「水兵村紗ボクの嫁ッ!!」
明るい声が命蓮寺の一室に響き渡る。声の主はこんなに可愛い正体不明がいるか、と思わせる
『封獣 ぬえ』だ。それに応じて、
「……はぁァ?」
と思いっきり不満をこめた『雲居 一輪』の不機嫌そうな声が続いた。
「ん? どうしたの一輪?」
一輪といえば命蓮寺の優しき入道使い。その温和で理知的な笑顔は子どもから大人まで広く人気が
あり、彼女自身も意識してかそんな表情を続けている。が、今のぬえに対する一輪はどうだ。まるで
苦虫を噛み潰したように眉をひそめ、三白眼でぬえを睨みつけている。白蓮に会う以前のやんちゃを
してた頃の一輪がそこにいた。
「今なんつった」
「え? あぁ、うん。水兵村紗ボクの嫁ッ!! って言ったよ」
きらきらと光るような笑顔で、実に公序良俗に抵触しそうなことを宣言したぬえ。おかげで一輪は
眉間を押さえて頭痛を鎮める羽目となる。しばらくそのままの姿でいた一輪だが、精神を持ち直した
のか何とか口を開く。
「……ねぇ、ぬえ」
「うん? どしたの、一輪」
「あなた、今、自分が何を言ってるのか解って言ってる?」
「え、私何か変な事言った?」
自分の言葉に一切の疑問は無かったのだろう、きょとんとした顔で驚くぬえ。一瞬で一輪の眉間の
皺が増え、別嬪さんが台無しである。だがそれも仕方のないことではなかろうか。
しきりにぬえが嫁宣言している村紗とは、もちろん『村紗 水蜜』。この命蓮寺の一員であり、聖輦船を
動かす船長である船幽霊のこと。そして一輪とともに封印の千年を共にした彼女の大親友である。その
村紗が、もとを正せばどこの馬の骨とも知らぬ正体不明のちびっ子妖怪に嫁宣言されているなど、到底
許容できない事態であった。
「あのねぇ……変も変、全部がおかしいじゃない」
「え? えー!? そんなことないよ!! 私、間違ってないもん!」
ふつふつと湧き上がる感情を言葉に込めつつぬえに真実を伝えれば、そこを一刀両断に否定された。
ますます一輪の表情が険しくなる。
「間違ってるじゃない、どこもかしこも! もしかして一番おかしいのはぬえの頭?」
「なんて酷いことを言うかなあ! 地上に来てからいっぱい勉強だってしてるのに!」
「じゃあまず常識から勉強しなさい!」
「一輪の言ってる意味がわかんないよ!」
「こっちこそあんたの脳みそがどうなってるかわかんないわ!」
「正体不明だからそれでいいんですあっかんべー」
「……っくぉ」
いかにも憎たらしい小娘感を象徴するあっかんべーに、一輪の中で静かに何かが切れた。つかつか
と近寄り、一瞬おびえたぬえに構うことなく彼女の両のほっぺたをぐにりとつまみあげる。
「ぬふぇっ!?」
正体不明のほっぺたの柔らかさと、意外に伸びる事に少しばかり感心しつつも冷たい表情で告げ
始める。
「いい、ぬえ? 何がおかしいか解んないなら、今から教えてあげるわ」
「ひちふぃん、ふぃたいにょ」
通訳するなら”一輪、痛いの”だと思えるぬえの呟きを軽く無視。
「まず、あなた、自分のことを私、って言うわよね?」
その問いに、頬をつままれたままふにふにと首を縦に振るぬえ。おお、ほっぺた伸びる伸びる。
「それがなんでボクなのよ? あれなの? ボクっ娘アピール? 露骨なキャラ作りなのよね? そんな
のはどこぞの唐傘妖怪で間に合ってるわよ!」
「ふぃがうにょぅ」
おそらくは”違うよう”、と言ったぬえのいる命蓮寺のすぐ近くの空。噂のくしゃみをした唐傘妖怪は
その反動で近くの杉の木に頭をしとどにぶつけ、
「うにょうぐっはぁ~!?」
などと舌っ足らずな叫び声と共に頭から地面に落下していった。キャラ作りも命がけである。もっとも
あのキャラはド天然なのだろうが。それはともかく一輪とぬえである。
「それに、誰が誰の嫁なのよ、んン? 一つ言っとくけど、女性と女性同士は結婚できないのよ?
幻想郷がどうだか知らないけど、普通はそう。常識。分かる? わーかーるー?」
「んにぃー。にゃーめーふぇー」
やめてと懇願するぬえのほっぺたを相変わらずうにょんうにょんとつまみ上げる一輪。憤りの行為
としてやったつもりが、その頬の柔らかさにちょっと感動してしまう。更に伸ばしたり縮めたりする度に
ぬえの背に生えた妙な形の翼がうにょうにょ動くのが一輪にはやたら楽しいらしい。
が、それでつい力が緩んだか。ぬえの柔らかおもちほっぺたからついつい指が離れてしまった。名残り
惜しい気持ちの一輪と対照的に頬を真っ赤にして、怒ったような拗ねたような顔で睨みつけるぬえ。うー、
と可愛い唸り声を喉の奥で鳴らしている。そこに、聞き分けのない子に念押しするように一輪が声を
投げかける。
「ま、そういうわけで、ぬえは間違ってるのよ。だからもうバカな事を言うのは……」
「私間違ってないもん!!」
それを遮って強く、怒鳴るようにぬえが己の利を言い放つ。絶句する一輪に更に畳み掛ける言葉。
「私が間違ってるんだったら、幻想郷が全部間違ってるってことになるんだもん!! だから、私は
間違ってないよ! 一輪のほうがおーかーしーいっっっ!!」
やたらとスケールのでかい反論に、一瞬呆けそうになった一輪。しかしその言葉で消えかけていた
怒気が一瞬にして胸の内に燃え盛る。こうまで頑なに反論されるなら実力行使もやむなしと、ゆるりと
一撃必倒の構え。その不穏な姿を見て取って、ぬえも荒ぶる鵺のポーズ。命蓮寺の一室に、闘気が
満ち満ちる。
「……へぇ、言う事聞かなかったら拳で分からせるんだ。そんな姿、聖が見たらどう思うかしらね」
「聞き分けのない子にはそういう説法の仕方もあるのよ。悪いけどこれ、姐さんの直伝なのよね」
空気は張り詰め、一触即発。先に届くのは、どちらの攻撃なのか……。
そして、動いたのは。
「ずいぶん楽しそうに騒いでますね。何をして遊んでいるのかしら。私も混ぜてもらってもいい?」
「聖っ?!」
「姐さんっ!?」
すこん、と縁側のふすまを開けて入ってきた、空気の読めないこの発言の主こそ命蓮寺の主。法と
魔法を使いこなす偉大なる聖尼公『聖 白蓮』である。にこにこと慈母の微笑みを浮かべ、ぽかんと
口を開けたふたりを交互に見つめる白蓮。
「あらあら、面白い事でしたら私も混ぜて欲しいですわ」
と、聖の影からすっ、と姿を現したその相手に、更に唖然とする一輪とぬえ。『八雲 紫』、この幻想郷
を管理するスキマ繰りの大妖怪。一瞬でどこにでも姿を現せる彼女だが、何故ここに。それは当然の
疑問だった。
「え、あ? や、八雲紫? どうしてあなたがここに?」
一輪の問いに白蓮が答える。
「紫さんはこの間の博麗の宴会で意気投合しましてね、時々こうして茶飲み話に付き合ってくれるの
ですよ」
「私のほうから押しかけてるだけですわ」
ふふ、と笑みを交し合う二人を見て、はぁ、と気の抜けたような返事を返すしかできない一輪。
せめて来る時は正面から、自分にでも一声かけてからくればいいのに、などと思いはじめた矢先。
「うわあああん! 遊んでなんかないよぅ、聖ぃ。一輪が私をいじめるの!」
あっ畜生、と一輪が心の底で思った時にはすでに遅し。泣きまねかマジ泣きかは不明だが、ぬえが
聖の胸元に飛び込んでいた。その小柄な身体をそっと抱きしめつつ、少し眉をひそめて白蓮が愛弟子、
一輪を見る。
「……これはどういうことですか?」
その底冷えのする言葉に肝を潰されそうになりつつ、非は自分にないと一輪は心を奮い立たせる。
「私はぬえをいじめてなんかいません。ぬえったらあんまりにもおかしい、間違った事を言っていた
のです。私が道を正そうとしても頑なに固辞されました。しかし間違いは間違い。どうにかして正そうと、
努力をしていただけです」
しっかりと聖の目を見据え、きっぱりと言い放つ。事実、その言葉には一切の虚言は含まれていない。
その目の澄みように白蓮も一輪を信じる。だが、胸元でぐずるぬえが間違っているようにも思えず、
白蓮はしばし考える。
「ふむ……。ねぇ、ぬえ」
「ううう、ぐすん。……うぅ、なにぃ?」
「あなたはなんて言ったのですか?」
白蓮に優しくそう問いかけられ、胸の谷間に収まっていたぬえは潤んだ瞳で見上げる。その様に
白蓮の母性がとんでもない勢いで刺激され、危うく脳内が法悦の光に満ち溢れ意識が魔法銀河系の
果てまで遊行しそうになったのを南無三とばかりにこらえた。かなりやばかった。なんとか意識を
幻想郷に留めた白蓮にぬえが答えを返す。
「うん。”水兵村紗ボクの嫁”、って」
「ああ、また! ね、姐さん、これでどっちが正しいかわかったでしょう! 姐さんからも言ってやって
くださいよ!」
それにまた一輪がかみつき、またまたぬえはあっかんべぇ。さてこの状況に白蓮はどうするのか。
「……あは。ふふふふっ。」
笑った。名のとおり蓮のほころぶような明るい顔で。驚く一輪の耳にもう一つの笑い声。
「くく、ふふ、はは、はははは!」
抑えようとしていたのだろうが、どうしても無理だったらしい。いつものように口元を扇で隠す
ような仕草すらなく、お腹を抱えてあの八雲紫が笑っていた。幻想郷でも屈指の力を持つふたりが、
ころころと鈴鳴る如く笑っている。あまりに急な出来事に、怒りもなにも吹き飛んでただ唖然とする
ばかりの一輪。ひとしきり笑って落ち着いたのだろう、紫が目元の涙をひとすくいして一輪に告げる。
「ええと、うん。ぬえは何も間違ったこと言っていないわ」
「え!?」
心臓が口から飛び出そうなほどに一輪が驚いた。幻想郷の管理者直々のお墨付き、という事は
幻想郷では同性どうしの婚姻が認められているのか、私の知らない間に水蜜とぬえがあれやこれや
してたのか、などとどうしようもない、そして一輪にとって悪夢のような想像が脳内でぐるんぐるん
回転しだす。
「けれどね、あなたが想像してるようなことでもないわよ」
絶望の谷底に叩き落されていく一輪に、救いの紫の言葉は絶望から混乱へと落ちる谷を変えただけ
であった。もちろんそれを予想していたように、紫はどこか意地の悪そうな微笑みである。
「どういうことなんですか……」
ほとほと疲れきった表情で問うのを面白そうに見やる紫。それから白蓮とぬえに視線を移し、声を
かけたのは一輪にでなく、ぬえに。
「そうね、ぬえ。あなたはアレを読んでああ言ったんでしょう? 持ってきて見せてあげればいいわ。
そうすれば一輪の誤解も解けるでしょう」
「え? 一輪なんか勘違いしてたの? うーん、そっか。じゃあ持ってくる」
「えっ? え?」
なにやら一輪以外のここにいる皆が何がしかの齟齬を理解しているらしい。ぬえも得心した顔で
自室に向かったようだ。一輪が不安そうに白蓮を見れば、そこにはいつもの優しい笑顔。しばらくも
待たぬうちに戻ってきたぬえの手には一冊の本が握られていた。
「はい、これ見たら私が言ってた意味も分ってくれるんじゃない!」
投げ渡された本を器用に空中で受け取る一輪。その表紙に綴られた文字を読み上げる。
「……”幻想郷元素周期表”??」
若干早口言葉めいたそれを読んで、顔を上げる一輪。いつもの笑顔を浮かべる白蓮、ふてくされて
頬を膨らましたぬえ、そして幾分理知的な微笑を浮かべた紫がひとつ頷いて説明しだす。
「えぇ、そのとおりよ、一輪。この世界……幻想郷も、外の世界も、その果ての世界も含めてなのです
けれど、全ての存在は百と幾つかの物質で作られているの。にわかに信じがたいかもしれないけれど、
人も妖怪も、草も樹も、空を満たす空気も、広大な大地も全てがその本に書いてある物質でできて
いますわ」
「え……」
八雲紫という妖怪は殊のほか人をからかうのが好きだと一輪も知っている。だが目の前の紫には
そのような気配は感じられない。仮にからかわれているのだとすれば、それに気付いた白蓮は何かしら
の行動を起こしているはずだ。だが、紫の傍らで白蓮は静かに頷いていた。それだけで一輪には
紫の言葉を真実とするには十分である。
「おかしなものね。人や妖怪が、種族の差異や己の信条で際限ないほど区別をつけようとするのに、
世界そのものは実に単純に、平等にできているんですもの」
「ええ。ほんとうに」
続いた紫の言葉に、白蓮も優しく頷く。その姿を見て様々な想いが胸に去来する一輪だが、はっと
気付いた。
「あ、あの。仰ることはわかりました。が、この本とぬえの言葉にどんな関係があるんですか?」
「あらあら。まだそれを告げてなかったかしら。そうね、じゃあそれを読んでいけば手がかりになる、かも」
「は、はぁ」
やはり明確な答えは出してはくれない。もっともそれが八雲紫という存在だと一輪も理解はしている。
が、どうにもやりにくい相手と感じてしまうのは常識人タイプゆえか。それに気付いているのかいない
のか、紫は少しばかり笑みを濃くして、言った。
「せっかくだから皆で読んでいきましょうか。ぬえの幻想郷の勉強にもなるでしょうし」
紫の提案で、仲良く円を描くように座って本を眺めるそれぞれ。促されて一輪がページをめくる。
まず目に付いたのは、いくつもの格子に遮られた数字とアルファベットの組み合わせ。
「……なんです、これ?」
「だからぁ、それが……」
「まぁ、それはざっと目を通しておけばいいですわ。あとで読み返しますから」
「は、はぁ」
一輪の疑問にぬえが答えようとした。そこを遮って紫の言葉。ぬえが一瞬紫を見るが、なんだか
妙な笑顔がそこにある。それでぬえも何かに気付いたように意地悪そうに笑って口を閉ざした。
「では、ページを進めてください」
「はぁ」
と言いたいことがふつふつと沸いてくる一輪ではあるが、今は紫の言葉に従うしかないと渋々
ページをめくる。幾つかの文章が並んでいるのにしばし目を通しはじめた。
と、やおら先の格子状の図が載ったページに戻り、何かに気付いたような顔で紫を見る。
「これ……紫さんの仰ってた世界を作ってる物質の説明が書いてあるんですね。で、この図、というか
表。これこそが幻想郷元素周期表。説明文はこの上に記されたものから、横並びで言えば左から
右の順に書かれてある」
「聡いわね。さすが白蓮の一番弟子だわ」
「あ、いや、その。えへへ」
さほど時間をかけずにこの本の仕組みを理解した一輪に素直な賞賛の紫。一番言われて嬉しい
言葉に、思わず一輪は頬を真っ赤にしてにやけ顔になってしまう。
「一輪ー。元のページに戻してよぉー」
「え、あ、うん……」
と、そこにぬえの不満げな抗議が飛ぶ。ぬえとしては説明文を読みたいのだろう。その姿に暖かな
視線を送って、紫が告げる。
「さて、ここまでくれば謎が解けるのはもう少し。ぬえの為にもそれぞれの元素を見ていきましょうか」
その声に、各々の視線が開かれたページに集まった。
・1 H 水素(常温気体) とにかく燃える熱いやつ。もっと熱くなれよぉぉぉ! あと酸素
と合体して超危険物質DHMOになる。ついでにこれがないと『霊烏路 空』がしおしおのぱー。
・2 He ヘリウム(常温気体) これを吸うと声が某ナズーリンッポイランドの水兵的アヒル
っぽい声になります。
・3 Mu ムラニウム(常温固体) 主に船幽霊を構成する元素。常温で固体だが、特定の
周波数を与えることにより一瞬にして気体となり爆発的に拡散する。のち短時間でまた凝縮し
固体になる特性を持つ。
「えっ」
「どうしたの、一輪」
「あの、これ」
妙に見知った単語が説明文の中で鎮座していた。顔を上げて紫を見て、ムラニウムの文に指を
さした。
「えぇ。そうよ、あなたの親友の体の大部分はそれでできているわ。その物質の力を借りて、あの
子は幾つかのスペルカードを作成してるわね」
「あぁ……。シンカーゴーストとかそうやって……」
ぶぅん、とぶれて別所に姿を現すあれは瞬間移動の類ではなかったらしい。となると姿を消した
とき、あたり一面の空気に村紗が混じっていることになる。今度お遊びで弾幕勝負をしたときは、
深呼吸をする余裕を見せようと一輪は心に秘める。
「もっとも存在自体は他の船幽霊から見つかったのだけれど。故に、恐らく外の世界では失われた
物質なのでしょうね……。さ、先に進みましょう」
「はい」
しみじみと語る紫が先を促し、また本に目を戻す。
・4 Sw 紗素(常温気体) 主に船幽霊の呼気に含まれる。甘い香りがする。
「また船幽霊……。しかも特段意味が無いし」
「意味があるものしか存在しないといけないってことはないわ。少なくとも世界はそういう選択を
しているのじゃないかしら」
またしみじみと紫の言葉。まぁしかし友人の吐息が甘くて悪いことはないと一輪も思い直した。
・5 B ホウ素(常温固体) 単体では地味。だが水素・酸素・ナトリウムと結合したホウ砂に
なったときに真価を発揮する。みんなも洗濯糊とあわせてスライムを作ろう!
・6 C 炭素(常温固体) 鉛筆の芯だって熱い温度と高い圧力をかければダイアモンドに
なるんだ! 君だって熱い期待とプレッシャーに打ち勝てばダイアのように輝けるんだ!
・7 N 窒素(常温気体) 大気中に一番多く含まれる物質で、時に猫叉やらIdやら14やら、
あるいは綺羅という名で呼ばれることもある。
「なんですかこれ?」
「気にしないほうはいいわよ、心と筆が折れるから」
「は、はぁ」
・8 O 酸素(常温気体) これがないと生物は生きていけません。ですが「この地球上で最も
強力な毒ガスとは何かワカるかね」「答えは酸素」「ワカったときにはもう遅い」
・9 Ys 洋素(常温液体) 生物に対して非常に有害な物質。飲用はもちろん、接触によって
も被害を与える。この成分が多量に含まれているため、月の海に生物は存在しない。水にまつわり、
害をなす妖怪の弾幕にも多く見られる。
・10 Me メリトン(常温気体) この物質は非常に幻想的な物質である。船幽霊がこの世界に
存在するのに必要不可欠な元素で、その船幽霊の個体に対し、存在していて欲しいと純粋な想いを
持って強く願うときに自然発生的に得られる。
もしかして、いまこの瞬間にもメリトンは生まれ続けているのだろうか、と考える一輪に、紫の声が
かかる。
「さて、一輪。ここまで読んで、そろそろ分らないかしら?」
顔を上げた先には紫のいつもの、いわゆるどこか意地の悪そうな笑顔。いやしかし、意地が悪いと
断言して構わないかもしれない。問われた一輪は顔を下げうむっ、と唸ったきり、じっと本を眺めて
いる。”水兵村紗ボクの嫁”、についてこの本がヒントになることは理解しているが、あと一歩で答えに
辿り着かない。ぐぬぬと眉根を寄せて悩む一輪に、聖から助け舟が差し出された。
「ねぇ紫。教えてあげたら?」
「そうね……」
「あ、じゃあ私が教えてあげる!」
いままで聖の膝でじっとしていたぬえが嬉しそうな声を上げる。一輪の横に来ると、知っているという
優越感からかにやりと口の端を上げた。
「ねーねー一輪」
「……なによ」
「私がいまから指差す文字を読み上げていきなよ。そしたらわかる、かも?」
そのにやけた顔に何か言おうとした一輪だが、答えが分らないままだというのも嫌だと渋面作りつつ
従う。ぬえの細い指がすっ、と差し出された。
「水……へ、む、ら、さ、びー、しー、えぬ、おー、よう、め……」
「わかった?」
「う、わかってるのよ、なんとなくそんなのじゃないかって。でもBとかCとかが……」
「そこはローマ字っぽく続けて読む、って紫が言ってたよ」
「! ま、まさかそれで……!」
驚いて顔を上げた一輪に、三人分の笑顔が待ち構えていた。
「……すい、へー、むら、さ、ぼ、く、の、よ、め」
「「「よくできました!!!」」」
三人分の祝福の声に、かぁっと頬を赤く染める一輪。間違っていたのはぬえでなく自分であった、
それにようやく気付いて恥ずかしくなったのだ。
「こうやって語呂を合わせて、みんな元素の順番を覚えるのだそうですよ」
「は、はぁ」
白蓮の声にうつむきがちに首を垂れる一輪。
「外の世界では存在しない物質もあるから違うのだけれどね。確か”水兵リーベ僕の船”だったかしら。
村紗の名になったのはまったくの偶然なんだけれど、面白いわね。ちなみに幻想郷元素周期表、この
後は”聖乗りシップス、クラークスパーク! ヘーイ、任務完了!”だったかしらね」
「は、はぁ」
紫の補足にも曖昧な返事を返すばかり、そして。
「で、一輪。何か言うことあるんじゃない?」
「う……。ご、ごめんなさい、ぬえ。間違ってたのは私のほうでした」
「へへん。ま、わかればよろしい」
腰に手を当て偉そうにおどけるぬえに、真っ赤になりながら頭を下げる一輪。その様に柔らかい
微笑みを向ける白蓮と紫。これにて全ての誤解は消え去り、命蓮寺に平和が戻る。いつしかぬえも
一輪も、そこにいるみんなが微笑みかわすいつもの空間が戻ってきた。
「どうしたの、みんな。楽しそうじゃない」
と、ふすまが開いて声。みんなが本から視線をそちらに移せば噂をすれば影、とばかりに村紗水蜜。
いつもの水兵服に、かもめのワンポイントがついたエプロンをしているところを見ると、いましがたまで
台所にいたのだろう。と、一輪が何か思いついたような悪戯めいた笑顔を浮かべた。
「ねぇ、水蜜」
「ん? なに、一輪」
「”水兵村紗ボクの嫁”っ!」
唐突に宣言した一輪に、きょとん、とした顔を向けた村紗。だが、すぐに何かを得たような顔に
変わる。
「ははは、あぁ、それね」
「あ、なぁんだ、知ってたんだ」
村紗の様子に既知であることを悟る一輪。なにがどうこう言わずともわかるツーカーの間柄である。
「何しろ寺小屋の側を歩いてたら、中からいっせいに子ども達の声で”水兵村紗ボクの嫁”ッ、だもの。
驚いて寺小屋の先生に聞いたらなにがどうなのか丁寧に教えてくれたからね。知ってるってわけ」
「そうかぁ。さっきぬえがそれを大きな声で言っててね、私知らなかったもんだからびっくりしちゃった」
少し照れた様子でそう言う一輪に、また少しばかり驚いたような顔をしてから村紗が、今度は
声を上げて笑う。
「あはははは! じゃあぬえが私を嫁と言ってるって思ったの!? あははははははは!! それは、
それはありえないわ!!」
「ちょ……まぁ、そりゃぁ」
顔を真っ赤にした一輪に、村紗がこう、言った。
「だって私嫁じゃなくて夫だもの」
関係ないがOsはオスミウムの元素記号で本当にあります。
>と思いっきり不満をこめた『雲井 一輪』の不機嫌そうな声が続いた。
雲居
>一輪といえば妙蓮寺の優しき入道使い。
命蓮寺
面白かったです!
>>36さん
甘いですな。
せっかく中学時代に周期表全部暗記したのに高校はもちろん大学受験でも全く役に立ちませんでしたよ…。
しかしこんなネタ満載な元素説明だったら楽しかったろうに、などと昔を懐かしみました。
このSSは私の予想を遥かに上回っている……