「うーん」
メリーことマエリベリー・ハーンは、年期が入り、ぎしぎしと音をたてる椅子に身体を預けながら、不機嫌そうな表情を浮かべていた。
笑顔を浮かべれば、十人中に三、四人位なら惹かれそうなその顔も、今は苛立ちが浮かんでいるせいか、十人中、惹かれるのは半人半妖位といった所である。
苛立ちの理由ははっきりしている。
宇佐見蓮子である。
今日も、健全な大学生らしくサークル活動(と称したくつろぎの時間)に勤しもうとしているのに、待ち合わせ場所であるカフェになかなか現れないのだ。
遅れるのはいつもの事であるから、そこまで腹は立たないものの、やはり若干不機嫌になってしまうのは避けられない。
「帰っちゃうよー?」
拗ねる様に独り言をもらしたメリーだったが、それに応える者はいない。
ふぅと溜息を洩らし、やれやれ、と首を振ると、読みかけの小説に再び目を戻した。
暫くして、入口のベルが、からからんと軽やかな音を奏でるのが耳に入った。その音にメリーが顔を上げると、蓮子が店内をきょろきょろと見回している所だった。今日は珍しく店が盛況で、なかなか蓮子はお目当てのメリーを見つけられずにいる。
少しずつ不安な物に変わっていくその表情と所作が小動物の様で、思わず苛立ちを忘れ、一人くつくつと笑ってしまったメリーだったが、このまま放っておくのも不憫かと思い、軽く手を挙げた。
それを見つけた蓮子はほうっとした溜息をつき、メリーの方に駆けてきた。
「ごきげんよう、メリー。お待ちになったかしら?」
「気持ち悪い言葉遣いしないの、17分29秒の遅刻」
「あらあら、ハーディとラマヌジャンが喜びそうな時間じゃない」
自分のお株を奪われた蓮子は、照れくさそうにしながらメリーを見る。
「しょうがないじゃない、いきなりの雨なんだもの。待ち合わせの時間も雨と一緒に流されちゃったのよ」
「いいから身体拭きなさい。はい、タオル」
「ん、ありがと」
蓮子は、濡れた部分を拭きながら、メリーは読みかけの小説に栞をはさみ、窓の外へついと目を向ける。
カフェの窓ガラスを伝う雨はそこまで激しく無く、雨と言っても、小雨程度のものだ。
外を行く人にはやはり堪えるらしく、傘が無い人は急ぎ足の人が多い。
視線を下に向けると、花壇に植えられた花が見える。久しぶりの恵みの雨に、その身を潤そうと背をいっぱいに伸ばしているかのようだ。
「雨が降っているから、星が見えなくて時間が分からなかったのよねー」
「貴方が遅れるのはいつもの事でしょ。言い訳無用」
「ちょっとね、考え事をしてたら遅くなっちゃって、ごめんね」
「良いわよ別に、慣れてるから。その変わり、面白い考え事じゃないと怒るわよ」
「相変わらず厳しいのね、メリーは。まぁちょっと待ってて。私も何か飲みたいから」
そう言うと蓮子はくるりと身を翻し、ショーウィンドウに向かい歩いていった。
戻ってきた蓮子の手にはココアが握られていた。
「あら、コーヒーじゃないのね、珍しい」
カフェ『ウィンドロウ』の目玉商品はちょっと過剰とも言える程に苦いコーヒーである。
勿論、コクと深みがまろやかに感じ取れる様な爽やかな苦みのコーヒーも置いてあるのだが、そのコーヒーだけは苦瓜が生で入ってるんじゃないか、と言う様な苦みがするのである。
そのコーヒーが正直美味しいかと言われるとそうでもない。
ただ、もう絶対頼まないと思っていても、ふとした瞬間にまた飲みたくなってしまう様な魔力が込められているのである。
蓮子もそれの虜となってしまったクチで、基本的にはそれを頼んでいる。
「ちょっとね。頭を使っていたから甘い物が飲みたくなったのよ」
頭を使う。珍しい事もあるものだ。そう思ったメリーであったが口には出さないでおいた。
「メリー、季節の境界って見えるの?」
「ん?」
「そろそろ、夏が終わりそうじゃない」
ココアを飲んで一息ついた蓮子は、思い出した、といったような表情を浮かべ、メリーにそう尋ねた。
コーヒーに伸ばしかけていた手を胸の前で組み、中空に視線を上げると、メリーは記憶を探るような表情を浮かべた。
「秋には、そうね。紅葉の木の下に可愛らしい女の子が見えるわ」
「ふぅん」
気のなさそうな返事とは裏腹に、蓮子は身体を乗り出してくる。
メリーの語る所によると、茹だる様な暑さが終わり、ひんやりとした風が肌をなでる時、蝉の鳴き声を聞かなくなった時、夕暮れ時に鈴虫の音を聞くようになった時などにその少女は姿を現すのだという。
遠目からしか見る事は出来ず、近づくにつれて景色に溶け込んでいき、最後にはふわり、と消えてしまうそうなのだ。
まるで、逃げ水みたいな女の子よ、とメリーは言う。
その少女が現れるのと同時に、メリーは夏の終わりを感じるのだそうだ。
「うぅん。でもそれ境界とは関係なくないかなぁ」
「かもね」
メリーは意外にもあっさりと蓮子の意見を受け入れた。
「ただ、その子自体が境界だったって可能性はあるかもしれないわね。それに、古来妖怪という存在は境界に現れる、って言われてるし、境界の残滓がある可能性もあるわ」
「ああ、昔読んだ本にそんな事が書いてあったわね」
他の国ではどうか知らないが、この国では、不可思議な存在は、誰そ彼時や、彼は誰時といった時間と時間の境界、或いは十字路、辻、橋などといった場所と場所の境界といった所に現れるのが多いのである。他にも夢、性別など数え上げればキリがない。
季節の狭間に現れるその少女が、境界と何らかの関係を持っている確率は、そう考えると決して低くはない。
「でも、どうしてそんなこと聞くのかしら?」
「よくぞ聞いてくれました」
蓮子は無い胸を反らせてふんぞり返る。
「その境界を捉える事が出来たら紅葉旅行ができるんじゃないかと思ってさ!」
「…はぁ?」
メリーは何を言い出すんだこいつ、と言いたげな目つきで蓮子の方を眺める。
その蔑む様な視線を物ともせず、蓮子は熱弁する。
「だって、秋っていったら紅葉じゃない?」
「そうねぇ」
「で、その…秋子さんとでもしようかな。その子は夏と秋の境界に出てくるんでしょ?」
「みたいねぇ」
「逆に言えばその子が居る場所が秋なわけよ」
「んー?」
だんだん論がおかしくなって来た。
だが、蓮子は止まらない。
「だからその子を何とかして見つけちゃって、後はずーっと追っていけば私達はずーっと紅葉を楽しめるっていう算段よ!」
「へぇ、もし境界が人型じゃなくていつもみたいな裂け目の形だったらどうする気だったのよ。」
「え?釣り針でもひっかけとけば良いかなって。秋の速さに私たちが追い付けなくても、秋が欲しくなったら、からからってリールを巻けば秋が手元にやって来るのよ」
駄目だ、ちょっと前までの夏の暑さで脳がとろけちゃってる。
メリーは一つ溜息をつくと、机の上の小説に手を伸ばす。
「食欲の秋!お酒の秋!秋と言ったら芋!芋といったら焼酎よ!参ったわねこれは!」
ぽすん。
ヒートし始めた蓮子の軽い頭を、メリーは持っていた小説で軽く叩いた。
「…そんな事考えてたら、時間を忘れちゃったと言うわけね」
そして話はくるりと回って元の場所に戻る。
「そ。でも面白い話だったでしょ?」
まあ、時間つぶし位にはなったわね。
メリーはそっけない表情でそう言うと、思い出したようにコーヒーに口をつける。
温かかったコーヒーは、話に熱を奪われてすっかり冷たくなってしまっていた。
その冷たさがメリーにある事を閃かせる。
かたん、とカップを置いた後、メリーは口を開いた。
「そういえば、貴方最初に雨が降って星が見えないから、時間が分からない。そう言ったわね?」
「ええ、まあ真昼間だからどっちにしろ星は見えないけど」
蓮子は、何を今さら、といった顔でメリーを見る。
それを見返すメリーの目は、面白いいたずらを考えついた少年のそれのように輝いている。
「時間、分かるわよ。空に星が無くっても」
「え?」
蓮子は、ぽかんという表現がぴったりの表情をする。
何だろう、腕時計を買えとでも言うのだろうか。そう考えている蓮子に向けて、メリーは言葉を投げかける。
「空ばかり見上げているから、大切な物を見落とすの」
「失礼ね、上を向いて歩いてないと涙がこぼれちゃうじゃない。下を見ても、落ちているのは涙だけよ」
「嗚呼、惑わされてるわ、蓮子。あなた愉快よ」
メリーは、面白い事思いついちゃった、といった様子でくすくすと笑う。
何が面白いのかさっぱり分からない、といった様子の蓮子は、唇を尖らせながら、メリーの言葉を待つ。
そして彼女はこう紡いだ。
「貴方の眼下に広がっているのは、光を放つ惑星よ」
あるあ
秘封倶楽部のあっさりしたとある一日が好きです
気持ちのいい秋の休日に読みたくなる
オチが弱い感じもするが日常話としては楽しかった
よい日常話でした。
3作目も楽しみにしてますね