「すみません、写真お願いしてもいいですか」
そう言ってメリーは、近くにいた観光客らしき老夫婦にPDAを渡した。あとはこのボタンを押すだけでいいんで、はい、そうです、よろしくお願いします。手短に説明を終えると、彼女は私の隣に戻ってきた。私たちの背後には巨大な提灯が垂れ下がっている。盆の行事を一通り終えた私は、メリーを誘って東京観光に出かけていた。そして今は浅草寺の前で、いかにも観光客といった雰囲気を漂わせながら記念写真を撮っている。東京生まれの私としては、今更こんな所で絵葉書に使うような写真を撮るなど夢にも思っていなかった。一方のメリーといえば、完全に外国人観光客といった様子でこの街に溶け込んでいる。ここでは私みたいな人間より、異邦人や年配の観光客の方がよほど風景に馴染んで見える。仮にも地元民の私を差し置いて、だ。なんとも奇妙なものだ。
「ほら、蓮子も笑って笑って」
メリーに促されて、私は不器用な笑みを浮かべる。どうにも私は写真というものが苦手だ。流石に魂を抜かれるなんて時代錯誤なことを言い出したりはしないが、それでも自分の姿をそのまま記録されるというのはどうにも違和感というか、気色の悪いものを感じてしまう。仮にそれが0と1というデジタルの濾し器を通してあってもだ。それでも折角メリーと写真を撮るのだからと、私は精一杯口の両端を釣り上げた。そこで小さな電子音が、シャッターが切られたことを告げた。老夫婦の妻の方がゆっくりと私たちに近づいてくる。
「これで良かったですかね」
「ええ。ありがとうございます。ぷ、蓮子ったら酷い顔」
「煩いわね。私が写真うつり悪いこと知ってるくせに」
ある程度予想はしていたが、実際に口に出して指摘されると確かに酷い表情だ。これで目がくり抜かれてあったら、丁度マスケラのそれのような無機質な笑顔だ。不必要なまでに大袈裟な背景もあいまって、まるで本当に舞台のワンシーンを切り取ったかのようにすら見える。
「メリーは良いわよね、いっつも綺麗に写ってるし」
「こつがあるのよ、こつが。あ、どうもありがとうございました」
そのこつを教えなさいよと言う間もなく、メリーは振り返って改めて老夫婦に礼を言った。夫の方が東京は初めてかいと聞くと、メリーもそうなんですとそれに答えた。ああ、これは世間話が始まる前兆だなと私はすぐに察した。こうなってしまうと話好きの彼女は止められない。しばらくは私のことなど見向きもしないだろう。少し先の方を見てるわねと告げ、私は提灯をくぐった。その先には沢山の土産物屋が軒を連ねているのを知っていたからだ。ちょっとした暇つぶしにはもってこいだろう。
「しかし、ここまで観光に特化してしまうとお寺も憐れにすら見えるわね」私はぼそりと呟いた。そもそもは寺そのものがそこに訪れる目的であったはずなのに、ここにはそんな雰囲気は微塵も感じられない。寺は完全に観光の通過点のひとつに成り下がってしまっている。ここに観光に来た人のうちのどれくらいが、この寺は誰の手によって何の目的で作られたのかを正確に説明出来るだろうか。勿論私は出来ないしするつもりもない。調べることは容易だが、問題はそういうことじゃない。肝心なのは私たちが、寺や神社といった場所を単なるテーマパークとしてしか認識していない点だ。京都はこのあたりの意識改革はかなり進みつつあるが、こんな時代遅れの旧首都では人々の認識はそう簡単には変わらないだろう。
「ま、こういう所にはこういう所なりの楽しみ方があるんだけどね」そう言いながら私は、目の前にあった土産物屋の雑貨の中から扇子をひとつ取り上げた。ゆっくりと開いてみると、そこには江戸の街並みが浮世絵風に描かれていた。国の首都を京から奪いとって作り上げられたその街並みからは、雑然とした独特な力強さを感じ取ることが出来た。時代が移ろいでも、街の本質というものはそうそう変わるものではないことがよく分かる。
「こういう、その土地ならではの土産物を漁るには、ここみたいな場所が何処より便利だものね」
そんなことを思いながら私は二、三軒の土産物屋を見て回った。地名がでかでかと描かれたペナント、ミニチュアの提灯、誰が着るのか分からないはっぴ等々、どの店も古ぼけた極彩色で彩られていて面白い。そんなものをひとつひとつ手にとりながら眺めていたその時、見慣れないものが視界に映った。なんだろうと見てみると、それは細長い煙管だった。土産物として造られているからか見てくれは相当ちゃちなものだったが、一応はその本来の用途に使うことが出来る程度の機能は備えているようだ。まるで時代劇の世界ねと思いながら、役者気取りで口の前にその煙管を構えてみたその時「もう、どうして先に行っちゃうのよ」メリーの叱責が飛んできた。振り返って彼女の表情を見てみると、怒っているというよりは拗ねている時のそれに近かった。私が彼女を無視して一人で先に見物を始めていたことに不満を持っているのだろう。
「ごめんなさい。でも先に行ってると声をかけたわよ」
「嘘。そんなの聞いてないわ」
どうやら私が声をかけた時には既に彼女は老夫婦との会話に相当没頭していたのだろう。もう少し弁解しようかとも思ったが、下手にこれ以上言い訳をしても余計に彼女の機嫌を損ねるだけだろうと私は判断した。
「悪かったわ、ごめんねメリー。お詫びに飲み物でも奢るわ」
そう言うと途端にメリーの表情は晴れやかになった。
「わぁ、ありがとう蓮子。暑いのと話疲れたのとで喉がからからだったのよ。そこのお茶屋さんで少し休みましょうよ」
どうにもメリーに上手くあしらわれている気がして釈然としないが仕方ない。私たちは茶屋の軒先に設けられた小さな椅子に腰をかけて、冷茶をふたつ注文した。暑い中を歩きまわった後だからか、日陰がなんとも心地いい。さっきの扇子買っておけばよかったかなぁなどと考えながら手で顔を扇いでいるうちに、氷の入ったお茶が私たちに手渡された。一口飲むと、私もかなり喉が乾いていたことに気が付いた。二口目で一気にそれを飲み干すと、コップに残った小ぶりな氷を口に放り込んでばりばりと噛み砕き始めた。まるで子供ねとメリーに笑われたが仕方ない、暑いものは暑いのだ。
「ところで、さっきは何を見ていたの」
最後の氷を舌の上で転がしていると、メリーにそんなことを聞かれた。さっさとその氷を噛み砕いてしまうと、私はその質問に答えた。
「あぁ、あれは煙管よ。き、せ、る。煙草を吸うための道具で、まぁパイプみたいなものよ」
「ふうん」煙草という単語を聞くと、メリーは僅かに表情をしかめた。「私、煙草って苦手なのよね。昔祖父が吸っていたんだけど、そのせいで祖父の部屋にはなかなか入れてもらえなくてね。祖父の部屋にはいろんな本があって、小さな図書室みたいになっていてね、入るときはいつもすごくわくわくしたの。今思えば、なかなか部屋にいれてもらえなかったのは、私の身体を思ってのことだったのは分かるんだけど」
なるほど、メリーはおじいちゃんっ子だったのかと思いながら、私は相槌を打った。
「まぁ、煙草は身体に良くないからねぇ。昔は日本も喫煙大国なんて揶揄されたそうだけど、今じゃまず煙草を吸ってる人なんて見ないものね」
「昔は簡単な年齢確認だけで煙草を買えたんでしょう。今よりずっと安い値段だったらしいし」
「今は十本入りの紙巻煙草を一箱買うお金があれば、ちょっとしたディナーが食べられるものね。本当に贅沢品よ」
「ディナーはちょっと大袈裟かもしれないけど、まあそうね。蓮子と私が学食で昼ごはんを食べるには十分過ぎるくらいの額って感じかしらね」
「でもカフェは無理ね。メリーはきっとケーキをおかわりするだろうから」
そう言って茶化すとメリーは頬を小さく膨らませた。蓮子だってケーキ好きな癖に、と小声で反論してきたが、私はメリーほど沢山は食べない。多分。
「で、どうして蓮子はあの時、煙管なんか見ていたの。あなたは煙草なんて吸わないでしょう」話を本筋に戻そうと、メリーは改めてそう聞いてきた。
「ん、そうね。もちろん煙管が珍しかったからっていうのもあるんだけど」空になった紙コップを弄りながら、私は言葉を切って考えをまとめた。「なんていうか、これって忘れられた文化だよなぁ、なんて思ってね」
「忘れられた文化」メリーはそう繰り返した。
「正確には、忘れられつつある文化といったところかしらね。一応まだ喫煙は法律でも認められてるわけだし」
「二年に一度更新が必要な許可証が無いと買うことも出来ないけどね」
「ねえ知ってる。許可証を発行してもらう時とか更新の時に受けさせられる講習で、かなりの人は煙草を吸いたいなんて思わなくなるらしいわよ。健康診断もシビアらしいし、今煙草を吸ってる人は本当に物好きな愛好家だけよ」
そこまで言ってから、私は一度立ち上がって、紙コップを潰してごみ箱に捨てた。
「メリーも世界史で習ったでしょう。西洋に煙草がもたらされた時は、大変なもてはやされようだったことを。私たちが普段こうしてお茶をしながら話をするような時、十七世紀のイギリスのコーヒーハウスなら間違いなくここにパイプもあったはずよ。金メッキ時代のアメリカの広告には、煙草を吸えば痩せて肌が綺麗になる、なんて謳い文句が堂々と書かれていたのよ。それほどまでに世界中で親しまれた文化が、今まさに消えようとしている。これって何だか寂しいだと思わない」
「分からなくはないけど。でも蓮子の理論だと、例えばギリシアの思想家たちが議論を重ねるには奴隷制度が必要不可欠だったから、奴隷制度が無くなったのは寂しいことだなぁと言ってるようなものじゃない」
「まあね。つまりは喫煙という文化も、その文化に内包される問題点を克服出来なかったから廃れていったのよね。確かにそういう理屈は分かるんだけどさ。煙草くらい広まった文化ですら、こうまで廃れちゃうんだなぁと思うと、なんというか」
「諸行無常」私が言葉に詰まっていると、メリーが得意げにそう言った。
「そうそれ。あなたよくそんな言葉知ってるわね」
「私だってこの国の大学生なんだから、平家物語くらい知っているわよ」
「ふむ。まあいいわ。とにかく諸行無常よ。そんな風に感じちゃってね。そしてそんな忘れられた文化の名残が、こんな土産物屋に並んでるのを見たら、少し愛しくなっちゃって」
そう言うと私は、先程まで見ていた土産物屋に視線を向けた。何人かの客がその店の前で足を止めたが、煙管を手に取る客は一人も居ない。あの店から煙管が撤去される日も、もしかしたらそう遠くないのかもしれないと思えてしまう。
「ああいうものが、沢山置いてあるお店とかあったら面白いだろうなあ」
私はぽつりとそう呟いた。殆ど無意識のうちにそんなことを口走っていた。
「ああいうものってどういうもの」メリーがきょとんとした顔で聞いてきた。
「さっき話した煙管みたいにさ、こう、なんていうかな、文化の欠片っていうか、そういう忘れられた文化を象徴するようなもののことよ。きっと沢山あるわ、そういう歴史の中に埋もれていった文化の欠片は。そういうものばかりを集めたお店があったとしたら、そこはきっと宝の山だと思わない」
「そういうお店って、きっと偏屈な主人が半分趣味でやってるのよ」
「いいじゃない。味気ないチェーン店なんかよりよっぽど素敵よ」そう言うと私は、そんな忘れられた文化の欠片を取り扱う店について想像した。きっとそれは街からは少し離れた静かな場所に建っているだろう。私はそのお店の常連で、時々顔を見せてはお茶を飲みながら店主と世間話やら新しく手に入った道具の話なんかをするのだ。考えれば考えるほど、それはわくわくするシチュエーションだった。
「あぁ、そんなお店どこかにないかなぁ」
「私はそんな店知らないけれど」そう言うとメリーは何かを思い出したらしく、退屈そうにしていた顔に急に笑みを浮かべた。「そうだ。ねぇ蓮子、私これから行きたいお店があるんだけど」
「別にいいけど。何のお店」
「さっき話したおばあさんに聞いたんだけどね、この近くにすごく美味しい甘味屋さんがあるみたいなの」
甘味屋さん、と言う時のメリーの目の輝きっぷりといったら凄いものだった。メリーの甘いもの好きには困ったものだ。
「それでね、そこは豆かんってデザートが凄く美味しいらしいの。私はそれを食べたことが無いから凄く楽しみで。ああでも今日は暑いからかき氷なんかもいいかもしれないわね。どうしましょう」
悩んでいるメリーには悪いが、どうせ彼女はふたつとも注文するだろうなと、私は心の中で笑っていた。最後にもう一度だけ件の土産物屋を振り返ると、私はまだ見ぬ豆かんに心踊らせるメリーの背中を追った。
半月で300円の「小粋」ひと箱ですからね。私は近いうちに煙管一本に切り替えるつもりです。
でもちゅっちゅしたときに煙草の味がする蓮子もイイと思わないかね君。
でも蓮子の言うことには共感できる気もします。
最後の甘味処、煮込み雑炊はまだやってないんでしょうか?
蓮メリチュッチュ
過ぎ去ったものを見る彼女たちのやりとりが素敵過ぎて上手に感想を紡げません。
とにかく、良かったです。
面白い作品をありがとうございました。
彼とはもしかして、孤独なグルメの方、ですか?
面白かったんだけど文がぎゅうぎゅう詰めになってるから適当に区切ってくれる方が見やすかったかも