幻想郷の妖怪たちを困惑させた永い夜の異変から数ヶ月あまり。
季節は巡り、秋から冬を経て春を迎えていた。
季節や時間に関係なくいつでも霧が立ちこめる湖の畔に、二人の妖精の姿が見える。
一人は水色の髪に青いリボンを結び、青い服とスカートを身に着けた小さな妖精。背中には特徴的な氷の羽が六枚見える。
残る一人は、緑色の髪をサイドポニーにして黄色のリボンで結んでおり、先の一人と同じく青系統の服装の妖精。背丈は青い妖精より少しだけ高い。
緑髪の妖精が、手に持ったクラッカーの紐を引張る。
パン、という音とともにカラフルな紙テープが飛び出す。
火薬の匂いが辺りを包む中、緑髪の妖精が口を開く。
「チルノちゃん、花映塚の出演決定おめでとう!」
「えへへ、ありがと、大ちゃん」
チルノと呼ばれた青い妖精が、緑髪の妖精からの祝福にはにかんだように笑う。
緑髪の妖精の名は大妖精。親しい間柄からは"大ちゃん"と呼ばれている。
照れているのか、後頭部に手をやるチルノ。
その仕草を見た大妖精は、チルノの青いリボンが古びていることに気づく。
「もう、チルノちゃんってばリボン汚れちゃってるよ。せっかく自機になるんだから、おめかししなきゃダメだよ」
「うーん、でもアタイ、これしかリボン持ってないや」
あまり気にした様子もなく、チルノ。
チルノは身なりには無頓着な方であるため、見かねた大妖精がいつも身だしなみを整えてやっている。
大妖精はしばし思案顔で、やがて苦笑しながら続けた。
「しょうがないなあ、私がチルノちゃんに似合うリボンをプレゼントするね。みんなにかわいいチルノちゃんを見てもらおうね」
「いいの? で、でもアタイかわいくなんかないよ……?」
赤面してモジモジするチルノ。
それに対し、鼻息荒く力説する大妖精。
「大丈夫だよ、チルノちゃんはかわいさ最強だから!」
「あ、ありがと……えへへ……でも、アタイは大ちゃんが一番かわいいと思うよ」
「も、もう、チルノちゃんってば……」
「えへへ……」
「フフ……」
お互いに照れてしまったのか、しばし沈黙が続く。
それに耐え切れなくなったのか、大妖精が飛び上がりながら告げる。
「そ、そろそろ買いに行ってくるね! ここで待っててね!」
魔法の森方面に飛んでいく大妖精を見送るチルノであったが、やがて何かを決意したように人間の里へと向かった。
◆ ◆ ◆
香霖堂。
魔法の森入り口付近に店を構える古道具屋である。
単なる雑貨から外界の詳細不明の品物まで取り扱っており、人数こそ少ないが客層は人妖を問わない。
魔法の森近くという立地条件のためか、どちらかというと人間以外の客が多いと言えた。
「あの、こんにちは」
「おや、妖精とは珍しいお客様だね」
幻想郷における妖精とは自然の具現である。
物事を深く考えず悪戯好き。死という概念も無く、適当な木などに住み着いているのが普通だ。
当然、経済観念というものも発達しておらず、基本的に貨幣を持たないものが多い。
そのためか、普通の妖精は買い物という行為はしない。
しかし大妖精は妖精の中では比較的強い力を持つためか、多少なりと人妖についての知識をもっていた。
「ええと……リボンありますか?」
「リボンならそこの棚に置いてあるから、好きに見るといい」
隅の方を指差す霖之助。
ありがとうございます、と大妖精が礼を言ってリボンの見定めを始める。
しばらくすると、大妖精が一つのリボンを手に近寄ってくる。
「それでいいのかい? 300銭だよ」
「あ、あの……私、今お金もってなくて……これとリボンを交換してもらえませんか?」
そう言って大妖精がポケットから出したのは一枚のカード。
見るとデフォルメされた大妖精の絵が描かれている。
手渡されたカードをまじまじと見つめながら、霖之助が口を開く。
「これは……君のスペルカードかい?」
「はい。私の瞬間移動能力をカードにしたんです」
「ふむ、しかしこれは……」
しきりにカードを裏返したり、天にかざして見たりする霖之助。
「あの……ダメ、ですか……? 友達に教えてもらってカードにしたんですが」
不安げに見つめる大妖精。
「そのリボンは、その友達へのプレゼント用かい?」
大妖精の質問には答えず、別の質問をする霖之助。
大妖精が手に持っているリボンは、サイドポニー用のそれとは形状が違う。
質問を質問で返すのは本来ならテストで0点になってしまう行為であるが、緊張しているためか大妖精は気づかない。
「そうです。友達のチルノちゃんが、次回作に出演するからお祝いに……」
「ふむ……」
片目を瞑り、顎に手を当ててしばし考え込む霖之助。
視界に入る大妖精の表情は不安げだ。
それを見て、何かを思い出したように霖之助が苦笑する。
「まあ、構わないよ。持って行くといい」
「良かったぁ、ありがとうございます」
ホッとしたように顔をほころばせ、ペコリと頭を下げて店から出て行く大妖精。
一人になった霖之助は小さくため息をつき、非売品と決めているコーナー――霖之助にしか分からないが――に大妖精のカードを置く。
「やれやれ、僕も甘いね」
スペルカードは、カードそのものにはさしたる意味は無い。言わば単なる象徴である。
カードの真の価値は付与された名称であり、それが定義されていないスペルカードはスペルカードとしての用を成さない。
霖之助には道具の名称と用途が分かる能力があるのだが、霖之助をもってしても大妖精のスペルカードの正式名称は分からない。
否、分からないのではない。定義されていないのだ。
そのため、このカードには何の能力も経済価値も無い。単なる抜け殻である。
大妖精がこれを見越してやった可能性もゼロではないが、あの控え目そうで友達思いの妖精に限ってそれはあるまい、と霖之助は判断した。
「まあ、自分の能力を失ってでも友人を祝福したいという優しさは報われてほしいね。それに――」
こちらを不安げに見つめる大妖精の姿が、知り合いの少女の幼少期によく似ていた。
誕生日に霖之助の似顔絵を描いたから見てほしいと言った少女の、期待と不安が入り混じった表情は今でも昨日のことのように思い出せる。
「……」
懐かしい思い出に浸りつつ、霖之助はすっかり冷めた湯のみに手を伸ばす。
一方、香霖堂を出た大妖精はチルノとの待ち合わせ場所に向かいながら、大好きな友達にリボンをプレゼントできる喜びに胸を躍らせていた。
「チルノちゃん、喜んでくれるといいなあ……」
◆ ◆ ◆
所変わって人間の里。
商店が並ぶ一角で、道端に粗末なござを敷いて座っているチルノの姿があった。
目の前には手持ちのスペルカードを並べ、『いさまい100せん』とヘタな字で書かれた看板が立てられている。
しきりに呼び込みをしているチルノであるが、ここは人間の里。
あまり裕福でない一般の人間にとって、得体の知れない妖精のスペルカードなど売れるものではない。
それでもめげず道行く人に声を枯らすチルノに話かける姿があった。
「氷精、こんなところで何やってるウサ」
「さいきょーのアタイのスペルカードを売りにだしてるのさ!」
声をかけたのは妖怪ウサギの因幡てゐ。
全体的に胡散臭いオーラを纏っており、小馬鹿にしたようにチルノを見やる。
「⑨のスペカなんて誰が欲しがるウサ?」
「何よ、アンタになんか売ってやらないんだから!」
頬を膨らませて抗議するチルノ。
「まあせいぜい頑張るウサ……」
肩をすくめ、やれやれといった様子で立ち去ろうとする。
だが数歩あるいたところで足を止め、何か思いついたようにニヤリと笑うと、再びチルノに話かける。
「氷精、耳寄りな情報があるウサ」
「フン、今さら欲しがっても売ってやんないんだから!」
「まあ聞けウサ。どうせそこらの人間はスペカなんて買わないウサ。そこで……」
懐からがま口財布を取り出すと、中から50銭硬貨を一枚抜き取る。
「この50銭は表の印刷が裏に、裏の印刷が表についてる珍しいものウサ。売れば十倍くらいの価値があるウサ」
両手を頭の後ろで組み、フーンと興味なさげなチルノ。
てゐの瞳に怪しい光りが灯る。
「氷精、お前さえよければ、特別にそこのスペカ全部と交換してやってもいいウサ」
「ほ、ほんと?」
さっきまでの無関心さはどこ吹く風、チルノがてゐの肩に手を置いて身を乗り出すように訊ねる。
「花映塚に出演するもの同士のよしみウサ。遠慮なく受け取れウサ」
「なんだ、アンタっていいヤツだったんだね!」
ニヤニヤと性の悪い笑みを浮かべながらスペルカードと50銭を交換するてゐ。
しかしチルノは目の前の50銭に目を輝かせており、てゐの新世界の神もかくや、という腹黒い笑みには気づかない。
そのままそそくさと立ち去ろうとするてゐであったが、一枚のスペルカード――アイシクルフォール-easy-――をチルノにつき返す。
「あ、これはいらないウサ。こんなの持ってたら⑨にされるウサ」
「何よー! イーだ!」
憮然とした表情でカードを受け取り、てゐの後姿にあっかんべーをするチルノ。
しかしすぐに50銭を思い出し、意気揚々と歩き始めた。
◆ ◆ ◆
「髪飾りね。500銭だよ」
人間の里の雑貨屋に足を運んだチルノは、髪飾りを手に店主に話かける。
自信満々に50銭を渡すチルノであったが、店主が顔をしかめる。
「お嬢ちゃん、これは50銭だよ。あと450銭足りないねえ」
「フフン、あんた何にも知らないのね! さいきょーのアタイが教えてやるからよーく聞きなさい」
腰に手をやり、てゐからの受け売りを得意気に解説するチルノ。
最後まで聞いた店主は、チルノの手から髪飾りをヒョイと取り、代わりに50銭を握らせる。
「お嬢ちゃん、こりゃタダの50銭だよ。誰に吹き込まれたのか知らないけど、これじゃ売れないねえ」
「え……?」
「悪いけど、ウチの品物は一番安くても100銭だよ。お金ないのなら、他を当たっておくれ」
ちょうど他の客が訪れたため、チルノから離れてそちらの接客に出向く店主。
取り残されたチルノは50銭を握り締め、ポカンと立ち尽くすのみであった。
◆ ◆ ◆
当ても無くトボトボと歩くチルノ。
あれからいくつかの店を巡ってみたが、50銭ではめぼしいものも手に入らず、途方に暮れていた。
散々歩き回ったのだろう、裸足の足も砂や泥で汚れており、今にも泣きそうな表情をしている。
茫然自失といった様子で俯いて歩いていたこともあり、たまたま花屋の前で店主と会話をしている客に気づかずぶつかってしまう。
「こんにちは。この前頼んでおいた種――あら?」
体格差があるため、ぶつかったチルノの方がその場に力なく尻餅をついてしまう。
「ふうん、妖精も人里にくることがあるのね」
尻餅をつき、座り込んだチルノを見下ろす形で女性が呟く。
その声が耳に入ったのだろう、ノロノロとぶつかった相手を見上げるチルノ。
雨も降っていないのに傘をさしているのは分かるが、逆光で顔はよく見えない。
そのまま見上げていると、我慢していた涙がポロポロとこぼれ始めた。
泣き出したチルノを見て、女性が慌てたように声をかけてくる。
「ちょっと、どうしたのよ。どこか怪我したの?」
「大ちゃんが……プレゼント……お金……だまされっ……」
本格的にしゃくりあげてしまうチルノ。
それを見た女性はその場にしゃがみ、チルノと同じ目線になって穏やかに問いかける。
「落ち着いて、何があったのか最初から話してごらんなさい」
◆ ◆ ◆
「なるほど……事情は大体飲み込めたわ」
チルノの説明を聞き終えた女性が情報を整理する。
「アナタはいつも仲良くしてくれる友達にプレゼントがしたくて人間の里にきた。でも妖怪ウサギに騙されて手持ちは50銭だけ。そういうことかしら?」
「うん……」
落ち込んだ様子で肯定するチルノ。
女性の発言を聞いて思い出してしまったのだろう、また目に涙がたまってきており、今にもダムが決壊しそうだ。
女性はそんなチルノに優しく微笑んで語りかけた。
「それなら花を贈ったらどうかしら、小さな妖精さん」
「お花……?」
「花は贈り物には最適よ。50銭あれば買えるし、アナタの大好きな妖精さんにもきっと喜んでもらえるわ」
提案にしばらくポカンとしていたチルノであったが、女性の微笑みに元気をもらったのか、表情に力強さが戻ってくる。
「……うん!」
右手で目をこすり、ニカッと笑うチルノ。
その様子を見た女性がそのまま花屋店主に何かを伝え、数本の花束を受け取る。
「はい、今の季節にはこれがいいわ」
女性がピンク色の可愛らしい花を見せる。
「この花は昼咲月見草っていうの。花言葉は『固く結ばれた愛情』。フフ、アナタに愛情はまだ早いかしら? 小さな妖精さん」
「あいじょう? アタイ、よくわかんないや。でも、この花は気に入ったよ!」
「そう、良かったわ。でもどうしましょう、花は寒さに弱いから、アナタが持つと枯れちゃうわね」
「そっか……だからアタイが花に近づくといつもすぐ枯れちゃうんだ……」
またも落ち込むチルノ。
女性は頬に人差し指を当てて思案顔。やがて何かを思いついたらしく口を開く。
「吸血鬼の館にいる魔女。あの魔女ならなんとかできるかもしれないわ」
「それってこーまかん? あそこなら知ってる。たまに遊びに行くよ」
「そう、それは好都合ね。行って頼んでみるといいわ」
その前に、と花びらに女性が軽く触れてチルノに手渡す。
「花の生命力を高めたわ。少しならアナタの冷気にも耐えられるはずよ」
「そんなことできるの? すごい!」
「でも、長くは保たないわ。だから早くお行きなさい」
「うん!」
笑顔で手を振りながら飛んでいくチルノ。
と、振り返り女性に笑顔で手を振る。
「えっと、誰か知らないけど色々ありがとー!」
「フフ、また会いましょう。小さな妖精さん」
日傘の下で微笑んで見送る女性。
と、今まで黙って成り行きを見ていた花屋店主が声をかける。
「いいんですかい、風見さん。足りない分の御代出してもらって」
「私は花の素晴らしさを知ってもらいたいだけだもの、それくらい安いものよ。それに――花好きの子には優しくしてあげたいわ」
◆ ◆ ◆
吸血鬼の住まう館、紅魔館。
その地下にある大図書館にチルノは出向いていた。
図書館に通じる扉を開けると、奥に見えるテーブルに数名の人影がある。
その中に目当ての人物を見つけたチルノは、ペタペタと小走りに近寄って話しかけた。
「ねーねー、アンタ確か、変な魔法使えたでしょ。この花を枯れないようにできる?」
チルノが話しかけたのは、全身にあしらわれた赤と青のリボンが特徴的な女性。
この大図書館の主であり、様々な魔法に精通している魔女、パチュリー・ノーレッジであった。
チルノの呼びかけに対しパチュリーは読んでいる本から顔を上げようとはせず、本の文字を追っている。
聞こえなかったのかな、と思ったチルノが再度口を開こうとすると、目だけを動かしてチルノを一瞥する。
「……出来なくはないわ。固定化の魔法を使えば可能ね」
ただし、と前置きしてパチュリーが続ける。
「魔法の恩恵を受けるにはそれなりの代償が必要よ。それが魔法使いのルール。貴女にそれが払えるかしら?」
チルノはポケットを探り、一枚だけ残ったスペルカード――アイシクルフォール-easy-――を差し出す。
「もうこれしかないけど……ダメ?」
「一番使えないやつじゃない、それ。他のはどうしたの?」
問われたチルノの表情が曇る。
「変な妖怪ウサギに騙されて取られちゃった……」
「……そう、交渉決裂ね。帰りなさい」
その言葉を聞き、チルノの顔が歪む。
肩を落とし、トボトボとテーブルを離れるチルノ。
よほど悔しいのだろう、瞳にこんもり涙を浮かべ、無意識のうちに独り言を呟いていた。
「ごめんね大ちゃん……」
「…………ちょっと待ちなさい」
扉に手をかけたチルノをパチュリーが呼び止める。
振り返ったチルノの気配を感じ取ったのか、本に視線を落としたまま続ける。
「実験に氷が必要だけど、あいにく切らしてるのよ。貴女さえよければ、その羽を代償としてもらってもいいわ」
最初は理解できない様子のチルノであったが、やがてパッと顔を輝かせる。
「いいの!? ありがとう!」
◆ ◆ ◆
花に固定化の魔法をかけてもらったチルノが居なくなった後、ずっと静観していた紅魔館の主、レミリアが口を開く。
「パチェも優しいところがあるじゃないか」
「……優しいならタダでやってあげるでしょう。代償は受け取ったわ」
努めて冷静に返答するパチュリー。
それに対し、私は魔法については詳しくないが、と前置きした上でレミリアが続ける。
「固定化の魔法とやらは、単純な魔法には見えないわね。かなり高度な魔法なんでしょう?」
「ええ……決して簡単ではないわね」
単純な魔法であれば魔導書のみでやってのける七曜の魔女が、固定化の魔法については魔方陣と貴重な触媒まで用いて発動させたのだ。
生来の魔法使いとしての意地か、難しいとは言わなかったが、否定もしなかった。
相当に難度の高い魔法であることは、魔法の知識に疎いレミリアにもうかがい知れた。
「その魔法の代償が羽だけっていうのは、非常にリーズナブル、良心的代償だなと思ったまでさ。氷くらい、パチェならその気になればいくらでも出せるだろう?」
アイツは妖精だから羽なんてすぐ復活するしな、とレミリア。
と、小悪魔がニコニコしながら口を挟む。
「パチュリー様は照れ屋さんでいらっしゃいますから」
「むきゅう……今日は喘息の具合が良くなかったから利用しただけよ」
「あれ、今朝は体調が良いとお聞きしましたよ?」
「むっきゅー!」
パチュリーが読んでいた本で顔を隠す。だが隠し切れない耳が両方赤くなっているのを、レミリアと小悪魔は見逃さなかった。
◆ ◆ ◆
「あれ? チルノちゃん、どこ行っちゃったんだろう」
待ち合わせ場所に戻ってきた大妖精は、チルノの姿が無いことに気づく。
場所を間違えたかと思って辺りを見回していると、紅魔館の方面から走ってくる小さな影が目に入る。
それがチルノだと気づいて声をかけようとすると、相手もこちらの姿に気づいたのか、片手を挙げて呼びかけてくる。
「やっほー、大ちゃーん!」
「あ、チルノちゃん、もう、どこに行って――」
そこまで言ったところで、チルノの格好に普段と決定的に違うところがあることに気づく。
「お待たせ!」
「チ、チルノちゃん、羽はどうしたの!?」
傍までやってくるのを待ち、開口一番で疑問を口にする大妖精。
「んー? えーっと、落としちゃった!」
「あ、ありえないよ!? どこで落としたの!? 早く探しに行こう?」
慌ててチルノの手を取ろうとする大妖精だが、チルノは意に介さず続ける。
「まーいいからいいから! それより大ちゃんにプレゼントがあるの!」
ジャーン、と自分で効果音までつけ、後ろ手に持っていた花を大妖精に見せる。
「大ちゃん、いつもアタイと仲良くしてくれてありがとう!」
「チルノちゃん……どうしたの? これ」
「大ちゃんのために用意したプレゼントだよ。もらってくれる?」
「チルノちゃん……」
よく見ると、チルノの外見で変わっているのは羽だけではない。
走ってきたためか髪はボサボサだし、服も乱れている。足も泥だらけだ。
この花を用意するためにチルノがこうなったことに勘付いた大妖精は、その気持ちが嬉しくてたまらず、目尻に涙を溜めてチルノに抱きつく。
「チルノちゃんっ……ありがとう、私、大事にするね」
「大ちゃん……えへへ」
しばらく抱き合っていた二人であるが、そのうち恥ずかしくなったのか赤面して離れ、顔を見合わせて微笑む。
その恥ずかしさを紛らわすように、大妖精もプレゼントを取り出す。
「え、えっと、私からもプレゼントするね、はいっ」
新しいリボンを見たチルノがパッと顔を輝かせる。
「大ちゃんの髪と同じ色だ! ありがとう、大ちゃん!」
「ふふ、どういたしまして。イメージチェンジだよ、チルノちゃん。あ、結んであげるね」
大妖精がチルノの青いリボンを解く。
だが紅魔館からここまで走ってきたため、チルノの髪の毛が乱れていることに思い至る。
大妖精は懐から櫛を取り出しながら、チルノに微笑みかける。
「チルノちゃん、リボンつける前に髪を梳いてあげるから座って?」
「い、いいよ。自分でできるよ」
パッと大妖精から離れようとするチルノであるが、大妖精に軽く服をつかまれているため逃げられない。
「だーめ。チルノちゃんいつもそうやって逃げちゃうんだもん」
「う~……」
「それとも、私に髪の毛さわられるの嫌……?」
悲しそうに顔を伏せる大妖精。
それを見て慌てて首を横に振るチルノ。
「嫌じゃないよ! 大ちゃんに梳いてもらうのアタイ好きだもん! ……あっ」
本音を漏らしたチルノが慌てて口を押さえるが時すでに遅し。
大妖精は手を後ろに組み、顔を傾けて嬉しそうにチルノを覗き込む。
「ほんと? 嬉しいな……」
「う~……でも、アタイ恥ずかしいよ……」
「大丈夫だよ、誰も見てないから。ね?」
地面に座り、自分の膝をポンポン、と叩いて示す大妖精。
眉尻を下げてそれを眺めていたチルノであるが、やがて観念したように座り、顔を赤くしつつも大人しく髪を梳いてもらう。
「私ね、チルノちゃんにこうしてあげてる時が一番幸せだよ」
それを聞き、ますます赤面するチルノ
しばしの沈黙を挟んだ後、チルノが意を決したように口を開く。
「……あの、あのね……アタイも、大ちゃんにこうしてもらってる時が一番好き……」
それを聞き、嬉しそうに微笑む大妖精。
「ふふ、私たちって相思相愛だね」
「? ソウシソウアイって何?」
「えっとね、お互いがお互いのこと大好きってことだよ」
「うん、アタイ大ちゃん大好き!」
「私も、チルノちゃん大好きだよ」
チルノが振り向き、顔を合わせ笑いあう二人。
と、チルノが何かを思い出したように無邪気に訊ねる。
「ねぇ大ちゃん、『大好き』と『あいじょう』って違うの?」
「ふぇっ!? チ、チルノちゃんどこでそんな言葉覚えてきたの?」
「花を選んでくれた人が言ってたよ。この花の花言葉は『固く結ばれた愛情』だって」
「……」
何を想像したのか、真っ赤になって押し黙ってしまう大妖精。
前を向いて座っているチルノからは見えないため、大妖精の変化に気づかない。
「ねー大ちゃん、どうなの?」
「あ……ぅ……チ、チルノちゃんにはまだ早い、かな……?」
ぎこちない笑みを浮かべてごまかす大妖精。
「えー、花を選んでくれた人もそう言ってたよ。ずるいよ、アタイにも『あいじょう』って何なのか教えてよー」
「え、えっと……ま、また今度ね!」
「ほんと? 約束だよ?」
「う、うん。いつか、ね……」
最後の言葉はどこか自分に言い聞かせるように呟く大妖精。
一方のチルノはそんな大妖精には最後まで気づかず、大人しく髪を梳いてもらう。
しばらくして。
「はい、終わったよ。リボンもつけてあげるね」
「うん」
大妖精の髪と同じ色をしたリボンをつけ、大妖精の前でクルリと回転するチルノ。
その姿を見た大妖精が、ぱちぱちと拍手をしながら絶賛する。
「チルノちゃん、すっごく可愛いよ!」
「えへへ、ありがと大ちゃん」
「それつけて、花映塚がんばってね!」
「うん。あ、大ちゃんは出ないの?」
「わ、私はいいよー。弾幕とか怖いよ」
とんでもない、といった様子で両手を振る大妖精。
チルノはその手を取り、胸を張って大妖精に告げる。
「大丈夫、大ちゃんはアタイが守ってあげるから!」
そんなチルノを見て、微笑みを漏らす大妖精。
「じゃあ、いつかまた出られた時は、今日もらったお花を持って行くね」
「うん、約束だよ!」
この段階では、二人とも知る由もないのであるが――
近い将来、再び大妖精に出番が巡ってくる。
そればかりか大親友のチルノに鬼畜弾幕をかます羽目になるのだが、これはまた別のお話。
◆ ◆ ◆
一方その頃、迷いの竹林では――
妖怪ウサギのてゐが、傘を片手に底冷えのする笑顔を絶やさず追いかけてくる妖怪に腰を抜かし、半泣きでチルノのスペルカードを返していた。
季節は巡り、秋から冬を経て春を迎えていた。
季節や時間に関係なくいつでも霧が立ちこめる湖の畔に、二人の妖精の姿が見える。
一人は水色の髪に青いリボンを結び、青い服とスカートを身に着けた小さな妖精。背中には特徴的な氷の羽が六枚見える。
残る一人は、緑色の髪をサイドポニーにして黄色のリボンで結んでおり、先の一人と同じく青系統の服装の妖精。背丈は青い妖精より少しだけ高い。
緑髪の妖精が、手に持ったクラッカーの紐を引張る。
パン、という音とともにカラフルな紙テープが飛び出す。
火薬の匂いが辺りを包む中、緑髪の妖精が口を開く。
「チルノちゃん、花映塚の出演決定おめでとう!」
「えへへ、ありがと、大ちゃん」
チルノと呼ばれた青い妖精が、緑髪の妖精からの祝福にはにかんだように笑う。
緑髪の妖精の名は大妖精。親しい間柄からは"大ちゃん"と呼ばれている。
照れているのか、後頭部に手をやるチルノ。
その仕草を見た大妖精は、チルノの青いリボンが古びていることに気づく。
「もう、チルノちゃんってばリボン汚れちゃってるよ。せっかく自機になるんだから、おめかししなきゃダメだよ」
「うーん、でもアタイ、これしかリボン持ってないや」
あまり気にした様子もなく、チルノ。
チルノは身なりには無頓着な方であるため、見かねた大妖精がいつも身だしなみを整えてやっている。
大妖精はしばし思案顔で、やがて苦笑しながら続けた。
「しょうがないなあ、私がチルノちゃんに似合うリボンをプレゼントするね。みんなにかわいいチルノちゃんを見てもらおうね」
「いいの? で、でもアタイかわいくなんかないよ……?」
赤面してモジモジするチルノ。
それに対し、鼻息荒く力説する大妖精。
「大丈夫だよ、チルノちゃんはかわいさ最強だから!」
「あ、ありがと……えへへ……でも、アタイは大ちゃんが一番かわいいと思うよ」
「も、もう、チルノちゃんってば……」
「えへへ……」
「フフ……」
お互いに照れてしまったのか、しばし沈黙が続く。
それに耐え切れなくなったのか、大妖精が飛び上がりながら告げる。
「そ、そろそろ買いに行ってくるね! ここで待っててね!」
魔法の森方面に飛んでいく大妖精を見送るチルノであったが、やがて何かを決意したように人間の里へと向かった。
◆ ◆ ◆
香霖堂。
魔法の森入り口付近に店を構える古道具屋である。
単なる雑貨から外界の詳細不明の品物まで取り扱っており、人数こそ少ないが客層は人妖を問わない。
魔法の森近くという立地条件のためか、どちらかというと人間以外の客が多いと言えた。
「あの、こんにちは」
「おや、妖精とは珍しいお客様だね」
幻想郷における妖精とは自然の具現である。
物事を深く考えず悪戯好き。死という概念も無く、適当な木などに住み着いているのが普通だ。
当然、経済観念というものも発達しておらず、基本的に貨幣を持たないものが多い。
そのためか、普通の妖精は買い物という行為はしない。
しかし大妖精は妖精の中では比較的強い力を持つためか、多少なりと人妖についての知識をもっていた。
「ええと……リボンありますか?」
「リボンならそこの棚に置いてあるから、好きに見るといい」
隅の方を指差す霖之助。
ありがとうございます、と大妖精が礼を言ってリボンの見定めを始める。
しばらくすると、大妖精が一つのリボンを手に近寄ってくる。
「それでいいのかい? 300銭だよ」
「あ、あの……私、今お金もってなくて……これとリボンを交換してもらえませんか?」
そう言って大妖精がポケットから出したのは一枚のカード。
見るとデフォルメされた大妖精の絵が描かれている。
手渡されたカードをまじまじと見つめながら、霖之助が口を開く。
「これは……君のスペルカードかい?」
「はい。私の瞬間移動能力をカードにしたんです」
「ふむ、しかしこれは……」
しきりにカードを裏返したり、天にかざして見たりする霖之助。
「あの……ダメ、ですか……? 友達に教えてもらってカードにしたんですが」
不安げに見つめる大妖精。
「そのリボンは、その友達へのプレゼント用かい?」
大妖精の質問には答えず、別の質問をする霖之助。
大妖精が手に持っているリボンは、サイドポニー用のそれとは形状が違う。
質問を質問で返すのは本来ならテストで0点になってしまう行為であるが、緊張しているためか大妖精は気づかない。
「そうです。友達のチルノちゃんが、次回作に出演するからお祝いに……」
「ふむ……」
片目を瞑り、顎に手を当ててしばし考え込む霖之助。
視界に入る大妖精の表情は不安げだ。
それを見て、何かを思い出したように霖之助が苦笑する。
「まあ、構わないよ。持って行くといい」
「良かったぁ、ありがとうございます」
ホッとしたように顔をほころばせ、ペコリと頭を下げて店から出て行く大妖精。
一人になった霖之助は小さくため息をつき、非売品と決めているコーナー――霖之助にしか分からないが――に大妖精のカードを置く。
「やれやれ、僕も甘いね」
スペルカードは、カードそのものにはさしたる意味は無い。言わば単なる象徴である。
カードの真の価値は付与された名称であり、それが定義されていないスペルカードはスペルカードとしての用を成さない。
霖之助には道具の名称と用途が分かる能力があるのだが、霖之助をもってしても大妖精のスペルカードの正式名称は分からない。
否、分からないのではない。定義されていないのだ。
そのため、このカードには何の能力も経済価値も無い。単なる抜け殻である。
大妖精がこれを見越してやった可能性もゼロではないが、あの控え目そうで友達思いの妖精に限ってそれはあるまい、と霖之助は判断した。
「まあ、自分の能力を失ってでも友人を祝福したいという優しさは報われてほしいね。それに――」
こちらを不安げに見つめる大妖精の姿が、知り合いの少女の幼少期によく似ていた。
誕生日に霖之助の似顔絵を描いたから見てほしいと言った少女の、期待と不安が入り混じった表情は今でも昨日のことのように思い出せる。
「……」
懐かしい思い出に浸りつつ、霖之助はすっかり冷めた湯のみに手を伸ばす。
一方、香霖堂を出た大妖精はチルノとの待ち合わせ場所に向かいながら、大好きな友達にリボンをプレゼントできる喜びに胸を躍らせていた。
「チルノちゃん、喜んでくれるといいなあ……」
◆ ◆ ◆
所変わって人間の里。
商店が並ぶ一角で、道端に粗末なござを敷いて座っているチルノの姿があった。
目の前には手持ちのスペルカードを並べ、『いさまい100せん』とヘタな字で書かれた看板が立てられている。
しきりに呼び込みをしているチルノであるが、ここは人間の里。
あまり裕福でない一般の人間にとって、得体の知れない妖精のスペルカードなど売れるものではない。
それでもめげず道行く人に声を枯らすチルノに話かける姿があった。
「氷精、こんなところで何やってるウサ」
「さいきょーのアタイのスペルカードを売りにだしてるのさ!」
声をかけたのは妖怪ウサギの因幡てゐ。
全体的に胡散臭いオーラを纏っており、小馬鹿にしたようにチルノを見やる。
「⑨のスペカなんて誰が欲しがるウサ?」
「何よ、アンタになんか売ってやらないんだから!」
頬を膨らませて抗議するチルノ。
「まあせいぜい頑張るウサ……」
肩をすくめ、やれやれといった様子で立ち去ろうとする。
だが数歩あるいたところで足を止め、何か思いついたようにニヤリと笑うと、再びチルノに話かける。
「氷精、耳寄りな情報があるウサ」
「フン、今さら欲しがっても売ってやんないんだから!」
「まあ聞けウサ。どうせそこらの人間はスペカなんて買わないウサ。そこで……」
懐からがま口財布を取り出すと、中から50銭硬貨を一枚抜き取る。
「この50銭は表の印刷が裏に、裏の印刷が表についてる珍しいものウサ。売れば十倍くらいの価値があるウサ」
両手を頭の後ろで組み、フーンと興味なさげなチルノ。
てゐの瞳に怪しい光りが灯る。
「氷精、お前さえよければ、特別にそこのスペカ全部と交換してやってもいいウサ」
「ほ、ほんと?」
さっきまでの無関心さはどこ吹く風、チルノがてゐの肩に手を置いて身を乗り出すように訊ねる。
「花映塚に出演するもの同士のよしみウサ。遠慮なく受け取れウサ」
「なんだ、アンタっていいヤツだったんだね!」
ニヤニヤと性の悪い笑みを浮かべながらスペルカードと50銭を交換するてゐ。
しかしチルノは目の前の50銭に目を輝かせており、てゐの新世界の神もかくや、という腹黒い笑みには気づかない。
そのままそそくさと立ち去ろうとするてゐであったが、一枚のスペルカード――アイシクルフォール-easy-――をチルノにつき返す。
「あ、これはいらないウサ。こんなの持ってたら⑨にされるウサ」
「何よー! イーだ!」
憮然とした表情でカードを受け取り、てゐの後姿にあっかんべーをするチルノ。
しかしすぐに50銭を思い出し、意気揚々と歩き始めた。
◆ ◆ ◆
「髪飾りね。500銭だよ」
人間の里の雑貨屋に足を運んだチルノは、髪飾りを手に店主に話かける。
自信満々に50銭を渡すチルノであったが、店主が顔をしかめる。
「お嬢ちゃん、これは50銭だよ。あと450銭足りないねえ」
「フフン、あんた何にも知らないのね! さいきょーのアタイが教えてやるからよーく聞きなさい」
腰に手をやり、てゐからの受け売りを得意気に解説するチルノ。
最後まで聞いた店主は、チルノの手から髪飾りをヒョイと取り、代わりに50銭を握らせる。
「お嬢ちゃん、こりゃタダの50銭だよ。誰に吹き込まれたのか知らないけど、これじゃ売れないねえ」
「え……?」
「悪いけど、ウチの品物は一番安くても100銭だよ。お金ないのなら、他を当たっておくれ」
ちょうど他の客が訪れたため、チルノから離れてそちらの接客に出向く店主。
取り残されたチルノは50銭を握り締め、ポカンと立ち尽くすのみであった。
◆ ◆ ◆
当ても無くトボトボと歩くチルノ。
あれからいくつかの店を巡ってみたが、50銭ではめぼしいものも手に入らず、途方に暮れていた。
散々歩き回ったのだろう、裸足の足も砂や泥で汚れており、今にも泣きそうな表情をしている。
茫然自失といった様子で俯いて歩いていたこともあり、たまたま花屋の前で店主と会話をしている客に気づかずぶつかってしまう。
「こんにちは。この前頼んでおいた種――あら?」
体格差があるため、ぶつかったチルノの方がその場に力なく尻餅をついてしまう。
「ふうん、妖精も人里にくることがあるのね」
尻餅をつき、座り込んだチルノを見下ろす形で女性が呟く。
その声が耳に入ったのだろう、ノロノロとぶつかった相手を見上げるチルノ。
雨も降っていないのに傘をさしているのは分かるが、逆光で顔はよく見えない。
そのまま見上げていると、我慢していた涙がポロポロとこぼれ始めた。
泣き出したチルノを見て、女性が慌てたように声をかけてくる。
「ちょっと、どうしたのよ。どこか怪我したの?」
「大ちゃんが……プレゼント……お金……だまされっ……」
本格的にしゃくりあげてしまうチルノ。
それを見た女性はその場にしゃがみ、チルノと同じ目線になって穏やかに問いかける。
「落ち着いて、何があったのか最初から話してごらんなさい」
◆ ◆ ◆
「なるほど……事情は大体飲み込めたわ」
チルノの説明を聞き終えた女性が情報を整理する。
「アナタはいつも仲良くしてくれる友達にプレゼントがしたくて人間の里にきた。でも妖怪ウサギに騙されて手持ちは50銭だけ。そういうことかしら?」
「うん……」
落ち込んだ様子で肯定するチルノ。
女性の発言を聞いて思い出してしまったのだろう、また目に涙がたまってきており、今にもダムが決壊しそうだ。
女性はそんなチルノに優しく微笑んで語りかけた。
「それなら花を贈ったらどうかしら、小さな妖精さん」
「お花……?」
「花は贈り物には最適よ。50銭あれば買えるし、アナタの大好きな妖精さんにもきっと喜んでもらえるわ」
提案にしばらくポカンとしていたチルノであったが、女性の微笑みに元気をもらったのか、表情に力強さが戻ってくる。
「……うん!」
右手で目をこすり、ニカッと笑うチルノ。
その様子を見た女性がそのまま花屋店主に何かを伝え、数本の花束を受け取る。
「はい、今の季節にはこれがいいわ」
女性がピンク色の可愛らしい花を見せる。
「この花は昼咲月見草っていうの。花言葉は『固く結ばれた愛情』。フフ、アナタに愛情はまだ早いかしら? 小さな妖精さん」
「あいじょう? アタイ、よくわかんないや。でも、この花は気に入ったよ!」
「そう、良かったわ。でもどうしましょう、花は寒さに弱いから、アナタが持つと枯れちゃうわね」
「そっか……だからアタイが花に近づくといつもすぐ枯れちゃうんだ……」
またも落ち込むチルノ。
女性は頬に人差し指を当てて思案顔。やがて何かを思いついたらしく口を開く。
「吸血鬼の館にいる魔女。あの魔女ならなんとかできるかもしれないわ」
「それってこーまかん? あそこなら知ってる。たまに遊びに行くよ」
「そう、それは好都合ね。行って頼んでみるといいわ」
その前に、と花びらに女性が軽く触れてチルノに手渡す。
「花の生命力を高めたわ。少しならアナタの冷気にも耐えられるはずよ」
「そんなことできるの? すごい!」
「でも、長くは保たないわ。だから早くお行きなさい」
「うん!」
笑顔で手を振りながら飛んでいくチルノ。
と、振り返り女性に笑顔で手を振る。
「えっと、誰か知らないけど色々ありがとー!」
「フフ、また会いましょう。小さな妖精さん」
日傘の下で微笑んで見送る女性。
と、今まで黙って成り行きを見ていた花屋店主が声をかける。
「いいんですかい、風見さん。足りない分の御代出してもらって」
「私は花の素晴らしさを知ってもらいたいだけだもの、それくらい安いものよ。それに――花好きの子には優しくしてあげたいわ」
◆ ◆ ◆
吸血鬼の住まう館、紅魔館。
その地下にある大図書館にチルノは出向いていた。
図書館に通じる扉を開けると、奥に見えるテーブルに数名の人影がある。
その中に目当ての人物を見つけたチルノは、ペタペタと小走りに近寄って話しかけた。
「ねーねー、アンタ確か、変な魔法使えたでしょ。この花を枯れないようにできる?」
チルノが話しかけたのは、全身にあしらわれた赤と青のリボンが特徴的な女性。
この大図書館の主であり、様々な魔法に精通している魔女、パチュリー・ノーレッジであった。
チルノの呼びかけに対しパチュリーは読んでいる本から顔を上げようとはせず、本の文字を追っている。
聞こえなかったのかな、と思ったチルノが再度口を開こうとすると、目だけを動かしてチルノを一瞥する。
「……出来なくはないわ。固定化の魔法を使えば可能ね」
ただし、と前置きしてパチュリーが続ける。
「魔法の恩恵を受けるにはそれなりの代償が必要よ。それが魔法使いのルール。貴女にそれが払えるかしら?」
チルノはポケットを探り、一枚だけ残ったスペルカード――アイシクルフォール-easy-――を差し出す。
「もうこれしかないけど……ダメ?」
「一番使えないやつじゃない、それ。他のはどうしたの?」
問われたチルノの表情が曇る。
「変な妖怪ウサギに騙されて取られちゃった……」
「……そう、交渉決裂ね。帰りなさい」
その言葉を聞き、チルノの顔が歪む。
肩を落とし、トボトボとテーブルを離れるチルノ。
よほど悔しいのだろう、瞳にこんもり涙を浮かべ、無意識のうちに独り言を呟いていた。
「ごめんね大ちゃん……」
「…………ちょっと待ちなさい」
扉に手をかけたチルノをパチュリーが呼び止める。
振り返ったチルノの気配を感じ取ったのか、本に視線を落としたまま続ける。
「実験に氷が必要だけど、あいにく切らしてるのよ。貴女さえよければ、その羽を代償としてもらってもいいわ」
最初は理解できない様子のチルノであったが、やがてパッと顔を輝かせる。
「いいの!? ありがとう!」
◆ ◆ ◆
花に固定化の魔法をかけてもらったチルノが居なくなった後、ずっと静観していた紅魔館の主、レミリアが口を開く。
「パチェも優しいところがあるじゃないか」
「……優しいならタダでやってあげるでしょう。代償は受け取ったわ」
努めて冷静に返答するパチュリー。
それに対し、私は魔法については詳しくないが、と前置きした上でレミリアが続ける。
「固定化の魔法とやらは、単純な魔法には見えないわね。かなり高度な魔法なんでしょう?」
「ええ……決して簡単ではないわね」
単純な魔法であれば魔導書のみでやってのける七曜の魔女が、固定化の魔法については魔方陣と貴重な触媒まで用いて発動させたのだ。
生来の魔法使いとしての意地か、難しいとは言わなかったが、否定もしなかった。
相当に難度の高い魔法であることは、魔法の知識に疎いレミリアにもうかがい知れた。
「その魔法の代償が羽だけっていうのは、非常にリーズナブル、良心的代償だなと思ったまでさ。氷くらい、パチェならその気になればいくらでも出せるだろう?」
アイツは妖精だから羽なんてすぐ復活するしな、とレミリア。
と、小悪魔がニコニコしながら口を挟む。
「パチュリー様は照れ屋さんでいらっしゃいますから」
「むきゅう……今日は喘息の具合が良くなかったから利用しただけよ」
「あれ、今朝は体調が良いとお聞きしましたよ?」
「むっきゅー!」
パチュリーが読んでいた本で顔を隠す。だが隠し切れない耳が両方赤くなっているのを、レミリアと小悪魔は見逃さなかった。
◆ ◆ ◆
「あれ? チルノちゃん、どこ行っちゃったんだろう」
待ち合わせ場所に戻ってきた大妖精は、チルノの姿が無いことに気づく。
場所を間違えたかと思って辺りを見回していると、紅魔館の方面から走ってくる小さな影が目に入る。
それがチルノだと気づいて声をかけようとすると、相手もこちらの姿に気づいたのか、片手を挙げて呼びかけてくる。
「やっほー、大ちゃーん!」
「あ、チルノちゃん、もう、どこに行って――」
そこまで言ったところで、チルノの格好に普段と決定的に違うところがあることに気づく。
「お待たせ!」
「チ、チルノちゃん、羽はどうしたの!?」
傍までやってくるのを待ち、開口一番で疑問を口にする大妖精。
「んー? えーっと、落としちゃった!」
「あ、ありえないよ!? どこで落としたの!? 早く探しに行こう?」
慌ててチルノの手を取ろうとする大妖精だが、チルノは意に介さず続ける。
「まーいいからいいから! それより大ちゃんにプレゼントがあるの!」
ジャーン、と自分で効果音までつけ、後ろ手に持っていた花を大妖精に見せる。
「大ちゃん、いつもアタイと仲良くしてくれてありがとう!」
「チルノちゃん……どうしたの? これ」
「大ちゃんのために用意したプレゼントだよ。もらってくれる?」
「チルノちゃん……」
よく見ると、チルノの外見で変わっているのは羽だけではない。
走ってきたためか髪はボサボサだし、服も乱れている。足も泥だらけだ。
この花を用意するためにチルノがこうなったことに勘付いた大妖精は、その気持ちが嬉しくてたまらず、目尻に涙を溜めてチルノに抱きつく。
「チルノちゃんっ……ありがとう、私、大事にするね」
「大ちゃん……えへへ」
しばらく抱き合っていた二人であるが、そのうち恥ずかしくなったのか赤面して離れ、顔を見合わせて微笑む。
その恥ずかしさを紛らわすように、大妖精もプレゼントを取り出す。
「え、えっと、私からもプレゼントするね、はいっ」
新しいリボンを見たチルノがパッと顔を輝かせる。
「大ちゃんの髪と同じ色だ! ありがとう、大ちゃん!」
「ふふ、どういたしまして。イメージチェンジだよ、チルノちゃん。あ、結んであげるね」
大妖精がチルノの青いリボンを解く。
だが紅魔館からここまで走ってきたため、チルノの髪の毛が乱れていることに思い至る。
大妖精は懐から櫛を取り出しながら、チルノに微笑みかける。
「チルノちゃん、リボンつける前に髪を梳いてあげるから座って?」
「い、いいよ。自分でできるよ」
パッと大妖精から離れようとするチルノであるが、大妖精に軽く服をつかまれているため逃げられない。
「だーめ。チルノちゃんいつもそうやって逃げちゃうんだもん」
「う~……」
「それとも、私に髪の毛さわられるの嫌……?」
悲しそうに顔を伏せる大妖精。
それを見て慌てて首を横に振るチルノ。
「嫌じゃないよ! 大ちゃんに梳いてもらうのアタイ好きだもん! ……あっ」
本音を漏らしたチルノが慌てて口を押さえるが時すでに遅し。
大妖精は手を後ろに組み、顔を傾けて嬉しそうにチルノを覗き込む。
「ほんと? 嬉しいな……」
「う~……でも、アタイ恥ずかしいよ……」
「大丈夫だよ、誰も見てないから。ね?」
地面に座り、自分の膝をポンポン、と叩いて示す大妖精。
眉尻を下げてそれを眺めていたチルノであるが、やがて観念したように座り、顔を赤くしつつも大人しく髪を梳いてもらう。
「私ね、チルノちゃんにこうしてあげてる時が一番幸せだよ」
それを聞き、ますます赤面するチルノ
しばしの沈黙を挟んだ後、チルノが意を決したように口を開く。
「……あの、あのね……アタイも、大ちゃんにこうしてもらってる時が一番好き……」
それを聞き、嬉しそうに微笑む大妖精。
「ふふ、私たちって相思相愛だね」
「? ソウシソウアイって何?」
「えっとね、お互いがお互いのこと大好きってことだよ」
「うん、アタイ大ちゃん大好き!」
「私も、チルノちゃん大好きだよ」
チルノが振り向き、顔を合わせ笑いあう二人。
と、チルノが何かを思い出したように無邪気に訊ねる。
「ねぇ大ちゃん、『大好き』と『あいじょう』って違うの?」
「ふぇっ!? チ、チルノちゃんどこでそんな言葉覚えてきたの?」
「花を選んでくれた人が言ってたよ。この花の花言葉は『固く結ばれた愛情』だって」
「……」
何を想像したのか、真っ赤になって押し黙ってしまう大妖精。
前を向いて座っているチルノからは見えないため、大妖精の変化に気づかない。
「ねー大ちゃん、どうなの?」
「あ……ぅ……チ、チルノちゃんにはまだ早い、かな……?」
ぎこちない笑みを浮かべてごまかす大妖精。
「えー、花を選んでくれた人もそう言ってたよ。ずるいよ、アタイにも『あいじょう』って何なのか教えてよー」
「え、えっと……ま、また今度ね!」
「ほんと? 約束だよ?」
「う、うん。いつか、ね……」
最後の言葉はどこか自分に言い聞かせるように呟く大妖精。
一方のチルノはそんな大妖精には最後まで気づかず、大人しく髪を梳いてもらう。
しばらくして。
「はい、終わったよ。リボンもつけてあげるね」
「うん」
大妖精の髪と同じ色をしたリボンをつけ、大妖精の前でクルリと回転するチルノ。
その姿を見た大妖精が、ぱちぱちと拍手をしながら絶賛する。
「チルノちゃん、すっごく可愛いよ!」
「えへへ、ありがと大ちゃん」
「それつけて、花映塚がんばってね!」
「うん。あ、大ちゃんは出ないの?」
「わ、私はいいよー。弾幕とか怖いよ」
とんでもない、といった様子で両手を振る大妖精。
チルノはその手を取り、胸を張って大妖精に告げる。
「大丈夫、大ちゃんはアタイが守ってあげるから!」
そんなチルノを見て、微笑みを漏らす大妖精。
「じゃあ、いつかまた出られた時は、今日もらったお花を持って行くね」
「うん、約束だよ!」
この段階では、二人とも知る由もないのであるが――
近い将来、再び大妖精に出番が巡ってくる。
そればかりか大親友のチルノに鬼畜弾幕をかます羽目になるのだが、これはまた別のお話。
◆ ◆ ◆
一方その頃、迷いの竹林では――
妖怪ウサギのてゐが、傘を片手に底冷えのする笑顔を絶やさず追いかけてくる妖怪に腰を抜かし、半泣きでチルノのスペルカードを返していた。
二人はこれから深い関係になるんですねわかります
ほんわかとしていてよかったです。
お人よしが多いんだから、んもう。
てゐは・・・マアガンバレw
てゐがやたらとウサウサ語尾につけてるのがとても気になる
お話はほのぼのしていてよかったです