明治が過ぎると、まさしく妖怪なぞ紙面や噂話の上で踊る存在であった。
「じゃあ、マヨイガも存在しない、ということか」
「民俗学というのはなァ、妖怪の存在の有無とかを論ずる学問ではないのだ」
「サトウさん、遠野物語は物語なわけだから……」
「だからそういう話ではないんだよ、ばか者」
「わざわざ遠野まで行って、マヨイガはどこでしょうか、とか聞くのか。最高学府の学生様が聞いて呆れる」
「お前の田舎ならあれだろう。猫が化け物を退治するくらい日常茶飯事なんだろう、源ノ字」
袴姿にハンチングの数人の大学生が、「繰上げ卒業して兵役か……」などと結論の出ない無駄話を食堂で繰り広げている。
学業に関する漠然とした不安、それに大陸のごたつきに自分も飛び込むしれんという不安が酔いを早くしていた。
安いアルコールが回って真っ赤になると、国許の母親を思い出して、オイオイと涙を流しながら目元まで真っ赤にする。
そして酒が驚異的に強い者が、へべれけになった仲間を引きずって帰っていく。
何故かそういった酒豪が一人は混じっているものである。
「鼠も退治してくれるンだよ。ヲイ、起きてくれ」
げんのじ、と呼ばれた大きな顔の学生が、今回はその酒豪だった。
机に突っ伏している学友、先輩の肩を叩くが、小さな呻きしか聞こえない。何も言わない者すらいる。
昼間から飲んだくれている上に、この泥酔っぷりは歓迎されたものではない。
実家から持ってきた悪酔いに効く薬も持ってきていない。
薬の行商で有名な地域であり、質の良いものから胡散臭いものまでひととおり揃った。
ことに件の酔いに効く薬は、同輩、先輩後輩にも評判が良く、高値で売りつけることができた。
父親から渡された丸薬である。
ある商売人から父が全て買い取り、東京にもその幾らかを持ってきていた。
都会の酒も上手い。葡萄酒もなかなかいけるものだ。
そのおかげで薬の消費が激しい。
同種のものがあれば、買い付けに行きたいところである。
さらに実家は北陸の米所でもあるから、送られててくる米をうまく捌いて儲けた。
顔の大きな学生は商売人としての性根もたくましかった。
「その行商人の若者がまた変わっていてな」と父の言を思い出した。行商人の風貌についての言である。
その変な行商人が、東京の、しかも都合よく飯田橋くんだりまで来てるとは思わない。
しかし偶然どこかで見かけた時に―――という希望が持てる。
「何より驚いたのが、大層若く見えるのに髪が全て銀色になっていたことだ」
それこそ妖怪の類ではないか、と訝しがったものだ。
薬の霊験あらたかっぷりを強調するなら、陀羅尼助を売っている役行者の方が分かりやすい。
おまけに、衣服もまた蒼を基調とした奇怪なしつらえであり、それが眼鏡をかけた小奇麗な青年だというから、眉唾モノである。
扱うのも薬だけでなく、いずれ道具・雑貨の類も扱いたい、店も持ちたい、現在はある商店でやっかいになっている修行中の身……と言っていたそうだ。
まあ、行商というと薬か魚野菜というイメージが強い。
その眼鏡をかけた青年の「扱いたい」と言っている物品も一応の経営者たる父は聞いたが、儲けのなさそうな話だなぁと世間話に終始したそうだ。
そして家に眠るガラクタ、古道具まで安値で買い取っていったと言うからニッチな商売人である。
実家は比較的裕福な米穀問屋である。
父の話を聞いて、財産を騙し取ろうとするやくざ者かと思ったものが、薬効は実感できたし、ペテン師では無かったようだ。
希望的観測であるが、店をどこかに構えてくれているなら、ぜひ知りたいものである。
「帰るがや」
独り言である。
友人たちが酔いつぶれているので、地元の北陸の訛りを漏らした。
朦朧としている友に肩を貸す。
昼間から飲んでいるので、まだ日は落ちていない。
夕暮れ時。どこか寂しい、物悲しい気配がする。
空に染み渡る茜色は、日本のどこにいても同じじゃあないか。
九月も下旬になり、そろそろ十月の寒気が肌を刺す。
数日前の暑気が何処へ行ったのかというほどだ。長い夏のオサラバを実感している。
空気が冷えている。酔いも冷める。ぶるっと体を震わせた。
逢魔が時である。
そこに日傘を差した女性が一人。
陽光はそんなに厳しいわけではないのだが……
艶やかな唇、整った鼻梁、金色の髪は傘に隠れて僅かしか見えない。
道行く人々は、洒落た格好だ、どこの女史だ、と一応印象に残るだろう。
かわいい日傘がくるくると回っている。
東京下町の小径などには似合わない、ハイソな雰囲気である。ふわりふわりと細い髪や裾が歩みと同時に揺れている。
何事も無かったかのように学生たちの前を淑女は通り過ぎる。
好奇心が勝った。すれ違った後に無遠慮に振り返って、その洋装の女性を確認しようとする。
―――が、そこには誰もいない。
鼻を垂らした小僧や、水を撒いている老婆がいるだけである。
艶やかな紫色の影はどこにもなかった。
狐か狸にでも化かされたか、あるいは化猫か。
白昼堂々、しかもこんな時代に…………酔っているのか。
目を擦っていそいそと学生は家路を急いだ。
「なかなか良い句を読みますね」
昨日の酒はすっかり抜けていたが、どうも帰り際に見た日傘の女が、脳裏にちらついていた。
そのおかげで、年老いた師の褒め言葉に反応できなかった。
「号も良い」
ここで句会の話をしていることにようやく気がついた。
号というのは、俳句などを発表するときに使う筆名である。今回は"水羊"と名乗った。水は源のさんずいからとっている。
源の字よりは水羊羹っぽくて良い。句を詠みながら食べれる。
「じゃあ、引き続き資料の整理を頼みますよ」
師は眼鏡を掛けなおし、また幾らかの書類を置いていった。
数人の弟子を連れている。またどこかに外出するのであろう。
政府の要人や、大学教授との会合はしょっちゅうである。皇族との繋がりもある。
白足袋が眩しい。
民俗学の父、柳田國男は老いてなお学問の一線に立っている。痩身は未だ枯れていない。
『遠野物語』や『妖怪談義』など多くの著作を残し、文壇にも大きな影響与えた人物である。
文明化を推し進める中で、人々の記憶から忘れ去られようとしていた伝承を掬い上げ、研究の対象とした。
全国各地を行脚し、老翁から話を採集して、分析して文章にして形に残した。
著書は、柳田本人を知らない庶民にも読まれていた。
フィールドワークを重ねて刊行されたそれらの書物から、西行のような漂泊の暇人である妖怪大好き爺さんが書いた、と勘違いしている者もいた。
さすがに國學院大學の学生である彼の周りにはそんな者はいなかった。
ついでに言うと西行も漂泊の暇人ではない。
豪胆な気性の割には、花を見れば西行の歌を口ずさむような詩歌の造詣が深い彼である。中学時代は俳句にのめり込んだ。
句会に出席するなら、また相応の準備をせねばならなかった。
柳田の研究の手伝い、句会への出席、文化人との人脈も増えて喜ばしい限りなのだが、若い彼にとっては緊迫する東亜の国際関係が気にかかっていた。
そこでまた昨日の、いきなり消えた日傘をさした金髪の女が頭に浮ぶ。
映画ようにひとつのシーンが臨場的に再現される。通り過ぎたあの一瞬だ。匂いすら思い出せそうだ。
彼女がどこの国の女性か分からないが、戦争がもっと激化すればひょいひょいと街中で見かける機会も少なくなるだろう。
人並みだと言っているが女好きの彼にとっては、今現在、句会より国際関係よりミステリイな女人の方に比重が移っている。
國學院に身を置く者として、いっぱしの皇室崇拝者であるが、権力を傘にきた連中には反感を覚えるものである。
和服で捧げ銃、のようないたずらもしたことがある。
顔面の中央に居座っている大きな鼻から、鼻息が漏れる。
師や兄弟子の主張に反論したくなる時もある。
反骨精神があって女好きとくるなら、ある意味表現者として喜ばしい気質である。
ちらりと、艶やかな唇と日本人離れした容貌が頭に浮ぶ。
………ここでまた一句思い浮かんだが、やはり世相を配慮して書くのは止めた。
与謝野晶子の二の足は踏むまい。
今は乱れ散らかっているカミの整理の方が先である。
時が経つのも忘れて作業に没頭していた。
足りない資料があったのに気付いたので、柳田の研究室から國學院の指導教官の研究室に戻って作業を続けていた。
役人の出入りが多い柳田の所よりは幾分か落ち着ける。
窓の外を見ると、もう暗くなっている。逢魔が時どころか、百鬼夜行が跳梁跋扈していそうな暗さである。
辺りには誰も居ない。弟子も誰も居ない。
窓枠の隙間から冷たい風が入ってきて、部屋の温度をさらに下げていた。
数日前とは比べ物にならない。
そろそろ本気で暖房器具を引っ張り出さなければならないようだ。
肌が粟立ち、帰る準備を始めようとする。
もうここに居てはいかん、と動き出そうとするのだが、寒い空間へ体を踏み出すのが億劫に感じる。
椅子に乗っけた尻の部分だけが安らかに暖かい。
子供の頃、便所に向かおうとしても布団の中から出るに出れない状態に似ている。
暖かい布団という境界から一歩外に出ると、寒くて暗い闇が広がっているのだ。
季節の変わり目も何度も経験してきた筈なのに、いい大人の自分が何を感じているのだ、と不思議である。
第一、怪奇を言葉にして、文化現象、心理や言語の現象として研究しているのが自分たちなのである。
明治という時代は、その境目にあったそうである。
妖怪や怪談ブームが起きて誌面を賑わしたし、大新聞が神隠しを堂々と報じていたりした。
近代国家の国民として精神改革が行われていくさなかの、恐らく……人間たちの中に潜む怪奇への恐れや興味が、
最後の抵抗を起こしたのがあの時代だったのかもしれない。
そこに一石を投じたのが、柳田國男だった。
怪奇を前時代の妄想とするのでなく、学問のフィールドに乗せた。忘却へと押しやられていくのを防いだ。
だが、それは同時に、
人々の感覚として捉えられる怪異との、後戻りのできない離別を意味していたのである。
まことに妖怪、精霊など怪異の類を信じていた人々はどこに行ってしまったのだろうか。
ことに伝説、伝承を研究していると、そこに住む人々の精神の奥底まで覗いているような気になる。
固く守られてきた信仰を持つ人々はどこに行ったのだろう。
妖怪を身近な恐怖として恐れ、敬ってきた人々は、すっかりいなくなったのだろうか。
「貴方はお師匠の作を読んだことがないのかしら。遠野物語や山の人生を」
尻が飛び上がるほど驚いた。
女の声がまるで耳元で囁かれたような音量で響いたのだ。
それは余りに唐突であった故の勘違いだったが、部屋の隅に女性の人影があるのに気付いた。
女嫌いの指導教官の研究室に女がいるはずがない。
傘付きの黄色い室内灯は点いているが、部屋の隅は埃くさい棚などの影になってよく見えない。
女の影は近づいてくる。
カツンカツンと杖をつくような音が歩みに合わせて響いていた。
いや、あれは杖でない。
閉じた日傘だ。
「貴女は昨日の」
日傘の淑女だった。
頭の片隅に残り続けていた、振り返ると消えていた洋人の女性。
「昨日、マヨイガがどうこうとおっしゃっていた学生さんね?」
源の字は肝が座っていた。何とか一度の深呼吸で気を落ち着かせた。
はい、いかにもと頷いて頭を下げる。椅子を勧める。
しかし彼女は机に寄りかかるように腰掛けた。その動作は重力を感じさせない。
茶と水羊羹でも用意するべきか、と席を立とうした。
どこから入ってきたのか、何の要件でしょうか、などは話しながらでも訊けば良い。
ここで目の前の女を無粋に追い出すなぞ、野暮なマネはできない。
彼は二人の師のように神経質ではなかった。
「私、マヨイガに行ったことがあるんです」
「え?」
「……と言ったらどうなさいます?」
最初、話題を提供してくれたのかと思った。
向こうは無粋・野暮どころか所作のひとつひとつが洗練されていて粋である。扇を口元に当て微笑む姿は典雅でもある。
文化人らと交流している自分も負けてはいられない。
気の利いた詩のひとつでも引用して何か―――と気負った。
「実は、私……妖怪なんです」
「………はは、ご冗談を」
狐につままれる、というのだろうか。煙に巻かれる、というのも違うが、自分のペースに持って行けない。さすがに外国の女人は相手にしたことがない。
それが魅力として映るのであるが、酒に酔ったような調子で、ゆらりと彼女は感情の奔流を表現しているのであった。
そして、どれが本音か世迷い事か分からなくさせられた。
酔いに似た憂いを帯びているその表情は、さぞ多くの男性を虜にしてきたことであろう、と漠然と思った。
「少し愚痴をこぼさせてくださいな。……ねぇ、学生さん。貴方たちが一番、妖怪についてお詳しいのでしょう? 浅学非才な私には分からないのだけど」
「いえ、先生たちに比べたら……」
「今、私が狐や猫、蛇だの鼠だのを召還して、あなたに金銀財宝を授けたとしたら、私が妖怪だって信じる? あなたのお友達は信じてくれるかしら?」
「金髪美女の香具師は珍しいって笑われるだけですよ」
一呼吸おいて、女性は漏らすように呟いた。
「あなたは、妖怪のお話や神話、民話をたくさん研究しているのに――――何故妖怪の存在を信じていないのかしら」
柳田國男が口を酸っぱくして弟子たちに言ったことである。
これは学問である。人々を不安に陥れる噂や伝聞ではない。日本人を近代的な国民とするために必要な作業なのである、と。
伝承に加え、神道や国学を中心に学んでいる以上、相手にするのは稗田阿礼や太安万侶の遺産である。
そこには妖怪、種々の神がいる。その神々は今現在、全国で祀られているし、その後裔が吹上御所に鎮座していたりする。
浪人時代に、ヤマトタケルや荒ぶる神々、妖怪たちの活躍に出会い今のこの学問を選んだ。
これは民俗学の父、柳田にとっても同じ問いである。
きっと同じようなきっかけが彼にもあった筈だ。
彼が妖怪に心奪われたのは何故だったのか。
きっと、明治に生まれた彼は今より怪異の近くにいた。
紙面でなく、裏の竹やぶで妖怪変化が跋扈していたのだ。視覚で捉えた文字とは違う感覚であろう。
「はて……何故でしょうなぁ」
そもそも近代の学問というものが、西洋の論理によって成り立っているようなものなのだ。
日本の文化を学問の土台に乗せた時……いや、すでに文化という言葉が西洋の訳語なのである。
怪異を言葉にして認識してしまった時、それは既に別物なのだ。
妖怪という捉え方もある意味、その人間なりの怪異の感情の認識の仕方なのだろう。
それでは、"ただそこに在った"者たちはどこへ行けばいいのだろう。
人間とかつて在った、哀れな怪異たちはどこに行けばいいのだろう。
「……あの、お嬢さん、貴女がここにいらっしゃった理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
「あら、お嬢さん……ねぇ……、まぁいいのだけど」
「年齢が全く想像できないもので……万が一ご無礼があった謝りますよ」
「―――そうねぇ、学問だの研究だのに携わっているあなた達には失礼かもしれないけれど……諸行無常、盛者必衰。例え形に残しても形である以上、それは壊れ壊されるものなのよ」
ふふ、と笑うと「何となくそんな事を言いにきたのかもね」と付け加えた。
文献を研究するにあたっては、当然気に留めておかねばならぬことである。
勝者の記録であるなら、敗者の記録はどこかに打ち捨てられ、勝者の偽史の装飾となっている可能性がある。
論理という礎の上に屹立することができた研究成果も、物理的な制限と共に壊され風化される危険が伴う。
特に日本語やアラビア語は情報だけでなく、文字にまで身体性の大事を求めるのだ。
しかし、だからと言って人々の記憶・感覚もまた儚い存在である。
両者とも忘れ去られた時点で灰燼に等しい。
女性はどこか遠くを見るように窓の向こうを向いた。
故郷を懐かしむような瞳には、長い睫毛がかかっていた。
「この国もいつか壊れるのかしらね」
女性の出身国は海外だろう、と夢想していた為、その一言は少し意外であった。
まるで日本が出身のような言い方であったからだ。確かに日本語に不便はない。戦争のことなど頭から飛んでいた。
「ねぇ、あなたの信じるこの国の文化は、金字塔のように佇立し続けるものかしら」
答えることができなかった。
窓からこちらへと向いた視線は、一度佇立し得なかった何かを捕らえたかのような色があった。
「人間には紙があります。石版だっていい。破れ擦れて消え去るならば、また印刷して本にすればいいんです。
たくさん刷ればそれだけ形に残るわけだし、たくさんの人が読めばそれだけ人の記憶にも残るんじゃないですかね」
――それが何の答えにもなっていない、破れかぶれのとびきりがセンスのない答えだと言った瞬間に気付いた。
憂いの美女相手に何と無粋な返答だ。
「…………あなたのお師匠も、若いあなたほどに人間であれたら、苦しまずにすんだのでしょうにね」
彼女の反応は意外であった。
「……え?」
「世界から不要とされた古道具のような記録さえも………拾い上げられて形を変えて文字に残るのなら、まだ救いがあるのかもしれないわね―――」
ふと、彼女の唇が歪んで笑みを浮かべた形に見えた。斜陽のような茜色の笑みだ。
いや。
歪んでいるのは唇だけではない。
彼自身の視界が歪んで、空間も曲がっていく。
眩暈を起こしたような感覚だった。
………あれ
神隠しに会うというのはこんな感覚なのだろうか。
いや、狐や狸に化かされる感覚?
意識が落ち着いていくようで朦朧としていく。
空気の温度も気にならなくなり、体の力が抜けていく……
最後に彼女の柔らかな物言いが聞こえてきた。
「話に付き合ってくれたお礼に、お土産を置いておきますわ。彼のお店は、私の今の故郷にありますので……探しても無駄です、では……」
がくん、と肩が揺れる感覚を味わった瞬間、頭脳が覚醒した。
目の前には誰もいない。
それどころか日が差してきて、朝の爽やかさが窓辺から伺えるほどである。
目を擦る。
ああ、夢だったのか。いや………
何ともすっきりしない感じだ。いや、頭の中はすっきりしているのだ。ついさっきまであった事のように鮮明に思い出せる。
手のひらに違和感を感じる。何かを握っている。何時の間に。
「……?」
丸薬である。北陸の父から渡された酒の酔いにきく丸薬だ。
怪しげな青年商売人から買ったという……今、店を構えている? そう言っていたはずだ。あの女性が。
まるで鮮明な夢であったが……思い出して認識すればしようとするほどぼんやりとした薄靄に包まれていくようだった。
そもそも女性とは誰か、名前も聞いたのか、忘れたのかすら思い出せない。
「うむ……」
席を立って伸びをしながらラジオをつけた。顔を洗って覚醒する代わりだ。
威勢のいいマーチでも聞くとしよう。
「我ガ皇国ノ軍ハ華北ヲイテ―――」
相変わらず中国大陸での戦火は拡大する一方のようだ。
アメリカ勢の動向も不穏である。
出兵する前には学位論文を仕上げねばなぁ、とぼんやり考えた。説話の管理者に対する一考察でも書こうか。
結局、源の字は研究者の道を行くことはなかった。
学位論文を書き、卒業論文を書き、教員になり、出兵と復員を繰り返しながらも執筆活動は続けた。
昭和二〇年の四月に再召集されて八月には終戦を迎えた。
打ち込んできた学問は戦争を止めることはなかったし、民俗学も俳句も何も敗者の文化だった。国体も含めこの国の歴史文化など風前の灯だ。
本という文字文化の形にしたって滅びるものは滅びるのだ。人間は人生を形にして残すことしかできないのに。
彼は幾つかの出版社で編集業に携わりながら、自ら出版社を興した。
文字の可能性をそれでも信じていたからだ。昔、どこかの美人にやけくそに語った記憶がある。
行商しながら修行していたどこかの商売人と違い、経営のセンスもあった。
大手出版社の隙間を狙った出版社であったのだが、文庫発刊に寄せて書いた散文は気に入っていた。
第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。
私たちの文化が戦争に対して、如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。
西洋近代文化の摂取にとって、明治以後八十年の歳月は決して短すぎたとは言えない。
にもかかわらず、近代文化の伝統を確立し自由な批判と柔軟な良識に富む文化層として自らを形成することに私たちは失敗して来た。
そしてこれは、各層への文化の普及浸透を任務とする出版人の責任でもあった…………
出版社は角川書店と名づけられた。
源の字―――角川源義の興した角川書店は、時に奇矯な古道具のように小さい文説も扱い、大衆文芸や、豪奢な装丁の文学全集も出版し成長を続け、角川グループを形成する。
二〇一〇年九月三〇日、角川グループパブリッシングより東方香霖堂~Curiosities of Lotus Asia~が発売される。
アスキー・メディアワークスも角川グループ傘下である。
平成において妖怪は紙面とゲームで確認されるようである。
妖怪との距離がちらっと見えて悲しいような嬉しいような作品でした。
…私は無事に手に入れる事が出来るのだろうか。
信仰、学問、戦争、色んな側面が見えてくる。
勝つ必要はない、負ける意義もない。
ただわたし達は文明という名の心をちゃんと遺せるんだろうか、そう思える素晴らしい作品でした!
さぁて、ゆっくり読んでみますかねぇww
史実、時勢、人物、文化学的幻想と実在幻想の住人。
そして東西文化戦争敗北からの現代。
幻想郷は将来益々賑やかになるでしょう、めでたしめでたし。
虚実入り乱れる胡散臭さこそが妖怪の醍醐味だ。
文章、題材ともに素晴らしいSSでした。
まさか源の字が角川源義とは……びっくりです。
こういう史実と東方のキャラをからめたものは大好物なので
もっと増えて欲しいですねえ。
11様、井上円了ならすこぶる氏の『妖怪博士の憂鬱』がありますよ。
これも素晴らしいSSです。
素晴らしい。
素晴らしい。
ありがとう。
友人から聞いたのを思い出しました。
幻想郷が外の世界と隔絶される明治は、正に日本人が
そう言ったモノ達を幻想へと追いやっていく過渡期だったのかな。
オチまですんなり読めて読後感も良い、
素敵な作品でした。
今につながる物語っていいな
妖怪、怪異とそれを文字にして表し、残すことについてうーんと考えさせられました。
話の運び方も、ラストもとても素晴らしい。
久々に、これは!と思える意欲作を見た気がします。
香霖堂がまだ手に入らない悲しみはこのSSで満たせました。
最初から独特の空気、これをどう香霖堂に持ち込むのかと思えば、こうきましたか。
実にお見事でした。香霖堂発売で嬉しいことはまた1つ増えた。
素晴らしい。
お見事です。
凄い時代です