私があの方に初めてお会いしたのは、雨に濡れ落ちる桜の下だった。
花も盛りという時に降った、突然の冷たい雨。世の春を謳歌しようと咲き乱れた桜に舞い降りる、突然の冷たい死線。
その中に私とあの方はいた。
そのときの事はよく覚えている。私にとってそれは、忘れるはずのない出来事。
満開の桜。灰色の空。冷たい雨。冷えた身体に容赦なく降る雨。
濡れた桜が雨と同じように落ちていく。冷たい雨。冷たい桜。
容赦なく体温を奪っていく雫に、私は身体を震わせる余裕すらなかった。
飢えと、傷と、寒さと。三つが私を責めていた。
もう何日も何週間も物を口にしていない身体は疲れきっていた。一歩も動けないと思うくらいに駄目だった。
痛まないほど痛んだ足は、もう無理だと告げていた。熱すら感じ取れないほど、それはもう手遅れだった。
染み込む様な寒さは、前の二つを突き落とすように早めていた。あとは意識が落ちるだけと、否応無く自覚させられた。
生き物である限り、避けようのない災禍。仙狐であろうなんだろうとと振り下ろされる刃。死は、目の前に来ていた。
それが、裏切られ、裏切り続けた末の、私の姿。
だから、幻のようにあの方が私の前に立っていたとき、死神だと思った。
もう駄目なのか。やっと終わるのか。
二つのまったく別の思いが胸を満たす。生きたくて、苦しくて、でも死にたくなくて。私は自分がどちらを望んでいるのかすらよくわからなかった。
あの方は、そんな私を感情の篭らない眼で見ている。
輝きのない瞳。笑わない口元。揺れない髪。動かない影。
その無機質な瞳が私のほうを向いている。私は首を動かす事も出来ず、眼だけをそちらに向けた。
降る雨だけが、音を立てている。
私の鼓動はもう微かで、雑音ほどにもならない。
あの方は、その微かな音すらさせはしない。生きていないかのように静かだった。
しばらく、間が空く。どれほど時間がたったかはわからない。ただ永久のような、一瞬のような沈黙の世界は、何より静寂を保っていたあの方自身によって破られた。
「──不快だわ、あなた」
言葉と共にはっきりとした憎悪を瞳に浮かべ、ゆらりと髪をゆらめかせる。
あの方は、口元に三日月型の嘲笑を浮かべ、呪いのような言葉を続けた。
「あなたみたいな、生きているのか死んでいるのか、よく分からないモノは見ていて気分が悪くなるの。
死ぬなら死ぬ、生きるなら生きる。さっさとどちらかに決めてしまいなさい」
その言葉に、身体にわずかに熱が宿る。それは紛れもない怒りだった。
いくら死の淵にいても、いや、むしろそんなときにこそ、こんな理不尽な言葉を投げられて黙っていられるわけがない。
こんなふうに、なりたくてなったんじゃない。私だってこんな痛くて冷たくて辛いのは嫌だ。もっと暖かい場所で、幸せにくらしたかった。でもそうできないんだから仕方ないじゃないか。
負けないように睨み返す。身体に熱をもったせいか、傷が痛み出した。とても――とても痛かった。
それを察したのか、あの方の眼はさらに厳しくなる。口元はさらに嗤いに歪む。
「痛いでしょう? 辛いのでしょう?
ならどうしてまだ生きようとするの。どうせなら死んだ方が良いではなくて、狐さん?」
くっくっ、と低く響く嗤い声。
謳うように、呪うように、彼女は言葉を続けていく。
「あなたも分かっているのでしょう? 生きているのは、辛くて苦しくて。
ほら、死んでしまえば楽になれるわよ。あと一歩踏み出して、身を委ねるだけじゃない」
声ではあるようで音ではないような、そんな声音の言葉と共にあの方の背後から無数の白い腕が伸びる。
その根元は暗い裂け目。なにもかもをのみこんで、なお収まりきらぬとでも言うような、暗い暗い深淵の闇。
そこに張り巡らされた蜘蛛の糸のような白い手が、私に伸びた。
手は私を招くようにゆらり揺れる。
たぶん本当に招いているのだろう。あの手をとれば痛みも寒さも飢えさえも、感じなくてすむのだろう。
でも、今膝を屈する事は、死ぬ事自体よりも嫌だった。
もう関るな、死ぬなら死ぬで私は自分の意志で死ぬ。それまで私は生き続ける。お前などに決められてたまるか!
呪いに近い決意を込めて睨みつけた。
その視線に――あの方は微かに、笑ったのだった。
「そう……それなら、あなたの覚悟を見せてもらうわ。丁度手伝いが欲しいと思っていたところだし。
あなたが自分の死を選ぶ時まで、私の隣に居続けなさい」
拒否を許さない強い言葉。
それを聞くなり、私の意識は暗転する。その寸前に感じた感触は、とても暖かかなものだった。それを思い出すのは、ずいぶん後の事となる。
これが私と紫様の出会いである。最悪の出会い方だが、今ではその出会いに感謝している。
シュレーディンガーの忘眠 ~ 睡魔の誘い
気まぐれ。気の迷い。偶々。偶然。
いくらでも言いようはある。でも、そのどれでも説明しきれない。
だからきっと、これは必然。あなたであると言う意味がある。
それなら、それに賭けてみよう。苦痛はない。それ以上の苦痛を既に知っているのだから。
桜も盛りというマヨヒガ。その一角に、古風な蔵が寄り集まった地区がある。
マヨヒガとは境界線上の場所。そのため、いろいろなものが流れ着く。現実に対する彼岸のような場所なのかもしれない。
そんな物達は時折マヨヒガの住人の気まぐれにより保管され、その日々の生活に役立てられたりする事もある。
それらを集めた蔵の一つで派手な物音がした。がらがらがっしゃーん、と物が崩れたとあからさまにわかる音だ。景色が古臭いから音も使い古されたものなのだろうか。因果関係は証明できない。
その物音に押しつぶされて、微かにうめき声がする。
がらがらと物を押しのけて、落ちてきたガラクタに埋まった少女が頭をさすりながら起きてきた。
「う~、ひどい目にあったなぁ……」
幼げな鳶色の眼。同じ色の髪と、そこから大きくはみ出した黒い猫耳。
マヨヒガの住人の一人、化け黒猫の橙である。
彼女は大切な帽子についたほこりを払いながら、この崩れた物品をどうしてくれよう、と頭をひねる。
片付けはとても大変そうだ。しかしやらなければ、几帳面な自分の主は間違いなく怒るだろう。主の主は問題ない、多分。
だが――
「どうしようもないんじゃないかな、コレ」
ちゃんと整理されていたはずの物達は既になにがどこへあるのやらとでも言いたくなるほど乱雑に散らかってしまっている。
その上、積み重なったり下敷きになったりと三次元での散らかりだ。ついでに言うなら、手を触れただけで二次災害の怖れあり。
二次元ならまだなんとかなったんだけどなぁ、と思っていても仕方がない。
しっぽをぱたぱた、耳をぴくぴく動かして、しばしの間沈思する。
そして意を決して片付けに取り掛かった。結局のところ、主である藍の教育もあって橙はいい子なのだ。こういう事に紫の影響はほぼ皆無である。彼女はただ甘やかすだけなので。
その手が一番上のつづらにかかったとき、上のほうに引っかかっていたのか何か小さなものが落ちてきた。
箱を飛び跳ね、床を転がり、壁に当たって帰って来たそれは首輪だった。
拾ってみるまでもなく、それは古く汚れていて随分使い込んだあとがあった。
手にとって、首をかしげる。
自分がここに来る以前に動物でも飼っていたのだろうか。
くるくると回してよくみてみると、それには錆びたプレートが一枚貼り付けられていた。
そこには一文字“藍”とだけある。
橙の首がさらに傾く。世の不思議ここに極まりと言った風情だ。学校の七不思議なんて目ではない。
「藍さまが首輪なんてするはずないし、紫さまが何かに使われてたのかな……」
これをした主の姿を思い浮かべてみる。
似合わない。とても似合わない。あの誇り高い藍さまである。死んでもそんな事はしそうにない。
だとすればあるのは紫さまが自分の知らない間に動物でも飼われていたのだろう。その名前が首輪のとおり藍だというのなら随分意味深だけれども。
そう納得して片付けにかかろうとしたとき、蔵の入口のほうに人影が落ちた。
「橙、ずいぶん大きな音がしたが大丈夫だったか?」
振り返るまでもなく、その声は藍のものである。
「藍さま。私は無事だけど蔵の中身がかなり危篤状態です。ごめんなさい」
しゅんとうなだれて、ついでに耳も垂れさせて。橙は藍に謝罪する。
橙の様子に、ちゃんとした反省の色を見たのだろう藍はお咎めなしにした。彼女もやはり橙には甘い。藍に紫にと、寵愛受けまくりの橙である。
「うん……まあ仕方ないだろう。今日は私が片付けておくが、次はこんな事がないように気をつけるんだぞ」
そう言って藍は手を軽く叩く。
途端、崩れていた物達がたくさんの見えない腕に掴まれたかのように、宙に浮かび元の棚に戻っていった。
式を使ったのだろうけれど、これだけの仕事を一気に片付けてしまう主の力量に橙は憧れを覚える。
と、藍の視線が橙の手元に移りそこで止まった。
「橙、それは……」
その先にあるのは首輪である。さっき橙が拾った“藍”と刻印された首輪。それを藍は動揺した瞳で見ている。
「ここに、あったのか……」
搾り出したような声で、嘆息する。
それは橙にとって初めてみる主の姿だった。迷子がやっと家を見つけたような、そんな不思議な安心感を滲ませた顔。
その顔が余りに不思議で、余りに不可解で。橙は思わずそれを尋ねていた。
「藍さま、その首輪はなんなんですか?」
はっ、と藍が橙をみる。そこに彼女がいたのを忘れていた――わけではないだろうが、意識していなかったようだ。それほどに、彼女はその首輪に意識を奪われていたという事だろう。
藍は一つため息をつく。自分を落ち着かせるためか、それにまつわる何かを思い出してか、理由は知れない。
そして、語りだした。
「これは、私が紫様と初めてお会いしたときに付けられた物だ――」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
眼が覚めると、遠くに天井があった。横を見ると見事な絵の襖が四方に立っている。
死後にも屋敷があるのか、ああそういえば住むものが居るのだから住む家もないと困るか、などとぼんやりと考える。
死ぬとき感じた寒気もない。痛みも、飢えもない。まったく、死後というのは快適である。微妙な違和感もあるが、それも死んだからだろう。
「ん……?」
首をひねる。なんだ? なにか忘れてないか? 死ぬ前何かなかったか?
確か私は、足をやられて、食事もできずに森を彷徨って、それから……
その答えが出る前に、私の右手の襖が音もなく開く。
「無事眼が覚めたようね、なによりだわ」
疲れたような、面倒そうな、磨耗しきった声。
私はその声で思い出した。眼が鋭く尖るのを自覚しながら、超然とした態度でこちらを見下ろす女を見返す。
どうやら私は死んでいなかったようだ。こいつがここにいるのだから。
目の前に居るのは意識が落ちる前、私を散々けなした女。人ではないようだが関係ない。私に敵うはずが無い。体調が戻った今なら殺れる。あそこまで私を怒らせたのだ、思い知らせてやる!
布団を弾き飛ばし、三間ほどの距離を刹那に駆け抜ける。伸ばした爪は鋭く、一瞬で女の喉笛を切り裂くはずだった。
女は微動だにしていない。その結末が分かっていたとでも言うように、徹頭徹尾、無表情のままだ。
「がっ! かはっ――!」
圧迫された首から呼気が逃げていく。締め付ける力に、私は為す術なくその場に倒れた。
その上に声が降る。明らかな嘲りをこめた声が落ちてくる。
「莫迦ね、自分の状態も確かめずに動くなんて」
屈辱と憎悪と苦痛に、嗤う女を睨みつける。
呪い殺しそうな私の視線も、彼女は全く気にした風もない。そのまま言葉を続けた。
「自分の首をよく見てみなさい」
途端、戒めがとかれて首が自由になる。慌ててそこを探ってみれば、なにか異質な感触があった。とはいえ自分ではそこになにがあるのか見えない。
思った途端、す、と目の前に鏡が差し出される。源を見れば女の背後にある不気味な裂け目から伸びた白い手だった。果てしなく気味が悪いが、今は無視して鏡を覗く。
そして絶句した。
「なっ、なっ、なっ」
鏡に映った自分。とても慌てた顔をしている。尋常でない事が起こった様だ――なんて冷静に分析している場合じゃない。
「なんだこれはぁ!」
絶叫する私に、女はうるさそうに顔をしかめる。
「首輪にしか見えないと思うし、実際その通りよ。
……おかしいわね、私の見立てでは眼に異常はなかったはずだけれど」
「私の眼にも認識にも思考にも問題ないっ! そんな事じゃなくてっなんで私がこんな物をつけられるんだ!」
「だってあなた、私の下僕じゃない」
まったく何を聞いているのだ、子供じゃあるまいし。とでも言いたそうな視線が突き刺さる。
その間、私の思考は完全無欠に停止していた。
は? 何を言ってるんだこの女。私がなんだって? 下僕? 誰の? この女の?
その言葉を反復して噛み砕いて把握して、理解して――
「そんな事認めるかぁああああああああっ!」
私は再び絶叫して、女に飛び掛った。
はぁ、と重々しくため息をつく女。途端、再び首を締め付ける戒めの輪。
あと寸分で爪があの細首に届くというのに、その寸分が埋まらない。
「――――……・・・!」
意識が遠のく。
指先が震える。
あと寸分。
視界が白む。
もう少し。
身体が止まる。
腕が落ちる。
もう、届かない……
そのまま、すとんと私は闇に落ちた。
次に目覚めたとき、先ほどの焼き直しのような景色が広がっていた。
女はにやにやと嗤ってこっちを見下ろしている。こちらが、次はどんな手を打ってくるのか楽しみにしているかのように。
だが、私は流石にもう攻撃はしなかった。
悔しいが、この不利な状況は認めなければならない。今ではどうしようもなかった。
無論、諦めたわけではない。猪の如く突撃するだけが攻撃ではないという事だ。私は狐なのである。
狐とは騙し狩る生き物なのだ。まして私は化け狐。この女も騙して、隙を見て仕返ししてやる。
女は私が大人しくなったのを見て取って、改めて私が置かれた状況を説明しだした。
女の名前は八雲 紫。辺境に住む、ただのすきま妖怪だと名乗った。
すきま妖怪といわれても、今の私にはそれがどんな物かはわからない。ただ、その圧倒的なまでの禍々しさと矛盾ぷりは理解できた。
次に説明を受けたのは、今居る場所。その名もマヨヒガ。世界の隙間に作られた、あるようでないのに確固として存在している場所、なのだそうだ。
それを一人で作り上げ、その全てを式を使って管理し続けてきたのだという。
そんなとてつもない事をしている理由は、曰く、「退屈だったから」
その答えに、私は驚いていいのか呆れていいのか分からなかった。力の無駄遣いとしか思えないし、事実その通りだろう。
無駄をする、理由が一切理解できない。きっと永遠に理解できないだろう。
説明されながら軽く辺りを案内されたのだが、その敷地は広大だった。
それを管理する式神の姿も見たが、それは私達に気付いていないかのように反応もせず、ただ与えられた仕事をこなしていた。
正直に言って、寒気がする光景だった。
こんな場所で意志もない式に囲まれて独り意味もなく暮らすなど、私には想像できない。
意味なんて微塵も無く、価値なんて欠片も無く、救いなんて何処にも無く、ただ虚無だけが横たわった生活に、私は耐えられるはずが無い。
まったく、この女はなにを考えているのやら。
なにを好き好んでこんな生活を続けているのだろう。不可解極まりない。
浮かぶ疑問はいくつかあったが、今はそれらを打ち消して、彼女の後について歩き続ける。
彼女はどうやら本気で私を下僕にするつもりらしく、あちこちで説明を加えながら、ここでどういう仕事をするかを指示してくる。
しかも間違えると首輪の呪いを発動させると言ってきた。無断でマヨヒガを出ても自動発動するとか。嫌な奴である。
絞められるのは苦しいので、嫌々ながら覚えていくが、仕事の大半は簡単なものだった。
担当の式の監督や、それらが対応できないような柔軟な対処。要は手伝いみたいなものである。下僕にする、という割にはずいぶん甘い割振りではないだろうか。
そうしていって、最後に母屋に一番近い離れに連れてこられた。
離れといってもその広さは充分すぎるものだろう。
その戸を開けながら、紫が言った。
「この離れはあなたの好きにしていいわ。必要な物は蔵から好きに取ってきて構わないから。住みやすいように手を加えるのも自由」
「……ずいぶん譲歩されますね、下僕相手に」
半分疑惑、半分皮肉で言葉を吐く。相手は動じた様子は全く見せない。
「ええ、大切な下僕ですもの。それに意思のある生身を使うのは初めてだから加減がわからないのよ」
困ったわね、なんて首を傾げられた。そんな調子ではこちらが困る。
紫は最後に、と前置きして、幾分真剣な表情でそれを伝えた。
「その首輪を付けた事で、あなたの元の名前を奪ったわ。その意味は分かるわね?」
「…………」
もちろん、わかるとも。おかげで目の前が真っ暗になった。
名前を奪われる。それはつまり、存在を奪われたという事に等しいのだ。
名前が私の全てを定義しているわけではない。だが、どこかにある運命を示す書物には、私の運命はすべて私の名前で記録されているのだ。そして私の過去も。
思い返せば、眼が覚めてから私は一度として自分の昔も名前も意識してない。意識しても思い出せない。一般的なことは思い出せる。言葉、道具の使い方、生活習慣。
だが、私という個を証明するような特徴的な事柄が、何一つとして残っていない。
こんなのは、私ではない。
この女は、そんな事まで……
打ちひしがれ、膝をつく私に構わず、女は続ける。
「だからその首輪をつけている間は、あなたの名前は“藍”という事」
「つけている、あいだ……?」
首を上げる私を、見下ろす女。そこにさっきの真剣な顔はなく、いつもの貼り付けたような笑みがあるだけだ。
「賢いわね。あなたの想像通り、その首輪が楔なのだから外せばあなたは全てを取り戻す。
首輪が外れるのは私が外すか、私があなたを制御できないほど弱るか。そのどちらか」
弱らせればいいなら、隙を見てその喉笛掻っ切ってやろうかとも思ったが、殺ろうとした途端に首輪が発動するのは目に見えている。
やはり今は、服従するしかないらしい。
今日はゆっくり休みなさい、そう言い残して悠々と立ち去る紫をみながら、私は今後を思って限りなく重いため息をついた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
“主”に捕まって十数日。桜は雨に散り、夏の気配が出始めていた。
その生活は、不本意ながら楽な生活だったといえる。
確かに首輪の戒めに対する不安はあったが、仕事と言えば式の監督と時折の使いだけ。
それだけで、三食と命の心配なく休める棲家、それに幾許かの自由時間をもらえるのだ。
特に食事に関して言えば、間違いなく幸福な部類に入るだろう。
今日も今日とて食卓に座しながら、目の前に広げられた異様な光景に首をひねる。
「納得がいきません」
ひねるだけで飽きたらず、言葉にしてみる。しかしそれらは消えないし、対面の主の呆れた顔も変わらない。
「毎回同じでは芸がないわよ、藍」
「芸だとかそういう問題ではありません」
食卓に所狭しと並べられた料理の数々を見ていながら、どうしても納得できない。
現実拒否、そういわれても仕方がないが、納得いかないのだから仕様がない。
「なんでこんなに料理がお上手なんですか、主殿」
「それももう何度も答えたはずだけど……暇だったからよ。やる事がなかったの」
無感動に言う主だが、対照的にこの料理の美味さはなんだ。暇だったからとか、理由にならない。暇だったから料理をするなんて必然性はないではないか。
理不尽だ。その存在と同様に理不尽である。どこまで理不尽を極め尽くすつもりなのかと問いたくなるくらいだ。
ため息をつきながらかぼちゃの煮付けに箸を伸ばす。
マヨヒガの敷地内で自家栽培されたかぼちゃの甘味を、十分に引き出した煮付けは食の有難味をというものを味覚を持って伝えてくれる。
うむ、おいしい。
対する主はといえば、こんなにおいしい料理なのに顔色ひとつ変えない。
一日目はともかく、二日目は舌の感覚が麻痺してるんじゃないだろうかと、本気で想像しかけた。
と、主の箸が不意に止まり、こちらを見る。
「そういえば、ずいぶんおいしそうに食べるのね。私が作ったものなのに」
「料理に罪はありませんから」
箸を止めずに手短に答える。
言外に作り手は気に入らないと言っているのだが主には通用しないようだ。分かってはいるのだろうが。
「そう、作り甲斐がある事だわ」
言う事は優しいが、顔に表情はない。きっとまともに受け取っていないのだろう。
……どーしてこう、この主は性格が悪いのだろう。きっと過去に何かあったに違いない。策謀と裏切りの末に疲れた妖怪が一匹。実にそれっぽい。こんな性格では哀れさなど微塵も感じてやらないが。
考えながら腹いせのように次々と箸を伸ばす。ええい、こうなったら主の分まで食べてやる。それぞれの皿に分けて盛り付けなかった事を悔やむがいい。
私の猛攻の前に料理は次々と消えていく。
だが主は焦った様子など微塵もない。それしか知らないように表情は変わらない。
不審に思って手を止めた途端、一言。
「おいしく食べてくれるのはうれしいけれど、加減しないとさすがに太るわよ」
「…………」
箸が止まる。止まらざるをえない。止まらずにいられようか、いやそんな事はない。
汗が流れる。額に浮かんだ玉が大きさを増し、目の間、鼻梁を通って滴り落ちる。
高速回転する記憶。走馬灯っぽいとかいう思い付きをする余地はない。
待て待て、落ち着け。あれは引っ掛けだ。私が狼狽するのを見て楽しむ気なのだ。
そうだとも。冷静になれ。考えてみろ、太るほど食べて──
──食べて?
昨日は……たくさん食べた。ほとんど私が食べた。
一昨日……主にやり込められて仕返しとばかりにやけ食いした。
だらだらと汗が流れる。さっきより一層その量が増えた。
余りに頭を酷使したために発熱しだしているのか、汗の量は減る気配を見せない。
それでも必死に考える。考えなければならない。なんとか言い返さなければならないのだ。
いやいや、大丈夫だ。たくさん食べた事は認めよう。事実だ、認めざるを得ない。
だがその分運動していればいいのではないか。ちゃんと私は毎日のお勤めをしている。
式神の監督をしたり、式神が式にない(規定外)状況にぶつかった時の誘導をしたり──
運動量の知れている仕事ばかりが目に浮かぶ。
「…………」
真綿で閉められるように、首に徐々にかかっていく圧迫感を自覚しながら空気を求めてもがくが如く、私は必死に出口を探す。
幾多もの障害。何重もの壁。それらを乗り越え、迂回し、破壊し、突破して──終に、私は窒息した。
「うぐぅ」
「くっくっくっ……可愛いわね、あなたは」
うめく声は、主の心底楽しそうな含み笑いに包まれて、虚空に消える。
「その分では、私がわざわざ血肉が多めの料理を主に据えていたのに気づいていなかったのね?
あなた、一日目からたくさん食べていたでしょう? 怪我で落ちた体力を取り戻そうといっぱい食べているのかしら、と思って二日目も同じようにしたらやっぱり食べるから誤解していたわ。
でもそうじゃなかったのね。それなら悪い事をしてしまったかしら?」
首をかしげながら笑う主。しかしその言葉に私は眉根を寄せるだけだった。
この主が、私の事を考えて、だって……?
まさか、そんな事があるはずないじゃないか。これもきっと、何かの策謀。
だが、思考のどこかで何かがそれを否定する。それ以外の可能性はないのか、と。
……ありえない。私はその声を切り捨てる。
あの第一印象からして、そんなまともな性格を期待する事は出来るわけがない。
そうとも、そんな事は絶対にない。
そう納得して私は箸を置く。ここまで言われた以上、いくらなんでも食べる事は出来なかった。
「あら、もう終わり?」
「はい、ご馳走様です」
無愛想に手を合わせる私に、主は右に首をかしげる。
その何か考え込むような動作に、私の背筋に一瞬寒気が走った。
今すぐ逃げ出さなければ。判断まではたったの一瞬。
だが、動作が少しだけ遅れた。ああ──もしこれが、食事のせいならなんと腹立たしいことだろう。
落ち込む私に、主はそれはそれは娯しそうに言ったのだ。
「藍、あなたに料理を教えてあげるわ」
「りょ、料理……ですか」
胸をなでおろす。なんだ、料理か。それくらいなら問題ない。
「ちゃんと私がつきっきりで教えてあげるから、心配することはないわよ」
笑いながら言われるが、それが一番の問題だったりする。
きっと私が失敗をするたびに、ニヤニヤと笑いながらなんだかんだといってくるのだろう。
たぶんこれも、遊びの一環。主の言う暇つぶしの一つ。
そう考えると嫌になるが、主の命には従わなくてはならない。首締めはもうこりごりだ。
ため息をつきつつ、私は首を縦に振ったのだった。
翌日から、予告通り主による料理指導が始まった。
だが驚いた事に、それは至極真っ当だったのだ。
最初に注意されたのは刃物の持ち方。私の我流のやり方では、いつ指を切るか知れたものじゃないと厳しく注意された。
「あなたね、その長い指を少し短くしたいのでなければ、こう指を丸めなさい。狐なんだから、猫みたいにこう」
「狐は猫じゃありません! ちょっと黙っててくださいっ!」
料理くらい……と高をくくっていた私をあざ笑うかのように、その奥の深さを見せ付ける食材と調理具の数々。この世界のものだから、主に似て性格が曲がっている、なんて想像が頭を掠めること既に十数回。
憤然としつつ鍋を見る。こちらのほうは……大丈夫。
と思ったのだが、後ろから飛ぶ厳しい声。
「ほら、火が強すぎる。味が飛んでしまうわ。火の調節は簡単にしてあるんだから、ちゃんと使いなさい」
「わ、わかってますっ」
言われて確かに火が強かった事を知る。
この竃は火炉に火の精霊を置いて、毎日の十分な自然エネルギを渡す事を契約にして、そいつらに火を作ってもらっている、らしい。だからつまみ一つで火が調整できる優れものなのだ。
それはともかく、あわててつまみを回して火の勢いを落とす。
しかし遅すぎたのか、鍋の底の肉じゃがのうまみである汁がかなり飛んでしまっていた。
「…………うー……」
鍋を前にうなる。
料理って、難しい。
名前を奪われた際に料理の仕方も忘れたと思えれば楽なのだろうが、そういう記憶は残っているはずなので、これが私の実力だということだろう。
だから、ある意味では当たり前といえるのだが……
結局その日の夕食は、自分でもこれはどうだろうとしか思えない味の料理が並んでいた。
一口食べて、顔をしかめる。
二口食べて、ため息をつく。
三口食べて、箸をおいた。
莫迦にされても仕方がないような味である。記憶がなければ料理も出来るはずがないが、そんな事を気にする主ではあるまい。
きっと、いつものように嫌な笑みを浮かべてこちらを見ているに違いない。
そう思うだけで気分は悪いが、勝手に退室することは出来ない。だから私はそちらを見ないようにうつむいて座っていた。
だが、一向にいつもの耳に付く笑いが聞こえてこない。
顔を上げたときに笑うつもりか、なんて、ひどく嫌な想像が頭を掠める。
それなら顔を上げなければ良いのに、私はどうしてか、それに逆らっていた。
そして、絶句する。
主は何の躊躇もなく、料理を食べていた。
無論おいしそうには見えない。どこか苦笑の混じったような顔だ。だが、箸を休めることなく動かして、しっかり咀嚼して、食べている。
「あ、主殿! 大丈夫なんですかそれ!」
「大丈夫って、何の事?」
平然と聞き返され、私はすぐには何も言い返せなかった。
やっとの事で、言葉を搾り出す。
「だって……おいしく、ないでしょう?」
作った自分が言うのだ。何の贔屓目もいれてない。間違いない。
主も──当然だが──躊躇なくうなずいた。
「まあ、その通りね。煮詰めすぎて味が濃いし、切り方が雑だから口に入れにくい。
ご飯は……逆に火力が弱かったわね。コツは短時間で沸騰させる事」
と、一つ一つ言ってくるのだが、それすべて至極もっともな為何も言い返せない。
ただ自分の未熟さを思い知らされるだけである。仕方がないとは言え、気は沈む。
そんな私に構わず、主は続けた。
「でも、初めてにしては上出来ね。及第点は取っているわ」
「……え?」
再び顔を上げると、いまだ私の料理を食べ続ける主がいた。
あれが及第点とは、とても思えない。主の料理に比べると、料理とすら呼べない程度のものなのだ。
それを食べ続けられて……かえって私のほうがあわてた。
「ちょ、ちょっと待ってください主殿! そんな無理して食べられなくても──」
「私は無理なんてしていない。あなたが作ってくれた料理を食べてるだけ。どこに無理があるというの。
文句があるのならもっと腕を上げなさい」
睨むように言い返えされた。それにひるんでいる間にも、主は次々と食卓上の皿を空にしていく。
おかしい。明らかにいつも主が食べている量をはるかに上回っている。
しかも、私が食べないのを見ると、聞いてからではあるが私の分まできれいさっぱり食べ尽くした。
そして、満足そうな顔で一言。私に向かってこう言った。
「ごちそうさま。明日もよろしくね。
そうそう、おなかが減ってるのなら何か作ってあげるけれど?」
くっくっ、といういつもの低い笑い。それは私の呆けた顔を見てのものか──それとも、別の理由によるのか。私には判別が付かない。
ただ何故か、私はそんな主に素直に「お願いします」と言っていたのだ。
それは、私がとてもおなかが減っていたからだと思う。
とてもとても、おなかが減っていて、こんな主にも頼まなければ飢え死にしてしまいそうだったからだと思う。
その、はずである。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
それから数十日。季節は初夏から完全な夏へと移り変わっていた。毎日、木々に止まって忙しく鳴く蝉の声がやかましい。
そんな中、私は主の厳しい指導の下で、それなりに料理の腕を上げていた。
とはいえ主の注文は無くならない。私が腕を上げる度に、主の言う“注意事項”も上位に移動していくのだから当たり前だ。交わらない平行線みたいなものである。
ただまあ、最近では自分でも納得できる食事を用意できるようになってきた。認めたくはないが、主のおかげと言ってしまわざるをえないと思いたくないけれど思わなければならぬ世の無情が身にしみる。
──戯言だ。私は何をそんなに拒否しているのだろう。
そんな事をうつらうつら考えながら式を見ていると、突然虚空に線が入った。
音もなく、するりとそれが広がって隙間となる。その隙間から乗り出すように、主がひょいと顔を出した。
この出現方法は既に何度か経験しているので、もう驚かない。最初は唐突だったので驚いたが。
「藍、あなた今暇してる?」
「…………ええ、まあ」
しばしの思案の後、答える。下手な答えを返そうものなら、どんな結末が待っているかわらからないから、慎重にもなろうというものだ。
タコ部屋の、忌々しい記憶が甦る。タコ部屋という言葉に間違いはないが、普通ではない。
すし詰めの部屋という意味に、すし詰めにされているのがタコというのが追加されていた。
どの世界の常識だろう。“正直に言って二度とお世話になりたくない部屋”上位三位に燦然と輝く部屋である。
あのぬめりはもう二度と味わいたくない。
それはともかく、主は一つの箱を私に手渡した。手のひらに少し余るほどの大きさで、簡単に持ち上げられるくらい軽い。
「これを博麗神社まで届けてちょうだい。行けばあいつはわかるはずだから」
「博麗神社……ですか」
博麗神社。主の話では、この付近一帯の妖全てを抑止するほどの力を持つ巫女が住む場所なのだが、どうにも胡散臭い主の事だから脚色を含めているのではないかと疑っている。
場所は分かるわよね? と念を押されるが、先日この付近をつれ回されたとき見ていたから、それは大丈夫だ。
その旨を伝えると、主は満足そうに頷いた。
「それじゃあ頼むわね。日が暮れるまでには帰るのよ──」
言いながら主の隙間が掻き消える。いつもならもっと私で遊んでいくのに、今日はそんな余裕も無いような慌て様だ。どうかしたのだろうか。
「あの方の事は、未だに理解できないからなぁ……」
ぼやきながら、手元の箱を服に仕舞い込み、助走をつけて空に飛ぶ。
だから、気づかない。気づけない。気づくべきだったのに。
地面に落ちた、赤い染み。ほんの一滴、ぽたりと落ちただけのその正体と出所に。
博麗神社にはすぐに到着した。飛行の術くらいは心得ているし、覚えている。それさえあれば、すぐに着くような場所なのだ。
丘の上の小さな社。空から見ると、これがそんなに力を持った巫女の住家とはとても思えない。やっぱり主の法螺だろう。
高度を下げて、よく掃除された境内に降り立つ。周囲を見回すが、人影はない。
じりじりと照りつける太陽のために、境内には陽炎すら見えそうだ。
水撒きでもすればいいのに、と思いながら巫女を探す。
すると、遠くから叫ぶように声が聞こえてきた。
「あー? 狐とは珍しい。ここは稲荷じゃないわよ。どっから迷い込んだわけー?」
慌ててそちらのほうをみるが、声の主の姿は見えない。神社の祭殿の向こうだろうか……だとすれば、自分の姿は見えないはずなのに。
首を傾げつつもそちらへ向かう。
果たして、そちらには巫女がいた。
それを、巫女と呼ぶ事がこの世界で許容されるなら、だが。
暑さにだらけきった表情。
肩口から脇までざっくりと開けた巫女服とは呼べない──私の認識では、巫女服とはもっと厳かにしてお淑やかなものだ──紅白のおめでたいだけの衣。
緋袴はひざ上までたくし上げられ、あらわになった足がどうなっているかといえば, たらいに張った水に突っ込まれている。
はっきり言って、私はこれを巫女とは認められない。主の言う“この辺り一帯最強”の称号など夢のまた夢だ。
ここが博麗神社なのかどうかすら怪しくなってきた。
私は引きつった顔のまま、その巫女(もどき)に尋ねる。
「ここは博麗神社で……間違いないんです、よね?」
「残念ながらここは博麗神社で、私はその巫女の博麗 霊夢。あなたのイメージにケチをつけるつもりはないけれど、巫女ってそこまで堅苦しいもんじゃないわよ」
その答えに、私は引きつらせた顔を真顔に戻した。
この女──私の考えている事を読んだ? さっき、私に気づいた事を含めて、何かの力があるのか?
目の前の、まだ年端も行かない少女に対する認識を改める。主が私を行かせるのだから命に関わる危険はない──大切な“遊び道具”を手放すはずが無い──だろうが、気後れはする。
そんな私の内心を知っているはずなのに、巫女は悠々とたらいから足を引き抜き、滴る水を布でぬぐった。
ちょいちょいと私を手招きしつつ、襖を開けて奥に消える。
私は慌ててその後を追った。
神社の中ではあったが、その部屋は畳敷きだった。その真ん中で、博麗殿はお茶を飲んでいる。事前に用意していたのか、私の分もあった。
目が座れば? と言っていたので、座らせてもらう。出されたお茶は冷たく、この暑い中にはありがたかった。
さっさと用事を済まそうと、預けられた箱を彼女に差し出す。
一目見て彼女はそれが何か察したらしい。
箱を開けて、中を改める。どうやら何かの符のようだった。
「ああ、頼んでいた結界符ね。うんうん……確かに。相変わらず、こういう事に関してはいい仕事してるなぁ、あいつ。
ありがと、藍ちゃん。あいつにも礼言っておいて」
「ら、藍ちゃん……!?」
あまりに不似合いな呼び方に、私が飲んでいたお茶を噴出しそうになる。名前を当てられた事すらその前では瑣末事だ。
その様子を彼女は楽しそうに見ていた。確信犯だ、この女。
「あら、気に入らなかった?」
「私を見て、そういう風に呼ぶ人は初めてです。私を子ども扱いできるほどお歳を召されているのですか? そうは見えませんが」
幾許かの頭痛を覚えながら切り返す。巫女は動じない。主の知り合いだけあって、相当なヤツだ。
「あいにく普通の人間だから見たままの年齢よ。といっても、正確なところは知らないけれど。親無しだし」
「あ……それは……失礼しました」
彼女は初見では胡散臭いヤツで、いまいち性格も悪そうだ。
だが、それでも──踏み込んではいけない場所はあると思う。だから、私は素直に謝った。
博麗殿は気にしないで、と手を振る。思っていたよりは悪い人間ではないようだ。
「紫にはなんて言われてる? ああ、遅くなるまでにはって事は、あと二刻くらい平気ね。
おいしいお茶菓子あるのよ。食べていきなさい」
「……頂きます」
さっきからこれでもかとばかりに色々読まれているのには、もうこの際目を瞑ることにした。慣れとは恐ろしいものだ。
差し出された羊羹を食べながら、お茶を飲む。先月までなら甘いものということで食べなかっただろう。
茶菓子の甘さもあってか、彼女とはよく話した。
主に話していたのは私だと思う。初めて会う人間だというのに、ずいぶん妖怪らしくないことだ。
だが、彼女と話すのは楽しかった。彼女自身も話題が豊富で、世間話から陰陽術、果ては異国の魔術にまでその知識は及んでいた。
“藍”と呼ばれるようになってからの私は、たいした知識は持っていなかったから彼女との会話はずいぶんありがたいものだった。
これが、私と博麗殿の出会い。私の運命を決定付けた、もう一人との出会い。