Coolier - 新生・東方創想話

月の兎

2010/09/23 23:31:30
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  一、

 それはある晩の事でございます。私は、深い竹林(たけばやし)の中を、一人で彷徨い歩いて居りました。どこから来たやも知れません。ただ、逃げる野兎を追って居たところ、つい深追いしてしまったのでございます。
 もう、十分な数は獲って居りました。ですが私は、兎を追わずには居られなかったのでございます。猟師を続けてニ十余年。兎取りの名手とまで呼ばれるようになった私でも、このような失敗は初めての事でございました。
 竹林は暗闇でございました。宵の月さえ見えません。背の高い竹の間から、僅かにその欠片が覗くばかりでございます。霧の様な、靄の様な、妖しい月の輝きでございました。
 そうして、その明りに見入って居りますと、私は、もしや妖に化かされたのでは、という気持ちになりました。歩けど歩けど出口の見えぬこの竹林。何か悪い者に憑けられたのだとすれば、不思議と納得いく様に思われます。されども家に妻子待つ身なれば、いつまでもこうしては居られません。どうにかこうにか、この袋小路より抜け出ようと、必死に歩いて居たのでございます。

 ――少女でございました。十かそこら。或いは、私の娘と同い年でございましょうか。ふと気配に目を遣れば、白い洋服を着た少女が、木々の陰から此方を見つめて居たのでございます。少女の頭の上には、白い兎の耳のような髪飾り。深く黒い、全てを飲み込んでしまいそうな、不思議な瞳をしてございました。
 私は急に、身動き一つ出来なくなりました。少女の不思議な瞳に見つめられ、その黒い丸の中に閉じ込められた私の姿を見つけて、私は、まるで自分がこの世のものでは無くなったかのような、酷く不安定な気持ちに駆られたのでございます。胃がきりきりと痛み、意識は朦朧としてまいります。もしや物の化の類では無かろうか。私がそう訝って居りますと、一時の間の後、少女はまさしく少女の様な、無邪気な笑みを此方に寄越し、背を向けて歩き始めたのでございます。
 ……私は、もう訳が分からなくなりました。その時には既に、私は妖術にでも掛けられた様な気で居ましたから、一歩も動けず、ただぼうっと立ち尽くして居ました。そうして、小さな少女の背を、ひたすら無心で眺めて居たのでございます。
 少女から声がします。こちらに来いと言って居ります。のみならず、少女は私に向き直り、細い指で私の腕の辺りを差しますと、まだ気付いていなかったのか、とカラカラ笑うのです。私は、不審に思いながらも自らの右腕に目を遣りますと、何と私の腕に、大きな切り傷が出来て居たのを発見しました。
 ……私はもう、恥ずかしいやら悔しいやらで、終いには、どうにでもなれと彼女に付いて向かうしか無かったのでございます。
 道すがら教わりました。彼女は「てゐ」という名前のようです。


  二、

 辿り着いたのは、大きなお屋敷でございました。不気味な竹林の暗黒を進みますと、辺りが仄か明るくなって、その向こうに巨大お屋敷が浮かんで居たのでございます。美しいお屋敷です。それはまるで、帝の住まう宮の様に広く清く、浮き世離れしたその様は、古き神々の住まう社の様でもありました。
 ……夢の中に出てくる様な絢爛なお屋敷でございます。それが、私の縄張りであったこの竹林の奥に、人知れず佇んで居たのでございます。
 てゐはそのお屋敷の中へ、まるで物怖じせずに進みました。私は言葉も無く彼女に着いて行きます。てゐが早足に進むものですから、私もそれに倣って、歩みを早めていくのですが、しかし、どうしてか中々追い着く事が出来ません。
 それもそのはず。しばらく歩いて気が付きましたが、この屋敷の廊下、どこまで行っても終わりがないのでございます。延々と、まるで、どこまでもどこまでも続いている様に思われました。私はその廊下を、ただ下を向いて進んだのでございます。

 そうして進むと、ある小さな部屋に辿り着きました。狭い部屋でございます。脇には大小の棚が備え付けられ、中には妖しげな薬品の数々が、所狭しと並んでございます。
 てゐは、近くにあった椅子に私を座らせ、そのまま待つように言って奥に引込みました。私はもう、何が何だか分からない物でありますから、言われた通り椅子に座って、てゐが戻って来るのを待ちました。
 ……しかし、こうして一人で居ると、段々と気味が悪くなってきます。私はこれからどうなってしまうのでしょう。そんな得も知れぬ不安に駆られていたのでございます。
 少しすると、小箱を抱えたてゐが戻ってまいりました。傷を負った右腕を出すように言いますと、その傷口に薬品を数滴垂らし、そのまま包帯を巻き始めます。その仕草から、どうやら手慣れているようにも思えました。ただ、私はというと、有り難いやら不思議やらで、何も申す事が出来ず、そのてゐの姿を、静かに眺めていたのでございます。

 そしててゐは、今度は私を広間の方に招きました。長い廊下を更に行き、金箔の施された引き戸の向こうに案内されますと、そこは、何十人と入れそうな大きな広間になっていました。華やかな広間からは、香ばしい匂いが漂ってきます。
 しかし、机の上に目を遣りますと、私は更に仰天する事になりました。何と、そこには、食べきれない程の御馳走が並べられていたのでございます。色取り取りの山菜や、猪の肉などの料理、今まで見たことも無い様な物ばかりがありました。
 これが噂に聞く宮廷料理なるものか、そう思って居りますと、何時の間にか傍らに寄ったてゐが、私の杯になみなみと酒を注ぎ、飲めよ飲めよと勧めてきます。私が迷うのを見たてゐは、次は自分の杯に溢れるほど注ぎ入れ、そのまま一気に飲み干しました。
 上機嫌になったてゐは更に酒を継ぎ足していきます。その飲みっぷりがあまりにも豪快だったものですから、その熱に当てられた私は、負けじと酒をがぶがぶ飲みました。それから先は大宴会でございます。
 ……楽しい宴でございました。壇上では、てゐによく似た顔の少年少女たちが、舞いを踊り、雅楽を奏で、私はそれ見ながらで酒を飲み、豪華な料理に手を付けました。てゐが、自分が獲ったのだと猪肉の話をしますと、私も負けじと、一日に十羽の兎を獲った時の事などの話をします。楽しい宴に夜は更け、時間が過ぎるのも忘れて、私はこの世の極楽を見た気分でございました。


  三、

 すっかり時間を過ごしてしまいました。もう夜も明けて居る頃かもしれません。誠に楽しい宴、しかし、私には家で待つ者が居ることを思い出したのでございます。このまま帰らぬでは皆も心配しているでしょう。私は、何時までもここに居る訳にはいかぬのでした。
 私がその事をてゐに告げると、彼女はあい分かったと、すぐに私を門の所まで案内してくれました。宴会を盛り上げてくれた少年少女たちも、わざわざ見送りに来ています。他人の家に客人として招かれたことは数あれど、このような仰々な対応は、私は初めてのことでございました。
 そうして、いよいよてゐとの別れとなった時、彼女は私にお守りだと言って首飾りを掛けてくれました。夜の闇で姿こそ見えませんが、幸運のお守りだそうで、帰り道に迷わぬようにとの事でした。すっかり忘れて居ましたが、そもそも私は、道に迷ってここまで来ているのです。何も無いまま外に出ても、また迷うだけ。私はてゐの気遣いに、深い感謝を覚えたのでございます。

 私は竹林を歩きます。深い闇と竹林は人を欺き惑わせて、すでにお屋敷の方角も忘れてしまいました。この様に同じような景色が延々と続きますと、自分が進んでいるのか、または戻っているのか、その境界が非常に曖昧になります。故に常であれば、あまり奥には入り込まないようにして居たのですが、しかし今の私には、恐らくお守りの力なのでございましょう。自分がどこへ向かうべきか、不思議と見える様な気がしていました。
 そうして私は半刻ほど歩き、ついに竹薮の切れ目に会いました。見覚えにある家屋が見えます。ようやく帰って来れたことに安堵を覚えます。しかし、それも束の間。私は、目に映る景色に異変を感じたのでございます。
 妙な事に気が付きました。外がまだ暗いままです。夜が明けて居ないでございます。それどころか、月の位置さえ、最後に見たままと同じ場所にあるのです。私がてゐに招かれて、覚えている限りでも相当な時間を過ごしたと思われます。ですが、それ以外、屋敷の外側では、全く時間が過ぎて居なかったのです。
 ……ふと、首から下げたお守りを見てみます。ゆっくりと月の光にお守りを重ねてみます。それは、動物のお守りでございました。私はそれをよく知って居ります。よくよく見慣れたものでございました。それ故に、驚きを隠せなかったのでございます。

 てゐが私にくれたもの。それは――、『兎の足』でございました。

 そう。私が今まで首にぶら提げていた物、それは兎のお守りだったのでございます。今まで散々糧にしてきた兎に、今宵、私は守られたのでございました。
 私はようやく得心がいきます。あの黒髪の少女は、てゐは、おそらく兎の神様だったのでございましょう。もしかして、はじめは私を喰らう積りだったのかも知れません。しかし神は、私の傷を癒し、英気を養い、邪悪から守って下さったのです。――いいえ。それだけではありません。私はずっとずっと以前から、神に生かされていたのございます。兎の神様は、大いなる御心を持って、ずっと私を見守って居て下さったのでございました。
 恐らく、私は二度とてゐに会う事は出来ないのでしょう。たった一度の神様の気紛れ。神と人との、一夜限りの夢の出来事。それでも構わない様に思いました。何故なら、宵には必ず月が昇ります。この月が在る限り、私が忘れる事はありません。そう思われました。

 ……いつの間にか、私は月に向かって手を合わせていました。大いなる自然の恵みと、その慈悲に。私はただひれ伏して、感謝の祈りを奉げたのです。月はそんな私を見下ろして、優しく微笑んで居られました。そしてそれは、てゐが笑っている姿にも見えたのでございます。




読了有難うございました。
聞いた話によると月には兎が居るそうです。

※ 前回、読みにくいとのコメを多数頂いたので、
BBSにて相談してHTMLタグなるものを使用しています。
みすゞ
http://
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コメント



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3.80削除
こんな風に幸せ兎としての噂は広まったんですかねー
4.70山の賢者削除
浦島太郎の逆みたいな感じかな?
HTMLタグってどんなの使ってます?
自分は単純にフォント変更だけなんですけど。
10.無評価みすゞ削除
皆様コメント有難うございます。
3>あ様。そうかもしれません。今回は、そんな民話っぽい感じで書きました。
4>山の賢者様。おじいさんにされずに良かったですね(笑)
使っているHTMLタグは、改行幅の指定と、行間の高さ指定です。
改行までを短くしてあまり視線を動かさなくて済むようにと、詰まり過ぎを解消して文字が見やすいようにというのを考えました。少しは見やすくなっていれば幸いです。