[??? - Somewhere -]
黒く、大きく、厚い本。
一目でわかる、それは魔法の力を純化させたもの――魔道書。
この本に書いてあることを、知りたかった。
封印を解いて、本を開いてみたかった。
本に触れた。
封印に触れた。
そこに込められた想いが、肌を通して何かを訴えかけてきた。封印に秘められた、一つの誓い。誓いの内容は決して明かされないが、確固たる強い意志がそこにあった。
この赤い封印に宿る強固な意志の正体を、その裏側を、知りたくなった。
封印を施した――彼女の想いを。
[Prologue - Forest -]
魔法の森は、比較的内陸部に存在することもあって、冬は冷え込みが厳しい。
魔理沙は森の中の降り立つと、冷え切った手を顔に当てたりしながら少しずつ体の感覚を取り戻していく。寒い中の長時間飛行は慣れてはいても大変なものだ。通常なら手袋くらいは身に着けるのだが、今回がそうだあったように色々と戦いが予想されたような状況ではそうもいかないのだ。一瞬の感覚のズレが勝敗を分けかねない場面では、手袋は邪魔になる。だから、どれだけ寒くても、素手。冷たい。
もう目の前、広い家、窓からもれ出る暖かそうな光に安堵して、あとわずかな距離を歩く。早足気味で。
体を時折震わせながらそこにたどり着くと、木製の大きな扉の取っ手を掴んで、間を置かずがちゃりと開けた。
「ただいまー! ……あー、寒かったぜ」
扉の向こうは、暖炉の暖かい空気。
魔理沙はただいまの挨拶だけ済ませると、即座に暖炉の目の前まで向かった。
ほっとする瞬間だ。帰ってきたなあと感じる。冷え切った体をゆっくりと癒してくれる暖かさがここにはある。
魔理沙が暖かさにぽけーっとしていると、隣部屋からひょっこりと覗き込む顔を発見した。目が合った。
「おかえり、今日は特に寒かったでしょう。今ご飯作ってる途中だから、もうちょっと待ってね」
「おお、さんきゅ」
ひょい。
彼女は魔理沙にそれだけ言うとまた隣の部屋……ダイニングに戻っていった。その奥がキッチンだ。そちらのほうからは実に美味しそうなコンソメの香りが届いてくる。
ついでに、少し経ったあとには楽しげな鼻歌なんて聞こえてきたりする。
んーーーー、と伸びをひとつ。暖炉に手を伸ばしてみたり足を伸ばしてみたりとくつろぎ放題。
これぞ素敵なマイホーム。幸せを実感する瞬間。
柔らかい絨毯の上をごろごろ転がって疲れを癒しつつ、待つこと約6分。
(よし♪ 今日も上出来)
遠くのほうから微かに、満足そうな響きの声が聞こえてきた。
満足いく出来のようだ。ますます期待する。
(それじゃ、お皿……と。どれがいいかしら……魔理沙が気に入りそうなデザインは……と)
デザインまで凝ってくれるらしい。いいサービスだ。
しばらく無音の時間が続く。皿を選んでいるのだろう。
さらに待つ……
(……って、魔理沙!?)
何か叫び声が聞こえて。
すたすたすたすたと近づいてくる足音が聞こえて。
ずんずんずん。足音は扉のすぐ向こう。
ばっ! と、彼女は絨毯に転がる魔理沙の目の前に現れた。
「なんで魔理沙がここにいるのよ!? なんで私が魔理沙に暖かいご飯作ってあげないといけないのよ!? なんでただいまなのよ!? ここは私の家よ!!」
一気に、まくしたてた。
その勢いに、魔理沙は絨毯の上に顔から突っ伏す。
「つ……ツッコミ遅え……」
ちょっと、くらくらした。世界ノリツッコミの長さ選手権大会があれば間違いなく新記録を打ち出していただろう。そんなどうでもいいことを脳裏に浮かべながら。
上半身だけ起き上がる。
「あんまり自然に会話してくれるもんだから私もすっかりこの家の主の気分になってたぜ」
「そ……それは! その、なんというか、流れで、つい……」
彼女は少し頬を赤らめると、目を横にそらしながら弱い声で反論した。
しばらく目を閉じてぽりぽりと頬を掻く彼女。うー、と口の中でもごもご唸っている。
やや間を置いて復活し、また怒ったような表情と声を取り戻す。
「と、とにかく! ここは私の家! さあ帰って!」
「そう言わないでさ。アリスの料理、美味いんだよなあ」
「え!? ほんと? ……わ、私も実はちょっとこれには自信が……って! お、おだててその気にさせようたって無駄なんだからね! 帰って帰って!」
「いやー、その割にしっかりと皿2枚入れてくれてるようなんだが」
彼女の両手に、クリームシチューがたっぷり入った丸い皿。両方とも同じものだ。どう考えても一人分とは思えない。
ふん、と彼女は口を尖らせる。
「盛り付けてしまったからには仕方ないわね! 本当は明日の朝の分だったんだけど! 一人じゃ食べきれないからちゃんと責任持って処分しなさいよ!」
「……」
彼女の言葉に、沈黙と視線で返す魔理沙。
腕を組んで少し考え込んでみたりする。熟考。
えーと、と前置きしてから。
「……ああ、つまり、食べていいのか?」
「食べ終わったらちゃんと帰ってよ」
「おう」
魔理沙の目がきらん、と輝いた。
「ところでひとつ質問なんだが」
「何よ」
「その……私の皿は、もしかして、そっちか?」
魔理沙が指差した、彼女の右手側の皿。
勇気を出して尋ねてみた。答えは、あっさりと返ってくる。
「そうよ」
彼女はそっちを魔理沙のほうに少し突き出してみせた。
世にも珍しい、漆黒の皿に浮かぶクリームシチューの図は……
激しく食欲を削ぐ情景だった。
「あー、食った食った。美味かった」
ふー、と大きく息を吐いて、ソファに座って足を伸ばし、テーブルの上に乗せる。
とても、行儀が悪い。彼女は――本来の家の主であるアリスは、ため息をついてみせる。
「あんた人の家でくつろぎすぎ」
「アリスの家だったら、私の家みたいなもんだろ」
「なんでよ!? ……ど、どういう意味……よ!」
何故か顔を赤らめて疑問をぶつけるアリスに、魔理沙はさらりと答えた。
「美味しい匂いがしたからただいまって門をくぐると暖かい部屋と美味しい料理が出迎えてくれる。ここは素晴らしいマイホームだな。これからもよろしく」
ぽん、と肩を叩くようなジェスチャー。
にこりと営業スマイル。
……すっと、冷めた目でアリスが魔理沙を見つめかえす。
「じゃあ、もし私が魔理沙の家を急にお邪魔してもご馳走してくれるのかしら?」
「爬虫類とか両生類とか、好きか?」
「……」
アリスはただ目を閉じて頭を抱え、返事はしなかった。
「なあ、アリス」
結局食後の休憩と言ってまだ居座っている魔理沙と、勝手にものを漁らないようにと監視のため同じ部屋にいるアリス。二人でソファに座ってゆったりとくつろぐ。
不機嫌な表情――とは裏腹の、特に心底嫌がっているわけではなさそうな声で、アリスは魔理沙の呼びかけに、何よ、といつもどおりの返事を返す。
「言っておくけどデザートなんて出ないからね。今日は何も材料がないんだから」
「……あったら作ってくれるのか?」
「っ! そ、そんなわけないでしょ! なんで私があんたなんかにそんな」
「あーはいはい。だろうと思ったぜ。だったらわざわざ言うな」
「な、なによ、私がケチみたいに……私だって本当は」
まだ反論を続けるアリスに、魔理沙はしっと手を振って黙らせる。
うるさい、とアリスを軽くあしらうときのいつもの仕草。
「……」
アリスは、不満そうに頬を膨らませながらも、言葉を中断する。
「で、人形の話なんだけどな」
気にせず魔理沙はアリスから目を離し、首を上方に上げて話を変える。
その視線は、向かい側の壁にあるガラス張りの棚に向けられていた。古いが丁寧に手入れされていて汚れも傷も特に見られない、一目で大切なものが飾ってある場所だとわかる棚。
人形の話、と魔理沙は言った。棚の中に飾られているのは、その通り、たくさんの人形たちだった。実に多種多様に取り揃えられている。少なくともそこに飾られているのは洋風の人形に限られているようだったが。
「あいつ」
魔理沙は、棚に向かって指をまっすぐ立てる。
あいつ、と言ったが、この距離では棚を指しているという以上の情報は得られない。それを視線で訴えかけると、魔理沙は改めて言葉を付け加えた。
「あの白いの。前に来たときも気になってはいたんだ」
「白いの……ああ」
アリスはその言葉に頷きながら立ち上がり、棚のほうに向かって歩く。棚のガラス戸を開けると、その中から一体の人形を取り出した。それを両手で持って魔理沙のほうに振り返る。
「この子?」
「それそれ。それだけさ、他のと違って……なんつーか、地味ってわけじゃないけど、色が少ないよな」
その人形は、他に並べられたものと同様に西洋風のごく普通の人形だった。ただ一点、他と際立って違う特徴が、魔理沙の指摘したとおり、服装の違い、色の違いだった。
棚に並べられた人形の服装はそれぞれ異なっているが、いずれも彩度の高い色を必ず使用しており、また決して単色ではまとめられておらず、カラフルで派手である。そんな人形がずらりと並んでいて、間近くで見ると目が痛いほどだ。
アリスが今手にした人形だけは、しかし、例外だった。その服装はほぼ白一色でまとめられており、唯一ワンポイントにピンクのリボンが一つつけられている程度の色彩になっている。服の構造自体は他の人形と似たようなもので、フリルを多用した可愛らしいものである。
「人形の服ってアリスが全部作ってるんだろ?」
「そうよ。特殊なものを除いてね」
「その人形もか? なんか……らしくない、んだが」
アリスの服の趣味は魔理沙もよく把握している。一言で言えば、派手好き。その人形の服装も魔理沙からすれば地味とは言い切れないものの、アリスの趣味から考えれば極めて地味だ。
アリスはそう? と軽く首をかしげたあと、人形を軽く抱きかかえて、にこりと微笑んだ。
「でもこの子にはこの服が一番似合うと思わない?」
どこか確信がこもったような声。
魔理沙は、眉をひそめて、棚の中に並ぶ人形と、アリスが抱える人形を見比べる。
……どう見ても、同じ種類の人形であって、そこに何らかの違いがあるようには思えなかった。
「私にはわからない世界だ」
「あは、そうね。真っ黒ばっかりが好きな魔理沙にはわからないかもね」
「言っとくが真っ黒な皿は好きじゃないぜ」
「へえ」
この機会にと先程の皮肉を交えてみるが、アリスは気にも留めずに、人形の頭を撫でながら空返事を返した。ちゃんと聞いていたかどうかも怪しい。
真っ白な服の人形。魔理沙には他と何が違うのかよくわからない。
似合うかと言われればなんとなくそんな気もする。
「色は少ないけど、リボンが多くて結構大変だったのよ」
誇らしげにアリスは言った。そう、言われてみれば確かに、リボンの数は他の服に比べて多かった。ピンク色のリボンは一つだけだが、よく見ると白いリボンがたくさんついている。なかなかに面倒そうだ。
「余程特別な思い入れがある人形なのか?」
不思議に思って、魔理沙は尋ねる。
やはりそれ一つだけ服装の趣味が明らかに異なっていることがどうしても腑に落ちない。
アリスは、ふと黙り込んで、人形を抱えたまま少し俯く。
……ちょっと真剣な顔で、人形を覗き込んでみる。
魔理沙が次の言葉を待っていると、アリスはあはは、と軽く照れ笑いを浮かべながら、言った。
「そうなのかしら。私も、よくわからないの」
そう言って、もう一度人形を、その髪を軽く撫でた。
[- Nowhere -]
泣き声が聞こえた。
しくしくなんて擬音語には程遠い、喉を枯らすほどの嗚咽。
深い悲しみと絶望を、声にならない叫びにするための泣き声。
遠くから聞こえてくるような響きを持ちながら、すぐ近くで聞くようなボリューム。
誰かが……泣いている。
ずっとずっと、泣き続けている。その長さはよくわからないけれど。
ああ。そんなに泣かないで。私まで悲しくなってしまうから。
その悲しみを聞かせて。私が力になれるかもしれないから。
一人で泣かないで。私が受け止めて、楽にしてあげられるから――
[The past 1 - Room -]
真っ暗だった視界に、少しずつ光が差し始めていた。ああ、そろそろ目が覚めるんだなとわかる。長い長い眠りから今まさに私は目覚めようとしている……そんな気がした。だからこんなに息苦しいのか。衰えた体力で無理に立ち上がろうと頑張っているから。
とても気分が悪い。
もう限界、もう無理だって言ってるのに無理やり走らされているような気分。苦しい。目が回る。空気が足りない。起きたらもっと苦しいのかもしれない。
光が急激に強くなっていく。私はまだ目を閉じている。
もう起きなければいけないようだ。何かが、私にそれを要求していた。もう、逆らえない。
まだ回らない頭より先に、目はゆっくりと開いていった。
「え?」
目を開いてみると、そこはそれほど明るい場所でもなかった。ぼんやりと明るい程度。
視界に映るのはレンガ。そして光り輝く宝石のような塊。おそらく、今見ているものは天井で、宝石はガラス製の照明。無意識でそう思考する。だが奇妙な違和感がある。なんだろう。そうだ、照明が小さすぎる。違う。遠すぎる。天井が高すぎる。ここはただの部屋ではなさそうだ。
そこまで考えてから、むっくりと体を起こす。特に痛みはない。運動不足で体が弱っていたというわけでもなさそうだ。当たり前だ、そんな長い間寝込んでいたようなつもりはまったくない。とはいえ、いつからどうして眠っていたのか――
そして相変わらず部屋には違和感。なんというか。
などと考えていると、先程、起きた直後に聞こえた声と同じ声が、背中のほうからまた聞こえてきた。
「に……人形が、動いた?」
驚きが露な声。幼い少女のような声。何だろう。どこか懐かしい声のような――
いや、それよりその声は今何と言ったか。人形が動いた? 勝手に?
それは一大事だろう。どこかの幽霊にでもとりつかれたに違いない。そうでなければ、呪われた人形に違いない。私も是非それを見せて欲しい。
声のほうに振り向く。
「……」
……
えーと。
しばらく思考が固まってしまった。
目を閉じる。今見たものは何かの間違いに違いない。
落ち着こう。
声のイメージどおりの幼い少女がそこにいた。人間ならば下手をすると年齢まだ一桁くらいの少女だった。それだけのことのはずだ。さあ自分を取り戻して再度目を開けよう。
ぱっちり。
正面から向き合う私たち。目と目で通じ合う何か。
……何か。
「きゃあああああああああっ!?」
悲鳴は、私のもの。
目があった女の子は、見間違いようもなく、その……
巨人だった。そんな。ありえない。何を食べて成長したらああなるのか。
「しゃべった……!?」
女の子のほうもまた大きな目をまん丸にしてさらに驚いているみたいだった。きゃーきゃー言い合う私たち。いや待て。今悲鳴を上げるのは私だけの役割のはず。巨人も私たちを見慣れていないのだろうか? ……あれ、私も私で、妙に落ち着いている。不思議。
とりあえず、静かにしてみる。今すぐ食べられそうな勢いではないようだった。ならばまずは現状認識から始めよう。
彼女の大きな顔を、見つめて。
「ええっ、動いてしゃべる人形なんて聞いたことないわ……っ。あ、あなた、何?」
現状認識。さて。
人形?
どう見ても少女は私に話しかけてみるみたいで。人形って、私?
巨人から見れば私たちは人形のようなものなのかもしれないけれど。
「……ええと。落ち着いて、大きいひと。深呼吸するといいらしいわよ」
「……う、うん。すーはー……すーはー……」
びゅん。
呼吸だけであやうく吹き飛ばされそうになってしまった。これは怖い。危険。
ともあれ、大きな少女は少し落ち着きを取り戻した……のかどうかは不明。
さて、私もその間に落ちついて少女を観察してみた。すぐに気づいたのは、その顔についてだった。大きさに圧倒されていて少しの間見逃してしまっていたが、彼女は――
私もここで一度、間を置く。お互い冷静になってみよう。
「落ち着いたかしら? さて、冷静になって考えてみましょう。人形が動いたりしゃべったりするわけないでしょ?」
まだ幼い少女のようだからものごとの判断は難しいのだろう。やんわりと諭してあげる。
少女は、しかし、自信なさそうに目を伏せた。
「に……人形がとっても自己否定してる……」
まだ私を人形と言うか。失礼だ。
私はれっきとした――
れっきとした――
――アレ?
「ええと、人形さん。……鏡、見る?」
む。
私を試そうと言うのか。
受けて立ってあげよう。首を縦に振って、肯定の意思を返す。ほら、人形にこんなことができると思って?
少女は戸惑ったような顔で、大きな机の上から手鏡――少女にとって手鏡のサイズであるもの――を持ち出して、私の前にぬっと差し出した。私の全身をくまなく映し出す鏡。しげしげと眺めてみる。
ほら、どう見ても。
どう見ても。
「……」
「……」
えーと。……その。
こほん。ひとつ咳払いして落ち着く。
右手を上げてみる。鏡の中の私は左手を上げた。ほら、この鏡は偽者に違いない。いやいや落ち着いて自分。それでいいの、それでいいのよ。目を閉じてみる。何も映らなくなった。ほら、この鏡はまやかしに違いない。って私はバカですか? ……えーと、えーと。
「……トリックアート?」
「普通の鏡よ!」
「……鏡よ鏡よ鏡さん、この世で一番人が来ない神社はどこですか?」
「人形さん、現実逃避始めちゃった」
「人形さんって言わないで。……私は……その」
「鏡見て、なんに見える?」
「……人形さん……」
しくしく。
だって、いくらありえないなんて否定したくても。鏡に映った全身像は、どう見ても人工物特有ののっぺり感で満たされていたわけで。むしろなんか微妙な光沢があるわけで。よく見ると、鏡に頼らずとも、腕とか見下ろしたら明らかに関節のところに隙間があったりするわけで。
そう。所詮私は人形さんだったのね。
所詮は、人に弄ばれるだけの存在だったのね。さんざん遊ばれ辱められたあげくにもう飽きたと捨てられる悲しいお人形さんなのね……。
いえ。
――本当に?
「――認めるわ。確かに今の私はこの人形になっているみたいね。でも、本来の私は違う」
そう、そこを間違えてはいけない。
現実を受け入れてしまえば、さっそく次のステップまで思考を巡らせることができる。
「本来?」
「私は目が覚めたとき、この部屋の天井を最初に見た。そして天井が遠すぎると思った。貴方を見たとき、巨人だと思った。それは、私が本来からこの姿というわけではなく、本来は貴方と同種の生き物であったということを証明しているわ」
「しゃべっているあなたは、この人形さんにとりついた幽霊か何かってこと?」
ひょい、と少女が私の視線を遮る鏡を上げて、私と向き合う。
私は……その質問には、困ってしまう。
では本来の私というのは。そこが最大の問題だった。
「そうなのかしらね。どういうわけか、私のこと……自分のことが何もわからないわ。思い出せないの」
そう。
私は間違いなくこの人形になる「前」があったはずなのに、そのことが何も思い出せない。私はれっきとした何、だったのだろう。今どうしてこんなことになっているのだろう。何かの呪術にひっかかってしまったのか。
「ますます幽霊っぽいわね――」
少女はそう言って。
言い終えると同時に、あっと叫んで、ずいっと私の前に顔を近づけてきた。その目が輝いている。
がしっと、大きな両手が私の体を両側から包み込む。……痛くはない。掴まれたという感覚はある。
少女は、叫ぶ。期待に満ちた声で。
「私の願いが通じたのかもしれない! 私、もっと強い、誰にも負けない究極の魔法が欲しいって願ったの! 絶対に、使い方の工夫とか戦いのテクニックとかそんなものを全部無意味にしちゃくらいの強い魔法! あなたが……私の力? すごい力持ってたりするの?」
興奮して私に語りかける少女。
願い? 魔法? 力?
――何だろう。何か、確かにどこかでそんなことを、聞いたような。誰かがそれを渇望していて――それを私は覚えている。誰かが、そう。
「そう。泣いていたのは、貴方だったのね。眠っている間に聞いたのは」
起きて、落ち着いて彼女の顔を観察したときに気づいたのは、彼女の目が真っ赤になっていることだった。つい先程まで泣いていたのだろう。
「……う。……そ、そうよ。だって……悔しかったのよ……人間なんかに……人間の魔法使いなんかに……!」
少女は表情を歪めて、歯軋りしながら答えた。
その表情にあるのは、悔しい、なんて程度のものではなかった。自らに対する憤りと、その人間に対する執着心で満ちている。執着心は、恨みではない。嫉妬のようなものに近いのかもしれない。
「貴方は、魔法使いなのね」
「そうよ! 私は、アリス・マーガトロイド。本当の魔法使い。魔法じゃ絶対に誰にも負けないはずなのよ!」
(それは――究極の魔法なの――)
「――え?」
少女が名乗った名前。アリス・マーガトロイド。
それを聞いた瞬間……何か、遠い昔に聞いたような言葉が、私の脳裏に流れた。何か大切なことを思い出そうとしている。そんな気がする。
でも、そこで既視感は終わり。すっと、そのイメージが解けて消えてしまう。
「アリス……アリス・マーガトロイド。知ってるわ。私は、その名前を知っている」
「ほんと!? よくわからない幽霊にまで知られてるなんて、さすがね、私」
「何かの本で見たのかしら」
「本にまで載っちゃってるんだ。さすが私ね。なんだろう。世界魔法使い図鑑みたいな?」
「はじめてでもよくわかる:将棋の定石第一歩……だったかしら」
「なんでそんな本に私が載ってるのよ!?」
「確か桂馬の紹介に」
「地味ー!? ……って、そんなことはいいのよ! さあ答えて! あなたは私の力として現れてくれたんでしょ?」
ずいっとさらに詰め寄ってくる。
ああ怖い。もともとサイズが違うだけに迫力は物凄い。
「力って言われても」
困る。なんせ気がつけば人形になっていて、その前の記憶が何もないというのに。
実は物凄い能力を秘めていたりするのだろうか? 本当に少女、アリスを助けるために私はここにやってきたのだろうか?
「なんかありそうなもんでしょ! 必殺技とか」
「……必殺技」
「ほら、全身が刃物のようなものに変わって敵に特攻するとか、敵に抱きついて自爆するとか、敵の胃腸の中で溶けて悪玉菌になって苦しめるとか」
「私が無事に済みそうな技がないのは気のせいかしら……」
最後のなんて、前提条件として食べられてるし。
うーーーん。
力とか魔法とか、そのあたりのキーワードをもとに何か思い出せないかと頭の中を探ってみる。
何かすごく引っかかってる気がするかれど、その引っかかりがなかなか記憶の糸を手繰り寄せてくれない。本当に私は一体誰なんだろう。
「待って。私の魔法の力として願ったわけだから……やっぱり力を使うのは私なのかな。この人形をサクリファイスして使えってこととか……」
……考え込んでいるうちに、何やら不穏な単語が聞こえたような気がしないでもない。
「そうよ、私が魔法の力であいつを圧倒しないと意味がないのよ。この人形がそんな魔法を教えてくれるとか……まさかね」
ちらちらと、独り言のふりをしたプレッシャーの視線が私に降りかかる。
魔法。うーん、魔法。使えるものなら使って、まずはこの状況を脱出したいもので。試しにそれっぽく両手を前に突き出してみたりする。念じてみる。例えば火。今ここに火の元素を呼び起こして集中させるイメージ。魔法というのは、魔力を物理現象に変換させる技術。火を生み出す魔法に必要なものは火の元素を生成して形作る作業と、熱量。それらの原料となるものが、魔力。
――で、どうしたらいいんだろう。やっぱりダメだ。理屈ではわかっていても実際にできるかどうかは別の話。というか、この人形の体に魔力なんてものがちゃんと存在しているかどうかも怪しい。……いや、待って。その前にどうして私はここまで魔法のことを知っているのか。これこそ私が魔法使いである可能性を示しているのではないか。ただの勉強家かもしれないけれど。
ああん。もどかしい。
悩みこんでいると、アリスはふう、とあきらめたようにため息をついた。
吹き飛ばされそうになった。
「いいわ。あなたがこのタイミングで私の前に現れたのは偶然じゃないだろうし、記憶が戻って私のために役立ってくれるまで待つわよ」
「……もし本当に無関係だったら?」
その時はどうするのだろうか。なんだか、腹いせに壊されたり実験対象に使われたりしそうで怖い。いや、きっと、する。
「そのときは……」
アリスは、私の顔をじーーっと覗き込んで。
言い放った。
「がっかりするわ」
もっともだ。
会話のノリが自分的にクリティカルヒット。
(人形さんの立場では)それなりに深刻なはずなのに、何ともお気楽なノリの見え隠れする遣り取り。こういうの好きです。
参拝客の来ない神社について知っている人形の正体は?
続きにも期待。
全体に流れるまったりした雰囲気と、どこか切ない謎を秘めた人形がいい感じ…。
最近アリス熱が上昇中なのに加速しちゃうじゃないですか~(笑
桂馬の紹介~地味ーーの流れ最高です!!
マジで飲むヨーグルト吹きました(爆笑
誤字・・・?