目の前には旗がそびえ立っていた。
「……咲夜、これはどういうこと?」
「どういうこと、とは?」
主の言葉をそのまま聞き返す彼女には、本当にその言葉の意味が理解できていないようだった。
しかし、目の前の山の上に間違いなく旗がそびえ立っていた。
「質問を変えましょう。咲夜、これは何?」
「ああ、そういうことでしたらお答えしましょう」
ここが俺の領土だと言わんばかりに主張する旗。
それは悠然と。そして何よりもかわいらしく、丸く盛られたご飯の上に立っていた。
「お子様カレーです」
戸惑い、疑問、驚き、怒り。
それらの感情が湧き上がるよりも早く、紅魔館の主レミリア・スカーレットは自らの運命を悟った。
――――ああ、カリスマブレイクする運命なのだと。
「……いえ、冷静になるのよ、レミリア・スカーレット。まだ物語は始まったばかり。運命なんていくらでも変えていけるわ」
湧き上がる様々な感情を抑え、あくまで冷静に現状を分析する。
悪魔だけにとかそんな冗談を言っている余裕はなかった。
何せこれは紅魔館における私の立場を揺るがしかねない自体だからだ。
隣に立つ従者の顔を見る。
そもそもこの事態を引き起こしたのは、お子様カレーなんてものを平然と持ってきた彼女に他ならない。
どこぞの巫女のように勘に頼るまでもなく、異変を解決するために当たるべきは間違いなく彼女だ。
「あの、お嬢様」
「……何かしら?」
「早く食べないと、カレーが冷めてしまいますよ?」
「あら、そうね。それじゃあ、早速…………ってそうじゃないでしょ!?」
手にしたスプーンを放りたくなったが、寸前のところで冷静になる。
そんなことをしては駄々をこねる子供のようだと思われかねない。
定められた運命に自ら従うなど誰がするものか。
私は誇り高き夜の王。守り貫かねばならぬモノの為に、最後まで運命に抗い続ける吸血鬼。
「咲夜、正直に答えなさい」
「……はい、お嬢様」
流石は私の従者。
和やかだった空気が一瞬にして張り詰めたことを敏感に察知し、真剣な眼差しでこちらを見つめ返す様は、完全で瀟洒という言葉がとてもよく似合っている。
それに満足した私は、ゆっくりと口を開く。
「なぜ私の食事にあんなものを持ってきたのかしら?」
あんなもの、という表現で彼女に私の意図が伝わるかどうかは少し不安だった。
これはどういうことかと尋ねる私に、それをそのまま聞き返した彼女が、望む答えを口にするとも限らないと思ったのだ。
しかし、それでもそう表現せざるを得なかった。
自らが作り出したこの空気の中で、よもや『お子様カレー』などという単語を発する訳にはいかない。
そんな思いが通じたのか、私の言葉をきっかけに彼女の表情が一変する。
自らの過ちを理解したかのように顔を伏せる彼女に対して、怒りの感情は少しも湧いてこなかった。
ただ、どうしてこうなったかを知りたかった。
「申し訳ありません!」
「……ねえ、咲夜。別に私は怒っているわけでは」
「今すぐに旗をお取替えします!」
「えっ?」
予想外の解答に困惑しながらも、自然と話題にあがった旗に目をやると、そこには絵が描かれているようだった。
カレーの湖の中心に鎮座する白いご飯の山から旗を引き抜き、手に取り、よくよく眺めてみれば。
――――そこには「うー☆」と口にするレミリアの絵があった。
「ああっ、やはり絵柄はしゃがみガードにするべきでした」だとか「裏面はパチュリー様のむきゅーにしておけば」だとか、そんな幻聴がどこからか聞こえてくる。
運命とはどうしてこうも残酷なのだろうか。
信頼する従者に裏切られ、敵に回し、それでもなお抗い続ける意味があるのか。
十六夜咲夜は本気だ。
信頼する従者であるからこそ、一分たりとも誇張はなく、そうだと言い切れる。
先程までの神妙な顔をした彼女はどこへ消えてしまったのか。
あれは今の彼女を隠すためのミスディレクションだったとでもいうのか。
このままでは私のカリスマが失われるのも時間の問題だ。
時間の専門家である彼女を相手に、時間の問題だというのは種族の差があるとはいえ、流石の私も辛いのではないだろうか。なんか辛そうな気がする、たぶん。
数百年間、一度も味わうことのなかった絶望が私を襲う。
何がいけなかったのだろうか。絶望的なネーミングセンスのなさだろうか。
それとも「ぎゃおー! たーべちゃうぞー!」などと天狗とモケーレごっこをしたせいだろうか。割と楽しかったのだけど。
逃げ場はどこにもなかった。従者はなんかクネクネしていた。手の中の私は「たべちゃうぞー☆」とか言ってた。
どうやら、裏面はメッセージ違いらしい。
それは、これからお子様カレーを食べなければいけない私を挑発するようで……これこそが絶望の中で見つけた一筋の光だった。
そうだ、今まで私は何を勘違いしていたのだろうか。
――――お子様カレーなど喰らってしまえばいい。
私がしていた勘違い。お子様という名前に囚われ、気付かなかった真実。
それはお子様カレーを食べること自体によってカリスマが失われるのではなく、お子様カレーを食べる姿がお子様に見えることにより、カリスマが失われるのだということだ。
ならば、私のすべきことは決まっている。
誰よりも優雅に、誰よりも上品に、誰よりも美しく、お子様カレーを食べる。
それが、信じる従者がいきなりお子様カレーを運んできた時の運命だというのならば、私は受け入れよう。
問題は辛さだが、もしお子様カレーが辛いのであればそれはもはやお子様カレーではない。
辛いのはあんまり好きじゃないから嫌だけど、それなら何も気負うことはなく、ちょっとだけ我慢して食べればいい。うん、大丈夫、レミリア頑張る。
「カレー頂くわね」
食べ始めようとした私に戸惑う従者を尻目に、手にした旗を、一時はスプーン・ザ・グンニグルしそうになったスプーンへと持ち変える。
よく見るとスプーンにも柄の部分に動物の絵があしらわれていて、いかにもであったが、目の前のお子様カレーからすれば、それは瑣末なことだった。
丸く盛られた中央のご飯の山をゆっくりと切り崩し、ルーの湖へとくぐらせて行く。
ご飯に程良くルーを絡め、スプーンで一口分の量を掬うと、軽く深呼吸をし、そしてゆるやかに口へと運ぶ。
「……あら、美味しいじゃない」
意外。
お子様向けだと認識していたこのカレーに対する第一印象はその一言につきた。
しかし美味しいものは美味しいのだから、それ以外の何物でもない。
運ばれてきてから少し時間が経っていた為に、出来立ての熱々とはいかなかったが、それが逆に熱いものが駄目な私にとって、好都合だった。
「ルーには血が使われているのね」
「はい、いつものようにお嬢様の好きなB型の血を少々」
甘くて濃厚なそれは、人間からすればどうやら鉄の味がするそうだが、あえて他のものに例えるならば蜜の味だろうか。
それがルーに適度な甘さを加えていて、私の好みを理解した上での調理であることが窺えた。
「タマネギやジャガイモも、味がしっかりしていて美味し……い?」
「どうかなさいましたか?」
「……い、いえ、何でもないわ」
改めて確認しよう。十六夜咲夜は本気だ。
それを誰よりも知っていたはずの私が犯したミス。
あるはずないという固定概念に囚われたことにより受けた不意打ち。
神妙な顔だけがミスディレクションだったのではない。
今の今までの彼女の行動の全てこそが、これを隠すためのミスディレクションであったのだと、今に至り、ようやく私は理解した。
――――目の前にはニンジンがあった。
いつもは私が食べられないことを知り、カレーを始め、その他の料理にも一切使われていないはずのニンジン。
それが私の世界をβ-カロチンのオレンジ色に染めていく。
『紅魔館陥落、橙魔館へと名称変更!?』というゴジップ記事が脳裏をよぎる。
このままではレミリア・スカーレットからレミリア・キャロットになってしまいかねない。
それほどまでに圧倒的な存在感を放っていた。
全てが思い通りに言った達成感か、それとも絶望に打ちひしがれる私を遥か上から見下ろす優越感か。
十六夜咲夜は笑っていた。
もはや従者などではなかった。あれこそが正真正銘の悪魔だ。キャロット・デビルだ。
このニンジンを残してしまえば、確実に殺ラレル。
しかし、だがしかし。
それでも私はこの運命に抗い続けると決めたのだ。
何度でも言ってみせよう。私は誇り高き夜の王。
守り貫かねばならぬモノのために、この状況を切り抜ける最善を選択する――――
「さくやー、ニンジンやだー。うー☆」
「何やってんですか、お嬢様」
「……何でもないわ、忘れなさい」
危なかった。一歩間違えば即死していた。
この策はあまりにも危険なため、出来れば使いたくなかったが、そう言ってられる余裕もなかったのだ。
だが、カリスマもブレイクしてから3秒以内に取り戻せばセーフだ。
けれども、奥の手が全く通用しなかった事実は冷静に受け止めなければならない。
どうする。頭の中では今も何十通りもの作戦を考えてはいるが、そのどれもが先程の策以上によいものだとは到底思えない。
焦りが冷静な思考を奪っていく。
紅い館が段々とオレンジ色になっていく気がした。
ぶっちゃけ、もう神でも何でもいいので、助けて欲しかった。
「さて、神にお祈りは済ませましたか」
隣に立つ従者が私の手からスプーンを引き抜いた。
祈るに値する神などいたかと考えてみるが、どいつもこいつも駄目な奴ばかりだった。
悪魔的に考えるまでもなくアウトだった。
私の目線は、咲夜のもつスプーンの先に釘付けになっていた。
それが自分の意志からなる行動なのか分からなくなるほど自然に。
もうこの体を動かしているのは私ではなく、運命なのだと思ってしまうほどに。
彼女のスプーンが他の具材を避け、ニンジンへと辿り着く。
そして軽く掬い上げるとそのまま私の口元へとまっすぐやってきた。
「あーんしてください」
口調こそお願いであったが、命令以外の何物でもなかった。
運命に抗う意思を捨てたつもりはない。
しかしそれだけではどうにもならないことも理解していた。その辺は大人だし、空気も読めるので。
理解は出来ていたが、覚悟の出来ないまま口を大きく開く。
ふと、ご飯の山に刺さっていた旗のことを思い出す。
自分があれの絵と同じ姿をしていることに気がついたからだ。
なるほど、運命というのはどこまでもよく出来ている。
口の中に入れられたニンジンを噛み締めながら、私はもう一度、自らの運命を悟った。
――――ああ、カリスマブレイクする運命なのだと。
「……あれ、美味しい?」
「それはよかったですわ」
「食べられる……食べられるよ、咲夜!」
「おかわりはたくさん用意してありますので、お好きなだけお召し上がりください」
時間をかけて煮込まれたのか、柔らかくほんのりとした甘さを持つそれは、今までの人参に対する認識を覆すものだった。
最後に食べたのがいつであったかは忘却の彼方だが、固くて苦いものだということだけは確かだったはずなのだが。
しかし、口にしているニンジンは間違いなく美味しかった。
スプーンを私に返した従者は「お嬢様の好き嫌いには困ったものです」などと、軽く溜め息をつく。
嫌いな物をわざわざこちらが好きになる必要はない。向こうがこちらに好かれるようにすればよい。
そんな風にも思ったが、呆れたような、けれども幸せそうに笑みを浮かべる彼女に、わざわざそれを言う気にはならなかった。
その辺は大人でアダルトでカリスマだし、空気も読めるので。
こうして私は瀟洒な従者により、カリスマブレイクすることなく、人参という弱点を克服したのだった。
「でも、お嬢様。そんなに嫌なら始めから運命を操ればよかったのでは?」
「………………あ」
「もしかして、ご自分の能力のことを忘れていらしたのですか」
「……私はね、そう。能力などに頼らず、信頼する従者と共に運命を乗り越えてみたかったのよ」
「それでこそ、次のお野菜を何にするか考え甲斐があると言うものです」
「持って生まれた能力を最大限に活用できてこそ、夜の王よね、うん」
「あらあら」
口ではそう言ったものの、能力に頼らずに運命と向き合うのも、なかなかに悪くない。
そんなことを思いながら、お子様カレーをおかわりしたレミリアはニンジン入りのそれを笑顔で食べるのだった。
シチューとかのシチュエーションも良いかも、
西洋的なところがなんかレミリアに似あうし。
「いやニンニクは無理っていうか、それ以前に種族として……」
「では先にExステージ、セロリーを」
「勘弁して下さい」
カレーに入れれば給食についてくる食べ物は何でも食える、と思ってた時期がありました。
すばらしいバトル物を読ませていただきました。
野菜の覇者と夜の王者が真っ向からぶつかる様、しかと見届けました。
後からジワジワこみ上げてくるこの作品の面白さにただ賞賛。
しかしこーゆー日常的でアットホーム(?)なお話、私大好物です。
楽しませていただきました。
部屋の隅でぶるぶるとしゃがみガードする生活を送っていましたが
ようやく微塵もかわいくないことに気がつきましたので
読んで下さった方々に感謝の気持ちをお伝えすべく、戻って参りました。
皆様、本当にありがとうございます。
>5,18,19さん
悪魔的にはあくまでカリスマブレイクしてないつもりなので、温かく見守って下さると助かります。
>9さん
少し話がそれますが、姉としての威厳を見せる為や緊迫した空気を和らげるという意味で
レミリアが悩む横で何でもムシャムシャ食べるフランという案がありました。
物書きにまだ不慣れなので、まず一つ話を完成させたいという理由で没になりましたが。
ついでに書くと、ちゃんとカレーを食べないと別作品の方が異端狩りに来るという話を
咲夜さんがする案もありましたが、そちらも同様の理由と世界観的に没となりました。
>20,25さん
日常的でアットホームなバトル物となりましたが、好きと言われてしまって、ちょっと照れます。
お二人は勿論のこと、カリスマ溢れるレミリア様と、ある日急に脳内で囁いたてゐにも感謝したいと思います。
とてつもないドSと思ったがそんな事なくてホッとした……
野菜嫌いな園児も、自分で畑から収穫した野菜は喜んで食べるって保母さんが言ってた