幻想郷、その人里。
その日は強烈な日差しが照りつける猛暑日であったにもかかわらず、通りには大勢の人間の姿が見えた。
祭りというわけでもなさそうだった。人々は身じろぎひとつせず、無言でその場に立っていた。皆、一様に強張った面持ちで雑踏の中心を見つめている。
遠巻きに囲まれた人の輪の中に二人の人物が立っていた。一人は大柄な白髪の老人で、もう一方は緑の服を着た銀髪の少女だった。
それだけならば何も珍しいものではない。人々に不安と緊張、そして幾ばくかの期待を与えているのは、二人が共に手に真剣を握り、睨み会っているためであった。ここ幻想郷でも人里での刃傷沙汰は充分に異常な光景である。
日の光が対峙する二人の顔を白く、黒く染め上げ、その幽鬼のような表情に一層の悽愴を与えていた。太刀は日を受け鏡のように輝き、あたりはわずかに荒い二人の息づかいだけが流れている。
息を呑むこともはばかられるような、重い空気が見ている者たちを包みこんでいた。
不意に少女が声を発した。
「考え直してください。幽々子様を誅殺するなどと、本気で言っているのですか」
「今さら何を言うか。お前は我らの宿命を忘れたか。魂魄家の本分、それは西行寺家の監視にある。もし西行寺の力が暴走を始めたときは、この刀をもって彼の者を消滅させる。それが魂魄家に課せられた使命だ。魂魄家の者は代々この定めを引き継ぎ剣を磨いてきた。お前とて充分に承知していることであろうが。そして今日、ついに努めを果たす、そのときが来た。今、西行寺幽々子を止めなければ、その力によって大勢の者が死ぬ。お前にはそれがわからぬのか。さあ、妖夢そこをどけ」
老人は剣先をじっと見据えたまま、荘重に口を開く。
「どきません」
少女の方は顔を紅潮させ、ほとんど叫ぶように返す。
「どけ、妖夢! どかぬなら、わしはお前を切らねばならん」
「どけぬと言っている! どうあっても幽々子様を切るというなら、私はあなたを切る」
悲痛な声が響き渡る。
「愚か者め……思えば、いつかこうなるのではないかと危惧しておった。お前は、あの者に心まで囚われてしまうのではないかとな。哀れなことじゃ。だが、それも全てはわしの不明が招いたこと。せめてもの酬いに、わし自身の手でケリをつけようぞ」
老人の顔にわずかに沈痛な色が浮かび、そして消えた。
後には沈黙だけが残った。
あたりには煮詰められた狂気と殺意が渦巻き、避けられない血の予感が人々の頭の中を覆い尽くす。
場を包む緊張が限界に達したとき、二人は同時に地を蹴り飛びかかった。
二つの影が一瞬、交錯して別れる。
互いに切り抜けた二人は、その背を合わせる形になった。
見ている者たちは息を殺して次にきたるべき結末を待った。
一拍の間の後、老人の胸から血が吹き出し、雨のように降り注ぐ。老人は何かを掴むように手を差し伸ばし、一、二歩歩いたところで地面へと崩れ落ちた。
声にならない呻きが見物人から漏れる。
「ああっ」
いまだ息を忘れている里人たちの前で、勝者であるはずの少女は老人の亡骸にすがりつくと 狂ったように泣き始めた。
見物人たちは半ば放心したように棒立ちしていたが、やがて気を取り戻した者から順に恐る恐る少女に近づく。少女を囲む輪は徐々に小さくなり、ところどころから感嘆ともうめき声ともつかぬ声が漏れだす。
「ううっ、肉親をこの手で殺めてしまった」
少女が大粒の涙を流してしゃくりあげる。
人だかりの中から誰知らず「可哀想じゃねえか」という声があがる。いまや少女の存在は同情と好奇の渦中にあった。少女に声をかける者、隣の者と先程の一戦について語り合う者、人々は覚めやらぬ昂ぶりと、先程までの緊張の反動で饒舌になっていた。
「元気をだすんだよ」里人たちは口々に少女を慰める。だが、少女は死体にすがりつき泣くことをやめようとはしない。
「私、一人でどうやって身を立てていけばよいのか、もうこの身を売るぐらいしか……」
里人たちは老人の死体に目をやり、次に少女の行末に想いをはせ、その心の中に哀れみを浮かべた。誰かが懐から金を取り出し、少女に差し出した。それを見て他の者も慌てて財布に手を伸ばす。
我も我もと少女に金を掴ませ、まるで恐慌状態だった。
しかし、少女の涙は止まらなかった。
「それから、母が病気で……薬を買うお金もありません。いっそこの刀で一家心中するしか」
そう言うと、少女は自分の腹に太刀を突き立てるそぶりをした。人々は顔を見合わすと、多少まごつきながら、また金を渡した。
少女はそれを受け取り、腕で涙をぬぐいながら言う。
「ううっ、それから、お爺ちゃんのお墓を建てるためのお金も……」
少女は泣きながら手際よく金をまとめると、老人の死体を背負い、そそくさと去っていった。
街道から少し分け入った藪の中を、一人の少女が背中に人を担いで歩いている。
先程の銀髪の少女だった。
少女はあたりの様子をうかがい、人気のないことを確かめると、誰に言うでもなくつぶやいた。
「兄さん、もういいよ」
すると、背中に担がれていた屍がうっすらと目を開け他かと思うと、畳んでいた足を伸ばして地面に立ちあがった。さっきまで死体だったはずの老人は大きく伸びをすると少女のほうに顔を向けた。
「上手くいったな」
「ちょっと血糊が派手すぎたんじゃない」
「あれぐらい、分かりやすいほうが観衆は喜ぶのさ」
「せっかく兄さんが考えたシナリオだけど、受けはいまいちだね。そもそも里の人間は西行寺家のことなんか、ほとんど知らないようだったよ。まあ、みんなポカンとした顔だね」
「人がせっかく一所懸命考えたってのによ。大衆には俺のセンスは高尚すぎたか。へっ、じゃ、まあ次からはもっとシンプルにいくか」
そう呟いてしゃがみこむと、二人は目を細めて里人から巻き上げた金を数え始めた。
「最近、人里に妖夢と妖忌の偽物が出没しているってね」
冥界にある白玉楼の居間で、八雲紫は古い友人である西行寺幽々子と向かい合っていた。お供の藍と橙も一緒だ。三人で冥界を訪れるのは久しぶりのことだった。
その白玉楼の主である西行寺幽々子は、紫の言葉に「ええ、そうらしいわね」と何の感慨もない風情であっさりと応じた。
紫は幽々子の後ろに控えている妖夢のほうをちらっとうかがってみる。こちらの顔も特に何の反応も無い。どうやら、彼女もすでにこの噂は聞き及んでいるらしい。
つまらない反応だったが、紫自身もその話題に特に興味があるわけではない。
紫の興味は目の前に置かれている丼にあった。
天丼だった。
白いごはんにツユをかけ、さらにその上に天ぷらを乗せるというあの日本料理の天丼だった。
その天丼に向かい、紫と、紫の式である藍と、藍の式である橙、三人が箸を伸ばしている。
三人いるのに天丼はひとつ。おかしい、数が合わないではないか。向かいでは幽々子も天丼を食べている。彼女は一人でひとつの天丼を食べている。おかしいではないか。たしかに昼時に知らせも入れず訪問したのは自分たちのほうだ。今、目の前に並べられている天丼も、本来は妖夢の分だったのかもしれない。そう考えると文句を言うわけにもいかないが、それならそれで追加で天丼を三つ取ればよいことではないか。この友人は意外とけちなところがある。紫はそんなことを思った。
かたわらの藍と橙はこの理不尽に対し何も感じないのか、嬉々として天丼をついばんでいる。
やれやれ浅ましいことだ。天丼ごときに心を奪われ、世の不条理を疑うことを忘れてしまうとは、我が眷属ながら恥ずかしい。
だが紫はそんな煩悶はおくびにも出さず、ことさらに余裕の笑みを浮かべて話をつなぐ。
「その偽物なんだけど、最初のうちは下手な芝居で哀れみを買って財布の紐をほどいていたらしいのに、最近じゃあ、刀を振り回してお金を脅し取ってるって聞くわよ。こういう輩をほっておいたら、白玉楼の評判が地に落ちるんじゃない」
「あらあら、うちが地に落ちたら大変ねえ。閻魔様におこられちゃうわ」
幽々子のほうはにべもない。
紫はそんな友人を無視して妖夢のほうに目を向けた。
「幽々子はああ言っているけど、妖夢もそれでいいの」
すこしだけ間をおいて、妖夢が口を開く。
「私に意見はありません。幽々子様がそいつらを討て、と命じられるでのあれば討伐いたしますし、放っておくというなら私も何もいたしません」
その言葉の機微に、彼女が本当は偽物を討ちに行きたいと思っているのだろうな、ということを、紫は読み取った。
この庭師はいつもこんな感じで、自分の意見を殺して生きている。まったく苦労する性分だと思った。かといって、おせっかいを焼いてやる気もない。まあ、好きにすればいい。ぼんやりとそんなことを考えていた紫だったが、視線を正面に戻したとき、信じられないものを目の当たりにして絶句した。
藍が海老天をつまみ、口に放り込んでいたのである。
(!?)
紫の血液が逆流する。くらくらとめまいがした。
まさか、ありえない。この世の中に主人を差しおいて海老天を食べる式がいるなんて。紫は内心の動揺を抑えるのに必死だった。
(落ち着け、落ち着くのよ、八雲紫)
周りの会話を上の空で流しながら、紫は動悸を徐々に押さえ込む。そして、やや落ち着きを取り戻すと、その天才的な頭脳を駆使してここまでの戦いを振り返った。
現在までの戦果は、紫:茄子天、蓮根。藍:海老天、椎茸。橙:キス天、いも天といったところである。天ぷらの数だけに注目すれば、皆、同数である。しかし、1海老天は3茄子天に相当するため、現在の収支は著しく不均衡だった。
けれども、まだ希望はある。丼の上には海老天がもうひとつ残っている。
だが、もし、もうひとつの海老天まで盗られたら……。
そのときは殺す。紫はそう心に誓った。
紫が顔を上げると、目の前では幽々子が満面の笑みで海老天を頬張っているところだった。
妬ましい。妬ましい。彼女は海老天を誰に取られる心配をすることもなく食べることができるのである。自分だけの海老天、それも2本も。いや海老天だけでなくキス天も、茄子天も、いも天も、全て彼女のものなのだ。このような資本家の独占を許してよいものか。その無邪気な顔が憎かった。
その時、思わぬ発見をして紫は目を見開いた。
よくよく見ると幽々子の丼の海老天のほうが1cmほど大きいのである。
(こいつ大きい方を取ったな! どんだけ食い意地はってんのよ、この幽霊は!)
紫は怒りで身が震えた。頭頂からつま先まで怒気が駆け巡り、抑えられない憤懣が全身の毛穴から漏れそうになる。だがしかし、ここはぐっと唇を噛んでこらえつける。
今は旧友の非道を糾弾している場合ではない。目の前の海老天に全ての神経を集中せねばならぬ。友の奸計も式神の背信も今だけは横に置け。怒りに我を忘れ、大事を逃してしまえば、後悔してもしきれぬ。
「あらそう、じゃあ、あなたたちは偽物は放置しておくつもりなのね。最近、そいつら場末の宿場町を荒らしている、って情報を得たから教えにきてあげたんだけどね。いや、私としては別にどっちでもいいんだけど。う~ん、でもほっとくとまずい気がしないでもないっていうか~」
おしゃべりに夢中になってたら、いつの間にか海老天取っちゃてた、てへっ☆
と、いった感じで、紫は出来る限りさりげなく、それでいて大胆に箸を伸ばす。まるで宇宙空間でのドッキング作業のごとき精密さで、箸は海老天に向かい近づいてゆく。
後5cm、4cm、3、2、1、勝った。
だが、勝利を確信したその瞬間、横から別の箸がサッと飛び出しかと思うと、海老天をかっさらい消えた。紫の箸はむなしく空を切った。
一体、何が起きた?
極度の混乱の中、紫が目を横に向けると、そこではまさかの伏兵、橙が海老天を嬉しそうに頬張っていた。
(馬鹿な! なんで猫科のくせに海老食べてんのよ)
みぞおちに一撃入れて吐きださせようとも考えたが、そんなことをすれば、藍から胃の中の物を全部戻すまで殴られるに違いない。そうなれば貴重な茄子天まで失うことになりかねない。
どうやら、あきらめるしかなかいようだ。紫はしおしおと力なく箸を下ろす。気力尽き、身はやつれ、もう漬け物を食べる気力すらない。この数分で一気に五十歳ほど年を取ったようだった。横では藍が、主の心も知らず「海老おいしいな、橙~」などと目を細めている。
目の前でそんな攻防があったことを露とも知らず、机の向かいでは急須のお茶が無くなったことに気付いた妖夢が腰をあげた。
その背に向かい、幽々子が何気ない口調で声をかけた。
「ねえ、妖夢、お食事が済んだらお使いに行ってくれないかしら。宿場町においしいカステラを売っている店があるのよ」
「宿場町に茶菓子屋なんてありましたか」
「いいから、宿場町だけで売っている、宿場町カステラが食べたいの」
「そんなベタな。まあ、お使いについてはわかりました」
妖夢も主人の意を汲んだか、それ以上は拘泥しない。
隣室に消える妖夢の背を見て、紫が友人にささやきかける。
「なんだ、あんたもやっぱり気になってたんじゃないの」
「あら、私は宿場町へのお使いを頼んだだけよ。本当にカステラだけ買って帰ってくるかどうかはあの子次第じゃない」
幽々子はそう言って湯のみを持ち上げると、残っていたお茶をすすりあげる。
紫の前には天ぷらの失われた丼がある。紫はそれを虚ろな目で眺めた。
上部構造を失った天丼は哀れにもツユかけご飯に格下げとなった。つい、先ほどまでは天丼と呼ばれ、蝶よ花よと、もて囃されていたのが、いまや世を忍ぶ落魄の身である。まことに丼物の世界は厳しい。
幻想郷において人の棲める世界は限られている。宿場町はその境界付近に存在した。
広い通りは閑散としていて人の気配がない。寂莫とした景色の中を、乾いた風だけが当て所なくさまよっている。
かつては鉱山で働く者たちの盛り場として栄えたこの町も、今や落日の中にあり、色褪せた紅殻格子だけが往時の面影を映していた。いずれは町ごと、吹き上がる砂に呑まれて消える運命にあると思われた。
そんな町の酒屋で老人と少女が酒を飲んでいる。その日も客は一組だけだった。
「おうっ! 早う酒持ってこんと、この店めちゃめちゃにしてまうど!」
白髪の老人が机を足蹴にしながら怒鳴りあげる。
ここ十日ほどこんな光景が繰り返されていた。
事の起こりは2週間ほど前になる。不意に妖怪が襲来してきて町を荒らしはじめた。住民一堂、打つ手が無く困りきっているところに、先程の二人が現れ妖怪を追い払った。以来、老人と女はこの町に居ついて、蕩尽を繰り返している。
はじめは恩人ということで、町の者も歓待していたが、何日たっても一向に出て行く気配が見られぬ。今では、町のものも、この厄介な逗留客を酒場の主人におしつけ見て見ぬ振りを決め込んでいる。
当の二人は店主が奥に引っ込んだのを見て、ひそひそと話はじめた。
「しかし、しけた町だね。ここに長居してもあまりおいしいことはないんじゃないかい。ぱっぱと金を脅し取って別の町に行ったほうがいいんじゃないかな」
「ああ、そんじゃあまた、ケチな妖怪でも焚きつけて、どっかの町を荒らさすか」
そんな会話が交わされているとも知らず、店主はとっくりに酒を継ぎながら深くため息をついた。つけはたまっている。しかし、二人にそのことを匂わすと、太刀を振り回したりして、威圧してくるのである。
店主があきらめ顔で酒を運ぼうとしたとき、店に一人の少女が入ってきた。
少女が酒屋に一人でくるとはどういうことだろう。店主はぼんやりと不審を感じたが、次の瞬間にはっと気づいて盆を取り落としそうになった。その少女は先程から奥で酒を飲んでいる銀髪の少女と瓜二つだったのだ。顔に似つかわしくない大小を腰に帯びているところまで同じだった。
店主の予期したとおり、入店してきた少女は奥で飲んでいる同じ顔の少女のところへ、まっすぐに進んでいった。
偽物二人は、急に現れた妖夢を見上げて一瞬驚いたようだが、
「おやおや」
「ついに、本物の登場か」
と、悪びれた様子もない。
なるほど、よく似ている。妖夢は目の前にいるもう一人の自分を眺めて思った。半霊こそついていないものの顔立ちはそっくりといってもいい。ただ偽物のほうがすこし背が高く、顔立ちもやや大人びていた。大きく異なるのはその胸で、ここだけは幽々子だか紫だかを真似たかのように高く張り出していた。
こいつ、いろんな意味で許せぬ。真昼間から酒をがぶがぶ飲むのもやめろ。そして立膝つくな。私の顔でそれはやめろ。こいつはどうあっても駆逐せねばならんとの決心を固める。
机の向こう側には長い白髪を総髪にまとめた老人が、いまだお猪口から手を離さずににやついた笑みを浮かべている。老相ながら筋骨たくましく、六尺はあろうかという大男だった。こいつが魂魄妖忌の偽物ということだろう。こちらは資料が少なかったと見え、あまり顔は似ていなかった。
偽妖忌は射るような妖夢の眼差しを受け、不敵に笑った。
「お嬢さん、わしらに何かようかね」
「言うまでもありません。あなたがたのやっていることを止めにきたのです。今後一切、私やわが師匠に化けたりしないと誓うならよし。もし、それができないというのなら容赦はしません」
単刀直入に切り出した。妖夢なりに凄みを聞かせた声である。
だが、相手のほうはまったく真面目に取り合う気がないようであった。
「はあ、あたしは本物の魂魄妖夢なんだけど。あんたこそあたしの真似しないでくれる」
「な、何をみょんなことを。どう見てもあなたのほうが偽物でしょうが。えっ、証拠ってそんなこと言われても困りますけど、その胸とかおかしいでしょう」
そんな二人のやりとりを見て偽妖忌が口を挟む。
「まあまあ、よせ。口で争っても埒があくまい。どちらが本物かなど簡単にわかることじゃ、斬り合って勝った方が本物じゃ、のう」
偽妖忌がそう言うと、偽物二人は口をゆがめて笑いあった。
「そうですか。穏便に済ませたかったのですが、あなたたちには口で言っても無駄のようですね。おとなしく退散しないというなら仕方ありません。お望みどおりこの剣で相手いたします」
妖夢はそう告げると、すたすたと入ってきたばかりの店を出ていく。偽妖忌の言葉は理屈だけでいえば無茶苦茶なのだが、不思議と今の妖夢の心に合致した。確かに剣で遅れをとるようでは本物を名乗っても仕方がない。
妖夢の後から二人の奸賊も、鯉口を切りつつ物憂さそうに外へ繰り出してきた。
午後の往来は犬の子ひとり見当たらない。ただ風だけが唸り声を上げ、巻き上げた砂をぱらぱらと立ち並ぶ町屋に打ち付けていた。
(ただの小悪党だ。殺すまでのことはないだろう)
妖夢は腰から魂魄家の家宝、楼観剣を抜くと逆刃に握り、右足を軽く突き出し中段に構えた。いかに楼観剣といえど峰打ちならば死にはすまいとの考えである。小柄な妖夢が持つと、ただでさえ刃渡りの長い楼観剣はことさらに長く見え、一種、滑稽な印象さえ醸し出していた。
妖夢に合わせるかのように、偽の妖夢も太刀を抜き中段に構えた。
しばらく、そうして鏡合わせのような睨み合いが続いたが、にわかにつむじ風が舞い上がり、二人の間に砂の壁を形成した。つかの間、お互いの姿が砂の中に消えた。砂嵐が収まったとき、すでに両者の姿は元の場所になく、相手に向かい疾風のように突進していた。
剣撃の音がこだました。
初手を防がれた妖夢は素早く地を蹴って跳ねる、相手も負けじと追ってくる。
キン、キン、キン、乾いた金属音が響き渡る。
もし、その場に見物人がいたとしたら、その者には形を留めぬ影が飛び回っているようにしか見えなかっただろう。
妖夢は高速で身を動かしつつも、相手が自分の動きについてこれていることにひそかに舌を巻いた。
だが、やはり剣では本物の妖夢に分があったようだ。十数合、打ち合ううちに偽妖夢はだんだん、放たれる剣を防ぐのに手一杯になってきた。妖夢は連撃をかけ、敵が棒立ちになったのを見て取ると素早く敵の側面に飛び込み逆袈裟に切りかけた。偽妖夢はなんとかそれも打ち払ったが、同時に大きくよろめいた。
(終わった)
妖夢は勝ちを確信して刀を振り下ろした。
その途端、妖夢の視界が歪む。
白、黒、フラッシュバック。胃液が逆流する。腕から力が抜ける。敵に振り下ろされるはずの刀はよろよろと空をさまよい、手からこぼれ落ちた。
かすむ視界の中で自らの脇腹に目を向けると、そこに偽妖忌の太い拳が深々とくいこんでいた。
妖夢は両手で腹をかかえ、崩れるように膝をついた。
渾身の力を振り絞り立とうとするが、体には脳の指令が届いていないのか何の反応もない。焦る。焦って身を起こそうとする。が、遅れてきた鈍痛に吐きそうになる。
油断していた。悔やんでも悔やみきれぬが油断していた。これは一対一の勝負などと誰も言っていない。敵はもう一人いた。もっとも、例え最初に一対一の勝負であると断りがあったとしても、そんな言葉は信じる方が甘いといえる。
油断といえば勝負が始まる前から慢心があった。自分の姿を見れば偽物は尻尾を巻いて逃げてゆくか、あるいは一刀のもとに組ふすことができると考えていた。偽物に自分と打ち合えるだけの技量があるなどと夢にも思っていなかった。ところが実際にはその偽物と十数合打ち合うはめになった。そして、勝負へ没我するうちに、これは一対一の勝負であるという思い込みに無意識に侵食されていき、もう一人への注意を怠った。妖夢は今更ながらに自分の未熟を呪った。
「おしかったな、嬢ちゃん」
地面に落ちた楼観剣を偽妖忌が素早く足で踏みつけた。
「鬼をも切れるといわれる楼観剣と、霊を一振りで成仏させる白楼剣、こいつが欲しかったんだよ」
偽妖忌は妖夢を上から見下ろして口を歪めた。
「お嬢ちゃん、いいこと教えてやるぜ。俺たちがテメエらに化けてたのも、金のためだけじゃねえんだ。この姿で暴れてりゃ、そのうちお前がのこのこ刀持ってやって来ると踏んでたんだよ。たとえ実際現れてもテメエ程度ならなんとかなると思ってよ。都合のいいことに、妖忌のほうはどこで野垂れ死んだか行方知らずだしな」
「兄さんこいつはどうするの。こいつをネタに金でもゆするかい」
落ち着きを取り戻した偽妖夢も膝をついた妖夢を見下ろす。
「いや、そいつはうまくねぇな。西行寺幽々子やら八雲紫やらが出てきたら俺たちの身が危ない。こいつはバラして、刀だけもらっておこう。死体をきれいに隠しちまえば、こいつは偽物を追いかけて姿を消したってことにでもなんだろ。俺たちは別の誰かに化けて稼ぐもよし、ほとぼりが冷めたら、また、妖忌と妖夢に化けるのもいい。なんせ楼観剣と白楼剣があるんだからな。どっちにしろこいつには消えてもらわねえと都合が悪い」
自らの上で交わされる会話を聞きながら、妖夢は悔しさと痛みで、息も告げない有様だった。
主人のために死ぬならいざ知らず、こんな似非者に負けて死ぬなど恥以外の何者でもない。誰もこれを士道の果ての名誉とは思わないだろう。ただ、余人の嘲笑の的となるだけである。
「刀は売って金に換えてもいいが、これを使ってもっとでかいことをやるってのも悪くねえ。この刀がありゃあ鬼に金棒だ」
偽妖忌は楼観剣と白楼剣を交互に見ながら目を細めた。
ああ、私が魂魄家の名を汚した。それだけでなく主人である幽々子様の名までおとしめた。悔しくて体が震えてきて、妖夢の目から涙が溢れて落ちた。
そもそも、自分はどんな覚悟を持ってここに来たというのだろうか。最初に自分たちの偽物が人間の里を荒らしていると聞いた時、妖夢の心には不快感が沸きあがった。自分と敬愛する主、それになによりわが師の名を汚す輩に腹が立った。今日はそんな小悪党を、お使いがてらに軽く退治してこようと思って来たのだ。そう、犬でも追い払うように。それがこの様だった。
「悪く思うなよ」
偽妖忌は、そう小さく言うと、太刀を妖夢の細い首に振り下ろした。
妖夢は反射的に目をつむった。
しかし、しばらくしてもいっこうに変わった様子がない。もう死んだのだろうか。そうとも思えない。通りを我が物顔に吹き抜ける風は相変わらず体に当たってきている。なにより、その音は未だ耳鳴のようにこだましていた。
「誰だ!」
偽妖忌の声がした。その声を聞いて妖夢はうっすらと眼を開ける。
視界の中に地面に落ちた木杖が映った。
妖夢が見上げると、町屋の軒の影に、一人の虚無僧が立っていた。どうやら彼の投げた木杖が、偽妖忌の太刀を逸らしたらしい。
「なんだ、坊主。邪魔立てするか」
偽妖忌が怒声を張り上げた。
すると、虚無僧は妖夢と偽妖忌の間に割って入るように悠々と歩み寄ってきて、木杖を拾い上げた。
「わしは修験の道に身を置く者じゃが、先ほどよりお主たちの争いを見ておれば二対一の様子。ならば拙僧がこの娘に助太刀いたそうと、まさか文句はあるまいな」
編笠の中からくぐもった声が漏れてきた。頭をすっぽりと覆っている編笠により年格好はわからぬが、その声からするにかなりの老齢であると思われた。
「坊主、その餓鬼に助太刀すると言うか。どうやら命を捨てたいと見える。俺が幻想郷一の剣の使い手、魂魄妖忌と知ってのことか」
「貴様が魂魄妖忌じゃと。馬鹿め、魂魄妖忌はもう少し渋くていい男じゃわい」
魂魄妖忌といえば幻想郷では知れた名前である。しかし、その言葉にも虚無僧はまったく動じた様子はない。
姦物二人はぐっと太刀を握り直すと、物も言わずいきなり虚無僧に対して斬りかかった。
だが虚無僧は慌てる様子もなく、木杖にて発止と迎え撃つ。さきほどからの落ち着き具合といい、どうやら、ただの雲水ではないようだ。
刀を木杖で受ければ断ち切れてしまう。そうはならないように、うまく横から杖を打ち当てて剣筋を逸らしていた。それは達人の技といえたが、多少、凌いだところで真剣二刀を相手にしては、いずれは切られてしまうだろう。
自分がなんとかしなければならない。妖夢は楼観剣を杖代わりに立とうとするが、まだ体がいうことをきかない。
やきもきしていると、不意に虚無僧から声がかかった。
「そこの娘、すまぬがお主が抱えておる太刀を貸してくれぬか」
虚無僧は身をかわしつつ後方の妖夢に手を伸ばした。刀を投げろということであろう。
一瞬、妖夢は渋った。太刀を渡せば自らの武器が無くなってしまうということもあるが、楼観剣は魂魄家に代々伝わる大事な刀である。他人に渡すのはためらわれる。
しかし、次第に追い込まれていく虚無僧の姿が妖夢の目にくっきりと映し出されていた。
自らの命を救ってくれた恩人が、今まさに切られようとしている。彼は妖夢のことなど捨ておいてここから去ってもよかったのだ。
「これをお使いください」
気づいたときには、虚無僧に向かって山なりに楼観剣を投げていた。
虚無僧は二つの剣閃の中を紙一重でくぐり抜け、楼観剣に手を伸ばす。刀は抜き身であったが慣れた手つきでそれを掴みとり、両手で握ると大股に構えた。
たちまち、彼の体から気焔が立ち上るのが感じられた。その姿はまるで刀が主の手に戻ったかの如く様になっていた。
「貴様、ただの坊主ではあるまい。一体何奴!」
賊も敵の姿にただならぬものを感じたのか、多少、身を固くしながら問いかける。
虚無僧は泰然と言い渡す。
「ふん、聞いて驚け。わしこそが本物のこんぱ…………コンパ大好きヨーグルト斎じゃ!」
「くっ、コンパ大好きだと。こいつ、できる!」
軽い相手ではないと見たか、ならず者たちはちらと目で合図した。
二人はヨーグルト斎を挟み左右に展開すると、その周囲をじりじりと旋回しはじめた。そして、偽妖夢がヨーグルト斎の真後ろに達したとき、前後より同時に襲いかかった。
その身のこなしには微塵の迷いもない。妖夢はこの二人もまた、なまじの腕ではないことを見て取った。
空中に火花が散った。
上段から振り下ろされた偽妖忌の太刀は、楼観剣によって大きく跳ね上げられていた。
だが同時に後方からは、偽妖夢がヨーグルト斎の背に致命の突きを放つべく、躍りかかっている。
万事休す。妖夢が青ざめたその時、ヨーグルト斎の編笠よりスイカ大ほどもある白い塊が飛び出した。それは背後から差し迫る女を一蹴すると、ふわふわと編笠の中に帰っていった。偽妖夢は多少よろけただけですぐに態勢を立て直したが、不可解な一撃に頭がついていかない様子だった。
「コンパ大好きヨーグルト斎殿、今のは一体?」
勝負の途中であるにもかかわらず、妖夢は思わず声をあげてしまった。
ヨーグルト斎は構えを崩さず背中で答える。
「……闘気じゃ。わしぐらいの達人になると闘気を飛ばせる」
「しかし、今、一度放たれた闘気が編笠の中に戻ったように見えましたが」
「……闘気はたまに帰ってくる」
その言葉も終わらぬうちに、前方の偽妖忌がうなり声をあげ、猛然と刀を打ち下ろしてきた。
だが、その刹那、ヨーグルト斎の五体がにわかに溶けたかと思うと、一迅の烈風となって偽妖忌の眼前で渦を巻いた。
遅れて風を切る音が鳴った。
続いて、偽妖忌の胸板に一筋の朱線が浮かびあがったかと思うと、ざくろのようにその身が弾けた。
鮮血が湯水のように湧いて出る。偽妖忌は思わず手で胸を抑えたが、腕を染め上げた自らの血を見つめた後、未だ我が身に起きたことがわからぬという不審の顔で崩れ落ちた。
(疾い)
妖夢は思わず目を見張った。ヨーグルト斎の踏み込みも剣の振りも、妖夢の目には一瞬の閃光としか捉えられなかった。
幻想郷にこれほどの使い手がまだいたとは、まったく想像もしていないことだった。
実は妖夢は、行方知らずの師、魂魄妖忌を除けば、自分は剣の腕なら幻想郷でも一番ではないかと考えていたのである。それがいかなうぬぼれであったか。妖夢は深く恥じいった。
「安心せい、切先は臓腑に届いておらぬ。動かなければ死ぬことはない」
ヨーグルト斎は刀に付いた血を懐紙にて拭い落とた後、ゆっくりと振り向き
「お前さんはどうする」と、偽妖夢に問いかけた。
問われた偽妖夢は血まみれの相棒を前にぼう然と立ち尽くしていたが、その言葉に思い出したようにじりじりと下がる。
だが、しばらく後ずさりした後で何を思ったか、急にしゃがみこむと自らの太刀を地面に置いた。
そして今度はヨーグルト斎のほうに近づいてきた。抵抗の意思がないことを示すために両腕をあげている。
「お坊さん、とってもお強いのね」
何をするのかと思うと、ヨーグルト斎の側までやってきた偽妖夢は猫のように体を摺り寄せはじめた。
ヨーグルト斎のほうは何も答えない。彼の表情は読み取れないが、とにかく我が身に摺つく女を放置して特に抵抗もしない。
とりあえず反発されないことに気を良くしたのか、偽妖夢はその豊満な胸をことさらヨーグルト斎の体に押し付けるように密着する。
「な、な、何をやっているんですか!」
妖夢の顔が真っ赤に染まる。元々こういうことには奥手な少女なのだ。ましてや今、目の前でみだらな行為をしているのは自分の顔である。まるで自分自身がそのようなことをしているかのような錯覚に頭がくらくらする。
目を白黒させている妖夢を無視して、偽妖夢はヨーグルト斎の肘を自らの胸に挟むように動きながら、上目づかいで編笠を覗き込む。
「ほら、こちらさんも大きいほうが好きでしょ」
「いや、わしは小さいのも好きじゃぞ」
(駄目だこいつ……早くなんとかしないと……)
妖夢と偽妖夢の意識がシンクロした。
偽妖夢はしだれかかって、ヨーグルト斎の右腕に自分の両腕を絡みつかせてくる。ヨーグルト斎は「よせ」だの言っているが、その実、一向に突き放す様子もない。命の恩人とはいえ、妖夢は彼に対してだんだん腹がたってきた。
「コンパ大好きヨーグルト斎殿、いい加減にしてください。大丈夫たるものが色仕掛けなどにかかって恥ずかしくないのですか。いかに可愛い顔をしているからといえ、だらしなく鼻の下を伸ばすなど……鼻の下見えませんけど……きっと伸ばしているに違いありません!」
「馬鹿者! わしは色に惑うたりせん。わしが色仕掛けで失敗したのは一度だけじゃ。あれはわしがまだ若い頃……いや、この話はいいか。とにかく、これは色仕掛けにかかっとるわけではない。その顔がいかん。その顔で甘えてくるの禁止!」
その時だった。偽妖夢の腕がさっと伸びたかと思うとヨーグルト斎の右腕をひっかいた。
「ぐっ」
ヨーグルト斎は楼観剣を取り落としそうになるが、とっさに左手で抱え込んだ。
妖夢がハッとして偽者の姿を見れば、その指に鋭い爪が伸びていた。恐らくその本性は猫か何かの妖怪なのだろう。
切られたヨーグルト斎の右腕からは血がだらだらと流れてだして止まらない。その傷は深く、もはや楼観剣を握れないほどである。
偽妖夢は後ろに跳びのくと、ここぞとばかりに一度は置いた太刀を拾い上げ、ヨーグルト斎に斬りかかる。ヨーグルト斎も必死で防戦するが、利き腕ではない左腕一本の支えでは、敵の連撃をさばくのが精一杯の様子だった。
妖夢はとっさに腰の白楼剣に手を伸ばした。これは物理的には切れない刀だが、それでも殴りつけることくらいならできるだろう。
ところが、ヨーグルト斎は敵に押し込まれるようにして、だんだん妖夢から離れて行く。追いかけようにも、まだ腰にうまく力が入らない。
十メートルも離れた先でヨーグルト斎がたたらを踏みながら、なにやらわめいている。
「や、やめい。それ以上やられたら、わしも奥の手を使うしかない」
そんな脅しが効くわけもなく、偽妖夢の攻撃が間断なく浴びせられる。ヨーグルト斎はなおも必死で叫び続けていた。
「わしがこれ使ったら、お主おしまいじゃぞ、いいんじゃな」
「今ならまだやめてやってもいいんじゃぞ、だからその剣を下ろせ」
「本当に使うぞ、いいんじゃな、きっと後悔するぞ」
いいからさっさと使えよ、と妖夢と偽妖夢が心の中で同時につっこんだ。
「よし、本当に使うぞ! どうなっても知らんからな!」
そう吐き捨てるように言うと、ヨーグルト斎は楼観剣に両手をあて正中に構えた。
いや、それは正中の構えではない。刀をほとんど垂直に立て、己の額にくっつかんがばかりに近づける。
そして叫んだ。
「鎧化(アムド)!」
その声があたりに響き渡ると同時に、ヨーグルト斎の全身からまばゆい光が発せられた。強烈な光に偽妖夢も思わず目を腕で覆い、立ちすくむ。
数秒後、光が収まると、中から全身に銀色の西洋鎧をまとった虚無僧が現れた。手に持っていた楼観剣は何故か頭にくっついている。
頭に編笠をかぶり、首から下に西洋風の鎧をまとったその姿は異様であり、かなりの使い手か、かなりの馬鹿のように見えた。
「こうなってしまっては、もう手加減はできん。覚悟せい」
ヨーグルト斎は編笠に装飾品のように編笠にくっついていた楼観剣を抜き取ると、両手で横一文字に構えた。
偽妖夢および本物妖夢はというと、あまりの急展開についていけず、口を開けたまま棒立ちになってしまっている。
「グランドクルス!」
その言葉とともにヨーグルト斎の体から十字型の閃光がほとばしる。狙われた偽妖夢はそのエネルギーの迫力に立ちすくんで動けない。
あたりに天地がひっくり返ったような轟音が響き渡る。
間一髪、光の壁は偽妖夢の体の横を抜けていた。光の通った跡は地面がえぐれ巨大な濠が出現している。
偽妖夢が振り返って見ると、後方にある妖怪の山に十字型の巨大な穴が空いていた。
「どうじゃ、これでもまだ勝負を続けるか」
偽妖夢はそのまましばらく呆けていたが、急に妖夢のほうに駆け寄ると、太刀の切っ先をその喉につきつけた。
「動くなっ! 動くとこのガキの命はないよ!」
もはや、髪を振り乱して必死の形相だった。
ところがそんな彼女に対し、出し抜けに後ろから声がかかった。
「どこを見ているのですか。私はここです」
偽妖夢の肌が粟立つ。背中越しに聞こえたその声は、今しがた人質に取った少女の声そのものだった。しかし、それでは捕らえているこいつは一体誰なのか。混乱する偽妖夢の前で、人質の体が溶けだし半霊へと姿を変えた。
驚愕の中、偽妖夢は体をひねりつつ太刀で後方を薙ぎ払おうとする。だが彼女が振り返ったとき、その喉笛には、突き出された白楼剣の柄が深々と食い込んでいた。
妖夢は気を失った悪党二人を商家の軒先に寝かしつけた。
横ではヨーグルト斎がなにやら唱えごとをしている。すると、身に纏った鎧が光を放ち、元の楼観剣へと収束していった。
妖夢は虚無僧姿に戻ったヨーグルト斎と向かい合う。
「命をお助けいただき本当にありがとうございます。しかし、今起こったことは一体なんでしょうか。私は楼観剣にあのような機能が付いているなど知りませんでした」
聞きたいことがたくさんあった。謝辞もそこそこに問いかける。恩人に対し失礼とは承知しているが、逸る気持ちを抑えきれなかった。
「この刀は正式には「鎧の楼観剣」といって、魔界の名工ロン・ベルクが作りし、術者の力を取り込み鎧と化す妖剣じゃ。そして、さきほどの技は『グランドクロス』己の生命力を十字の光に変えて放つもの。しかし、この技はMP消費が激しく連発はできぬ」
「し、しかし……なぜ、あなたはそんなことを知っているのです」
「……わしは昔、友人からこのことを聞いたまでのことじゃ」
そう言うと、ヨーグルト斎は借り受けていた楼観剣を妖夢にすっと差し出した。けれども妖夢はその刀を受け取りたくはなかった。二人はたまたまこの戦いにおいて手を握り合った仲に過ぎない。この刀を受け取ればそれで二人の縁は切れてしまう。
「ヨーグルト斎殿、是非お礼がしたいので、白玉楼へお越しくださいませんか。主人も喜ぶと思います」
「……いや、お心遣いはありがたいが、わしは新勧コンパに行かねばならないのでな……わしよりモテない奴に会いに行く!」
ヨーグルト斎は半ば無理やり妖夢の手に楼観剣を押し付け握らせた。
しかし、妖夢はなおもあきらめきれない。
「すみませんがヨーグルト斎殿、ご尊顔を拝見させていただいてもよろしいでしょうか」
「いかん、いかん、それはいかん! 朝、顔を洗うのを忘れてな。いや、実を言うとここ一年ほど顔を洗ってなくてな。顔全体からドドリア臭が……これっ、編笠に手をかけるな。虚無僧の編笠を取ったら死刑になるという法律があるじゃろうが。何ッ、お前はそんなことも知らんのか。まったく、親の顔が見たいわ」
妖夢はヨーグルト斎の手を強く握しめ、すがりつくように懇願した。
「お願いいたしますヨーグルト斎殿。あなたは本当は――」
「馬鹿者! 」
通りに大喝が鳴り響いた。
その声に妖夢の背筋は自然と伸びる。
「わしのことを詮索する前に省みることがあるじゃろうが。さっきの様はなんじゃ! わしがおらねばどうなっておったと思っておる。そのようなことで大切な主人を守れるか。ゆめゆめ精進せい!」
妖夢は目に涙を浮かべて深くうなだれる。
しかし、ヨーグルト斎はなおも厳しい叱責を続ける。
「日頃から鍛錬をしておらんから、あの程度の敵に遅れをとる。たるんどる!」
「そも、今回の不覚、お主の慢心に原因がある。甘えを捨てて修行に打ち込まんか!」
「そう、それから、剣の修行だけでなく勉学にも励まねばならん。文武両道でなければ真の武士とはいえぬ。ちゃんと毎日勉強しておるか、うん、うん……なに、それならよい。それから家事もしっかりこなすこと。料理、洗濯、清掃、やらねばならんことはたくさんある」
「……仕事において大事なサシスセソとは『さっさとやる』『しっかりやる』……」
ヨーグルト斎の説教は地味に長かった。
「しかし家事だけでなくお友達と遊ぶこともまた重要である。いや、真の武士にはそれが必要なのじゃ。それから、ちゃんと早寝早起きすること。朝ごはんをしっかりと食べること。あいさつはきちんと行うこと」
「……お菓子は食べすぎないこと……」
「……寝る時はお腹を冷やさないようにすること……」
「……この時期は風邪をひかないようにうがい、手洗いをきっちり……」
終わらないかと思われたが、話がこのあたりに差しかかったところで、ふと、ヨーグルト斎は言葉を止めた。どうやら編笠の中から妖夢の顔を見つめているよである。そして数秒の沈黙の後、穏やかに言葉をつないだ。
「それから、問題が起きたら一人で抱え込まず、泣き叫んで周りを巻き込むことじゃ。それでも辛いことがあれば、その時はとりあえず逃げよ、逃げれば大抵のことはなんとかなるもんじゃ。わしもあの時……いや、この話はいいか。まったく長々とくだらん話をいたした。先を急ぐ旅じゃというのに、わしとしたことが。……妖夢、その刀に恥じぬ剣士となれよ。さらばじゃ」
「あっ」
ヨーグルト斎はくるりと身を翻すと、妖夢が止める間も無く大股に通りを去っていく。
ようよう小さくなっていくその背に、妖夢はついに声をかけることはできなかった。ただ、吹き荒れる風だけが妖夢の肩を超え、彼の後を追っていった。
夕暮れ時の街道を、銀髪の少女が血まみれの老人を支えながら歩いている。
「兄さん大丈夫」
問われた老人は息も絶え絶えに言葉を返す。
「うぐぐ……なんとか命は助かったが、どうやらこの商売はお開きみてえだな」
「これからどうしたもんかね」
二人の妖怪は身を寄せ合いながら、夕日の中に消えていった。
「おうっ! 早う酒持ってこんと、この店めちゃめちゃにしてまうど!」
数日後、とある酒場に、男にしか見えないレミリアとやたら胸の大きい咲夜が現れた。
日本っぽく 新井赤空作 九頭竜閃
とかにしたほうが良かった気がします
天丼のくだりが本筋と無関係すぎてなんかワロタ。
あと重箱の隅をつつくようで恐縮ですが
ダイ大ならばクロスではなくクルスです(キリッ
バトルシーンがカッコいいですな
一箇所ヨークシャー斎が乱入してきて盛大に噴きましたわ。
修正いたします。
どうしてくれるんだー(棒
小ネタがしっくり来なかったのもあるので、この点で。
最初っからシリアス風ギャク調だったので違和感もありませんでした
二次創作なんだし自分的にはこのくらいはっちゃけてるのは多いにアリでした
パロディが好きな人もいると思うので、そこは主観なんですけれども
本当に素敵なおじいちゃんだなあ。
自分の偽物の噂を聞いてなんとかしにやってきたのは妖夢だけじゃなかったのですね。
オリキャラの兄妹も、妖夢と妖忌の魅力を引き出していてステキでした。
ギャグもバトルも、とても楽しく読むことができました。
何故か偽妖夢を応援していました
巨乳の妖夢っていいじゃん(いいじゃん)