小さく歌が聞こえる。
これは、大好きな人の歌。
さとり様の、静かで、優しい声。
でも。
この歌は、この声は、あたいに向けられたものじゃなくて。
さとり様の、たった一つしかない膝の上は、もう埋まっていて。
あたいは、二人の邪魔にならない様に、とリビングの外にいて。
それでも、優しい声から耳を離せない。
リビングと廊下を繋ぐドアに寄りかかって座り、あたいは頭を預ける。
「…あら?こいし、寝ちゃったの?」
さとり様の幸せそうな声が、小さく聞こえる。
優しい歌声が、もっと柔らかな音色を帯びた。
あたいは、頭を膝に埋める。
「二人の邪魔にならない様に」?
純粋に、そんな気持ちだけな訳がなかった。
幸せなお二人の様子なんか、見たくなくて。
こんな歪で汚い、あたいの心の「声」なんか聞かせたくなくて。
こう思って部屋を出ようとするあたいに、さとり様が何か言ってくれるんじゃないか、って期待して。
そんな邪なあたいにかけられる声なんかある訳がないのも分かっていて。
あたいの気持ちを全部知っていても尚、揺るがないさとり様の気持ちを毒づいて。
さとり様の気持ちを、優しい声を、柔らかな膝の上を独り占めするこいし様を妬んで。
お二人とも、大好きなのに。
大好きなのに、大嫌いで。
こんな幸せな歌なんて、聞こえなくなればいいのに。
あたいは、もっと強く顔を膝に押し付けた。
それでも、耳を塞げない自分の弱さを呪う。
だって。
大好きな方の、お声、なんだから。
聞き漏らしたくなんて、ない。
「馬鹿。」
不意に横から聞こえた声。
顔を上げると、いつのまにか、すぐ側にお空が立っていた。
「…馬鹿おくうになんか、言われたくない。」
「そんじゃ、私より馬鹿なお燐は大馬鹿だ。」
「…うるさい。」
お空は小さく溜息をついて、私の横に座る。
言葉は、どちらからも出てこない。
静かに、さとり様の歌だけが、背中から聞こえてくる。
別に、お空はあたいを笑いものにしたくて、そんな事を言ったんじゃないのも分かってる。
元気付けようとしてくれてるんだって、分かってる。
何も言わないでいてくれるのも、あたいの為だって。
その裏に、あたいを想ってくれてるお空がいる事もちゃんと知ってる。
「…ねぇ、お空。」
「なに?」
「大好きな人がいて。」
「うん。」
「でもその人は、どんなに頑張ってもあたいの方を向いてくれなくて。」
「うん。」
「あたいは、大好きな人の一番になりたくて。」
「うん。」
「でも、なれなくて。その人も、その人の一番好きな人も嫌いになれないんだ。」
ねぇ、とあたいは続ける。
自分がどれだけ酷い事を言っているかを知りながら。
汚い気持ちを吐き散らかしているかも知りながら。
「…そういう時は、どうしたらいいのかな…?」
自分の声が震えてるのに気付く。
生暖かい雫が、頬を伝っているのにも。
お空は、あたいを見る。
それは、軽蔑の目でも、諦観の目でもなくて。
すごく、優しい目。
「たぶん、ずっと好きでいればいいんじゃないかな。」
お空は言う。
「だって、それは辛いんだよ…?」
弱いあたいは、そう言う。
「うん、でも。」
やっぱりお空は、優しい目であたいを見る。
「好きなのは、変わらないから。」
そうでしょ?って。
「私は、お燐が好きだよ。」
「うん。」
知ってる。
「でも、私はお燐の一番じゃないんだよね。」
「うん。」
泣きながら、あたいは頷く。
「お燐が、さとり様への気持ちを、私に打ち明けてくれるのは、すごく嬉しいよ?だって、私を信じてくれてるんだもん。」
でも。
「でも。私は今日の夜、一人になったら、きっと泣く。声を上げて、わんわん泣くと思う。だって、辛いもん。辛いけど、好きなんだもん。変わらない、ううん、変わってくれないんだもん。気持ちが。」
ごめん、ごめんね、お空。
そんな辛そうな笑顔をさせて、ごめんね。
優しい目を向けさせる様に、あたいがしてるんだ。
そうだよね?
「それでもさ、お燐はさ、これを聞いても、さとり様への想いが変わる訳じゃないでしょ?それとおんなじだと思うよ。さとり様だってね。」
泣きたいのは、お空だって同じ筈なのに。
「…あたいは最低だね。」
「…うん、私からすれば、きっとね。」
でも、とお空は続ける。
「お燐は、悪いことをした訳じゃないと思う。きっと、普通のことなんだよ。お燐が今泣いてるのも、私が今夜泣くのも。」
きっとその通りなんだろう。
あたいがお空の最低なら、さとり様はあたいにとっての最低だもの。
でも、さとり様は悪いことをしてるわけじゃない。
だから、好きでいられるんだ。一番に、なれなくたって。
「誰も悪い訳じゃないなら、やっぱり、私は私が好きな人を想い続けるよ。私は馬鹿だから、それくらいしか出来ることが浮かばないんだ。」
やっぱり、お空は小さく笑っていて。
「…うん、そうだね。ありがと。」
ごめんね、はお空を苦しめるだろうから。
また、静寂が訪れて。
すん、と鼻を鳴らして、あたいは頭をドアに預ける。
かすかに響く、さとり様の声。
大好きな人の、優しい歌。
>優しい声から耳を話せない
離せないの変換ミスかな?
お燐に凄く感情移入の出来る作品でした
これもまた良し…ですかね。
素晴らしかったです!