浴槽から上がった時は、まるで自分から湯気が出るようだったのに、今はかすかに熱が残るのみ。
まあ、少し肌が赤いですから、お風呂上りだなってのはわかると思いますが。
「お客さん、お客さん」
「なんでしょう」
「今日はどうしましょうか」
「いつものお願いします」
後ろで髪を拭いていた彼女に返事をすると、くすりとした笑い声。
「好きだね、あきゅ」
「人に髪を触られるのって、気持ち良いんですよね」
とは言っても、誰彼構わず触らせる、というわけではないですが。
「櫛貸して」
「あれ。昨日渡したままなはずですけど」
「え、と。そうだっけ。なら、その中に入ってると思うけど」
背中の方から手が伸びてきて、私の目の前の鏡台に触りました。
下の方に物いれがついてるんですよね、これ。いろいろ詰めすぎて、おかしなことになってたり。
「そうそう。思い出してきた。たしかこの棚に」
かた、かたと音をさせて引き出す。
目に見える範囲には、櫛なんてない。
「ない、んだけど」
「ないみたいですね」
「どこ置いたっけ?」
「私は知りませんが」
鳥は取らずにとりあえず、中身を出してみましょ、ああ、こんなところに桜の栞。
「ミスティアさんミスティアさん」
「んー、なに?今ちょっと置いた場所思い出してるんだけど」
「探している時には探し物は出て来ないものですよ」
「そうだけど。でも、失くしたままは気持ち悪いし、」
阿求のだし、ね。
「そういう相手を心遣う気持ちがあるのなら、なんでもかんでもこういうもの入れに入れるのはやめましょうね。数ヶ月見つからなかった栞やら、せっかくもらったあなたのピアスなんかも奥に押し入れられて」
「ち……ん。はい、ごめんなさい」
「がみがみ言うようですけど、あなたもお店をやっているのだから、こういった小まめなことが大事、と、で、思い出しました?」
あまり言い過ぎるのも難ですし。このまま話を続けてたら、朝になってしまいます。
「あー、その、阿求の話を聞くのに精一杯で。要領わるいから」
「そういうのは真面目っていうんですよ。人の話を聞きながら別のことを考えるより好い、と」
そう言うならば、思い出したか聞くべきではない、というのは言わないでおくとしても。
「たとえば、昨日着た服の、どこかにいれたとか」
「見てくる」
ばっと立ち上がって、飛んでいくミスティアを眺め、って、比喩じゃなく本当に飛ぶのはやめ、
「ああ、もう!危ないから家のなかでは飛ばない!」
驚いたのか、体勢を崩して床にべちゃり。私なら骨折しそうですね、あれ。
「本当、騒がしい……」
まあ、それも楽しいのですが。
「はて、まあが口癖になったような」
まあまあ、あらあら。使い勝手のいい言葉ですしね、まあとかあらは。
「なにもなくともとりあえず、ことに事欠きそういえば、まあと驚き、あらと気付く、なぁんて言葉遊びは流石につまりませんか」
そんなことを言っていると、どたどたと走る音。
夜なんですから、静かにしてほしいものですが。ま、いえ、今私はまあなんて言ってませんよ、もちろん。
走る音ぐらいならご近所には聞こえないでしょうけど。宴会ほど騒がしいわけでもなし。
「あったあった!洗う前でよかったぁ……」
「ええ、よかったですね。廊下は走らない」
走って部屋に入ってきた彼女に言いました、けど、たぶん、いえきっと、守らないんでしょうけど、走らないというのは。
「でも飛んじゃ駄目だって言うし」
「歩けばいいじゃないですか」
危ないですし、ね。
「でも、待たせてるし。ん、ほら。じゃあ梳こっか」
「ふぅ……、ええ。では、お願いしますね」
「ため息?幸せが逃げるよ?」
「幸せは薄くなるだけで、逃げませんよ、ため息では」
髪の中ほどを持ち上げられ、そこに、つ、と櫛が入る、
すぅと引かれて、ぱらと先が数本落ちる、気がした。見えませんし、後ろに目はないので。
「あきゅはシャンプーとか買わないの?いいらしいけど」
「新しいものに着いていけない人なので」
「ま、高いしね、まだまだ。河童とかが量産しだすまでまだまだ時間かかりそうだし」
「それに、あの、ぽんぷ、ですか。使ってるうちに壊してしまいそうですし」
「阿求ってそんな不器用だっけ」
いえ、そうではなく、
「あなたが壊しそうなので」
「私はそんな不器用じゃないんだけどなぁ」
ぎぎぎ、と櫛で髪を引き、って、痛い痛い!
「それ、痛いですって!」
「痛くやってるんだもん」
「髪、抜け、つぁっ」
ぷちり、と頭の方で音がした気がしました。
数本、髪が、お亡くなりになられたようです。
「ミスティア」
「……はい」
「私の言葉も悪かったとは思いますが」
「はい」
「思いますが」
「繰り返さないでほしいんだけど。怖いから」
怖く見えるように言ってるんですけどね。
「あなたのそれはやりすぎなんじゃないんでしょうか」
「ごもっともです」
「反省」
「ちん。じゃない、はい。してます、反省」
ちんは、はいの意味だったんですか。
「ごめんなさいは?」
「ごめんなさい」
「じゃあ、私もごめんなさい。酷い言葉でした」
不器用だなんて言われて不快に思わない人はいないでしょうし。
「ううん。ほんとに、ごめんね?」
「ええ。じゃあ、仲直り」
「ち、……うん。仲直り」
「ちん。じゃあ、続きを」
「えっと、なんで阿求がちんとか鳴くの?」
いいじゃないですか。
「そういう気分なんですよ」
櫛がすぅっと引かれて、ぱらりと髪の先が揺れる。
お風呂上りの熱は冷め、まあそれでも心とかは暖かいものです。
「ああ、やっぱりまあが口癖に」
「え、っと。どしたの?」
「いいえ、なんでも」
さぁて。明日はどんな日になりますやら。
まだ、終わってはいませんが。
まあ、少し肌が赤いですから、お風呂上りだなってのはわかると思いますが。
「お客さん、お客さん」
「なんでしょう」
「今日はどうしましょうか」
「いつものお願いします」
後ろで髪を拭いていた彼女に返事をすると、くすりとした笑い声。
「好きだね、あきゅ」
「人に髪を触られるのって、気持ち良いんですよね」
とは言っても、誰彼構わず触らせる、というわけではないですが。
「櫛貸して」
「あれ。昨日渡したままなはずですけど」
「え、と。そうだっけ。なら、その中に入ってると思うけど」
背中の方から手が伸びてきて、私の目の前の鏡台に触りました。
下の方に物いれがついてるんですよね、これ。いろいろ詰めすぎて、おかしなことになってたり。
「そうそう。思い出してきた。たしかこの棚に」
かた、かたと音をさせて引き出す。
目に見える範囲には、櫛なんてない。
「ない、んだけど」
「ないみたいですね」
「どこ置いたっけ?」
「私は知りませんが」
鳥は取らずにとりあえず、中身を出してみましょ、ああ、こんなところに桜の栞。
「ミスティアさんミスティアさん」
「んー、なに?今ちょっと置いた場所思い出してるんだけど」
「探している時には探し物は出て来ないものですよ」
「そうだけど。でも、失くしたままは気持ち悪いし、」
阿求のだし、ね。
「そういう相手を心遣う気持ちがあるのなら、なんでもかんでもこういうもの入れに入れるのはやめましょうね。数ヶ月見つからなかった栞やら、せっかくもらったあなたのピアスなんかも奥に押し入れられて」
「ち……ん。はい、ごめんなさい」
「がみがみ言うようですけど、あなたもお店をやっているのだから、こういった小まめなことが大事、と、で、思い出しました?」
あまり言い過ぎるのも難ですし。このまま話を続けてたら、朝になってしまいます。
「あー、その、阿求の話を聞くのに精一杯で。要領わるいから」
「そういうのは真面目っていうんですよ。人の話を聞きながら別のことを考えるより好い、と」
そう言うならば、思い出したか聞くべきではない、というのは言わないでおくとしても。
「たとえば、昨日着た服の、どこかにいれたとか」
「見てくる」
ばっと立ち上がって、飛んでいくミスティアを眺め、って、比喩じゃなく本当に飛ぶのはやめ、
「ああ、もう!危ないから家のなかでは飛ばない!」
驚いたのか、体勢を崩して床にべちゃり。私なら骨折しそうですね、あれ。
「本当、騒がしい……」
まあ、それも楽しいのですが。
「はて、まあが口癖になったような」
まあまあ、あらあら。使い勝手のいい言葉ですしね、まあとかあらは。
「なにもなくともとりあえず、ことに事欠きそういえば、まあと驚き、あらと気付く、なぁんて言葉遊びは流石につまりませんか」
そんなことを言っていると、どたどたと走る音。
夜なんですから、静かにしてほしいものですが。ま、いえ、今私はまあなんて言ってませんよ、もちろん。
走る音ぐらいならご近所には聞こえないでしょうけど。宴会ほど騒がしいわけでもなし。
「あったあった!洗う前でよかったぁ……」
「ええ、よかったですね。廊下は走らない」
走って部屋に入ってきた彼女に言いました、けど、たぶん、いえきっと、守らないんでしょうけど、走らないというのは。
「でも飛んじゃ駄目だって言うし」
「歩けばいいじゃないですか」
危ないですし、ね。
「でも、待たせてるし。ん、ほら。じゃあ梳こっか」
「ふぅ……、ええ。では、お願いしますね」
「ため息?幸せが逃げるよ?」
「幸せは薄くなるだけで、逃げませんよ、ため息では」
髪の中ほどを持ち上げられ、そこに、つ、と櫛が入る、
すぅと引かれて、ぱらと先が数本落ちる、気がした。見えませんし、後ろに目はないので。
「あきゅはシャンプーとか買わないの?いいらしいけど」
「新しいものに着いていけない人なので」
「ま、高いしね、まだまだ。河童とかが量産しだすまでまだまだ時間かかりそうだし」
「それに、あの、ぽんぷ、ですか。使ってるうちに壊してしまいそうですし」
「阿求ってそんな不器用だっけ」
いえ、そうではなく、
「あなたが壊しそうなので」
「私はそんな不器用じゃないんだけどなぁ」
ぎぎぎ、と櫛で髪を引き、って、痛い痛い!
「それ、痛いですって!」
「痛くやってるんだもん」
「髪、抜け、つぁっ」
ぷちり、と頭の方で音がした気がしました。
数本、髪が、お亡くなりになられたようです。
「ミスティア」
「……はい」
「私の言葉も悪かったとは思いますが」
「はい」
「思いますが」
「繰り返さないでほしいんだけど。怖いから」
怖く見えるように言ってるんですけどね。
「あなたのそれはやりすぎなんじゃないんでしょうか」
「ごもっともです」
「反省」
「ちん。じゃない、はい。してます、反省」
ちんは、はいの意味だったんですか。
「ごめんなさいは?」
「ごめんなさい」
「じゃあ、私もごめんなさい。酷い言葉でした」
不器用だなんて言われて不快に思わない人はいないでしょうし。
「ううん。ほんとに、ごめんね?」
「ええ。じゃあ、仲直り」
「ち、……うん。仲直り」
「ちん。じゃあ、続きを」
「えっと、なんで阿求がちんとか鳴くの?」
いいじゃないですか。
「そういう気分なんですよ」
櫛がすぅっと引かれて、ぱらりと髪の先が揺れる。
お風呂上りの熱は冷め、まあそれでも心とかは暖かいものです。
「ああ、やっぱりまあが口癖に」
「え、っと。どしたの?」
「いいえ、なんでも」
さぁて。明日はどんな日になりますやら。
まだ、終わってはいませんが。
会話のテンポが良くてすっきり読めました
おんせん、いきたい
じかんが、ない…