ある日の地霊殿の夜のこと。何となく眠れなくてブラブラと歩いていた私は、今から地上に出て久しぶりに夜の散歩と洒落込もうかなぁとか、博麗神社にでも遊びに行こうかいやこんな夜中にさすがに迷惑かとか、そうだお姉ちゃんでも襲おうかとか、色々なことを考えていた。すると、突然後ろから声を掛けられる。
「あら、こいし。まだ起きていたの?」
「あ、お姉ちゃん。何か眠れなくて」
「駄目よ、こんな遅くまで起きてちゃ。夜更かしは美容の大敵よ」
「いやいや、子供じゃないんだからさ。っていうかお姉ちゃんだって起きてるじゃん」
「物音がしたからちょっと気になって。そもそも私は美容を気にする程ではないですしね。こいしはせっかく可愛いんだからちゃんと気を使わないと勿体無いですよ」
えーと、面と向かって可愛いと言われるとさすがに少し恥ずかしいんですけど。というか私から言わせてもらえば、お姉ちゃんだって十分可愛いと思うんだけどなあ。実際に言ったらむしろ傷つくような気もするから言わないけど。
「で、どうします?眠れないようでしたら私の部屋で一緒に寝ますか?」
「あー、気持ちは嬉しいけど今日は遠慮させて貰う。何か話してたら余計目が冴えてきちゃったし」
お姉ちゃんと一緒に、というのは魅力的なお誘いではあったけれど今日はそれでも眠れる気がしない。こういうことは今日が始めてという訳ではなく、基本的に夜型人間である私はたまにそういう日があるのだ。そういう日は大抵、一日中適当に歩き回るか、もしくは本でも読んで時間を潰すかのどちらかだった。
「そう、それじゃ……」
お姉ちゃんは左手を顎に当てて少し考えるような仕草をした後、とんでもないことを宣った。
「これからお姉ちゃんといけないことしない?」
「……はい?」
布団が吹っ飛んだ。
ちゃう。
思考が吹っ飛んだ。
□
「……で、こういうオチですか。いや、まあお姉ちゃんのことだからそんなことだろうとは思ってましたよええ」
「あら、何を想像していたのかしら?」
「少なくとも、今やってることよりは不健全なこと」
「まあ」
何を想像したのかしら、とくすくす笑うお姉ちゃんにちょっとからかわれたみたいな気がしてぶすっとする。あれから呆然としたままお姉ちゃんの部屋に連れて行かれ、「ちょっと座って待ってなさい」と言われて、何が起こるんだろうと不安と若干の期待を抱きつつ大人しく待っていると、キィと部屋の扉が開く。緊張の一瞬。
扉の開いたその先には、何と蝋燭と鞭を持ったセクシー姿のお姉ちゃんが!!!
……いる訳もなく、姿を現したのはいつも通りのお姉ちゃんだった。ただ、手にグラスが二つとアイスペール、お酒のボトルが乗ったお盆を持っているのがいつもと違う光景だった。
「お姉ちゃんもお酒飲むんだ」
ちょっと意外な気がした。別に外見がどうこうの話じゃなくて、お姉ちゃんが一人でお酒を飲む姿が余り想像出来なかったから。
「まあ、嗜む程度ではありますが、人並には。こいしはお酒は大丈夫ですよね?」
「うん。私もそんなに飲む方じゃないけど、飲めない訳じゃないよ」
宴会とかでお酒が飲めないと不便なことが多いしねー。とは言っても私は宴会に出ても他人の意識下に入ることはあまり多くないから、飲んでなくてもそんなに気にはされないだろうけど。
「で、これがいけないこと?」
「夜更かしは駄目ですとさっき言いましたよ」
「いや、まあ確かにそうだけどさ……」
相手がお姉ちゃんである以上過剰な期待はしてなかったとはいえ、ちょっと拍子抜けな感は否めない。何を想像したって?それはここで言うと色々規制がかかるのでご想像にお任せしますとしか言えない。
「それって焼酎?」
「ええ、でもそんなに強いお酒ではないですよ。簡単なものですが、おつまみも作りました」
手際良く準備を進めていく。手伝おうかなとも思ったけど、逆に邪魔になりそうな気がして黙って見ていることにした。っていうかあの短い時間でどうやって作ったんだろ。
「夕食の時に余ったのをちょっと」
「……いや、私何も言ってないけど?」
「ふふ、何となくですよ」
びっくりした。一瞬自分の心が読まれているのかと思っちゃった。一応自分の第三の瞳を撫でてみたけど、やはり瞳は閉じたままだった。まあ、そうだよね。
程なく私とお姉ちゃんの前に氷の入ったグラスが置かれ、中央につまみの入ったお皿が置かれる。お姉ちゃんはまず私のグラスに注ぎ、続いて自分のそれに入れようとする。私は慌ててその手を止める。
「あ、お姉ちゃんのは私が入れる!」
「あら、別にいいのに」
「駄目!私がやる!」
お姉ちゃんの手からボトルをひったくる。別にそんなことにこだわる必要はないのかもしれないが、何となくそうしないと不公平な気がするのだ。お姉ちゃんは苦笑しつつも「じゃあお言葉に甘えようかしら」とグラスを出す。私はそれに適量を注ぐ。
「さて、まずは乾杯しましょうか」
「一体何に乾杯するのっていうか何かお姉ちゃん楽しそうだね」
「そうかしら?……ふふ、そうかもしれないわね」
機嫌良さそうに手の中のグラスを弄ぶお姉ちゃん。うーん、やっぱり今日のお姉ちゃんはよく分からないなあ。まあ嬉しそうだから良いんだけどさ。
「じゃあ、ありきたりだけど……いつもお疲れ様、こいし」
「いつもお疲れ様、お姉ちゃん」
自然と笑顔になる。何だかんだで私も、いつもとちょっと違う時間が始まるのを楽しみにしてるみたいだ。
「「乾杯」」
キィン、とグラスとグラスをぶつけ合う音が響く。
夜の地霊殿で、二人だけの小さな小さな宴会が始まった。
□
それから少しの間はとりとめのない話をしていたが、段々と会話が少なくなっていき、干した杯の数が五を数える頃には私とお姉ちゃんの間には一言も発せられなくなっていた。
時折、私が空になったグラスをすっと前にやると、お姉ちゃんが静かに注いでくれる。
時折、お姉ちゃんが空になったグラスをすっと前にやると、私も同じように注ぐ。
夜の闇に微かな光が照らす中、穏やかで穏やかな時間が流れていく。その中にあって、氷のカラカラという音だけが心地よく耳に響く。アイスペールの中にある氷は少しずつ解け始めて、器の中に小さな池を作っている。
沈黙が痛いと思うことはない。こういう静寂は嫌いじゃない。
会話が途切れないということも仲の良い証だとは思うけれど、こんな風に会話のない空間を自然に共有することが出来るというのも、また仲の良い証だと私は思っている。……実際問題として、ちょっと前までの私達は、沈黙の時間を受け入れることが出来ていなかったから。
そうしたまま、どれくらいの時間が経っただろうか。お姉ちゃんは少しお酒が回ってきたのか、顔がほんのり赤くなっている。恐らく私も似たような状態だろう。このまま静かに飲むのも悪くないけど、私は気になっていたことを聞いてみることにした。
「ねえ、お姉ちゃん」
「何かしら、こいし」
「どうして、急にお酒なんて飲もうと思ったの?」
お姉ちゃんの手の中でカラカラと鳴っていた氷の音がピタリと止む。
どうしてもそこが疑問だった。いや、疑問と言うよりは違和感を感じると言った方が良いのだろうか。普段だったらまずしないような提案をしてきたお姉ちゃん。いつもよりも機嫌が良さそうなお姉ちゃん。私にはどちらの理由も分からなかった。
「そ、それは……」
急に慌てだすお姉ちゃん。酔ったせいで赤い顔を更に赤くして、面白いくらいにおたおたして。いつも落ち着いてる姿ばかり見てる私にはそれがすごく新鮮に思えて、本当に今日は珍しいことが起こる日だなあとつくづく思う。
「……笑わないですか?」
「笑わないよ」
即答する。
お姉ちゃんはまだ迷っているような表情だったが、やがて観念したのかゆっくりと口を開く。
「夢だったから」
「え?」
「いつか、こうやってあなたと二人でゆっくりお酒を飲んでみたいって、あの頃はいつも思ってた。私の夢だった」
余りに予想外なその言葉に私の思考はしばし停止してしまう。
お姉ちゃんの言う『あの頃』がいつを指しているかなんて、聞くまでもない。
ああ、そういえば。私がお姉ちゃんと二人でお酒を飲んだことなんて今までにあっただろうか。
記憶の中を辿ってみるが、その光景が浮かぶことはなかった。
「こいし、私が最初に言った言葉を覚えてる?」
「最初?」
「『こいしはお酒は大丈夫ですよね?』って」
「あ……うん」
「私はね」
そこでふう、と一息つく。
「たった一人の妹が、お酒を飲めるかどうか。そんなことも聞かなきゃ分からなかったの」
……それは仕方がないことだ。地上に二人でいた頃はゆっくりお酒を飲めるような状況じゃなかったし、地底に来てからはそもそも私とお姉ちゃんが一緒にいる時間自体が少なくなったから。でも、そう言うお姉ちゃんは見ているこっちが痛々しくなるほどに寂しそうな表情で。
お姉ちゃんのせいだなんてあり得ないし、誰のせいでもないのだろう。強いて言うなら、お姉ちゃんの気持ちを考えることが出来なかった私のせいなのかもしれない。でもそんなことを言っても、お姉ちゃんは悲しみこそすれ喜ぶことはないだろう。私が瞳を閉ざしたことを、全部自分のせいだと思って抱えちゃうような人だから。
だから、無言でボトルを取る。
「お姉ちゃん」
「?」
「ほら、グラス空いてるよ」
ぽかんとしながらも差し出されたグラスに、ゆっくりと注ぐ。
過ぎた時間が戻ることはないし、私の閉じた瞳が急に開くこともない。でも、今こうして私達は二人でお酒を飲んでいる。だから、私は、ただこの時間を楽しむことにした。私と一緒にお酒を飲むだなんて、そんなとてもちっぽけなことを、夢だったと言ってくれたお姉ちゃんの為にも。
「……ええ、ありがとうこいし」
私の気持ちが伝わったのか、お姉ちゃんは小さくだけど笑ってくれた。
何だか嬉しくなって、少しお酒のペースが速くなった。
「よーし、今日は飲むぞー」
「おー」
ふざけたように手を掲げて宣言すると、お姉ちゃんも乗ってくれた。
小さな宴会はまだ終わらない。
□
お姉ちゃんの用意したお酒が尽きる頃には見事に私は酔いどれになっていた。ちょっと調子に乗って飲み過ぎたかも……。
「う~、頭ぐるぐる~」
「ああもう、だから飲み過ぎないようにと言ったのに……」
「お姉ちゃんだって結構飲んでたでしょー!なのに、何でそんなに普通なのー!?」
「私だって結構酔ってますよ。あなたのように前後不覚になってないだけで」
「ぶーぶー。不公平だー。お姉ちゃんももっとぐでんぐでんになれー!」
「無茶言わないの」
むうー、私がこんなにぐるぐるしてるのにお姉ちゃんがぐるぐるしてないのはずるい!という訳でぐるぐる状態を伝染させるべくお姉ちゃんにしがみつくことにした。てゃー。
「こら、しがみつかない」
「ぐるれぐるれー。じゃないとこのまま寝ちゃうぞー」
「寝るんだったらそこのベッドで寝なさい」
「んー、じゃあ連れてってー」
「はいはい、了解しましたお姫様」
ひょいっと横抱きにされる。おおぅ、これはいわゆるお姫様抱っこというやつですかい?というかお姉ちゃんあんなに腕細いのに結構力あるんだなー。うむうむ、余は満足じゃ。でも所詮同じ部屋内での移動なので、すぐにベッドまで到着してぽふんと降ろされる。うーん、もうちょっとこの状態でいたかったんだけどなー。
「お姉ちゃ~ん」
「何ですか、こいし」
「また一緒にお酒飲もうね!」
「ええ、勿論。今度はお燐やお空も誘って皆で飲みましょうか」
もうお姉ちゃんってば、そこは空気読んでよ。皆で一緒に飲むのも良いけど、今の「一緒に」はお姉ちゃんと二人っきりでって意味で言ったんだからさ。でもまあ、そんなお姉ちゃんだから良いのかもしれないし……うーん、難しいところだ。
「ふわぁ……さすがに私も眠いわね」
「じゃあお姉ちゃんも一緒に寝ちゃおう!」
「ふふ、では遠慮なく入らせていただきますね。元は私のベッドですけど」
もぞもぞとお姉ちゃんが侵入してきたので、私は逃がさないようにガシッと捕まえる。ぐるれー。
お姉ちゃんはそんな私の行動に苦笑しながらも、ゆっくりと抱きしめ返してくれる。
ああ、これで今日はゆっくり眠れそうだ。
「おやすみなさい、お姉ちゃん」
「おやすみなさい、こいし」
やっぱりこの言葉を聞いて眠るのが一番安心するなあと考えつつ、私の意識は闇に落ちていった。
■おまけその1
「さとり様~、もう朝ですよ~」
コンコンとさとり様の部屋をノックする。いつもの朝食の時間を30分以上過ぎても姿を見せない主にさすがに心配になって、様子を見に来ていた。とりあえず二、三度ノックをしてみるものの、部屋の中から反応はない。
「さとり様が寝坊なんて珍しいなぁ……。あ、でも朝は弱いんだっけ?」
どうしようかな、と悩んだもののとりあえず部屋に入ってみることにした。まあ朝ご飯はいざとなれば自分でも作れるのだが、寝てるなら寝てるでちゃんと確認して安心しておきたい。
「失礼しまーす……」
カチャリ、ともしもさとり様が寝ていた場合に起こさないようにと、小さな声で静かにドアを開ける。地霊殿の部屋に鍵はついていない。
「……わぁ」
目の前に飛び込んできた光景に、思わず声を挙げてしまう。
視線の先には、寄り添うように額と額をくっつけて一つのベッドで眠るさとり様とこいし様の姿があった。その微笑ましい光景に、自然と顔が緩んでしまう。
(二人とも、相変わらず仲が良いなぁ)
嬉しい気持ちと、少しだけ羨ましい気持ちを抱えつつ部屋のドアを閉める。
「さすがにあの状況で起こしちゃ悪いよね。よーし、今日の朝ご飯は私が作るぞー!」
何作ろうかなー、お酒の瓶が転がってるのが見えたからお味噌汁と、ご飯は炊いてあるだろうからおかずはどうしようかなーとか考えながら鼻歌交じりに台所へと向かう。
実は意外と料理好きなお空なのだった。
■おまけその2
「さとり様、まだ寝てらっしゃるんですか?」
お空が台所に向かった直後、今度はお燐が様子を見に来ていた。コンコン、とお空と同様ノックしてみるものの、やはり部屋の中から反応はない。
「まだ寝てるのかな?失礼しまーす」
主を起こさないように気を使い、静かにドアを開けるお燐。
「あ、やっぱり寝てる。珍しいなぁ。さとり……さ……ま?」
目の前の光景に硬直するお燐。しばらくその光景をじっと見つめていたが、やがてふう、と溜息をつくとゆっくりと部屋を出て行った。そしてしばらく歩いて、自分の声がさとりの部屋に届かないところまで来ると、突然右手を高く掲げて握り拳を作り、ぐっとガッツポーズをした。
「よーし!三日分の目の保養完了!今日はあたいにとって良い一日になりそうな予感がするよ!ああー、でもこんなことだったらこの間巫女のお姉さんと一緒に来てたらしい烏天狗にでも頼んで、カメラを調達しておけば良かった!いや、とりあえずはさっき目に焼き付けておいた光景を、あたいの脳内はーどでぃすくに永久保存しておかなくては……!」
お燐は駄目だった。
この姉妹はほのぼのさせてちゅっちゅですよ、うん。
誤字? 報告です。
>いや、まあお姉ちゃんのことだからそんなことだろうとは思ってましたよええ。」
どこが駄目なんだろ
さとこいを目カメラで写して脳内はーどでぃすくに保存したあげくに妄想フォトショで編集してハァハアするぐらい、誰でも普通にやってることじゃん
お燐…
ほのぼのしてて温かくて、安心して読むことができる
今度はほのぼのとちゅっちゅの両立を期待してます
やらねーよww
少なくとも俺はやってねーよwww
この台詞は何だかぐっと来てしまいました。
次作も楽しみにしてます。
この姉妹は天使だ、さとり妖怪じゃない。さとり天使なのだ。
ほのぼのに混じった少量のシリアス、全体的バランスが絶妙で、読み終えた後とても心地良い気分になれました。
いやはや、良いですねっ! 良いものを読ませていただきましたっ!
お燐…
だがお燐、てめーは駄目だ
これを無自覚で妹に言うさとり様は流石でした。
可愛い姉妹が夜更かししながらお酒を嗜んでいる、すごくいいと思います。
最初と最後に突っ込みどころが多いのはスルーで、
最後きれいにまとめたままのほうが良かったのではと思わずにいられないww
そしてお燐w
まあこのお二人を前にしては仕方ありますまい