を通し始めたところで、魔理沙がひょい、と戻ってくる。
「……材料、あるか?」
「それくらいは自分で用意しなさい」
「仕方ない、一度家に戻るか」
「レシピが解ったなら自分の家で作ればいいじゃない」
「今はちょっとなぁ、使えないんだ」
魔理沙は『片付け』だとか『整理整頓』だとかが苦手な人間である。さすがに厨房などは一応使える程度に片付けるのだが、今は丁度研究や食事で使ったまま放置してあった。気が乗らないときにはそうなるのである。
「……咲夜に怒られない程度にね」
魔理沙は解ったぜ、と言い残し今度こそ図書館を後にした。
材料の調達が済むと、魔理沙は紅魔館の厨房で作業を始めた。大鍋でシチューの用意をする傍ら、並行作業でホレ薬も作る。
(……しかしこれ、ホントにクレオパトラなのか? 妙に西洋魔術っぽい材料なんだが)
魔力を込めて材料を煮詰めながら、ふとそんなことを思う。どっちかって言うと、『クレオパトラもびっくりの伝説のホレ薬』というほうがしっくり来る。
「じゃあ、出来上がりのシチューは『クレオパトラもびっくり・魔理沙のきまぐれシチュー』だな」
何がきまぐれなのかは謎だが、魔理沙は中々いいネーミングだ、と思いながら、シチューのアク取りを始めた。
小一時間ほど煮詰めた所で、ホレ薬はそれらしい体裁になってきた。シチューももう少し煮込めば最高の味に仕上がるだろう。
(さて、後は香霖の食べるシチューにこの薬を混ぜればいいな)
いや、と魔理沙は思い直す。
「あいつの皿だけに細工をするとバレるかもしれないな。いいや、全部入れちゃえ」
魔理沙はシチューの鍋にホレ薬をどばどばとぶちこんだ。瞬間、鍋から立ち上る香気が変わる。
「うわあ、めちゃくちゃ美味そうだ……」
魔理沙の使った魔法の森の怪しいキノコとの相乗効果か、シチューから上る香気は芳しく、また食欲をそそる。ちょっと味見をしてみよう、と魔理沙は皿に一杯、シチューを盛った。
(あー、でも私にホレさせるシチューを私が食べたらどうなるんだ?)
物凄いナルシストにでもなってしまいそうだ。どうしたものか、と魔理沙が悩んでいると、厨房の入り口に人影が一つ。
「……いい匂いね。調子はどうかしら?」
魔理沙が振り向くと、パチュリーが様子を見に来た様であった。
「ああ、大体いい感じだ」
「ふうん……シチューのほうも一緒に作ってたのね。どれどれ」
「あっ」
魔理沙が止める間もなく、パチュリーは皿に盛られたシチューをスプーンで一さじ、口に含んだ。
「うん、これは美味しいわ。後はホレ薬をこれに混ぜれば完成ね」
「いやまあ……それ、もうホレ薬入ってるんだが……」
「あら、そうなの。さすが魔理沙ね」
「あー? さすがってなんだ」
「あなたはいつでも『さすが』よ。私はあなたが図書館に来るたび憎まれ口を叩いていたけど……私の思いもつかない行動を取るあなたに、心の底では常々そう思っていたのかもしれない……」
いいながら、パチュリーは魔理沙の方にずい、と迫ってくる。
「いや、待て……お前、変だぜ」
しゃべれば息がかかるような距離まで顔を近付けてくるパチュリーに、魔理沙は後ずさりをしながら言う。
「可愛い魔理沙……私はあなたの為なら何でもしてあげるわ……」
パチュリーは魔理沙の頬にそっと手を添えた。
(う、うわあ……これ、ホレ薬の効果か?)
気圧されていた魔理沙だが、ふいにぴん、と閃く。
「なんでもしてくれるんだったら、私の家の片づけを頼んだぜ」
「愛の巣のお掃除ね。解ったわ」
「いやまあ、頭言葉が気になるが、概ねそうだぜ」
「じゃあ、準備して向かうわ。るったら~」
パチュリーは三回転半のステップを踏みながら、厨房を出ていった。
「るったら~って、こりゃあ凄いぜ……」
どうやら大成功のようだ。出来あがったシチューを見て、魔理沙に笑いがこみ上げてくる。
「……うふ、うふふ、うふふふふふ」
魔理沙は怪しげな笑いを立てながら、シチューの鍋とお玉を風呂敷で包み、箒に括り付けると、厨房の勝手口から外に出る。
「待ってろよ香霖!! 今私がめろめろのぐでぐでのけちょんけちょんにしに行ってやるぜ!!」
誰にともなく叫びながら、魔理沙は再び香霖堂へ向かい、飛び立った。
……それと入れ替わり。
「あら……パチュリー様が珍しくこんなところから出てきたと思ったら、こんなものを」
紅魔館のメイド長、十六夜咲夜である。咲夜は厨房のテーブルに置かれたシチューの皿を手に取った。シチューから立ち上る香気が、咲夜の鼻孔をくすぐる。
(これは、すごく美味しそうだわ)
咲夜がそんなことを思っていると、厨房に入ってくる小さな影が一つ。
「咲夜、お腹が空いたわ。昼食はまだ?」
「お嬢様、わざわざこんなところまで来なくても、すぐにご用意しますわ」
紅魔館の主、レミリア・スカーレットである。レミリアは咲夜の手にしたシチュー皿に目を付けると、それに顔を近付ける。
「これ、すごく美味しそうね。昼食はこれにしましょ」
「でも、これは多分、パチュリー様が」
「あら、この館の主は私。つまり、この屋敷の中にあるものは須らく私のものということ。完璧な理論じゃない?」
「それはただのジャイアニズムですわ。……まあ、とりあえず毒味を」
「あっ、咲夜、ずるいわよ」
……というわけで、魔理沙の預かり知らぬところでも被害は拡大していたのだった。
太陽が丁度真上から少し傾きかけた頃の香霖堂。朝の魔理沙との一件のせいか、入り口には『準備中』と書かれた札が下げてある。そこに、博麗神社の巫女、博麗霊夢が訪れていた。
「霖之助さん、今日はお店休みなの?」
霊夢は店内に入ると、奥で湯のみに口を付けている霖之助に声をかけた。
「ドアにかかっている札の通りさ。『対策』の一環のつもりだったんだが、どうやら無駄だった様だな」
「対策って、押し売りの対策かしら? だったら無駄だと思うわ。押し売りはドアさえあれば気にせず入ってくるもの」
それもそうだ、と霖之助は息を一つ吐いた。たとえドアの張り紙が『立ち入り禁止』でも、『霊夢禁止』や『魔理沙禁止』だろうと、彼女達は気にせず入ってくるだろう。
「それで、押し売りさんは今日は何の御用だい」
「そうね……今日は私が持て余している暇を売りにきたわ。いくらくらいになるかしら」
「あいにくと、当店ではそのような商品は扱っておりませんが」
「じゃあ、しょうがないわね。只にしておくわ」
いいながら、霊夢は店の奥へ上がりこみ、自分の分のお茶の用意を始める。
「……暇なんて産業廃棄物を持ってくるなら、こっちが処理代金を貰いたいくらいだ」
「あら、霖之助さん、変わったお茶飲んでるわね」
「まあ、別にいいけどな」
素なのか意図的なのか、話題を逸らす霊夢に霖之助は一つため息を吐いた。
「米の研ぎ汁?」
霊夢の言うように、霖之助の湯のみの中に入っている液体は、なにやら白濁していて米の研ぎ汁のようである。匂いもなにやら渾然としていて、あまり美味しそうなものではない。
「これは薬湯だよ。ちょっとした伝手で特別に調合してもらったものだ」
「美味しいの?」
「良薬口に苦しと言ってね。いい薬だからあんまり美味しくはない」
「それはおかしいわ。まずいものを飲むのは、精神的に良くない。味も良くてこそ本当に『良薬』だと思うけど」
なるほど、それもそうかもしれない、と霖之助は思う。
「そういうわけで、私は一番体に良さそうなお茶を貰うわ」
言いながら霊夢が戸棚から取り出したのは、霖之助の家でも一番高い玉露だった。霊夢はその茶筒を抱えると、厨房に向かう。『遠慮』という二文字が辞書に無い霊夢の行動を、霖之助がため息を吐きながら眺めていると。
「おい香霖!! いいものを持ってきたぜ!!」
入り口のほうから、テンションの高い魔理沙の声が聞こえてきた。
「なんだ魔理沙、今度はどんな押し売りだい」
「押し売りとはご挨拶だな。わざわざお前のためにシチューを用意してきたんだ」
魔理沙はちゃぶ台の上にどん、と風呂敷包みを置き、その結び目を解いた。
「ああ、まだ温かいな。すぐに食べられるぜ」
「シチュー?」
霖之助は鍋の蓋を取り、その中身を覗きこむ。なるほど、美味しそうなシチューだ。
(……今朝の魔理沙の態度からだと、あからさまに怪しいな、このシチューは)
一見何の変哲も無いシチューだが、良く見ると怪しげな材料が混じっているのが解る。
「あ、魔理沙、何作ってきたの?」
厨房にお湯を入れに行っていた霊夢が戻ってくる。
「なんだ、霊夢もいるのか」
「あら、シチューじゃない。美味しそうね」
「おい、待てよ。これは香霖に……」
魔理沙が止める間もなく、霊夢はお玉にシチューを少し取ると、それを啜った。
「あーっ!!」
「うん、中々……いや、とても美味しいわ。ああもう、むしろ最高ね!! ていうか魔理沙最高!!」
「げ、げげっ」
霊夢は目を輝かせて、魔理沙の両手をぎゅっと握った。
「ああ、なんで今まで気付かなかったのかしら!! こんなに最高な魔理沙が私のすぐ近くにいたのね!!」
「き、気持ち悪いぜお前……」
魔理沙の言葉など耳に届いていないかのように、霊夢は握った手をぶんぶんと上下に振りながら続ける。
「こんなに最高な魔理沙だもの、最高っぷりをみんなに伝えなきゃ駄目だわ!! いえーい!! はにー・むーん!!」
「嫌だぁっ!! こんなにテンションの高い霊夢、霊夢じゃないっ!!」
魔理沙が悶絶している間に、霊夢はシチューの入った鍋を手に取ると、香霖堂を飛び出していく。
「なべなべおなべー♪ わっしょっしょーい!!」
「ああっ!? おいこら、待てっ!!」
霊夢はあっという間に見えなくなった。台風一過、香霖堂に空白のような静寂が訪れる。
「まずいぜ!! ああもう、キノコのせいか? 食ったやつのテンション上がりすぎだぜ……」
「で、魔理沙はそんなヤバいものを僕のために用意して来たってことかい」
「え? ああ、ほら、あれだ……霊夢追い掛けないとまずいから、もう行くぜ!!」
魔理沙は逃げるように飛び立っていった。
「全く……予想通りだな」
霖之助はちゃぶ台の上にある、先ほど口にしていた湯のみに目をやった。
「やれやれ、霊夢のおかげで『対策』が無駄になってしまったかもしれないな」
良薬口に苦し、か。霖之助は頭の中でその言葉を反芻すると、残りの薬湯を一気に飲み干した。
霊夢を追いかけて、魔理沙は文字通り幻想郷中を飛び回っている。その間、至る所で霊夢にシチューを食べさせられ、黄色い声で魔理沙を追いかけてくる妖精や妖怪の相手をしなければならなかった。
……幻想郷は、いつにもない魔理沙フィーバーに浮かされていたのである。
「もう、カンベンしてくれ……」
襲いかかってくる(愛情表現の一種らしい)それらをマスタースパークで打ち落としながら、魔理沙は嘆いた。このまま空を飛んでいたのでは、格好の的だ。魔理沙は地上に降りると、ひとまず木陰で休むことにした。
「……ふう」
魔理沙は帽子を取り、木にもたれかかって一息を吐いた。
(追われる身ってのが、いかに大変か解った気がするぜ……いつもの倍くらい疲れる)
魔理沙がそんなことを考えていると、不意に傍らの茂みががさ、と音を立てた。
「誰だっ!?」
魔理沙は帽子を被り直し、手にした箒を構える。
「あ、あの……魔理沙、さん。ようやく会えました」
茂みから姿を現したのは、白玉楼の庭師、魂魄妖夢だった。
「なんだ、妖夢か……って、魔理沙さんってなんだ」
魔理沙はそこではたと気が付く。今この状況で態度がおかしいと言うことは……。
(ひょっとして、妖夢までホレ薬を?)
良く見れば、何やら妖夢は魔理沙を前にして、赤面してみたりもじもじと指を組みながら、上目遣いをしていたりする。
「あの、その……あなたに会いたくて、こんなところまで……」
「一体なんだ……」
「こ、こここれっ!! 読んでくださいっ!!」
妖夢は両手で恭しく魔理沙に一つの封筒を差し出す。
「あー、なんだこれ?」
「家に帰ったら……いえ、今読んでもらっても構いませんっ」
「まあ、読むが」
魔理沙はハート型の封蝋を外すと、中身の便箋を取り出した。本文は達筆な筆書きのようだ。
「『いとせめて こひしきときは ながれつつ つるぎのつゆに なりにけるかも』……なんだこりゃあ」
「あの、だからそれは……」
「私を出し抜こう、という内容の恋文ね」
魔理沙は声がしたほうを向く。そこに立っていたのは、華胥の亡霊・西行寺幽々子だった。
「げ、まさか」
「幽々子様……」
「妖夢、やはりまだ貴方は解っていない様ね。どれだけ抗おうと、忌避しようとも、目を背ける事すらも出来ない一つの真実がある。魔理沙に想いを伝えるのは、この私だということ」
「ああ、やっぱりか……霊夢のヤツ、一体どこまで配りに行ったんだよ」
いつもはただ揺らめくだけの幽々子の回りを漂う幽炎が、静かに、だが激しく燃え盛っている。そして妖夢に向けられているものは、只ならぬ威圧感であった。
「幽々子様……たとえ貴方が相手でも、今の私は行く事こそあれ、退く事はありません」
「やはり、気付いていないのね。今の妖夢は私の行く路傍の草でしかないことに」
「仕方ないですね。まさか……こうして幽々子様と剣を交える時が来るとは、思ってもいませんでした」
「残念だけど、私は貴方と交える剣を持っていない。貴方はただ一方的に私に翻弄されるのみ」
二人の緊迫した雰囲気に飲まれていた魔理沙だが、ふと我に返った。
「止めるべきか、逃げるべきか……ああ、でも二人のガチ対戦、見てみたい気もする」
迷ってるうちに、睨み合っていた二人は動き始めた。
「行きます、幽々子様っ!!」
先に仕掛けたのは妖夢だった。『六道剣・一念無量劫』。六の剣閃が弾幕を成し、幽々子に襲いかかる。
「甘いわ、妖夢。未熟な貴方のこの程度の剣、私に通用すると思って?」
幽々子は僅かに口元を歪ませると、その背後に巨大な扇を背負った。そして、そこから飛び立つ、無数の儚げな蝶。『死符・ギャストリドリーム』。幽々子の放った死蝶達は、妖夢の六の剣閃に絡み付き、そしてそれを掻き消していく。
「!?」
反射的に幽々子は身を翻す。瞬間、その傍らを一陣の疾風が突き抜けていった。
「……『現世斬』。この連携をかわすとは、さすが幽々子様」
「あら、この私を試したつもりかしら? 小癪な妖夢ね」
「最早、小手調べはこれまで。魔理沙は私のものです!!」
「それは正しいものの見方ではないわ。魔理沙は、私のもの」
「ああもうっ、いつから私がお前らのものになったんだ!! やっぱり止めろ!!」
魔理沙がそう叫ぶと同時。妖夢と幽々子の間に、巨大な魔力の壁が出現した。
「こ、これは」
「結界ね。ということは……」
「そこまでよ、幽霊二人!! 魔理沙を困らせるヤツは、私が許さないわ!!」
啖呵を切って登場したのは、霊夢である。片手には鍋を、もう片方の手にはいつものお払い棒の変わりにお玉が握られている。
「霊夢……」
手が付けられなかった二人だけに、霊夢の登場に魔理沙はほんのちょっぴり頼もしさを感じる。……まあ、違和感バリバリで気持ち悪いのは相変わらずだったが。
「そこの紅白の、あなたはお呼びではないわ」
「お呼びでなくとも、魔理沙のためなら東奔西走いつでもどこでも駆け付けるわよ」
「いや、それなら私がお前探してる時に出てこいよ」
とりあえず、魔理沙の言葉は霊夢の耳には入っていないようだった。
「とにかく、魔理沙はあんたらに無益な戦いはよせ、と言ってるのよ。ああもう、さすが魔理沙ね!! 最高だわ!!」
「ああもう、やっぱり頼もしいとウザいじゃ八割ほどウザいが勝ってるぜ!!」
魔理沙は霊夢の手にある鍋をばっと奪い取ると、全力でその場を後にした。
「とりあえず、これ以上被害が拡大することはなくなったな」
魔理沙は飛びながらシチューの鍋を覗いた。一杯だった中身が、半分ほどになっている。この分だと、後どれくらいこれを食べたものがいるのかわからない。
「もう、効果切れるまで家でおとなしくしていよう……」
ホレ薬の効果が切れるまで、三日。
(……長いなぁ)
魔理沙は一つ、大きくため息を吐いた。
魔法の森、魔理沙の自宅。
(はぁ……ようやく落ち着けるぜ)
玄関先でドアノブに手をやったときに、魔理沙は一つの違和感に気付いた。
「待てよ……なんで」
なんでドアがピカピカになっているのか。それだけではない。よく見れば、家の外観全体が何やら輝くほどに見違えていた。
「な、なんだこりゃあっ」
魔理沙は庭のほうへ回ってみた。そこにいたのは……。
「あら……魔理沙様」
紅魔館のメイド長、十六夜咲夜である。咲夜はなにやらぱちぱちと音を立てる焚き火を眺めていたようだ。
「ああ、あなたを一目見ただけで、私の心は赤い実が弾けたよう……最高に『ハイ!!』ってヤツですわ!!」
(コイツもか……ああもう、なんで私の回りはみんな食い意地の張ったヤツらばっかりなんだっ)
魔理沙は頭を抱えた。そして、咲夜の傍らで炎を上げ続けている焚き火に気付く。
「咲夜……それ、何を燃やしてるんだ」
「ああ、これは家に有った書物ですわ。大分手を付けていなかったようですし、邪魔だったので処分することにしました」
「ぎゃあああっ!! 何やってんだてめえっ!!」
魔理沙は箒を叩きつけ、焚き火の炎を消そうと試みる。……炎は消えたが、そこに残ったのは燃え滓だけであった。
「ああ、私のコレクションが……」
「騒がしいわね、咲夜」
家の窓が開く。そこに立っていたのは、紅い悪魔、レミリア・スカーレットである。
「おい、待て……なんでお前が我が物顔で私の家に入ってるんだよ」
「あら、簡単。私があなたの使い魔になって上げようとしてるのよ」
「……はい?」
「素敵ですわ。私は魔理沙様とレミリア様、二人の主にお使えするのですね」
レミリアの言葉に、咲夜は目をキラキラと輝かせ、虚空を見つめる。
「この五百年、誰かの使い魔になったことなど一度も無い。光栄に思え、黒い魔術師」
「いや帰れよお前ら……」
「あら、もう私達が帰る場所はここですわ」
「そうね、ここはニュー紅魔館としてリニューアルしましょ」
「おい、ふざけるなよ!!」
などとやり取りをしているうちに、上空にふらふらと飛ぶ影が一つ。
「あら、あれは……」
「ん?」
それに気付いたレミリアの声に、魔理沙は空を見上げた。そのふらふらの影は、魔理沙の家目掛けて力なく落下してくる。どさあ、という大きな音を立てて落ちてきたそれは、大きな風呂敷包みだった。
「……なんだこれは」
「よ、嫁入り道具……や、やっと……ついた……愛の巣……」
よく見れば、風呂敷包みの下にパチュリーが埋もれていた。大荷物を抱えてきたせいか、息も絶え絶えである。
「あら、パチュリー様?」
「ああ……咲夜にレミィも……ぐおぶはぁっ」
起き上がろうとした刹那、豪快に血を吐いたかと思うと、再び倒れる。
「お、おい!! 大丈夫か!?」
「だ、だいじょうぶ、ちょっと血を吐いただけ……がふぅっ」
パチュリーの口からは、さらにどばどばと血が噴出していた。
「大丈夫って、二リットルくらい出ているように見えるんだが……」
「はぁ、はぁ……それより、お帰りのキスを……」
パチュリーはだらだらと血の流れる口を歪ませ、魔理沙に迫る。
「ひ、ひいいっ!! お、おま、ち、ちーっ!!」
「ええ、だからちゅー」
「ちゅーじゃないっ!! 血ーだよっ!!」
怯える魔理沙に、怖い笑みを浮かべながらパチュリーはさらに迫る。と、その刹那、声が響いた。
「ちょっと待て!! 魔理沙が嫌がってるじゃない!!」
空に霊夢が浮かんでいた。
「げえっ、また出たぁっ!!」
「いくら魔理沙が最高だからって、自宅まで押し掛けてどうするつもり!? ああもう、見れば見るほどさすが魔理沙ね!! 最高だわ!!」
「さっきからそれしか聞いてないぜ……こんなボキャブラリーの少ない霊夢、霊夢じゃないっ!!」
悶えている魔理沙を無視して話は進む。
「ふん、ここはもう、今日からネオ紅魔館として私たちも住む事になったのよ」
「なってない!!」
「勝手なことを……いいから、私の魔理沙から離れなさい」
「お前のものじゃないーっ!!」
(もー嫌だ!! 耐えられん!! 私は騒がすのは好きだが、騒がれるのは大っ嫌いなんだっ!!)
魔理沙はパチュリーを振りほどくと、シチューの入った鍋を持ってそこから逃げ出した。
(もう……最悪だぜ……)
こんなのが後三日も続いたら、普通に頭がおかしくなってしまいそうだ。何とかして、あの薬の効果を消さなければならない。
(そうだ、薬と言えばあいつがいたじゃないか)
魔理沙はそう思うと、幻想郷の辺境、竹林の屋敷へ向かった。
<続>
「『私の為にそのような危険なことを……』『いいえ、姫のためならこの命、失っても惜しくありませぬ』か……なるほど」
魔理沙は手にした本を音読しながらうんうんと頷いている。どうやら、魔理沙が今日選んだ本は、中世の騎士の物語のようだ。幻想郷では、物語の描かれた本は貴重な品である。まず作家がいないし、いたとしてもそれを印刷・製本するような施設も無いからだ。そうした貴重な品を、ぞんざいに読み進める魔理沙を見て、霖之助はやれやれ、とため息を吐いた。
(……また、妙なものに目をつけたな)
思いながら、霖之助は手にした木彫りの人形を布で擦る。こうした骨董品に、手入れは欠かせない。正しい手入れに、正しい知識。骨董を扱う人間に必須のものだ。当然、魔理沙のように壷を椅子代わりにしたり、本に折り目をつけながらページをめくるのでは、品物の価値は激減する。それでなくても、いつのまにか本を勝手に持っていったり、品物の食器を割ったまま放置していたり、魔理沙が店に与える被害は甚大である。それでも出入り禁止にされないのは、霖之助には魔理沙に負い目があるからである。かつて修行に出たのは魔理沙の実家であるし、一番の理由は霖之助秘蔵の品々のいくつかは、魔理沙からほとんど只で譲り受けたものであることであった。
「『私の全てをあなたに捧げましょう。この剣に誓おう、たとえ死すとも魂は貴女のものであることを』……ふむふむ」
魔理沙は真面目な顔をして音読を続ける。セリフを読む演技にも、力が篭ってきた。
「おい、魔理沙……演劇の練習は結構だが、その本は僕の店の品物だって、解ってるか?」
「あー? 今いいところなんだ、邪魔するなよ」
霖之助の言葉に、本から目も離さずに答える。
「全く……とりあえず、ちょっとどいてくれ。その辺りの品物を手入れしたいんだ」
「不躾だな。香霖も騎士道精神にのっとって、正々堂々と店の主をしろよ」
「僕は騎士じゃないし、正々堂々という意味なら、十分店の主らしく振舞ってるつもりだが」
霖之助はいいからどいたどいた、と手を横に振る仕草をする。
「ああもう、わかったよ。今日はもううるさい主のいない、図書館にでも行くぜ」
口を尖らせながら、魔理沙は壷から降りる。
「それは構わないが、店の品物を万引きする気かい」
霖之助は魔理沙の手の小説を指差した。
「……ツケにしておいてくれ」
「駄目だよ。ツケだツケだって、どれだけ溜まってると思ってるんだ?」
「おいしいヅケ丼が出来るくらいは溜まってるだろうな。たまり醤油だぜ」
「解っているなら、置いていく事だね」
魔理沙はむっとした表情になると、本を壷の上に置き、出口へ向かう。出て行き様、霖之助に向かってべー、と舌を出し、乱暴にドアを閉めた。
(……少し、怒らせたかな)
霖之助は思う。しかし、こうもあっさりと魔理沙が引き下がると、何かあるように思えてくる。また何か悪戯でも思い付いたんじゃないだろうか。霖之助は魔理沙が読んでた本を手に取ると、開いていたページに目をやった。
「なるほど、な」
これを読んで魔理沙がしそうなことは、大体判る。長い付き合いだ。
(さて、『対策』を練っておくか)
霖之助はその『対策』のために、店仕舞いの準備を始めた。
魔理沙は香霖堂を出ると、さっき言った通りに図書館へ向かうことにした。時刻はまだ十時ほど。朝の香もほのかに残る森の中、不機嫌な魔理沙の足音が響く。
(まったく、香霖のヤツめ……私がどれだけ気をかけてやってると思ってるんだ)
魔理沙の感覚では、一人寂しく店番をする霖之助に、わざわざ顔を出してやっている、という認識なのである。
(霖之助も、あの本の騎士みたいになればいいのにな)
そんなことを思う。……と、ふと魔理沙は一つのことを思いついた。
「そうだそうだ、なんで今まで気がつかなかったんだろう」
言いながら、魔理沙の顔に笑みがこぼれる。魔理沙は箒を握りなおすと、まっしぐらに図書館目指して飛び立った。
『ホレ薬の製作』。霖之助の危惧は、見事に的中していたのである。
ヴワル魔法図書館。紅魔のすむ館に併設されたそこは、幻想郷でもおそらく最高の蔵書量を誇る場所である。もちろんその名の通り、主な蔵書は魔術書の類である。しかし、そこの主の趣味か、それ以外の実用書や小説なども揃っていた。魔理沙の退屈凌ぎにはもってこいの場所だ。
「ホレ薬?」
「ああ、そうだぜ」
魔理沙は図書館の主、パチュリー・ノーレッジに先ほどの『思いつき』を話していた。いつもは大きな安楽椅子でただ本に目を通しているだけのパチュリーだが、今日は持病の具合でもいいのか、魔理沙の話も割と真面目に聞いていた。
「ホレ薬ねぇ……ホロヒレ薬ならすぐに用意できるけど」
「なんだ、それ?」
「頭がホロヒレ~になる薬よ。あなたのような侵入者にはうってつけ」
「いやまあ、あいにくそういうのは間に合ってるぜ」
パチュリーは残念、と手にした本を閉じる。
「まあ、レシピならすぐに判るでしょうけど……そんなもの、何に使うの?」
「ああ、私のナイト様のためだぜ」
「夜人間?」
「Kを付けろよ。騎士様だ」
「ふうん、あなたにそんな相手がいるというのが、まず驚きね」
「あー? いないぜ。いないから、作るんじゃないか」
「なるほど、まあそんなところでしょうね。えーと、ホレ薬は確か……」
パチュリーは安楽椅子から離れると、近くの書架を指でなぞる。
「出来るだけ強力なのがいいぜ」
「強力なホレ薬……ああ、これね。クレオパトラが使ったという伝説の媚薬」
「そいつは霊験あらたかだな」
魔理沙はパチュリーからホレ薬のレシピの書かれた書物を受け取る。
「まあ、これも三日間しか効果が無いもののようだけど」
「大丈夫だ、三日目の晩にもう一回同じ薬を飲ませればいいだけからな」
それもそうね、とパチュリーは頷いた。魔理沙は本に書かれたレシピをチェックする。パームオイルに、バーベインの粉末。あとは真っ白な蝙蝠の羽、黒トカゲの尻尾、それに魔力の篭った真っ赤なバラの花びらなどなど。魔理沙の手持ちの材料でも十分に作れそうだ。
「成功したら、私にも教えてちょうだい。何かと便利そうだから」
「おう、それは構わないが……あいつは手強いからな。警戒心が強いし、味にもうるさいし、薬をそのまま飲めっていっても難しそうだ」
「それは、魔理沙が上手くやらないと駄目なんじゃない?」
「うーん……まあ、シチューでも作ってその中に混ぜるとするか。そうだ、それなら私のキノコも使えるな」
「ああ、いいんじゃない? 何のキノコを使うのかは知らないけど」
「じゃあ、早速取りかかろう。館の厨房を借りるぜ」
「ええ、頑張って~」
意気揚々と図書館を出て行く魔理沙に、パチュリーは手を振り、再び安楽椅子に腰を落ちつけた。再び読みかけの本に目を通し始めたところで、魔理沙がひょい、と戻ってくる。
「……材料、あるか?」
「それくらいは自分で用意しなさい」
「仕方ない、一度家に戻るか」
「レシピが解ったなら自分の家で作ればいいじゃない」
「今はちょっとなぁ、使えないんだ」
魔理沙は『片付け』だとか『整理整頓』だとかが苦手な人間である。さすがに厨房などは一応使える程度に片付けるのだが、今は丁度研究や食事で使ったまま放置してあった。気が乗らないときにはそうなるのである。
「……咲夜に怒られない程度にね」
魔理沙は解ったぜ、と言い残し今度こそ図書館を後にした。
材料の調達が済むと、魔理沙は紅魔館の厨房で作業を始めた。大鍋でシチューの用意をする傍ら、並行作業でホレ薬も作る。
(……しかしこれ、ホントにクレオパトラなのか? 妙に西洋魔術っぽい材料なんだが)
魔力を込めて材料を煮詰めながら、ふとそんなことを思う。どっちかって言うと、『クレオパトラもびっくりの伝説のホレ薬』というほうがしっくり来る。
「じゃあ、出来上がりのシチューは『クレオパトラもびっくり・魔理沙のきまぐれシチュー』だな」
何がきまぐれなのかは謎だが、魔理沙は中々いいネーミングだ、と思いながら、シチューのアク取りを始めた。
小一時間ほど煮詰めた所で、ホレ薬はそれらしい体裁になってきた。シチューももう少し煮込めば最高の味に仕上がるだろう。
(さて、後は香霖の食べるシチューにこの薬を混ぜればいいな)
いや、と魔理沙は思い直す。
「あいつの皿だけに細工をするとバレるかもしれないな。いいや、全部入れちゃえ」
魔理沙はシチューの鍋にホレ薬をどばどばとぶちこんだ。瞬間、鍋から立ち上る香気が変わる。
「うわあ、めちゃくちゃ美味そうだ……」
魔理沙の使った魔法の森の怪しいキノコとの相乗効果か、シチューから上る香気は芳しく、また食欲をそそる。ちょっと味見をしてみよう、と魔理沙は皿に一杯、シチューを盛った。
(あー、でも私にホレさせるシチューを私が食べたらどうなるんだ?)
物凄いナルシストにでもなってしまいそうだ。どうしたものか、と魔理沙が悩んでいると、厨房の入り口に人影が一つ。
「……いい匂いね。調子はどうかしら?」
魔理沙が振り向くと、パチュリーが様子を見に来た様であった。
「ああ、大体いい感じだ」
「ふうん……シチューのほうも一緒に作ってたのね。どれどれ」
「あっ」
魔理沙が止める間もなく、パチュリーは皿に盛られたシチューをスプーンで一さじ、口に含んだ。
「うん、これは美味しいわ。後はホレ薬をこれに混ぜれば完成ね」
「いやまあ……それ、もうホレ薬入ってるんだが……」
「あら、そうなの。さすが魔理沙ね」
「あー? さすがってなんだ」
「あなたはいつでも『さすが』よ。私はあなたが図書館に来るたび憎まれ口を叩いていたけど……私の思いもつかない行動を取るあなたに、心の底では常々そう思っていたのかもしれない……」
いいながら、パチュリーは魔理沙の方にずい、と迫ってくる。
「いや、待て……お前、変だぜ」
しゃべれば息がかかるような距離まで顔を近付けてくるパチュリーに、魔理沙は後ずさりをしながら言う。
「可愛い魔理沙……私はあなたの為なら何でもしてあげるわ……」
パチュリーは魔理沙の頬にそっと手を添えた。
(う、うわあ……これ、ホレ薬の効果か?)
気圧されていた魔理沙だが、ふいにぴん、と閃く。
「なんでもしてくれるんだったら、私の家の片づけを頼んだぜ」
「愛の巣のお掃除ね。解ったわ」
「いやまあ、頭言葉が気になるが、概ねそうだぜ」
「じゃあ、準備して向かうわ。るったら~」
パチュリーは三回転半のステップを踏みながら、厨房を出ていった。
「るったら~って、こりゃあ凄いぜ……」
どうやら大成功のようだ。出来あがったシチューを見て、魔理沙に笑いがこみ上げてくる。
「……うふ、うふふ、うふふふふふ」
魔理沙は怪しげな笑いを立てながら、シチューの鍋とお玉を風呂敷で包み、箒に括り付けると、厨房の勝手口から外に出る。
「待ってろよ香霖!! 今私がめろめろのぐでぐでのけちょんけちょんにしに行ってやるぜ!!」
誰にともなく叫びながら、魔理沙は再び香霖堂へ向かい、飛び立った。
……それと入れ替わり。
「あら……パチュリー様が珍しくこんなところから出てきたと思ったら、こんなものを」
紅魔館のメイド長、十六夜咲夜である。咲夜は厨房のテーブルに置かれたシチューの皿を手に取った。シチューから立ち上る香気が、咲夜の鼻孔をくすぐる。
(これは、すごく美味しそうだわ)
咲夜がそんなことを思っていると、厨房に入ってくる小さな影が一つ。
「咲夜、お腹が空いたわ。昼食はまだ?」
「お嬢様、わざわざこんなところまで来なくても、すぐにご用意しますわ」
紅魔館の主、レミリア・スカーレットである。レミリアは咲夜の手にしたシチュー皿に目を付けると、それに顔を近付ける。
「これ、すごく美味しそうね。昼食はこれにしましょ」
「でも、これは多分、パチュリー様が」
「あら、この館の主は私。つまり、この屋敷の中にあるものは須らく私のものということ。完璧な理論じゃない?」
「それはただのジャイアニズムですわ。……まあ、とりあえず毒味を」
「あっ、咲夜、ずるいわよ」
……というわけで、魔理沙の預かり知らぬところでも被害は拡大していたのだった。
太陽が丁度真上から少し傾きかけた頃の香霖堂。朝の魔理沙との一件のせいか、入り口には『準備中』と書かれた札が下げてある。そこに、博麗神社の巫女、博麗霊夢が訪れていた。
「霖之助さん、今日はお店休みなの?」
霊夢は店内に入ると、奥で湯のみに口を付けている霖之助に声をかけた。
「ドアにかかっている札の通りさ。『対策』の一環のつもりだったんだが、どうやら無駄だった様だな」
「対策って、押し売りの対策かしら? だったら無駄だと思うわ。押し売りはドアさえあれば気にせず入ってくるもの」
それもそうだ、と霖之助は息を一つ吐いた。たとえドアの張り紙が『立ち入り禁止』でも、『霊夢禁止』や『魔理沙禁止』だろうと、彼女達は気にせず入ってくるだろう。
「それで、押し売りさんは今日は何の御用だい」
「そうね……今日は私が持て余している暇を売りにきたわ。いくらくらいになるかしら」
「あいにくと、当店ではそのような商品は扱っておりませんが」
「じゃあ、しょうがないわね。只にしておくわ」
いいながら、霊夢は店の奥へ上がりこみ、自分の分のお茶の用意を始める。
「……暇なんて産業廃棄物を持ってくるなら、こっちが処理代金を貰いたいくらいだ」
「あら、霖之助さん、変わったお茶飲んでるわね」
「まあ、別にいいけどな」
素なのか意図的なのか、話題を逸らす霊夢に霖之助は一つため息を吐いた。
「米の研ぎ汁?」
霊夢の言うように、霖之助の湯のみの中に入っている液体は、なにやら白濁していて米の研ぎ汁のようである。匂いもなにやら渾然としていて、あまり美味しそうなものではない。
「これは薬湯だよ。ちょっとした伝手で特別に調合してもらったものだ」
「美味しいの?」
「良薬口に苦しと言ってね。いい薬だからあんまり美味しくはない」
「それはおかしいわ。まずいものを飲むのは、精神的に良くない。味も良くてこそ本当に『良薬』だと思うけど」
なるほど、それもそうかもしれない、と霖之助は思う。
「そういうわけで、私は一番体に良さそうなお茶を貰うわ」
言いながら霊夢が戸棚から取り出したのは、霖之助の家でも一番高い玉露だった。霊夢はその茶筒を抱えると、厨房に向かう。『遠慮』という二文字が辞書に無い霊夢の行動を、霖之助がため息を吐きながら眺めていると。
「おい香霖!! いいものを持ってきたぜ!!」
入り口のほうから、テンションの高い魔理沙の声が聞こえてきた。
「なんだ魔理沙、今度はどんな押し売りだい」
「押し売りとはご挨拶だな。わざわざお前のためにシチューを用意してきたんだ」
魔理沙はちゃぶ台の上にどん、と風呂敷包みを置き、その結び目を解いた。
「ああ、まだ温かいな。すぐに食べられるぜ」
「シチュー?」
霖之助は鍋の蓋を取り、その中身を覗きこむ。なるほど、美味しそうなシチューだ。
(……今朝の魔理沙の態度からだと、あからさまに怪しいな、このシチューは)
一見何の変哲も無いシチューだが、良く見ると怪しげな材料が混じっているのが解る。
「あ、魔理沙、何作ってきたの?」
厨房にお湯を入れに行っていた霊夢が戻ってくる。
「なんだ、霊夢もいるのか」
「あら、シチューじゃない。美味しそうね」
「おい、待てよ。これは香霖に……」
魔理沙が止める間もなく、霊夢はお玉にシチューを少し取ると、それを啜った。
「あーっ!!」
「うん、中々……いや、とても美味しいわ。ああもう、むしろ最高ね!! ていうか魔理沙最高!!」
「げ、げげっ」
霊夢は目を輝かせて、魔理沙の両手をぎゅっと握った。
「ああ、なんで今まで気付かなかったのかしら!! こんなに最高な魔理沙が私のすぐ近くにいたのね!!」
「き、気持ち悪いぜお前……」
魔理沙の言葉など耳に届いていないかのように、霊夢は握った手をぶんぶんと上下に振りながら続ける。
「こんなに最高な魔理沙だもの、最高っぷりをみんなに伝えなきゃ駄目だわ!! いえーい!! はにー・むーん!!」
「嫌だぁっ!! こんなにテンションの高い霊夢、霊夢じゃないっ!!」
魔理沙が悶絶している間に、霊夢はシチューの入った鍋を手に取ると、香霖堂を飛び出していく。
「なべなべおなべー♪ わっしょっしょーい!!」
「ああっ!? おいこら、待てっ!!」
霊夢はあっという間に見えなくなった。台風一過、香霖堂に空白のような静寂が訪れる。
「まずいぜ!! ああもう、キノコのせいか? 食ったやつのテンション上がりすぎだぜ……」
「で、魔理沙はそんなヤバいものを僕のために用意して来たってことかい」
「え? ああ、ほら、あれだ……霊夢追い掛けないとまずいから、もう行くぜ!!」
魔理沙は逃げるように飛び立っていった。
「全く……予想通りだな」
霖之助はちゃぶ台の上にある、先ほど口にしていた湯のみに目をやった。
「やれやれ、霊夢のおかげで『対策』が無駄になってしまったかもしれないな」
良薬口に苦し、か。霖之助は頭の中でその言葉を反芻すると、残りの薬湯を一気に飲み干した。
霊夢を追いかけて、魔理沙は文字通り幻想郷中を飛び回っている。その間、至る所で霊夢にシチューを食べさせられ、黄色い声で魔理沙を追いかけてくる妖精や妖怪の相手をしなければならなかった。
……幻想郷は、いつにもない魔理沙フィーバーに浮かされていたのである。
「もう、カンベンしてくれ……」
襲いかかってくる(愛情表現の一種らしい)それらをマスタースパークで打ち落としながら、魔理沙は嘆いた。このまま空を飛んでいたのでは、格好の的だ。魔理沙は地上に降りると、ひとまず木陰で休むことにした。
「……ふう」
魔理沙は帽子を取り、木にもたれかかって一息を吐いた。
(追われる身ってのが、いかに大変か解った気がするぜ……いつもの倍くらい疲れる)
魔理沙がそんなことを考えていると、不意に傍らの茂みががさ、と音を立てた。
「誰だっ!?」
魔理沙は帽子を被り直し、手にした箒を構える。
「あ、あの……魔理沙、さん。ようやく会えました」
茂みから姿を現したのは、白玉楼の庭師、魂魄妖夢だった。
「なんだ、妖夢か……って、魔理沙さんってなんだ」
魔理沙はそこではたと気が付く。今この状況で態度がおかしいと言うことは……。
(ひょっとして、妖夢までホレ薬を?)
良く見れば、何やら妖夢は魔理沙を前にして、赤面してみたりもじもじと指を組みながら、上目遣いをしていたりする。
「あの、その……あなたに会いたくて、こんなところまで……」
「一体なんだ……」
「こ、こここれっ!! 読んでくださいっ!!」
妖夢は両手で恭しく魔理沙に一つの封筒を差し出す。
「あー、なんだこれ?」
「家に帰ったら……いえ、今読んでもらっても構いませんっ」
「まあ、読むが」
魔理沙はハート型の封蝋を外すと、中身の便箋を取り出した。本文は達筆な筆書きのようだ。
「『いとせめて こひしきときは ながれつつ つるぎのつゆに なりにけるかも』……なんだこりゃあ」
「あの、だからそれは……」
「私を出し抜こう、という内容の恋文ね」
魔理沙は声がしたほうを向く。そこに立っていたのは、華胥の亡霊・西行寺幽々子だった。
「げ、まさか」
「幽々子様……」
「妖夢、やはりまだ貴方は解っていない様ね。どれだけ抗おうと、忌避しようとも、目を背ける事すらも出来ない一つの真実がある。魔理沙に想いを伝えるのは、この私だということ」
「ああ、やっぱりか……霊夢のヤツ、一体どこまで配りに行ったんだよ」
いつもはただ揺らめくだけの幽々子の回りを漂う幽炎が、静かに、だが激しく燃え盛っている。そして妖夢に向けられているものは、只ならぬ威圧感であった。
「幽々子様……たとえ貴方が相手でも、今の私は行く事こそあれ、退く事はありません」
「やはり、気付いていないのね。今の妖夢は私の行く路傍の草でしかないことに」
「仕方ないですね。まさか……こうして幽々子様と剣を交える時が来るとは、思ってもいませんでした」
「残念だけど、私は貴方と交える剣を持っていない。貴方はただ一方的に私に翻弄されるのみ」
二人の緊迫した雰囲気に飲まれていた魔理沙だが、ふと我に返った。
「止めるべきか、逃げるべきか……ああ、でも二人のガチ対戦、見てみたい気もする」
迷ってるうちに、睨み合っていた二人は動き始めた。
「行きます、幽々子様っ!!」
先に仕掛けたのは妖夢だった。『六道剣・一念無量劫』。六の剣閃が弾幕を成し、幽々子に襲いかかる。
「甘いわ、妖夢。未熟な貴方のこの程度の剣、私に通用すると思って?」
幽々子は僅かに口元を歪ませると、その背後に巨大な扇を背負った。そして、そこから飛び立つ、無数の儚げな蝶。『死符・ギャストリドリーム』。幽々子の放った死蝶達は、妖夢の六の剣閃に絡み付き、そしてそれを掻き消していく。
「!?」
反射的に幽々子は身を翻す。瞬間、その傍らを一陣の疾風が突き抜けていった。
「……『現世斬』。この連携をかわすとは、さすが幽々子様」
「あら、この私を試したつもりかしら? 小癪な妖夢ね」
「最早、小手調べはこれまで。魔理沙は私のものです!!」
「それは正しいものの見方ではないわ。魔理沙は、私のもの」
「ああもうっ、いつから私がお前らのものになったんだ!! やっぱり止めろ!!」
魔理沙がそう叫ぶと同時。妖夢と幽々子の間に、巨大な魔力の壁が出現した。
「こ、これは」
「結界ね。ということは……」
「そこまでよ、幽霊二人!! 魔理沙を困らせるヤツは、私が許さないわ!!」
啖呵を切って登場したのは、霊夢である。片手には鍋を、もう片方の手にはいつものお払い棒の変わりにお玉が握られている。
「霊夢……」
手が付けられなかった二人だけに、霊夢の登場に魔理沙はほんのちょっぴり頼もしさを感じる。……まあ、違和感バリバリで気持ち悪いのは相変わらずだったが。
「そこの紅白の、あなたはお呼びではないわ」
「お呼びでなくとも、魔理沙のためなら東奔西走いつでもどこでも駆け付けるわよ」
「いや、それなら私がお前探してる時に出てこいよ」
とりあえず、魔理沙の言葉は霊夢の耳には入っていないようだった。
「とにかく、魔理沙はあんたらに無益な戦いはよせ、と言ってるのよ。ああもう、さすが魔理沙ね!! 最高だわ!!」
「ああもう、やっぱり頼もしいとウザいじゃ八割ほどウザいが勝ってるぜ!!」
魔理沙は霊夢の手にある鍋をばっと奪い取ると、全力でその場を後にした。
「とりあえず、これ以上被害が拡大することはなくなったな」
魔理沙は飛びながらシチューの鍋を覗いた。一杯だった中身が、半分ほどになっている。この分だと、後どれくらいこれを食べたものがいるのかわからない。
「もう、効果切れるまで家でおとなしくしていよう……」
ホレ薬の効果が切れるまで、三日。
(……長いなぁ)
魔理沙は一つ、大きくため息を吐いた。
魔法の森、魔理沙の自宅。
(はぁ……ようやく落ち着けるぜ)
玄関先でドアノブに手をやったときに、魔理沙は一つの違和感に気付いた。
「待てよ……なんで」
なんでドアがピカピカになっているのか。それだけではない。よく見れば、家の外観全体が何やら輝くほどに見違えていた。
「な、なんだこりゃあっ」
魔理沙は庭のほうへ回ってみた。そこにいたのは……。
「あら……魔理沙様」
紅魔館のメイド長、十六夜咲夜である。咲夜はなにやらぱちぱちと音を立てる焚き火を眺めていたようだ。
「ああ、あなたを一目見ただけで、私の心は赤い実が弾けたよう……最高に『ハイ!!』ってヤツですわ!!」
(コイツもか……ああもう、なんで私の回りはみんな食い意地の張ったヤツらばっかりなんだっ)
魔理沙は頭を抱えた。そして、咲夜の傍らで炎を上げ続けている焚き火に気付く。
「咲夜……それ、何を燃やしてるんだ」
「ああ、これは家に有った書物ですわ。大分手を付けていなかったようですし、邪魔だったので処分することにしました」
「ぎゃあああっ!! 何やってんだてめえっ!!」
魔理沙は箒を叩きつけ、焚き火の炎を消そうと試みる。……炎は消えたが、そこに残ったのは燃え滓だけであった。
「ああ、私のコレクションが……」
「騒がしいわね、咲夜」
家の窓が開く。そこに立っていたのは、紅い悪魔、レミリア・スカーレットである。
「おい、待て……なんでお前が我が物顔で私の家に入ってるんだよ」
「あら、簡単。私があなたの使い魔になって上げようとしてるのよ」
「……はい?」
「素敵ですわ。私は魔理沙様とレミリア様、二人の主にお使えするのですね」
レミリアの言葉に、咲夜は目をキラキラと輝かせ、虚空を見つめる。
「この五百年、誰かの使い魔になったことなど一度も無い。光栄に思え、黒い魔術師」
「いや帰れよお前ら……」
「あら、もう私達が帰る場所はここですわ」
「そうね、ここはニュー紅魔館としてリニューアルしましょ」
「おい、ふざけるなよ!!」
などとやり取りをしているうちに、上空にふらふらと飛ぶ影が一つ。
「あら、あれは……」
「ん?」
それに気付いたレミリアの声に、魔理沙は空を見上げた。そのふらふらの影は、魔理沙の家目掛けて力なく落下してくる。どさあ、という大きな音を立てて落ちてきたそれは、大きな風呂敷包みだった。
「……なんだこれは」
「よ、嫁入り道具……や、やっと……ついた……愛の巣……」
よく見れば、風呂敷包みの下にパチュリーが埋もれていた。大荷物を抱えてきたせいか、息も絶え絶えである。
「あら、パチュリー様?」
「ああ……咲夜にレミィも……ぐおぶはぁっ」
起き上がろうとした刹那、豪快に血を吐いたかと思うと、再び倒れる。
「お、おい!! 大丈夫か!?」
「だ、だいじょうぶ、ちょっと血を吐いただけ……がふぅっ」
パチュリーの口からは、さらにどばどばと血が噴出していた。
「大丈夫って、二リットルくらい出ているように見えるんだが……」
「はぁ、はぁ……それより、お帰りのキスを……」
パチュリーはだらだらと血の流れる口を歪ませ、魔理沙に迫る。
「ひ、ひいいっ!! お、おま、ち、ちーっ!!」
「ええ、だからちゅー」
「ちゅーじゃないっ!! 血ーだよっ!!」
怯える魔理沙に、怖い笑みを浮かべながらパチュリーはさらに迫る。と、その刹那、声が響いた。
「ちょっと待て!! 魔理沙が嫌がってるじゃない!!」
空に霊夢が浮かんでいた。
「げえっ、また出たぁっ!!」
「いくら魔理沙が最高だからって、自宅まで押し掛けてどうするつもり!? ああもう、見れば見るほどさすが魔理沙ね!! 最高だわ!!」
「さっきからそれしか聞いてないぜ……こんなボキャブラリーの少ない霊夢、霊夢じゃないっ!!」
悶えている魔理沙を無視して話は進む。
「ふん、ここはもう、今日からネオ紅魔館として私たちも住む事になったのよ」
「なってない!!」
「勝手なことを……いいから、私の魔理沙から離れなさい」
「お前のものじゃないーっ!!」
(もー嫌だ!! 耐えられん!! 私は騒がすのは好きだが、騒がれるのは大っ嫌いなんだっ!!)
魔理沙はパチュリーを振りほどくと、シチューの入った鍋を持ってそこから逃げ出した。
(もう……最悪だぜ……)
こんなのが後三日も続いたら、普通に頭がおかしくなってしまいそうだ。何とかして、あの薬の効果を消さなければならない。
(そうだ、薬と言えばあいつがいたじゃないか)
魔理沙はそう思うと、幻想郷の辺境、竹林の屋敷へ向かった。
<続>
今だに笑いが止まりませんよぉ。(笑
後編も頑張ってください♪
後編も楽しみだ!