ぴっかぴかのフローリングに、白亜のような白い壁。
広い部屋を更に広く見せる、大きな大きな一枚鏡。
天井に備えられているのは、最新式の照明設備とスピーカー。
それらをぐるり見渡して、オーナーの水橋パルスィは目を細めた。
「ふむん、上出来上出来。何でも言ってみるものねぇ」
「うわー、何じゃこりゃ」
古風な橋の脇に建つ、場に全くそぐわない未来的建造物。
パルスィに呼ばれた黒谷ヤマメは、昨日までなかった館がそびえ立っているのを見て、それはもう驚いていた。
「あら、来てくれたのねヤマメ。ところで貴女のその笑顔が妬ましいから、弾幕ぶっ放してもいいかしら?」
「いいワケないでしょうが! ……一応聞くけど、誰に何を言ったの?」
「勇儀に『作って♪』ってちょっと甘えてみたら、一晩でやってくれました」
鬼の苦労に思いを馳せて、ヤマメは涙した。この箱は、愛ゆえに苦しまねばならぬ妖怪どうし打算と打算の産物であった。
るんるんとスキップで飛び回る橋姫の背に、ヤマメはおずおずと声をかけた。
「いやさぁ、喜んでるところ悪いんだけど、何これ?」
「見て分からないの? ダンススタジオよ」
答えながらパルスィは、両手を広げてくるくると回った。
ここが完成したことがそれほどに嬉しいようだ。
外の世界の者であれば、こういった部屋には見覚えがあるだろう。
しかし、昨今の外界の見聞に関しては、ヤマメは無知な方であった。
「え、踊り。ダンスなら別に、こんな部屋じゃなくたってできるじゃない」
「はぁ~。何も分かってないわね」
地底のアイドルたるヤマメのこと、ダンスに関しては一家言あるのだが、パルスィはそれを深い溜息でぶった切る。
「ここでやるのはただの踊りじゃないわ。この私が考案した、ダンスと妬みを組み合わせた全く新しいエアロビクス教室を開くのよ」
「ダンスと妬み?」
首を捻る土蜘蛛。彼女からすると、その二つは生ハムとメロン以上に理解できない組み合わせである。
それを尻目に、パルスィは息巻いた。
「ふふふ。我ながら天才かもしれないわ。運動で汗をかくとともに、普段眠らせている嫉妬を思いっきり開放することで、日々の暮らしに疲れたアナタをすっきりリフレッシュ! そして晴れ晴れとした顔で帰っていく客を見て、私も思う存分嫉妬できるというわけよ」
「デフレスパイラルも真っ青な負の永久機関ね……」
軽く引いたヤマメに対して、家主の機嫌は絶好調である。
「そんなに上手くいかないんじゃないかな。プリンに醤油をかけても海栗にはならないんだし」
「ふん。流行らないかどうか、貴女が体験して確かめてみたらどう?」
「え、イヤだよ。なんで私がそんなことしなきゃならないのさ」
「あら、もう先走ってそんな格好しているクセにヤマメったら」
「そんな格好?」
言われてわが身を振り返ったヤマメは、信じ難いものを目にして思わず飛び上がった。
土色と黒で構成された素敵な保護色カラーの服が、いつの間にかピンクを基調とした水着のような服に変わっていた。ぱっつんぱっつんである。ちょっと気になってきていた脇腹のおにくとか、乙女的に隠しておきたかった諸々が全然隠れていない。
「な、なんじゃあこの服は!」
「レオタードっていうのよ。エアロビクスをするときの正装」
「こんなにボディラインがくっきりと……。は、恥ずかしいよぉ。っていうか着替えた覚えないのに」
「何を言っているの、今しがた堂々と着替えていたじゃない。無意識のうちに」
「古明地の妹かぁチキショー!」
気付けばパルスィの影で、にょっきり顔を出した古明地こいしが満面の笑みでピースサイン。
パルスィの服装も、いつの間にか同じようなレオタード(オレンジ色だった)に変わっている。どうやら服の下に着込んでいたようだ。どれだけ用意周到なんだ。
「というわけだから、ほらこいし、ミュージックスタート!」
「アイ、サー。ほいポチっとな」
こいしが手元のスイッチを押すと、軽快なトランス風ダンスミュージックが流れ出した。
「あのふたりったらいつの間にあんなに仲良く……。っていうかこの曲は!」
「えぇもちろん、『緑眼のジェラシー』」
「マイナー調の音楽はこういう用途に向いてないでしょ、絶対」
「はいはい、口よりも体を動かしなさい。ほら私に合わせて、ワン、ツー、ワン、ツー」
鏡に背を向けて、パルスィは両手両足を大きく動かすステップを踏み始める。
両手を水平に開くと同時に右足を踏み出し、掌を胸の前で打ち合わせながら左足を揃える。足の左右を入れ替えて、リズムに合わせてその動きを繰り返しているようだ。
それくらいの動きならば、ダンスに精通したヤマメでなくともできる。
「ふむ。ま、ここまで来ちゃっんだし、やったろうか」
「ワン、ツー、ワン、ツー。あら、やっぱり上手いわね」
「ぎゅおーん、ぎゅいんぎゅいん」
「……あの娘は何をやっているんだい?」
「エアギターよ。最近は音楽が鳴っているとついやっちゃうんだって。無意識のうちに」
こいしは可愛らしい顔を全力で歪めながら、空気を握り空気をかきむしっている。
「凄いや、鬼の形相を通り越してるよ。ギターって、弾いてる奴があんな顔する楽器だったんだね」
「さて、ウォーミングアップはこれくらいにして、そろそろ本番に行くわよ」
パルスィの緑色の眼がきらりと光った。
妖力の膨張をヤマメは感じた。パルスィの持つ『嫉妬心を操る程度の能力』、それが一気に開放されたのだ。
それと同時に、パルスィの動きも激しさを増す。腕を振る動作と膝を大きく上げる動作が加わって、流石のヤマメもついていくのが難しくなってきた。
「く、これは……」
「ふふふ。運動による疲れも相まって、貴女の心は隙だらけ。いつもだったら燻ぶる程度の嫉妬心であっても、今は胸を燃やし尽くすほどに大きくなっているでしょう?」
マグマのように、黒い感情が湧きだすのをヤマメは自覚した。パルスィの能力をくらうのは、実はこれが初めてであった。
その思いの中身が目に見えそうなほどはっきりと姿を現したとき、土蜘蛛は思わず叫んだ。
「ち、違う! 私はこんなこと思ってない!」
「誤魔化してもダメよ。私が煽っているのは紛れもない貴女自身の心。さぁ、発散してしまいなさい。溜め込んでいる嫉妬を、余すところなく!」
ヤマメは否定したかった。自分の内に湧き上がるこの感情が、自分のものであるはずがない。
しかしその抵抗を嘲笑うかのように、パルスィの声が胸の底まで響いてくる。そこにリズミカルなBGMも加わると、まるで強力な催眠術のような威力を持って襲いかかってくる。
「く、そぅ。やられるかぁっ」
「なかなかしぶといわね。よし、こいし。あなたの得意技を見せてやりなさい!」
「何だと、やっぱり弾幕か!?」
「違うわ、エア早弾きよ」
「えっ」
「こいしいきます! ピロリロピロリロ」
「ぐはっ」
それは不意打ちで反則だった。変顔をさらに加速させ、両手をわきわきと高速で動かすこいしの姿が、ヤマメの視覚にクリティカルヒットした。アッパーを綺麗に喰らったボクサーの如く、ヤマメの身体はふらりと揺れた。
意識が遠くなった彼女の脳内で、直視を避けてきた隠れた嫉妬が蘇る ――
『はぁ~』
『あ、おかえりヤマメちゃん。地上はどうだった?』
『あ、キスメか。いやぁ、やっぱり世界は広いわ。だってもうみんなマブい。地上の女の子たちみんなマジでマブいんだもん。私自信なくしちゃうよ』
『大丈夫だよ! ヤマメちゃんならいつか地底を飛び出して、幻想郷のアイドルになれるって!』
『…………ムリムリ。私なんか何やったところですぐ埋もれちゃうって』
『大丈夫だよ! ヤマメちゃんは歌も踊りも上手いし、すぐに地上でも人気者になれるって!』
『……………………いや、それだけじゃ正直やってけないっしょ。人気は水モノっていうし』
『大丈夫だよ! ヤマメちゃんはいつも頑張ってるんだし、きっと夢は叶えられるって!』
『………………………………あのね、キスメ、その』
『だから私応援してるよ、ヤマメちゃん!』
『…………………………………………』
「―― その純粋無垢っぷりが妬ましいんじゃああああぁぁぁぁ!!」
ヤマメは爆発した。
「『大丈夫だよ』って大丈夫じゃないんだよ! 私けっこう一杯一杯なんだよ!」
「あら、これはなかなかのよい嫉妬」
「そんな曇りのない眼でこっち見てさぁ! 努力だけが評価されるなら今頃誰だってトップアイドルだっての!」
「ていうか、ヤマメがそんなガチでアイドル営業やってたとは知らなかったわ」
「でもさぁ! キスメは本気で私のことを信じてくれてるからさぁ! 言うに言えないじゃんそういうこと!」
地面にへたり込んだヤマメは、両の拳をだんだんとフローリングに打ち付ける。
「あぁ、あの頃に戻りたい。現実も何も知らないで、ただ真っ直ぐと夢を目指してただけのあの日に……」
「哀愁に浸ってるところ悪いんだけど、まだエアロビ続いてるから。ほら早く立って」
「あんたは鬼か!」
「今更何言ってんのよ。はいクールダウンのステップ。ワン、ツー、ワン、ツー」
腕を大きく振るウォーキングに似た運動とともに、パルスィはヤマメに優しく微笑んだ。
クールダウンしていく振り付けに合わせるように、こいしのギタープレイも段々とブルージーになっていく。
「ふふ、自分の失ってしまった純粋さを持っているキスメが妬ましいのね。でも悲しまなくていいの。貴女はその純粋と引き換えに、世の渡り方を知ったのでしょう?」
まるで慈母の様に、橋姫は話し始めた。初めて見るパルスィの表情に、ヤマメははっとする。
「泳ぎ方を学んだ貴女は、もう容易く溺れたりはしない。向こう岸に目指すものが待っているというのなら、いつかきっと辿り着けるはずよ」
「パルスィ……」
ヤマメの視界が潤んで揺れた。心の底にわだかまっていた嫉妬を残すところなく吐き切った直後であったから、パルスィの言葉は真っ直ぐ深くまで響いた。
「うん、そうだよね。私、もう少し頑張れる気がしてきたよ」
「それは良かったわ。でも貴女のその笑顔がやっぱり妬ましいから、喰らえ≪妬符「グリーンアイドモンスター」≫!」
「え、なんでってぎゃああああぁぁぁぁ!!」
激しい運動と嫉妬の激情の直後であったヤマメに、突如として放たれたスペカを避ける余力などあるはずもなく。
彼女の小柄な身体は、緑色の奔流に押し潰された。
「―― ふぅ、スッキリした。やっぱり運動は気持ちがいいわね!」
汗の珠をきらりと光らせて、この上ないほどに清々しい表情でパルスィは破顔した。
「サンキュー! みんなどうもありがとう!」
その後ろで、脳内ライブを見事アンコールまでやり遂げたこいしが、両手を天へと突き上げていた。
◆ ◆ ◆
「な、何ですかこの館は。休日に説教して回ってばかりというのもアレだから、たまには普通のキャリアウーマンみたくショッピングやら何やらで時間を潰してみようと思っていた私が、一体なぜこのような得体の知れない場所に……」
「懇切丁寧な解説、痛み入るわ閻魔様」
妬みビクス教室の入り口に立っていたのは、楽園の最高裁判長である四季映姫であった。
今日はオフであるらしく、いつもの厳めしい制服ではなくカジュアルなシャツルックだ。
「貴女は橋姫ですね。職務を投げ出して、一体何をやっているのですか」
「橋の番ならやってるわよ。でも最近は地上と地底の行き来が多いから、利に聡いやつが出店出したりでこの辺もすっかり賑やかになっちゃって」
ほらあそこ、とパルスィが指差す先には、確かに『旧地獄名物・イカ焼き』という確実に嘘と分かる看板を堂々と掲げた屋台が立っている。しかしその文句はやはり人を引き付けるのか、多くの人妖が屋台の前に群がっていた。
売っているのはそれっぽい形をしたただの人形焼きであったが、海のない幻想郷に住む者たちがイカという海生生物のことなど知っていようはずもないので、あまり問題はなかった。
「いくら仕事っていっても、あんなところでひとりポツンと佇んでれば、そりゃねぇ」
「成程。確かにあれでは仕事になりそうもないですね」
「おかげでちょっと口に出せないくらい太っちゃって」
「私の同情を返しなさい!」
「まぁ無駄口はこれくらいにして、さっそく受けてってもらうわよ、私のエアロビクス教室」
パルスィは自らの襟元をぐっと掴んで、そのまま引きちぎるようにして服を脱ぎ捨てた。その下にはやっぱりオレンジ色のレオタード。
「さぁこいし、一名様ご案内よ! やっておしまい!」
「合点承知の助! 任せておくんなさいパルの姐御。というか既にやってるけど」
四季映姫がフローリングに足を踏み入れる頃には、
「いやああああぁぁぁぁ! 何よこれぇ!」
「こんなこともあろうかと、特注しておいたのよ。白と黒、ツートンカラーデザインのレオタード」
「うわあ。流石にこれはないよパルの姐御」
「わ、私が人前で着替えてしまうなど……。これは末代までの恥」
こいしによって無意識のうちに着替えさせられていた。
「さぁサクサク行くわよ! ミュージックスタート!」
「え、何? 一体何なの?」
戸惑う閻魔を尻目に、スピーカーからはやっぱり『緑眼のジェラシー』が流れ出す。
無意味に本格的なハウスミックスの中で、不意を突かれた映姫にはもうパルスィに黙って従うしか選択肢は残されていなかった。
「ふふ、閻魔様の嫉妬。どんなものなのかすっごく興味があるわ」
「くっ。やはりここは、教室の名を騙った妖怪の罠でしたか。ならば力づくでも……って、部屋の隅で空気椅子をしているあの覚りは一体?」
「あぁ、あれはエアドラムの構えよ。もうギターは極めたらしくって」
「はぁ」
「ほらほら、運動中の私語は体力を消耗するだけよ。ワン、ツー、ワン、ツー」
曇り一つない目で、パルスィは珠の汗をひとつ飛ばした。
「わ、ワン、ツー、ワン、ツー」
「うん、いい感じよ閻魔様。そのまま普段のカリスマなんて投げ捨てる勢いで!」
「はいっ。ワン、ツー、ワン、ツー」
根が真面目なことが裏目に出た。映姫は目の前にやるべきことがあると、取り組まずにはいられない性質であったのだ。正直者が馬鹿を見るのは幻想郷の茶飯事である。
「どんつくどんつくどんつくつくつー」
「す、座ったままの姿勢であんな運動を。うわあの顔凄い、鬼瓦みたい」
「流石だわこいし。『エアインストゥルメンツ界のハルトマン』の異名を取るだけのことはあるわ」
「それはまさか撃墜王の方ですか。何を撃墜するんですか」
「おおきいおともだちのハートを色んな意味で粉砕するわ。……ところで」
エアロビクスは佳境へと突入する。パルスィのダンスも激しさを増してきた。
「そろそろ、貴女の嫉妬を覗かせてもらうわよ。心の隙からね」
「そうは問屋が卸しません! なんかなりゆきでエアロビを始めてしまったけど、これ以上貴女の手には乗りませんよ。私はこのまま、気持ちよく汗をかいて帰るのです」
「ふむ、腐っても閻魔様というわけね」
「その通りで……って腐ってないから別に!」
両腕を水平に広げ、肘から先だけを垂直に上げたまま、上体をリズムに合わせてひねる。
一見すると何でもないような運動も、実際にやってみるとキツいものである。流石の映姫も、段々と息が上がってきていた。
「ワン、ツー、ワン、ツー」
「ワン、ツー、ワン、ツー。―― ふ、ふふ、どうしました? 曲ももう終わりそうですよ?」
「なかなか隙を見せてくれないのねぇ。確かにこのままでは私は嫉妬を煽ることもできず、ただ貴女の運動不足を解消するだけで終わってしまうわ」
「負けを認めるのですね。な、ならば早くクールダウンに……」
「でも私の勝利は揺ぎ無い。何故ならここでとっておきのダメ押しというやつを出すからだッ! こいしが!」
「貴女が、じゃないんですね」
荒い呼吸の中でも必死で頑張ってツッコむ閻魔。
「隙がないなら作り出せばいいだけのことよ。さぁこいし、見せて差し上げなさい!」
「どしゃーん! どしゃーん!」
パルスィの掛け声に応じるように、こいしは大げさなアクションで腕を振り回し始めた。
音の声真似から察するに、クラッシュシンバルを大きく鳴らしているらしい。
「どしゃーん! ―――― どしゃーん!」
しかしその感覚が少しずつ開いていく。
ポーズもいつの間にか、空気椅子から立ち上がった格好になっている。
そして、
「どしゃーん! ……うぅー、ばたん。がらがら」
そのまま前のめりに倒れ込んだ。どうやらドラムセットを大きく巻き込んでの昏倒のようだ。
ポカンとする映姫に、パルスィが振り返って一言添える。
「X-JAPANのYOSHIKIでした」
「ぐはっ」
もはやモノマネ選手権の様相を呈しているが、このネタは映姫のドツボに嵌ってしまったらしかった。
もちろんパルスィがこの好機を逃すはずもない。
「かかったわね! さぁ、貴女の嫉妬を暴いてあげる!」
展開される妖力の波に飲まれながら、映姫の記憶はあの日の場面を映し出す ――
『小町、この店で間違いはないですか』
『えぇ。確かにここですよ、文々。新聞に載ってた店は』
『いらっしゃいませお客様。本日は何をお求めで?』
『えっと、この記事のキャミソールってまだあります? 一目見て気に入っちゃって』
『えぇ、もちろんございますよ。新聞に載って以来、もう凄い売れ行きで』
『良かったじゃないですか四季様。わざわざ有給使って人里来た甲斐があったってもんです』
『そうですね。それじゃあちょっと試着を』
『行ってらっしゃい。それにしても、良さそうなものが多くて目移りしちゃうなぁ』
『……………………』
『あれ、四季様ってば試着だけなのに遅いな。おぅい、どうしました?』
『…………小町、これは、ダメです』
『え、どうしたんですか。さっきあんなに喜んでたじゃないですか』
『だって……これ……これ……』
「―― 肩紐がちゃんと肩に引っかかる小町が妬ましいいいいぃぃぃぃ!」
映姫は吠えた。
「私は! あの時ほど小町を羨んだことはなかった! だって私もの凄くなで肩だから! 普段は肩パット入れてごまかしごまかしだけど凄いなで肩だから!」
絶叫する彼女の肩は確かに丸かった。その角度をゲレンデに例えるならば超級者レベルの傾斜であった。よく見ると、さきほど脱いだシャツにもしっかりと肩パットが装着されていた。
「もうこの際、肩に紐が引っ掛かる世の女、みんな妬ましい!」
「意外だわ。胸じゃないのね」
「胸なくないもん! 平均的な日本人女性くらいにはあるもん! 小町が隣にいるから目立たないだけだもん!」
あまりにも激しい嫉妬のためか、軽く幼児退行を引き起こす裁判長。
「うぅ……せめてトートバッグがかかるくらいの肩があれば」
「はいそれじゃあクールダウン入りまーす」
「冷淡にもほどがある!」
一人憤る映姫と倒れたまま微動だにしないこいしを意に介することなく、パルスィのエアロビクスは続く。
「真面目な貴女のことだから、身体のことで他人を羨むなんてはしたないと考えていたのでしょう? その心意気は大いに結構だけど、たまにはこうやって吐き出すことも必要じゃなくて?」
「うぅ……」
「まぁ秘めたままにしておくのも結構だけど、言葉にして伝えることで変わるものもあるかもしれないしね。ほら ――」
「うぅ?」
講師の指差す方を振り向いた映姫の目に、見慣れた部下の姿が映った。
「四季様、こんなところにいたんですね」
「こっ、小町! え、まさか今の全部……」
「えぇ。聞いていましたとも」
「うぎゃー!」
あまりの事態に、閻魔は凍り付いた。身体ごと綺麗なフローリングの床に崩れ落ちる。
そんな上司を、小町は優しく包み込んだ。
「そんな、落ち込まないで下さい四季様。いいところを紹介しますから。あたいもお世話になってる骨格調整の専門家を」
「……私を、私を許してくれますか小町。醜い感情に負け、恥も外聞もないかのように取り乱してしまった私を」
「えぇ、私はいつだって四季様の味方です。貴女が泣いているのならどこからだって飛んできますよ」
「ふふ、ありがとう小町。でも貴女、今日は普通に勤務の日では」
「些細なことです」
ふたりの周りをハート型の光が飛び交っていた。もちろん、いつの間にか復活していたこいしの仕業であった。
「さぁ、さっそく行きましょう四季様。今日から貴女も、モテかわスリムな両肩で地獄のアイドルですよ」
「えぇ小町。連れて行って下さい、悩めるなで肩達の夢の楽園まで!」
「あんたら暑苦しい上にやっぱり妬ましいわ! 喰らえ≪嫉妬「ジェラシーボンバー」≫!!」
こいしのものとは意図も色彩も違うハートの弾幕がふたりを押し流す。
だが、既に意識が新天地へと向いている閻魔と死神は、ふたりして恍惚の表情のままで流されていった。
「やっぱり、『リア充爆発しろ』は全国共通語よね。いい仕事したわ」
パルスィは、いかにもひと仕事を終えたと言いたそうな表情で額の汗を拭った。
「ふぉーえばら~♪ ふぉーえばどり~♪」
その後ろで、こいしはエアピアノ弾き語りで熱唱していた。
◆ ◆ ◆
「こいし! やっと見つけました。こんなところにいたのですか。一か月も地霊殿へ帰ってこないから本当に心配したんですよ」
「あ、お姉ちゃんがきたよ。パルスィお姉様」
「あらホント」
「お、お姉様!? 貴女たちいつの間にそんな関係に……」
旧地獄の管理者、古明地さとりが息せき切って妬みビクス教室の戸を叩いたのは、その言葉通りオープンから一月ほど経った頃だった。
その間にここを訪れた客は、ヤマメと映姫と小町を数えに入れても両手で数えられるほどである。講座の終わるころには毎回弾幕が乱れ飛ぶことを考えれば当然の評判であった。
「私は一度だってそんな風に呼ばれたことは……。まぁいいです。帰りますよ、こいし」
「イヤよ。私はエアベースを我が身に修めるまでは帰らないわ」
「何を訳の分からないことを。だいたい、エアでやるんだったらギターと同じでしょう、あんなもの」
「はぁあ、分かってない。お姉ちゃんは何も分かってないよ。本物のミュージシャン以上に、エアミュージシャンにはソウルが必要なの。そしてベースは演奏に最も魂を要求される楽器。ましてやエアベースをやるのであれば、そのアクションには精根尽き果てるまで魂を注ぎ込まなければならないのよ」
こいしは珍しく口角泡を飛ばして姉に反論した。
「そ、そうなのですか。私には音楽のことはよく……ってあれ!? 私はいつの間にこんな服を!?」
「流石こいしだわ。長ったらしい話の間に無意識を挟みこむとは」
やっぱりこんなこともあろうかとパルスィが用意していたさとりのレオタードは藤色であった。白い肌にやせ型のさとりがそれを着ると、何だか少し貧相に見えた。
「……話は聞いています。ここがとても危険なエアロビクス教室であるということはね」
「別に危険なことは何もないわよ。ただ私の嫉妬が狂うと弾幕となって迸るだけ」
「それが危険だと言っているのです。そんなエアロビを誰が好んでやるものですか」
さとりはじとっとパルスィを睨みつけた。その眼からは、「弾幕を喰らうくらいならこの格好のままでもこいしを連れてふたりで帰ってやる」という決死の覚悟が滲み出ていた。
「ふむ、それなら ――」
「『弾幕は撃たないからエアロビクスだけでもやっていけ』ですか。貴女けっこうこれにのめり込んでいるのですね」
「まぁね。天狗の新聞で『流行の嫉妬ビクス!』って一面特集を組まれる日まで、私はこれを続けてやるわ」
「すぐに一面を飾れますよ、事件的な意味でね。とにかく私は」
「お姉ちゃん」
主役によってぶっ放しオチが封じられたところで、こいしが口を開いた。
「お願い、一度パルスィのエアロビ教室を受けてみて。そして私のエアベースを見て。きっとお姉ちゃんも、一度見れば分かってくれると思うから」
「え、分かるって何を」
「まぁまぁ、この娘の腕は私が保証するわ。大丈夫よ、こいしなら十分にプロで食っていけるわ」
「え、プロって、え?」
混乱するさとりには目もくれず、
「さぁ、ミュージックスタート!」
パルスィは妬みビクス教室を開始した。
「まずはウォームアップよ。ワン、ツー、ワン、ツー」
「う、うん? こう、こうですか?」
「あぁ違う違う。右、左、右、左の順番で足を動かすの」
「みぎ、ひだり、みぎ、ひだ、あれ?」
「そうじゃなくって、三拍目で入れ替える!」
「『こいつ壊滅的にヘタね』って……。うぅ、分かってますよ」
運動の習慣など無いに等しい地霊殿の主にとっては、基本的な動きですら難易度ルナティック級であった。腕も脚も言うことを聞かない。その光景を見たもののMPをごっそりと奪っていきそうな光景であった。
その横で、こいしのエアベースが唸りを上げる。
「べんべんべべべべ、ぼーんぼぼぼぼぼぼ」
「あぁ、そんな低音を無理して声で……。喉を傷めてしまうわ」
「それくらいのこと、エアベースをやる者ならとっくに覚悟の上よ」
ベーシストは、そのライブパフォーマンスによって大きく二種類に分けられる。弾きながらステージ上を縦横無尽に動き回る者と、逆に全く動かないものである。こいしのエアベースはもちろん前者であった。
「べべべべべーん」
「な、何ですって!? エアベースをしながらムーンウォークを……」
「ぼぼぼぼぼーん」
「今度はヘッドスピン!? 大道芸人ですか貴女は」
「ふふふ、これくらいで驚いているようじゃ、心の隙だって簡単に見つかりそうね」
パルスィの翠色の目がきらりと光る。しかしさとりはすこしむっとした表情で、その目を睨みつけた。
「お言葉ですが、私だってひとの心が専門です。この心理戦、簡単に負けてあげる気はありませんよ」
「言ってくれるじゃない。こうなったら私のプライドに懸けてでも……」
「『貴女の嫉妬を燃やしてみせる』。ふふ、今更その必要はありませんよパルスィ。何故なら ――」
フロアを満たす四つ打ちリズムが、さとりの声色で瞬間的に冷却される。
「私は、貴女に嫉妬しているのだから」
忙しなく動き続けていたこいしの両手が、その瞬間ぴたりと止まった。
パルスィも驚いた。彼女を妬む者がこの世に存在するなんて、生まれて初めて知ったのだ。
「私、に……?」
「えぇ。どんな手を使ったのかは知りませんが、貴女はこいしと一月もの間一緒にいた。あの娘が地霊殿にそれほど長く留まっていたことなんて、私の記憶にはないというのに」
激しいBGMの中にありながら、さとりの小さな声は何故かくっきりと聞こえていた。
パルスィもダンスを止め、目前の小さな覚りに声を返す。
「別に、私とこいしのそれぞれ求める利益が重なった。それだけのことよ」
「それだけのこと、ですか。私はたったそれだけのことさえ、まだ見つけることができません」
自嘲気味に薄く笑うさとりの嫉妬が、パルスィには腹立たしかった。
確かにそこには嫉妬が渦巻いているのに、さとりの防御が固く彼女の能力が全く届かない。嫉妬の心に追い風を送り、炎を巻き上げることができない。絵に描いた餅をただ眺めているようなものであった。
「私は、何も与えることができない。こいしの求めるものを、何も……」
「違うよ、お姉ちゃん」
そこで、こいしがやっと口を開いた。
両の脚は真っ直ぐ地面に立ち、両の目はしっかりと姉を見つめていた。
「お姉ちゃんはお姉様とは違う。私は、利益や打算でお姉ちゃんの妹をやってるわけじゃない」
「こいし、貴女……」
「だって私とお姉ちゃんの繋がりは、もっともっと深いところにあるのだもの。それこそ、無意識の奥底に」
スピーカーは、いつの間にか何の音も発しなくなっていた。
とん、とん、と軽い足音を響かせながら、こいしは一歩ずつ姉の元へと歩みを進める。
「お燐もおくうも、地霊殿のみんなもそう。家族の繋がりを、誰も取り立てて意識なんてしない。いつでもそこにいるって、何の証拠もなく信じてしまう。そういう無意識なのよ」
だから彼女は、自由気ままに漂うことができる。
だから彼女には、いつでも安心して帰れる場所がある。
だからこそ彼女は、姉の傍を離れていたってひとりではないのだ。
「そういうものを言葉にするの、私も苦手なんだけど。でも今日は、ちょっとだけ頑張ってみるよ」
そして向日葵の様な笑顔で、こいしはこころを声にした。
「いつもごめんなさい。いつもありがとう。お姉ちゃん」
「こいし……っ!」
ふたつの影が勢いよく重なる。
さとりの両瞼の端には少しだけ涙が浮いていたが、こいしの笑顔につられ、じきに笑顔を取り戻した。
先程と一転して、スピーカーからは美しい旋律が流れ出す。行き違った姉妹が互いを見つけられたという奇跡を、感動で彩るオーケストラミュージックだ。
「さぁ地霊殿へ帰りましょう、こいし。今夜は貴女の好きなハンバーグですよ」
「やったぁ! お姉ちゃんのハンバーグ大好き!」
姉妹は互いに手を取り合って、家への道のりをふわふわと飛んでいく。
行く手には、旧地獄の100万ドルの夜景が、ふたりの未来を祝福するように燦然と輝いていた。
「はい。はーいストップ。え、何これ。あんた何いい話で終わらせようとしてんの? 構成とか全部放り出して、とりあえず感動のラストで締めておけば話がまとまるとか本気で思ってるの? ……聞いてる? 私はあんたに言ってるのよ。ほら、画面の前でアホ面下げてキーボード叩いてるあんたよ」
うん? 何だこれは。
終わったはずの物語なのに、パルスィの台詞がまだ続いている。
「大体さ、これ私が主役のSSなんじゃなかったわけ? 題名だって冠タイトルだし、タグなんて3回も私の名前繰り返してるじゃないの。それが何? 一番大事なはずのラストシーンが古明地姉妹ってどういうこと? ここは私が『妬ましい!』って叫ぶとか、そういうお約束なオチで締めるべきでしょう」
まさかこれは、おれに対しての台詞なのか。そんな馬鹿な。
……いや、話には聞いたことがある。登場人物が文筆家の制御を離れて好き勝手に動き出し、ついには作者に牙をむくというヨタ話を。
「まったく、私が妬ましいのはあんたの頭の中よ。お涙頂戴を入れればウケると思ってこんな滅茶苦茶な展開を持ってくる、そのおめでたい思考回路が信じられない。このまま投げられたんじゃ私だってたまんないわ。私の妬みビクスがこれから流行るかどうかは、あんたが考えるこれからの展開に懸かってるんだから。勝手に終わらせないで頂戴」
馬鹿馬鹿しいと思ってそんな話はまったく信じちゃいなかったが、まさか自分の身にそれが起こるとは。
不気味といえば不気味だが、それ以上に何だかわくわくもしている。まるで自分が超能力者になったようだ。
「ねぇ、聞こえてるの? いや読んでいるの? さっさと次の客を登場させなさいよ」
しかし困った。おれとしてはもう物語は終わったつもりだったので、これ以上の展開など考えていない。
さっさとエディタを閉じてしまいたいのだが、パソコンの調子が悪いのかウィンドウが操作を受け付けない。
「まさかとは思ったけれど、本当にこれで終わりなのね。もう怒ったわよ。そっちがその気なら、私にだって考えがあるわ」
いぶかしむおれの目の前で、ディスプレイが不気味に光った。液晶画面が同心円状に波打つ。
そしてその中心から、白い指が姿を現した。尖った爪を五指に備えるその指は、明らかに人間のものではなかった。
二次元平面から、指はゆっくりと三次元空間へ侵攻してくる。やがてその根元にある掌と手首が見えた。
まずい。これは明らかに人智を超えた現象である。しかもこの腕からははっきりと害意を感じるのだ。
おれは逃げ出したい衝動に駆られながらも、しかしこの夢のような現象に心を捉われてしまい、立ち上がることができなかった。
腕がもう一本、不意を打つように、今度は素早く飛び出した。稲妻の速さでおれの喉元を正確に捉え、わしりと掴む。
そしてそのまま首をへし折らんと、鬼のような力で締め始めた。
あっという間に呼吸を封じられたおれは為す術もなく、ただ無様に呻き続けるしかない。
白くなっていく意識の中で、おれは今更ながらにヨタ話の続きを思い出していた。
「知ってる? 一体何人の文筆家が、自分の生み出した話の登場人物に殺されてきたのかを。突然死、不審死、そんな風に片付けられる事案の何割が ――」
もはやその文字を追うことすら難しい。爪が食い込んだ首の痛みすら、どこか他人事のように感じる。
だめだ。もはやおれではどうしようもない。
このSSが日の目を見るようなことになってしまえばどんな惨事が起こるか。想像したくもない。
おい、これを読んでいるお前そうだおまえだよ。早くバックするなりういんどうをとじるなりしてここから離れろ
はやくもどらないとtttttったいhっへんなこttttttttttttttttt
タグに釣られて読んでみたら……。
きれいな話で終わるかと思ったら……。
とても良かっttttttttttt
だが作者様、貴方はそそわ読者を見誤った。皆この物語に恐怖など感じはしないのだ。
一体どれほどの読者たちが『うるめさん妬ましいぃぃぃ! 俺もそっちに行きてぇぇぇ!!』
と血涙を流しているのだろうか。
私には聞こえる。無数の翼無き野郎共の怨嗟の声が。
あとこいしちゃん、今度エアドラムをする時はぜひボンゾの物真似で。ドンドドダドンドってね。
なんでそうなるの!w
俺だってそっちに行きたかったよ!
妬みビクスやりたかったよ!!
でも、でもな!
俺、ケータイで見てるからパルスィの手が出て来られねぇんだよぉぉ……
小指か親指、どっちから出すか迷ってやがるよ……
終始のハイテンションなギャグのノリも素直に笑えましたしそこから良い話で締めるのも見事
だと思っていたら急転直下のホラーオチ!
「ギャグで進行して良い話で締める」というある種のお決まりに剛腕を以ってして反逆し、
それでいて面白い話として纏め上げた作者様のセンスに嫉妬せざるを得ません。
とても面白かったでsssss