座るパチュリーはここぞとばかり、数冊の薄っぺらい本をテーブルの上へまき散らした。
そうして得意げに話しだしたのだ。
「これら外の世界から流れ着いてきた本によると、おねしょによってシーツに世界地図が描かれる奇跡が起こるらしいわ」
なぜ図書館に呼び出されたのか分かっていない魔理沙は、その酔狂な言葉をきくと顔をしかめた。そうして猫背の丸みをさらにたわませた。
一方で真っ直ぐな咲夜は平気を装ったが、やはり裏では失笑のひと吹きをこらえていた。
「おいおい待てよ。こんな本があてになるのか。…………ほら、ほら」
魔理沙は一冊を手にとるとぶつぶつ言い、ざっくばらんにページを眺めていった。
そして、
「絵ばっかりだぜ。どうみたって楽しむために作られたもんだ。空想。これを試すなんてバカげているぜ」
まっとうな意見にあたえられた反論も、またまっとうのように聞こえた。
「バカはあなたよ。外の世界の常識が、私たちとまったく同じだとは限らないわ。おねしょで地図を描き表す人間がいる世界を、あなたはぜんたい何を証拠に否定するの。もしかしたら私たちのおねしょで幻想郷を映し出せるかもしれないのよ」
「ちくしょうっ。だから私にこの薬をもってこさせたんだな」
魔理沙がテーブルへ投げ出したものは、蜜柑色の液が、試験管のように細い容器へ詰まったもので、真っ白いキャップが目立つ。
日常では決して見ないであろう容器と薬と呼ばれる液は、誰のものだったかすぐに見当がついた。
「永琳に高い金やったんだ、もちろんお前らが払ってくれるよな」
魔理沙は憤りから妙に輝いた目で二人を見回した。
お前らという言葉にふいをつかれた咲夜は、いやですわとぼやきながらも金の勘定をめぐらせはじめた。
魔理沙へよこす余分はあったかしらと、つけている帳簿の数字を思い出す。
テーブルの微妙な傾斜につられてころがった薬は、同じくテーブルにあった用途の分からぬ丸い塊にひっかかったところを、パチュリーがすくいとった。
「利尿剤ね」
「そうだよ。お前に言われたとおり、利尿剤をもってきてやったんだ。それにしたって、あいつはとんだ医者だ、足元みやがって」
魔理沙はやたらと自分の財布が日照っていることを強調してくる。
どうやら積極的に紅魔館側へ金をせびるつもりのようだ。
「コップ一杯ぶんほどの水に数滴おとすだけでよい。だ、そうだ」
「へえ」
「数滴でいいんなら、なにも試験管いっぱいにして渡さなくてもいいのに。詐欺もいいところだぜ」
いちいち魔理沙と咲夜の目線がまじる。
「魔理沙、口をあけて」
いささか唐突だったパチュリーの要求に、魔理沙は疑いをもつ一歩手前、反射的に言葉に従ってしまった。
赤身をむきだした洞穴へ、パチュリーはためらいもなく指をさした、かと思えば、いつの間にかキャップの切られていた容器から水竜のうねりである。
水鉄砲は魔理沙の喉奥を水浸しにした。
彼女は慌てて吐き出そうとするも、深く侵入していた。むせて咳きこむばかりでほとんど飲んでしまったに違いない。
容器の薬は半分ほど失われていた。
落ち着いた魔理沙は、咳きこんだせいで血の昂ぶる頬でありながら、とても青ざめた面をしていた。
「わっ、ば、バカっ。飲んじゃったじゃないか」
「咲夜、シーツはもってきたの」
両手を払った咲夜の手元から、純白のシーツがたなびいた。
テーブルが前に置かれていることもあって、テーブルクロスを引いたような格好になる。
来るまえにパチュリーから催促されていたシーツだ。
もう一つ、血の気を引かせた魔理沙である。
彼女だけがわなないており、パチュリーは紫に艷めく髪をなんの気なしに背中へ回す。
皺にならない程度にシーツを握っていた咲夜は、どうせ次にはこれは綺麗でいられないだろうと思い、握る力を加減しなくなった。
「ちくしょう、帰ってやる」
言うが早いか飛び立った魔理沙を放っておく者はいなかった。
パチュリーの極めて細やかな流し目をうけとった咲夜は、やはり予め持ってこいと言われていた縄を取り出しつつ時間を止めた。
糸で吊るされる人形のように空中で固まってしまった魔理沙は腰へ手を回され、あとは運ばれる荷物と同じだ。
服越しにも伝わるお腹のやわらかさに咲夜はときめいた。
触ってみるとぞんがい身体の線は太く、着痩せする人なのかもしれない。
魔理沙を地べたへ戻したあと、咲夜はどこで教わったのか、構えた縄であれよあれよと緊縛していった。
膝は折られ後ろ手にさせられて、結び目はやわらかく、服はしぼられていく。おそらく内側の身体も。
そして彼女の下へシーツを広げた。
それを本人はまだ知らない。
花瓶の調整にちかい要領で魔理沙はパチュリーと対面にさせられると、そこで時間は動き出した。
飛んでいたときの感覚が残っていたのか、時間の稼働と同時に、魔理沙はつんのめって額をゆかに打ちつけた。
くぐもった声をもらしてその場で芋虫になっているところを咲夜が起こした。
咲夜にちょっと罪悪感を抱かせたのは、魔理沙は額のみならず鼻頭まで赤くさせて、瞳がこぼれそうに潤んでいたことだった。
「鼻血がでた」
「うそ、出ていませんよ」
「血の味がする。ぜったい鼻血だぜ」
縛られているよりも、鼻孔に傷がついているかどうかが彼女を不安にさせているようだ。
「魔理沙に縄は合わないわね」
パチュリーは不恰好な魔理沙を一瞥したっきり、興味を本へとうつした。テーブルにちらかっているものとは大違いの目が回りそうに厚い本だ。
あとはゆっくりと魔理沙の恥辱的な我慢がこと切れるのを待つばかりだった。
途中、着衣のままでいいのかしらと咲夜は思い、事の発端である鮮やか表紙の本を二三めくってみたが、着ていようが裸だろうが影響はないだろうと踏んだ。
咲夜は適当な椅子に腰かけて、終始魔理沙の話相手となった。
はじめは鼻血が出てやしないかとまとわりつく蚊のようにしつこかった。ややすると縄の苦しさに息がつまってしかたがないと文句を垂れだす。ゆるいはずだと返せば嘘だと食いかかる。
咲夜は適当に受け答えしていた。
キノコの話題にさしかかったところで、さすがに咲夜はおかしく感じた。
おしゃべりな魔理沙の変哲のなさは、そこに我慢の気苦労が一切見当たらなかった。
「あなた、尿意はある」
「ないなあ」と他人事のようにつぶやいた。
そのあと再びしゃべりだし、唇の渇くことも知らずに大したことのない話を続けていった。
何十分も経ったときパチュリーがようやく本をおろして、魔理沙へ近寄ると責めた目で見下ろした。
「おかしいわ。だいたい薬っていうのは一時間もしないうちに、効果を発揮するはずよ」
咲夜はその言葉につられて懐中時計を取り出した。パチュリーに呼ばれた頃から見積もると長針は盤の上を半分も過ぎていた。
パチュリーはまず小細工をしたかどうか詰問し、不満足な返答をされると薬自体を怪しみだした。
「ほんとうに永琳から買った薬なの」
「聞きにいけばいい」
「ほんとうに利尿剤なの」
「聞き違いはしてないぜ。たしかに利尿剤だって渡された」
もう一時間ほど待ちますか、と、咲夜は懐中時計を見ながら言った。
しかしパチュリーは名残惜しそうに断ると小さな肩をおとして本棚の角へ消えていった。
こうなると、いつまでも魔理沙を緊縛しているわけにはいかない。
縛りは浅いはずだが縄酔いされると厄介だ。そうなると気分が悪いといって紅茶くらいはせびってきそうだった。
彼女の表情が包み隠さない不満色であるのをたしかめて、咲夜は縄に手をかけた。
解いている間、尿意があるかないかという言葉が交わされた。
魔理沙がはっきり自由になったあともしつこかった。
「尿意はありませんね。嘘ではないのですね」
「そんなに疑うのなら、お前がのんでみればいいじゃない」
魔理沙が指をさした先、テーブルの上に中身をまだ半分ほど残す容器がある。
数滴でよいとされた薬を、魔理沙は手にすくえる量も飲みこんでしまった。にも関わらずけろっとしているのは、薬が欠陥であったか魔理沙があがいたのか、どちらにしても沙汰がない。
容器を懐に収めた咲夜のもとへ、魔理沙がためらいなく右手を突き出した。
労働をおぼえていない細くなめらかな指はパチュリーと似ている。
咲夜、代金を求められることは予想していたので、目前の手を下げさせて数日後にこいと言い渡した。
いますぐよこせと睨まれても涼しいもので、都合が合わないとかお嬢様が牙を剥くとか理由をつけて退散させた。
薬は咲夜へ回収されたあと懐のなかで衣擦れにまみれつつ厨房まで連れ去さられていった。
蜜柑からしぼりとったような薄橙の液体を見つめる咲夜には、ちょっとした悪戯心に跳ねる嬉しさが覗く。
お湯を沸かしているあいだにティーセットを用意した。
数十種類もあるカットガラス柄茶缶の中から特に香りがつよいものを選んだ。
薬はまちがいなく無味無臭であったが彼女は用心していた。
沸いたお湯へ容器を傾けて多めに混ぜ入れた。
人に効かぬ薬は吸血鬼にも同様かしら。咲夜は本当に些細な思いつきをわくわくしながら試していた。
これでレミリアがトイレへ駆けこんだとしたら、いたわったふりをしながら内心の笑いを止められないだろう。
咲夜が寝室にむかうと、ベッドに身体を投げ打ったレミリアの眠たげな眼につかまった。左手を枕にしながら幼い姿を毛布に絡ませて夢心地に吐息をはく。
「いまは何も口にしたくないの」
寝起きの声をしている。
「いいのですか、爽やかになれますよ」
ベッドへ頭をうずめていらないと言い張るレミリアをよそに、咲夜は薬いりの紅茶を当たり前のように淹れた。
琥珀色のそれが注がれていく音につられたのか、レミリアは背伸びをしながらベッドから下りた。
背丈のあっていない椅子へレミリアが座ったところで咲夜が紅茶を差し出した。
レミリアは一口一口、大事そうに間をおいて飲み干していった。
咲夜のすすめるおかわりを断った彼女は、散歩してくると言って寝室を出た。
ここからが見物と決め、バケツに雑巾をかけて箒を担いだ咲夜は、掃除にてんてこ舞いの振りをしながら館内を歩きまわるレミリアの尻を追った。
普段ならこれが彼女の散歩である。
ところが今日はあてが違った。彼女が日傘をもって玄関ホールに向かいはじめたところで、咲夜はしまったと悔やんだ。
しかし誰が、この暖かな陽気のもとへ出てくれるなといじわるを言えようか。日向へ遠ざかっていく主人の背中を止める者はいなかった。
咲夜にとって薬の効果を確認できないことには後ろ髪を引かれるが、あの主人が散歩の途中で思いもよらなかった尿意に立ちすくみ右往左往とするのは、想像するだけでも顔がゆるんだ。
他愛のない妄想だった。
数十分もたった頃には咲夜は薬を忘れて、ティーセットを厨房へ片付けにいった。
いってみると妖精たちがわやくちゃになっていた。
厨房で遊ぶなとは常日頃から子供を叱るように言っている咲夜だが、今も母親のような大喝を放った。
対して妖精たちは、なんでも彼女らのあいだに「みんなで料理をつくろう」という流れが起こっているらしい。
流し台はジャガイモの土色の皮がびっしりと張りついており、そこにティーセットを下ろすのはためらわれた。
「シチューをつくるんです」
妖精の一人が言った。芋がこんなに必要かと咲夜は聞いた。
「人間の里でもらってきました。できすぎちゃったんだって」
「まだ一カゴ分あるよね」
そう言って厨房の隅に置かれたカゴをさす妖精は、その指に布をまいていた。
よく見渡すとそういった妖精が何人かいる。
あきれた咲夜は包丁を握っている妖精から手つきのつたない者を追い払い、彼女らにかわり包丁を扱い出した。
いくら無能な妖精たちでも、蟻のように数がいれば一人は二人料理の知恵をもっており、立ちまわっているのは数人だけ、他は外野だった。
騒がしい厨房は咲夜の怒号も掻き消して、さらに妖精たちを集めて五月蝿さを盛り上げていく。
祭りのような騒がしさに埋もれず、芋ばかり浮かぶシチューはしだいに完成へと近づいていった。
終わってみれば数人の妖精と咲夜だけが、汗ばんだ肌に手ぬぐいを這わせていた。
まだ陽は高く、咲夜にしてみれば二三時間前に昼食を終えていたのだから、シチューを歓迎することはできない。
ただ作ってしまったものは仕方がない。
妖精たちへ皿を持たせて食堂へ集合させた。咲夜も小皿を取り出した。
シチューの淀む二つの巨大な寸胴鍋を食堂まで運ぶと、配給を使命して、使命された彼女らは一様に眉をひそめた。
大食事会が開かれた。
すると、廊下まで響く妖精たちの談笑につられたようにレミリアが帰ってきた。
「外が寒くなってきたの。へえ、シチューじゃない」
彼女も皿をとると、妖精をけちらしけちらし鍋のもとへ駆け寄って、間もなく談笑にも混じりこんだ。
咲夜は何気なく催したかどうかを訪ねたが食事中だと叱られる。
なかったのだな、と思った。
紅魔館中の笑い声がここに集まったさわがしさ、それをくぐっていく咲夜は日頃しっかりしている妖精を捕まえて事後の片付けを命令した。
鍋が空になってからは食堂の熱は徐々に冷めていき、なおもかたまり続ける団子がいくらか、ここが締め時と感じた咲夜がお開きの合図をすればぞろっと動き出した。
残された食器を、咲夜と数人の妖精が手分けして流し台まで運んだ。
そうして、汚れた皿をさばいている咲夜のもとへ妖精が、これはどこにしまっておけばいいでしょうかと聞いてきた。
咲夜は振り向いて、妖精の手にあるものにぎょっとした。
すっかり空になってこそいるがこの細長い容器を見間違いはしない。どこにあったのかと聞くとヤカンの傍らに。既に洗ってしまったという。妖精が見つけたときには中身はなかった。
咲夜はたしかに驚いたが、ぴくりともしない顔で匙を収めている棚へ入れておけと言った。
紛いなりにも薬と銘打たれたものを忘れていたことは過失ではないか。
まだ半分もあったはずの中身の行方を、流しに捨てられたのかと思い、シチューに混入したかもしれないと危ぶみもした。
どちらにしろ一人として不調を訴える者がいないので、薬自体が眉唾に思われてきた咲夜だった。
それよりもメイド長としての立ち回り、忙しさがしだいに薬の存在を押しやって記憶の溝になっていく。
パチュリーに構っていた分放っておいた仕事は夕方から彼女を拘束しはじめた。
咲夜も、恐らくパチュリーも忘れていた頃になる。
食事会から二日目の朝に、館内の掃除に走りまわる咲夜を追い越す妖精が何人かいた。
まだ肌寒い時分に駆けまわる元気は見習いたいと、彼女らの羽を見送っていくと、みんな行き先が同じようだった。
疑問してついていった咲夜はやがて長蛇の列にでくわした。
口を揃えて飛び出す「はやくして」、「漏れる」、「でちゃう」といった言葉を聞き、咲夜は早くも彼女らの求めるものを理解した。
トイレの入り口は上下左右から群がる妖精のせいで土砂崩れのようだった。
咲夜は嘆息も出ず、ただ一喝をみまった。
「ここばかりに集まらず他のトイレに寄りなさい。二階三階にもあるでしょう。そこがダメなら図書館のトイレも使って構いません。パチュリー様に迷惑をかけぬように」
最後の言葉を耳にした者はいなかったと思う、けたましい靴音がかき消したからだ。
そこで列からはぐれて壁際に力なく座りこむ一人がいた。
彼女は瞳にいっぱいの涙をためぎこちない笑みを浮かべながら咲夜へ振り向いた。
その表情とスカート越しからでも分かる極端な内股に、すぐに気づいた咲夜の対応は早かった。
どこからともなく取り出した雑巾と替えのドロワーズ、他の妖精に彼女の後始末を任せて廊下を飛んだ。
咲夜は紅魔館にあるトイレの全てを急遽見まわるハメになった。
そしてどこかのトイレの付近では、必ずさっきのように下腹をはちきれさせた妖精がいた。
一段落つけた咲夜が向かったのはレミリアがいる寝室である。
いつもはまだ目を開けていないはずの主人だが、どうも灰神楽が立った騒ぎだ、起こされていないとも限らない。
咲夜は時間を止めて寝室へ立ち寄ったところ、下半身に何も身につけていないレミリアが難しげに口をへの字、ベッドを見つめていた。
「お嬢様、あなたまで」とたまらず口がすべってしまった咲夜であるが、聞こえてはいない。
時間が動き出すと、咲夜がいつの間にか部屋にいたものだからレミリアは退いた。主人にはあえて一瞥もやらない咲夜は黙々とシーツをはぎとっていくと、人知れず自室へ持ち去った。
この様子だと、各寝室でパチュリーが言ったところの「地図」が描かれているのは明白で、咲夜は立ち止まるのを許されなかった。
案の定、洗濯場はシーツに埋もれてしまった。
二日前の薬が今更効きだしてきたとは、頭によぎりこそしたが肯定できない。二日もあれば摂取された薬はとっくに外に排出されているはずだ。
咲夜は少し休憩をとったあとトイレへ寄ったが、行列の朝方から変わっていないことを不思議に思った。
「あなたたち、まだいるの」
「だって我慢できないんですよ」
ここに並ぶ妖精たちは朝からずっと尿意に締め付けられているらしい。
いや妖精だけではない。
トイレで誰かが暴れているという話だから向かってみた咲夜は、個室のドアに乱暴をしているレミリアを見た。
このときばかりはなんて情けのない人だろうか、と嘆息した。
「あっ、あっ、開けなさいっ」
「まだとまっていないのに出られるわけないじゃないですか」
「黙れッ、紅魔館の当主は私よ。便座をゆずらないとヒドイ目にあうわよ」
「なんで私ばっかりをせかすんですか」
「とっとと開けなさいよおおおおおおお」
咲夜が肩越しに別のトイレを勧めるともう耐えられないといって泣きじゃり、太鼓を叩くように両手でめいいっぱい扉を殴りだした。
「いやあ――――あああ一日に二回も漏らすなんてえええええ」
その叫びに居た堪れなくなったのか、奥の扉が申し訳なさそうにゆっくりと開いた。
レミリアはすかさず飛びこむと前にいた妖精を掻き出した。
この場を離れた咲夜は図書館へいった。
図書館にいつもなら決して訪れないはずの妖精がちらほらといる。
もちろん彼女たちが目的ではない。
咲夜がパチュリーを見つけたとき、彼女は、小悪魔を真っさらなシーツの上に座らせて縛りつけていた。いつぞやの魔理沙とおなじ図をしている。
一つだけ違うところが、小悪魔の下からシーツに広がる黄色いシミで、バツの悪そうな彼女。
「でかしたわ、咲夜」
一言目に褒められたので、咲夜は不意を突かれた気分だった。
「この子、朝から用が早くって辛そうで。だから地図のために身体をなげうってもらったわ」
「いや、ですが、あのお薬は効かないはずでは」
「そこなんだけど、私はこう思うの」
股下を濡らしたままの小悪魔の前で会話をする二人だ。
「ふつうの薬は服用後、三十分から一時間ほどで効きはじめる、はず。体内に取りこまれる時間ね。本に書いてあった。けれどこの利尿剤はその例に漏れて、体内に取りこまれたあと滞在し続け、二日後に効きだす。なんて、どう」
「申し訳ないですが、答えかねます」
「聞けば、おとといシチュー大会があったそうじゃない。利尿剤は貴方がもっていったんでしょう。なに、入れたのは私じゃない? 知らないわ。それにしても、偏屈な利尿剤だと思わない、だって数日後にやっと働きだすなんて誰が盛ったか分からなくなる。あ、それが狙いなのかしら。あの女医も芸達者なもので」
咲夜は小悪魔をほどいて下着を取り替えてやった。
その最中、パチュリーは敷いたシーツを見てうかれていた。
「ほら、地図といっしょだわ」
咲夜はしおれた紙束をつきつけられたが、シーツと比べてみてもどことなく似ているに過ぎなかった。
だがパチュリーは瓜二つの幻想郷図をそこに見つけたのだろう。
紅魔館にもどってみると、相変わらず人気のあるトイレだった。
ふと、咲夜は気づいた。
トイレに食い入る集団をよそに、彼女たちを心配そうに眺めつつも通りすぎていく妖精がいるのを。
紅魔館のほぼ全ての妖精がシチューを口にしたと、咲夜は記憶している。いや、咲夜もほんの少し味わった。
薬が効かない人もいるのかしら、と、思った。
陽が落ちてからは行列もなくなったが、トイレ個室の扉はどこも閉まりきっていた。
咲夜がずっと探しているレミリアもまた個室から出られない、重度の尿意に苛まれている一人だった。
親指を噛みながら、この異変を引き起こした犯人を呪っていた。
恐らく、誰よりも憎い気持ちを隠さなかった。
翌日になる。
やっと空が白みはじめかという頃に、小用に急き立てられて目覚めた咲夜が静かな廊下を走りぬいた。
長めの水音を聞きながら、危うくベッドを汚しそうになったこと、トイレの清掃をしたほうがいいこと、などを考えた。
終わってから、咲夜は残尿感を気にしながらも朝の支度を再開した。
やっと妖精たちの欠伸が聞こえだしてくると一層休んではいられなくなるが、そこには再びトイレへ駆けこむ彼女がいた。
お腹の奥に拭いきれない気持ち悪さがあった。
咲夜は利尿剤を思い出したが、その効き目が他より一日遅れでやってくるなんてありえるのだろうか。
しかしいつまで経っても留まり続ける残尿感に、しだいに重みの増すからだ、用を足しにいく感覚は短くなっていく。利尿剤を疑う余地はなかった。
列こそないが今日もトイレは満室になっている。
咲夜と同じ一日遅れで薬が効きはじめた妖精たちがいる。
彼女は仕事をしながら、くると感じれば時間を止めてトイレの空室を探しにいって、それはとても手間がかかった。
そうやって追いこまれているところを憮然としたレミリアに呼び出された。
「犯人を見つける」
「と、仰りますと」
「バカね、昨日は紅魔館中の妖精がとめどないおしっこに苦しんでいたのよ。これが偶然だとは言わせない。誰かが紅魔館を落とし入れようとしている。……見たところ、今日も苦しそうな妖精がいるじゃない」
犯人というと、シチューに薬を混ぜた者になるのだろうか。けれどその薬をもってきて置き忘れてしまった者は誰でもない、咲夜だ。もっと言うと魔理沙、パチュリーが原因には違いないが、やはり決定的な一押しをやってしまったのは咲夜になるだろう。
レミリアだって、ただの妖精をいじめるよりは咲夜をいじめたいのだから、咲夜は利尿剤を持ち出したことがバレるわけにはいかなかった。
そばで立ち聞きしていた妖精たちがほのめかした。
大量の芋が事件を引き起こしたのだと言うが、レミリアは無視だった。
彼女が意気揚々と犯人探しを掲げたので、咲夜は話を聞いてきますと理由をつけてパチュリーのもとへ向かった。
もちろん、この間にも何度かトイレに寄っている。
図書館にいってみるとパチュリーが小悪魔へ鉛色で拳大の玉を渡していた。小悪魔はその玉を抱えて飛んでいった。
咲夜はその光景に興味をうけながらも、パチュリーへ利尿剤の件を伏してもらうことを優先した。
あっけなくうなづいてもらった。
咲夜は落ち着きがなくなっていた。パチュリーはそれを見て察してくれたらしく、一枚の紙を渡してきた。
「それを身体に貼っておきなさい。尿意が静まって安らぐわよ」
従うと言われた通りになったので、咲夜はひとしおの感謝をした。
図書館を離れる途中にすれちがった小悪魔が、さびしそうな表情をしているのが咲夜にはこびりついて離れなかった。
レミリアのもとへ戻ってみると早くも進展をみせていた。
妖精の一人が、見慣れない容器があって中の液体をシチューに入れてしまったと名乗りでた。
容器は細長い試験管のようなもので、液体はオレンジ色をしていたと言う。
その話が出たと思えば、別の妖精が容器の居所を知っていると言って、厨房にある食器棚の匙を収めている戸棚を指した。
そして今、レミリアの手元には容器が光っており、目の前にしょぼくれた妖精がいた。
「どうして得体のしれないものをシチューに入れたの」
「なんとなく、です」
「これはどこにあったの」
「あっ、厨房にありました。テーブルの上にありました」
レミリアが咲夜を呼んだ。咲夜は少し身をすくませた。
「どう思う」
「私が聞いた話では有益なものはありませんでした。妥当なところで、三妖精の仕業と考えるべきではないかと。芋だって、真犯人かもしれません」
レミリアの眉がますます釣り上がって、三妖精でも芋でもいいから連れてこいと火を吐くばかりに怒鳴る。疑わしきはみんな罰しろの勢いだった。
誰かが吊るし上げられさえすればレミリアの機嫌もよくなるだろうと、咲夜は冷や汗を拭きつつも期待していた。
そうしたなかでやってきた来客は咲夜を震え上がらせた。
やってきた魔理沙は牙を剥きそうなレミリアと、彼女に寄り添う咲夜を睥睨した。
「咲夜、金はあるのか。金、薬のヤツ」
その言葉を聞いて、レミリアの鋭い目が魔理沙から咲夜へうつった。
薬という単語が現れただけで咲夜の立場は綱渡りになってしまった。とっさに魔理沙を野放しにしてはおけないと感じた彼女はこう口走った。
「ああ、思い出しましたお嬢様。魔理沙がパチュリー様へ妙なお薬を買えと迫っていたことを」
ありもしない話をされて魔理沙が唖然となったのをいいことに、咲夜は畳み掛けた。
「パチュリー様が断ると、この節操のない魔法使い、お次は私へ勧めてきたんです。そう、すべて思い出しました。たしか貴方がもってきた薬はオレンジの液が溜まった試験管のような硝子ビンでしたっけ」
「う、嘘つくんじゃないっ」
「パチュリー様に伺えば分かることですわ」
疑いの矛先は一転して魔理沙へむけられた。事情を知らないレミリアと妖精たちからすれば、度々本を借用しにくる信用ない魔理沙よりは、咲夜が支持されたわけだ。
魔理沙が、突き刺す視線にたじろいでしまっている姿に、咲夜はほくそ笑んだ。
ところが、
「そこまでよ」
と、飛来してくる人影があり。
舞い降りたパチュリーと小悪魔を人々はどのような目で見たのだろうか。
恐らく、魔理沙を除く全ての者が、先に述べられた事実を裏付けてくれるのだと思ったことだろう。
しかし違った。
「咲夜の大言壮語には呆れずにいられないわね。百聞は一見にしかず、これを見なさい」
そうして小悪魔が宙へ投げたものに咲夜は見覚えがある、彼女がパチュリーから受け取っていた鉛玉ではないか。
主人の手を離れた玉は放物線を描いてそのてっぺんで止まった。
にわかに輝きだすと、もっとも近くのカーテンへ映像を投影しだした。
素晴らしき魔法の力によって咲夜とパチュリーが交わした密談が画と音によって再現されていくのには、咲夜も言葉が出なかった。
しかも明らかに咲夜が不利になるように、それでいてパチュリーへの非を感じさせぬように周到な編集が加わっている。
咲夜は逃げ出そうとしたが、なぜか身体が言う事を聞かない。
その場で釘付けになっていた。
「咲夜、貴方に渡した紙は尿意をおさえるだけじゃないのよ。私が命令すれば、今のように身体の自由を奪うんだから」
かろうじて動いた眼球が、ゆっくりと魔理沙のほうへ歩くパチュリーを追った。
咲夜は騙されたのだ。何もできないままの彼女を急激に尿意が襲いはじめた。抑えられていた分が自由にもがきはじめたのだ。
パチュリーが魔理沙の肩をさすった。二人は微笑みあった。
「あ、ありがとう」
「礼をいわれることはしていないわ」
何もかも解決したかに思われたが、またたく間に魔理沙が硬直しだす。
おもむろに袖から手をしのばせて、抵抗のできない彼女の素肌にパチュリーが指で舐めまわした。
抜きとった手には御札のようなものがひらついた。
「これでおしっこを我慢していたのね」と囁かれたところで、魔理沙は舌も回らない。
まるで人形になってしまった、猫背の魔理沙と真っ直ぐな咲夜を、小悪魔が物を扱うように雑に持ち上げ、敷いたシーツの上に移動させた。
咲夜はもう、これからどんな目に合うのか分かってしまった。魔理沙と目を合わせたが、もちろん何もできやしない。
咲夜の耳元へ唇をよせてきたパチュリーの声色はそっけない。
「せっかくだから教えてあげる。小悪魔のおもらしだけでは不足だったから、貴方たちにも手伝ってもらうのよ。被験者は一人でも多いほうがいいでしょう。よりよい地図制作のために」
ワケの分かっていない外野に対するパチュリーの言い分はこうだった。
「咲夜の大法螺は尋常にあらず。実際は魔理沙とグルになって私へ利尿剤なるものを押しつけにきたの。それもこれも皆がおねしょやお漏らしをして震えているところを見たいから。なんて屈折した理由でしょうね。だからここで罰をうけてもらおうじゃない」
咲夜はそろそろ限界を迎えるところだった。
そうして得意げに話しだしたのだ。
「これら外の世界から流れ着いてきた本によると、おねしょによってシーツに世界地図が描かれる奇跡が起こるらしいわ」
なぜ図書館に呼び出されたのか分かっていない魔理沙は、その酔狂な言葉をきくと顔をしかめた。そうして猫背の丸みをさらにたわませた。
一方で真っ直ぐな咲夜は平気を装ったが、やはり裏では失笑のひと吹きをこらえていた。
「おいおい待てよ。こんな本があてになるのか。…………ほら、ほら」
魔理沙は一冊を手にとるとぶつぶつ言い、ざっくばらんにページを眺めていった。
そして、
「絵ばっかりだぜ。どうみたって楽しむために作られたもんだ。空想。これを試すなんてバカげているぜ」
まっとうな意見にあたえられた反論も、またまっとうのように聞こえた。
「バカはあなたよ。外の世界の常識が、私たちとまったく同じだとは限らないわ。おねしょで地図を描き表す人間がいる世界を、あなたはぜんたい何を証拠に否定するの。もしかしたら私たちのおねしょで幻想郷を映し出せるかもしれないのよ」
「ちくしょうっ。だから私にこの薬をもってこさせたんだな」
魔理沙がテーブルへ投げ出したものは、蜜柑色の液が、試験管のように細い容器へ詰まったもので、真っ白いキャップが目立つ。
日常では決して見ないであろう容器と薬と呼ばれる液は、誰のものだったかすぐに見当がついた。
「永琳に高い金やったんだ、もちろんお前らが払ってくれるよな」
魔理沙は憤りから妙に輝いた目で二人を見回した。
お前らという言葉にふいをつかれた咲夜は、いやですわとぼやきながらも金の勘定をめぐらせはじめた。
魔理沙へよこす余分はあったかしらと、つけている帳簿の数字を思い出す。
テーブルの微妙な傾斜につられてころがった薬は、同じくテーブルにあった用途の分からぬ丸い塊にひっかかったところを、パチュリーがすくいとった。
「利尿剤ね」
「そうだよ。お前に言われたとおり、利尿剤をもってきてやったんだ。それにしたって、あいつはとんだ医者だ、足元みやがって」
魔理沙はやたらと自分の財布が日照っていることを強調してくる。
どうやら積極的に紅魔館側へ金をせびるつもりのようだ。
「コップ一杯ぶんほどの水に数滴おとすだけでよい。だ、そうだ」
「へえ」
「数滴でいいんなら、なにも試験管いっぱいにして渡さなくてもいいのに。詐欺もいいところだぜ」
いちいち魔理沙と咲夜の目線がまじる。
「魔理沙、口をあけて」
いささか唐突だったパチュリーの要求に、魔理沙は疑いをもつ一歩手前、反射的に言葉に従ってしまった。
赤身をむきだした洞穴へ、パチュリーはためらいもなく指をさした、かと思えば、いつの間にかキャップの切られていた容器から水竜のうねりである。
水鉄砲は魔理沙の喉奥を水浸しにした。
彼女は慌てて吐き出そうとするも、深く侵入していた。むせて咳きこむばかりでほとんど飲んでしまったに違いない。
容器の薬は半分ほど失われていた。
落ち着いた魔理沙は、咳きこんだせいで血の昂ぶる頬でありながら、とても青ざめた面をしていた。
「わっ、ば、バカっ。飲んじゃったじゃないか」
「咲夜、シーツはもってきたの」
両手を払った咲夜の手元から、純白のシーツがたなびいた。
テーブルが前に置かれていることもあって、テーブルクロスを引いたような格好になる。
来るまえにパチュリーから催促されていたシーツだ。
もう一つ、血の気を引かせた魔理沙である。
彼女だけがわなないており、パチュリーは紫に艷めく髪をなんの気なしに背中へ回す。
皺にならない程度にシーツを握っていた咲夜は、どうせ次にはこれは綺麗でいられないだろうと思い、握る力を加減しなくなった。
「ちくしょう、帰ってやる」
言うが早いか飛び立った魔理沙を放っておく者はいなかった。
パチュリーの極めて細やかな流し目をうけとった咲夜は、やはり予め持ってこいと言われていた縄を取り出しつつ時間を止めた。
糸で吊るされる人形のように空中で固まってしまった魔理沙は腰へ手を回され、あとは運ばれる荷物と同じだ。
服越しにも伝わるお腹のやわらかさに咲夜はときめいた。
触ってみるとぞんがい身体の線は太く、着痩せする人なのかもしれない。
魔理沙を地べたへ戻したあと、咲夜はどこで教わったのか、構えた縄であれよあれよと緊縛していった。
膝は折られ後ろ手にさせられて、結び目はやわらかく、服はしぼられていく。おそらく内側の身体も。
そして彼女の下へシーツを広げた。
それを本人はまだ知らない。
花瓶の調整にちかい要領で魔理沙はパチュリーと対面にさせられると、そこで時間は動き出した。
飛んでいたときの感覚が残っていたのか、時間の稼働と同時に、魔理沙はつんのめって額をゆかに打ちつけた。
くぐもった声をもらしてその場で芋虫になっているところを咲夜が起こした。
咲夜にちょっと罪悪感を抱かせたのは、魔理沙は額のみならず鼻頭まで赤くさせて、瞳がこぼれそうに潤んでいたことだった。
「鼻血がでた」
「うそ、出ていませんよ」
「血の味がする。ぜったい鼻血だぜ」
縛られているよりも、鼻孔に傷がついているかどうかが彼女を不安にさせているようだ。
「魔理沙に縄は合わないわね」
パチュリーは不恰好な魔理沙を一瞥したっきり、興味を本へとうつした。テーブルにちらかっているものとは大違いの目が回りそうに厚い本だ。
あとはゆっくりと魔理沙の恥辱的な我慢がこと切れるのを待つばかりだった。
途中、着衣のままでいいのかしらと咲夜は思い、事の発端である鮮やか表紙の本を二三めくってみたが、着ていようが裸だろうが影響はないだろうと踏んだ。
咲夜は適当な椅子に腰かけて、終始魔理沙の話相手となった。
はじめは鼻血が出てやしないかとまとわりつく蚊のようにしつこかった。ややすると縄の苦しさに息がつまってしかたがないと文句を垂れだす。ゆるいはずだと返せば嘘だと食いかかる。
咲夜は適当に受け答えしていた。
キノコの話題にさしかかったところで、さすがに咲夜はおかしく感じた。
おしゃべりな魔理沙の変哲のなさは、そこに我慢の気苦労が一切見当たらなかった。
「あなた、尿意はある」
「ないなあ」と他人事のようにつぶやいた。
そのあと再びしゃべりだし、唇の渇くことも知らずに大したことのない話を続けていった。
何十分も経ったときパチュリーがようやく本をおろして、魔理沙へ近寄ると責めた目で見下ろした。
「おかしいわ。だいたい薬っていうのは一時間もしないうちに、効果を発揮するはずよ」
咲夜はその言葉につられて懐中時計を取り出した。パチュリーに呼ばれた頃から見積もると長針は盤の上を半分も過ぎていた。
パチュリーはまず小細工をしたかどうか詰問し、不満足な返答をされると薬自体を怪しみだした。
「ほんとうに永琳から買った薬なの」
「聞きにいけばいい」
「ほんとうに利尿剤なの」
「聞き違いはしてないぜ。たしかに利尿剤だって渡された」
もう一時間ほど待ちますか、と、咲夜は懐中時計を見ながら言った。
しかしパチュリーは名残惜しそうに断ると小さな肩をおとして本棚の角へ消えていった。
こうなると、いつまでも魔理沙を緊縛しているわけにはいかない。
縛りは浅いはずだが縄酔いされると厄介だ。そうなると気分が悪いといって紅茶くらいはせびってきそうだった。
彼女の表情が包み隠さない不満色であるのをたしかめて、咲夜は縄に手をかけた。
解いている間、尿意があるかないかという言葉が交わされた。
魔理沙がはっきり自由になったあともしつこかった。
「尿意はありませんね。嘘ではないのですね」
「そんなに疑うのなら、お前がのんでみればいいじゃない」
魔理沙が指をさした先、テーブルの上に中身をまだ半分ほど残す容器がある。
数滴でよいとされた薬を、魔理沙は手にすくえる量も飲みこんでしまった。にも関わらずけろっとしているのは、薬が欠陥であったか魔理沙があがいたのか、どちらにしても沙汰がない。
容器を懐に収めた咲夜のもとへ、魔理沙がためらいなく右手を突き出した。
労働をおぼえていない細くなめらかな指はパチュリーと似ている。
咲夜、代金を求められることは予想していたので、目前の手を下げさせて数日後にこいと言い渡した。
いますぐよこせと睨まれても涼しいもので、都合が合わないとかお嬢様が牙を剥くとか理由をつけて退散させた。
薬は咲夜へ回収されたあと懐のなかで衣擦れにまみれつつ厨房まで連れ去さられていった。
蜜柑からしぼりとったような薄橙の液体を見つめる咲夜には、ちょっとした悪戯心に跳ねる嬉しさが覗く。
お湯を沸かしているあいだにティーセットを用意した。
数十種類もあるカットガラス柄茶缶の中から特に香りがつよいものを選んだ。
薬はまちがいなく無味無臭であったが彼女は用心していた。
沸いたお湯へ容器を傾けて多めに混ぜ入れた。
人に効かぬ薬は吸血鬼にも同様かしら。咲夜は本当に些細な思いつきをわくわくしながら試していた。
これでレミリアがトイレへ駆けこんだとしたら、いたわったふりをしながら内心の笑いを止められないだろう。
咲夜が寝室にむかうと、ベッドに身体を投げ打ったレミリアの眠たげな眼につかまった。左手を枕にしながら幼い姿を毛布に絡ませて夢心地に吐息をはく。
「いまは何も口にしたくないの」
寝起きの声をしている。
「いいのですか、爽やかになれますよ」
ベッドへ頭をうずめていらないと言い張るレミリアをよそに、咲夜は薬いりの紅茶を当たり前のように淹れた。
琥珀色のそれが注がれていく音につられたのか、レミリアは背伸びをしながらベッドから下りた。
背丈のあっていない椅子へレミリアが座ったところで咲夜が紅茶を差し出した。
レミリアは一口一口、大事そうに間をおいて飲み干していった。
咲夜のすすめるおかわりを断った彼女は、散歩してくると言って寝室を出た。
ここからが見物と決め、バケツに雑巾をかけて箒を担いだ咲夜は、掃除にてんてこ舞いの振りをしながら館内を歩きまわるレミリアの尻を追った。
普段ならこれが彼女の散歩である。
ところが今日はあてが違った。彼女が日傘をもって玄関ホールに向かいはじめたところで、咲夜はしまったと悔やんだ。
しかし誰が、この暖かな陽気のもとへ出てくれるなといじわるを言えようか。日向へ遠ざかっていく主人の背中を止める者はいなかった。
咲夜にとって薬の効果を確認できないことには後ろ髪を引かれるが、あの主人が散歩の途中で思いもよらなかった尿意に立ちすくみ右往左往とするのは、想像するだけでも顔がゆるんだ。
他愛のない妄想だった。
数十分もたった頃には咲夜は薬を忘れて、ティーセットを厨房へ片付けにいった。
いってみると妖精たちがわやくちゃになっていた。
厨房で遊ぶなとは常日頃から子供を叱るように言っている咲夜だが、今も母親のような大喝を放った。
対して妖精たちは、なんでも彼女らのあいだに「みんなで料理をつくろう」という流れが起こっているらしい。
流し台はジャガイモの土色の皮がびっしりと張りついており、そこにティーセットを下ろすのはためらわれた。
「シチューをつくるんです」
妖精の一人が言った。芋がこんなに必要かと咲夜は聞いた。
「人間の里でもらってきました。できすぎちゃったんだって」
「まだ一カゴ分あるよね」
そう言って厨房の隅に置かれたカゴをさす妖精は、その指に布をまいていた。
よく見渡すとそういった妖精が何人かいる。
あきれた咲夜は包丁を握っている妖精から手つきのつたない者を追い払い、彼女らにかわり包丁を扱い出した。
いくら無能な妖精たちでも、蟻のように数がいれば一人は二人料理の知恵をもっており、立ちまわっているのは数人だけ、他は外野だった。
騒がしい厨房は咲夜の怒号も掻き消して、さらに妖精たちを集めて五月蝿さを盛り上げていく。
祭りのような騒がしさに埋もれず、芋ばかり浮かぶシチューはしだいに完成へと近づいていった。
終わってみれば数人の妖精と咲夜だけが、汗ばんだ肌に手ぬぐいを這わせていた。
まだ陽は高く、咲夜にしてみれば二三時間前に昼食を終えていたのだから、シチューを歓迎することはできない。
ただ作ってしまったものは仕方がない。
妖精たちへ皿を持たせて食堂へ集合させた。咲夜も小皿を取り出した。
シチューの淀む二つの巨大な寸胴鍋を食堂まで運ぶと、配給を使命して、使命された彼女らは一様に眉をひそめた。
大食事会が開かれた。
すると、廊下まで響く妖精たちの談笑につられたようにレミリアが帰ってきた。
「外が寒くなってきたの。へえ、シチューじゃない」
彼女も皿をとると、妖精をけちらしけちらし鍋のもとへ駆け寄って、間もなく談笑にも混じりこんだ。
咲夜は何気なく催したかどうかを訪ねたが食事中だと叱られる。
なかったのだな、と思った。
紅魔館中の笑い声がここに集まったさわがしさ、それをくぐっていく咲夜は日頃しっかりしている妖精を捕まえて事後の片付けを命令した。
鍋が空になってからは食堂の熱は徐々に冷めていき、なおもかたまり続ける団子がいくらか、ここが締め時と感じた咲夜がお開きの合図をすればぞろっと動き出した。
残された食器を、咲夜と数人の妖精が手分けして流し台まで運んだ。
そうして、汚れた皿をさばいている咲夜のもとへ妖精が、これはどこにしまっておけばいいでしょうかと聞いてきた。
咲夜は振り向いて、妖精の手にあるものにぎょっとした。
すっかり空になってこそいるがこの細長い容器を見間違いはしない。どこにあったのかと聞くとヤカンの傍らに。既に洗ってしまったという。妖精が見つけたときには中身はなかった。
咲夜はたしかに驚いたが、ぴくりともしない顔で匙を収めている棚へ入れておけと言った。
紛いなりにも薬と銘打たれたものを忘れていたことは過失ではないか。
まだ半分もあったはずの中身の行方を、流しに捨てられたのかと思い、シチューに混入したかもしれないと危ぶみもした。
どちらにしろ一人として不調を訴える者がいないので、薬自体が眉唾に思われてきた咲夜だった。
それよりもメイド長としての立ち回り、忙しさがしだいに薬の存在を押しやって記憶の溝になっていく。
パチュリーに構っていた分放っておいた仕事は夕方から彼女を拘束しはじめた。
咲夜も、恐らくパチュリーも忘れていた頃になる。
食事会から二日目の朝に、館内の掃除に走りまわる咲夜を追い越す妖精が何人かいた。
まだ肌寒い時分に駆けまわる元気は見習いたいと、彼女らの羽を見送っていくと、みんな行き先が同じようだった。
疑問してついていった咲夜はやがて長蛇の列にでくわした。
口を揃えて飛び出す「はやくして」、「漏れる」、「でちゃう」といった言葉を聞き、咲夜は早くも彼女らの求めるものを理解した。
トイレの入り口は上下左右から群がる妖精のせいで土砂崩れのようだった。
咲夜は嘆息も出ず、ただ一喝をみまった。
「ここばかりに集まらず他のトイレに寄りなさい。二階三階にもあるでしょう。そこがダメなら図書館のトイレも使って構いません。パチュリー様に迷惑をかけぬように」
最後の言葉を耳にした者はいなかったと思う、けたましい靴音がかき消したからだ。
そこで列からはぐれて壁際に力なく座りこむ一人がいた。
彼女は瞳にいっぱいの涙をためぎこちない笑みを浮かべながら咲夜へ振り向いた。
その表情とスカート越しからでも分かる極端な内股に、すぐに気づいた咲夜の対応は早かった。
どこからともなく取り出した雑巾と替えのドロワーズ、他の妖精に彼女の後始末を任せて廊下を飛んだ。
咲夜は紅魔館にあるトイレの全てを急遽見まわるハメになった。
そしてどこかのトイレの付近では、必ずさっきのように下腹をはちきれさせた妖精がいた。
一段落つけた咲夜が向かったのはレミリアがいる寝室である。
いつもはまだ目を開けていないはずの主人だが、どうも灰神楽が立った騒ぎだ、起こされていないとも限らない。
咲夜は時間を止めて寝室へ立ち寄ったところ、下半身に何も身につけていないレミリアが難しげに口をへの字、ベッドを見つめていた。
「お嬢様、あなたまで」とたまらず口がすべってしまった咲夜であるが、聞こえてはいない。
時間が動き出すと、咲夜がいつの間にか部屋にいたものだからレミリアは退いた。主人にはあえて一瞥もやらない咲夜は黙々とシーツをはぎとっていくと、人知れず自室へ持ち去った。
この様子だと、各寝室でパチュリーが言ったところの「地図」が描かれているのは明白で、咲夜は立ち止まるのを許されなかった。
案の定、洗濯場はシーツに埋もれてしまった。
二日前の薬が今更効きだしてきたとは、頭によぎりこそしたが肯定できない。二日もあれば摂取された薬はとっくに外に排出されているはずだ。
咲夜は少し休憩をとったあとトイレへ寄ったが、行列の朝方から変わっていないことを不思議に思った。
「あなたたち、まだいるの」
「だって我慢できないんですよ」
ここに並ぶ妖精たちは朝からずっと尿意に締め付けられているらしい。
いや妖精だけではない。
トイレで誰かが暴れているという話だから向かってみた咲夜は、個室のドアに乱暴をしているレミリアを見た。
このときばかりはなんて情けのない人だろうか、と嘆息した。
「あっ、あっ、開けなさいっ」
「まだとまっていないのに出られるわけないじゃないですか」
「黙れッ、紅魔館の当主は私よ。便座をゆずらないとヒドイ目にあうわよ」
「なんで私ばっかりをせかすんですか」
「とっとと開けなさいよおおおおおおお」
咲夜が肩越しに別のトイレを勧めるともう耐えられないといって泣きじゃり、太鼓を叩くように両手でめいいっぱい扉を殴りだした。
「いやあ――――あああ一日に二回も漏らすなんてえええええ」
その叫びに居た堪れなくなったのか、奥の扉が申し訳なさそうにゆっくりと開いた。
レミリアはすかさず飛びこむと前にいた妖精を掻き出した。
この場を離れた咲夜は図書館へいった。
図書館にいつもなら決して訪れないはずの妖精がちらほらといる。
もちろん彼女たちが目的ではない。
咲夜がパチュリーを見つけたとき、彼女は、小悪魔を真っさらなシーツの上に座らせて縛りつけていた。いつぞやの魔理沙とおなじ図をしている。
一つだけ違うところが、小悪魔の下からシーツに広がる黄色いシミで、バツの悪そうな彼女。
「でかしたわ、咲夜」
一言目に褒められたので、咲夜は不意を突かれた気分だった。
「この子、朝から用が早くって辛そうで。だから地図のために身体をなげうってもらったわ」
「いや、ですが、あのお薬は効かないはずでは」
「そこなんだけど、私はこう思うの」
股下を濡らしたままの小悪魔の前で会話をする二人だ。
「ふつうの薬は服用後、三十分から一時間ほどで効きはじめる、はず。体内に取りこまれる時間ね。本に書いてあった。けれどこの利尿剤はその例に漏れて、体内に取りこまれたあと滞在し続け、二日後に効きだす。なんて、どう」
「申し訳ないですが、答えかねます」
「聞けば、おとといシチュー大会があったそうじゃない。利尿剤は貴方がもっていったんでしょう。なに、入れたのは私じゃない? 知らないわ。それにしても、偏屈な利尿剤だと思わない、だって数日後にやっと働きだすなんて誰が盛ったか分からなくなる。あ、それが狙いなのかしら。あの女医も芸達者なもので」
咲夜は小悪魔をほどいて下着を取り替えてやった。
その最中、パチュリーは敷いたシーツを見てうかれていた。
「ほら、地図といっしょだわ」
咲夜はしおれた紙束をつきつけられたが、シーツと比べてみてもどことなく似ているに過ぎなかった。
だがパチュリーは瓜二つの幻想郷図をそこに見つけたのだろう。
紅魔館にもどってみると、相変わらず人気のあるトイレだった。
ふと、咲夜は気づいた。
トイレに食い入る集団をよそに、彼女たちを心配そうに眺めつつも通りすぎていく妖精がいるのを。
紅魔館のほぼ全ての妖精がシチューを口にしたと、咲夜は記憶している。いや、咲夜もほんの少し味わった。
薬が効かない人もいるのかしら、と、思った。
陽が落ちてからは行列もなくなったが、トイレ個室の扉はどこも閉まりきっていた。
咲夜がずっと探しているレミリアもまた個室から出られない、重度の尿意に苛まれている一人だった。
親指を噛みながら、この異変を引き起こした犯人を呪っていた。
恐らく、誰よりも憎い気持ちを隠さなかった。
翌日になる。
やっと空が白みはじめかという頃に、小用に急き立てられて目覚めた咲夜が静かな廊下を走りぬいた。
長めの水音を聞きながら、危うくベッドを汚しそうになったこと、トイレの清掃をしたほうがいいこと、などを考えた。
終わってから、咲夜は残尿感を気にしながらも朝の支度を再開した。
やっと妖精たちの欠伸が聞こえだしてくると一層休んではいられなくなるが、そこには再びトイレへ駆けこむ彼女がいた。
お腹の奥に拭いきれない気持ち悪さがあった。
咲夜は利尿剤を思い出したが、その効き目が他より一日遅れでやってくるなんてありえるのだろうか。
しかしいつまで経っても留まり続ける残尿感に、しだいに重みの増すからだ、用を足しにいく感覚は短くなっていく。利尿剤を疑う余地はなかった。
列こそないが今日もトイレは満室になっている。
咲夜と同じ一日遅れで薬が効きはじめた妖精たちがいる。
彼女は仕事をしながら、くると感じれば時間を止めてトイレの空室を探しにいって、それはとても手間がかかった。
そうやって追いこまれているところを憮然としたレミリアに呼び出された。
「犯人を見つける」
「と、仰りますと」
「バカね、昨日は紅魔館中の妖精がとめどないおしっこに苦しんでいたのよ。これが偶然だとは言わせない。誰かが紅魔館を落とし入れようとしている。……見たところ、今日も苦しそうな妖精がいるじゃない」
犯人というと、シチューに薬を混ぜた者になるのだろうか。けれどその薬をもってきて置き忘れてしまった者は誰でもない、咲夜だ。もっと言うと魔理沙、パチュリーが原因には違いないが、やはり決定的な一押しをやってしまったのは咲夜になるだろう。
レミリアだって、ただの妖精をいじめるよりは咲夜をいじめたいのだから、咲夜は利尿剤を持ち出したことがバレるわけにはいかなかった。
そばで立ち聞きしていた妖精たちがほのめかした。
大量の芋が事件を引き起こしたのだと言うが、レミリアは無視だった。
彼女が意気揚々と犯人探しを掲げたので、咲夜は話を聞いてきますと理由をつけてパチュリーのもとへ向かった。
もちろん、この間にも何度かトイレに寄っている。
図書館にいってみるとパチュリーが小悪魔へ鉛色で拳大の玉を渡していた。小悪魔はその玉を抱えて飛んでいった。
咲夜はその光景に興味をうけながらも、パチュリーへ利尿剤の件を伏してもらうことを優先した。
あっけなくうなづいてもらった。
咲夜は落ち着きがなくなっていた。パチュリーはそれを見て察してくれたらしく、一枚の紙を渡してきた。
「それを身体に貼っておきなさい。尿意が静まって安らぐわよ」
従うと言われた通りになったので、咲夜はひとしおの感謝をした。
図書館を離れる途中にすれちがった小悪魔が、さびしそうな表情をしているのが咲夜にはこびりついて離れなかった。
レミリアのもとへ戻ってみると早くも進展をみせていた。
妖精の一人が、見慣れない容器があって中の液体をシチューに入れてしまったと名乗りでた。
容器は細長い試験管のようなもので、液体はオレンジ色をしていたと言う。
その話が出たと思えば、別の妖精が容器の居所を知っていると言って、厨房にある食器棚の匙を収めている戸棚を指した。
そして今、レミリアの手元には容器が光っており、目の前にしょぼくれた妖精がいた。
「どうして得体のしれないものをシチューに入れたの」
「なんとなく、です」
「これはどこにあったの」
「あっ、厨房にありました。テーブルの上にありました」
レミリアが咲夜を呼んだ。咲夜は少し身をすくませた。
「どう思う」
「私が聞いた話では有益なものはありませんでした。妥当なところで、三妖精の仕業と考えるべきではないかと。芋だって、真犯人かもしれません」
レミリアの眉がますます釣り上がって、三妖精でも芋でもいいから連れてこいと火を吐くばかりに怒鳴る。疑わしきはみんな罰しろの勢いだった。
誰かが吊るし上げられさえすればレミリアの機嫌もよくなるだろうと、咲夜は冷や汗を拭きつつも期待していた。
そうしたなかでやってきた来客は咲夜を震え上がらせた。
やってきた魔理沙は牙を剥きそうなレミリアと、彼女に寄り添う咲夜を睥睨した。
「咲夜、金はあるのか。金、薬のヤツ」
その言葉を聞いて、レミリアの鋭い目が魔理沙から咲夜へうつった。
薬という単語が現れただけで咲夜の立場は綱渡りになってしまった。とっさに魔理沙を野放しにしてはおけないと感じた彼女はこう口走った。
「ああ、思い出しましたお嬢様。魔理沙がパチュリー様へ妙なお薬を買えと迫っていたことを」
ありもしない話をされて魔理沙が唖然となったのをいいことに、咲夜は畳み掛けた。
「パチュリー様が断ると、この節操のない魔法使い、お次は私へ勧めてきたんです。そう、すべて思い出しました。たしか貴方がもってきた薬はオレンジの液が溜まった試験管のような硝子ビンでしたっけ」
「う、嘘つくんじゃないっ」
「パチュリー様に伺えば分かることですわ」
疑いの矛先は一転して魔理沙へむけられた。事情を知らないレミリアと妖精たちからすれば、度々本を借用しにくる信用ない魔理沙よりは、咲夜が支持されたわけだ。
魔理沙が、突き刺す視線にたじろいでしまっている姿に、咲夜はほくそ笑んだ。
ところが、
「そこまでよ」
と、飛来してくる人影があり。
舞い降りたパチュリーと小悪魔を人々はどのような目で見たのだろうか。
恐らく、魔理沙を除く全ての者が、先に述べられた事実を裏付けてくれるのだと思ったことだろう。
しかし違った。
「咲夜の大言壮語には呆れずにいられないわね。百聞は一見にしかず、これを見なさい」
そうして小悪魔が宙へ投げたものに咲夜は見覚えがある、彼女がパチュリーから受け取っていた鉛玉ではないか。
主人の手を離れた玉は放物線を描いてそのてっぺんで止まった。
にわかに輝きだすと、もっとも近くのカーテンへ映像を投影しだした。
素晴らしき魔法の力によって咲夜とパチュリーが交わした密談が画と音によって再現されていくのには、咲夜も言葉が出なかった。
しかも明らかに咲夜が不利になるように、それでいてパチュリーへの非を感じさせぬように周到な編集が加わっている。
咲夜は逃げ出そうとしたが、なぜか身体が言う事を聞かない。
その場で釘付けになっていた。
「咲夜、貴方に渡した紙は尿意をおさえるだけじゃないのよ。私が命令すれば、今のように身体の自由を奪うんだから」
かろうじて動いた眼球が、ゆっくりと魔理沙のほうへ歩くパチュリーを追った。
咲夜は騙されたのだ。何もできないままの彼女を急激に尿意が襲いはじめた。抑えられていた分が自由にもがきはじめたのだ。
パチュリーが魔理沙の肩をさすった。二人は微笑みあった。
「あ、ありがとう」
「礼をいわれることはしていないわ」
何もかも解決したかに思われたが、またたく間に魔理沙が硬直しだす。
おもむろに袖から手をしのばせて、抵抗のできない彼女の素肌にパチュリーが指で舐めまわした。
抜きとった手には御札のようなものがひらついた。
「これでおしっこを我慢していたのね」と囁かれたところで、魔理沙は舌も回らない。
まるで人形になってしまった、猫背の魔理沙と真っ直ぐな咲夜を、小悪魔が物を扱うように雑に持ち上げ、敷いたシーツの上に移動させた。
咲夜はもう、これからどんな目に合うのか分かってしまった。魔理沙と目を合わせたが、もちろん何もできやしない。
咲夜の耳元へ唇をよせてきたパチュリーの声色はそっけない。
「せっかくだから教えてあげる。小悪魔のおもらしだけでは不足だったから、貴方たちにも手伝ってもらうのよ。被験者は一人でも多いほうがいいでしょう。よりよい地図制作のために」
ワケの分かっていない外野に対するパチュリーの言い分はこうだった。
「咲夜の大法螺は尋常にあらず。実際は魔理沙とグルになって私へ利尿剤なるものを押しつけにきたの。それもこれも皆がおねしょやお漏らしをして震えているところを見たいから。なんて屈折した理由でしょうね。だからここで罰をうけてもらおうじゃない」
咲夜はそろそろ限界を迎えるところだった。
ただおねしょのパートが少し味気無かったかなあと思いました。
後書きにある通りフランドールや美鈴を絡ませたらもっと面白くなったかもと残念。
しかし薬の効果が後日に現れるという、お題の『ラグ』から出たものでしょうけれど非常に好みで
今野様が今後にまたおねしょのお話を書いて下さることに期待して待っております。
せっかく謎として機能しているのですから「単にそういう薬だった」ではもったいないです。