雲一つ無い青空が広がる昼下がり、京都の某大学のとある空き教室―といっても今では二人の私物が溢れており、大学側が黙認しているのでほとんど部室に近い状態ではあるのだが―で秘封倶楽部のメンバーの一人、マエリベリー・ハーンは相方の到着を待っていた。
「どうしたのかしら、急に呼び出したりして・・・?」
霊能者サークル「秘封倶楽部」。それは表向きはろくに活動をしていない不良サークルであるが、実際は結界破りを主な活動としている、ろくな活動をしていない不良サークルなのである。
「・・・そういえば、最初に言い出したのは誰だったかしら・・・?」
均衡を崩す恐れがある、と。しかし結界の向こうに行った人間なんて実際ほとんどいないはずだ。まして調査などできるはずも無い。
つまり行ったこともない世界に対して遠慮しているのか、ちょっとおかしな話だ。
メリーはここまで考えてふと気付く。
いつどこで自分はその言葉を聞いたのか、自分自身全く覚えていないことを。
思い出そうとして、記憶の深い所を探るように掘り起こそうとする。
(小さい頃誰かに間違いなく言われたのは覚えてて・・・)
どうにもそれが日本に来る前か後かすらもよく思い出せない。
(たしか日本語だったから、こっちに来てからの事だと思うんだけど・・・)
―駄目よぅ?勝手にそれにさわっちゃぁ―
少しだけ思い出すことが出来た。そういえばこんな話し方をしていたのを覚えている。
でも誰が?この話し方で、こんな事を誰が言っていたのだろう?
メリーがしばらく思案していると盛大にドアの開く音が聞こえた。
秘封倶楽部の相方、もしくは秘封倶楽部のうるさい方、宇佐見蓮子が教室に入ってきた。
「あら、早いのねメリー」
「貴女が遅いのよ、12分遅刻」
メリーは時計の分針が予定より12分後を指していることを指摘しておいた。
蓮子にはこんな風に自分から呼び出しておいて遅刻する癖がある。もっともそれが彼女の常であるので、メリーも今更怒る気にならないのだが。それでいちいち時間を取らない程度にはお互い理解しているつもりだ。
蓮子はゴメンゴメン、と謝りながら鞄から何かを取り出した。
「では早速今回の主役の登場よ」
どうやら鏡のようだ。手のひらを広げたくらいの大きさはあるだろうか、ちょうど顔全体だけを映せるくらいの大きさで、円形をしている。なかなか高価な物のようで、鏡の外枠には凝った装飾がなされている。
「ジャジャーン!これぞ「昼下がり世にも怖ろしい風景を映し出すこの世のものにあらざる意匠の刻まれた鏡」よ!」
「長い」
「反応短っ!?」
蓮子は意気揚々として取り出したが、メリーは胡散臭い何かにしか見えなかった。特に名前が。
蓮子は時折、こうやってよく分からない胡散臭い品物をどこからか持ってくるのだ。その度にメリーは結界が無いかどうか確認させられるのだが、その的中率は低い。当たり付き自販機くらいだろうか。もっと低いかもしれない。
それにしても何かに包んで持ってこようとは思わなかったのか。メリーは鏡を丸裸で持ち歩くのは危険だと注意しようと思ったが、ここで注意しても仕方が無いと判断して話を先に促すことにした。
「―で?そのナントカの鏡がどうしたの?」
「よくぞ聞いてくれました!・・・ところでメリー、メリーは普通「鏡の怪談」って言ったらどんなのが思いつくかしら?」
「質問に質問で返すのは感心しないわね・・・、まあ「夜中の12時丁度に見ると幽霊がいる」とか「午前4時44分に見ると吸い込まれる」とかそんなのじゃない?」
「そうね、大体の怪談だと「夜中」に起こるのよね。まあ学校の怪談とかだと生徒の残っている放課後とかに起こることもあるけど。
でもこれは「昼下がり」に「世にも怖ろしい風景」を映し出すらしいわ。私はこの「世にも怖ろしい風景」こそ「向こう側の風景」だとニラんでいるのよ」
こんな昼間に呼び出したのは、つまりはそういうことだ。この曜日はいつもなら一旦帰ってから活動することが多いが、それでは遅いと判断したのだろう。
「さぁ、メリー、この鏡に結界の境は見えるかしら?」
蓮子にそう言われてメリーは鏡を覗き込む。そしてすぐにメリーの眼が結界を見つけたときの感覚を捉えた。
(あら?「当たり」かしら?久しぶりにこの手の物で見つけたわね)
が、何かがおかしい。いつもの結界の境を見つけた時と決定的に違うところが一つだけある。
確かに、結界の境を見つけたときのいつものあの感じはする。だが、それがどこにあるのか分からないのだ。
(見えないくらい極端に小さい、とか?それじゃどうしようもないんだけど)
自分一人で考えても埒が明かないと判断して蓮子に助け舟を求めることにした。
「なるほど、どこにあるか分からない、か・・・」
「この鏡のどこかにあることは確かなんだけどね。何か他にやってみた方がいいかもしれないわ」
それから二人は1時間ほど鏡を覗き込んだり、回してみたり、部屋中の適当なところを映してみたりしてみたが特に効果はなさそうだった。
「何がどうなってんのかしらねえ」
「わたしに言われてもね」
メリー以外に誰に言うのよ、と蓮子が疲れた声で言うので調査を一旦中断して休憩することにした。
蓮子が調査ノートに何か書いている。「気付いたことがあったら何でも誰でも書いていく」というものなので、急に書くことも無いわけではない。だが休憩中に一体何を書くのだろうか?そう思ったメリーが覗き込んでみると、
「なにを遊んでるのよ」
「ほら、有名な芸術家もやってたって云うじゃない?頭の体操よ、頭の」
鏡文字を書いて遊んでいた。どうやら今回持ってきたのが鏡だから、という発想らしい。
「ところで蓮子、その鏡に映る『世にも怖ろしい風景』ってどんな風景なのかしら?」
「それについては全然。どういう意味で怖ろしいのか、どのくらい怖ろしいのか、何も出てこなかったわ」
「結界が開いた途端余りの恐ろしさにショック死、なんて私は嫌だからね?」
「その時は私が心臓マッサージでも何でもして蘇生するから大丈夫よ」
「心臓マッサージとか、人工呼吸とか・・・?」
蓮子に人工呼吸や心臓マッサージをされるのを想像して、メリーは顔を赤くする。蓮子はメリーを励ますために言ったのかもしれないが、言葉選びが悪かった。なまじ常日頃から二人きりでいる時にそのテの話題を出さないこともあって、メリーはほとんど耐性が無いと言って良かった。
「ねえ、それって・・・そういうこと?」
「え?」
「だから、わたしに・・・人工呼吸とか、心臓マッサージとか、って・・・」
メリーの顔が赤いことにようやく気付いたのか、自分の言った言葉を思い出して蓮子までもが赤面する。
「あー・・・あー」
壊れたおもちゃのように口を開けたまま呆然とする蓮子。想像したらしい。
―夕火の刻、夕飯の支度、午後4時ちょうど―
蓮子は努めて明るく振舞おうとする。
「か、帰ろっか!ここでこうやってても何も無いだろうし今日はもう帰ろう!」
「そ、そうね!今日はもう帰りましょう!」
帰り支度を始めようと机の上に散らかした調査ノートを鞄の中にしまっていく。
今日はもう活動にならない、明日まともに顔を合わせられない。
片付けようと鏡に視線を移した時、蓮子が異変に気がついた。
「何、これ・・・!?」
鏡に映る風景に、蓮子は絶句する。
先ほどの浮ついた気分が吹き飛んだように、真剣な表情となった。
鏡に映し出されていたのは、二人のいる教室ではなかった。
「もしかして・・・なるほど、そういうことだったのね」
メリーは鏡を覗き込みながら一人納得する。こちらも赤かった顔が白さを取り戻している。
つまるところ、しょうもない二つの偶然が重なったのだ。
一つは蓮子の調査ノートに鏡文字の落書きが書かれていたこと。
もう一つはそれが結界を開く条件だったこと。
そしてさらにメリーを納得させる事実が鏡に映されていた。
今まで結界が視えなかったと思い込んでいた。
結界が視えていなかったのではない。視えてはいたのだ。
ただ、それが鏡全体を囲んでいるなどと思わなかっただけで。
鏡の縁と結界の境が重なって、メリーの認識が誤魔化されていたのだ。
これで結界は破られた。だがしかしまだ問題が残っている。
「私の心臓が止まったら、マッサージよろしくね」
これからどれほど恐ろしいかわからないものを目の当たりにしなければならないのだ。
メリーは思い切って鏡を覗き込む。
だが、そこに映る物はとても怖ろしいものではなさそうだった。
「これは・・・人形?それにしてもすごい数ね」
そう、鏡に映された先には夥しいまでの数の人形、人形、人形。壁の隅から隅まで人形で埋め尽くされた空間だった。
仏蘭西和蘭西蔵京都倫敦露西亜奥尓良。古今東西ありとあらゆる人形が整然と並んでいるその様は、あるいは世にも怖ろしいものかもしれない。しかし二人にはそこまで人形のデザインについての知識があるわけでもなく、ただ人形がたくさんある薄暗い部屋にしか見えなかった。
「これ一体くらい盗られてもわからないわね多分」
「駄目よ蓮子、こういうの集めてる人は自分のコレクションに関しては無駄に記憶力がいいものよ。それにどうやって盗るのよ?」
「だってなんか拍子抜けじゃない。折角苦労して持ってきたいわくつきの鏡が映したのがただの人形マニアの部屋なんて・・・えっ!?」
早くもだるそうなしぐさを見せていた蓮子の眼が鏡に釘付けになった。
部屋の持ち主に失礼な蓮子の言葉に反応したかのように、突然人形の一つが動き出し、その動きに続くように他の人形達も活動を開始したのだ。
「う、動き出した!?何!?呪い人形!?」
「これだけの数の呪い人形があるところといえば神社かしらね、あるいは呪い人形マニア。確かに怖ろしいかもしれないけど・・・」
そう、普通なら大量の呪い人形を集めている人の部屋の風景なんてとんでもなく怖ろしいものだろう。その意味で、この鏡の触れ込みは正しいことになる・・・のだが、
「でもなんか可愛いわね」
「うん・・・そうね」
しかし、この部屋にある人形はやたらめったらファンシーで可愛らしく作られているためか怖ろしい感じがしない。「動く人形」として市販していれば小さな女の子が欲しがりそうだ。
その時、鏡の向こうの部屋が、急に少し明るくなった。何やら足跡が近づいてくる。
「あら、この部屋の持ち主かしら?一体どんな顔してるのか見てみたいわね、呪い人形マニア」
「あら、あんまり悪く言うと呪われちゃうかもしれないわよ?」
そんなふうに二人が話している中、鏡の中の人物の姿が少し映った。
どうやら女性らしい。白のブラウスに青のワンピースを重ね着にし、そこから白のケープを羽織った服装で金髪、という外見であることははわかったが、顔が見えないのでどんな表情をしているのか、音も聞こえないので何か言っているのかもわからない。
「意外と若いわね、もっと偏屈な感じのお年寄りかと思ってたわ」
「それにしても面倒くさそうな服着てるわねこの人、着るのも脱ぐのも」
普段から服装に対して気を使っていない、という訳ではないが蓮子は基本的に見た目よりも機能性を重視して服を買うので、こういった着脱が面倒そうな服を着ようとしない。
「それは蓮子の趣味の問題でしょうに・・・なかなかこっち向かないわねこの人」
先程から二人で見ているが、この少女は一向にこちらを向く素振りを見せない。顔だけが見えないのもなんだか悶々とするものだ。
「ずっとこの調子なのかしら・・・こう、視点とか変えられたらなあ」
「見られただけでも運がよかったと思いなさい・・・と言ってる間にこっち向きそうね」
鏡の中にはその横顔が映されている。碧眼で、肌は白く素晴らしく整った顔立ちをしている。一言で言えばまさに「お人形さんのような」少女であった。その顔がゆっくりと向きを変えている。どうやら人形が壁の棚に残っていないかの点検をしているらしい。
そして鏡の中の少女がこちらを振り向こうとした瞬間、映っていたのは顔をくっつけて鏡を睨んでいる蓮子とメリーであった。
「「・・・・?」」
一瞬何が起こったのかよくわからなかった。
結界の境が閉じられたのだ。狙った様なタイミングで。
「えっ!?ちょっと!?ここからがいいところでしょ!?何で映んなくなっちゃうのよー!?」
「時間切れ、ってやつかしら。「ここからは会員登録した方のみ視聴できます」みたいな感じの」
「結局何が世にも恐ろしいのかよく判らなかったわね」
「誰かがふざけてそんな風に呼んだんじゃないの?怖い怖いって騒がれてるホラー映画ほど、大した事ないのと一緒で」
「誰かって、誰よ?」
「そんなこと私に聞かれてもねえ・・・多分蓮子みたいな人じゃない?」
おそらく今後この鏡が人を驚かせるようなことは無いだろう。結界ももうここには無い。
「何で私なのよ・・・ともかく!今回の活動は成功ね!なんか釈然としないけど!」
帰宅の準備をしている途中蓮子がふと気付いたように、
「ああ、そういえば文化資料室に行かないと」と言い出した。
「文化資料室?あそこに何かあるの?」
「いや、あそこにあると言うか、あったと言うか。実はこの鏡、文化資料室から持ち出したものだから返しに行かないといけないのよね」
「・・・・・・・・」
文化資料室には前世紀、もしかするともっと前の非常に貴重な歴史的重要文化財が陳列されている。勿論貸し出しなど行っていないし、無理矢理持ち出せば窃盗になる。学生なら退学直行コースだろう。そもそもどうやって持ち出したのかはこの際気にしないことにする。
「ちょっと!?『苦労して持ってきた』ってそういうことなの!?」
「そうよ?本当に大変だったんだから。部屋に入る時間帯から計画立てたりして」
「今までにも持ち出したものがあるんじゃないでしょうね?」
「さすがにそんな何回もは無理よ」
「・・・退学になる危険なんて冒さなくても資料室で活動すればいい話じゃないの?」
「・・・・・まあね」
「思いつかなかったの?」
「・・・・・ハイ」
そんなこんなで文化資料室に無事鏡を返却し(19世紀のものだそうだ)、部屋を後にしようとした時、展示品のガラスケースの上に置かれたオルゴールが眼に留まった。
「このオルゴールは・・・?」
「ただ置いてあるだけみたいだし、ガラスケースにも入ってない。誰かの忘れ物じゃないの?」
「オルゴールなんて忘れるかしら・・・?」
なんとなく気にかかったので、それを手にとってみる。ネジを回したところ、壊れてはいないらしい。ちょっと聴いてみようと興味を持ち始めた蓮子が言う前にオルゴールは演奏を開始していた。
幻想的な旋律。
連想の連鎖。
死者の見る夢。
諧謔ある譜面。
マロカレ。
白昼夢。
ある日の少女の夢想。
誰もが求めるもの。
誰もが忌避するもの。
9:1の絶望と希望。
抽象画の餅。
×××への警鐘。
狂気。
「向こう側」。
死霊幻想曲。
―カナデルオトハ、ダレカノコトバ
ユメミタヨルノ、アナタノコトバ―
オルゴールが止まるまで、二人はその場を動けなかった―
「どうしたのかしら、急に呼び出したりして・・・?」
霊能者サークル「秘封倶楽部」。それは表向きはろくに活動をしていない不良サークルであるが、実際は結界破りを主な活動としている、ろくな活動をしていない不良サークルなのである。
「・・・そういえば、最初に言い出したのは誰だったかしら・・・?」
均衡を崩す恐れがある、と。しかし結界の向こうに行った人間なんて実際ほとんどいないはずだ。まして調査などできるはずも無い。
つまり行ったこともない世界に対して遠慮しているのか、ちょっとおかしな話だ。
メリーはここまで考えてふと気付く。
いつどこで自分はその言葉を聞いたのか、自分自身全く覚えていないことを。
思い出そうとして、記憶の深い所を探るように掘り起こそうとする。
(小さい頃誰かに間違いなく言われたのは覚えてて・・・)
どうにもそれが日本に来る前か後かすらもよく思い出せない。
(たしか日本語だったから、こっちに来てからの事だと思うんだけど・・・)
―駄目よぅ?勝手にそれにさわっちゃぁ―
少しだけ思い出すことが出来た。そういえばこんな話し方をしていたのを覚えている。
でも誰が?この話し方で、こんな事を誰が言っていたのだろう?
メリーがしばらく思案していると盛大にドアの開く音が聞こえた。
秘封倶楽部の相方、もしくは秘封倶楽部のうるさい方、宇佐見蓮子が教室に入ってきた。
「あら、早いのねメリー」
「貴女が遅いのよ、12分遅刻」
メリーは時計の分針が予定より12分後を指していることを指摘しておいた。
蓮子にはこんな風に自分から呼び出しておいて遅刻する癖がある。もっともそれが彼女の常であるので、メリーも今更怒る気にならないのだが。それでいちいち時間を取らない程度にはお互い理解しているつもりだ。
蓮子はゴメンゴメン、と謝りながら鞄から何かを取り出した。
「では早速今回の主役の登場よ」
どうやら鏡のようだ。手のひらを広げたくらいの大きさはあるだろうか、ちょうど顔全体だけを映せるくらいの大きさで、円形をしている。なかなか高価な物のようで、鏡の外枠には凝った装飾がなされている。
「ジャジャーン!これぞ「昼下がり世にも怖ろしい風景を映し出すこの世のものにあらざる意匠の刻まれた鏡」よ!」
「長い」
「反応短っ!?」
蓮子は意気揚々として取り出したが、メリーは胡散臭い何かにしか見えなかった。特に名前が。
蓮子は時折、こうやってよく分からない胡散臭い品物をどこからか持ってくるのだ。その度にメリーは結界が無いかどうか確認させられるのだが、その的中率は低い。当たり付き自販機くらいだろうか。もっと低いかもしれない。
それにしても何かに包んで持ってこようとは思わなかったのか。メリーは鏡を丸裸で持ち歩くのは危険だと注意しようと思ったが、ここで注意しても仕方が無いと判断して話を先に促すことにした。
「―で?そのナントカの鏡がどうしたの?」
「よくぞ聞いてくれました!・・・ところでメリー、メリーは普通「鏡の怪談」って言ったらどんなのが思いつくかしら?」
「質問に質問で返すのは感心しないわね・・・、まあ「夜中の12時丁度に見ると幽霊がいる」とか「午前4時44分に見ると吸い込まれる」とかそんなのじゃない?」
「そうね、大体の怪談だと「夜中」に起こるのよね。まあ学校の怪談とかだと生徒の残っている放課後とかに起こることもあるけど。
でもこれは「昼下がり」に「世にも怖ろしい風景」を映し出すらしいわ。私はこの「世にも怖ろしい風景」こそ「向こう側の風景」だとニラんでいるのよ」
こんな昼間に呼び出したのは、つまりはそういうことだ。この曜日はいつもなら一旦帰ってから活動することが多いが、それでは遅いと判断したのだろう。
「さぁ、メリー、この鏡に結界の境は見えるかしら?」
蓮子にそう言われてメリーは鏡を覗き込む。そしてすぐにメリーの眼が結界を見つけたときの感覚を捉えた。
(あら?「当たり」かしら?久しぶりにこの手の物で見つけたわね)
が、何かがおかしい。いつもの結界の境を見つけた時と決定的に違うところが一つだけある。
確かに、結界の境を見つけたときのいつものあの感じはする。だが、それがどこにあるのか分からないのだ。
(見えないくらい極端に小さい、とか?それじゃどうしようもないんだけど)
自分一人で考えても埒が明かないと判断して蓮子に助け舟を求めることにした。
「なるほど、どこにあるか分からない、か・・・」
「この鏡のどこかにあることは確かなんだけどね。何か他にやってみた方がいいかもしれないわ」
それから二人は1時間ほど鏡を覗き込んだり、回してみたり、部屋中の適当なところを映してみたりしてみたが特に効果はなさそうだった。
「何がどうなってんのかしらねえ」
「わたしに言われてもね」
メリー以外に誰に言うのよ、と蓮子が疲れた声で言うので調査を一旦中断して休憩することにした。
蓮子が調査ノートに何か書いている。「気付いたことがあったら何でも誰でも書いていく」というものなので、急に書くことも無いわけではない。だが休憩中に一体何を書くのだろうか?そう思ったメリーが覗き込んでみると、
「なにを遊んでるのよ」
「ほら、有名な芸術家もやってたって云うじゃない?頭の体操よ、頭の」
鏡文字を書いて遊んでいた。どうやら今回持ってきたのが鏡だから、という発想らしい。
「ところで蓮子、その鏡に映る『世にも怖ろしい風景』ってどんな風景なのかしら?」
「それについては全然。どういう意味で怖ろしいのか、どのくらい怖ろしいのか、何も出てこなかったわ」
「結界が開いた途端余りの恐ろしさにショック死、なんて私は嫌だからね?」
「その時は私が心臓マッサージでも何でもして蘇生するから大丈夫よ」
「心臓マッサージとか、人工呼吸とか・・・?」
蓮子に人工呼吸や心臓マッサージをされるのを想像して、メリーは顔を赤くする。蓮子はメリーを励ますために言ったのかもしれないが、言葉選びが悪かった。なまじ常日頃から二人きりでいる時にそのテの話題を出さないこともあって、メリーはほとんど耐性が無いと言って良かった。
「ねえ、それって・・・そういうこと?」
「え?」
「だから、わたしに・・・人工呼吸とか、心臓マッサージとか、って・・・」
メリーの顔が赤いことにようやく気付いたのか、自分の言った言葉を思い出して蓮子までもが赤面する。
「あー・・・あー」
壊れたおもちゃのように口を開けたまま呆然とする蓮子。想像したらしい。
―夕火の刻、夕飯の支度、午後4時ちょうど―
蓮子は努めて明るく振舞おうとする。
「か、帰ろっか!ここでこうやってても何も無いだろうし今日はもう帰ろう!」
「そ、そうね!今日はもう帰りましょう!」
帰り支度を始めようと机の上に散らかした調査ノートを鞄の中にしまっていく。
今日はもう活動にならない、明日まともに顔を合わせられない。
片付けようと鏡に視線を移した時、蓮子が異変に気がついた。
「何、これ・・・!?」
鏡に映る風景に、蓮子は絶句する。
先ほどの浮ついた気分が吹き飛んだように、真剣な表情となった。
鏡に映し出されていたのは、二人のいる教室ではなかった。
「もしかして・・・なるほど、そういうことだったのね」
メリーは鏡を覗き込みながら一人納得する。こちらも赤かった顔が白さを取り戻している。
つまるところ、しょうもない二つの偶然が重なったのだ。
一つは蓮子の調査ノートに鏡文字の落書きが書かれていたこと。
もう一つはそれが結界を開く条件だったこと。
そしてさらにメリーを納得させる事実が鏡に映されていた。
今まで結界が視えなかったと思い込んでいた。
結界が視えていなかったのではない。視えてはいたのだ。
ただ、それが鏡全体を囲んでいるなどと思わなかっただけで。
鏡の縁と結界の境が重なって、メリーの認識が誤魔化されていたのだ。
これで結界は破られた。だがしかしまだ問題が残っている。
「私の心臓が止まったら、マッサージよろしくね」
これからどれほど恐ろしいかわからないものを目の当たりにしなければならないのだ。
メリーは思い切って鏡を覗き込む。
だが、そこに映る物はとても怖ろしいものではなさそうだった。
「これは・・・人形?それにしてもすごい数ね」
そう、鏡に映された先には夥しいまでの数の人形、人形、人形。壁の隅から隅まで人形で埋め尽くされた空間だった。
仏蘭西和蘭西蔵京都倫敦露西亜奥尓良。古今東西ありとあらゆる人形が整然と並んでいるその様は、あるいは世にも怖ろしいものかもしれない。しかし二人にはそこまで人形のデザインについての知識があるわけでもなく、ただ人形がたくさんある薄暗い部屋にしか見えなかった。
「これ一体くらい盗られてもわからないわね多分」
「駄目よ蓮子、こういうの集めてる人は自分のコレクションに関しては無駄に記憶力がいいものよ。それにどうやって盗るのよ?」
「だってなんか拍子抜けじゃない。折角苦労して持ってきたいわくつきの鏡が映したのがただの人形マニアの部屋なんて・・・えっ!?」
早くもだるそうなしぐさを見せていた蓮子の眼が鏡に釘付けになった。
部屋の持ち主に失礼な蓮子の言葉に反応したかのように、突然人形の一つが動き出し、その動きに続くように他の人形達も活動を開始したのだ。
「う、動き出した!?何!?呪い人形!?」
「これだけの数の呪い人形があるところといえば神社かしらね、あるいは呪い人形マニア。確かに怖ろしいかもしれないけど・・・」
そう、普通なら大量の呪い人形を集めている人の部屋の風景なんてとんでもなく怖ろしいものだろう。その意味で、この鏡の触れ込みは正しいことになる・・・のだが、
「でもなんか可愛いわね」
「うん・・・そうね」
しかし、この部屋にある人形はやたらめったらファンシーで可愛らしく作られているためか怖ろしい感じがしない。「動く人形」として市販していれば小さな女の子が欲しがりそうだ。
その時、鏡の向こうの部屋が、急に少し明るくなった。何やら足跡が近づいてくる。
「あら、この部屋の持ち主かしら?一体どんな顔してるのか見てみたいわね、呪い人形マニア」
「あら、あんまり悪く言うと呪われちゃうかもしれないわよ?」
そんなふうに二人が話している中、鏡の中の人物の姿が少し映った。
どうやら女性らしい。白のブラウスに青のワンピースを重ね着にし、そこから白のケープを羽織った服装で金髪、という外見であることははわかったが、顔が見えないのでどんな表情をしているのか、音も聞こえないので何か言っているのかもわからない。
「意外と若いわね、もっと偏屈な感じのお年寄りかと思ってたわ」
「それにしても面倒くさそうな服着てるわねこの人、着るのも脱ぐのも」
普段から服装に対して気を使っていない、という訳ではないが蓮子は基本的に見た目よりも機能性を重視して服を買うので、こういった着脱が面倒そうな服を着ようとしない。
「それは蓮子の趣味の問題でしょうに・・・なかなかこっち向かないわねこの人」
先程から二人で見ているが、この少女は一向にこちらを向く素振りを見せない。顔だけが見えないのもなんだか悶々とするものだ。
「ずっとこの調子なのかしら・・・こう、視点とか変えられたらなあ」
「見られただけでも運がよかったと思いなさい・・・と言ってる間にこっち向きそうね」
鏡の中にはその横顔が映されている。碧眼で、肌は白く素晴らしく整った顔立ちをしている。一言で言えばまさに「お人形さんのような」少女であった。その顔がゆっくりと向きを変えている。どうやら人形が壁の棚に残っていないかの点検をしているらしい。
そして鏡の中の少女がこちらを振り向こうとした瞬間、映っていたのは顔をくっつけて鏡を睨んでいる蓮子とメリーであった。
「「・・・・?」」
一瞬何が起こったのかよくわからなかった。
結界の境が閉じられたのだ。狙った様なタイミングで。
「えっ!?ちょっと!?ここからがいいところでしょ!?何で映んなくなっちゃうのよー!?」
「時間切れ、ってやつかしら。「ここからは会員登録した方のみ視聴できます」みたいな感じの」
「結局何が世にも恐ろしいのかよく判らなかったわね」
「誰かがふざけてそんな風に呼んだんじゃないの?怖い怖いって騒がれてるホラー映画ほど、大した事ないのと一緒で」
「誰かって、誰よ?」
「そんなこと私に聞かれてもねえ・・・多分蓮子みたいな人じゃない?」
おそらく今後この鏡が人を驚かせるようなことは無いだろう。結界ももうここには無い。
「何で私なのよ・・・ともかく!今回の活動は成功ね!なんか釈然としないけど!」
帰宅の準備をしている途中蓮子がふと気付いたように、
「ああ、そういえば文化資料室に行かないと」と言い出した。
「文化資料室?あそこに何かあるの?」
「いや、あそこにあると言うか、あったと言うか。実はこの鏡、文化資料室から持ち出したものだから返しに行かないといけないのよね」
「・・・・・・・・」
文化資料室には前世紀、もしかするともっと前の非常に貴重な歴史的重要文化財が陳列されている。勿論貸し出しなど行っていないし、無理矢理持ち出せば窃盗になる。学生なら退学直行コースだろう。そもそもどうやって持ち出したのかはこの際気にしないことにする。
「ちょっと!?『苦労して持ってきた』ってそういうことなの!?」
「そうよ?本当に大変だったんだから。部屋に入る時間帯から計画立てたりして」
「今までにも持ち出したものがあるんじゃないでしょうね?」
「さすがにそんな何回もは無理よ」
「・・・退学になる危険なんて冒さなくても資料室で活動すればいい話じゃないの?」
「・・・・・まあね」
「思いつかなかったの?」
「・・・・・ハイ」
そんなこんなで文化資料室に無事鏡を返却し(19世紀のものだそうだ)、部屋を後にしようとした時、展示品のガラスケースの上に置かれたオルゴールが眼に留まった。
「このオルゴールは・・・?」
「ただ置いてあるだけみたいだし、ガラスケースにも入ってない。誰かの忘れ物じゃないの?」
「オルゴールなんて忘れるかしら・・・?」
なんとなく気にかかったので、それを手にとってみる。ネジを回したところ、壊れてはいないらしい。ちょっと聴いてみようと興味を持ち始めた蓮子が言う前にオルゴールは演奏を開始していた。
幻想的な旋律。
連想の連鎖。
死者の見る夢。
諧謔ある譜面。
マロカレ。
白昼夢。
ある日の少女の夢想。
誰もが求めるもの。
誰もが忌避するもの。
9:1の絶望と希望。
抽象画の餅。
×××への警鐘。
狂気。
「向こう側」。
死霊幻想曲。
―カナデルオトハ、ダレカノコトバ
ユメミタヨルノ、アナタノコトバ―
オルゴールが止まるまで、二人はその場を動けなかった―
このサークルのシリアスっぽさを含んだ雰囲気が好き
よくわからなかったけど、なんとなく誰かさんのような胡散臭さは感じ取れた。
まああんまり深く考えない方がいいのかもしれませんが。
①蓮子がなにかした、②実は大学側は秘封倶楽部の実態を知っている、③ご都合主義、④大学側の管理が本気でダメ
くらいしか思いつきませんが
余韻を残した終わり方は嫌いじゃないんだけど、詩の挿入があまりにも唐突すぎて尻切れトンボな印象が残ってしまいました。
ともあれ作者の描く秘封倶楽部の活動は面白かったです。
ミステリアスでシリアスな秘封倶楽部でした。