※拙作「初嵐」の続編となります。
『東風谷 早苗 様
仲秋の候、いかがお過ごしでしょうか。
すっかりと野山は秋の色に染まり、日々、風が冷たくなってくる頃合です。お風邪など召されてはいないでしょうか。
さて、話題は変わりますが、今月の3の日、当方の神社にて交流会を開催いたします。
つきましては』
「……いや、待て。
何、この畏まった文面。単に『宴会に来ない?』って声をかけるだけじゃない。
……よし」
『早苗へ
博麗神社で宴会やるから来なさい! いいわね!?』
「いやいや、居丈高過ぎるだろう自分。
よし、もっとわかりやすく、心持ち読んだら来たくなるような……」
『守矢神社 宛
早苗へ。
今度の三日に、うちの神社で宴会をやるから、来たければ来なさい。もちろん、食料とお酒持参で。
一応、あんた達の席は用意しておくから。
べ、別にあんたが来ないと寂しいとかそんなんじゃないんだからね。勘違いしないように。
ただ、私は、あんたが来てくれると宴会の用意が楽になるし、酔っ払いの世話を押し付けられるから呼ぶだけなんだからね。
わかった!?』
「って、私は咲夜や幽香かっ!」
「そこの門番っ!」
「はい!?」
びしぃっ、と紅白の巫女にお祓い棒突きつけられ、門番こと美鈴は背筋を固くした。
「え? あ、あの……何か?」
目の前の巫女から感じられる圧倒的な気配に気圧されながら、彼女は尋ねる。
巫女は答えた。
「そこを通しなさい」
――紅美鈴。
彼女は、吸血鬼の館である紅魔館の門を預かる門番である。館主であるお嬢様の許可なくしてはなんぴとたりとも、そこを通してはならぬのが彼女の使命であり、役割。
だがしかし。
「……帰れなんて言ったら殺される……」
いつぞやの紅異変の時の気配など目じゃなかった。
あの時の彼女をノーマルモードだとするなら、今の彼女はV-MAXだ。いや色的な意味ではレッドパワーか。
ともあれ、下手なことすりゃ命がないのは明々白々。かといって『どうぞどうぞ』と笑顔を浮かべれば、今度はお嬢様にぶっ飛ばされる可能性が高まってしまう。
ああ、究極の選択。引くも地獄、進むも地獄。
……こうなれば、いちかばちか。
「あ、あの、どのようなご用件……」
「そっ、そんなのどうでもいいでしょ!? いいから通せってのよ!」
「……およ?」
その時の彼女の反応は予想外だった。
普段の彼女なら、『はぁ? いいから通せってんのよ』と、どこぞのヤンキーみたいな口調で蹴飛ばしてくるはずだ。
にも拘わらず、その反応。
――美鈴は確信した。死中に活あり!
「そう言われても、これが私のお仕事ですので……。
用件を述べて頂けないのなら、どなたにご用かを……」
「べっ、別に誰だっていいじゃない!」
「それじゃ通せませんよ」
「……あー、もー!
わかった、わかったわよ! 咲夜かパチュリー! どっちかに取り次いで!」
「はいはい、ただいま」
ふふっ、ちょろいものね。
これもやはり、人生経験の差だろう。ちょっぴり口調をからかうようなものにして、『言いたいことはわかってますよ』な雰囲気を漂わせれば、あら不思議。
紅白の巫女さんが紅色に傾いて地団太踏み出した。その様子のかわいいことといったら。
どこぞの妖怪が『彼女は私の娘!』なんて真顔で言っちゃうのもわかるというものだ。
――ということで。
「それじゃ、霊夢。いらっしゃい。
お茶とお菓子を用意するから」
「そういうもてなしはいいから! さっさとしなさいよ!」
と、銀髪メイド長が、この上もなく優しい笑顔と口調で現れ、巫女さんを連れて行くのでした。
「パチュリー様、ちょっとよろしいでしょうか」
「何かしら、咲夜。……と、霊夢」
「本を一冊、お借りしたいのですが」
「目的と用途は?」
「ラブr」
「だーっ! 違う違う違う違ぁーうっ!!」
「小悪魔。8番の本棚よ」
「はーい」
「何勝手に勘違いしてやがりますかあんたら!?」
館の門をくぐり、廊下を歩きながら咲夜に事情を説明すると、彼女はすぐにそれを理解して、霊夢を図書館へと連れて行ってくれた。
しかし、その実、彼女は勝手に自分の中で霊夢の話を脚色し、装飾し、尾ひれに背びれに胸鰭に、さらには手と足をつけて陸上歩行すら出来るように仕立て上げていたわけである。
……もっとも、そう思っているのは当人だけだろうが。
「何を怒っているのかしら、霊夢。私は咲夜の言葉と、今のあなたの態度から確信したというのに」
「違うっつの!?
単に、私は他人に手紙を出したことが、あまりないから、どういう書き方が正しい作法かを教えて、って言っただけ!」
「それに当てはまるでしょう、ラbむきゅー」
「続けるなっ!」
巫女チョップでパチュリーを一旦沈黙させた後、霊夢は咲夜を振り返る。
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃない」
やっぱダメだ、こいつに相談したのは間違いだった。
肩を落とす霊夢の手元に、小悪魔が持ってきた本を手渡す。『恋文百選』と、そのタイトルは書かれていた。
「破り捨ててやる」
「ダメですよ、霊夢さん。よろしいですか、本というのは言うなれば叡智の結晶なんです。
長い時を越え、多くの知識を伝えてきた書物には魂と共に命が宿ります。そうしたものに対して不適切な取り扱いをしたが最後、口にも出せない、世にも恐ろしい報復が降りかかるのです。
具体的には私から」
「あんたかよ!?」
「第一、どうして手紙を書かないといけないの」
むくっ、と復活して、パチュリー。
その言葉に、『ぐっ』と霊夢は言葉に詰まった。
「第一、おかしいでしょう。
幻想郷の技術レベルから考えると、届けるのに何日もかかる上に途中で紛失も考えられる手紙を他人に届けるというのは、情報の伝達機会を失する可能性が非常に高いわ。手紙はごく身近な、それも同じ家屋の人間に対する言伝程度の役割が充分。本当に重要なことは直接伝えに行って、その場でメモ書きを残してくるのが一番でしょう。
にも拘わらず、あなたは手紙で事を伝えたいと言ったわね。
その理由はいくつも考えられるけれど、前後のあなたの行動から判断して、その理由は、直接、言葉で伝えることが出来ないことを伝えたいということに収束するわ。
なぜ伝えられないのか。
相手の耳が聞こえないわけでもなく、話を理解することの出来ない文化力の低い相手に伝えたいのか。それはありえない。なぜなら、あなたの隣人にそういう人物はいないから。そうなると、可能性として最も高いのは、直接会って伝えるには恥ずかしすぎrむきゅ」
「それ以上言ったら叩くわよ」
「もう叩いてるじゃない」
パワー巫女ダンクを炸裂させられ、紅魔館の赤いリングに沈んだパチュリーに背を向けて、「もういい! 自分でやる!」と怒鳴る霊夢に、「はいはい、わかったわかった。それじゃ、私の部屋に行きましょう」と、やっぱりやたらと優しい咲夜が声をかける。
その後、ぎゃーぎゃーと何やらわめいてはいたものの、霊夢は大人しく咲夜に従い、彼女と肩を並べて図書館を後にする。
「パチュリー様、大丈夫ですか?」
「……小悪魔、次の本はみこ×みこで行くわよ」
「らじゃー!」
次の紅魔館即売会が楽しみね、と不滅の闘志を燃やすパチュリーであった。
「それで、どんな手紙を書きたいのかしら」
「その……普通の手紙よ。
今度、うちで宴会やるから来なさい、って」
「え? それって、普段の宴会と違うの?」
「魔理沙がさ、『鍋パーティーするぞ!』って」
「……ああ、いつぞやの」
みんなで囲む鍋の美味しさと、わいわい騒がしい雰囲気に、ある意味で、彼女は味を占めたのだ、と霊夢は説明する。
そこで、魔理沙は『私は当日の準備で忙しいから、悪いんだが、お前が人を集めてくれ』と霊夢に押し付けてきたのだという。そこで、すでにあちこちに声をかけてきた霊夢だが(もちろん、紅魔館にもすでに連絡済みである)、守矢神社に連絡をするのを忘れていたのだとか。
「宴会まであと三日でしょ? そろそろ時間もなくなってきたから、とりあえず手紙だけ送って来るのを待とうかな、とか」
「あそこまで、往復半日もかからないでしょ」
「そ、それはそうだけど、色々忙しいのよ!」
「その準備は魔理沙がしてるんじゃないの?」
「あいつを信じられると思う!? これまでに、何度、私が世話を焼いたか!」
「はいはい」
顔を赤くして、自分の正当性を主張する霊夢に、苦笑交じりに咲夜は返す。
かわいいわねー、と思いながら、「それじゃ、簡単な文章がよさそうね」と相談には乗るようだった。
「私は普段、畏まった文章しか書かないから、あんまり参考になるかはわからないけれど」
「別にいいわよ。あくまで一例として考えるから」
「そういう小憎らしさは、あなたの美点ね」
彼女は部屋の片隅にある文机から便箋を取り出すと、「こんな感じでどう?」と文字をしたためる。
『東風谷 早苗 様
初秋の候、いかがお過ごしでしょうか。
近頃は、お互いに顔をあわせることも少なくなり、心なしか肌寒さも感じます。
そこで、博麗神社にて宴会を開催することにしました。当日の宴会には、とても美味しいお鍋料理も用意しております。
あなたと一緒にお鍋を囲むことが出来れば、この肌寒さも忘れられるでしょう。
ぜひとも、博麗神社にいらしてください。心からお待ちしております』
「そんな手紙が渡せるかぁぁぁぁーっ!」
「あら、事実でしょ?」
暗に、『早苗に逢えなくて、霊夢、寂しい』な文章を書かれて怒り狂う大魔神に、くすくす笑う咲夜。完璧に、霊夢は彼女の手玉に取られているのだが、果たしてそれに気づいているだろうか。
「何、この『肌寒さ』って!? 確かに最近、寒いけど! 明らかに、この文章からは別の意味を感じるんですけど!?」
「一人寝の夜は寂しいでしょう?」
「いやそりゃ確かに……って、何を言わせるかっ!」
博麗秘奥義ちゃぶ台返しをしようとして、咲夜に「このティーセット、高いのよ」と釘を刺されて巫女の行動がストップする。
「じゃあ、霊夢はどういう文章が書きたいの?」
「え? えっと……」
貸しなさい、と便箋と万年筆を横取りする。
そして、散々悩んだ末に、
『宴会に来なさい、まる』
とだけ書いて、咲夜につきつけた。
「あなた、字が下手ね」
「私は毛筆専門なの!」
「まぁ、確かにペンと筆では使い方が違うわね」
じゃあ、待ってなさい、と咲夜が椅子から腰を浮かした五秒後、「筆と墨を持ってきたわ」とテーブルの上に習字セット一式が鎮座していた。
渡されたそれを手に、彼女がささっと文字をしたためると、
「確かに達筆ね」
「でしょ? 伊達にお母さんに仕込まれてないわよ」
「だけど読めないわ」
「言うな」
博麗神社で書道教室が開けるだろうというぐらいに見事な書をしたためた霊夢であるが、あまりにも見事すぎて逆に読めなくなっている事実に、はぁ~、とため息をついて肩を落とす。
「……字、教えて」
「いいわよ」
その辺りに関しても、咲夜のスキルは色々完璧だった。
手紙講座ではなく習字講座へと場は変貌しつつも、「それで、どういう文章にしたら満足するの?」や、「別に、心に残る文章とかを書きたいわけじゃないのよ」と、一応、本来の目的に沿った会話もなされている。
「けれど――」
「何よ」
「どうして、そこまで入れ込んでいるのに、なかなか……と、言いたいところだけど、私も人のことは言えないわね」
「だから、違うっつの。
何で、誰も彼もそっちの方に話を持っていきたがるかなぁ」
「あら。秋は恋の季節よ」
「鯉は春の魚でしょ」
「初夏の魚でもあるわね」
してみると、冬以外の季節では、いつでも『こい』は大活躍しているわけだ。しかし、冬だからといって、『こい』は冷めないのも、また面白い。
なかなか皮肉な言葉の応酬に、霊夢は肩をすくめる。
「あなたらしくないわね」
「そうでもないんじゃないの。むしろ、私は強風にぶち当たると前に飛べなくなるのよ」
「どこぞの天狗みたいね」
「前に飛べないから回り道をするしかないじゃない」
「なるほど。
それなら、手紙というのも、案外、効果的な手段かもしれないわね」
「……って、何を言わせるか」
この、と霊夢は咲夜の肩を叩いた。
その後は、至って静かな時間。咲夜の指導を受けつつ、何とかかんとか手紙を仕上げてから、ふぅ、と霊夢は息をつく。
「……これでいいのかなぁ」
「さあ?」
「おーい」
「手紙なんて、しょせんは文章だもの。そこからどういうことを受け取るのかなんて千差万別でしょ。
あなたが意図した通りに伝わるといいわね」
「……不安になること言うな」
「冗談よ」
ひょいと肩をすくめる皮肉屋のメイド長に、「もう二度と、あんたにはこういうことは頼まないからな」と、ふてくされ巫女は捨て台詞を吐くのだった。
「あー……疲れた。ただいまー……」
「お帰りなさい、霊夢。今日の晩御飯は肉じゃがとなめこのお味噌汁よ」
「お、私の大好物じゃん。やったー」
「手を洗ってきなさいね」
「はいはーい」
――というわけで。
「いただきまー……って、何でいるの紫!?」
「……ようやくツッコんでもらえてほっとしてるわ」
食卓について、笑顔のまま、肉じゃがを口にしようとして。
ようやく、霊夢は目の前に座っている妖怪に向けて箸を突きつけた。いわゆる一つのノリツッコミである。
「何しに来たのよ、何しに」
「あなたが、何だか面白いことをしているから。それを見に来たのよ」
あと、ついでに晩御飯を作りに来たの、と紫。
霊夢は「まーたろくでもないこと考えて」と文句は言うものの、あっという間にお皿によそってもらっていた肉じゃがを食べ終えて、「おかわり」とそれを突き出している。
「それで? 愛の告白が出来ないからお手紙に頼るの? また古風ねぇ」
「違うわっ!
どーして誰も彼も、そっちに話を持っていきたがるかなぁ!?」
「誰がどこからどう見てもそうでしょうが」
「……甘いわね、紫」
「何、いきなり」
「どうせ早苗のことよ。こっちから誘わなかったら、きっと『わたしが行くとみんながしらけちゃうから……』っていらない気を遣うに決まってるわ。
そこを私が『そんなことないのよ、いらっしゃい』って優しく声をかけてあげる! ほら見なさい、私ってばとっても優しい子!」
「あそこの神様はそんなの気にしそうにないんだけど。特に小さい方」
「うぐ……」
そこで沈黙。
その間、紫の、味噌汁をすする音だけが響き渡る。
「じゃあ……えっと……。
あ、そうそう! 魔理沙が声をかけるの忘れてて! それで、今から私が行ったんじゃ間に合わないから文とかに手紙を持っていってもらおうかなと……!」
「そういう声かけをするのがあなたの役目じゃなかった?」
紅魔館で、そんな話をしていたわよね?
紫の澄ました一言に、またもや巫女さん沈黙。
「で? 他に何かある?」
「……ないです」
「全くもう。どうしてあなたはそうなのやら」
「だってさぁ……」
もぐもぐとご飯を口に。
そのまま喋ろうとして、『ものを食べている時はお喋りしないの』と叱られる。ちゃんと、口の中のものを飲み込んでから、
「何か声をかけづらいというか……顔が見られないというか……」
「あら、かわいい。一人前に照れてるのね」
「てっ、照れてなんてないっつの!
それに、ほら! あの子だって、『またいつか機会があれば』って言ってたじゃない! あれはノーカンよ、ノーカン!
コンティニューしなかったら得点だってリセットされるじゃない!」
「……何の話よ」
「いや別に何となく……」
ともあれ、と霊夢。
「それで、まぁ……手紙なら、あの子の顔とか見なくてすむし……」
「ふぅん」
そうやって本音を言えばいいのよ、と紫は言った。
空っぽになった皿などを持って、彼女は一度、流しへと下がっていく。そうしてしばらくしてから、お茶と、きれいにむかれたなしが載った皿がテーブルの上に出された。
「素直に言えば、咲夜なんて、もっと親身になって相談に乗ってくれたでしょうに」
「いや、だからぁ!」
「はいストップ。
単に、気恥ずかしいから声をかけに行きたくないんでしょ? 認めなさい」
「……うぐぅ」
「毎日嬉しそうに、あの子が使ってた部屋の掃除までしちゃって。それなのに、こんなどうでもいいことでも恥ずかしいって言ってしまうなんて。
あなたの恋愛経験値は小学生並ね」
「だから違うってのに……」
未だぶつぶつ文句をつぶやく霊夢。とはいえ、面と向かって、紫にそれを訴えることはやめるようにしたらしい。
人間、本当のことを言われると逆に素直になれないとは言うが、それにプラスして、この巫女は、どうやらそっち方面に関しては、違う意味で意固地になるらしい。
散々、他の人間の恋愛ごとに関して首を突っ込んだり、逆に『どうでもいい』と流していたのは、自分がその当事者になることを考えていなかったからだろう。そういうスタンスを貫いてきた自分を否定したくないのだ。
『恋愛になんて興味ないもんね』
彼女の言葉にするとこんなところか。
「散々、私に叱られたくせに」
「だっ……! それは……その……」
「それで?
どんな手紙を書いたの。見せてごらんなさい」
「い、いやよ! 何であんたに!」
「娘がどんな風に成長しているか、親は興味を持つものよ」
「誰が誰の親だ!」
「はいはい」
「あ、こら、返せっ!」
どこぞのお嬢様のように頭を抑えられ、懸命に手を伸ばすも届きません状態の霊夢。そんな彼女を横目で見つつ、彼女から掠め取った『お手紙』を一読する紫。
霊夢の『返せ、バカー!』なセリフが何回か続いた後、紫は言った。
「平凡ねぇ」
「いっ、いいじゃない、別に! 宴会のお誘いに平凡も奇抜もあるかっ!」
「世の中にはね、霊夢。『好きだからいじめちゃう』というのがあって……」
「私は神奈子や諏訪子はどうでもいいけど早苗とケンカするつもりはないっ!」
「はいはいそうね」
「……はっ!?」
「まぁ、迷路に迷うのも面白いかしら」
そういえば、どこかのお嬢様が、似たような名前のスペルカードを持っていたわね。
そんなコメントをして、「食べ終わったら、ちゃんと歯磨きするのよ」と彼女は帰っていった。しんと静まりかえる室内に残された霊夢は、「何なのよ!」と怒りながらなしをかじる。
「……悪かったわね。今はこれが精一杯でさ」
ふん、と。
彼女は誰に言うともなくつぶやいて、一人、そっぽを向いたのだった。
さて、翌日。
抜けるような青空の下、彼女は神社を出発した。片手に持つのは、昨晩、必死に悩んで書き上げた手紙。紫に『平凡』と言われたことが癇に障ったらしい。
向かう先は妖怪の山なのだが、その足はそちらへは向かわない。
最初の目的地はというと――、
「幽香ー! いるー!?」
「……朝から何よ」
ひまわり咲き乱れる太陽の畑。そこに佇む一軒の家。
そのドアを遠慮なくどかどかノックする彼女の前に、家の主――風見幽香が、眠たそうな顔をして現れる。
「……あのね、霊夢。悪いんだけど、うちの開店は10時からなの。まだ9時だから出直すか、ちょっとそこで……」
「いいから。お金払うからお菓子を売って」
「……だから」
朝には弱い幽香が示すお店のディスプレイ。そこは空っぽであり、ショーケースは空白地帯だった。
「見ての通り」
「そこを曲げて頼んでるのよ」
「それは私のセリフよ。
わかったなら……」
「あなた、私の友達でしょ!?」
「とっ……!」
そこで、幽香は大きく後ろによろめいた。
一歩、二歩、と後ずさる彼女。
「友達……霊夢が私を友達と認めた……!? そ、そんな……そんなことが……」
「……ちょっと、どうしたのよ」
「も、もう一回言って!」
「は? 何を……」
「もう一回!」
「……友達?」
「わかったわ、霊夢! 友達ですものね! ついでに朝ご飯はどう!?」
「あ、いや、いい。そっちは食べてきたし……」
「そうね!」
やたら嬉しそうな笑顔になる幽香。彼女は鼻歌などを歌いながら厨房へと取って返す。まもなくして漂ってくる甘い香りに、霊夢は一人、首をかしげる。
「……一体、何があいつの琴線に触れたんだろう……」
「あなた、幽香が言ってたこと覚えてないの?」
「何をよ」
「幽香の願いは、『友達たくさん』なのよ?」
「……ああ、なるほど……って、うをわっ!? アリス!?」
「……遅いわよ、気づくのが」
ジト目で霊夢をにらみつつ、アリスは言った。
次いで、「何しにきたの」とすげなく一言。
「いや、何しにって……。そもそも、何であんた、ここにいるのよ」
「幽香が『新作のお菓子を作りたいから協力して』って言ってきたからよ」
「あんたら、ほんと、最近、仲いいな」
「そう?」
普通じゃない、と彼女は言った。
ともあれ、そういう理由で、アリスはここにいるらしい。そうしたきちんとした理由を伴う相手は、続いて、『それで?』と視線を向けてくる。そうされると霊夢は返答に窮するのか、視線を逸らしたまま、「た、たまたま、朝から甘いものが食べたくなっただけよ」とお茶を濁す。
「あなた、ケーキとかよりも饅頭じゃなかった?」
「い、いいじゃない。この前、アリスが持ってきたケーキ、美味しかったんだもん」
「あれ、ケーキじゃないし。アップルパイよ」
「お、同じじゃない!」
「ついでに言えば、ケーキを持っていってあげたのは、あなたが早苗と一緒にいた時」
「うぐっ……!」
なるほどね、とアリスは何やら得心したようだった。
彼女は『ちょっと待ってなさい』と厨房へと入っていき、5分ほどしてから紅茶とクッキーを手に戻ってくる。そして、霊夢に「そこでどう?」とイートインスペースを指差した。
「霊夢って、嘘がみんな顔に出るわよね。あなた、絶対にギャンブルには向いてないわ」
「う、嘘なんて……」
「あの時、確か『ケーキなんて甘ったるいもの、苦手なのよ。早苗、食べて』って言ってたわよね?」
「い、言ってたっけ?」
「早苗はそういうの大好きみたいだったから、『太っちゃいますよ』って笑いながら食べてたわね。
で、あなたが過去に食べたことがある洋菓子は、私が作ったアップルパイとか、咲夜さんが持ってくるシュークリームとか。あと、せいぜいプリン?」
「……よく覚えてるわね」
「マーケティングの基本よ」
大きな店には出来ない、顧客密着型の商売がうちの信条なの、ということだった。
要するに、お客さん一人一人ごとに『どんな品物を買ったか』『どんなコメントをしてくれたか』『どんなものを望んでいるのか』を徹底的に調べているとのことだった。
それを受けて、やってくる客に対して、『これこれこういうものがお勧めですよ』とやるのだという。
「そこまでするから、こんな辺鄙なところにある個人経営の店もやっていけるというわけ」
「……はぁ、なるほど」
「それで? あなたがケーキを……というか、洋菓子を買いに来た理由、聞いていい?」
「いや……その……えーっと……。
……早苗のところに行くから、その手土産」
きょとんとなるアリス。
「……ケーキとか大好きなんだけど、幻想郷にはそういうお店が少なくて悲しいって言ってたし……。あんた達が持ってきたの、『美味しい』って食べてたし……。
……なら、話すきっかけになるかなぁ、って……」
うつむき、ほっぺたを完熟トマトかそれ以上に真っ赤に染めて、もじもじしながら話す霊夢に。
アリスは言った。
「かーわいい」
「うがー!」
叫んで暴れそうになる霊夢を『どうどう』となだめるアリス。具体的には、その口の中にクッキーをひとかけ、ぽいと放り込んでだ。
「ああ、もう、かわいすぎるわね。それ。
霊夢が私より年下で、小柄で、それで『お姉ちゃん』なんてセリフが似合う女の子だったら抱きしめてたわ」
「ケンカ売ってるでしょ!?」
「べっつにー。
けど、そっかそっか。やっぱり秋よねぇ。そういう気持ちになるのもわかるわ」
「だーかーらー!」
「それで? 何で早苗に会いに行くの? 結納?」
「ちっがーう! ただ、宴会に誘いに行くだけよ!」
「宴会……って、この前、うちに来た?」
そう、とうなずく霊夢。
「何で、わざわざ手土産持って行くのよ」
「……いや、その……何か、きっかけがないと話しづらいというか……」
「あー、もう!」
アリスが、ばしん、とテーブルを叩いた。その音のでかさに驚いたのか、厨房から幽香が飛び出してきて『何事!?』と声を上げる。
「霊夢がこんなに乙女だとは思わなかったわ!」
「何でそんなに顔がにやけてるのよ!?」
「幽香、プリンもつけてあげて! お代は私が払うわ!」
「……は?」
「いいから!」
「……まぁ、いいけど」
何なのかしら、という視線を送りながら、幽香は厨房へと戻っていく。
アリスは椅子の上で居住まいを正すと、霊夢の右手を取って力強く言った。
「頑張ってね。式には呼んでね」
「……殴るぞあんた」
相手が魔理沙であれば、その瞬間、ビッグバン巫女パンチが飛び出していたであろう一言に、霊夢は呻くのだった。
片手に幽香の店で購入(実質、もらった)したケーキとプリンと、さらにチョコレートの入った箱を手に、霊夢は道を急ぐ。
太陽の畑から妖怪の山までは、片道、結構な時間がかかる。特段、急ぐ理由もないのだが、なぜか心が急いていた。
その理由は自分自身にもわからなかったのだが、山が見えてくるに従って、不思議と心臓の鼓動も早くなる。
――と、
「そこな巫女。ちょっと待ってください」
「お、出たな。わんわん」
「誰がわんわんですか! 私は――!」
「もみもみ」
「卑猥な呼び方しないでください!」
山の中腹の辺りで現れる、真面目な犬っ娘相手に軽くからかってみると、『がおー!』と言わんばかりの勢いで、やっぱり彼女は怒った。
にやにや笑いながら、「ごめんごめん」と投げやりな謝罪をして、
「ちょっと、守矢神社に用事があるの。通してちょうだい」
「……あそこにどうして博麗の巫女のあなたが」
商売敵じゃなかったんですか、と彼女――椛の言葉に、「それはそれ、これはこれ」と簡単な返事を一つ。
すると椛は、ふぅん、とうなずいた後、
「あなたと、あそこの神社の巫女が……その……えっと……」
「何よ?」
「ね……ねん……じゃなくて、仲がいいというのは本当だったんですね」
「なっ……!」
なぜか顔を真っ赤にして言いよどむ椛と、その後の『何とか搾り出しました』というセリフに反応して、同じように顔を赤くする霊夢。
「ち、ちが……! 私は、ただ単に、あの子達を宴会に誘いに来ただけよ! あんたにも声をかけたじゃない!」
「ああ、あの件でしたか」
しかし、そこは真面目な犬っ娘。霊夢の態度の豹変にも気づかず、「それは失礼なことを」と頭を下げた。
「でしたら……なおさら、今はやめておいた方がいいですよ」
「どういうことよ」
「空を見てください」
言われて、山の空を見上げる。
青空の中に、灰色の雲が広がっている。山に向かって、ゆっくりと。
「秋の天気と山の天気は変わりやすいんです。あの様子だと、もうそろそろ雨が降り始めるでしょう。
一度、ふもとに戻って、あの雲が通り過ぎるのを待ってから、改めて……」
「……どんくらいかかる?」
「そんなにはかからないと思います。上空は風が強いので、おそらく、一時間か二時間……」
「……やだ」
「え?」
「待つのやだ」
またこの人はわがままを、という視線を、椛は霊夢に向けた。
一方の霊夢は空をにらみながら、『何が何でもいく』と宣言する。
「……でしたら、空を飛ぶのはやめた方がいいです。神社への参道を歩いていってください」
「どうしても?」
「風にあおられて墜落、大怪我、なんてことになりますよ」
「……めんどいなぁ」
しかし、霊夢は素直に椛に従った。
山の中へと向かって降りていく霊夢を見送ってから、つと、椛は首をかしげる。
……何か変だな、今日のあの人は。
そうは思ったものの、それ以上の追求は避けたほうがいいと考えたのだろう。「気をつけてくださいね」と声をかけて、彼女は山の上に向かって飛んでいったのだった。
「……ほんと、天狗は風と一緒に生きるって言うけど……」
あれは事実だったんだな、と霊夢は天を見上げながらつぶやいた。
登山を始めて、早30分程度で雨が降ってきた。
最初はぽつぽつという雨だったので気にせず歩いていたら、5分もしないうちに天気は嵐へと化けている。
雨の量はそれほどでもないのだが、とにかく風が強かった。髪は振り回され、スカートははためき、風に逆らって歩くことも難しい状態だ。
やむなく、大きな木の下に逃げ込み、雨宿りをしているのだが、一向に雨と風がやむ気配はない。
「……どうしよ」
神社まで、まだ、歩いて一時間はかかるだろう。
一度、帰って出直そうか。
そう思って、しかし、すぐに思い直す。
幽香の店でもらってきたケーキやら何やらは、幽香が「それ、今日中に食べてね」と言っていた。霊夢の信条として、『食べ物は決して粗末にしない』というのがある。何が何でも、これを、目的の相手に渡さなくてはならないのだ。
……とはいえ、それはそこまで重要な理由ではない。
確かに洋菓子はそれほど好きではないが、嫌いというわけでもない。紅魔館から分けてもらった紅茶を片手に、神社に似合わぬティータイムを彩る要素にはなってくれるだろう。
問題は、こっちだ。
「……今帰ったら、絶対に決意が鈍るよなぁ」
ただでさえ、昨日は手紙を書きなおした後、行くかどうするかで眠れぬ夜をすごしたのだ。今朝の段階でもそれは変わらず、朝ご飯を食べながら、『やっぱりやめようかな』『いや、ここでやめてどうする』と葛藤したのだ。
そうして、ある意味では勇気を振り絞ってここまで来たというのに。
「天気のばーか」
それをさえぎってくれたのが、まさか天の気まぐれとは。
こればっかりは、あのいたずらものの天人に文句を言うことも出来ないだろう。幻想郷は私を嫌ってるんじゃないのか。そんなことすら考えてしまう。
「……恥を忍んで、文に渡せばよかったかなぁ」
懐から取り出した手紙。
咲夜にもらった便箋に包まれたそれは、表に『守矢神社宛』と書かれている。
そもそも、話すのが恥ずかしいから手紙を書いたというのに、何でそれを自分で持ってきたのだろうか。全くもって意味のわからない自分の行動に、もはや苦笑いすら出てこない。
つぶやいたように、文に渡しておけば、色々とからかってくることは間違いないだろうが、『わかりました』と二つ返事で引き受けてくれただろう。そのリスクを回避しようと考えた結果がこれだ。
「私って間抜けだなぁ……」
たはは、と肩を落として笑って。
その瞬間、吹いた一陣の突風に、思わず顔を覆った瞬間、手に持った手紙がその風によって飛ばされる。
「あっ……!」
それに気づいたのは、手紙が風に流され、視界から消える瞬間だ。
「ま、待てーっ!」
慌てて雨宿りの下から走り出す。
雨が顔に当たって痛い。足元がぬかるみ、何度も転びそうになる。それでも、飛んでいく手紙だけは見逃すまいと、彼女は空を見上げて走り続けた。
「よっし、引っかかった!」
伸びる木々の枝葉が、うまい具合に手紙を受け止めてくれる。
彼女はその足下まで辿り着くと、空へと舞い上がる。
「まぁ、ちょっとくらい濡れても……」
無事に手紙を確保して、ほっと一息。
しかし、世の中、そううまくはいかないものだ。
椛の言った通り、強い風によって彼女はバランスを崩す。そして、手に持った手紙もケーキも、みんな手放してしまった挙句、木々にぶつかって痛い思いをして、そのまま地面へと落下してしまった。
「……あー」
全身泥だらけ。おまけにずきずきとあちこちが痛む。
立ち上がり、ふらふらと歩いてみれば、すぐ近くにケーキの入った箱が落ちていた。当然、泥まみれだ。ふたを開けてみれば、中もぐちゃぐちゃになっており、紙のケースから染みた泥に汚れている。
「たはは……こりゃダメだ……」
手紙はどこにも見つからない。きっと、どこかへ飛ばされてしまったのだろう。
「……っ」
何だか泣きたくなってきた。
目の前がじわりとにじむ。服の袖で目許をぬぐい、「バカやろー」と彼女はつぶやいた。
散々回りにからかわれ、応援されて、決意を決めてやってきて。
辿り着いてみればこの仕打ち。
何だよ、ちくしょう。私が何か悪いことしたのかよ。何でこんな目にあわないといけないんだ。
唇をかみしめ、嗚咽をこらえ。それでも、落とした腰が上がることはなかった。しばしの間、雨と風に打たれていた彼女は、ようやく立ち上がり、足を麓へと向ける。そして、少し歩いた後、手に持ったケーキを思いっきり放り投げようとして、
「山にごみを捨てるのはよくありませんよ」
後ろからかかった声に動きを止める。
すっ、と差し出される一本の傘。振り向けば、雨に濡れた少女が一人、立っていた。
「泥だらけじゃないですか。大丈夫ですか?」
「……何で……」
手にしたハンカチで、彼女の顔をぬぐってくれるのは。
「何で……あんた、ここにいるのさ……」
「椛さんから聞いたんです。霊夢さんがうちに用事があるって言ってた、って。
そうしたら、この天気じゃないですか? 慌てて傘を持ってきたんですけど……ごめんなさい、大きいのが一本しかなくて」
そう答えてくれる彼女――早苗の体もびしょぬれだった。
慌てて走ってきたのだろう、足下は泥が跳ね、服も靴もべたべたに汚れている。
ただ、それでも、彼女は笑っていた。優しく微笑んでいた。
「怪我してますね。大丈夫ですか?」
「……うん」
「今、神奈子さまも来てくれますから」
霊夢の手を掴んで改めて微笑んで、彼女。
そうして彼女は空を見上げて、「さすがですね」とつぶやいた。見れば、あの親ばか神が大慌てで飛んでくるところだった。
「……早過ぎよ」
「そうかもしれませんね。ただ、わたしは走ってきたから……」
「……相合傘なのにさ……」
そうつぶやく霊夢の顔に、ようやく笑顔が戻ってきたのは、その時だった。
「……もう。霊夢さん、無茶をするんだから……」
「あはは……ごめんごめん。
けど、悪いね。お風呂借りただけじゃなく、手当てまでしてもらって」
「いいです。それより、あんな泥だらけの傷だらけで帰られたら、『守矢神社は博麗の巫女を無碍に扱った』って紫さんにどつかれそうですから」
神社の居間で、二人はテーブルを挟んで向かい合っている。
とりあえず、早苗と神奈子に連れられ、神社へと招き入れられた霊夢は、まず、汚れた服を全て脱がされた上でお風呂に放り込まれ、上がった後は早苗の『手厚い』看護まで受けていた。
そして、今現在。そんな霊夢の体にはあちこちに包帯が巻かれたり絆創膏が張られたりして、ちょっと痛々しかった。
「けどさぁ、めんどくさがりのあんたのくせに、何でこんな日にうちにこようと思ったの?」
畳の上に寝そべって、足をぱたぱたさせながら諏訪子が霊夢に尋ねる。
それを受けて、霊夢は肩をすくめた。
「近いうちに、うちで宴会やるからさ。あんた達も来なさいよ、ってお誘いに来たのよ」
――あれだけ迷って、否定して、恥ずかしがっていたセリフがさらりと出てきた。
「お、いいねー。宴会、さいこー!」
「……あの、そのためだけにわざわざ? こんな日に?」
「だって、出発した時は晴れてたもん」
「……はぁ」
頭が痛い、と言わんばかりに早苗はため息をつく。
そうして、大きく息を吸い込むと――、
「あのですねぇ、霊夢さん! 何を考えてるんですか!」
「わっ、な、何よ! いきなり!」
「こんな雨の日にそんなことで!
わたしが行ったからよかったものの、あのままだったら間違いなく風邪を引いてましたよ!? 風邪だけならまだいいですよ! そんな怪我までして、そこからばい菌が入ったら大変なことになるんですよ!?
何でこんなことしたんですか、もう!」
「……うぐ……。だって……その……」
「だって?」
「……早苗たちにだけ連絡してなかったんだし」
「……もう」
「いいじゃん、いいじゃん、早苗。終わりよければさぁ」
「諏訪子さま、あのですね――」
「早苗。声が大きい。はしたない」
「……はい」
がらっとふすまが開いて、守矢神社のお母さん登場である。
おー、こわ、と諏訪子が彼女をおちょくるようなことを言って立ち上がり、早苗の横に移動する。
「霊夢。今、早苗の言った通りだ。
聞けば、山の入り口で椛に警告までされていたそうじゃないか。早苗はね、その話を聞いて、慌てて飛び出していったのよ。
あなたの身勝手な行動一つで他人に迷惑をかけるの。
そこら辺、わかってる?」
「……わかってる……っていうか、あんた、紫みたいなこと言うね」
「話をまぜっかえすな」
「いてっ」
ごちん、とげんこつ一発。
「全く……。
これにこりて、二度とこんなことはしないように」
「……わかってるっての。
けどさ……その……あんたらだって、宴会、好きじゃない。誘ってあげたんだよ。ちょっとくらい感謝してよ」
「それについては感謝する。けど、早苗を悲しませるようなことだけはするんじゃない。
わかったわね?」
「……うぐ」
それを言い出されると反論が出来なかった。
押し黙る霊夢に、諏訪子がにやにやした視線を向ける。神奈子は立ち上がると、「今、体のあったまるものを作るから。それ食べて帰りなさい」と歩いていってしまった。
「泊めてあげてもいいのにねぇ?」
「霊夢さんも忙しいですから」
いやいやそうじゃないんだなぁ、とにやにや。
「ねぇ、霊夢。泊まっていきたかったよねぇ? にししし」
「はぁ? べ、別に……」
「うちは布団が三組しかなくてさぁ。
そうなると~……?」
ぼっ、と霊夢の顔が赤くなった。
諏訪子の視線の先にいる人物は『?』と首をかしげている。
「こっ、このーっ!」
「あはははは! 怒った怒った、わーいわーい!」
「待て、このー!」
「ち、ちょっとお二人とも! あんまりどたばたしないでください!」
一瞬で、大騒ぎとなる室内に。
『静かにしなさいっ!』という特大の雷が落ちるのは、それからすぐのことだった。
「おー、晴れた晴れた。よかったねぇ、霊夢」
「あー……ま、そうね」
神奈子お手製のあったかうどんを食べ終わった頃、吹いていた風は収まり、降り注ぐ雨もすっかりと上がっていた。
縁側に出て空を見上げる諏訪子に、適当な返事をした後、「それじゃ、帰るわ」と霊夢は腰を浮かす。それを、『お見送りしてきますね』と早苗が追いかけ、さらにその後を、『これは面白そうだ』という顔で諏訪子も追いかける。一人残された神奈子は、「食器くらい片付けていってほしいわ」と、はぁ、とため息一つ。
「あの、霊夢さん。宴会っていつですか?」
「ん?
ああ、今度の三日よ。何か、鍋パーティーするから、たくさん人を集めておけ、って」
雨がきれいに空気を洗い、澄み渡る風が吹いていく。そして、傾く日差しの中、伸びる影法師。
その二つの影法師が重なる中、早苗は少しだけ、悲しそうな顔をした。
「三日……ですか」
「そう。どうしたの?」
「ああ……いえ……。ちょうど、その日、うちの神社で神事を行わなくていけなくて……」
「あー……そっか」
霊夢は苦笑を浮かべながら肩をすくめる。
しばしの沈黙の後、彼女は「ま、それならしょうがないよね」と、どこか無理をしているような声音でつぶやく。
「あの……ごめんなさい。わざわざ、こんなところまで足を運んでもらったのに……」
「ん? ああ、いいよいいよ。
元々、私が好きでやったことなんだし。早苗には早苗の予定があるんだし、仕方ないよ」
「……はい」
「あ、服の洗濯とかもしてくれてありがとね。助かっちゃった」
「あの……ごめんなさい……」
「いいよ。
と言うか、前々から思ってたんだけど、早苗、謝る必要のない時に謝らなくていいんだよ。そういうことされるとさ、私もそうだけど、相手が気を遣うからね」
なんてね、と彼女は笑うと踵を返して。
「おっ」
小さな声を上げる。
視線を下げていた早苗は、霊夢の「早苗、あれ、見てよ」という声で顔を上げて、
「……わぁ」
山の端に沈んでいく、見事な夕日に声を上げる。
見事な紅は世界を赤く染めて、二人の影法師をさらに伸ばしていく。
「山の上ってのはいいよねぇ。うちの神社だと、こんな見事な夕日は見られないわ」
「そう……ですね」
「あの雨は、これの演出だと考えるなら……ま、いいものだったわ」
そこで、霊夢は早苗へと体ごと振り返って笑う。
「ここに来る時さ、早苗と、何か妙に話しづらいなぁって思ってたんだけど、そんなことなかったわ。
けど、あんだけずぶ濡れになってひどい目に遭っていたから、逆に声をかけやすかったのかもしれないね。その点、雨には感謝してる」
「……あの、それって?」
彼女の瞳の中に映る、自分の姿。
まっすぐに、自分を見つめてくれている彼女に、わけしらず、少しだけ、胸が高鳴る。
「今度はお土産持って来るよ。
じゃ、また今度ね」
ふわりと空に浮かぶ彼女は、夕日の向こう側に去っていく。
昼と夜の狭間に浮かぶ逢魔ヶ刻はすぐに去りゆき、紅の向こうに藍色が浮かぶ、その時まで。
「早苗、そろそろ戻るよ」
「……はい」
「そんなに残念だったか」
ずっと霊夢の姿を見送っていた早苗は、振り返った諏訪子の目にも明らかなほどに肩を落としていた。
諏訪子は何も言わないまま、軽いステップで社殿の方へと去っていく。それに続く早苗は、しばらくの間、肩を落としていたが、『こんなんじゃダメですよね』と顔を上げて――、
「きゃっ」
一陣の風と共に、いきなり、顔の上に落ちてきた何かに驚いて声を上げてしまう。
どうしたの、と諏訪子が振り返り、彼女の元に歩いてくる。
「あ、い、いえ。今、何か……」
早苗の視線が向く先に、諏訪子も顔を向ける。
「何これ」
そこに、何かが落ちていた。拾い上げて、諏訪子は言う。
「手紙?」
表紙には『守矢神社宛』の文字。
彼女はそれをためつすがめつしていたが、ずぶ濡れになっているそれに興味などなくしたのか、ぽいっと捨てようとする。それを「ゴミのポイ捨てはダメですよ」と早苗がたしなめ、彼女からそれを受け取る。
「……何でしょうね?」
裏側には封印がされていたが、雨に濡れたためか、少しだけ、その縁がはがれていた。
便箋が破れないように気をつけながら口を開き、中から一枚の手紙を取り出す。雨のせいでインクがにじんでいたが、何とか読めないこともない。
「早苗?」
『東風谷 早苗 様
あなたとは普段、逢って顔を合わせ、話をしていますが、こうしてお手紙をすることは初めてだと思います。
本当は、直接会って話をした方がいいのでしょうけれど、今の私にはそれが出来ないので、この手紙でお伝えさせて頂きます。まず、その無礼をお許し下さい。
今度、私の博麗神社で宴会を開きます。みんなで集まって、楽しくさわぐ、いつもの宴会です。
その宴会に、どうぞ、ご参加下さい。あなたがいないとしらける人もいるので、これはもう、絶対の絶対のお願いです。
なお、当日は、特に持参するものはなくても大丈夫です。ただ、飲みたいお酒や食べたいものがあったら、別個、持って来た方がいいかもしれません。うちの宴会は、いつも争奪戦ですので。
開催時刻は夜の6時くらいから。場所はいつもの境内です。
ご家族の神様二人も連れて、是非、足を運んで下さい。
追伸
こんなことすら面と向かって話せなくてごめんなさい。
いつぞやの結婚騒動以来、どうにも、あなたの顔を見て、面と向かって話をすることが気恥ずかしくてしょうがないんです。あの時は、結構、あっさりと割り切ることが出来ましたが、日が経つにつれて、段々、何かおかしいなと思うことが多くなりました。
せっかくですので、当日、もしもご参加頂けましたら、そのことをお話ししようと思います。きっと、あなたとまともに話をしていないから、こんな気持ちになっているんだと思っています。あなたと会って話をしたら、またいつもの私に戻れるような気がします。
何だか甘えた言葉でごめんなさい。
けれど、今の私にとっては大事なことです。
何度も書いてしまいますが、早苗さんが迷惑でなければ、当日は是非ご参加下さい。
そして、当日、参加して頂けましたら――
―― ―― 』
「どうしたのさ?」
「……諏訪子さま」
「ほいよ」
「……三日の神事、わたし、サボっちゃっていいでしょうか?」
そりゃまたどうして、と諏訪子。ただし、その顔は笑っている。
「さあ……。どうしてでしょうね。
ただ、この手紙を出してきた人に、ちゃんと手紙の内容を聞いておきたいなって」
追伸の後段が、まるで狙ったかのように雨水でにじんで読めなくなっている。もちろん、差出人の名前もだ。
早苗の顔を見て、諏訪子は小さくうなずく。
「わかった。
そんなら、わたしから神奈子は説得するよ」
「はい。みんなで行きましょう」
「そうだね」
「ああ、あと……」
「ん?」
「わたしもお手紙、書いて持って行こうと思います」
何書くのさ、という諏訪子の言葉に、「ラブレターです」と、彼女は笑って答えるのだった。
『東風谷 早苗 様
仲秋の候、いかがお過ごしでしょうか。
すっかりと野山は秋の色に染まり、日々、風が冷たくなってくる頃合です。お風邪など召されてはいないでしょうか。
さて、話題は変わりますが、今月の3の日、当方の神社にて交流会を開催いたします。
つきましては』
「……いや、待て。
何、この畏まった文面。単に『宴会に来ない?』って声をかけるだけじゃない。
……よし」
『早苗へ
博麗神社で宴会やるから来なさい! いいわね!?』
「いやいや、居丈高過ぎるだろう自分。
よし、もっとわかりやすく、心持ち読んだら来たくなるような……」
『守矢神社 宛
早苗へ。
今度の三日に、うちの神社で宴会をやるから、来たければ来なさい。もちろん、食料とお酒持参で。
一応、あんた達の席は用意しておくから。
べ、別にあんたが来ないと寂しいとかそんなんじゃないんだからね。勘違いしないように。
ただ、私は、あんたが来てくれると宴会の用意が楽になるし、酔っ払いの世話を押し付けられるから呼ぶだけなんだからね。
わかった!?』
「って、私は咲夜や幽香かっ!」
「そこの門番っ!」
「はい!?」
びしぃっ、と紅白の巫女にお祓い棒突きつけられ、門番こと美鈴は背筋を固くした。
「え? あ、あの……何か?」
目の前の巫女から感じられる圧倒的な気配に気圧されながら、彼女は尋ねる。
巫女は答えた。
「そこを通しなさい」
――紅美鈴。
彼女は、吸血鬼の館である紅魔館の門を預かる門番である。館主であるお嬢様の許可なくしてはなんぴとたりとも、そこを通してはならぬのが彼女の使命であり、役割。
だがしかし。
「……帰れなんて言ったら殺される……」
いつぞやの紅異変の時の気配など目じゃなかった。
あの時の彼女をノーマルモードだとするなら、今の彼女はV-MAXだ。いや色的な意味ではレッドパワーか。
ともあれ、下手なことすりゃ命がないのは明々白々。かといって『どうぞどうぞ』と笑顔を浮かべれば、今度はお嬢様にぶっ飛ばされる可能性が高まってしまう。
ああ、究極の選択。引くも地獄、進むも地獄。
……こうなれば、いちかばちか。
「あ、あの、どのようなご用件……」
「そっ、そんなのどうでもいいでしょ!? いいから通せってのよ!」
「……およ?」
その時の彼女の反応は予想外だった。
普段の彼女なら、『はぁ? いいから通せってんのよ』と、どこぞのヤンキーみたいな口調で蹴飛ばしてくるはずだ。
にも拘わらず、その反応。
――美鈴は確信した。死中に活あり!
「そう言われても、これが私のお仕事ですので……。
用件を述べて頂けないのなら、どなたにご用かを……」
「べっ、別に誰だっていいじゃない!」
「それじゃ通せませんよ」
「……あー、もー!
わかった、わかったわよ! 咲夜かパチュリー! どっちかに取り次いで!」
「はいはい、ただいま」
ふふっ、ちょろいものね。
これもやはり、人生経験の差だろう。ちょっぴり口調をからかうようなものにして、『言いたいことはわかってますよ』な雰囲気を漂わせれば、あら不思議。
紅白の巫女さんが紅色に傾いて地団太踏み出した。その様子のかわいいことといったら。
どこぞの妖怪が『彼女は私の娘!』なんて真顔で言っちゃうのもわかるというものだ。
――ということで。
「それじゃ、霊夢。いらっしゃい。
お茶とお菓子を用意するから」
「そういうもてなしはいいから! さっさとしなさいよ!」
と、銀髪メイド長が、この上もなく優しい笑顔と口調で現れ、巫女さんを連れて行くのでした。
「パチュリー様、ちょっとよろしいでしょうか」
「何かしら、咲夜。……と、霊夢」
「本を一冊、お借りしたいのですが」
「目的と用途は?」
「ラブr」
「だーっ! 違う違う違う違ぁーうっ!!」
「小悪魔。8番の本棚よ」
「はーい」
「何勝手に勘違いしてやがりますかあんたら!?」
館の門をくぐり、廊下を歩きながら咲夜に事情を説明すると、彼女はすぐにそれを理解して、霊夢を図書館へと連れて行ってくれた。
しかし、その実、彼女は勝手に自分の中で霊夢の話を脚色し、装飾し、尾ひれに背びれに胸鰭に、さらには手と足をつけて陸上歩行すら出来るように仕立て上げていたわけである。
……もっとも、そう思っているのは当人だけだろうが。
「何を怒っているのかしら、霊夢。私は咲夜の言葉と、今のあなたの態度から確信したというのに」
「違うっつの!?
単に、私は他人に手紙を出したことが、あまりないから、どういう書き方が正しい作法かを教えて、って言っただけ!」
「それに当てはまるでしょう、ラbむきゅー」
「続けるなっ!」
巫女チョップでパチュリーを一旦沈黙させた後、霊夢は咲夜を振り返る。
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃない」
やっぱダメだ、こいつに相談したのは間違いだった。
肩を落とす霊夢の手元に、小悪魔が持ってきた本を手渡す。『恋文百選』と、そのタイトルは書かれていた。
「破り捨ててやる」
「ダメですよ、霊夢さん。よろしいですか、本というのは言うなれば叡智の結晶なんです。
長い時を越え、多くの知識を伝えてきた書物には魂と共に命が宿ります。そうしたものに対して不適切な取り扱いをしたが最後、口にも出せない、世にも恐ろしい報復が降りかかるのです。
具体的には私から」
「あんたかよ!?」
「第一、どうして手紙を書かないといけないの」
むくっ、と復活して、パチュリー。
その言葉に、『ぐっ』と霊夢は言葉に詰まった。
「第一、おかしいでしょう。
幻想郷の技術レベルから考えると、届けるのに何日もかかる上に途中で紛失も考えられる手紙を他人に届けるというのは、情報の伝達機会を失する可能性が非常に高いわ。手紙はごく身近な、それも同じ家屋の人間に対する言伝程度の役割が充分。本当に重要なことは直接伝えに行って、その場でメモ書きを残してくるのが一番でしょう。
にも拘わらず、あなたは手紙で事を伝えたいと言ったわね。
その理由はいくつも考えられるけれど、前後のあなたの行動から判断して、その理由は、直接、言葉で伝えることが出来ないことを伝えたいということに収束するわ。
なぜ伝えられないのか。
相手の耳が聞こえないわけでもなく、話を理解することの出来ない文化力の低い相手に伝えたいのか。それはありえない。なぜなら、あなたの隣人にそういう人物はいないから。そうなると、可能性として最も高いのは、直接会って伝えるには恥ずかしすぎrむきゅ」
「それ以上言ったら叩くわよ」
「もう叩いてるじゃない」
パワー巫女ダンクを炸裂させられ、紅魔館の赤いリングに沈んだパチュリーに背を向けて、「もういい! 自分でやる!」と怒鳴る霊夢に、「はいはい、わかったわかった。それじゃ、私の部屋に行きましょう」と、やっぱりやたらと優しい咲夜が声をかける。
その後、ぎゃーぎゃーと何やらわめいてはいたものの、霊夢は大人しく咲夜に従い、彼女と肩を並べて図書館を後にする。
「パチュリー様、大丈夫ですか?」
「……小悪魔、次の本はみこ×みこで行くわよ」
「らじゃー!」
次の紅魔館即売会が楽しみね、と不滅の闘志を燃やすパチュリーであった。
「それで、どんな手紙を書きたいのかしら」
「その……普通の手紙よ。
今度、うちで宴会やるから来なさい、って」
「え? それって、普段の宴会と違うの?」
「魔理沙がさ、『鍋パーティーするぞ!』って」
「……ああ、いつぞやの」
みんなで囲む鍋の美味しさと、わいわい騒がしい雰囲気に、ある意味で、彼女は味を占めたのだ、と霊夢は説明する。
そこで、魔理沙は『私は当日の準備で忙しいから、悪いんだが、お前が人を集めてくれ』と霊夢に押し付けてきたのだという。そこで、すでにあちこちに声をかけてきた霊夢だが(もちろん、紅魔館にもすでに連絡済みである)、守矢神社に連絡をするのを忘れていたのだとか。
「宴会まであと三日でしょ? そろそろ時間もなくなってきたから、とりあえず手紙だけ送って来るのを待とうかな、とか」
「あそこまで、往復半日もかからないでしょ」
「そ、それはそうだけど、色々忙しいのよ!」
「その準備は魔理沙がしてるんじゃないの?」
「あいつを信じられると思う!? これまでに、何度、私が世話を焼いたか!」
「はいはい」
顔を赤くして、自分の正当性を主張する霊夢に、苦笑交じりに咲夜は返す。
かわいいわねー、と思いながら、「それじゃ、簡単な文章がよさそうね」と相談には乗るようだった。
「私は普段、畏まった文章しか書かないから、あんまり参考になるかはわからないけれど」
「別にいいわよ。あくまで一例として考えるから」
「そういう小憎らしさは、あなたの美点ね」
彼女は部屋の片隅にある文机から便箋を取り出すと、「こんな感じでどう?」と文字をしたためる。
『東風谷 早苗 様
初秋の候、いかがお過ごしでしょうか。
近頃は、お互いに顔をあわせることも少なくなり、心なしか肌寒さも感じます。
そこで、博麗神社にて宴会を開催することにしました。当日の宴会には、とても美味しいお鍋料理も用意しております。
あなたと一緒にお鍋を囲むことが出来れば、この肌寒さも忘れられるでしょう。
ぜひとも、博麗神社にいらしてください。心からお待ちしております』
「そんな手紙が渡せるかぁぁぁぁーっ!」
「あら、事実でしょ?」
暗に、『早苗に逢えなくて、霊夢、寂しい』な文章を書かれて怒り狂う大魔神に、くすくす笑う咲夜。完璧に、霊夢は彼女の手玉に取られているのだが、果たしてそれに気づいているだろうか。
「何、この『肌寒さ』って!? 確かに最近、寒いけど! 明らかに、この文章からは別の意味を感じるんですけど!?」
「一人寝の夜は寂しいでしょう?」
「いやそりゃ確かに……って、何を言わせるかっ!」
博麗秘奥義ちゃぶ台返しをしようとして、咲夜に「このティーセット、高いのよ」と釘を刺されて巫女の行動がストップする。
「じゃあ、霊夢はどういう文章が書きたいの?」
「え? えっと……」
貸しなさい、と便箋と万年筆を横取りする。
そして、散々悩んだ末に、
『宴会に来なさい、まる』
とだけ書いて、咲夜につきつけた。
「あなた、字が下手ね」
「私は毛筆専門なの!」
「まぁ、確かにペンと筆では使い方が違うわね」
じゃあ、待ってなさい、と咲夜が椅子から腰を浮かした五秒後、「筆と墨を持ってきたわ」とテーブルの上に習字セット一式が鎮座していた。
渡されたそれを手に、彼女がささっと文字をしたためると、
「確かに達筆ね」
「でしょ? 伊達にお母さんに仕込まれてないわよ」
「だけど読めないわ」
「言うな」
博麗神社で書道教室が開けるだろうというぐらいに見事な書をしたためた霊夢であるが、あまりにも見事すぎて逆に読めなくなっている事実に、はぁ~、とため息をついて肩を落とす。
「……字、教えて」
「いいわよ」
その辺りに関しても、咲夜のスキルは色々完璧だった。
手紙講座ではなく習字講座へと場は変貌しつつも、「それで、どういう文章にしたら満足するの?」や、「別に、心に残る文章とかを書きたいわけじゃないのよ」と、一応、本来の目的に沿った会話もなされている。
「けれど――」
「何よ」
「どうして、そこまで入れ込んでいるのに、なかなか……と、言いたいところだけど、私も人のことは言えないわね」
「だから、違うっつの。
何で、誰も彼もそっちの方に話を持っていきたがるかなぁ」
「あら。秋は恋の季節よ」
「鯉は春の魚でしょ」
「初夏の魚でもあるわね」
してみると、冬以外の季節では、いつでも『こい』は大活躍しているわけだ。しかし、冬だからといって、『こい』は冷めないのも、また面白い。
なかなか皮肉な言葉の応酬に、霊夢は肩をすくめる。
「あなたらしくないわね」
「そうでもないんじゃないの。むしろ、私は強風にぶち当たると前に飛べなくなるのよ」
「どこぞの天狗みたいね」
「前に飛べないから回り道をするしかないじゃない」
「なるほど。
それなら、手紙というのも、案外、効果的な手段かもしれないわね」
「……って、何を言わせるか」
この、と霊夢は咲夜の肩を叩いた。
その後は、至って静かな時間。咲夜の指導を受けつつ、何とかかんとか手紙を仕上げてから、ふぅ、と霊夢は息をつく。
「……これでいいのかなぁ」
「さあ?」
「おーい」
「手紙なんて、しょせんは文章だもの。そこからどういうことを受け取るのかなんて千差万別でしょ。
あなたが意図した通りに伝わるといいわね」
「……不安になること言うな」
「冗談よ」
ひょいと肩をすくめる皮肉屋のメイド長に、「もう二度と、あんたにはこういうことは頼まないからな」と、ふてくされ巫女は捨て台詞を吐くのだった。
「あー……疲れた。ただいまー……」
「お帰りなさい、霊夢。今日の晩御飯は肉じゃがとなめこのお味噌汁よ」
「お、私の大好物じゃん。やったー」
「手を洗ってきなさいね」
「はいはーい」
――というわけで。
「いただきまー……って、何でいるの紫!?」
「……ようやくツッコんでもらえてほっとしてるわ」
食卓について、笑顔のまま、肉じゃがを口にしようとして。
ようやく、霊夢は目の前に座っている妖怪に向けて箸を突きつけた。いわゆる一つのノリツッコミである。
「何しに来たのよ、何しに」
「あなたが、何だか面白いことをしているから。それを見に来たのよ」
あと、ついでに晩御飯を作りに来たの、と紫。
霊夢は「まーたろくでもないこと考えて」と文句は言うものの、あっという間にお皿によそってもらっていた肉じゃがを食べ終えて、「おかわり」とそれを突き出している。
「それで? 愛の告白が出来ないからお手紙に頼るの? また古風ねぇ」
「違うわっ!
どーして誰も彼も、そっちに話を持っていきたがるかなぁ!?」
「誰がどこからどう見てもそうでしょうが」
「……甘いわね、紫」
「何、いきなり」
「どうせ早苗のことよ。こっちから誘わなかったら、きっと『わたしが行くとみんながしらけちゃうから……』っていらない気を遣うに決まってるわ。
そこを私が『そんなことないのよ、いらっしゃい』って優しく声をかけてあげる! ほら見なさい、私ってばとっても優しい子!」
「あそこの神様はそんなの気にしそうにないんだけど。特に小さい方」
「うぐ……」
そこで沈黙。
その間、紫の、味噌汁をすする音だけが響き渡る。
「じゃあ……えっと……。
あ、そうそう! 魔理沙が声をかけるの忘れてて! それで、今から私が行ったんじゃ間に合わないから文とかに手紙を持っていってもらおうかなと……!」
「そういう声かけをするのがあなたの役目じゃなかった?」
紅魔館で、そんな話をしていたわよね?
紫の澄ました一言に、またもや巫女さん沈黙。
「で? 他に何かある?」
「……ないです」
「全くもう。どうしてあなたはそうなのやら」
「だってさぁ……」
もぐもぐとご飯を口に。
そのまま喋ろうとして、『ものを食べている時はお喋りしないの』と叱られる。ちゃんと、口の中のものを飲み込んでから、
「何か声をかけづらいというか……顔が見られないというか……」
「あら、かわいい。一人前に照れてるのね」
「てっ、照れてなんてないっつの!
それに、ほら! あの子だって、『またいつか機会があれば』って言ってたじゃない! あれはノーカンよ、ノーカン!
コンティニューしなかったら得点だってリセットされるじゃない!」
「……何の話よ」
「いや別に何となく……」
ともあれ、と霊夢。
「それで、まぁ……手紙なら、あの子の顔とか見なくてすむし……」
「ふぅん」
そうやって本音を言えばいいのよ、と紫は言った。
空っぽになった皿などを持って、彼女は一度、流しへと下がっていく。そうしてしばらくしてから、お茶と、きれいにむかれたなしが載った皿がテーブルの上に出された。
「素直に言えば、咲夜なんて、もっと親身になって相談に乗ってくれたでしょうに」
「いや、だからぁ!」
「はいストップ。
単に、気恥ずかしいから声をかけに行きたくないんでしょ? 認めなさい」
「……うぐぅ」
「毎日嬉しそうに、あの子が使ってた部屋の掃除までしちゃって。それなのに、こんなどうでもいいことでも恥ずかしいって言ってしまうなんて。
あなたの恋愛経験値は小学生並ね」
「だから違うってのに……」
未だぶつぶつ文句をつぶやく霊夢。とはいえ、面と向かって、紫にそれを訴えることはやめるようにしたらしい。
人間、本当のことを言われると逆に素直になれないとは言うが、それにプラスして、この巫女は、どうやらそっち方面に関しては、違う意味で意固地になるらしい。
散々、他の人間の恋愛ごとに関して首を突っ込んだり、逆に『どうでもいい』と流していたのは、自分がその当事者になることを考えていなかったからだろう。そういうスタンスを貫いてきた自分を否定したくないのだ。
『恋愛になんて興味ないもんね』
彼女の言葉にするとこんなところか。
「散々、私に叱られたくせに」
「だっ……! それは……その……」
「それで?
どんな手紙を書いたの。見せてごらんなさい」
「い、いやよ! 何であんたに!」
「娘がどんな風に成長しているか、親は興味を持つものよ」
「誰が誰の親だ!」
「はいはい」
「あ、こら、返せっ!」
どこぞのお嬢様のように頭を抑えられ、懸命に手を伸ばすも届きません状態の霊夢。そんな彼女を横目で見つつ、彼女から掠め取った『お手紙』を一読する紫。
霊夢の『返せ、バカー!』なセリフが何回か続いた後、紫は言った。
「平凡ねぇ」
「いっ、いいじゃない、別に! 宴会のお誘いに平凡も奇抜もあるかっ!」
「世の中にはね、霊夢。『好きだからいじめちゃう』というのがあって……」
「私は神奈子や諏訪子はどうでもいいけど早苗とケンカするつもりはないっ!」
「はいはいそうね」
「……はっ!?」
「まぁ、迷路に迷うのも面白いかしら」
そういえば、どこかのお嬢様が、似たような名前のスペルカードを持っていたわね。
そんなコメントをして、「食べ終わったら、ちゃんと歯磨きするのよ」と彼女は帰っていった。しんと静まりかえる室内に残された霊夢は、「何なのよ!」と怒りながらなしをかじる。
「……悪かったわね。今はこれが精一杯でさ」
ふん、と。
彼女は誰に言うともなくつぶやいて、一人、そっぽを向いたのだった。
さて、翌日。
抜けるような青空の下、彼女は神社を出発した。片手に持つのは、昨晩、必死に悩んで書き上げた手紙。紫に『平凡』と言われたことが癇に障ったらしい。
向かう先は妖怪の山なのだが、その足はそちらへは向かわない。
最初の目的地はというと――、
「幽香ー! いるー!?」
「……朝から何よ」
ひまわり咲き乱れる太陽の畑。そこに佇む一軒の家。
そのドアを遠慮なくどかどかノックする彼女の前に、家の主――風見幽香が、眠たそうな顔をして現れる。
「……あのね、霊夢。悪いんだけど、うちの開店は10時からなの。まだ9時だから出直すか、ちょっとそこで……」
「いいから。お金払うからお菓子を売って」
「……だから」
朝には弱い幽香が示すお店のディスプレイ。そこは空っぽであり、ショーケースは空白地帯だった。
「見ての通り」
「そこを曲げて頼んでるのよ」
「それは私のセリフよ。
わかったなら……」
「あなた、私の友達でしょ!?」
「とっ……!」
そこで、幽香は大きく後ろによろめいた。
一歩、二歩、と後ずさる彼女。
「友達……霊夢が私を友達と認めた……!? そ、そんな……そんなことが……」
「……ちょっと、どうしたのよ」
「も、もう一回言って!」
「は? 何を……」
「もう一回!」
「……友達?」
「わかったわ、霊夢! 友達ですものね! ついでに朝ご飯はどう!?」
「あ、いや、いい。そっちは食べてきたし……」
「そうね!」
やたら嬉しそうな笑顔になる幽香。彼女は鼻歌などを歌いながら厨房へと取って返す。まもなくして漂ってくる甘い香りに、霊夢は一人、首をかしげる。
「……一体、何があいつの琴線に触れたんだろう……」
「あなた、幽香が言ってたこと覚えてないの?」
「何をよ」
「幽香の願いは、『友達たくさん』なのよ?」
「……ああ、なるほど……って、うをわっ!? アリス!?」
「……遅いわよ、気づくのが」
ジト目で霊夢をにらみつつ、アリスは言った。
次いで、「何しにきたの」とすげなく一言。
「いや、何しにって……。そもそも、何であんた、ここにいるのよ」
「幽香が『新作のお菓子を作りたいから協力して』って言ってきたからよ」
「あんたら、ほんと、最近、仲いいな」
「そう?」
普通じゃない、と彼女は言った。
ともあれ、そういう理由で、アリスはここにいるらしい。そうしたきちんとした理由を伴う相手は、続いて、『それで?』と視線を向けてくる。そうされると霊夢は返答に窮するのか、視線を逸らしたまま、「た、たまたま、朝から甘いものが食べたくなっただけよ」とお茶を濁す。
「あなた、ケーキとかよりも饅頭じゃなかった?」
「い、いいじゃない。この前、アリスが持ってきたケーキ、美味しかったんだもん」
「あれ、ケーキじゃないし。アップルパイよ」
「お、同じじゃない!」
「ついでに言えば、ケーキを持っていってあげたのは、あなたが早苗と一緒にいた時」
「うぐっ……!」
なるほどね、とアリスは何やら得心したようだった。
彼女は『ちょっと待ってなさい』と厨房へと入っていき、5分ほどしてから紅茶とクッキーを手に戻ってくる。そして、霊夢に「そこでどう?」とイートインスペースを指差した。
「霊夢って、嘘がみんな顔に出るわよね。あなた、絶対にギャンブルには向いてないわ」
「う、嘘なんて……」
「あの時、確か『ケーキなんて甘ったるいもの、苦手なのよ。早苗、食べて』って言ってたわよね?」
「い、言ってたっけ?」
「早苗はそういうの大好きみたいだったから、『太っちゃいますよ』って笑いながら食べてたわね。
で、あなたが過去に食べたことがある洋菓子は、私が作ったアップルパイとか、咲夜さんが持ってくるシュークリームとか。あと、せいぜいプリン?」
「……よく覚えてるわね」
「マーケティングの基本よ」
大きな店には出来ない、顧客密着型の商売がうちの信条なの、ということだった。
要するに、お客さん一人一人ごとに『どんな品物を買ったか』『どんなコメントをしてくれたか』『どんなものを望んでいるのか』を徹底的に調べているとのことだった。
それを受けて、やってくる客に対して、『これこれこういうものがお勧めですよ』とやるのだという。
「そこまでするから、こんな辺鄙なところにある個人経営の店もやっていけるというわけ」
「……はぁ、なるほど」
「それで? あなたがケーキを……というか、洋菓子を買いに来た理由、聞いていい?」
「いや……その……えーっと……。
……早苗のところに行くから、その手土産」
きょとんとなるアリス。
「……ケーキとか大好きなんだけど、幻想郷にはそういうお店が少なくて悲しいって言ってたし……。あんた達が持ってきたの、『美味しい』って食べてたし……。
……なら、話すきっかけになるかなぁ、って……」
うつむき、ほっぺたを完熟トマトかそれ以上に真っ赤に染めて、もじもじしながら話す霊夢に。
アリスは言った。
「かーわいい」
「うがー!」
叫んで暴れそうになる霊夢を『どうどう』となだめるアリス。具体的には、その口の中にクッキーをひとかけ、ぽいと放り込んでだ。
「ああ、もう、かわいすぎるわね。それ。
霊夢が私より年下で、小柄で、それで『お姉ちゃん』なんてセリフが似合う女の子だったら抱きしめてたわ」
「ケンカ売ってるでしょ!?」
「べっつにー。
けど、そっかそっか。やっぱり秋よねぇ。そういう気持ちになるのもわかるわ」
「だーかーらー!」
「それで? 何で早苗に会いに行くの? 結納?」
「ちっがーう! ただ、宴会に誘いに行くだけよ!」
「宴会……って、この前、うちに来た?」
そう、とうなずく霊夢。
「何で、わざわざ手土産持って行くのよ」
「……いや、その……何か、きっかけがないと話しづらいというか……」
「あー、もう!」
アリスが、ばしん、とテーブルを叩いた。その音のでかさに驚いたのか、厨房から幽香が飛び出してきて『何事!?』と声を上げる。
「霊夢がこんなに乙女だとは思わなかったわ!」
「何でそんなに顔がにやけてるのよ!?」
「幽香、プリンもつけてあげて! お代は私が払うわ!」
「……は?」
「いいから!」
「……まぁ、いいけど」
何なのかしら、という視線を送りながら、幽香は厨房へと戻っていく。
アリスは椅子の上で居住まいを正すと、霊夢の右手を取って力強く言った。
「頑張ってね。式には呼んでね」
「……殴るぞあんた」
相手が魔理沙であれば、その瞬間、ビッグバン巫女パンチが飛び出していたであろう一言に、霊夢は呻くのだった。
片手に幽香の店で購入(実質、もらった)したケーキとプリンと、さらにチョコレートの入った箱を手に、霊夢は道を急ぐ。
太陽の畑から妖怪の山までは、片道、結構な時間がかかる。特段、急ぐ理由もないのだが、なぜか心が急いていた。
その理由は自分自身にもわからなかったのだが、山が見えてくるに従って、不思議と心臓の鼓動も早くなる。
――と、
「そこな巫女。ちょっと待ってください」
「お、出たな。わんわん」
「誰がわんわんですか! 私は――!」
「もみもみ」
「卑猥な呼び方しないでください!」
山の中腹の辺りで現れる、真面目な犬っ娘相手に軽くからかってみると、『がおー!』と言わんばかりの勢いで、やっぱり彼女は怒った。
にやにや笑いながら、「ごめんごめん」と投げやりな謝罪をして、
「ちょっと、守矢神社に用事があるの。通してちょうだい」
「……あそこにどうして博麗の巫女のあなたが」
商売敵じゃなかったんですか、と彼女――椛の言葉に、「それはそれ、これはこれ」と簡単な返事を一つ。
すると椛は、ふぅん、とうなずいた後、
「あなたと、あそこの神社の巫女が……その……えっと……」
「何よ?」
「ね……ねん……じゃなくて、仲がいいというのは本当だったんですね」
「なっ……!」
なぜか顔を真っ赤にして言いよどむ椛と、その後の『何とか搾り出しました』というセリフに反応して、同じように顔を赤くする霊夢。
「ち、ちが……! 私は、ただ単に、あの子達を宴会に誘いに来ただけよ! あんたにも声をかけたじゃない!」
「ああ、あの件でしたか」
しかし、そこは真面目な犬っ娘。霊夢の態度の豹変にも気づかず、「それは失礼なことを」と頭を下げた。
「でしたら……なおさら、今はやめておいた方がいいですよ」
「どういうことよ」
「空を見てください」
言われて、山の空を見上げる。
青空の中に、灰色の雲が広がっている。山に向かって、ゆっくりと。
「秋の天気と山の天気は変わりやすいんです。あの様子だと、もうそろそろ雨が降り始めるでしょう。
一度、ふもとに戻って、あの雲が通り過ぎるのを待ってから、改めて……」
「……どんくらいかかる?」
「そんなにはかからないと思います。上空は風が強いので、おそらく、一時間か二時間……」
「……やだ」
「え?」
「待つのやだ」
またこの人はわがままを、という視線を、椛は霊夢に向けた。
一方の霊夢は空をにらみながら、『何が何でもいく』と宣言する。
「……でしたら、空を飛ぶのはやめた方がいいです。神社への参道を歩いていってください」
「どうしても?」
「風にあおられて墜落、大怪我、なんてことになりますよ」
「……めんどいなぁ」
しかし、霊夢は素直に椛に従った。
山の中へと向かって降りていく霊夢を見送ってから、つと、椛は首をかしげる。
……何か変だな、今日のあの人は。
そうは思ったものの、それ以上の追求は避けたほうがいいと考えたのだろう。「気をつけてくださいね」と声をかけて、彼女は山の上に向かって飛んでいったのだった。
「……ほんと、天狗は風と一緒に生きるって言うけど……」
あれは事実だったんだな、と霊夢は天を見上げながらつぶやいた。
登山を始めて、早30分程度で雨が降ってきた。
最初はぽつぽつという雨だったので気にせず歩いていたら、5分もしないうちに天気は嵐へと化けている。
雨の量はそれほどでもないのだが、とにかく風が強かった。髪は振り回され、スカートははためき、風に逆らって歩くことも難しい状態だ。
やむなく、大きな木の下に逃げ込み、雨宿りをしているのだが、一向に雨と風がやむ気配はない。
「……どうしよ」
神社まで、まだ、歩いて一時間はかかるだろう。
一度、帰って出直そうか。
そう思って、しかし、すぐに思い直す。
幽香の店でもらってきたケーキやら何やらは、幽香が「それ、今日中に食べてね」と言っていた。霊夢の信条として、『食べ物は決して粗末にしない』というのがある。何が何でも、これを、目的の相手に渡さなくてはならないのだ。
……とはいえ、それはそこまで重要な理由ではない。
確かに洋菓子はそれほど好きではないが、嫌いというわけでもない。紅魔館から分けてもらった紅茶を片手に、神社に似合わぬティータイムを彩る要素にはなってくれるだろう。
問題は、こっちだ。
「……今帰ったら、絶対に決意が鈍るよなぁ」
ただでさえ、昨日は手紙を書きなおした後、行くかどうするかで眠れぬ夜をすごしたのだ。今朝の段階でもそれは変わらず、朝ご飯を食べながら、『やっぱりやめようかな』『いや、ここでやめてどうする』と葛藤したのだ。
そうして、ある意味では勇気を振り絞ってここまで来たというのに。
「天気のばーか」
それをさえぎってくれたのが、まさか天の気まぐれとは。
こればっかりは、あのいたずらものの天人に文句を言うことも出来ないだろう。幻想郷は私を嫌ってるんじゃないのか。そんなことすら考えてしまう。
「……恥を忍んで、文に渡せばよかったかなぁ」
懐から取り出した手紙。
咲夜にもらった便箋に包まれたそれは、表に『守矢神社宛』と書かれている。
そもそも、話すのが恥ずかしいから手紙を書いたというのに、何でそれを自分で持ってきたのだろうか。全くもって意味のわからない自分の行動に、もはや苦笑いすら出てこない。
つぶやいたように、文に渡しておけば、色々とからかってくることは間違いないだろうが、『わかりました』と二つ返事で引き受けてくれただろう。そのリスクを回避しようと考えた結果がこれだ。
「私って間抜けだなぁ……」
たはは、と肩を落として笑って。
その瞬間、吹いた一陣の突風に、思わず顔を覆った瞬間、手に持った手紙がその風によって飛ばされる。
「あっ……!」
それに気づいたのは、手紙が風に流され、視界から消える瞬間だ。
「ま、待てーっ!」
慌てて雨宿りの下から走り出す。
雨が顔に当たって痛い。足元がぬかるみ、何度も転びそうになる。それでも、飛んでいく手紙だけは見逃すまいと、彼女は空を見上げて走り続けた。
「よっし、引っかかった!」
伸びる木々の枝葉が、うまい具合に手紙を受け止めてくれる。
彼女はその足下まで辿り着くと、空へと舞い上がる。
「まぁ、ちょっとくらい濡れても……」
無事に手紙を確保して、ほっと一息。
しかし、世の中、そううまくはいかないものだ。
椛の言った通り、強い風によって彼女はバランスを崩す。そして、手に持った手紙もケーキも、みんな手放してしまった挙句、木々にぶつかって痛い思いをして、そのまま地面へと落下してしまった。
「……あー」
全身泥だらけ。おまけにずきずきとあちこちが痛む。
立ち上がり、ふらふらと歩いてみれば、すぐ近くにケーキの入った箱が落ちていた。当然、泥まみれだ。ふたを開けてみれば、中もぐちゃぐちゃになっており、紙のケースから染みた泥に汚れている。
「たはは……こりゃダメだ……」
手紙はどこにも見つからない。きっと、どこかへ飛ばされてしまったのだろう。
「……っ」
何だか泣きたくなってきた。
目の前がじわりとにじむ。服の袖で目許をぬぐい、「バカやろー」と彼女はつぶやいた。
散々回りにからかわれ、応援されて、決意を決めてやってきて。
辿り着いてみればこの仕打ち。
何だよ、ちくしょう。私が何か悪いことしたのかよ。何でこんな目にあわないといけないんだ。
唇をかみしめ、嗚咽をこらえ。それでも、落とした腰が上がることはなかった。しばしの間、雨と風に打たれていた彼女は、ようやく立ち上がり、足を麓へと向ける。そして、少し歩いた後、手に持ったケーキを思いっきり放り投げようとして、
「山にごみを捨てるのはよくありませんよ」
後ろからかかった声に動きを止める。
すっ、と差し出される一本の傘。振り向けば、雨に濡れた少女が一人、立っていた。
「泥だらけじゃないですか。大丈夫ですか?」
「……何で……」
手にしたハンカチで、彼女の顔をぬぐってくれるのは。
「何で……あんた、ここにいるのさ……」
「椛さんから聞いたんです。霊夢さんがうちに用事があるって言ってた、って。
そうしたら、この天気じゃないですか? 慌てて傘を持ってきたんですけど……ごめんなさい、大きいのが一本しかなくて」
そう答えてくれる彼女――早苗の体もびしょぬれだった。
慌てて走ってきたのだろう、足下は泥が跳ね、服も靴もべたべたに汚れている。
ただ、それでも、彼女は笑っていた。優しく微笑んでいた。
「怪我してますね。大丈夫ですか?」
「……うん」
「今、神奈子さまも来てくれますから」
霊夢の手を掴んで改めて微笑んで、彼女。
そうして彼女は空を見上げて、「さすがですね」とつぶやいた。見れば、あの親ばか神が大慌てで飛んでくるところだった。
「……早過ぎよ」
「そうかもしれませんね。ただ、わたしは走ってきたから……」
「……相合傘なのにさ……」
そうつぶやく霊夢の顔に、ようやく笑顔が戻ってきたのは、その時だった。
「……もう。霊夢さん、無茶をするんだから……」
「あはは……ごめんごめん。
けど、悪いね。お風呂借りただけじゃなく、手当てまでしてもらって」
「いいです。それより、あんな泥だらけの傷だらけで帰られたら、『守矢神社は博麗の巫女を無碍に扱った』って紫さんにどつかれそうですから」
神社の居間で、二人はテーブルを挟んで向かい合っている。
とりあえず、早苗と神奈子に連れられ、神社へと招き入れられた霊夢は、まず、汚れた服を全て脱がされた上でお風呂に放り込まれ、上がった後は早苗の『手厚い』看護まで受けていた。
そして、今現在。そんな霊夢の体にはあちこちに包帯が巻かれたり絆創膏が張られたりして、ちょっと痛々しかった。
「けどさぁ、めんどくさがりのあんたのくせに、何でこんな日にうちにこようと思ったの?」
畳の上に寝そべって、足をぱたぱたさせながら諏訪子が霊夢に尋ねる。
それを受けて、霊夢は肩をすくめた。
「近いうちに、うちで宴会やるからさ。あんた達も来なさいよ、ってお誘いに来たのよ」
――あれだけ迷って、否定して、恥ずかしがっていたセリフがさらりと出てきた。
「お、いいねー。宴会、さいこー!」
「……あの、そのためだけにわざわざ? こんな日に?」
「だって、出発した時は晴れてたもん」
「……はぁ」
頭が痛い、と言わんばかりに早苗はため息をつく。
そうして、大きく息を吸い込むと――、
「あのですねぇ、霊夢さん! 何を考えてるんですか!」
「わっ、な、何よ! いきなり!」
「こんな雨の日にそんなことで!
わたしが行ったからよかったものの、あのままだったら間違いなく風邪を引いてましたよ!? 風邪だけならまだいいですよ! そんな怪我までして、そこからばい菌が入ったら大変なことになるんですよ!?
何でこんなことしたんですか、もう!」
「……うぐ……。だって……その……」
「だって?」
「……早苗たちにだけ連絡してなかったんだし」
「……もう」
「いいじゃん、いいじゃん、早苗。終わりよければさぁ」
「諏訪子さま、あのですね――」
「早苗。声が大きい。はしたない」
「……はい」
がらっとふすまが開いて、守矢神社のお母さん登場である。
おー、こわ、と諏訪子が彼女をおちょくるようなことを言って立ち上がり、早苗の横に移動する。
「霊夢。今、早苗の言った通りだ。
聞けば、山の入り口で椛に警告までされていたそうじゃないか。早苗はね、その話を聞いて、慌てて飛び出していったのよ。
あなたの身勝手な行動一つで他人に迷惑をかけるの。
そこら辺、わかってる?」
「……わかってる……っていうか、あんた、紫みたいなこと言うね」
「話をまぜっかえすな」
「いてっ」
ごちん、とげんこつ一発。
「全く……。
これにこりて、二度とこんなことはしないように」
「……わかってるっての。
けどさ……その……あんたらだって、宴会、好きじゃない。誘ってあげたんだよ。ちょっとくらい感謝してよ」
「それについては感謝する。けど、早苗を悲しませるようなことだけはするんじゃない。
わかったわね?」
「……うぐ」
それを言い出されると反論が出来なかった。
押し黙る霊夢に、諏訪子がにやにやした視線を向ける。神奈子は立ち上がると、「今、体のあったまるものを作るから。それ食べて帰りなさい」と歩いていってしまった。
「泊めてあげてもいいのにねぇ?」
「霊夢さんも忙しいですから」
いやいやそうじゃないんだなぁ、とにやにや。
「ねぇ、霊夢。泊まっていきたかったよねぇ? にししし」
「はぁ? べ、別に……」
「うちは布団が三組しかなくてさぁ。
そうなると~……?」
ぼっ、と霊夢の顔が赤くなった。
諏訪子の視線の先にいる人物は『?』と首をかしげている。
「こっ、このーっ!」
「あはははは! 怒った怒った、わーいわーい!」
「待て、このー!」
「ち、ちょっとお二人とも! あんまりどたばたしないでください!」
一瞬で、大騒ぎとなる室内に。
『静かにしなさいっ!』という特大の雷が落ちるのは、それからすぐのことだった。
「おー、晴れた晴れた。よかったねぇ、霊夢」
「あー……ま、そうね」
神奈子お手製のあったかうどんを食べ終わった頃、吹いていた風は収まり、降り注ぐ雨もすっかりと上がっていた。
縁側に出て空を見上げる諏訪子に、適当な返事をした後、「それじゃ、帰るわ」と霊夢は腰を浮かす。それを、『お見送りしてきますね』と早苗が追いかけ、さらにその後を、『これは面白そうだ』という顔で諏訪子も追いかける。一人残された神奈子は、「食器くらい片付けていってほしいわ」と、はぁ、とため息一つ。
「あの、霊夢さん。宴会っていつですか?」
「ん?
ああ、今度の三日よ。何か、鍋パーティーするから、たくさん人を集めておけ、って」
雨がきれいに空気を洗い、澄み渡る風が吹いていく。そして、傾く日差しの中、伸びる影法師。
その二つの影法師が重なる中、早苗は少しだけ、悲しそうな顔をした。
「三日……ですか」
「そう。どうしたの?」
「ああ……いえ……。ちょうど、その日、うちの神社で神事を行わなくていけなくて……」
「あー……そっか」
霊夢は苦笑を浮かべながら肩をすくめる。
しばしの沈黙の後、彼女は「ま、それならしょうがないよね」と、どこか無理をしているような声音でつぶやく。
「あの……ごめんなさい。わざわざ、こんなところまで足を運んでもらったのに……」
「ん? ああ、いいよいいよ。
元々、私が好きでやったことなんだし。早苗には早苗の予定があるんだし、仕方ないよ」
「……はい」
「あ、服の洗濯とかもしてくれてありがとね。助かっちゃった」
「あの……ごめんなさい……」
「いいよ。
と言うか、前々から思ってたんだけど、早苗、謝る必要のない時に謝らなくていいんだよ。そういうことされるとさ、私もそうだけど、相手が気を遣うからね」
なんてね、と彼女は笑うと踵を返して。
「おっ」
小さな声を上げる。
視線を下げていた早苗は、霊夢の「早苗、あれ、見てよ」という声で顔を上げて、
「……わぁ」
山の端に沈んでいく、見事な夕日に声を上げる。
見事な紅は世界を赤く染めて、二人の影法師をさらに伸ばしていく。
「山の上ってのはいいよねぇ。うちの神社だと、こんな見事な夕日は見られないわ」
「そう……ですね」
「あの雨は、これの演出だと考えるなら……ま、いいものだったわ」
そこで、霊夢は早苗へと体ごと振り返って笑う。
「ここに来る時さ、早苗と、何か妙に話しづらいなぁって思ってたんだけど、そんなことなかったわ。
けど、あんだけずぶ濡れになってひどい目に遭っていたから、逆に声をかけやすかったのかもしれないね。その点、雨には感謝してる」
「……あの、それって?」
彼女の瞳の中に映る、自分の姿。
まっすぐに、自分を見つめてくれている彼女に、わけしらず、少しだけ、胸が高鳴る。
「今度はお土産持って来るよ。
じゃ、また今度ね」
ふわりと空に浮かぶ彼女は、夕日の向こう側に去っていく。
昼と夜の狭間に浮かぶ逢魔ヶ刻はすぐに去りゆき、紅の向こうに藍色が浮かぶ、その時まで。
「早苗、そろそろ戻るよ」
「……はい」
「そんなに残念だったか」
ずっと霊夢の姿を見送っていた早苗は、振り返った諏訪子の目にも明らかなほどに肩を落としていた。
諏訪子は何も言わないまま、軽いステップで社殿の方へと去っていく。それに続く早苗は、しばらくの間、肩を落としていたが、『こんなんじゃダメですよね』と顔を上げて――、
「きゃっ」
一陣の風と共に、いきなり、顔の上に落ちてきた何かに驚いて声を上げてしまう。
どうしたの、と諏訪子が振り返り、彼女の元に歩いてくる。
「あ、い、いえ。今、何か……」
早苗の視線が向く先に、諏訪子も顔を向ける。
「何これ」
そこに、何かが落ちていた。拾い上げて、諏訪子は言う。
「手紙?」
表紙には『守矢神社宛』の文字。
彼女はそれをためつすがめつしていたが、ずぶ濡れになっているそれに興味などなくしたのか、ぽいっと捨てようとする。それを「ゴミのポイ捨てはダメですよ」と早苗がたしなめ、彼女からそれを受け取る。
「……何でしょうね?」
裏側には封印がされていたが、雨に濡れたためか、少しだけ、その縁がはがれていた。
便箋が破れないように気をつけながら口を開き、中から一枚の手紙を取り出す。雨のせいでインクがにじんでいたが、何とか読めないこともない。
「早苗?」
『東風谷 早苗 様
あなたとは普段、逢って顔を合わせ、話をしていますが、こうしてお手紙をすることは初めてだと思います。
本当は、直接会って話をした方がいいのでしょうけれど、今の私にはそれが出来ないので、この手紙でお伝えさせて頂きます。まず、その無礼をお許し下さい。
今度、私の博麗神社で宴会を開きます。みんなで集まって、楽しくさわぐ、いつもの宴会です。
その宴会に、どうぞ、ご参加下さい。あなたがいないとしらける人もいるので、これはもう、絶対の絶対のお願いです。
なお、当日は、特に持参するものはなくても大丈夫です。ただ、飲みたいお酒や食べたいものがあったら、別個、持って来た方がいいかもしれません。うちの宴会は、いつも争奪戦ですので。
開催時刻は夜の6時くらいから。場所はいつもの境内です。
ご家族の神様二人も連れて、是非、足を運んで下さい。
追伸
こんなことすら面と向かって話せなくてごめんなさい。
いつぞやの結婚騒動以来、どうにも、あなたの顔を見て、面と向かって話をすることが気恥ずかしくてしょうがないんです。あの時は、結構、あっさりと割り切ることが出来ましたが、日が経つにつれて、段々、何かおかしいなと思うことが多くなりました。
せっかくですので、当日、もしもご参加頂けましたら、そのことをお話ししようと思います。きっと、あなたとまともに話をしていないから、こんな気持ちになっているんだと思っています。あなたと会って話をしたら、またいつもの私に戻れるような気がします。
何だか甘えた言葉でごめんなさい。
けれど、今の私にとっては大事なことです。
何度も書いてしまいますが、早苗さんが迷惑でなければ、当日は是非ご参加下さい。
そして、当日、参加して頂けましたら――
―― ―― 』
「どうしたのさ?」
「……諏訪子さま」
「ほいよ」
「……三日の神事、わたし、サボっちゃっていいでしょうか?」
そりゃまたどうして、と諏訪子。ただし、その顔は笑っている。
「さあ……。どうしてでしょうね。
ただ、この手紙を出してきた人に、ちゃんと手紙の内容を聞いておきたいなって」
追伸の後段が、まるで狙ったかのように雨水でにじんで読めなくなっている。もちろん、差出人の名前もだ。
早苗の顔を見て、諏訪子は小さくうなずく。
「わかった。
そんなら、わたしから神奈子は説得するよ」
「はい。みんなで行きましょう」
「そうだね」
「ああ、あと……」
「ん?」
「わたしもお手紙、書いて持って行こうと思います」
何書くのさ、という諏訪子の言葉に、「ラブレターです」と、彼女は笑って答えるのだった。
最高でした
このお話の読者全員に呪いをかけましたね。ニヤニヤが顔からとれなくなる呪いを。
ああ、作者様、ありがとうございます。この物語に出会えた事に最大限の感謝を。
可愛いな!
続きも楽しみにしてます。
素晴らしかったです。
ニヤニヤが止まらない。
これは3作目に期待するしかないでござる
いい作品をありがとう
次回作に期待
続きがすごく楽しみです
乙女な霊夢さんが可愛くて可愛くてニヤニヤが止まりませんでした。
諏訪子様の方が大人っぽいのも個人的に大好きですw
続きを楽しみにしてます!
それにしてもこの二人、ニヤニヤするというか、同時に心が暖かくなる感じでした。
なんというか本当に幸せが伝わってくるというか。