ここは博麗の神社である。
橙が座布団にちょこんと座って、口をヨコいっぱいに伸ばしてにやけている。
お燐が卓にあるせんべいをとって食べているが、あれはたしか、勝手に食べてはいけなかったはずだ。
そして、みんなに比べてちょっと体の小さいナズーリンは緊張していた。
三人は四角い卓を囲んで、それぞれの方角に座っていたから、向かって縁側は空席になっていた。
縁側にあたる席は、ほんとうなら猫にはたまらないはずだが、今日はあいにく空が鉛のように曇って肌ざむかったので、誰も寄り付こうとしなかった。
結果、縁側の席には誰も座らなくなった。
それにしても、ちぐはぐな取り合わせだと思わないだろうか。
猫がふたつ、ねずみがひとつ、よその神社で顔を見合っている。
ねずみ取りでもはじまるのかと思われたが、そんな物騒ではなかった。
「で、では“君たちがどうしてねずみを捕まえようとするのか”を議論しようではないか」
ナズがおどおどと口をひらいた。
ははあなるほど。猫を二匹もあいてにすれば自信がまるで折れてしまうのは、げっ歯類なら当然のセイリゲンショウだろう。
橙が手の甲をぺろりと舐めたのをみて、ナズがちょっとこわばった。
それを見ていた正面のお燐がけらけらと笑った。
「なんだい、その、なんだい情けない。アハッハハハ」
獣のくせが抜けていないから、橙の猫くさいうごきを受けてナズは脊髄が反応してしまった。
しごく仕方のないことだった。
なのにお燐がバカにすると橙も連れ立ってにやっとするものだから、ナズはなんだか恥かしくて無理に顔をかたくした。
「あほらしいよ。まったく君たちはあほらしい。今からねずみの生涯に関わるかもしれない議論を交わそうっていうのに、そんなかるい態度でいられちゃ困る」
「へえ、ねずみだけの。するとアレかい、猫はお呼びでないのかしら」
「いや、実際、猫にとっても重大な議論だよこれは。食糧問題の解決といおうか、長年滞っていた種族問題の進展といおうか」
どうもお燐のいやらしい笑顔が気にかかって、ナズはくちをつぐんでしまった。
自分のとりだす問題を笑いの肥やしにされているように思えてならず、あの猫耳は話をたくわえるに都合がよさそうじゃないか。
(猫耳にたっぷり蓄えて、地底にもってかえって酒の肴にでもするつもりだな)
これは俄然、きっちりとした話し合いを望みすっかり真面目にさせなければマズイぞと、ナズの決心は強くなった。
そのとき橙がくちを大きくひらいて欠伸した。
突き出た犬歯が光をはねっかえしたところに、ナズは体の震えをおさえ切れなかった。
「み、みんなたるんでいるな。今からそれだと、とても議論なんてし尽くせないぞ。どれ、てはじめに“ねずみを食べることの不必要性”について話し合おうではないか」
角張った言葉ばかりを使うのは、すこしでも自分を大きく思わせるためだった。
魚類にほら、目のまわるほどたくさんで群游しているしゅるいがいる、ナズにとってはいかにも実直な態度こそがそれと同じだった。
「どうしてか君たち猫族は、ねずみを見かけるなり追いかけ回してしつこく叩いて、弱ったところを頬張るのを止めようとしない。第一、君たちは化け猫だろう妖怪だろう。ねずみのような小さく尊い生き物をたいらげるよりは、人間をかじったほうが賢い。量と栄養価と食べやすさを考えてみろ。答えはとても明白なのに、君たちはバカの一つ覚えに我々を蹂躙する」
おしまいにえへんと咳ばらいをすれば、様になっているような気分でナズは満悦だった。
だけどもすぐさま、お燐のたるみきっていた口は反論した。
「アハハ、人間が食べやすいっていうのはそれこそバカだよ。バカを言っちゃいけないよ。体の強弱と大小がはげしてくて、頃合いの旨そうな人間を探すだけでも一苦労さあ。細いヤツはみすぼらしくって肉つきが悪くて、そのクセやたらと骨は硬いときたもんさ。太っているヤツはだらしなくて脂ばっかり、かんでもかんでも噛み切れやしない。さあてやっと見た目にちょうどよさげな若人がいたと思いきや、サケのやりすぎタバコのやりすぎでまっくろい内蔵だよ。もっともそういう手合いは臭いで分かるんだけどねえ。さて、そうなると人間を追いかけまわすより、ねずみを追いかけまわすほうがお腹によいし、なにより楽しいのさ」
これにはナズも経験があって、お燐の話を聞いていると口の中にあるよだれが、ぜんぶ脂肪に感じられて吐き出したくなった。
「なるほど、一理あるね。けれどねずみばかりに突出するのはどういう用件だい。いま君は楽しいといったね、娯楽のために殺生をやるとは遠慮がない。追いかけて楽しいというのなら、地べたを走りまわるねずみよりは、そこいらを飛ぶすずめだとかめざましく跳躍するバッタだとかのほうが、刺激的ではないだろうか。いや、間違いなく楽しいよ。もしかして面倒だと言い出すんじゃないだろうね」
「おっとお。もっと頭がよいかと用心していたのに、これじゃ子猫とおんなじだねえ。すずめを取りなよって簡単にいうけど、あんたはあのたいへんに飛び回る小鳥たちを平気で捕まえられるのかい。そのちっさな体じゃあ到底できやしないさ。それは私たちだって変わらない、さらにいうと人間だって道具を使わないと適わないときているものよ。つぎはバッタを食えといったねあんた、ハハハハ、あんなに水気のなくて歯にまとわりつくもんを主食にはできないわよ。ああおかしい。バッタを食べろだって橙」
ふたりでさも愉快そうに笑いあがったのだ。
お燐はうえを見上げて笑っていたが、橙はナズへむいて、いやナズのあたりをみつめて笑う。
その笑いに猫の鳴き声みたいな音が混じっているのが、いかにも化け猫で、ナズは怖気づくとからだをちぢめた。
と、ここで縁側から草履のすり足とともに霊夢がやってきて、部屋へ上がった。
三人のさわぎはやみ、シンと静かになった。
「うーさむい、さむい、さむい。
今日はテイキアツが幻想郷を覆っているそうよ。どんな季節でも妙に寒い日があるのはテイキアツのせいだって紫に教えてもらったわ。テイキアツとは私の知らない妖怪だったわね。どうやら何度も幻想郷にやってきて力をふるって、さだめて大きいから、かえって見逃していたのかも。そういえば、あんたたち、さっきまで愉快だったじゃない。うるさすぎると出ていってもらうわよ、せっかく一間をかしてあげているんだから。
うーさむい、さむい、さむい」
霊夢は足早に三人をよこぎって台所へゆきお茶で体をあたためると、踵を返して縁側から出ていった。
(湯のみがひとつだけ。お茶っ葉が恋しいから私たちにはいっこう飲ませないつもりだな)
議論をするとは唾をとばしあうことで、そうなると自然に唇は渇いてくるからお茶の一杯もほしいなとナズはそわそわした。
すると橙がくしゃみをしたから、ナズはびっくりして細長い尻尾を逆立てた。
またお燐が笑った。
「アッハハハハ、つくづく面白い反応だねえ。あんたに議論はむいていないんじゃないの」
ナズは言い返してやりたいのをぐっとこらえて、次の議題を持ち出した。
「も、もっともだ。これからはよくよく注意しよう。では話を進めよう。“なぜ君たちがねずみを執拗に捕まえんとするのか”をハッキリさせようじゃないか。積年の疑問でね。君たちにとってねずみが良い食べ物だということは先程の議論で痛くも分かってしまったよ。そこは目をつぶってあげるけど、この疑問はそうあっさり片付くものでもないぞ。ことによると、これさえ何とかなれば芋づる式に諸問題も解決されていくのではとさえ思えるほどだから、心して聞いてくれたまえ」
得意になって言葉を紡いでいたナズが顔を曇らせて黙ってしまった。
お燐の表情といったら真摯からほど遠い。
いったい真面目に盛り上がるのが間違えているように思えてならず、ナズを不安にさせた。
橙は視線の定まるところをまるで知らず。
ナズのもっと後ろに興味を惹かれているみたいだが、どれ、ナズは振り向いてみたがまばらに剥がれている貧相な土壁だった。
「君たちはよほど注意力が散漫しているね。私の話がちゃんと頭に入っているかどうかはなはだ怪しいものだ」
実際これは仕方のないものだった。
猫の血に流れる自由気ままの精神が今日のお燐と橙にも如実にあらわれており、人間でしめすところのいたりあ人のような基質がそなわっているといえる。
なるほど猫がいたりあならばねずみは日本かもしれない。
ナズの神経質そうに議論を交わすところ、議論をすることがまるで大事であるのこと。
それだけではない。
ねずみは体が小さいので外敵が多くどうしても怯えて行動しがちになる、そうなると各々は敏感になり狡猾になる。
なってしまうと生ぬるい手法では敵わなくなってくる。
これが人間たちの大苦戦しているねずみの生まれる経路だ。
頭のやわらかいところも日本人なのである。
というわけだから、三人の議論がちぐはぐで進まないのだ。
さて、ナズの話にもどろう。
「君たちはねずみを捕まえるために狩猟技術まで発展させているそうじゃないか。まあ良しとする。我々だって虫を捕まえようと切磋琢磨して身につけた知恵がある。しかし君たちの我々を捕食せんとする際の残酷な風潮には鳥肌がたつよ。なんでも動けないよう手足をかじり抜いてから、ダルマになったころころの胴体にかぶりつく。ええ残酷だ。獅子でさえ頚動脈に歯を突き立てて息の根を止めるんだ。実にスマアトなやり方だ。獲物だって少量の苦しみだけで死んでいくのだから、そういう意味では慈悲があるじゃないか。だが君たちは違う。たっぷりと苦しみを与えながら食べるんだ。私はそれを殺しと呼んでいい。捕食するならせめて獲物をふりまわさないくらい敬意をはらってもらいたい」
締めに咳ばらいをえへんと決めれば、ナズは誇らしい気持ちになった。
ところが、橙がマネしてえへんと息をしてみせると、もうナズは心がはねあがってはりきる血流は毒にちがいなかった。
お燐はしばらく考えている素振りをしていたが、やがてにこやかに話し出した。
あらかじめ答えがあって、わざと悩んでいた風にもみえた。
「ハア、そもそもあんたのいう残酷な猫はどこから仕入れた話かしら。どうもあたいは眉に唾をつけたいわねえ。たしかにサツジンカイラクに浸っている猫もいるけれど、そいつはごく少ないのさ。たいていの猫はねずみなんて前肢で捕まえればあとは一飲みさ。ハハハ、どうした想像して気分がわるくなったかい。けれど手足をちぎられるよりもだんぜん慈悲があるでしょう。なんと獅子よりも慈悲深いんじゃないの、なんたって一飲みだ。首のところにがぶりと噛み付かれる苦しみも何もないのよ。この一気に飲み込む技術もなまなかのもんじゃないだけどねえ。喉につかえることなく綺麗にごっくんといくためには、大変な訓練が必要なんだから。あんたたち足のはやいねずみを追いかけて捕まえる技術に、難なく飲みこむ技術。猫の狩猟はとてもとても一言で語り尽くせるもんじゃあないのさ。もしもあんたの言う血も涙もない猫がいたんならあたいが注意してあげよう。あんたも気にせず伝えにくればいい。橙もそう思わないかねえ」
ナズは青ざめていた。
ここにきて二対一の組み合わせのまずさを思い知ったのだ。
褒めてくれたりうなずいてくれる者がいないのは、ひどく寂しかった。
二人をいっぺんに呼ぶよりも一人ずつと議論していくべきだったと、ナズは頭がぼんやりした。縁側から見られる灰色の空と同じほどのぼんやりだった。
その縁側からふたたび霊夢が上がってきた。
三人ともくちがとまり、シンと静まりかえる。
「うーさむい、さむい、さむい。
風まで吹いてきてお腹が冷えてきちゃうわね。これもテイキアツの仕業なのかしら。テイキアツは風の妖精かもしれないわね、台風の眷属かしら、どっちにしても早くこらしめておかないと体が冷えてキリがないわ。あら、せんべいが一枚なくなっているじゃない。三人のうちの誰かがつまみ食いしたのね。食べかすでも口についていたヤツを見つけたらタダじゃおかないんだから。
うーさむい、さむい、さむい」
霊夢は奥の部屋へいくとちり取りを持ち出して、縁側をでていった。
(空気の読めない人間め、私の不利なことを察していくらか助けてくれてもいいのに)
ナズは二匹の猫からうける視線にぶるぶるとふるえた。
「どうした、寒いのかい」
お燐の皮肉っぽい笑顔にナズはにらみ返したが、そのほそながい瞳に自分が写っているかと思うと気が気でなくなり、すぐそらした。
「どうしたの。勢いがなくなっちゃじゃない。ほら次の議論をするんじゃないの」
ナズは弱々しく口をひらいた。
「えー、えー、じゃあ議論を続けるよ。君たちしっかりついてきたまえ」
「うん」
「次はいよいよ、えーそうだね“君たちがどうしてねずみを玩具のように扱うのか”をしっかり論じ合いたいと思うんだが」
「うん」
「えー、はじめになんと言おうか」
「うん」
「…………」
ナズはふっとうした。
卓を手のひらで叩きつけると、ろれつの回っていない言葉をまくしたてた。
今まで感じていた不満が、もうなんだか彼女をめちゃくちゃにしたのだ。
「きっ、きききき、君たちは真面目に聞いているのかねっ。ええ、そらその相槌だってう、う、うそに決まっているんだ。ずっとうその相槌だったに違いないんだっ。ええいちくしょう。見事にだまされていた。わ、わ、わあ、ハアハア、私をだましいい……い、い」
こうやって文字に書いているからソゴも少ないが、実際耳にしてみると聞けたものではない。
さすがのお燐も目をまるくして口をあけて、ナズの狂態を眺めていた。
「ち、橙。君がもっともダメだったよ。君はさっきからな、なにを見ているんだいっ。どこを見ているんだいっ。中空ばっかり見つめて楽しいのかいっ」
ナズに指をさされた橙はちょっと驚いたが、すぐ屈託のない笑顔だった。
そして猫らしい電光石火で卓を回りこんできたかと思うと、またたく間にナズを押し倒した。
ナズはすっかり恐ろしくなってしまった。
「あ、なんだあ。やめたまえ、やめたまえ。あっ、いた、いた、いたたた」
「失礼なねずみね。わたしが見惚れていたのは中空なんかじゃないのよ。ねずみの尻尾なんだから。ほうらうごいている、ちろちろうごいている。エイッ」
「いた、いたたた、いたたた。ひっぱるのをやめたまえ、やめたまえ」
ナズは必死にもがいて抜けだそうとするが、一回り大きい橙のあんまりな屈強さに涙がでそうだった。脊髄が反応して、たかぶる防衛本能に暴れる手足である。
そうしていると、背中がまた一段と重たくなって、涙がひねり出されたようにこぼれ落ちた。
実にふたりぶんの重さだった。
「あたいだって我慢していたのに先を越すなんてずるいわ。尻尾をよこしてよ」
「活きのいい尻尾はゆずれないよ。でもよかったね、まだまだ活きのいい手があるじゃない」
「そりゃあ、もっともだわ。手をひっぱるのはたまらないわ」
ズは両手をぐいぐい後ろへまわされて、しっぽなんて何重かにむすばれているようだが、とくに足の指さきをはいまわる舌がなまあたたかいのだ。
しつこく悲鳴をあげそうになった。
「あ、あ、あ、やめないか。あ、あ、食べれられる。たすけてえ」
食べやしない。
食べやしない。
二匹は合わせて口ずさむと、あっけからんと笑った。
これこそ今まさにナズが話そうとした“猫がどうしてねずみを玩具のように扱うのか”の実践だった。実態だった。
ナズにしてみれば、もがくので精一杯だ。
こんな囃子を橙が歌い出したので、お燐もつられて大声をした。
ネズミが鳴いた。しっぽがたった。
ネズミがへばった。手足がのびた。
どんどこひっぱれ、どんどこのばせ。
そうらチュウ、もひとつチュウ。
ナズーが鳴いた。しっぽがたった。
ナズーがへばった。手足がのびた。
どんどこひっぱれ、どんどこのばせ。
そうらチュウ、もひとつチュウチュウ。
まったく景気のよさそうに二匹の猫は合唱して、ナズをもてあそんで、彼女が大粒の涙をこぼすたびに笑った。
いつの間にか縁側のそばを霊夢が通りかかったが、三人はうるさかった。
「うーさむい、さむい、さむい。
あー。あんたたちは何をやっているのよ。時間と場所をわきまえなさい。どうも聞こえていないみたいね、これもテイキアツのせいかしら。そういえば、私も朝から調子がわるいわ。頭に石をつめられたみたいだわ。これはますますテイキアツの退治が求められるわね。人に害なすとはけしからん妖怪。あなたたちも、いつまでけしからんことをやってないで、お掃除を手伝ってくれてもいいんじゃないかしら。
うーさむい、さむい、さむい」
橙が座布団にちょこんと座って、口をヨコいっぱいに伸ばしてにやけている。
お燐が卓にあるせんべいをとって食べているが、あれはたしか、勝手に食べてはいけなかったはずだ。
そして、みんなに比べてちょっと体の小さいナズーリンは緊張していた。
三人は四角い卓を囲んで、それぞれの方角に座っていたから、向かって縁側は空席になっていた。
縁側にあたる席は、ほんとうなら猫にはたまらないはずだが、今日はあいにく空が鉛のように曇って肌ざむかったので、誰も寄り付こうとしなかった。
結果、縁側の席には誰も座らなくなった。
それにしても、ちぐはぐな取り合わせだと思わないだろうか。
猫がふたつ、ねずみがひとつ、よその神社で顔を見合っている。
ねずみ取りでもはじまるのかと思われたが、そんな物騒ではなかった。
「で、では“君たちがどうしてねずみを捕まえようとするのか”を議論しようではないか」
ナズがおどおどと口をひらいた。
ははあなるほど。猫を二匹もあいてにすれば自信がまるで折れてしまうのは、げっ歯類なら当然のセイリゲンショウだろう。
橙が手の甲をぺろりと舐めたのをみて、ナズがちょっとこわばった。
それを見ていた正面のお燐がけらけらと笑った。
「なんだい、その、なんだい情けない。アハッハハハ」
獣のくせが抜けていないから、橙の猫くさいうごきを受けてナズは脊髄が反応してしまった。
しごく仕方のないことだった。
なのにお燐がバカにすると橙も連れ立ってにやっとするものだから、ナズはなんだか恥かしくて無理に顔をかたくした。
「あほらしいよ。まったく君たちはあほらしい。今からねずみの生涯に関わるかもしれない議論を交わそうっていうのに、そんなかるい態度でいられちゃ困る」
「へえ、ねずみだけの。するとアレかい、猫はお呼びでないのかしら」
「いや、実際、猫にとっても重大な議論だよこれは。食糧問題の解決といおうか、長年滞っていた種族問題の進展といおうか」
どうもお燐のいやらしい笑顔が気にかかって、ナズはくちをつぐんでしまった。
自分のとりだす問題を笑いの肥やしにされているように思えてならず、あの猫耳は話をたくわえるに都合がよさそうじゃないか。
(猫耳にたっぷり蓄えて、地底にもってかえって酒の肴にでもするつもりだな)
これは俄然、きっちりとした話し合いを望みすっかり真面目にさせなければマズイぞと、ナズの決心は強くなった。
そのとき橙がくちを大きくひらいて欠伸した。
突き出た犬歯が光をはねっかえしたところに、ナズは体の震えをおさえ切れなかった。
「み、みんなたるんでいるな。今からそれだと、とても議論なんてし尽くせないぞ。どれ、てはじめに“ねずみを食べることの不必要性”について話し合おうではないか」
角張った言葉ばかりを使うのは、すこしでも自分を大きく思わせるためだった。
魚類にほら、目のまわるほどたくさんで群游しているしゅるいがいる、ナズにとってはいかにも実直な態度こそがそれと同じだった。
「どうしてか君たち猫族は、ねずみを見かけるなり追いかけ回してしつこく叩いて、弱ったところを頬張るのを止めようとしない。第一、君たちは化け猫だろう妖怪だろう。ねずみのような小さく尊い生き物をたいらげるよりは、人間をかじったほうが賢い。量と栄養価と食べやすさを考えてみろ。答えはとても明白なのに、君たちはバカの一つ覚えに我々を蹂躙する」
おしまいにえへんと咳ばらいをすれば、様になっているような気分でナズは満悦だった。
だけどもすぐさま、お燐のたるみきっていた口は反論した。
「アハハ、人間が食べやすいっていうのはそれこそバカだよ。バカを言っちゃいけないよ。体の強弱と大小がはげしてくて、頃合いの旨そうな人間を探すだけでも一苦労さあ。細いヤツはみすぼらしくって肉つきが悪くて、そのクセやたらと骨は硬いときたもんさ。太っているヤツはだらしなくて脂ばっかり、かんでもかんでも噛み切れやしない。さあてやっと見た目にちょうどよさげな若人がいたと思いきや、サケのやりすぎタバコのやりすぎでまっくろい内蔵だよ。もっともそういう手合いは臭いで分かるんだけどねえ。さて、そうなると人間を追いかけまわすより、ねずみを追いかけまわすほうがお腹によいし、なにより楽しいのさ」
これにはナズも経験があって、お燐の話を聞いていると口の中にあるよだれが、ぜんぶ脂肪に感じられて吐き出したくなった。
「なるほど、一理あるね。けれどねずみばかりに突出するのはどういう用件だい。いま君は楽しいといったね、娯楽のために殺生をやるとは遠慮がない。追いかけて楽しいというのなら、地べたを走りまわるねずみよりは、そこいらを飛ぶすずめだとかめざましく跳躍するバッタだとかのほうが、刺激的ではないだろうか。いや、間違いなく楽しいよ。もしかして面倒だと言い出すんじゃないだろうね」
「おっとお。もっと頭がよいかと用心していたのに、これじゃ子猫とおんなじだねえ。すずめを取りなよって簡単にいうけど、あんたはあのたいへんに飛び回る小鳥たちを平気で捕まえられるのかい。そのちっさな体じゃあ到底できやしないさ。それは私たちだって変わらない、さらにいうと人間だって道具を使わないと適わないときているものよ。つぎはバッタを食えといったねあんた、ハハハハ、あんなに水気のなくて歯にまとわりつくもんを主食にはできないわよ。ああおかしい。バッタを食べろだって橙」
ふたりでさも愉快そうに笑いあがったのだ。
お燐はうえを見上げて笑っていたが、橙はナズへむいて、いやナズのあたりをみつめて笑う。
その笑いに猫の鳴き声みたいな音が混じっているのが、いかにも化け猫で、ナズは怖気づくとからだをちぢめた。
と、ここで縁側から草履のすり足とともに霊夢がやってきて、部屋へ上がった。
三人のさわぎはやみ、シンと静かになった。
「うーさむい、さむい、さむい。
今日はテイキアツが幻想郷を覆っているそうよ。どんな季節でも妙に寒い日があるのはテイキアツのせいだって紫に教えてもらったわ。テイキアツとは私の知らない妖怪だったわね。どうやら何度も幻想郷にやってきて力をふるって、さだめて大きいから、かえって見逃していたのかも。そういえば、あんたたち、さっきまで愉快だったじゃない。うるさすぎると出ていってもらうわよ、せっかく一間をかしてあげているんだから。
うーさむい、さむい、さむい」
霊夢は足早に三人をよこぎって台所へゆきお茶で体をあたためると、踵を返して縁側から出ていった。
(湯のみがひとつだけ。お茶っ葉が恋しいから私たちにはいっこう飲ませないつもりだな)
議論をするとは唾をとばしあうことで、そうなると自然に唇は渇いてくるからお茶の一杯もほしいなとナズはそわそわした。
すると橙がくしゃみをしたから、ナズはびっくりして細長い尻尾を逆立てた。
またお燐が笑った。
「アッハハハハ、つくづく面白い反応だねえ。あんたに議論はむいていないんじゃないの」
ナズは言い返してやりたいのをぐっとこらえて、次の議題を持ち出した。
「も、もっともだ。これからはよくよく注意しよう。では話を進めよう。“なぜ君たちがねずみを執拗に捕まえんとするのか”をハッキリさせようじゃないか。積年の疑問でね。君たちにとってねずみが良い食べ物だということは先程の議論で痛くも分かってしまったよ。そこは目をつぶってあげるけど、この疑問はそうあっさり片付くものでもないぞ。ことによると、これさえ何とかなれば芋づる式に諸問題も解決されていくのではとさえ思えるほどだから、心して聞いてくれたまえ」
得意になって言葉を紡いでいたナズが顔を曇らせて黙ってしまった。
お燐の表情といったら真摯からほど遠い。
いったい真面目に盛り上がるのが間違えているように思えてならず、ナズを不安にさせた。
橙は視線の定まるところをまるで知らず。
ナズのもっと後ろに興味を惹かれているみたいだが、どれ、ナズは振り向いてみたがまばらに剥がれている貧相な土壁だった。
「君たちはよほど注意力が散漫しているね。私の話がちゃんと頭に入っているかどうかはなはだ怪しいものだ」
実際これは仕方のないものだった。
猫の血に流れる自由気ままの精神が今日のお燐と橙にも如実にあらわれており、人間でしめすところのいたりあ人のような基質がそなわっているといえる。
なるほど猫がいたりあならばねずみは日本かもしれない。
ナズの神経質そうに議論を交わすところ、議論をすることがまるで大事であるのこと。
それだけではない。
ねずみは体が小さいので外敵が多くどうしても怯えて行動しがちになる、そうなると各々は敏感になり狡猾になる。
なってしまうと生ぬるい手法では敵わなくなってくる。
これが人間たちの大苦戦しているねずみの生まれる経路だ。
頭のやわらかいところも日本人なのである。
というわけだから、三人の議論がちぐはぐで進まないのだ。
さて、ナズの話にもどろう。
「君たちはねずみを捕まえるために狩猟技術まで発展させているそうじゃないか。まあ良しとする。我々だって虫を捕まえようと切磋琢磨して身につけた知恵がある。しかし君たちの我々を捕食せんとする際の残酷な風潮には鳥肌がたつよ。なんでも動けないよう手足をかじり抜いてから、ダルマになったころころの胴体にかぶりつく。ええ残酷だ。獅子でさえ頚動脈に歯を突き立てて息の根を止めるんだ。実にスマアトなやり方だ。獲物だって少量の苦しみだけで死んでいくのだから、そういう意味では慈悲があるじゃないか。だが君たちは違う。たっぷりと苦しみを与えながら食べるんだ。私はそれを殺しと呼んでいい。捕食するならせめて獲物をふりまわさないくらい敬意をはらってもらいたい」
締めに咳ばらいをえへんと決めれば、ナズは誇らしい気持ちになった。
ところが、橙がマネしてえへんと息をしてみせると、もうナズは心がはねあがってはりきる血流は毒にちがいなかった。
お燐はしばらく考えている素振りをしていたが、やがてにこやかに話し出した。
あらかじめ答えがあって、わざと悩んでいた風にもみえた。
「ハア、そもそもあんたのいう残酷な猫はどこから仕入れた話かしら。どうもあたいは眉に唾をつけたいわねえ。たしかにサツジンカイラクに浸っている猫もいるけれど、そいつはごく少ないのさ。たいていの猫はねずみなんて前肢で捕まえればあとは一飲みさ。ハハハ、どうした想像して気分がわるくなったかい。けれど手足をちぎられるよりもだんぜん慈悲があるでしょう。なんと獅子よりも慈悲深いんじゃないの、なんたって一飲みだ。首のところにがぶりと噛み付かれる苦しみも何もないのよ。この一気に飲み込む技術もなまなかのもんじゃないだけどねえ。喉につかえることなく綺麗にごっくんといくためには、大変な訓練が必要なんだから。あんたたち足のはやいねずみを追いかけて捕まえる技術に、難なく飲みこむ技術。猫の狩猟はとてもとても一言で語り尽くせるもんじゃあないのさ。もしもあんたの言う血も涙もない猫がいたんならあたいが注意してあげよう。あんたも気にせず伝えにくればいい。橙もそう思わないかねえ」
ナズは青ざめていた。
ここにきて二対一の組み合わせのまずさを思い知ったのだ。
褒めてくれたりうなずいてくれる者がいないのは、ひどく寂しかった。
二人をいっぺんに呼ぶよりも一人ずつと議論していくべきだったと、ナズは頭がぼんやりした。縁側から見られる灰色の空と同じほどのぼんやりだった。
その縁側からふたたび霊夢が上がってきた。
三人ともくちがとまり、シンと静まりかえる。
「うーさむい、さむい、さむい。
風まで吹いてきてお腹が冷えてきちゃうわね。これもテイキアツの仕業なのかしら。テイキアツは風の妖精かもしれないわね、台風の眷属かしら、どっちにしても早くこらしめておかないと体が冷えてキリがないわ。あら、せんべいが一枚なくなっているじゃない。三人のうちの誰かがつまみ食いしたのね。食べかすでも口についていたヤツを見つけたらタダじゃおかないんだから。
うーさむい、さむい、さむい」
霊夢は奥の部屋へいくとちり取りを持ち出して、縁側をでていった。
(空気の読めない人間め、私の不利なことを察していくらか助けてくれてもいいのに)
ナズは二匹の猫からうける視線にぶるぶるとふるえた。
「どうした、寒いのかい」
お燐の皮肉っぽい笑顔にナズはにらみ返したが、そのほそながい瞳に自分が写っているかと思うと気が気でなくなり、すぐそらした。
「どうしたの。勢いがなくなっちゃじゃない。ほら次の議論をするんじゃないの」
ナズは弱々しく口をひらいた。
「えー、えー、じゃあ議論を続けるよ。君たちしっかりついてきたまえ」
「うん」
「次はいよいよ、えーそうだね“君たちがどうしてねずみを玩具のように扱うのか”をしっかり論じ合いたいと思うんだが」
「うん」
「えー、はじめになんと言おうか」
「うん」
「…………」
ナズはふっとうした。
卓を手のひらで叩きつけると、ろれつの回っていない言葉をまくしたてた。
今まで感じていた不満が、もうなんだか彼女をめちゃくちゃにしたのだ。
「きっ、きききき、君たちは真面目に聞いているのかねっ。ええ、そらその相槌だってう、う、うそに決まっているんだ。ずっとうその相槌だったに違いないんだっ。ええいちくしょう。見事にだまされていた。わ、わ、わあ、ハアハア、私をだましいい……い、い」
こうやって文字に書いているからソゴも少ないが、実際耳にしてみると聞けたものではない。
さすがのお燐も目をまるくして口をあけて、ナズの狂態を眺めていた。
「ち、橙。君がもっともダメだったよ。君はさっきからな、なにを見ているんだいっ。どこを見ているんだいっ。中空ばっかり見つめて楽しいのかいっ」
ナズに指をさされた橙はちょっと驚いたが、すぐ屈託のない笑顔だった。
そして猫らしい電光石火で卓を回りこんできたかと思うと、またたく間にナズを押し倒した。
ナズはすっかり恐ろしくなってしまった。
「あ、なんだあ。やめたまえ、やめたまえ。あっ、いた、いた、いたたた」
「失礼なねずみね。わたしが見惚れていたのは中空なんかじゃないのよ。ねずみの尻尾なんだから。ほうらうごいている、ちろちろうごいている。エイッ」
「いた、いたたた、いたたた。ひっぱるのをやめたまえ、やめたまえ」
ナズは必死にもがいて抜けだそうとするが、一回り大きい橙のあんまりな屈強さに涙がでそうだった。脊髄が反応して、たかぶる防衛本能に暴れる手足である。
そうしていると、背中がまた一段と重たくなって、涙がひねり出されたようにこぼれ落ちた。
実にふたりぶんの重さだった。
「あたいだって我慢していたのに先を越すなんてずるいわ。尻尾をよこしてよ」
「活きのいい尻尾はゆずれないよ。でもよかったね、まだまだ活きのいい手があるじゃない」
「そりゃあ、もっともだわ。手をひっぱるのはたまらないわ」
ズは両手をぐいぐい後ろへまわされて、しっぽなんて何重かにむすばれているようだが、とくに足の指さきをはいまわる舌がなまあたたかいのだ。
しつこく悲鳴をあげそうになった。
「あ、あ、あ、やめないか。あ、あ、食べれられる。たすけてえ」
食べやしない。
食べやしない。
二匹は合わせて口ずさむと、あっけからんと笑った。
これこそ今まさにナズが話そうとした“猫がどうしてねずみを玩具のように扱うのか”の実践だった。実態だった。
ナズにしてみれば、もがくので精一杯だ。
こんな囃子を橙が歌い出したので、お燐もつられて大声をした。
ネズミが鳴いた。しっぽがたった。
ネズミがへばった。手足がのびた。
どんどこひっぱれ、どんどこのばせ。
そうらチュウ、もひとつチュウ。
ナズーが鳴いた。しっぽがたった。
ナズーがへばった。手足がのびた。
どんどこひっぱれ、どんどこのばせ。
そうらチュウ、もひとつチュウチュウ。
まったく景気のよさそうに二匹の猫は合唱して、ナズをもてあそんで、彼女が大粒の涙をこぼすたびに笑った。
いつの間にか縁側のそばを霊夢が通りかかったが、三人はうるさかった。
「うーさむい、さむい、さむい。
あー。あんたたちは何をやっているのよ。時間と場所をわきまえなさい。どうも聞こえていないみたいね、これもテイキアツのせいかしら。そういえば、私も朝から調子がわるいわ。頭に石をつめられたみたいだわ。これはますますテイキアツの退治が求められるわね。人に害なすとはけしからん妖怪。あなたたちも、いつまでけしからんことをやってないで、お掃除を手伝ってくれてもいいんじゃないかしら。
うーさむい、さむい、さむい」
ナズーリンいじめて何がしたかったの?
ナズがとうとうズだけになってしまった・・・w
賢将も猫二匹の前ではネコにしかなれないというのか・・・。
テイキアツという妖怪は実に面妖ですよね。
あれが襲来すると、空が鈍く垂れ込め、頭までぼんやりして仕方なくなるのですから。
そして、『うーさむい、さむい、さむい』という詞が巫女の言葉のかならず接頭接尾に付いてまわるようになるのですから。
軽妙な語口のなかにキャラクターの魅力が存分に含まれていると思います。ちょっと滑稽な絵面しかり、むっかしの大衆文学の雰囲気そのまま
若干ナズが可哀想に見えちゃったのでこの点で