「このケーキ、美味しいですね」
「ええ、そうね……」
嬉しそうにケーキを口に運ぶ美鈴とは対照的に、咲夜は緊張した動きで紅茶を運ぶが、猫舌の咲夜にはまだ熱く、カップを下ろす。
咲夜の動きが硬いのは、人里の喫茶店で美鈴と二人でお茶していることだけが原因ではなかった。
「やっぱり、慣れませんか?」
「まあね……」
そう応える咲夜の服装はいつものメイド服ではなく、カジュアルな黒のスーツだった。
若干窮屈そうながらもスーツを着こなす咲夜を美鈴は微笑ましそうに見つめる。
「けど、似合ってますよ。カッコいいです」
「そうかしら」
「はい。お嬢様に感謝です」
美鈴に褒められ、咲夜はまんざらでもなさそうだった。
確かにお嬢様には感謝しないといけない。
美鈴にお茶に誘われたのいいが、着ていく服がなかった自分の為にわざわざ用意してくれたのだから。
それにしても。咲夜は改めて自分の服装を見る。
普段自分が着ているメイド服とは対極に位置する服装ではあるが、案外悪いものでもない。それに。
ちらり、と美味しそうにケーキを食べる美鈴に視線をやる。
憧れの人から褒められるというのは、なんというか、まあ、悪くない。
「咲夜さん?」
「え、あ、な、なに?」
「ぼうっとしてますけど、どうかしました?」
「ああいや、この紅茶美味しいわね」
美鈴を見つめていたのを誤魔化すように咲夜は紅茶に口を近づける。
が、猫舌にはまだ熱すぎたのか慌てて口を離す。
「あつつ……」
「可愛いですね、咲夜さんは」
それを美鈴は優しく見つめていた。
◇
他愛のない会話をしていても時間は過ぎる。
二人の紅茶とケーキが無くなった頃、どちらともなく立ち上がる。
「そろそろ出ようかしら」
「そうですね」
財布を出そうとする美鈴を、咲夜は制止する。
「ここは私が払うわよ」
「え、でも……」
「いいの。私に払わせて」
「……わかりました。ありがとうございます」
それでよし。
咲夜はそう言うと、ポケットに手を入れる。一瞬動きが止まると、今度は反対側のポケットに手を入れる。次に胸ポケットを探る。そして、動かなくなる。
不審な動きをする咲夜に美鈴は訊ねる。
「咲夜さん?」
「美鈴。ちょっとお手洗いに行くから待ってもらえる」
「あ、はい。わかりました」
返事を聞くと、早足でトイレに向かう咲夜。その頬には一筋の汗が流れていた。
隠れるようにトイレに入ると咲夜は頭を壁に叩きつける。別に自傷癖があるわけではない。
「財布忘れた……」
いやいやいや。落ち着け落ち着け。まずは全てのポケットを確認するんだ。いれたつもりのポケットとは別の所に入れてあるということはよくある。まずは右ポケット。何も無い。左。埃もない。胸ポケット。空気しか無い。つまり部屋に忘れたのは確定だ。
落ち着け落ち着け。素数を数えるんだ。2,3,5,7,11,13,17,19,23……。自分が出来ることは、そうだ、時間を止めて取りに戻ればいい。ああ、何だ。イージーオペレーション。いわゆる朝飯前だ。
とりあえずの冷静さを取り戻した咲夜は息を吐き、呼吸を整える。
さて、それでは。
「ザ・ワールド!」
時よ止まれッ!
がちゃ。
「あら……あなたは確か……」
ドアの開く音がやけに響いた。
良くわからないポーズをとっていた咲夜のもとに訪れたのは白蓮だった。別の意味で時間が止まった咲夜。白蓮はニコニコと優しく微笑んでいるだけだ。
だらだらと汗は止まらず、時も止まらない。なんでなんでどうして? なんか私が馬鹿みたいじゃない。というかなにそのヒーローの真似をする子供を見るような眼は。居た堪れないからやめて。どうする? 記憶を消す秘孔は……。
パニックを起こしかける頭で原因を考え答えに辿りつく。
「あ……懐中時計」
あれが無いと時間が止められない。おそらく財布と一緒に置いてきてしまった。
つまり、財布を取りに戻ることは不可能……。
「あ、あの。大丈夫ですか……?」
「大丈夫よ。問題ない」
「いえ、とてもそうには……」
突然、頭を壁に打ち付けた咲夜を白蓮は心配そうな目を向ける。
「困ったことがあるならお力になりますが……」
おずおずと申し出る白蓮に、咲夜は胡乱な眼差しを向ける。聖白蓮。
確か、命蓮時の住職でどんな人妖にも別け隔てなく接する、慈愛にあふれる人物だと聞いている。
彼女なら力――というか金――を貸してくれるかもしれない。
「実は……」
咲夜は今までの経緯を説明する。黙ってそれを聞いた白蓮は、頷くと優しく微笑む。
「それはお困りでしょう。僅かな金額ですがお貸します」
そう言って躊躇いなく取り出したのは諭吉先生。あまりの躊躇いなさに咲夜は呆けながら訊ねる。
「えっと……頼っといてなんだけど、こんなにいいんですか?」
「いいんですよ。これはぬえがくれたものです。感謝は彼女にしてください」
諭吉先生を咲夜の手に握らせ、慈愛に満ち溢れた微笑みを見せる白蓮。
なんていい人だ。自分勝手な性格しかいないと思っていた幻想郷にこんな人物がいたとは。
感動に打ち震える咲夜は白蓮に精一杯の感謝を伝えると彼女は照れくさそうに微笑み、またご縁があれば、と言って立ち去った。
「はあ~、なんとかなった……」
咲夜は安堵の息を吐き出し、受け取った諭吉先生を眺める。ヒゲを生やした凛々しいお顔が眩しいです。
……あれ?
ヒゲ? そんなもの先生は生やしていたか。というか、冷静になってみると、紙質も安っぽいし、そもそも0が二つほど多いのだが。
「だ、騙された……?」
あんな聖母みたいな顔でなんてひどい事を……! いやまて、彼女はぬえからもらったと言っていた。宴会で聞いた話だと彼女は人が困るようなことをするのが好きだと聞いた。つまり、白蓮を騙そうとしたが、彼女は素直に受け取って、それに気づかず私に……?
破り捨てたい衝動に駆られたが、思いとどまる。白蓮に悪気はないのだし、これは善意からのものだ。そう白蓮は悪くない……。
なんとか息を整え、冷静さを取り戻す。どうする。何か、何かこの状況を打開するアイテムは……!
「は! そう言えばお嬢様が……!」
咲夜は尻ポケットに仕舞っていたお守りを取り出す。
これは咲夜が出かける際、レミリアがくれたものだ。何故、『安産』と書いてあるのかは謎だが。
いざという時にあけなさい、と言われたのだが、今がまさにその時。おそらく運命を見てこの状況に対する何かを入れておいてくれたのだろう。
ああ、お嬢様……。私はあなたの従者で幸せです……。
すがるような気持ちの咲夜は、ちぎるように封を解き、逸る気持ちを抑え中身を引っ張り出す。
感謝の涙で視界がぼやける。目元をこすり、咲夜はそれを確認する。
それは、水筒替わりにしたり膨らませて遊んだりすることもある避n
「URYYYYYY!」
躊躇いなくバラバラに引き裂きと三度、壁に頭を打ち付ける。
虚脱感に包まれた咲夜は泥のように重いため息を吐き出すと、のろのろとドアに向かう。
もう、どうでもよかった。恥を忍んで美鈴に払ってもらおう。
再度、溜息をつき咲夜はドアを開けた。
◇
「あ、咲夜さんおかえりなさい」
疲れ果てた咲夜を待っていたのは美鈴と、
「おおう、本当にスーツです。クールですね」
興味深そうに咲夜を眺める文だった。
「なんであなたがいるのかしら?」
「ちょっとネタを探すのに疲れたので休憩を。けど、それも終わりです」
「……どうして?」
目を輝かせた文から一歩距離を取る咲夜。次に言うことはなんとなくわかっていたが、一応訊いてみる。
「紅魔館のメイドがスーツを着ているだなんて十分なネタですよ。というわけで」
予想通りのことを言って、カメラを取り出す文。
「撮影は……」
お断りよ、と言いかけ、ふとアイディアを思いつく。これなら、美鈴に払ってもらう必要は無くなり、恥をかく必要もなくなる。写真をばらまかれるのにいい気はしないが。
「いいわ。けど、条件付きね」
◇
「へえ、それがこの新聞?」
レミリアは面白そうに新聞を眺める。そこには、スーツ姿の咲夜が様々なポーズをとった写真が掲載されていた。ご丁寧にキャッチコピー付きだ。
「『あなたの欲しいものは何?』って、カッコいいじゃない咲夜」
笑いを押えきれないレミリアに咲夜はただ苦笑を返すことしか出来なかった。
写真を取らせる代わりに代金を持ってもらう。
それが条件だったのだが、美鈴の前で恥はかかなかったが別のものを失った気がする。
複雑な表情で新聞を読む咲夜に美鈴は無邪気に言う。
「ですね。ちょっと憧れちゃいます」
まあ、いいか。
わが子の成長を喜ぶ母親のような笑顔の美鈴を見て咲夜はそう思った。
スーツ咲夜さんの破壊力は異常
慣れない服ということで財布忘れとの辻褄もすんなりとあっていましたし、いいもの読ませていただきました。
素直に美鈴に甘えて払って貰うのもそれはそれでおいしかったのではw
白蓮いい人すぐる。