「あいつら、みんな、馬鹿だ」
一つ、二つ。
三つの人魂が忌々しげに動いている。
蛍火のように、ぼんやりとした明かりが水面を照らす。
光は青白いのに、川は黒く不透明だった。
川?
そんなものはない。
あるのは可愛げのない岩肌と、包み込む暗闇だけ。
上を見上げればきりがなく、下はやはり底が見えない。どこからか始まって、旧都へと続く巨大な縦穴だ。
今のところ、おむすびを落としてしまったり、ウサギを追いかけて迷い込んできた馬鹿な人間はいない。
あの橋から、転げ落とされたのは自分のほうだった。
「大嫌いだ」
再び、呟く。声は岩壁に反響して輪郭が薄れ、やがて暗闇に吸い込まれ消える。
誰にも聞かれず、答えるもののいない独り言だった。
「誰のこと?」
それに、答える声がある。水橋パルスィは膝の間にうずめていた顔を上げて、音のしたほうを見た。
人魂の一つがこちらを見ていた。否、違う。青白い光をまとっただけの、人形だ。
「……誰?」
だれ、だれ、だれ……。
響く声に、人形は答えない。
「地上の妖怪ね」
地上から、こちらを見下ろして笑っているやつの一人に違いない。
そう思うと人形の細首をへし折ってやりたくなったが、そいつは手の届かないところにいる。
そこまで動くのも面倒だった。
「私の嫌いな、地上の妖怪」
「それはどうも」人形は会釈するような調子で言った。「貴女が嫌いな地上の馬鹿妖怪よ」
「やっぱり」パルスィは俯く。「でも、地上だけじゃなくて、旧都のやつらも馬鹿よ。みんな、嫌いだ」
「それは嫉妬ではなくて?」
人形は面白がっているように言った。
「妬ましいけど」
どうして地上の妖怪相手にこんな話をしているのだろう、と思いながら口を動かす。
「でも、ああはなりたくない」
「なれないから羨ましくて、嫌っているのね」
「そうかもしれない」
楽しそうに笑い合っている奴らを見ると虫唾が走る。
だけどそれは、一緒に笑いたいという心の裏返しでもある。勿論分かっている。
「そもそも、地底に行ったのは霊夢と魔理沙だけなのに、どうして嫌うの?」
「……」
「ねぇ、どうして?」
「高圧的だから」言いながら、嫌気がさす。「排他的っていうのかな」
「初対面なら少なからず誰でもそうよ。今の貴女みたいにね」
「関係ないわ」
「一方的なイメージを押し付ける貴女のほうが排他的だとは思わない?」
「違う、私は知っている」
「知っているつもりなだけよ」
人形は知った風な口をきく。
パルスィが誰に追われてこんなところにいるのかも知らないで。
「具体的に嫌いな人っているの? 集団じゃなくて」
「いるわよ。例えば地霊殿の主」
「どうして?」
「なんだか悲劇ぶってるじゃない。余裕そうな顔は外見だけだっていうアピール? あるじゃない」
「そうなの? 私は、地底のことはあんまり知らないけれど」
「他人の心の声が読める能力のせいで辛いことばかりでした。
昔は迫害されたこの力を憎んだけれど、ここに来てからは幸せです。
動物の心が読めるから。妹は相変わらずだけど、私は前向きに生きています。そんな感じ」
「ふぅん」人形はやや同情気味な声を出した。「素敵じゃない」
パルスィは鼻で笑う。
「馬っ鹿じゃないの」
「どうして?」
「理由は色々あるけどね、全部を語るのは面倒だから。結局は、単に気に食わないだけ」
「それじゃあ分からないわ」
「分からなくていいのよ。妬ましい、それで全てだわ」
「嫉妬が理由だと、自分でも納得できるの? 何に起因しているか、その具体的なものも分からない嫉妬に?」
「誰も自分にとっての全てだとは言ってない。
私は橋姫だから、貴女からすればそれで全てでしょう、って話よ」
「そう」
「地上の妖怪の話も、近頃はよく聞くわ。妬ましい奴ら。贅沢で、脆弱だわ」
「贅沢で、脆弱ねぇ……」
地上の妖怪は首をかしげる。
「やっぱり分からないわ。はっきりして頂戴」
「何で貴女なんかに語らないといけないのよ」
「いいじゃない、どうせ話し相手が欲しかったんでしょ?」
けらけらと彼女は笑う。
腹が立ったけれど、誰かに聞いてもらいたいという気持ちは確かに心の中にあったから、言い返せなかった。
「同じ顔をしてるからよ」
幻想郷は一定だ。常に変化をしている、ということすらも含めて何も変わらない。
新しく来るやつも皆、同じ顔をしている。いや、顔は見たことが無いけれど、聞く限りはそうだ。
地底の妖怪だって、ほとんどは同じ。
幻想郷から追い出されたり、あそこが嫌になって降りてきたはずのものたちが、幻想郷にいるやつらと同じ顔をしている。
どうして分からない?
「つまり……、孤独が嫌なの?」
人形の問いに、首を振った。
「孤独が望ましい。だって皆裏切る」
「橋姫らしい答えねぇ」彼女はくすくす笑った。「なら、裏切られるのが怖いの?」
「違う。心を許すことが怖いのよ」
「同じだわ」
「貴女には、分からない」
パルスィは呟くように言う。
「あいつらの、気持ち悪い笑顔を見てなんとも思わないのなら」
「分からなくはないけどね。でも別に、人間のように媚びへつらっているわけではないから、いいんじゃない」
「同じぐらい性質が悪いわよ。それに、中心にいるのは巫女と魔法使いの人間だわ」
「あぁ……、なるほど」
人形は得心がいったようだった。
「贅沢で、脆弱、ね」
「そういうこと」
パルスィは頷いた。
「貴女は地上にはいないのだから、ほうっておけばいいのに。それでも妬まずにはいられないのね」
「旧都にだって、似たようなのは多いって言ってるじゃない」
「貴女は旧都にもいないわ」
その通りだった。パルスィは縦穴の番人。ここにしかおらず、どこにも行かない。
幻想郷でも旧都でもない、それらを繋ぐ橋にしかいないのだ。
「結局、何がしたいの?」
分からない。
「分からないのなら、教えてあげましょうか」
「別にいい」
知ったところでどうせ、自分にとって望ましい答えではない。
この暗い穴の中で、パルスィは生きるしかない。
「貴女はね、友達が欲しいだけなのよ」
「聞きたくないっていったでしょ」
「妬ましいのは全て、望みが叶わないことの裏返し。貴女は友達が欲しい」
「いらないわよ」
「認めたくないのね」
人形はねめつけるような口調。
「自分からそういう行動をとるのは愚かだと思っているから」
「うるさい、どこかへ行け。聞きたくない」
「私が」
人形は、優しく言った。
「友達になってあげてもいいわ」
「何様よ!」
パルスィはついに立ち上がり、人形に指先を向けた。
「何も分かってない癖に!」
「見下されてると思うのは、やっぱり貴女がそうだからね」
「黙れ!」
黙れ黙れ黙れ黙れ!
パルスィの叫びに呼応して穴全体が叫ぶ。
「皆、大っ嫌いだ!」
指先から弾幕がほとばしる。真っ暗な穴の中に、闇を切り裂いて花が咲く。
青白い炎をまとった綺麗な人形を包み込むように。
緑の綺麗な花が咲く。
地上の妖怪は、とても悲しそうな顔をした。
目を焼くような美しい光景を、パルスィはその瞳で受け止めて。
やがて、何も見えなくなった。
炎も花も、もうない。目が元に戻っても、縦穴は暗いばかりだ。
パルスィの嫌う旧都から、皆の笑い声を含んだ風が昇ってきて、彼女の頬を撫でる。
生暖かく湿ったそれを受けても、
いつものように顔をしかめることもせず、
パルスィは立ち尽くしていた。
あの橋の上に。
いつまでも。
タイトルと、新しい作家さんだからということでこの点を