前作「手のひらサイズの鏡の国」を読んで頂いた方が意味のわからない部分が少なくすむかもしれません。
そろそろ月も満ちようという頃、マエリベリー・ハーン、通称メリー(といってもそう呼んでいるのは友人の宇佐見蓮子位のものだが)は真上を通り過ぎた月を眺めながら件のオルゴールについて考えを廻らせていた。
「気になって持って帰って来ちゃったけど・・・」
そう、オルゴールは今メリーのベッドの上に放られている。尤も、あれから一度もネジは巻かれていないが。
始めてこのオルゴールを見たあの時、そこから奏でられる音楽にメリーと蓮子は確かに戦慄していた。
奇妙かつ奇矯、優麗にして幽玄。
そのように形容すれば間違いなく素晴らしい曲なのだろう。しかし我々のもつ感性とは何かが違うのだ。人間の為の曲ではないのかもしれない。
言うなれば、いつまでも欠けぬ月の様な。いつまでも続く宴の様な。
言うなれば、春咲きの彼岸花の様な。春先の雪景色の様な。
しかし今、メリーはこのオルゴールに惹き付けられてしまっている。
今はまだあの時の恐怖が好奇心に勝っているものの、いずれはこの恐怖も薄らいでしまうだろう。その時彼女の好奇心を止めるものは最早無くなってしまう。
(何か、思い出せそうな気がするのよね・・・)
どういう訳か、このオルゴールが自らを幼い頃の記憶に辿り着かせてくれるのではないか、という気がメリーにはしたのだった。
改めてメリーはオルゴールを手にとって眺めてみる。
装飾らしい装飾は殆ど無いが、高級品の雰囲気を漂わせている。中々に古い物の様だが、前の持ち主は丁寧に扱っていたのだろう、傷らしい傷は見当たらない。しかしそんなに大事に扱っている物を何故あんな所に放置していたのか。
(持ち主の名前とか書いてないかしら・・・?)
学生か教授の名前が書かれてあれば、その人に届けてしまえばいい。自分がこんな風に悶々とすることも無くなるのだ、と思い名前を探してみる。そして裏側にそれらしい文字を発見した。
「・・・えっと・・・・なんとか、だ・・・・」
元より外国人のメリーである。いくら長く暮らしていて日本語に慣れているといっても、人名などに使われる常用外の漢字は読めなかった。
明日、蓮子か漢字辞典にでも頼ることにしてメリーは部屋の明かりを消した。
瞼の裏側から、昔の事を夢に見る。
深い霧に包まれているように、白く霞んだ景色。
誰かの遊ぶ声が聞こえる。
独りで遊ぶ、昔の私の声が。
だけどいつも、隣に「アイツ」が居て。
独りの時に、何処からともなく現れて。
誰かが来たら、居なくなる。
ああ、こんなこともあったなあ。
だけど、思い出せない。
或いは知らないのかもしれない。
アイツが誰であるのかを。
―それはねぇ、おねぇさんも視えるからよぅ―
月曜日の1時限目、蓮子とメリーの二人は授業が入っていないのでこの時間に一週間か二週間くらいの予定を立てるようにしている。授業が入っていないのは断じて月曜の朝一から授業なんてだるくてやってられないからと言う訳ではない、というのは物理学教授の弁。心理学的にみてこの時間は休んだ方が後の授業が効率良く行えるんだ、というのは心理学教授。
そんなわけで二人は朝から登校していたのだが、蓮子の様子がいつもと違う。いつもであればメリーが眠い目を擦っている横で無駄な元気を振りまいているのだが、今日は蓮子の方が机に突っ伏してしまっている。
「いつになく眠そうね」
「ん~・・・ぁぁ、うん・・・昨日さ、ちょっと面白いものを見つけてさ・・・色々と調べてたら朝よ・・・・眠いわ。
鞄の中にあるんだけど・・・ごめん、メリー取って・・・zzz」
どうやら相当頑張っていたらしい。結構しっかりと調査してきたのだろう、メリーは蓮子の鞄からノートを取り出して一番新しいページを開いてみる。
上部に写真が貼られている。おそらくこれが蓮子の言う「面白いもの」なのだろう。満月を撮影しただけの写真にも見えるが、よく見ると空中におかしな部分がある。
そこだけ空が違う、とでも言えばいいのだろうか。まるで夜空に黒い紙を貼り付けたような違和感があった。とにかく、その部分の空が向こう側の世界のものであることがメリーにははっきりと判った。おそらく蓮子も経験から察したのだろう、普通に見ただけでは判らないかもしれない。
蓮子の字で写真の下に色々と書き込まれていた。
大江山(京都府北部)
京都-大江駅(電車)-大江山(バス)
この写真が撮影されたのはほぼ1年前のことであるが、写真から察するに日時そのものよりも満月に依って結界が開いている可能性が高い。今回の調査は、日付よりもそちらを優先し、中秋の名月に行うことにする。また、時間もあまり重要性を持たないと判断し、徹夜での観測を行い、夜が明けてから下山することにする。
後は具体的な行動予定のようだった。メリーはノートから顔を上げて尋ねる。
「ってことは明日出発ってことかしら?今日中に準備しないといけないわね・・・それにしても徹夜とはね」
「そうよ、キャンプ道具とかは私が用意できるけど、登山具の方はそうは行かないからね。そんなに高い山じゃないけど、色々持っていくから準備は万全にしたほうがいいわ」
メリーがノートに目を通している間に少し回復したらしい蓮子が応える。
「今日は買い物かしらね。全く、蓮子の所為でまたサボることになりそうだわ」
「あら、サボらなくてもホームセンターは待ってくれるんじゃないの?」
「待たせるのはあまり好きじゃありませんのわたくし」
そんなこんなで、二人は一日かけて登山具の買出しを敢行したのだった。
今夜は中秋の名月、世の人は月見の準備で団子や酒を買ったり月見の名所に心を躍らせたりしている。にもかかわらず人通りのあまりない山道をうら若き女子大生二人は歩いていた。夜に山登りをするのは危険なので、昼に頂上(峰になっているので正確にはある一端)に登っておいて夜まで待つ、という予定にした。昼に動くと目立つのではないかという懸念があったが、どうやらその心配はなさそうだった。
「あんまり人いないわね・・・行楽シーズンだって言うのに」
「紅葉にはまだ早いし、満月が見たいなら松山にでも行くんじゃない?まあ私たちからすればそっちの方が都合がいいし、どっちでもいいんだけど・・・重いわね、やっぱり」
二人はキャンプ用具の半分づつを含むリュックサックを背負っていたため、女子には少々つらい重量が背中にかかっていた。
「重力は物理学の範疇でしょう、なんとかできないの?」
「無茶言わないでよ・・・私の専門じゃないわよ。それにそっちこそこの重さを楽に出来たりしないの?心理学的に」
ひいひい言いながらもなんだかんだで登り続け、ようやく頂上へと到着した。今日は一日晴れるらしいので、問題なく満月を、ひいては結界を見つけることが出来るだろう。
夜営の準備も終えて後は待つのみ、となり蓮子はふと思い出したような顔をして、
「そういえばここについて調べてる時に見つけたんだけど、ここって「酒呑童子伝説」の舞台らしいのよね」
メリーが酒呑童子伝説?と首を傾げたので蓮子はそこから説明することにした。
「えーと、昔々大江山に、遠くの山から来た鬼が棲みついたそうな。これが酒呑童子ね。
酒呑童子は周りの鬼を引き連れて、都を襲っては人を攫ったり食べたり、悪行の限りを尽くしました。困り果てた帝は、武将の源頼光に命じ、家来を連れて退治に向かわせました。頼光らは大江山に登り、おじいさんとおばあさんに姿を変えた神様達の力を借りて見事酒呑童子を討ち取ったのでした、めでたしめでたし。まあこんな感じよ」
細部はともかく、今回説明する分にはこれでいいだろうと蓮子は判断した。
「ふーん、家来を連れて鬼退治、なんてまるで桃太郎ね」
「どっちかというと金太郎だけどね」
「?金太郎に鬼退治なんてあったかしら?」
メリーは頭の中で桃太郎と金太郎の話の筋を思い出そうとしていた。やはり桃太郎の方が近いと思うのだが。
昼の間に結界が出ることはないだろうから、夜に備えて眠っておくことにした。
「疲れた・・・、来る前は昼間に寝られるかちょっと不安だったけど、これなら余裕だわ・・・」
「ふふ、そうね・・・」
テントに入るなり倒れるように寝てしまった蓮子の傍らで、メリーはその寝顔を見つめていた。
こんな生き方をする人間を、メリーは知らなかった。自由で極めて楽観的で、この時代にはそういない「常に動き回る」生き方をする宇佐見蓮子の様な人間を。
自分の手を引いてくれるような人間を。
ついでに言うなら、こんな真昼にすぐに眠れる人間を。
そんなだから、一緒にサークル活動をしようと誘われた時に頷いたのだろう。
そんなだから、今までやってこれたのだろう。
そんな風に、これからもやっていくのだろう。
微睡に薄れてゆく意識の中、メリーは自分が微笑んでいるのに気付くことはなかった。
空が陽光の黄衣を脱ぎ去り、月光の襦袢にその衣装を替える。
その温度を下げた地表が、近くの大気に冷たい手を伸ばす―
その手はどうやら蓮子にも伸ばされたらしく、寒さに飛び上がるようにして起き上がった。
「寒っ!・・・ってもう夜じゃないの。ほら、起きるわよメリー」
(蓮子の寝相の悪さゆえに)テントの隅で行儀よく眠っているメリーを揺さぶって起こしにかかる。
「・・・おはよう蓮子・・・でも今は夜だからこんばんは・・・?どっちなのかしらね・・・?」
寝惚けている。寝相が悪いのが蓮子ならばこっちは寝起きが悪い。似ているのやら似ていないのやら。
そろそろ日を跨いで2時間程が経っている。
「綺麗な満月ね」
「そろそろ出てもいい頃だとは思うんだけどね。これでもし間違えてたら今日一日骨折り損のくたびれもうけだわ」
「それならそれで、月見でも楽しみましょうよ。最初から月見に来たと思えば、今日一日楽しかったんじゃない?」
「メリーは暢気ね。普段私のことを楽観的過ぎるっていうわりに、自分が一番楽観的じゃないの」
「それに、無駄でもなかったみたいよ」
メリーが指を指す方向に、ぽっかりと空に穴が空いたような所がある。間違いなく、写真にあった物と同一のものだろう。
そしてそれと同時に、蓮子がある異変に気付く。
「・・・霧!?全く、こんな時に!」
突如として霧がたちこめてきたのである。真白い霧は、空全体を覆うことさえなかったものの、先ほど開いた結界を隠すには充分な濃さであった。
二人はお互いを見失わないように気をつけながらテントまで這い戻った。
「それにしても酷い霧ね、この濃さも、タイミングも」
メリーがテントの外を覗いてつぶやくように言う。山の天気は変わりやすいとは言え、割り込むようにして現れる辺りまるで狙ったかのように思えてしまう。
偶然とは恐ろしいものね、と蓮子の方に視線を戻すと、蓮子は口に手を当ててさっきのことを考えているようだった。そして、何か思いついたらしい。
「・・・濃さはともかく、タイミングなら説明がつくんじゃない?つまり、あの霧はあそこからやってきたのよ」
蓮子はさっきまで結界の裂け目が見えていた辺りを指差して言った。
成る程、とメリーは納得する。あそこからやってきたのだから、結界が開いた途端に湧き出てきたのだとすれば辻褄が合う。
だが、メリーにはだからといってどうというわけではない。なんとなくだが、あの霧は私たちにどうこうしようというものではない、という気がした。
「でもそうなると、あの霧にも俄然興味が湧いてくるわね」
「え・・・止めてよ蓮子、今行ったら帰って来れなくなるわよ多分」
実際、さっきよりも霧が濃さを増している。もはや自分の手すらも見えないくらいになっているだろう。
しかし、メリーの制止も聞かずに、蓮子はテントから飛び出して・・・テントから出た瞬間に戻ってきた。
「・・・どうしたの?」
「うえ・・・・ひどい臭い・・・酒臭い・・・何あれ・・・?」
蓮子によるとどうやら霧は酷く酒臭いらしい。この霧はもしかするとアルコール類を多量に含んでいるのかもしれない。
だがそうするとこの一帯全部がマッチ一本で燃え尽きることになるかもしれない。霧そのものに害意は無さそうな気がしたが、今二人は爆弾の中にいるようなものである。ここに居るのは危ないのではないだろうか。
メリーはそう考えたが、蓮子の様子をを見る限りここから離れるのも難しそうだ。さっきからぐったりしている。おそらくあれは毒ガスの類ではなく度数の高い酒か何かなのだ。完全に酔い潰れている。
酒には強い方の蓮子が一瞬霧の中に出ただけでこれである。かと言って呼吸しないでこの濃さの霧の中を抜けるのは不可能に近い。特に今の蓮子では。
「・・・まずいわ!」
メリーが慌ててテントの入り口を手で押さえようとする。霧がテントの中にまで浸入してきたのだ。
ここを守りきれなければ、酒臭い霧に二人は一発でノックアウトされてしまうだろう。その後無事でいられる保障はどこにもない。
「ち、力が・・入らない・・・!」
すでにいくらか浸入を許してしまっていたために吸い込んでしまったのだろうか、テントを押さえる手に力が入らない。
とうとうテントから手を離してしまった。そのまま意識が遠のいていく。
メリーは霞みゆく視界の中で、声を聞いた。
―ああ、こんなに月の綺麗な夜は、酒が美味いよねえ―
二人が意識を取り戻したのは明け方になってからだった。
幸い、どこにも怪我は無かったようだ。霧もすっかり晴れてしまっている。メリーはそれが判った時心の底から安心した。ただし、二日酔いの所為で頭は痛かったが。
「あ~頭痛い・・・」
「帰って・・・寝たい・・」
二日酔いの治し方、水分ともう一つ手っ取り早いのが、もう一度寝てしまうことである。二人は帰って寝るという欲求のために急いで下山した。
(そういえば、オルゴールの持ち主の名前、なんて読むのか聞くの忘れてたわ・・・)
帰りの電車の中で、睡魔でほとんど開かない瞳を蓮子の方に向けてメリーはふとそんなことを思い出していた。
翌朝二人は今回の調査をまとめるため、テラスへと足を運んだ。どこでサークル活動するかというのは基本的に蓮子の気分次第である。気分次第で教室だったり、テラスだったり、自宅だったりする。
だが今回は少しばかり具合が良くなかったかも知れない。テラスの入り口で二人に店員が申し訳無さそうに頭を下げる。珍しく今日はほとんど満席らしいとのこと。
「相席になりますが宜しいでしょうか?」
相席になっても座れるのなら問題は無いですと、二人は店員の案内する席へ向かった。
席には先に女性が一人座っている。蓮子が挨拶した。
「すいませんゆっくりお茶してる所を。出来るだけ静かにしますから」
「いいえ、かまいませんわぁ」
女性はゆったりとした動作で了承する。上品さと優雅さと少しの茶目っ気のようなものが感じられる、向けられたものを端から虜にしてしまうような魔性を秘めている、そんな笑顔を見せた。
「どうしたの?メリーも早く座りなよ」
だが、一人だけその笑顔に対し、眼を見開いて驚いている者がいた。
「・・・・・・・「紫」・・・・・・・・!?」
―キリハハレテ、オモイデハカタチヲトリモドス―
続く
そろそろ月も満ちようという頃、マエリベリー・ハーン、通称メリー(といってもそう呼んでいるのは友人の宇佐見蓮子位のものだが)は真上を通り過ぎた月を眺めながら件のオルゴールについて考えを廻らせていた。
「気になって持って帰って来ちゃったけど・・・」
そう、オルゴールは今メリーのベッドの上に放られている。尤も、あれから一度もネジは巻かれていないが。
始めてこのオルゴールを見たあの時、そこから奏でられる音楽にメリーと蓮子は確かに戦慄していた。
奇妙かつ奇矯、優麗にして幽玄。
そのように形容すれば間違いなく素晴らしい曲なのだろう。しかし我々のもつ感性とは何かが違うのだ。人間の為の曲ではないのかもしれない。
言うなれば、いつまでも欠けぬ月の様な。いつまでも続く宴の様な。
言うなれば、春咲きの彼岸花の様な。春先の雪景色の様な。
しかし今、メリーはこのオルゴールに惹き付けられてしまっている。
今はまだあの時の恐怖が好奇心に勝っているものの、いずれはこの恐怖も薄らいでしまうだろう。その時彼女の好奇心を止めるものは最早無くなってしまう。
(何か、思い出せそうな気がするのよね・・・)
どういう訳か、このオルゴールが自らを幼い頃の記憶に辿り着かせてくれるのではないか、という気がメリーにはしたのだった。
改めてメリーはオルゴールを手にとって眺めてみる。
装飾らしい装飾は殆ど無いが、高級品の雰囲気を漂わせている。中々に古い物の様だが、前の持ち主は丁寧に扱っていたのだろう、傷らしい傷は見当たらない。しかしそんなに大事に扱っている物を何故あんな所に放置していたのか。
(持ち主の名前とか書いてないかしら・・・?)
学生か教授の名前が書かれてあれば、その人に届けてしまえばいい。自分がこんな風に悶々とすることも無くなるのだ、と思い名前を探してみる。そして裏側にそれらしい文字を発見した。
「・・・えっと・・・・なんとか、だ・・・・」
元より外国人のメリーである。いくら長く暮らしていて日本語に慣れているといっても、人名などに使われる常用外の漢字は読めなかった。
明日、蓮子か漢字辞典にでも頼ることにしてメリーは部屋の明かりを消した。
瞼の裏側から、昔の事を夢に見る。
深い霧に包まれているように、白く霞んだ景色。
誰かの遊ぶ声が聞こえる。
独りで遊ぶ、昔の私の声が。
だけどいつも、隣に「アイツ」が居て。
独りの時に、何処からともなく現れて。
誰かが来たら、居なくなる。
ああ、こんなこともあったなあ。
だけど、思い出せない。
或いは知らないのかもしれない。
アイツが誰であるのかを。
―それはねぇ、おねぇさんも視えるからよぅ―
月曜日の1時限目、蓮子とメリーの二人は授業が入っていないのでこの時間に一週間か二週間くらいの予定を立てるようにしている。授業が入っていないのは断じて月曜の朝一から授業なんてだるくてやってられないからと言う訳ではない、というのは物理学教授の弁。心理学的にみてこの時間は休んだ方が後の授業が効率良く行えるんだ、というのは心理学教授。
そんなわけで二人は朝から登校していたのだが、蓮子の様子がいつもと違う。いつもであればメリーが眠い目を擦っている横で無駄な元気を振りまいているのだが、今日は蓮子の方が机に突っ伏してしまっている。
「いつになく眠そうね」
「ん~・・・ぁぁ、うん・・・昨日さ、ちょっと面白いものを見つけてさ・・・色々と調べてたら朝よ・・・・眠いわ。
鞄の中にあるんだけど・・・ごめん、メリー取って・・・zzz」
どうやら相当頑張っていたらしい。結構しっかりと調査してきたのだろう、メリーは蓮子の鞄からノートを取り出して一番新しいページを開いてみる。
上部に写真が貼られている。おそらくこれが蓮子の言う「面白いもの」なのだろう。満月を撮影しただけの写真にも見えるが、よく見ると空中におかしな部分がある。
そこだけ空が違う、とでも言えばいいのだろうか。まるで夜空に黒い紙を貼り付けたような違和感があった。とにかく、その部分の空が向こう側の世界のものであることがメリーにははっきりと判った。おそらく蓮子も経験から察したのだろう、普通に見ただけでは判らないかもしれない。
蓮子の字で写真の下に色々と書き込まれていた。
大江山(京都府北部)
京都-大江駅(電車)-大江山(バス)
この写真が撮影されたのはほぼ1年前のことであるが、写真から察するに日時そのものよりも満月に依って結界が開いている可能性が高い。今回の調査は、日付よりもそちらを優先し、中秋の名月に行うことにする。また、時間もあまり重要性を持たないと判断し、徹夜での観測を行い、夜が明けてから下山することにする。
後は具体的な行動予定のようだった。メリーはノートから顔を上げて尋ねる。
「ってことは明日出発ってことかしら?今日中に準備しないといけないわね・・・それにしても徹夜とはね」
「そうよ、キャンプ道具とかは私が用意できるけど、登山具の方はそうは行かないからね。そんなに高い山じゃないけど、色々持っていくから準備は万全にしたほうがいいわ」
メリーがノートに目を通している間に少し回復したらしい蓮子が応える。
「今日は買い物かしらね。全く、蓮子の所為でまたサボることになりそうだわ」
「あら、サボらなくてもホームセンターは待ってくれるんじゃないの?」
「待たせるのはあまり好きじゃありませんのわたくし」
そんなこんなで、二人は一日かけて登山具の買出しを敢行したのだった。
今夜は中秋の名月、世の人は月見の準備で団子や酒を買ったり月見の名所に心を躍らせたりしている。にもかかわらず人通りのあまりない山道をうら若き女子大生二人は歩いていた。夜に山登りをするのは危険なので、昼に頂上(峰になっているので正確にはある一端)に登っておいて夜まで待つ、という予定にした。昼に動くと目立つのではないかという懸念があったが、どうやらその心配はなさそうだった。
「あんまり人いないわね・・・行楽シーズンだって言うのに」
「紅葉にはまだ早いし、満月が見たいなら松山にでも行くんじゃない?まあ私たちからすればそっちの方が都合がいいし、どっちでもいいんだけど・・・重いわね、やっぱり」
二人はキャンプ用具の半分づつを含むリュックサックを背負っていたため、女子には少々つらい重量が背中にかかっていた。
「重力は物理学の範疇でしょう、なんとかできないの?」
「無茶言わないでよ・・・私の専門じゃないわよ。それにそっちこそこの重さを楽に出来たりしないの?心理学的に」
ひいひい言いながらもなんだかんだで登り続け、ようやく頂上へと到着した。今日は一日晴れるらしいので、問題なく満月を、ひいては結界を見つけることが出来るだろう。
夜営の準備も終えて後は待つのみ、となり蓮子はふと思い出したような顔をして、
「そういえばここについて調べてる時に見つけたんだけど、ここって「酒呑童子伝説」の舞台らしいのよね」
メリーが酒呑童子伝説?と首を傾げたので蓮子はそこから説明することにした。
「えーと、昔々大江山に、遠くの山から来た鬼が棲みついたそうな。これが酒呑童子ね。
酒呑童子は周りの鬼を引き連れて、都を襲っては人を攫ったり食べたり、悪行の限りを尽くしました。困り果てた帝は、武将の源頼光に命じ、家来を連れて退治に向かわせました。頼光らは大江山に登り、おじいさんとおばあさんに姿を変えた神様達の力を借りて見事酒呑童子を討ち取ったのでした、めでたしめでたし。まあこんな感じよ」
細部はともかく、今回説明する分にはこれでいいだろうと蓮子は判断した。
「ふーん、家来を連れて鬼退治、なんてまるで桃太郎ね」
「どっちかというと金太郎だけどね」
「?金太郎に鬼退治なんてあったかしら?」
メリーは頭の中で桃太郎と金太郎の話の筋を思い出そうとしていた。やはり桃太郎の方が近いと思うのだが。
昼の間に結界が出ることはないだろうから、夜に備えて眠っておくことにした。
「疲れた・・・、来る前は昼間に寝られるかちょっと不安だったけど、これなら余裕だわ・・・」
「ふふ、そうね・・・」
テントに入るなり倒れるように寝てしまった蓮子の傍らで、メリーはその寝顔を見つめていた。
こんな生き方をする人間を、メリーは知らなかった。自由で極めて楽観的で、この時代にはそういない「常に動き回る」生き方をする宇佐見蓮子の様な人間を。
自分の手を引いてくれるような人間を。
ついでに言うなら、こんな真昼にすぐに眠れる人間を。
そんなだから、一緒にサークル活動をしようと誘われた時に頷いたのだろう。
そんなだから、今までやってこれたのだろう。
そんな風に、これからもやっていくのだろう。
微睡に薄れてゆく意識の中、メリーは自分が微笑んでいるのに気付くことはなかった。
空が陽光の黄衣を脱ぎ去り、月光の襦袢にその衣装を替える。
その温度を下げた地表が、近くの大気に冷たい手を伸ばす―
その手はどうやら蓮子にも伸ばされたらしく、寒さに飛び上がるようにして起き上がった。
「寒っ!・・・ってもう夜じゃないの。ほら、起きるわよメリー」
(蓮子の寝相の悪さゆえに)テントの隅で行儀よく眠っているメリーを揺さぶって起こしにかかる。
「・・・おはよう蓮子・・・でも今は夜だからこんばんは・・・?どっちなのかしらね・・・?」
寝惚けている。寝相が悪いのが蓮子ならばこっちは寝起きが悪い。似ているのやら似ていないのやら。
そろそろ日を跨いで2時間程が経っている。
「綺麗な満月ね」
「そろそろ出てもいい頃だとは思うんだけどね。これでもし間違えてたら今日一日骨折り損のくたびれもうけだわ」
「それならそれで、月見でも楽しみましょうよ。最初から月見に来たと思えば、今日一日楽しかったんじゃない?」
「メリーは暢気ね。普段私のことを楽観的過ぎるっていうわりに、自分が一番楽観的じゃないの」
「それに、無駄でもなかったみたいよ」
メリーが指を指す方向に、ぽっかりと空に穴が空いたような所がある。間違いなく、写真にあった物と同一のものだろう。
そしてそれと同時に、蓮子がある異変に気付く。
「・・・霧!?全く、こんな時に!」
突如として霧がたちこめてきたのである。真白い霧は、空全体を覆うことさえなかったものの、先ほど開いた結界を隠すには充分な濃さであった。
二人はお互いを見失わないように気をつけながらテントまで這い戻った。
「それにしても酷い霧ね、この濃さも、タイミングも」
メリーがテントの外を覗いてつぶやくように言う。山の天気は変わりやすいとは言え、割り込むようにして現れる辺りまるで狙ったかのように思えてしまう。
偶然とは恐ろしいものね、と蓮子の方に視線を戻すと、蓮子は口に手を当ててさっきのことを考えているようだった。そして、何か思いついたらしい。
「・・・濃さはともかく、タイミングなら説明がつくんじゃない?つまり、あの霧はあそこからやってきたのよ」
蓮子はさっきまで結界の裂け目が見えていた辺りを指差して言った。
成る程、とメリーは納得する。あそこからやってきたのだから、結界が開いた途端に湧き出てきたのだとすれば辻褄が合う。
だが、メリーにはだからといってどうというわけではない。なんとなくだが、あの霧は私たちにどうこうしようというものではない、という気がした。
「でもそうなると、あの霧にも俄然興味が湧いてくるわね」
「え・・・止めてよ蓮子、今行ったら帰って来れなくなるわよ多分」
実際、さっきよりも霧が濃さを増している。もはや自分の手すらも見えないくらいになっているだろう。
しかし、メリーの制止も聞かずに、蓮子はテントから飛び出して・・・テントから出た瞬間に戻ってきた。
「・・・どうしたの?」
「うえ・・・・ひどい臭い・・・酒臭い・・・何あれ・・・?」
蓮子によるとどうやら霧は酷く酒臭いらしい。この霧はもしかするとアルコール類を多量に含んでいるのかもしれない。
だがそうするとこの一帯全部がマッチ一本で燃え尽きることになるかもしれない。霧そのものに害意は無さそうな気がしたが、今二人は爆弾の中にいるようなものである。ここに居るのは危ないのではないだろうか。
メリーはそう考えたが、蓮子の様子をを見る限りここから離れるのも難しそうだ。さっきからぐったりしている。おそらくあれは毒ガスの類ではなく度数の高い酒か何かなのだ。完全に酔い潰れている。
酒には強い方の蓮子が一瞬霧の中に出ただけでこれである。かと言って呼吸しないでこの濃さの霧の中を抜けるのは不可能に近い。特に今の蓮子では。
「・・・まずいわ!」
メリーが慌ててテントの入り口を手で押さえようとする。霧がテントの中にまで浸入してきたのだ。
ここを守りきれなければ、酒臭い霧に二人は一発でノックアウトされてしまうだろう。その後無事でいられる保障はどこにもない。
「ち、力が・・入らない・・・!」
すでにいくらか浸入を許してしまっていたために吸い込んでしまったのだろうか、テントを押さえる手に力が入らない。
とうとうテントから手を離してしまった。そのまま意識が遠のいていく。
メリーは霞みゆく視界の中で、声を聞いた。
―ああ、こんなに月の綺麗な夜は、酒が美味いよねえ―
二人が意識を取り戻したのは明け方になってからだった。
幸い、どこにも怪我は無かったようだ。霧もすっかり晴れてしまっている。メリーはそれが判った時心の底から安心した。ただし、二日酔いの所為で頭は痛かったが。
「あ~頭痛い・・・」
「帰って・・・寝たい・・」
二日酔いの治し方、水分ともう一つ手っ取り早いのが、もう一度寝てしまうことである。二人は帰って寝るという欲求のために急いで下山した。
(そういえば、オルゴールの持ち主の名前、なんて読むのか聞くの忘れてたわ・・・)
帰りの電車の中で、睡魔でほとんど開かない瞳を蓮子の方に向けてメリーはふとそんなことを思い出していた。
翌朝二人は今回の調査をまとめるため、テラスへと足を運んだ。どこでサークル活動するかというのは基本的に蓮子の気分次第である。気分次第で教室だったり、テラスだったり、自宅だったりする。
だが今回は少しばかり具合が良くなかったかも知れない。テラスの入り口で二人に店員が申し訳無さそうに頭を下げる。珍しく今日はほとんど満席らしいとのこと。
「相席になりますが宜しいでしょうか?」
相席になっても座れるのなら問題は無いですと、二人は店員の案内する席へ向かった。
席には先に女性が一人座っている。蓮子が挨拶した。
「すいませんゆっくりお茶してる所を。出来るだけ静かにしますから」
「いいえ、かまいませんわぁ」
女性はゆったりとした動作で了承する。上品さと優雅さと少しの茶目っ気のようなものが感じられる、向けられたものを端から虜にしてしまうような魔性を秘めている、そんな笑顔を見せた。
「どうしたの?メリーも早く座りなよ」
だが、一人だけその笑顔に対し、眼を見開いて驚いている者がいた。
「・・・・・・・「紫」・・・・・・・・!?」
―キリハハレテ、オモイデハカタチヲトリモドス―
続く
続きがとても楽しみです!!
原作の秘封にありそうな雰囲気が好きです。
前回の伏線も含め、続きを楽しみにしています。
しておいて下さい……オルゴールが伏線だったことが分かりこれからの展開がとても
楽しみになりました。物語の進め方が上手くて引きずられっぱなしです!
サークル活動の内容がやっぱり好きだ