こんばんは。
古明地こいしよ。
今日は私のお姉ちゃんについて紹介するね。
名前は古明地さとり。
私のだーい好きなお姉ちゃん。とっても可愛いのよ。けもけもでふわふわでもふもふで温かくてやわらかくて言葉では言い表わせないくらい可愛いの。
実物を見せた方が早いから早速呼んでみるね。本当にとってもとーっても可愛いんだから。じゃあ呼ぶね。せーの――
「おねえちゃーん」
「きゅー!」
その声に反応して短い足をとてとてと動かしながら私のもとに走ってくるお姉ちゃん。可愛いなあ。
お姉ちゃんを見てる時が私一番幸せなの。
お姉ちゃんが餌を食べているところや、お姉ちゃんがジャンプしたりするところを見るのが好き。
お姉ちゃん、昔はあんなに不健康だったのに今じゃあこんなにも元気だもんね。嬉しいな。
私はお姉ちゃんを迎え入れるべくしゃがんで腕を広げる。さ、お姉ちゃん来て!
お姉ちゃんはゆっくりと走ってきて――私の胸にダイヴ!
「きゅー!」
やっとの事でゴールについたお姉ちゃんはそのつぶらな目を爛々と輝かせながら私を見つめてくる。
そんな目で見られるときゅーんってきちゃう。お姉ちゃんったらどうしてこんなにも可愛いのよ!
私がそんな風にお姉ちゃんが可愛いすぎて自分を抑えきれない衝動にかられていると、お姉ちゃんは触って触って、といった具合に舌を出しながら私をひっかいてくる。
「きゃ、くすぐったいよ。よしよし、いいこいいこ」
甘えんぼのお姉ちゃんの頭を撫でてあげる。毛むくじゃらで気持ちいい。お人形さんみたい、うふふ。
こうしてあげるとね、お姉ちゃんったら体を捩らせてもっともっと! って云った具合に体をこすりつけてくるの。
甘えんぼさんめ。
「えい」
お姉ちゃんのおでこを指でつんと触ってやる。
けもけも気持ちいい。
そしたら、お姉ちゃんったらもっともっと!って、顔を近づけてくるのよね。
ドMなのかしら。じゃあもっと可愛がってあげないとね。
――お姉ちゃんは私のお姉ちゃん兼地霊殿の管理人兼私のペット(おこじょ)なんだから。
このお話を読むにあたって用語説明や独自設定(ネタバレ有りの為、反転してお読みください)。
オコジョ:ネコ目イタチ科の動物。同名の妖怪がいる。
おこじょ:妖怪。別名『さとり』。一つの村が食い尽くされてしまったという話や、立って歩き、人の言葉を話すうえに、人の意を察して先走って話すなどという話もある。
さとり:古明地さとり。さとりさん。古明地こいしの姉。こいしちゃんの愛玩動物。種族は覚……なのだが、今は『さとり』。こいしちゃんの瞳を開く為に自ら『さとり』になった。元の体に戻れるかどうかは分からない。それでもいいと、自らペットとなり想いを行動で伝えてこいしの心を開かせようとしている。なんて素敵な妹思い。
こいし:古明地こいし。こいしちゃん。種族は覚。心を読む瞳、心を閉じてしまった。霊夢さんの事が気になっていたが……さとりさんが自分のペットになってからはさとり依存。
お燐:さとりさんのじゃれあい仲間その1。元? さとりのペット。よくさとりさんに尻尾をかじられている。
お空:さとりさんのじゃれあい仲間その2。元? さとりのペット。よくさとりさんに頭を丸かじりされている。
霊夢:博麗霊夢。れいむさん。さとりさんを食べようとしている。おこじょ鍋オコジョ鍋。
地霊殿には多くの動物がいる。
その中に薄紫の毛を持つ美しいオコジョがいた。横に長いその体からは何故だか高貴なイメージさえ感じさせられる。
そんな畜生の分際でカリスマのオーラを出している一見畜生には見えないような畜生だった。
それもそのはず、何故ならそのオコジョは何を隠そう地霊殿の管理人である古明地さとりその人だったのだから。
……こんばんは。
古明地さとりです。
今は訳あって獣の姿をしていますが、古明地さとりです。
心は読めませんが一応覚です。
「おねえちゃーん」
あら、こいしが呼んでいるわ。行かなければ。
私は走る。すると、こいしは嬉しそうにこちらに手を振る。それが嬉しくて私はさらに加速する。
そして、こいしの胸にジャーンプ。こいしは私を優しく抱きしめてくれました。
少し苦しいけれど嬉しくて私はさらにこいしを求めます。
「きゅー!」
「きゃ、くすぐったいよ。よしよし、いいこいいこ」
こいしが私を撫でました。それが気持ち良すぎて眠ってしまいそう。
「えい!」
あ、た。眼が覚めました。幸せそうなこいしの顔が目の前にありました。
それをもっと近くで見たくて私は顔を近づけた。
こいしが幸せならそれでいいの。幸せな顔をもっといっぱい見せて。
「もう一回。えいっ!」
あ、いたっ。
「きゅーん……」
「あ、お姉ちゃんごめんね、痛かった?」
優しい優しいこいし。どうしてあなたが心を閉ざさなければいけなかったのでしょう。あなたの心の癒しになれますように。それが私の望みですから。
「よしよし。今日も一緒に寝ようねー、お姉ちゃん」
「きゅー!」
「お姉ちゃんも嬉しい? 私もお姉ちゃんと一緒に寝れて嬉しいんだよ」
私も嬉しい。人間のような姿をしていた時はあなたと一緒に眠った事なんて無かったもの。
「あー! さとり様ずるいですよ! 私だってこいし様と一緒に寝たいのに」
「おくう、駄目だよ。今日はさとり様がこいし様と一緒に眠るのよ」
「じゃあ、こいし様ずるいですよ! 私だってさとり様と一緒に寝たいのに」
「……おくう。さとり様はこいし様と一緒に眠るのよ」
「うにゅ? こいし様はこいし様と寝て、さとり様はさとり様と寝るの?」
お燐とおくうが話を聞いていたのか、いつの間にか部屋に居ました。
はて、本当にいつからいたのでしょうか?
私の可愛いペット達。今では私もこいしのペットだけれど。
「おくう、ごめんね。今日はお姉ちゃんと一緒に寝るの。また今度、ね?」
「約束ですよ! 約束!」
「はいはい、帰るよおくう。こいし様! 姉妹水入らずのところを失礼しました! おやすみなさい!」
「別に気にしてないよ。おやすみお燐お空」
「こいし様、おやすみー」
「さてと、私たちも寝室に行こうね。お姉ちゃん」
こいしは私をそっと抱きかかえると寝室へと向かっていきます。
ああ、こいしの温もりが服越しからも伝わってきて段々眠く……
はっ! 私とした事が眠ってしまうなんて。
ここは……ベッドの上? 違う、ここは多分こいしの腕の中だ。
こいしは眠っているのかしら。勝手に寝てしまってごめんなさい。一緒に寝ようって約束したのに。
あれ、こいしの腕の力が段々強くなっているような。
こいしは私をぎゅっと抱きしめてきた。痛い痛い痛い!
「……私はこうしてお姉ちゃんを抱きしめる事が出来るのに、もう二度とお姉ちゃんは私を抱きしめてくれないのね」
こいしはぼそっとそう漏らす。こいし、どうしたの? 寝ていなかったの? そんな悲しそうな声、私は聴きたくない。
「今の姿のお姉ちゃんも可愛くて大好きだよ。人間みたいな形をしていた時とは違ってこうして抱きしめてあげらたり、頭を撫でてあげる事も出来るから。でもね、私もやっぱりお姉ちゃんになでなでされたり、抱き締められたりされたいんだよ……?」
(こいし!)
声が出せないのが悔しかった。今の私ではあなたに想いを伝える事が出来ない。
こんなにあなたの事を想っているのに、こんなにもあなたを愛しているのにあなたに何もしてあげられない!
私が動物になることであなたの心にまた大きな変化があれば良いと思った。あなたが幸せそうならそれで良かった。
だのに、こんな……結局、あなたは幸せそうなだけで本当に幸せではなかったなんて。
「お姉ちゃんは今もこうして私の傍に居てくれるのにね。何だか寂しいの。お姉ちゃんの声が聞きたい……寂しいよ、お姉ちゃん」
「……きゅー?」
「あ、お姉ちゃん。起こしちゃった? もしかして心配してくれているの? ……やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんなんだね。ありがとう、だけど大丈夫だから。……お姉ちゃん大好きだよ。おやすみなさい」
暫くしてこいしは眠りました。しかし私は眠れませんでした。
こいしの嘆きを聞いてしまった。こいしの叫びを聞いてしまった。
では、私はどうしよう。こいしの為に何をしてやればいいのだろう。
人間のような姿をしていた時はまともに眼を合わせられなかった。こいしを抱きしめてあげる事も撫でてあげることもできずにただ見ていることしかできなかった。
だから、動物の姿になった。自分の意思を伝えられないのは不自由だったし、小さくなってしまったから慣れない目線で動くのも大変だった。何よりいつも読めていた心が読めなくなってしまった。少し怖かった。
でも、そしたらこいしに向き合えるようになったから。私はこいしに甘えた。言葉では伝えられなかったから行動で伝えた。お燐やおくうが私にくれたように行動で伝えた。こいし大好き、愛してる、ありがとうって。人間の様な姿をしていた時は恥ずかしくて言えなかった事を精一杯心を込めた行動で示していたつもりだった。
だけど、今は言葉で伝えなければ意味がない。言葉で今度こそ向き合ってこいしに想いを伝えなければ意味がない。私も寂しかったよ、と。私もこいしの事が大好きですよ、と。
言うのだ。言葉で伝えるだけではなく、行動でも伝えるのだ。いっぱい甘えされる。抱きしめよう。撫でよう。
私のすべきことは決まっていた。
目が覚める。こいしはまだ眠っていた。
幸いなことにドアが開いていた。さとりはこいしの腕からなんとか抜け出すとベッドの上から床へ堂々と着地した。
足が痺れる。こいしに連れて行ってもらえば楽なのだが、こいしには気づかれたくない。
ドアの外を見てみる。恐ろしかった。天井が高い。続く道が広い。果たして一人でたどり着けるのだろうか。
しかし、こいしの為だ。やるしかない。
さとりは走った。向かう先は愛しいペットの部屋だ。お燐は私の言葉を理解してくれる。私の助けになってくれるはずだ。
どれくらい走っただろうか。やっとのことでさとりはお燐とおくうの部屋に着いた。ここまで来るのに体力は全て使い果たしていた。満身創痍だった。
それなのに、ドアは閉まっている。
さとりはドアを鋭い爪で引っ掻いた。力無き攻撃だった。音が鳴らない。二匹とも気づいてくれないだろうか。
「きゅー! きゅー!」
お願い! おくうでもお燐でもいいから気づいて!
「きゅー! ……きゅー」
駄目だ。息が続かない。呼吸が途切れる。あぁ、意識が。
「もう朝っぱらから五月蠅いなー、一体誰よ……ってさとり様!? お燐おりーん!」
ああ、良かった。おくう、貴方はいい子ね。気づいてくれてありがと……う。
気が付くとベッドの上のようだった。
「きゅ?」
「おねえちゃん!」
目の前には眼に涙をたっぷり蓄えながら私を見ているこいしがいる。
「よ、よがったぁ、じんじゃうじゃないかとお、おぼった」
私の無事を知って安心したのか、こいしはポロポロと大雨の様な涙を流し始めた。
私を抱き抱えるとぎゅっと抱きしめてわんわん泣いた。こいしがこんな風に声を荒げて泣くのを見るのは珍しかった。
(ごめんね、こいし)
こいしの為に行動したつもりだった。ところが、最初から失敗してしまい、こいしを泣かせてしまった。
「お、おねえちゃんがいだぐだだったらわたし、わたし……!」
「こいし様、さとり様は一応病人ですよ。もっと優しく扱ってあげてください」
「おねえちゃん、おねえちゃん、おねえちゃん!」
お燐がこいしの傍にいてくれた。ありがとう、お燐。そしてお願い。
「きゅー(お燐)」
「にゃー?(何ですか、さとり様)」
「きゅきゅきゅー……きゅー(私を博麗神社に連れて行って欲しいの……出来ればこいしに気づかれないように)」
私の考えはこうだった。私は『さとり』になる方法を知ってはいたが戻り方を知らない。
そこで妖怪の賢者である八雲紫氏にコンタクトをとることにしたのだ。胡散臭い妖怪だと話に聞いているが、彼女なら何か知っているかもしれなかった。戻れないのなら戻れなくてもいい。ただ何もしないで諦めるのはいやだった。覆水は盃に帰らない。だけど、私はまだ戻れるかもしれない。可能性は捨てたくなかった。
何よりこいしに寂しいだなんて寂しい事を言ってほしくない。動物になった時のように――こいしの為だったら何だってする。
「きゅー(詳しくはこいしが眠った後に伝えるわ。お願い)」
「にゃー(判りましたー、さとり様のお願いだったらあたい何でもしますよ!)」
そんな中、まだこいしは泣いてくれていた。
ごめんね、こいし。ありがとう、こいし。私の為に泣いてくれてありがとう、こいし。
でも、泣かないで。あなたの泣き顔は見たくないの。私はあなたに笑っていてほしいの。
こいしの頬を舌でなめる。
本当は涙を拭いてあげたかった。震えるこいしを抱きしめてあげたかった。
それができないから私はこいしの涙を舐め続けた。
「きゃ、お姉ちゃんこそばゆいよ。あは、あは、やめてお姉ちゃんあはは!」
やめてあげない。あなたが涙を忘れるまで舐め続けますよ、といった具合に舐めてやった。
「や、お姉ちゃんの意地悪! や、やめてよ」
ちょっとやりすぎちゃったかも。嫌われないかしら。少し心配になってしまう。
「えへへ、お姉ちゃん……ありがとね。だーい好き」
心配は無用だったか。こいしは満面の笑顔を私に見せてくれました。
先程まで泣いていたからでしょうか、妙に色っぽくてドキドキしてしまいます。私オコジョだけど。
「お姉ちゃんか―わいいーなぁー」
そう言いながらこいしは私の体に頬ずりしてきます。んー? 動作主と受け身が逆じゃないかしら。
ま、いいか。嬉しいもの。
やがて疲れたのか、こいしはベッドに寝転んだ。
「今のお姉ちゃんじゃ……無理だから。おりーん、ちょっとこっち来て」
「お呼びですか、こいし様」
「隣、座って?」
「はい、きましたよ」
「うん、じゃあおやすみー」
そう言うとこいしはお燐の膝に頭をのせて眠ってしまいました。もう寝息かいてる。
私の妹は可愛いなぁ。
しかしお燐め、羨ましい。私でさえこいしに膝枕なんてした事無いのに。
「きゅー(お燐、何してるのよ)」
「いや、だってこいし様に頼まれた事ですし。それに今のさとり様、膝枕はできないじゃないですか。精々こいし様の抱き枕の役目で我慢してくださいよ。あはははは」
イラッ。さとりはベッドに固定されているこいしの腕からオコジョ特有の柔らかい体を駆使して抜け出すと、ちょうど目の前にルンルンと二本の尻尾を揺らしている馬鹿なペットがいたものだからその尻尾を思いっきりかじってやることにした。ガリッ。
「!?!!!?! あびゃああああああああああ!!!」
地霊殿中に響き渡るお燐の叫び声。
お燐がなんとかその場を立ち上がらずにこいしの頭を守り通したのはある意味、奇跡とも言えよう。
「きゅー! ふん!(御主人様に舐めた口を利くとはいい度胸ねえ、お燐)」
「(言葉に出来ない)!?」
「きゅ……(判る言語で話しなさいな……)」
「さ、さとり様だって今はこいし様のペットじゃないですか!?」
「きしゃー! しゃー!(それでも私と貴方の関係は主人とペットでしょうが! かじるわよ!?)」
「ひぃいい!」
「きゅ! きゅー!(こらっ! そんなに大きな声を出したらこいしが起きてしまうじゃない!)」
そもそも先程の叫び声で起きていない方がおかしいのだが、こいしはすやすやと眠っていた。
そんな様子のこいしとは対照的に廊下からはどたどたと何かが走ってくる音がする。
「お燐どしたの!? あ、さとり様目、覚めました? こいし様寝てるし!」
おくうである。彼女は慌ただしく部屋に入ってくると、さらに慌ただしい様子で喋り始めた。
「おくう、聞いてよー。さとり様ったらあたいの尻尾を容赦なく噛んだんだよ」
「へぇ、そうなの。面白いね。あはは。ま、さとり様も所詮今は畜生だからねえ。心も読めないから怖くないし可愛いだけ」
「あ、馬鹿! そんなこと言ったら……!」
イラッ。もう遅かった。さとりは既に馬鹿なペット2の体をよじ上り、その頭の上に乗っていた。そして、にやりと笑ったかのような動作をしたかと思えば――ガブリ。おくうの頭はさとりに丸かじりされていた。
「ッ!?!?!? あぎゃああああああああ!!!」
地霊殿に本日二度目の絶叫が響き渡った。
「きゅっきゅー♪(オコジョは短気なのよ)」
「きゅ、きゅう?(で、私はどれくらい眠っていたの?)」
「ほぼ一日ですよ。こいし様なんてずっと寝ずにさとりさまの事を看病してたよね」
(こいし……)
そうだ、行かなくては。
「きゅ、きゅきゅー(お燐、おくうにも判るように通訳よろしく)」
「判りましたよーっと」
「きゅ、きゅきゅきゅきゅー。しゃー」
「『私、ペットから姉に戻ることにしたわ。だから手伝ってほしいの』、と言いますと?」
「きゅきゅー」
「『貴方達も良く知っている古明地さとりに戻ると言う事よ』。ええ!? さとり様戻るんですか!?」
「やったー! さとり様だー!」
ペットたちも喜んでいるようだ。やはり飼い主が自分達と同じ愛玩動物なのは嫌だったらしい。
「きゅ、きゅー……きゅきゅきゅー! きゅー!」
「『でも、戻り方が判らないから……博麗神社まで行って妖怪の賢者と呼ばれている八雲紫に相談しようと思っているの。だから、お願い連れて行って!』」
「判りました! このおくうが超特急で博麗神社まで連れて行きます!」
「きゅ、ききゅー……きゅきゅきゃー。 き、きゅきゃ……きゅ、きゅきゅきゅ。きしゃー! きしゃー!」
「『おくう、ごめんなさい……貴方はお留守番よ。お、お燐の代わりに……こ、こいしの枕になってあげて。うぅ、私が膝枕してあげたいのに! 妬ましい!』 さ、さとり様、落ちついて!」
「ガーン……しょうがないなぁ。判りました、こいし様の膝枕の役目、果たしてみせましょう」
「きしゃ……! きしゃー! ……きゅきゅきゅきゅー。きゅきゅー きゅきゅうー!」
「『ガーンな気持ちなのはむしろ私の方よ……! うわぁん! ……お願いしますよ。こいしには私はお燐に病院に連れて行ってもらった、とでも言っておいてください。妬ましい!』 さとり様……この子、鳥頭ですよ」
どうやら今のさとりに一々突っ込むのは無駄だとお燐は判断したようだった。
「大丈夫よ、お燐! 忘れない! こいし様にはさとり様は瀕死の重傷で病院に運ばれていったと言えばいいんだね!?」
「きしゃー!(違います!)」「まったく違うじゃないかい!」
「あれ、じゃあなんだっけ……」
「しょうがないなぁ……」
お燐はおくうと場所を交代するとそそくさと部屋から出ていき、すぐ戻ってきた。
「じゃじゃじゃーん! 筆! これで手に書いておけばおくうでも忘れないよ! ……多分」
「おお、良いじゃない! さぁさぁ、早く書いてよ」
「はいはい(なーんか心配だねえ。こいし様宛に置手紙つくっとこ)」
お燐がおくうの手に情報を書き込んでいく。意外にも達筆になっていてさとりは少し驚いた。
「はい、完成。じゃあおくう頼んだよ!」
「うん! あの……さとり様」
「きゅ?(なぁに?)」
「元の姿に戻ったらまた頭撫でてくれます?」
さとりははっとする。こいしの事だけで頭がいっぱいになっていた。寂しがらせていたのはこいしだけではなかったのか。この子たちも寂しかったのだろうか。きっと寂しかったに違いない。
声が出せるようになったらありがとうと言おう。
この子たちを抱きしめることの出来る体を手に入れたら、うんと甘えさせてやろう。そんな決意をし――
「きゅきゅ」
「『えぇ、勿論よ』だって! 行ってくるね!」
「行ってらっしゃーい」
おくうの気の抜けた見送りの言葉を聞きながらさとりはお燐と共に博麗神社へ向かう。
本来ならば怨霊が乗るはずのお燐の荷車に乗ったさとりは地底をゆっくりと進んでいった。
「……さとり様、あたいも元の体に戻ったらいっぱい撫でてくれますか?」
途中、お燐がそんな事を言ってきた。お燐もおくうと同じで心配だったらしい。さとりはやれやれといった感じで優しくその問いに答えた(ただしオコジョである)。
「きゃきゃっ、きゃー? きゅきゅー(なにを言うのやら、当り前でしょう? 貴方も私の可愛いペットなんですから)」
「はい……」
少し照れくさそうなお燐。そして――
「じゃあさとり様、飛ばしますよ! いぇい!」
スピートを上げる荷車。照れ隠しである。
「しゃ!? きゅきゅ~ん(え!? 否、酔うから酔うからいやぁあああああああ)」
そんなさとりの叫びは無視され、車はどんどんスピードを上げていく。
それからはあっという間だった。旧地獄街道を越え、橋姫のいる道を越え、どんどん高度を上げていく。どれくらい上った頃だろうか、地上の光が見え始めていた。
「さとり様、地上が見えてきましたよ!」
(そ、それよりげ、減速して……おえっ)
「地上! 博麗神社はもうすぐそこだよ!」
しかし、地上に飛び出た次に瞬間。
『恋符「マスタースパーク」』
膨大な光の波がさとりたちを襲った。
吹っ飛ぶお燐と荷車。そして――
(い、いやぁあぁぁああああ!)
さとりは車から落っこちていた。
「いてて、さとり様大丈夫ですか? っていない!?」
「何だ、お燐か。怪我はしてないな。どうやら巻き添えくらわしちまったみたいだ……すまんすまん。ちょっと妖精と遊んでてね」
さとりとお燐を吹っ飛ばした張本人、霧雨魔理沙は箒からひょいっと飛び降りると倒れているお燐に手を差し伸べた。
「ま、魔法使いのお姉さんどうしてくれるのさ!? さ、さとり様がぁ~」
しかし、お燐はそれどころではない。辺りを見回すがさとりの姿は見当たらない。
「さとり? さとりなんてどこにもいないじゃないか。何言ってんだ」
「え、いやそのとにかくさとり様が! はっ! とりあえず神社!」
? と不思議そうな魔理沙を余所にお燐は暴走したまま走り去っていく。
「あ、おい! 待てよ!」
さっぱり訳の分からぬまま一人取り残された魔理沙であった。
「訳が分からん……」
「魔理沙ー、続きまだー?」
「おっとそういえば途中だった! よし、やるか!」
――博麗神社。
まぁ、いっか、と勝手に一人納得した魔理沙が妖精たちとのお遊びに戻っていったその頃。
神社の縁側に一人お茶を啜りながら座っている少女がいた。
その少女――博麗霊夢はお腹を空かせていた。早く朝ご飯を作ればよかったものの彼女は何か悩んでいる。
――とりあえず私の朝ご飯を一時でも邪魔した奴は容赦なく潰す。
そう思うほどに博麗霊夢はお腹が空いていた。
食材はあった。野菜、米、調味料、豆腐。今日は朝から豪快に一人で鍋を食べる予定だ。
それは楽園の素敵な巫女による素敵な提案だったのだが、今の材料では霊夢は確実に満足できなかった。何故なら鍋に絶対に無ければならないものが欠けていたのだから。そう、肉だ。肉が無い。そして何より肉が足りない。
やっとのことで霊夢が竹林に兎でも狩ってこようかと重い腰を上げようとした時である。薄紫の毛を持つ肉が落ちてきたのは――
――気が付くと何か固い板の上だった、って今日だけで何回気絶してるのよ私……ところで、ここは?
さとりが目を覚ますとそこは見知らぬ世界だった。一体いつの間に運ばれたのだろうか。
今いるところは見た感じ板の上のようだが、上を見れば天井がある。どうやら室内らしい。
そして、隣には刻まれたと思われる野菜や豆腐、そしてぐつぐつと音を鳴らしている鍋が置いてあった。
ん? 野菜? 鍋?
「"イタチ"って食べられるのかしら……」
上を見れば巫女服を身に纏った少女が包丁を片手にうんうん唸っていた。
コ レ ハ 。さとりは思わず青ざめてしまう。それを見て今自分がどんな状況に置かれているのかがはっきりとしたからだ。
出来る限りなら知りたくなかった。優しい誰かが保護してくれたものだと思っていたのに。
しかし違ったのだ。これは保護ではない。これは捕獲だ。
そう、ここは! まな板の上!
さとりは今にも食べられそうになっていたのである
「こいつ結構可愛いなぁ……毛並みもいいし。神社に置いておけば参拝数も上がるかしら。うーん、どうしよう。かまいたちかも知れないしねえ」
そして今にも自分を食べようとしている少女の姿をさとりはもう一度覗いてみた。見覚えがある。こいつは博麗霊夢。博麗神社の巫女。私が今一番会いたかった相手。そして今の姿では(一人で)一番会いたくなかった相手!
霊夢の目からは殺気が感じ取れる。これは食べる者の目だ。怖い。まな板の上に乗せらせる経験なんてしたくなかった。まさかまな板の上に乗せられるなんて思ってもいなかった。
さとりは怯えていた。今にも気絶しそうな勢いだった。しかし今は獣であるさとりの本能はその怯え以上の警鐘を鳴らす。タベラレル! ニゲロ! という声が彼女? の頭中に響き渡った。それは確実な死に対しての警告だった。
「ま、兎みたいな畜生でも食べられるんだからイタチだって食べれるわよね!」
包丁がおこじょことさとりに振り下ろされた。
「きしゃああああああ(いやあああああああ)」
間一髪。さとりはまな板の上から飛んだ。さとりを突き動かしているのはもはや死への恐怖、唯一つ。逃げろ。逃げろ。捕まったら確実に殺される!
「あ、待ちなさい! 私の肉!」
霊夢は何処から取り出したのか、お札を掴むと扉に向けて投げつけた。途端に結界が出来る。これで出口は封鎖されてしまった。
さとりは心の中で泣き続けた。ああ、こいしごめんなさい。私もしかしたら死んでしまうかも。
そんなさとりの心中など知らぬ(そもそもただのイタチとしか思っていない)霊夢は容赦なく何本もの針をさとりに向けて投げつけてくる。
悪魔だった。それは正に死神。神聖なる職業であるはずの巫女服を来た少女がさとりには悪魔のように見えた。
さとりはかろうじて全本避ける。もしさとりが動きが敏捷で体が小さくやわらかい『さとり』ではなく、動きが緩慢な動物だったとしたら今の攻撃で死んでいただろう。
そんな一方的な攻撃が何度も続き、さとりが『もう駄目、死ぬ、ごめんね、こいし。でも、4体の天使の恰好をしたこいしが私をどこかに連れて行ってくれるから多分最期も幸せだったわ。幸せようふふ』などと自暴自棄になりながら幻影やら走馬灯やらを見始めたその時――
「霊夢、お邪魔するわよ、ってあら。可愛い」
「レミリア! そのイタチは私の獲物、私の肉よ! 返しなさい!」
助け船がやってきた。もしかして……助かったのだろうか? さとりにはその黒い翼を生やした少女が天使のようにも思えた。
実際は悪魔である少女はさとりをそっと腕に抱えると霊夢に向けて笑いかける。
「やっぱり人間は野蛮ねえ」
「人の血を吸うような奴には言われたくないわ」
「第一この子、イタチじゃないわ。オコジョよ」
一先ず助かったようだった。さとりはほっとして息を吐いた(ただし、オコジョである)。
「オコジョ? イタチもオコジョもそう変わらないじゃない」
「大違いよ。いい? オコジョは純潔の象徴なのよ。この子はなんだか少し紫がかっているけれど白い毛を持つオコジョ――アーミンは純白の毛皮を汚されるより死を選ぶと昔は言われていたの。だから高貴な動物なのよ」
「でも、こいつは逃げたわよ」
「純白ではなかったからじゃない? アーミンの毛皮は温かいのよねぇ」
毛……皮? その単語を聞いた瞬間、さとりの体は固まった。天使のように見えた少女はやはり悪魔だった。ハ ガ レ ル。
「きしゃあああああ!(もういやあああああああ!)」
「あ、ちょっと!」
さとりはレミリアの腕からもがき出ると神社を飛び出した。
驚いているレミリアの顔をにたにたと覗きながら霊夢は嫌味を言う。
「やっぱり野蛮な吸血鬼『様』に抱えられるのは嫌だったのかしらね?」
「むぅ……」
返す言葉のないレミリア。
「って私の肉ー!」
しかし、一番愚かなのはすっかり昼になっている事も知らずにさとりをずっと追いかけ回していた霊夢であった。
さとりは走っていた。全速力で走っていた。さとりが生きてきた中でここまで走った事は無いだろうと思われるくらいの速さだった。ニューレコードだった。
「あ、さとり様!」
お燐だった。お燐が目の前にいた。しかし止まれない。スピートを出しすぎて自分では止まれなくなってしまったのだ。だから、止まらない。さとりはしょうがなくジャンプすることにした。
「げふぅ!」
お燐のお腹に容赦ないさとりのタックルが喰らわされる。大地に倒れるお燐。そしてお燐をクッションに着地するさとり。
さとりはふぅ、と一息つく(ただしオコジョである)と心の中でお燐に謝った。
でもしょうがなかったのだ。死から逃れるためにはこうするしかなかった。やむを得ない犠牲だった。お燐は犠牲になったのだ。さとりはそう割り切ることにした。
「きゅう……きゅきゅきゅ(お燐、貴方の事は忘れないわ)」
しかし、お燐はぴくぴくしている。まだ死んでいないのと云うのに勝手に殺すなんてあまりにも酷過ぎやしないかい……とお燐は思う。言わないけど。
「さ、さとり様酷い……」
「き、きゅ……(ご、ごめんね)」
お燐は立ち上がるとさとりを抱き上げ歩き始める。主が変な行動をするのは何時もの事だ。しょうがない。
「ま、まぁいいですけど。それはともかくそっちって神社の方向ですよね? どうして戻ってきたんですか……ってさとり様!?」
さとりは神社、という単語を聞いてすっかり震えてしまっている。余程恐ろしかったのだろうか、怯えているそれはもはや愛玩動物でしかなかった。
(あ、あんな悪魔の住処に戻るなんて)
「あのー、さとり様?」
「きゅ、き、きゅ(はっ、な、何です)」
「神社に向かいますね」
「きしゃー(ぎゃー!)」
半狂乱だった。さとりはお燐の頭を噛みつくことでようやく落ち着いたのだが、それによって本日三度目の絶叫が博麗神社付近に響き渡った。
「うぅ……。い、一体何をそんなに恐れているんですか……?」
「き、きしゃ、きしゃ……きゃー! きゃー!(あ、あそこには、死神が……行きたくない! 行きたくない!)」
「こいし様の為」
さとりはこいしの為、と云う言葉にビクっとする。
「『こいし様の為』にさとり様は神社に行かないといけませんよねー? 機会はもう今日だけですよ。さ、『こいし様の為』に行きましょう」
「き、きしゃ、きゅ……きゅー(わ、判ったわ、百歩譲って神社には行くわ……だけど服の中に隠れさせて)」
さとりはお燐の服の中に潜る。ちょうど胸に挟まった形である。
「きゅ、きゅー。きゅい(む、胸で圧迫されて苦しいわ。もう少しゆるく……)」
「はいはい、さとり様はしょうがない子でちゅねー」
「き……(お燐……)」
「『こいし様の為』」
「きぃ……(うっ)」
お燐はここで一つ学習した。『こいし様の為』とさえ言えば今はとりあえず安全だということを。
さとりは『こいし様の為』なら何でもしてしまうほどの姉馬鹿なのだ。
もう噛みつかれるのはごめんだった。
「さぁ、博麗神社ですよ。妖怪の賢者さんに会わないとね。それと巫女のお姉さんにも」
「きゃあ……(死神……)」
お燐が博麗神社の階段を昇っていくと神社の中では霊夢とレミリアが口げんかをしている。
「あんたの所為で私のお肉を取り逃しちゃったじゃない!」
「まったく……血の気の多い人間ね。今日は貴方をお昼ご飯にしようかしら。ぎゃおー! 食ーべちゃうぞー!」
「それは私の台詞よ。別にこの際同種以外の肉なら何でもいいわ」
「……嘘でしょう?」
そんな会話の中に飛び込むお燐。
「お姉さーん、こんにちは!」
「あら、猫だわ。あんた来る途中にオコジョ見なかった?」
この巫女、まだ探していた。
「い、いえ見てな……ませんよー」
「本当に? そうだ! あんた動物だから鼻利くでしょ? オコジョ、探してくれない?」
そのオコジョは今、お燐の胸の中でびくびくと震えているのだが。
「猫より鼻が利く私にお願いしてみてはどうかしら? 霊夢」
「却下。あんたの手は借りないわよ。猫より鼻が利くなんて蝙蝠って凄いのね」
「褒めてるようで褒めてないわね、貴方。私は吸血鬼よ」
「あのー、お姉さん。お願いがあるんですけど」
「なら私のお願い聞いてよ」
「その前に私のお願いを……八雲紫がどこにいるか知っていますか?」
「紫? 知らないわよ。あいつがどこにいるかなんて」
何故、地底の猫が紫を探しているのだろうか。霊夢は少し疑問に思う。だが次の瞬間には食欲の方がその疑問への興味を上回っていた。
「危急の事態なんですよー、どうにか呼んでくれませんかね?」
「呼んでも出て来ない。出て来たら怖いじゃない。その内、来るんじゃない」
ちょうどその時だ。霊夢の目の前の空間に亀裂が走り、それによってそこに穴が開いた。その中から派手な女が出てくる。八雲紫である。
「ごきげんよう、霊夢。と猫と吸血鬼。それにそこの……」
「ほらね、噂をすればなんとやら」
「おい、紫。私より先に猫に挨拶するなんて良い度胸ね」
「お褒め頂き光栄ですわ」
「褒めてないわよ」
「あら、そう? 化け猫と吸血鬼、双方元々は獣が転じた姿。優先順位に大した違いも無いでしょう」
「私の祖先は悪魔よ!」
「まぁ、そんなことは良いわ。ところで、そこのオコジョさんはどうして隠れているの?」
紫の目線は明らかにお燐の胸の方を向いていた。お燐は生唾を飲んだ。さとりはもう泡を吹きかけていた。
そして「オコジョ」という単語に反応した霊夢。
「オコジョ!? どこ!? どこよ!」
「その猫が持っているようだけれど」
「何ですって!?」
お燐は内心、舌打ちしていた。失敗した。このままではさとり様はお肉になってしまう。どうすればこの場を切り抜けられるだろうか。必死の考えるお燐だがさとりを救う策は出てこない。逃げる事は出来ない。この面々から逃げ出すことは不可能に近いからだ。どうすれば――!
その頃、さとりはお燐の胸によって圧死しかけていた。そこにこの仕打ちである。完全に気絶していた。
「ちょっと、レミリア! あんた猫以上の嗅覚とやらはどうしたのよ!」
「ね、猫が近くにいたから判らなかったのよ!」
「使えない奴……さ、お燐。持っているのならそのオコジョ、こっちに寄こしなさい」
お燐はさとりを胸の中から取り出す。とりあえず今は従った方がいいと思ったからだ。もし抵抗しようものなら自分の身が危ない。そう判断したのだ。
一先ず霊夢に渡して機会を見てから奪い返す。そういうつもりだった。
しかし、それを受け取ったのは霊夢ではなく紫であった。
「……で、何であんたが受け取るのよ」
「霊夢駄目よ。私はそのオコジョに用事があるんだから」
霊夢は不思議に思った。地霊殿の猫が紫に用があることも不思議だったのだが、紫がオコジョに用事があると言うのはもっと不思議だった。そんな事より確実なのは紫が自分の食べ物を奪おうとしている事だ。
「あ゛? あんた私の肉を奪うっていうの?」
「いえいえ、奪うも何も。そのオコジョは私の式神。元から私の所有物なのよ。で、貴方こそ私の道具を奪うつもり?」
「くっ……! ……判った。諦めるわ。あんたとこんな事で争って面倒なだけだもの」
「物わかりが良くて結構。御礼はその内するわ。では、また」
「あ、あの!」
一体何が起こったのかが判らないお燐。助けてくれたのだろうか。
「そうそう。貴方も入らっしゃい。私に用があるのでしょう?」
「あ、はい!」
気絶したままのさとりを抱えた紫の後ろをお燐は付いていく。
「じゃあ、私もっと」
「霊夢はお呼びじゃないわ」
お燐が隙間を通って向こう側に行くと、途端にその隙間は崩れた。
「あ、ちょっと! ……なーんか引っかかるなー」
「嵐のようだったわね」
釈然としないまま、残された霊夢とレミリアだった。
ここは……? 天国だろうか。死と云うのは案外痛みが無いものなのね。
いや、違う。生きてる。生きてる。ならば一体ここは何処だ。
「さとり様……?」
聞き覚えのある声がする。目を開くとやはり見覚えのある自分のペットがじっとこちらを覗いていた。
「き、きゅー(お、お燐?)」
「良かったー! 気がついたんですね!」
「きゅきゅきゃ?(私はまた気絶していたの?)」
「そうですよ。でも、このお姉さんが助けてくれたんですよ。さとり様が会いたがっていた八雲紫様! いやー、この八雲のお姉さんが助けてくれなかったらさとり様、巫女のお姉さんに食べられてましたからね」
そうだ、私は食べられかけていたのだ。ここでようやくさとりの意識がはっきりとしてきた。お燐によると、ここは八雲紫の――
「目は覚めた?」
案の定、さとりが声のする方を向いてみると八雲紫がいた。やはり気味の悪い微笑みを湛えながらさとりとお燐を見ている。
「貴方、私に用事があるのでしょう? 折角だから聞いてみようかと思いまして」
「ききゅ……きゃきゃあ(はぁ……、とりあえず助けていただきありがとうございます)」
「なんて言っているの?」
「あ、通訳しますね。『はぁ……、とりあえず助けていただきありがとうございます』とさとり様は言っているよ」
「別にいいのよ。気紛れだから。ところで貴方、本当に『古明地さとり』? 確か前に地底に霊夢がお邪魔した時は人型だった気がするのだけれど……」
「八雲のお姉さん、そうなんです! 今日お伺いしたのはその事なんです!」
お燐はすっかり紫に懐いているようだった。動物に懐かれる人は大抵良い人だ。さとりは紫を少し警戒していたのだが、その警戒を解く。
八雲紫の噂は地底の住人であるさとりの耳にも良く届いていた。厄介な妖怪、どうしようもない妖怪、掴みどころのない妖怪などというそれは悪い噂だったのだが。
噂とは違って案外親切な妖怪らしい。心を読んでいないから本心は判らないが。
「さとり様は訳あって今、獣の姿なんですが。獣の姿から人型に戻る方法があるかどうか、妖怪の賢者と呼ばれている八雲様に相談したいって……」
「成程……。それにしても、あの『古明地さとり』がこんなに可愛らしい姿になってしまうだなんてねぇ。元々の姿だって地底の住民に恐れられているのがおかしなぐらい可愛らしかったのに。まぁ、心が読まれたら怖いけれど。今は心が読めないのかしら?」
「そうなんですよー。お陰で怖くもないですが、それはそれで寂しくて」
「きゃ、きゃきゃきゃきゃ(お燐、そんな話はいいから本題を)」
「ああ、そうでしたねぇ。八雲のお姉さん、さとり様が元のお姿に戻る方法、何かありますか?」
「さとり……呼び捨てもいいわよね? さとりがオコジョになった方法によっては戻れない事もないとは思うのだけれど……オコジョになった時のお話を教えてくださらない? 出来れば詳しく」
「あたいはさとり様がオコジョ様……じゃなくてオコジョになった時を見ていないので何が何やら……」
「きゅきゅ、きゅきゅー(そうね、私が説明するわ)」
さとりはそう言うと静かに語り(?)始めた。
そう、あれは――
あれは地霊殿に侵略者がやってきてから数日経った日の事だった。
「お姉ちゃん、聞いてよ! 地上でね、すごく強い人間に遭ったんだよ!」
扉越しから聞こえてくるこいしの声。
「そう、それは良かったわね」
室内から返答する私。
しかし、この会話は扉越しだった。私たちの会話はいつだってそう、扉越し。
扉越しからこいしが語りかけてきて私がそれに返す。
それが私たちの唯一の繋がりだった。
勇気がないから、こいしが部屋に入ってくるのを拒んだ私。
こいしもその距離感が気に入ったのか、無理に入ってこようとはしなかった。私はそれに甘えていました。
「楽しかったなぁ。あの巫女の事、もっと知りたいなー」
「巫女? ……あぁ、あの凶暴な」
いつだったかこいしにそんな話をした覚えがありました。こいしもあの巫女と会ったのかしら。最初はそれぐらいにしか思っていなかった。
「ねぇ、お姉ちゃんもあの巫女と遊んだんでしょう? もっと詳しく教えてよ! どんな弾幕を撃ってきた!? どうやってお姉ちゃんの弾幕を避けてた!? きっとあの巫女の事だから軽やかにかわしたんだろうなぁ。あぁ、もっと遊びたい」
「あの巫女の事、そんなに知りたいの?」
「うん、とっても! 一体どんな生活をしているのかな。遠くで喋っていた妖怪は誰なんだろ? あぁー、知りたい事ばかりで胸が詰まりそう!」
私は驚きました。こいしが一定の誰かにこんなにも興味を持つ事が初めてだったからです。私は思い切ってこいしにこう訊いてみました。
「第三の目を開きたい?」
こいしは黙ってしまいました。否、黙っているのではなく考えていたのでしょうか。うんうん言っている声が聞こえたから。
やがてこいしは答えました。
「あの巫女の事を知る為なら……ちょっとだけ開いてみたいかも」
確定でした。こいしは変わろうとしている。人の心を受け入れられなかったこいし。人に心を見せなかったこいし。
そのこいしが人を知りたいと思っているのです。
ペット達の心を少しずつだけれど受け入れられるようになったこいし。人の心を知りたいと思うこいし。
私は嬉しかった。感極まって泣きそうなくらい嬉しかった。
「そうですか……!」
「お姉ちゃん? どうしたの? なんだか嬉しそうだね」
「そう? 判る? 嬉しいのよ」
「? なんだか判らないけど良かったね? じゃあ、私もうそろそろ行くね。今日は何だかよく眠れそう。またね、お姉ちゃん」
「おやすみなさい、こいし」
はぁ。私はため息をつきました。それから机に顔を伏しました。嬉しくて嬉しくて堪らなかったのです。
――こいしが、あのこいしが誰かの事を知りたいと思うだなんて!
私はこいしのこれからが非常に楽しみでした。あの子は本当にとっても優しい子。私とは違って誰かと一緒にいたいと思える子なんです。あの巫女だったらこいしの事を嫌う事もきっとない。なんせ頭が空っぽなんだから。本気で嫌う事はきっと無い。嬉しくて嬉しくてあの凶暴巫女に感謝しました……えっ今はどうなのかって? ……物凄く怖い。
――あれ?
しかし、私は考えてしまったのです。私とあの子のこれからの事を。
――こいしが変わろうとしている?
その時私が感じたのは喜びでも感動でもなく、確かに焦りでした。
私はこれからどうこいしと接していくのだろうか。変わっていくこいし。変わらない自分。
あの子はきっとどんどん変わっていく。巫女と遊んで、魔法使いとも遊んで、どこかで友達を作ってきてはまた遊んで。
でも、私とあの子は? いつまで扉越し、壁越しで接するの?
私は怖くて怖くて堪らなかったのです。
私は勇気を出す事が出来ませんでした。ただこいしの部屋に行ってあの子と喋るだけ。
それが出来なかったのです。
目を閉じて以来、こいしと向き合って会話をしていなかったからでしょうか、恥ずかしい、怖い、誇り、色々な想いが私を雁字搦めにしました。
とうとう動く事が出来なかったのです。
でも、私は諦めたくありませんでした。あの子としっかり向き合いたかった。
そこで思いついたのが本で読んだ妖怪――『おこじょ』の事でした。
『おこじょ』は獣である点を除けば、私とそう変わらない妖怪でした。別名さとりですし。
心を読む事が出来、言語を話す妖怪。
私はその『さとり』という妖怪になりたかった。
『覚』としての古明地さとりでは古明地こいしに向き合えなくても『さとり』としての古明地さとりならあの子に向き合えられると考えたのです。
――『さとり』になれば、『さとり』なら!
なりかたは判らない。そもそも名前が同じと云うだけで別妖怪なのです。なれる筈もありませんでした――実際になっていますが。
私はペット達に、もし私が『さとり』になれた時にあの子たちが混乱しないよう『私、古明地さとりはおこじょになってこいしのペットになります』とだけ置手紙を書きました。
そして、全ての準備が整うと床に膝をついて念じました。『さとり』になりたい。『さとり』になりたい、と何度も念じました。
――あぁ、どうか神様と云うものがいるのなら。これからも敬うつもりはこれっぽち無いけれど私をあの子に向き合わせてください。
なれる筈がなかった。私は無理だと判っていても縋りつきました。
――どうか!
やがて疲れて眠ってしまったのですが――
その翌日、『奇跡』が起きました。
目覚めてみると視界が狭くなっていました。
寝てしまったのかしら。立ち上がろうとしたのですが、何かに足を引きずられ転んでしまいます。
一体何なのよ。そう思ってその何かを調べてみると――私の服でした。
私の服や下着が床に落ちていたのです。それも何故か私より全然大きかったのです。
良く見てみれば天井はいつも以上に高く、扉はうんと遠くにありました。部屋全体、否、私以外の全てが大きくなっていたのです。
「きゅー!?(な、なにこれ!?)」
そう言った時、私は心の中で「なにこれ!?」ともう一度叫びました。
言葉が出なかった。いわゆる人間が使う言語を放す事が出来なかったのです。
まさか――いやいや、そんなまさか――そんなことが有りえる筈が。
信じてはいませんでした。確かに「なりたい」とは思ったけれどそんな筈が。
私は部屋に在る鏡台に向けて走りました。自分の姿を確かめたかったからです。
四本足でした。四本足で走っていました。
やがて鏡台に着くとそこにいたのは――紫がかった白い毛皮を持つ『オコジョ』でした。
「き、ききききっ……!?(う、嘘でしょう……!?)」
私はおこじょになりたい、とは念じたけれど。だけれど、私がなっていたのは妖怪『おこじょ』ではなく猫目イタチ科動物のオコジョ。ただの動物でした。
違う。こんな筈じゃなかった。
――どうしよう。どうしよう……!
「お姉ちゃーん。お話しよっ。もっと巫女の事について教えて」
「き、きょきゅき(こ、こいし!?)」
そこにこいしの声が聞こえました。こいしが私に呼びかけていた。私はひとまず散乱している自分の服の中に隠れる事にしました。
「お姉ちゃん? いるんでしょ? ……いないのかしら? ……入るね」
扉の開く音。どうやらこいしが部屋に入ってきたようでした。ああ、来ないで!
「お姉ちゃん? あれ、どうしてこんなところに服が散乱してるんだろ?」
足音が近づいてくる。こいしがこちらに近づいているのです。
やがて足音が止まりました。かわりにバサバサッと云う音が非常に近いところで鳴りました。おそらくこいしが私の服を持ち上げた音だったと思います。
「……お姉ちゃんったら服も着ないで館内を歩くなんて……変態だったのかしら。会わない内にそんな性癖を身に着けていたなんて……」
違う! 違うのよ、こいし! そんな私の内なる叫びはこいしには届きませんでした。
こいしは服を持ち上げては投げ捨てているようでした。そして――
「こ、これは……!」
見つかった!?
「……下着?」
「きゅー!?(そっち!?)」
「お姉ちゃんったら下着も穿かないで……かわいそうに」
違う違う違う! あぁ、どんどんこいしの中で変態にされている。
「きゅー!!!(違うのよー!)」
無我夢中で叫びました。こいしには判る筈も無かったけれど必死に否定しました。
「きゅー?」
は! 気が付くとこいしに持ち上げられていました。久しぶりに見た妹の姿。ああ、なんて可愛らしい――って今はそんな場合じゃ!
「きゅー? あなた、可愛いね? オコジョ? どこから入ってきたの? それとも、お姉ちゃんのペット?」
「きゅー?」
こいしが語りかけてきました。なんて眩しい笑顔――! とりあえず私は恍けてみることにしました。ただの動物として接してみようと思いました。こいしがペット達にどう接しているか知りたかったのです。
「あれ、なんか机に置いてあるや。大人しくしててね」
あぁ、それは! そんな行動も無駄でした。こいしは私をしっかり抱きながら机に近づいていきます。
「えーっとなになに『私、古明地さとりはおこじょになってこいしのペットになります』。……あなた、お姉ちゃんなの?」
こうなってはもう隠す事も出来ません。私はコクコク頷きました。
「きゃー! 可愛い! お姉ちゃんなのね!? お姉ちゃん、オコジョになっちゃったの!? 可愛い! それで、私のペットに!? 凄く嬉しい!」
こいしは嬉しそうに私に頬を摺り寄せてきました。そしたら私は――何かもどうでもよくなってしまったのです。
こいしが喜んでくれる。それだけでもう満足してしまったのです――。
「ぜぇぜぇ……きゅきゅー(ぜぇぜぇ……と云う訳です」
「ぜぇぜぇ……『と云う訳です』とさとりさまは言っております。どうやら話終わったみたいですよ。って八雲様? おーい、八雲様?」
「すぅすぅ……あら、終わりました?」
紫は眠っていたようだ。さとりの話があまりにも長かった所為だろう。
通訳していたお燐でさえうんざりするような長さだったのだ。無理も無い。「というかもう少し要約してくださいよ、さとり様」とお燐は通訳中、心の中で叫んでいた。
「あのぉ、聞いてました?」
「えぇ、『あぁ、なんて可愛らしい――』あたりまでは聴いていましたわ。そこからは妹自慢になるかと思ったのでまぁ、ぐっすりと。とりあえず貴方がオコジョになった理由などは判りましたから」
「で、さとり様は元に戻る事が出来るのでしょうか」
お燐は彼女には珍しい事に真剣な表情で紫に尋ねる。さとりは生唾をゴクリと呑みこんだ(ただし、オコジョである)。
「えぇ、出来ますよ」
紫はそんな場の空気を無視しているのか、しれっとそう言った。
「ほ、本当でしゅか!?」
興奮のあまり、舌を噛むお燐。
「悪魔と契約したのでもなければ、変な儀式をしたわけでもない。ただ祈っていたらその姿になっていた。ならば簡単に、それも私の能力を使えば解決できるわ」
「お、お願いできますか!?」
「ええ、勿論。それにしても奇跡だったわね。動物になったのに記憶を失わずに済むなんて。おかしな話だわ。ただの動物にはそんなキャパシティーは無いでしょうに」
確かにおかしい。記憶を失わずに済んだ『事』がではない。あまりにも『事』が上手く行きすぎていることがおかしい。さとりはそう思った。第一、紫は相談に乗るとは言ってくれたが解決してくれるとは最初に言っていない。はたして信じても良いのだろうか。
「さとり。何を考えているのかは知らないけれどそう警戒しなくてもいいわ。貴方にはあの鳥が暴れていた時、道を教えてくれた恩があるもの。お互い様よ」
しかし、縋る事しか出来ない。とりあえず好意に甘えることにした。
「ところで……猫さん、貴方この子の服は持ってきているかしら?」
「? 持ってきてないなぁ」
「なんてこと。これでは元に戻った時、この子に着せるものが無いわ。裸で家に帰らせるわけにも行かないでしょうに。かといってこの家にこの子に合うサイズの服は無いわねぇ……道を開くから取って来てくださらない?」
「はーい、わかりまーした」
紫がそう云うと瞬時に道が開く。どうやらさとりの部屋に繋がっているらしい。お燐はその道を通ってクローゼットの中からさとりの服、下着、それとドロワーズを持って戻ってくる。
「あら、下着の色も毛と同じで白いのね」
「ドロワーズ穿いてるから、下着の意味無いんですけどねー」
「……きゅい(……お燐!)」
「さとり様、怒っちゃ駄目ですよー。八雲のお姉さんが目の前にいるのにあたいを噛んだりするのはやめてくださいね?」
「微笑ましいから別にいいわよ」
「ちょ!? 八雲のお姉さん!?」
「きゅ、きしゃー(じゃ、遠慮無く)」
「う、うそ……いやぁああああ」
途端に猫の姿になって走るお燐。それを追いかけるさとり。傍から見れば逃げる側と追う側が反対である。
「うふふ。じゃれ合うのもそこまでにしてくれないかしら。折角だから……元に戻る方法について簡単に説明しようと思うのだけれど」
紫がそう云うと二匹はぴたっと止まる。流石動物である。
「要は簡単な話です。『覚』と『さとり』の境界を弄ればいいだけですから。『さとり』という名を持つ2つの意味、それを調整してやればいい。いい? 今の貴方は『オコジョ』百パーセント、『覚』零パーセントの状態。つまりただのオコジョ。そこから『オコジョ』零パーセント、覚『百』パーセントの状態に戻してやればいいのです。では始めましょう。猫さんは一応部屋から出ててくれないかしら」
「え!? でも……」
「大丈夫。一瞬で終わるから」
「まぁ、そういうなら……」
お燐が部屋から出ていく。残ったのはさとりと紫だけだった。さとりに緊張が走る。果たして成功するのだろうか。まだ信じ切れていなかった。
「そう、本当に一瞬よ」
紫がそう呟いた次の瞬間には薄紫毛をもつオコジョは――白い肌を持った裸の少女になっていた。
それは紛れも無く古明地さとりだった。薄紫色の髪。大人とは云えないような少女特有の体系。
さとりは自分の肌を手で触ってみる。毛むくじゃらではない。
次にさとりは第三の眼をそっと撫でてみた。するとぴくっと動き『眼』が開く。紫の心が見える。何も思わないようにしているのか、中身は空っぽだったが確かに心を読んでいる。
覚だった。古明地さとりは確かに覚に戻っていた。なんとも言えなかった。感動だった。そしてその気持ち以上に強かったのは――
「あにがとうござえます!!!」
感謝だった。どうしてこの人を疑ったりしたのだろうか、恥じる。久しぶりに言葉を発した為にろれつが上手く回らなかったからなのか、それとも感動しているせいなのか、少しおかしなさとり。
そのまま思わず紫に抱きつこうとしたさとりだが紫にさっと避けられてしまった。
「あらあら、いけませんわ。可愛い子に抱きつかれるのは嬉しいけれど貴方には私なんかより先に抱きしめなければならない人がいるでしょう?」
「あ……!」
「それといくら女性同士だからと云って、女の子がいつまでも裸体を晒しているのも如何なものかと」
さとりは恥ずかしさのあまり顔を覆ってしまう。あらあら、と紫は扇子を広げくすくす笑う。
それにしてもなんて優雅な、それでいて気づかいのできる人なのだろう。さとりは感服してしまった。自分もカリスマ扱いされていたがここまでではない。
「では私はこれにて……」
紫が部屋を退出しようと立ち上がると、障子がバーンと開きお燐が飛び出してきた。
「さとり様……? さとり様ぁあああああ! 本当に! 本当に! 元の姿にお戻りに!」
「藍、その猫を取り押さえなさい」
歓喜のあまり、興奮してさとりに抱きつこうとするお燐を紫はどこからともなく現れた藍に静かに命じて押さえつける。
「ちょ、ちょっと何すんのさ!」
「冷静になりなさいな。さとりさんには貴方より先に抱きしめないと行けない人がいるのではなくて? ほら御覧なさい」
そう言うと紫は隙間を広げどこかの光景をさとり達に見せた。
「ほら、お待ちかねのようよ。早く行ってあげないと」
こいしだった。こいしがきょろきょろと何かを探している。待っている。行かないと。さとりは
「道は開けておいてあげる。そこを渡っていきなさい」
「八雲さん、ありがとうございました!」
「紫でいいわ。ところで、その下着一枚の姿で行くのかしら?」
あ、とさとりはまたも顔を赤くして座りこんでしまう。さとりはまだ下着しか履いていなかったのだ。うふふ、とまた余裕の表情で微笑むと紫は「そう慌てなくてもいいのに。妹さんは逃げないわよ」と言って扇子で顔を隠した。ここで着替えなさいとでもいった感じである。
お燐は藍に引きずられ部屋の外に連れて行かれたようだった。
「紫……さん。貴方に謝らないといけない事があります」
スカートを履きながらさとりは紫に語りかける。
「あら? 謝られるような事をした覚えはないのだけれど」
「いえ、そんな大したことではないのですが……」
「気になるじゃない。教えてくださらない?」
「……貴方をうさんくさい妖怪だと先程まで思っていました。ごめんなさい」
紫はふむぅ、と何かを考えるように扇子を口元に置いた後、4分の三程度閉じた。
「……よく言われるわ。実際本当の事だから気にしなくてもいいのに」
「実際はとても親切な妖怪でした」
「お褒め頂き光栄ですわ。でも実際気紛れなのよ、気紛れ」
「気紛れですか?」
「えぇ、気紛れ」
紫は少し寂しそうな表情でそう呟いた。
その艶っぽい仕草にどぎまぎしてしまうさとり。こんなにも鮮やかなのに今にも消えてしまいそうな感じがしたのだ。
紫は次の言葉を発する時にはいつもの笑顔に変わっていた。
「ところで。貴方良い香りね。妹さんが毎日洗っていたのかしら」
「え、あぁはい。毎日一緒にお風呂に入っていましたから……え? え!?」
いきなり話をすり替えられた事に動揺したさとりはさらにこいしとの毎日の裸と裸のお付き合い(ただしさとりはオコジョである)を思いだして恥ずかしくなってしまう。毎日だ。動物になってからは毎日こいしが私の体をあら、洗って。
「優しい妹さんなのね。一度、それもほんの少ししかお話した事が無かったから知らなかったわ」
うろたえていたさとりだがそれを聞くと凛として、しかし、それでいて優しくはにかんだ。それを見ていた紫も優しく微笑んだ。
「はい、とっても優しい私の妹です」
「愛しているのね。だって妹さんの話をしている時、とっても自然に笑いますもの」
「はい、とっても」
「じゃあ、私と話している暇はないでしょう。着替えも終わったようですし。さぁ、早く妹さんを抱きしめに行ってあげなさいな」
「本当に紫……さんには感謝しきれません。ありがとうございました。この恩はいつか必ず」
「良いのよ。言ったでしょう? 貴方には道を教えてもらった恩がありますし、これで貸し借り無しですわ。さぁ、お行きなさい」
「本当にありがとうございました!」
そう言うとさとりは隙間を抜けてこいしの元へ駆けていく。その顔は実に晴れやかだった。
「そう、気紛れよ……」
紫はそんなさとりを見送りながらにんやりと、しかし、しんみりとそう呟いた。
その姿は必死に笑いをこらえているようにも、まるで何かを後悔しているかのようにもそっと部屋を覗いた藍には思えた。
「お姉ちゃん、大丈夫かな……」
こいしはさとりが心配で心配でたまらなかった。地上に行っているとはいえいくらなんでも遅過ぎではないか。お燐が付いているとは聞いているがそれでも心配だった。
「お姉ちゃん……」
何か冷たいものが顔に滴り落ちた。何かと思って目を開けてみると姉のペットの鳥が自分の顔に涎を垂らしていた。
「やだ、おくう。涎垂らさないでよ……っておくう?」
それはおくうだった。しかし、何故かおくうが自分の膝枕をしていることに違和感を感じるこいし。確か自分はお燐に膝枕されていたはず――。そういえばお姉ちゃんは――
「……お姉ちゃん!?」
姉の姿が見当たらない。ついでにいえばお燐の姿も見当たらない。
「おくう! 大変! 起きて! お姉ちゃんがいないの!」
「むにゃむにゃ……さとり様ならここに」
おくうは眠たそうに右手の甲をこいしに見せる。
見てみると何か文字が書いてあった。しかし、おくうの涎の所為でインクが薄れてしまっている。これでは読めない。
「おくう! お姉ちゃんはどこにいるの!?」
しかし、おくうはその時にはまた眠ってしまっていた。こいしがどれだけ体が揺すっても起きやしない。
駄目だ、この子に頼っても時間の無駄だ。こいしはそう判断してとりあえず部屋の中を探してみる。
するとすぐ机の上にこいし様へ、と書かれた置手紙を発見した。
「なになに、『さとり様を念のため、地上のお医者様に見せてきます。さとり様が病院に行きたいと言っているので……』。なーんだ。お医者さんか……お姉ちゃんめ、私に頼めばいいのに」
そうだよ、私に頼めばいいのに。私はお姉ちゃんと一緒にいたいのに。お姉ちゃんがどうしてオコジョになってしまったのか知りたいのに。お姉ちゃんとお話するの大好きだったのに。
こいしは頬を膨らませる。巫女の事を知りたいと思った。巫女と遭った日の晩は巫女の事で頭がいっぱいだった。しかし、その次の日の晩にはお姉ちゃんの事で頭がいっぱいだった。お姉ちゃんがどうして動物になってしまったのかが判らなかったから。可愛いから別にオコジョでも良かったんだけど。
知りたいと思った。お姉ちゃんの事を知りたいと思った。私はお姉ちゃんの事が知りたくて知りたくて堪らないんだ。お姉ちゃんの笑顔が見たいよ、お姉ちゃんのこともっといっぱい知りたいよ、お姉ちゃん、お話もっといっぱい聞かせてよ。
――だからじっとなんてしてられないよ。
こいしは地霊殿の外に出た。さとりが帰ってくるのを出迎えるために。
そうして、こいしは待っている。地霊殿の中で待っていても変わらないだろうにこいしはさとりを外で待ち続けている。早く帰ってきて、と思いながらこいしはきょろきょろとあたりを見回す。すると――
「こいし!」
声が聞こえた。信じられない。そんなはず無いのに。二度と聞く事もないだろうと思っていた声が確かにこいしの耳に届いたのだ。それでも信じない。
幻聴だよね、と思うとこいしは少し寂しくなる。期待したくなかった。どうせもう聞くことのない声なら幻聴でも聞こえなければよかったのに。
「こいし!」
空耳ではない。紛れも無くそれはこいしが一番聞きたかったあの声。お姉ちゃんの声だ。期待はしていない。それでも声がした方をそっと振り返ってみる。
嘘みたいだった。嘘だったらどれだけ悲しいだろう。
夢かと思った。夢だったらどれだけ辛いだろう。
しかし、嘘でも夢でも無く――
「お姉ちゃん!?」
そこにいたのは本物の古明地さとりだった。
さとりはこいしの傍にかけよるとそのまま彼女に抱きつく。こいしは何も言えなかった。こいしからするといきなり先程まで動物だった姉が抱きついてきたのだから、混乱するのも無理はない。
「こいし、ただいま」
「お姉ちゃん……なの?」
「ええ、そうよ。帰ってきたわ、貴方の頭を撫でてあげるために」
さとりはこいしの頭を撫でる。さとりはこれがしたかったのだ。抱きしめて頭を撫でてあげたかったのだ。
「ふぇ……お姉ちゃん」
「ごめんね。寂しかったでしょう?」
「ううん、寂しくなかったよ……お姉ちゃんがずっと一緒にいてくれたから」
こいしはさとりを抱きしめ返す。その目には涙が浮かんでいたが笑っている。
それはさとりが見たこいしの表情の中で一番綺麗な笑顔だった。
――しかし、お話はここで終わらない。
元の姿に戻ったさとり自身気づいていない変化。さとりはつい先ほどまで動物だった。イラッとした時はお燐やおくうに噛みついていた。その結果、噛み癖が定着してしまったのだ。
その癖が人のような姿に戻った今、どうなったかというと――
「あ」
その声を発したのがこいしとさとりのどちらだったのかは判らない。それは一瞬の出来事だった。不意打ちだった。こいしにとっても行動を起こしたさとりにとってもそれは不意打ちだった。こいしの唇にさとりの唇が重なっていた。
「え~~~~!?」
本日4度目の叫び声だった。ただし前者と違って嬉しい悲鳴であったのだが。
「ん~~~~!?」
これはさとり。さとりは一体何が起こったのか理解できていなかった。
――私は今一体何をした!?
こいしはといえば、にへら、と笑顔のまま固まっている。その頬は紅潮していた。
「おねぇちゃーん?」
さとりも笑顔のまま、固まっていた。ただしさとりの顔はこいしとは反対に青ざめている。妹にキスしてしまった事への罪悪感を一応感じてしまっているらしい。
「な、なぁに? こいし?」
「だーいすき!」
今度はこいしがさとりの頬にキスをする。
「えへへ、嬉しい? これでお相子だね!」
「え、ええ。吃驚したけれどとても」
この事がきっかけでさとりがキスに目覚めてしまったのは別のお話。
これが誰からも恐れられる覚妖怪、古明地さとりがキス魔妖怪としてさらに恐れられる伝説の始まりだった。
姉妹ちゅっちゅとあわせ技で100点で。
姉妹チュッチュいいね。もっとぺろぺろチュッチュしてもいいのよ?具体的にはここに載せられないくらい激しいのを…
さあ、みんなも一緒に叫ぼう『かわいいは正義』と