太陽が真上に昇る少し前。
要は、お昼時の事であった。
博麗神社の一室で、主たる博麗霊夢はご飯を食べようとしている。
――おにぎり。白い米だけの、おにぎり。
断わっておくが、霊夢はアワやヒエが嫌いなわけではない。
然程豪勢とは言えない神社の食事事情で、それらは貴重な栄養源だ。
加えて、独特の味覚や食感はほどほどに舌を楽しませる。
友人知人に振るまっても概ね好評を得ていた。
しかし――白米。
しかも、ただの白米の塊ではない。
海苔が巻かれているのか。否。
具が盛られているのか。否。
それは、新米のみで作られたおにぎりなのだ。
『何時も御苦労さん』と里の人々から分けて貰えたその新米。
せっせと汲んだ井戸水でさっと研ぎ、一時間ほど漬けた純白の粒。
輝きさえも放つ一粒一粒を、何度摘み食いしそうになった事か。
仮にこの場に同じ大きさの金剛石が並べられていても、霊夢は目もくれなかっただろう。
――後々香霖堂へと赴き店主にぶん投げるだろうが、ともかく、今はおにぎりなのだ。
立ち上る湯気に、霊夢は夢想する。
『霊夢さん、霊夢さん、早く食べてくださいな』
『ほかほかの私。今が食べ頃ですよ』
『さぁ、お口を開けて』
おにぎりはしかも、三つ、あぁ三つもある!
(今の私なら空も飛べるはず! や、元から飛べるわね。んと……)
(そうだ、紫とツイスターだって踊ってみせるわ)
(これが世に聞く賢者タイムと言うやつね!)
違う。
意志とは別に、唾が溢れる。
ごくりと、霊夢は喉を鳴らした。
正座を組み直し、両手を合わせ、声を発する。
「いただきます」
躊躇なく左端のおにぎりを掴み、
あんぐりと口を開き、
唇に触れる――。
直前、爆音が響いた。
「霊夢、飯を食ってる場合じゃないぜ! 守矢神社に行くぞ!」
障子さえも打ち壊し、現れたるは、箒に跨る‘普通の魔法使い‘こと霧雨魔理沙。
「聞いてないか、早苗がさ、新しいスペカを作ろうとしてるって!
なんでも、手持ちのスペカの発展形らしいんだよ。
ほら、あれだ、こいし前哨戦の時のやつ。
へへ、ちっくしょう、あいつもきっちり修行してやがるんだな。
この頃妖怪退治も板についてきたし、私たちもうかうかしてられんぜ!」
東風谷早苗――守矢神社の風祝。
同世代の少女の躍進に、心躍らせる魔理沙。
のろのろしちゃいられないとばかりに手を伸ばす。
「あたしの飯を邪魔するたぁいい度胸じゃないかい、霧雨の」
しかし、霊夢にとってはおにぎりの次だった。
「何故にレディース!?」
「神霊‘夢想封印 瞬‘っ!」
「ラストスペはんぎゃぁぁぁっ!」
魔理沙、沈黙。
「後二つ、か……」
勿論、霊夢にとってはおにぎりの次だった。
部屋の片隅で白黒改め黒黒が呻いている。
が、霊夢は気にせず眼前へと集中した。
おにぎりを中心に、世界が広がり、色がつく。
白い輝きが荒んだ心を満たし、この上もない慈愛を覚えた。
(あぁ、かりかりしちゃいけないわ)
(もっと大らかな気持ちにならないと)
(魔理沙の手当てもしないといけないし。食べた後で)
ぱんっ――手を鳴らし、目を閉じる。
「いただきます」
左手を伸ばす。
おにぎりを掴む。
口へと、運ぶ――。
――神槍‘スピア・ザ・グングニル‘!!
寸前、紅い槍がおにぎりを貫いた。
「……ふん、防いだか。面白くないが、まぁ、いい」
眩い陽光を肩にかけた日傘で遮り、周囲を瘴気で満たすのは、‘紅い悪魔‘レミリア・スカーレット。
「愉快か不愉快か判断に迷う所だが……守矢の風祝が、私の技に類似したものを習得中らしい。
尤も、形状は彼奴の方が大型になりそうだがな。
今のがそれだ」
レミリアの耳に入った噂は、こうだ――「山の風祝が麓の巫女に近づくため、ランスを購入した……」。
弾幕戦が主体の幻想郷、近接武器はよほどの熟練がない限り、意味を成さない。
けれど、形を模した弾幕を形成するのはそう難しくはない。
故に、レミリアは警告を発しにきた。
霊夢から視線を少しずらし、続ける。
「……勘違いするなよ、博麗の巫女。
紅い夜、曲がりなりにも私はお前に敗北を喫した。
だから、お前は私以外の存在に敗北するのは、許されんのだ」
敗北を受け入れた‘紅い悪魔‘は、以前と同じく、否、以前よりも、威厳に満ちていた。
ぷに。
「え、あ、なに、霊夢? 私のほっぺに何か付いていて?」
無論、霊夢にとってはおにぎりの次だった。
ぷに。
ぷにぷに。
ぷにぷにぷに。
――‘夢想天生‘。
叫びをあげる暇すらなく、レミリアが宙を舞う。
落ちた先は魔理沙の横だった。
両名、ぴくりともしない。
再三再四繰り返すが、霊夢にとってはおにぎりの次だったのである。
残るおにぎりは一つ。
霊夢は、片手で盆を持ち、立ち上がった。
後方に転がるもはや物体と言っても差支えない一人と一妖など、当然の如く目にも留めない。
確かな足取りで、魔理沙により打ち壊されレミリアにより吹き飛ばされた障子を乗り越える。
と、霊夢の視界に人影が映る。
いるのは解っていた。
「あぁ、おいたわしや。フラグを一瞬で折られてしまうなんて……」
「旗なんか折ってない。レミリアは意識が飛んでるだけ」
「魔理沙ならともかく、お嬢様を一撃で……!?」
縁側の廊下、出てきた霊夢に顔を引きつかせるのは、‘完全で瀟洒な従者‘十六夜咲夜。
手が塞がっている為、首を小さく振り、霊夢は断固とした口調で言ってのける。
「私のご飯を邪魔する奴は、神様だってぶっとばす」
咲夜が身を引いた。冗談には聞こえない。
その横を通り過ぎ、霊夢は靴を履く。
踵を地で叩くこともなく、すっぽりと入った。
盆に乗るおにぎりが揺れることはなく、茶に波紋すら起こらない。
一歩二歩と歩みを進め、ふと立ち止まり、振り返る。
「ソレ、お願いね」
「人の主を……。いやまぁいいけど。何処に?」
「守矢神社。間接的にだけどご飯の邪魔をされたから、御馳走してもらう」
キリッ。
言葉面の割に、霊夢の瞳は真剣だ。
傍らの咲夜が身を震わせるほどであり、到底、冗談には聞こえない。
無論、どちらも本気だ。
息を吐く。
視線を北に定める。
そして、霊夢は叫びながら、大きく跳ねた。
「さなえーっ!」
彼女の全身を包む程度の、何もない空間が、広がる――‘亜空穴‘。
見上げていた視界から紅白の色が消え、咲夜の目に移るのは、憎いまでの青空だった。
咲夜は、霊夢の技、空間から空間へと渡る術を知っていた。
故に、呆気混じりの溜息を、微苦笑と共に零す。
(ともかく、お嬢様と魔理沙を介抱しなくちゃ……え?)――障子を越えた所で、ふと振り返り、空を仰ぐ。
「……此処から、届くの?」
「ご飯頂戴っ!」
「……霊夢さん?」
「おにぎりがいい!!」
届いた。
しかし、霊夢にして予想外だったのは、空間の出口が縁側ではなかったことだ。
昼食だろう、三人分の食事が用意されているちゃぶ台の前に、飛び出した。
おにぎりに対する思いが強すぎたのだ。
このままでは爪先から台に突撃してしまう――霊夢が思った矢先、伸ばしていた右脚が掴まれた。
「えらく随分な現れ方だな、博麗の巫女」
早苗の左隣にいた守矢神社の主神、八坂神奈子だ。
「しかも、早苗が欲しい、と。
良い目をしていると言いたいところだが、思うに留めるべきだったね。
……ウチの早苗を所望するならば! この私、‘山と坂の権化‘八坂神奈子を」
霊夢は、
掴まれた足を軸に下半身を固定させ、
すくいあげる様な軌道で神奈子の腹に右拳をめり込ませた。
どむ。
「――私のご飯を邪魔する奴は、神様だってぶっとばす」
反動で、早苗の向かい側に着地する。
食事を取るにふさわしいスタイル、正坐だ。
勿論、宙にいる間に、靴は軒先へと放たれていた。
ことりと盆を台の上に乗せるのと、どたりと神奈子が畳みに倒れたのは、同じタイミングだった。
「中におかずはいらないわ! 是とおんなじ、白米を、新米を食べさせて!」
台に両手をつき身を乗り出して、霊夢は吠える。
「神奈子を一撃で!? いや、それよりも大丈夫、神奈子っ!」
「そうね、おかずはいらないわよね。だって早苗がおか」
「大丈夫じゃないね。えい」
どす。
早苗の右隣にいた、守矢神社のもう一柱、洩矢諏訪子が神奈子を担ぎ、さも後は若いもんに任せるわ、と場を後にするのだった。
一瞬の退場劇もなんのその、霊夢はきらきらとした視線を早苗に注ぎ続けていた。
彼女ならば、失ってしまったおにぎりの代わりを作ってくれる。
増える可能性だってあるかもしれない。
期待に胸が膨らんだ。
「早苗の方がおっきいけどね!」
「……霊夢さん」
「はい」
無論のこと比喩表現だが、そもそも一二センチ膨らんだ所で覆るものではない。
二十とまでは言わないが十以上の差が見て取れる。
カップサイズだって――閑話休題。
神さえも足げにする今の霊夢にして、向かい合う早苗の半眼には、即座に言葉が続かなかった。
一拍の後、どうにか口を開く。
「えっとね、早苗のスペカがどうたらね、魔理沙とレミリアがね、私のおにぎりをね」
とてもしどろもどろだった。
このままだと作ってもらえないかもしれない。
霊夢の脳裏に、そんな考えが浮かぶ。
絶望と同義だった。
「……そんなことは聞いていません」
深い溜息が零された。
次いで、ちゃぶ台が遠ざけられる。
比喩ではなく物理的に、早苗が持ち上げ、横にずらした。
「もう……」
嘆息に、霊夢の視界が滲む。悲しくて切なくて腹ペコで、泣きそうだった。
「まずは、挨拶じゃないですか?」
「あ、う、えと……お邪魔します」
「ただいまでも構いませんよ?」
へ?
霊夢は顔に疑問符を張り付けた。
意味を問う前に空咳が打たれ、早苗が続ける。
少女の表情は、既に柔らかな微苦笑へと変わっていた。
「後で、神奈子様と諏訪子様にも言ってくださいね」
「うん。それと、神奈子にごめんなさいするわ」
「では、少し時間がかかりますがお待ち頂けますか?」
そして、来た時と同様に、いや以上に、霊夢の顔も輝く。
「早苗大好きーっ!」
「とと、幾つ、食べられます?」
「一つ二つ三つ……たくさんっ!!」
それはもう、類稀なる満面の笑みを浮かべ、抱きついたと言う――。
あ、さて。
持参したおにぎりを感謝しつつ食べ終えた霊夢は、早苗を追い、台所に向かった。
彼女の言葉に従い数分は行儀よく座っていたのだが、考えを改め、動き出す。
用意は、一人よりも二人の方が早く済む。
てこてこてこてこと、迷いのない足取りで芳しい匂いが昇る台所へと辿り着く。
ひょこりと覗くと、何時もの装束の上にエプロンを纏った早苗が米を研いでいた。
エプロンは髪と同じく緑色で、胸を覆う部分が黒い。
目玉を模している。
鼻歌を奏でる早苗に、霊夢は声をかける。
「早苗」
「霊夢さん?」
「うん。手伝う」
振り返る早苗が制止の言葉を発する前に、切り出した。
更に近づき横に並び、その段になって、はてと霊夢は首を捻る。
早苗が手を入れ研いでいるのは、自身が望んだ白米だ。
なるほど、確かにこれでは時間がかかる。
――では、眼前の、流しの上にある丼に入っているものは、なんだろう?
「ねぇ早苗、わざわざ新しいのを用意しなくても、これで十分よ?」
霊夢の目に映る‘ソレ‘は、間違いなく白米だった。
多少黄身帯びた粒が混じってはいる。
誤差の範囲だ。
視線に気づいた早苗が、多少照れくさそうに、はにかむ。
「折角ですから、温かい物を食べて頂きたいですし」
「うーん、まぁ、有り難いけどさ」
「それに……」
ぴっと指を払い水を流しへと飛ばし、粒の一つを掴み、言った。
「これ、お米じゃないですし。
どちらかと言えば、アワやヒエ、雑穀に近いものなんですよ。
まさか此方にあるとは思いませんでしたが、ひょっとしたら紫さん辺りが持ち込んだのかもしれませんね。
ほら、秋って美味しい物が多いじゃないですか。
偏食になってしまいそうですし、霊夢さんを見習ってちゃんと栄養を摂ろうかなって。
……増えてません、まだ増えてませんよ!? 時間の問題だという自覚はありますがっ!」
自爆する早苗。
しかし、霊夢は粒の解説自体に小首を傾げる。
つい最近、本当に少し前、似たような話を聞いた覚えがあった。
とは言え――
「おにぎりにすると美味しいかしら?」
「これ……アマランサスを、ですか。試してみます?」
「うんっ! あ、勿論、白米も食べたいわ!」
「では、此方を昼食に、其方は夕食に致しましょう」
「っきゃー! 早苗、素敵ー!!」
――何度も繰り返すが、霊夢にとっては、おにぎりの次なのである。
<了>
要は、お昼時の事であった。
博麗神社の一室で、主たる博麗霊夢はご飯を食べようとしている。
――おにぎり。白い米だけの、おにぎり。
断わっておくが、霊夢はアワやヒエが嫌いなわけではない。
然程豪勢とは言えない神社の食事事情で、それらは貴重な栄養源だ。
加えて、独特の味覚や食感はほどほどに舌を楽しませる。
友人知人に振るまっても概ね好評を得ていた。
しかし――白米。
しかも、ただの白米の塊ではない。
海苔が巻かれているのか。否。
具が盛られているのか。否。
それは、新米のみで作られたおにぎりなのだ。
『何時も御苦労さん』と里の人々から分けて貰えたその新米。
せっせと汲んだ井戸水でさっと研ぎ、一時間ほど漬けた純白の粒。
輝きさえも放つ一粒一粒を、何度摘み食いしそうになった事か。
仮にこの場に同じ大きさの金剛石が並べられていても、霊夢は目もくれなかっただろう。
――後々香霖堂へと赴き店主にぶん投げるだろうが、ともかく、今はおにぎりなのだ。
立ち上る湯気に、霊夢は夢想する。
『霊夢さん、霊夢さん、早く食べてくださいな』
『ほかほかの私。今が食べ頃ですよ』
『さぁ、お口を開けて』
おにぎりはしかも、三つ、あぁ三つもある!
(今の私なら空も飛べるはず! や、元から飛べるわね。んと……)
(そうだ、紫とツイスターだって踊ってみせるわ)
(これが世に聞く賢者タイムと言うやつね!)
違う。
意志とは別に、唾が溢れる。
ごくりと、霊夢は喉を鳴らした。
正座を組み直し、両手を合わせ、声を発する。
「いただきます」
躊躇なく左端のおにぎりを掴み、
あんぐりと口を開き、
唇に触れる――。
直前、爆音が響いた。
「霊夢、飯を食ってる場合じゃないぜ! 守矢神社に行くぞ!」
障子さえも打ち壊し、現れたるは、箒に跨る‘普通の魔法使い‘こと霧雨魔理沙。
「聞いてないか、早苗がさ、新しいスペカを作ろうとしてるって!
なんでも、手持ちのスペカの発展形らしいんだよ。
ほら、あれだ、こいし前哨戦の時のやつ。
へへ、ちっくしょう、あいつもきっちり修行してやがるんだな。
この頃妖怪退治も板についてきたし、私たちもうかうかしてられんぜ!」
東風谷早苗――守矢神社の風祝。
同世代の少女の躍進に、心躍らせる魔理沙。
のろのろしちゃいられないとばかりに手を伸ばす。
「あたしの飯を邪魔するたぁいい度胸じゃないかい、霧雨の」
しかし、霊夢にとってはおにぎりの次だった。
「何故にレディース!?」
「神霊‘夢想封印 瞬‘っ!」
「ラストスペはんぎゃぁぁぁっ!」
魔理沙、沈黙。
「後二つ、か……」
勿論、霊夢にとってはおにぎりの次だった。
部屋の片隅で白黒改め黒黒が呻いている。
が、霊夢は気にせず眼前へと集中した。
おにぎりを中心に、世界が広がり、色がつく。
白い輝きが荒んだ心を満たし、この上もない慈愛を覚えた。
(あぁ、かりかりしちゃいけないわ)
(もっと大らかな気持ちにならないと)
(魔理沙の手当てもしないといけないし。食べた後で)
ぱんっ――手を鳴らし、目を閉じる。
「いただきます」
左手を伸ばす。
おにぎりを掴む。
口へと、運ぶ――。
――神槍‘スピア・ザ・グングニル‘!!
寸前、紅い槍がおにぎりを貫いた。
「……ふん、防いだか。面白くないが、まぁ、いい」
眩い陽光を肩にかけた日傘で遮り、周囲を瘴気で満たすのは、‘紅い悪魔‘レミリア・スカーレット。
「愉快か不愉快か判断に迷う所だが……守矢の風祝が、私の技に類似したものを習得中らしい。
尤も、形状は彼奴の方が大型になりそうだがな。
今のがそれだ」
レミリアの耳に入った噂は、こうだ――「山の風祝が麓の巫女に近づくため、ランスを購入した……」。
弾幕戦が主体の幻想郷、近接武器はよほどの熟練がない限り、意味を成さない。
けれど、形を模した弾幕を形成するのはそう難しくはない。
故に、レミリアは警告を発しにきた。
霊夢から視線を少しずらし、続ける。
「……勘違いするなよ、博麗の巫女。
紅い夜、曲がりなりにも私はお前に敗北を喫した。
だから、お前は私以外の存在に敗北するのは、許されんのだ」
敗北を受け入れた‘紅い悪魔‘は、以前と同じく、否、以前よりも、威厳に満ちていた。
ぷに。
「え、あ、なに、霊夢? 私のほっぺに何か付いていて?」
無論、霊夢にとってはおにぎりの次だった。
ぷに。
ぷにぷに。
ぷにぷにぷに。
――‘夢想天生‘。
叫びをあげる暇すらなく、レミリアが宙を舞う。
落ちた先は魔理沙の横だった。
両名、ぴくりともしない。
再三再四繰り返すが、霊夢にとってはおにぎりの次だったのである。
残るおにぎりは一つ。
霊夢は、片手で盆を持ち、立ち上がった。
後方に転がるもはや物体と言っても差支えない一人と一妖など、当然の如く目にも留めない。
確かな足取りで、魔理沙により打ち壊されレミリアにより吹き飛ばされた障子を乗り越える。
と、霊夢の視界に人影が映る。
いるのは解っていた。
「あぁ、おいたわしや。フラグを一瞬で折られてしまうなんて……」
「旗なんか折ってない。レミリアは意識が飛んでるだけ」
「魔理沙ならともかく、お嬢様を一撃で……!?」
縁側の廊下、出てきた霊夢に顔を引きつかせるのは、‘完全で瀟洒な従者‘十六夜咲夜。
手が塞がっている為、首を小さく振り、霊夢は断固とした口調で言ってのける。
「私のご飯を邪魔する奴は、神様だってぶっとばす」
咲夜が身を引いた。冗談には聞こえない。
その横を通り過ぎ、霊夢は靴を履く。
踵を地で叩くこともなく、すっぽりと入った。
盆に乗るおにぎりが揺れることはなく、茶に波紋すら起こらない。
一歩二歩と歩みを進め、ふと立ち止まり、振り返る。
「ソレ、お願いね」
「人の主を……。いやまぁいいけど。何処に?」
「守矢神社。間接的にだけどご飯の邪魔をされたから、御馳走してもらう」
キリッ。
言葉面の割に、霊夢の瞳は真剣だ。
傍らの咲夜が身を震わせるほどであり、到底、冗談には聞こえない。
無論、どちらも本気だ。
息を吐く。
視線を北に定める。
そして、霊夢は叫びながら、大きく跳ねた。
「さなえーっ!」
彼女の全身を包む程度の、何もない空間が、広がる――‘亜空穴‘。
見上げていた視界から紅白の色が消え、咲夜の目に移るのは、憎いまでの青空だった。
咲夜は、霊夢の技、空間から空間へと渡る術を知っていた。
故に、呆気混じりの溜息を、微苦笑と共に零す。
(ともかく、お嬢様と魔理沙を介抱しなくちゃ……え?)――障子を越えた所で、ふと振り返り、空を仰ぐ。
「……此処から、届くの?」
「ご飯頂戴っ!」
「……霊夢さん?」
「おにぎりがいい!!」
届いた。
しかし、霊夢にして予想外だったのは、空間の出口が縁側ではなかったことだ。
昼食だろう、三人分の食事が用意されているちゃぶ台の前に、飛び出した。
おにぎりに対する思いが強すぎたのだ。
このままでは爪先から台に突撃してしまう――霊夢が思った矢先、伸ばしていた右脚が掴まれた。
「えらく随分な現れ方だな、博麗の巫女」
早苗の左隣にいた守矢神社の主神、八坂神奈子だ。
「しかも、早苗が欲しい、と。
良い目をしていると言いたいところだが、思うに留めるべきだったね。
……ウチの早苗を所望するならば! この私、‘山と坂の権化‘八坂神奈子を」
霊夢は、
掴まれた足を軸に下半身を固定させ、
すくいあげる様な軌道で神奈子の腹に右拳をめり込ませた。
どむ。
「――私のご飯を邪魔する奴は、神様だってぶっとばす」
反動で、早苗の向かい側に着地する。
食事を取るにふさわしいスタイル、正坐だ。
勿論、宙にいる間に、靴は軒先へと放たれていた。
ことりと盆を台の上に乗せるのと、どたりと神奈子が畳みに倒れたのは、同じタイミングだった。
「中におかずはいらないわ! 是とおんなじ、白米を、新米を食べさせて!」
台に両手をつき身を乗り出して、霊夢は吠える。
「神奈子を一撃で!? いや、それよりも大丈夫、神奈子っ!」
「そうね、おかずはいらないわよね。だって早苗がおか」
「大丈夫じゃないね。えい」
どす。
早苗の右隣にいた、守矢神社のもう一柱、洩矢諏訪子が神奈子を担ぎ、さも後は若いもんに任せるわ、と場を後にするのだった。
一瞬の退場劇もなんのその、霊夢はきらきらとした視線を早苗に注ぎ続けていた。
彼女ならば、失ってしまったおにぎりの代わりを作ってくれる。
増える可能性だってあるかもしれない。
期待に胸が膨らんだ。
「早苗の方がおっきいけどね!」
「……霊夢さん」
「はい」
無論のこと比喩表現だが、そもそも一二センチ膨らんだ所で覆るものではない。
二十とまでは言わないが十以上の差が見て取れる。
カップサイズだって――閑話休題。
神さえも足げにする今の霊夢にして、向かい合う早苗の半眼には、即座に言葉が続かなかった。
一拍の後、どうにか口を開く。
「えっとね、早苗のスペカがどうたらね、魔理沙とレミリアがね、私のおにぎりをね」
とてもしどろもどろだった。
このままだと作ってもらえないかもしれない。
霊夢の脳裏に、そんな考えが浮かぶ。
絶望と同義だった。
「……そんなことは聞いていません」
深い溜息が零された。
次いで、ちゃぶ台が遠ざけられる。
比喩ではなく物理的に、早苗が持ち上げ、横にずらした。
「もう……」
嘆息に、霊夢の視界が滲む。悲しくて切なくて腹ペコで、泣きそうだった。
「まずは、挨拶じゃないですか?」
「あ、う、えと……お邪魔します」
「ただいまでも構いませんよ?」
へ?
霊夢は顔に疑問符を張り付けた。
意味を問う前に空咳が打たれ、早苗が続ける。
少女の表情は、既に柔らかな微苦笑へと変わっていた。
「後で、神奈子様と諏訪子様にも言ってくださいね」
「うん。それと、神奈子にごめんなさいするわ」
「では、少し時間がかかりますがお待ち頂けますか?」
そして、来た時と同様に、いや以上に、霊夢の顔も輝く。
「早苗大好きーっ!」
「とと、幾つ、食べられます?」
「一つ二つ三つ……たくさんっ!!」
それはもう、類稀なる満面の笑みを浮かべ、抱きついたと言う――。
あ、さて。
持参したおにぎりを感謝しつつ食べ終えた霊夢は、早苗を追い、台所に向かった。
彼女の言葉に従い数分は行儀よく座っていたのだが、考えを改め、動き出す。
用意は、一人よりも二人の方が早く済む。
てこてこてこてこと、迷いのない足取りで芳しい匂いが昇る台所へと辿り着く。
ひょこりと覗くと、何時もの装束の上にエプロンを纏った早苗が米を研いでいた。
エプロンは髪と同じく緑色で、胸を覆う部分が黒い。
目玉を模している。
鼻歌を奏でる早苗に、霊夢は声をかける。
「早苗」
「霊夢さん?」
「うん。手伝う」
振り返る早苗が制止の言葉を発する前に、切り出した。
更に近づき横に並び、その段になって、はてと霊夢は首を捻る。
早苗が手を入れ研いでいるのは、自身が望んだ白米だ。
なるほど、確かにこれでは時間がかかる。
――では、眼前の、流しの上にある丼に入っているものは、なんだろう?
「ねぇ早苗、わざわざ新しいのを用意しなくても、これで十分よ?」
霊夢の目に映る‘ソレ‘は、間違いなく白米だった。
多少黄身帯びた粒が混じってはいる。
誤差の範囲だ。
視線に気づいた早苗が、多少照れくさそうに、はにかむ。
「折角ですから、温かい物を食べて頂きたいですし」
「うーん、まぁ、有り難いけどさ」
「それに……」
ぴっと指を払い水を流しへと飛ばし、粒の一つを掴み、言った。
「これ、お米じゃないですし。
どちらかと言えば、アワやヒエ、雑穀に近いものなんですよ。
まさか此方にあるとは思いませんでしたが、ひょっとしたら紫さん辺りが持ち込んだのかもしれませんね。
ほら、秋って美味しい物が多いじゃないですか。
偏食になってしまいそうですし、霊夢さんを見習ってちゃんと栄養を摂ろうかなって。
……増えてません、まだ増えてませんよ!? 時間の問題だという自覚はありますがっ!」
自爆する早苗。
しかし、霊夢は粒の解説自体に小首を傾げる。
つい最近、本当に少し前、似たような話を聞いた覚えがあった。
とは言え――
「おにぎりにすると美味しいかしら?」
「これ……アマランサスを、ですか。試してみます?」
「うんっ! あ、勿論、白米も食べたいわ!」
「では、此方を昼食に、其方は夕食に致しましょう」
「っきゃー! 早苗、素敵ー!!」
――何度も繰り返すが、霊夢にとっては、おにぎりの次なのである。
<了>
>「一つ二つ三つ……たくさんっ!!」
霊夢可愛いよ!!
仕方ない
タイトル見て風雅システム思い出したけど、タイムジプシーな話じゃなかったか。。。
霊夢に新米を渡し隊に入隊したいのですが
やっぱり今の時期は新米でシンプルな食べ方をしたくなりますねぇ
おにぎりに全力な霊夢がとてもよろしく、ご馳走様でした
「せっかく白米があるのに、何でわざわざ?」って、祖母が言っていたのを思い出しました。
あと、下がっているのは等身ではなく、精神年齢な気がww
霊夢<早苗<アリスの三姉妹ですねw
次々とおにぎりを潰されるのはご都合主義と言うか。
てかおにぎりって持ち運びするために作るのであって
家で食べるのにわざわざおにぎりにする必要無かとね。
中に何か入れるのならともかく素のままなら手でにぎるより
ふんわり炊き立てをそのまま食べるほうが断然美味しい。