迷いの竹林には、虫の声は届かない。
それは、とても静かな様な、深々と降り積もる雪の様な夜。
それでいて、パートナーを探す蟲達の合唱を聞いている様な、ざわつく夜。
すでに人間達は明日を待ち、夢に身を任せている。
妖怪達は我が物顔で世界を跋扈している。
そんな、深夜。
そんな世界。
そんな……時刻。
僕は、少女を背負って永遠亭へと到着した。
この空間に二人の生き物がいるというのに、足音は一つだけ。
まるで簡単ななぞなぞみたいだ。
そうは思うが、僕としては、何も言えない。
苦笑したと同時に、息が漏れる。
僕の吐いた息を吸いながら、彼女……蓬莱山輝夜もゆるやかに息を吐いた。
「大丈夫かい?」
「えぇ……そうね、殿方に密着したのは初めてなの。だから大丈夫じゃないわ」
どうやら、冗談が言える程度には大丈夫な様だ。
彼女は急に体調を崩した。
誰の目にも、彼女の顔色が青かったのは明白だ。
結局、深夜ともいえる時間だから僕がここまで負ぶってきたのである。
本当は不老不死である彼女。
そのへんに捨ててきても、問題はない。
そう、物理的な問題はないが、道徳的には問題ある。
僕にだって一応は、良心というやつがある。
残念な事に呵責だって感じる。
はぁ~、と大きくため息を吐いてから、永遠亭の重い入り口を開いた。
さすがに真夜中という時間でもあり、妖怪兎も普通の兎の姿も見えない。
深、と静まりかえる屋敷は、不気味でもあり、また清楚でもあった。
玄関口で彼女を下ろし、僕は靴を脱いだ。
彼女も履物を脱いで、少しだけ安堵の息を履いている。
「おじゃまします」
「いらっしゃいませ」
輝夜はその場で三つ指を付いて僕を迎えてくれる。
どうやら、まだ立てない様だ。
「空元気は相手を心配させるだけだ」
「気丈にふるまってるだけよ。殿方に弱みは見せたくないの」
「もう遅いけどね」
謀らずとも輝夜の弱みらしきものを知ってしまった。
あの時代、もしお姫様の弱みを知る者が現れたら、一体どうなってしまっていたのだろうか。
かぐや姫は誰かに嫁入りし、子供を授かったのだろうか。
彼女が頑なに、誰かとの結婚を拒んだ理由はそこかもしれない。
身ごもるという事は、観誤もる事。
つまり、みあやまる事となる。
世界は子供への愛で満たされ、子供中心へと変換される。
それは、蓬莱人にとって、望ましくないのだろう。
彼らは汚れを嫌う。
その罰を受けている最中に、罪を負う事はしたくないはずだ。
難題は、やはり難題なのだ。
かぐや姫に惹かれた者も、かぐや姫自身も。
「負ぶろうか?」
「私、お姫様なの」
彼女の意図を理解し、やれやれ、と僕は肩をすくめてから輝夜をお姫様抱っこした。
「うふ、ありがと。そっちよ」
彼女の視線に従って、僕は慣れない廊下を歩き出す。
板張りの廊下は歩くだけでギシリと音がなり、誰か起きてこないかとヒヤヒヤするが、よく考えれば、別にやましい事をしている訳ではない。
それでも、深と静まり返った廊下をドシドシと歩く度胸もない僕は、出来るだけ静かに廊下を歩いていった。
永遠亭の中は、外から見るよりも大きく感じる。
元より立派な屋敷だが、中から見ても十分に大きいし、なにより優雅だ。
時々、廊下から見える庭はよく手入れがされており、それだけでも絵になっている。
「ここが私の部屋よ」
「ふむ」
とりあえず彼女を部屋の前で降ろす。
永遠亭の一角である輝夜の部屋だが、どうやら特別に大きな部屋という訳でもなく、ただただ角部屋というだけだった。
入り口も頑丈な扉、ではなくただの障子。
まぁ、彼女ほど護衛の必要が無いお姫様はいないだろう。
何があっても死なないのだから。
それでも、貞操の危機はるのかな。
あぁ……まぁ、彼女の事だから、幾多の男を袖にしていても、不思議ではないけどね。
さて、お姫様を送迎する仕事は終わった。
僕の任は解かれた。
後は、その辺の廊下で庭を眺めながら、考え事するのも悪くはない。
静かな空間は、やはり落ち着いていて、色々な考えがまとまるしね。
「どうしたの、入りなさいよ」
「……いいのかい?」
僕はここまでのつもりだったが……
部屋を覗くと、中は簡素な空間だった。
箪笥があり、机があり、テーブルがあり、布団があり。
輝夜は布団の上にちょこんと座っている。
入り口付近で躊躇している僕をじ~っと見つめる瞳。
しょうがない。
部屋の主の許可がでたのだ。
本日二度目のお邪魔しますを口にして、僕は輝夜の部屋へと入った。
「お願い、そっちの障子をあけて」
入り口とは反対側の障子。
僕は素直にそれを開ける。
障子の向こうは縁側になっており、庭がよく見える造りになっていた。
ふ、と明かりが灯る。
振り返れば、輝夜がつけた様だ。
テーブルの上に灯りを置き、輝夜はまた布団の上へと座り直す。
「立派な庭だな。お姫様らしくない質素な部屋だと思ったが、そうでもないらしい」
「自慢していいわよ。私の部屋に入った殿方は、あなたが初めてなんだから」
「へぇ~。君にもまだ未体験があったのか」
「そうよ、意外とウブな女なの」
僕と輝夜は同時に笑みを漏らした。
自分の部屋で、自分の布団の上に座ったからだろう。
だいぶ回復したみたいだ。
元より、彼女の症状は精神的なもの。
一晩眠れば、永琳に診てもらう必要もあるまい。
「君がウブだというのなら、僕は臆病者だ」
「ふふ、意気地なしの間違いじゃない?」
意気地なし、か。
まぁ、冗談として受け取っておく。
「そこの襖あけて」
輝夜が指をさす。
僕は大人しく指示に従って、襖を開けた。
そこは物置に使っているらしく、何やら僕の食指が動く物ばかりなのだが……
「それそれ、その瓶よ」
「ふむ」
茶色い瓶を取り出すと、ちゃぷんと液体の音がする。
どうやら、お酒の様だ。
と、振り返ると、輝夜はすでにぐい飲みを用意していた。
相変わらずの早さ、だな。
「あなたも座りなさいな」
「いいのかい? 君が寝る布団だろ」
彼女がぽんぽんと叩いて指定したのは、彼女の隣。
ふわふわと温かそうな布団の上だ。
他人が寝具の上に乗るのは、それなりに不快なものだが。
「いいの、気にしないで。それより、窮屈じゃない?」
僕が彼女の隣にあぐらをかくと、輝夜が横目で僕を見てきた。
「何がだ?」
「その服よ」
彼女はポンポンと、僕の服の一部であるバッグを叩く。
まぁ、確かにこの装備は余所行きと客人用のそれであり、くつろぐ服装ではない。
と、気付けばシュルリと輝夜が僕の装備を解きつつある。
「おいおい、女性からとは、はしたないな」
「じゃ、私の着物も脱がせる?」
「遠慮つかまつる」
と会話をしているうちに上半身はインナーだけにされてしまった。
まぁ、さすがに下半身には手は出してこない。
「はい、次は私」
「いや、だから、遠慮すると……」
輝夜は僕の言葉など聞く耳もたず、リボンを解き、僕に袖を持てと促してくる。
しょうがない、とばかりに僕は袖を持つ。
彼女がもう一方の袖から腕を抜くと、持っている方からも腕を脱いだ。
そのまま袖を引っ張り、輝夜の着物を受け取る。
どうしたものか、と思ったが布団の上で適当にたたみ、彼女に手渡した。
あまり見ない様にしたが、彼女はキャミソールを着ていた様だ。
普段は露出が少ないので、肩まで見えている彼女が新鮮に見える。
「スカートも脱ぎましょうか?」
「はぁ~……君は露出狂か何かか?」
「楽な格好の方が、くつろげるじゃない」
「そうかい?」
「究極は温泉に浸かりながらのお酒よね。裸で生まれてくるんだもの」
「今度、知恵の林檎を探してくるよ。是非、君にプレゼントしたい」
「あら、嬉しいわ。大事にしまっておくわね」
食べてくれよ、と僕は盛大にため息。
コロコロと輝夜は笑った。
「はい」
「ん」
輝夜が瓶を傾ける。
僕は、ぐい飲みをさしだした。
トクトクと良い音を響かせ、透明な液体で満たされていく。
ぐい飲みがいっぱいになると、僕は輝夜から瓶を受け取り、輝夜のぐい飲みに注いでいく。
「何に乾杯するんだ?」
「そうね……じゃぁ、あなたの優しさに」
「僕としては、遠慮したいが……まぁ、今日はいいだろう」
カツンと僕と輝夜はぐい飲みをぶつける。
幾重にも浮かぶ波紋を見ながら、僕はぐい飲みの半分くらいを呑みほした。
今まで呑んだ事の無い様な、精錬された酒の旨み。
なるほど、これと比べればいつも呑んでいる酒の荒々しさが分かる。
恐らく、これは月のお酒だ。
輝夜はちびりと呑んだだけで、ほぅ、と幸せそうなため息を吐いた。
まだ、回復しきっていないのかもしれないな。
少しの風に灯りは揺らめき、部屋の中の陰影も揺らめく。
それに合わせて、輝夜が僕の肩に頭を預けてきた。
「ねぇ、何かロマンチックな事を言ってよ」
「……君と僕は、まるで月と地球みたいだと思っていたが、どうやら違ったらしい」
「あら、どうして?」
「月と地球は決して近づく事はない。でも、今夜、こうして僕達はくっ付いてしまった」
「あはは、とってもロマンチックだわ」
「これでいいかい?」
「えぇ」
「かぐや姫の難題にしては、簡単だったな」
「あら、あなたも私の事を狙ってたの?」
「さて、それはどうかな……」
僕はぐい飲みの残りも呑みほす。
輝夜も、両手で上品にぐい飲みを持ち上げ、コクンと喉を鳴らす。
それから、輝夜は僕を上目遣いで見上げた。
その視線に気付いて、僕も彼女を見つめた。
お互いに、苦笑して、微笑んで、それから――
~☆~
「ふむ」
目が覚めると、太陽は上がった後だった。
お昼という訳ではないが、それなりに高い位置にある。
少しばかり、見慣れない部屋に戸惑いつつも、身支度を整える。
部屋に輝夜の姿はない。
「片付けなくてもいいか。僕は客人だ、逆に失礼にあたる」
そう呟いてから、僕は輝夜の部屋を後にした。
さて、驚く永遠亭一家の顔でも拝むとしようか。
深夜の静かでゆったりとした流れとか面白いお話でした。
くっつくか、くっつかないかの距離感が堪りません
微妙と言うか、絶妙な間柄で、こういう空気になって、こんな夜をすごしてみたいものです。
すでに言われていますが、いい雰囲気にひたれました。
今作も雰囲気を堪能させていただきました
誤字でしょうか?
~の危機はるのかな
の部分、危機はあるのかな、でしょうか?
子のコンビは見ていて違和感がないなぁ
霖之助は意外と恋愛上手?
この二人の間合いが好きです。楽なカッコで飲み交わせるお酒は確かにうまい。
しかし霖之助だから許す
いい感じでした!
でも、自分はこの霖之助にまた会いたいと思うのです。おもに面白いから。
作品ありがとうございました。
と思うんだがこの距離感が最高に好き
羨ましいw