Coolier - 新生・東方創想話

嫌忌をこえて

2010/09/23 11:47:17
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「すっかり遅くなってしまいましたね・・・」


誰に言うともなくつぶやく。
それもそうだ。
お燐とお空は、まだ守矢神社にいるはずだから。




 いま私は、1人地霊殿への帰路についている。
さすが妖怪の山と呼ばれるだけあって、木々が鬱蒼と生い茂り、視界を遮る。
心なしか空気は重く、まるで色づいているかのような暗闇だ。



高く飛んでこれを避けてもいいのだが、あいにくの疲れから、あまり体力を使いたくない。
私は木々をすり抜けるようにして、地面すれすれを飛ぶ。
そう、私は本当に疲れている。




 先日のお空が巻き起こした異変の件。
その遠因が八坂の神にあると聞き、地底世界の管理者として、お空の飼い主として、話の1つは詰めなくてはならなくなったのだ。



正直に言ってしまえば、苦言を呈しに行ったといってもいい。
何の通達もなく計画された、旧灼熱地獄の核融合炉化。



それへの布石として行われた、お空の強化。
そしてそのことによって巻き起こされた、人間の侵入と大騒動・・・。



どれをとっても始末に追われることばかりで、私の面子は丸潰れに近い。
水橋パルスィや星熊勇儀と言った、地底世界の要所を守る面々も、苦杯を舐めさせられた。
散らかされた地霊殿の片付けに関しては・・・・・・頭が痛い。




 しかし相手は、曲がりなりにも高位の神。
立場の上から、あまり強くは出られない。
その豪胆な性にもより、会談は終止私が押されるままに進んだ。


最終的に、いやあ悪かった悪かったと、屈託なく笑う八坂の神に背を2度叩かれ、それで話し合いは終了。
洩矢の神はあどけなく顔を綻ばしていたし、風祝の巫女は申し訳なさそうに控えていた。
まったく・・・・・・




 そして私は、そのまま宴会に誘われたのだ。
あまりそのような場を好まない私でも、付き合いは必要だ。
地霊殿を長時間空けていられない旨を断った上で、私は盃を受け取った。



それにしてもお燐とお空だ。
今回の異変の主因といってもいい2人。
会談の結論よっては、私はこの2人を・・・・・・ということも考えないでもなかったのに。



異変直後では、特にお燐がそのことを恐れていたようだが、もう過去のこと。
はじめて見る地上の世界にはしゃぎ通しで、会談の途中もそわそわとして落ち着かない。



しまいには私が地霊殿への帰宅を決めても、宴席に残ることをねだる。
まあそれも構わないだろうと、置いてくるあたり私も甘いのだが・・・




 私は宴席が苦手だ。
いや、人と個人的に対面すること自体が。
全てを“さとって”しまうこの能力。
否が応でも、相手の内面を目の当たりにしてしまう。



胸元にある、一見ちゃちな玩具のようにも見える大きな瞳。
私の能力は、この第三の目を向けることによって発動される。



向けるといっても、感覚的なもので、眼帯などをして能力が封印されるわけではない。
よくよく目を凝らせば、相手の意識をつぶさに覗くことが出来るし、特にトラウマに関しては、幻惑として相手の眼前に顕現させることも出来る。




 ただ普段は、そこまで対象を覗こうとは考えないため、せいぜい能力の発動は、相手がいま考えていることを見透かしてしまう程度にとどまる。



だが、それでも十分に相手への強みとなる。
聞きたくもない心の声が聞こえることは、私にとってもツラい。
なにより、相手にとっては不愉快なことだ。




「相手に気を遣わせたり、忌避されたり、疲れますからね・・・」




 2柱の神はさすが、態度と思惑に裏表がない。
というより、相手を自分の興味の範疇でしか捉えない。
豪快なことだ。



しかし、八坂の神の酌を受けている時に聞こえた、給仕に急がしと立ち振る舞う、風祝の巫女の呟き。


“自分の心を読まれてしまうなんて・・・・・・う~ん、ちょっとな・・・”


私の能力はそこらじゅうの思いを拾い上げるわけではなく、むしろ目の前の人間というように、ある程度の指向性に縛られたものだ。
それでも、ふと見やった瞬間などに、自分と相対していない心を見てしまうことがある。


“いやいや、さとりさんはいい人そうだし、そんな風に思ってしまうなんて失礼です・・・!”


別段、風祝の巫女が私を悪く思っていることはないのだろう。
けれど、ああいった風に、心根の良い人を葛藤させてしまうこと事態が、私にとっては億劫なのだ。



「まあ、仕方のないことですが・・・」



 早く地霊殿に帰りたい。
あの黒白の魔女が玄関に開けた、大穴にとりかからなければならないし、
今日のペットの世話は、私がしなくてはならないだろう。


こいしの遊び相手も必要だ。
・・・・・・ああ、もう。



 私はそこにいないお燐とお空に歯噛みし、速度を上げた。
そうだ、地底の管理者としての通常業務も山積みだ。


つまらないことを考えている時間はない。
早く戻らなければ・・・・・・




 そのとき、視界の先に、何かの気配を感じた。
妖怪だろうか。


私は徐々に速度を緩め、そして樹のふもとで地面に降り立つ。
普段ははかない革靴に、慣性がかかって違和感を感じる。



・・・・・・?
その影姿は、なかなか考えられない動きをしていた。
木々からこもれる月明かりから暗闇へと、一糸乱れることなく。


それは両肢を高く掲げ、足を交差させ、くるくると回り続けていた。
光の中に入った際に、その容姿が少女であることが分かる。


頭の上で結ばれた大きなリボン。
フリルのついたスカートの裾が空気をはらんで広がり、優雅だった。


私はしばらく注意を忘れ、その姿に魅入ってしまう。
そのくらい、少女の動きには人を惹きつけるものがあった。



 ガサっ、と音がして、少女の動きが止まる。
すれすれの中空にあった彼女の足先が、枯葉を捉えた音だった。


しまった。
その音でわれに返る。


間違いなく気づかれたのだろう。
見かけで妖怪の実力は判断できない。
今の地上世界のことは知らないが、それは変わらないだろう。


地底においても、幼い子供がスペルカードを有する実力者であったり、
気風の良さそうな女性が、最強の名を欲しいままにしていたりするのだ。


かくいう私も、地底の管理者。
実力で劣る相手はそうそういないはずだが、こんなところでいざこざを起こすわけにはいかない。


今は地上と地底が再び繋がり、緊張状態にあるとき。
衝突は可能な限り避けなければならない。



 私の警戒をよそに、少女は瞑っていた目を開き、こちらを見据える。
話の通じる相手ならばいいと思う。


そうだ、私は心配のし過ぎだろう。
かつては誰からも疎まれた“さとり”の伝承も、喪われて久しいだろうし。



「こんばんは、いい夜ね」



 少女はそう言ってにっこりと微笑むと、こちらの方へと歩を進める。
その瞬間、私は先ほどの警戒が杞憂ではなく、現実である可能性を認識した。


何かは分からない。
しかしこの背の粟立つ感じ、何かしら良くない予感がする。


その間も少女はこちらにむかってくる。
笑顔は変わらず、人形のような佇まいに恐ろしいところはない。
何よりも、心の色に殺気を感じない。
それだというのに、なぜこんなにも不安を感じてしまうのだろうか。



「あらあなた、なんて・・・・・・たくさんの厄を背負っているの。大変ね。
 きっと、いろいろと苦労が多いでしょう?」



 そして少女は、私が立つ樹の麓まで来て、丁寧にお辞儀をする。
スカートの裾を掴み、それはもう愛らしい様子で。



「こんばんは。私は鍵山雛。流し雛の厄神よ。あなたのその厄、もらってあげましょうか?」



そういって少女は、もう一度、にっこりと笑った。
曇りのない笑顔だった。






 厄神。
知識としては知っている。
人々の厄を集め、高位の神々に渡したり、川に流したりする。
低位の神だが、荒ぶることも少ない、良心的な神だ。


心を覗いてみる。
言っていることに、偽りはないようだ。
そこにあるのは、私に対する純粋な興味と、厄への同情。


おそらく先ほどの不安も、彼女が身にまとう厄によるものだろう。
こうして目の前に立たれると、居心地の悪さをさらに感じる。
彼女自身の印象とは異なって。

しかし、厄が多い・・・?



「その、厄が多い、ですか・・・?」
「そう、厄だらけ。ちょっと考えられないくらい。あなた、普段から陰の気が強いところで暮らしているでしょう?」
「ええ、それはもう、・・・・・・地獄ですから」
「地獄? ・・・ああもしかして、あなた、噂の地底世界の人?」
「はい、雛様。申し遅れてしまい、大変失礼いたしました。地底世界の管理を務めさせて頂いております、古明寺さとりです」
「それも偉い人なんだ。うふふ。私って、運がいいわね」



 なぜ運がいいのだろう。
けれど、雛と名乗った厄神様は、ただ言葉通りのことを考えているだけで、含みはないようだ。
なかなか見られないものを見た、とでも言うようなところか。



「でも雛様だなんて、私はそんなに偉くないわ。呼び方に指図はしないけれど、あまり恭しくされるのは嫌ね。慣れていないし」
「・・・・・・・・・はい、分かりました」



 私は少し悩んで、彼女の言う通りにすることにした。
彼女の心の声を聞く限り、本心からそれを望んでいることが分かったからだ。


神というものは、低位であっても、それなりにプライドが高かったものだが、ここまでそれを感じさせない神も珍しい。
八坂の神や洩矢の神を見る限り、地上の神が変わったというより、彼女の個性なのだろう。



それにどうやら、彼女は私の能力に関しては知らないらしい。
これには安心した。
神との争いなど、現状考えられるうちで、最悪の展開に等しいからだ。



「ありがとう。それで、厄をもらってもいいのかしら? たぶん、地獄というからには、すぐにもとに戻ってしまうけど・・・・・・しばらくの間、気分が楽になるわよ?」
「・・・・・・・・・」



 厄を払う、か。
別に構わないと思う。


けれど、なんとなく断りたい気分になる。
彼女の人当たりのよさは、この短時間でも感じたが、それでも拭いようのない不安感は消せない。



「・・・・・・せっかくですが、急いでいるので」
「ああ、そうかぁ・・・・・・うん、確かにぱっとすぐにハイって気分にもならないわよね」



とたん、彼女の心に寂しさの色が広がる。
そして、彼女の心の声


“そうだよね・・・・・・やっぱり厄神なんて不気味だし、逆に厄が移ってしまいそうだものね・・・”


 その言葉を聴いて、胸が痛む。
なぜなら、そこには優しさと、寂寥感しかなかったからだ。


私に対する苛立ちや、好意を断ったことへの不満は微塵もない。
私は彼女に何か声を掛けるべきだろうと感じ、弁明を口にする。



「その、別に、もしかしたら誤解されてしまったかもしれませんが、あなたのことがどうとか、厄を移されそうとか、そういうことではないのです」
「え?」
「背負い込んだ厄も、私の一部。それに、嫌忌されるもの全てを受け入れるのが地獄、そして管理者たる私なのです」



 すらすらと語る言葉は、嘘ではない。
しかし、彼女が思った内容を、そのまま私が思っていたという事実を考えれば、本当とも言いがたい。
けれど、彼女は。



「ふ~ん・・・・・・なんだか、格好いいわね!」
「え?」
「だって、すごいカリスマに溢れていたわ。やっぱり偉い人は違うのね」
「あ、ありがとうございます」
「だからきっと、そんなに厄を貯めやすいのよ。責任感とか、使命感とか、懐の深さとか、そんなもので」



 彼女は納得したという調子で、首を立てに振りながら、再び顔をほころばす。
つい先ほどまでの暗い感情は追いやられ、私への敬意で心をいっぱいにしながら。
ここまで素直な反応をされると、さらに罪悪感を覚えてしまう。



「じゃあ、忙しいところを引き止めて悪かったわね」
「いえ、気を遣っていただき、ありがとうございます」
「あはは、固いわねえ」
「その・・・・・・いえ」
「じゃあ、よかったらまた」
「・・・・・・はい」



 彼女はふんわりと微笑むと、再び回りだす。
つまずくことなく、くるくると。


そして彼女の姿は、木々の薄暗がりの間に消えていった。
同時に、あたりに立ち込めていた、言いようのない重苦しさも去った。


・・・・・・けれど、なんて純粋な心の持ち主だったのだろう。
様々な妖怪・神々・人の心を覗いて来たが、あのように飾らず、波立たず、
思いやりに満ちた意識は初めてだった。



「またね、ですか・・・・・・」



 私はふと、彼女ともっと話したかったなと思った。
もう会うことはないだろう。
私が地上に出てくることなど、ないのだから。


けれど私は、地霊殿への道すがら、彼女に対する興味を、どうしても捨てることが出来なかったのだ。











 守矢神社での会談から一週間。
地霊殿の復旧もだいぶ進み、地底世界も元の調子も取り戻しつつある。


・・・・・・いや、それでも、大きな変化はあった。
今も私は、その変化に関わる書類の決裁に、頭を悩ませている。


コンコン。

「どうぞ」

ドアがガチャリと古風な音を立て、黒いハットが顔を出す。



「お姉ちゃん」
「こいしでしたか。ちょっと待ってくださいね、もう少しで一区切りつきますから」



 これも変化の1つだろうか。
異変が終わって以来、妹のこいしがよく顔を出すようになった。
そして、お茶をしたり、たあいもないことを話したり、一緒に絵本を読んだりする。


こいしは私と同じく、“さとり”の能力を背負って生まれた子だ。
しかしこの子は、他人の心の重みに耐えられず、その心を閉ざしてしまった。
無意識を支配し、ただ流される藻のように生きる彼女と私は、姉妹でありながら、
交わる生を数百年に渡って喪っていた。


もちろん私は、例え彼女が無意識をさ迷い、うつろな対応を繰り返すとしても、愛情を注ぐことはやめなかった。
しかしそれでも、拭いようのない孤独感が、2人の間にはあったのだ。


それがこのところの、この調子である。
それとなく聞き出そうとしてみても、あいまいにハニカむばかり。
しかし、そんな反応を返してくれる妹のことが愛おしく、嬉しいばかりで、
理由などどうでもいいとも考える。



 ただし、今日の来訪者はこいしだけではなかったようだ。
こいしの後に続いて、薄緑のやや癖の強いストレート。
蛇と蛙の髪飾りをした、風祝の巫女が入ってきた。



「お客さんだよ」
「そのようですね。守矢神社の・・・・・・東風谷早苗さんでしたね」
「はい、どうもこんばんは」
「こんにちは、ですが。いつ何時だろうと、地底は闇に閉ざされていますからね。
ふむ・・・・・・なるほど、確かにそれは検討すべき事案ですね」
「あはは・・・・・・」



曖昧に困ったような顔をして、風祝の巫女は笑っていた。
それもそうだろう。
このように1つ飛びに話を進められては、苦笑するしかない。


けれど、そうしたほうが話が早く、風祝の巫女が心に持ってやって来た事案は、そうやって手際よく進めるべき事案だったのだ。







「じゃあお姉ちゃん。私はこれで」
「ありがとうこいし。なかなか様になってきましたね」
「えへへ、お姉ちゃんの道楽に比べたら、まだまだだけどね」


そういってこいしは、用意してくれた紅茶を注ぐと、部屋を出ていった。


「つくりおきがあってよかったです。お口に合うかどうか分かりませんが、どうぞ」
「クッキー、ですよね。地上の幻想郷ではマイナーな文化なんです。凄く嬉しいです」
「そういえば守矢の方々は、外の世界から来たばかりでしたね。なかなか違うところがありますか?」
「それはもう。ギャップに戸惑うばかりです。これはもう、一度常識を捨て去るくらいの思い切りが必要かと・・・・・・」



 しばらく外の世界・地上・地底の、文化・常識の違いについて談笑し、風祝の巫女の緊張が収まるのを待つ。
あまりしゃちほこばってもらうと、こちらとしても話が進めにくい。
そのため、敢えて落ち着きを与えたというところだ。


彼女の心が、ふんわりとした会話の楽しさと、クッキーの甘さに満たされた頃合を見計らって、私は話を切り出す。



「では、そろそろ事案について話し合いましょうか」
「・・・・・・はい」



これまでの和気藹々とした雰囲気から一転、佇まいを直す私たち。
いちおうこれは、地上の使者と地底の管理者による会談なのだ。



「それで、結論から述べてしまえば、再び繋がってしまった地上世界と地底世界をどうするか、ですね」
「はい」
「地底世界はそもそも、地獄を発祥とするところであり、地上を追われた妖怪・怨霊たちが封印された場です」
「ええ」
「そのため、地上世界と地底世界が繋がることは、衝突の原因にもなるでしょう。そもそも嫌忌された者たちですし、地上の妖怪達と対立関係にある者も少なからずいます。逆に鬼たちのように、地上を避けて地底にいる者たちもいます」
「それはそうですが・・・・・・」

「今は地上の妖怪達も融和的となり、大きな衝突にはならないだろう。それに、長年たもとを分かった2つの世界が、お互いに刺激となり、良い相乗効果が期待できる、ですか?」
「うぅ・・・・・・」
「本音は例の核融合炉の計画を頓挫させたくないから。というより、なんとなく面白そうだから・・・・・・ですか・・・」
「さ、さとりさ~ん・・・!」
「ごめんなさい。でも会談は手短に、自分のペースで行いたいものですから」



 そう言って私は、小休止のつもりでクッキーを口にする。
風祝の巫女といえば、酷い目に合わされた子犬のような顔で、クッキーを両手で口に運んでいた。


少し心を覗いてみる。
なるほど、私を説得するために、はりきってやって来たらしい。
ただし同時に、地底行きの面倒を押し付けられた形でもあるようだ。


2柱の神は、社から離れたくはないし、博麗の巫女は黙して是としない。
そして・・・・・・なるほど、この会談の発案者は、かの妖怪の賢者ですか・・・。


しばらく会っていない。
これは、心して臨まないといけないようだ。
この再び繋がってしまった地底と地上。
彼女の意向が、気になる。



「分かりました」
「ふえ」



 クッキーに続き、紅茶のおかわりを口にしようとしていた巫女は、話の脈絡が分からず、目を丸くしてこちらを見やる。
もうぬるくなってしまっているだろうに・・・代えはどうしようか。



「会談に参加します。場所は地上で構いません。日時もいつでも構いませんが、地霊殿を長期に空けるわけにいかないということは、ご了承ください」
「さとりさん!」



とたんに嬉しそうな顔をする風祝の巫女。
それにしてもこの子は、心根が素直で好感がもてる。ただし



「“地底の頑固者”を引きずり出すのは骨が折れると言われたようですが、大事な案件ですし、応じないわけはないですよ」
「あ、あう・・・」
「とりあえず、鬼の四天王や有力者達の意見をまとめるので、少し時間を下さい。それでいいですか?」
「は、はい!」




 紅茶の代えを待たずして、風祝の巫女は帰っていった。
誰かに送らせようかと提案したが、1人で帰りたいらしい。
心を覗いてみると、初めて見る地底世界が物珍しく、少し探検してみたいと。
風祝の巫女もそれなりの実力者であるようだし、私はそのまま見送ることにした。


会談が開かれるのは1週間後。
以前と同じく、妖怪の山の守矢神社だ。
それまでに地獄の意見をまとめないと・・・・・・



「こいし」
「なあに、お姉ちゃん」



 書斎に戻り、机についた私は、妹の名を呼んだ。
とたん、今まで誰もいないと思われていた部屋に、こいしがすっと姿を現す。
予想していたことだが、どうやらずっと近くにいたらしい。


こいしの無意識を操る能力は、一切の気配を断つという効力を発揮する。
彼女は望みさえすれば、誰からも決して見つけられることはない。



「ずっと話を聞いていたのですか?」
「えへへ・・・」
「まったく。別に話を聞いて悪いということはありませんが、あまり趣味のいい行為とはいえませんよ」
「あは、ごめん」



悪びれる様子もなく、こいしは舌を出して謝ってみせる。
そんな表情豊かなこいしの姿を見て、呆れの気持ちも引いてしまう。



「ところでこいし」
「うん」
「再び繋がってしまった地底と地上。どうするべきだと思いますか?」



 こいしはこのような、何かを判断する立場ではない。
そのような経験もないし、別段建設的な意見を期待しているわけでもない。
ただ、最も身近な存在として、先ほどの会談を傍で聞いていた存在として、どのように考えているか、気になったのだ。


心に染み込んでくる他人の意識に苛まれ、意識を閉ざしてしまった彼女を守りたいという気持ちもある。
地底世界と地上世界が繋がることは、確かにメリットもあるだろうが、摩擦が生まれることは確実なのだから。



「繋がったままでいいと思うよ」


しかし、こいしの即答は、私にとっては意外なものだった。


「それはまた・・・・・・どうしてですか?」
「だって、地上の人たち、みんないい人だもん」
「え?」
「あ、ごめん、お姉ちゃん。実は私、最近よく地上に遊びに行ってたんだ」



 これには驚かされた。
別にこいしがどこに行こうと、それは構わない。
私に何も言わずというのが気になるが、こいしの妖力を考えればそう心配ではない。
ただ、あのつい最近まで心を閉ざしていた、こいしが?



「このあいだ、お姉ちゃん達がコテンパンにのされちゃったことがあったじゃない」
「う・・・・・・」
「お姉ちゃん達は、泣く子も黙る地獄の妖怪だというのに、それを倒したやつってどんなのかなって」
「それで、地上に?」
「うん、魔理沙と霊夢・・・あ、黒白の魔女と博麗の巫女ね、2人と会って弾幕ごっこもしたんだよ。負けたけど」



楽しそうに話すこいし。
目を細めて手を胸の前で握り、思い出を楽しむように反芻している。



「それでね、その後 魔理沙と仲良くなって、早苗や諏訪子ともいっぱい遊んだよ。地上は面白いよ。だから、これからも地上に自由に行けると良いな」
「なるほど・・・・・・」



 そんなことがあったなんて・・・。
考えてみれば、こいしが急に意識を取り戻したのも、何か理由がなければおかしな話だ。
私はてっきり、ペットの影響でそうなったのかと思っていたけれど、まさかそんな出会いがあったとは。


こいしはいまだ意識を閉ざしている以上、私はその心を知ることが出来ない。
けれど、魔理沙や早苗とどのように遊んだかを、嬉しそうに語っている彼女の様子を見れば、いい出会いだったのだろう。
けれども。



「こいし」
「うん、なあに」
「地上の人々との触れ合い、とてもいいことだと思います。けれど、そのまま意識を行使していれば、間違いなくあなたの“さとりの能力”は再び覚醒するでしょう。それは構わないのですか?」



 おかしな話だ。
こいしが第三の目を開き、意識を取り戻すことを、あれほどまでに切に願っていた私なのに。
いざその予兆が見えると、そのことによって、再びこいしが傷つくことを心配するだなんて。



「う~ん・・・・・・確かに、また汚い考えがいっぱい私の中に入ってくるのは嫌」
「そうでしょう」
「けれど、せっかく楽しいんだから、もっと知りたいの!」
「・・・・・・」
「このままじゃあう~ん・・・・・・えっと、なんだかもったいないなって。だから、別に傷つくかもしれないけど、でもいいやって」



 なんだろう。
心が少しざわつく。
こいしの強い気持ちに、喜びたい気持ちもあるのに、どうしてだろう、なぜか食い下がりたくなる。
私は、それでは過去の繰り返しになるのではという疑問を口に、



「さとりさま!」

バンッ! という大きな音を立て、両開きの書斎のドアが開かれる。
そこに立っていたのは、扉を叩いたままに両腕を横に広く広げた、流れるような黒髪と、大きな2対の羽。


「お空。部屋に入るときはノックしなさいとあれほど・・・」
「ひいぃぃ、ごめんなさい!」


よほど気難しい顔をしていたのか、お空が開口一番で平身低頭する。
まったく、こういうところばかりは、いくら躾けても直りませんね・・・



「お姉ちゃん、私はどっか行くね」
「ごめんなさい、こいし。・・・・・・それで、なんの用事ですか?」
「それが、旧都でスペルカードを使った喧嘩が・・・!」
「ほう・・・!」



 とたんに私は、地底の管理者としての面持ちを取り戻す。
終わらない饗宴の街、旧都だ。
多少の喧嘩は日常茶飯事。
取り立てて取り締まることではない。


しかしそれでも、いくつかのルールがある。
それは往来の多い街中での弾幕の展開だ。
いくらなんでも、無関係の怪我人が出るような事態は看過できない。
それがスペルカードの使用となればなおさらだ。


「それで、当事者達は?」
「あ、はい、本格的な喧嘩になる前に、自警団が止めに入りまして、もうここに出頭させてます」
「あ、そうでしたか」


 とりあえず安息する。
すでに私の頭の中では、地霊殿からお空とお燐を派遣し、事態を鎮圧。同時に私も向かい、情報を整理するという青絵図まで出来ていた。
それが大事となる前に防がれたとなれば、後は当事者達を罰すればいい。


「さあ、入りなよ。・・・・・・ああ、確かに悪いことしたんだけどさ、さとりさまは優しい人だから」


当事者達が部屋に入りたがらないらしく、お空があたふたと困った表情を浮かべている。
しかし様子がおかしい。


「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」


そこに現れたのは、年端も行かない容姿をした2人の少女。
しかし1人は・・・


「ヤマメ! まさかあなただなんて・・・」
「・・・・・・・・・」
「そちらは河童ですね。どうしてこんなことを」
「・・・・・・・・・」


別に心を読めば済むことだが、形式上訊ねる。
どちらかというと、叱るためといったところだ。


「2人とも、黙っていては分かりませんよ。街中でスペルカードを使用することがどれほど危険なことか・・・」
「「こいつが悪い!!」」


 同時に叫び、お互いを睨み付けながら指を突きつけあう2人。
鼻息も荒く、どうやら喧嘩は終わっていないらしい。
私は深々と溜息を付き、両肘をついて組んだ手の上に額を乗せた。
頭が痛い・・・






 喧嘩の原因は、それはもう些細なことだった。
旧地獄の核融合炉化計画に則り、地底に足を運んでいた河童、河城にとり。
この河童にヤマメが、こんなところで何をしているのかと突っかかったのだ。
後は売り文句に買い文句。
あっという間に2人とも頭に血が上り、スペルカードを取り出す始末となったのだ。


かつて地上において、土蜘蛛と河童は犬猿の仲だった。
別段、妖怪として互いに利害がぶつかり合うわけではないが、ルーツに問題がある。
土蜘蛛は製鉄を営む人々の陰気から、河童は水場で漁を営む人々の信仰から生まれた。
いわば河を土で汚す存在の化身と、河を守る水神。
衝突しあうのも無理はない。


病を操る能力も持つ土蜘蛛は、地底に封印されたため、この対立軸は喪われて久しい。
だが、こうして地底と地上が繋がった今、再び摩擦が生じているわけだ。



 喧嘩の第2ラウンドとさして換わらないだろう、言い合いを適当に流しながら、私はぼんやりと考えていた。
恐らくここで、この問題を解決することは出来ないだろう。
とすれば・・・


「分かりました!」


ピシャリとした言葉に、いがみ合っていた2人もさすがに黙る。
私は2人が話を聞いていることを確かめて、判決を下す。


「2人の言い分ですが、どちらも正しく、どちらも間違っています。まずヤマメ」


 ヤマメがごくりと喉をならす。
心の声が、私のトラウマを抉る罰則を恐れていることを伝えてくる。


「現状、地底と地上は繋がってしまっており、それを阻む取り決めはありません。このことに関しては、これから決まりが定められていくので、それまで河童を地底から排除ししていい理由はありません」


とたん、ヤマメの心が不満の色に染まる。


「しかし河城にとり。地底の妖怪は、地上の妖怪からの嫌忌を逃れる権利を持って、ここ地底に都を築いています。あなたがこの地底にやってくることは構いませんが、ヤマメに対して侮辱するような言動は許しません。それに、先にスペルカードを取り出したのは、あなたでしたね」


 そのことを指摘された瞬間、河童の表情がしゅんと暗くなる。
心を覗いても、スペルカードを取り出したことは軽率として反省しているようだ。
ヤマメに対する攻撃的な感情はいかんともしがたいが、悪い子ではないらしい。
よし。


「とにかく。けが人が出なったのが幸いです。なので、今回は2人を罪には問いません。ですが、重々反省して、今後このようなことがないように」
「・・・・・・はい」
「はい」
「では気をつけて帰りなさい。お空。河城さんをお送りしなさい。ヤマメ、あなたは残るように」


 河童は思うところがあったのか、最後に深々と私に頭を下げ、謝罪の言葉を口にして書斎を出て行った。
部屋を出る際、彼女に笑いかけるお空の屈託のない顔が一瞬目に映った。


人の良いお空のことだ。
仮に悪いことをした相手とはいえ、暗い表情をしている子をほっとけないのだろう。
そういうところは、飼い主に似なくて良かったと思う。


さて、私は目の前のヤマメだ。


「ヤマメ」
「はい」
「いえ、いいです。もう私は、地底の管理者として話しかけてはいません」
「ん・・・・・・うん」
「らしくないですよ、ヤマメ。いったいどうしたと言うんです?」


 そういって私は、俯いたヤマメの顔を覗き込む
ヤマメは賢い子だ。
人と渡り合うことがうまいし、悪く言えば計算高いところもある。


そんな彼女が、どうして“わざわざ”河童に突っかかり、そしてスペルカードに応戦するような真似をしたのか。
いつものヤマメなら、相手がスペルカードを取り出した時点で、喧嘩の“勝ち”を狙いに行くはずだ。
心を覗いても、興奮しているのか、断片的な思念が浮かんでは消えるばかりで、把握しかねる。

そのとき、ヤマメがきっと顔を上げ、鋭い目でこちらを見つめた。


「だって、河童なんだよ!」


 その声は少し震え、彼女が涙を堪えていることが察せられる。
私は彼女の激高に驚くばかりで、思わず椅子から立ち上がってしまう。
ヤマメは、私が立つ机の縁に両手を付き、私のことを見上げながら続ける。


「私も分かんないよ。河童を見かけて。なんとなくむかついたから突っかかって。そしたらどんどん嫌な感情が湧き上がってきて。もうどうしようもなくなっちゃって・・・」
「・・・・・・・・・」
「自分でも嫌なんだよ。こんな気持ち。人を嫌うのって、憎むのって、本当に、自分がどんどん醜くなってくみたいで・・・」


ヤマメの目じりから、溜まりきった涙が一筋、頬を伝う。
私は何も返すことが出来ず、ただヤマメの叫びを聞いていた。


「本当はね、本当はね。最初から突っかかるつもりはなかったんだ。もしかしたら、もう何百年も経ったんだから、今度こそうまく話せるかなって。でもやっぱり駄目だった。いざ話してみれば、昔の通りのいがみ合い。やっぱり変えられないのかな」
「それは・・・・・・」
「地底に封印されたとき、ふと思ったのを思い出したんだ。ああもうこれで、河童と憎みあわなくてすむ。もう嫌な自分に気づかないですむ、って」
「・・・・・・・・・」
「ねえ、どうして地底と地上はまた繋がってしまったの。こんな関係は他にもたくさんあるよ。私達は嫌われ者だもん。外の連中とうまくやってくなんて、無理だよ・・・! どうして・・・」


 とうとう泣きじゃくり始めるヤマメ。
心を覗いてみれば、彼女のトラウマの心象風景。
嫌われ、憎まれ、迫害され、妖怪の身にまで追い込まれた彼女の人としての生。
そして妖怪となった後も、能力故に疎まれた、孤独な日々。



 私達は、どうすればいいのだろうか。
荒くれ者ばかり集まった宴の旧都も、どこか寂しい。
それは嫌忌された妖怪・怨霊達が、寄り添いあうように暮らしているからなのか。

繋がってしまった地底と地上。
いったい私は、どうすればいい











 あれから一週間。
妖怪の山はいまだに肌寒く、冬を感じさせる。
常緑樹が多いため、山は密度を失ってはいない。


だがところによっては、紅葉を過ぎて枯れ木となった一帯があり、足元に敷き詰められた枯葉とあいまって、物悲しい印象は晴れない。
太陽は真上から光を落としてくるが、冬の大気に阻まれ、そのぬくもりが届くことはない。



 夏か・・・・・・
もう何百年も経験していない。
こうして久々に地上に出る機会を得ているというのに、冬景色とは。
少し残念な気もする。


2回目の会談ということもあり、私の心には少し余裕があった。
いや、余裕があるというと語弊がある。
繋がった地底と地上をどうするか、その答はいまだに出ない。


鬼達は真剣に討議を重ねてくれたが、最終的な結論は、管理者に委ねる、というものだった。
結論は私が出さなければならない。



 けれど、地底への人間の侵入、その後処理も進み、時間的な余裕ならある。
何よりも、地上の様子を自分でも見聞きしたいと思い、こうして日中のうちから地上に赴いたのだ。
会談が開始される日没には、まだ時間がある。


しかし地上に出てきたとはいえ、冬は生き物の気配のほとんどを奪っているようだった。
これでは見聞きするもなにもあったものではない。


今から不案内な地上を、妖怪の山を離れて移動するのもはばかられる。
仕方がない、早めに守矢神社へと赴き、風祝の巫女や神社の来訪者に話を聞いた方が賢明か・・・・・・





 そのとき、木々の折り重なった視界の先に、見覚えのあるシルエットが見えた。
両手を掲げ、リボンをはためかせながら優雅に舞い続ける姿。
あれは、厄神の鍵山雛・・・・・・


なぜか一瞬、胸がむずがゆいような感覚に襲われる。
私はいぶかしく思いながら、それを気にすることをやめ、彼女のほうへと速度を増す。


すると、彼女もこちらに気が付いたのか、ふわりと動作を緩めながら大きく舞い上がると、こちらを向いて枯れ草の上に着地した。
色素の薄い冬山の中で、彼女が身にまとう深紅のドレスは、暗色として景観ににじみながらも、やはり鮮やかだった。


「あら、また会えたわね。お久しぶり」
「ええ、雛さん、お久しぶりです」


私は彼女のところへと向かい、彼女と相対す。
彼女は先日会ったときと変わらず、にっこりと微笑んで私を迎えてくれた。



 しかし、どこか違和感がある。
先日感じたような、厄による不安感を感じない。
近くにいるだけで、ひしひしと感じるほどだったのに。


「しかしちょうど良かったわ。さっき川で、厄を流してきたところなの。今の私は、綺麗さっぱりただの神様よ」
「・・・川へ流す、という話は聞いています。ただ、ある程度の厄は常に身に着けているものだと思っていました」
「ううん、普通はそうよ。ただし今は、冬だもの。それも妖怪の山。放っておけば自然に厄を集める私でも、集めようがないわ。それに、自然と集まる厄はほんのわずかだし、やっぱり人と出会わないと、何も集まらないに近いわね」


手を腰の前で重ね、小首を傾けてそう説明する彼女は、やっぱり愛らしかった。
今は厄からの不安感もなく、自然な気持ちでそれを感じることが出来る。


「それで、今日はどうしたの? 確か地底の管理者、だったわね。また地上に用事」
「ええ、そうなんです。・・・・・・繋がってしまった地底と地上をどうするかについて、守矢神社で会談を」
「あら・・・・・・そう。そんな話し合いが開かれるのね」
「はい」


彼女は神妙そうな顔をすると、少し考え込む様子を見せる。
私はその心の声を聞き取ってしまう。


「その、あなたは、どうしたいと考えているの?」
「それが、まだ、決めていないのです・・・」
「ふ~ん・・・・・・」


彼女の心の声。
それは地底の妖怪が封印された経緯についてだ。
やはり神の座の一角を占める存在であるからか、考えることが大局的だ。
繋がることによって生じる対立を、彼女は危惧している。


その一方で、そのような状態をなくす機会になるのではとも、彼女は考えている。
嫌忌、対立、迫害・・・・・・そのような理由で袂を分かったままの世界は悲しい。
そんな悲しい別れは、なくせるものならなくしてしまいたい。



 ふと、彼女の心に別の考えが生じる。
それは、私も考えていたことなので、先に会話の種を拾うことにした。


「それで、判断のためにも、地上のことを知りたいと思って、早めに地上に出てきたのです」
「会談は何時から始まるの?」
「日没後です」
「・・・・・・じゃあ、私が案内してあげようか?」


名案を思いついたというように、少し茶目っ気のある表情で、彼女がこちらを見やる。


「いいのですか?」
「ええ、幻想郷の地上のこと、詳しく知ってもらいたいもの」


そういって彼女は、何かを紹介するように左手を横に掲げる。
私達のいるところは、まばらとはいえ木々があたりを囲み、そう遠くは見えない。
しかし、彼女に指し示された冬の山景色は、どこか見るべきもののように思えた。


「……では、ご好意に甘えさせて頂きます」
「はい、分かったわ。そう固くならないで、楽しみましょう」
「ええ」







「といっても」


ゆっくり行こうという彼女と、地上を歩き始めてから少し。
会話がいったん途切れたところで彼女は言った。


「冬の妖怪の山で、妖怪や人の生活を見聞きするのは難しいわね」


そういって雛は、こちらを振り返りながら、少し困ったような笑顔を向ける。


「今から麓に降りるのは、空を飛んで行ってもさすがに時間がかかるし、この山に暮らす者達も、冬はねぐらに籠もって出てこないわ。 河童や天狗は活動を続けているけれど、やはり内に籠もりがちだし」
「そうですか…。残念です」
「でも、山の美しい景観なら、いくつか紹介できると思うわ。…これも、秋の神が力を振るう、紅葉の季節が一番なんだけれどね」


そして雛は、紅葉と豊穣を司る秋の女神について話してくれた。
実際に紹介できない地上のことを、言葉で埋めようと、彼女は地上のあらゆることを説明してくれる。



 彼女が語る内容。
次に何を語ろうかと思案する際に、彼女の心に浮かび上がる様々な美しい光景。
楽しげな団欒。
そのどれもが心地よいもので、私の心は満ちてくる。


春・夏・秋……
水辺・星座・草原。
かつて、知っていたもの。
今は、遠い過去のもの。
これからは…?




「さあ、とりあえずここね」
「はい」
「この岩の上に登ってみて」


そこは林の中で、岩は天地を司る神の勘違いで置かれたかのように、威容を放ってそこにあった。


斜面に逆らい、やや水平方向に突き出たそれは、案外登ることは容易だったが、それでも大きい。
私はところどころ飛翔しながら、その頂上へと登りつめる。
そして


「さあ、どーお?」
「綺麗……ですね」


息を呑むような景色ではない。
けれど、目の前に現れた風景は、しみじみと嘆息するには十分だった。

山から突き出た岩からの眺めは、幻想郷の地上を一望できるものだった。
冬晴れの大気とあいまって、遠くの果てのほうまで見透かせる。


「見えるのはだいたい東の方角ね。ほら、正面の遠くの小山。大きな鳥居が見えるでしょう? あれが博麗神社。その麓からこの近くのところまで、時々ぽつぽつと建物が見える開けた土地。それが人里よ。それから、左斜めに広がっているのが、妖怪達が住む迷いの森。あなたが地底で大変な目に合わされたって言う、黒白の魔女と人形遣いは、あの森に住んでいるわ」


雛は私の斜め後ろに立ち、景色の1つ1つを説明してくれる。
これが地上……地底では、こんな開けた視界を確保すること自体が難しいというのに。
こんなにも、こんなにも世界は広がっているのだ。



――しばらく黙ろうかしら。じっくり見てほしい景色だもの……――
そんな彼女の呟きに甘えて、私は薄青の空の下に広がる、景色に浸っていた。







「そういえば、なぜ雛は冬にも出歩いているのですか?」


すっかり打ち解けた私達は、互いの個人的なことも聞き合うようになっていた。


「それはもちろん、厄を集めるためよ。確かに人も妖怪も出歩かない季節だけど、全く集まらないわけじゃないわ」
「どうしてそこまで? 雛だって寒いのではないですか?」


そういうと彼女は、照れたように小首をかしげて笑いながら、こう答えた。
頭の上の深紅のリボンが、ふわりと揺れる。


「一番大きいのは、私がそういう存在だからってことだけど・・・・・・やっぱり、できるだけたくさんの厄を引き受けたいから」
「というと?」


私は彼女の心の声を聞き取る。
けれど、それを直接耳にしたくて、彼女に続きを促す。


「少しでも多くの人に・・・・・・ちょっとの間だけでもいいから、幸せになってほしいから」


私の心まで澄んでいくような、純粋な思いだった。彼女が神だからではなく、彼女の言葉・心・姿に、静かで染み入るような尊敬の念を感じた。


「あ、あら、私、何を言ってるのかしら・・・・・・ほら、いま見えて来たのが、修行者の滝よ」


心の隅まで恥ずかしさで一杯となった雛は、私から目をそらし、前方を示す。

「ほう・・・これは・・・・・・」



 再び、見事な眺めだった。
そこは開けた土地で、ふもとへと貫いていくのは大きな川。
しかしその流れは凍てつき、そして目の前には・・・・・・


「冬の間しか見られない、滝の凍りついた姿よ」


圧巻の光景だった。
激しい瀑布のうねり。
それがそのままに、時を失ったかのように静止している。


滝は見上げるほど大きく、発する冷気のせいか、上方はうすもやがかってうかがい知ることが出来ない。


「基本的に凍ることのない川なんだけど、なぜかこの周囲だけ、不思議なことに滝の周りだけ凍るの。その間、枯れていた他の支流が復活して、上流と下流は繋がっているのだけれど」
「あ、誰かとおもったら、雛様じゃないですか」


突然の第三者の声。


「あら、椛。今日も見回り?」
「はい、哨戒部隊に休みはありませんから」


そう言って現れた白髪の少女は、寒そうにぶるりとふるえてみせた。


「ところで、そちらの方は?」
「この方? この方は地底世界の管理者、古明寺さとりさんよ」
「はじめまして。ご紹介預かりました、古明寺さとりです」
「あなたがさとりさんでしたか! 自分は、天狗の里第3哨戒班所属、白狼天狗の犬走椛です。あなたが今日いらっしゃることは、上から伺っております」


椛と名乗った白狼天狗の少女は、姿勢をただし、こちらに礼をする。


「このあたりは天狗の縄張りなの。それで椛は、里を守るために見張りをしているってわけ」
「でも実際は、わざわざ妖怪の山の、それも天狗の里に侵入するようなやつなんていませんし、暇でしょうがないですよ」



 私は初対面の人に対する常の癖で、椛の心を軽く覗いてみる。
なるほど、侵入者と見れば警告の上排除する哨戒部隊だが、今日私が来ても丁寧にもてなすよう指令が出ているらしい。


けれど、私の情報はあまり渡されていないらしく、能力のことも知らないようだ。
そして地底の人間に興味一杯。
さっきから振られているふさふさとした白毛の尾は、その感情故なのか。
ただ、それよりも・・・・・・


「でも、そうやって安心していると、思わぬ侵入者に驚かされることがあります。長らくそのような事態と無縁だった地底も、博麗霊夢と霧雨魔理沙の進入を許しました」
「霧雨魔理沙!」


思うところがあったのか、博麗の巫女ではなく、黒白の魔女の名を叫ぶ椛。
そしてしばし3人で、弾幕をものともせずに、自分達を力でねじ伏せた人間達に関して会話を交わす。


妖怪の山に2柱の神が降臨した際の顛末は、雛から道中詳しく聞いていたが、この椛も迎撃に当たったらしい。
彼女が敗れたのは黒白の魔女らしく、ちょうどこの滝の中腹でのこととのこと。


小手調べ程度に挑んだところ、あっけなくやられてしまい、自分の未熟さを痛感したと語る椛。
しかしその表情は淡々として晴れやかで、彼女の真面目でいて曲がるところのない人格を感じさせる。
快い語らいの時間だった。




 しばらくの後、時間が少し気になった。


「雛、ここから守矢神社までは、どのくらいかかるのですか?」
「ん・・・そうね、まだ余裕はあるけれど、そろそろ行った方がいいわね。ちなみに守矢神社は、この滝を登ってしばらくのところよ」
「あ、もう行っちゃいますか。残念です。それでは、雛様、さとりさん、道中お気をつけて」
「ええ椛、あなたもお勤め頑張ってください」


そう交わして、私達は握手をする。
雛とはまた違う、含むところのない溌剌とした、澄んだ笑顔を向けられる。


「じゃあ椛、今日も厄を引き受けましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
「でもあなたの場合は、厄を持っていた方がいいのかもしれないわね」
「え、それはどうしてですか?」


椛のくりくりとした目がさらに大きく見開かれる。


「だって、災厄に巻き込まれる回数が減る・・・あなたが心の底から大好きな、射命丸文に振り回される機会が、減っちゃうかもしれないもの」
「な、なな、え、えー・・・」
「ふふ」
「違います!私は文様を尊敬していますが、大好きだなんてそんな・・・・・・というか、会えなくなるって本当ですか!?」


椛は耳も尻尾もしなだらせ、全身を使って不安の意を示す。


「うそよ。会って酷い目に合わされるかどうかに影響はあるけれど、会う会わないはあなた達の相性よ」
「はあー・・・よかったぁ・・・」


椛は心底安心した様子で、深い深い溜息をついた。
彼女の口から、冬の寒さに似つかわしい、白い息が立ち上る。


私はこのやり取りを、心の声も含めて聞いていたわけだが、射命丸という烏天狗への椛の想い・・・・・・
その、こういう論理的でない意識が流れ込んでくるのは、つらいものがありますね。


「はい、終わり」
「え? もうですか??」
「それなりの時間は経っているわよ」
「あ~ん・・・あのちょっとずつ気分がすーっと楽になっていく感じがいいのに」
「ふふ。あなたも厄をためこみやすいタイプだものね。でも、効果は変わらないはずよ」
「・・・・・・はい、何だか楽になりました!」


驚いたのは椛だけじゃなく、私もだった。
会話の始まりから、雛は右手を椛へと掲げ、やや集中するような表情を見せていたが、それだけだ。
厄を祓う神事といっても、何か大仰な儀式をするわけではないということか。


「それじゃあさとり、行きましょう」
「お2人とも、また!」



 滝を前に飛翔する私達。
そんな2人を、椛は元気一杯という調子で、右手と尾を大きく振って見送ってくれた。


「いい子ですね・・・」
「ええ、ほんと」


私は隣を飛ぶ、雛に語りかける。


「天狗とは思えない素直さです」
「うふふ、そうね。あれでも茶目っ気がでた方なんだけれどね。彼女が慕っている、狡猾さにかけては幻想郷の権化みたいな射命丸に付き従って」


山の上へと登っていく間、雛はそんな彼女にまつわる話を聞かせてくれるのだった。






「さあ、もうすぐそこが、守矢の社よ」


気付けば、目的地に着いていた。
山肌に夕日がつきささり、幻想郷の地上を真っ赤に染め上げている。
時刻もいい頃だ。


「ここまでの案内、ありがとうございました」
「もう、最後までさとりは固いんだから」
「そうですね・・・・・・これはクセみたいなもので、抜けないのです。私はそれこそ、妹にも丁寧語でしゃべりがちです」
「重症ねぇ」


そういって私達は笑い合う。
・・・・・・私の笑顔は、ぎこちなくなかっただろうか。
そう思ってしまうくらい、素直に笑いたいと思えた。



 そして静寂。
私は彼女の気持ちも、自分の気持ちも分かっていた。
別れることが名残惜しい。
もう少し、一緒にいたいのだ。


「あの、雛、お願いがあるのですが」
「ん、なあに」
「私の厄を、引き受けて欲しいのです」


えっ、という表情とともに、パッと様相を変える彼女の心。
意外。疑問。喜び。そしてその色の混じりあいから


「でも、この間は・・・」
「そうですね。・・・・・・正直に言うと、全く今までにないことで、物怖じしていた面もありました」


正直に言えば、気味悪く感じていたことは否定できない。
けれど、半日一緒に過ごして、さっきの椛とのやり取りを見て、


「雛のこと、よく知りましたから。今は安心できます。それに、本当に真摯に厄を引き受けようとする雛の姿を見て」


本当に心優しい、あなたの姿を見て


「私の一部を託してもいいのでは、と、思ったのです」


言って数刻、恥ずかしさで体中が熱くなる。
私は、何を言っているのだろう。
少し汗をかいて、衣服が張り付くような感触がする。


それは雛も同じらしく、言葉を返すこともなく、深緑の頭をこちらに向けて、うつむいてしまっている。
胸の前で合わせた両手に、少し力がこもっているように見えるのは、気のせいだろうか。


「じゃ、じゃあ、引き受けるわね」
「は、はい、よろしくお願いします」


さっと顔を上げ、少し苦しげな笑顔を浮かべながら、雛が仕切りなおす。
そして目を閉じ、右手を私のほうへと掲げると、再びあたりは静かになった。
自分の呼吸音と風の音、やけに大きく聞こえる。



 そして、その感覚は始まった。
なんだろう、この自分が透き通っていくような感覚は。
気付かないうちに感じている、体のあちこちの不具合。


その1つ1つが、丁寧に労われながら、解きほぐされていく。
浄化、という言葉が頭をよぎった。
しばし後、その感覚は、雛の言葉とともに終わった。


「うん、これで良し。しかしあなた、やっぱり溜め込んでるわねえ」
「そうですか」


心なしか、初めて会ったときのような不安感を滲ませる雛の姿。
けれど、今はそれはそれと考えて、構わないと思える。
だってこの人の心は、こんなにも清らかなのだから。


「じゃあ、これで、お別れね」
「はい・・・・・・」


もう語らなければいけないことは何もない。
語りたいことはあるかもしれないが、その時間はもう過ぎた。


決まった生を持たない神と、地下に居座る妖怪の長。
2人が出会うことは、もう一度あるのだろうか?


「ねえさとり」


けれどそんな不安は、彼女が解消してくれた。


「あなたが住むという地底、地霊殿に、遊びに行ってもいい?」
「・・・・・・・・・はい」


そのとき私は、どんな表情をしていただろうか。
きっと、自分で言うのも恥ずかしいくらい、何の曇りもない笑顔をしていたはずだ。
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コメント



0.1170簡易評価
5.80名前が無い程度の能力削除
内容はよかったけどタイトルは少し考えたほうがいいかも。
ともあれ、次回作期待です!
13.100名前が無い程度の能力削除
意外な組み合わせが期待大です。
続編お待ちしてます。
17.100名前が無い程度の能力削除
いいですねぇ、久しぶりにときめきました
18.100名前が無い程度の能力削除
新しい世界が・・・これは期待
19.100名前が無い程度の能力削除
とてもいい雰囲気でした。

続きを楽しみにしています。
22.100名前が無い程度の能力削除
後編読んで来ます
31.100名前が無い程度の能力削除
さと雛流行れ!