Coolier - 新生・東方創想話

月見

2010/09/22 20:57:07
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雲一つ無い、まっくらな空に浮かぶ真っ白な真円。
星の輝きさえ忘れてしまうほど、圧倒的な存在感を放ち、世界を青白く照らす夜の女王。
空に浮かぶ満月を見上げ、どれくらい時間が経ったのだろう。
5分?10分?
良く分からないが、とても長い時間見つめているような気がする。
見上げ始めてから、何の変化も無い空の月。
変化が無い?
本当にそうなのだろうか?
最初に見上げたときよりも、月は大きくなってはいないだろうか?
いや、もしかすると僕の方が月に近づいているのではないだろうか?


だんだんと不安になる心。

自分の記憶に自信が無くなる。

大きな大きな白い月。

手を伸ばせば、ふれられそうなほどちかい。

とても、つきがきれいだ。

このままぼくは、そらにうかびあがり、つきにとらわれて―――


ホーホー

梟の鳴き声にハッと我に返る。
ここは香霖堂の店先。
僕が腰を下ろしているのは、以前に無縁塚から拾って来たベンチ。
右手に持っているのは、酒の入った盃。
そうだ、僕は一人で月見をしていたのだ。

森から聞こえる虫の声。
月を見上げた時に、木々が視界に入らないようにと向けられたベンチ。
白くて大きな、でも、決して手の届きそうに無い月。
月は大きくなっていなければ、僕も一歩たりとも動いていない。
何も変わっていない、すべて僕の記憶どおりだ。
僕は地上に住む半妖。
月に行くどころか、空を飛ぶことさえままならぬ身。
いくら月を見上げても、月に囚われたりなどしないはずだ。

冷静になり、心に広がる安堵感と、ほんの少し残念に思う気持ち。
それらを誤魔化す様に盃に口をつける。
アルコールが舌をすべり、食道を通り、胃袋に至る。
先程よりも、少しだけぼんやりとした頭で、再び月を見上げる。

なるほど。
変化しない月を見つめ、自分の心の変化に目を向け、耳を傾ける。
月の美しさを楽しむだけでなく、月を鏡として自分を写して楽しむ。
月見には、このような楽しみ方もあったのか。
今更ながらの発見に少しばかり心が踊る。
このような楽しみ方は、霊夢や魔理沙といった騒がしい連中がいては出来ない事だろう。
一人でしか出来ない月見。つまり、今浮かんでいる月は僕が独り占めしているといっても良いのではないだろうか。
そう考えると、なんとも贅沢なことだろう。

再び盃をあおる。
ああ、旨い。
手酌で盃を満たし、再び空を見上げる。

月は自分の心を写す鏡である。
よくよく考えてみれば何も不思議なことではない。
鏡の神として有名なのは、八咫鏡を持つ太陽の神、天照大御神だろう。
しかし、イザナミの持つ白銅鏡から生まれ、天照と同一視される月読尊もまた鏡の神といえる。
ならば、太陽も鏡として自分を写して楽しめないだろうか?
残念ながら天照の後光は、地上に住む者には強すぎて、まともに見れば目がつぶれてしまう。
安らぎと静寂と狂気を与えてくれる月こそが、地上に住む者の鏡なのだろう。






「こんばんは香霖堂、今日は佳い夜ね」

何時の間に近づいてきたのだろう。すぐ傍からかけられた声に、居住まいを正し、視線を向ける。
そこにはなんとも月の似合う少女が一人。
永遠亭の主にして、月の姫、蓬莱山輝夜が立っていた。
永遠亭の用事ならば大概の場合、優曇華なる妖兎が使いに来るのだが、何か特別な用事でもあるのだろうか?

「いらっしゃい。今日は何かお探しで」

見てのとおり店を閉め、プライベートを満喫していたのだが、まぁ、良いだろう。
客であるならばいつ訪れようと、僕は自分の仕事をするだけだ。

「貴方の時間をいただけないかしら?御代はこれで」

輝夜はそう言って、持っていた酒瓶を掲げてみせる。
どうやら、酒盛りのお誘いのようだ。
僕の記憶が確かならば、彼女の掲げている酒、あれは里の酒屋の高級酒だったはず。
今飲んでいる安酒とは、比べ物にならない値段だったはずだ。
味もまたそうなのだろう。
ふむ、僕の時間は僕以外の誰の物でもないし、そもそもそんな物は香霖堂の商品ではない。
しかしながら、お得意様である永遠亭の主の頼みだ、少しばかり融通を利かせても罰は当たらないだろう。

僕は了解の意を示すため、体をスライドさせ、ベンチに彼女の座るスペースを作る。
これはお得意様へのサービスだ。腹の鞄からハンカチを取り出し、開いたスペースに敷いてやる。

「あら、ありがとう。それでは失礼するわね」

スカートが皺にならないように、上品に僕の隣へと腰を下ろす輝夜。
そして、酒瓶を抱えたまま、ニコニコとこちらに微笑みかける。
あとは、これだな。
再び鞄をあさり、中から盃を取り出し、彼女へと差し出す。
彼女は待ってましたとばかりに、盃を受け取るとベンチの脇にそれを置き、僕のほうへと酒瓶の口を差し出した。

「すごいわ、その鞄。中から何でも出てくるのね」
「いくらほめてもこれ以上何も出ないよ。鳩や花を出すのはまた今度」
「あら、それは残念ね」

僕は自分の盃に残っていた酒をあおり、空になったそれを輝夜のほうへと差し出す。
ゆっくりと満たされる酒。
盃が一杯になったところで彼女から酒瓶を取り上げ、酒瓶の口を彼女のほうへと向ける。
そして、彼女が両手で差し出した盃に瓶の中身を注ぐ。

「それじゃあ」
「乾杯ね」

コツンと盃どうしをぶつけ、中身を飲む。
ああ、旨い。
さっきまで飲んでいた酒もなかなかの物だったが、この酒にはとてもかなわない。
さすがはかぐや姫、酒の目利きもたいしたものだ。

再度杯に口をつけ、中身を空にする。
喉と唇を潤せたところで輝夜へ質問を投げかける。

「そういえば、永遠亭では中秋の名月には祭りをすると聞いていたんだが、館の主である君がこんな所にいて良いのかい?」
「例月祭のことね。あれなら永琳が考え、てゐやイナバが監督をして、妖兎達が行っているわ。おかげで例月祭の最中は誰も私の相手をしてくれないのよ。あまりにも暇なのでつい、屋敷を抜け出してしまいまったわ」

年に一度の祭りを、ついで抜け出していいものなのだろうか?
いや、仕事をしない責任者ならば、逆に居ない方が現場はノビノビと仕事を出来るかもしれない。
きっとこれは彼女なりの気遣いなのだろう。

「じゃあ次の質問だ。君は何故ここに来たんだい?」

輝夜は何度か香霖堂を訪れているし、僕も何度か永遠亭に行った事はある。
しかし、差し向かいで酒を飲むような事を無かったのだが、今日に限ってどうしたのだろう、という質問なのだが……

「さぁ、どうしてなのでしょうね?」

ニッコリと微笑み、逆に質問をしてくる。
自分で考えろということなのだろう。

面白い、やってやろうじゃないか。
ヒントと呼べるような物は……
彼女の持ってきた酒は永遠亭独自の物ではなく、里の酒屋の物。
つまり先程まで里にいた可能性が高い。
次のヒントは彼女のセリフだ。
「あまりにも暇なのでつい、屋敷を抜け出してしまいまったわ」
『つい』つまり、計画を立てて香霖堂を訪れたのではない。
つまり輝夜はあまりにも暇だったので永遠亭を抜け出し、誰かと酒を飲もうと思い、里で酒を購入し、香霖堂へ来たということか。
さて、ここで香霖堂へ来た理由はなんだ?
こういう時は、相手の気持ちになって考えるのがポイントだ。
香霖堂へ来るメリット。
他では見られない品物がある。
博識な店主がいる。
あとは……

「里から近かったからかな?」
「そこは冗談でも、『僕に逢いに来たのかい?』とか言うところではないのかしら」

輝夜はクスクスと笑いながらも、酒瓶の口をこちらに向けてくる。
どうやら先程の答えで正解のようだ。
博麗神社、妖怪の山、紅魔館、輝夜の知り合いが住んでいるのは、少々里から離れたところばかりだ。
里の知り合いといえば上白沢慧音がいるが、生憎と今日は満月。
慧音は満月の夜には随分忙しくしていると聞く。
とても、酒盛りに誘える雰囲気ではなかったのだろう。
そこで僕に白羽の矢が立ったわけだ。
香霖堂も決して里の近所とはいえないが、他と比べれば随分と近い。
ついでにいうなら、僕がダメだったら、もう少し森の奥に住んでいる魔理沙かアリスを誘えばいいのだ。
だから魔法の森のほうへと歩いてきたのだろう。
僕は盃を差し出し、景品を受け取る。
空を見上げれば綺麗な月、隣に座り酌をしてくれる美女、盃を満たすのは上等の酒。
よくよく考えれば、なんとも贅沢な酒を飲み方をしている。
普段は一人で酒をたしなんでいるが、たまにはこういった飲み方も悪くない。
僕は頬を緩め、盃に口をつける。

「あら、随分ご機嫌ね」
「ああ、綺麗な月に美味い酒。何も言うことはないよ」
「『綺麗な月』ね……」

僕の言葉に気分を害したのだろうか。輝夜は不機嫌そうに月をにらみつける。

「ねぇ、香霖堂。月の民の寿命がとても永いことを知ってるかしら?」
「ああ、聞いたことがある。なんでも、とても強い生命力を持っていて、何千年、何万年もの間、若い姿のままいるらしいじゃないか」
「じゃあ、その月の民が、地上から見える月の裏側に住んでいることは?」
「たしか、人間や妖怪が入れないように結界を貼り、月の民はその内側暮らしている。月の民が暮らしている、結界の内側を月の裏側と呼んでいるんじゃなかったかな」

よく出来ましたといった風に、輝夜はコクリと頷く。

「じゃあ、次の質問ね。とても永い寿命と高い医療技術を持つ月の民が、未だに結界の外にあふれ出ないのはどうしてでしょう?」

あふれ出る?
彼女の言葉の意味を考える。
人が死なないのならば、鼠算式に人口が増える。
限られた土地、つまり結界内で人口が増え続ければ、いずれは土地が足りなくなる。
しかし、数千年の昔より、月でそれが起こっていないのはどうしてなのかという質問だろう。

普通に考えれば人口が増えていないか、土地が増えているかのどちらかだろう。
人が死なないのに人口が増えない、つまりは子供が生まれない。そんな事態などありえるのだろうか?
いや、さすがにそれは無いだろう。
欲から開放された、仙人や天人ですら子供を産む。
月人だって同じだろう。
そもそも子供が産まれないのならば、月の民など最初から存在しない。
それならば土地が増えているのか?
月の結界がどのような物かよくわからないが、結界の機能からして、博麗大結界とよく似た物ではないだろうか。
そんな物をそう簡単に張り直せるものだろうか?
幻想郷は、結界が張られてから今まで、土地が増えたりはしていない。
神の力をもってしても、外から持ってきた神社を山の上に乗せるのが精一杯だったはずだ。
そもそも、簡単に結界を大きく出来るならば、彼女はこんな質問はしないだろう。
月の結界も幻想郷の結界と同じなのだとすると、子供は産まれている、土地は増えていない、しかし人口爆発は起こっていないという事になる。
つまりは地上と同じように……

「月の民も死んでいるのか?」

輝夜はどこか悲しげな表情で、酒瓶の口をこちらに差し出した。
僕は盃でそれを受け、彼女の声に耳を傾ける。

「内戦、権力争い、事故。原因はさまざまだけど、死者は出ているわ。神の天秤か、生物としての本能なのか、誰かの陰謀なのか、私にも分からない。でも、誰かが生まれた分だけ、死んでいる人がいるの」

輝夜は盃の中身を飲み干し、再び言葉を紡ぐ。

「人間のように老衰で眠るように死んだり、妖怪のようにひっそりと消えていく。そんな安らかな終わり方はしないの。皆、血を流し、呪詛を口にしながら死んでいくのよ」
「月の民は、殺生を好まないはずじゃなかったのか?」
「好みはしないわ。でも、行わない訳じゃない。誰かが死んだとしても、穢れを祓い、見なかったことにしてるだけ。
ねぇ、香霖堂。そんな血と呪詛に塗れた月は本当に美しいといえるのかしら?」

これはどう答えるのが正解なのだろう。
先程まで、美しい風景にして心を写す鏡だとありがたがっていた月。
しかし、先の輝夜の言葉が本当だとしたら、それは血に塗れていることになる。
それを美しい物と言ってしまって良いのだろうか?

……

空を仰ぐ。
宙に浮かび、世界を青白く照らす真円。
その姿は、一人で月見をしていたときと何も変わらない。
しかし、先程と変わって、その姿を素直に愛でることが出来ない。
疑い、恐れ、嫌悪。輝夜の言葉によって、そんな物を植えつけられた僕は、月の姿を素直に楽しめなくなっている。

月自体は何も変わっていない。
変わってしまったのは僕の心だろう。
ならば答えは簡単だ。

「今夜の月は綺麗だね。そうは思わないかい?」

自分の心が原因だとすれば、気持ちを切り替えればいいだけだ。
せっかくの佳い夜にわざわざ嫌なことを考えて酒をを不味くすることもないだろう。

輝夜はどこか呆れたような顔で僕を見つめる。
貴方は私の話を聞いてらしたのかしら?とでもいった表情だ。

少し言葉が足りなかっただろうか?
僕はメガネの弦をコンコンと指で叩き言葉を続ける。

「僕はこの通り、目があまりよく無くてね。月の裏側なんて遠い世界は見えないんだよ。だから僕にとって今日は、美女が美味い酒をお酌してくれる、月が綺麗な夜という訳だよ」

生き物は生まれる時にすでに、過不足ない状態で産まれる。
つまり、見えない物は見る必要がない物だということだ。
月の裏側や、気まぐれな女性の心中。そんな見えない物の事を考えて、せっかくの酒をわざわざ不味くすることもないだろう。

「まぁ、クスクス……」

輝夜は堪えきれないといった笑う。
どうやら僕の答えを気に入ってくれたようだ。

「ふふふ……。それにしても、『月が綺麗』ですって?嬉しいですわ、漱石様」
「いや、そんなつもりで言ったわけじゃないんだが……」
「私も『あなたのためなら死んでもいい』と、返さなくてはいけないかしら」
「二葉亭四迷かい?その言葉も君が言うと、どうにも胡散臭く聞こえるね」
「まぁ、ひどい」

夏目漱石に二葉亭四迷、どちらも明治時代の文豪のはずだが、最近まで永遠亭に引きこもっていたはずの彼女が、彼らのことを知っているとは驚かされる。

「それはともかくとして、機嫌が直ったようで何よりだ」
「私も女の子ですもの。素敵な殿方に、美しいやら『愛している』などと言われたら、悪い気はしないわ」

予想外の輝夜の言葉に、僕は頭を掻いて誤魔化しの言葉を捜す。
彼女の言葉が冗談だと分かっているのだが、色事関係でからかわれるのはどうにも苦手だ。

「君は竹取物語で、言い寄ってきた貴族たちに、随分な態度をとっていた様じゃないか。てっきり、僕の言葉なんて聞き流しているものだと思っていたよ」
「まぁ、ひどい。彼らは、色欲や名誉欲に目がくらんでいたから、それなりの態度をとっただけよ。帝様くらい真摯な態度なら私もそれなりの対応をしてたわよ」

竹取物語では何人もの求婚者をあしらい、それでもあきらめない5人の貴族に難題を押し付け、求婚を退けた話は有名だ。
しかし、全員が手ひどく振られたわけではなく、帝とは手紙をやり取りする程度には仲良くやっていた。
そして、別れ際に月の羽衣と、不老不死の薬、帝へ充てた手紙を残していたはずだ。

「そうすると、真摯な態度で付き合い、みごと君の心を射止めることが出来た場合、もれなく不老不死の薬が手に入るわけだね。うん、悪くない」
「そこは、私の美貌に目がくらんだことにしなさいよ。そもそも蓬莱の薬目当てと言ってる時点で、ぜんぜん真摯な態度じゃないわ」
「不老不死の薬を手に入れる作戦が、あっさりとバレてしまった。さすがはかぐや姫。僕の胸の内なんてお見通だね」
「もう」

すねたような態度で、プイッとそっぽを向く輝夜。
僕は輝夜の機嫌をとるため、酒瓶の口を彼女へと差し出し、盃を満たす。

「それにしても、香霖堂。蓬莱の薬を欲しがるなんて、貴方は不老不死に興味があるのかしら?」
「いや、僕は自分の寿命に不満なんて持っていないよ」
「じゃあ、誰か死なせたくない人でもいるの?」
「別にそんなのもいないさ。生き物の寿命をどうこうしようなんて、僕はそんなに暴慢ではないよ」
「じゃあ何が目的なのかしら?」
「人類の夢である不老不死の薬。そんな物が並んでいれば、店に泊がつくと思わないかい?」

無限の命を与えてくれる不老不死の薬。
権力の象徴である草薙の剣だけでなく、そんなものが並んでいる店など、世界中どこを探しても無いだろう。
しかし輝夜は、僕の語る夢に対し、呆れたようにため息を吐く

「まぁ、随分と変わった使い道ね。でも、貴方のことだから手に入れても非売品にしちゃうのでしょ?」
「貴重な宝物だからね」

一度手放せば二度と手に入らないような貴重品。それをすぐさま飲んでしまうなんて勿体無い事は僕には出来ない。
貴重な品を持っている。そう考えるだけで、人生は楽しくなるのだ。
集めた非売品をどうするかなんて、そんなものは今際の際にでも考えればいいことだ。

「それに、君ほどではないにしろ、僕もそこそこ長く生きている。親しい人と何度もお別れをするのはさすがに堪える。永遠に生きて、それが何度も続くなんて、とても想像が出来ないよ。寿命も人付き合いも程々が一番さ」

妖怪と暮らしていた時代があった。
一人で放浪していた時代があった。
人里で暮らしていた時代があった。
その中で僕と関わり、寿命や病気で死んでしまった人、忘れ去られ消えてしまった妖怪、数え上げればきりが無い。
その別れは、何度経験しても慣れるものじゃなかった。
だから僕は、人間、妖怪、どちらからも近く、そして遠い、そんな場所に居を構えているのだ。
それでも、霊夢や魔理沙といった僕に係わり合いを持とうとする物好きもいるのだが、きっと彼女らも、もう少し年をとれば落ち着いてくれるだろう。

「へぇ、貴方は誰が死んでも悲しくないように、人との交わりを避けるのね」

そう言って輝夜はクスリと笑う。

「私は逆に、遠い未来で思い出すために仲良くしたいと思うわ。友情でも愛情でも、憎悪だっていい。忘れたくない人とはたくさんの思い出を作って生きたい、そうは思わない?」

彼女の言葉に、もう会うことのできない彼らのことを思い出し、胸が締め付けられる。

「でも、別れは必ず来る。悲しくは無いのかい?」
「そうね、きっと悲しいんじゃないかしら。もしかしたら、悲しくて、その人の事を思い出して、また数百年引きこもってしまうかもしれないわね」
「なら……」
「でも、そうじゃないと思い出す意味が無いわ。大切な人だから。遠い未来に、ある日ふっとした瞬間、その人の事をちゃんと思い出せるように。嬉しいことも、悲しいことも一緒にして全部胸の中にしまっておくの」

そう言って、どこか懐かしげに、どこか寂しげに微笑む輝夜。

「……君に、そう言ってもらえる人は、思い出してもらえる人は、幸せだろうね」

彼女の心の強さ、そして美しさに僕は毒気を抜かれてしまった。
月の姫は、永遠亭の主は、永遠に生きることに微塵も恐れを抱いていない。
迷いの竹林の妖兎達や、彼女よりも力を持っていると言われている、竹林の名医が輝夜を主と認める訳だ。
ただ一つ、訂正するところがあるとすれば……

「でも、そんなに無理やり絆を作ろうとしなくても大丈夫さ。今の幻想郷の住人は、良くも悪くも個性的だからね。忘れようとしても、そう簡単に忘れられるものじゃないよ」

輝夜は僕の言葉に、目を丸くする。
そして堪えられないといった風に笑い声を上げた。

「ふふふ……そう。確かにその通りね。ふふふ……」

本日、何度目かの輝夜の笑い声。
何度も言うが、せっかくの佳い夜に、わざわざしんみりとした酒を飲むことも無いだろう。

「ふふふ……。ああ可笑しい。本当に貴方は面白いわね。気に入ったわ」

彼女は盃に残った酒を飲み干すと、ベンチから立ち上がり、僕の正面へ移動した。
そして

「これから貴方と、どんな関係を築いていけるのか、今から楽しみよ」

トンッ!

いきなり輝夜に突き飛ばされる。
その細腕からは想像も出来ないような力により、僕はベンチと共に後ろに倒れこんでしまう。

「あいたた、いきなり何をするん―――ぐぁ!」

頭を押さえ怒鳴り声を上げる僕の腹に、ドスンとした重みが加わった。
痛みに気をとられている間に、輝夜が僕の腹上に腰を下ろしたのだ。

腹に腰掛け、僕を見下ろす月の姫。
僕の頬を彼女の長い髪が撫でる。
今までと違って、とても真剣な目で僕を見つめている。
左手を僕の顔の横に置き、右手でそっと僕の頬に触れる。

「ねぇ、霖之助。今夜は月が綺麗ですね」

空を見上げる格好で倒れている僕だが、視界は輝夜で一杯だ。
空の月など見えやしない。
真剣な目で、いたずらな笑顔で僕を見下ろす月の姫。
声など出せない。
彼女も口を開かない。
ただ、輝夜が僕を見下ろし、僕が輝夜を見上げるだけの時間。



僕はいつからこうしているのだろう?
彼女はいつまでこうしているのだろう?。
もしかすると、永遠にこのままなのだろうか?


だんだんと不安になる心。

次第に、自分の記憶が曖昧になる。

白い白い彼女の頬。

手を伸ばせば、ふれられそうなほどちかい。

とても、つきのひめはきれいだ。

このままぼくは、ぼくのこころは、つきのひめにとらわれて―――
どうもここまで読んでいただきありがとうございます。
以前に寿命の短い人(阿求)の話を書いたので、今回は寿命の長い人(姫様)の話を書いてみました。

私の住むところでは、今年の十五夜月は、天気の都合で見ることが出来ないようです。
来年は素敵な月見ができますように。
KA9-N
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コメント



0.4970簡易評価
10.90名前が無い程度の能力削除
細かい「らしさ」の積み重ねが魅力的でした
16.100名前が無い程度の能力削除
なんて素敵なお姫様。月は真に魔性のものですね。
風雅な景色、うまい酒、そばに寄り添う美女、これらが似合う霖之助がえらく羨ましいお話でした。
20.100名前が無い程度の能力削除
所々に散りばめられた豆知識、雰囲気を見事に捉えた描写がとても綺麗でした。
終わり方も、これはこれで上手い具合にフェードアウトしていく感じでとても良いと思います。
すっきりした読後感をありがとうございました。
25.100名前が無い程度の能力削除
なんと貌も様も美しい姫君だ
参ったな、このコメント欄どうしよう
もう書けることがない
38.90名前が無い程度の能力削除
これは凄い
でも前編で終了みたいな感じがするからこれで
39.100名前が無い程度の能力削除
漱石や四迷の言葉の使い方がうまいですね。
最後の展開とか、痺れました。
47.90名前が無い程度の能力削除
oh...
60.100名前が無い程度の能力削除
今夜も月が綺麗なようで
73.100名前が無い程度の能力削除
良かった良かった
74.100名前が無い程度の能力削除
最初香霖は梟の鳴き声のおかげで月の魔力から逃げることができましたが
果たして月の姫から逃げることは出来たのか、気になるところですね
89.90名前が無い程度の能力削除
ワッフルワッフル
92.100名前が無い程度の能力削除
良い雰囲気
次回作にも期待です
93.100名前が無い程度の能力削除
何とうらやま…スラスラ読めました