[The past 8 - The shrinking world(decline) -]
「大きくなっても私はやっぱり綺麗ね。人形さんもそう思うでしょ?」
アリスは新しい自分の身体の各パーツの寸法を測りながら、鏡の前で笑顔を見せる。
事実、とてもよくバランスの取れた体つきに成長していた。……その意味では、ちょっと、うらやましい。顔も相変わらず可愛らしいままで素晴らしい限りだ。
――アリスは、私をまだ、人形さんと呼ぶ。私がまだ、名前を教えていないから。
知りたがっていた名前をすぐにでも教えてあげたかった。本当は、今でも、すぐに。
だけど、そのことを言おうとするたびに、あの時のアリスの表情が脳裏に蘇る。戸惑いと驚きと葛藤が混じったような、不思議な表情。あの表情を思い出すと、私は何も言えなくなってしまう。
アリスはうん、と一度大きく頷くと、鏡を離れ、タンスから大きめのタオルを取り出し、とりあえずそれを身につけて服代わりにする。
大きな紙をテーブルの上に広げて、驚くほどの速さでペンを走らせて、新しい服装のデザインと寸法図を描いていく。あっという間に軽く色までつけられた絵の完成。
描き終わると早速、自分の服を作りにかかる。無数にある布地の束から2色、ざっくりと切り取って持ってくる。――そこから先の作業は、何が行われていたのか、私にはよく理解できなかった。適当に線を描いているだけではないかと思えるくらい澱みなく布地に描かれた線は、フリーハンドとは思えないほどに真っ直ぐな直線だったり滑らかな曲線だったりして、しかもペン以外の一切の道具を使っていないというのに、左右対称のパーツには僅かな狂いも見られない。私が目を丸くしている間に、気がつけば見事なパターンが描き終えられていた。
はさみを持ってからも、また速い。切る。仮止めする。縫う。飾る。全ての作業が、芸術的とも呼べる速度と優雅さで行われていった。
「仮だから、まずはこんなものね」
仕上がった服は、アリスの言葉どおり、彼女にしてはシンプルなものだった。しかし、出来映えは十分に外出着として通用するレベルだ。改めて、アリスの器用さに惚れ惚れする。恐ろしい。
――私も何かひとつ、こういう女の子らしいスキルが欲しいな、なんて思ったりもしたのだった。アリスのそれは女の子らしいのレベルを超越しているような気もするが。
アリスはタオルを脱いで、出来たばかりの服を着る。襟、袖、バスト、ウェスト。見事に計算どおりにフィットしていた。ふわりと青いスカートが舞う。なんて可愛らしい。アリスも満足そうに頷いている。やはり凄い腕前だ。
って。
……下着、つけてないわよね、今の、どう見ても……。
「……えと」
私が言いづらそうにもごもごしてると、アリスは理解してくれた。あー、と恥ずかしそうに視線を逸らし、こりこりと頭の後ろのほうを掻く。
「あれは時間かかるから、とりあえず……買ってくるわ」
――その格好で?
つまり、アレだ。スカートの下に何も穿かないでお買い物というわけです。
ごくり。
……い、いやいや。おちつけじぶん。あやしいひとになってしまう。アリスが何食わぬ顔で人のたくさんいるところでお買い物しているその裏ではスカートの下何も穿いていないなんて倒錯的なチャレンジしようがしまいが私には関係ない話でそんな想像しちゃったらぶーーー
……
おちつけ。
「わざわざスカートにしなくてもよかったのに……」
せめて。そう思うものだ。
指摘すると、アリスはびしっと指をつきつけてきた。
「言っとくけど、私はスカート以外は致命的に似合わないわよ」
そわそわ。
考えてみれば、ここに来て以来、アリスの家から外に出たことは一度もない。
アリスの買い物の留守番として待つ間、色んなことに思いを馳せる。この世界にも本当の「私」はまったく違う場所にいるはずで。この先、アリスと同じように、自分の世界に入り込んできた不思議な人間の魔法使いと対峙して、敗れ、後にアリスと初めて出会うことになる「私」が。
私がここに来て、結果的にアリスに大きく干渉することになった。このことが「私」達の初めての出会いを変えるのだろうか? しかし、私が初めて出会ったときにはもう、アリスは今から進む道を通るアリスだった。すでに私の行動は歴史に組み込まれている。だが例えば私が自分の名前を明かしたとする。そうすれば私達の出会いは初めてではなくなるだろう。アリスと出会った頃の「私」にはまだ私の記憶はないが、アリスにはある。アリスは私のことを知っている状態で、初めての出会いを迎えることになるはずだ。おかしなことにならないだろうか?
名前を明かすことの出来ないもう一つの懸念が、それだった。タイム・パラドクス。言葉は私も聞いたことがある。もともとアリスの封じた時間を少しわけてもらっただけのここにいる私は、もうそんな長くはこのままではいられないだろう。ここで仮に私が残りの時間を利用してこの世界の「私」に会いに行けば、どうなるのか。今なら空を飛んで自由に移動することもできるのだから、その気になれば不可能ではないだろう。
やはり、怖い。私はこのまま残りの時間を大人しく過ごして、アリスの中では最後まで「正体不明の幽霊」という存在であるべきなのだろう。アリスの前で魔法も使ってしまったが、幸い、見られた魔法はアリスの魔法だけであって、私の魔法ではない。それならば、問題はないだろう。魔法はもう、封印しよう。
――がちゃり。
玄関のドアが開く音が聞こえた。買い物から帰ってきたみたいだ。
静かな足音が、部屋に近づいてくる。足音も、初めて出会った頃のそれより、ずいぶんと大人っぽくなっていた。外見だけが変わったというわけでもないようだ。
アリスは部屋の扉を開け、この部屋に入ってくる。部屋の真中で、皮製のバッグを下ろす。
「おかえり。……特に、トラブルはなかった?」
そんな格好で出かけて。例えば急に強い風が吹いたとか、階段を登るときに視線をやたらに感じたとか、微妙に癖になってしまいそうだとか――
少しわくわくしながら尋ねる私の挨拶に対して、しかし、アリスは振り向きもしない。
バッグから買ってきた下着を何枚か取り出して、選んでいる。……夢中になっていて聞こえなかったのだろうか。
「アリス?」
アリスはちょうど私に背を向けたまま、一枚の下着を取り出して、それを足に通す。
……穿いていく最後の瞬間、可愛らしいお尻が、ちょっと見えてしまった。
いや、既に全裸姿をいくらでも眺めているわけで、今更ではあるのだが、一度改められてしまうと、やはり、恥ずかしいもので。
「ちょ、ちょっと、もうちょっと見えないようにするとかしなさいって……」
嬉しいけど。
いやいや。
「……?」
アリスは、ここで、やっと振り向いてくれた。疑問符を顔に浮かべながら。
私と目が合う。アリスの表情が変わった。
――ああ。まただ。また、あの顔だ。悩み、葛藤。疑問。戸惑い。
私の楽しい気分が一気に吹き飛ぶ。
それは、少し前まで私がよく見せていた表情なのではないだろうか。
何かを思い出したいときの顔。
「あ……わ、ごめんね。挨拶もしないで。ただいま、人形さん。これでちゃんとした格好になったわよ」
少し待って、アリスの顔にまた笑顔が戻った。でも、それは、作り笑顔。
「……うん」
もう、ごまかせない。アリスのあの表情は、確かに目でこう訴えかけていた。
どうして人形が喋っているんだろう――と。
[The past 9 - The shrinking world(convergence) -]
「おはよう、人形さん。今日もいい天気みたいよ」
「今日のパンはね、ちょっとはちみつを練りこんでみたの。焼く時間間違えてちょっと焦げちゃった」
「そろそろちゃんとした服も作らないとね。人形さん、私にはどんな色が似合うと思う?」
「あ、読みたい本があるなら、なんでも言ってちょうだい。サービスしちゃうから」
あの日から。
アリスは私に、とてもよく話しかけてくるようになった。何か作業をしているときも、思い出したようにちらちらと私のほうを伺っては話しかけてくる。外出はしなくなった。私のベッドも、テーブルの上ではなくて、アリスのベッドの頭のほうに空いたスペースに置かれるようになった。何より、朝起きたとき、まず私の姿を探すようになった。
指の隙間から零れ落ちていく砂を、必死に全身で受け止めて、その流れを止めようとするかのように。
頑張ってずっと笑顔を作っているアリスが、痛々しかった。アリスは必死に戦っている。どういうわけか抜け落ちていく私の存在の記憶を、なんとか押しとどめようと。
私は、出来る限り自然に、会話に答えていった。アリスの葛藤に何も気付かないふりをして。
見た目にはとても楽しく、仲良く過ごす幸せな日々が続いた。
本もたくさん読めた。アリスとはいっぱい話ができた。いっぱい、一緒にいることができた。私の言葉は「ちょっとぼーっとしてて聞き逃しちゃった」ということも何回かあったけれど。
だけど。
「あ、人形さん、おなかすいたよね。パンわけてあげよっか?」
「人形さん、せっかくだから空を飛べたりしたら便利なのにね。魔法とか使えない?」
「そういえば、寝たりはするのかな――って、だからベッド作ってあるんだよね。何言ってるんだろね、私」
そのうちに、アリスの口から出てくる言葉にも、綻びが現れ始めていた。
もはやアリス自身も、ごまかしきれているとは到底思っていないだろう。着実に、私の存在の記憶が、失われていっている。そして、私の言葉が届かない回数も、多くなってきている。少し前の会話の内容も、昔に話したことも、急速に消失していっている。
アリスの顔から、作り笑顔さえ、少しずつ消えていった。
「私ね。魔界を出ようと思っているの」
それは、独り言だったのか。私に言ったのか。
ある夜、唐突にぽつりと呟いた。
「人間がもっと知りたくなったの。人間の魔法使いをもっと近くからよく調べて、強さの秘密を探ってみたいわ」
「いいと思うわ。きっと、それがあなたのためになるから」
「うん。ありがとう。ありがとう……あなたがいてくれて、ありがとう」
その会話は、それきりだった。
寝る前。アリスは、私の体をその胸に抱きしめた。
「……このまま寝ても、大丈夫かしら?」
「アリスは寝相はいいほうだから、たぶん、大丈夫」
「そう? それじゃ、そうさせてもらうわ」
私はアリスに抱かれたまま、ベッドに入る。
「おやすみ」
温かかった。
アリスは私を抱える腕に力が入らないようにと気を遣ってくれていたが、時折ぴくりと震えることもあり、そのたびに少し圧迫された。
今日も一日が終わる。
そして――ぱし、という乾いた音を最後に、意識が落ちた。
私達が出会った日は、よく晴れた日だった。
日光に弱い私には、辛いくらいの快晴だった。普段は日光を浴びる機会もほとんどない。
割と強引に誘われたからだとはいえ、よくこんなところまで出てきたものだと思った。我ながら。
明るくて、騒がしい。苦手な場所だった。私は静かに本を読んでいるほうが好きだ。
ぽつんと1人で隅の方で座っているときに、話しかけてきたのは、彼女だった。
「初めまして。私は、アリス・マーガトロイド。よろしくね」
ああ、そうだ。私はいきなり声をかけてきた彼女に、最初は不審な目を向けてしまった。
しかも、その後の彼女の言葉はなんだったか。確か――
それが、未来の歴史。
この出会いを確実に再現するために、私の記憶が戻るのにあわせて、アリスの中で私の存在がなかったことにされていく。
これは、世界の辻褄合わせだ。
やがて私は消え、私はこの世界に最初からいなかったかのように扱われる。私のこの記憶が、「私」に引き継がれるのか、それともこのまま消えてしまうだけなのかはわからない。それは、未来の話。
アリスの封印から貰った時間で構成された私の世界は、綺麗な形で収束することを望んでいた。
朝が来た。
私が先に目を覚ます。アリスの腕の中。しっかり抱きかかえられていて、動けない。アリスが起きるまで待つ。
ん……と、アリスの身体が動く。ほとんど同じようなタイミングで目が覚めたようだ。
一度ぴくり、と動いた手が、その後ゆっくりと、私の体をそっと撫でた。
「おはよう」
アリスの声が届く。
「おはよう」
私が答える。よかった。まだ、私は消えていない。
アリスは私の体を一度枕の側に退避させて、ベッドから起き上がる。
んん、と伸びをしたあと、いつものように顔を洗いに行く。私は枕の上で待つ。
少ししたらアリスが戻ってくる。最近完成した、飾り気の多い派手な服に着替えて。
私の顔を覗き込むアリス。
「ねえ、人形さん。私、大切なことを忘れかけていたわ。約束していたよね、あなたの新しい服」
あ。
覚えていてくれたのか。もう、とっくに忘却の彼方だと思っていた。
でも……もう、どうせ僅かな時間しかない。それよりは、一緒に話でもしたり本でも読んだりして過ごしたかった。
「いいわ、もう。私はこの服でも好きだから」
だから、そう答えた。
アリスは、にこりと微笑んで、くるりと体を翻して、机から紙を取り出す。
テーブルの上に紙を広げて、デザインスケッチを始めた。たくさんの、たくさんのアイデアが描きこまれていく。
「……アリス?」
私は確かに、もういいと答えたつもりだったのに。
アリスはたくさんの案が書かれた紙を私に見せる。どれが一番好みかな? と聞いてくる。
たくさんの案。私には、選びきれない。さすがにセンスもあるようで、私から見ればどれも素敵なデザインだった。一つを選ぶことなんてできない。
「私は――」
「じゃあ、これでもいいかしら。可愛いと思わない?」
アリスの言葉は、どれでもいいと言いかけた私の言葉を遮って、続いた。一つのデザインを指差して。フリルもリボンもたっぷりの、いかにも作るのが大変そうなデザインだった。ね? と、私に笑いかける。
――ああ。そうか。
やっと、わかった。
アリスには、もう、私の言葉は、届いていない。
その日アリスは、ただ、ずっと、私の服を作り続けてくれた。紙型から作って、薄い純白の絹に複雑な形を描き、ゆっくりと、慎重に。私が見ていてもどの部分がどうなるのか全く予測がつかないほど複雑な線がたくさん描かれていく。
朝も昼も、夜になっても、ずっと続けていた。時折私に話しかけてくれる。ほとんど、独り言のように。
私は、たとえ声が届かないとわかっていても、ちゃんと、話を続けた。会話をした。
好きな食べ物とか、好きな本とか、何でも聞かれて、なんでも答えた。アリスは、そう、とか、私も好きなのよ、とか、答えてくれた。それ以上会話は続かない。ぎこちないお見合いみたいだと思って、私は笑った。よかった。人形の体でよかった。そうでなければ、もうとっくに、涙をこらえることなんてできなかった。
アリスは、切り取った布地同士を縫い合わせていく。見ているほうが気が遠くなりそうなほど、細かい細かい作業。たくさんあるリボンが特に曲者のようだった。
私は一挙一動さえも見逃さないようにと、じっと、見つめ続けた。会話も途切れがちになってきた。
突然――アリスは、手に持った針を、人差し指の先に刺した。
「え?」
見間違いかとも思ったが、一瞬歪んだアリスの表情を見ると、間違いではないことを知る。今のは手が滑ってという動きではなかった。明らかに、自らの意思で、刺していた。じわりと、血が玉になって溢れ出てくる。アリスはそれを、手元に置かれた綿で拭き取って、そこに軽く包帯を巻いた。
驚く私に、アリスは、額に汗を浮かべながらも、笑顔を作って見せた。
「ごめんね。ちょっと眠くなっちゃったから、気合入れようと思って。あ、大丈夫よ、服は絶対に汚さないから」
軽い口調で言った。
そんな。どうしてそこまでして続けなければいけないのか。
止めさせたかったが、何を言っても私の言葉はもう届かない。それに……やはり、止めてはいけないのだろう。アリスの顔を見ていると、邪魔をすることなんて、できなかった。
――その後も、アリスは、何度も針を刺した。指を変えて。そのたびに丁寧に拭いて、包帯を巻いた。
アリスの表情に浮かぶ焦り。完成を間もなくにしている人形の服。あとはまだまだたくさんあるリボンを縫い付けていく作業を残すばかり。ほとんどできている。
私は、アリスの記憶がもう限界に来ていることを悟った。こうして縫い続けている今ももう、私の存在が完全に消え去ろうとしているのだ。それを感じるたびに、アリスは針の痛みによって、なんとか意識を繋ぎとめようとしているのだ。
もう、手は傷だらけだった。左手など、包帯が巻かれていない箇所のほうが少ない。
「もうちょっとだから、待っててね……もうちょっと、だから……」
ああ――
そう。もうちょっとなのに。本当に。
世界は、なんて意地悪なんだろう。私にはもうわかった。間に合わなかったのだ。
私の声は、もう、出ない。もう届かない笑顔を、最後に届ける。
じっとアリスを見つめて、見つめて……ありがとうと、心の中で叫んだ。
白くなっていく視界の先に、何回も、何回も、叫んだ。
ありがとう。大好きよ、アリス。
ありがとう。貴方に会えて、よかった。
きっと、必ず――また――
ぱしん、と世界が弾けた。
ここに、世界の辻褄合わせが完了した。
[The past 10 - Alice -]
陽の光が、優しく頬を照らす。
目が覚めた私は、はっと体を起こす。
――何故か、テーブルに座ったまま寝てしまっていたようだ。ええと。どうしてたんだったか。
手元に落ちている縫い針に気付く。その先にある白い人形の服に気付く。
ああ、そうだった。これを作っていたんだ。つい夢中になってやっていたから、このまま寝てしまったんだ。
「!?」
ずきん、と手が痛んだ。左手を見て驚く。包帯だらけだった。
これも思い出した。確か、途中で寝てしまわないようにと、自ら針を刺して……どうしてそこまでして昨日中に作らないといけなかったんだろう?
いや、そもそも。
私は目の前にある人形の服を手にとって、しげしげと眺める。
「……なんで、こんな服作ろうと思ったんだろう……?」
どう考えても私の趣味ではない。色が少なすぎて、つまらない。その割にフリルとかリボンとか、気合は入りまくっているのだ。
うーん? と頭を悩ませる。
ああそうだ。確か。
ええと。きょろきょろと周囲を見渡す。ベッドの上に、それを見つけた。一体の人形。何の変哲もない人形。
この人形のための服として、作っていたんだった。立ち上がって、人形を手にとって、テーブルに戻り、置く。人形の前に服をピタリと合わせてみる。うん、サイズもぴったり。
ゆっくりと人形の今の服を脱がして、新しい服に着せ替える。
とても可愛らしい。うん。満足。
「よく似合うわ。ねえ、あなたも満足でしょ?」
人形に話しかけてみたりする。つん、と頭をつついてみたりする。
人形は、この新しい服にとても喜んで、笑っているような――気がした。
「あはは、なんだか生きてるみたい。……そうだ、動く人形なんてどうかしらね。私らしい、素敵な武器になると思わない? ねえ」
誰に語りかけるともなく――いや、人形に語りかけて。
ぽたり。
「え?」
ぽたり、ぽたり。
人形の前に、大粒の雫が零れ落ちる。
「に……人形が、泣いてる?」
ぽたり……
――ああ。違う。視界が歪んでいく。泣いているのは、私。
ぎゅっと目を閉じる。熱い雫が止め処なく溢れ出し、頬を伝い、テーブルの上へと零れ落ちていく。
「ぅ……っく……どうして……っ」
涙の理由がわからない。
ただ、とても大切なものを失ったような、喪失感だけがあった。
人形をぎゅっと握り締める。
「っ……ひくっ……や、やだ……何よっ……なんで……っ!」
何で、喋ってくれないのよ。
素敵な服ね、ありがとうくらい言ってくれたっていいじゃない。
――バカみたい。人形がそんなこと言うわけない。
ぼろぼろと流れ落ちる涙。すぐ間近にある人形の姿さえよく見えなくなっていく。
わけがわからないまま、私はずっと、泣き続けた。人形を握り締め、抱きしめながら。
[Now - Cherry blossom -]
季節は春。長い冬が終わったあと、今度はまた長い春が始まっていた。
魔理沙の「花見大会だぜ!」という大規模な人集めによって、ここ、博麗神社は、実に色んな生物が集まる宴会場と化していた。アリスは呆れた顔でこの様子を見つめてはいたが、本当は、誘ってもらえたことを誰よりも喜んでいた。
とはいえ、知り合いの3人――霊夢、魔理沙、そしてよくわからないメイドは、3人とも色々と忙しそうにしていて。アリスはなんとなく、ぽつんと1人残された。
ちらちらと様子を探っていると、同じように1人離れたところで静かに座っている女の子を見つけた。
アリスは、よし、と思い切って彼女に近づいてみる。
「初めまして。私は、アリス・マーガトロイド。よろしくね」
女の子は、冷たい目で、アリスを見上げた。
うっと一歩引くアリス。怖い。いきなり目で拒絶されてしまったと感じる。
しかし、それと同時に――不思議な感覚があった。
女の子がそのまま何も言わないでいる間に、アリスは続けて口を開く。
「……ねえ、あなた。どこかで私と会ったこと、ない?」
女の子の目は、ますます冷たくなった。
「古典的な……ナンパ?」
「……な、なんでよ!? 違うわよ! ……た、ただ、本当にそう思っただけで……」
アリスは焦って、言い訳をする。顔が赤くなってしまう。いや、実際どこかで会った事があるような気がしたのだ。
現に、初めて聞いたはずのその声にも、どこか聞き覚えがあって。
やけに慌てるアリスの様子を眺めて、女の子は、ふふ……と笑った。目から冷たさが消える。
「いいわ。そういうことだってあるものね、きっと。初めまして、アリス。私はパチュリー・ノーレッジ。よければ、友達になりましょう。……あ、今のは恋人にはなれないわという意味も含んでいて」
「だ、だからーーっ! そういうつもりじゃないんだってっ! ……もう」
簡単に顔を真っ赤にして慌てるアリスを眺めて、パチュリーはもう一度、笑った。
いい友達になれるかもしれない。
そんな気がした。
[Fin]
「大きくなっても私はやっぱり綺麗ね。人形さんもそう思うでしょ?」
アリスは新しい自分の身体の各パーツの寸法を測りながら、鏡の前で笑顔を見せる。
事実、とてもよくバランスの取れた体つきに成長していた。……その意味では、ちょっと、うらやましい。顔も相変わらず可愛らしいままで素晴らしい限りだ。
――アリスは、私をまだ、人形さんと呼ぶ。私がまだ、名前を教えていないから。
知りたがっていた名前をすぐにでも教えてあげたかった。本当は、今でも、すぐに。
だけど、そのことを言おうとするたびに、あの時のアリスの表情が脳裏に蘇る。戸惑いと驚きと葛藤が混じったような、不思議な表情。あの表情を思い出すと、私は何も言えなくなってしまう。
アリスはうん、と一度大きく頷くと、鏡を離れ、タンスから大きめのタオルを取り出し、とりあえずそれを身につけて服代わりにする。
大きな紙をテーブルの上に広げて、驚くほどの速さでペンを走らせて、新しい服装のデザインと寸法図を描いていく。あっという間に軽く色までつけられた絵の完成。
描き終わると早速、自分の服を作りにかかる。無数にある布地の束から2色、ざっくりと切り取って持ってくる。――そこから先の作業は、何が行われていたのか、私にはよく理解できなかった。適当に線を描いているだけではないかと思えるくらい澱みなく布地に描かれた線は、フリーハンドとは思えないほどに真っ直ぐな直線だったり滑らかな曲線だったりして、しかもペン以外の一切の道具を使っていないというのに、左右対称のパーツには僅かな狂いも見られない。私が目を丸くしている間に、気がつけば見事なパターンが描き終えられていた。
はさみを持ってからも、また速い。切る。仮止めする。縫う。飾る。全ての作業が、芸術的とも呼べる速度と優雅さで行われていった。
「仮だから、まずはこんなものね」
仕上がった服は、アリスの言葉どおり、彼女にしてはシンプルなものだった。しかし、出来映えは十分に外出着として通用するレベルだ。改めて、アリスの器用さに惚れ惚れする。恐ろしい。
――私も何かひとつ、こういう女の子らしいスキルが欲しいな、なんて思ったりもしたのだった。アリスのそれは女の子らしいのレベルを超越しているような気もするが。
アリスはタオルを脱いで、出来たばかりの服を着る。襟、袖、バスト、ウェスト。見事に計算どおりにフィットしていた。ふわりと青いスカートが舞う。なんて可愛らしい。アリスも満足そうに頷いている。やはり凄い腕前だ。
って。
……下着、つけてないわよね、今の、どう見ても……。
「……えと」
私が言いづらそうにもごもごしてると、アリスは理解してくれた。あー、と恥ずかしそうに視線を逸らし、こりこりと頭の後ろのほうを掻く。
「あれは時間かかるから、とりあえず……買ってくるわ」
――その格好で?
つまり、アレだ。スカートの下に何も穿かないでお買い物というわけです。
ごくり。
……い、いやいや。おちつけじぶん。あやしいひとになってしまう。アリスが何食わぬ顔で人のたくさんいるところでお買い物しているその裏ではスカートの下何も穿いていないなんて倒錯的なチャレンジしようがしまいが私には関係ない話でそんな想像しちゃったらぶーーー
……
おちつけ。
「わざわざスカートにしなくてもよかったのに……」
せめて。そう思うものだ。
指摘すると、アリスはびしっと指をつきつけてきた。
「言っとくけど、私はスカート以外は致命的に似合わないわよ」
そわそわ。
考えてみれば、ここに来て以来、アリスの家から外に出たことは一度もない。
アリスの買い物の留守番として待つ間、色んなことに思いを馳せる。この世界にも本当の「私」はまったく違う場所にいるはずで。この先、アリスと同じように、自分の世界に入り込んできた不思議な人間の魔法使いと対峙して、敗れ、後にアリスと初めて出会うことになる「私」が。
私がここに来て、結果的にアリスに大きく干渉することになった。このことが「私」達の初めての出会いを変えるのだろうか? しかし、私が初めて出会ったときにはもう、アリスは今から進む道を通るアリスだった。すでに私の行動は歴史に組み込まれている。だが例えば私が自分の名前を明かしたとする。そうすれば私達の出会いは初めてではなくなるだろう。アリスと出会った頃の「私」にはまだ私の記憶はないが、アリスにはある。アリスは私のことを知っている状態で、初めての出会いを迎えることになるはずだ。おかしなことにならないだろうか?
名前を明かすことの出来ないもう一つの懸念が、それだった。タイム・パラドクス。言葉は私も聞いたことがある。もともとアリスの封じた時間を少しわけてもらっただけのここにいる私は、もうそんな長くはこのままではいられないだろう。ここで仮に私が残りの時間を利用してこの世界の「私」に会いに行けば、どうなるのか。今なら空を飛んで自由に移動することもできるのだから、その気になれば不可能ではないだろう。
やはり、怖い。私はこのまま残りの時間を大人しく過ごして、アリスの中では最後まで「正体不明の幽霊」という存在であるべきなのだろう。アリスの前で魔法も使ってしまったが、幸い、見られた魔法はアリスの魔法だけであって、私の魔法ではない。それならば、問題はないだろう。魔法はもう、封印しよう。
――がちゃり。
玄関のドアが開く音が聞こえた。買い物から帰ってきたみたいだ。
静かな足音が、部屋に近づいてくる。足音も、初めて出会った頃のそれより、ずいぶんと大人っぽくなっていた。外見だけが変わったというわけでもないようだ。
アリスは部屋の扉を開け、この部屋に入ってくる。部屋の真中で、皮製のバッグを下ろす。
「おかえり。……特に、トラブルはなかった?」
そんな格好で出かけて。例えば急に強い風が吹いたとか、階段を登るときに視線をやたらに感じたとか、微妙に癖になってしまいそうだとか――
少しわくわくしながら尋ねる私の挨拶に対して、しかし、アリスは振り向きもしない。
バッグから買ってきた下着を何枚か取り出して、選んでいる。……夢中になっていて聞こえなかったのだろうか。
「アリス?」
アリスはちょうど私に背を向けたまま、一枚の下着を取り出して、それを足に通す。
……穿いていく最後の瞬間、可愛らしいお尻が、ちょっと見えてしまった。
いや、既に全裸姿をいくらでも眺めているわけで、今更ではあるのだが、一度改められてしまうと、やはり、恥ずかしいもので。
「ちょ、ちょっと、もうちょっと見えないようにするとかしなさいって……」
嬉しいけど。
いやいや。
「……?」
アリスは、ここで、やっと振り向いてくれた。疑問符を顔に浮かべながら。
私と目が合う。アリスの表情が変わった。
――ああ。まただ。また、あの顔だ。悩み、葛藤。疑問。戸惑い。
私の楽しい気分が一気に吹き飛ぶ。
それは、少し前まで私がよく見せていた表情なのではないだろうか。
何かを思い出したいときの顔。
「あ……わ、ごめんね。挨拶もしないで。ただいま、人形さん。これでちゃんとした格好になったわよ」
少し待って、アリスの顔にまた笑顔が戻った。でも、それは、作り笑顔。
「……うん」
もう、ごまかせない。アリスのあの表情は、確かに目でこう訴えかけていた。
どうして人形が喋っているんだろう――と。
[The past 9 - The shrinking world(convergence) -]
「おはよう、人形さん。今日もいい天気みたいよ」
「今日のパンはね、ちょっとはちみつを練りこんでみたの。焼く時間間違えてちょっと焦げちゃった」
「そろそろちゃんとした服も作らないとね。人形さん、私にはどんな色が似合うと思う?」
「あ、読みたい本があるなら、なんでも言ってちょうだい。サービスしちゃうから」
あの日から。
アリスは私に、とてもよく話しかけてくるようになった。何か作業をしているときも、思い出したようにちらちらと私のほうを伺っては話しかけてくる。外出はしなくなった。私のベッドも、テーブルの上ではなくて、アリスのベッドの頭のほうに空いたスペースに置かれるようになった。何より、朝起きたとき、まず私の姿を探すようになった。
指の隙間から零れ落ちていく砂を、必死に全身で受け止めて、その流れを止めようとするかのように。
頑張ってずっと笑顔を作っているアリスが、痛々しかった。アリスは必死に戦っている。どういうわけか抜け落ちていく私の存在の記憶を、なんとか押しとどめようと。
私は、出来る限り自然に、会話に答えていった。アリスの葛藤に何も気付かないふりをして。
見た目にはとても楽しく、仲良く過ごす幸せな日々が続いた。
本もたくさん読めた。アリスとはいっぱい話ができた。いっぱい、一緒にいることができた。私の言葉は「ちょっとぼーっとしてて聞き逃しちゃった」ということも何回かあったけれど。
だけど。
「あ、人形さん、おなかすいたよね。パンわけてあげよっか?」
「人形さん、せっかくだから空を飛べたりしたら便利なのにね。魔法とか使えない?」
「そういえば、寝たりはするのかな――って、だからベッド作ってあるんだよね。何言ってるんだろね、私」
そのうちに、アリスの口から出てくる言葉にも、綻びが現れ始めていた。
もはやアリス自身も、ごまかしきれているとは到底思っていないだろう。着実に、私の存在の記憶が、失われていっている。そして、私の言葉が届かない回数も、多くなってきている。少し前の会話の内容も、昔に話したことも、急速に消失していっている。
アリスの顔から、作り笑顔さえ、少しずつ消えていった。
「私ね。魔界を出ようと思っているの」
それは、独り言だったのか。私に言ったのか。
ある夜、唐突にぽつりと呟いた。
「人間がもっと知りたくなったの。人間の魔法使いをもっと近くからよく調べて、強さの秘密を探ってみたいわ」
「いいと思うわ。きっと、それがあなたのためになるから」
「うん。ありがとう。ありがとう……あなたがいてくれて、ありがとう」
その会話は、それきりだった。
寝る前。アリスは、私の体をその胸に抱きしめた。
「……このまま寝ても、大丈夫かしら?」
「アリスは寝相はいいほうだから、たぶん、大丈夫」
「そう? それじゃ、そうさせてもらうわ」
私はアリスに抱かれたまま、ベッドに入る。
「おやすみ」
温かかった。
アリスは私を抱える腕に力が入らないようにと気を遣ってくれていたが、時折ぴくりと震えることもあり、そのたびに少し圧迫された。
今日も一日が終わる。
そして――ぱし、という乾いた音を最後に、意識が落ちた。
私達が出会った日は、よく晴れた日だった。
日光に弱い私には、辛いくらいの快晴だった。普段は日光を浴びる機会もほとんどない。
割と強引に誘われたからだとはいえ、よくこんなところまで出てきたものだと思った。我ながら。
明るくて、騒がしい。苦手な場所だった。私は静かに本を読んでいるほうが好きだ。
ぽつんと1人で隅の方で座っているときに、話しかけてきたのは、彼女だった。
「初めまして。私は、アリス・マーガトロイド。よろしくね」
ああ、そうだ。私はいきなり声をかけてきた彼女に、最初は不審な目を向けてしまった。
しかも、その後の彼女の言葉はなんだったか。確か――
それが、未来の歴史。
この出会いを確実に再現するために、私の記憶が戻るのにあわせて、アリスの中で私の存在がなかったことにされていく。
これは、世界の辻褄合わせだ。
やがて私は消え、私はこの世界に最初からいなかったかのように扱われる。私のこの記憶が、「私」に引き継がれるのか、それともこのまま消えてしまうだけなのかはわからない。それは、未来の話。
アリスの封印から貰った時間で構成された私の世界は、綺麗な形で収束することを望んでいた。
朝が来た。
私が先に目を覚ます。アリスの腕の中。しっかり抱きかかえられていて、動けない。アリスが起きるまで待つ。
ん……と、アリスの身体が動く。ほとんど同じようなタイミングで目が覚めたようだ。
一度ぴくり、と動いた手が、その後ゆっくりと、私の体をそっと撫でた。
「おはよう」
アリスの声が届く。
「おはよう」
私が答える。よかった。まだ、私は消えていない。
アリスは私の体を一度枕の側に退避させて、ベッドから起き上がる。
んん、と伸びをしたあと、いつものように顔を洗いに行く。私は枕の上で待つ。
少ししたらアリスが戻ってくる。最近完成した、飾り気の多い派手な服に着替えて。
私の顔を覗き込むアリス。
「ねえ、人形さん。私、大切なことを忘れかけていたわ。約束していたよね、あなたの新しい服」
あ。
覚えていてくれたのか。もう、とっくに忘却の彼方だと思っていた。
でも……もう、どうせ僅かな時間しかない。それよりは、一緒に話でもしたり本でも読んだりして過ごしたかった。
「いいわ、もう。私はこの服でも好きだから」
だから、そう答えた。
アリスは、にこりと微笑んで、くるりと体を翻して、机から紙を取り出す。
テーブルの上に紙を広げて、デザインスケッチを始めた。たくさんの、たくさんのアイデアが描きこまれていく。
「……アリス?」
私は確かに、もういいと答えたつもりだったのに。
アリスはたくさんの案が書かれた紙を私に見せる。どれが一番好みかな? と聞いてくる。
たくさんの案。私には、選びきれない。さすがにセンスもあるようで、私から見ればどれも素敵なデザインだった。一つを選ぶことなんてできない。
「私は――」
「じゃあ、これでもいいかしら。可愛いと思わない?」
アリスの言葉は、どれでもいいと言いかけた私の言葉を遮って、続いた。一つのデザインを指差して。フリルもリボンもたっぷりの、いかにも作るのが大変そうなデザインだった。ね? と、私に笑いかける。
――ああ。そうか。
やっと、わかった。
アリスには、もう、私の言葉は、届いていない。
その日アリスは、ただ、ずっと、私の服を作り続けてくれた。紙型から作って、薄い純白の絹に複雑な形を描き、ゆっくりと、慎重に。私が見ていてもどの部分がどうなるのか全く予測がつかないほど複雑な線がたくさん描かれていく。
朝も昼も、夜になっても、ずっと続けていた。時折私に話しかけてくれる。ほとんど、独り言のように。
私は、たとえ声が届かないとわかっていても、ちゃんと、話を続けた。会話をした。
好きな食べ物とか、好きな本とか、何でも聞かれて、なんでも答えた。アリスは、そう、とか、私も好きなのよ、とか、答えてくれた。それ以上会話は続かない。ぎこちないお見合いみたいだと思って、私は笑った。よかった。人形の体でよかった。そうでなければ、もうとっくに、涙をこらえることなんてできなかった。
アリスは、切り取った布地同士を縫い合わせていく。見ているほうが気が遠くなりそうなほど、細かい細かい作業。たくさんあるリボンが特に曲者のようだった。
私は一挙一動さえも見逃さないようにと、じっと、見つめ続けた。会話も途切れがちになってきた。
突然――アリスは、手に持った針を、人差し指の先に刺した。
「え?」
見間違いかとも思ったが、一瞬歪んだアリスの表情を見ると、間違いではないことを知る。今のは手が滑ってという動きではなかった。明らかに、自らの意思で、刺していた。じわりと、血が玉になって溢れ出てくる。アリスはそれを、手元に置かれた綿で拭き取って、そこに軽く包帯を巻いた。
驚く私に、アリスは、額に汗を浮かべながらも、笑顔を作って見せた。
「ごめんね。ちょっと眠くなっちゃったから、気合入れようと思って。あ、大丈夫よ、服は絶対に汚さないから」
軽い口調で言った。
そんな。どうしてそこまでして続けなければいけないのか。
止めさせたかったが、何を言っても私の言葉はもう届かない。それに……やはり、止めてはいけないのだろう。アリスの顔を見ていると、邪魔をすることなんて、できなかった。
――その後も、アリスは、何度も針を刺した。指を変えて。そのたびに丁寧に拭いて、包帯を巻いた。
アリスの表情に浮かぶ焦り。完成を間もなくにしている人形の服。あとはまだまだたくさんあるリボンを縫い付けていく作業を残すばかり。ほとんどできている。
私は、アリスの記憶がもう限界に来ていることを悟った。こうして縫い続けている今ももう、私の存在が完全に消え去ろうとしているのだ。それを感じるたびに、アリスは針の痛みによって、なんとか意識を繋ぎとめようとしているのだ。
もう、手は傷だらけだった。左手など、包帯が巻かれていない箇所のほうが少ない。
「もうちょっとだから、待っててね……もうちょっと、だから……」
ああ――
そう。もうちょっとなのに。本当に。
世界は、なんて意地悪なんだろう。私にはもうわかった。間に合わなかったのだ。
私の声は、もう、出ない。もう届かない笑顔を、最後に届ける。
じっとアリスを見つめて、見つめて……ありがとうと、心の中で叫んだ。
白くなっていく視界の先に、何回も、何回も、叫んだ。
ありがとう。大好きよ、アリス。
ありがとう。貴方に会えて、よかった。
きっと、必ず――また――
ぱしん、と世界が弾けた。
ここに、世界の辻褄合わせが完了した。
[The past 10 - Alice -]
陽の光が、優しく頬を照らす。
目が覚めた私は、はっと体を起こす。
――何故か、テーブルに座ったまま寝てしまっていたようだ。ええと。どうしてたんだったか。
手元に落ちている縫い針に気付く。その先にある白い人形の服に気付く。
ああ、そうだった。これを作っていたんだ。つい夢中になってやっていたから、このまま寝てしまったんだ。
「!?」
ずきん、と手が痛んだ。左手を見て驚く。包帯だらけだった。
これも思い出した。確か、途中で寝てしまわないようにと、自ら針を刺して……どうしてそこまでして昨日中に作らないといけなかったんだろう?
いや、そもそも。
私は目の前にある人形の服を手にとって、しげしげと眺める。
「……なんで、こんな服作ろうと思ったんだろう……?」
どう考えても私の趣味ではない。色が少なすぎて、つまらない。その割にフリルとかリボンとか、気合は入りまくっているのだ。
うーん? と頭を悩ませる。
ああそうだ。確か。
ええと。きょろきょろと周囲を見渡す。ベッドの上に、それを見つけた。一体の人形。何の変哲もない人形。
この人形のための服として、作っていたんだった。立ち上がって、人形を手にとって、テーブルに戻り、置く。人形の前に服をピタリと合わせてみる。うん、サイズもぴったり。
ゆっくりと人形の今の服を脱がして、新しい服に着せ替える。
とても可愛らしい。うん。満足。
「よく似合うわ。ねえ、あなたも満足でしょ?」
人形に話しかけてみたりする。つん、と頭をつついてみたりする。
人形は、この新しい服にとても喜んで、笑っているような――気がした。
「あはは、なんだか生きてるみたい。……そうだ、動く人形なんてどうかしらね。私らしい、素敵な武器になると思わない? ねえ」
誰に語りかけるともなく――いや、人形に語りかけて。
ぽたり。
「え?」
ぽたり、ぽたり。
人形の前に、大粒の雫が零れ落ちる。
「に……人形が、泣いてる?」
ぽたり……
――ああ。違う。視界が歪んでいく。泣いているのは、私。
ぎゅっと目を閉じる。熱い雫が止め処なく溢れ出し、頬を伝い、テーブルの上へと零れ落ちていく。
「ぅ……っく……どうして……っ」
涙の理由がわからない。
ただ、とても大切なものを失ったような、喪失感だけがあった。
人形をぎゅっと握り締める。
「っ……ひくっ……や、やだ……何よっ……なんで……っ!」
何で、喋ってくれないのよ。
素敵な服ね、ありがとうくらい言ってくれたっていいじゃない。
――バカみたい。人形がそんなこと言うわけない。
ぼろぼろと流れ落ちる涙。すぐ間近にある人形の姿さえよく見えなくなっていく。
わけがわからないまま、私はずっと、泣き続けた。人形を握り締め、抱きしめながら。
[Now - Cherry blossom -]
季節は春。長い冬が終わったあと、今度はまた長い春が始まっていた。
魔理沙の「花見大会だぜ!」という大規模な人集めによって、ここ、博麗神社は、実に色んな生物が集まる宴会場と化していた。アリスは呆れた顔でこの様子を見つめてはいたが、本当は、誘ってもらえたことを誰よりも喜んでいた。
とはいえ、知り合いの3人――霊夢、魔理沙、そしてよくわからないメイドは、3人とも色々と忙しそうにしていて。アリスはなんとなく、ぽつんと1人残された。
ちらちらと様子を探っていると、同じように1人離れたところで静かに座っている女の子を見つけた。
アリスは、よし、と思い切って彼女に近づいてみる。
「初めまして。私は、アリス・マーガトロイド。よろしくね」
女の子は、冷たい目で、アリスを見上げた。
うっと一歩引くアリス。怖い。いきなり目で拒絶されてしまったと感じる。
しかし、それと同時に――不思議な感覚があった。
女の子がそのまま何も言わないでいる間に、アリスは続けて口を開く。
「……ねえ、あなた。どこかで私と会ったこと、ない?」
女の子の目は、ますます冷たくなった。
「古典的な……ナンパ?」
「……な、なんでよ!? 違うわよ! ……た、ただ、本当にそう思っただけで……」
アリスは焦って、言い訳をする。顔が赤くなってしまう。いや、実際どこかで会った事があるような気がしたのだ。
現に、初めて聞いたはずのその声にも、どこか聞き覚えがあって。
やけに慌てるアリスの様子を眺めて、女の子は、ふふ……と笑った。目から冷たさが消える。
「いいわ。そういうことだってあるものね、きっと。初めまして、アリス。私はパチュリー・ノーレッジ。よければ、友達になりましょう。……あ、今のは恋人にはなれないわという意味も含んでいて」
「だ、だからーーっ! そういうつもりじゃないんだってっ! ……もう」
簡単に顔を真っ赤にして慌てるアリスを眺めて、パチュリーはもう一度、笑った。
いい友達になれるかもしれない。
そんな気がした。
[Fin]
危険ですよー。 ・・・とても楽しく読ませて頂きました。 ご馳走様でした。
グッジョブ、グッジョーブよー!
面白いお話、ごちそうさまでした
お見事です。
別れは少し寂しいものでしたが、それ以上の素敵な出会いが待っているのですから、彼女たちには素直に祝福を。
発端から、その話の理由、そして繋がる世界、未来と過去と現在。
流れるように綴られる温かい話です。
で? 友達っていうのはつまりライバルって読むんですよね?
いやほら魔理沙を巡ってさぁ。
などと妄想を垂れ流しつつ、締め。
アリスも魔理沙もパチュリーも、そして小さなアリスも大好きな
自分には美味しすぎるお話でした…読後感がとにかく素晴らしい。
この3人の絡みがもっと見たいです。
ごちそうさまでした(*´д`*)
全レスはあまり歓迎されていないのかもしれない様子ですので、皆様まとめてのお返事とさせていただきますね。ごめんなさい。
あと、指摘下さった方ありがとうございました。以下の部分修正いたしました。ミスです。気をつけます><
[The past 10]
アリスの視界が → 視界が
ええと、時間関係はこんな感じになっております。
東方怪綺談 → [The past 1-4] → 東方怪綺談Extra
→ [The past 5-10] → (アリスのいぢられキャラ養成期間)
→ [Prologue] → [Now] → 東方萃夢想 → [Coming era]
ややこしくてごめんなさい。うまく表現しきれていなかったかもしれませんxx
前半でのパチュリーっぽい表現は「例えば火。火の元素を……」「悪魔といっても……」「本」あたりです。
パチュリーとアリスが絡むのってほとんど見たことないなあと思いました。
しかし同じ魔法使い同士。また、同じように魔理沙の洗礼を受けた魔法使いです。
萃夢想でせっかく出会っているので、この先も色々と接点があるのではないかと思います。
主に魔理沙を中心に。魔理沙は今回も隠れ主役でしたから。
皆様ありがとうございました。
これからもアリスたちを可愛がったりいぢったりして楽しんでくだされば幸いです♪
ええ、それだけで十分です!(笑
非常に涙もろいので、記憶が消えてく所で泣きました
いや、本気でいい話でした♪
アリス可愛いよ 可愛いよアリス
後書きも楽しくてGJです(爆)
あと命題で大爆笑しました。勘弁してください(笑)
普段はフリーレス派なんですが、こんなん読んじゃったらね。
素晴らしかったです。
アリスへの愛が溢れてますねw
惚れました。