まるで、星が降ってくるような夜。
秋は冷たく、澄んだ空気が美しくて心地よい。
何回、何十回も指を折るほどの年月を経て、やっとこの感覚がわかった。
長い時を生きたからこそ、そう感じることができる。
そう考えると、人生はあまりにも短いものだと再確認できた。
永遠。
その言葉が、何度も何度もループを繰り返す。
それは逃れることのできない、自分で選んだ定めだと分かっている。
だけどそれを何度否定してきたことだろう。
しかし、受け入れなければ前に進むことなんてできない。
だから、そのなかで生きてきたのだ。
一人で、自分と戦いながら。
◆
竹林から少しばかり離れたところに、ぽつんと一軒の小屋がある。
そこに、しばらく前から妹紅は住んでいる。
竹林の警備をしている身としては、少しでも近い場所に住んでいた方がいい、そう考えたからだ。
ここなら座って眺める風景は、目に焼き付いている。
緑で鮮やかな竹と、少しの風に揺れる笹。
道端には雑草が根を自由に伸ばしている。
気まぐれで草を抜くくらいなので、今は生え切っていた。
秋の夜風にふわりと笹の葉が揺れ、さぁーっ、と涼しげな音が響き渡り、耳に届く。
いつの日にか聞いた、潮騒にも似たメロディーは、秋の虫の鳴き声と共演する。
妙にそれが心地よくて、傍にある一升瓶に手を伸ばした。
既に中のお酒は半分になっているのは、それだけ飲んだからだ。
瓶の淵に口をそっと付ければ、手首を使って酒瓶を持ち上げた。
とぷんっ、と瓶の中で酒は波打ち、そのまま喉まで流れ込んでくる。
人里で売ってる安酒だけど、何となく気に入っているお酒だった。
「妹紅、今日はちょっと飲みすぎじゃないか?」
「ん? そんなことないよ」
背後からは、慧音の声が聞こえた。
妹紅が振り向けば、もうすでに隣に立っていた。
「隣、いい?」
「どうぞ。でも、もうすぐ竹林の見回りに行くけどね」
「そうか。じゃあ、その時もお供させてもらっても?」
「構わないよ」
そうか、と慧音は返し、隣に座る。
ふわっと揺れる髪の毛からは、ほんのり甘い香りがした。
ふと隣を見ると、お盆の上にコップが一つある事に気づく。
そういえば、お酒を持ってきたときに一応コップも持ってきたが、いつもの通りで使わなかったのを思い出した。
「外は寒いだろうし、飲んでく?」
「いや、帰ってから飲むことにするよ」
「そう」
ゆっくり妹紅が立ち上がり、壁から架かった提灯を手に取る。
もう数カ月使っていた為か、少し焦げた部分が目立つようになってきた事に改めて気付く。
今度人里で買わなきゃいけないなぁと思いながらも、提灯の中を覗く。
既に短くなっていた蝋燭が姿を現した。
いつも蝋燭を入れてある棚を、人差し指で優しく引く。
そこから出てきたのは、蝋燭ではなく、
「……あれ?」
妹紅の疑問の声だった。
蝋燭が入っているはずの箱は、既に空っぽだったのだ。
髪を掻き、少し前の事を思い出してみる。
買いに行かなきゃいけないなぁとか言ってたのに、誰かが来たから忘れてしまっていたのかもしれない。
あちゃ~と呟き、次に溜息をついた。
「どうしたんだ、妹紅」
「いやねぇ、ちょっと蝋燭切らしちゃってたみたい」
「私が家から持ってこようか?」
「いや、いいよ」
蝋燭なしでも行けるからね、と妹紅は笑う。
そうか、と優しい微笑みで慧音は返した。
棚をゆっくりと押し戻すと、手に持った提灯を元ある場所に戻す。
蝋燭を買いに行くついでに、提灯も買ってしまおうと思った瞬間であった。
何事も、少なくなる前に予備で買っておくべきだったなぁと妹紅は後悔した。
「とりあえず、いこっか」
「あぁ、そうだな」
縁側の方で座っていた慧音が、ゆっくりと立ち上がる。
灯りを消して、二人は玄関へと向かった。
◆
「寒くない?」
「あぁ、大丈夫」
玄関の鍵を簡単に締めると、左のポケットに鍵を入れる。
続けて右手をポケットに入れると、くしゃくしゃになったお札を取りだした。
ほんのり温かい札は、秋の夜風に吹かれてすぐに冷えてしまう。
冷めた札を、熱く、熱く。
人差し指と中指ので挟み、そのまま手先で短く印を結ぶ。
すると、ぼうっ、と音を立てて札の先から炎の熱と光が溢れだした。
月明かりだけが照らす夜も、これなら明るい。
「それじゃあ、ちょっと見回りにでも行こうか」
それに慧音は黙って頷く。
時々、慧音もこうして見回りに付き添うことがある。
何故だかわからないけど、心配らしい。
小さな赤子や、寺子屋に来る子供じゃないんだからと思いながらも、突き放そうとは思わなかった。
これも何故だかは分からなかった。
迷いやすい経路は、大体決まっている。
最初は地図に記しておいたが、もう何年も繰り返しているうちに覚えてしまった。
「妹紅のそれは熱くないのか?」
「ん、これ?」
いつも提灯を持って歩いていたからの質問だろう。
慧音の色に心配の色が滲んでいるのが、灯りのおかげでよくわかる。
思わず笑ってしまい、慧音がむっと声を上げた。
「なぁに、長年生きて身に付けた技だ。熱さなんて感じないよ」
「そ、そうか。ならいいんだ」
次には、安堵の表情に変わっている。
なんとも分かりやすいなぁと、また笑ってしまう。
怪訝な顔を浮かべている慧音は、何やらまた考えているのかもしれない。
先生と言うのは、考える癖が付くのだろうかとさえ思ってしまうほどだった。
妹紅は、何でも無いさと返す。
そうすることで、慧音の表情はまた普通の表情へと戻っていった。
竹林の中は、静かだった。
ただただ、二人の足音と笹の揺れる音だけが響いている。
二人分の足音があるだけ、賑わって聞こえるのは、一人の音に慣れてしまったからかもしれない、と妹紅は思った。
あまりにも長い時間、一人で生きてきた。
だから、こうして二人でいる時間の方が、今までの生涯の中で短いかもしれない。
妹紅は、心の奥底から何か温かいものを感じた。
そして、不意に。
「ん?」
「あ」
ぽつりと、冷たい雫が頭へ落ちた。
二人とも上を見上げると、笹の隙間から黒い雲が流れだしていた事に気付いた。
思わず舌打ちをしてしまう。
手に持った札の火が、滴る雨に揺れる。
消えてしまわないように、札へと力を込める。
より一層力強く燃える炎が、暗い夜道を照らし始めた。
妹紅は、強く降ってしまう前に、走って経路を回る事を考えた。
でなければ、慧音が濡れてしまうからだ。
慧音の手をぎゅっと握って、足を踏み出した。
「走るか、慧音」
「ん? まぁ、別にいいんじゃないか?」
「へ?」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
濡れても構わないと返ってきた来ては、走る意味もない。
「濡れてもいいじゃないか。もとより妹紅の家に泊まる気でいたし、着替えだってある」
「慧音がそう言うならいいんだけど」
握った手を離すと、しとしとと降る雨の中を歩く。
どうやら強く雨が降る様子はないみたいだ。
先ほどから、笹の葉から垂れる雫は少しずつ落ちてくるのを見れば分かる。
ゆったりと流れ落ちるそれは、何となく涙を思わせた。
竹林が泣いているだなんて、頭の中で思った。
ただ生えているだけの竹が、迷いの竹林として邪魔者扱いされている。
だから、これは雨に隠れて泣いているのかもしれない。
妹紅にとって最近のことだが、よく考えるようになった。
慧音と一緒にいると、そうなってしまうのかもしれないなぁとも思う。
慧音ほどの知識はないが、色々と物ごとを考えるのは楽しいものだと妹紅は思うのだ。
乾いた大地に、雨の雫が降り注ぐのを見つめる。
それは、今まで自分が流してきた涙とどちらが多いのだろうと考えてしまう。
あまりにも長い、永遠の中を生きていたせいか、とどうもシリアスな方向に考えてしまう癖があるようだ。
その度にどうしようもないと分かっていながらも、やるせない気持ちが襲ってくる。
長い間一人でいて、何度だって傷を負ってきた。
その傷を涙で何度流してきたことか、妹紅には分からなかった。
「妹紅? どうしたんだ?」
「え?」
「いや、悲しそうな顔をしていたのでな。何か考えていたのか?」
覗きこむようにして慧音が顔色をうかがう。
いつの間にやら顔にまで現れていたらしく、妹紅は笑みを作った。
そんな笑みに対して、慧音はあの心配そうな顔を浮かべるのだ。
「私には言えないことなのか? 私では、妹紅を救うこともできないか?」
「そ、そんなことないさ」
「ほんとうに?」
「あぁ、ほんとうさ」
妹紅は、心配そうな顔で覗きこむ慧音をしっかりと見つめる。
そうして、思いだした。
過去がどうであろうと、今自分は一人じゃないということに。
ただそれだけの事実で、心の中に火がともるような気がした。
「ありがとう、慧音」
「ん? あぁ、どういたしまして……?」
何がありがとうなんだ?と問う慧音を無視して、笑った。
ゆったりと降る雨も無視して、慧音の手を握った。
雨でちょっと濡れているが、妹紅の手にはしっかりと温もりが伝わってくる。
優しくて、溶けるような熱。
それが、とても心地よかった。
「今日は迷ってる人はいないみたいだし、帰ろっか」
「ん、そうだな」
二人は、顔を合わせてにっこりほほ笑む。
手をぎゅっと握って、帰路についた。
◆
雨に濡れた為、妹紅は急きょお風呂を沸かすことにした。
二人ともお風呂に入り、そして寝間着に着換えた。
ぽつんぽつんと屋根を雨が叩く音が、妙に心地よかった。
しかし、お風呂上がりに、秋の夜はちょっぴり寒い。
なので、慧音と一緒にお酒を飲んでいる。
お酒を残しておいてよかったなぁと妹紅は思った。
「寒くない? 寒いんなら毛布持ってくるけど」
「いや、大丈夫さ。ありがとう」
「うん」
特にこれと言った会話もない。
だけど、それがとても心地いいのだ。
ふと、夜空を見上げる。
分厚い雲の間から、微かに見える金色の月がとても美しく感じた。
そして、不意に金木犀の香りが鼻を擽った。
雨の匂いに負けないくらい、ふわりと匂いが漂う。
優しくて、甘美な香り。
どこか、母を思わせるような香り。
「慧音」
無意識のうちに、名前を読んでいた。
「ん?」
当然のように、返事をする慧音。
お酒が入って、ちょっぴり頬が紅くなっているのがよくわかる。
「なんでもない」
そう言い残し、ふふっと笑う。
「そうか」
同様に、慧音も笑った。
その日は、冷たくも温かい夜だった。
へんな男口調よりはるかにいい。
|彡サッ
評価ありがとうございます。
金木犀いい香りですよねぇ。
>桜田ぴよこ 様
評価ありがとうございます。
覗いてもいいのよ。
>3 様
評価ありがとうございます。
退散するなんてもったいない。
>11 様
評価ありがとうございます。
女性っぽい口調の妹紅がいいです(キリッ
>12 様
評価ありがとうございます。
逃げなくてもいいじゃないの。
>19 様
評価ありがとうございます。
ストレートな言葉で十分ですよね。
一緒に見ようよ!
> 様
評価ありがとうございます。
あら、逃げちゃった。