比那名居天子はベッドに横たわり、天井をぼうっと見上げていた。
理由はなんてことがない、ただ暇なだけだ。
寝返りをうつと溜息が自然と出てくる。
することもなく喋る相手もいない。人恋しさというのはこういうものだろうか。
外界に降りようにも生憎の豪雨。こんな天候の時に家を訪れる酔狂な客はいないだろう。
そう思っていたのだが、
「お邪魔しますわ」
「ほぉわあああ!」
突然目の前に顔を出した紫に驚いた天子は素っ頓狂な悲鳴を上げてしまう。
紫はにやにやとそれを笑うだけだ。
「か、勝手に入ってくるなって言ってるでしょう!」
奇声を上げてしまったことに赤面しながら天子は激昂する。
「ごめんなさいね、ノックするドアが見当たらなかったもので」
「スキマから来なければいいでしょうが」
「あら、天子は私に来てほしくないのかしら?」
からかうような紫の言葉に天子は言葉をつまらせる。
視線を右往左往させ、口を閉じたり開いたり。
「別に、そうは言ってないでしょうっ。ただ、急に来られても困るってだけよ」
気恥ずかしいせいで視線は合わせられなかった。
本当のことは言いたくないけど、嘘もつきたくない。
「それは良かったわ」
「うー……」
胡散臭い笑みを浮かべる紫に唸ることしかできない。
天子は咳払いをして言う。
「それで。何か用でもあるの?」
「天子が寂しがってると思ったから、顔を見に来ただけよ」
「なっ、だ、誰が寂しがってるのよ!」
まさに思っていたことを突かれた天子は怒鳴ることで気恥かしさを誤魔化す。
紫はさも不思議そうに首をかしげて言う。
「違うの?」
「違うわよ!」
「そう。それじゃあまたね」
「え、あ、ちょっと!」
言うが速く紫はスキマに姿を消す。
部屋には静寂が戻り、呆気に取られた天子がだけが残される。
しばらく呆然としていた天子は倒れこむように枕に顔を埋める。
「……なによ。別に帰れなんて言ってないじゃない」
枕に顔を埋めながらの呟きは誰にも届かない。
「なんだ、やっぱり寂しいんじゃない」
はずだった。
「紫! 帰ったんじゃないの!」
背中越しのかけられた声に飛び起きると、先程と変わらず優美に微笑む紫の姿があった。
「言ったでしょう。『またね』って」
「……あんたは」
ああ、本当に胡散臭い。どこまで本気なのだろうか。
「それに天子も私が帰ると寂しいみたいだし」
「なっ!」
口をぱくぱくさせる天子をニヤニヤと見ながら、紫はスキマからラジカセを取り出す。
再生スイッチを押すと、先程の天子のつぶやきが鮮明に再生された。
「『……なによ。別に帰れなんて言ってないじゃない』。いやー、これがツンデ、おっと」
頬を真っ赤に染め、肩で息をする天子はラジカセ目掛けて緋想の剣を投げつける。
が、タッチの差でスキマにしまいこまれた。
「危ないわね」
「消せ! 今すぐこの世から消せ!」
「だが断る」
「消せー!」
それから数十分。
緋想の剣を振り回し続ける天子とひらひらとかわし続ける紫の姿があった。
◇
散々紫にからかわれた天子が向かったのは衣玖の家だった。
天子の吐き出す愚痴を衣玖が聴き続けるというのが最近の定番行事である。
「一体なんなのよあのスキマ妖怪は!」
天子は力任せにテーブルを叩くとその衝撃でカップが宙に舞う。
対面の衣玖は顔をしかめることもなく、たしなめるように言う。
「出来ればテーブルを叩くのはやめてくれませんか、気に入っているので」
「そんなことはどうでもいいのよ!」
再びテーブルを叩く天子。カップの中身が完全に溢れる。
よくはないですよ、天子様。
衣玖は心の中で溜息をついた。
「人の事をおもちゃにして! ええい、思い出しただけで腹が立つ!」
「ならば、拒絶すればいいでしょう。はっきりと『嫌い』だと言えば」
「あ、いや、その……嫌いってわけじゃ……」
先程までの勢いは何処へやら、途端にしおらしく天子。
その様子に今度ははっきりと溜息をつく衣玖。
「では、好きなんですね」
「ば、何言ってるのよ! そんなわけないでしょう!」
「なら、何故拒否しないのです?」
「い、いやその……誂われるのは嫌だけど外界と繋がりできたのも紫のおかげだし……それに、たまに優しくしてくれるときもあるし……落ち込んでる時に励ましてくれたり、頭撫でてくれるし……」
言ってる最中からだんだんと頬が緩んでくる天子。さっきまで激昂していたとはとても思えないほどに表情はとろけていた。
「……はあ」
それを聞かされる衣玖はたまったものではない。初めのうちは愚痴の方が多かった割合も最近では惚気の方が多い。
良かったことといえば、コーヒーに砂糖を入れなくて済むことだろうか。
「要はやられっぱなしが嫌なのですね」
「それにぎゅってしてくれたときすごい暖かくて……」
聞けよ。
「天子様。紫様がおいでになってますよ」
「ふぇ!? ど、どこ!」
あたふたと周囲を見渡し、緩んだ顔を隠すように手で覆う。
ああ、確かにこれはからかいたくもなりますね。
衣玖は納得したように頷く。
「それがいけないんですよ」
「あ、あれ……どこにも紫いないじゃない」
だから聞けよ。
「天子様は素直に反応し過ぎる。それだから紫様もからかうんですよ」
「え、あ、うん。そうね。そうかもしれないわ」
やっと現実に戻ってきた天子に衣玖は続ける。
「だから、何を言われても切り替えしてやればいいんです」
「例えば?」
「そうですね」
ふむ、と衣玖は考える。
わかりやすいのは……
「天子様」
「な、なに?」
じっと眼を見つめられた天子は思わず身を引いてしまう。
こちらを射ぬくような鋭くまっすぐな視線は天子だけを見ていた。
「愛しています」
表情を変えないまま、そんなことを言った。
「ぶっ! な、ば、あ、あう……」
「ほら。そんな反応された誰だってからかいたくなりますよ」
「う……じゃ、じゃあ、どうすればいいのよ」
「普段攻めている者は攻められると弱いものです。さっきなら『あら、奇遇ね。私もよ』くらいの返しは欲しいですね」
「そ、そんなこと言えるわけ無いじゃない!」
天子はばんばんと激しくテーブルを叩いて叫ぶ。
「それが無理なら今のままですよ。それでいいならどうぞ」
「うぐ……」
確かにこのままでは一生おもちゃにされることになるだろう。
それはなんだか悔しい。一度くらい手玉にとってみたい、主導権を握ってみたい。
しかし、凄まじく恥ずかしいことを言わないといけないのは……。
「うむぅ……」
天子は羞恥心と紫、二つを天秤にかけるがなかなか一方には傾かない。
ふらふらと行ったり来たり。
結論が出るには時間がかかりそうだ。まあ、どちらにせよ。
考え込む天子を横目に衣玖はコーヒーを入れなおしつつ思う。
面白いことにはなるでしょうね。
◇
いつかと同じように、比那名居天子はベッドに横たわり天井を見上げていた。
しかし、表情は固く、引き締まった口元は強い決意を感じさせる。
「こんにちは」
いつものように紫はスキマから笑顔を覗かせる。
普段なら声を上げてしまうところだが、今日の天子は違う。
「こんにちは。今日も綺麗ね紫」
精一杯の笑顔でそう言いのける。
内心は破裂しそうな心臓を抑えこむのに必死だったが。
「……え」
そんなことはさも知らず、白い鴉でも見たかのように言葉を失う紫。
「どうかしたの紫?」
「な、なんでもないわ。今日もかわいいわね天子」
なんとか平静を取り戻した紫は茶化すように言う。
紫の予想なら『ばっ、何言ってるのよ!』と返ってくるはずだった。
「やだ、紫ほどじゃないわ」
「あ、うん……」
しかし、優雅な笑顔であっさりと返され、ペースは乱され続ける。
なんたって『可愛い』なんて言われたことは殆ど無いのだ。
からかいの言葉だとはわかっていても、いつものようには飲み込めない。
「紫? 顔赤いわよ?」
「ひゃっ」
天子の冷たい指に頬を触れられた紫は思わず可愛らしい声を上げてしまう。
白くて細い指に触れられた箇所は余計に熱くなって、それを意識すると全身の体温があがった。
熱病にかかったみたいに思考に靄がかかる。
「もしかして照れてる?」
「そんなこと……」
「嘘。こんなに顔真っ赤にして」
「あう……」
鼓動がうるさすぎて、天子の声が遠くに聞こえる。
「ふふ、可愛い」
「~ッ!」
目の前でそんな優しく微笑まれたら、もう何もわからない。
恥ずかし過ぎて死にたくなる。だけど、もっと声を聞いていたい。笑顔を見ていたい。
もっと触れていたい。
「天子……」
気がついたら、紫は天子は抱きしめていた。
火照った体を冷ますように天子を強く抱きしめる。
苦しかった息も今は落ち着き、耳元を撫でるように擦れる絹のような髪が心地よい。
それが揺れるたびに香る桃みたいに甘い匂いはどんな香水よりも柔らかい。
天子は何も言わず、ただ為されるがままだった。
間近にある天子は柔らかくて、暖かくて、ずっと抱きしめていたい。もっと体温を感じたい。
ただその思いだけが胸を渦巻く。
「天子……私は、あなたが……?」
そこではたと気がつく。
天子がまったく抵抗しないのはどうしてだろうか。
それだけならともかく、なんだかぐったりしてるような。
「天子?」
距離を離し、表情を伺う。
無理が祟ったのか天子は、夕焼けよりも顔を赤面させ目を回して意識を失っていた。
「やっぱりあなたには無理ね、主導権を握るなんて」
「うるさいわよ……」
「まあ、だけど、嬉しかったわ。可愛いなんて言われたことなかったから」
「あれは! からかっただけで!」
「はいはい。わかってるわよ」
「くっ……」
「それで。そろそろやめてもいいかしら。足が疲れてきたわ」
「……誰もやめていいなんて言ってないでしょ」
「甘えん坊ね。次はあなたがしてくれると嬉しいのだけど」
「…………ふん」
気が向いたらね。
囁くようなその声は、
「楽しみにしているわ」
優しく天子の頭を撫で続ける紫にしっかりと届いた。
ピクッ
すんごいニヤニヤが止まらなかった!!!
でも衣玖さん、今度からは純度100%の惚気が来そうですよ。
艶妖と形容してしかるべきお色気と、少女のような初々しさを併せ持つ稀有な存在である事も先刻承知だ。
攻める時はあくまで強く、だけど受けに回れば一転弱々な彼女も実に素晴らしいよネ。
だが、だがしかし。
このお話を読んでいる最中に、ある種のいたたまれなさ、或いは気恥ずかしさを感じたのも否定できないのだ。
つまりは作者様の想像力に私の妄想力がついていけなかった証と言えるのだ。
まだまだ修行が足りないぜ、俺。
反撃に弱いゆかりん可愛い愛してるよ
顔のニヤけが収まりません、弄られて恥ずかしがる天子も、反撃されてうろたえる紫も、どっちも可愛すぎる!
ゆかてんもっと増えろ!
ゆかてんは俺のジャスティス
に、終わることなく、しっかりのびちゃってる天子さんがいいっす。
どっちも素直じゃないねえ
反撃されて照れてる紫可愛い
ゆかてんもっとはやれー
ゆかてん最高、もっとやってくれ
攻められすぎるととんでもない反撃を行うゆかりんgj
「ゆかてん」も「てんゆか」も素晴らしいですね。