人生とは、往々にして、思い通りにはいかないものである。何かを成そうと思えば決まって邪魔が入り、逆に何もせぬと決め込んでいても、思わぬ幸運が転がり込んでくることもある。
ここに一人の少女がいる。名は、博麗霊夢。神社の一人娘として生まれ、現在は留守にしている両親に代わり、神主代行を務める巫女である。今日は、その巫女の一日を追ってみようと思う。
その日、巫女は一大決心をしていた。
「――決めた。今日は私は部屋の掃除をする。うん。決めた」
巫女は、別に誰も居らぬと言うのに、一人声を上げて宣言した。場所は見慣れた自室。ジャージ姿のまま、腰に手を当て鋭い眼で周りを見渡す巫女は、部屋の有様に思わず溜息が漏らした。その部屋は、あまりに煩悩で溢れ過ぎていた。
「よーし、やるぞ。絶対、やるぞ」
何度も言わずともよろしい。だが、心意気は立派である。確かに酷い部屋なのだ。目に入るは、雑誌、菓子がら、洗ったのか洗って無いのか定かでない下着、鍋蓋、etc.etc...
巫女として以前に、年頃の乙女として許し難い惨状である。宣言したくとも無理の無いように思えた。
「よっと……」
そうして巫女は、おもむろに押入れを開けた。曰く押入れの中は宇宙。全ての解決は、この向こうにこそ存在する。巫女はそう断言していた。
しかし、現実は悲しいかな。巫女は絶望する。宇宙はすでに、他を寄せ付けぬ大結界を張り巡らせていた。何でもかんでも入れ込んだ、日頃の行いの結実である。
「何よこれ、入らないじゃない!」
全て自業自得である。巫女は、だんだんと足踏みしながら、理不尽な怒りを哀れな畳に向かって発散した。まだ諦めがつかない。そうして巫女は、押入れを整理すればいいのだと思い至る。少しずつ本義から外れつつあるが、巫女はそれに気付かない。
一番手前にあった大きな段ボール箱を開いた。
「あっ、これ懐かしいなぁ。昔好きだった」
早速作業は中断された。見つめるは箱の中の漫画である。かつて巫女が好きだった漫画の数々が、所狭しと敷き詰められていた。その中の一冊に、そっと手を伸ばす。
「……」
訪れたのは沈黙。作業は始まる前に終わりを迎えた。ページを手繰る度に、往年の懐かしき日々が蘇る。ぱらり、ぱらりと、時間だけが無為に過ぎていく。
「……」
紙とインクから成る幻想世界に、巫女は完全に没頭していた。巫女の集中力は、ここぞとばかりに発揮される。普段は中々お目にかかれない、巫女の真面目な横顔は、霊妙なる悟りの境地の如くであった。読破した漫画の山は、どんどん高くなっていった。
――……柱時計が、十二時を告げる鐘を鳴らした。
「……って、こんな事やってる場合じゃないんだって、私」
巫女は慌てて顔を上げる。だが、今更思い出しても遅い。過ぎてしまった時間は戻らない。ついでにお腹も空いてきた。巫女は、無駄な時間を過ごした罪悪感からか、漫画を箱に詰め直し、固く固く封をした。巫女は昼食を取る事にした。
そうして午後、境内のあれこれを済ませ、巫女は、再び戦場に舞い戻って来た。再度、押入れに潜む妖怪たちとの死闘を演じる。巫女の決意は、「今度こそ」という強い信念を持ってして、大量に発見されたぷちぷちの甘美なる誘惑にも、些かも動じる事は無い。このまま順調にに作業が進むかに思えた。
廊下の向こうで電話のベルが鳴った。
「もぉ〜、せっかく調子出てきたのにぃ……」
巫女はいそいそと電話口に向かう。微かに漏れる声から察するに、どうやら古い友人からの様だ。二、三、言葉を交わす。すると、巫女は案外早く戻って来た。気を取り直して作業に掛かる。
「よっと……」
――かと思ったら、そのまま素通りして、台所から椅子を持ってきた。椅子を電話の所まで運ぶ。長期戦らしい。巫女は、結局一時間近く話し込んでから、部屋に戻って来た。
「ふぅ、つい話しこんじゃった。元気そうだったよ」
それは何よりである。巫女は、ようやく現場に戻って来た。長電話による疲れも見えるが、しかし、本日の目的は、依然として何も成されていない。若干ペースダウンしながらも、巫女は目標に向かって邁進する。失くしていたブレスレットが出てくるが気にもしない。
境内からの鈴の音が届いた。
「わ、やば。私ジャージだよ。……ちょっと待って下さぁい!」
どうやら参拝客の様である。巫女、――否。ジャージ娘はつっかけ履いて走り出した。見苦しい姿を披露するくらいなら、居留守でも使えば良いものを。この巫女は、参拝客の扱いに慣れていないのである。巫女はすぐに戻って来た。
「や。や。美人さんって言われちゃったよ〜」
お世辞に決まっている。巫女はニヤニヤしながら戻って来た。締りの無い顔である。どんな会話があったかは知らないが、ご機嫌な巫女は、浮かれ気分で作業に取り掛かった。ペースはアップする。
しばらく順調な作業を続けていると、今度は聞き慣れた少女の声がした。境内から大声で猛るは、偶に遊びに来る近所の子供である。
「大変大変! 霊夢姉ちゃん!」
「何よ、そんなに急いで。月が落ちてくる訳じゃあるまいし」
「下にサーカスが来てる! ライオンも居るよ!」
「ええっ? 本当? すぐ行く!」
サーカス+ライオン >> 本日のミッション
既にサーカスの事しか考えられなくなった巫女は、素早く私服に着替えると、嬉々として山を下りていったのだった。
ついに巫女が戻って来たのは、夕暮れ時になってからだった。
「……やだ。夕飯買ってくるの忘れた」
一人、陰鬱なこの部屋で、ぼそりと巫女が呟いた。なんと巫女は、サーカスのライオンに夢中で、夕食の買い物さえ忘れてしまったのである。己の軽薄さが今更悔やまれるが、巫女の頭は、未来志向型建設的思考にシフトする。
正直、また山を下りて買って来るのは面倒臭い。買って来たとしても、今度は作るのが面倒臭い。いやいや、かと言って外食を堪能出来るほど、贅沢な身分でも無い。巫女は、割と深刻に頭を悩ませていた。
何か思い付いたのか、またもや電話口に向かっていった。
「そうです。上白沢先生をお願いします。ええ、はい。…………あー、慧音? ものは相談なんだけどさ――」
電話の先は己が恩師、上白沢慧音。里で教師を務める半妖である。どうやら、夕食を奢ってもらおうという魂胆らしい。浅ましい限りの堕落である。是非に入念な禊が必要である。
しばらく交渉した後、巫女は、明らかに不機嫌な足取りで戻って来た。
「何さ、何さ。ほんっっと間が悪い。お偉いさんとの会食と私と飲みに行くの、どっちが大事なのよ」
間違い無くお偉いさんとの会食である。巫女は、実に理不尽な我儘をのたまわりながら、未練がましく文句を言い続けた。
日が暮れる。夜が近付く。ふくれっ面をしながら、窓越しに外を眺めていると、ふと、窓を叩く風があった。
「あれはもしかして……」
巫女は慌てて外に出る。案の定、そこには、箒に跨った白黒魔法使いの姿があった。箒から降りようとする魔女に、巫女は早速交渉を持ちかける。筋の通らない理屈を散々述べて、自分を里まで連れて行けと熱弁する。まさに執念の巫女だったが、魔女の方も中々譲らない。交渉は難航する。
そうして、醜い言い合いが境内で繰り広げられた後、結局、巫女は無事に本懐を遂げることになる。逃げるように飛び立つ魔女の箒に、強引に乗っかってしまったのだ。言い争う巫女と魔女の姿が、空中でどんどん小さくなっていった。
……そうして夜は更ける。巫女が帰って来たのは、もう草木も寝静まる深夜になってからだった。ガラリと入口の引き戸を開けて、何人かの足音が近付いてきた。
「――まったく、何を飲ませたらこうなるんだ。偶々私が通りかかったから良かったものの……」
「マジ助かったぜ慧音。霊夢ったら情けねーもんな。すぐ酔いつぶれちまった。はっはっはっ」
現れたのは例の魔女と、上白沢慧音女史だった。どうやら巫女は、酒にノックアウトされたらしい。健やかな顔で寝息をたてる巫女を、両脇の二人が支えている。
巫女の自室の扉を開けると、二人は驚愕した。
「……な、何だこれは。汚すぎるぞ霊夢! どこに寝かせればいいんだ!」
慧音女史は、呆れをそのまま声に出した。そこには、今朝よりも一層混沌とした巫女の部屋があった。……まったくもって面目ない。巫女は気にせず眠りこける。
「うっわ。本当にひでーな、こりゃ。私のとこといい勝負だ」
「お前の所もこうなのか! 本当に、最近の若い者は……」
「まあまあ。そうかっかすんなよ慧音。はっはっは(笑)」
「お前もちょっとおかしいぞ?!」
どうやら魔女は笑い上戸らしい。そうして慧音女史と、ただ笑い続けるだけの魔女は、巫女の就寝スペースを確保する為に、投げっ放しの後始末を始めた。さすが教師と言うべきか、的確かつ素早い作業で、部屋はどんどん清潔を取り戻していく。そして、主に慧音女史の努力により、まるで無秩序だった巫女の部屋は、あっという間に、小奇麗な乙女の部屋へと変貌を遂げた。
巫女を寝かせた後、二人は、なおも言い争いながら帰っていく。
――……すでに、二人が去った後の巫女の部屋。
音も無く、灯りも無く、時が止まったかの様な静寂に包まれる。外からの柔らかな夜風が流れ込み、薄いカーテンを音もなく揺らす。静まり返った室内に、月の明かりが優しく降り注ぎ、はだけた巫女の首筋をそっと照ら出した。
「明日こそ……。明日こそ……。むにゃ」
そうして、巫女の一日は過ぎていくのであった。
個人的に、全員が不利にならないまま落着して欲しかった。
ところで堕れいむの部屋は明日から俺が掃除するから皆は解散してくれ。
電話に漫画にサーカスに……。あっても決しておかしくはないのですが、一言説明がほしいかもしれません。
でもでも、なんだかよくある日常を描かれていて、あるあるとなりました。
掃除中の漫画は定番ですよね!
霊夢が慧音の寺子屋出身という設定は新しいかも。