Coolier - 新生・東方創想話

下句 「未萌芽の蓮を 嗅ぐや永琳」

2010/10/19 13:00:13
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『第一の挿話』

「永遠を楽しめるうちは、まだその入り口に立ったに過ぎない」
「あら。永遠に入り口も出口もあるのかしら?」
 彼は言った。
 少女が笑った。


           Ⅰ


 月の暗い夜の話である。
 今宵、蓬莱山輝夜は不満である。
 折角永琳が夜中に忍んできてくれたのに、中々キスしてくれないからだ。余計なことばかりしゃべっている。こちらからしようとしても、どうに出来ない。永琳とのキスは大好きなのに。
 ちうちうレロレロ。
 食む食む。
 エロエロして。
 キスだけで気が遠くなる。

 千年もまぐわっているのに、いまだに好きなのだ。
 色んなことをした。
 ただ交わるだけではない、自分たちで状況に変化を与えるだけで、身体の奥から何かが滾ってくる。それがもしかしたら穢れなのかなあ、と輝夜は夢想する。微笑めば蕾の無い蓮ですら満開になりそうな可愛らしさを持つ少女は、勝気で犯しがたい気品を纏う時もある。夜の波間の如き青白き月のような。その月は幾千と長く柔らかく美しい指に果てた。そして指を咥え込み、歯で愛し舌で愛し悶える身体を押さえつけた。時に主となり従となり、いざとなれば恥知らずになった。
 例えば「動物ゴッコ」とか。
 「接吻授業」とか。


「姫様。教えた通りになさい?」
「はい、先生」
「ん……。そう、上手ですよ、輝夜様。で、次は?」
「食む食む!」
「そう、はむはむ。はむ……ん……ちゅぅ。
 ……あはぁ。うまくなりましたね、かぐやさまぁ」


 いつぞやの宴会の時、酔った拍子でぶっちゃけたら、大いにひかれた。
 何故かしら?
「主従とか、近親とか、そう言う特徴は大切に育まないと、すぐに飽きる」
 誰かの甘酸っぱいお話を聞いて、ふとそんな話をしたくなったのだ。
「ぎゅーするだけで幸せよね」
 とかなんとか。
 神社の宴会だった。名目は「花見前の花見を祝い未花見酒を想いつつ飲む酒の会」だった。もしかしたら「未花見酒を酒の煮え端思い返して飲む花見前の花見を祝う酒の会」だったかもしれない。いずれにせよまだ寒い冬と春の境目だったはずだ。神社の中で飲んだくれたから、多分「未花見酒を想いつつ花見を祝い花見前の酒の煮え端飲む酒の会」だったろう。
 ああ、そうだ。上座に巫女や紅魔館の主が居た。ワインをがぶ飲みしてスルメを噛みながら、つまみが合わない合わないと文句を言っていた。永琳も居た。いつもの「混沌に七星光る」の装いだ。半面赤、半面青の長衣。一緒に飲んでいたけれど、吸血鬼がなにやら自慢話を始めたからそっと抜けたのだ。あのお嬢様の自慢話は長い。里から来た親爺達の側を抜け、出来上がった妖精蹴飛ばして兎のつまみを失敬しようと思ったらいつもの面子がとても女の子らしい話をしていたから思わず聞き耳を立てた。
「好きな人にはさ。ぎゅーするだけで幸せよね」
 人形遣いが空の猪口をゆらゆらさせて笑った。
「隅に置けないわねアリス」
 珍しくにやにや顔の書痴が半目を更に半目にさせてからかう。
 あら、パチュリーもぎゅーしてみる? ぎゅぅーっ! やだ! もう、やめてよ、喘息とか出ちゃうじゃない! パチュリーも大好きよぉ。ばか、止めなさいよ酔っ払い! 酔っ払いらもーん。むきゅー。
「うふふ、いいですね。ししょーが言ってましたよ、恋につける薬は無いって」
 耳のずれた兎が無駄にクールな微笑で話に割り込んでくる。酔っていない振りだ。お銚子を逆さまに持って自分の猪口に注いでいる。酔っている。
「ウドンゲー、それさかさー」
 と笑ってからアリス・マーガトロイドは、でも魔法使いって結構恋多き者よ? やだ、アリスと一緒にしないでよ。へーぇ? そうなんだ、パチュリーさん。何よその笑い顔、いやらしい!
 肩を組まれて顔を赤くするパチュリー・ノーレッジの隣にに伊吹萃香がするりと腰掛けて。
「おやおや、楽しんでいるようじゃないかねえ」
 あら、鬼はお呼びじゃないわよ。そうね、今は女の子らしく恋物語してるところよ。いやだねえ、まるで私が恋とは無縁みたいじゃないか。まあ、あんたらが素直になるのはいい事だ、染みるねえ、いい酒だ。あら、萃香もこの話に混じりたくって来たんじゃないの? おめでたい話には目が無いのね、相変わらず。随分手厳しいね御二人。当然よ、油断も隙もありゃしない。前の件、忘れたわけではないのよ、好き勝手言ってくれて。けど仲間に入れてあげるのも、やぶさかではないわ、私はちょっと忠告に従ってみてるところだから。おやおや、褒められると、惚れちまうよ、私は? やだ、鬼も節操ないのね! 添い遂げるのと恋するのは別だからねぇ、恋したときは煙になって骨の髄まで燻して見せるさ。
 女の子の会話花咲き、そんな鬼に、鈴仙・優曇華院・イナバ一句。

 春霞、燻し慰撫して朝ぼらけ
 愛でたき君は湧き出ずる酒

「やるわね」とパチュリー。
「いよ! 優曇華院、下手な歌に罰杯!」注ぐはアリス。
 えへへ、どうもどうもと猪口を捧げ持つイナバに鬼は。
「ふん、やるね」

 伊吹萃香 返歌

 竹林の一人遊びは寂しかろ
 兎の肉(しし)は熟れつほぐれつ

「と来ようか」
「そのままじゃないですか、いやらしい。
 釈迦の口に合うか合わぬかしらねども、鬼一口と我が身ゆかぬぞ。
 と返しますね」
 そこに割って入って。

 春の宵恋し恋しとつごうれど
 兎に角ばかり何も起こらず
             蓬莱山輝夜

 戯れ歌合戦にぱっと割って入ってきた輝夜に周囲が湧いた。その話の呼吸が乱れないうちに。
「恋愛に、どんなシュチュエーションが好き?」
 と無邪気な輝夜の問いに、一同首を傾げるえー? さあ? 姫様、ししょーとはどうなんですか? そんな声が混じって、輝夜は堂々と応えたのだ。
「接吻授業ね!」
 盛り上がると思ったのだ。
 シュチュエーションプレイとして秀逸だと思う。何よりここからの展開がイイのだ。年上で元家庭教師の永琳がそのまま受身になる倒錯感溢れた流れか、身分が上で年下の姫を淫らに調教する家庭教師の倒錯感溢れた流れになるかが、ここで決まるのだから!
 たぶらかすのもたぶらかされるのも良い!!
 力説した。

「今度はえーりんに、おしえてあげるね?」
「うぅん……、あぁ、だ、め……。
 ひめさまに、おしえられちゃぅう……」
「ほら、思い切り泣いて? やごころせんせぇ……」

 って、こういうバージョンもあるのよ、と説明した。
 満座がひいた。
 何がいけなかったのか。
 ちゃんと永琳の口真似までしたのだ。永琳の声色は似てると思う。だってもう数千年以上一緒にいるのだから。
 舌をこうやって出して、こうやって訓練する。
 そんな事まで克明に熱演して見せたのに、一人は致命的にひいていた。
「え? はい? 姫様? 」
「何よ、イナバ。そんな目で見て」
 それから鬼に優しい笑顔で。
「まあ、飲め、呑め」
 と言われたときには、むかついた。だから立ち上がって。
「永琳!」
「はい?」
「めいれいです。わたしにぃ。
 ちゅっちゅしなさい!」
 宴会全体がしんとした。
 紅白の目出度い巫女と、紅い吸血鬼とそのメイドは固まっている。杯を重ねていた八意永琳はぽかんと口を開けていた。その口はそんなふうに使うものじゃないでしょ、永琳!
「そういうのは外でやって」
 宴会場の主であり、博麗神社の巫女である博麗霊夢は即座に、しかし厳かに言った。
「ここはそういう場所じゃないから」
「どういう場所でも、永琳とだったらいいの! 永琳とだったら何でも出来るの!! ね? えーりん」
「ね? と言われましても……」
 そう苦笑して我が家庭教師殿は。
「もう随分姫も嗜まれたので、そろそろお暇します。
 はいはい姫様、抱っこしましょうね」
 と軽々と輝夜を持ち上げた。何よ、もう永琳ったら、私するの、今すぐしたいの、と口答えすれば。
「輝夜殿、おいたが過ぎますぞよ」
 と昔のまんまの声で小さく鋭く言われた。一度に酔いが醒めた。まずい。さすがにやり過ぎたか。それから
 そして永琳は。
「おいたをする子は、たくさんお家で泣かせますよ」と付け加えた。

 昔、はるか昔。出先でぐずると、永琳は皆のいる前ではニコニコして、こっそり輝夜に。
「おいたをする子は、たくさんお家で泣かせますよ」と言った。
 本当に泣くほど怒られた。こんな怖い人はこの世に居ないと思った。
 その時のことを思い出すと、鼻の奥がツンとする。ツンとしてそれから胸の奥から何かがじわじわと溢れてくる。

 だから身体を永琳に横抱きに抱かれたまま皆に。
「このような姿勢で挨拶とは心苦しく思いますが、失礼致しますわ」
 と花咲くように微笑みかけたのだった。
「鈴仙、今日は帰らなくていいから」
 そう言うと、イナバはコクコクコクと小刻みに頷いた。まだ事態が飲み込めてないみたいだった。永琳が笑った。
 その夜はたっぷり泣いた。泣かされた。何度も痙攣した。痙攣させられた。お返しに朝まで貪った。


 なんの話をしていたのだったか?
 そう、そう思い返してしまうほど、輝夜は退屈していた。こう言う夜もあると判っているし、自分が楽しくないからと言って永琳に「もういいから部屋に下がれ」と命じる程輝夜も非情ではない。
 何より泣いている永琳にそんな事言えないではないか。
 怖いです。
 と言う永琳に。

「永遠が、永遠が怖いのです。こわいこわいこわい!

 えいえん!
 こわい!
 こわいよう! かぐやぁ!!」

 そう泣き叫ぶ八意永琳を。
 折角夜中に忍んでやってきたのに、永琳はさっきから余計なことばかりしゃべっている。
 こちらからキスをしようとしても、どうにも焦らされて出来ない。
 ここからが一苦労だわというため息を堪えて、輝夜は彼女の背中を撫でる。
 もう過ぎたことを泣き喚いても、仕方ないじゃない、馬鹿な永琳。
 それから泣きじゃくる永琳が蕩けるまで、時間が掛からなかったのが、唯一の救いだった。


 『第二の挿話』

 
 彼は永遠を生きるのだと言う。長生き、ではなく、永遠、なのだと。
 少女は笑う。御伽噺が事実だと力説する大人を、嘲けるような顔で。
「入り口なら、出口があるはずよ?」
「修飾的な用語の揚げ足を取るのはフェアでは無いよ」
 彼は余裕の笑みで紅茶を啜った。いや、本当は能面のような表情で紅茶を啜ったのだが、少女はそこに浮いて出た余裕の笑みを見逃さなかった。おかしかったら、ちゃんと笑えばいいのに。永遠を生きると言う意志が、表情を固くさせているのだ。つまらない。
 何もかも黄色いこの部屋で、紅茶と少女だけが鮮やかに赤い。
「ねえガストン」
 少女は用意してあった名前で彼を呼んだ。賭けの間は、本名で呼び合わぬのがルールだ。その取り決めを加える事自体には何の意味も無いのだけれど、こう言う遊びを交えるからこそゲームは面白いのだ。勝負が決まるまで互いの本名は呼ばない事。呼んでしまった方が容赦なく負け。
 折角用意した狂気の黄色い部屋だから、あんたはガストン、あたしはルルー。どこかに盲点がある、永遠は有りや無しやの議論。
 勝者には全てを、敗者から全てを。
「入り口、と呼ぶ事が出来ると言うことは、貴方が今の貴方になるきっかけがあったはずだわ」
「左様」
 彼はうなづいた。
「下らぬ人間の世界から、霊と魂の世界に生きながら彷徨ったのが我だ。その結果永遠を知ることになった。なってしまったのだ。永遠の不死者。十字架を恐れ、闇に生きる者、それが我。
 実際死ねる者が羨ましいよ。永遠の苦痛を味合わずに済むのだからね」
「そうねえ。御尊敬さしあげるわ」
 少女は尊敬の念と、興味の無さを交えるという驚くべき方法で以って賛辞の言葉を送った。即ち口調は丁寧目は穏やかに、口元だけは冷笑的に。
「あなたは真祖と言われたりしているわね。爵位も持った立派な貴族だわ。あなたを題材にした物語もたくさん出ているくらいよ。けれど結局あなたが何時頃表舞台に立ったのかは記録されているわ」
「それは一部の記録だ。私の命はもっと旧い」
「そうね。けれど遡ることは出来るのよ。起源に行き着けるの。永遠への入り口はあるのよ。そうでしょう?」
「その例えならば、出口の無いものが永遠である」
「そうやって、観念なさい。
 観念の世界に生きて、観念して死になさいよ。
 永遠なんて、無いわ」
 その後少女の口から出た言葉に、今度は彼が嘲笑する番だ。
「私が死ぬ? 死ぬと思っているのかね、ルルー君。
 しかも永遠が無いとは!」
 今度はおかしそうに笑って見せた。けれど本当は笑っていなかった。どう見てもお芝居。
 少女は思う。何故そんな猿芝居をするのだろう?
 ――人であることを、捨てたからかしら。
 人が人であることを捨てれば猿だ。少女は納得して紅茶を啜る。温くなっていた。眉を潜めて、爆笑の響く部屋の中、指で示して交換してもらう。それから。
「何がおかしいの? 伯爵」
「これが笑わずにいられるかね」
 懐かしい肩書きで呼ばれて、彼は目元に滲んだ涙を拭きながら応えた。

「ルルー君。
 永遠はあるのだよ。まだ幼い君には判らないかもしれないがね」


          Ⅱ


「……と、言うわけなのよ」
 神妙な顔をして語る少女に、黙って聞いていた女が茶を一啜りして。
「大人しく聞いたがな。その話に何の意味があるんだ?」
 そんな意味不明の挿話を聞かされても困る。そう藤原妹紅は思って、とりあえず文句を言った。熱を入れて語った蓬莱山輝夜はあっけに取られた顔で。
「え? だってそう言う話もあったことを伝えた方が、判りやすくない?」
「判りやすくないよ! 全然関係ない話じゃないか!!」
「え? もう一回話した方がいいかしら? えっと、博麗神社で宴会をした時に……」
「その必要は無い! お前が「シュチュエーションプレイ最高!」って叫んだ話なんざ、もう一度聞きたくなんかないっ!」
 きっぱりと言うと、蓬莱山輝夜は、それならいいの、とケロッとしている。
 昼間ですら暗い竹林の奥底で、二人は筵に腰を下ろして茶を立てている。空は晴れている。緑溢れている。茶席の一式は妹紅が用意した。筵の下から柔らかく竹の葉の感触がある。竹の根が張って固い土を和らげる代わりに、妹紅が枯れ葉を敷いたのだろう。絶妙な座り具合である。茶を立てると言っても煎茶である。しかも半ば自己流であるのは、妹紅自らの能力のせいかもしれない。普通なら水を注いだ薬缶は火に掛ける。しかし急須の底を妹紅が撫でると、クラクラと湯に変わった。急須を直接温めるなんて合理的ねと輝夜は思ったが、これは急須ではなくボーフラと言う湯沸しなのだそうな。煮えた湯を湯冷ましようの器に注ぐ。ぬるまった湯を、今度は急須に注いだ。
 一本線香を手に取る。
 先に指先をおくと、ぽっと赤くなった。
 煙が一筋。
「燃え尽きる頃が、飲み頃だよ」
 妹紅はそう言って茶菓子を勧めた。クッキーだった。夏蜜柑のジャムがたっぷし仕込んである。柔らかく泡立てたクリームをつけていただく。

 竹高く緑も冥き迷い路を
 春導いて花は明るし
          蓬莱山輝夜
 返歌
 竹林は迷い路と人は仰せども
 空には桜 根に福寿草
          藤原妹紅

「あら? 花明かりに迷いようは無いって意味? ずいぶん挑戦的なお答えね」
 と言う輝夜に笑って。
「他意は無いわ。見たままを詠んだだけ」と妹紅。
「褒めてくれてありがとう」とも。
 桜が咲いている。
 竹林と言えど、竹ばかりがあるわけではない。ほっそりと桜もあった。座はその桜が目に入る辺りで開かれた。あまり近いと根を傷めると妹紅は言う。
「美しい花は遠くから見るのがいいのよ」
 御猪口ほどの茶杯を啜りながら。
「眠りつく蓮さえ開くまぐはし女(め)、君よ手折るな野路に咲く花」
「あら、今なら手折っても平気よ、妹紅。だってほら」
「ああ、六十年のアレか」
 もうそんな季節なのだなと遠くを見る。六十年ごとに幻想郷が生まれ変わり、博麗の大結界が緩む異変。六十年周期の大結界異変の時期なのだ。この時、花は何度手折られても死なない。幾度でも蘇る。彷徨う幽霊を慰めるが如く、生けし者達を楽しませるが如く。
 妹紅は竹に溶け込むような幸菱の鶯色の小袖に帯は茜。髪は結い、襟がすらっと伸びている。片や輝夜は、ジーンズにTシャツ。Tシャツには『FLESH JUCE』と書いてある。スポーツシューズはADIDASだった。胡坐をかいている。Tシャツは透けて赤いブラが透けて見える。目のやり場に困った。
「あらやだ、妹紅、似合っていてよ」
 そう言って伊達眼鏡を外してみせる輝夜も、そんなラフな格好が惚れ惚れするほど似合っていた。
 それから茶を点てつつ輝夜がした話は、その要領を掴むのに時間が掛かった。話が色々と飛ぶのである。相談事がある、と言うやけに神妙な手紙が届いたのは二日前の事。すぐに返事をしたためて鶯に託した。

 初めて出会った蓬莱山輝夜は、とても美しかった。憧れた。だから父にかかせた恥が許せなかった。いや、父のかいた恥が許せなかったのかもしれない。彼女が欲しかった。父にも渡したくなかった。
 あの時妹紅は、自分が何をしたかったのか、今でもよく判らない。けれども彼女が欲しかった。ただ欲しかったのだ。
 それは苦痛と呼んでもよいものだったろう。自分のものにならぬ者を苦しめることで、いつか自分の手に入るのではないかと思っていたのだ。歪んでいる。その時もそう思いながら、手を汚した。尤もあの女はそんなこと微塵も気に止めていなかったようだけれど。
 結局輝夜は、遠い世界に戻っていった。
 私を置いて。
 そのよすがが「薬の壷」。
 彼女の残した唯一のもの。
 それを穢せば、今までの労苦も報われる。
 手を尽くして足を運び、罪を犯してまで手に入れたあの女の味は舌に爛ける。二口目には胃の腑が焼ける。口に甜く腹に苦い。三口目に内側から焼けて、身も燃え尽きて今の身体になった。もう死なない。何をしても死ねない。
 輝夜と再会したのはおよそ三百年前。思わず。
「輝夜」
 と呼びかけた妹紅に、彼女が言った言葉は。
「私の事知っているの?
 じゃあ死ね」
 だった。
 
 追っ手から逃れる為、不死の秘密を隠す為、自らの身を隠し続ける為に、自分を知るものは全て殺すと言う輝夜の選択は正しい。追っ手も不死の探求者も、その覚悟を持ってこの難題に挑むのであろうから。またその覚悟無く踏み込むならば、死んでも仕方が無いだろう。
 そして妹紅はどうやっても死なないのだ。
 死なないと知って、攻撃は熾烈を極めた。自分が輝夜を殺した時は、泣いた。また生き返ってきて、笑った。妹紅は泣きながら、笑った。
 輝夜一党の住まう永遠亭。
 その秘密を暴くかもしれない藤原妹紅は消されねばならない。
 ところがある日、永遠亭の存在は明るみに出てしまう。隠れようとした行動が、そのまま正体の暴露に繋がったのだ。何と言う馬鹿。そして自分たちの存在がバレた後、隠れ住む妹紅の存在もバラしたのだ。何と言う大馬鹿。
「もう隠れ住む必要など無いと言う、姫のお考えにて――」
 兎の使いの口上に、死ぬほど脱力したのを覚えている。まあ、つい最近のことであるのだが。
 そしてそれなのに殺し合いは止まないのだ。
 訳が判らない。
 だから今日の会合も、その件についての話し合いだと思っていたのだ。これからの幻想郷での、互いのあり方についての。それなのに輝夜は、まるで旧来の友人同士であるかのように、ぐだぐだと自分と永琳の関係について惚気るのであった。惚気たあげく。
「永琳ったら、永遠が怖いって泣くのよ」
 などと言う。それが本題なのだろうか? 妹紅は黙って茶を点てた。
「天才ったら、ダメねえ。何千億年先の事についてぐだぐだ悩むのよ? そのうち太陽が大きくなってこの地を飲み込むだとか。拡大した宇宙が縮小してまた弾ける苦痛とか何だとか。杞憂よ、杞憂」
「……しかし、それは必ず起こる出来事なのだろう?」
「そりゃそうでしょう。大雑把とは言え、この世には法則で説明出来る事が色々あるわ。太陽の件だとかビッグクランチだとか、それもいずれは起こるのでしょうよ」
「起こるのは、怖いじゃないか」
「あらやだ。そうなったら、熱いよう、痛いようって、泣き叫ぶ以外に何か方法でもあるの? 永遠に生きなきゃいけないなら、それくらい我慢しないと」
 この焼き菓子美味しいわね、さっくりしてて甘酸っぱくて。そんなことを言いながら、輝夜はクッキーを齧る。粉がぽろぽろ落ちた。
「そりゃ私だって、痛いのも熱いのも嫌よ? でも深く考えなくていいことは考えないの。その日その日が楽しければとりあえずそれでいいわ。考えて避けられるものじゃないでしょ?」
「でも、その永遠の最中に永琳と離れ離れになったら、どうする?」
「探すわ」
 妹紅のゆっくりとした質問に、輝夜は即答した。
「だって、永遠の時間があるのよ? 何かの拍子に永琳と別れたら、出会うまで探し続けるわ。永遠のいいところって、そこよ。二人が永遠である限り、私達はずーっと一緒にいられるんだもの。何の一千億、無限大」
「永遠に見つけられなかったら、どうするの」
「やだわ。時間さえあれば世界中の砂を数える事だって出来るわ。永琳は砂よりも大きいし、抜群の知恵もある。砂を数えるよりよっぽど簡単よ、って言ったんだけど……。
 やっぱり永琳は判ってくれないのよねえ。かぐやかぐや、こわいよって言って、赤ちゃん返りしちゃうの。泣きながら私の胸、チュウチュウ吸うのよね」
 大きな溜息をついて、輝夜はお茶のお代わりをねだる。妹紅は黙って茶を注ぐ。ありがとう、と微笑して。
「天才は、本当に余計なことばかり考えるのよね。いつもじゃないのよ? でも大きすぎる概念には、さすがの天才も耐えられないみたいなの。
 もう私たち死ぬほど生きているのにね」
「なるほど判った。つまり輝夜は、その途方も無い永遠の概念から、あの薬マニヤを救ってやりたい、と考えているわけだ」
「いや、別に?」
 不可解なことを言われたように、目をきょとんとさせて、輝夜。
「シュチュエーションプレイはねぇ、大事なのよ。妹紅も、判るでしょう?
 永琳が赤ちゃん返りして甘えるのも、ちょっとした見物よ? それはそれで楽しいの。永遠への苦痛は同時に、あの完璧な月の頭脳が甘える理由を作れる唯一の恐怖なのよ? 十中八九本気で恐れているけれど、恐れる事が既に悦びなのよ。変態でしょ?
 私と離れ離れになる恐怖は確かにあると思うの。でもそうなったら、今度は私が見つけ出すわ。かつて彼女が私を探し出したように。
 私は、あの女が私とその周囲に仕組んだ全ての罠と罪を許す。
 だって私、永琳のこと、大好きなんだもの」
 妹紅はゆっくりと茶を含んで。
「で?」
 と尋ねた。
「そうそう、相談の内容はね? その時は赤ちゃんみたいに甘えるくせに、やけに小難しいこと言うのよ。折角私の部屋に忍んでやってくるのに。もう耳にタコが出来るくらい」
「ああ」
「どうしたら余計なこと言わずに、一杯、キスしてくれるかなあって」
「帰れ」
 静かな返答に、輝夜はぷうっと膨れた。
「何よ、その態度! 同じ永遠に生きる仲間同士、親身になって話をするのが優しさじゃないの!?」
「毎度殺し合う奴とする話題でもないだろう」
「あらやだ。永遠を生き続けるのは苦しかろうと思って、きちんと殺してあげようと思って刺客を送り続けているだけよ? 死ねたら嬉しいでしょう?」
「死ぬのは嫌だが、永遠は怖い」
「でしょう?
 だからきちんと殺してあげようと思ってるのに。勿論、あなたが死んだら、ちゃんと御葬式あげて、私も永琳も同じ方法できちんと死ぬわ。私だって永遠は怖いのよ? なんであんな薬作っちゃったのかなあって思うくらい。地上人なら、ちょっと飲むだけなら万金丹。ほんの一万年程度生きるくらいで済んだかもしれないのに」
「永遠が、怖いんだ、輝夜」
 輝夜はとり止めも無い言葉を止めて、妹紅の顔を見た。蒼白な表情がそこにある。輝夜の顔に緊張が走った。
「ごめんなさい」
 詫びの言葉が出た。輝夜の顔も負けずに蒼褪める。
「ごめん。私、妹紅なら大丈夫だと思って……。てっきり平気かと思って」
「もう、いいから、帰って」
「妹紅」
「帰れ、月人」
 帰れというのに、この月人はそっと唇を合わせようとする。思わず払い除けた。ごめんなさい、とまた輝夜はうなだれた。
「えいりんも、こうしてあげたらよろこぶから、妹紅もよろこぶとおもって……」
「……いいから今日は、帰れ」
「うん。またお茶一緒に飲んでいい?」
「今は考えたくない」
「ちゃんと殺しに来るからね?」
「……好きにしろ」
「ごめんなさい」
 靴を履き、頭を下げ、竹林の中に消えていく輝夜を見て、ようやく妹紅の頬に赤みがさしてきた。大きく息をつく。少し落ち着かなくてはならない。茶を点てよう。そっと保宇夫良を手にとって水を注ぎ、底を撫でる。
 土で練り焼かれた湯沸しが割れた。吹き出た熱湯が膝に零れ、鋭い痛みが走る。
 途端に火ばしり、瞬く間に火傷が癒えていく。


 『第三の挿話』


「永遠どころか、時の存在すら私は怪しいと思っていますわ、ガストン」
 嘲笑された少女は気にも留めずに紅茶を飲んだ。火傷しそうなくらい熱いお茶。うん、やはり紅茶はこれくらいでないと。
「時は客観的な事実です。
 ただこれは観測の為の共有概念で、時そのものが実在するわけでは無いと私は考えていますの。逆に申し上げれば、時とは概念であり、概念であるからこそ時は永遠になり得ると考えますわ。
 概念には、始まりも終わりも無いでしょう? その癖、絶対でも無い。一分針を進められた時計が、二十三時間五十九分遅れた時計で無いと誰が言えるのかしら」
「月日も重ねられる時計があると聞きますよ。外の世界では」
「意味を重複させないと、広大すぎる概念は人の身に余るからよ、ガストン。時と言うのは観測の為の最小公約数なのよ。最小過ぎるからこそ、その意味は深淵だわ。
 そもそも重ねる概念が月日とは御粗末ね。暦は古代に生まれてから何度も姿を変えているのに。あなたは所詮太陽暦なのよ。十字架を恐れるのも、反キリスト主義を気取るだけのポーズに過ぎないわ。本当はあんなシンボル、全然怖くないくせに」
「そんな事は無い」
「あなたは月の怖さを知らない。
 月と名乗るあの狂った清浄の世界の本質を理解していない」
「ルルー君。私は月にも行った事がある。あの永遠の都は……」
「注意しなくてはならないのは、その永遠はあくまで『月の都』の修飾語としてしか機能していないと言うことよ。その場合の永遠は精精「驚くほど永く続いている」程度の意味しか持たないわ。
 長寿の人間を捕まえて、「あなたは永遠です」と言うくらい滑稽よ」
「人間は永遠には生きない」
「そうね、ご長寿がいるくらいだわ」
 貴方のような、ね。
 自分に比べれば、遥か遥か年下の少女に傷つけられて、彼はムッとした。
「ルルー。君の解釈は面白いが、聊か詭弁だ」
「その詭弁くらいに、永遠も詭弁ですのよ、ガストン」
 ああ何もかも黄色く染まった部屋の中で、彼女は一人赤い。狂気への嘲笑のつもりで仕立てたこの応接間の中で一際紅い。

「永遠があるとするならば、その逆算も永遠でなくてはならない。お判りかしら?」

「始まりのある永遠があるなんて、滑稽よ」

 なら私が時を遡れると聞けば、その永遠は保障されるわけだね。私は過去すらも自由に行き来出来る。そう伯爵が明かすと、少女は尊敬をかなぐり捨ててゲラゲラ笑った。

「それだって起点はあるでしょう? 未来にも過去にもあり、どこにでも行けると言うなら世界は常にあなたで満ちてなくてはならないし、そうで無いなら、あなたはただ一筆書きの人生を歩んでいるだけだわ。
 かわいそうなお馬鹿さん。
 あなたは過去に行けるんじゃなくて、既に過去に行くことを運命められていただけなの。
 あなたはコマ、ただのコマなのよ。運命と言う騎手の操る駒に過ぎない。ぐるぐると廻って中々倒れないことを誇る独楽に過ぎないのよ」
「言わせておけば」
 途端に、彼はこの部屋の中に満ちた。殆ど隙間無く、隙間は殺気が埋めた。幾人もの彼がそこに居た。伯爵たちが言う。
「見よ。これが証明だ。我は過去と未来を自由に行き来する存在。おしゃべりな小娘程度、簡単に屠れる者である」
「馬鹿だねえ。そんなことしても何の証明にもならないんだったら。密集した一筆書きは、詰まらない連鎖弾幕さ。精精高速移動でも出来る事。もっと簡単な証明方法があるよ。
 この中で、この問答の結末を知っている者はいる?」
 静かな声が言った。
 大勢の彼の中、弱弱しい手が上がった。その顔は恐怖に怯えていた。少女は勝ち誇った表情で。
「そうよね。居なかったら、この段階で負けを認めることになるものね。もう詰んでいるのに、所詮一筆書きは一筆書きでしか無いのかしら。過去も未来も全てに居る事が出来ると豪語したなら、この問答の時に、結末も知っている者が顔を出さねば嘘になるものね。
 どう? この後何が起こるか知ってる? 奇術の種は判ったかしら? 伯爵」
「生憎だが、私は絶対に負けない」
 今よりもっと先の世界から来た、一番未来の伯爵は掠れた声で言う。少女の側に近づくその仕草は挙動不審で、恐ろしいほどの年月を怯え暮らしてきた事が判るほどだ。
 そしてそれは少女の。
「では、過去から今にやってきた伯爵はいるかしら?」
 の声で、ひいっと言う喉に詰まった音に変わった。
「あら、折角こんな面白い余興があるのに、誰も過去の自分には教えなかったなんてつまらないわ。ねえ、伯爵。どうして教えてあげなかったのかしら?
 あら、そもそもこの結末を知って、勝利する姿を見てこの場に挑んだんじゃないの? 永遠を知っていて、過去も未来も自在に行き来できる存在なら、もし私がそうならそうするわ。バカねえ。
 それともここで負けを認めるの?
 今なら許してあげるわ。賭けを全部ご破算にして「永遠なんて無い」ことで決着のチョンチョンよ。私の足をお舐め。跪いて詫びを入れて床もお舐め。
 認めないんでしょう? 認められないんでしょう? 哀れな一筆書き」
 他に並んでいる伯爵達に比べて、この未来の男の表情ときたら!目が赤い。狂気の赤だ。
 溢れ出る豊かな恐怖。なんて素敵に美味しそうなのかしら。
 そして少女は「さあ」と彼を指差して言う。
「誰か。この哀れに怯えた男を殺して。
 この男が一番未来よ。未来が死んで、その先に未来があったら永遠はあるのかもしれないわね。貴方の勝ち。
 そうでなければ私の勝ちね」
「我は永遠にして、不老不死。決して死なないのだよ。私の勝ちだな、お嬢様」
 勝ち誇った伯爵達に向かって。
「御託はいいから早く殺しなさいよ。本当なら永遠からの起点を殺せと言うところだけれど、大まけにまけて最先端過ぎる未来を殺せと言っているのだから。
 不老不死の永遠が未来の伯爵なら、それを殺しても死なないはずよね? 未来はそのままあるはずだわ!
 なんて素敵なのかしら。素敵だわ。素敵かしら。本当に素敵なの?
 けれどそれは絶対不可能なのだけれど……」
 言葉を遮って、男が動いた。一番未来の、何もかも知っているはずの男。
 懐から取り出した木の杭が力一杯少女を狙い。
 それから命一杯の力で、己を刺した。
 まるで映画のコマ送りのような動きで。
 惨めに床に這い蹲り、痙攣した。
 少女がはしゃいで手を叩く。
「ほら、始点があったら、終点があったでしょう?
 あなたは常命の者から、ちょっと長生きになっただけ。
 さあ、約束通りあなたの全財産を譲る契約書にサインなさい」
「そんな、そんなはずは……」
「そんなはずは、あるのよ。
 表情豊かで素敵ね。伯爵。
 さあ、サインして」

 お部屋の模様替えが、起こった。
 狂気の黄色から、嘲笑の紅へと鮮やかに。
 彼は自らがしていた賭けの内容をのろのろと思い出す。
 永遠についての問答に勝てば少女を好きに弄んで良いと言う内容を。使用人含み彼の奴隷にしても良いという条件を。負ければ全財産を少女に手渡すと。そうだ、勝利したら幻想卿と名乗ろうと思っていたのだと、関係の無い事を思い出していた。そしてこの地を永遠に自分のものにしてくれようと。自分は何よりも永遠のはずなのだから。だから。
 足元には未来の自分が倒れている。何時頃未来の自分なのか判らない。不老不死に年齢の印は刻まれない。
 何時の自分なのだろう。
 何時から自分は来たのだろう。
 何時まで自分は生きれるんだろう。
 判っているのは、怯えきってやつれた未来の自分が、惨めにくたばったことだけ。
 震える手で横たわり息絶えた自分に触れようとした途端、強い力でねじ伏せられた。
「ええ、勿論この遺体、未来のボディもお嬢様の物ですわ。お気の毒ですが伯爵、いさぎよくサインを」
 部屋に満ちていた伯爵は、もはや二人きりになって部屋の中にいる。
 生きているのと、死んでいるのと。
 分刻みの伯爵達は退場して、部屋は静まり返っている。
 荒い息を吐く生きている男の耳元で、忠実なメイドがゆっくりと息を吹きかけた。

「さあ、サインをお願いします。
 サンジェルマン伯爵」

 サインの途中伯爵は。
 震える手でインク瓶を三度ひっくり返した。

 
          Ⅲ


 上白沢慧音が家に戻ると、妹紅が寝ていた。
 揺り動かしても動かない。そこで初めて彼女が起きていた事に気づく。横たわったまま、じっと何かを考えていたのだろう。今日は輝夜と話をしに行くと言っていた。妹紅が身動きせず横たわるのは、果たしてその物語の結果なのだろうか。
 一人で居た方がいい、どうせ死なない身体だからと言いながら、妹紅はふらっと慧音の元に訪れる。どうせなら一緒に住めばいいのに、慧音の家は竹林にある。そう思いながら慧音は何も言わない。代わりに。
「お茶飲みますか?」と誘ったら。
「いらない」
「そうか」
「やっぱりもらう」
「そうか」
 慧音は土間に行く。種火からゆっくりと火を起こして、湯を沸かす。湯が湧くまでの間に、芋とニンジンをザク切りにして深鍋に移した。玉ねぎも手早く皮を剥き薄く切る。薬缶が湯気を出し始めたら脇にのけて、フライパンにオリーブオイルを注いで、そこに薄切りの玉ねぎを炒める。今日は町で豚のコマ肉を頂いた。さっと炒める。しゅわっと音がする。調理していると、勝手口から虎が顔を覗かせて。
「カレーか」と問うた。竹林には虎が住む。
「ああ」
「何か手伝う事は無いか」
「生憎だが、葱を使っている」
「構わんよ。毒消しはある」
「なら一杯くれてやろうか」
「ありがたい」
 虎はするりと勝手口を抜けて。
「なんだ、バーモントか」
「それでも辛口だ」
「俺はジャワカレーがいい」
「妹紅が甘いのが好きなんだ」
「ふん」
 虎の目は明るく、そして二本足で立ち目ざとく奥から見つけて。
「何だ。あるじゃないか」
「それはコクを加えるためのものだ」
「インスタントコーヒーも効くぞ」
「そうなのか?」
「苦味がコクになる。だが入れすぎはまずい」
 大きな舌がだらりと歯の隙間から零れた。玉ねぎが色づきすぎそうなので、慧音は酒を入れてフライパンを返す。改めてシャッと音がした。その炒まった玉ねぎと肉を鍋に移すと、水瓶から柄杓で水を汲み、ぱしゃぱしゃとかける。すいっとアクの浮いた汁になった。後はこれを煮込んで、ルーを入れるだけである。
「ルーを溶いて、上手く煮てやろう」
 虎が言う。
「米は炊いていないな? 炊いておいてやろう」
 更に虎は言う。
「だから二杯だ」
「お前の手で米などとがれたら、毛まみれで食えたものではないよ」
「酒を飲んで化けるさ」
「虎が酒を飲むと人になるのか。まるで逆だな」
 虎は重厚に見えて案外調子に乗る。この掛け合いは、慧音と虎との決まりきったやり取りでもあった。この問いの答えはいつも決まっている。案の定。
「人心地つくのさ」
 とこの日も言った。けれど今日はそれに付け加えて。
「情けない事だ」と言った。
「何が」
「人の物が増えすぎて、人でなくては使えない」
「昔とは違うのだよ」
 静かに慧音は言って、虎の為に今日の料理酒に使った酒瓶の蓋を開けてやる。ジャックダニエルだった。
「ここの者達が生み出した物もある。外の世界から入って来る物もある。ここの物ならまだしも、外の物は人の為だけの物さ。人の身ならぬ物は、工夫して使うか人に化けるんだね」
「化けるならまだよし。人になってしまう」
「お前ももうそろそろだろう」
「いやいや、まだしばらくこのままで居るよ。変わらぬ日々は楽しかろう」
「そうか」
「お前も今のままの日が永遠に続いて欲しかろう? 上白沢慧音」
 何の気なしに、ああ、と言いそうになって口をつぐんだ。虎の目は爛々と燃えている。
「あの娘と永遠に居たかろう? 上白沢慧音」
「ハクタクを誑かすな、虎め」
 危うかったではないか、と酒瓶の栓を虎の眉間に弾いた。イテ、と眉をしかめる虎。悪いな、お前を食いたかったのだよと、虎。
「虎の身でか」
「いいや、人の身だ」
「ふん。人を食った話だ」
 薬缶が沸騰して吹くと、火から上げて茶を落とし、煮出す。
「お前に呉れてやるのはカレーライスだけだ。酒も飲んで良いよ。私は妹紅のところに行く。約束は違えるなよ」
「いいさ、俺はお前らが好きだ」
 地面に垂らした酒をちろちろと舐めると、もう虎の毛皮から、二本の美しい腕が伸びている。顔を振ると、ブロンドと黒の斑に混ざった長髪がとろりと伸びた。胸元はふくらみ、けれど肩と腰は男のものだった。
「末永くつるむ幻想郷の毎日だ。助け合わねばな。
 これ、油虫寄るな寄るな。お前らには後で鍋底の掃除を手伝わせてやるでなあ」
 虎に苦笑いして見せて慧音は、薬缶の茶を碗に注いだ。
 良い茶をふんだんなく使ったので、煮出した茶は薫り高い。

「誰か来たの?」
 妹紅は起き上がり、卓袱台の前で慧音を待っていた。明かりの無い部屋は暗い。星の夜明かりが部屋を照らして、互いに向かい合っている。質素だけれど丈夫な慧音の青い服が、夜の海の波間のように浮き上がって見える。その理知的な瞳が微笑して。
「虎にお勝手を使わせている」
「カレー作ってるでしょ」
「うん」
「やった!」
 ぱん、と手を合わせて喜んで見せる妹紅。そっと茶を差し出すと。
「ありがとう」と言って飲んだ。落ち着いた息を吐いた。
「何かあった?」
 単刀直入に切り出すと。
「実はね」と妹紅は話を始めた。
 廊下から微かにカレーのよいにおい。

 妹紅が三角錐の香の頭を抑えると、砂粒ほどの明かりがついた。それはじくじく広がって芥子粒ほどの大きさになると、すうっと白い煙を出す。飲み干した茶のにおいが、香の薫りにまぶされて部屋に溶けた。
「なるほど」
 慧音がうなづくと、妹紅は笑った。
「蓬莱の薬は病にならぬ薬と言うのに、この手の気塞ぎを癒す効果は無いらしい」
「あなたも、これから先に続く世界が怖いのか?」
「確かにそれも少し怖いけれど、私はもう少し違う」
「違う?」
「そうだ。私は始まりが怖い」
「始まりか」
 自分たちの始まりは、と慧音は思う。

 ちょうどこんな種火だった。
 竹林の片隅で、種火が燃えて人になった。衣もつけずに、生まれたばかりかとその裸体の乙女に問えば、その通り生まれたばかりよと応える。霊毛すら編めなくなるほど疲れて、今世に生まれなおしてきたたばかり、と。
「羽虫も蟲も我が身にはたからぬ故、裸でも我が身に毒でなし。病も掛からぬ死ぬこともなし。しばらく眠ればよいだけだ」
「あなたの姿は目の毒です。
 どこで休むも勝手なら、この先の我が庵にて、ゆるりとなさるがよろしかろう」
 抱き上げると、思いのほか軽かった。腕が巻きついた。乳の香りがした。

 始まりとは、と慧音が問うと。
「私の運命は、私が生ずるところが起点なのよ」と妹紅は応える。
「この世に肉体を受けたところが、過去と未来の起点なのよ。私が生まれた後に時が重なっていくなら、それは私の生まれる前にも、同じだけ時が積み重ねられてきたということだわ。
 私が十年生きたなら、私の生まれる前も十年は存在した。二十年生きたなら、更に二十年。そのくらいの逆算で、人は安心できる。自分の年齢と同じくらい遡ってそこに歴史があるなら、私の精神はまだ均衡を保てる。
 でもね、慧音。
 私の積み重ねた年齢が、歴史を越えるほど伸びたら? 遡れる過去が無くなれば、私は嫌でも永遠を見なくてはならなくなる。
 この世界の始まりの前は何があったの? 何度繰り返されるの? 何度繰り返されたの? そもそも何度なんて数えられるの? 数えられないのならなんで数があるの?
 私が生き続けるならば、私が生き続ける事が出来る分だけ時は遡れる。宇宙が三度巡れば、その前の宇宙も三度辿ることが出来る。そうやって数えられると言う事は、輪廻転生で世界が循環しているなんて説明では説明にはならないわ。転生した数も回数、数え切れないものではない。
 知りたい。
 始原が知りたい。
 でも知るのは怖い。データが怖い。どれほど生きてもその永遠のデータが怖いのよ。押し潰されそうになる。
 人は死ねばそれこで悩みも尽きる。何もかもが終る。その永遠への問答も何も終って、別の何かに変わる。けれど……けれど私は実証できてしまう。
 怖い、怖いのよ」
 妹紅の目が赤く光る。なんて怯えて、そして美しい赤なんだろう。慧音はそっと手を伸ばす。伸ばした手に妹紅の手が重なった。ぎゅっと握る。妹紅が、震えている。だから。
「そんなら、食べてあげよう」
 と口に出た。
 何を? と尋ねる妹紅に。
「妹紅の歴史を食べてあげよう。その途端、妹紅はこの世から隠されて曖昧になる」
 と。
「それでも私の姿は、残るじゃない」
「残らないよ。本当に、歴史を食べるんだ。生まれたと言う事実すら食べて、曖昧になってそれから無になる」
「本当?」
「本当だとも、歴史を食い、新たな歴史を作るのがハクタクの力さ。妹紅を食べて、妹紅の居なかった歴史を作れば良い。全てが無になる。ただし食べたハクタクも消えるけどね」
「どうして?」
「だって無を食べる物がいるはず無いからさ」
 妹紅が手を、もう一度ぎゅっと握った。白い肌が頼りなく震えている。だからとびきりの優しい声で。
「私は妹紅と一緒なら、消えていいよ」
「本当に?」
「本当さ」
「じゃあ、食べることが出来るのは私一人って事?」
「その辺は、概念だからなあ。私は積み重ねられてきた期間を食べることが出来るから、なんでも食べられるよ。
 幻想郷そのもの、或いは世界そのものだって食べることが出来る。
 でもくくられる概念は、あくまで一つだね。幻想郷を食べることは、幻想郷の住人を食べることでは無いから、結局住人を通して幻想郷は復元されるだろうし。幻想郷に住む今の住人の歴史を全て食べても、幻想郷自体に積み重ねられた歴史は残って住人を復元してしまう。
 概念の定義は大きいほどに曖昧だ。食いきるには難しい。食べても食べてもきりが無い。
 ハクタクだって自分がそんなことで消えるのは嫌なのだよ。だから本気で歴史を食べる時は、概念をなるべく絞るのさ。
 藤原妹紅の歴史を食べる。
 それくらいなら朝飯前だよ」
「じゃあ、八意永琳の蓬莱の薬を飲んだ者達の歴史も、食べられる?」
 妹紅の両目が一際燃えた。
 それは。
 それは恐らくできると思う。
 そう慧音が応えると、妹紅は破顔した。
「そうか!」
「うん」
「そうかそうか!!」
「うん、うん」
「そう、かぁ……」
 慧音の肩を掴み、ぐらぐらと揺すり、慧音は揺すられ、ぐらぐらと掴まれて掴まれながら妹紅の目を見ると。
 妹紅が泣いていた。
「そうか、うん、そうか」
 慧音の胸元がじんわりと濡れていく。
 肝に溜まった蓬莱の薬が煮えるくらい涙を流して、妹紅はおーんと泣く。
 抱きしめようにも、慧音に抱きつく妹紅の身体は緊張して、わなわな肩が震えて抱けない。引き剥がそうとしても、慧音の身体にしがみついて離れない。
 しばらく抱きついて。。
「う、鬱陶しいって思ってるでしょ」
 と妹紅が言った。取り繕うのを許さない視線、でもその口元は微かに笑っている。笑いに余裕が無くなるくらい、慧音は唇を使った。
「一体、いつ食ってくれるんだ?」柔らかく妹紅が問うと。
「うふふ、内緒」と蕩けるように笑った。
 その普段見せない女の部分を見つけて、心の奥が甘い気持ちになる。そのまま時間も何も溶けてしまう。

 ふやけるほど使い尽くした唇達はその後カレーを食べた。
 妹紅は三度水をお代わりした。


 『挿話の終わり』


「と、いうわけで我が紅魔館の資産は磐石なのよ。長生きさんの溜め込んだ資産はたっぷりあったわ」
 レミリア・スカーレットの胸を張った発言に、霊夢は眉を顰めて。
「悪趣味な話ね」と言った。
「勝手に幻想郷賭けてゲームしてるんじゃないわよ」
「あら、賭けたのは紅魔館よ」
「フン」
 霊夢はグイとお銚子を差し出した。レミリアの赤い杯に、今度は米の酒がなみなみと注がれていく。そして。
「あーん」
 と口を開いたら、もうその口にはスルメが差し込まれていた。くちゃくちゃと噛んで、ぐい、と酒を煽る。
「あーん」
 次は酢昆布だ。その様子を見ながら霊夢は。
「そうやって咲夜に食べさせてもらうの、止めなさいよ。気味が悪い」
「おや、どうして」
「咲夜が時止めて、あんたの口におつまみ放り込むのが、はたから見るとあんたの口の中からおつまみが戻ってきたみたいに見えるのよ」
「おつまみの、輪廻転生と思いねえ」
 レミリアにそう言われて、深々と頭を下げる十六夜咲夜は少し嬉しそうだ。彼女は時を止めると言われている。お嬢様のあーんした口に、おつまみを放るくらい余裕なのだ。
 けれど不可思議な顔をしているのは、八意永琳である。
「一体どうやって、あの魔術師を殺したの? 一応アレも不死の者よ?」
「あら、知ってるの? 宇宙人」
「一応ね。月の者とは違う論理で生きているものだけれど、見たことはあるわ。割と手こずる相手ね。
 あれをあっさり完敗させるなんて、あなたの能力の運命操作なのかしら」
 と尋ねる彼女にレミリアはにやっと笑って。
「そんな難しいもんじゃないよ」
 と答えた。
「あれは勝手に紅魔館に勝負を挑んで、勝手に死んだだけさ。死に際を間違えたんだね。
 あの伯爵とやらの能力は、誰からも殺されない能力じゃなくて、自分の意志を通す程度の能力だったんだよ。多分。けれど紅魔館を標的にしたのは間違いだったね。自分の我侭を通す程度の能力なら、あたしも持ち合わせてる」
「一人じゃ何にも出来ないくせに」
「一人ぼっちの博麗の巫女より断然マシだよ」
 レミリアに笑われて、毒舌をふるった巫女は顔を赤らめた。「なるほど」と、そのやり取りを断ち切ったのは、やはり永琳である。
「つまり「伯爵」は、自分の能力を理解してなかったわけね。誰からも時からも、勿論「自分自身から」も殺されない事を証明しようとして、自分自身を刺したけれど、殺意という意志の力が、「伯爵」の命に勝ってしまった、と。
 ちゃんと殺意が無いと、ただ自分を傷つけたってだけの話になってしまうものね」
「さすが月の頭脳は理解が早い、と言いたいところだけれど、ちょっと違う気がするのよねえ」
 レミリアは困惑気味に頭をパリパリ掻いて、永琳に肩を竦めて見せる。
「あいつはね、明らかにあたしを殺そうとしていたのよ。それなのになんでいきなり自殺なんか。
 あの杭で以って、直接あたしの心臓を打ち抜こうとしたのよ。バカでしょ? ダサいでしょ? あたしより何万年も長く生きてて、その程度の脳みそしかないの。
 今更、吸血鬼に杭を打ち込んで倒すなんて、流行らないわよ。格闘漫画の山場で、殿方のタマタマをぶん殴るくらい頭悪いわ。
 まあ、明らかに「殺そう」って意志があったから、あたしの身体にあのぶっといのがブチ込まれたら、あたしが消滅してたかもしれないから、ああなって結果オーライだったんだけど」
「だから自分の能力を証明しようとして……」
「火で物が燃せることを証明するのに、自分に火をつけるバカは居ないさ」
「そうねえ」
 永琳とレミリアは顔を合わせて首をひねる。その二人を見て、咲夜がニコニコしながら。
「あら、悩むことなんて何にも無いですわ」
 と言った。
「霊夢、レミリア様に、するめを食べさせてあげて下さいまし」
 怪訝な顔をして、霊夢はするめを手に取ると、マヨネーズをたっぷりつけてレミリアに差し出す。そして。
「ビエックション!!」
 とクシャミをした。
 霊夢の鼻から、たっぷりマヨネーズのついたスルメが生えている。
「ハクション! ば、ばっくしょん!」
 マヨネーズが飛び散る、と思ったら、その途端もう霊夢の鼻から生えたスルメは跡形も無い。
「まあ、タネを明かせば単純なことなんですけれどね」
 口をモグモグ動かしながら、咲夜は微笑んだ。
「ちょっと待って、つまりあんた」
 霊夢は鼻をこすってから言う。
「その、振り上げた杭を、魔術師自身の身体に刺さるように……」
「私の世界では、私の好きなようにさせて頂きます」
 銀髪のメイドは優しい笑顔を浮かべた。
「だって私の世界なんですもの」

 そう、あの時起こったことは、本当に単純なことなのだ、と霊夢は想像する。
 杭を振りかぶった伯爵が、レミリアの胸めがけて力を込める。
 咲夜が時を止める。
 止まった伯爵の杭に蹴りを(おそらく蹴りだろう。霊夢はそう思う)打ち込む。
 軌道が逸れる。
 逸れた軌道が、伯爵自らを串刺しにする。
 未来の最先端を行く男が死ぬ。

「でも、レミリアは時なんて無いって言ってたわよね。それなのにどうしてあんたは時を……」
「しっ、霊夢。どこで誰が聞いているかわからないでしょ? うちの切り札の種明かしは止めてもらえない」
 冗談めかした人差し指が、霊夢の口を閉じさせる。
「私の能力風に言うとね。運命の結び目はいつ結ばれたのかしら? 結んだ時? 結んだ後? 結んだ形のまま結ばれ続けているのかしら。咲夜は結び方を知っているから、上手に結び目を作れるの。ただそれだけのことよ」
「どういうことよ。わけわかんない」
「結ばれた紐の、右側を左にかけたのか、左を右にかけたのか。運命という結果の下では、手順の後先、つまり時の順序は関係ないと言うことね。つまりやっぱりあの男の運命はあなたに定められていた、ってことでしょう?」
「流石は月の頭脳、理解が早いわ」
 満足そうな笑顔でレミリアは言って、けれど。
「でもそれだけじゃ、あんたたちは幸せになれないよ」と嘲笑交じりに応えた。咲夜が言ってたじゃない、咲夜の世界は咲夜の好きなようにするのさ、と。
 永琳はそんなレミリアのやり取りに慣れている。吸血鬼の試すような口調は真理から目を背ける行為だ。真理はただ一つ。時は永遠に続き、そして積み重ねていく変化があるだけなのだ。それは自らで実証されている。不老不死の呪法で。
 積み重なる変化を穢れとして払うことによって、自らが永遠になることが出来る。歴史を刻み続ける魂の時計たる、輪廻転生を払い落として。それが蓬莱の薬の正体。
 だから自分と輝夜は生き続けているのだ。
 月の都が滅びないのも、その真理の証明なのだ。
 そんな永琳の余裕に、レミリアも水はかけない。もう新しいつまみをくちゃくちゃと噛んでいる。咲夜も飲んでいる。首を傾げながらスルメを噛む霊夢が「なんで海も無いのに、幻想郷にスルメがあるんだろう」と呟いている。
 幻想郷という盛大な嘘に埋もれて、永琳も酒を啜る。例えこの世界が偽りに過ぎないとしても、それを楽しんで悪いことは何一つ無いはずだ。でなければ永遠は重過ぎる。グイ、と杯を干した時、誰かの一声を聞いて思わず吹いた。

「シュチュエーションプレイ、きもちいいれしょうっ!?」

 酔っ払った蓬莱山輝夜。
 共に永遠を生きる女の声だった。


         Ⅳ


 竹林を虎が着いて来た。
 あの飲み会から数日経った春の日のことだった。
 八意永琳の武装は、優雅な弓一つ。その姿からは想像できぬほどの強弓である。大気の光を集めて矢の代わりと成す。炎を焼く光の矢である。柔らかい鉄の矢も備えてある。普段は球状だが、高速で撃ち出すと摩擦熱で形状が変わり、鉤爪として喰いこむ。熱を加えれば加えるほど固さを増し、肉に食い込む。普通の狩りでは使わない、死なない化け物専用の武器であった。
「不死鳥を落として」
 盆栽に水をやりながら、蓬莱山輝夜は永琳に命じた。
「面倒くさいとか、言わないでね。これはおねがいじゃなくて、命令」
 随分久しぶりにこんなお願いを聞いたなと永琳は思う。不死鳥とは、藤原妹紅の事だろう。穢れを燃やし続けて生きる不死者、いや、永遠人か。幾度も死にながら、決して死に続けることの出来ない生の継続者。永遠亭の存在を知る者、蓬莱の薬の罪の共有者。判りましたわ、と言ったら姫は。
「期待しているわ」
 と意味深に笑った。
 今回の不死鳥征伐は、いままでの関係のシュチュエーションプレイでしかない。敵同士という関係を擬似的にでも作ることで互いの生きる意味を作るのもいいかもしれない。
 馬鹿みたいに明るい空の下、ほの明るい竹林に居る。
 竹の小道を進む永琳と、その後をゆっくりとつき従う虎がいる。
「毒消しをお持ちでは無いか、八意様」
 猫撫で声とはこのことだろうか。甘えるような声が虎の口から出る。
「いささかカレーを食いすぎて、腹が痛むのです」
「猫が玉ねぎなど食うからでしょう」
「ええ、月の毒を喰ろうてもここまで痛むかどうか」
 忌々しげに月の賢者は振り返ると、獣に向かって薬を投げつける。芸でもするかのように大きな顎が黒い丸薬を捕えて飲み下す。ぺろぺろと口の回りを舐めて。
「まるで人間並みに薬を飲んで治す。難儀なことですなぁ、八意様」
「ならばさっさと人になればよかろう」
「いやいや、折角ですが遠慮しておきましょう。変わらぬ日々は楽しかろうて」
 ケダモノ程度、八意永琳にとって敵でも無かろうに、からかわせたままずんずんと竹林に分け入っていく。竹の青いにおいにむせ返る。
「あなたも今のままの日が永遠に続いて欲しいでしょう? 八意永琳」
 虎の目は優しく潤んでいる。その舌が滑らかに動く。
「あの娘と永遠に居たかろう? 八意永琳。その為にあなたは我らを……」
「望まざるとも、その通りになる!」
「その境地では、今日は勝てませぬぞ、八意殿」
 カッとして振り返ると、虎はさっと身を隠した。それから竹林中が笑った。鳥が笑い虫が笑い、虎もウサギも笑った。

 身の丈知らずのお嬢様
 竹に迷うて帰れない
 ここに落ちたが運の尽き
 最早月には戻れない

 竹林で歌が響く。
 妖精達がこちらの様子を伺っている。足元に花が咲く。竹の花が満開だ。ああ、花ばかりで迷いそうだ。花があの女のにおいを隠す。色とりどりが姿を隠す。

 猛々しいかなお嬢様
 花に眩んで戻れない
 人の身堕ちたが運の尽き
 最早始原に還れない

 うるさい。うるさいうるさい。
 うるさい。
 花がうるさい。歌がうるさい。妖精がうるさい。お前たちがうるさい。

 白い目印が近づいてくる。花が咲いている。桜だ。竹の真ん中で一本桜が咲いている。そこに乱れ髪の女が座っていた。上着をだらしなく肩からかけていて、薄い胸元をさらけていた。さっきまで情事の最中でもあったようだった。事実そこらに唇の跡があった。
「随分騒がしいわね」
 細い目の女が、土瓶の口から直接茶を飲みながら言う。
「あんたもどうだね? 冷えた茶だけれど、旨いよ。嫌なら土瓶ごと温める」
 つがえた弓がビンと鳴ると、光が女の額と胸に刺さる。血の代わりに火を吹く。やがてそれはどろりと血のように零れて固く黒くなった。燃え滓である。
「痛いじゃないの。それにマジ喧嘩? 弾幕合戦じゃなくて? 本気の殺し合いは控えようって言ってきたの、そっちじゃないの?」
 がぶ、がぶと土瓶の茶を飲む女の喉が狙われて、ぼこりと開いて茶が吹き出た。普段ならこれで彼女の身体は死に、燃え盛り、新しい命になるはずだ。それなのに今日は涼しい顔だ。死なない。
「いいよ。今日は機嫌がいいからね。付き合うさ。あんたの時間つぶしに」
「永遠亭の姫君、蓬莱山輝夜の命により、あなたの命貰い受けます。藤原妹紅」
「口上は最初に言うものだよ」
 優しく微笑して、土瓶を永琳に放る。受け取って口をつけると、冷たく濃い茶の味がした。
「美味しいわ」
「ありがと」
 妹紅が乱れた髪を結わえると、炎がリボンを作った。
 
 彼女の片腕を吹き飛ばし。
 右足を打ち抜いて。
 左の眼球を射抜いた。
 それなのに藤原妹紅は脂汗の笑顔のまま死なない。
 竹が邪魔で射程距離を狭めないといけない。何本か竹倒れ、花が焼ける。けれどその花は忽ち蔦伸びて咲き誇る。異常だった。花死なぬまま、女も死なぬ。花の異変が始まっている。咲き続ける花の異変。
 いつもなら燃え盛って新たな命を生むはずなのに、彼女は死ぬ気配すら見えない。
「何故死なない」
「死なない身体にしたのはお前さ、蓬莱人」
「違う! 何故、燃えないっ!!」
 丸い黒い玉が矢の形になって胸元を狙う。右肺を貫通する。おうええええええ、と悶絶しながら妹紅は、しかし石を投げた。ぴしっと永琳のコメカミに当たる。くらっとするけれどひどい打撃ではない。
「何のつもり?」
「うふふふ」
「……何度も、私のコメカミに石を当てて、何のつもり?!」
「言ってるじゃない。私は今日は嬉しいんだ」
 だから幾らだって生きられるよ、と笑いながら妹紅は石を投げる。また同じ場所に、コツン。もう五度目だ。
「嬉しい。私は生きていて嬉しい。そんな気持ちになったことないかい? この身体が勿体無い。使い潰すのが勿体無い!」
「新しくまた生まれなおすくせに!!」
「だからお前は判ってないんだよ、八意永琳!」
 今度の光の矢を、妹紅は避けた。さっきから彼女は恐ろしいくらいに避けている。確かに何発か身体に傷を受けているが、それはどうしても避け切れなかったものだけだ。永琳の顔に妹紅の上着がかぶさる。その上から、今度は拳が入った。華奢な女の拳だ。いつもなら燃えて肉を焦がす妹紅の拳だ。
「……っつ!」
 頭がくらくらする。死に到る傷では無い分、回復が遅い。永琳の柳眉が歪む。不老不死の治癒は、軽い傷を瞬く間に癒すものではない。だから人並に風邪をひいたり、擦り傷を作ったりするのだ。この微細な攻撃を喰らい続けて脳震盪でも起こし、倒れたところを頭でも強打すれば死に到る傷として治癒が始まるかもしれないが、それはあまりに屈辱だった。だから永琳が口を開いたのは、息を整える時間稼ぎだ。今までのようにその妖力を燃やし尽くして挑んできた妹紅と、違うにおいがした。
「何がそんなに嬉しいの?」
「この身体を、慧音が愛してくれた」
「それだけ? っていうか、あんたたちシたこと無かったの?」
 永琳の挑発に顔を赤らめて血塗れの女が。
「あるよ。昨日が初めてじゃない。でも、一緒に約束をくれたんだ」
「どんな?」
「私の歴史を、いや、不老不死の蓬莱人、私たちの歴史を自分諸共食べてくれるって」
 恥ずかしそうに微笑む、燃え滓塗れの女に永琳は笑った。だってもしそれが本当なら。
「なんでお前がいるのよ」
「え?」
「ハクタクが自分の歴史ごとお前を喰らって、この世から存在すら消すとするなら、何故お前はまだここにいるのか。私たちはここに居るのか!
 歴史ごと食ったのなら、お前も我々も消えるはず。何故残ったか!」
「だから嬉しいんじゃないか!」
「ならばハクタクは食い損ねたのだ」
「違う」
 ひゅっと妹紅の手が翻る。今度は額に小石が当たる。広い額だから的も広かろう。見事に当たって。
「全然違う」
 光の矢がまた放たれる。見えるはずが無いのに、妹紅は避ける。身体に汗が光っている。また石の一投。永琳が首を逸らして避けると、体当たりが来た。速い。
「私達の概念を食い尽くして私達が居るのは、私達がここにいるからさ!
 だから嬉しいのさ!!」
 柔らかい拳が、また左のコメカミを打つ。痛い。
「ハクタクの力で以って歴史を弄ろうとも。私達の存在を無くしてしまっても、尚私たちは今ここに立つ。立っている。それが全てだ」
「ハクタクが歴史を食い尽くせば、それはハクタク自身の歴史も消化するはず。
 あの女は生きているのか?」
「ああ」
「それが食い損ねの証拠よっ!!」
「くっ!」
 蹴り上げると、至近距離にいた妹紅は転げる。土に塗れる。先ほどの攻撃で折れた竹に彼女の背中が刺さった。それでも彼女は燃えない。息を荒げて、永琳は言う。時の概念を理解できていない不死者に告げる。
「ああ、良いわ。あのハクタクが食べたとしましょう。それでいてなお今私たちが居たとしましょう。私達の存在は誰にも動かせない。でもそれは何の解決にもならない。
 今なんて、すぐに過去よ……。私たちは……不死の者は、永遠に時を重ねるのよ……。
 永遠は巨大すぎて、どんなものも無に出来ないのだから……」
「そうじゃないよ、八意の。過去未来の概念を食って今があるなら、過去も未来も無い証拠だ。無いものはハクタクも食えない」
「愚かな……現実逃避ね……」
 声が濁る、身体が重い。妹紅の問いかけが、一々勘に触る。弓を一杯に引いて、また鉄の矢を弾いた。今度は妹紅の身体を止める為だ。左手を串刺しにして、竹に縫い付けた。ずっしりとした疲労がある。赤青の混沌の中、七星輝く。
「私たちは、ずっとずっと生き続けるの。宇宙が幾度も生まれ死にを繰り返しても、私たちだけはその行方を見届けられるのよ。
 今はすでに過去なの。ハクタクは歴史を食い尽くすのに失敗したか、もしくは未来にそんなことが起こりえなかった証拠なの。
 お前はいつかあのハクタク、上白沢慧音とも別れる時が来る。そこから嫌でも孤独が訪れる。
 お前は過去と未来がいつか「今」に集約される可能性を考えているのだろう? しかしそんなことは無い。時は刻まれている。時の数は永遠に続く……」
「それでは時の起点を定められるか? 月の頭脳」
 汗が出て、痛みにひきつっているのに、妹紅はまだ笑みを止めない。
「時は各々が刻む概念だからこそ、永遠という概念を夢想できる。本当の時を刻めるものなど何も無い。数え始めた時が時の起点……なのだ。しかしもしそれを数えられる者がいたらどうなのだろう……」

 こんな話を、どこかで聞いた気がする。
 最近誰かが言っていた、永遠の有りや無しやの問答。
 あの吸血鬼は屁理屈でへこませて勝った。
 他人が殺せない男を、自殺させしめて勝利した。ただそれは永遠の否定には繋がらない。永遠はある。自分の勝利は揺るがない。だから。

「……そんなもの、こ、この世には無い」
 言い切る。確信を持って。けれどそれは反論される。
「そう……この世には無い……しかし……」
 途切れがちの妹紅の言葉は終らない。だからまた永琳は弓をつがう。もはや逃げる事も出来ぬまま、妹紅は貫かれる。そしてついに口から火を吐いた時、遂にもろもろと身体が燃え始めた。燃えているのにまだこの女は死なないのだった。唇は柔らかく微笑んでいるのだった。
「それはわたしたちの姿だからこそ、見つけられないのでは……無いだろうか……。身体は変化する……肉体は……もう一つの時計……私自身を計る……それが計ることを越えたら……もしや」
 彼女の身体が溶ける。燃える。痛みに頭を振って、けれど言葉は止まない。
「ああ、燃えてしまう。もったいない……。慧音が愛してくれた身体が、使い捨てられていく……再構築されてしまう……でも、それが私の使命……わたしは時を計らぬ時計……」
 普段なら、そのままとろける炎となって、再びその核から再生していくのに、今日はそんなことは無く、燃えたままゆらりと立ち上がった。刺さった鉄の矢がぽろりと零れる。すべらかな黒い玉がころころと地面を転げる。まるで使う前のようにつややかな黒い矢の球。
 永琳は弓を引く。けれど燃える身体に光は意味を持たない。竹林から歓声が上がった。
「ほら、蓬莱人、光ですら物のこの世界に、物を越えるものがあるならそれは概念だ。
 私の起点が、あの数百年以上前の物であるとすれば私は救われない。積み重なる時の重みに狂いそうになる。
 けれどそれが幾多に存在しているなら、どうだ。
 今も起点なんだ。
 明日も明後日も、そして今までも全て時の起点で今なんだ。それは人の身であるから、一連の流れに思えるだけで、本当は一度に起こっている出来事なんじゃないのか? ただ私たちが、それを理解する身体を持っていないから、判らないだけで」
「そうだとしても、いや、そうならば尚更……。私たちは救われない。
 だって私たちは身体に縛り付けられているじゃない!」
 寄るな。
 そう思いながら永琳の口から零れたのは、反論への反論だった。けれどそれを崩すのも反論の反論の反論で、
 ああ、きりがない。
 こうやって時が重なっているじゃない。それが次の反論のつもり。
 けれど藤原妹紅は囁くのだった。竹林を歌が埋めるのだった。飛んだ花の首からまた花が生えるのだった。
 だってそれが今の季節。六十年に一度の、花のお祭り。
「そうじゃない。それは多分、あなたが一番よく判っている。八意永琳。
 何故貴女は人の姿を選んだの? こんな不自由な変化の乗り物を」
「判ったようなことを! 言うな!!」
 効かぬと判っていても、光の矢を幾度も打つ。
 鉄の弾は固い棘となってこの光り輝く女を打つ。
 けれど効かない。まるで実体が無いかのように。
 実体はあるのに、実態が見えない。
 どこかでこんな光景を目にした。
 昔。
 多分、立場は今とは違うけれど。
「お前たちは、こうやって光り輝きながら消えたね」
 妹紅が。
 いや、光る何かが喋らないで喋った。
「あの時。
 帝からの求愛を拒み、人の世に留まる事を拒み、人の手の中にあるありとあらゆる手段をかいくぐって、お前たちは。その仲間達を生きながら地獄に突き落として、守り手とし、お前たちは逃げたね。
 わたしは、憎かった悔しかった羨ましかった。お前が。お前たちが。
 そして多分嬉しかった。
 何もかもから自由な姿を持っている者が、いると言うことが。
 けれど似たような身になって判る。この変化を刻み付ける肉体が、どれほど呪わしいものか。積み重ねられていく記憶の重さと、これから積み重ねられていくであろう記録の重さを、脳が感じずとも身体が判っている。その度に私は燃える。死と生の境で何度も新しくあり続けようとする。
 そしてお前たちと出会った。
 戦い合い、傷つけあい、肉を消し飛ばすことで、凝った記録を吹き飛ばし続けた。嗚呼、なんて楽しいんだろう。生きているってなんて嬉しいんだろうと思った。
 でもそうじゃない。それだけじゃない。肉体は、時を刻むから、その重みがあるから、今を感じさせてくれるから嬉しいんだ。
 あの人が概念を食って。私たちがこの世に無いことにしたはずなのに、私たちが尚居て。だから判る。私たちがあることは、誰も否定できない。私たちは今ここにある!
 きっと私達の物語は、一つじゃないんだ。私たちは何度でも今を生きる。
 なんて不自由なんだろう。
 そしてなんて嬉しいんだろう」
 それは言葉にすると長いけれど、一秒にも満たず永琳の元に届いた。気がつけば炎が自らの周りも焼いている。いや、炎ではない、何か。それが語りかける。人の現身を持った永琳に語りかける。
「ねえ、永琳。あんた、あの人と一緒に居たかったんだろう? だからその姿を選んだのだろう?」
 唐突な問いに、永琳は眉を潜める。
「な…にを」
「あんたはもっと高位の存在だと思う。多分、本当は時さえ関係ない何か。私たちでは手の届かないもの。
 でもその姿を捨ててまで、あんたは人でありたかった。だからあの薬を飲んだ」
「違う……。蓬莱の薬は不老不死の薬。輪廻の繋がりを絶ち、穢れを溜めて尚穢れぬ薬……」
「だから、その薬を飲んだから、過去に遡って八意永琳、あんたが生まれたんじゃないか。
 あんたの時の起点があるとしたら、それはあんたがあの薬を飲んだ時だ。
 あんたこそ永遠なんだ」
 肉体は穢れる。
 穢れることで時を紡ぐ。
 不老不死は永遠の象徴。
 だからこそ穢れても穢れぬ、記憶しつつ記録しない肉体を作る。
 もしそれが本当に時に及ぶのならば。
 過去は過去の意味を持たない。全てが今に集約される。
 けれど究極の今は、眺める事しか出来ない。時の全てを知りながら、直に手を触れられない。それが高位の次元の者の運命。
「だからあんたは、今を選んだんだ。自分が穢れの中に居る為に。変化を欲して、変化を滅する薬を作った。
 変化の否定こそ、変化の肯定になるのだから――」
「屁理屈だ……!」
「では、あんたの始点はどこにある」
「……え?」
「あんたはどこから生まれた、誰から生まれた。答えられまい!」
「わ、私は……」八意永琳は呟く。
 今の状況は、一瞬なのか。
 もう過ぎたのか。それともこれから訪れるのか。
 判っているのに、判らない奇妙な感覚。
 そうだ。
 何故私が、蓬莱の薬に手出したのだろう。
 あえて始点というなら、多分そここそが始点なのだ。
 何もせずとも、不老不死のままでいたはずの私が、蓬莱の薬に手を出した理由は……。
 穢れ満ちた地上では、自らが穢れて死ぬから? いや、違う。私の力はそんなものでは……。
 では、何故……。

 白?
 いや、色が判らないだけだ。
 赤の外れ、紫の向こう側。
 黒?
 いや、そんな輪郭も無い。
 音?
 なんてさまざまな形をしているんだろう。この世の全てが物で出来ている。
 光?
 それですら、物。
 わたしとあなたがいて。
 わたしとあなたの境目は限りなく薄くて、けれども違って、同じで。
 あの人の姿が浮かぶ。
 なんて小さな存在なのだろうと思った。
 それなのに、どうしてそこまで大きいのだろうと思った。
 永遠と須臾の象徴のような人。
 そうだ。
 わたしは。

 蓬莱山輝夜を愛している。

 平面の時の世界に、時が直立する。
 月の覗き穴が大きく広がる。
 なんてちっぽけな月の都、概念の世界。
 そしてその果てに時の断面図が見えて。

 コツン。
 コメカミに石が当たって、意思が拡散する。
 大きな波紋になる。
 この瞬間が、今になって、今を意識して過去になって、時が新しく刻まれて。
 そして。
 彼女が私の身体を人に留めて……。


 あの夜。
 永遠に朝が訪れないかと思った夜。
 私達の静かな生活の介入者たちをあしらっていた時、蓬莱山輝夜は。
「何遊んでるのよ!」と言ったのだ。
 私の企みを。
 罪を隠し通すための策略を、彼女は笑い飛ばして。
「永琳、私の力でもう一度チャンスをあげる」と言ったのだ。
 まるで、さも自分が黒幕みたいな顔して。
「私の力で作られた薬と永琳の本当の力。
 一生忘れられないものになるよ!」
 そう、自信満々に。
 永遠に共犯者の顔して。
 私がその周囲と輝夜に仕組んだ全ての罠と罪を許すかのような笑顔で。


「ぶはあっ!」
 大きな声で目が開いた。
 全裸の藤原妹紅が上にかぶさっていた。彼女はゆっくりと身体を持ち上げて、ついた泥や竹の葉を払う。文字通り瞬く間に時を取り戻した八意永琳は、身体に覚醒した。左のコメカミが痛い。身体がだるくて動けない。寒い。
「ああ、くそ。やっぱり服は無理だったか。二人分はきつい」
 元気な声に話しかけようとして、肺がぜいぜい言った。心細い肉体はぐったりと疲労に包まれている。誰かの人肌が恋しかった。涙が出そうだった。
「あんたの服もズタボロだ。このまんま帰るのはハズカシイだろうけど、我慢しておくれ?」
 言われたとおり、混沌は破けている。激しい揉み合いのせいか、妹紅の火に焼かれたのか。
「……なに、……起き……」
「私が見た世界の、お裾分け。
 まだ見てないのに見えるんだよ。不思議だね」
 にっこり微笑する妹紅は本当にいい表情をしている。そこまでの一部始終を見ていたのか、向こうから一人の女が近づいてくる。相変わらずいつも通りの質素な服だ。けれど丈夫な青い服だ。上白沢慧音がそこに居た。彼女はそっと妹紅を抱き寄せると両腕に抱いて、お姫様抱っこをした。
「ねえ、八意の。人の身に永遠はあまるけれど、今を生きれればそれは幸せだと思うよ。
 人は、自分の肉体の今しか見れない罪はあるけれど、それもまた味じゃないかね? だからあんたらは永遠亭になんか住んでるんじゃないの?」
「……ま……って」
「待たない」
 くすくす声を立ててから、自分を抱き上げる慧音と恋人同士の眼差しを交わし合って、見せ付けるようにキスをした。ああ、羨ましい。わたしもぬくもりがほしい。一人は余りに寒い。そんな永琳に目を細めて。
「時系列で見たら、多分私たちは救われないけれど、本当はとっくに救われてるんだよ。
 どんな概念の否定も、私達の世界があるのを否定できない。だから私たちも消えない。慧音も消えない。
 変化しかないのさ。この世界には。
 そんな中、永遠亭は素敵な場所だよ。私たちはもっと気楽にやっていいんだ。不老不死さえ許されている、幻想郷に住んでいるんだから。
 だから悪い言い方だけれど、きっと。
 今が楽しければいいのさ。今を楽しめばいいのさ」
 永琳には、判らない。
 時間を身体に感じている永琳には妹紅の境地がなんなのか判らない。けれど妹紅はその永琳の心中を察して。
「私だって、判らないさ。だって人の身だもの」
 と恋人の腕の中で、肩を竦めてから欠伸をした。眠りが訪れているようだ。不老不死のものなのに、人間並みの眠りが。そのまままどろもうとして彼女は。
「でも、一つだけ忠告がある」
 と悪戯っぽく言った。
「な…に……?」
 この曖昧な、永遠の問いへの決着をつけてくれるのだろうか。それとも自分を温めてくれる救いをもたらしてくれるのだろうか。
 けれど哀れな月の賢者に妹紅は意地悪く笑って、あんたの期待してる答えじゃなくて、あいつの期待しているあんたへの忠告さ、と高らかに宣言した。

「あの御方に無駄な薀蓄並べ泣き喚くより。
 ただ頭蕩けるまで、接吻賜るが良い!」

 殴られたような気がした。馬鹿にされたような気がした。竹林が笑った。清浄と穢れを意のままに操り、己を見失った薬士を嘲笑した。大きく息を吐いて、永琳の唇から呪いの言葉が出る。
 藤原妹紅よ。

「永遠を楽しむ振りが出来るうちは、まだその入り口に立ったに過ぎないわ」
「あら。永遠に入り口も出口もあるのかしら?」
 蓬莱人は言った。
 不死者が笑った。

上句「竹林の 節より月をながむらむ」
概念のお遊びにお付き合い頂き、ありがとうございました
白石 薬子
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コメント



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1.90名前が無い程度の能力削除
愛は地球どころか永遠も救うのか。愛すげえな。
3.100名前が無い程度の能力削除
紅魔驚きの財源ww

永遠、というものがこれまでになく親しみ深く胸に響きました。
そうだねそれしかないよね、と。
素敵な幻想をありがとうございます。
4.100蛸擬削除
 いいなあ、楽しいなあ。
 素晴らしい作品でした。うまく言葉にはできないくらい、とても。
12.100名前が無い程度の能力削除
く、唇の使い道が気になって…///
13.100名前が無い程度の能力削除
どろどろで素敵でした。
15.80コチドリ削除
鰊という魚、いますよね。色々な調理方法があると思うのですが、私は焼き魚が一番好き。
ただ惜しむらくは小骨が多い。自分ではきちんと骨を取ったつもりなのに口中に入れて咀嚼するとチクッと刺さる。
骨を取る、咀嚼する、チクッと刺さる。食べ終わるまでその繰り返し。
なので食する頻度は低い。鯵や鯖を選んでしまう。美味しいのにね。
鰊には罪など無いのに。俺の食べ方が下手なだけなのに。
18.70爆撃削除
ところどころの言い回しが楽しかったです。
が、ちょっと理解できなかったなあ、と。
時間は間隔尺度だから原点を持たないといいたいのかなとも思いましたが、
時間軸が半直線じゃいけない理由がどうしても分かりませんでした。
うーまれた永琳、うまれたー♪
20.90名前が無い程度の能力削除
理解できない部分も多かったですが、
あなたの文章は好きです。
24.100名前が無い程度の能力削除
傑作を見逃していたみたい。
ごちそうさまでした。
25.100名前が無い程度の能力削除
少女とおんなの境を行き来する各人があやしくうつくしくいとおしい。