静かな雨が、ふわふわっと降りてくる、そんな夜。森の中をぼんやりと照らす赤提灯が、寂しそうに揺れていた。
こんな時だと、さすがにミスティアの屋台であってもお客はやってこなかった。
ただし、私は例外なのである。ふふふ、伊達に常連客じゃないからね。
「リグル、できたよー。八目の串焼き、お待ちどお!」
「お、どうもどうもー。いやあ、これが無くっちゃ生きていけない体にされちゃったよー」
「なんだか怖い言い方だよ!? リグルが串焼き依存症になっちったー!」
だって本当に好きなんだもん。ぼろっちい屋台で食べる、ミスティアの料理とお酒。
甘辛ーいたれがジューってなる快音と、醤油の焼けるいい香りが、たまらん!
さて、おこげがほど良くついた八目の串焼きが今、ここに。ほわっほわでぽっかぽかの煙がたってて、早く食べてって言ってるみたい。
よおし、それじゃ早速!
「いっただっき……」
「……ぁぁぁあああああん!!!」
その時私に電流走る。
口をぱっくり開けたところで、私の手は止まってしまった。
虫の知らせ。何だか、猛烈に嫌な予感がしてしまう。
遠くから。ドッドドドドードと。大地を蹴り進む音が聞こえてくる。
それに混じって、天まで震わす泣き声が、ずんどここっちに近づいてきてる!
「うわああああああああん!!!!」
そこには。
持ち前の長く美しいブロンドを、雨でびっちょんびちょんにしながら屋台に駆けつける少女の姿が!
もはや、大妖怪の威厳もなにもあったもんじゃない。
八雲紫。あの八雲紫が、涙と鼻水で顔をぐっしょりさせて、赤ん坊のように泣きながら屋台につっこんできた!
なんだよこれ、なんなんだよこれ、どうすりゃいいんだよ!
「びぇぇぇぇぇぇぇぇ! ふええええええええん!」
「あ、お客さん初めてだねー。いらっしゃーい」
「おいこら鳥っ娘! なんでそんな平然としてんのさ!」
「どんな客も選ばないのが接客のプロってもんよ」
ささっとタオルとお酒を差し出すあたり、さすがはミスティアである。
隣に座った紫さん。お顔と髪をぐしぐし拭いたかと思うと、カウンターに顔をへばりつけて、なお泣きじゃくりやがった。
いや、だから本当にどうすりゃいいんだってばよ。
「何ぼーっとしてんのよこんな可愛い少女が泣いてんのよ『どうされましたかマドモアゼル月が綺麗ですね』って言いなさいよ」
「えー」
突然、真顔で理不尽な要求。なるほど、これが八雲紫というものなのか! 分からん!
で、言いたいことだけ言った後は、すぐに泣きモードに戻る紫さん。誰か助けてー。
「えーっと……。ど、どうされたんですマンドリル月は雨で見えません」
「それがね。霊夢が……。霊夢が分かってくれないの!」
これで通じるのかよ。
大物役者の紫さん、言うだけ言って、無駄に芝居がかった動きでお酒をかっくらった。
それに合わせてお酌をするミスティアが、妙に手馴れてて頼もしい。……そんな素敵な店主が、ちらりと私に目配せ。
小声で、がんばってとか言ってきやがった。うわあ、さらりと私に面倒くさいの押し付けたな、こんにゃろめー。
「分かってくれないって。喧嘩でもしたの?」
「霊夢が、お金ほしいって言うの。どうもあの子、最近欲求不満らしくてね。欲しがり屋さんになっちゃったの」
「……へぇ?」
お金がほしいとは、霊夢にはよくありそうな話だけれど、どうしたのだろう。
それにしても……。よっきゅうふまん?
「だからね。私、言ってやったのよ。『私の愛であなたの心のスキマ、お埋めします!』って」
「いやいやいやいや、何だか話がドーンとぶっ飛んだ気がするよ!?」
「ぶっ飛んでないわよー。お金が無ければ私を食べればいいじゃないって論法よ」
「おかしいってば!? ……じゃあ、それでうまくいったの?」
「……それが、『愛などいらぬ、私はお金のほうがいいの! 自分の生活が第一だから!』とか言われて。ふられちゃったのよ私ー!」
ああ、やっぱりわけ分からんぞ。紫さんったら食べられるの!?
でも、なんだか本気でショックを受けているのは確かみたい。毎秒三回は屋台にヘッドバンキングかましてるぐらいだもん。
悲しいことの万や億、たとえ紫さんだろうが避けられないしなあ。私ら、長く生きるもんだからしょうがないよ。
「これ、食べる?」
私の胃袋に入る予定だった串焼きを手に取り、紫さんにちらつかせる。
すると、何だかぽかーんと目を丸くした。
「……いいの?」
「いいよ。私にはよく分かんないけど、嫌なことがあったらお互い様だよ。だから、どうぞ」
「そうそう、お客の涙を笑顔に変えるのが私のお仕事なんだからー」
適当な歌をふんふんとハミングし始めるミスティアであった。おいしいとこ、とりやがって。
ミスティアのご機嫌な歌に合わせて、私のお皿を紫さんの前に置いてあげた。
すると、紫さんがぷるぷる震え始めた。
「な、なんて素晴らしいの、この屋台は……。これこそ、これこそが私の理想郷だわ!」
いただきますと言ってから、紫さんは串焼きをお口の中にしまいこんでいった。
時折、「んー」とか言って、頬を緩ませるもんだから、こっちまでちょっと安心する。
と、何があったのか。
紫さんの動きが完全に止まる。
一、二、三秒。何かに気がついたように、突然がたんと席を立った!
「決めた! 私、決めたわ!」
「え、え、え?」
「私、この屋台のスポンサーになるわ!」
なんてこったい急展開!
こいつがスポンサーになろうものなら、屋台がどうなっちゃうのか想像もつかないぞ。
やめろ、ミスティア! こんなやつの誘いに乗るんじゃない!
「やったあ! よろしくお願いします!」
「わーい即決だあ」
かくして、八雲紫という強力な資金源かつ食材源をミスティアは手にする事になった。
翌日には、おっきくて新しい屋台ができていて。その翌日には、大きくなりすぎてお神輿みたいになっていた。
かと思うと、目を離しているうちにいつの間にやら店舗経営になっていたし。
あれよあれよと経営が拡大していって、料亭ミスティアグループの出来上がり。幻想郷内に支店が三つあるとか。
着々と発展しゆく屋台を尻目に、私は紫さんの「お願い」が頭の中にこびりついていた。
「霊夢と今、顔が合わせにくいの。だからリグル、お願いよ。霊夢のこと、どうかよろしくね」
よろしくねと言われても、何をどうすりゃいいのか分からないんだってば。
頭のいい妖怪さんは、いつも回りくどい言い方をするから困る。
そんなこんなで何もできないまま、日が経っていくのであった。
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屋台はとうとう、「新感覚YATAIホール ミスティア武道館」なるものにまで発展してしまった。
ミスティアの作った弁当を食べながら、ミスティアのコンサートを聴くことができるという、今までにないエンターテイメント施設であるとか。
これが大当たりで、一世を風靡。幻想郷で、行ったことのない者はいないと言われるほどである。
ただ、ちょっとうさんくさい商売だ。数百を超える弁当が毎日作られているんだけど、ミスティアだけで作れるわけがないもん。
ともかく、ミスティアの歌と料理の知名度は大幅アップ。新たな資金源となっているとか。
「みすちーったら、せこい商売するんだから。全くもう」
そんなことを言いながらも、今日も今日とてYATAIホールに足を運んでしまうのが、常連客の悲しい性なのであった。
その入り口前に、見慣れない姿がある。紅と白が遠くからでもよく目立つ、霊夢がいた。
おっと、霊夢とはちょうどいい。紫さんのこともあるし、適当に話しておきたいものだ。
霊夢はなんだか、三歳くらいの子が蝶々に出会ったときのような、純粋な瞳でホールを見ていた。
「霊夢、何やってんの?」
「ふにゃら!?」
腑抜けきった声で驚いてくれました。ここまで警戒心がないとは、巫女にしては珍しい。
「何よリグル。驚かさないでよ、全く。何か用でもあるの?」
「驚かすつもりはなかったんだけどさ。ほら、霊夢にしては変にぼーっとしてたし。何してんのかなーと」
「何って……。別に、何でもないわよ」
と、言いつつ目を私からそらす霊夢である。
うわあ、分かりやすいなあ。これは何かあるって、絶対。
「どうせ、あんたはYATAIに行くんでしょ? ならさっさと行きなさいよ」
「あれ、霊夢は行かないの?」
「行くわけないでしょう! こんなところに無駄遣いなんて、したくないし」
ああ、そういえばそうだった。霊夢がお金を欲しがってるってこと、紫さんから聞いてたっけ。つまり、金欠?
……でも、無駄遣いができないのなら、なんでこんなところにわざわざ来てるんだよっていう話なんだけど。
「無駄遣いなんて言わないでよ。これでも私、みすちーの長年のファンなんだから。値段相当に、楽しいとこだよひょっとしたら」
「何が楽しいっての。こんなとこ、妖怪が入り浸って妖怪を崇拝してる、いかにも如何わしい腐ったYATAIよ。全く、どこが若者に大人気のえんたあていめんと施設よ」
なるほどねえ。なるほどねえ。
その割にはさっき、とっても澄んだ目でYATAIを見ていたけれどねえ。
うん。多分霊夢、YATAIに行ってみたいんだわ。口ではああ言っているけど、素直じゃないんだなお年頃少女め。
「ふーん。じゃあさ、もし私が、奢るって言ったらどうする?」
「はあ? あんた、何言って……」
「だって、その様子じゃ、一度も入ったことないんでしょ? ファンの私としては、一度は見てもらいたいなーって」
「そ、そんな話、急に……。ぐ、ううう……」
頭を抱えてがるがる唸りだした霊夢。きっと彼女の中で、それなりの葛藤が渦巻いているのだろう。
うふふ。さあ霊夢、さっさと認めてすっきりしなさい!
「……ひょっとしたら、ここで妖怪が、何か悪さをしてるのかもしれない。そうね、そうよね」
「れ、霊夢……?」
「だから、そういうやつがいないか、見張る義務が私にはあるわ! べ、別にこれは仕事目的であって一度行ってみたかったとかそんなんじゃな……」
「はーいそれじゃあ霊夢さんご案なーい」
なあにこのお手本のようなザ・意地っ張り。
ともかく、こうして私は霊夢を店内に誘うことに成功したのであった。
これでなんとか、ゆっくり話を聞けそうだ。
霊夢と一緒に、八目うな丼弁当を膝に乗せて、席に着く。霊夢はあちらこちらをきょろきょろと見回している。
見張ってるというよりは、単純に物珍しいんだろうな。
ステージが始まるまでは、とりあえず弁当を食べて待つことにした。
しばらくすると、会場の明かりがふっと消えた。と、同時に霊夢が肩をびくっとさせる。演出だってのに。
さてさて、晴れやかな演奏と照明ともに、ミスティアがステージに舞い降りた。
おへそを出して、全身ふりふりピンクの衣装にくるまれて、開幕からぶっとばした歌を披露してくれる。
「……いいなあ、ああいう服」
ため息混じりに、誰かがぽろりと漏らした一言であった。
……え。さっきの、霊夢が言ったの?
「今、なんと!?」
「ああいう服、いいなって思ったのよ。ファッションオンチなあんたには分かんないだろうけど」
う……。確かに、そこまで服に気をつかってるわけじゃないけど。動きやすくて空も飛びやすいからってだけで短パンだけど。
とてもとても霊夢の口から出てくるような言葉とは思えなかったんだってば。
「れ、霊夢だって、一年中その巫女服じゃない」
その時。箸を進めていた、霊夢の手がぴたりと止まった。
何の感情の起伏も無いかのように、見える。
霊夢はあくまで淡々と、私に一言、投げ返す。
「私だって。好きで、これ着てるわけじゃないんだから」
ミスティアが一曲、歌い終わった。けれど、もうそっちには意識があんまりいかなかった。
少しだけ静かになった薄暗いホールの中で、霊夢は内緒話をするように、小さな声で語りかけてきた。
「……うちのお金、紫が管理しててね」
「あ、そうなの?」
「万一お金がなくなっても、生活費は出してくれるから、ありがたいんだけど。でも、他は何も買えやしないのよ」
これは初耳だぞ。
つまりあれか。紫さんは、霊夢が生きていくのに最低限のお金は出してくれてるってことか。
その代わり、霊夢がどんなに稼いだとしても、紫さんが預かってしまって、好きに使えないらしい。
どこの、かかあ天下夫婦だ。
「それでね。そう、この前だってそうよ。魔理沙がさ。神社に来るたび、違う服着ててね」
「そ、そうなの?」
霊夢はなんだか興奮気味で、ちょっぴり早口で会話を進める。
「自慢こそされないけど、こうも見せびらかされると、ちょっと腹が立って。新しい服、ほしいなーって」
「腹、立つの?」
「そりゃ、立つわよ。私以外、みーんな可愛い服持ってんのよ? 早苗だって、巫女装束以外に色々持ってるし……」
人差し指を口に当てて、「あ、この話、魔理沙とか他のやつには内緒だからね?」とかのたまう霊夢なのであった。
あれれー、おかしいなあ。なんだか心がむずむずしてきたぞ。
なんというか……。霊夢、思春期?
「それでね。人里で売ってる服、色々探したのよ。お気に入りのもちゃんと見つけたのよ。緑のふわっとした洋服に、黒のズボンがいいなって思ってたのよ」
「とりあえず紅白の逆の色にしたかったんですね分かります」
「こっちはもう、買う気まんまんになってるのよ? それなのに、それなのに! あの腐れ妖怪ったら、銭の一銭もくれないのよ! 怒るに決まってんでしょうがあああああ!」
「れ、霊夢落ち着いて!」
観客の何人か、こっち睨んでますって。怖いよう。
ステージ上のミスティアが、「ぴぃっ!」なんて霊夢に反応したのは可愛かったけど。
「怒ったら怒ったで紫、突然泣いて出て行くし。ほんと、理解に苦しむわ。泣きたいのはこっちだっていうのに」
「あ、あははははは……」
その後、屋台にやってきて、こんなものがめでたく建設されました、なんて言えない。
今の霊夢に紫さんの話をふったら、何をしでかすか分からない。
「で、あれからあいつを見てないんだけど、知らない?」
「ア、アイドントノウ。アイドントノウパープル」
「……ふーん?」
疑いの目を向ける霊夢さん。あはー。こりゃきっとばれちゃってるなあ。
勘の鋭い子なんて大嫌いだい。なんでもお見通しされちゃうもん。
「ま、いいわ。探ったとこで、大したことなさそうだし」
「そ、そう? それならいいんだけど。……何事もなけりゃいいけど」
「何よその煮え切らない返事。大したことあったりするの?」
「ひょっとしたら、ね……。なんというか、屋台がどんどん大きくなっていくのが、怖くって」
いまいち、紫さんの意図が掴めていないし。
屋台への恩返しらしいけど、紫さんがそんなことするのって、ありえない。
何か、ありそうな気が……。
「最初はさ、屋台の常連なんて、十もいかないぐらいだったんだよ。それが、今やこれだよ」
ミスティアの歌にあわせて、百を超えるファンが腕を振り、頭を振り、手を打っている。
熱狂的なファンはみすちーみすちーと叫びながら、のけぞって踊る。
会場の異様な光景に、私は目眩さえ覚えてしまうのだ。
「こうなっちゃうと、なんだか、みすちーが遠くなっちゃったような気がして。これからも屋台がどんどん大きくなるって思うと、なんだかとても嫌な予感がして……」
「そうかしら?」
霊夢が、人差し指を頬にあてる。そして、にかにかと笑って切り返した。
「私の勘からすると、いい予感しかしないわよ。いいじゃないの、ミスティアがみんなに認められてるってことなんだから。喜びなさいよ、ファンとして」
「そう、なのかなあ……」
楽観的な霊夢の勘。そして、悲観的な私の虫の知らせ。同時に存在し得ない予言が、今ここに誕生してしまった。
できれば、適当に丸く収まってほしいと願っていた。切に願っていた。
しかし、その幻想は木っ端微塵に砕かれるのであった。
たった一枚の、あの手紙によって。
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『はいけい リグルへ
やっほーリグル、元気してる? わたしは、すっごい元気だよ。
リグルきいて、すごいんだよ。
あのね。わたし、みすちー王国の女王になっちゃったの!
おひめさまだよ、おひめさま!
それで、国ができたおいわいに、ぜひリグルにきてほしいんだ。
だから、しょうたいじょうをこの手紙といっしょにおくりました。
ぜひ、わたしの国を見ていってください。
まってるからねー!
かしこ
P.S.ゆかりさんが、れいむもつれてきてほしいってさ。
だから、もう一つしょうたいじょうをいれておいたよ。
それじゃ、よろしくね』
……みすちー王国。
紫さんが境界やら結界やらをごにょごにょして、幻想郷を広げたことによって生まれた新しい国である。
八雲の力により、テクノロジーが発達。発電所も完備されており、夜でも暗いところは無い。
日本語の語尾にみすちーをつけた、みすちー語が公用語だみすちー。
国蝶は蛾で、国鳥はみすちーなんだとか。
「……あははーみすちーったら冗談きついんだからあははー」
みすちー王国には、元から幻想郷であった場所、つまり旧幻想郷から特急八雲に乗れば五分でアクセス可能である。
ただ今、その特急八雲なる電車に乗車中。
どうして、どうしてこうなった!
というか、嘘だよね。電車とか、きっと幻覚だよね。国作っちゃうとか、ただのデマだよね。ありえないよね。
そんな気軽に作れるものじゃないはずだよ。ぽんぽんできたら困るんだって。
「あら。みすちー王国の大臣って、紫だったんだ。全く。あいつ、一体何やってんのかしら」
「さ、さあ……」
駅で買った、みすちー王国丸分かりブックから、霊夢は目を離そうとしなかった。
紫が何を思ってこんなことをしているのかは、正直、私にも想像がつかない。
意味が分からない。意味が分からないことなんて、紫さんがするわけがない。だから、みすちー王国なんてあるわけないんだって。
「へー。リグルリグル、みすちーランドってのがあるんだって。百一匹のみすちーと戯れることができるんだって!」
「ないないないないない。そんなの実在するわけありませーん」
異変ともいえる事態なのに、なんでこんなに平然としてるんだよ! ああ、巫女だからか。
私はといえば、もう、想像をはるかに超えたスケールの大きさに、頭がフットーしちゃってるってのに。
だけど。私がどんなにもがいても、この電車とかいう鉄の塊は、みすちー王国に向かって走るだけなのであった。
見渡す限り、ミスティアであった。誰もかれも、ミスティアであった。
駅員さんも、弁当売りも、警官も、そして無数にいる歩行者の全ても、みんなみんな、ミスティアであった。
いやいやいや、よく見れば、みなミスティアの服を着ているだけであった。
ほっとするような、しないような。
「……一体何がどうなってんの」
駅の床も壁も、ミスティアの帽子のマークがぎっしりとつまっている。
改札口なるところにはミスティアの顔が描かれていて、口に切符を入れるようになっていた。
見上げてみると、天井にまでミスティアの全身像があった。
「リグル、あれ見てあれ」
霊夢に指差された方を確認する。
駅を出て真正面。真っ赤な門に、ミスティアの肖像画が掲げられていた。一点の曇りもない笑顔であった。
「天蛾門っていうんだって」
「あああ、もう! 何やってんだよみすちーったらああああ!」
そんな観光名所、あっていいわけがない! みすちー王国なるものが、本当にあるかのようじゃないか!
そう思ってぷいと右を向いてみれば、Vサインしたミスティアの銅像があった。大仏サイズであった。
いやいや、そんなものなどないと思って左を向いてみれば、遠くにヨーロピアンなお城が見えた。その手前ではスフィンクスがどっしり構えてこんにちは。
「ああ、あれはミスティンクスね。お城の守り神なんだって」
だから顔だけミスティアだったのか。よくもあんなおぞましいものを作りおってー!
なんてことだ。ここまでやられたら、もはや、認めざるを得ない。
もうやだ何とかしてください。ミスティアの国でSOS。
「なんてこと! みすちー王国が実在するなんて!」
「実在しないところに招待なんてできないでしょうに」
嫌な現実だ。とことん嫌な現実を叩きつけられてしまった。
今、ミスティアはやっぱり、このわけのわからぬ国の姫になっちゃってるんだ!
「みすちー王国名産、みすまんはいかがみすちー。餡子のほかに、カスタード、八目味もあるみすちー」
「いらっしゃいみすちー! みすちー布団売ってるよ、お土産にいかがみすちー? ふわふわの羽毛布団で、鳥目効果もついてるみすちー!」
「みすちー教をよろしくお願いみすちー! この世の全てはみすちー。全てのエネルギーはみすちーの愛なのですみすちー!」
追い討ちをかけるように、四方八方から、みすちーみすちーと聞こえてくる。
もう、駄目だ。私の何かが、崩壊していく。
ミスティアは、もっとひっそりと私が愛でてやりたかったのに、こんな国のせいでおかしくなっちまった!
「ぶち壊す! 私がこのふざけた国をぶち壊してやるうううう!」
「何なのよリグル。さっきからどうしたのよ?」
「どうしたもなにも、おかしいでしょ! みすちー、紫さんと関わってから変だよ。絶対、操られてるか何かされてるんだって!」
「……変なのはリグルの方だと、私は思うけど」
変なわけあるもんか。
紫さんとミスティアが出会った日から、妙に仕事仕事で忙しくなっちゃって。おかげで全然ミスティアと話せてないんだもん。
そんな憩いの日々を奪われたんだ。国を滅ぼしたくなって当然じゃないか!
「あんたはミスティアんとこの常連なんでしょ? その屋台が発展して、ここまで大きくなれたのよ。それなら、喜んであげるべきじゃないの」
「え? あ、あれ? それは、そうかもしれないけど……」
霊夢が言うのも、間違っていない。ひょっとしたら私、喜ばなくちゃいけないの?
確かに、屋台が赤字でつぶれちゃうよりは、ずっといいはずなんだ。
それなのに、どうして私はこんなにも、この国を否定したいのだろう。
「あんたね。これから城に入ろうってのに、あんまりぶっそうな事は言わないほうがいいわよ?」
「そ、そうだよね……。できるだけ穏便にがんばります……」
そうだった。建国記念とやらで、ミスティアに会いに行くんだったよ。
でも、のほほんとパーティーなんかやって、のこのこ帰るわけにはいかないよ。
早速ミスティアに直談判してやるんだ。こんな遊びはやめるんだってね。
なんとしてでも、ミスティアを取り戻すのよ!
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真紅のカーペットに、金色のシャンデリア。ステンドグラスからは、ミスティア色の光が差し込んでいる。
十二階建ての城というだけあって、中はずいぶん広かった。
だけど、とうとう玉座の間にたどり着いた。動く歩道やらエスカレーターなる乗り物のおかげですぐついちゃったけど。
とにかく、これでミスティアに会えるんだ。
「ミスティア様の、おなーりー!」
家来の声とともに、黄金のドラがジャーンジャーンと鳴らされた。
それを合図に、オーケストラによる「もう歌しか聞こえない」の演奏が始まった。
「下にー! 下にぃ!」
軽妙なリズムと共に、大名行列がのっしのっし入室してきた。
その中ほどにあった、金箔の貼られた籠がスタイリッシュに大爆発! と、何者かがそこから飛び出した。ミスティア・ローレライだ!
空中で膝を抱え込み四回転半した後、玉座にホールインワンするのであった。ただし頭から。
「いたいー。……あ、リグル! 霊夢も! いらっさーい!」
「……みすちー。どこから突っ込めばよかったのかな、私」
そもそも格好が意味不明だし。全身に金箔を貼り付けてるんだもん。
頭はニワトリのトサカみたいな飾りをつけてるし。背中には虹色がぎらぎら光るクジャクのような羽飾り。
サンバフェスティバルに行きたくてしかたがないみたいだ。
「んもう、久しぶりなんだし、細かいことは気にしないの。来てくれてよかったー」
「できればもうちょっと普通の再会がよかった……」
「あら、いいじゃない。たまにはこういう見世物もありだと思うわ」
霊夢はまたも、目を輝かせていましたとさ。
誰か味方プリーズ。
「……まあ、無事に会えてよかった。あのねみすちー。私、なんというか、お願いがあるんだよ」
「あら奇遇。私もね、リグルにお願いがあるんだよ」
ミスティアも? ミスティアを何とか取り戻すってことしか考えていなかったから、意外だった。
……だけど、霊夢は何のために来させられたんだろう。紫さんは何がしたいのか本当に分からない。
「あのね。私、リグルに大臣やってほしいの! お城の中、知り合いもあんまりいなくって。退屈なのよ。一緒にお城で住もうよ、ね?」
「それは……。駄目だよ、うん。そのお願いは聞けない」
「ど、どうして? やっぱり、面倒くさそう? 大臣って。大丈夫、私とおしゃべりするだけでいいから」
「そうじゃなくって! 私ね。みすちーが帰ってきてほしいの! 今のみすちー、みすちーじゃないみたいで、嫌なんだよ、私!」
一歩、玉座に向かって踏み出す。
YATAIの時からうすうす思っていたことを、今、ようやく解き放つことができる。
ミスティアは羽をぴくっとさせた。
「……リグル、それは……」
「みすちー。きっと紫さんに良いように使われてるんだよ。そんなの嫌でしょ?」
「確かに、そうかもしれないけど」
「だからね、みすちーお願い。こんな女王なんて辞めようよ。帰ってきてほしいよ! だから、お願い!」
「……困っちゃうな。それ、無理なんだもん」
本人からの拒絶。想定外の事態であった。
ちょっとした遊びのように、辞めようと誘えば、ミスティアは帰ってくると思っていたのだ。
「あのね。私がここまで来れたのは、皆の応援があってなのよ。今だって、国民の皆が好きでいてくれる。それを無視して、ぽんっと辞めるなんて、できないよ」
「そ、そこをなんとか……」
「……私だって、お姫様ごっこなんて飽きちゃったよ。私だって、そうしたいよ。でも、一度こうなっちゃったからには、もう簡単には戻れない……」
もはやミスティアは引き返すことができない。
一度こういった立場ができてしまうと、それを捨てることはできない。
なぜなら、それは本人が今まで築いた実績や名声まで捨てるということを意味するからだ。
「でも、一国の姫だなんて、中々素敵じゃない? いいことだと思うけど」
「……霊夢に褒められるって変な感じー」
もう、どうしようもない。
辞めるに辞められないのならば、私も霊夢のように、現状を受け入れるしかない。
そう思いかけたとき。
聞き覚えのある声が、部屋を支配した。
「ふふふ、ならば私がそんな地位、引きずりおろしてあげるわ!」
玉座から。にょきにょきと。八雲紫が生えてきた!
ミスティアを頭に乗っけたまま、紫さんが玉座にどっかと座った。
あまりのことに、ミスティアはびっくりしておろおろするばかり。
「なな、何が起こったの!?」
「悪いわねミスティア。クーデターよ。実力行使によって、この椅子をいただくわ」
ク、クーデターですって!? 何て物騒な!
ミスティアはようやく事態を理解したのか、紫さんの頭からぴょんと飛び降りた。
「ふ、ふざけないでよ! ここは私の国! あんたなんかに勤まるわけ……!」
「私の国ですって? ふふ。よく考えてごらんなさいな。屋台発展の資金調達、無茶をした結界の管理、交通機関にエネルギー源の整備……。一体、誰がやったとお思いで?」
ミスティアはもはや、何も言い返すことができない。代わりに手を、ぎゅっと握り締めるだけだった。
それを見た紫さんは、口の端をにたりと上げて冷たく微笑んだ。
「そう、藍よ!」
「藍かよ!」
発電所からミスフィンクスまで、藍さん、お疲れ様です。
目に見えないところでがんばってるんだろうなあ。涙が出ちゃう。
「藍の功績は私の功績。私の功績は私の功績。私がこの国のトップになってもいいじゃない。ねえ」
なんだか汚いぞ。確かに、紫さんの力がなければ、屋台はこんな国にまで成長するなんてことは無かった。
だからといって、今更ミスティアから王の座を奪うなんて。結局、私たちを利用していたんじゃないか。
「もし、私がこの国の王になったら……。とっても素敵なことをしようと思うの。霊夢のために」
「……何よ、今更」
霊夢の目が鋭くなった。お金くれない騒動のごたごた、まだ引きずっていたか。
あの屋台の日以来、霊夢と紫さん、会ってなかったしなあ。
「まあまあ、百聞は一見にしかず。じゃじゃーん」
紫さんが中空から、にょっきりと白いものを取り出した。
光沢のある純白のシルクで、あっちこっちにふりふりとしたワンピースの……。ドレス?
まずい、霊夢を引き込まれてしまう!
「え、なに、そのドレス……。まさか、私に?」
「そうよ。霊夢はお姫様。この国を乗っ取って、神聖ゆかれいむ帝国をつくるのよ!」
な、なんだってー! し、神聖ゆかれいむ帝国!
それ作るために、ここまでやったのかよ!? ものすっごい私利私欲な感じがするんですけど!
「想像して御覧なさい、霊夢。この国のミスティア成分が、全てゆかれいむに変わる様を。この国にあるもの、全てをあなたに捧げられるわ」
「そ、そんなこと言われても! わ、私には巫女って仕事が……」
「ああ、大丈夫よ。巫女である必要なんてない。あなたは巫女じゃなくて、幻想郷を守護するお姫様として生まれ変われるの。きっと似合うわよー」
「うう……。ううううー……」
霊夢の目がぐるぐるぐるぐる回り始めた! そりゃ、姫になってくれだなんて突然いわれたら、巫女だって混乱しますって。
……と、ちょこちょこと紫さんへ向かって小走り。
そして、小声でぽそりとつぶやいた。
「……よ、よろしくお願いします」
あああ、霊夢がフィッシングされてしまった! 巫女ってそんな簡単に捨ててもいいことなんですか!?
ちくしょう、紫、知ってたな。霊夢がそういうメルヘンで楽しそうなこと、密かに好きなんだってこと!
どうしよう。このままじゃ、みすちーの国が乗っ取られる!
……いや、乗っ取られてもいいんだけどさ。ミスティアは帰ってくるし。でも何か、無理矢理だとちょっぴり可哀想でさ。
「霊夢、そんな怪しい話に乗っちゃうの? 紫のやつ、何考えてるのか分かんないよ?」
「あのね。あんた、自分が誘われたら、断れる? あんたオリジナルの国で、虫姫様になれるのよ?」
「そ、それは……。断れないや、あはは……」
「リ、リグル! 何言ってんの! 霊夢を止めてよ!? このままじゃ霊夢が姫になっちゃうじゃない!」
「……みすちーだってお姫様してたくせにー」
「そ、それはそれで、これはこれだもん!」
そもそも、紫さんを相手にするのが間違ってたんだよ。それに加えて、霊夢が向こうの味方になったんじゃ、お手上げだ。
こうなっちゃもう、誰にも止められないよ。もっとも、私はあんまり止める気は無いけど。
「さあミスティア、どうする? あなたの選択肢は二つ。一番、おとなしく国を明け渡す。二番、私と霊夢のダブル講師による弾幕講座を受けてから国を明け渡す。さあどっち?」
「うー。……い、一番でお願いします……」
かくして、みすちー王国はさっくり滅亡。代わって神聖ゆかれいむ帝国が誕生したのである。
人呼んで、痴情の楽園であるとか、何とか。
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「えーっと。『霊夢様、本日は黒毛和牛のしゃぶしゃぶを召し上がる。顔色は依然優れないものの、その美貌は揺ぎ無いものであった。ゆかれいむ万歳……』」
「毎回毎回ゆかれいむマンセーだね……。さすが八雲新聞」
ゆかれいむ帝国ができて、もう五日が経つ。
私とミスティアは、彼女らの様子をうかがうため、この国に潜伏し続けていた。
……とはいっても、無人喫茶店の中で、明らかに言論統制の入った新聞を読むことしかできないのだけど。
しかもこの無人喫茶店、ロボットが経営してるものだから、味気ないったらありゃしない。
だけど、客入りが少ないのがいい。今なんて、私たちの他に誰もいないおかげで、どんなことでも気兼ねなく話せるのが助かる。
「でもさ、毎日毎日、いくらなんでも贅沢しすぎじゃないかなあ……」
「そうだねー。昨日は世界のお酒ノミクラーベ大会で、他には……。ねえ、贅沢だあ」
「さては覚えてないなー。あとは、霊夢オンリーファッションショーとかあったよ」
ジーンズ霊夢にゴスロリフリルふりふり霊夢、はたまたハワイアンな霊夢まで、楽しそうに世界中の服を着こなしていたのが印象的だ。
しかし、ここ二、三日の霊夢の写真からは笑顔が消えてしまっていた。
どうしちゃったんだろう。
「……二日酔いとか、かなあ」
「え、何が?」
「ん、最近の霊夢。なんか、苦しそうにしてるじゃん。ほら」
今日の新聞に載ってある、霊夢の写真に指をさす。
霊夢の表情は険しい。大量の超高級食材を目の前にしているのに、ぼんやりとうつむいている。
「それは……。二日酔いなわけ、ないじゃん」
「まあ、確かに。単純に体調が悪いって感じには見えないけど。何か分かるの?」
「うん。私も姫、してたからさ。なんとなく、分かるの」
ミスティアは霊夢の写真を見て、そしてどこか遠くのほうに視線を移す。
「多分だけどね。姫ってさ。もう、何でも手に入っちゃうの。だから……。なんていうんだろ、他になにもなくなっちゃって。つまんなくって」
「……私も、分かるかも。この国の人、見てたらそう思うよ」
ゆかれいむ帝国は、恐ろしいほどに生活水準が高くなっていた。
例えば、この喫茶店。ロボットが店主のくせに、出てくる品は皆、文句のつけようのないおいしさなのである。
掃除や洗濯なんてしなくても、町中に配備してあるサービスロボットが、定期的に仕事してくれる。
娯楽にさえ困らない。みすちーランドは買収済み、さまざまなゆかれいむアトラクションが楽しめるようになった。
今や誰もが、バーチャル空間で紫さんか霊夢のどっちかになって、ゆかれいむ体験できちゃうとか。
……そんな素敵な世の中のはずなのに、国民の目には、どこにも輝きがなくなってしまった。
不気味なことに。その辺の道端で、何をするでもなく、ぼーっと座っているやつが大勢いるのだ。
「でもねリグル。前にもいったけど、一度こうなっちゃうと、戻れないのが、一番きついのよ」
「……言ってたっけ」
「言ったよー。……多分、霊夢もそう。このままじゃ、どんな贅沢しても何も楽しくないし、なのに、普通の暮らしにも戻りたくなくなって。可哀想だよ……」
そのミスティアの声に呼応するように。
無人喫茶店のドアが、吹き飛ばされるような勢いでぶち開けられた!
「こんな国はもう、滅ぼすしかない!」
そこには、黒い何かがいた。外のよどんだ光を背にして、ただ立っていた。
全身、黒いローブに身を包んでいて、フードを深く被っている。一体、誰なのかわからない。
その剣幕に、ミスティアはすっかりパニック。
「な、な、な、な、なにやつ!? くせものじゃ!? 出会え出会えー!」
「私は、怪しいものではないわ。ただ……」
私たちの席に、かつんかつんと歩み寄ってくる。
フードから見える、白い肌が映えていた。
「ゆかれいむ帝国滅亡を望む、ただそれだけの者よ」
そう言って、私の隣に座ったのだった。
怖いこと言ってる怖い人が近くにいて怖いよう! ひょっとして。こ、殺し屋さん?
「と、とにかくあなた、誰なんですか? 一体……」
「コードネーム……。コンバット西行とだけ言っておくわ」
コンバット西行だと! 何者なんだ……。
全くもって謎に包まれた彼女は、やっぱり謎めいた話をよこしてくれた。
「私自身、ゆかれいむだなんて認めたくないのだけど……。きっと、紫は私以上に、この世界を望んでいないわ」
「え、紫さんが? 思いっきり霊夢といちゃいちゃできるのに?」
「それが目的だったら、紫はこんな国なんて作らないわ。もっとちゃっかり、賢くやるはずなのに」
……そうかなあ。そうだったらいいんだけどなあ。
紫さんの行動パターンって、全く分からない。いちゃいちゃするためだけのために、国だって作りかねないよ。
でも、コンバット西行は紫さんのこと、よく分かるのかなあ。
私の疑問を代弁するように、ミスティアが恐る恐る質問する。
「じゃあ、紫さんは、なんでこんなことしたの? 面倒くさそうなのに、わざわざこんな国なんて作って……」
「この国は、滅ぼされるために作られた国よ。それが目的。だから、滅ぼさねばならない」
出た。出たよ、回りくどい言い方。頭のいい妖怪さんは、いつも回りくどい言い方をするから困る。
滅ぼされるためって、そっちのほうがよっぽど無意味だと思うんだけど。
「……わかんないよ。わかんないけど、滅ぼさないとって私もそう思う! だって、霊夢を助けたいもん。滅ぼさないと、霊夢、苦しいだけだもん!」
「みすちー……。でも、そうするしか、ないかもしれないね」
「ふふふ、乗ってきたわね。なら、話が早いわ」
フードの奥の、どこか妖艶な唇が笑う。そして、ローブから伸びる白い手が、私たちを指差した。
「この国を滅ぼせるのは、あなた達だけ。あなた達の力が必要なのよ!」
「ちょ、ちょっと待ってー! 相手は、紫に霊夢よ? 無理言わないでよ!」
「将を射んと欲すればまず馬を射よ」
親指ぐっとつきだして言われても、そんな難しい言葉わかりませんってば。
「最初から、そんなところに向かっていっても駄目よ。国はトップだけでできてるんじゃないんだから」
「……みんなの支持が、いるってこと?」
「そう。そして国民の信頼を集める力を持っているのが……。ミスティア、あなたよ」
「わ、私!?」
「そうでなければ、紫はあなたを利用なんてしなかったでしょうね」
そうか、だからこそコンバット西行は私たちに話を持ちかけてきたんだ。
ミスティアは、何もせずに国を作ったんじゃない。藍さんの力だけじゃないんだよ。
つまり、多くの者を魅了した、コンサートホールなら……。
いや、違う。その程度のエンターテイメント施設なら、この国に腐るほどある。
それなら、みんなを一泡吹かせてやるには……。
「……そうだよ。原点にもどろうよ」
「どうしたの、リグル」
「屋台だよ、みすちー! 私だから、分かる。ここのみんなは、あんたの屋台を欲している!」
「あらあら、ずいぶん早く気づいたのね。つまんないわー」
「屋台。屋台かー。ずいぶん、久しぶりだなあ。……でも、あんなんで大丈夫かなあ」
「大丈夫、問題ないわ。なぜなら……」
そう言って、コンバット西行は唐突に、すっくと立ち上がる。そして頭に手を伸ばす。
大胆にも、黒いフードがバサリと宙を舞う。脱ぎ捨てた! コンバット西行寺幽々子さんが、フードを脱ぎ捨てたのだ!
「私もあなたのファンだからよ!」
「げぇっ! 幽々子!」
「え、みすちー気づいてなかったの?」
というか、幽々子さん、いつからファンになってたんだよ。
でも、よかった。味方が多いにこしたことはない。
「でも、私はこの国では忌み嫌われた存在……。ゆかれいむ以外認められないんだもの。表立って動けないのよー。よよよ……」
「そ、それは気の毒に……」
「でも、屋台のために食材だけは用意してきたわ! これぐらいしか役に立てないけど、感謝してちょうだい!」
「おお、なんて都合よく準備がいい!」
「実際に集めてくれたのは妖夢だけどね! 持ってくるのも妖夢だけどね!」
「結局、妖夢かよ!」
なんでこういう連中は、みんな人任せなんだよ。
でも、とにかくこれで、屋台を再開することができる。
みてろ。本当の屋台の魅力というものを、思い知らせてやるんだから。
よし、屋台で国を滅ぼしてやる!
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黄金色の空から光が失われ、代わりに砂金のような星が夜空に姿を現した。
屋台からは、すでに客の楽しそうな笑い声が響いている。
そこに、草を踏み分け踏み分け、ざっざと近づく二つの影があった。
「お久しぶり。リグル、ミスティア」
「とうとう来たわね。……いらっしゃい」
「ううん。私はただのつきそい。客じゃないわ。今日のお客は……こっちよ」
紫さんと霊夢だった。相も変わらず、霊夢はきらきらピンクのドレスであった。
しかし、服の華やかさとは裏腹に、当の霊夢自身はなんだかやつれてきてて、視点がふわふわしていた。
「……何よ、こんな汚らしいとこで、ご飯なんて食べるの?」
「まあまあ、霊夢。今や、屋台って国民的大ブームなのよ。食べて損は無いと思うわ」
「何がブームよ。どうせ、ただの魚じゃない。魚ぐらい、どんなのも食べたわよ。今更、どうってこと……」
「まあまあ、お客さん。なーんにも考えなくて結構。いらっしゃいなー」
恐るべきことに。
霊夢は、全てのうまい料理を知り尽くし、美しい服を着こなし、ハイクオリティな娯楽を経験してしまったのだった。
魚料理はもちろんのこと、肉料理から野菜料理、はたまたナマコ料理にまで精通しているらしいのだ。ソースは八雲新聞。
だからこそ、どんな料理にすら、いや、世の中全てに飽き飽きしているのだろう。
「……ミスティア。ここ、煙くさいわよ。それに、屋台もなんか、ぼろっちいし……」
「ふふふ、でしょー。で、どうなのよ最近。忙しそうにしてたじゃない」
「どうもこうも、別に何も……」
なにやら、他のみんなに対する興味すら失ってきているかのようだ。
いつもにまして、反応が淡白だ。
あら、みすちーがこちらに困ったような目配せ。まかせておいて。
「私ね。みすちーもだけど。ここんところ、屋台の準備だらけで大変だったのよー」
「……聞いてないけど?」
「でも、思ったより順調でね。みんなこういう場所を待ってたみたい。お客さんも、わりとすぐ、たくさん来るようになったし」
「へえ……」
「霊夢はどう? うまくやってる?」
「……そんなには」
新聞で様子も見てるし、答えの分かりきってる質問なんだけどね。
でも、こういうお客に対して、私のすることはひとつ。
常連客として。店を少しでも素敵なものにするために。いつでも変わらずやっている。
「これ、飲む?」
「……いらないわよ。安酒ってあんまり飲めなくなっちゃったわよ」
「まあまあ、そういわずにどうぞどうぞ」
「いや、いいってば」
「飲んだらなんとかなるってば。さささ、どうぞどうぞどうぞ」
「はいはいはい、もらっとくってば」
そういって、強引に私からコップを奪うのであった。
しかし、奪うだけ奪って、飲もうとはしない。
でも、焦る必要はない。その気になれば、自然とお酒に手が伸びるというものなのだ。
「……で。メニューもないのかしら、ここは」
「ん? 何かほしい? じゃあみすちー。いつものお願い! とりあえず四つね」
「はーい!」
「なによいつものって」
「ん? そりゃあ、八目の串焼きだよ。そういえば、YATAIのお弁当にも入ってたね」
「ああ、あれね……。そう。じゃ、期待して待とうかしら」
覚えていてくれたんだね。ほんの少しだけ、霊夢の声が明るくなったような気がした。
その声に反応したのか、陽気な妖精がこちらをじーっと見てから、ぱたぱたとやってきた。
「ねえ、ねえ。あなた霊夢でしょ? 霊夢でしょ?」
「な、なによあんた。馴れ馴れしい。私、これでもこの国の姫よ?」
「知ってる知ってる! 霊夢って巫女で姫なんでしょ? いいなー」
「巫女で姫ってなんなのよ。それに、別に、いいってわけでも……」
「姫って何してるの? 楽しい? 王子様っていないの?」
「ああ、もう! ちょっとは人の話を聞きなさいよ!」
「わー! やっぱりいつもの霊夢だー!」
「……なにがよ」
意外なことを言われたのか、霊夢の眉がぴくりと上がった。
名も無い妖精は、笑顔で絶やすことなく、興味のままに話し続けている。
「だって私、知ってるもん。霊夢、よく怒ってたじゃん。私が弾出すと、すぐ撃ち返してくるんだー」
「いつもって言われても。知らないわよ、あんたのことなんて。いちいち妖精なんか、覚えてられないもの」
「それでいいよ。でも私は、霊夢見るたび、からかって遊んであげるからー」
「からかうな!」
なんだか、傍から見ていて面白い。
かたや、一国の姫。かたや、ただの名も無い雑魚妖精。
彼女らが、いつの間にか対等に話せるって。屋台ったら不思議なところだ。
そんな不思議な屋台の店主が、ちょっぴり緊張した面持ちで、串を手に取った。
「はーい。八目の串焼きだよ。召し上がれ!」
「はい、それじゃ、これ。霊夢の分ね」
「どうも。それじゃ、いただきます……」
霊夢に視線が集まる。ミスティアも、私も、そして紫さんも、霊夢を見つめている。
そう、全てはこれで決まるのだ。
全力の勝負。姫が食べてきた、全ての食べ物と勝負する。
誰かの、唾液を飲み込む音が響いた。
「……」
しかし。
霊夢はうつむいたまま、何も言葉を発さない。
皿の裏まで透かして見るような、にらみつけるような眼差しで、串焼きを眺める。
そうしたかと思うと、ゆっくりと一口ずつ、口に運んでいくのだ。
その異様な光景は、紫さんにとって、たまらなかったのだろう。霊夢のもとに駆け寄った。
「れ、れいむ……!」
「……なによ」
「その……。お、おいしいかしら。ここの料理……」
予期されていない、質問であった。
なぜなら、霊夢の口から「おいしい」という言葉が、自然にこぼれると思っていたからだ。
しかし、彼女は無言。直接的に聞かなくては、ならなくなった。
それが結果的に、霊夢の思ったままの気持ちを引き出すことに、つながった。
「おいしいわけ、ないじゃない」
「れ、霊夢。あなた……!」
紫さんが、途端にうろたえはじめた。声が震えている。
ミスティアは今も、店主として、凛と立っている。しかし、それも今やか細い棒のように見えてしまう。
静寂な森に、一風が通った。木々が、うなり始める。赤提灯まで、かたかたと揺れた。
「魚もそんなに上級じゃない。タレも、ちょっと甘すぎる」
「霊夢……?」
「それに、あっちこっち焦げてるの。変に苦くて。おいしく、ない」
霊夢は、ひたすら冷静に、淡々と屋台の料理を批判する。
声色を、何一つ変えることがない。
「肉も薄っぺらいし、全然、魚のうまみってのがないのよ」
ひとつひとつ、恨みでも何かあったのかというほど、ぼろぼろといちゃもんをつけてくる。
料理だけでなく、屋台のことから、何から何まで言いたい放題だ。
「炭の香りだって、全然。よっぽどいいの使った料理、最近食べたばっかりよ」
でも、箸を止めることはなく、黙々と食べては一言つけるのだ。
矛盾を内包したような、奇妙な光景の中心に、彼女がいた。
「屋台だって、こんな、へなちょこだし。性質の悪い妖精だって絡んできて、困っちゃうし」
そして、全ての串焼きが、皿の上から姿を消した時。霊夢が、顔をゆっくりと立ち上がらせる。
彼女の黒髪が、ふわりと踊った。
「それなのに、ふしぎと、あたたまるの……」
霊夢が、微かに目を細める。
そして、あのコップに手を伸ばしてくれた。
「やっぱり、好きなのよ。こっちの、ちっぽけで、古臭いとこで、わけの分からないやつと、ぎゃいぎゃいするのが」
「……そっか」
ミスティアはそれだけ言って、にっこりと私に微笑んだ。
分かってたって。絶対うまくいくって。
「ふう。全く、どきどきさせちゃうんだから、霊夢ときたら」
なにやら安心しきって顔がゆるゆるになってしまった紫さんが、私の隣にぽんと座った。
「でも、なんとかうまくいって、よかった」
「そうね。これも、ミスティアとリグルのお陰よ。感謝するわ」
「いやいや、そんなもったいない」
「そこで謙遜なんかいらないわよ。なんてったって、あなた達は幻想郷の救世主なんですもの」
……はい? 救世主? 幻想郷の?
そんなこと、これっぽっちも意識してなかったよ! 何を言いたいのパープルさんったら!
「きゅ、きゅ、救世主。いやいや、そんなつもり、全然……」
「霊夢だって一人の女の子。新しいものに可愛いもの、色んなものに目がいくのは当然。しょうがないじゃない?」
「……まあ、確かにそんな感じ、あったね」
「でも、これが厄介でねえ。満たさなければ、渇望。満たせば、欲望の肥大。どちらにしても、霊夢は嫌な思いをすることになるわ」
「……それで、この国?」
「せいかーい。それならいっそ、限界を見せるほど霊夢を満たしてあげるの! 満たすなんてもんじゃない。溢れて、飽き飽きするほどに! そうして初めて、私たちの世界の魅力を伝えられるのよ」
なんだか、言ってることは滅茶苦茶な気がするけれど、結果的にはうまくいっているのが不思議だ。
どこまで、計画していたんだろうね。
「あのままの霊夢じゃ、幻想郷を愛せなくなっていたのかもしれないのよ。だから、こうでもするしかなかったの」
「……いまだに、紫さんが、霊夢といちゃいちゃするために国建てちゃったんじゃないかって思うよ」
「それも、まあ……。いえ、とにかく。あなた方は霊夢を救ったのよ。これが救世主じゃなくてなんなのかしら」
「……そう、なのかな。えっと。あ、ありがとうございます」
「分かればよろしい」
そうかー。私とミスティア、霊夢を救ったのか。全然、実感がわかないけれど。
でも。屋台の魅力が、こういったことに繋がってくれるのは、純粋にうれしいな。
「……というわけで。霊夢、そろそろ……」
「んー? どしたの紫、もう帰る時間ー?」
「そうね。でも、あなたは、どっちに帰るつもりかしら」
ちょっといじわるな質問だったけど、霊夢の答えはもう、決まりきっている。
「そんなの当たり前。身も心も、愉快なやつらがいっぱい待ってるとこでしょうが」
「え、霊夢どっちかしららららら具体的に言わないと怖いの心配なの不安なののののの」
「いやだから幻想郷」
ちょっと格好よく決めようとしたのに、全然決まってないじゃないか。
そんなお茶目な日を最後に、この国はその役割を終えた。
霊夢の心を、幻想郷に取り戻すという使命を果たして。
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ほのかに暗い森の中、赤提灯が優しく光る。今日も誰かを誘うように、ミスティアの歌声が響いていた。
今日は元の幻想郷に戻ってから、開店初日である。「みんなの心に幻想を」をモットーに、以前よりちょっぴり多いお客を相手にするようになっていた。
……中には、困ったお客もいるもんだけどね。
「びぇぇぇぇぇぇぇぇ! ふええええええええん!」
はい。この八雲紫さん。ことあるごとに屋台に居座るようになってしまったのである。
この問題児め。さすがは困ったちゃん。
「……紫さん、泣いてばっかりな気がするけど」
「そんなこと言われても困るわよこんなに可憐な少女が泣いてんのよ『ボンボヤージュ君の瞳は夜空に輝く三日月さ』って言いなさいよ」
「前より悪化してるよ!? 本格的にわけ分からないって! ……で、どうしたのよ」
「幽々子が、幽々子が口を聞いてくれなくなったのよー!」
「あ……。あはー。そうかー」
「なんにも、なんにも悪いことしてないのに、どうしてぇぇぇぇえええええ!」
それはね。ゆかれいむ帝国なんて作っちゃったからだね。必然だよ。
しかもね、紫さん。幽々子さん、来てるんですよ。
向かい側の席に目をやると、幽々子さん、いや、コンバット西行が人差し指を唇の前に立てていた。
幽々子さんも、いつのまにか常連となっているのであった。
隠密行動、もとい紫さんウォッチングが趣味になってしまっているんだとか。ストーカーめー。
そして何よりもう一人。忘れてはならない、私たちの新しい常連客ができたのだ。
「みすちー、お客さん!」
「はいはーい!」
彼女が、土にすとんと足をつける。そして、ゆっくりと屋台に歩み寄ってくる音がする。
時々、足を止めて。そしてまた一歩、歩みだすのがよく分かる。
一歩ごとに、私たちに近づいてくれる。
「おお、いらっしゃーい!」
「久しぶり、霊夢!」
「霊夢。……お帰りなさい」
のれんをくぐって、ゴールイン。
彼女が彼女たる姿である。おめでたくて仕方ない色の服した巫女が、そこにいる。
霊夢が、霊夢として、来てくれた。
今日も、ちっぽけな屋台の中で、泣いて喧嘩して笑って飲んで、にぎやかがぎゅーぎゅーに詰まっているのだった。
その中心には、やっぱり彼女がいないといけなかった。
「……ただいま」
>>今ここに誕生してしまたt。
相変わらずところどころにネタを混ぜるのが上手いことで…
>「そう、藍よ!」
自分も素で突っ込んでしまったw
幽々子様かわいいよ幽々子様
間の小ネタも面白かったー。楽しませてもらいました。
あー面白かった。
素晴らしい以外に何と言いましょうか。
東方蟲姫蹴
いい構成センスだ
ところで虫姫さまは流石にまずいだろ最終鬼畜的に考えてww
気のせいか
なんかちょこちょこ妖精がいる…
笑って、突っ込んで、ちょっとほろりとして。最後までノリよく一気に読めた作品でした。
って…あれ? 実はリグル具体的には何もしてな……いやいやっ。
しかし、不思議と心が晴れ晴れとするのは何故だろう。
良い話でした