Coolier - 新生・東方創想話

アカルイセカイ

2005/04/04 13:36:17
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何だ大したことない。
つまらない杞憂だった。


私はホッと息をついた。

その頭の中では、すでに今後の予定を立て始めていた。

明日の朝食の準備でもしようか?それとも、目の前の人物……八意 永琳にもう少し詳しく話でも聞いてみようか?
もっとも、本心としてはもう眠たかったんで『寝かせてください~』と言いたかったのだが……

ふと、隣を見る。

「ふぁ……」

そこでは幽々子様が気の抜けた欠伸をしていた。

あぁ、そうか幽々子様の布団の用意もしなきゃな……他には……

「魂魄 妖夢」

八意 永琳が口を開く。

「診断結果を言うわ」

「あっ、はい。いいですよ」

おざなりの返事を返す。
心ここに在らずといった感じだ。

仕事は……他に何があったかな?
庭の手入れも終わったし、剣の稽古も終わった。
残されたのは……

「もって3日ね」

「3日ですか?

 …………えっ?」

いけない、いけない。話を聞いていなかった。
『何が』3日なのだろうか?

私は慌てて聞き返した。

「あの、申し訳ありませんが、もう一度……」

「八意 永琳」

それを遮るようにして、幽々子様が言葉を挟む。
その声色は真剣で、どこか……静かな怖さみたいなものがあった。

「一応聞いておきますけど、『何が』後3日なのかしら?」

「……はっきり言ってよろしいのかしら?」

「かまいませんわ。
 だからこそあなたを呼んだのよ、八意 永琳」

永琳は一瞬だけフッと笑うと、直ぐに神妙な面持ちに戻った。

そうして……

「魂魄 妖夢は……」

紡がれた言葉は、

「少なくとも3日以内に……」

静かに、

「光を失うわ」

私の世界を崩していった。


「…………えっ?」


   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
******************************


        「アカルイセカイ」


******************************
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・


「最近、よく目が霞むんですよ」

事の始まりは妖夢のこの言葉からだった。

実のところ、最初のうちは私も気に止めてはいなかった。
どうせ暗いところで本でも読んでいたのだろうと、そう思っていた。

それに違和感を感じ始めたのが数日前。
しきりに目を擦る妖夢を見て、私は八意 永琳に診てもらうよう妖夢に話を持ちかけた。

診察はものの数分で終わった。
目を開いて直に診たり、時には光を当てたりしながら、簡単なテストらしきものをしただけだった。

何だ大したことない。
つまらない杞憂だった。

「ふぁ……」

私は欠伸をしながら次の日の朝食に想いを馳せていた。

ご飯なのかな?パンなのかな?
そう言えば、とっておきのパンがあったな。あれを焼こうかな?
そっちの方が妖夢も楽をできるかな……等等。

「もって3日ね」

「3日ですか?

 …………えっ?」

……瞬時に頭が切り替わる。

どういう……こと?

「あの、申し訳ありませんが、もう一度……」

「八意 永琳」

内容をうまく理解できていない妖夢の代わりに、私がその話を受け持つ。

「一応聞いておきますけど、『何が』後3日なのかしら?」

「はっきり言ってよろしいのかしら?」

「かまいませんわ。
 だからこそあなたを呼んだのよ、八意 永琳」

永琳は一瞬だけフッと笑った。

そうして、面持ちを再び戻すと……

「魂魄 妖夢は少なくとも3日以内に光を失うわ。回復する見込みは今のところないわ」

残酷に、冷酷に、事実を述べた。

「…………えっ?」

妖夢の驚きは静かなものであった。

でも、あぁ、でも。

その中には妖夢の……全ての思いが、全ての気持ちが篭っていた。

だから……

「……原因は?」

私はその気持ちに呑まれる前に、八意 永琳に話を続けさせた。

「きっと、『真実の月』を直視したせいだと思うわ。
 ホラ、この子当分の間目が赤くなっていたでしょう?」

「…………あの」

「何で妖夢だけ?
 博麗 霊夢や霧雨 魔理沙、それに十六夜 咲夜も目にしたはずよ?」

「……あの」

「これは私の推論だけど、きっと半人半幽故のバランスの悪い免疫能力のせいね。
 たぶん、この子には月の狂気に耐えうるだけの力が備わっていなかったのでしょうね」

「あの!」

小さく妖夢が叫んだ。

「……何かしら?」

やれやれと言った感じで、永琳が妖夢に聞き返す。

「……冗談……ですよね?」

「事実よ」

「……っ、何とかならないんですか?」

「今言った通りよ。回復する見込みはないの」

「それでも……!」

「妖夢」

永琳に食いかかろうとした妖夢を手で制す。

「……話を続けてくださるかしら?」

「……ええ。
 これから1日、1日とこの子の視力は弱くなっていく。
 まずは物の色彩を失い、次に物の輪郭を失う。
 そして、最後には……幕を下ろしたように闇に閉ざされるわ」

「……うっ」

手を通して妖夢の震えが伝わった。

それも当然。
その話はあまりにも残酷すぎた。
何しろ、事細かに自らの世界が崩れゆく様を描写されているのだ。

特に、幻想郷の中でも幼い部類に入る妖夢にとっては……尚更だったのであろう。

「以上が診断結果よ。何か聞きたいことは?」

「……」

「……いいえ、これ以上はありませんわ」

口を開けずにいる妖夢の代わりに私がそう答えた。

「それじゃあ、私はこのあたりで失礼させて頂くわ」

「今日は夜分遅くにお呼びして申し訳ございませんわ。ありがとうございます、八意 永琳」

「いえ」

「見送りは?」

「結構よ」

そうやって事務的に会話を重ねていく。

その中で……

「……」

ふと、永琳が妖夢を見つめる。

妖夢は相変わらず小刻みに震えていた。
それはまるで小動物のように。
弱く、脆く。

だからであろうか……永琳は優しく妖夢に語りかけた。

「魂魄 妖夢」

妖夢がボンヤリと顔を上げる。

「あなたが今何を思っているのか私にはわからない。
 庭師としての立場や、剣士としてのプライドなんてものも私にはわからない。
 だから、私に言えることはこれだけ。
 残された3日間、あなたが見たいものをできるだけたくさん見ておきなさい」

「…………はい」

「西行寺 幽々子」

「……何?」

「あなたは……そう。あなたに出来ることをしてあげなさい」

「……」

私に……出来ること?

「私の話はこれで終わり。それじゃあ、失礼させて頂くわ」

そう言って、永琳は居間を後にした。




「……幽々子様」

2人っきりになった居間で、妖夢が私の袖をギュっと掴んできた。

「何の冗談ですかね……幽々子様?」

「……」

「性質の悪い……冗談ですよね?」

「……」

「ねえ、幽々子様……ねえ……」

「……」

「ねえ……幽々子様、幽々子様、幽々子……様…………」

「……」

薄暗い部屋に響く、小さな小さな嗚咽。

私は……今の妖夢にかけられるような、気の利いた言葉は持ち合わせていなかった。
だから、黙って……その小さな肩を抱くことしかできなかったのだ。

「幽々子様……助けてください、幽々子様……幽々子様……」

「……」


私に出来ること。

私に出来ることは…………何だろう?




******************************




「う……ん」

目覚めは突然だった。

今は何時だろう?

時間を確認しようと思ったが……馬鹿らしくなって止めた。

だって、まだ『こんなに』暗いんだから。わざわざ、確認するまでもなかったのだ。

「……」

それでも、目は冴え渡っていた。

おかしいな。『こんなに』暗いのに。まるで朝みたいな感じだ。

「……」


チン チン


居間の方から聞き慣れた音がする。

「……」

目を擦る。

何も変わらない。相変わらず視界は暗い。

ゴシゴシと何度も擦る。

変わらない。変わらない。何度擦っても……目に映るのは薄暗く、ボンヤリとした世界だった。


チン チン チン


虚ろな表情で立ち上がると、その音が鳴る方へと向かった。


チン チン チン チン


『催促』の音はますます大きくなる。

「……」

襖に手をかける。


チン チン チン チン チン


ガラリと、いつものように襖を開け、いつものようにその音の出所に声をかける。

「……幽々子様、お茶碗を箸で叩かないで下さい」

「そんなことより、妖夢~、朝ご飯まだ~?」

「……」

いつもと同じ。
いつもと同じ風景。
いつもと同じ光溢れる朝の風景。

なのに……何故か私の目に映る世界は……薄暗かった。


あぁ、そうか。
夢じゃ……なかったんだ。


   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・


「えーと、確か青いラベルが塩で……」

小瓶を掴み取る。

「青い……ラベルが…………青い?」

もう一度まじまじと見直し……

「……」

元の場所に戻した。

普段はそのような事は気に止めもしなかった。
調味料なんてものは、いちいちラベルを確認しなくても、置いてる場所だけで何であるか把握できるからだ。

場所だけでわかるはずなのに……今回はそれを確認せずにはいられなかった。

たどたどしい手つきで小瓶の蓋を開ける。

……味でなら何とか……

「妖夢~、まだ~?」

居間から幽々子様の声がかかる。

「……もう少しお待ち下さい、幽々子様」

私は瓶に入れかけた指を抜くと、しばらく迷ったあげく、その瓶の中身を小さじで掬い取った。

大丈夫、間違いない。


   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・


「甘い」

食事を口にするなり、幽々子様はそう言った。

「えっ?」

「甘すぎよ、妖夢。ちゃんと砂糖の量考えて入れた?」

「あの……」

そうじゃなかった。
そもそも、その料理は砂糖を使うものではなく……

「まったく、朝食は一日の始まりなのに……」

そう言いながら、パクパクと幽々子様は食事を進めた。

「すいません、幽々子様……」

「……んっ、いいわ。別に食べれないというわけでもないし」

そうして一段落つくと、幽々子様は目の前のお茶を啜りながらこう言った。

「今日から何人も客人が見えると思うから準備をよろしくね」

「客人……ですか?」

「ええ」

「突然どうしたんですか?」

「単なる気紛れよ」

「気紛れ……ですか」

「だから庭もある程度は整えてなさいね。客人に見せても恥ずかしくないように」

「……はい」

……何だろう、この違和感は。

いつものような幽々子様の振る舞いが……いつもとは違うように感じてしまう。
問題は自分にあるのだろうか?
それとも……


「ごめんくださ~い」


その時、突然玄関の方から声がした。

「あら、早いわね。早速、来たみたい」

「……」

「ほら、妖夢。何をボンヤリとしているの。早く客人の分も食事を用意しなさい」

「あっ、は、はい」

慌てて立ち上がると、私は危なっかしい足取りで台所に向かった。


「……」

その後ろで幽々子は黙々と箸を進めていた。


   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・


「うっ」

料理を口に運んだ瞬間、その月兎は顔を歪めた。

「鈴仙」

それを蓬莱山 輝夜が諌める。

「あっ、はい。すいません……」

「ごめんなさい……とんでもないもの出してしまって……」

「大丈夫、ちゃんと美味しいわ。ちょっと甘いけど」

そう言って輝夜は箸を進めてくれた。先程の幽々子様と同じように。

「……ごちそう様です」

「あら、鈴仙。もういいの?」

「あはは、何かお腹がいっぱいで……」

「まったく、貪るように人参を食べてくるからよ」

「えっ?それは……」

「ねえ、魂魄 妖夢?」

「……はい。月の兎はよく食べるんですね」

私は軽く微笑みながらそう返した。
その思いやりは、素直に嬉しかったから。

「……違うのに」

「そう言えば、西行寺 幽々子は?」

ブツブツと小声で文句を言い続ける月兎をよそにして、輝夜は私に問いかけてきた。

「幽々子様は部屋にお戻りになりました。
 きっと2度寝の途中と思いますが……起してきますか?」

「いいえ、結構よ。
 今日はあなたに話があって来たんだから」

「……私にですか?」

「そう、あなたによ、魂魄 妖夢」

そうして、輝夜は隣で今だブツブツと文句を言い続ける月兎の肩を叩いた。

「……はい、何ですか、姫様?」

「ちょっと、席を外してもらえるかしら?」

「……わかりました。でも、万一があるのであまり遠くには行きませんよ?」

「ええ、それで構わないわ」

「それでは……」

と言って、月兎は居間を後にした。


「さて、魂魄 妖夢」

「はい」

「今は……どんな感じ?」

「……」

輝夜は私の目のことを知っているのであろう。
少なくとも、当事者であるには違いないのだから。

「……ぼんやりと……薄暗いです」

「それだけ?」

「後……色とかも……」

正直、物の輪郭とかもぼやけてみえるのだが……そこまでは言わなかった。
いや、言いたくなかった。認めたくなかった……のかもしれない。

「そう……」

輝夜は小さく呟くと、箸を置いて私に向き直った。

「魂魄 妖夢」

「……はい」

「今回の一件……少なくともその一旦は私にあります。故にそのお詫びをここに」

「……」

実際、一旦どころではないのだが……
まあ、特に気にしてはいなかった。

「出来るだけこちらでも最善をつくしますが……」

「いえ、お気持ちだけで結構。ありがとう、蓬莱山 輝夜」

わかっていたのだ。
最善は……つくすことしか出来ないと。
あの八意 永琳をもってして、『回復の見込みがない』と言わしめたのである。
だから……それは変えようのない事実であった。

「……私が憎くないの?」

輝夜が不思議そうな表情で問いかけてくる。

「別段そのような気持ちはありません。過ぎたことに言及しても……意味がありませんから」

「ふふ」

「どうしたんですか?私が何かおかしいことでも?」

「いえ、『ここ』は本当に良いところだと思って」

「『ここ』?幻想郷のことですか?」

「ええ、幻想郷の住人は皆そのような感じね。
 『点』に囚われることなく、目線は常に目の前の『線』を見つめている」

「何も考えてないだけですよ」

自分も含めて、と、そう付け足そうと思った。

「それでも、それは素晴しいことよ、魂魄 妖夢。
 少なくとも私が居た、ひとつ前の世界では見ることはできなかったわ」

「一つ前というと……幻想郷の外のことですか?」

「ええ。そこでは、このようにさっぱりとしていなかったわ。
 一度問題が起こると、まず、その端を死に物狂いで探し出そうとしたわ。
 そして、もしそれが見つかったのならば、その罪を本人だけには止まらず、親兄弟……果てはその子孫にまで課すの」

「何故でしょうか?」

「きっと、一人じゃ業を背負えないのでしょうね。
 あまりにもそれが重すぎて……」

「……弱いのですね」

「ええ。でも……私は本質は変わらないと思うの」

「本質?何のですか?」

「外の世界の者とこの幻想郷の者の、よ」

「どういうことですか?」

「あなたたちも、同じように『脆い』ということよ。
 あなたたちの場合は、それを必死に我慢して……強がっているだけ。
 私はそう思うわ」

「お言葉ですね」

「悪いことではないのよ。それが自然なんだから」

「そういうあなたはどうなのですか?」

「私?私はいくらでも業を受け入れることができるわ。器は無限ですから」

「それはまた……便利なものですね」

「でも、悲しいわ。
 業を背負うということが『生きる』ということなのだから。
 私は『生きて』もないのに、こうしてここに居るのよ。
 さしずめ、リビングデッドってところかしら?」

「私も一応リビングデッドなんですが」

「でも、半分でしょう?」

「まぁ、そうですけど」

「……あぁ、話が逸れたわね。
 とにかく、あなたも誰それと同じように『脆い』のよ」

「……」

「だから、どうしても背負った業に我慢できなくなったら私を切りにきなさい。どうせ命も無限なんだから」

「……そうですね。時々、利用させてもらいます」

「待ってるわ」

クスクスと輝夜は笑った。

そうして、最後に、と付け足して、言葉を続けた。

「さきほどの話を覚えている?あなた達は『点』に囚われないと言った話」

「はい。それが?」

「例外がいたわ。ここに」

「この部屋に?」

「いえ、『ここ』に」

輝夜は天井を指差した。

屋根裏?いや、この建物……白玉楼全体のことを言っているのか?

「だから、彼女が目の前の『線』に戻れるように手伝ってあげなさい。それどころじゃないかもしれないけど」

「はあ……」

とりあえず頷いておいた。

「言いたいことはそれだけ。御馳走様でした」

いつの間にか輝夜は食事を平らげていた。

「お粗末さまです」

「ええ、まったく。今度はもう少し甘さ控えめがいいわ」

「善処しますよ」

そうして、小さいけど暖かい笑いが居間を包んだ。


   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・


スッと襖を開ける。

「ん~、誰~?」

「妖夢です。幽々子様」

「妖夢~?
 ……輝夜たちは?」

「先ほどお帰りになりました」

「……ご飯は残っている?」

「いえ、綺麗に平らげてくれました」

「そっか……妖夢のご飯は美味しいもんね」

「……はい。ありがとうございます」

「それで、ここ来たのは何の用?」

「そろそろお食事の時間かと」

「あぁ、そうか。昼ごはんの……」

「夜ですけど」

「……でも、輝夜達は『先ほど』帰ったって……」

「はい。あの後……片づけやら、庭の手入れを手伝ってもらって。もっとも、手伝ったのはあの月兎だけでしたが」

「……そう」

「……はい」

手伝ってもらったというのは正しくなかった。
正確には自分が手伝ったのだった。

結局……夕食も殆んど鈴仙に作ってもらったようなものである。

「まったく……
 その程度の仕事を手伝ってもらうようじゃまだまだね、妖夢」

「はい……申し訳……ございません」

やはり違和感。

何でだろう?
『いつもの』会話なのに……

「妖夢」

「はい、幽々子様」

「もうしばらくしたら居間に行くから、準備だけしていてくれる?」

「はい、わかりました」


そう言って妖夢はおぼつか無い足取りで幽々子の部屋を後にし、それを確認すると、幽々子は再び布団の中に潜った。

ああ、何と言う道化芝居。
滑稽ですわ。滑稽ですわ。

ああ、でも、自分にはこうするしかない。
あの子のために。きっと。

きっと……

「妖夢……」




******************************




「……んっ」

朝。

かろうじてわかる。
自分は目を開いているのだと。

八意 永琳は言っていた。

『これから1日、1日とこの子の視力は弱くなっていく。
 まずは物の色彩を失い、次に物の輪郭を失う。
 そして、最後には……幕を下ろしたように闇に閉ざされるわ』

……突然来る終わりとは、どのようなものであろうか?

ある日目が覚めても、世界に灯が灯ることは無く……漆黒だけが無限に、永久に続いていき……

「……ん……」

身を震わせる。

嫌だ。
そのような終わりは絶対に嫌だ。

……いや、そもそも「そのような」も何もない。
終わりたくない。終わらせたくない。
自分の世界はまだ続いていくのだと、そう信じていたかった。


「妖~夢」


「!」


突然、耳元に声をかけられる。

「幽々子……様?」

気が付けば、布団の傍には幽々子様が座っており、楽しそうに自分のことを見つめていた。

「……おはようございます、幽々子様。
 いかがなさいました?随分と嬉しそうですが」

「いやいや妖夢」

「えっ?」

「だって……昨日の妖夢……すごかったじゃない……」

「……はっ?」

……ふと、布団の中の、自分の隣を手で触ってみた。

「暖かい……
 幽々子様……ここに入ってたんですか?」

「もう、野暮なことを聞かないでよ」

「……はぁ。またわけのわからないことを……」

「わけがわからないのは妖夢の方よ。
 昨日は……寝かせてくれなかったし……」

ポッ、と幽々子様の頬が桜色に染まる。

はぁ……

「すいませんね。寝相が悪くて」

「後、歯軋りも」

「……重ね重ね、すいません」

「女性はもっと慎ましさを持つものよ。私のように」

「……頑張ります」

「……でも、昨日の妖夢は珍しかったわ。
 いつもなら布団に近づいただけで目を覚ますはずなのに」

「それは……」

「よっぽど疲れていたのね」

「……えっ?」

また、違和感。

昨日からそうだ。
幽々子様の話には……何かが、何かの前提が抜けている。

でも……何故?

「しばらく休んでおく?もう少ししたら、あの吸血鬼たちがくると思うけど」

「レミリア・スカーレットのことですか?今日は彼女達が客人ですか?」

「そうよ。それで、どうするの?」

「……起きます。もう、目も覚めましたし」

「そう。それは殊勝だわ」

「恐れ入ります」

「それじゃあ、早速準備をお願いね。あの吸血鬼は小食そうだから簡単な食事でいいわ」

「……」

……あぁ、やっぱりだ。
やっぱり、『ここ』に違和感を感じる。

「あの……幽々子様」

「んっ?どうしたの妖夢?」

「お食事の準備をしたいのですが……」

「『ですが』?」

「『目』が……」

後の言葉は続けなかった。

……敢えて。

「……目?」

不思議な顔で幽々子様は聞き返してきた。

「……」

その反応は……

「目が……『どうした』の?」

予想通りのものだった。

「いえ……『何でも』……ありません」

違和感の正体が……はっきりした。

そう……幽々子様は見ていない。
『私』を……見ていなかった。


『例外がいたわ。ここに』


昨日の蓬莱山 輝夜の最後の話は……幽々子様のことを言っていたのだ。


「もう、変な妖夢」


   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・


「……」

コトリ、とレミリアがティーカップを置く。

「あら、どうしましたお嬢様?渋い顔をされて」

「別に……」

「砂糖でも入れ忘れてましたか?」

「……いいえ、これには、砂糖『は』入ってないわ」

覚悟を決めたように目をつぶると……レミリアは一気に紅茶を飲み干した。

「あぁ……はしたない」

そう嘆きながら、十六夜 咲夜は妖夢の持ってきた小瓶に目をやる。

「……ホウ酸でも入っていたのかしら」

そうして、不思議そうに、その小瓶についた青いラベルをカリカリと爪で擦っていた。

「……あの」

恐る恐る妖夢が問いかける。

「何か……不手際でも」

「いえ、大丈夫よ。うちのお嬢様は偏食だから」

「失礼ね。グルメと言って頂戴」

空のティーカップを置くと、レミリアは目の前に出されていたトーストを手にした。

「あなたは今までに食べたパンの枚数を覚えているの?」

嬉々としながら幽々子が口を開いた。

「『この』パンは今日が生まれて初めてよ」

「そうですね。紅魔館のパンは人味……いえ、一味違いますし」

「余計なことは言わなくていいのよ、咲夜」

そう言って、レミリアは千切ったパンをその小さな口に運んだ。

「あの……どうでしょう?お味の方は……?」

先ほどと同じような様子で、再び妖夢が尋ねる。

「『どう』も何もないわ。こんなの焼くだけじゃない」

「うふふ」

「何がおかしいのよ、西行寺 幽々子?」

「グルメとはよく言ったものね、レミリア・スカーレット」

「……何が言いたい?」

「白玉楼のパンは一味……いえ、人味違うのよ。ほら、よく見てみて、ところどころに白くて小さい粒が……」

「……御馳走様」

レミリアは口にいれかけたトーストのかけらを放るようにして皿の上に戻した。

「幽々子様、勘違いされるようなこと言わないで下さい。それ、ただのオカラなんですから」

「あら、最初からそのつもりだけど?
 職『人』さんが丹精込めて完成させた至高の『味』。略して『人味』よ。
 何か問題でも?」

「……」




「さて……」

空のお皿を妖夢に差し出すと、レミリアは静かに口を開いた。

「それで、今日はどのような用事、西行寺 幽々子?」

「用事?用事はもう済みましたわ。ただのお茶会ですもの」

「……つけない嘘はつかない方がいいわよ。
 私はある程度の運命は先読みできるんだから」

「あら、怖い」

「……魂魄 妖夢のことね?」

「……」

「どういうことです?お嬢様?」

「まあ、見てなさい」

レミリアは妖夢の方に向き直ると、その眼前に平手を突き出した。

「さあ、魂魄 妖夢。この指は何本?」

「えっ……」

「早く答えて。難しいことじゃないでしょう?」

「お嬢様、何を……」

「咲夜は黙っていて。
 さあ、魂魄 妖夢、あなたの目の前に立てられている私の指は何本かしら?」

「あの……えっと……
 ……4……いや、3…………違う……
 だったら……5……」

それを聞くと、レミリアは小指を内側に折った。

「……さあ、魂魄 妖夢。答えは?」

「5本……5本です」

「5本で……間違いない?」

さらに人差し指も内側に折る。

「はい……間違いありません」

「……そうか。やっぱりね」

「……レミリア様、もしかして……?」

「そういうこと。魂魄 妖夢は視力が……」

「妖夢」

その言葉を遮るようにして、突然幽々子が口を開いた。

「は、はい。幽々子様」

「たしか台所にお茶菓子があったわよね?」

「えっ?」

「ちょっと取ってくるから、その間、その吸血鬼たちの相手をお願いね」

「えっ……幽々子様」

そうして、足早に台所に消えていった。

「やれやれ……」

小さい溜息を漏らしながらレミリアも立ち上がった。

「お嬢様までどうしたんですか?」

「そのお茶菓子が気になってね。一足先に食べに行ってくるわ」

「まったく、お嬢様は食いしん坊ですね」

「だ~か~ら、グルメと言って頂戴」

そう言い残して、レミリアは幽々子の後を追うように台所に入っていった。




居間に残されたのは二人。

咲夜が紅茶を啜る傍らで妖夢は空いたお皿を重ねていた。

「危ない手つきね」

「……」

「殆んど見えてないんでしょう?」

「……はい」

何ともはやと言った顔で咲夜が溜息をつく。

「それで……あなたはどうするつもり?」

「……どうすればいいんでしょうね。
 正直、まったくわかりません……」

「白玉楼には残るつもり?」

「出来ればそうさせてもらいたいです」

「……うーん、まぁ、あなたには必要ないと思うけど。一応、はい」

咲夜が懐から一枚の紙を出す。

「何です、これは?」

「紹介状よ。これを門番に見せればすんなりと紅魔館の中に入れるわ。
 まあ、見せなくてもすんなりと入れますけど」

「どうして、これを?」

「気にせず持っておきなさい。保険みたいなものだから」

「保険?」

「そうよ。
 もし、ここでお暇を出されたら紅魔館にいらっしゃい。
 人手はいつも不足しているから」

「でも……」

「大丈夫、わかっているわよ。
 幽々子があなたを放り出したりなんてしないことは」

「……」

「だから、保険よ。
 気休め程度にはなるでしょう?」

「ありがとう……咲夜」

「どういたしまして。
 でも、紅魔館は厳しいわよ。
 もし入るつもりなら相当覚悟しておくことね。
 今のようなお皿の積み方をしていたら……頭に角が生えるわよ」

銀のナイフをちらつかせながら咲夜はそう言った。

「あはは。
 だったらやっぱり、私は此処でいいですよ。
 此処が……いいですよ」

「……そうね」

咲夜は静かに妖夢の頭を撫でた。

「辛いわね……妖夢」

「……はい。それでも……皆さんが、幽々子様がいますから」

「こういう時は、泣き言を言ってもいいんじゃなくて?」

「……まさか。咲夜の前でそんな姿を見せたら、好機とばかりに寝首をかかれますよ」

「随分と酷い評価ね」

「散々弄られましたから」

「まあ、人聞きの悪い」

クスクスと居間から談笑が漏れた。




「ほら、あの子笑っているみたいよ」

「……」

幽々子の背中にレミリアが語りかける。

「今日に限って笑顔が翳っていたからね。何事かと思っていたわよ」

「……」

相変わらず、幽々子は戸棚の中をガサガサと漁っていた。

「……ねえ、西行寺 幽々子?」

「……」

……その動作もいい加減見飽きていた。
ああ、茶番もいいところだ。

「いい加減にしてもらえるかしら、西行寺 幽々子。
 わざわざこうして2人っきりになってあげたんだから、早く本題に入って欲しいものだわ」

「……そうね」

スクっと立ち上がり、幽々子はレミリアに向き直った。

「はい」

「……何これ?」

突き出された幽々子の手には……白くて平べったい物体。

「即身仏せんべいよ」

「相変わらず趣味の悪いものを振舞ってくれるわね」

それを受け取ると、レミリアは恐る恐る端の方から口にした。

「まあ、ただの塩せんべいですけど」

「……さっさと本題に入って欲しいんだけど」

「……それでは、レミリア・スカーレット。単刀直入に聞くわ。
 妖夢の運命はどうなるの?」

「ふん……そうきたか」

『運命を操る程度の能力』。
それがこの紅い悪魔、レミリア・スカーレットの能力。

正確に言うのならば、本来の能力は『運命の先読みをする程度の能力』である。
故に、どのような『過程』によって、どのような『結果』が訪れるのかを把握しており、結果として、『運命を操る』ことができるというのである。

「聞くまでないだろう?わかっていて聞いているんだろう?それとも、私直々に慰めの言葉でも欲しいのかい?」

「あー、質問は一つにしてくれるかしら。頭がよく回らないのよ」

「……その道化芝居を止めろ。その茶番劇を止めろ。
 西行寺 幽々子、私を、このレミリア・スカーレットを愚弄するのを止めろ」

「……まったく、今日は本当によく喋るわね、吸血鬼のお嬢さん?」

「……そうだ、それでいい」

フッと笑うと、レミリアはせんべいを齧った。

「結果は『黒』よ。どうしようもないわ」

「そう……やっぱり……」

苦しげに幽々子が俯く。

「……慰めるつもりはないけど、一応補足しておくわ。
 私の運命の先読みは、この時点までの『過程』から、その『結果』を観測しているに過ぎないの。
 だから、これからの行動一つでその『結果』が変わるということは大いにあり得るわ」

「本当に慰めね」

「いいから、黙って聞きなさい。
 例えば……私がこのせんべいを貶すとするわ。

 『白玉楼は客人にゲテモノを振舞う』
 
 と、ね」

「……」

「ここで、この時点での『結果』を観測してみると……
 ほら、運命は少し変わっている」

「『ほら』って言っても、何も見えないし」

「あぁ、そうだったわね。じゃあ、説明してあげるわ。
 あなたは今から数分も経たないうちに、
 
 『余計なお世話よ』
 
 と言うわ」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……言わないわよ」

「……そうね。
 私が内容を暴いたことで、また運命が変わったのかしら?」

「詐欺じゃない」

「運命とはそういうものよ。
 絶え間なく移ろいでいく不安定なもの。
 だからね。本来なら、『遠い』ところは見ないように心がけているの。馬鹿らしいから」

「厄介なものですこと」

「いいえ、厄介なのはあなたよ。西行寺 幽々子」

「私?」

「そう。あなたはね、その移ろい続ける運命のある一点に楔を打ち込んでしまっているのよ」

「……話が見えないんだけど」

「どの口がそんなことを言うのかしら?確信犯のくせに。
 とにかく、あなたはその楔にロープを繋ぎ自らを括りつけた。運命の流れに逆うように。
 そして、その結果が、先程までの茶番劇と言うことね。
 ……いえ、現在進行形かしら?特に魂魄 妖夢に対しては」

「……」

「ほら、図星。
 だから、西行寺 幽々子。
 無駄なことはお止めなさい。
 可哀想なことはお止めなさい。
 それでは、誰も幸せになれないわ」

「……」

「……まあ、今のあなたに言っても、馬の耳に念仏か」

レミリアはせんべいの最後のひとかけらを口に放ると、幽々子に背を向けた。

「結局、つけない嘘はつかない方がいいってことね。
 
 惨めよ、あなた」

そう言い捨てて台所を後にした。


「……」

焦点の合わない目で虚空を捉え、幽々子はただボンヤリと佇んでいた。

そうして、誰に言うでもなく、静かに口を開いた。

「……余計なお世話よ」

その拳は強く、硬く握り続けられていた。




******************************




目が覚める。

いや、逆だ。
きっと、今からが夢だ。

そう、これは夢。

暗い 冥い 悪夢。

「……」

今日で3日目。
八意 永琳によれば、今日が『終末日』。
私の世界が終わる日。

……思い返せば、永琳の言は実に正確だった。

『まずは物の色彩を失い』

そう。

『次に物の輪郭を失う』

……そう。

『そして、最後には……』

……

『最後には……』

……

「……うっ」

布団に深く潜る。

見たくなかった。
変わった世界を見たくなかった。


「妖夢」


昨日のように、布団のすぐ傍から幽々子様の声が聞こえてくる。

「……」

「もう、いつまで寝てるの、妖夢?いい加減に起きないと、強攻策に出るわよ」

そう言って、幽々子様はゆさゆさと、楽しそうに私を揺すっていた。

「妖~夢~」

「……」

「……むう。しょうがないわね。だったら、こちらも本気で……」

ガシっと掛け布団が掴まれる感覚。

「えっ……?」

そうして……

「ガバーっと」

無残にも掛け布団は剥がれ……

「あっ……」

私は……

「おはよう、妖夢」

「…………おはようございます……幽々子……様」

色も型も殆んど失った、真(ま)の世界に絶望した。


   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・


「……」

ちょうど日が頭上に輝く頃、私は一人、縁側で佇んでいた。

「……」


今日の客人は紫様。

幽々子様は前2日と同じように、私に命じた。

『食事の準備をしなさい』

と。

でも……

『……』

それを成しえることはできなかった。

昨日のようにトーストだけでも……と思ったが、それすらも叶わなかった。

『もう……いいわ』

それを見かねて、幽々子様は……私に『お暇』を出した。

『後は私がやりますから……』


「……」

あの時の幽々子様の声は忘れられない。
今まで聞いたことも無いような、本当に辛そうで、本当に悲しげな声。

私の……せいだ。

「……っ」

縁側に拳を叩きつける。

悔いるはこの身の呪わしさ。

何故、何故……!

ひたすらに、ひたすらに、拳を叩きつける。

その度に、拳の皮は捲れ鈍い痛みが伝わってくるが、それでも拳を叩きつけるのは止めなかった。

この痛みの代償に誰かの心が癒せるならば、と……そう祈っていたから。


「あらあら、穏やかじゃないわね」


突然、背後からの声。

気配も何も無く現れるこの人物は……

「紫様……ですか」

「こんにちは、妖夢。手は大丈夫?」

「……大丈夫です。すいません、見苦しいところをお見せして」

「いいえ。それより、お隣いいかしら?」

「あっ、はい。どうぞ」

「ではでは」

そう言って、紫様は私の隣に腰掛けた。

「言い忘れてましたけど、いらっしゃいませ、紫様。
 出来れば、今度からはちゃんとした入り口から入ってもらえると助かります」

「スキマの『入り口』」

「却下です。どちらかと言うと出口ですし」

「あらあら、相変わらず硬いのね、妖夢は」

「きっと相伝ですよ。魂魄家は皆このようなものです」

「そうかしら?少なくとも、先代はもう少し冗談のわかる御仁だったわ」

「師匠が?」

「そうよ。まあ、もっともその冗談も『バッサリ』と切られるのがオチだったんだけど」

「はあ」

「……どこにいったのかしらね、魂魄 妖忌は」

「……どこでしょうかね。師匠のことだから、どこかで庵でも構えてのんびり暮らしていると思いますけど」

「こういう時にこそ居て欲しいのに……ね?」

「……はい」

「気持ちは落ち着いてきた?」

「大分……といったら、嘘になりますけど、少しは楽になりました」

「どうして?」

「まあ、連日のように皆さんが訪れて、その度に慰めてくれるので……」

「本当にお節介な連中ね」

「紫様も」

「あらあら」

「ありがとうございます、紫様。紫様ならいろいろと本音が漏らせそうです」

「幽々子は?」

「幽々子様は……今、ちょっと……」

「……そう、わかったわ」

「……すいません」

「いいから、いいから。さあ、妖夢、本音を漏らすんでしょう?何でも言っていいわよ」

「ありがとうございます。それでは……」

「うんうん」

「紫様、私は……白玉楼に、幽々子様のお傍に必要なのでしょうか?」

「……いきなり重い話ね。あなたはどう思っているの?」

「私はもちろん此処にいたいです。幽々子様のお傍で、いつまでも……
 でも……幽々子様は……どう思っているのでしょうか?」

「愚問よ。幽々子がどれだけあなたのことを想っているか……誰の目にも明らかよ」

「それは今までの話ですよ。これからどうなるかは……わかりません」

「……何かあったの?」

「……幽々子様を失望させてしまいました。私の……この呪わしい目のせいで」

「さっき拳を叩きつけていたのも……それが原因?」

「はい……
 あの時の幽々子様の声は忘れられません。
 今まで聞いたこともなかったような、冷たく悲しい声……」

「……」

「……紫様、私は白玉楼に必要なのでしょうか?
 主を不快にするような従者は……仕え続けてもいいのでしょうか?」

「……そうね。それじゃあ、今度はこちらから聞くわ、妖夢。
 今の、いえ、今からのあなたには何ができるの?」

「今からの自分に……ですか?どうなんでしょうか……わかりませんね。
 そもそも、私に出来る事が残されているのかさえ……」

「無ければ作るのよ、妖夢」

「えっ?」

「何でもかんでも、既知の有から探しだそうしては駄目よ。
 時には、無から有を作り出すことも必要なの。
 あなたに出来ることを、じゃないわ。
 あなたにしか出来ないことを、よ」

「私にしか?」

「そうよ。
 だからこれは宿題。
 出来たら、いの一番に幽々子に知らせてあげなさい。
 それがすんだら、私にも、ね」

「……はい、頑張ってみます」

「よしよし」

そう言って、紫様は私を抱き寄せると、頭をグリグリと撫ではじめた。

「ああ、止めてください、紫様~」

「いいから、いいから。
 黙って甘えておきなさい。
 最近は藍も橙も構ってくれないから寂しいのよ」

「あ~う~」

「ん~、妖夢は本当に可愛いわね。
 家に持って帰りたいわ~」

「あはは……」

肩からフッと力が抜けるのを感じ、私はそのまま紫様の膝の上に頭を預けた。

「あら、やっと観念してくれた?」

「……そうですね。ちょっと疲れました」

「寝なさい、寝なさい。
 私の膝は低反発だから、グッスリと眠れるわ」

「そうですね。この肉厚が…………アイタタタタ。
 紫様、何で頭にベアクローを?」

「そういう意味で言ったんじゃないのよ、妖夢?わかった?
 わかったらとっとと寝なさい」

「はい……」

そうして、私はゆっくりと、静かに目を閉じ……最後に、聞き取れるか否かの小さい声でこう聞いてみた。


「……紫様、魂魄の剣は……折れたのでしょうか?」


   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・


「~♪」

縁側では紫の鼻歌が響いていた。

それに誘われるようにして……

「……呑気な曲ね、紫」

彼女は姿を現した。

「あら、やっと出てきたわね、幽々子」

幽々子は少し間を空けて紫の隣に腰を下ろすと、手に持った紙皿をその間に置いた。

「何これ?」

「ジャーキー」

「あれ?私のために食事を作ってくれてたんじゃないの?」

「スペアリブでも作ろうと思ったけど……生憎、素材が揃ってなかったのよ」

「まっ、いいけどね~」

そう言って、紫は紙皿に手を伸ばした。

「くんくん……あれ?これって、ビーフジャーキーよね?」

「ジャーキーよ」

「……ビーフ?」

「ジャーキーよ。何の変哲もない」

「……まっ、いいけどね。
 ……んむんむ……美味美味」

「美味しい?」

「美味しいわよ、このポークジャーキー」

「気に入ってもらって何よりだわ」

「……んむんむ、御馳走様。さて、早速お話しに入りましょうか、幽々子?」

「……妖夢は?」

「この通りぐっすりと」

そう言って、妖夢の寝顔が見えるようにバッと手を開いた。

「……あら?何か手を怪我しているみたいだけど」

「青春の証よ。哀しい哀しいすれ違いの、ね」

「……」

「ねえ、幽々子。いつまでそのお芝居を続けるつもり?」

「お芝居……か。昨日も言われたわ。あの吸血鬼に」

「それだけわかりやすいってことよ。妖夢も気づいているみたいだったし」

「そうなの?妖夢は……何か言ってた?」

「何も。元々、率先して何かをいう子じゃないでしょう?」

「そうね……そうだったわね」

「この子は強いわよ、幽々子。
 ちゃんと先を見据えて、確実に確実に歩み続けているわ」

「当然よ。
 それが妖夢なんだから」

「あなたはどうなの?」

「私?私も一緒。
 ボンヤリと前を見据えながら、のらりくらりと……」

「嘘。白々しいわよ、幽々子」

「ばれちゃった?」

「当然よ。私は嘘吐きの名人(ウィザード)なんだから。
 下手な嘘はつかないほうがいいわ」

「そうね……紫に嘘はつけないもんね」

「そういうこと。話を続けてよろしいかしら?」

「どうぞ。もう、話をはぐらかす気力もないわ」

「……それじゃあ、幽々子。あなたに聞くわ。
 これからどうするつもり?」

「……『どうする』って?」

「このまま、温(ぬる)い幸せを被ったまま偽りの毎日を送るかどうか、ってことを聞いているの」

「……温い幸せか。言いえて妙ね」

「……あなたは妖夢が光を失うという話を聞いて、その現実から逃げだした。
 変わる現実、移ろう運命に背を向け、一人、ただ一人、『その場』に身を留めた」

「……」

「そこは何も移ろうこと無い、恒久で永遠に幸せな場所。
 ……でも、それは偽りの場所。
 『無常』という理に背いたハリボテの城」

「……」

「そこに篭城し続けたまま、日を重ねていくつもり?
 現実に、妖夢に目を背けたまま暮らしていくつもり?
 答えて、幽々子」

「……その答えは今すぐに?」

「猶予は殆んど残っていないわ。
 おそらく、妖夢の目は……今日中に光を失うだろうから」

「……」

「故に、迅速な決断を……幽々子嬢?」

「…………ああ、だから嫌なのよ。
 どうして、こうも時間は流れていくのかしら?」

「やっと聞けたわ。それが本音?」

「たぶん」

「その気持ちを大切にね。
 それをそのまま妖夢に伝えればいいのよ」

「言われなくてもそうするわ」

「頑張ってね、幽々子。
 スキマの陰からあなた達を見守っているわ」

「嫌な表現。単なる出歯亀じゃない」

「うふふ。
 さて、それじゃあ、そろそろ邪魔者は退散するわ。
 妖夢はどうする?」

「いいわよ、そのまま。私の膝に移して」

「はいはい」

ゆっくりと、目を覚まさないように、紫は妖夢を幽々子の膝の上に移した。

「……」

それを幽々子は愛しそうに撫でる。

「あらあら」

「どうしたの、紫?」

「あなた達そうやっていると、母子みたいね」

「あら、私はいつもそのつもりだけど?」

「お熱い、お熱い。
 それじゃあ、そんな2人に、しがないスキマ妖怪からプレゼントを贈らせて頂くわ」

そう言って、紫がパチンと指を鳴らすと……

「あら」

庭に植えられた桜の木が一斉に開花した。

「少しばかり開花の境界を弄らせてもらったわ。演出は大事だからね」

「大袈裟よ。何も全部弄くる必要はないじゃない」

「演出よ、演出。
 目が覚めたら……一面に桜吹雪が舞っているの。
 そんなの素敵じゃないかしら?」

「そうね。素敵だわ。
 素敵すぎて……涙が出そう」

「……頑張ってね、幽々子。それに妖夢。
 あなた達なら、きっと大丈夫だから」

「ええ、ありがとう紫、それじゃあ……」

「ええ、今日にさようなら。また明日ね、幽々子」

「また明日、紫」


時は静かに流れ始めていた。




******************************




始まりの世界はどんな色だろう?

無垢な白だろうか?
無機の黒だろうか?

前者ならば、私は起から離れるだけ。
後者ならば、私は起に戻るだけ。

始まりから遠ざかるだけなのか、始まりに還るだけなのか。

どちらなのかは……分からない。

それでも

それでも、信じていたい。

この歩みの先に辿りつく、その世界は……

その世界は……

……


「妖夢」


「幽々子……様?」

心地よい花の香り、頬を撫でる優しい風、それに耳に響く……懐かしい声。

私はゆっくりとその眼を開けた。

「……」

「どう、妖夢?」

「えっ?」

「目は……どんな感じ?」

「あっ……その、まだ……かろうじて見えます」

「そう……」

私の世界はまだ生きていた。

色も型も殆んど認識できなかったが、そこに『何が』あるのかぐらいはかろうじてわかった。

「……桜が舞っているのですか?」

「見えるの?」

「一応……はい。
 まあ、どちらかと言うと、香りで認識してるんですけど」

「これはね、紫からのプレゼントだって。白玉楼中の桜を開花させちゃって……もう、掃除が大変」

「あっ……そういえば紫様は?」

「もう帰ったわ。可愛く眠りこける妖夢を私に預けてね」

「……そうですか。道理で途中から頭の下の感触が変わっていたわけですね」

「紫の膝と私の膝、どっちが気持ち良かった?」

「一概には言えませんが……少なくとも、厚みなら紫様よりも幽々子様の方が…………アイタタタタ。
 幽々子様、何でコメカミをグリグリと抉るんですか?」

「私の方が、紫より……何て?」

「アイタタタタ。
 何だかよくわかりませんが、すいません~
 どちらも気持ち良かったです~」

「……まぁ、それで、良しとしましょうか」

「あうぅ……」

ホッと一息吐くと、私は幽々子様の膝から起き上がった。

「……」

「どうしたの、妖夢?マジマジと私を見て」

「いえ……幽々子様、何かお変わりになりました?」

「どうしてそう思うの?」

「何というか……その、違和感無く話せるというか……んっ、うまく言えないです」

「うふふ、変な妖夢」

「……お恥ずかしいです」

縁側に響く談笑。

どうしてだろう、こうも……懐かしく感じるのは?

「ねえ、妖夢」

「はい、何でしょう、幽々子様?」

「少し散歩をしない?」

「散歩……ですか?」

「ええ、ちょうど夜の帳も降りてきたことだし、夜桜見物でもいかがかしら?」

「はあ、別に構いませんけど」

「それじゃあ……」

幽々子様は静かに立ち上がると、私に向かって手を差し出した。

「ご案内しますわ、お姫様」

「……はい、喜んでお受けいたします」

私はその手に、そっと自分の手を重ねた。


   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・


「……っと、とと」

「大丈夫、妖夢?」

「あっ、はい。問題無いです」

どこまでも続く桜並木。

もう妖夢の目では殆んど確認できなかったが、間違いなかった。

ここは桜道。
西行妖へと続くあの桜道。

その道を、妖夢は幽々子に手を引かれながら歩いていた。

「……西行妖も咲いてますかね?」

髪についた桜の花びらを払いながら、妖夢が問いかけた。

「まさか。あれはこれらの桜とは違った類のものよ」

「そうですよね。あれだけ苦労して幻想郷中の春を集めても満開にならなかったんですから……」

「一体、何が封印されているのかしらね?」

何かを含んだような声色で、幽々子はニヤーと笑みを浮かべた。

「まさか、また変な事を考えているんじゃ……」

「ねえ、妖夢……」

「駄目です。却下です。
 もう、幻想郷中にマークされているんですからね」

「ケチ~」

「ケチで結構です。
 霊夢や魔理沙が庭を荒らしに来るよりは、数倍マシで…………うわ!」

突然、妖夢の目の前を何かが覆った。

「うわ、うわわわ!?」

「落ち着いて、妖夢。ただの桜吹雪よ」

「へっ?
 あっ、あぁ……本当だ」

「うふふ、妖夢は相変わらずね」

「……うぅ」

顔を真っ赤にする妖夢の頭を撫でながら、幽々子は懐かしげに語りだした。

「覚えてる、妖夢?
 昔も、こうやって2人で手を繋ぎながらこの道を歩いていて……同じように妖夢が桜吹雪に飲み込まれたこと」

「……覚えてますよ。
 ……って、何十年前の話ですか」

「あの時の妖夢は可愛かったわ。
 桜吹雪に煽られて、コテン、と後にひっくり返っちゃって。
 そして、転んだのは自分のくせに、目に涙を溜めながら私にこう言ったの。
 『幽々子様、お怪我はありませんか?』ってね」

「……どうでもいい事ばかり覚えているんですね」

「いい思い出よ」

「……ええ、いい思い出ですね。
 私の記憶が確かなら、その後、私は師匠にこってりと絞られたはずです。
 『稽古をサボってどこに行っていた』って。
 連れ出したのは幽々子様なのに」

「どうでもいい事ばかり覚えているのね」

「いい思い出ですよ」

「そう……、ね」

ピタリと、幽々子の足が止まった。

肌でもわかるその雰囲気の違い。

2人は辿りついたのだ。
この桜道の終点、西行妖に。

「……」

妖夢の手を静かに離すと、幽々子は一人、西行妖に向かって歩いていった。

そうして、その正面に立つと、感慨深げに幹を撫でた。

「まったく、この桜は相変わらずね」

「やっぱり咲いていませんか?」

「ええ、この桜だけは不変ね。
 ……まるで、ここだけ時間が止まっているみたい」

「……幽々子様」

「……ねえ、妖夢。
 私達はどうなのかな?
 私達は変わっているのかな?
 妖夢がひっくり返ってたあの時から……少しは変わっているのかな?」


「そうですね……」

ゆっくりと幽々子に近づきながら、妖夢は言葉を紡いでいく。

「少なくとも歳は取りましたね」

「そうね」

「背も伸びました」

「そうね」

「たくさんの人と出会いました」

「……そうね」

「楽しいこと、つらいこと、いろいろな事を経験しました」

「……そうね」


「……変わっていますよ」

いつの間にか妖夢は幽々子の背中に追付いていた。

「変わっていますよ、幽々子様。
 私達はあの頃……あの道から歩み続けていますよ」

「それは……嬉しいこと?悲しいこと?」

「どちらもです。
 変わる嬉しさ、変わってしまう悲しさ……2つまとめてこの世の『成り』だと思います」

「『成り』……か。それじゃあ、私はこれからも?」

「ええ。でも、ご安心ください。
 私もご一緒にお供をしますから」

「……そう」

ブワッと。

一面に桜吹雪が広がった。

その中で……幽々子がゆっくりと振りかえる。

何の冗談だろうか。
何の奇跡だろうか。

その時、妖夢には確かに見えた。

静かに微笑む幽々子の顔が。


「ならば、誓いなさい、妖夢。何があろうと私の傍にいると」


「はい、幽々子様」


地に膝をつく。

楼観剣を右に。
白楼剣を左に。

そうして、頭を下げ、妖夢は静かに口を開いた。


「この魂魄 妖夢、幾年の年月が流れようとも、あなたの傍にお仕えすることを誓いましょう。
 この目が光を失ったのならば、残されたこの身でお仕えします。
 この身が形を失ったのならば、残されたこの魂でお仕えします。
 この魂が現を失ったのならば……その時は輪廻の輪を引き千切ってでもその御前に見参いたします。

 時にはあなたの怨敵を打ち砕く剣となりましょう。
 時にはあなたの身をお守りする盾となりましょう。
 幾千の敵をなぎ倒し、一切合切の障害から御身を守る……
 冥界一鋭い剣と、冥界一硬い盾をあなたに捧げます、西行寺 幽々子様」


「わかりました。全身全霊でお受けしますわ、魂魄 妖夢」


ここに結ばれる、誓いの儀。
それは久遠の約束。それは永遠の忠誠。

移ろう時の中でただ一つ、ただ一つだけ確かな……絆。


「いつまでもお供いたします……幽々子様」




「……」

1歩だけ前に歩むと、幽々子は妖夢の頭にそっと手を置いた。

「お疲れ様、妖夢」

「……」

「……妖夢?」

妖夢の様子は少しおかしかった。
誓いの儀が終わったにも関わらず、顔を上げようとする気配は無く、黙って俯き続けていた。

「妖……」

「……この3日間は地獄でした」

「えっ……」

幽々子はほんの少し身動ぎをした。
目の前で言葉を紡ぐ妖夢の声が、先程の誓いの儀の時とは全く違ったものだったからだ。

「日に日に光を失い、いつ来るかも分からない終わりに怯え続けていました」

幽々子は悟った。
あぁ、これが、『妖夢』の声なのだと。

「そして、変わりゆく世界に……絶望していました」

「……」

そう、これが……この子の本音。
普段は泣き言の一つも言わないような、この子の本音。

それでも、幽々子の耳には覚えがあった。
このような妖夢の心の叫びを……


『幽々子様……助けてください、幽々子様……幽々子様……』


「……ごめんね、妖夢」

「……」

「私は何も出来なかった。何も出来ずに、ただ妖夢から目を背けて……」

「……どうか、ご自愛を、幽々子様。それでも、あなたの気持ちは確かに届いています。
 私は嬉しかった。この3日間、無情にも変わり続ける世界の中で……あなただけは変わらなかった。
 変わることなく、いつものように私に接し、いつものように私を扱ってくれた。
 私には……それが嬉しかったのです」

それは……違う。
たしかに最初のうちは、幽々子は自分の意思でそうしているのだと思っていた。
妖夢のためだと思い込んで。
でも……それは違っていたのだ。

「……違うわ、妖夢。変われなかっただけよ。ただ怖いだけで……」

「怖いのは当然ですよ。私達はそんなに強くは出来ていないのですから」

「だとしても、私がしたことは情けないことよ。
 紫やレミリア、それに輝夜が妖夢の主だったら……私と同じようなことをするかしら?」

「机上の空論です。確率が零では仮定にすらなりません。
 私の主は幽々子様、あなた一人だけです。
 今、この場で誓ったはずですよ」

「でも……」

「変われなかったのならば……今、ここで変わりましょう。
 僭越ながら、この魂魄 妖夢もお供させて頂きますから」

「……」

「さあ、幽々子様、変わりましょう。進みましょう。
 私達は歩み続けなければなりません」

「……そうね、わかったわ、妖夢」

「それでこそ、幽々子様です」

ゆっくりと妖夢が顔を上げ、その目が幽々子を捉える。

「……っ」

その瞬間、幽々子は言葉を失った。
しっかりと幽々子を見据えるその目には……もう光は宿っていなかったのだ。

「妖夢……」

「幕引きを、わが主」

「……わかったわ」

幽々子は静かに妖夢の顔に手を伸ばした。

「終わりは怖い?」

「いえ、ここからが始まりでもあるのですから」

「そうね……それじゃあ……」

スッと、その手で妖夢の瞼を下ろす。

「幕開けを、我が従者」




そして


消え行く世界。


変わりゆく世界。


願わくは。


歩みの先に辿りつく世界が……


明るい世界でありますように。




――幽々子様、大変です 目を瞑ったら真っ暗です――
























【エピローグ】




その男はこの場所には不似合いだった。

ボロボロに擦り切れた着物に、無造作に結われたボサボサの髪。
何より特徴的なのが、その腰にささった二本の長刀。

常に殺気を切らすことなく、彼はその桜道を歩き続けていた。


「……」




数日前、この男はある老人に出会った。

その表情は穏やかにして冷静。
絶えず笑みを浮かべており、気品のようなものまでも醸しだしていた。

……それでも、彼は確かにその老人から感じた。
真の修羅にだけ宿る……血の匂いを。

『刀を抜け、翁』

『……滾っていますな、若いの。
 この老いぼれが、そのような物騒なものを持ち歩いているとでも?』

『……ならば、受け取れ、私の刀だ』

そうして、彼は腰にささった二本の鞘のうちの一本をその老人の前に突きつけた。

『刀は武人の命では?』

『すぐに返してもらう。そういう算段だ』

『ふむ……若いな』

そう言ってその老人は懐から黒い鞘を取り出した。

『匕首だと?貴様……舐めているのか?』

『ほっ、ほっ』

『何だ、何がおかしい?』

『「舐める」……だと?
 小僧、それはこっちの台詞だ』

老人の雰囲気が一変した。

『……何が言いたい?』

『どのような手段を持っても死合いたいという貴様の気持ち、それもわからんものでもない。
 だが、相手に無理やり刀を握らせてまで向かわせようとするのは……聊か度が過ぎているな。
 全く、粗雑もいいところだ。剣士としての品のかけらも無い』

『……口上はそれで終わりか?』

彼は突きつけた鞘を引き下げると、静かにその刀身を抜き出した。

『翁、名は?』

『必要か?必要ならば、貴様の骸にでも彫り込んでおいてやろう』

『……そうだな、俺もそうさせてもらおう』

シン、と。
空気が静まり返る。

言葉を発するでもなく、身動ぎするでもなく。
2人はひたすらに対峙し続けていた。

ただ、刀身を抜き剣を携える彼とは対照的に、その老人は今だ匕首を抜くことなく腕を組み続けていた。

『……』

ジリリと、男が間合いを詰め始める。

1歩、1歩と近づくにつれ、彼の額には油汗が浮かび出してきた。

『……』

そして、ある一点を踏み越えたその時……翁の手がピクリと動いた。

刹那。

彼は必殺の一閃を薙いでいた。




「…………!」

ハッと我に返る。

目の前では、相変わらず満開の桜が狂うように咲き乱れていた。
……もっとも、彼にとっては何の感慨を抱くものでもなかったのだが。




『魂魄 妖忌だ』

仰向けになった彼を見下ろしながら、その老人は自らの名を名乗った。

『……名は骸に彫り込むんじゃなかったのか?』

『何、単なる気紛れだ。殺すのが惜しくなってな』

『……』

彼は自らの剣を杖がわりにすると、満身創痍の身体でヨロヨロと立ち上がった。

『止めておけ、結果は一緒だ』

『構わない。修羅に生き、修羅に死ぬのならば本望。さあ、剣を構えろ、翁』

『まったく、気が早いやつだ。少しは順番というものを考えろ』

『順番?』

『そうだ。どんな山でもまず1合目から攻めるのが定石だ』

『随分と自分を過大評価しているのだな』

『それが俺と貴様の差だ。身を持って理解させたはずだが?』

『……』

ぐうの音も出なかった。

『……ならば、教えろ、翁。貴様の言う1合目とは?』

『ふん、急に素直になったな?』

『貴様に勝ちたいからな。そのためなら……何でもしてやる』

『なかなか見所のある奴だ。気に入った』

『いいから教えろ。この時間すら惜しいのだ』

『……白玉楼を知っているか?』

『亡霊の姫が住むあの場所か?そこに誰がいる?』

『行けばわかるさ。行けば……な』

『……』

それだけ聞くと彼は妖忌に踵を返した。

『おいおい、そう急くな。まだまだ言い忘れていたことが……』

その制止も聞くことなく、彼はさっさと妖忌の前から姿を消した。

『まったく、あの身体で無茶をしおって……』

それも若さなのだろう、と妖忌は無理やり納得した。

そうして、匕首を鞘に収めると、思い出したようにして口を開いた。

『山は1合目から攻めるのが定石だが……
 生憎、俺の気はそんなに長くないのでな』

ハッハッハッと豪快に笑う。
存外、自分も人が悪いと思いながら

『早足で駆け上がってこい。
 ……道中躓かぬよう気をつけてな』




「……ほう」

そうして彼の歩みは止まった。

その目の前に聳え立つのは……規格を外した巨大な大木。

「これも桜か?」

彼が疑問に思ったのも無理はない。

その木に彩りは全くなかった。
桜が咲き乱れるこの景色の中において、その木だけには蕾すらもついてついていなかったのだ。

それでも……その木が彼の目には、一番印象に残ったのは確かである。

「成る程。妖樹というわけか」

もう少し近くで見てみようと思い、彼はその木に歩み寄


「!!」


その殺気を感じるや否や、彼はその場を飛びのいた。

ブワっと。

一迅の風とともに桜吹雪が舞う。

……それが止んだ後で、彼は目にした。
先ほどまで自分がいた場所、その地面が無残に抉れていた。

そして……

「……誰だ?」

そこには見たことも無い少女が佇んでいた。


「庭を荒らすな」


少女が静かに言い放つ。

「……」

まだ幼くも見える顔立ちに、綺麗に整えられたおかっぱの頭。
そして、その容姿とは不似合いの……2本の刀。

何より……彼の目に止まったのは……

「盲目か?」

堅く閉じられた少女の目だった。

「……お前には関係の無いことだ。
 私は、庭を荒らすな、と言っているんだ」

「荒らしたのはお前だ、馬鹿者。このような見事な穴は見たこと無いぞ」

「……どうやら、最近の賊は礼儀も知らないようだな」

「生憎、そのような類のものには疎くてな。その代わりといっては何だが……」

そう言って彼は刀に手をかけた。

「本当に礼儀を知らないようだな」

「その割にはやけに嬉しそうだが?」

「……そう見えるか?」

少女はニヤリと笑うと、その両の目を見開いた。

「……っ!」

光を宿さぬその瞳。
それでも、その目は確実に彼を射抜いていた。

「汝、括目して見よ。
 此処は白玉楼。
 冥界の姫、西行寺 幽々子が聖域なり」

「……ふん」

彼は静かに刀を抜く。
心の中で、『あの狸爺め』と悪態をつきながら。

「悔い改めよ。
 聖域を侵したその罪、万死をもって償うがいい」

そうして、その少女は2刀を構える。

「朽ちる体は桜の根に。迷う魂は我が主の手に…………」


――魂魄 妖夢 いざ 参る――








end

『幽々子さま、大変です。目を瞑ったら真っ暗です!』

久しぶりにやり直した永夜抄で、この台詞を見ているうちにパッと思いついた話です。

今回は初めてプロットなるものを作成したりしました。
おかげ様というか何と言うか、個人的にはかなりまとめやすかったと思います。
とは言うものの、プロットの原案とかなり違っているのも事実。
ここでは、その中から2点紹介させてもらいます。


【その1】1日目の来客
プロットの段階では、霊夢と魔理沙が訪れる予定になっていましたが、会話を連想し辛かったので急遽輝夜さんに変更。ちなみにお付きが師匠じゃないのは、彼女が寝てたからです。前日は夜中に叩き起こされて、白玉楼に呼ばれましたから。

【その2】伏線の消化
師匠が冒頭で喋った『見たいものをできるだけ見ておきなさい』といった下りは、プロットの段階では伏線となってきちんと消化されていました。でも、本編では、書いていくうちに冗長に感じてきて結局消化させずに終わらせました。この3日の間で妖夢が目に留めておきたかったものとは…………わかりますよね?


最後の方とかもう、まんまヘルシングになっちゃってますね。塵は塵に、灰は灰にですよー。ギャフン。

後、レミリアの能力とかの解釈は個人的見解によるものなので悪しからず。自分なりに納得できるように考え始めたら、作中のような答えになりました。


長々と書いてしまいましたが、ここまで読んで頂いてありがとうございます。
それでは、また次の作品で。
so
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http://www.geocities.jp/not_article/
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コメント



0.8930簡易評価
35.100|||削除
圧巻でした。
とにかく圧巻でした。言葉もありません。
しかし、今回ので思ったのですが、妖夢は殺る気マンマンですね。
剣もっていて、弾幕もなにもないとは思っていたのですが、
まあそれを言ったらお終いですけど、属性は100%修羅ですね。
以前こんな短編を見たことがあります。

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『なあ、妖夢。今日も話し相手になってくれないか』
「いいですよ」
今日も白黒が話し掛けてくる。よほど暇なのだろう。

『ねえ妖夢、私の御札しらない…? あれが無いと、私困るのよ…』
「知りません」
今日も紅白が御札を探している。たぶん永遠に見つからないだろう。

『妖夢、あなた、何か隠してない?』
「隠すことなどありませんよ」
今日もメイドは探偵ゴッコをしているようだ。ちなみに、彼女の推理が進展したことはここ十数年無い。


今日も私に纏わり付く、死に誘われた魂魄三つ。

-------------------------------------

やはり、妖夢はこうあるべきなのでしょうかね。
ヘタに馴れ合いムードにおかれるより、
どこまでもシリアスに、それこそ妖夢の真髄なのだと思いました。
己の土俵で活き活きと動き回る妖夢が見れて、面白かったです。
今後ともよい作品を出し続けてください。では。
43.無評価七死削除
!!
45.90世界爺削除
なんだろうか、この文章の衝撃は。そして、この鮮烈な印象は。

上手く言葉になりませんが、これは、凄まじい作品でした。
文書きにあるまじきことですが、この衝撃を驚愕、違和感、感動などという言葉では到底表すには足らなんだ。
66.90桜香雪那削除
堪能させていただきました。

まず出だしからひきつけてくれます。読者をあおり、後に続かせる引きの上手さ。そして公示の後、前の妖夢視点にシンクロするように書き上げた幽々子嬢視点。その構成の目の付け所が、さすがです。
日常に迫る暗雲。日常を演じる線上。深々と降り積もる雪のように積み重なる迫力。
ズレ。感じられるズレ。違和感は増し、そして侵食していく。
舞い来る客。告げられるズレ。それは修復なのか、拡大なのか。
そして、終幕。

そう、この爽快感こそ、全ての複線ではないのかと裏読みしてしまうほどに鮮やかで。
素直に、言わせていただきます
「読ませていただき、ありがとうございました」
99.100翔菜削除
スレ巡回してて見っけて読んでみて。

上手く言葉に出来ない。最高でした。
108.100名前が無い程度の能力削除
あなたの作品……好きです……
124.100名前が無い程度の能力削除
うぉあー
創想話ではじめて泣きました。
136.100自転車で流鏑馬削除
もし妖夢があの眼に中てられて失明してしまったら・・・・・・
まさに二次創作といえるような作品でした。
感動しました。
139.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい作品ですね。
・・・上手く言葉にできませんが、読めて嬉しかった。
ありがとうございました。
140.100名前が無い程度の能力削除
自然と泣いてしまいました。
145.無評価名前が無い程度の能力削除
よかった
といいたいところですが
最後の妖夢は頂けない

庭を荒らしたのは紛れも無く妖夢であり、男のせいにしてはいけません
つまり
私は、庭を荒らすな、と言っているんだ」
「荒らしたのはお前だ、馬鹿者。このような見事な穴は見たこと無いぞ」
「……どうやら、最近の賊は礼儀も知らないようだな」
確かに挨拶や断り等の礼儀はしていませんが、
自分が荒らしたのを男のせいにし、その事を指摘されると逆切れ、(男の目的はともかく、まだ敵対行動してないのに)賊呼ばわり
こりゃあかん
147.100名前が無い程度の能力削除
原作に忠実な妖夢ですね。侵入者に問答無用で襲い掛かるw
作品全体のシリアスさがたまらない。

読解力は好きなものを楽しむためにも必要であるとw
148.100名前が無い程度の能力削除
ラストの妖夢のかっこよさは異常
164.100名前が無い程度の能力削除
妖夢と幽々子の掛け合いが素晴らしいと思いました
165.90名前が無い程度の能力削除
すばらしい
172.100名前が無い程度の能力削除
こいつはすげぇや...
173.100名前が無い程度の能力削除
なんと、切ない……。
それだけが頭の中を廻る。
175.100irusu削除
これが妖夢の覚悟の証なのですね。
187.100名前が無い程度の能力削除
あの脱力系セリフをこんな風に料理するとは。
今まで見逃していたのが実に悔やまれる、素晴らしい幽冥組のお話でした。
189.無評価yoo削除
えかったあー(泣)
190.100名前が無い程度の能力削除
すばらしかったです。
191.100名前が無い程度の能力削除
泣けたぜ
194.90名前が無い程度の能力削除
閉じた目には何が見えるんでしょう。

素晴らしかった
195.100名前が無い程度の能力削除
もう何も言えません