そもそも私は覚妖怪ですから、生来から多少の五月蠅さにはそこいらの妖怪より耐性があります。私はこの能力の有効範囲の詳細を存じませんが、大体視覚や聴覚の及ばぬ範囲まで届きますし、壁やら床やらは大した障害になってくれませんので、相当に強度のある受信装置とつらまえております。ですから、大抵どこへ行こうと私の周囲は騒がしいものであり、五月蠅いものなのです。私は無音の空間というものをあまり知りません。本当の本当に独りにならなければ、それは得られないのですから。
私達覚妖怪はむしろ静寂を嫌います。常に騒がしい世界で生きている生き物ですから、静かである事への耐性が殆ど養われない為です。無音は私達の不安を煽り、孤独というものをありありと見せつけてくれます。音がしないというのはすなわち孤独に直結するのです。寂しい種族なのですね。寂しいという言葉程虚しい響きを持つものは無いと思いますよ。言葉にしても何程も伝わらないのです。本当の寂しさは如何なる言語でも描写しきれないのです。私こそそれを知っているのです。本当に、虚しい。
私もそれと同じ寂しい種族でありますから、同じように無音の空間には恐怖します。私がこの屋敷に大量のペットを買う理由が、もうお判り頂けたでしょうな。動物は良くも悪くも単純です。程良く私を愛し、程良く私を嫌ってくれます。それが非常に心地良い。彼らは丁度良い五月蠅さを持っていました。私が孤独を思わない程度に、彼らは私の世界を騒がしくして私を慰めてくれるのです、それが彼らの望みにせよそうでないにせよ。
私の程良く五月蠅い世界には、ひとつの声が足りていません。
私の妹の声が、そこには無いのです。
私はこのような有様ですから、彼女の生き様にはほとほと首をかしげるしかありませんでした。自ら無音の世界に飛び込むなど。自ら孤独を望むなど。
彼女のおぞましさは、実際のところ、覚妖怪でなければ真に理解する事は不可能でしょう。手足を自ら切り落とす、という比喩でもまだ遠い。私達の第三の眼を閉じるという事は、もっと凄まじく、もっと恐ろしい意味を孕んでいるのです。
何故に彼女がその道を選んだのか、私ははっきりとしたところでは全く解していないのです。別に、彼女を非難したい訳でも糾弾したい訳でもありません。
ただ私は、あの子の声がしない事を酷く憂いているだけなのですから。
妹はああ見えて寡黙な子であります。そこは私と血が繋がっているのだなぁ、などととぼんやり考えたり。
家では存外物を言わぬ子なのです。私と仲が宜しくないので口を利きたくない、だなんて込み入った家庭の事情がある訳ではありません。単純に、外での顔と内での顔が違うだけなのです。必要があれば言葉を多く持ちますし、私が話しかければそれ相応に会話を楽しんでくれます。とはいえ、私は彼女より輪をかけて寡黙な
昔はそれで良かったのです。言葉にせずとも、私達はもっと深いところで通じ合う事が出来ました。たとい耳に届く音は無かろうと、彼女が近くにいれば、私の深く柔らかい場所に彼女の声は響いていたのでした。
ところが、どうでしょう。この現状は。
妹は第三の眼を閉じても、その性質やら性格に大した変化は見えませんでした。よく笑顔を見せるようになったくらいで(それは大変に評価したいと私は思うのですが)、寡黙な性質は全く変化ありませんでした。弱ったのは私の方でありました。あの子の声が半分になってしまったではないか。いやいや、単純に考えなくても半分以下も良いところ。これはもう、由々しき事態であります。私が寂しさ倍増ではありませんか。
私のそれからはもういっぱいいっぱいであります。妹に遠回しに(嫌味にならぬよう、そぉうっと)第三の眼を開くよう持ちかけてみたり、ペットを与えてみたり、頑張って会話しようとしたり、いや全く、慣れない努力を続けているのです。
もいちど申し上げますが、私は元より寡黙なのです。その私が妹にどれ程の勇気を持って接しているのかは、この胸を裂いて言葉を割いてわざわざお見せせずとも充分でしょう。
「お姉ちゃんは、あんまり喋ってくれないよね」
遠い昔の話であります。遠い記憶で、妹は私の方を向きもしないでそんな風に嘯いたのでした。私達以外に誰もいませんでした。無音の空間で、ふたりの声だけがひっそりと零れておりました。
まだその頃は心の声も聞こえたでしょう。詳しい事は、残念にも記憶しておりません。ただそこになんとも言えない孤独が見えた事だけは、はっきりと記憶しているのです。私がいたのに、彼女は孤独であるように見えました。私はふたりだったのに、彼女はひとりであるようでした。
「お姉ちゃんの言いたい事も思ってる事も、本当に深いところまで、
大体、こんな事を言われたように思います。私の耳元で、それは時折妹の声を以って幾度となく反響するのです。その意味を、その理由を知り得ない私を責めるように。
「本当に大切なひとは、私じゃ駄目なんだよ。お姉ちゃん」
ねぇ、何を言おうとしているのですか? ねぇ、何を教えようとしているのですか?
ねぇ、ねぇ、ねぇ。
――この世界に、貴方の居場所だけがどこにもないのよ。
妹は、時折何もかもを知ったような口振りで、私の理解が及ばない事を言うのでした。
昔からよく判らない子なのです。ひどく子どもっぽい事を言うかと思えば急に悟ったような事を言い、無邪気に天使の如く微笑んだかと思えば、悪意をばら撒いてせせら笑うような子でした。よく判らない子なのです。
私に唯一胸を張って言える事があるとすれば、あの子は、しかし、悲しいくらい、優しい子なのです。そうして、その優しさがことごとく彼女を傷付けるのでした。
私の未来の為に、自分自身の未来を棄てるような、そんな子だったから。
あの子は本当の意味で寂しい子でした。寂しいという感情は、決して寂しいという言葉などで表せるものではないのです。私こそがそれを知っている。私だけが、それを知っている。
だからこそ私は。あの子を、愛さずにはいられなかったのです。
――なのにどうして、貴方の傍に置いてくれないの?
◆
この世に好きな物はたくさんある。例えば夏に飲むキンキンに冷やしたお茶だとか、姉に買ってもらった帽子だとか、甘ったるいカフェオレ、誰もいない広場、使い終わった後のカイロ、小物がいっぱい入るポーチ、春の野原に生えてる雑草の踏み心地、ピンクのマニキュア、かびたにおいのする廃墟、フリルの可愛いプリーツスカート、秋に食べる出来たての秋刀魚の塩焼き、大きな栗の乗ったモンブラン、ぴかぴかの新しい靴、カラスの抜けた羽根、鶯の鳴き声、野良猫のしっぽ、緩やかな下り坂、曇りの日に降る小雨、笑うと滲む冬の白い吐息、本当にたくさんある。だけどその中で一番を決めるなら、やっぱり
だから私は家族と食べるご飯が一番おいしいと思うし、家族と見る空が一番奇麗だと思うし、家族と話す時間が一番尊いと思うし、家族と過ごす空間が一番愛しいと思う。
私にとって家族とは、少し前まで姉だけを指していた。私は両親の事をよく知らない。姉は知っているらしいし幾らか話を聞いた事があるけど、どれだけ知ってもここにいないという事実が浮き彫りになるだけでどうにもならない。だからやっぱり、私は姉が一番好きだった。今も好きだ。誰より。一番。変な意味じゃなく。
多分姉もそう思ってくれた。私を一番に置いてくれた。私にたくさんの事を教えてくれたし、たくさんの物を与えてくれた。私を生かす為に、小さな身体ひとつで何もかも捧げてくれた。
だからこそ、駄目だと思った。
例えばそこに私がいて、その隣に姉がいて。ふたりがふたりとして世界が完結してしまうなら、それはそれで幸せなのだろう。けれど世の中にはもっと違う幸せがあって、もっと色んな幸せがあって、それはふたりきりでは得られないのだと。私は知っていて、姉は知らなかった。
私は姉が大好きだったから、一番大切だったから、だからこそ一番幸せになって欲しいと思った。そして姉が一番幸せになれる場所は、私の隣じゃない事をなんとなく悟った。
私達は覚妖怪だ。覚は心を読む。覚同士は心を読み合う。鏡合わせのように、永遠に際限なく無制限に、ぶつぎれで煩雑で無秩序な心を交換し合う。
それはとても、怖い事だ。私達はどこまでも判り合える。理解し合える。共有し合える。共生し合える。どこまでも、ひとつになれる。覚以外のあらゆる生き物の云万倍もの情報伝達がなされる。それはもう軽い洗脳と言っても良い。覚同士は自らのすべてを否応なく晒け出し、あぶり出し、溢れ返し、溶け込ませる。ひとつになってしまう。
ひとつになれる事は幸せだろう。なんの疑問も不満も因果も無く、緩やかな幸せに包まれるだろう。
でもそれは、違う気がした。
本当の幸せは、ふたりがふたつである中に、不幸せと悲しみとが混ざり合って、そこから祈るように掬いあげたよっつの掌に、ほんの少し掴み取れた欠片なのではないのかと。ふたりがひとつで、ふたつの掌で掬い上げる破片は、なんだか違う。なんとなく。根拠も無く。理由も無く。そう悟って、そう信じた。
だって、心の読めやしない生き物達は、あんなにも憎み合ってあんなにも苦しめ合ってあんなにも貶め合って、それでもみんな、あんなにも愛し合っているのだから。好きになるのも嫌いになるのも、憎むのも愛するのも、発信地はすべて同じ。瞬く間に移りゆく感情の狭間に、時折零れ落ちるその雫こそが、きっと本当の幸せなのだ。
姉はもっと誰かを嫌いになるべきだった。
姉はもっと誰かを憎むべきだった。
姉はもっと誰かを好きになるべきだった。
姉はもっと誰かを愛するべきだった。
ごくありふれた感情を抱けなくなる程、覚妖怪として生き過ぎた。嫌われる事に憎まれる事に疎んじられる事に慣れ過ぎて、心が麻痺してしまった。感情に押し潰され心に轢き潰され、何がなんだか判らなくなって、ひとつになれる私を愛でた。まるで自分を労わるように、まるで自分を慰めるように、まるで自分を悼むように。そんな風に、私を愛した。
細い細い、ふたりだけの読心術。狭い箱庭で、鏡映しの
それでは、本当の幸せにはなれない。なれないんだ。
「どうして、
それは私がこの瞳を閉じる少し前の記憶。遠い記憶で、姉は私の前でさめざめと泣いていた。私達以外に誰もいない。無音の空間で、ふたりの声だけがひっそりと零れていた。
まだその頃は心の声も聞こえた筈。詳しくは覚えてないけど。ただそこにどうしようもない孤独が見えた事だけは、はっきりと記憶している。私がいたのに、姉はまさに孤独であるように見えたのだ。私はふたりだったのに、姉はひとりだった。そう見えた。
「私達が何をしたと言うのです。心を読む事は罪悪です。しかしこれ程に、これ程罰せられるまでに罪悪だと言うのですか」
その声は痛いくらい私の胸に響いていた。私の耳元で、それは時折姉の声を以って幾度となく反響するのだ。何もかもを知っていながら、姉を覚の絶望に放り投げたまま守られるだけだった私を責めるように。
「こんなに苦しいのなら、覚の瞳なんて、」
ねぇ、何をしようとしているの? ねぇ、何を諦めようとしているの?
ねぇ、ねぇ、ねぇ。
――お姉ちゃんは、幸せにならなきゃいけないんだよ!
姉は、一見強いようでいて、根っこのところでとても脆いひとだった。
昔から心の芯が細くて、この世の辛く苦しいたくさんの事に簡単に負けてしまうひとだった。だからこそ幸せになって欲しかった。弱い癖に強い振りをして、私を守り続けたこのひとは幸せにならねばならないのだ。
辛い事、苦しい事、悲しい事、悔しい事、虚しい事、痛い事、寂しい事。今度は全部、私が引き受けよう。
辛いのは
だからこそ私が。姉を、悲しみから救い上げよう。
――だからどうか、誰かと幸せになるんだよ。
◆
「こいし。さっき帰ってきたと思ったら、また出掛けるんですか」
「行きたいところがいっぱいあるんだよ」
「私を置いて?」
「お姉ちゃん、冗談言えるようになったんだ」
「自虐ネタです。よよよ」
「はは。お姉ちゃんも、外に出れば良いのに」
「ふぅーむ。そうですねぇ……」
「地霊殿に引き籠ってばっかりでさ、かび生えちゃうよ」
「誰がかびくさいですって」
「言ってないよぅ」
「しかし、私が出て行くと皆が引いてしまいますからね」
「そうじゃないところもあるよ」
「だと良いのですが」
「地上とか。地底には無い奇麗なところ、いっぱいあるよ。案内しようか」
「デートの御誘いですね」
「そうだよ。だから行こうよ」
「ふむ。そこまで言うのならしょうがない。たまには外の空気を吸うのも、悪くありませんね」
「うん。それが良いよ」
「外に、出ようよ」
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自分を犠牲に姉に世界所属を願ったこいし
やっぱり貴女のさとこいは最高です
鏡像段階においては、鏡に映った自分の姿にうんぬんかんぬんとか考えつつ、
少女らしい単語の羅列とかにめろめろだ。
シンボリックすぎて、とらえどころがない作品ともいえるが、さとこいだということに想いいたせば、
だからこそ、らしいともいえる感じがする。
余りにもこいしが姉中心主義なもんで、こいしの言葉を鵜呑みにしてるとつい、こいし自身の幸せを見落としてしまいそうになる。
こいしが幸せになれなきゃ、さとりだって幸せになれるもんか。
自分を度外視し過ぎだぜこいし。
そのうえで、自分で幸せにしてみなよ
どうか二人で共に幸せになって欲しい。
今回も良かったです、ありがとう
守るものと守られているもの。
果たして守っているのはどちらなのか、守られているのは誰なのか。
うん、色々と考えさせられました。多謝。
こいしは姉中心で利他的ではあるけれど、その反面極度に自分勝手に見えるという…
作品は面白かったけど腑に落ちない気持ちが付きまといました