※一部、拙作「初嵐」とリンクしている部分があります。
ただ、そちらを読んでいなくても問題ありませんので、どうぞお気になさらずに。
彼女、姫海棠はたては鴉天狗である。
「……よし、いないわね」
辺りの様子を伺った後、一気呵成に、彼女はその場へと舞い降りる。
「久々ね、紅白の巫女!」
「名前で呼べ」
「……えーっと……何だっけ?」
「あんた、自称新聞記者のくせに、話しかける相手の名前も知らないとか何事よ」
「ぐっ……」
なぜか、妙に正論だった。
取材対象として目に付けた人物から説教され、胸の内にもやもやしたものを覚えるものの、彼女は「わかったわ。次からは、霊夢、って呼んであげる」と尊大に言い放つ。
彼女――霊夢の視線は冷たかった。
で、何? 冷えるような言葉を投げかけてくる。
「当然、わたしの新聞記事のネタになってもらうのよ。
聞いたわよ。今度、何だか面白いことをやるそうじゃない。その詳細を教えなさい」
「いや」
「何でよ」
「そんな尊大な態度に出てくるような相手に話すようなことなんて何にもなし。
ただでさえ、あんた達の印象は悪いんだから。知ってる?」
文のせいだ。
すぐさま、はたての頭の中で、『突撃取材』と称して、相手のことなどまるで考えない、ジャーナリストの片隅にも置けないことばっかりやっている輩の顔が頭に浮かぶ。
あいつのせいで、いつもこうだ。全く、何でわたしの足を引っ張るんだ、あいつは。
「わかったわ。じゃあ、下手に出てあげる。
今度、何をやるの? 教えてちょうだい」
「……はぁ。
あんたさ、正直に言うけど、人と話をしたこと、あんまりないでしょ?」
「ちっ……! な、何を言うのよ、あなた!」
「はいはい」
霊夢の指摘は当たっている。
彼女に、愛想らしき愛想がない原因が、まさに、霊夢に指摘されたことにあることを。彼女は、認めない。
「ふん! なら、もういいわよ!
あんたなんかに話を聞こうとした、わたしがバカだったわ!」
勝手に怒鳴って、勝手に背中を向けて、その場から飛び立とうとする。
「今度、うちの神社も協力して、この辺り一帯を使った秋祭りをやるのよ。当日は、色んなお店も出るし、たくさん、いろんな人が来るわ。
気になったら取材しに来れば」
その時、後ろから響く声。
振り向けば、霊夢が、はたてに背中を向けて、さっさかと竹箒で境内を掃除していた。
……ふん、何さ。
べーっ、と相手に向けて舌を出して、はたては空へと舞い上がる。あっという間に、その姿は空の彼方に点となって消えていく。
「鴉天狗ってやつは、文みたいにやかましいのは共通してるけど。その内側は、人間と同じで、やっぱり色々なんだな」
つと、掃除の手を止めて、霊夢の視線は空の彼方に向いた。
そうして、空を眺めていたのもつかの間のこと。彼女は再び、掃除を始めるのだった。
――で。
「文、あんた、人の家で何やってるのよ!?」
「おや、はたてさん。お帰りなさい。
いえいえ。つい先ほどですね、幽香さんから『これ、この前のお礼』って美味しいケーキを頂いたので、それをお裾分けにと思って来てみたら。これはびっくり、はたてさんがいないじゃないですか。
なので、せっかくだからと待っていたら、いつの間にか熟睡していたというわけで……」
「そこから降りろ!」
「にゃぅぁ!?」
何かよくわからない悲鳴を上げて、文ははたての愛用の椅子から叩き落される。
床の上でごろごろ転げまわった後、「暴力的だなぁ……」とつぶやき、彼女は起き上がった。
「ったく……!
ソファはあっちにあるでしょ! 何で、わたしの仕事場に入ってきてんのよ!?」
「それはもちろん、私のライバルの新聞を盗み見て、ネタをパクろう……」
「いっぺん死ねっ!」
「甘いっ!」
「ちぃっ! 相変わらず素早いわね、このバカ文!」
「わーはははは! 霊夢さんや魔理沙さんといった変態的実力者と戦い続けて磨かれた、私の戦闘力を甘く見ないことですね!」
と、何だかよくわからないやり取りをしばらく繰り広げた後、はたては文と一緒になって、テーブルを囲んでいた。
「……わぁ、美味しそう」
出されたいちごのショートケーキを見て、思わず目を輝かせる。
ちなみに、このはたて、相当の甘いもの好きである。東に美味しいお饅頭があればひとっ飛び行って購入し、西に甘い甘いチョコレートの特売があれば袋ごと買いあさり、北にここでしか飲めないジュースがあれば、一日泊まりも臆せずに、南に新規開店の甘味処があれば、我先にと朝から並ぶ。
そんな彼女の視界が、一瞬、真っ白に染まった。
「ちょ……何よ、文!」
「はたてさんのかわいい笑顔げっとー♪」
「なっ……!?」
見る見るうちに、はたての顔が赤くなる。
怒りと、羞恥と、自分に対する情けなさと。
もうとにかく色んな感情が交じり合い、『文ーっ!』と叫んで、立ち上がろうとした矢先に。
「はいどうぞ」
「むぐっ」
ケーキの切れ端を口に運ばれた。
しばらく、もぐもぐと口を動かしていたはたては、やがて、そそとソファに腰を下ろして、「こ、今回だけは許してあげるわ」とつぶやいた。
「はたてさんも、幽香さんのお店や紅魔館に行けばいいじゃないですか。美味しいお菓子が一杯ですよ」
「いやよ、遠いもの」
「そうですかねぇ。
普段のはたてさんなら、幻想郷の端っこにある、だーれも知らないような『地元の名店』にだって飛んでいくのに」
「……うっさいな」
「知り合いがいるから恥ずかしい、ですか?」
きっ、と彼女をにらむ。
はたてにとって、余計な一言を言った文は、飄々とした顔でケーキをつまんでいた。
「ま、はたてさんが行かないなら、私が行って買ってくるだけだし。
それならそれでいいかな」
「何よ、あんた。わたしにケンカを売りに来たの?」
「まさか。
最初に行ったじゃないですか。お裾分け、って」
そう言う本心はどこにあるのか。
相手の腹積もりを探るつもりで、じっと視線を向けるはたてに、文は応えなかった。代わりに、自分の分のケーキを平らげると、『満足、満足』とおなかを叩いて、ソファに寄りかかる。
「そういえば、今度、神社でお祭りがあるそうですね」
「……らしいわね。霊夢に聞いたわ」
「おお、珍しい。はたてさんが、天狗仲間以外を名前で呼ぶなんて」
「うるさいわね、もう」
「で、どうするんですか? 行きますか?」
「行かない」
「はぇ?」
つんとした口調のはたて。
親の仇、と言わんばかりに、目の前のケーキにフォークを突き刺して、それを丸かじりする。口の周りがクリームで汚れることなど、全く気にしないという、なんとも見事な態度である。
「何でまた。面白いネタだってありますよ、きっと」
「行かないったら行かない」
「ふぅん……」
すると、文はいきなり、物陰をごそごそし始めた。
ややしばらくして、「じゃ~ん」などと言いつつ、何かを取り出す。
「……何それ」
「浴衣ですよ。かわいいでしょ」
テーブルの上に広げられたのは、見事な紅葉の模様が美しい浴衣。その見事さに、思わずはたての視線が、それに釘付けになる。
「これ、香霖堂のご主人に頂いたんですよ。
香霖堂、ご存知ですか?」
「知らない。何それ?」
「簡単に言うと、胡散臭いご主人が胡散臭いものを胡散臭く売っている胡散臭いお店ですよ」
ちょうどこの時、遠い地で、まさにその主人がくしゃみをしていたりする。
それはともあれ、はたては、『ふーん……』と気の乗らない返事をするだけだった。どうやら、目の前の浴衣に、完全に心を奪われてしまったようだ。
「これ、着てみたくありませんか?」
「え? いいの?」
「ええ。正直、私はおしゃれとか興味ありませんから」
「……じゃ、じゃあ、その……」
「ただし。条件があります」
手を伸ばすはたてに待ったをかけて。
文は言う。
「秋祭り。一緒に行きましょ」
「……は?」
「ちょうどアシスタントが欲しかったんですよ」
「ひ、人を何だと……!」
「いいじゃないですか。
それに、私もはたてさんの浴衣姿、見てみたいなぁ、なんて」
「なっ……」
かーっ、と彼女の顔が赤くなる。
何やらぶつぶつつぶやきつつ、視線を逸らした後。ややしばらくしてから、「……し、仕方ないわね」と彼女は言った。
「い、言っておくけど、あくまであんたの手伝いだからね! それ以外に、別に、変なこととか考えてないんだから!
いい!? わかった!?」
「ええ、わかってますとも。
それじゃ、これ、置いていきますね。当日は迎えに来ますので、どうぞよしなに」
立ち上がる文は、一瞬だけ、はたてに視線を向ける。
その視線を、本当に一瞬だけ、彼女の視線と絡めてから、文ははたての家を後にした。
その次の日。
幻想郷の空を飛ぶはたては、つと、足下に変な建物を見つけた。
変な、という以外、なんとも形容しがたい面構えの建物。舞い降りて、窓から中を覗けば、何だかよくわからないものが、種々雑多にごちゃごちゃと詰め込まれている。
彼女の視線は、頭の上へ。
そこには『香霖堂』の文字があった。
……ああ、ここが、文の言っていた胡散臭い店か。
うなずき、もう一度、窓から店の中をうかがう。……なるほど、確かに彼女の言うことは間違ってないようだ。中を見ても、一体何の店かわからないのだから。
「確かに胡散臭いわね」
「人の家を外から覗いている君も、だいぶ胡散臭いよ」
「わっ!?」
いきなり後ろから声がして、彼女は壁に張り付くように飛びのいた。
振り向けば、一人の男性が立っている。彼は片手に、なぜか釣竿を持っていた。
「な、何よ、あんた!」
「僕の名前は霖之助。この店の主人さ。君は……確か、はたてとかいったか」
「何でわたしの名前を知ってるのよ!」
「さあ、何でだろうね。
ともあれ、そこでそうしていると、女の子らしからぬ罪に問われるよ。中に入るといい、お茶くらいは出そう」
ドアを開けて、彼は建物の中へ。
鍵もかけてないなんて無用心な男ね、と思いながら、はたてはそっと、戸口へと近づいていく。
「この建物は風通しがよくてね。早くドアを閉めてくれないか」
「わ、わかったわよ」
招かれるまま、室内へ。
ドアが閉じられると、途端に、部屋の中が静かになった。壁にかけられた時計の秒針の音が、やけに耳に響く。
「あんた、ここで何してんのよ」
「見ての通り、物を売っている」
「客がいないんだけど」
「一日に一人か二人、来ればいい方さ」
もっとも、誰も来ない方が静かでいいけどね。
彼はそう言って、カウンターに湯飲みを置いた。そして、椅子に腰掛けると、何やら分厚い本を取り出して、それに視線を向ける。
「……あんた、無愛想ね」
「君ほどじゃない」
「一応、わたしは客なんだけど」
「お茶を飲むだけとか、騒ぐだけとか。あまつさえ、食事をたかりに来ながら、『自分は客だ』という珍客が多くてね。
何かものを買ってくれない限りは、それは僕にとって客じゃない。ただの『来客』さ」
何だか言いくるめられた気がした。
ぶすっとした顔ながらも、はたてはカウンターに近寄り、置かれたままの湯飲みを手に取る。
「さっき、何しに行ってたの」
「つりだよ」
「びくも持たないで?」
「何もつれなかった」
「へたくそなのね」
「えさを持っていかなかったのが原因かもしれない」
「は?」
「実を言うと、針のつけ方も知らないんだ」
何だ、こいつは。
はたての視線は彼に向けられる。
彼が一体、何をしたいのか。そもそも何なのか、さっぱりわからない。なるほど、文の言った通り『胡散臭い奴』なのは間違いない。
ただ、その胡散臭さが常軌を逸してると言うべきか。
「何を読んでるの?」
「本だ」
「そんなの見ればわかる」
「入門編、と書かれているな」
「何の入門編なのよ」
「それはわからない」
「はぁ?」
「とりあえず、読んでみれば、僕はこの筆者の世界に入門できると思ったから読んでいる。そして、意外とつまらないから、そろそろ読むのをやめようかなとも思っている」
にしては、最後まで読んでしまったけどね。
彼はそう言って、手にした本を閉じると、店の中にある、本が陳列されている棚に載せた。どうやら、彼が飽きたものは売り物となるらしい。
値段もつけずに売るつもりなのだろうか、とはたては思った。口には出さないまでも、『変な奴』という視線を彼に向ける。
「この店は、一体どういう店なのよ」
「たまに喫茶店。たまに社交場。たまにレストラン。普段は雑貨屋だ」
「何か変なもの、一杯あるけど」
「仕入れ代がかからないから、物の売り上げが全て利益になる。
落ちてるものを拾って、勝手に自分のものにしてしまうと、外の世界じゃ犯罪行為らしいがね」
とある巫女に教えてもらったよ、と彼は言う。その手には、また新しい本があった。
「お茶が冷めるよ」
「う、うるさいわね」
言われて、ぐいっと湯飲みの中のお茶を口に含み、あまりの熱さに七転八倒する。
彼はそんな彼女に「何をやってるんだ」と言ってから、店の奥から、冷たい水の入ったコップを持ってきた。
「君は、かなりのドジだね」
「う、うるひゃいっ!」
舌をやけどしたのか、まともに喋れない彼女は、涙目になって反論した。
「天狗というのは風変わりが多い。
もっとも、まっとうなものは、幻想郷の空気にあわないような気がする」
「……それ、あんたも、自分が『変人』って言ってるようなもんよ」
「それは僕も実感している」
よく言われるんだ、と彼は言う。
またはたては『変な奴』と思った。
「……ところで、最初の質問。あんた、覚えてる?」
「意外なことに忘れた」
「意外でも何でもないけどね」
ようやく落ち着いたのか、ふぅ、と息をついて彼女は言う。
「わたしは、あんたに会うのは初めてよ。
何で、あんたはわたしの名前を知っていたの」
「それは、僕がエスパーだからさ。君の心の中を覗かせてもらった」
「はぁ?」
「まぁ、冗談はさておき」
本当に冗談なのだろうか。
彼が言うと、どんな言葉も胡散臭く聞こえるから不思議だ。言葉というのは、雰囲気一つで、ここまで顔を変えるものかとはたては思った。
「今度、秋祭りがあるらしいね」
「ああ……そうね」
「君は行くのかな?」
「……行く」
「そうか。
僕も当日は、そこに店を出すつもりだ。ぜひ、寄っていってくれ」
「いやよ。あんた、変だもの」
「意外と、僕は人気者だよ」
祭り限定でね、と彼。
ふと気がつくと、彼は手にした本を、後ろに放り投げていた。よほど面白くなかったらしい。彼のおめがねにかなわないものは、店の陳列棚に並ぶのも許されないようだった。
「君達、天狗は新聞を作っているんだったね」
「……そうだけど」
「じゃあ、僕の記事も書いてくれないか。もちろん、お礼はしよう」
立ち上がった彼は、店の棚から何かを取り上げた。
……見ると、一本の糸だ。糸というには太さがあるから、よく言えばリングか。色はオレンジで、それほど趣味がいいとは言えそうもない。
「これを君にあげよう」
「どう見てもごみね」
「まぁ、そう言わないでくれ。これはすごいものなんだ」
「嘘ばっかり」
「嘘は言わないさ。冗談は言うがね」
彼はそう言うと、その『糸』の説明を始める。
彼が言うには、この『糸』は、持ち主の願い事をかなえてくれる魔法を宿しているらしい。かなって欲しい願い事をこめて腕にそれを身につけて、その糸が自然に切れると、その時、願い事がかなうのだという。
「あいにく、手に入ったのがこれ一本だけでね。本当に願いがかなうかどうかは、誰かに試してもらわないとわからないんだ。
どうだい。実験台になってくれないか?」
「……そんなこと言われて、誰が『はい、わかりました』って言うと思ってるのよ」
「お金は取らないよ。
君は秋祭り当日、僕の店に遊びに来て、『香霖堂はこんなに素晴らしい店だ』と喧伝する記事を書いてくれれば、それでいい」
「……ふん。気が向いたらね」
「じゃあ、どうぞ。お客様」
渡される、よくわからない、正体不明の怪しい糸を、彼女はとりあえずポケットに入れた。
これで契約成立だ、と彼は勝手に宣言すると、またカウンターに座って本を広げる。ちなみに、今度のものは、最初の数ページを読んだだけでゴミ箱に放り込まれてしまった。
「言っておくけど、気まぐれだからね」
「期待はしてないよ」
「変な奴」
「よく言われる」
三度目の言葉をつぶやいて、はたては彼に背を向けた。『お茶、ご馳走様』と、一応、礼は言ってから店を後にする。
空へと舞い上がり、一度だけ、店の上空で旋回してから、彼女は家に向かって飛んでいった。
さて、それから数日後のことだ。
「はたてさーん、お祭りに行きましょうよー」
「あ、あんた、本当に来たの?」
「ええ、もちろん」
いきなり、はたての部屋の窓をノックして現れた文は、にこっとはたてに向かって微笑んだ。
はたては、大慌てで『玄関から入ってきなさいよ!』と怒鳴ると、ぷいっとそっぽを向く。
そうして、文を招きいれたはたては「めんどくさいんだけど」と抵抗するのだが、文に『そんなこといわずに』と押し切られてしまった。
渋々――としていると思っているのは本人ばかりなりなのだが――、浴衣に着替えを終えたはたては、『ほら、これでいいんでしょ』と文の前に姿を現す。
「いいですねー、お似合いですよ。
これで、もうちょっと色気があれば完璧だったんですけどね」
「……一回死んでみる?」
「おっと、それは勘弁」
ぱしゃぱしゃと彼女を撮影していた文は、『それじゃ、行きましょう』とはたての手を取った。
「ちょ……! い、いきなり手を握らないでよ!」
「いいじゃないですかー。
……っと? その右手のは……」
「うるさい、バカ!」
ちらりと浴衣の袖から覗く、オレンジ色の何か。一瞬、それを認めた文の顔に、はたての恥ずかしまぎれのパンチが炸裂したのだった。
祭りは、博麗神社の周囲一帯を使って行われるということだった。
なぜかというと、神社の境内だけでは入りきらないほどの人や出店が集まるからだ。普段は閑散としているというのに、その日の夜は、人だらけだった。
「うわ……」
「どうしたんですか?」
「あ、い、……うん……」
そして、初めて、そんな大勢の人の群れを見るはたての足が止まってしまう。そんなに驚かなくても、と笑いながら、文は彼女の手を引いた。
「……何か色々あるのね」
「この日は、霊夢さんも『今日こそ稼ぎ時』って張り切りますからね。あっちこっちに声をかけて、たーくさん、人を集めますよ。
ちなみに、霊夢さん自身は、あっちこっちの秋祭りに出没してるんですけどね」
「え? そうなの?
あいつ、ここに引きこもってるわけじゃないんだ」
「そうなのですよ。全くもって意外ですが」
本人が聞いていたら、間違いなく蹴りを入れられているだろう発言をする二人。
人の多さに戸惑い、あちこちをきょろきょろ見ているはたてと、その人の流れに慣れている文。二人の間に、会話が尽きることはない。
「……何、あれ。やきそば?」
「買いますか」
店に足を運ぶと、そこに立っていたのは、なぜか魔理沙だった。
「何やってるんですか? 魔理沙さん」
「ああ、何だ、文か。
ふふふ……実はだな。アリスの店と人の入りでどっちが多いか、勝負してるんだ」
と言っている彼女の傍には、その『対決』しているはずの人形遣いが操っている人形たちが甲斐甲斐しく働いている光景がある。
「この勝負で勝てば、うまいワインが飲み放題だからな。負けられないんだ。
というわけで、お前ら、何か買ってけ」
「何か、って焼きそばしかないでしょう?」
「ばれたか」
ぺろりと舌を出す彼女。その視線ははたてへ。
「何だ、天狗の相方もいるなんて珍しいよな」
「相方、って……」
「はたてさん、焼きそば初めてなのですよ。だから、量は多めに」
「しゃーないな。こいつは魔理沙さんからのサービスだ」
ほれ、と山盛りの焼きそばが、紙皿に載せられて突き出された。文は彼女に代金を支払うと、「頑張ってくださいね」と言葉を残して、はたての手を引く。
「……これ、食べ物よね?」
「そうですよ」
「……黒いおそばなんて初めて」
一口、ぱくり。
「……へぇ。変わった味だけど悪くないわね」
「私にも下さいよ。お金、出したの私なんですよ」
「ああ、悪いわね。はい」
「あ~ん」
「……はいはい」
立ち止まって、まるでひな鳥のように口を開ける彼女の口に、やきそばを押し込む。文は、美味しそうにそれをもぐもぐごっくんとしてから、「いやぁ、やはり祭りの食べ物は美味しいですねぇ」と、誰に言うともなく歓声を上げた。
「ねぇ、文。あっちのあれは何よ」
「あっちのは……リンゴ飴ですね」
「え? リンゴ飴? リンゴが飴?」
「そうですよ」
「……どうやって食べるの?」
「じゃ、百聞は何とやらですから」
また、お店によって、リンゴ飴購入。
手渡される、大きな飴をしげしげ眺めながら、はたては恐る恐る、それを一口した。
「ああ、そうじゃないんですよ。これはね、かじるんですよ」
アドバイスしながら、文ががぶりと飴をかじる。
ほらね、と笑う彼女の顔と、手元のリンゴ飴を何度も見ながら、同じように。
「……あ、リンゴ……」
「秋はリンゴの季節ですから。美味しいですよ」
「……そうね。
ねぇ、文。文って、こういうお祭り、結構、来るの?」
「そりゃ、祭りとケンカは江戸の華、と言いますからね」
「江戸、ねぇ……。
そう言えば、あんた、以前、お城に忍び込んで捕まらなかった?」
「ありましたねぇ……。あの時は、本気で殺されるかと思いましたよ」
「当時の城主様が動物好きで助かったわよね」
あはは、と笑いながら彼女は言った。
そんな彼女に向けて、また、文がカメラのシャッターを切る。
「……まぶしいんだけど」
「はたてさんのかわいい笑顔は、フラッシュよりもまぶしいですよ」
「……何、それ」
「以前、紫さんに『女殺しの文句』として教えてもらいました」
だけど、不思議と、その言葉を使うと、逆に自分が殺されてしまうのだ、と文は言う。それはたぶんに、言う相手を間違ってるんじゃなかろうか、とはたては思った。
その理由は……、
「……ふん」
特に何も言い返すこともなく、顔を赤くしてそっぽを向く自分を意識したからだ。
「人、多いですねぇ」
そんなことを言う文が、はたての手を、無意識に握り直した。
その彼女の行動に、一瞬、自分の胸が大きく高鳴るのを感じながら。その瞳を、自分の手に向けてから。
……小さく、彼女は息を呑んだ。
「お、萃香さん」
「おー、文ちゃ~ん。うぃっく」
提灯の明かりの下で、一人の子鬼が酒を飲んでいる。彼女はすでに酔っ払っているのか、文に対して、ずいぶんフランクな口調で声をかけた。
「こんばんは。やってますか?」
「やってまーす!
文ちゃんも飲め飲め!」
「それでは頂きましょう」
文は、何の気なしにはたてから手を離して、萃香の隣に並んでしまった。
あ……、とはたては声を上げるも、文の背中を追いかけることが出来ない。一瞬、立ちすくんでしまった次の瞬間、二人の間に人波が入り込んだ。
「わ、ち、ちょっと」
その流れに押され、思わずたたらを踏んでしまい、気がつけば、その人波に流されてしまって。
「……もう」
彼女は、文と離ればなれになってしまった。
一人、憤りの表情を見せていた彼女は、気を取り直したのか、それとも、別のものに気を向けるつもりなのか、一人で辺りを歩き始める。
「……これ、何だろう」
目の前に、大きな水槽のようなものがある。その中を、無数の、色とりどりの魚が泳いでいた。
「えーいっ!」
「あら、お上手ですわ、フランドール様」
「やったやった!
おじちゃん、これ、ちょうだい!」
「おうよ! 持っていきな、お嬢ちゃん!」
「……むむむ……」
「レミィ、フランはもう捕まえたわよ。いつまで粘るの」
「う、うるさいわね! ちょっと待ってなさい! 今、一番大きなのを捕まえて……よしっ!」
「見事に穴が空いたわよ」
「あー、残念だったな、お嬢ちゃん。
ほれ、楽しんでくれてありがとな。一匹やるよ」
「うぐぐ……!」
なにやら楽しそうに、それを捕まえる遊びをしている四人組。もっとも、遊んでいるのは小さい二人だけで、他二人は、後ろからその様子を見守っているだけのようだ。
「冗談じゃないわ! この夜の王、レミリア・スカーレットが情けなんてかけられてたまるものですか!
もう一回よ!」
「お嬢様、お小遣いは増やしませんよ」
「ぐぐぐぅ……!」
そんなやりとりの後、四人組は次なる店に向かって歩いて行った。
彼女たちの背中を見送るはたてに、「どうだい、お嬢さん。一回ならサービスだ」と、店の主人が何やらよくわからないものをつきだしてくる。
「……何、これ」
「うちは金魚すくいさ。うまいことすくえたら持って帰ってくんな」
渡されたそれをつんつんと突ついていた彼女は、『……それなら』と、器用に浴衣の裾を曲げながら膝を落とす。
「えいっ」
無造作に、手にしたもの――モナカで作られた網をざばっと水の中に突っ込んで。
「ちょっと、壊れたんだけど!」
当たり前と言えば当たり前の結果に、彼女は大きな声を上げた。
「そりゃ当然さ。誰も彼もさっさとあげていたら商売あがったりじゃないか」
「だ、だけど、さっきのは……」
「ちびっこに優しいのが俺っちの信条でね」
「何よ、もう!」
こんな遊び、やってられないわよ! と憤りながら、彼女は踵を返した。「祭りの風流ってやつを解さない姉ちゃんだなぁ」という、店主のつぶやきは聞こえないふりをして。
「……ったく、何よ。あんな不良品渡してきて。わたしのことをバカにしてるわけ?
人間なんて、みんなあんな感じなんだから」
そんな風にぶつぶつ文句を言いながら歩く彼女。そのせいで、普段より大股に、また、大きく手を振るような歩き方になってしまっていたため、当然のごとく、前から来た相手にぶつかってしまった。
しかも、相手の方が遙かに体格がいいため、弾き飛ばされて尻餅をついてしまう。
「おっと、ごめんよ、お嬢さん。ケガはないかい?」
「……ったぁ~!
何よ、ちゃんと前を見て歩きなさいよ! このバカ!」
「あちゃ……ひどい言われようだよ」
相手は苦笑を浮かべながら、はたてに向かって差し出した右手で自分の頭をかいた。
はたてはお尻をほろいながら立ち上がると、ふん、とその横をすり抜けようとする。――のだが、
「お待ちなさい」
後ろから声。
何よ、と憤りながら振り返ると、一人の少女がはたてを見据えている。
「何よ、あんた。年上に対して生意気な態度取ってんじゃないわよ」
「何を他人に対して、そこまで攻撃的になっているのですか。祭りの空気を乱すような輩は迷惑です、立ち去りなさい」
「はぁ!? 何であんたみたいな子供にそんなこと……!」
「相手のことを見た目でしか見極められないとは、天狗の瞳も、ずいぶん曇ったものですね」
「なっ……!」
「あー、タンマタンマ。
あ、ほら、四季さま、今のはさ、あたいが悪かったわけですから。やめましょ、そういうのは」
「何を言うのですか、小町。今のは、明らかに彼女の方に非があるでしょう。相手をかばうという気持ちは悪い感情ではありませんが、それも時と場所に……」
「だーかーらー。そういうお説教が、こういう場に似合わないんですってば。
あ、ほら、悪かったね。あたいは気にしてないからさ、お互い、祭りを楽しもうじゃないか」
そう言うと、彼女はひょいと少女を小脇に抱えてしまった。
抱えられた少女が「こらー! 降ろしなさーい!」と叫びながらじたばた暴れる。それを気にせず、彼女は『それじゃね』とはたての肩をぽんと叩いて去っていった。
「……何よ」
少女の言葉に怒りを通り越した感情すら覚えていたはたては、小さくつぶやく。
すっかり興を削がれてしまった。
そんな表情を浮かべながら、踵を返す。
「……別に、怒ってる訳じゃないんだから……。ただ……」
右手を見つめる。
何もつかんでいないそれをじっと見つめていた彼女の背中に、どすん、と小さな子供がぶつかった。振り向き、「気をつけなさいね」と、彼女は子供に注意して、また歩いて行く。
「つまんない……。帰ろうかな……」
祭りの会場に来た時は、あんなにわくわくしたというのに。
文と一緒に歩き回っていた時は、あんなに楽しかったというのに。
何だか、今はとてもつまらない。
「……帰ろう」
一瞬だけ目の前がじわっとにじんだ。
よくわからない、もやもやした感情が胸の中に広がっていって、とても気持ちが悪い。だから、彼女は、『家に帰ろう』ともう一度、心の中でつぶやいた。
そうして、空に飛び上がろうとした時だ。
「どこ行くのよ」
後ろからかけられた声に振り返る。
「……えっと」
「霊夢。あんた、数日前に逢った人間の名前すら忘れるわけ?」
「悪いけど、鳥頭なもので」
「そういう皮肉だけはいっちょまえだわ。鴉天狗って、みんなこんな感じなのかしら」
何よ、と険悪な視線を相手に向ける。
霊夢は、ふぅ、と息をついてから腕を組む。
「店を出してるおじさんからね、『何だか変わった子がいたよ』って言われてさ。
その子が歩いて行った方向に歩いてみたらあんたがいたってこと。で、間違いなく、あのおじさんが言っていたのはあんたのことだと思ったのよ」
「だったらどうしたってのよ」
「そんなにつんつんしないで、祭りを楽しめって言いに来たの。
あんたにとっては余計なお世話かもしれないけど、お祭りって楽しいもんよ。別に何をするでもなく、適当に歩き回ってるだけでもさ」
「それが楽しくないから帰るのよ」
相手のことを突き放す発言に、霊夢は頭に手を当ててため息をつく。
「んじゃさ、せめて、巫女舞だけでも見ていってちょうだい。今年の舞は、いつもよりすごいはずだからさ」
「そんなの興味ないわ」
「……あ、そ」
そして、めんどくさくなったのか、それとも言うだけ無駄だと判断したのか、「じゃ、好きにしなさい」と、彼女の横をすり抜けざまに、その肩を叩く。
「向こうで文が探していたわよ」
その一言に、慌てたようにはたては霊夢を振り返った。
しかし、霊夢は振り返ることもなく、祭りの人波に飲まれ、その姿を、彼女の前から消してしまった。
しばし佇む彼女。その彼女の背中に、「あ、いたいたー」と声がかかる。
「あー、探した探した。
どこへ行ったのかと思いましたよ、はたてさん」
「……」
「どうですか? お祭り、楽しいですか?
いやはや、まさか、はたてさんが一人で祭りの中を楽しんでくれるとは……」
「楽しくないわよ、こんなものっ!」
脳天気で、何もわかっていない彼女の言葉に、思わず、はたては叫んでしまった。
その一瞬で、流れていた人波がぴたりと止まり、道を作る数々の店からも視線が向けられる。
「ちょ……ど、どうしたんですか。いきなり。
ああ、ちょっと、人の目が……。あ、ほら、あっちに行きましょう。あっちに、にとりさんとかも……」
「あんた一人で行けばいいじゃない! わたしはもう帰る! こんなの、これっぽっちも楽しくないっ!」
「え、えっと、私が何か悪いことでも……」
「うるさい、バカ!」
「あ、ちょっと待って下さいよ! 向こうで、皆さんが、はたてさんが来るのを待って……!」
「離しなさいよ、このバカっ!」
叫び、彼女の手を振り払った瞬間。
文が首から提げていた、『この前、新しく手に入れたおニューのカメラなんですよ』と、嬉しそうにはたてに見せびらかしていたそれに。
――彼女の手が引っかかった。
「あ……」
ぷつん、という感覚。
同時に、文の頭からすぽっと抜けたカメラが地面に落ちて、レンズが割れる音が響く。
……しん、と静まる空間。
「ありゃ……」
最初に、その静けさを破ったのは文だった。
地面に落ちてしまったカメラを拾い上げると、「……何だ、レンズが割れただけか」と小さくつぶやく。そして、もう一度、それを首から提げると、「はたてさん、ケガはありませんか?」と笑顔を浮かべた。
とはいえ、その笑顔には、少しだけ険悪なものも混じっている。彼女からしてみれば、せっかく『一緒に遊ぼう』と声をかけていたというのに、相手がいきなり癇癪を起こして、あまつさえ、自分の大切なカメラを壊してくれたのだ。怒らない理由もない。
しかし、それを口に出したりはしなかった。精一杯、優しい声を出したつもりだった。
「……バカ……」
だが、返ってきた言葉は、予想していなかった言葉だった。
「え?」
「……バカ……。文のバカ……! 何で……何で……こんな……!」
はたてはぺたんと地面に腰を落として、何かを手に持っているようだった。
目をこらすと、文の目には、それは何かの糸のようにも見えた。はたては、それを手に持って、泣いているのだ。
「いえ……あの……。
と、とりあえず、ケガはないですか? それならよかったです。その糸みたいなものが大切なんですね、それなら、今すぐ代わりを……」
相手を気遣い、言葉を続けようとした次の瞬間、響いたのは乾いた音。
「文のバカっ! あっち行けっ!」
「……えっと……」
「もう、あんたのことなんて、金輪際、友達とも何とも思わないっ! わたしの前からいなくなれっ! この……この……!」
次の言葉が続かない。
彼女は声を飲み込み、その場から走り去っていってしまった。
全く事態が飲み込めず、目を白黒させながら。しかし、彼女に張られた頬の痛みだけはしっかりと覚えながら。
一人、文は立ち尽くす。
泣きながら祭りの会場を走り回って。
誰かにぶつかって転ぶたびに、『大丈夫かい』と声をかけられて。
……いつしか辿り着くのは、人の姿もない、雑木林の中。その中に佇む、ひときわ太い木の幹に背中を寄せて。
「あのバカ……! 何で、わたしがこんな目に……!」
気を落ち着けてみても、出てくるのは文に対する汚い言葉ばかり。
胸の中に広がるもやもやが収まらない。消えていかないそれに胸を圧迫されて、紡がれる言葉は呪いの言葉ばかり。
やめろ、と頭が命令しても、心が言うことを聞いてくれなかった。
「文なんて……文なんてっ……!」
大きく吸い込んで、次の言葉を吐き出そうとした瞬間、ひときわ大きな声で、頭の中に声が響く。
――やめろ。
ただ、その一言だけが。
大きく吸い込んだ空気が行き場を失って胸を広げていく。肺が肋骨に抑え込まれ、激痛が走った。
あまりの痛みに体を丸めてうずくまり、何度も何度も咳き込んで。
「……っ……」
目元に浮かんだ涙をぬぐい、何とか身を起こす。
「……バカ……」
手元に落とす、その視線。
先日、あの胡散臭い主人にもらった、『願いの叶う糸』が切れてしまっている。
あの主人は言っていた。
『何も手を加えず、自然に切れたら願いが叶う』
……ということは、誰かの手によって、人為的に切れてしまったら願いは決して叶わないと言うことだ。彼女の願いは、絶対に叶わないのだ。
全部が、文のせいで。
「……違う」
頭の中に思い浮かんだ言葉を、自分で否定する。
そう。
悪いのは彼女ではない。
悪いのは、全部、自分だ。
何だかよくわからないけど、勝手に苛立って、勝手に癇癪を起こして、あまつさえ、何も悪くないはずの文に手まで上げてしまった。
今、自分がこんな気持ちになっているのは、全て自分のせいだ。全部、自分が悪いのだ。
だけど、その理由がわからない。
何でこんな気持ちになっているのか。そもそも、何でこんな気持ちにならないといけないのか。
「どうして……」
ゆっくり、その場に立ち上がる。
視線を雑木林の向こうに向けると、祭りの灯りが見えた。
「……謝ろう」
意気消沈とはこういうことを言うのかもしれない。
自分で自分のことを分析するように、彼女は思った。
何をするにも億劫で、何もする気が起きなくて。だけど、心がそれでは納得しなくて。
だから、今の自分に出来る唯一のこと……さっきのことだけでも、文にわびようと思った。彼女がそれで許してくれるかはわからないが、少なくとも、このごちゃごちゃした感情だけは何とか出来そうだった。
一歩、二歩。
ふらふらと、揺れるように祭りの会場へと戻ってきて。
「あ……」
――そこはちょうど、神社の境内の中で、一番、神社に近い場所だった。
天を衝くかがり火の明かりに照らし出された幻想的な光景の中で、舞を舞う巫女の姿が一つ。響くお囃子の音に合わせて舞う彼女の姿を、多くの人々が見入っていた。
緑の髪が夜闇に紛れてさらさらと揺れる。かがり火の紅が彼女を朱に照らし出す。右へ左へ流れていく舞に、幽玄を醸し出す音色が重なり、そこはさながら現世を遠く離れた地のよう。
人々が集まる、その中に、はたても混じる。
彼女の視線は、目の前の、浮き世の光景に吸い付くようだった。
……ぽたりと、瞳から、収まっていたはずの涙が一雫。
「よかったら使って下さい」
隣から唐突にハンカチが差し出された。
振り向くと、そこには、文の姿。
「ようやく見つけましたよ。どこに行ったかと思ったら」
「……何よ」
「びっくりしましたよ。いきなりひっぱたかれるとは思ってませんでした」
あはは、と笑いながら、彼女は真摯なまなざしをはたてに向けると、『ごめんなさい』と頭を下げた。
「……え?」
「はたてさんの大切なものを、私は壊してしまったようですから。それなのに軽率な発言でした。
いやぁ、自分の口の軽さを呪いますよ、こういう時は。
はたてさんに嫌われたかと思っちゃいましたしね」
「そんなこと……」
「あれ? そうじゃないんですか?
あはは、それはよかった。友達に嫌われることほど辛いことはないですからね」
友達。
その単語に、頬が熱くなった。しかし、心の中では、それを無視して、一気に膨れ上がる感情がある。
――はたてはハンカチを受け取ると、それで目元をぬぐった。そして、それを文に返すと、「こっちこそごめんなさい」としおらしくつぶやいてみせる。案の定、文は目を丸くして『うぇっ!?』と驚いてみせた。
「何よ」
「いえ……その……はたてさんが誰かに頭を下げるのが想像出来なかったというか……」
「わたしだって、自分が悪いと思ったら、素直に頭を下げるわよ。
だけど……それだけじゃないんだけどね」
「は? と、仰ると?」
「……いい。もう二度と、誰にも言うつもりはないから」
「えー? 何かそれって卑怯じゃないですか?
教えてくれても……」
「きっと、あんたにこれを言ったら、あんたはわたしから離れていくから。だから、言わない」
「……?」
首をかしげる文。
はたては、そんな彼女に、辛そうな、寂しそうな笑顔を向けると、『いいの』と微笑んでみせた。
……文は、その彼女の心の機微に気づいただろうか。しばらくはたてに向けていた視線を収めるように、彼女から視線を逸らすと、「それでですね、はたてさん。実は――」と話を切り出した。
彼女に手を取られ、その場を後にするはたて。つと、後ろを振り返ると、舞を舞う巫女の視線が、一瞬だけ、自分に向いているような気がした。
「やあ」
「……ほんとにいたのね」
祭りの賑やかな会場の中、異様な雰囲気を振りまいている店がある。
何やら、ゴミとしか思えないがらくたがごちゃごちゃと並べられた店頭の片隅には『お茶どうぞ』と、異様な達筆で書かれた看板。
はっきり言って、何がしたいか、全くわからない。
「すいません、霖之助さん。はたてさんを連れてきました」
「ああ、ありがとう」
「それで……何か用?」
「ああ。
いや、実はだね。先日、君に渡した、あの『願いの叶う糸』のことなんだが。あの後、店の中を探ったら、全く同じものが出てきてだね」
そう言う霖之助の手には、先ほど、文とのどたばたのせいでちぎれてしまった糸と同じものがあった。
「それで思い出したんだよ。
ああ、そう言えば、それを量産することが出来たら、僕の店の、新しい目玉商品になるな、と思って自分で作ってみたことをね」
そして、君に渡したのは、僕の作った『まがい物』だったんだ、と彼は言う。
「いやいや、すまなかった。迷惑をかけたね」
「ほほう、何だか気になる話ですね。願いの叶う糸、ですか。
それは一体?」
「ん? いやね――」
記者の顔になって、メモ帳とペンを取り出す文に、事細かに、その話をする霖之助。
はたては、それを横目で見ながら、霖之助から渡される『糸』を手に取った。
そうして、しばらくの間、それを眺めていた彼女は、一度、大きく息を吸い込み、目を閉じて、何かをつぶやいた後、それにすっと手を通した。
――すると。
「あ……」
何と、不思議なことに、彼女の手元で、それがぷつんとちぎれてしまったのだ。
「え……?」
「おおっ! すごいじゃないですか、はたてさん! 今、誰も何もしてませんよね!?」
「ああ、これはすごい。まさか、あの胡散臭い、眉唾の話が本当だとは」
「え? え?
ち、ちょっと待ってよ。そんな、願いが叶うとか……!」
「いやいや、これはいける! 行けますよ、はたてさん!
よし、これをネタにしましょう! あっちで、これから、皆さんで宴会をしますから! これを話の種に、まずは!」
「あ、ちょっと、文! そんな引っ張らないで……あー、もう! 浴衣がしわになるでしょ、このバカー!」
「はぅあっ!?」
実に楽しそうな、一言で言えば夫婦漫才を繰り広げながら、天狗二人は祭りの人波と一緒に、どこかへと行ってしまった。
霖之助は彼女たちを見送った後、ひょいと肩をすくめて、地面に落ちた『糸』を拾い上げる。
「まぁ、君はよくその役目を果たしたよ。眉唾物の言い伝えではあるが、鰯の頭も信心から、だ」
ちぎれた『糸』は、そのまま、店の中に置かれたゴミ箱に投げ入れられた。
彼は椅子に腰を下ろすと、傍らに置いておいた本を取り上げて、それを広げる。
「たまに、僕もいいことをするじゃないか」
そうつぶやいた彼の視線の先には、はさみが一つ、無造作に置かれていたのだった。
以下、花果子念報の記事より抜粋
先日、博麗神社の敷地全てを使った、盛大なお祭りが行われた。このお祭りは、秋の恵みたる五穀豊穣を願うための儀式が時を経るにつれて、その姿を変えたものであるということを、筆者は神社の巫女より伺うことに成功している。
さて、ただ外から取材するだけではつまらないと思い、筆者もまた、この祭りへと参加したのだが、とても楽しいものであった。
多くの人、多くの妖がそろう祭りの会場には、普段、見たこともないような物や者、そしてモノが集まっている。
中でも見所であったのが、巫女による、幻想的な巫女舞である。彼女からのインタビューも、後ろに記載してあるので、興味がある方は見て欲しい。
この祭りは、例年、規模を増しているそうである。
来年の祭りは、もっと規模の大きな、さらに賑やかなものとなることだろう。
その時には、今年、参加することの出来なかった方も、是非とも、祭りに足を運んでほしい。その日の夜は、きっと、格別な夜となることだろう。
また、以下は蛇足であるが、その祭りの会場で、出店を出していた『香霖堂』という店で、本日より、不思議な糸が売り出される。
この糸は、身につけて、何もしないままにちぎれると願いが叶うという魔法がかけられた糸であり、本当にその願いが叶うかどうかは、その願いの強さ、あるいは大きさに左右されるのだという。
あまりにも眉唾物の話であるが、筆者は、この店の店主から『糸』を受け取り、それが何もしないままにちぎれるのを目撃している。
まだ、その願いが叶ったかどうかはわからないが、少なくとも、筆者の周りで変わった動きがあるのは事実だ。これについては、追々、この紙面で紹介していくつもりである。
今のままではかなうかどうかわからない願いを抱えている諸君は、一度、このお店に足を運んでみるのもいいかもしれない
「何だかよくわからない記事なんですけど。これ」
「うるさいわね! ほっといてよ!」
「で、はたてさんのお願いって何だったんですか?」
「なっ……! な、何だっていいでしょ、このバカーっ!」
「だから何で今回、こんなに殴られないといけないんですか私ぃぃぃぃぃぃ!?」
ただ、そちらを読んでいなくても問題ありませんので、どうぞお気になさらずに。
彼女、姫海棠はたては鴉天狗である。
「……よし、いないわね」
辺りの様子を伺った後、一気呵成に、彼女はその場へと舞い降りる。
「久々ね、紅白の巫女!」
「名前で呼べ」
「……えーっと……何だっけ?」
「あんた、自称新聞記者のくせに、話しかける相手の名前も知らないとか何事よ」
「ぐっ……」
なぜか、妙に正論だった。
取材対象として目に付けた人物から説教され、胸の内にもやもやしたものを覚えるものの、彼女は「わかったわ。次からは、霊夢、って呼んであげる」と尊大に言い放つ。
彼女――霊夢の視線は冷たかった。
で、何? 冷えるような言葉を投げかけてくる。
「当然、わたしの新聞記事のネタになってもらうのよ。
聞いたわよ。今度、何だか面白いことをやるそうじゃない。その詳細を教えなさい」
「いや」
「何でよ」
「そんな尊大な態度に出てくるような相手に話すようなことなんて何にもなし。
ただでさえ、あんた達の印象は悪いんだから。知ってる?」
文のせいだ。
すぐさま、はたての頭の中で、『突撃取材』と称して、相手のことなどまるで考えない、ジャーナリストの片隅にも置けないことばっかりやっている輩の顔が頭に浮かぶ。
あいつのせいで、いつもこうだ。全く、何でわたしの足を引っ張るんだ、あいつは。
「わかったわ。じゃあ、下手に出てあげる。
今度、何をやるの? 教えてちょうだい」
「……はぁ。
あんたさ、正直に言うけど、人と話をしたこと、あんまりないでしょ?」
「ちっ……! な、何を言うのよ、あなた!」
「はいはい」
霊夢の指摘は当たっている。
彼女に、愛想らしき愛想がない原因が、まさに、霊夢に指摘されたことにあることを。彼女は、認めない。
「ふん! なら、もういいわよ!
あんたなんかに話を聞こうとした、わたしがバカだったわ!」
勝手に怒鳴って、勝手に背中を向けて、その場から飛び立とうとする。
「今度、うちの神社も協力して、この辺り一帯を使った秋祭りをやるのよ。当日は、色んなお店も出るし、たくさん、いろんな人が来るわ。
気になったら取材しに来れば」
その時、後ろから響く声。
振り向けば、霊夢が、はたてに背中を向けて、さっさかと竹箒で境内を掃除していた。
……ふん、何さ。
べーっ、と相手に向けて舌を出して、はたては空へと舞い上がる。あっという間に、その姿は空の彼方に点となって消えていく。
「鴉天狗ってやつは、文みたいにやかましいのは共通してるけど。その内側は、人間と同じで、やっぱり色々なんだな」
つと、掃除の手を止めて、霊夢の視線は空の彼方に向いた。
そうして、空を眺めていたのもつかの間のこと。彼女は再び、掃除を始めるのだった。
――で。
「文、あんた、人の家で何やってるのよ!?」
「おや、はたてさん。お帰りなさい。
いえいえ。つい先ほどですね、幽香さんから『これ、この前のお礼』って美味しいケーキを頂いたので、それをお裾分けにと思って来てみたら。これはびっくり、はたてさんがいないじゃないですか。
なので、せっかくだからと待っていたら、いつの間にか熟睡していたというわけで……」
「そこから降りろ!」
「にゃぅぁ!?」
何かよくわからない悲鳴を上げて、文ははたての愛用の椅子から叩き落される。
床の上でごろごろ転げまわった後、「暴力的だなぁ……」とつぶやき、彼女は起き上がった。
「ったく……!
ソファはあっちにあるでしょ! 何で、わたしの仕事場に入ってきてんのよ!?」
「それはもちろん、私のライバルの新聞を盗み見て、ネタをパクろう……」
「いっぺん死ねっ!」
「甘いっ!」
「ちぃっ! 相変わらず素早いわね、このバカ文!」
「わーはははは! 霊夢さんや魔理沙さんといった変態的実力者と戦い続けて磨かれた、私の戦闘力を甘く見ないことですね!」
と、何だかよくわからないやり取りをしばらく繰り広げた後、はたては文と一緒になって、テーブルを囲んでいた。
「……わぁ、美味しそう」
出されたいちごのショートケーキを見て、思わず目を輝かせる。
ちなみに、このはたて、相当の甘いもの好きである。東に美味しいお饅頭があればひとっ飛び行って購入し、西に甘い甘いチョコレートの特売があれば袋ごと買いあさり、北にここでしか飲めないジュースがあれば、一日泊まりも臆せずに、南に新規開店の甘味処があれば、我先にと朝から並ぶ。
そんな彼女の視界が、一瞬、真っ白に染まった。
「ちょ……何よ、文!」
「はたてさんのかわいい笑顔げっとー♪」
「なっ……!?」
見る見るうちに、はたての顔が赤くなる。
怒りと、羞恥と、自分に対する情けなさと。
もうとにかく色んな感情が交じり合い、『文ーっ!』と叫んで、立ち上がろうとした矢先に。
「はいどうぞ」
「むぐっ」
ケーキの切れ端を口に運ばれた。
しばらく、もぐもぐと口を動かしていたはたては、やがて、そそとソファに腰を下ろして、「こ、今回だけは許してあげるわ」とつぶやいた。
「はたてさんも、幽香さんのお店や紅魔館に行けばいいじゃないですか。美味しいお菓子が一杯ですよ」
「いやよ、遠いもの」
「そうですかねぇ。
普段のはたてさんなら、幻想郷の端っこにある、だーれも知らないような『地元の名店』にだって飛んでいくのに」
「……うっさいな」
「知り合いがいるから恥ずかしい、ですか?」
きっ、と彼女をにらむ。
はたてにとって、余計な一言を言った文は、飄々とした顔でケーキをつまんでいた。
「ま、はたてさんが行かないなら、私が行って買ってくるだけだし。
それならそれでいいかな」
「何よ、あんた。わたしにケンカを売りに来たの?」
「まさか。
最初に行ったじゃないですか。お裾分け、って」
そう言う本心はどこにあるのか。
相手の腹積もりを探るつもりで、じっと視線を向けるはたてに、文は応えなかった。代わりに、自分の分のケーキを平らげると、『満足、満足』とおなかを叩いて、ソファに寄りかかる。
「そういえば、今度、神社でお祭りがあるそうですね」
「……らしいわね。霊夢に聞いたわ」
「おお、珍しい。はたてさんが、天狗仲間以外を名前で呼ぶなんて」
「うるさいわね、もう」
「で、どうするんですか? 行きますか?」
「行かない」
「はぇ?」
つんとした口調のはたて。
親の仇、と言わんばかりに、目の前のケーキにフォークを突き刺して、それを丸かじりする。口の周りがクリームで汚れることなど、全く気にしないという、なんとも見事な態度である。
「何でまた。面白いネタだってありますよ、きっと」
「行かないったら行かない」
「ふぅん……」
すると、文はいきなり、物陰をごそごそし始めた。
ややしばらくして、「じゃ~ん」などと言いつつ、何かを取り出す。
「……何それ」
「浴衣ですよ。かわいいでしょ」
テーブルの上に広げられたのは、見事な紅葉の模様が美しい浴衣。その見事さに、思わずはたての視線が、それに釘付けになる。
「これ、香霖堂のご主人に頂いたんですよ。
香霖堂、ご存知ですか?」
「知らない。何それ?」
「簡単に言うと、胡散臭いご主人が胡散臭いものを胡散臭く売っている胡散臭いお店ですよ」
ちょうどこの時、遠い地で、まさにその主人がくしゃみをしていたりする。
それはともあれ、はたては、『ふーん……』と気の乗らない返事をするだけだった。どうやら、目の前の浴衣に、完全に心を奪われてしまったようだ。
「これ、着てみたくありませんか?」
「え? いいの?」
「ええ。正直、私はおしゃれとか興味ありませんから」
「……じゃ、じゃあ、その……」
「ただし。条件があります」
手を伸ばすはたてに待ったをかけて。
文は言う。
「秋祭り。一緒に行きましょ」
「……は?」
「ちょうどアシスタントが欲しかったんですよ」
「ひ、人を何だと……!」
「いいじゃないですか。
それに、私もはたてさんの浴衣姿、見てみたいなぁ、なんて」
「なっ……」
かーっ、と彼女の顔が赤くなる。
何やらぶつぶつつぶやきつつ、視線を逸らした後。ややしばらくしてから、「……し、仕方ないわね」と彼女は言った。
「い、言っておくけど、あくまであんたの手伝いだからね! それ以外に、別に、変なこととか考えてないんだから!
いい!? わかった!?」
「ええ、わかってますとも。
それじゃ、これ、置いていきますね。当日は迎えに来ますので、どうぞよしなに」
立ち上がる文は、一瞬だけ、はたてに視線を向ける。
その視線を、本当に一瞬だけ、彼女の視線と絡めてから、文ははたての家を後にした。
その次の日。
幻想郷の空を飛ぶはたては、つと、足下に変な建物を見つけた。
変な、という以外、なんとも形容しがたい面構えの建物。舞い降りて、窓から中を覗けば、何だかよくわからないものが、種々雑多にごちゃごちゃと詰め込まれている。
彼女の視線は、頭の上へ。
そこには『香霖堂』の文字があった。
……ああ、ここが、文の言っていた胡散臭い店か。
うなずき、もう一度、窓から店の中をうかがう。……なるほど、確かに彼女の言うことは間違ってないようだ。中を見ても、一体何の店かわからないのだから。
「確かに胡散臭いわね」
「人の家を外から覗いている君も、だいぶ胡散臭いよ」
「わっ!?」
いきなり後ろから声がして、彼女は壁に張り付くように飛びのいた。
振り向けば、一人の男性が立っている。彼は片手に、なぜか釣竿を持っていた。
「な、何よ、あんた!」
「僕の名前は霖之助。この店の主人さ。君は……確か、はたてとかいったか」
「何でわたしの名前を知ってるのよ!」
「さあ、何でだろうね。
ともあれ、そこでそうしていると、女の子らしからぬ罪に問われるよ。中に入るといい、お茶くらいは出そう」
ドアを開けて、彼は建物の中へ。
鍵もかけてないなんて無用心な男ね、と思いながら、はたてはそっと、戸口へと近づいていく。
「この建物は風通しがよくてね。早くドアを閉めてくれないか」
「わ、わかったわよ」
招かれるまま、室内へ。
ドアが閉じられると、途端に、部屋の中が静かになった。壁にかけられた時計の秒針の音が、やけに耳に響く。
「あんた、ここで何してんのよ」
「見ての通り、物を売っている」
「客がいないんだけど」
「一日に一人か二人、来ればいい方さ」
もっとも、誰も来ない方が静かでいいけどね。
彼はそう言って、カウンターに湯飲みを置いた。そして、椅子に腰掛けると、何やら分厚い本を取り出して、それに視線を向ける。
「……あんた、無愛想ね」
「君ほどじゃない」
「一応、わたしは客なんだけど」
「お茶を飲むだけとか、騒ぐだけとか。あまつさえ、食事をたかりに来ながら、『自分は客だ』という珍客が多くてね。
何かものを買ってくれない限りは、それは僕にとって客じゃない。ただの『来客』さ」
何だか言いくるめられた気がした。
ぶすっとした顔ながらも、はたてはカウンターに近寄り、置かれたままの湯飲みを手に取る。
「さっき、何しに行ってたの」
「つりだよ」
「びくも持たないで?」
「何もつれなかった」
「へたくそなのね」
「えさを持っていかなかったのが原因かもしれない」
「は?」
「実を言うと、針のつけ方も知らないんだ」
何だ、こいつは。
はたての視線は彼に向けられる。
彼が一体、何をしたいのか。そもそも何なのか、さっぱりわからない。なるほど、文の言った通り『胡散臭い奴』なのは間違いない。
ただ、その胡散臭さが常軌を逸してると言うべきか。
「何を読んでるの?」
「本だ」
「そんなの見ればわかる」
「入門編、と書かれているな」
「何の入門編なのよ」
「それはわからない」
「はぁ?」
「とりあえず、読んでみれば、僕はこの筆者の世界に入門できると思ったから読んでいる。そして、意外とつまらないから、そろそろ読むのをやめようかなとも思っている」
にしては、最後まで読んでしまったけどね。
彼はそう言って、手にした本を閉じると、店の中にある、本が陳列されている棚に載せた。どうやら、彼が飽きたものは売り物となるらしい。
値段もつけずに売るつもりなのだろうか、とはたては思った。口には出さないまでも、『変な奴』という視線を彼に向ける。
「この店は、一体どういう店なのよ」
「たまに喫茶店。たまに社交場。たまにレストラン。普段は雑貨屋だ」
「何か変なもの、一杯あるけど」
「仕入れ代がかからないから、物の売り上げが全て利益になる。
落ちてるものを拾って、勝手に自分のものにしてしまうと、外の世界じゃ犯罪行為らしいがね」
とある巫女に教えてもらったよ、と彼は言う。その手には、また新しい本があった。
「お茶が冷めるよ」
「う、うるさいわね」
言われて、ぐいっと湯飲みの中のお茶を口に含み、あまりの熱さに七転八倒する。
彼はそんな彼女に「何をやってるんだ」と言ってから、店の奥から、冷たい水の入ったコップを持ってきた。
「君は、かなりのドジだね」
「う、うるひゃいっ!」
舌をやけどしたのか、まともに喋れない彼女は、涙目になって反論した。
「天狗というのは風変わりが多い。
もっとも、まっとうなものは、幻想郷の空気にあわないような気がする」
「……それ、あんたも、自分が『変人』って言ってるようなもんよ」
「それは僕も実感している」
よく言われるんだ、と彼は言う。
またはたては『変な奴』と思った。
「……ところで、最初の質問。あんた、覚えてる?」
「意外なことに忘れた」
「意外でも何でもないけどね」
ようやく落ち着いたのか、ふぅ、と息をついて彼女は言う。
「わたしは、あんたに会うのは初めてよ。
何で、あんたはわたしの名前を知っていたの」
「それは、僕がエスパーだからさ。君の心の中を覗かせてもらった」
「はぁ?」
「まぁ、冗談はさておき」
本当に冗談なのだろうか。
彼が言うと、どんな言葉も胡散臭く聞こえるから不思議だ。言葉というのは、雰囲気一つで、ここまで顔を変えるものかとはたては思った。
「今度、秋祭りがあるらしいね」
「ああ……そうね」
「君は行くのかな?」
「……行く」
「そうか。
僕も当日は、そこに店を出すつもりだ。ぜひ、寄っていってくれ」
「いやよ。あんた、変だもの」
「意外と、僕は人気者だよ」
祭り限定でね、と彼。
ふと気がつくと、彼は手にした本を、後ろに放り投げていた。よほど面白くなかったらしい。彼のおめがねにかなわないものは、店の陳列棚に並ぶのも許されないようだった。
「君達、天狗は新聞を作っているんだったね」
「……そうだけど」
「じゃあ、僕の記事も書いてくれないか。もちろん、お礼はしよう」
立ち上がった彼は、店の棚から何かを取り上げた。
……見ると、一本の糸だ。糸というには太さがあるから、よく言えばリングか。色はオレンジで、それほど趣味がいいとは言えそうもない。
「これを君にあげよう」
「どう見てもごみね」
「まぁ、そう言わないでくれ。これはすごいものなんだ」
「嘘ばっかり」
「嘘は言わないさ。冗談は言うがね」
彼はそう言うと、その『糸』の説明を始める。
彼が言うには、この『糸』は、持ち主の願い事をかなえてくれる魔法を宿しているらしい。かなって欲しい願い事をこめて腕にそれを身につけて、その糸が自然に切れると、その時、願い事がかなうのだという。
「あいにく、手に入ったのがこれ一本だけでね。本当に願いがかなうかどうかは、誰かに試してもらわないとわからないんだ。
どうだい。実験台になってくれないか?」
「……そんなこと言われて、誰が『はい、わかりました』って言うと思ってるのよ」
「お金は取らないよ。
君は秋祭り当日、僕の店に遊びに来て、『香霖堂はこんなに素晴らしい店だ』と喧伝する記事を書いてくれれば、それでいい」
「……ふん。気が向いたらね」
「じゃあ、どうぞ。お客様」
渡される、よくわからない、正体不明の怪しい糸を、彼女はとりあえずポケットに入れた。
これで契約成立だ、と彼は勝手に宣言すると、またカウンターに座って本を広げる。ちなみに、今度のものは、最初の数ページを読んだだけでゴミ箱に放り込まれてしまった。
「言っておくけど、気まぐれだからね」
「期待はしてないよ」
「変な奴」
「よく言われる」
三度目の言葉をつぶやいて、はたては彼に背を向けた。『お茶、ご馳走様』と、一応、礼は言ってから店を後にする。
空へと舞い上がり、一度だけ、店の上空で旋回してから、彼女は家に向かって飛んでいった。
さて、それから数日後のことだ。
「はたてさーん、お祭りに行きましょうよー」
「あ、あんた、本当に来たの?」
「ええ、もちろん」
いきなり、はたての部屋の窓をノックして現れた文は、にこっとはたてに向かって微笑んだ。
はたては、大慌てで『玄関から入ってきなさいよ!』と怒鳴ると、ぷいっとそっぽを向く。
そうして、文を招きいれたはたては「めんどくさいんだけど」と抵抗するのだが、文に『そんなこといわずに』と押し切られてしまった。
渋々――としていると思っているのは本人ばかりなりなのだが――、浴衣に着替えを終えたはたては、『ほら、これでいいんでしょ』と文の前に姿を現す。
「いいですねー、お似合いですよ。
これで、もうちょっと色気があれば完璧だったんですけどね」
「……一回死んでみる?」
「おっと、それは勘弁」
ぱしゃぱしゃと彼女を撮影していた文は、『それじゃ、行きましょう』とはたての手を取った。
「ちょ……! い、いきなり手を握らないでよ!」
「いいじゃないですかー。
……っと? その右手のは……」
「うるさい、バカ!」
ちらりと浴衣の袖から覗く、オレンジ色の何か。一瞬、それを認めた文の顔に、はたての恥ずかしまぎれのパンチが炸裂したのだった。
祭りは、博麗神社の周囲一帯を使って行われるということだった。
なぜかというと、神社の境内だけでは入りきらないほどの人や出店が集まるからだ。普段は閑散としているというのに、その日の夜は、人だらけだった。
「うわ……」
「どうしたんですか?」
「あ、い、……うん……」
そして、初めて、そんな大勢の人の群れを見るはたての足が止まってしまう。そんなに驚かなくても、と笑いながら、文は彼女の手を引いた。
「……何か色々あるのね」
「この日は、霊夢さんも『今日こそ稼ぎ時』って張り切りますからね。あっちこっちに声をかけて、たーくさん、人を集めますよ。
ちなみに、霊夢さん自身は、あっちこっちの秋祭りに出没してるんですけどね」
「え? そうなの?
あいつ、ここに引きこもってるわけじゃないんだ」
「そうなのですよ。全くもって意外ですが」
本人が聞いていたら、間違いなく蹴りを入れられているだろう発言をする二人。
人の多さに戸惑い、あちこちをきょろきょろ見ているはたてと、その人の流れに慣れている文。二人の間に、会話が尽きることはない。
「……何、あれ。やきそば?」
「買いますか」
店に足を運ぶと、そこに立っていたのは、なぜか魔理沙だった。
「何やってるんですか? 魔理沙さん」
「ああ、何だ、文か。
ふふふ……実はだな。アリスの店と人の入りでどっちが多いか、勝負してるんだ」
と言っている彼女の傍には、その『対決』しているはずの人形遣いが操っている人形たちが甲斐甲斐しく働いている光景がある。
「この勝負で勝てば、うまいワインが飲み放題だからな。負けられないんだ。
というわけで、お前ら、何か買ってけ」
「何か、って焼きそばしかないでしょう?」
「ばれたか」
ぺろりと舌を出す彼女。その視線ははたてへ。
「何だ、天狗の相方もいるなんて珍しいよな」
「相方、って……」
「はたてさん、焼きそば初めてなのですよ。だから、量は多めに」
「しゃーないな。こいつは魔理沙さんからのサービスだ」
ほれ、と山盛りの焼きそばが、紙皿に載せられて突き出された。文は彼女に代金を支払うと、「頑張ってくださいね」と言葉を残して、はたての手を引く。
「……これ、食べ物よね?」
「そうですよ」
「……黒いおそばなんて初めて」
一口、ぱくり。
「……へぇ。変わった味だけど悪くないわね」
「私にも下さいよ。お金、出したの私なんですよ」
「ああ、悪いわね。はい」
「あ~ん」
「……はいはい」
立ち止まって、まるでひな鳥のように口を開ける彼女の口に、やきそばを押し込む。文は、美味しそうにそれをもぐもぐごっくんとしてから、「いやぁ、やはり祭りの食べ物は美味しいですねぇ」と、誰に言うともなく歓声を上げた。
「ねぇ、文。あっちのあれは何よ」
「あっちのは……リンゴ飴ですね」
「え? リンゴ飴? リンゴが飴?」
「そうですよ」
「……どうやって食べるの?」
「じゃ、百聞は何とやらですから」
また、お店によって、リンゴ飴購入。
手渡される、大きな飴をしげしげ眺めながら、はたては恐る恐る、それを一口した。
「ああ、そうじゃないんですよ。これはね、かじるんですよ」
アドバイスしながら、文ががぶりと飴をかじる。
ほらね、と笑う彼女の顔と、手元のリンゴ飴を何度も見ながら、同じように。
「……あ、リンゴ……」
「秋はリンゴの季節ですから。美味しいですよ」
「……そうね。
ねぇ、文。文って、こういうお祭り、結構、来るの?」
「そりゃ、祭りとケンカは江戸の華、と言いますからね」
「江戸、ねぇ……。
そう言えば、あんた、以前、お城に忍び込んで捕まらなかった?」
「ありましたねぇ……。あの時は、本気で殺されるかと思いましたよ」
「当時の城主様が動物好きで助かったわよね」
あはは、と笑いながら彼女は言った。
そんな彼女に向けて、また、文がカメラのシャッターを切る。
「……まぶしいんだけど」
「はたてさんのかわいい笑顔は、フラッシュよりもまぶしいですよ」
「……何、それ」
「以前、紫さんに『女殺しの文句』として教えてもらいました」
だけど、不思議と、その言葉を使うと、逆に自分が殺されてしまうのだ、と文は言う。それはたぶんに、言う相手を間違ってるんじゃなかろうか、とはたては思った。
その理由は……、
「……ふん」
特に何も言い返すこともなく、顔を赤くしてそっぽを向く自分を意識したからだ。
「人、多いですねぇ」
そんなことを言う文が、はたての手を、無意識に握り直した。
その彼女の行動に、一瞬、自分の胸が大きく高鳴るのを感じながら。その瞳を、自分の手に向けてから。
……小さく、彼女は息を呑んだ。
「お、萃香さん」
「おー、文ちゃ~ん。うぃっく」
提灯の明かりの下で、一人の子鬼が酒を飲んでいる。彼女はすでに酔っ払っているのか、文に対して、ずいぶんフランクな口調で声をかけた。
「こんばんは。やってますか?」
「やってまーす!
文ちゃんも飲め飲め!」
「それでは頂きましょう」
文は、何の気なしにはたてから手を離して、萃香の隣に並んでしまった。
あ……、とはたては声を上げるも、文の背中を追いかけることが出来ない。一瞬、立ちすくんでしまった次の瞬間、二人の間に人波が入り込んだ。
「わ、ち、ちょっと」
その流れに押され、思わずたたらを踏んでしまい、気がつけば、その人波に流されてしまって。
「……もう」
彼女は、文と離ればなれになってしまった。
一人、憤りの表情を見せていた彼女は、気を取り直したのか、それとも、別のものに気を向けるつもりなのか、一人で辺りを歩き始める。
「……これ、何だろう」
目の前に、大きな水槽のようなものがある。その中を、無数の、色とりどりの魚が泳いでいた。
「えーいっ!」
「あら、お上手ですわ、フランドール様」
「やったやった!
おじちゃん、これ、ちょうだい!」
「おうよ! 持っていきな、お嬢ちゃん!」
「……むむむ……」
「レミィ、フランはもう捕まえたわよ。いつまで粘るの」
「う、うるさいわね! ちょっと待ってなさい! 今、一番大きなのを捕まえて……よしっ!」
「見事に穴が空いたわよ」
「あー、残念だったな、お嬢ちゃん。
ほれ、楽しんでくれてありがとな。一匹やるよ」
「うぐぐ……!」
なにやら楽しそうに、それを捕まえる遊びをしている四人組。もっとも、遊んでいるのは小さい二人だけで、他二人は、後ろからその様子を見守っているだけのようだ。
「冗談じゃないわ! この夜の王、レミリア・スカーレットが情けなんてかけられてたまるものですか!
もう一回よ!」
「お嬢様、お小遣いは増やしませんよ」
「ぐぐぐぅ……!」
そんなやりとりの後、四人組は次なる店に向かって歩いて行った。
彼女たちの背中を見送るはたてに、「どうだい、お嬢さん。一回ならサービスだ」と、店の主人が何やらよくわからないものをつきだしてくる。
「……何、これ」
「うちは金魚すくいさ。うまいことすくえたら持って帰ってくんな」
渡されたそれをつんつんと突ついていた彼女は、『……それなら』と、器用に浴衣の裾を曲げながら膝を落とす。
「えいっ」
無造作に、手にしたもの――モナカで作られた網をざばっと水の中に突っ込んで。
「ちょっと、壊れたんだけど!」
当たり前と言えば当たり前の結果に、彼女は大きな声を上げた。
「そりゃ当然さ。誰も彼もさっさとあげていたら商売あがったりじゃないか」
「だ、だけど、さっきのは……」
「ちびっこに優しいのが俺っちの信条でね」
「何よ、もう!」
こんな遊び、やってられないわよ! と憤りながら、彼女は踵を返した。「祭りの風流ってやつを解さない姉ちゃんだなぁ」という、店主のつぶやきは聞こえないふりをして。
「……ったく、何よ。あんな不良品渡してきて。わたしのことをバカにしてるわけ?
人間なんて、みんなあんな感じなんだから」
そんな風にぶつぶつ文句を言いながら歩く彼女。そのせいで、普段より大股に、また、大きく手を振るような歩き方になってしまっていたため、当然のごとく、前から来た相手にぶつかってしまった。
しかも、相手の方が遙かに体格がいいため、弾き飛ばされて尻餅をついてしまう。
「おっと、ごめんよ、お嬢さん。ケガはないかい?」
「……ったぁ~!
何よ、ちゃんと前を見て歩きなさいよ! このバカ!」
「あちゃ……ひどい言われようだよ」
相手は苦笑を浮かべながら、はたてに向かって差し出した右手で自分の頭をかいた。
はたてはお尻をほろいながら立ち上がると、ふん、とその横をすり抜けようとする。――のだが、
「お待ちなさい」
後ろから声。
何よ、と憤りながら振り返ると、一人の少女がはたてを見据えている。
「何よ、あんた。年上に対して生意気な態度取ってんじゃないわよ」
「何を他人に対して、そこまで攻撃的になっているのですか。祭りの空気を乱すような輩は迷惑です、立ち去りなさい」
「はぁ!? 何であんたみたいな子供にそんなこと……!」
「相手のことを見た目でしか見極められないとは、天狗の瞳も、ずいぶん曇ったものですね」
「なっ……!」
「あー、タンマタンマ。
あ、ほら、四季さま、今のはさ、あたいが悪かったわけですから。やめましょ、そういうのは」
「何を言うのですか、小町。今のは、明らかに彼女の方に非があるでしょう。相手をかばうという気持ちは悪い感情ではありませんが、それも時と場所に……」
「だーかーらー。そういうお説教が、こういう場に似合わないんですってば。
あ、ほら、悪かったね。あたいは気にしてないからさ、お互い、祭りを楽しもうじゃないか」
そう言うと、彼女はひょいと少女を小脇に抱えてしまった。
抱えられた少女が「こらー! 降ろしなさーい!」と叫びながらじたばた暴れる。それを気にせず、彼女は『それじゃね』とはたての肩をぽんと叩いて去っていった。
「……何よ」
少女の言葉に怒りを通り越した感情すら覚えていたはたては、小さくつぶやく。
すっかり興を削がれてしまった。
そんな表情を浮かべながら、踵を返す。
「……別に、怒ってる訳じゃないんだから……。ただ……」
右手を見つめる。
何もつかんでいないそれをじっと見つめていた彼女の背中に、どすん、と小さな子供がぶつかった。振り向き、「気をつけなさいね」と、彼女は子供に注意して、また歩いて行く。
「つまんない……。帰ろうかな……」
祭りの会場に来た時は、あんなにわくわくしたというのに。
文と一緒に歩き回っていた時は、あんなに楽しかったというのに。
何だか、今はとてもつまらない。
「……帰ろう」
一瞬だけ目の前がじわっとにじんだ。
よくわからない、もやもやした感情が胸の中に広がっていって、とても気持ちが悪い。だから、彼女は、『家に帰ろう』ともう一度、心の中でつぶやいた。
そうして、空に飛び上がろうとした時だ。
「どこ行くのよ」
後ろからかけられた声に振り返る。
「……えっと」
「霊夢。あんた、数日前に逢った人間の名前すら忘れるわけ?」
「悪いけど、鳥頭なもので」
「そういう皮肉だけはいっちょまえだわ。鴉天狗って、みんなこんな感じなのかしら」
何よ、と険悪な視線を相手に向ける。
霊夢は、ふぅ、と息をついてから腕を組む。
「店を出してるおじさんからね、『何だか変わった子がいたよ』って言われてさ。
その子が歩いて行った方向に歩いてみたらあんたがいたってこと。で、間違いなく、あのおじさんが言っていたのはあんたのことだと思ったのよ」
「だったらどうしたってのよ」
「そんなにつんつんしないで、祭りを楽しめって言いに来たの。
あんたにとっては余計なお世話かもしれないけど、お祭りって楽しいもんよ。別に何をするでもなく、適当に歩き回ってるだけでもさ」
「それが楽しくないから帰るのよ」
相手のことを突き放す発言に、霊夢は頭に手を当ててため息をつく。
「んじゃさ、せめて、巫女舞だけでも見ていってちょうだい。今年の舞は、いつもよりすごいはずだからさ」
「そんなの興味ないわ」
「……あ、そ」
そして、めんどくさくなったのか、それとも言うだけ無駄だと判断したのか、「じゃ、好きにしなさい」と、彼女の横をすり抜けざまに、その肩を叩く。
「向こうで文が探していたわよ」
その一言に、慌てたようにはたては霊夢を振り返った。
しかし、霊夢は振り返ることもなく、祭りの人波に飲まれ、その姿を、彼女の前から消してしまった。
しばし佇む彼女。その彼女の背中に、「あ、いたいたー」と声がかかる。
「あー、探した探した。
どこへ行ったのかと思いましたよ、はたてさん」
「……」
「どうですか? お祭り、楽しいですか?
いやはや、まさか、はたてさんが一人で祭りの中を楽しんでくれるとは……」
「楽しくないわよ、こんなものっ!」
脳天気で、何もわかっていない彼女の言葉に、思わず、はたては叫んでしまった。
その一瞬で、流れていた人波がぴたりと止まり、道を作る数々の店からも視線が向けられる。
「ちょ……ど、どうしたんですか。いきなり。
ああ、ちょっと、人の目が……。あ、ほら、あっちに行きましょう。あっちに、にとりさんとかも……」
「あんた一人で行けばいいじゃない! わたしはもう帰る! こんなの、これっぽっちも楽しくないっ!」
「え、えっと、私が何か悪いことでも……」
「うるさい、バカ!」
「あ、ちょっと待って下さいよ! 向こうで、皆さんが、はたてさんが来るのを待って……!」
「離しなさいよ、このバカっ!」
叫び、彼女の手を振り払った瞬間。
文が首から提げていた、『この前、新しく手に入れたおニューのカメラなんですよ』と、嬉しそうにはたてに見せびらかしていたそれに。
――彼女の手が引っかかった。
「あ……」
ぷつん、という感覚。
同時に、文の頭からすぽっと抜けたカメラが地面に落ちて、レンズが割れる音が響く。
……しん、と静まる空間。
「ありゃ……」
最初に、その静けさを破ったのは文だった。
地面に落ちてしまったカメラを拾い上げると、「……何だ、レンズが割れただけか」と小さくつぶやく。そして、もう一度、それを首から提げると、「はたてさん、ケガはありませんか?」と笑顔を浮かべた。
とはいえ、その笑顔には、少しだけ険悪なものも混じっている。彼女からしてみれば、せっかく『一緒に遊ぼう』と声をかけていたというのに、相手がいきなり癇癪を起こして、あまつさえ、自分の大切なカメラを壊してくれたのだ。怒らない理由もない。
しかし、それを口に出したりはしなかった。精一杯、優しい声を出したつもりだった。
「……バカ……」
だが、返ってきた言葉は、予想していなかった言葉だった。
「え?」
「……バカ……。文のバカ……! 何で……何で……こんな……!」
はたてはぺたんと地面に腰を落として、何かを手に持っているようだった。
目をこらすと、文の目には、それは何かの糸のようにも見えた。はたては、それを手に持って、泣いているのだ。
「いえ……あの……。
と、とりあえず、ケガはないですか? それならよかったです。その糸みたいなものが大切なんですね、それなら、今すぐ代わりを……」
相手を気遣い、言葉を続けようとした次の瞬間、響いたのは乾いた音。
「文のバカっ! あっち行けっ!」
「……えっと……」
「もう、あんたのことなんて、金輪際、友達とも何とも思わないっ! わたしの前からいなくなれっ! この……この……!」
次の言葉が続かない。
彼女は声を飲み込み、その場から走り去っていってしまった。
全く事態が飲み込めず、目を白黒させながら。しかし、彼女に張られた頬の痛みだけはしっかりと覚えながら。
一人、文は立ち尽くす。
泣きながら祭りの会場を走り回って。
誰かにぶつかって転ぶたびに、『大丈夫かい』と声をかけられて。
……いつしか辿り着くのは、人の姿もない、雑木林の中。その中に佇む、ひときわ太い木の幹に背中を寄せて。
「あのバカ……! 何で、わたしがこんな目に……!」
気を落ち着けてみても、出てくるのは文に対する汚い言葉ばかり。
胸の中に広がるもやもやが収まらない。消えていかないそれに胸を圧迫されて、紡がれる言葉は呪いの言葉ばかり。
やめろ、と頭が命令しても、心が言うことを聞いてくれなかった。
「文なんて……文なんてっ……!」
大きく吸い込んで、次の言葉を吐き出そうとした瞬間、ひときわ大きな声で、頭の中に声が響く。
――やめろ。
ただ、その一言だけが。
大きく吸い込んだ空気が行き場を失って胸を広げていく。肺が肋骨に抑え込まれ、激痛が走った。
あまりの痛みに体を丸めてうずくまり、何度も何度も咳き込んで。
「……っ……」
目元に浮かんだ涙をぬぐい、何とか身を起こす。
「……バカ……」
手元に落とす、その視線。
先日、あの胡散臭い主人にもらった、『願いの叶う糸』が切れてしまっている。
あの主人は言っていた。
『何も手を加えず、自然に切れたら願いが叶う』
……ということは、誰かの手によって、人為的に切れてしまったら願いは決して叶わないと言うことだ。彼女の願いは、絶対に叶わないのだ。
全部が、文のせいで。
「……違う」
頭の中に思い浮かんだ言葉を、自分で否定する。
そう。
悪いのは彼女ではない。
悪いのは、全部、自分だ。
何だかよくわからないけど、勝手に苛立って、勝手に癇癪を起こして、あまつさえ、何も悪くないはずの文に手まで上げてしまった。
今、自分がこんな気持ちになっているのは、全て自分のせいだ。全部、自分が悪いのだ。
だけど、その理由がわからない。
何でこんな気持ちになっているのか。そもそも、何でこんな気持ちにならないといけないのか。
「どうして……」
ゆっくり、その場に立ち上がる。
視線を雑木林の向こうに向けると、祭りの灯りが見えた。
「……謝ろう」
意気消沈とはこういうことを言うのかもしれない。
自分で自分のことを分析するように、彼女は思った。
何をするにも億劫で、何もする気が起きなくて。だけど、心がそれでは納得しなくて。
だから、今の自分に出来る唯一のこと……さっきのことだけでも、文にわびようと思った。彼女がそれで許してくれるかはわからないが、少なくとも、このごちゃごちゃした感情だけは何とか出来そうだった。
一歩、二歩。
ふらふらと、揺れるように祭りの会場へと戻ってきて。
「あ……」
――そこはちょうど、神社の境内の中で、一番、神社に近い場所だった。
天を衝くかがり火の明かりに照らし出された幻想的な光景の中で、舞を舞う巫女の姿が一つ。響くお囃子の音に合わせて舞う彼女の姿を、多くの人々が見入っていた。
緑の髪が夜闇に紛れてさらさらと揺れる。かがり火の紅が彼女を朱に照らし出す。右へ左へ流れていく舞に、幽玄を醸し出す音色が重なり、そこはさながら現世を遠く離れた地のよう。
人々が集まる、その中に、はたても混じる。
彼女の視線は、目の前の、浮き世の光景に吸い付くようだった。
……ぽたりと、瞳から、収まっていたはずの涙が一雫。
「よかったら使って下さい」
隣から唐突にハンカチが差し出された。
振り向くと、そこには、文の姿。
「ようやく見つけましたよ。どこに行ったかと思ったら」
「……何よ」
「びっくりしましたよ。いきなりひっぱたかれるとは思ってませんでした」
あはは、と笑いながら、彼女は真摯なまなざしをはたてに向けると、『ごめんなさい』と頭を下げた。
「……え?」
「はたてさんの大切なものを、私は壊してしまったようですから。それなのに軽率な発言でした。
いやぁ、自分の口の軽さを呪いますよ、こういう時は。
はたてさんに嫌われたかと思っちゃいましたしね」
「そんなこと……」
「あれ? そうじゃないんですか?
あはは、それはよかった。友達に嫌われることほど辛いことはないですからね」
友達。
その単語に、頬が熱くなった。しかし、心の中では、それを無視して、一気に膨れ上がる感情がある。
――はたてはハンカチを受け取ると、それで目元をぬぐった。そして、それを文に返すと、「こっちこそごめんなさい」としおらしくつぶやいてみせる。案の定、文は目を丸くして『うぇっ!?』と驚いてみせた。
「何よ」
「いえ……その……はたてさんが誰かに頭を下げるのが想像出来なかったというか……」
「わたしだって、自分が悪いと思ったら、素直に頭を下げるわよ。
だけど……それだけじゃないんだけどね」
「は? と、仰ると?」
「……いい。もう二度と、誰にも言うつもりはないから」
「えー? 何かそれって卑怯じゃないですか?
教えてくれても……」
「きっと、あんたにこれを言ったら、あんたはわたしから離れていくから。だから、言わない」
「……?」
首をかしげる文。
はたては、そんな彼女に、辛そうな、寂しそうな笑顔を向けると、『いいの』と微笑んでみせた。
……文は、その彼女の心の機微に気づいただろうか。しばらくはたてに向けていた視線を収めるように、彼女から視線を逸らすと、「それでですね、はたてさん。実は――」と話を切り出した。
彼女に手を取られ、その場を後にするはたて。つと、後ろを振り返ると、舞を舞う巫女の視線が、一瞬だけ、自分に向いているような気がした。
「やあ」
「……ほんとにいたのね」
祭りの賑やかな会場の中、異様な雰囲気を振りまいている店がある。
何やら、ゴミとしか思えないがらくたがごちゃごちゃと並べられた店頭の片隅には『お茶どうぞ』と、異様な達筆で書かれた看板。
はっきり言って、何がしたいか、全くわからない。
「すいません、霖之助さん。はたてさんを連れてきました」
「ああ、ありがとう」
「それで……何か用?」
「ああ。
いや、実はだね。先日、君に渡した、あの『願いの叶う糸』のことなんだが。あの後、店の中を探ったら、全く同じものが出てきてだね」
そう言う霖之助の手には、先ほど、文とのどたばたのせいでちぎれてしまった糸と同じものがあった。
「それで思い出したんだよ。
ああ、そう言えば、それを量産することが出来たら、僕の店の、新しい目玉商品になるな、と思って自分で作ってみたことをね」
そして、君に渡したのは、僕の作った『まがい物』だったんだ、と彼は言う。
「いやいや、すまなかった。迷惑をかけたね」
「ほほう、何だか気になる話ですね。願いの叶う糸、ですか。
それは一体?」
「ん? いやね――」
記者の顔になって、メモ帳とペンを取り出す文に、事細かに、その話をする霖之助。
はたては、それを横目で見ながら、霖之助から渡される『糸』を手に取った。
そうして、しばらくの間、それを眺めていた彼女は、一度、大きく息を吸い込み、目を閉じて、何かをつぶやいた後、それにすっと手を通した。
――すると。
「あ……」
何と、不思議なことに、彼女の手元で、それがぷつんとちぎれてしまったのだ。
「え……?」
「おおっ! すごいじゃないですか、はたてさん! 今、誰も何もしてませんよね!?」
「ああ、これはすごい。まさか、あの胡散臭い、眉唾の話が本当だとは」
「え? え?
ち、ちょっと待ってよ。そんな、願いが叶うとか……!」
「いやいや、これはいける! 行けますよ、はたてさん!
よし、これをネタにしましょう! あっちで、これから、皆さんで宴会をしますから! これを話の種に、まずは!」
「あ、ちょっと、文! そんな引っ張らないで……あー、もう! 浴衣がしわになるでしょ、このバカー!」
「はぅあっ!?」
実に楽しそうな、一言で言えば夫婦漫才を繰り広げながら、天狗二人は祭りの人波と一緒に、どこかへと行ってしまった。
霖之助は彼女たちを見送った後、ひょいと肩をすくめて、地面に落ちた『糸』を拾い上げる。
「まぁ、君はよくその役目を果たしたよ。眉唾物の言い伝えではあるが、鰯の頭も信心から、だ」
ちぎれた『糸』は、そのまま、店の中に置かれたゴミ箱に投げ入れられた。
彼は椅子に腰を下ろすと、傍らに置いておいた本を取り上げて、それを広げる。
「たまに、僕もいいことをするじゃないか」
そうつぶやいた彼の視線の先には、はさみが一つ、無造作に置かれていたのだった。
以下、花果子念報の記事より抜粋
先日、博麗神社の敷地全てを使った、盛大なお祭りが行われた。このお祭りは、秋の恵みたる五穀豊穣を願うための儀式が時を経るにつれて、その姿を変えたものであるということを、筆者は神社の巫女より伺うことに成功している。
さて、ただ外から取材するだけではつまらないと思い、筆者もまた、この祭りへと参加したのだが、とても楽しいものであった。
多くの人、多くの妖がそろう祭りの会場には、普段、見たこともないような物や者、そしてモノが集まっている。
中でも見所であったのが、巫女による、幻想的な巫女舞である。彼女からのインタビューも、後ろに記載してあるので、興味がある方は見て欲しい。
この祭りは、例年、規模を増しているそうである。
来年の祭りは、もっと規模の大きな、さらに賑やかなものとなることだろう。
その時には、今年、参加することの出来なかった方も、是非とも、祭りに足を運んでほしい。その日の夜は、きっと、格別な夜となることだろう。
また、以下は蛇足であるが、その祭りの会場で、出店を出していた『香霖堂』という店で、本日より、不思議な糸が売り出される。
この糸は、身につけて、何もしないままにちぎれると願いが叶うという魔法がかけられた糸であり、本当にその願いが叶うかどうかは、その願いの強さ、あるいは大きさに左右されるのだという。
あまりにも眉唾物の話であるが、筆者は、この店の店主から『糸』を受け取り、それが何もしないままにちぎれるのを目撃している。
まだ、その願いが叶ったかどうかはわからないが、少なくとも、筆者の周りで変わった動きがあるのは事実だ。これについては、追々、この紙面で紹介していくつもりである。
今のままではかなうかどうかわからない願いを抱えている諸君は、一度、このお店に足を運んでみるのもいいかもしれない
「何だかよくわからない記事なんですけど。これ」
「うるさいわね! ほっといてよ!」
「で、はたてさんのお願いって何だったんですか?」
「なっ……! な、何だっていいでしょ、このバカーっ!」
「だから何で今回、こんなに殴られないといけないんですか私ぃぃぃぃぃぃ!?」
それ以外はよかった
満点を!
はたてがまだまだ精神年齢が子どもなのもなかなか。
おいしかったです
でもまあ、面白かったです
百合が苦手なのでこの点数ですが、百合ではなく女の子の友情物語としてなら結構好きですね。
ごちそうさまでした!