その日、私がいつものように縁側でのんびりお茶を飲んでいると魔理沙がやってきた。
私にもお茶をおごれと言うから、「じゃんけんで勝ったらいいわよ」ということでじゃんけん勝負をした。
博麗秘奥義グーチョキパーをしてやったら泣き出したので、かわいそうだから、とりあえずお茶だけ飲ませてやることにした。
「なぁ、霊夢」
「何よ」
「このお茶、うまいな」
「でしょ? ……お茶って、こんなに美味しい飲み物だったのよ」
「お前、出がらし何回使ってるんだよ。この前、出てきたお茶なんてお湯が緑色だっただけじゃないか」
秋。
色々な食べ物が美味しくなるこの季節において、お茶もまた、というわけじゃないんだろうけど、とりあえず、ここしばらくの間、私は美味しいお茶に事欠かなかった。
――というのも。
「霊夢さん、おトイレのお掃除、終わりました」
「あ、うん。ありがとう、早苗」
「はい。
けど、わたしの神社だけじゃなくて、博麗神社も水洗なんですね」
「うん。紫が『そっちの方が清潔よ』って言うから、昔、お母さんが取り替えたらしいのよ」
「そうなんですか。
あ、じゃあ、わたし、お部屋の水ぶきしてきますね」
「うん。ありがとう」
と、彼女――早苗が、週に一回、こんな風に我が神社にやってきてくれるためだ。その際、彼女はいつも『どうぞ』と美味しいお茶を持ってきてくれるのである。
……ほんと、もう、お姉さんは感激ですよ。
その様子をじーっと見ていた魔理沙は、早苗の姿が障子の向こうに消えた後、言った。
「……何してるんだ、あいつ」
「あ、うん。ここ最近なんだけど、よく遊びに来るのよ。
でね、『せっかくだから』って掃除してくれたりご飯作ってくれたりするの。悔しいかな、あの子の方が家事スキル上なのよねー。
おかげで、一週間の締めが楽しみよ」
「……あー。うー。そうか……」
また、お互いの間に流れる、小さな沈黙。遠くから、『秋ですよー』というリリーの声。当然、『あたしらは春を告げるのが仕事って言ってるでしょ!?
何で秋にふらふら出て行くのよ!』『だって、最近、ご飯が美味しいんだもん!』『何その逆切れ!?』なんて変な会話が聞こえてきたりもする。
「なぁ、霊夢」
「何よ」
「私はな、こういうことは言いたくなかったんだが――」
「何よ、もったいぶって。言ってみなさい、理不尽な話じゃなかったら、とりあえず蹴るだけにしておくから」
「早苗、あれ、完璧に通い妻だろ」
ぶーっ。
その瞬間、私が口に含んだお茶は、空にきれいな虹をかけたのだった。
「っていうことを言うのよ、こいつが。早苗、どう思う?」
「は、はあ……。
……あの、っていうか、結界の中から出してあげたらどうですか?」
「うわーん、出せー、ちくしょー」と、私の張った結界の中でじたばたしてる魔理沙を見て、なぜか早苗が顔を引きつらせる。
……おかしいわね、私は何か変なことをしてるのかしら。
まぁ、ともあれ、早苗が言うから魔理沙を出してやることにする。
「あの、魔理沙さん。わたしは別に、そういう意図はなくてですね? 単に、霊夢さんが以前、『お腹すいたからご飯食べさせて』ってやってきた時の、あの不憫な顔が忘れられなくて……」
「いや、それ、聞く人が聞いたら信じるからやめとけ」
「……そうですか。じゃあ、ちょっと待っていてください、別の理由を捏造します」
「こらちょっと待てあんたら」
魔理沙はお祓い棒でずびし。早苗はでこぴんでぺちん。
扱い違いすぎるだろ……、と痛みに呻く魔理沙はさておいて、
「えーっと……まさか、そういうつもりだった?」
「え? そ、それはその……違います……よ?」
「あ、そ、そう……。そう……だよね」
「……はい」
……なぜか照れくさい。ほっぺた熱い。
私たちの、実に単純明快に真実を語り合った言葉に、魔理沙は「誰が信じるんだよそれ」とツッコミを入れてくる。
「第一、お前らじれったいんだよ。咲夜と美鈴なら、咲夜の性格のせいで見ていてじれったいけど微笑ましいっていう微妙な状況なのに、お前らみたいな……」
「魔理沙さん。それ以上、何か言い残すことはある?」
「ごめんなさい咲夜さん暴言でした」
いつのまにやらどこからともなく現れた銀髪メイドが、手にしたナイフの刃を魔理沙の喉元に突きつけている、謎の光景がそこにあった。
彼女の額には青筋が……まぁ、五、六本。
土下座して謝る魔理沙を「しょうがないわね」と寛大な心で許した咲夜は、その視線を私達に向けてきた。
「ねぇ、早苗。ちょっといいかしら?」
「あ、はい。何でしょうか、咲夜さん」
「ちょっとね。今日、あなたがここに来ていると聞いて。
本当は、もっと早くに守矢神社に伺おうと思ったんだけど、あそこは遠いでしょ? 近頃、仕事が忙しくてね。
ああ、それじゃ、霊夢。ちょっと早苗を借りるわね」
「……まぁ、好きにしたら?」
……一体、何しにきたんだろう。彼女は。
ともあれ、土下座したままの魔理沙のお尻を蹴飛ばしてから、私は縁側に、もう一度、腰を下ろす。
「……で。あんた、何が言いたいのよ」
「いや、だからな。
お前らはほんと、見ていていらいらしてくるんだよ。微笑ましいとかそんな意味じゃなくて。
何だ、あれか。我慢大会でもしてるのか」
「……我慢大会って」
「諏訪子に聞いたんだが、外の世界じゃ、『エロいものを買うのは十八歳以上じゃないといけない』らしいじゃないか」
「……何だ、いきなりその会話の飛躍は」
「『十八歳迎えた途端、早苗の部屋にそういうのが増えたよ』って言ってたぞ、あいつ。
お互い、それなりの年齢なんだから、小学生はやめろってことだ」
……それ、早苗が知ったら、こいつ殺されるんじゃなかろうか。
ああ見えて、早苗は怒ったら怖いんだよ。マジで。私でも土下座して謝るくらいなんだぞ。
……って、ちょっと待て。
「あれ? それって、もしかして、私らより早苗のが年上なの?」
「だな。一歳だけだけど」
「うわ、意外。あの子の甘ったるい性格とか見てたら、せいぜい同年代だと思ってた」
「……お前、どんだけ殺伐とした人生送ってんだよ」
なぜか、魔理沙の頬にも汗一筋。
……私は今、何か変なことを言ったのだろうか。というか、その憐れむような視線はやめろ。むかつくから。
「あの、霊夢さん」
――と、後ろから声。
振り向いて――、
「どうかしら、霊夢。あなたの感想を聞きたいわ」
「おお、化粧か。それ、咲夜がやったのか?」
「ええ、そうよ。
この前、香霖堂のご主人に会ってね。『こんなものを見つけたんだけど引き取ってくれないか』と渡されたの。男の人が持っていても仕方がないしね」
「……あの、霊夢さん?」
「おーい、霊夢ー?」
「霊夢、どう? 私の腕前は。
だけど、やっぱり元がいいのよね。早苗みたいな子なら、お化粧の方が飲まれちゃいそう」
「おいこら霊夢、何とか言えよ」
「いったぁ!?」
お尻をつねられて、私は痛さのあまり、思わず飛び上がった。
すかさず『何すんのよ!』と振り返りざまの巫女キック。しかし、魔理沙は箒を盾にそれを回避すると、「甘いな、霊夢!」と言ってくれたので、さらに追撃のドロップキックを叩き込んでやった。
……とりあえず、こほん。
「あ、あー……えっとね、早苗。うん、似合ってる! きれい、きれい!」
「何でいきなり片言になるのよ、あなた」
「……きれい、ですか。嬉しいです、えへへ」
「な、何よ! きれいなものに『きれい』って言って何が悪いってのよ!」
「はいはい、怒らない怒らない。
それじゃ、早苗。霊夢も気に入ったみたいだし、それ、あげるわ」
「え? いいんですか?」
「ええ。うちにはそういうもの、一杯あるから。
あなたも年頃なのだから、ちょっとくらいはおしゃれをしても、ばちはあたらないわよ」
じゃあね、と咲夜が消えた。
マジで何しに来たんだろうと、私が思っていると、早苗が私の隣にすとんと腰を下ろしてくる。
「……あの、わたし、こんな本格的なお化粧って初めてで……。何だか照れくさいです」
「な、何で?」
「え?
そ、それはその……ほら、お化粧って、普段は外に出ても恥ずかしくない程度にするじゃないですか?
だけど……その……霊夢さんに『きれい』って言ってもらうためにするのも悪くないかなぁ……なんて……」
「……あー」
……とりあえず、今日は真夏日だ。こんなにほっぺたが熱くて、頭がかーっとなってるんだ。間違いない。
こんな秋真っ盛りの真夏日だなんて、珍しいにもほどがある。
さて、その翌日、うちにアリスがやってきた。
何でも、昨日、魔理沙に私と早苗のことについて聞いたらしい。そういえば、博麗ドロップキックで黙らせた後、あいつがどうなったかは私も覚えていない。
まぁ、いっか。
「で、霊夢。
私はね、思うのよ」
「うん」
「あなた達、いつまでこの調子なのよ、って」
今日は、外の風が寒かったので、縁側での日向ぼっこはキャンセル。アリスを連れて、居間でのんびりお茶会だ。
ちなみに、居間は、先日、早苗がきれいに掃除してくれたのでほこり一つ落ちてはいない。私がやると、どうしても翌日には、畳の上に小さなほこりを見つけてしまうのだが、一体どういう魔法を彼女が使っているのかはさっぱりだ。
……というか、長年、この神社に住んでる私より、彼女の方が神社での勝手を覚えてきているというのが、ある意味、恐ろしい。
「いつまで、って……。
……まぁ、その……お互い、大人になるまで」
「大人になるまで、あと何年? その間に心変わりしちゃうんじゃないの?」
「……それは否定しないけど」
「あのねぇ、霊夢。そんなんじゃダメよ。
いーい? 恋愛はね、引いたらダメなの。押したものが勝ちなのよ」
「……なぜそうなる」
「あなたにとって、今のこの時間とか、この関係は普通なのかもしれないけど。
もしも、この普通が『普通』じゃなくなったら、とかは考えないの? たとえば、あなたの方に、他に好きな人が出来る、とか。
そういうことだって、ありえないことじゃないでしょ」
「まっさかぁ」
あまりにもあっさりと、その言葉が出た。
そんなわけないじゃないか、と確信できる質問だったからだ。巫女の勘はよく当たる、と誰かに言われているようだが、その私の勘が言っている。
そんな日が来るわけない、と。
第一、私の異性関係を知っているのか、アリス。自慢じゃないけど、親しい男の人なんて、霖之助さん以外には、せいぜい、麓の村のおじちゃんおじいちゃんくらいなんだぞ。
それに、私が……まぁ、その……早苗を嫌いになるとか、他の人にうつつを抜かすとか、そんなこと、あるわけがないんだし。
「……そう。それならいいんだけど」
「で?」
「……まぁ、それだけなんだけどね。
というか、いい加減、『好き』の一言でも言ったら? どっちからでもいいけど」
「……いや、それはちょっと……」
「そういう恥ずかしがりなところはかわいくていいんだけど……。
……やっぱり、早苗の方からもそういうのを言い出さないってことは何かあるのかしらね」
「何?」
「ん? ……別に何でも」
何やらセリフの後段で、私にとって聞き捨てならないことをつぶやいたような気がするのだが。
……まぁ、気にしないようにしておこう。気にしたら負けだ。
「そういえば、霊夢。あなた、普段から早苗の世話になっているのなら、たまには向こうに顔を見せにいったら?」
「ああ……そういえば、そういうのもいいかも」
「というわけで。
はいこれ」
出されたのは、小さなバスケット。何これ、とその上にかかっているレースのハンカチを取り除けば、その下には無数のお菓子。
「今度、うちで販売する新商品。早苗たちに食べてもらって、感想を聞かせてちょうだいって言ってきて」
「……お使い?」
「何か理由がある方が、顔を見せに行きやすいんでしょ」
……どうやら、アリスに、私はある意味で弱みを握られてしまったようだ。
何も言い返すことが出来ず、「……わかったわよ」とつぶやいて立ち上がる。
……ま、これもいつものお礼と考えればいい。アリスの言う通り、私はいつも、彼女の世話になっているのだから。
だから、うん。別に変な気持ちなんてないんだ。そう、そうだ、その通りだ。
「……ほんと、大丈夫かしら。この二人」
後ろのつぶやきは聞こえないふりをして、私は一人、妖怪のお山に向かうのでしたとさ。
「――とまぁ、そんな理由なんだけど……」
「おいしそー! わたし、これとこれと……あ、これも食べる!」
「諏訪子! 全員で分けるに決まってるでしょう!」
「えー? いいじゃーん。誰がどれ食べたってさー。
感想を言うのは一人でも問題ないもんねー……って、いてっ」
「全員、等分に分ける。よこしなさい」
「やーだよーだ!」
「こら、諏訪子!」
「……あの、ここじゃ騒がしいですから。その……わたしのお部屋に行きます?」
「……そだね」
どたばたやかましい居間から、私達は逃げるように離脱する。
神社の奥に伸びる通路をとたとたと行けば、『早苗の部屋。ノックすること』と書かれたプレートの張られたドアが姿を現す。
「どうぞ」
開いたドアの向こう。いきなり目に飛び込んできたのは、何かよくわからない人形の載った棚――。
「ちょっと待っててください」
ばたん。
どたばたどたばた。がたがたがたがた。
がちゃっ。
「さあ、どうぞ」
「……あの、早苗。何か汗かいてるけど大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
あははは、と笑う彼女に、微妙な感情覚えつつも、部屋の中へ。
室内は、実にきれいな『女の子』の部屋。色は暖色系がメインで、座っていて、何だかあったかくなるような空間だ。
どうぞ、と差し出されたクッションに腰を下ろして、室内を一瞥する。
「さっき見た人形とかは……」
「何のことですか?」
「いや、さっき、何か棚の上に……」
「やだなぁ、もう。霊夢さん、昼間から夢を見るのはよくないですよー」
……いや、絶対に気のせいじゃなかったと思うんだが……。
まぁ……追求するのはやめておこう。何か怖いし。
「何か難しそうな本、一杯あるね」
「ああ、これですか? 外の世界から持ってきたもので……。わたし、学生だったから」
「へぇ。
数学……A? ……うわ、さっぱりわからん」
「あはは……。わたしも、数学は苦手でした」
その代わり、国語は得意でした、えへん、と胸を張る彼女。
……なるほど。ということは、この本のふちとかがたまにくしゃくしゃになってるのはそういうことか。
「あ、これ、早苗の写真だよね」
「はい」
「うわ、かわいい。何、この服」
それは恐らく、外の世界にいた時に、友達と写した写真なのだろう。何やらかわいい服に身を包んで、カメラに向かってピースしてる早苗たちの姿があった。
「あ、それ、うちの学校の制服です」
「へぇー。
ねぇねぇ、どんなの?」
「今も持ってきてるんですよ。えっと、確かここに……」
部屋の右手側にあるクローゼットのドアを開けて。
がたがたがたん。
……何やら、中から転がり落ちてくる四角い箱の山。
それを見て、早苗の動きが完璧に停止した。
「……何これ? えーっと……『1/100 MG』……」
箱に書かれていた文字を読もうとしたら、一瞬の間に、早苗に奪い取られた。
「こ、これはその……ああ、大変! こんなところにごみがたくさん! 捨てなきゃー!」
「いや、っていうか、それ、めちゃめちゃ一杯あるんだけど……」
「神奈子さまー! ゴミ袋持ってきてくださーい!」
そのクローゼットの奥の方に段ボール箱が一つ。『早苗の宝物』と書かれた紙がぺんと張られている。
――しばしの沈黙。
「……ごめんなさい。わたしの趣味なんです……」
「いや、謝られても……」
「うわぁぁぁ~ん! 霊夢さんに見られたぁぁぁぁ~!」
「いや泣き出すほどのこと!?」
慌てて早苗をあやして、何とか事を収めてほっと一息。
っつーか、早苗を泣かしたなんてことが、意味こそ違えど、あの親ばか神に知られようものなら、間違いなく私はすり潰されるだろう。
何だ、このどきどきイベント。心臓が張り裂けんばかりの鼓動じゃないか。
「何つーか……いつぞやの異変の時も、あんた、はしゃいでたわよね」
「うぐ……あれは、その……」
「というか、これ、何?」
箱の中に収められた物を取り出す。
……人形、だろうか。プラスチックで出来たそれをぺたぺた触っていると、
「あ、扱いには気をつけてくださいね……? それ、もう売ってない限定版……」
「……やっぱり、大切なものなのね」
「うぅ……そうなんです……。嘘ついてごめんなさい……」
外の世界の女の子は、こういう人形が好きなのだろうか。
その辺り、よくわからないが、私の人形をいじる手を、早苗がはらはらしながら見ているのを見る限り、これは彼女にとって、よっぽど大切なもののようだ。壊さないうちに、丁重にお返ししたほうがいいだろう。
「まぁ、アリスも人形いじるのが趣味だし。いいんじゃない?」
「……いえ、その……この趣味は、アリスさんの趣味とはだいぶ違うものでして……」
何がどう違うのかはわからないが、とりあえず、それ以上の追求は避けることにする。
ともあれ、早苗はクローゼットの中から制服なるものを取り出すと、「これです」と私に手渡してくれた。
「へぇ~……。直に見ると、やっぱかわいいのね」
「この制服が着たいからって理由で、わたしの通っていた学校に入学してくる子も多かったみたいです」
「ねぇねぇ、着てみせてよ! 見たい見たい!」
「え? こ、ここでですか?」
「うん! ほら」
「あ……じゃあ……その……ちょっと後ろ向いていてください」
「……あ、ああ。そうね」
言われて、後ろを向く私。
……そうして、背後から『しゅるっ』だの『ぱさっ』だのという音が聞こえてくるたびに、胸がいや~な鼓動を刻む。
……落ち着け、落ち着くんだ、私。振り返るのは我慢だ……我慢……!
「あの、いいですよ」
己の中の何かと必死の殴り合いを繰り広げていた私は、その瞬間、その勝負を放棄して振り向いた。
視線の先に、早苗の姿。
「……おおー」
普段、見ている彼女は巫女服姿だけ。せいぜい、寝巻き姿程度の違いしか、彼女の『違い』を知らない私に、それは新鮮な刺激だった。
うん。一言で言おう。
写真で見るより、ずっとかわいい。
「いや……こう言うのがおかしいかもだけど……。
早苗、すっごいかわいい!」
「あ、ありがとうございます……」
「へぇ~……。これが制服かぁ」
「な、何か恥ずかしいですね。そんな風に感動されると……」
「私も着られるかな?」
「着てみますか?」
「うん、着てみたい!」
これはなかなかいいかもしれない。もしも、私も早苗みたいに『変身』出来るのかと思ってしまうと、何だか胸がどきどき高鳴ってきた。
早苗から渡されるそれを受け取って、早速、試着スタート。
「……あの、霊夢さん。脱ぐなら脱ぐと……」
「……あ、ごめん」
……する前に怒られた。
いや、普段なら、相手が同性で、しかも気心の知れている相手なら裸の一つや二つ、見せるのは苦にならないのだが……早苗は別。恥ずかしい。うん。
早苗が後ろを向いたのを確認してから、服を脱いで、借りたそれに袖を通して。
……くそ、胸元がぶかぶかだ。なのに腰がちょいきついとかありえんだろう……。
ちょっぴり肩を落としつつも、着替え終了。
「わ、霊夢さん、似合いますね」
「そ、そうかな?」
「そうなると……ちょっと、いいですか?」
「な、何?」
「髪型も変えてみましょうよ。これ、ロングのほうが似合うんですよ」
はい、座って座って、と早苗に促されるまま腰を落とす。
「うわ~……髪の毛つやつや……。うらやましいなぁ」
「ひゃっ」
私の髪の毛を一房、彼女は手に取ると、自分の頬に押し付ける。
「ち、ちょっと。恥ずかしいからやめてよ」
「あ、ごめんなさい。
それじゃ、今、くしを入れますね」
リボンを解いて、何となくぼさっとした感じに髪を下ろす。それに、彼女がくしを入れてくれると、あら不思議。ぼさぼさロングがしっとりストレートに。
「やっぱり、こっちの方が似合いますよ、霊夢さん! うわ~、かわいい~!」
「そ、そう……かな?
そ、そういう早苗こそ、リボンとかでまとめたりとか……」
「あ、じゃあ、やってみようかな。
お願いしていいですか?」
はい、と手渡される、私のリボン。
……いいのだろうか。いや、いいんだろう。渡されたんだから。
それじゃ、動かないでね、と早苗の髪の毛をとって、リボンでひょいひょいと。心持ち、普段、私がまとめるようにやってみたのだが……。
「……あのさー」
「はい?」
「何で、私と同じ髪型にしたはずなのに、あんたの方が大人っぽく見えたりするのかなー……?」
「さ、さあ……?」
「……これが元の素材の違いってやつか」
ははは……。
な、泣いてなんてないんだから! これは心の汗なんだからね! 勘違いしないでよねっ!
「早苗、お菓子とジュースを持ってきた……んだけど……」
「あ、神奈子さま……」
「……霊夢。人間、生きている間は色々ある。くじけないように」
うるせぇちくしょう!
「あ、これ、アルバム?」
「あ、そうです。一応、持ってきたんですけど……」
「見ていい?」
いいですよ、なんて彼女が答える前に、彼女の部屋の本棚からそれを取り出す。
と、後ろから早苗に「霊夢さん、ぱんつ見えてます」と怒られてしまった。
「……だって、この服、スカート短いんだもん」
「ちゃんと見えないように気を使ってください」
私の格好は、ストレートロングに早苗の制服のまま。お尻をぺんとはたかれて、私は苦笑した。
というか、外の世界の人間ってやつは、みんなこんな風に短いスカートを穿いていたりするのだろうか。咲夜みたいに、誰も彼もが鉄壁だったりするんだろうなぁ、と思ったり。
「これ、いつの?」
「二年くらい前だったかな。わたしが高校一年生の時のです」
春から始まる一年間を収めたもの、とのことだった。
たくさんの友達と一緒に写っている写真の多いこと。そして、そのほとんどが笑顔だった。きっと、楽しい生活、送っていたんだろうなぁ、なんて思いながらページをめくっていく。
……と?
「ここは飛ばしましょう」
「いやちょっと待って。何か今、変わった格好をした早苗が写っていたような……」
「さあさあ、夏のこの時期は飛ばして、秋に行きましょう。あ、冬の時期のごく一部も飛ばしましょう」
……何なんだろう、一体。
というか、その写真に写っている早苗の笑顔が輝きまくっていたような気がするのは気のせいなんだろうか。
「何か楽しそうだね」
「そうですか?」
「早苗っぽい顔が多い」
わたしっぽいってどんな顔ですか? と自分の顔を触りながら、彼女は尋ねてくる。
もちろん、答えてなんてやらない。さあね、なんて答えを返すと『ひどいです』と彼女は頬を膨らませてふてくされてくれた。
「そういえばさ、早苗」
「はい?」
「あんた、外の世界にいた時に恋人とかいた?」
「……いない、ですね。周りの友達にはいたりいなかったりでしたけど」
「……そっか」
しばし沈黙。
「……あのさ。そのー……」
辺りをきょろきょろ見回して。
あの親ばかの姿も、いたずら好きの神様の姿もないことを確認してから、大きく息を吸って。
「……私のこと、好き……?」
……言った! 言ったぞ! これで文句ないだろ、魔理沙、咲夜、アリス!
私の一世一代の発言に、早苗は顔を真っ赤に染めて、ふいっと視線を逸らしてしまった。当然、私も彼女の顔なんて見てられなくて、視線を逸らしてしまう。
一分、二分、三分。時が過ぎていく。
かちこち鳴る時計の音が、やけに耳障りに響く中――、
「……じゃあ、霊夢さんは……わたしのこと……好き、ですか?」
……………………………………。
そうきたかっ!
まさか、その返し技があるとは……。いや、待て、落ち着け。むしろ今のこれはチャンスのはずだ。
よし……言うぞ、気合を込めて……!
「……す、好き……だとしたら?」
……ダメジャン。
何でそこでへたれるかなぁ、自分!? レミリアだのさとりを笑えないぞ、これは!
「……わたしも……好き、です……」
またもや沈黙。
……よーし、落ち着け、落ち着いてタイムマシンを探すんだ、自分。
今の早苗のセリフを、もう一度、自分の耳で聞かなければ。あれ、どこだタイムマシン、ないじゃないか。
「えっと……本気……で、いいんだよ……ね?」
「……じ、冗談で、こんな恥ずかしいこと……言いません……」
ぎゅっと、手を握られた。
まっすぐに視線を向けられ、思わず、息を呑む。
……あー、心臓、うるさい! 一度くらい止まれ! 静かにしろ!
早苗は一度、息を吸うと、静かに瞳を閉じる。
……え、あれ? これって……あれですか? いや、まぁ、それはそれでいいんだけど……。
――よく考えろ、自分。そうだ、確かに彼女がこういうことを求めるのは普通だ。第一、これまで……えーっと……そういうことした時って、全部、早苗からだったじゃないか。
女を見せろ、博麗霊夢!
「……し、失礼します……」
……ダメだ、へたれだ、私は。
だが、ここで引くつもりなどない! 私は決めたんだ!
意を決して、早苗の肩を抱き寄せる。そして、目を閉じて、そっと……そっと、彼女に顔を近づけて……。
――がちゃんっ。
……がちゃん?
「つめたっ……」
「あ、ご、ごめん!」
足下のジュースを蹴倒してしまっていた。
慌てて飛びのく早苗。当然、私もそれに釣られてバランスを崩して、どんがらがっしゃーん。
「あいっつつつ……。
わっ、早苗、ごめん! 大丈夫!?」
「は、はい、大丈夫です……」
――つと、時間が止まったような気がした。
「……あの、霊夢さん?」
私の下になった早苗が、何だか恥ずかしそうな顔を浮かべて視線をそらす。
思わず、ごくりと喉が鳴った。
自分に自制を促す私と、このままいっちゃえ、と急かしてくる私と、その二人の私が、私の中で争っている。
……えっと……どうしよう……。
早苗……嫌がってない……よね? 嫌なら、私のことを押しのけるとか簡単だし……それ以前に、『どいて下さい』とか何とか言ってくるはずだし……。
だから、その……これって……大丈夫ってことだよね?
視線が外せないでいる私に気づいたのか、早苗が逸らしていた視線を、私に戻してくる。そして、何かを覚悟したかのような表情で、小さくうなずいて。
……う、うん。いいんだよ……ね?
「早苗……」
思わず、彼女の名前を小さくつぶやいて、そっと、顔を近づけていって――その、何とも言えない甘酸っぱい瞬間に。
「ねぇ、早苗ー。お菓子余ってないー? あれだけじゃ足りない……」
ノックもせずに、ドアを開けてくれるケロちゃんが、何とも素晴らしいタイミングでそこに現れたりするわけで。
彼女の瞳は、私達へ。
「おっと、こりゃ失礼。お邪魔だったかな」
「ま、待て! 勘違いするな!」
「早苗、真昼間からとはなかなかやるね!」
「ちっ、違います違います諏訪子さま! こ、これはその、あの何というか……!」
「わたしが名付け親になるからね!」
それじゃお幸せに~。ばたん。
沈黙。
海よりも深い沈黙。
「……どう見えてたのかな、この光景」
「……霊夢さんがわたしを押し倒している以外、他の何にも見えないかと……」
「………………えーっと」
「……も~う!
霊夢さんの根性なしーっ!」
「うわわっ!?」
「どうしてそうなんですか、霊夢さんは! わたしが、その……い、色々……アレしたのに……!
あ~、もうっ! 霊夢さん、そこに正座っ!」
「は、はい!?」
「せ・い・ざーっ!」
……その後、正座させられて怒られました。はい。早苗さん、怖いです……。
っていうか、私のせいなのかやっぱり!?
「……咲夜、ありがとう。私、あなたのこと、誤解してたわ」
「どういう意味かしら、それは」
頬に汗を一筋流しながら、メイド長は憮然とした口調でつぶやいた。
――その日の午後の紅魔館。
そこに、霊夢と早苗の姿があった。……のだが、両者のついているテーブルは別の上、早苗は現在、彼女がついている、テラスの一角に置かれたテーブルにて午後のティータイムを満喫中。そして、テーブルの上には、山のようなプチケーキ。
霊夢のおごりである。
「何で私がこんな目に……。私、何もしてないのに……」
「むしろ、何もしてないから怒ったんじゃないの?」
かくかくしかじかたる理由を聞いている咲夜は、涙を流す霊夢に向かってつぶやいた。
あの後、霊夢は早苗にこっぴどく叱られ、『罰として、わたしにケーキをご馳走してください!』と言われてしまったのだ。
彼女には逆らうことが出来ず、もはや半ば以上、テーマパークと化して久しい紅魔館へと連れてきて、彼女に『お昼のケーキバイキング』(先着20名様限定)をおごることになってしまったのである。
ちなみに、代金は、咲夜に事情を話したところ『利子なしツケ』で収まることとなった。
「何でよ!?」
「いや……普通、そこまでいったらその先を期待するでしょう」
特にあの子なら、と咲夜。
なお、霊夢と咲夜の二人は、早苗からだいぶ離れたテーブルに座って作戦会議中(ただし、霊夢による自称)だ。
「いやいや、それはおかしいわよ! だって、ほら! 早苗だって『そういうことは大人になってから』って言ってるのよ!?
だから、その……あ、あれはノーカウントよ! ちょっとした事故だったの! 思いとどまった私たちは偉いのよ! わかる!?」
「……あなたって、意外と本音と建前に気づかない人間よね。
いつもの勘の鋭さはどうしたの」
すっかりなまくらになってしまっている彼女の勘は、『そういうこと』に、とかく反応しないものであるらしい。便利なのか、はたまた単にいい加減なのか。
「誰も見てなかったんでしょ? だったら、ちょっとくらいいいじゃない。青春の勢いに任せたって、誰も何も言わないわよ」
「いや……その『ちょっと』で、人生、大きく変わると思うんですけど」
「だけど、あんまりにもあんまりだと、逆に相手の熱も冷めるのよ?」
「だって。どう思う?」
「メイド長は人のこと言えないわよ」
「そうよね。美鈴さまが大人だから大丈夫なのに」
「けれど、先駆者という意味では、メイド長も先輩だから」
「一応、実のあるアドバイスなのかしらねー」
「うるさいわよそこ!」
顔を真っ赤にして、ひそひそ話をするメイドたちに投げナイフを一発。しかし、そこはいつも通りの恋する乙女のメイド長。投げられたナイフは彼女達に当たることなく、建物の中のどこぞへと消えていく。
「……全くもう」
「あんた、顔、赤いぞ」
「今のあなたにだけは言われたくないわ」
「うぐ……」
そういわれると弱いのか、沈黙する霊夢。
そうして、しばしの沈黙の後。
「……いいじゃない。ちょっとくらい勇気を見せてあげたら?」
「……う~ん……」
「あなたは安心しているようだけど、あの子だって年頃なのよ。他に魅力的な人が出てくれば、あなたみたいな引っ込み思案を捨てて、なんてことを考えてもおかしくないわ」
「……それは困る……」
「でしょう?
なら、言い方は悪いけど、しっかり囲っておきなさい」
はい、これは私からのエール。
渡されるのは『美味しい』と評判の紅魔館のケーキの中でも、特に美味しいとされる特製いちごショート。ちなみに、某お嬢様ですらめったに食べられない代物だ。普段のお茶に出すものとは、また違うものであるのがその理由である。
「……ありがと」
「どういたしまして」
「……っつーか、あんた、性格変わってない?」
「あなたに言われたくないわ」
ぺちん、と軽く掌ではたかれて、霊夢は『いてっ』とつぶやいたのだった。
――さて。
「……もう」
ケーキを食べつつ、早苗の視線は霊夢の背中に向いていた。
彼女は、現在、何やら咲夜と作戦会議中だ。その声は、その場の種々様々な声に混じって聞こえてこない。
「……第一、何であそこまでいっておいて……。霊夢さん、普段は意外とやる時はやる人なのに、こういうことは子供なんだから……。
……全くもう。そうよ、何でわたしばっかり、こんなやきもきしないといけないのよ。……そりゃ、わたしの方から、色々、近づいていったのは事実だし……。それを強要するのも間違ってると思うけど……」
だからといって、納得しないのが女心。誠、人間の心というのは難しい。
ぶつくさ文句を言う彼女へと、一人のメイドが視線を向け、「どうぞ」と紅茶のお代わりを入れてきた。視線を彼女に向けると、「サービスです」と、チャーミングなウインクをして、彼女は建物の中に消えていく。
「……はぁ。やっぱり、わたしの方からリードしていくしかないのかな」
わたしの方が年上みたいだし。
やはり、こういう時、手綱を握るのは年上の役目なのだ。――と、彼女がこれまでに読んできた恋愛ものにも書いてあったような気がする(ちなみに、参考書物は少女漫画である)。
「けど……」
やっぱり、相手にリードしてもらいたいな、という気持ちもあったりする。これはたぶんにわがままなのだが、やはり自分としては、『一歩下がった妻』をやりたいらしい。
亭主関白(そもそも、亭主、という言葉が正しいのかもわからないが)を望むわけではないのだが、色んな意味で、この郷においては一日の長がある霊夢を立てておきたいらしい。彼女なりの、それは気遣いというものか。
もちろん、それが余計な気遣いだろうと言うことには、早苗自身、薄々、気がついているのだが。
「……霊夢さんが前に出てこざるを得ない状況になればいいんだろうけど……」
「大変ですねぇ」
「あ、わかりますか。
わたしも、もうほんと、どうしたらいいのか……。いえ、わたしも人にとやかく口出しできるほど、恋愛してきてるわけじゃないんですけど……。いざ、その当事者になってみたら……って……わっ!?」
「どうも。お話が聞こえちゃいました」
「え、えっと……」
にこっと微笑むのは、背中にぱたぱた動く羽がついた女性。
彼女は「小悪魔と、回りには呼ばれています。気軽に『こぁちゃん』でもいいですよ」と言って笑うと、失礼します、と早苗のついているテーブルの椅子
を引く。
「お二人のお話は聞いてますよ。主にパチュリー様から。
『いまどき、これほど王道突っ走ってるカップルはいないわ。ツンデレとかもいいけれど、大昔の少女漫画が売れ続けた理由を考えるのよ!』って、よく言われます」
「……は、はぁ」
それにはどんな反応をしたらいいものやら。
声と顔を引きつらせる早苗に、にっこりと、小悪魔。
「待つのも女の鑑ですけれど、たまには引いてみるのもいいかと」
「……引く……」
「気心の知れている……そうですね、そういう経験値の高そうな方にお願いしてみてはどうでしょうか。『霊夢さんを嫉妬させてくれ』って」
それってつまり、そういうことか。
早苗の頭の中に浮かんだ想像は、なかなかにきつい光景。慌てて、「そんなの絶対にダメです!」と声を上げてしまう。
「うふふ。冗談です」
ぺろりと舌を出す小悪魔の顔は、まさに『小悪魔』だった。
彼女、一見、人畜無害に見えて、実は結構、性根の部分では『やり手』なのかもしれない。
「とはいえ、このままじゃ、あの紅白さんは何にもしてきませんよ。困っちゃいますね」
「……う、う~ん……」
「どうでしょう。いっそのこと、夜に乗じて……」
「へっ!?
い、いやいや、そ、それはちょっと!? っていうか、未成年がそういうのは……」
「はぁ、そういうものですか。
私のお友達なんて、5歳くらいの時から人間の男を引っ掛けて精気抜いてましたけどね」
ちなみに、今は立派な淫魔やってます、と小悪魔。
いや、それってそういうものなんじゃなかろうかと早苗は思ったが、とりあえずコメントするのはやめた。なぜだか、言うと果てしなく疲れそうだったのだ。
「あとは……強引な手段、というのもいいと思いますけどね。悪魔風の手でやれとは言いませんけど」
「……ちょっと恥ずかしいことですね」
「いえいえ。殺して魂を奪い取ってしまうんですよ。
そうすれば、永遠に、相手は自分だけのものですから」
そういうこともさらりと言えてしまうと言うのは、やはり、この彼女の根っこの部分は悪魔なのだということを再確認できる事実だった。さすがに、その発言には早苗も沈黙してしまう。
「恋愛なんて、結局は、その辺りにまで突き詰めるものですからね。相手の人生をもらうんですから。言ってみれば、その人の人生を殺すも同じ。お互い同意の上で胸を刺しあうか、意思を得ずに一方的に刺し殺すかのどっちかでしょう」
私は前者が好きですけどね、と小悪魔。
聞けば、やはり、好きな相手を殺してしまった友人一同は、その後、かなり悲惨な人生を送っているらしい。誰かから責められるというわけではないのだが、悪魔なのに純潔を貫き、一人、家にこもって出てこないものもいるとか。
自分としては、知り合いの幸せを応援したいというのが、前者を選ぶ一番の理由なのだと締めくくる。
「押せば引く。だけども、引けばそのまま引いていく。
けど、それもいいんじゃないですかね。早苗さんがやきもきするのはわかりますけれど、長い目で見守ることを、そもそも宣言したのはあなただって言いますし。
ぐーるぐーる回っていれば、そのうち、どっちかが目を回して倒れますよ」
以上、小悪魔お姉さんのアドバイスでした、と彼女は笑顔を向けて席を立った。
少しの間、その場で逡巡していた早苗は、つと立ち上がって、霊夢の元へ歩いていく。
「……いや、だから、そこはちょっと……」
「いいえ、霊夢。この際だから……」
「霊夢さん。帰りましょう。
お腹一杯になりました」
「へっ!?
あ、ああ、うん。そうね」
何だか露骨に『ちっ』という顔をする咲夜。一体、どんな会話をしていたのか、実に気になるところだった。
早苗は霊夢を立ち上がらせると、その腕をとって、自分の腕を絡める。
「……あ、あの~……これは一体……」
「せっかくですから。
明日、デートしましょう。大丈夫、お姉さんがリードしますから」
「にぇっ!?」
「よくわかったわ、早苗、それに霊夢。紅魔館が全力でバックアップするから、その辺りの厄介者の邪魔は気にしなくていいからね」
「ありがとうございます、咲夜さん。
さ、帰りましょ」
「い、いいいいやあの、デートってその……!」
早速、二人の後ろで咲夜が「紅魔館メイド部隊! 『The Lovers』集合!」と声を上げる。一瞬の間に、ざざっ、と無数のメイドが現れる中、早苗は霊夢を引きずるようにして紅魔館を後にした。
――別に、そんな物騒なこと、するつもりはないわよ。
彼女は内心でつぶやき、隣の霊夢を見る。
『……デート……デート……デート……』と、何やらうわごとのようにつぶやいている霊夢を見て、小さく笑う。
そう。これは、言ってみれば『狩り』だ。
自分は弱いねずみを追い詰めるねこの役。当然、追い詰められたねずみは、力を振り絞ってねこに噛み付いてくるだろう。
「後ろに下がれなくしちゃえばいいのよね」
うふふ、と笑う早苗の顔は、何だかものすごく嬉しそうであると同時に、誰がどう見ても『小悪魔』な顔だった。
その日の夜、私は紫を呼んだ。
理由など簡単だ。『早苗とつりあう服を貸して』。
いや、デートとか、そういうことについてはアリスを頼ったのだけど。しかし、彼女でも『現代風の衣装なんて持ってないわよ』と言ってくれたのだ。
……まぁ、考えてみれば当たり前だ。早苗が持っていた、あの『制服』というものだって、アリスに話をしたら目を輝かせていた。『そんなかわいい服があるなら、うちの子たちに着せてあげたいわね』というのがその理由である。
まぁ、それはともあれ、そんな、私の知り合いでも数少ないおしゃれマニアのアリスですら早苗の『おしゃれ』には理解が及ばないのだ。そうなると、私が頼れるのは、外の世界にも好き勝手行ってこられる紫になってしまうのだ。……かなり癪だけど。
紫は私の話を聞くと「あきれた! 情けないにもほどがあるわ!」と、たっぷり1時間説教してくれた。やれ、『相手の子に恥をかかすな』だの、やれ 立ち位置的に旦那はあなたなのに奥さんにリード取られてどうするの』だの、挙句、『そんな情けない子に育てた覚えはありません』だのと。
……結局、それでも何だかんだで、彼女は服を貸してくれた。それについては感謝するしかあるまい。
そして、夜中中、悩みに悩んで、色々『でぇとぷらん』なるものを模索した頃、すでに外は明るかった。
「……うぉぉ……死ぬ……」
どこぞの吸血鬼お嬢様じゃないが、朝日がまぶしくて仕方ない。
寝たい。5分でいいから寝たい。
だがしかし、ここで寝たら半日寝ていられる自信がある。そうなったらどうなるか。
早苗に怒られるわ紫に怒られるわアリスに怒られるわ咲夜に怒られるわで、とりあえず、一日どころか二日三日は、この博麗神社から怒鳴り声が絶えることはないだろう。
……頑張れ、自分。徹夜くらいでへこたれるな、自分。
ふわふわと、まるで足下が揺れているかのように、どうにも体がぎこちない。たとえるなら、まだ夢の中にいるかのようだ。
「……よし、何とかなる」
幸い、隈は出ていない。顔はいつもの私だ。
とりあえず、頑張ろう。何を頑張るのかはわからないが。
……そうだ、私は、あの雨の中、あの子に手紙を渡しに行ったじゃないか! あの時の苦難を考えればなんて事はない!
それに、デート? ただ会ってお喋りする程度じゃないか! いつも……とは言わないけど、よくやってることだし! 何とかなるなる! 絶対、大丈夫!
「よっし! まずは朝ご飯……!」
……と、意気込んで氷室の中を見に行けば、すでに前日の段階で、備蓄していた食糧すっからかんにしたのを思い出したのだった。
……あかん、いきなり決意が揺らいできた……。
しかし、そこは秋のパワー。
野山に分け入り、ちょっとそこらを散策すれば、あちこちに秋の恵みがどっさりと。朝食を彩るには充分なくらいの食材片手に家に戻り、いただきますからごちそうさまを経て、私は出発した。
「……変な格好じゃないよね。顔とか大丈夫だよね」
咲夜からもらった手鏡で、空を飛びながら、何度も何度も自分の姿を確認する。
衣装は、まぁ、最悪どうでもいいと言えばどうでもいいが、顔色とかはちゃんとしておかないとやばい。早苗のことだ、私がちょっとでも具合の悪そうな顔をしていたら『今すぐお医者に行きましょう!』と手を引っ張ること請け合いだ。そしてその傍にいるバカ親から『うちの早苗を心配させるとは何事だっ!』と雷直撃である。
……しかし、あいつもほんと、神様らしくない神様だよなぁ。
ともあれ、そんなことを考えていると、視界の片隅に見慣れた奴の姿が現れる。それはぐんぐん私に近づいてきて、
「今日も幻想郷の空を西東! 伝えるべき真実はいつも一つの文ちゃんですっ! さあさあ霊夢さん、まずは私のインタビューに……!」
「いいから帰れ!」
「甘いっ!」
「ちぃっ!」
「甘いですよ、霊夢さん! 空戦における天狗の強さ、あなたもそれはわかっているはずです! そんなパンチで、文ちゃんを捉えることは出来ませんよはっはっはー!」
「あ、向こうに特ダネ」
「え、どこどこ!?」
「隙ありぃぃぃぃぃぃっ!」
「謀ったな博麗霊夢ぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
文々。新聞に栄光あれぇぇぇぇぇぇぇぇ! と叫んで墜落していく文。どっごーん、という音が響いた、その5秒後、「で、よろしいですか?」とあっさり復活してくる。
……恐ろしいな、こいつは。まさか、私の烈風巫女正拳突きをまともに食らって復活してくるとは……。
「あんた、その自分の不死身っぷりをネタにした方が受けるんじゃないの?」
「あっはっは。やですねぇ、霊夢さん。この程度、すごくも何ともないですよ」
いやすごいだろどう考えても。
しかし、私の至極当然のツッコミもなんのその。彼女は『それではインタビューです!』とペン先突きつけてくる。
「今日はどこへお出かけですか!? 何だかすごく変わった服装をしていますけど!
あれですか、デートですか!? デートなんですね!? 羨ましいなぁ、このこの! 相手は誰ですか! さあさあ!」
「うるっさーい!
ああ、もう、隠すつもりもないわよ! 早苗よ、早苗! 何か文句あんの!?」
「おお! なるほど!
霊夢さん、ついに身を固めるご決心を!」
「なぜそうなる!?」
「いやいや、わかってます、わかってますよ、霊夢さん。
何せ、霊夢さんがお付き合いをするとなると、私たちの知っている人のうち誰か、と誰もが思ってましたからね。
なのに、ここに来て新たなダークホースの出現! となれば、すでにその決意を固めているととるのが定石でしょう!」
「捨ててしまえ、そんな定石……って……。文、今、なんて?」
「へ?
ダークホース?」
「何でよ!?」
思わず、私は彼女の肩を掴んで叫ぶ。文が『いたたたた!』と悲鳴を上げたことから、相当、その手には力がこもっていたのだろう。
だが、今はそんなことは関係ない。
「あんた、散々、私たちのことからかってたじゃない! 何で、そこでいきなり『ダークホース』扱いするのよ!?」
「ち、ちょっと待ってくださいよ! その……えーっと……早苗さん? 私、そんな方のこと、知らないのですけど……」
「冗談にも程があるわよ」
「……い、いえ、本気で……」
かなり、殺気のこもった眼差しをしていたのだろう。文が肩を萎縮させ、声を小さくするほどに。
「第一、あんたが知らないはずないじゃない! あんたらの山でしょう!」
「……えーっと……それって、私たちが住んでる山のことですよね?」
「そうよ。
そこに神社があるでしょ」
「ええ、ありますね。面白い神様がお二人いらっしゃいますけど……」
「そこに、その神様二人を世話したり逆に世話されたりする、私たちと同じくらいの年頃の女の子がいるでしょ。
ったく、何をボケて……」
「……はあ。アルバイトの方ですか?」
そこで、またもしばしの沈黙。
……文が嘘をついたり、冗談を言ったりしているようには見えなかった。彼女の瞳は本気だ。本気で『何のことかわからない』という顔をしている。
待て。
ちょっと待て。
どういうことだ。
昨日の今日だぞ?
そんなことがありうるもんか!
「だから、早苗よ、早苗! 緑の髪した子!
甘ったるい性格で、たまにちょっとSのスイッチ入ったりするけど、基本、女の私たちから見てもかわいい女の子! あんただって、あの子と仲よかったじゃない!」
「……天狗仲間に、そんな知り合いいたかな……」
「文!」
「……ごめんなさい、霊夢さん。申し訳ありませんが、本気で、私はその方のことを存じません。
普段は皆さんに、『ゴシップ』だの何だの色々言われてる私のジャーナリズムですけれど、それでも、記者として、嘘はつきません。信じてください」
「……どういうことよ……」
事情が全く理解できなかった。
私は文の手を掴むと、「ちょっとこい!」と彼女を連れて、一目散にあの神社に向かう。その時ばかりは、文も「ち、ちょっと急ぎすぎですよー!」と悲鳴を上げるほど、私はあせっていた。
大慌てで到着した守矢神社。着地に失敗して顔面から石畳に墜落する文はほったらかして、社殿の方に向かう。
「神奈子、諏訪子ー! ちょっと、いるー!?」
「何だ、朝から騒々しい」
「ふぁ~……うるさいなぁ……。何か変なかっこした巫女がいる~……」
「ちょっと、私の質問に答えて!」
「……こっちは忙しい。手短にな」
文に話したこと、そして、今の自分の知っていることを可能な限り、私は話した。
手短に、を心がけたつもりではあったが、多分、そうなってはいなかっただろう。頭に血が上ってしまっていて、私はそれどころじゃなかったからだ。
何度も何度も言葉に詰まったし、一度、話したことを何回も繰り返したように思う。
……それを、じっくりと聞いていてくれていた神奈子が、やがて、言う。
「すまない、霊夢。お前の言っていることがよくわからない」
「……嘘」
頭を、がん、と何かで殴られたような気がした。
そんなはずはないのに、全身から血の気が引いていく感じがする。さっきまで高ぶっていた頭が、一気に、急速に冷却されていく。
息が苦しい。胸が痛い。
バカな。こいつ、何を言ってるんだ。神様のくせに嘘をついてるのか。
そんなこと、あるわけがない。そんなこと、あるはずがないじゃないか。そんなの……!
「嘘じゃない。神は嘘をつかないぞ」
……だが、私の儚い願望は、まさしく人の夢と消えた。
神奈子の、冷静な、だけど冷徹な一言が、私を一気に突き落としていく。
「だ、だって……あんた、あんなにかわいがってたのよ!? 私の自慢の娘だ、って言ってたじゃない!」
「……そう言われても……。
あいにく、私は子供を作った覚えはないし、そもそも神として、一人の人間に心を砕くこともない。薄情かもしれないけどね。
だから、霊夢。あなたの言う『早苗』という子のことは……」
「諏訪子!」
「わたしも知らないなぁ。
あ、何その目。信じてないでしょ。
わたしも神様だよ、霊夢。言っておくけど、あんたよりは記憶力があると思っているし、この長い人生で起きたことは全部覚えているつもり。ついでに、わたしも嘘をつかないよ。
第一、わたしだって人間とまぐわったことなんてないよ。何だって……」
「もういい! ちょっとお邪魔する!」
「あ、こら! 靴は脱ぎなさい!」
ダメだ、話していても埒が明かない。
彼女たちを無視して、私は神社の中へと上がりこんだ。目の前の神様達に不敬を咎められるけれど、もうそんなこと、知ったことか。
必死に建物の中を走って、先日、招き入れてもらった早苗の部屋の前にやってきて。
「……普段は隠してるのよ」
そのドアに、あのプレートがないことを確認する。
……そんなことあるはずがない。
私の意識は、その事実をなかったものにした。自分に言い聞かせるようにつぶやいて、私は、ドアを開けて――、
「その部屋は物置だよ、霊夢」
「……一体どうしたの。あなたらしくもない」
追いついてきた神様二人が、私にそう言った。
部屋の中は、何だかよくわからないものがごちゃごちゃに詰め込まれた、乱雑な空間になっていた。
昨日見た、あのかわいらしい部屋はどこにもない。早苗が大事にしていた、何かよくわからない人形も、彼女の姿を収めたアルバムも、あのかわいらしい服だって。
何もなかった。
「あ、ちょっと!」
ぷつん、と私の中で何かが切れた。
「霊夢、しっかりしなさい!」
響く声が、耳からではない、どこか別の場所から私の中に入ってきて、そして、抜けていく。
「ちょっと、そこの天狗も手伝って!」
全身から力が抜け、意識が吹っ飛んでいく。
「は、はいはい! わかりました!」
そして、一気に足から力が抜けた。
私はその時、どんな顔をしていたんだろう。
響く声が、遠くに去っていくような感じがした。受け入れたくない事実を前に、私は全てを遮断してしまったのかもしれない。
……そんな事実があるわけない。そんなの嘘だ。悪い冗談だ。みんな、私のことをからかって遊んでいるんだ。
私はそれを信じて、信じ続けて……だけど、その想いに寄る辺のないことを知ってしまって。
そして、私はそれを認めざるを得なくなってしまったのだ。
あの子が……早苗が、いなくなってしまったなんてこと……。その、死ぬことよりも辛い、この現実を……。
目が覚めた時、私は布団の上に寝かされていた。
すぐに視界に映ったのは永遠亭の医者の姿。彼女は「起きられる?」と、優しく声をかけてきた。
うなずいて、布団の上に体を起こす。ひどく、体がだるい。
「……何日過ぎた?」
「三日。
よほどショックなことがあったのね。体が、あなたの心を守るために、一旦、機能を停止したみたい」
「……たはは。半分、死んでたってことね」
「そうね。
あなたのお見舞い、たくさん来ていたわ。みんな、ものすごく驚いていたわよ」
「……ねぇ、永琳。その中にさ、緑色の髪をした子、いなかった?」
「大妖精ちゃん……だったかしら? それとも……」
「……いや、いい。来てないならいい……」
「……そう。
今、ご飯を用意させるから。まだ少し寝ていなさい」
こういう時の彼女は、まさに永遠亭のお母さん。言葉一つ一つが優しくて、あったかくて、とても心に染みる。
元よりそのつもりもなかったが、私は反論せずに、黙って布団の中に戻った。
……しばらくそうしていると、閉じた障子の向こうから、小さな音が聞こえてきた。多分、雨だろう。さすがは幻想郷、たった一人の人間の心の中まで表現してくれるらしい。
……あーあ、憂鬱だ。
手にした枕をぽいと頭上に放り投げ、キャッチするのに失敗する。ぼすっ、と柔らかい音を立てて、枕が顔面直撃。なかなか痛かった。
「どうぞ」
戻ってきた永琳が、お盆の上に載せた料理一式の、お椀のふたなどを取ってくれた。
ありがと、と笑いかけてから、とりあえず、食事スタート。
「何が起きたか、聞かせてもらっていい?」
「……あー、そうだね。あんた、医者だしね。
患者の治療には、その原因の特定が必須、って?」
「ええ、そう。辛いことかもしれないけれどね」
別に辛いことなんかじゃない。
私は淡々と、気を失う前に起きた出来事について話した。永琳は逐一、それをメモにとり、小さくうなずいている。
「……気のせいなんかじゃないんだよね。
何であの子が……あの子だけがいないのか、わからない……」
「……この郷には、神隠しというものもあるのでしょう?」
「外の世界じゃ有名だって言ってたけどね。
まぁ、この世界にもある。隠に食われて隠されることなんて」
「……そういうのに遭ったのではないかしら? その際に、それに関わる絆も全部……」
「……あるのかな。わからない」
そういう能力を持った輩もいたっけ。どっかの寺子屋の先生。
けれど、彼女がそういうことをすることはない。何といっても、彼女が人間を襲うということ自体、ありえないことだからだ。
そうなると、私の知らない、未知の能力を持った何者かがやったということになる。
……そんな奴、いるのだろうか。隠してしまったものの存在を消し去ってしまうなんてこと……。
「話を聞く限りだと、その子もとても強いようだから……。
……可能性として考えられるのは、いいたくないのだけど……」
「私、と?」
声と共に姿。
音も立てずに畳の上に足を下ろしたのは、やっぱりというか何というか、紫。
ちなみにこいつ、私のことを見舞いにもこなかったらしい。
「……あんたなの?」
「何が?」
「私から早苗を奪ったの……あんたなの? 紫」
「さあ」
「……あんた、怒ってたよね。私がなかなか動けないことにさ。
……だからなの?
私を叱るために……私の、そんなふがいなさを戒めるためにやったの? ぐずぐずしてたらこうなるんだ、って」
「そうかもね」
「……返せ……!」
「何を?」
「早苗を返せよっ! この……!」
立ち上がった瞬間、足下を大きく払われた。そのまま体は宙を一回転し、背中から畳に叩きつけられる。
痛みと衝撃で、一瞬、息が詰まる。
それでも立ち上がろうとする私の手を、永琳が掴んだ。
「私だって……私だって、一生懸命だったのよっ! あんたからしたら、まだまだ子供で、情けなくて、どうしようもなくバカだったとしてもっ! あれでも精一杯頑張ってたつもりだったのっ! あんただけじゃない、他のみんなにだって怒られたし、励まされたし! それで、私だって頑張ってるつもりだった……早苗にだって怒られたよ……『もっと根性出せ』って!
だから、昨日、徹夜もした! どうやったら、あの子が喜んでくれるかな、とか、あの子に気に入られるにはどうしたらいいんだろう、って! 普段やんないよ、あんなこと! あんな、バカみたいなこと! だけど、すっごく楽しかった! とても楽しかったの! そんなバカなことをしてる自分が、ものすごく、その時間を楽しんでる自分が! 楽しくて……嬉しくて……何より、楽しみでっ!
それなのに、何で!? どうしてよ! ねぇ!
何でこんなことしたの!? 何でよ、紫!
あの子を返してっ! 早苗を……あの子を返してよ、お願いだから!」
「……本当に、信頼がないわね」
「あなたの普段の言動がものを言うのですよ」
「申し訳ありません、永琳先生。
それから、申し訳ついでなのですけれど、少し席を外してくださいな」
言うだけ言った後は、もう言葉が出てこない。
本当に情けない話だけど、私はその場にひざをついて、人目をはばからずに泣き出してしまった。まるで子供のようだと、自分で自分を思う。
実際、子供なのだから、きっとしょうがないことなのだろうけど……。
「はいはい。よしよし」
紫の手を振り払おうとするのだが、彼女の方が力も体格も上。
あっさりと押さえ込まれてしまって、私は彼女に抱っこされてしまった。
「泣くだけ泣いて、まずは落ち着きなさい。そうじゃないと、話も出来ないでしょ」
余計なお世話だ、このバカ。
内心で、私は思いっきり、そう叫んだ。
「さて、と。
それじゃ、ちょっとお話しましょうか」
それから、だいぶ時間が過ぎた頃だろう。
散々、泣きはらしたためか、喉が痛い。目も痛い。けれど、心は、先ほどよりは落ち着いていた。
「……何よ。あんたが犯人なんでしょ」
一言、私はぽつりとつぶやいた。
紫の手を払い、彼女から体を離す。
「あのねぇ、霊夢。
言っておくけれど、私は無実よ」
目許を、彼女からもらったハンカチでぬぐいながらにらむ私に、紫は大仰に天を仰ぎながら言った。
信じられるものか、という視線を向けていると、彼女の表情が、唐突に真面目なものに変わる。
「私はあなたの『お母さん』。
子供を叱ることはあっても、悲しませるようなことをすると思う?」
一瞬、彼女の言葉が理解出来なかった。
それを頭の中でかみ砕き、意味を察するのに要したのは……多分、数秒。だけど、今の私には、それはとても長い時間のように感じた。
そして、ああ、と私はうなずいた。
「……ごめんなさい」
「わかればよろしい」
ぽんぽん、と彼女は、掌で優しく私の頭を叩いた。たとえるなら、小さな子供をあやす母親のよう。
……余計なお世話だ、全く。
「詳しい話を聞かせなさい」
「……その前に。
何で、あんた、お見舞いに来てくれなかったのよ……」
「……いいじゃない、別に」
「言わないと話してやんない」
「……はいはい。
……あなたは、自分の『お母さん』が、みんなの前でうろたえていて、恥をかくところが見たかったの?」
……なるほど。
どうやら、私があまのじゃくなところがあるのは、『母親』譲りらしい。ちょっぴり視線を逸らして、頬を赤くしている彼女を見て、それを得心する。
私が、たまに変な損をすることがあるのは、全部、こいつのせいなんだ、と。
――私は口を開く。気を失う前に何があったのか。それに至るまでの理由も全部。
彼女はそれを真剣な顔つきで聞いてくれた。一言一句、聞き逃すまいという視線を、私に向けてくれていた。
……そして。
「……そう。
霊夢、状況が全くわからないのだけど、まず、あなたのそれは夢ではないことは確実よ」
「そりゃそうだ」
思わず、間抜けな返事をしつつ、うなずいてしまう。
そんな私の反応を見て、彼女の顔が少しだけほころんだ。しかし、それも一瞬のこと。紫の表情が、また引き締まる。
「だとしたら、何で、その子のことだけがどこにもないのか。それを突き止めないといけない」
「うん」
「そういう力を持ったものがいるのかもしれない。私はそれを探してあげる」
「ありがと」
「あなたは、その子を探しなさい」
「……え?」
思わず、ぽかーんとなってしまう。
探す? どうやって?
だって、あの子のいた痕跡自体、どこにもないというのに。誰もあの子のことを覚えてないというのに。
……どうやって探せというんだ。手がかりがないのに。
「不可能だって思ってるでしょ?」
うなずく。
情けないわね、とその直後に、私は叱られてしまった。
紫は、まず、私の頭をひっぱたいた。そして、次に、私の肩をしっかり両の手でつかんで、私の瞳をまっすぐに覗き込みながら口を開いた。
「いい? 霊夢。
何が何でも、その子に会いたいなら、もっと無様にかっこ悪くなりなさい。
自分に出来ることを全部やって、それでもダメだったら、今度は自分に出来ないことが出来る人を頼りなさい。もしも、それでもダメだったら、その時こそ、諦めなさい。
あなたは今まで、何をやってきたの? 今言ったこと、全部やってきた? やってないでしょう? それなのに、どうして諦めたりするの。あなた、そんな程度の想いで、あんなに泣いて、あんなに怒鳴って、あんなに、私に真剣な顔を見せていたの? 違うでしょう?
なら、まだまだできることはあるじゃない。それが何かわからないなら、今、この場で、私にそれを聞きなさい。普段なら、『自分で探せ』って言うところだけど、今回だけは教えてあげる。だけど、そうじゃないなら、今、あなたが考えている、あなたに出来ることを全部、残さず、漏らさず、くまなく、片っ端から、徹底的にやるのよ。
わかった? はい、は?」
……説得力皆無、とはこういうことを言うのだろうか。
それって要するに、『出来ないことでも何とかしてやってのけろ』という無理無茶無謀を押し付けているようなものだ。
人間、どんなに頑張ったって出来ないことはあるのだ。それを、気合だの根性だのといった精神論でどうにかしようなんて、全くナンセンスだ。それくらいのこと、彼女だってわかっているだろう。何せ、自称『賢者』だ。賢者を名乗るくらい賢い彼女なら、そんな精神論、普段なら一笑に付すだろう。
そんなこいつが……そうであるはずの彼女が、私の目を、じっと見据えながら、そんなことを言うのだ。
説得力なんて、まるでなかった。
だけど……。
「わかった。なら……何かする」
「はい、は?」
「はい」
「よろしい」
ナンセンスだけど、何かを何とかするしかないのが、今のこの状態なんだ。
第一、可能性として考えるなら、一番わからないのが一つある。
どうして、みんなが――それこそ、神奈子やら諏訪子だって忘れている早苗のことを、私だけが覚えているのか。
それって、もしかして、早苗が持っていた漫画で言うところの『奇跡のきっかけ』という奴ではないだろうか。他のみんなが出来ないことが出来る主人公。それって、もしかしたら、私のことなんじゃないだろうか。
……そう思えば、俄然、力が湧いてくる。さっきまで萎えていた気が盛り上がってくる。
人間、不思議なものだ。私自身、さっきまでの落ち込みようが嘘だったと思うくらいに、今、体が軽かった。
「さあ、もう大丈夫ね? なら、行って来なさい。
出来ること全部やってきたら、今日の晩御飯は奮発してあげる」
「その言葉、嘘偽りはないわね? 言っておくけど、本気の私は幽々子だって上回るわよ」
「ええ。楽しみにしているわ」
立ち上がった私は、早速、着ているものを着替えて、縁側から外へと飛び出した。
まだ、雨は降っている。服が濡れてしまうけれど、むしろ、涼しくなってちょうどいい。変な意味で熱くなった頭を冷やしてくれる雨が、今は心地よかった。
「何とかなる……何とかする!」
それでもどうにでもならなかったら、仕方ない。その時は、紫の言ったように諦めよう。
もっとも、その時が来るのは、きっと私が死ぬ時だ。
――諦めてなるものか!
「おーい、魔理沙ー! いるー!?」
どんどんと、彼女の家のドアをノックする私。しばらくすると家の主が『お前、ドアを壊すつもりか』と不機嫌そうにまなじりつりあげながら現れる。
「もう治ったのか? そんなら、病み上がりは大人しくしてるのが一番だぞ」
「あんた、今、暇?」
「……暇、というか……。
というか、雨降ってるんだから。家の中に入れ。お茶くらいは出して……」
「私に協力しなさい!」
「……は?」
いきなり来て何言ってるんだ、こいつ。
ひしひしと、彼女の視線から、その言葉が伝わってくる。しかし、それでも、私の話だけは聞いてやろうと思ったのだろう。とりあえず、家の中へと私を招き入れてくれる。
「悪いんだが、私は閃き型の天才じゃない。一から事情を説明してくれないとわからん」
私をテーブルにつかせ、バスタオルを放り投げてくる。
彼女がお茶を持ってやってくるのを待ってから、私は一部始終、全てを語って聞かせた。それを聞き終わると、魔理沙は、『これはまたお熱いこった』と皮肉まじりにつぶやき、
「それで、何で私が?」
「あんたは私の友達だから」
「都合のいい時だけ友達にするなよ」
「いいじゃない、別に。
今まで、あんたの手伝い、色々してあげたでしょ。この前の宴会で、幻の『月影』飲ませてあげた時、『何か困ったことがあったら、遠慮なく言ってくれ!』って言ったの、誰だっけ?」
「脅しじゃないか、ったく」
彼女はぶつくさつぶやきながらも、『それで?』と一言。
「あの子を探すのを手伝って。それだけ」
「……と、言われてもなぁ。
正直に言うと、知らない相手を探せっていうのは無理難題にも程があると思うぜ? まぁ、そこまで言われたら手伝わないわけにはいかないけどさ……。
何か手がかりとかはないのかよ?」
「ない」
「……ないのかよ」
だけど、顔なら覚えてるわよ、と私。
彼女にもらった紙とペンで、さらさらと、早苗の似顔絵を書いていく。うむ、なかなかうまく描けた。
「こんな子」
「……何か甘ったるい顔してるなぁ」
確かに、言われてみればそう思う。
この、人畜無害丸出しの、陽だまりな丸顔はどうだ。誰だって、こんな子の笑顔を見せられたら、思わず撃墜されてしまうのもわかろうかというものだ。
「……う~ん……。見たことないなぁ……。
失礼を承知で聞くんだが、本当に、こいつ、私たちの知り合いなんだよな?」
「それは間違いないわ」
「……そっか。
……で。何で探すんだ?」
「会いたいから」
「……は?」
それには、さすがの魔理沙も目を点にした。理由が全くわからない、という顔で。
だけど、私の理由なんてそれが全てだ。他の理由なんてあるはずがない。
「いや、もっとこう、具体的に何で会いたいとか……」
「魔理沙。あんたは……」
そこで一旦、言葉に詰まる。
……頬が熱い。胸の中がとてもうるさい。
だけど、私はそれを振り切った。紫に言われたじゃないか。『もっとかっこ悪くなれ』って。
恥ずかしさなんて感じるのは、自分がかっこつけてるからだ。知られたくない、からかわれたくない、って。
いいじゃないか、誰かに知られたって。胸を張って言い返してやればいいじゃないか。
からかわれたっていいじゃないか。むしろ言い返す理由になるんだ。何だ、羨ましいのか、って。
だから、私は胸を張って、きっぱりと言った。彼女の目を、まっすぐに見据えて。
「あんたは、好きな人に会う時に、『逢いたいから』っていう以外の理由が必要なの?」
「……あー」
自分でもわかるくらいに、今の私はりんご状態だっただろう。
それでも、私は魔理沙から目を逸らさなかった。
まっすぐに自分を見てくる私に、彼女は何を思ったのだろうか。椅子を蹴って立ち上がると、部屋の隅に置かれた帽子を目深にかぶる。そして、軽く、そのつばを押し上げながら笑った。
「了解だ。魔理沙さんも、その話、乗ったぜ」
「……え?」
「とりあえず、お前は病み上がりだ。風呂に入って、体、あっためとけ。あとは全部、私が何とかしてやるさ。
それに、お前がそこまで入れ込んでいる相手ってのも見てみたいしな」
「……ありがと」
「よせやい」
彼女は箒を取り出すと、よいせ、とそれにまたがった。そんな彼女に「すぐに、私もまた動くけど」と宣言。
彼女は私を振り返ると「勝手にしろ、ばーか」と笑って、雨の空へと飛び立っていく。
「……たはは。かっこ悪いなぁ、今の私」
だけど、不思議と清々しい。
何だか、久々に、あいつのあんな笑顔を見たような気がする。いたずらっこのような……だけど、純粋な。
私が本気になれば、あいつにだって、あんな顔をさせることが出来るんだ。だから、まだまだいける。大丈夫だ。
「よし! 次は紅魔館だ!」
宣言した後、私は思いっきり、盛大にくしゃみをしたのだった。
雨の中、私は空を飛ぶ。
とりあえず、自分に出来ること――それは、私が知っている連中全部をこき使うことだ。あちこちの土地に足を運び、そこの人物に対して頭を下げる。『私の手伝いをしてくれ』と。
断られようものなら力ずくででも言うことを聞かせる――もちろん、勝負はいつものトリガーハッピーな弾幕勝負。
幸いなことに、そこまでいったのは紅の館のお嬢様くらいなものだった(ちなみに、その従者を始め、あそこの住人ほとんどが二つ返事で了承してくれていたのだが、なぜか彼女だけは『絶対やだ』と譲らなかったのだ)。
ちなみに、それに至るまでには、大抵、魔理沙に使った決め台詞が大活躍した。きっと、物理的な手段が発生することがほとんどなかったのは、あれが原因だろう。
咲夜なんて、レミリアにすら見せたことがないんじゃないかってくらい優しい顔をして、ぱちぱちと手を叩いてくれた。死ぬほど気恥ずかしかった上、私のセリフを聞いたメイドたちがひそひそ話をしていたが、まぁ、いいや。目的を達成できたのだから。
そして次は、草の根分けても探し出す根性で、あっちこっちを飛び回ること。
西に緑色の髪の女の子がいると聞けば飛んでいって確認し、東に甘ったるい性格の子がいると聞けば、出向いて名前を尋ねて。もちろん、その全てが外れだったのだけど、いつのまにか近隣の村や里には、私の描いた早苗の似顔絵が張られるようになり、『この人探しています。心当たりのある人は博麗神社まで』と、誰かが勝手に文字まで書くようになった。
そんなこんなで、私に出来うる限りのことを、私はやってのけたはずだ。紫に言われた通り、徹底的にかっこ悪くなって、笑われようと、陰口を叩かれようと、普段は見せない根性見せて、できること全てにがむしゃらになって。
――はて、何日をそれに費やしたことか。
捜索の手伝いを願い出たもの達は、『見つからない』と報告を入れてくれるが、それでも『お願いだから、もっと探してくれ』と頭を下げ続けて。
毎日毎日、あっちこっちに、自らも足を運び続けた。
雨の日にずぶぬれで飛び続けたためか、風邪を引いた。風の強い日に空を飛んだせいで、風に吹き飛ばされてひどい目にあった。今まで行ったことのない土地にまで足を運んで、帰り道がわからなくなって、危うく遭難しかけたこともある。
そんな風にして、私は郷の中を、行けないところにだって分け入って探し続けて。
――そうして、今、ここにいる。
「……どこにいるのよ……」
私の家、博麗神社。
つい先ほど、魔理沙と文がやってきて、『やっぱり見つからない』と報告をして帰っていった。もう、何度、同じような報告を聞いてきたことか。
頑張っても頑張っても苦労は報われない。そのためか、徐々に気力が萎え始めてきていた。
ここまで探しても見つからないということは、やはり、あれは私にとって泡沫の夢だったんじゃないか、とか。そろそろ身を固めないといけないという焦りが生んだ幻覚だったんじゃなかろうか、とか。果ては、散々、他人の恋愛をからかってきたばちが当たったんだ、とかまで。
そんなはずはないと言い聞かせ続けてはきたものの、やはり、そろそろ限界らしい。先日は永琳がやってきて、『少し休んだ方がいい』と警告までしてきた。私は、それほど消耗しているのだろう。
何かないだろうか。
これほどまでに、何の手がかりもないからこそ、私の気力も限界に近づいてきている。
だけど……いや、絶対に、何か『確証』があれば、まだまだ頑張れるという確信があった。
何かないか。
あの子の存在を確定させるものが、何かなかっただろうか。
「……あ」
――そういえば。
つと思い立つのは、今、私が心から望んでいるものの在処。『そんなものあったっけ』なんて簡単な気持ちじゃない。心の中で、燦然と輝く『想い出』の存在。
思い立ったが吉日。私は畳の上から起き上がると、大慌てで自室に走った。そして、戸棚の中から化粧箱を取り出して、中を引っ掻き回す。
そう、確か――確か、ここにあったはずなのだ。
「見つからない……どうして……」
中のものを全部引っ張り出して、私は途方にくれる。
確かにここに入れた。忘れないように。その記憶が間違っているはずはない。
……思い出せ。ないはずがない。捨てるはずはないんだ。
だから……。
「……いや、ちょっと待て。確か、隠し場所、変えなかったっけ?」
先日……といっても、もうずいぶん前になるが、魔理沙がそれを開けて、中を見て私をからかってきたことがあった。
もちろん、それは早苗が『居なくなる』前のこと。その場に早苗も一緒にいて、『魔理沙さん、ひどいですよ』なんてほっぺた膨らましていたのを、私はしっかりと覚えている。
そして、それを受けて、私はそれの隠し場所を変えたのだ。
……そう。あれは確か……。
「……ここだよ」
――いつぞやの結婚騒動の時、あの子に貸し与えた部屋。その中の……確か、入って右手にある、タンスの中の、一番下……。
「……」
そっと、それを引き開ける。空っぽの空間に、ぽつんと置かれて、『それ』があった。
それは、小さな小さな小箱。
胸の鼓動が早い。緊張している? ……いや、違う。怖いんだ。これを開けるのが。
もしも、なかったらどうしよう。
その思いが、私を邪魔する。
早苗と一緒に……みんなの中に残っている、あの子の『記憶』と同時に、それがもしも夢か間違いだったとしたら、どうしよう。
ないはずはない。だって、私がここに隠したんだから。
この手にその存在を覚えている。あの子の笑顔を覚えている。
『ここなら、絶対に見つからないわよ』
『そうですよね』
早苗を連れてきて、隠し場所を変えたのを教えた時の、あの子との会話を、声を、あの姿を、そして、あの笑顔を。
私は、覚えているんだ。
大きく息を吸い込む。決意を邪魔する意識を外に押しやって、私は一気に、箱のふたを開けた。
「あ……」
……あった。
その時の気持ちは、もう『嬉しい』とか『やった』なんて言葉じゃ表現できなかった。胸が熱くなって、我知らず、涙まであふれてきた。
やった、と私は心の中でつぶやいた。
よかった、と私はその瞬間に感謝した。
――箱の中にある、二枚の便箋。一つは、私があの子に向けて書いた、あの手紙。雨に濡れてぐしゃぐしゃになったそれを、何とかかんとか乾かした時の苦労が思い出される。
もう一つは、その後、あの子からもらった手紙。散々、周りにからかわれて、怒鳴り散らした挙句、夢想封印連打しまくったっけなぁ……。
――そして。
「……どーだ、紫。私、まだ諦めてないぞ……」
あの日の夜、私とあの子を結んだ、固結びの赤い糸。
何だ、あるじゃないか。
あの子は夢なんかじゃない。現実に存在してたんだ。私は間違ってなかったんだ。
取り出したそれを、自分の小指に巻きつける。その反対側にあるべき指が、今はない。だけど、そんなものは、もうどうでもいい。
だって、見つかったのだから。
私にとって、それを確信するべき『事実』が今、ここにあるのだから。
あの子は夢じゃない。泡沫なんかじゃない。本当に、私の隣にいて、笑ってくれていたんだ。
「よっし! 気合充填! 待ってなさいよ、早苗! ぜーったい、あんたを……!」
――その時、気配が一つ。
人の気配。徐々に近づいてくる、その気配。
いきなり現れたそれを不審に思いながら、私は気配の源に向かって足を運ぶ。
手に持った小箱は、一旦閉じて、タンスの中へ。縁結びの赤い糸を、しっかりと目で確認して。
……はて、客か? となると、うちに来る客なんてろくでもない奴らばっかりだから、こんなこっそり現れるなんてことはしないはずだ。報告を持ってきてくれた誰かなら、こっそり入ってくるなんてことはせずに、私の名前を呼びながらやってくるだろうし。
そうなると……たとえば、私に対して、何か恨みを持ってる奴の襲撃とか?
ありそうで怖いが、それならそれで返り討ちにすればいい。特に、今の私は、ある意味では不機嫌だ。ストレス解消の意味も込めて、ぼっこぼこにしてやろうか。
ともあれ、思索を巡らせながら、気配の主を確認すべく、私はそちらへ足を運ぶ。
母屋から社殿に移り、境内へと足を運んだ、そんな私に、
「……いた」
小さな声がかけられた。
「わたしのこと……わかりますか?」
逆光を背負って、境内に立つ人間が、私の方へ近寄ってくる。そのおかげで、徐々に光が晴れていく。姿が見えてくる。その形が、私の瞳の中に収まっていく。
その人物は、私に向かって声をかけてくる。恐る恐る、という表現がぴったりな感じで。
ふらふらと、よろめく足で私に向かって近寄ってきて。
「……覚えてますか?」
尋ねてきて。
「お願い……覚えてるって言って……」
その顔を涙に歪めて。
「……お願いだから……」
私の服を掴んで、嗚咽を漏らしながら。
その人へとかける言葉が、一瞬だけ、見当たらなかった。きっと、意識が飛んでいたのだろう。あるいは、それを『夢』と思ったのかもしれない。
……やっぱり私はダメだな。こんな時にまで現実逃避しようとするんだから。
――そんなの、答えなんて決まってるのに。
「覚えてるに決まってるじゃない。早苗」
その言葉以外、今の私にはありえないのに。何でさっさと言わないのか。
その、私の一言で、彼女は顔を上げると、その顔に笑顔を浮かべた。
「よかったぁーっ!」
「うわぁっ!?」
「いきなり、朝、目が覚めたら、わたし、変なところに一人でいて……! 慌てて、家に戻っても、神奈子さまも諏訪子さまも『誰?』としか言ってくれなくて……。
あちこち回っても答えが同じで、すっごく心細かったんですよぉ~!」
「ち、ちょっと! ちょっと離れて! やばい、色々と!」
私に飛びついてきた彼女は、一気に話をまくし立てると、ますます私を力強く抱きしめてくる。
色々苦しい。というか、色々柔らかい。おまけに、ここしばらくのあんな気持ちやこんな気持ちも、全部、私の中から湧き上がってきて、頭の中がごっちゃごちゃだ。
私の意識があらゆる意味で飛んでしまう前に、早苗を引き剥がすと、「ど、どういうことよ」と尋ねた。
「……わからないんです……。何が起こったのか、全くわからなくて……。
おまけに、何か、空を飛ぼうと思っても飛べなくて……何も出来なくて……。結局、幻想郷中、歩き回って……。足が棒になりましたよ……」
「……ちょっといい?」
「はい」
「何で……私のところに最初に来なかったの?」
「……その……怖かったから……」
聞けば、最初に、自分の『家族』に『自分』を否定されたことで、その意識が一気に強まってしまったのだという。
なぜ、自分は誰にも覚えていてもらっていないのか。その意識が高まったその時、私のことを思い出して、慌てて足を運ぼうとしたものの、
「……神奈子さま達に『誰?』って言われた時、真っ先に霊夢さんの顔が思い浮かんだんです……。すぐに、ここに足を運ぼうと思ったんです……。
だけど……だけど、もしも霊夢さんにまで、『誰?』なんて言われたら……って、思って……。わたしのことが、霊夢さんの中からも消えてしまっていたらどうしようって……思っちゃって……。
そうしたら、怖くて……。そんなことになっちゃったら、わたし……どうにかなってしまいそうで……。
それで、結局、最後まで……」
「……あのさ」
「はい?」
きょとんとした顔の早苗。
その顔を見てると、もう、我慢の限界だった。
「んなわけあるかーっ!」
「きゃあっ!?」
今度は、私の方から彼女に飛びついた。そのまま、二人そろって、勢いあまって境内にひっくり返ってしまう。
「ったくもーっ! そんなわけあるわけないでしょ!
あれか!? あんたは、そんなに私を信用してないのか!」
私は彼女をしっかりと胸に抱きしめながら、その耳元で怒鳴った。
「そ、そんなこと……! だ、だって、その……!」
「あんたがさっさと私のところに来てれば、私はかっこ悪いことしなくてすんだのよ!
あのねぇ! 私が、あんたをどれだけ探してたと思ってんのよ! どんだけ知り合い一同に借り作ったと思ってるわけ!?
土下座までして回ったのよ!?
あーもー! ひどい目にあった!」
「あ、あの、その……それは、その……ごめんな……」
「はい、目を閉じる!」
「は、はい!?」
彼女の瞳を強制的に閉じさせて、そのまま唇にキスを一発。
よし、これでオーケー!
「私とあんたは赤い糸の固結びでしょ!? 忘れるわけないじゃない!
あんたと過ごした、あの散々な日のこととか! 雨に濡れてひどい目にあった時のこととか! あんたがいっつも、私のところに来てくれていたこととか!
全部、覚えてるに決まってるじゃない! 全部、私の大切な想い出よ! 他の誰があんたのことを忘れたって……あんたが、他の何にも寄ることが出来なくなったって! 私はあんたを忘れない! あんたの寄る辺になる! それくらい当然じゃない、わかってんの!?」
「……は、はい……」
「周りがみんな、あんたのことを覚えてないならちょうどいいわ! みんなに紹介しまくってやる!
私の嫁ですよろしくね、ってね! そのたびにキスしてあげようか!? みんなにからかわれるくらいに熱々なところ、見せつけてやろうか!?」
「えぇ!? あ、あの、それはさすがに色々恥ずかしい……」
「うっさい!
もう、絶対、絶対、ぜぇぇぇぇぇったい、離さないからね! 私のことが積極的じゃないとか何だとか色々言ってくれたけど、そんなら、容赦なく積極的になってやる! デートだって、毎日、こっちから誘っちゃうからね! 覚悟しときなさい! あんたが嫌だって言っても連れ出してやる! いつだって一緒にいてやる! 私のことを鬱陶しく思うくらいに! 私のこと、嫌いになるくらいに! ずっとずっと、いつだってそばにいてあげるわよ!」
あー、もう。
何だ、私は。何やってんだ。
自分で自分の行動が制御できなかった。言葉の内容が支離滅裂だ。頭の中がしっちゃかめっちゃかだ。声も裏返っていて、うわずっていて、もう、自分でも何が何だかわけがわからない。
だけど、そのうちに、涙が浮かんできてしまう。泣きながら笑うなんて初めてだ。嬉しくて、悲しくて、辛くて、幸せで。自分がよくわからない。
けれど、何だか、とても心地いい。
「……ふぅ」
「あの……?」
「……お帰り、早苗。もう、絶対に、私のところからいなくなったりしないでね」
ひとしきり、彼女に『最低』の自分をさらして、ようやく心が落ち着いた。
声も普段の私に戻ってくれた。残念なことに、涙ににじんだ視界は元に戻ってないけど、自分の表情はよくわかる。
今の私は、笑っている。
「……はい」
そんな私を見て、彼女も笑ってくれた。
私みたいに、その瞳には涙が浮かんでいた。
だけど、笑っている。優しい、甘ったるい、彼女の笑顔で。
その笑顔を見ることが出来て、ようやく、安心することが出来た。
――自分で紡いだ言葉の通り、私だって、二度とこの子のところから離れたりなんてしない。もう、こんな思いをするのはこりごりだ。
辛かったり、悲しかったり、恥ずかしかったり。最悪の日々だったんだ。
だから――もう、絶対に……。
「ずっと一緒だよ」
そう言って、私は彼女の顔を瞳に一杯映して、精一杯の笑みを浮かべて、笑ったのだった。
「……んあ?」
ちゅんちゅんと、囀る鳥の声。
ぐしぐしと目をこすって起き上がる。ぼんやりした眼差しのまま、辺りを見回して――気づく。
「……夢?」
テーブルの上には、紫から借りた、外の世界のデート本が何冊も散らばっている。必死こいてメモしたデートプランのメモ帳も、私のよだれでべたべただ。
畳の上には、紫から借りた服が折りたたまれて置かれている。
昨日の夜の光景が、そのままそこにある。
……そう。夢。さっきのは夢……?
「何か……妙にリアルな夢だったような……」
何とかテーブルの上から体を起こして、ん~、と伸びをする。そうしていると、もやもやの霞がかかっていた頭の中が冴えてくる。
そうしてから、ふぅ、と一息つくと、何とも言えない笑みが顔にこぼれた。
まぁ……よくよく考えてみればわかるような夢だったような気もする。
なぜかって言われると、答えには困るが……簡単に言えば、早苗のことを、私以外のみんなが忘れているという設定が、まず出来すぎていた。
何せ、私よりもずっと付き合いの長い神様二人が、あの子の側にはいるのだ。その二人が覚えていないはずがない。
付け加えるなら、最後の怒涛の展開。あんな、いかにもな流れから始まる再会までのストーリーとかありえないだろう。
それじゃ、何であんな夢を見たのかと、原因を考えてみると、確か、早苗から、以前、借りた漫画に同じような内容があったと思う。その漫画を読んで、不覚ながら、ちょっと泣いてしまったこともあったっけ。
……人間の脳みそってやつは不思議なもんである。まさか、私に、あの漫画のヒロインの気持ちを体験させてくれるとは思わなかった。
ま、夢なら夢でそれでいい。どっちみち、ハッピーエンドだったのだし。漫画も夢も、登場したヒロインは、見事にハッピーエンドを迎えたのだ。それなら、もう、気にする必要もないだろう。
「それじゃ、朝ご飯でも……」
……と、柱時計を見て、気づく。
現在の時刻、12時過ぎ。早苗とのデートの約束の時間、10時。
守矢神社までの片道飛行時間、およそ30分。
そこから導き出される答えは――、
「だぁぁーっ! 遅刻じゃないかーっ!」
なぜか都合よく用意されていたパンを一枚口にくわえて、大慌てで神社から飛び立つ私。
……あいにくと、その展開は、現実の私にまでハッピーエンドであるとは限らないようである。
「霊夢」
「霊夢、ちょっといい?」
「い、いや、あの、これにはちょっと理由があってね!? 色々、私にとっては困難な問題を乗り越えてきたというか……!」
「早苗。ちょっと霊夢、借りるわね」
「さあ、霊夢。ちょっとあそこの木陰に行きましょ」
「ちょっと話を聞いてよアリスに咲夜ぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
――到着後、30分経過。
「……ごめんなさい。寝坊しました」
私は、やはりというか何というか、待ち構えていた二人によって色んな目にあわされた後、早苗に向かって土下座していた。
はぁ、と後ろからはため息。ちょっと振り向けば、咲夜が頭を抱えている。
「もういいです」
「……え? 許してくれるの?」
「そうやって頭を下げられたら許すしかないじゃないですか」
もう、とぷんぷん怒っている早苗。
……とりあえず、許してもらえたというわけで立ち上がって、ふぅ、と息をつく。ふと、後ろを振り向けば、なぜかアリスと咲夜の二人が消えていた。
……気配も悟らせずとは……。
「こんな時間からデートも何もないです。わたしの部屋でお茶にしましょう」
「……あ、あの、ごめんね。早苗。
その……これには深い事情があって……」
「わかってます」
……?
およ? 『わかってます』とは一体?
彼女のことだから、『霊夢さんなんて知りません!』って言ってくると思ったのだが……。
――ともあれ、そんな疑問は心に秘めたまま、私は彼女に案内されるまま、彼女の部屋へ。その室内は、先日のようにきれいに片付けられてはいたものの、先日のような『女の子』の部屋ではなかった。
「早苗って、何か結構……」
「変わってますか?」
先日、早苗が必死こいて隠していた機械人形があちこちに置かれていた。しかも一個一個ポーズが違う。
何だかそれだけで、一瞬で部屋の空気が変わったように感じるから不思議である。
さて、と早苗はクッションに腰を下ろした。彼女は、ぽんぽん、と自分の隣のクッションを手で叩く。彼女らしからぬ、ユニークな『座れ』の合図だった。
そこへ腰を下ろすと、いきなり、早苗が私の方に顔を近づけてきた。
「わっ、な、何?」
じーっと、まるで品定めをするように私を見た後、唐突に、ほっぺたをぐに~っと引っ張ってくる。
「いっ、いひゃいいひゃいいひゃい!?」
慌てて彼女を振りほどき、「な、何!?」と声を上げると、
「……本物ですよね?」
「へ? いや、偽者の博麗霊夢っているの……?」
一瞬、青い巫女服を着た自分が想像されたが、なんかよくわからない想像なので横にのけておく。
私の言葉に、彼女は大きく息をつくと、
「……よかった。夢じゃない」
「……え? あの、どういう……?」
「……何かよくわからない夢を見たんです。
わたしのことを誰も知らない幻想郷を必死にさまよって……それで、最後に霊夢さんに会って……」
「……って、ちょっと待って。
それって……」
お互い、思わず顔を見合わせる。
――しばらくの後、私の方から言葉を切り出す。
「……私の最後のセリフ、覚えてる?」
「その……『ずっと一緒だよ』……ですか?」
…………………………はい、そうです。
……あー! ほっぺた熱い、心臓うるさい、恥ずかしいっ!
「あの……それって……」
頭を抱えて、思わず、彼女のベッドに突っ伏す私に、遠慮がちに早苗が尋ねてきた。
がばっ、とその場に身を起こす。
「私の夢にも、そういう展開のあんたが出てきたの! で、そう言いました! はい!
だ、だって、仕方ないじゃない! いきなり、誰もあんたのこと知らないとか言うから! ひ、必死に……なっちゃって……。それで……ようやく会えたと思って……う、嬉しくて……その……」
……もう言葉にならん。
言葉の勢いもなく、私はそっぽを向いた。
「……不思議な夢……ですね。お互いの夢がリンクしてるなんて……」
「……まぁ、この世界のこと考えたら、そういうことがあってもおかしくはないけど……」
「……そうですね」
またも、しばしの沈黙。
――そっと、早苗が身を寄せてきた。私も、照れながら……頬をかきながら、彼女に体を寄せる。
お互いの体がくっついて、何だかとても気恥ずかしい。
「わたし……その……」
「……ん」
「あの……」
「……いいよ、別に」
「え?」
「何も言わなくていい。って言うか、言わせないもんね」
振り向きざまに、彼女の唇を奪う。
目を白黒させている彼女に微笑んでから、「これで文句ないでしょ」と一言。
「……もう」
「何かよくわからんけどさ、別にいいよ。何も考えなくても。
私の隣に、今、早苗がいるんだし。それでいいよ」
「……そうですか」
彼女はそう言うと、私の左手を握ってくる。
「……あの、もう一度、言ってもらっていいですか?」
「何を?」
「……かっこいい言葉」
「……一回しか言わないよ?」
辺りをきょろきょろ見回す。
デバガメの姿なし。鴉の姿なし。……よし。
「……もう、絶対に、二度と離さない。ずっと一緒だよ、早苗」
「……はい」
それで満足したのか、彼女は、こてん、と私の肩に頭を乗せてきた。「実は、わたしも寝坊したんです」と舌を出す彼女。
その一言で、一気に眠気が襲ってきた。
……よく考えたら、寝坊を考慮しても、私の今日の睡眠時間は足りていない。
今日はこのままお出かけもなしなら、いっそのこと、一眠りしてしまおう。
「おやすみ」
早苗にしっかりと身を寄せて。彼女のあったかさを肌で感じながら。
「おやすみなさい」
その笑顔に、ほっと胸をなで下ろしながら。
私の意識は、あっという間に睡魔に引きずられていった。
今度は、あんな変な夢じゃなくて、二人でそろって、幸せな夢が見られますように。
神様仏様幻想郷様、どうかよろしくお願いします。
「で、神奈子。何も言わないの?」
「……ふん」
「早苗がついに巣立ちの時を~」
「うるさい!」
「はいはい、静かに静かに」
そっと、早苗の部屋のドアに寄り添っていた三人が、ドアから身を離した。
神奈子はそっぽを向いているものの、いつもの厳しい表情も、今は少しだけ緩んでいた。何だかんだで嬉しいのだろう。
諏訪子が頭の後ろで手を組みながら、後ろの二人を振り返る。
「巫女には不思議な力があるからね。それを、わたしらは神力とか呼んでたりするんだけど。
けれど、これだけ距離が離れているというのに、重なる夢を見るのは珍しいね」
「そうね。
まぁ、よかったんじゃないでしょうか。これはこれで」
くるくると、屋内だというのに傘をさしている紫は、その傘を回しながら言った。
「だが、話を聞く限りでは、あの二人にとって、決して幸せな夢じゃなかったようだ。紫、何か知らないのか?」
「冗談。私は境界を操る妖怪であって、夢を操る妖怪ではないわ。
それに、そんな無粋なことはいたしません」
失礼しちゃうわ、とぷんぷん怒る紫。似合わないよ、と余計なことを言って、諏訪子の頭に、紫の傘が直撃する。
「きっと、幻想郷の気まぐれでしょう」
「……ふぅん」
「この郷を背負っていくものが、あまりにもふがいなかったから、ちょっと叱ってくれたのよ。
だけど、それだけじゃ、あんまりだから、最後にきちんとフォローを入れてくれた――そんなところでしょうね」
彼女はそう言って、踵を返す。
その動作の途中で、少しだけ動きを止めた後、「……それに、本当に夢だったのかもわからないのだし、ね」と小さくつぶやいて。
そうして、肩越しに二人へと視線を送った。
「帰るのか?」
「ええ。うちの子にご飯を食べさせてあげてくださいな。
その代わり、今度、博麗神社にいらしてくださいましたら、私がお手製のお料理を振舞いますので」
「早苗は、意外と腹にたまるものが好きよ」
「覚えておきます」
それでは、ごきげんよう。
彼女はその言葉を残して、亀裂の中へと消えていった。
……やれやれ。愛娘と同じで、やはり、どこか素直じゃないところがあるようだな。彼女は。
神奈子は苦笑すると、いまだ、頭を抑えて『あーうー』言ってる諏訪子に一言言って、その場を後にする。
「……ったく、それくらいやってくれたっていいのにさ」
そっと、音を立てないように早苗の部屋の中へと、諏訪子は足を踏み入れる。
抜き足差し足忍び足、とタンスに近寄り、中から一枚の毛布を取り出して。
「早苗、よかったね。何だかんだで一緒になれて」
二人に毛布をかけて、彼女は言う。
早苗の頭を優しくなでながら。
「うりゃ、霊夢。うちの早苗を幸せにしろよ~。泣かしたりしたら承知しないからな」
霊夢のほっぺたはぐにぐに引っ張りながら。
「お休み、二人とも。いい夢見てね」
そうして、音を立てないように、そっと部屋を後にするのだった。
私にもお茶をおごれと言うから、「じゃんけんで勝ったらいいわよ」ということでじゃんけん勝負をした。
博麗秘奥義グーチョキパーをしてやったら泣き出したので、かわいそうだから、とりあえずお茶だけ飲ませてやることにした。
「なぁ、霊夢」
「何よ」
「このお茶、うまいな」
「でしょ? ……お茶って、こんなに美味しい飲み物だったのよ」
「お前、出がらし何回使ってるんだよ。この前、出てきたお茶なんてお湯が緑色だっただけじゃないか」
秋。
色々な食べ物が美味しくなるこの季節において、お茶もまた、というわけじゃないんだろうけど、とりあえず、ここしばらくの間、私は美味しいお茶に事欠かなかった。
――というのも。
「霊夢さん、おトイレのお掃除、終わりました」
「あ、うん。ありがとう、早苗」
「はい。
けど、わたしの神社だけじゃなくて、博麗神社も水洗なんですね」
「うん。紫が『そっちの方が清潔よ』って言うから、昔、お母さんが取り替えたらしいのよ」
「そうなんですか。
あ、じゃあ、わたし、お部屋の水ぶきしてきますね」
「うん。ありがとう」
と、彼女――早苗が、週に一回、こんな風に我が神社にやってきてくれるためだ。その際、彼女はいつも『どうぞ』と美味しいお茶を持ってきてくれるのである。
……ほんと、もう、お姉さんは感激ですよ。
その様子をじーっと見ていた魔理沙は、早苗の姿が障子の向こうに消えた後、言った。
「……何してるんだ、あいつ」
「あ、うん。ここ最近なんだけど、よく遊びに来るのよ。
でね、『せっかくだから』って掃除してくれたりご飯作ってくれたりするの。悔しいかな、あの子の方が家事スキル上なのよねー。
おかげで、一週間の締めが楽しみよ」
「……あー。うー。そうか……」
また、お互いの間に流れる、小さな沈黙。遠くから、『秋ですよー』というリリーの声。当然、『あたしらは春を告げるのが仕事って言ってるでしょ!?
何で秋にふらふら出て行くのよ!』『だって、最近、ご飯が美味しいんだもん!』『何その逆切れ!?』なんて変な会話が聞こえてきたりもする。
「なぁ、霊夢」
「何よ」
「私はな、こういうことは言いたくなかったんだが――」
「何よ、もったいぶって。言ってみなさい、理不尽な話じゃなかったら、とりあえず蹴るだけにしておくから」
「早苗、あれ、完璧に通い妻だろ」
ぶーっ。
その瞬間、私が口に含んだお茶は、空にきれいな虹をかけたのだった。
「っていうことを言うのよ、こいつが。早苗、どう思う?」
「は、はあ……。
……あの、っていうか、結界の中から出してあげたらどうですか?」
「うわーん、出せー、ちくしょー」と、私の張った結界の中でじたばたしてる魔理沙を見て、なぜか早苗が顔を引きつらせる。
……おかしいわね、私は何か変なことをしてるのかしら。
まぁ、ともあれ、早苗が言うから魔理沙を出してやることにする。
「あの、魔理沙さん。わたしは別に、そういう意図はなくてですね? 単に、霊夢さんが以前、『お腹すいたからご飯食べさせて』ってやってきた時の、あの不憫な顔が忘れられなくて……」
「いや、それ、聞く人が聞いたら信じるからやめとけ」
「……そうですか。じゃあ、ちょっと待っていてください、別の理由を捏造します」
「こらちょっと待てあんたら」
魔理沙はお祓い棒でずびし。早苗はでこぴんでぺちん。
扱い違いすぎるだろ……、と痛みに呻く魔理沙はさておいて、
「えーっと……まさか、そういうつもりだった?」
「え? そ、それはその……違います……よ?」
「あ、そ、そう……。そう……だよね」
「……はい」
……なぜか照れくさい。ほっぺた熱い。
私たちの、実に単純明快に真実を語り合った言葉に、魔理沙は「誰が信じるんだよそれ」とツッコミを入れてくる。
「第一、お前らじれったいんだよ。咲夜と美鈴なら、咲夜の性格のせいで見ていてじれったいけど微笑ましいっていう微妙な状況なのに、お前らみたいな……」
「魔理沙さん。それ以上、何か言い残すことはある?」
「ごめんなさい咲夜さん暴言でした」
いつのまにやらどこからともなく現れた銀髪メイドが、手にしたナイフの刃を魔理沙の喉元に突きつけている、謎の光景がそこにあった。
彼女の額には青筋が……まぁ、五、六本。
土下座して謝る魔理沙を「しょうがないわね」と寛大な心で許した咲夜は、その視線を私達に向けてきた。
「ねぇ、早苗。ちょっといいかしら?」
「あ、はい。何でしょうか、咲夜さん」
「ちょっとね。今日、あなたがここに来ていると聞いて。
本当は、もっと早くに守矢神社に伺おうと思ったんだけど、あそこは遠いでしょ? 近頃、仕事が忙しくてね。
ああ、それじゃ、霊夢。ちょっと早苗を借りるわね」
「……まぁ、好きにしたら?」
……一体、何しにきたんだろう。彼女は。
ともあれ、土下座したままの魔理沙のお尻を蹴飛ばしてから、私は縁側に、もう一度、腰を下ろす。
「……で。あんた、何が言いたいのよ」
「いや、だからな。
お前らはほんと、見ていていらいらしてくるんだよ。微笑ましいとかそんな意味じゃなくて。
何だ、あれか。我慢大会でもしてるのか」
「……我慢大会って」
「諏訪子に聞いたんだが、外の世界じゃ、『エロいものを買うのは十八歳以上じゃないといけない』らしいじゃないか」
「……何だ、いきなりその会話の飛躍は」
「『十八歳迎えた途端、早苗の部屋にそういうのが増えたよ』って言ってたぞ、あいつ。
お互い、それなりの年齢なんだから、小学生はやめろってことだ」
……それ、早苗が知ったら、こいつ殺されるんじゃなかろうか。
ああ見えて、早苗は怒ったら怖いんだよ。マジで。私でも土下座して謝るくらいなんだぞ。
……って、ちょっと待て。
「あれ? それって、もしかして、私らより早苗のが年上なの?」
「だな。一歳だけだけど」
「うわ、意外。あの子の甘ったるい性格とか見てたら、せいぜい同年代だと思ってた」
「……お前、どんだけ殺伐とした人生送ってんだよ」
なぜか、魔理沙の頬にも汗一筋。
……私は今、何か変なことを言ったのだろうか。というか、その憐れむような視線はやめろ。むかつくから。
「あの、霊夢さん」
――と、後ろから声。
振り向いて――、
「どうかしら、霊夢。あなたの感想を聞きたいわ」
「おお、化粧か。それ、咲夜がやったのか?」
「ええ、そうよ。
この前、香霖堂のご主人に会ってね。『こんなものを見つけたんだけど引き取ってくれないか』と渡されたの。男の人が持っていても仕方がないしね」
「……あの、霊夢さん?」
「おーい、霊夢ー?」
「霊夢、どう? 私の腕前は。
だけど、やっぱり元がいいのよね。早苗みたいな子なら、お化粧の方が飲まれちゃいそう」
「おいこら霊夢、何とか言えよ」
「いったぁ!?」
お尻をつねられて、私は痛さのあまり、思わず飛び上がった。
すかさず『何すんのよ!』と振り返りざまの巫女キック。しかし、魔理沙は箒を盾にそれを回避すると、「甘いな、霊夢!」と言ってくれたので、さらに追撃のドロップキックを叩き込んでやった。
……とりあえず、こほん。
「あ、あー……えっとね、早苗。うん、似合ってる! きれい、きれい!」
「何でいきなり片言になるのよ、あなた」
「……きれい、ですか。嬉しいです、えへへ」
「な、何よ! きれいなものに『きれい』って言って何が悪いってのよ!」
「はいはい、怒らない怒らない。
それじゃ、早苗。霊夢も気に入ったみたいだし、それ、あげるわ」
「え? いいんですか?」
「ええ。うちにはそういうもの、一杯あるから。
あなたも年頃なのだから、ちょっとくらいはおしゃれをしても、ばちはあたらないわよ」
じゃあね、と咲夜が消えた。
マジで何しに来たんだろうと、私が思っていると、早苗が私の隣にすとんと腰を下ろしてくる。
「……あの、わたし、こんな本格的なお化粧って初めてで……。何だか照れくさいです」
「な、何で?」
「え?
そ、それはその……ほら、お化粧って、普段は外に出ても恥ずかしくない程度にするじゃないですか?
だけど……その……霊夢さんに『きれい』って言ってもらうためにするのも悪くないかなぁ……なんて……」
「……あー」
……とりあえず、今日は真夏日だ。こんなにほっぺたが熱くて、頭がかーっとなってるんだ。間違いない。
こんな秋真っ盛りの真夏日だなんて、珍しいにもほどがある。
さて、その翌日、うちにアリスがやってきた。
何でも、昨日、魔理沙に私と早苗のことについて聞いたらしい。そういえば、博麗ドロップキックで黙らせた後、あいつがどうなったかは私も覚えていない。
まぁ、いっか。
「で、霊夢。
私はね、思うのよ」
「うん」
「あなた達、いつまでこの調子なのよ、って」
今日は、外の風が寒かったので、縁側での日向ぼっこはキャンセル。アリスを連れて、居間でのんびりお茶会だ。
ちなみに、居間は、先日、早苗がきれいに掃除してくれたのでほこり一つ落ちてはいない。私がやると、どうしても翌日には、畳の上に小さなほこりを見つけてしまうのだが、一体どういう魔法を彼女が使っているのかはさっぱりだ。
……というか、長年、この神社に住んでる私より、彼女の方が神社での勝手を覚えてきているというのが、ある意味、恐ろしい。
「いつまで、って……。
……まぁ、その……お互い、大人になるまで」
「大人になるまで、あと何年? その間に心変わりしちゃうんじゃないの?」
「……それは否定しないけど」
「あのねぇ、霊夢。そんなんじゃダメよ。
いーい? 恋愛はね、引いたらダメなの。押したものが勝ちなのよ」
「……なぜそうなる」
「あなたにとって、今のこの時間とか、この関係は普通なのかもしれないけど。
もしも、この普通が『普通』じゃなくなったら、とかは考えないの? たとえば、あなたの方に、他に好きな人が出来る、とか。
そういうことだって、ありえないことじゃないでしょ」
「まっさかぁ」
あまりにもあっさりと、その言葉が出た。
そんなわけないじゃないか、と確信できる質問だったからだ。巫女の勘はよく当たる、と誰かに言われているようだが、その私の勘が言っている。
そんな日が来るわけない、と。
第一、私の異性関係を知っているのか、アリス。自慢じゃないけど、親しい男の人なんて、霖之助さん以外には、せいぜい、麓の村のおじちゃんおじいちゃんくらいなんだぞ。
それに、私が……まぁ、その……早苗を嫌いになるとか、他の人にうつつを抜かすとか、そんなこと、あるわけがないんだし。
「……そう。それならいいんだけど」
「で?」
「……まぁ、それだけなんだけどね。
というか、いい加減、『好き』の一言でも言ったら? どっちからでもいいけど」
「……いや、それはちょっと……」
「そういう恥ずかしがりなところはかわいくていいんだけど……。
……やっぱり、早苗の方からもそういうのを言い出さないってことは何かあるのかしらね」
「何?」
「ん? ……別に何でも」
何やらセリフの後段で、私にとって聞き捨てならないことをつぶやいたような気がするのだが。
……まぁ、気にしないようにしておこう。気にしたら負けだ。
「そういえば、霊夢。あなた、普段から早苗の世話になっているのなら、たまには向こうに顔を見せにいったら?」
「ああ……そういえば、そういうのもいいかも」
「というわけで。
はいこれ」
出されたのは、小さなバスケット。何これ、とその上にかかっているレースのハンカチを取り除けば、その下には無数のお菓子。
「今度、うちで販売する新商品。早苗たちに食べてもらって、感想を聞かせてちょうだいって言ってきて」
「……お使い?」
「何か理由がある方が、顔を見せに行きやすいんでしょ」
……どうやら、アリスに、私はある意味で弱みを握られてしまったようだ。
何も言い返すことが出来ず、「……わかったわよ」とつぶやいて立ち上がる。
……ま、これもいつものお礼と考えればいい。アリスの言う通り、私はいつも、彼女の世話になっているのだから。
だから、うん。別に変な気持ちなんてないんだ。そう、そうだ、その通りだ。
「……ほんと、大丈夫かしら。この二人」
後ろのつぶやきは聞こえないふりをして、私は一人、妖怪のお山に向かうのでしたとさ。
「――とまぁ、そんな理由なんだけど……」
「おいしそー! わたし、これとこれと……あ、これも食べる!」
「諏訪子! 全員で分けるに決まってるでしょう!」
「えー? いいじゃーん。誰がどれ食べたってさー。
感想を言うのは一人でも問題ないもんねー……って、いてっ」
「全員、等分に分ける。よこしなさい」
「やーだよーだ!」
「こら、諏訪子!」
「……あの、ここじゃ騒がしいですから。その……わたしのお部屋に行きます?」
「……そだね」
どたばたやかましい居間から、私達は逃げるように離脱する。
神社の奥に伸びる通路をとたとたと行けば、『早苗の部屋。ノックすること』と書かれたプレートの張られたドアが姿を現す。
「どうぞ」
開いたドアの向こう。いきなり目に飛び込んできたのは、何かよくわからない人形の載った棚――。
「ちょっと待っててください」
ばたん。
どたばたどたばた。がたがたがたがた。
がちゃっ。
「さあ、どうぞ」
「……あの、早苗。何か汗かいてるけど大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
あははは、と笑う彼女に、微妙な感情覚えつつも、部屋の中へ。
室内は、実にきれいな『女の子』の部屋。色は暖色系がメインで、座っていて、何だかあったかくなるような空間だ。
どうぞ、と差し出されたクッションに腰を下ろして、室内を一瞥する。
「さっき見た人形とかは……」
「何のことですか?」
「いや、さっき、何か棚の上に……」
「やだなぁ、もう。霊夢さん、昼間から夢を見るのはよくないですよー」
……いや、絶対に気のせいじゃなかったと思うんだが……。
まぁ……追求するのはやめておこう。何か怖いし。
「何か難しそうな本、一杯あるね」
「ああ、これですか? 外の世界から持ってきたもので……。わたし、学生だったから」
「へぇ。
数学……A? ……うわ、さっぱりわからん」
「あはは……。わたしも、数学は苦手でした」
その代わり、国語は得意でした、えへん、と胸を張る彼女。
……なるほど。ということは、この本のふちとかがたまにくしゃくしゃになってるのはそういうことか。
「あ、これ、早苗の写真だよね」
「はい」
「うわ、かわいい。何、この服」
それは恐らく、外の世界にいた時に、友達と写した写真なのだろう。何やらかわいい服に身を包んで、カメラに向かってピースしてる早苗たちの姿があった。
「あ、それ、うちの学校の制服です」
「へぇー。
ねぇねぇ、どんなの?」
「今も持ってきてるんですよ。えっと、確かここに……」
部屋の右手側にあるクローゼットのドアを開けて。
がたがたがたん。
……何やら、中から転がり落ちてくる四角い箱の山。
それを見て、早苗の動きが完璧に停止した。
「……何これ? えーっと……『1/100 MG』……」
箱に書かれていた文字を読もうとしたら、一瞬の間に、早苗に奪い取られた。
「こ、これはその……ああ、大変! こんなところにごみがたくさん! 捨てなきゃー!」
「いや、っていうか、それ、めちゃめちゃ一杯あるんだけど……」
「神奈子さまー! ゴミ袋持ってきてくださーい!」
そのクローゼットの奥の方に段ボール箱が一つ。『早苗の宝物』と書かれた紙がぺんと張られている。
――しばしの沈黙。
「……ごめんなさい。わたしの趣味なんです……」
「いや、謝られても……」
「うわぁぁぁ~ん! 霊夢さんに見られたぁぁぁぁ~!」
「いや泣き出すほどのこと!?」
慌てて早苗をあやして、何とか事を収めてほっと一息。
っつーか、早苗を泣かしたなんてことが、意味こそ違えど、あの親ばか神に知られようものなら、間違いなく私はすり潰されるだろう。
何だ、このどきどきイベント。心臓が張り裂けんばかりの鼓動じゃないか。
「何つーか……いつぞやの異変の時も、あんた、はしゃいでたわよね」
「うぐ……あれは、その……」
「というか、これ、何?」
箱の中に収められた物を取り出す。
……人形、だろうか。プラスチックで出来たそれをぺたぺた触っていると、
「あ、扱いには気をつけてくださいね……? それ、もう売ってない限定版……」
「……やっぱり、大切なものなのね」
「うぅ……そうなんです……。嘘ついてごめんなさい……」
外の世界の女の子は、こういう人形が好きなのだろうか。
その辺り、よくわからないが、私の人形をいじる手を、早苗がはらはらしながら見ているのを見る限り、これは彼女にとって、よっぽど大切なもののようだ。壊さないうちに、丁重にお返ししたほうがいいだろう。
「まぁ、アリスも人形いじるのが趣味だし。いいんじゃない?」
「……いえ、その……この趣味は、アリスさんの趣味とはだいぶ違うものでして……」
何がどう違うのかはわからないが、とりあえず、それ以上の追求は避けることにする。
ともあれ、早苗はクローゼットの中から制服なるものを取り出すと、「これです」と私に手渡してくれた。
「へぇ~……。直に見ると、やっぱかわいいのね」
「この制服が着たいからって理由で、わたしの通っていた学校に入学してくる子も多かったみたいです」
「ねぇねぇ、着てみせてよ! 見たい見たい!」
「え? こ、ここでですか?」
「うん! ほら」
「あ……じゃあ……その……ちょっと後ろ向いていてください」
「……あ、ああ。そうね」
言われて、後ろを向く私。
……そうして、背後から『しゅるっ』だの『ぱさっ』だのという音が聞こえてくるたびに、胸がいや~な鼓動を刻む。
……落ち着け、落ち着くんだ、私。振り返るのは我慢だ……我慢……!
「あの、いいですよ」
己の中の何かと必死の殴り合いを繰り広げていた私は、その瞬間、その勝負を放棄して振り向いた。
視線の先に、早苗の姿。
「……おおー」
普段、見ている彼女は巫女服姿だけ。せいぜい、寝巻き姿程度の違いしか、彼女の『違い』を知らない私に、それは新鮮な刺激だった。
うん。一言で言おう。
写真で見るより、ずっとかわいい。
「いや……こう言うのがおかしいかもだけど……。
早苗、すっごいかわいい!」
「あ、ありがとうございます……」
「へぇ~……。これが制服かぁ」
「な、何か恥ずかしいですね。そんな風に感動されると……」
「私も着られるかな?」
「着てみますか?」
「うん、着てみたい!」
これはなかなかいいかもしれない。もしも、私も早苗みたいに『変身』出来るのかと思ってしまうと、何だか胸がどきどき高鳴ってきた。
早苗から渡されるそれを受け取って、早速、試着スタート。
「……あの、霊夢さん。脱ぐなら脱ぐと……」
「……あ、ごめん」
……する前に怒られた。
いや、普段なら、相手が同性で、しかも気心の知れている相手なら裸の一つや二つ、見せるのは苦にならないのだが……早苗は別。恥ずかしい。うん。
早苗が後ろを向いたのを確認してから、服を脱いで、借りたそれに袖を通して。
……くそ、胸元がぶかぶかだ。なのに腰がちょいきついとかありえんだろう……。
ちょっぴり肩を落としつつも、着替え終了。
「わ、霊夢さん、似合いますね」
「そ、そうかな?」
「そうなると……ちょっと、いいですか?」
「な、何?」
「髪型も変えてみましょうよ。これ、ロングのほうが似合うんですよ」
はい、座って座って、と早苗に促されるまま腰を落とす。
「うわ~……髪の毛つやつや……。うらやましいなぁ」
「ひゃっ」
私の髪の毛を一房、彼女は手に取ると、自分の頬に押し付ける。
「ち、ちょっと。恥ずかしいからやめてよ」
「あ、ごめんなさい。
それじゃ、今、くしを入れますね」
リボンを解いて、何となくぼさっとした感じに髪を下ろす。それに、彼女がくしを入れてくれると、あら不思議。ぼさぼさロングがしっとりストレートに。
「やっぱり、こっちの方が似合いますよ、霊夢さん! うわ~、かわいい~!」
「そ、そう……かな?
そ、そういう早苗こそ、リボンとかでまとめたりとか……」
「あ、じゃあ、やってみようかな。
お願いしていいですか?」
はい、と手渡される、私のリボン。
……いいのだろうか。いや、いいんだろう。渡されたんだから。
それじゃ、動かないでね、と早苗の髪の毛をとって、リボンでひょいひょいと。心持ち、普段、私がまとめるようにやってみたのだが……。
「……あのさー」
「はい?」
「何で、私と同じ髪型にしたはずなのに、あんたの方が大人っぽく見えたりするのかなー……?」
「さ、さあ……?」
「……これが元の素材の違いってやつか」
ははは……。
な、泣いてなんてないんだから! これは心の汗なんだからね! 勘違いしないでよねっ!
「早苗、お菓子とジュースを持ってきた……んだけど……」
「あ、神奈子さま……」
「……霊夢。人間、生きている間は色々ある。くじけないように」
うるせぇちくしょう!
「あ、これ、アルバム?」
「あ、そうです。一応、持ってきたんですけど……」
「見ていい?」
いいですよ、なんて彼女が答える前に、彼女の部屋の本棚からそれを取り出す。
と、後ろから早苗に「霊夢さん、ぱんつ見えてます」と怒られてしまった。
「……だって、この服、スカート短いんだもん」
「ちゃんと見えないように気を使ってください」
私の格好は、ストレートロングに早苗の制服のまま。お尻をぺんとはたかれて、私は苦笑した。
というか、外の世界の人間ってやつは、みんなこんな風に短いスカートを穿いていたりするのだろうか。咲夜みたいに、誰も彼もが鉄壁だったりするんだろうなぁ、と思ったり。
「これ、いつの?」
「二年くらい前だったかな。わたしが高校一年生の時のです」
春から始まる一年間を収めたもの、とのことだった。
たくさんの友達と一緒に写っている写真の多いこと。そして、そのほとんどが笑顔だった。きっと、楽しい生活、送っていたんだろうなぁ、なんて思いながらページをめくっていく。
……と?
「ここは飛ばしましょう」
「いやちょっと待って。何か今、変わった格好をした早苗が写っていたような……」
「さあさあ、夏のこの時期は飛ばして、秋に行きましょう。あ、冬の時期のごく一部も飛ばしましょう」
……何なんだろう、一体。
というか、その写真に写っている早苗の笑顔が輝きまくっていたような気がするのは気のせいなんだろうか。
「何か楽しそうだね」
「そうですか?」
「早苗っぽい顔が多い」
わたしっぽいってどんな顔ですか? と自分の顔を触りながら、彼女は尋ねてくる。
もちろん、答えてなんてやらない。さあね、なんて答えを返すと『ひどいです』と彼女は頬を膨らませてふてくされてくれた。
「そういえばさ、早苗」
「はい?」
「あんた、外の世界にいた時に恋人とかいた?」
「……いない、ですね。周りの友達にはいたりいなかったりでしたけど」
「……そっか」
しばし沈黙。
「……あのさ。そのー……」
辺りをきょろきょろ見回して。
あの親ばかの姿も、いたずら好きの神様の姿もないことを確認してから、大きく息を吸って。
「……私のこと、好き……?」
……言った! 言ったぞ! これで文句ないだろ、魔理沙、咲夜、アリス!
私の一世一代の発言に、早苗は顔を真っ赤に染めて、ふいっと視線を逸らしてしまった。当然、私も彼女の顔なんて見てられなくて、視線を逸らしてしまう。
一分、二分、三分。時が過ぎていく。
かちこち鳴る時計の音が、やけに耳障りに響く中――、
「……じゃあ、霊夢さんは……わたしのこと……好き、ですか?」
……………………………………。
そうきたかっ!
まさか、その返し技があるとは……。いや、待て、落ち着け。むしろ今のこれはチャンスのはずだ。
よし……言うぞ、気合を込めて……!
「……す、好き……だとしたら?」
……ダメジャン。
何でそこでへたれるかなぁ、自分!? レミリアだのさとりを笑えないぞ、これは!
「……わたしも……好き、です……」
またもや沈黙。
……よーし、落ち着け、落ち着いてタイムマシンを探すんだ、自分。
今の早苗のセリフを、もう一度、自分の耳で聞かなければ。あれ、どこだタイムマシン、ないじゃないか。
「えっと……本気……で、いいんだよ……ね?」
「……じ、冗談で、こんな恥ずかしいこと……言いません……」
ぎゅっと、手を握られた。
まっすぐに視線を向けられ、思わず、息を呑む。
……あー、心臓、うるさい! 一度くらい止まれ! 静かにしろ!
早苗は一度、息を吸うと、静かに瞳を閉じる。
……え、あれ? これって……あれですか? いや、まぁ、それはそれでいいんだけど……。
――よく考えろ、自分。そうだ、確かに彼女がこういうことを求めるのは普通だ。第一、これまで……えーっと……そういうことした時って、全部、早苗からだったじゃないか。
女を見せろ、博麗霊夢!
「……し、失礼します……」
……ダメだ、へたれだ、私は。
だが、ここで引くつもりなどない! 私は決めたんだ!
意を決して、早苗の肩を抱き寄せる。そして、目を閉じて、そっと……そっと、彼女に顔を近づけて……。
――がちゃんっ。
……がちゃん?
「つめたっ……」
「あ、ご、ごめん!」
足下のジュースを蹴倒してしまっていた。
慌てて飛びのく早苗。当然、私もそれに釣られてバランスを崩して、どんがらがっしゃーん。
「あいっつつつ……。
わっ、早苗、ごめん! 大丈夫!?」
「は、はい、大丈夫です……」
――つと、時間が止まったような気がした。
「……あの、霊夢さん?」
私の下になった早苗が、何だか恥ずかしそうな顔を浮かべて視線をそらす。
思わず、ごくりと喉が鳴った。
自分に自制を促す私と、このままいっちゃえ、と急かしてくる私と、その二人の私が、私の中で争っている。
……えっと……どうしよう……。
早苗……嫌がってない……よね? 嫌なら、私のことを押しのけるとか簡単だし……それ以前に、『どいて下さい』とか何とか言ってくるはずだし……。
だから、その……これって……大丈夫ってことだよね?
視線が外せないでいる私に気づいたのか、早苗が逸らしていた視線を、私に戻してくる。そして、何かを覚悟したかのような表情で、小さくうなずいて。
……う、うん。いいんだよ……ね?
「早苗……」
思わず、彼女の名前を小さくつぶやいて、そっと、顔を近づけていって――その、何とも言えない甘酸っぱい瞬間に。
「ねぇ、早苗ー。お菓子余ってないー? あれだけじゃ足りない……」
ノックもせずに、ドアを開けてくれるケロちゃんが、何とも素晴らしいタイミングでそこに現れたりするわけで。
彼女の瞳は、私達へ。
「おっと、こりゃ失礼。お邪魔だったかな」
「ま、待て! 勘違いするな!」
「早苗、真昼間からとはなかなかやるね!」
「ちっ、違います違います諏訪子さま! こ、これはその、あの何というか……!」
「わたしが名付け親になるからね!」
それじゃお幸せに~。ばたん。
沈黙。
海よりも深い沈黙。
「……どう見えてたのかな、この光景」
「……霊夢さんがわたしを押し倒している以外、他の何にも見えないかと……」
「………………えーっと」
「……も~う!
霊夢さんの根性なしーっ!」
「うわわっ!?」
「どうしてそうなんですか、霊夢さんは! わたしが、その……い、色々……アレしたのに……!
あ~、もうっ! 霊夢さん、そこに正座っ!」
「は、はい!?」
「せ・い・ざーっ!」
……その後、正座させられて怒られました。はい。早苗さん、怖いです……。
っていうか、私のせいなのかやっぱり!?
「……咲夜、ありがとう。私、あなたのこと、誤解してたわ」
「どういう意味かしら、それは」
頬に汗を一筋流しながら、メイド長は憮然とした口調でつぶやいた。
――その日の午後の紅魔館。
そこに、霊夢と早苗の姿があった。……のだが、両者のついているテーブルは別の上、早苗は現在、彼女がついている、テラスの一角に置かれたテーブルにて午後のティータイムを満喫中。そして、テーブルの上には、山のようなプチケーキ。
霊夢のおごりである。
「何で私がこんな目に……。私、何もしてないのに……」
「むしろ、何もしてないから怒ったんじゃないの?」
かくかくしかじかたる理由を聞いている咲夜は、涙を流す霊夢に向かってつぶやいた。
あの後、霊夢は早苗にこっぴどく叱られ、『罰として、わたしにケーキをご馳走してください!』と言われてしまったのだ。
彼女には逆らうことが出来ず、もはや半ば以上、テーマパークと化して久しい紅魔館へと連れてきて、彼女に『お昼のケーキバイキング』(先着20名様限定)をおごることになってしまったのである。
ちなみに、代金は、咲夜に事情を話したところ『利子なしツケ』で収まることとなった。
「何でよ!?」
「いや……普通、そこまでいったらその先を期待するでしょう」
特にあの子なら、と咲夜。
なお、霊夢と咲夜の二人は、早苗からだいぶ離れたテーブルに座って作戦会議中(ただし、霊夢による自称)だ。
「いやいや、それはおかしいわよ! だって、ほら! 早苗だって『そういうことは大人になってから』って言ってるのよ!?
だから、その……あ、あれはノーカウントよ! ちょっとした事故だったの! 思いとどまった私たちは偉いのよ! わかる!?」
「……あなたって、意外と本音と建前に気づかない人間よね。
いつもの勘の鋭さはどうしたの」
すっかりなまくらになってしまっている彼女の勘は、『そういうこと』に、とかく反応しないものであるらしい。便利なのか、はたまた単にいい加減なのか。
「誰も見てなかったんでしょ? だったら、ちょっとくらいいいじゃない。青春の勢いに任せたって、誰も何も言わないわよ」
「いや……その『ちょっと』で、人生、大きく変わると思うんですけど」
「だけど、あんまりにもあんまりだと、逆に相手の熱も冷めるのよ?」
「だって。どう思う?」
「メイド長は人のこと言えないわよ」
「そうよね。美鈴さまが大人だから大丈夫なのに」
「けれど、先駆者という意味では、メイド長も先輩だから」
「一応、実のあるアドバイスなのかしらねー」
「うるさいわよそこ!」
顔を真っ赤にして、ひそひそ話をするメイドたちに投げナイフを一発。しかし、そこはいつも通りの恋する乙女のメイド長。投げられたナイフは彼女達に当たることなく、建物の中のどこぞへと消えていく。
「……全くもう」
「あんた、顔、赤いぞ」
「今のあなたにだけは言われたくないわ」
「うぐ……」
そういわれると弱いのか、沈黙する霊夢。
そうして、しばしの沈黙の後。
「……いいじゃない。ちょっとくらい勇気を見せてあげたら?」
「……う~ん……」
「あなたは安心しているようだけど、あの子だって年頃なのよ。他に魅力的な人が出てくれば、あなたみたいな引っ込み思案を捨てて、なんてことを考えてもおかしくないわ」
「……それは困る……」
「でしょう?
なら、言い方は悪いけど、しっかり囲っておきなさい」
はい、これは私からのエール。
渡されるのは『美味しい』と評判の紅魔館のケーキの中でも、特に美味しいとされる特製いちごショート。ちなみに、某お嬢様ですらめったに食べられない代物だ。普段のお茶に出すものとは、また違うものであるのがその理由である。
「……ありがと」
「どういたしまして」
「……っつーか、あんた、性格変わってない?」
「あなたに言われたくないわ」
ぺちん、と軽く掌ではたかれて、霊夢は『いてっ』とつぶやいたのだった。
――さて。
「……もう」
ケーキを食べつつ、早苗の視線は霊夢の背中に向いていた。
彼女は、現在、何やら咲夜と作戦会議中だ。その声は、その場の種々様々な声に混じって聞こえてこない。
「……第一、何であそこまでいっておいて……。霊夢さん、普段は意外とやる時はやる人なのに、こういうことは子供なんだから……。
……全くもう。そうよ、何でわたしばっかり、こんなやきもきしないといけないのよ。……そりゃ、わたしの方から、色々、近づいていったのは事実だし……。それを強要するのも間違ってると思うけど……」
だからといって、納得しないのが女心。誠、人間の心というのは難しい。
ぶつくさ文句を言う彼女へと、一人のメイドが視線を向け、「どうぞ」と紅茶のお代わりを入れてきた。視線を彼女に向けると、「サービスです」と、チャーミングなウインクをして、彼女は建物の中に消えていく。
「……はぁ。やっぱり、わたしの方からリードしていくしかないのかな」
わたしの方が年上みたいだし。
やはり、こういう時、手綱を握るのは年上の役目なのだ。――と、彼女がこれまでに読んできた恋愛ものにも書いてあったような気がする(ちなみに、参考書物は少女漫画である)。
「けど……」
やっぱり、相手にリードしてもらいたいな、という気持ちもあったりする。これはたぶんにわがままなのだが、やはり自分としては、『一歩下がった妻』をやりたいらしい。
亭主関白(そもそも、亭主、という言葉が正しいのかもわからないが)を望むわけではないのだが、色んな意味で、この郷においては一日の長がある霊夢を立てておきたいらしい。彼女なりの、それは気遣いというものか。
もちろん、それが余計な気遣いだろうと言うことには、早苗自身、薄々、気がついているのだが。
「……霊夢さんが前に出てこざるを得ない状況になればいいんだろうけど……」
「大変ですねぇ」
「あ、わかりますか。
わたしも、もうほんと、どうしたらいいのか……。いえ、わたしも人にとやかく口出しできるほど、恋愛してきてるわけじゃないんですけど……。いざ、その当事者になってみたら……って……わっ!?」
「どうも。お話が聞こえちゃいました」
「え、えっと……」
にこっと微笑むのは、背中にぱたぱた動く羽がついた女性。
彼女は「小悪魔と、回りには呼ばれています。気軽に『こぁちゃん』でもいいですよ」と言って笑うと、失礼します、と早苗のついているテーブルの椅子
を引く。
「お二人のお話は聞いてますよ。主にパチュリー様から。
『いまどき、これほど王道突っ走ってるカップルはいないわ。ツンデレとかもいいけれど、大昔の少女漫画が売れ続けた理由を考えるのよ!』って、よく言われます」
「……は、はぁ」
それにはどんな反応をしたらいいものやら。
声と顔を引きつらせる早苗に、にっこりと、小悪魔。
「待つのも女の鑑ですけれど、たまには引いてみるのもいいかと」
「……引く……」
「気心の知れている……そうですね、そういう経験値の高そうな方にお願いしてみてはどうでしょうか。『霊夢さんを嫉妬させてくれ』って」
それってつまり、そういうことか。
早苗の頭の中に浮かんだ想像は、なかなかにきつい光景。慌てて、「そんなの絶対にダメです!」と声を上げてしまう。
「うふふ。冗談です」
ぺろりと舌を出す小悪魔の顔は、まさに『小悪魔』だった。
彼女、一見、人畜無害に見えて、実は結構、性根の部分では『やり手』なのかもしれない。
「とはいえ、このままじゃ、あの紅白さんは何にもしてきませんよ。困っちゃいますね」
「……う、う~ん……」
「どうでしょう。いっそのこと、夜に乗じて……」
「へっ!?
い、いやいや、そ、それはちょっと!? っていうか、未成年がそういうのは……」
「はぁ、そういうものですか。
私のお友達なんて、5歳くらいの時から人間の男を引っ掛けて精気抜いてましたけどね」
ちなみに、今は立派な淫魔やってます、と小悪魔。
いや、それってそういうものなんじゃなかろうかと早苗は思ったが、とりあえずコメントするのはやめた。なぜだか、言うと果てしなく疲れそうだったのだ。
「あとは……強引な手段、というのもいいと思いますけどね。悪魔風の手でやれとは言いませんけど」
「……ちょっと恥ずかしいことですね」
「いえいえ。殺して魂を奪い取ってしまうんですよ。
そうすれば、永遠に、相手は自分だけのものですから」
そういうこともさらりと言えてしまうと言うのは、やはり、この彼女の根っこの部分は悪魔なのだということを再確認できる事実だった。さすがに、その発言には早苗も沈黙してしまう。
「恋愛なんて、結局は、その辺りにまで突き詰めるものですからね。相手の人生をもらうんですから。言ってみれば、その人の人生を殺すも同じ。お互い同意の上で胸を刺しあうか、意思を得ずに一方的に刺し殺すかのどっちかでしょう」
私は前者が好きですけどね、と小悪魔。
聞けば、やはり、好きな相手を殺してしまった友人一同は、その後、かなり悲惨な人生を送っているらしい。誰かから責められるというわけではないのだが、悪魔なのに純潔を貫き、一人、家にこもって出てこないものもいるとか。
自分としては、知り合いの幸せを応援したいというのが、前者を選ぶ一番の理由なのだと締めくくる。
「押せば引く。だけども、引けばそのまま引いていく。
けど、それもいいんじゃないですかね。早苗さんがやきもきするのはわかりますけれど、長い目で見守ることを、そもそも宣言したのはあなただって言いますし。
ぐーるぐーる回っていれば、そのうち、どっちかが目を回して倒れますよ」
以上、小悪魔お姉さんのアドバイスでした、と彼女は笑顔を向けて席を立った。
少しの間、その場で逡巡していた早苗は、つと立ち上がって、霊夢の元へ歩いていく。
「……いや、だから、そこはちょっと……」
「いいえ、霊夢。この際だから……」
「霊夢さん。帰りましょう。
お腹一杯になりました」
「へっ!?
あ、ああ、うん。そうね」
何だか露骨に『ちっ』という顔をする咲夜。一体、どんな会話をしていたのか、実に気になるところだった。
早苗は霊夢を立ち上がらせると、その腕をとって、自分の腕を絡める。
「……あ、あの~……これは一体……」
「せっかくですから。
明日、デートしましょう。大丈夫、お姉さんがリードしますから」
「にぇっ!?」
「よくわかったわ、早苗、それに霊夢。紅魔館が全力でバックアップするから、その辺りの厄介者の邪魔は気にしなくていいからね」
「ありがとうございます、咲夜さん。
さ、帰りましょ」
「い、いいいいやあの、デートってその……!」
早速、二人の後ろで咲夜が「紅魔館メイド部隊! 『The Lovers』集合!」と声を上げる。一瞬の間に、ざざっ、と無数のメイドが現れる中、早苗は霊夢を引きずるようにして紅魔館を後にした。
――別に、そんな物騒なこと、するつもりはないわよ。
彼女は内心でつぶやき、隣の霊夢を見る。
『……デート……デート……デート……』と、何やらうわごとのようにつぶやいている霊夢を見て、小さく笑う。
そう。これは、言ってみれば『狩り』だ。
自分は弱いねずみを追い詰めるねこの役。当然、追い詰められたねずみは、力を振り絞ってねこに噛み付いてくるだろう。
「後ろに下がれなくしちゃえばいいのよね」
うふふ、と笑う早苗の顔は、何だかものすごく嬉しそうであると同時に、誰がどう見ても『小悪魔』な顔だった。
その日の夜、私は紫を呼んだ。
理由など簡単だ。『早苗とつりあう服を貸して』。
いや、デートとか、そういうことについてはアリスを頼ったのだけど。しかし、彼女でも『現代風の衣装なんて持ってないわよ』と言ってくれたのだ。
……まぁ、考えてみれば当たり前だ。早苗が持っていた、あの『制服』というものだって、アリスに話をしたら目を輝かせていた。『そんなかわいい服があるなら、うちの子たちに着せてあげたいわね』というのがその理由である。
まぁ、それはともあれ、そんな、私の知り合いでも数少ないおしゃれマニアのアリスですら早苗の『おしゃれ』には理解が及ばないのだ。そうなると、私が頼れるのは、外の世界にも好き勝手行ってこられる紫になってしまうのだ。……かなり癪だけど。
紫は私の話を聞くと「あきれた! 情けないにもほどがあるわ!」と、たっぷり1時間説教してくれた。やれ、『相手の子に恥をかかすな』だの、やれ 立ち位置的に旦那はあなたなのに奥さんにリード取られてどうするの』だの、挙句、『そんな情けない子に育てた覚えはありません』だのと。
……結局、それでも何だかんだで、彼女は服を貸してくれた。それについては感謝するしかあるまい。
そして、夜中中、悩みに悩んで、色々『でぇとぷらん』なるものを模索した頃、すでに外は明るかった。
「……うぉぉ……死ぬ……」
どこぞの吸血鬼お嬢様じゃないが、朝日がまぶしくて仕方ない。
寝たい。5分でいいから寝たい。
だがしかし、ここで寝たら半日寝ていられる自信がある。そうなったらどうなるか。
早苗に怒られるわ紫に怒られるわアリスに怒られるわ咲夜に怒られるわで、とりあえず、一日どころか二日三日は、この博麗神社から怒鳴り声が絶えることはないだろう。
……頑張れ、自分。徹夜くらいでへこたれるな、自分。
ふわふわと、まるで足下が揺れているかのように、どうにも体がぎこちない。たとえるなら、まだ夢の中にいるかのようだ。
「……よし、何とかなる」
幸い、隈は出ていない。顔はいつもの私だ。
とりあえず、頑張ろう。何を頑張るのかはわからないが。
……そうだ、私は、あの雨の中、あの子に手紙を渡しに行ったじゃないか! あの時の苦難を考えればなんて事はない!
それに、デート? ただ会ってお喋りする程度じゃないか! いつも……とは言わないけど、よくやってることだし! 何とかなるなる! 絶対、大丈夫!
「よっし! まずは朝ご飯……!」
……と、意気込んで氷室の中を見に行けば、すでに前日の段階で、備蓄していた食糧すっからかんにしたのを思い出したのだった。
……あかん、いきなり決意が揺らいできた……。
しかし、そこは秋のパワー。
野山に分け入り、ちょっとそこらを散策すれば、あちこちに秋の恵みがどっさりと。朝食を彩るには充分なくらいの食材片手に家に戻り、いただきますからごちそうさまを経て、私は出発した。
「……変な格好じゃないよね。顔とか大丈夫だよね」
咲夜からもらった手鏡で、空を飛びながら、何度も何度も自分の姿を確認する。
衣装は、まぁ、最悪どうでもいいと言えばどうでもいいが、顔色とかはちゃんとしておかないとやばい。早苗のことだ、私がちょっとでも具合の悪そうな顔をしていたら『今すぐお医者に行きましょう!』と手を引っ張ること請け合いだ。そしてその傍にいるバカ親から『うちの早苗を心配させるとは何事だっ!』と雷直撃である。
……しかし、あいつもほんと、神様らしくない神様だよなぁ。
ともあれ、そんなことを考えていると、視界の片隅に見慣れた奴の姿が現れる。それはぐんぐん私に近づいてきて、
「今日も幻想郷の空を西東! 伝えるべき真実はいつも一つの文ちゃんですっ! さあさあ霊夢さん、まずは私のインタビューに……!」
「いいから帰れ!」
「甘いっ!」
「ちぃっ!」
「甘いですよ、霊夢さん! 空戦における天狗の強さ、あなたもそれはわかっているはずです! そんなパンチで、文ちゃんを捉えることは出来ませんよはっはっはー!」
「あ、向こうに特ダネ」
「え、どこどこ!?」
「隙ありぃぃぃぃぃぃっ!」
「謀ったな博麗霊夢ぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
文々。新聞に栄光あれぇぇぇぇぇぇぇぇ! と叫んで墜落していく文。どっごーん、という音が響いた、その5秒後、「で、よろしいですか?」とあっさり復活してくる。
……恐ろしいな、こいつは。まさか、私の烈風巫女正拳突きをまともに食らって復活してくるとは……。
「あんた、その自分の不死身っぷりをネタにした方が受けるんじゃないの?」
「あっはっは。やですねぇ、霊夢さん。この程度、すごくも何ともないですよ」
いやすごいだろどう考えても。
しかし、私の至極当然のツッコミもなんのその。彼女は『それではインタビューです!』とペン先突きつけてくる。
「今日はどこへお出かけですか!? 何だかすごく変わった服装をしていますけど!
あれですか、デートですか!? デートなんですね!? 羨ましいなぁ、このこの! 相手は誰ですか! さあさあ!」
「うるっさーい!
ああ、もう、隠すつもりもないわよ! 早苗よ、早苗! 何か文句あんの!?」
「おお! なるほど!
霊夢さん、ついに身を固めるご決心を!」
「なぜそうなる!?」
「いやいや、わかってます、わかってますよ、霊夢さん。
何せ、霊夢さんがお付き合いをするとなると、私たちの知っている人のうち誰か、と誰もが思ってましたからね。
なのに、ここに来て新たなダークホースの出現! となれば、すでにその決意を固めているととるのが定石でしょう!」
「捨ててしまえ、そんな定石……って……。文、今、なんて?」
「へ?
ダークホース?」
「何でよ!?」
思わず、私は彼女の肩を掴んで叫ぶ。文が『いたたたた!』と悲鳴を上げたことから、相当、その手には力がこもっていたのだろう。
だが、今はそんなことは関係ない。
「あんた、散々、私たちのことからかってたじゃない! 何で、そこでいきなり『ダークホース』扱いするのよ!?」
「ち、ちょっと待ってくださいよ! その……えーっと……早苗さん? 私、そんな方のこと、知らないのですけど……」
「冗談にも程があるわよ」
「……い、いえ、本気で……」
かなり、殺気のこもった眼差しをしていたのだろう。文が肩を萎縮させ、声を小さくするほどに。
「第一、あんたが知らないはずないじゃない! あんたらの山でしょう!」
「……えーっと……それって、私たちが住んでる山のことですよね?」
「そうよ。
そこに神社があるでしょ」
「ええ、ありますね。面白い神様がお二人いらっしゃいますけど……」
「そこに、その神様二人を世話したり逆に世話されたりする、私たちと同じくらいの年頃の女の子がいるでしょ。
ったく、何をボケて……」
「……はあ。アルバイトの方ですか?」
そこで、またもしばしの沈黙。
……文が嘘をついたり、冗談を言ったりしているようには見えなかった。彼女の瞳は本気だ。本気で『何のことかわからない』という顔をしている。
待て。
ちょっと待て。
どういうことだ。
昨日の今日だぞ?
そんなことがありうるもんか!
「だから、早苗よ、早苗! 緑の髪した子!
甘ったるい性格で、たまにちょっとSのスイッチ入ったりするけど、基本、女の私たちから見てもかわいい女の子! あんただって、あの子と仲よかったじゃない!」
「……天狗仲間に、そんな知り合いいたかな……」
「文!」
「……ごめんなさい、霊夢さん。申し訳ありませんが、本気で、私はその方のことを存じません。
普段は皆さんに、『ゴシップ』だの何だの色々言われてる私のジャーナリズムですけれど、それでも、記者として、嘘はつきません。信じてください」
「……どういうことよ……」
事情が全く理解できなかった。
私は文の手を掴むと、「ちょっとこい!」と彼女を連れて、一目散にあの神社に向かう。その時ばかりは、文も「ち、ちょっと急ぎすぎですよー!」と悲鳴を上げるほど、私はあせっていた。
大慌てで到着した守矢神社。着地に失敗して顔面から石畳に墜落する文はほったらかして、社殿の方に向かう。
「神奈子、諏訪子ー! ちょっと、いるー!?」
「何だ、朝から騒々しい」
「ふぁ~……うるさいなぁ……。何か変なかっこした巫女がいる~……」
「ちょっと、私の質問に答えて!」
「……こっちは忙しい。手短にな」
文に話したこと、そして、今の自分の知っていることを可能な限り、私は話した。
手短に、を心がけたつもりではあったが、多分、そうなってはいなかっただろう。頭に血が上ってしまっていて、私はそれどころじゃなかったからだ。
何度も何度も言葉に詰まったし、一度、話したことを何回も繰り返したように思う。
……それを、じっくりと聞いていてくれていた神奈子が、やがて、言う。
「すまない、霊夢。お前の言っていることがよくわからない」
「……嘘」
頭を、がん、と何かで殴られたような気がした。
そんなはずはないのに、全身から血の気が引いていく感じがする。さっきまで高ぶっていた頭が、一気に、急速に冷却されていく。
息が苦しい。胸が痛い。
バカな。こいつ、何を言ってるんだ。神様のくせに嘘をついてるのか。
そんなこと、あるわけがない。そんなこと、あるはずがないじゃないか。そんなの……!
「嘘じゃない。神は嘘をつかないぞ」
……だが、私の儚い願望は、まさしく人の夢と消えた。
神奈子の、冷静な、だけど冷徹な一言が、私を一気に突き落としていく。
「だ、だって……あんた、あんなにかわいがってたのよ!? 私の自慢の娘だ、って言ってたじゃない!」
「……そう言われても……。
あいにく、私は子供を作った覚えはないし、そもそも神として、一人の人間に心を砕くこともない。薄情かもしれないけどね。
だから、霊夢。あなたの言う『早苗』という子のことは……」
「諏訪子!」
「わたしも知らないなぁ。
あ、何その目。信じてないでしょ。
わたしも神様だよ、霊夢。言っておくけど、あんたよりは記憶力があると思っているし、この長い人生で起きたことは全部覚えているつもり。ついでに、わたしも嘘をつかないよ。
第一、わたしだって人間とまぐわったことなんてないよ。何だって……」
「もういい! ちょっとお邪魔する!」
「あ、こら! 靴は脱ぎなさい!」
ダメだ、話していても埒が明かない。
彼女たちを無視して、私は神社の中へと上がりこんだ。目の前の神様達に不敬を咎められるけれど、もうそんなこと、知ったことか。
必死に建物の中を走って、先日、招き入れてもらった早苗の部屋の前にやってきて。
「……普段は隠してるのよ」
そのドアに、あのプレートがないことを確認する。
……そんなことあるはずがない。
私の意識は、その事実をなかったものにした。自分に言い聞かせるようにつぶやいて、私は、ドアを開けて――、
「その部屋は物置だよ、霊夢」
「……一体どうしたの。あなたらしくもない」
追いついてきた神様二人が、私にそう言った。
部屋の中は、何だかよくわからないものがごちゃごちゃに詰め込まれた、乱雑な空間になっていた。
昨日見た、あのかわいらしい部屋はどこにもない。早苗が大事にしていた、何かよくわからない人形も、彼女の姿を収めたアルバムも、あのかわいらしい服だって。
何もなかった。
「あ、ちょっと!」
ぷつん、と私の中で何かが切れた。
「霊夢、しっかりしなさい!」
響く声が、耳からではない、どこか別の場所から私の中に入ってきて、そして、抜けていく。
「ちょっと、そこの天狗も手伝って!」
全身から力が抜け、意識が吹っ飛んでいく。
「は、はいはい! わかりました!」
そして、一気に足から力が抜けた。
私はその時、どんな顔をしていたんだろう。
響く声が、遠くに去っていくような感じがした。受け入れたくない事実を前に、私は全てを遮断してしまったのかもしれない。
……そんな事実があるわけない。そんなの嘘だ。悪い冗談だ。みんな、私のことをからかって遊んでいるんだ。
私はそれを信じて、信じ続けて……だけど、その想いに寄る辺のないことを知ってしまって。
そして、私はそれを認めざるを得なくなってしまったのだ。
あの子が……早苗が、いなくなってしまったなんてこと……。その、死ぬことよりも辛い、この現実を……。
目が覚めた時、私は布団の上に寝かされていた。
すぐに視界に映ったのは永遠亭の医者の姿。彼女は「起きられる?」と、優しく声をかけてきた。
うなずいて、布団の上に体を起こす。ひどく、体がだるい。
「……何日過ぎた?」
「三日。
よほどショックなことがあったのね。体が、あなたの心を守るために、一旦、機能を停止したみたい」
「……たはは。半分、死んでたってことね」
「そうね。
あなたのお見舞い、たくさん来ていたわ。みんな、ものすごく驚いていたわよ」
「……ねぇ、永琳。その中にさ、緑色の髪をした子、いなかった?」
「大妖精ちゃん……だったかしら? それとも……」
「……いや、いい。来てないならいい……」
「……そう。
今、ご飯を用意させるから。まだ少し寝ていなさい」
こういう時の彼女は、まさに永遠亭のお母さん。言葉一つ一つが優しくて、あったかくて、とても心に染みる。
元よりそのつもりもなかったが、私は反論せずに、黙って布団の中に戻った。
……しばらくそうしていると、閉じた障子の向こうから、小さな音が聞こえてきた。多分、雨だろう。さすがは幻想郷、たった一人の人間の心の中まで表現してくれるらしい。
……あーあ、憂鬱だ。
手にした枕をぽいと頭上に放り投げ、キャッチするのに失敗する。ぼすっ、と柔らかい音を立てて、枕が顔面直撃。なかなか痛かった。
「どうぞ」
戻ってきた永琳が、お盆の上に載せた料理一式の、お椀のふたなどを取ってくれた。
ありがと、と笑いかけてから、とりあえず、食事スタート。
「何が起きたか、聞かせてもらっていい?」
「……あー、そうだね。あんた、医者だしね。
患者の治療には、その原因の特定が必須、って?」
「ええ、そう。辛いことかもしれないけれどね」
別に辛いことなんかじゃない。
私は淡々と、気を失う前に起きた出来事について話した。永琳は逐一、それをメモにとり、小さくうなずいている。
「……気のせいなんかじゃないんだよね。
何であの子が……あの子だけがいないのか、わからない……」
「……この郷には、神隠しというものもあるのでしょう?」
「外の世界じゃ有名だって言ってたけどね。
まぁ、この世界にもある。隠に食われて隠されることなんて」
「……そういうのに遭ったのではないかしら? その際に、それに関わる絆も全部……」
「……あるのかな。わからない」
そういう能力を持った輩もいたっけ。どっかの寺子屋の先生。
けれど、彼女がそういうことをすることはない。何といっても、彼女が人間を襲うということ自体、ありえないことだからだ。
そうなると、私の知らない、未知の能力を持った何者かがやったということになる。
……そんな奴、いるのだろうか。隠してしまったものの存在を消し去ってしまうなんてこと……。
「話を聞く限りだと、その子もとても強いようだから……。
……可能性として考えられるのは、いいたくないのだけど……」
「私、と?」
声と共に姿。
音も立てずに畳の上に足を下ろしたのは、やっぱりというか何というか、紫。
ちなみにこいつ、私のことを見舞いにもこなかったらしい。
「……あんたなの?」
「何が?」
「私から早苗を奪ったの……あんたなの? 紫」
「さあ」
「……あんた、怒ってたよね。私がなかなか動けないことにさ。
……だからなの?
私を叱るために……私の、そんなふがいなさを戒めるためにやったの? ぐずぐずしてたらこうなるんだ、って」
「そうかもね」
「……返せ……!」
「何を?」
「早苗を返せよっ! この……!」
立ち上がった瞬間、足下を大きく払われた。そのまま体は宙を一回転し、背中から畳に叩きつけられる。
痛みと衝撃で、一瞬、息が詰まる。
それでも立ち上がろうとする私の手を、永琳が掴んだ。
「私だって……私だって、一生懸命だったのよっ! あんたからしたら、まだまだ子供で、情けなくて、どうしようもなくバカだったとしてもっ! あれでも精一杯頑張ってたつもりだったのっ! あんただけじゃない、他のみんなにだって怒られたし、励まされたし! それで、私だって頑張ってるつもりだった……早苗にだって怒られたよ……『もっと根性出せ』って!
だから、昨日、徹夜もした! どうやったら、あの子が喜んでくれるかな、とか、あの子に気に入られるにはどうしたらいいんだろう、って! 普段やんないよ、あんなこと! あんな、バカみたいなこと! だけど、すっごく楽しかった! とても楽しかったの! そんなバカなことをしてる自分が、ものすごく、その時間を楽しんでる自分が! 楽しくて……嬉しくて……何より、楽しみでっ!
それなのに、何で!? どうしてよ! ねぇ!
何でこんなことしたの!? 何でよ、紫!
あの子を返してっ! 早苗を……あの子を返してよ、お願いだから!」
「……本当に、信頼がないわね」
「あなたの普段の言動がものを言うのですよ」
「申し訳ありません、永琳先生。
それから、申し訳ついでなのですけれど、少し席を外してくださいな」
言うだけ言った後は、もう言葉が出てこない。
本当に情けない話だけど、私はその場にひざをついて、人目をはばからずに泣き出してしまった。まるで子供のようだと、自分で自分を思う。
実際、子供なのだから、きっとしょうがないことなのだろうけど……。
「はいはい。よしよし」
紫の手を振り払おうとするのだが、彼女の方が力も体格も上。
あっさりと押さえ込まれてしまって、私は彼女に抱っこされてしまった。
「泣くだけ泣いて、まずは落ち着きなさい。そうじゃないと、話も出来ないでしょ」
余計なお世話だ、このバカ。
内心で、私は思いっきり、そう叫んだ。
「さて、と。
それじゃ、ちょっとお話しましょうか」
それから、だいぶ時間が過ぎた頃だろう。
散々、泣きはらしたためか、喉が痛い。目も痛い。けれど、心は、先ほどよりは落ち着いていた。
「……何よ。あんたが犯人なんでしょ」
一言、私はぽつりとつぶやいた。
紫の手を払い、彼女から体を離す。
「あのねぇ、霊夢。
言っておくけれど、私は無実よ」
目許を、彼女からもらったハンカチでぬぐいながらにらむ私に、紫は大仰に天を仰ぎながら言った。
信じられるものか、という視線を向けていると、彼女の表情が、唐突に真面目なものに変わる。
「私はあなたの『お母さん』。
子供を叱ることはあっても、悲しませるようなことをすると思う?」
一瞬、彼女の言葉が理解出来なかった。
それを頭の中でかみ砕き、意味を察するのに要したのは……多分、数秒。だけど、今の私には、それはとても長い時間のように感じた。
そして、ああ、と私はうなずいた。
「……ごめんなさい」
「わかればよろしい」
ぽんぽん、と彼女は、掌で優しく私の頭を叩いた。たとえるなら、小さな子供をあやす母親のよう。
……余計なお世話だ、全く。
「詳しい話を聞かせなさい」
「……その前に。
何で、あんた、お見舞いに来てくれなかったのよ……」
「……いいじゃない、別に」
「言わないと話してやんない」
「……はいはい。
……あなたは、自分の『お母さん』が、みんなの前でうろたえていて、恥をかくところが見たかったの?」
……なるほど。
どうやら、私があまのじゃくなところがあるのは、『母親』譲りらしい。ちょっぴり視線を逸らして、頬を赤くしている彼女を見て、それを得心する。
私が、たまに変な損をすることがあるのは、全部、こいつのせいなんだ、と。
――私は口を開く。気を失う前に何があったのか。それに至るまでの理由も全部。
彼女はそれを真剣な顔つきで聞いてくれた。一言一句、聞き逃すまいという視線を、私に向けてくれていた。
……そして。
「……そう。
霊夢、状況が全くわからないのだけど、まず、あなたのそれは夢ではないことは確実よ」
「そりゃそうだ」
思わず、間抜けな返事をしつつ、うなずいてしまう。
そんな私の反応を見て、彼女の顔が少しだけほころんだ。しかし、それも一瞬のこと。紫の表情が、また引き締まる。
「だとしたら、何で、その子のことだけがどこにもないのか。それを突き止めないといけない」
「うん」
「そういう力を持ったものがいるのかもしれない。私はそれを探してあげる」
「ありがと」
「あなたは、その子を探しなさい」
「……え?」
思わず、ぽかーんとなってしまう。
探す? どうやって?
だって、あの子のいた痕跡自体、どこにもないというのに。誰もあの子のことを覚えてないというのに。
……どうやって探せというんだ。手がかりがないのに。
「不可能だって思ってるでしょ?」
うなずく。
情けないわね、とその直後に、私は叱られてしまった。
紫は、まず、私の頭をひっぱたいた。そして、次に、私の肩をしっかり両の手でつかんで、私の瞳をまっすぐに覗き込みながら口を開いた。
「いい? 霊夢。
何が何でも、その子に会いたいなら、もっと無様にかっこ悪くなりなさい。
自分に出来ることを全部やって、それでもダメだったら、今度は自分に出来ないことが出来る人を頼りなさい。もしも、それでもダメだったら、その時こそ、諦めなさい。
あなたは今まで、何をやってきたの? 今言ったこと、全部やってきた? やってないでしょう? それなのに、どうして諦めたりするの。あなた、そんな程度の想いで、あんなに泣いて、あんなに怒鳴って、あんなに、私に真剣な顔を見せていたの? 違うでしょう?
なら、まだまだできることはあるじゃない。それが何かわからないなら、今、この場で、私にそれを聞きなさい。普段なら、『自分で探せ』って言うところだけど、今回だけは教えてあげる。だけど、そうじゃないなら、今、あなたが考えている、あなたに出来ることを全部、残さず、漏らさず、くまなく、片っ端から、徹底的にやるのよ。
わかった? はい、は?」
……説得力皆無、とはこういうことを言うのだろうか。
それって要するに、『出来ないことでも何とかしてやってのけろ』という無理無茶無謀を押し付けているようなものだ。
人間、どんなに頑張ったって出来ないことはあるのだ。それを、気合だの根性だのといった精神論でどうにかしようなんて、全くナンセンスだ。それくらいのこと、彼女だってわかっているだろう。何せ、自称『賢者』だ。賢者を名乗るくらい賢い彼女なら、そんな精神論、普段なら一笑に付すだろう。
そんなこいつが……そうであるはずの彼女が、私の目を、じっと見据えながら、そんなことを言うのだ。
説得力なんて、まるでなかった。
だけど……。
「わかった。なら……何かする」
「はい、は?」
「はい」
「よろしい」
ナンセンスだけど、何かを何とかするしかないのが、今のこの状態なんだ。
第一、可能性として考えるなら、一番わからないのが一つある。
どうして、みんなが――それこそ、神奈子やら諏訪子だって忘れている早苗のことを、私だけが覚えているのか。
それって、もしかして、早苗が持っていた漫画で言うところの『奇跡のきっかけ』という奴ではないだろうか。他のみんなが出来ないことが出来る主人公。それって、もしかしたら、私のことなんじゃないだろうか。
……そう思えば、俄然、力が湧いてくる。さっきまで萎えていた気が盛り上がってくる。
人間、不思議なものだ。私自身、さっきまでの落ち込みようが嘘だったと思うくらいに、今、体が軽かった。
「さあ、もう大丈夫ね? なら、行って来なさい。
出来ること全部やってきたら、今日の晩御飯は奮発してあげる」
「その言葉、嘘偽りはないわね? 言っておくけど、本気の私は幽々子だって上回るわよ」
「ええ。楽しみにしているわ」
立ち上がった私は、早速、着ているものを着替えて、縁側から外へと飛び出した。
まだ、雨は降っている。服が濡れてしまうけれど、むしろ、涼しくなってちょうどいい。変な意味で熱くなった頭を冷やしてくれる雨が、今は心地よかった。
「何とかなる……何とかする!」
それでもどうにでもならなかったら、仕方ない。その時は、紫の言ったように諦めよう。
もっとも、その時が来るのは、きっと私が死ぬ時だ。
――諦めてなるものか!
「おーい、魔理沙ー! いるー!?」
どんどんと、彼女の家のドアをノックする私。しばらくすると家の主が『お前、ドアを壊すつもりか』と不機嫌そうにまなじりつりあげながら現れる。
「もう治ったのか? そんなら、病み上がりは大人しくしてるのが一番だぞ」
「あんた、今、暇?」
「……暇、というか……。
というか、雨降ってるんだから。家の中に入れ。お茶くらいは出して……」
「私に協力しなさい!」
「……は?」
いきなり来て何言ってるんだ、こいつ。
ひしひしと、彼女の視線から、その言葉が伝わってくる。しかし、それでも、私の話だけは聞いてやろうと思ったのだろう。とりあえず、家の中へと私を招き入れてくれる。
「悪いんだが、私は閃き型の天才じゃない。一から事情を説明してくれないとわからん」
私をテーブルにつかせ、バスタオルを放り投げてくる。
彼女がお茶を持ってやってくるのを待ってから、私は一部始終、全てを語って聞かせた。それを聞き終わると、魔理沙は、『これはまたお熱いこった』と皮肉まじりにつぶやき、
「それで、何で私が?」
「あんたは私の友達だから」
「都合のいい時だけ友達にするなよ」
「いいじゃない、別に。
今まで、あんたの手伝い、色々してあげたでしょ。この前の宴会で、幻の『月影』飲ませてあげた時、『何か困ったことがあったら、遠慮なく言ってくれ!』って言ったの、誰だっけ?」
「脅しじゃないか、ったく」
彼女はぶつくさつぶやきながらも、『それで?』と一言。
「あの子を探すのを手伝って。それだけ」
「……と、言われてもなぁ。
正直に言うと、知らない相手を探せっていうのは無理難題にも程があると思うぜ? まぁ、そこまで言われたら手伝わないわけにはいかないけどさ……。
何か手がかりとかはないのかよ?」
「ない」
「……ないのかよ」
だけど、顔なら覚えてるわよ、と私。
彼女にもらった紙とペンで、さらさらと、早苗の似顔絵を書いていく。うむ、なかなかうまく描けた。
「こんな子」
「……何か甘ったるい顔してるなぁ」
確かに、言われてみればそう思う。
この、人畜無害丸出しの、陽だまりな丸顔はどうだ。誰だって、こんな子の笑顔を見せられたら、思わず撃墜されてしまうのもわかろうかというものだ。
「……う~ん……。見たことないなぁ……。
失礼を承知で聞くんだが、本当に、こいつ、私たちの知り合いなんだよな?」
「それは間違いないわ」
「……そっか。
……で。何で探すんだ?」
「会いたいから」
「……は?」
それには、さすがの魔理沙も目を点にした。理由が全くわからない、という顔で。
だけど、私の理由なんてそれが全てだ。他の理由なんてあるはずがない。
「いや、もっとこう、具体的に何で会いたいとか……」
「魔理沙。あんたは……」
そこで一旦、言葉に詰まる。
……頬が熱い。胸の中がとてもうるさい。
だけど、私はそれを振り切った。紫に言われたじゃないか。『もっとかっこ悪くなれ』って。
恥ずかしさなんて感じるのは、自分がかっこつけてるからだ。知られたくない、からかわれたくない、って。
いいじゃないか、誰かに知られたって。胸を張って言い返してやればいいじゃないか。
からかわれたっていいじゃないか。むしろ言い返す理由になるんだ。何だ、羨ましいのか、って。
だから、私は胸を張って、きっぱりと言った。彼女の目を、まっすぐに見据えて。
「あんたは、好きな人に会う時に、『逢いたいから』っていう以外の理由が必要なの?」
「……あー」
自分でもわかるくらいに、今の私はりんご状態だっただろう。
それでも、私は魔理沙から目を逸らさなかった。
まっすぐに自分を見てくる私に、彼女は何を思ったのだろうか。椅子を蹴って立ち上がると、部屋の隅に置かれた帽子を目深にかぶる。そして、軽く、そのつばを押し上げながら笑った。
「了解だ。魔理沙さんも、その話、乗ったぜ」
「……え?」
「とりあえず、お前は病み上がりだ。風呂に入って、体、あっためとけ。あとは全部、私が何とかしてやるさ。
それに、お前がそこまで入れ込んでいる相手ってのも見てみたいしな」
「……ありがと」
「よせやい」
彼女は箒を取り出すと、よいせ、とそれにまたがった。そんな彼女に「すぐに、私もまた動くけど」と宣言。
彼女は私を振り返ると「勝手にしろ、ばーか」と笑って、雨の空へと飛び立っていく。
「……たはは。かっこ悪いなぁ、今の私」
だけど、不思議と清々しい。
何だか、久々に、あいつのあんな笑顔を見たような気がする。いたずらっこのような……だけど、純粋な。
私が本気になれば、あいつにだって、あんな顔をさせることが出来るんだ。だから、まだまだいける。大丈夫だ。
「よし! 次は紅魔館だ!」
宣言した後、私は思いっきり、盛大にくしゃみをしたのだった。
雨の中、私は空を飛ぶ。
とりあえず、自分に出来ること――それは、私が知っている連中全部をこき使うことだ。あちこちの土地に足を運び、そこの人物に対して頭を下げる。『私の手伝いをしてくれ』と。
断られようものなら力ずくででも言うことを聞かせる――もちろん、勝負はいつものトリガーハッピーな弾幕勝負。
幸いなことに、そこまでいったのは紅の館のお嬢様くらいなものだった(ちなみに、その従者を始め、あそこの住人ほとんどが二つ返事で了承してくれていたのだが、なぜか彼女だけは『絶対やだ』と譲らなかったのだ)。
ちなみに、それに至るまでには、大抵、魔理沙に使った決め台詞が大活躍した。きっと、物理的な手段が発生することがほとんどなかったのは、あれが原因だろう。
咲夜なんて、レミリアにすら見せたことがないんじゃないかってくらい優しい顔をして、ぱちぱちと手を叩いてくれた。死ぬほど気恥ずかしかった上、私のセリフを聞いたメイドたちがひそひそ話をしていたが、まぁ、いいや。目的を達成できたのだから。
そして次は、草の根分けても探し出す根性で、あっちこっちを飛び回ること。
西に緑色の髪の女の子がいると聞けば飛んでいって確認し、東に甘ったるい性格の子がいると聞けば、出向いて名前を尋ねて。もちろん、その全てが外れだったのだけど、いつのまにか近隣の村や里には、私の描いた早苗の似顔絵が張られるようになり、『この人探しています。心当たりのある人は博麗神社まで』と、誰かが勝手に文字まで書くようになった。
そんなこんなで、私に出来うる限りのことを、私はやってのけたはずだ。紫に言われた通り、徹底的にかっこ悪くなって、笑われようと、陰口を叩かれようと、普段は見せない根性見せて、できること全てにがむしゃらになって。
――はて、何日をそれに費やしたことか。
捜索の手伝いを願い出たもの達は、『見つからない』と報告を入れてくれるが、それでも『お願いだから、もっと探してくれ』と頭を下げ続けて。
毎日毎日、あっちこっちに、自らも足を運び続けた。
雨の日にずぶぬれで飛び続けたためか、風邪を引いた。風の強い日に空を飛んだせいで、風に吹き飛ばされてひどい目にあった。今まで行ったことのない土地にまで足を運んで、帰り道がわからなくなって、危うく遭難しかけたこともある。
そんな風にして、私は郷の中を、行けないところにだって分け入って探し続けて。
――そうして、今、ここにいる。
「……どこにいるのよ……」
私の家、博麗神社。
つい先ほど、魔理沙と文がやってきて、『やっぱり見つからない』と報告をして帰っていった。もう、何度、同じような報告を聞いてきたことか。
頑張っても頑張っても苦労は報われない。そのためか、徐々に気力が萎え始めてきていた。
ここまで探しても見つからないということは、やはり、あれは私にとって泡沫の夢だったんじゃないか、とか。そろそろ身を固めないといけないという焦りが生んだ幻覚だったんじゃなかろうか、とか。果ては、散々、他人の恋愛をからかってきたばちが当たったんだ、とかまで。
そんなはずはないと言い聞かせ続けてはきたものの、やはり、そろそろ限界らしい。先日は永琳がやってきて、『少し休んだ方がいい』と警告までしてきた。私は、それほど消耗しているのだろう。
何かないだろうか。
これほどまでに、何の手がかりもないからこそ、私の気力も限界に近づいてきている。
だけど……いや、絶対に、何か『確証』があれば、まだまだ頑張れるという確信があった。
何かないか。
あの子の存在を確定させるものが、何かなかっただろうか。
「……あ」
――そういえば。
つと思い立つのは、今、私が心から望んでいるものの在処。『そんなものあったっけ』なんて簡単な気持ちじゃない。心の中で、燦然と輝く『想い出』の存在。
思い立ったが吉日。私は畳の上から起き上がると、大慌てで自室に走った。そして、戸棚の中から化粧箱を取り出して、中を引っ掻き回す。
そう、確か――確か、ここにあったはずなのだ。
「見つからない……どうして……」
中のものを全部引っ張り出して、私は途方にくれる。
確かにここに入れた。忘れないように。その記憶が間違っているはずはない。
……思い出せ。ないはずがない。捨てるはずはないんだ。
だから……。
「……いや、ちょっと待て。確か、隠し場所、変えなかったっけ?」
先日……といっても、もうずいぶん前になるが、魔理沙がそれを開けて、中を見て私をからかってきたことがあった。
もちろん、それは早苗が『居なくなる』前のこと。その場に早苗も一緒にいて、『魔理沙さん、ひどいですよ』なんてほっぺた膨らましていたのを、私はしっかりと覚えている。
そして、それを受けて、私はそれの隠し場所を変えたのだ。
……そう。あれは確か……。
「……ここだよ」
――いつぞやの結婚騒動の時、あの子に貸し与えた部屋。その中の……確か、入って右手にある、タンスの中の、一番下……。
「……」
そっと、それを引き開ける。空っぽの空間に、ぽつんと置かれて、『それ』があった。
それは、小さな小さな小箱。
胸の鼓動が早い。緊張している? ……いや、違う。怖いんだ。これを開けるのが。
もしも、なかったらどうしよう。
その思いが、私を邪魔する。
早苗と一緒に……みんなの中に残っている、あの子の『記憶』と同時に、それがもしも夢か間違いだったとしたら、どうしよう。
ないはずはない。だって、私がここに隠したんだから。
この手にその存在を覚えている。あの子の笑顔を覚えている。
『ここなら、絶対に見つからないわよ』
『そうですよね』
早苗を連れてきて、隠し場所を変えたのを教えた時の、あの子との会話を、声を、あの姿を、そして、あの笑顔を。
私は、覚えているんだ。
大きく息を吸い込む。決意を邪魔する意識を外に押しやって、私は一気に、箱のふたを開けた。
「あ……」
……あった。
その時の気持ちは、もう『嬉しい』とか『やった』なんて言葉じゃ表現できなかった。胸が熱くなって、我知らず、涙まであふれてきた。
やった、と私は心の中でつぶやいた。
よかった、と私はその瞬間に感謝した。
――箱の中にある、二枚の便箋。一つは、私があの子に向けて書いた、あの手紙。雨に濡れてぐしゃぐしゃになったそれを、何とかかんとか乾かした時の苦労が思い出される。
もう一つは、その後、あの子からもらった手紙。散々、周りにからかわれて、怒鳴り散らした挙句、夢想封印連打しまくったっけなぁ……。
――そして。
「……どーだ、紫。私、まだ諦めてないぞ……」
あの日の夜、私とあの子を結んだ、固結びの赤い糸。
何だ、あるじゃないか。
あの子は夢なんかじゃない。現実に存在してたんだ。私は間違ってなかったんだ。
取り出したそれを、自分の小指に巻きつける。その反対側にあるべき指が、今はない。だけど、そんなものは、もうどうでもいい。
だって、見つかったのだから。
私にとって、それを確信するべき『事実』が今、ここにあるのだから。
あの子は夢じゃない。泡沫なんかじゃない。本当に、私の隣にいて、笑ってくれていたんだ。
「よっし! 気合充填! 待ってなさいよ、早苗! ぜーったい、あんたを……!」
――その時、気配が一つ。
人の気配。徐々に近づいてくる、その気配。
いきなり現れたそれを不審に思いながら、私は気配の源に向かって足を運ぶ。
手に持った小箱は、一旦閉じて、タンスの中へ。縁結びの赤い糸を、しっかりと目で確認して。
……はて、客か? となると、うちに来る客なんてろくでもない奴らばっかりだから、こんなこっそり現れるなんてことはしないはずだ。報告を持ってきてくれた誰かなら、こっそり入ってくるなんてことはせずに、私の名前を呼びながらやってくるだろうし。
そうなると……たとえば、私に対して、何か恨みを持ってる奴の襲撃とか?
ありそうで怖いが、それならそれで返り討ちにすればいい。特に、今の私は、ある意味では不機嫌だ。ストレス解消の意味も込めて、ぼっこぼこにしてやろうか。
ともあれ、思索を巡らせながら、気配の主を確認すべく、私はそちらへ足を運ぶ。
母屋から社殿に移り、境内へと足を運んだ、そんな私に、
「……いた」
小さな声がかけられた。
「わたしのこと……わかりますか?」
逆光を背負って、境内に立つ人間が、私の方へ近寄ってくる。そのおかげで、徐々に光が晴れていく。姿が見えてくる。その形が、私の瞳の中に収まっていく。
その人物は、私に向かって声をかけてくる。恐る恐る、という表現がぴったりな感じで。
ふらふらと、よろめく足で私に向かって近寄ってきて。
「……覚えてますか?」
尋ねてきて。
「お願い……覚えてるって言って……」
その顔を涙に歪めて。
「……お願いだから……」
私の服を掴んで、嗚咽を漏らしながら。
その人へとかける言葉が、一瞬だけ、見当たらなかった。きっと、意識が飛んでいたのだろう。あるいは、それを『夢』と思ったのかもしれない。
……やっぱり私はダメだな。こんな時にまで現実逃避しようとするんだから。
――そんなの、答えなんて決まってるのに。
「覚えてるに決まってるじゃない。早苗」
その言葉以外、今の私にはありえないのに。何でさっさと言わないのか。
その、私の一言で、彼女は顔を上げると、その顔に笑顔を浮かべた。
「よかったぁーっ!」
「うわぁっ!?」
「いきなり、朝、目が覚めたら、わたし、変なところに一人でいて……! 慌てて、家に戻っても、神奈子さまも諏訪子さまも『誰?』としか言ってくれなくて……。
あちこち回っても答えが同じで、すっごく心細かったんですよぉ~!」
「ち、ちょっと! ちょっと離れて! やばい、色々と!」
私に飛びついてきた彼女は、一気に話をまくし立てると、ますます私を力強く抱きしめてくる。
色々苦しい。というか、色々柔らかい。おまけに、ここしばらくのあんな気持ちやこんな気持ちも、全部、私の中から湧き上がってきて、頭の中がごっちゃごちゃだ。
私の意識があらゆる意味で飛んでしまう前に、早苗を引き剥がすと、「ど、どういうことよ」と尋ねた。
「……わからないんです……。何が起こったのか、全くわからなくて……。
おまけに、何か、空を飛ぼうと思っても飛べなくて……何も出来なくて……。結局、幻想郷中、歩き回って……。足が棒になりましたよ……」
「……ちょっといい?」
「はい」
「何で……私のところに最初に来なかったの?」
「……その……怖かったから……」
聞けば、最初に、自分の『家族』に『自分』を否定されたことで、その意識が一気に強まってしまったのだという。
なぜ、自分は誰にも覚えていてもらっていないのか。その意識が高まったその時、私のことを思い出して、慌てて足を運ぼうとしたものの、
「……神奈子さま達に『誰?』って言われた時、真っ先に霊夢さんの顔が思い浮かんだんです……。すぐに、ここに足を運ぼうと思ったんです……。
だけど……だけど、もしも霊夢さんにまで、『誰?』なんて言われたら……って、思って……。わたしのことが、霊夢さんの中からも消えてしまっていたらどうしようって……思っちゃって……。
そうしたら、怖くて……。そんなことになっちゃったら、わたし……どうにかなってしまいそうで……。
それで、結局、最後まで……」
「……あのさ」
「はい?」
きょとんとした顔の早苗。
その顔を見てると、もう、我慢の限界だった。
「んなわけあるかーっ!」
「きゃあっ!?」
今度は、私の方から彼女に飛びついた。そのまま、二人そろって、勢いあまって境内にひっくり返ってしまう。
「ったくもーっ! そんなわけあるわけないでしょ!
あれか!? あんたは、そんなに私を信用してないのか!」
私は彼女をしっかりと胸に抱きしめながら、その耳元で怒鳴った。
「そ、そんなこと……! だ、だって、その……!」
「あんたがさっさと私のところに来てれば、私はかっこ悪いことしなくてすんだのよ!
あのねぇ! 私が、あんたをどれだけ探してたと思ってんのよ! どんだけ知り合い一同に借り作ったと思ってるわけ!?
土下座までして回ったのよ!?
あーもー! ひどい目にあった!」
「あ、あの、その……それは、その……ごめんな……」
「はい、目を閉じる!」
「は、はい!?」
彼女の瞳を強制的に閉じさせて、そのまま唇にキスを一発。
よし、これでオーケー!
「私とあんたは赤い糸の固結びでしょ!? 忘れるわけないじゃない!
あんたと過ごした、あの散々な日のこととか! 雨に濡れてひどい目にあった時のこととか! あんたがいっつも、私のところに来てくれていたこととか!
全部、覚えてるに決まってるじゃない! 全部、私の大切な想い出よ! 他の誰があんたのことを忘れたって……あんたが、他の何にも寄ることが出来なくなったって! 私はあんたを忘れない! あんたの寄る辺になる! それくらい当然じゃない、わかってんの!?」
「……は、はい……」
「周りがみんな、あんたのことを覚えてないならちょうどいいわ! みんなに紹介しまくってやる!
私の嫁ですよろしくね、ってね! そのたびにキスしてあげようか!? みんなにからかわれるくらいに熱々なところ、見せつけてやろうか!?」
「えぇ!? あ、あの、それはさすがに色々恥ずかしい……」
「うっさい!
もう、絶対、絶対、ぜぇぇぇぇぇったい、離さないからね! 私のことが積極的じゃないとか何だとか色々言ってくれたけど、そんなら、容赦なく積極的になってやる! デートだって、毎日、こっちから誘っちゃうからね! 覚悟しときなさい! あんたが嫌だって言っても連れ出してやる! いつだって一緒にいてやる! 私のことを鬱陶しく思うくらいに! 私のこと、嫌いになるくらいに! ずっとずっと、いつだってそばにいてあげるわよ!」
あー、もう。
何だ、私は。何やってんだ。
自分で自分の行動が制御できなかった。言葉の内容が支離滅裂だ。頭の中がしっちゃかめっちゃかだ。声も裏返っていて、うわずっていて、もう、自分でも何が何だかわけがわからない。
だけど、そのうちに、涙が浮かんできてしまう。泣きながら笑うなんて初めてだ。嬉しくて、悲しくて、辛くて、幸せで。自分がよくわからない。
けれど、何だか、とても心地いい。
「……ふぅ」
「あの……?」
「……お帰り、早苗。もう、絶対に、私のところからいなくなったりしないでね」
ひとしきり、彼女に『最低』の自分をさらして、ようやく心が落ち着いた。
声も普段の私に戻ってくれた。残念なことに、涙ににじんだ視界は元に戻ってないけど、自分の表情はよくわかる。
今の私は、笑っている。
「……はい」
そんな私を見て、彼女も笑ってくれた。
私みたいに、その瞳には涙が浮かんでいた。
だけど、笑っている。優しい、甘ったるい、彼女の笑顔で。
その笑顔を見ることが出来て、ようやく、安心することが出来た。
――自分で紡いだ言葉の通り、私だって、二度とこの子のところから離れたりなんてしない。もう、こんな思いをするのはこりごりだ。
辛かったり、悲しかったり、恥ずかしかったり。最悪の日々だったんだ。
だから――もう、絶対に……。
「ずっと一緒だよ」
そう言って、私は彼女の顔を瞳に一杯映して、精一杯の笑みを浮かべて、笑ったのだった。
「……んあ?」
ちゅんちゅんと、囀る鳥の声。
ぐしぐしと目をこすって起き上がる。ぼんやりした眼差しのまま、辺りを見回して――気づく。
「……夢?」
テーブルの上には、紫から借りた、外の世界のデート本が何冊も散らばっている。必死こいてメモしたデートプランのメモ帳も、私のよだれでべたべただ。
畳の上には、紫から借りた服が折りたたまれて置かれている。
昨日の夜の光景が、そのままそこにある。
……そう。夢。さっきのは夢……?
「何か……妙にリアルな夢だったような……」
何とかテーブルの上から体を起こして、ん~、と伸びをする。そうしていると、もやもやの霞がかかっていた頭の中が冴えてくる。
そうしてから、ふぅ、と一息つくと、何とも言えない笑みが顔にこぼれた。
まぁ……よくよく考えてみればわかるような夢だったような気もする。
なぜかって言われると、答えには困るが……簡単に言えば、早苗のことを、私以外のみんなが忘れているという設定が、まず出来すぎていた。
何せ、私よりもずっと付き合いの長い神様二人が、あの子の側にはいるのだ。その二人が覚えていないはずがない。
付け加えるなら、最後の怒涛の展開。あんな、いかにもな流れから始まる再会までのストーリーとかありえないだろう。
それじゃ、何であんな夢を見たのかと、原因を考えてみると、確か、早苗から、以前、借りた漫画に同じような内容があったと思う。その漫画を読んで、不覚ながら、ちょっと泣いてしまったこともあったっけ。
……人間の脳みそってやつは不思議なもんである。まさか、私に、あの漫画のヒロインの気持ちを体験させてくれるとは思わなかった。
ま、夢なら夢でそれでいい。どっちみち、ハッピーエンドだったのだし。漫画も夢も、登場したヒロインは、見事にハッピーエンドを迎えたのだ。それなら、もう、気にする必要もないだろう。
「それじゃ、朝ご飯でも……」
……と、柱時計を見て、気づく。
現在の時刻、12時過ぎ。早苗とのデートの約束の時間、10時。
守矢神社までの片道飛行時間、およそ30分。
そこから導き出される答えは――、
「だぁぁーっ! 遅刻じゃないかーっ!」
なぜか都合よく用意されていたパンを一枚口にくわえて、大慌てで神社から飛び立つ私。
……あいにくと、その展開は、現実の私にまでハッピーエンドであるとは限らないようである。
「霊夢」
「霊夢、ちょっといい?」
「い、いや、あの、これにはちょっと理由があってね!? 色々、私にとっては困難な問題を乗り越えてきたというか……!」
「早苗。ちょっと霊夢、借りるわね」
「さあ、霊夢。ちょっとあそこの木陰に行きましょ」
「ちょっと話を聞いてよアリスに咲夜ぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
――到着後、30分経過。
「……ごめんなさい。寝坊しました」
私は、やはりというか何というか、待ち構えていた二人によって色んな目にあわされた後、早苗に向かって土下座していた。
はぁ、と後ろからはため息。ちょっと振り向けば、咲夜が頭を抱えている。
「もういいです」
「……え? 許してくれるの?」
「そうやって頭を下げられたら許すしかないじゃないですか」
もう、とぷんぷん怒っている早苗。
……とりあえず、許してもらえたというわけで立ち上がって、ふぅ、と息をつく。ふと、後ろを振り向けば、なぜかアリスと咲夜の二人が消えていた。
……気配も悟らせずとは……。
「こんな時間からデートも何もないです。わたしの部屋でお茶にしましょう」
「……あ、あの、ごめんね。早苗。
その……これには深い事情があって……」
「わかってます」
……?
およ? 『わかってます』とは一体?
彼女のことだから、『霊夢さんなんて知りません!』って言ってくると思ったのだが……。
――ともあれ、そんな疑問は心に秘めたまま、私は彼女に案内されるまま、彼女の部屋へ。その室内は、先日のようにきれいに片付けられてはいたものの、先日のような『女の子』の部屋ではなかった。
「早苗って、何か結構……」
「変わってますか?」
先日、早苗が必死こいて隠していた機械人形があちこちに置かれていた。しかも一個一個ポーズが違う。
何だかそれだけで、一瞬で部屋の空気が変わったように感じるから不思議である。
さて、と早苗はクッションに腰を下ろした。彼女は、ぽんぽん、と自分の隣のクッションを手で叩く。彼女らしからぬ、ユニークな『座れ』の合図だった。
そこへ腰を下ろすと、いきなり、早苗が私の方に顔を近づけてきた。
「わっ、な、何?」
じーっと、まるで品定めをするように私を見た後、唐突に、ほっぺたをぐに~っと引っ張ってくる。
「いっ、いひゃいいひゃいいひゃい!?」
慌てて彼女を振りほどき、「な、何!?」と声を上げると、
「……本物ですよね?」
「へ? いや、偽者の博麗霊夢っているの……?」
一瞬、青い巫女服を着た自分が想像されたが、なんかよくわからない想像なので横にのけておく。
私の言葉に、彼女は大きく息をつくと、
「……よかった。夢じゃない」
「……え? あの、どういう……?」
「……何かよくわからない夢を見たんです。
わたしのことを誰も知らない幻想郷を必死にさまよって……それで、最後に霊夢さんに会って……」
「……って、ちょっと待って。
それって……」
お互い、思わず顔を見合わせる。
――しばらくの後、私の方から言葉を切り出す。
「……私の最後のセリフ、覚えてる?」
「その……『ずっと一緒だよ』……ですか?」
…………………………はい、そうです。
……あー! ほっぺた熱い、心臓うるさい、恥ずかしいっ!
「あの……それって……」
頭を抱えて、思わず、彼女のベッドに突っ伏す私に、遠慮がちに早苗が尋ねてきた。
がばっ、とその場に身を起こす。
「私の夢にも、そういう展開のあんたが出てきたの! で、そう言いました! はい!
だ、だって、仕方ないじゃない! いきなり、誰もあんたのこと知らないとか言うから! ひ、必死に……なっちゃって……。それで……ようやく会えたと思って……う、嬉しくて……その……」
……もう言葉にならん。
言葉の勢いもなく、私はそっぽを向いた。
「……不思議な夢……ですね。お互いの夢がリンクしてるなんて……」
「……まぁ、この世界のこと考えたら、そういうことがあってもおかしくはないけど……」
「……そうですね」
またも、しばしの沈黙。
――そっと、早苗が身を寄せてきた。私も、照れながら……頬をかきながら、彼女に体を寄せる。
お互いの体がくっついて、何だかとても気恥ずかしい。
「わたし……その……」
「……ん」
「あの……」
「……いいよ、別に」
「え?」
「何も言わなくていい。って言うか、言わせないもんね」
振り向きざまに、彼女の唇を奪う。
目を白黒させている彼女に微笑んでから、「これで文句ないでしょ」と一言。
「……もう」
「何かよくわからんけどさ、別にいいよ。何も考えなくても。
私の隣に、今、早苗がいるんだし。それでいいよ」
「……そうですか」
彼女はそう言うと、私の左手を握ってくる。
「……あの、もう一度、言ってもらっていいですか?」
「何を?」
「……かっこいい言葉」
「……一回しか言わないよ?」
辺りをきょろきょろ見回す。
デバガメの姿なし。鴉の姿なし。……よし。
「……もう、絶対に、二度と離さない。ずっと一緒だよ、早苗」
「……はい」
それで満足したのか、彼女は、こてん、と私の肩に頭を乗せてきた。「実は、わたしも寝坊したんです」と舌を出す彼女。
その一言で、一気に眠気が襲ってきた。
……よく考えたら、寝坊を考慮しても、私の今日の睡眠時間は足りていない。
今日はこのままお出かけもなしなら、いっそのこと、一眠りしてしまおう。
「おやすみ」
早苗にしっかりと身を寄せて。彼女のあったかさを肌で感じながら。
「おやすみなさい」
その笑顔に、ほっと胸をなで下ろしながら。
私の意識は、あっという間に睡魔に引きずられていった。
今度は、あんな変な夢じゃなくて、二人でそろって、幸せな夢が見られますように。
神様仏様幻想郷様、どうかよろしくお願いします。
「で、神奈子。何も言わないの?」
「……ふん」
「早苗がついに巣立ちの時を~」
「うるさい!」
「はいはい、静かに静かに」
そっと、早苗の部屋のドアに寄り添っていた三人が、ドアから身を離した。
神奈子はそっぽを向いているものの、いつもの厳しい表情も、今は少しだけ緩んでいた。何だかんだで嬉しいのだろう。
諏訪子が頭の後ろで手を組みながら、後ろの二人を振り返る。
「巫女には不思議な力があるからね。それを、わたしらは神力とか呼んでたりするんだけど。
けれど、これだけ距離が離れているというのに、重なる夢を見るのは珍しいね」
「そうね。
まぁ、よかったんじゃないでしょうか。これはこれで」
くるくると、屋内だというのに傘をさしている紫は、その傘を回しながら言った。
「だが、話を聞く限りでは、あの二人にとって、決して幸せな夢じゃなかったようだ。紫、何か知らないのか?」
「冗談。私は境界を操る妖怪であって、夢を操る妖怪ではないわ。
それに、そんな無粋なことはいたしません」
失礼しちゃうわ、とぷんぷん怒る紫。似合わないよ、と余計なことを言って、諏訪子の頭に、紫の傘が直撃する。
「きっと、幻想郷の気まぐれでしょう」
「……ふぅん」
「この郷を背負っていくものが、あまりにもふがいなかったから、ちょっと叱ってくれたのよ。
だけど、それだけじゃ、あんまりだから、最後にきちんとフォローを入れてくれた――そんなところでしょうね」
彼女はそう言って、踵を返す。
その動作の途中で、少しだけ動きを止めた後、「……それに、本当に夢だったのかもわからないのだし、ね」と小さくつぶやいて。
そうして、肩越しに二人へと視線を送った。
「帰るのか?」
「ええ。うちの子にご飯を食べさせてあげてくださいな。
その代わり、今度、博麗神社にいらしてくださいましたら、私がお手製のお料理を振舞いますので」
「早苗は、意外と腹にたまるものが好きよ」
「覚えておきます」
それでは、ごきげんよう。
彼女はその言葉を残して、亀裂の中へと消えていった。
……やれやれ。愛娘と同じで、やはり、どこか素直じゃないところがあるようだな。彼女は。
神奈子は苦笑すると、いまだ、頭を抑えて『あーうー』言ってる諏訪子に一言言って、その場を後にする。
「……ったく、それくらいやってくれたっていいのにさ」
そっと、音を立てないように早苗の部屋の中へと、諏訪子は足を踏み入れる。
抜き足差し足忍び足、とタンスに近寄り、中から一枚の毛布を取り出して。
「早苗、よかったね。何だかんだで一緒になれて」
二人に毛布をかけて、彼女は言う。
早苗の頭を優しくなでながら。
「うりゃ、霊夢。うちの早苗を幸せにしろよ~。泣かしたりしたら承知しないからな」
霊夢のほっぺたはぐにぐに引っ張りながら。
「お休み、二人とも。いい夢見てね」
そうして、音を立てないように、そっと部屋を後にするのだった。
一番良いレイサナでした
二人の未来に幸あれ
レイサナだけどさなれいむ。
ひゃっほい。
二本の固結びの糸から結び目がとれて、ひとつの糸になったようです。
この二人には、幸せになって欲しい。
とはいえ自重しない早苗さんの趣味に心が躍ってしまうのも人のサガかw
霊夢のありったけの気持ちにグっときましたわ・・・
色々な意味でニヤニヤと読ませて頂きました。ありがとうございます。
harukaさんの作品大好きだ
「」の中も変な改行してるし
地文も会話も最初に……が入りすぎてきつい。
面白かった!
二人のこれからも楽しみです。
早苗のオタ趣味にもなんだかにやにや。
まさに王道だなと思っていたらあとがきでも王道と言われちゃいました。
ゆかりんの母親っぷりも良かったです。
展開はやや予想がしやすかったものの、王道ってそういうものかもしれません。
ただそのせいか個人的には長さの割に盛り上がりに欠けました。早苗さんの行方不明事件とその解決があっさりしすぎていたの物足りなかったです。