1、紅 美鈴の場合
青空が眩しかった。
太陽が眩しかった。
熱気が降り注いでいた。
紫外線も降り注いでいた。
それらを浴びてすくすくと育つ花々を見て、美鈴は心が弾んだ。
午後の水やりを終えて、如雨露を置く。
紫陽花が見事な花を咲かせていた。
この色とりどりの花たちが、館のみんなの心を癒すのだろう。
そう考えるだけで、嬉しかった。
ルンルン気分で門前へと向かう。
気分がいいので軽くスキップなんかもしてしまおう。
リズムよく飛び跳ねながら、美鈴は紅魔館正門まで戻ってきた。
「……ん?」
門の前には、一人の男が立っていた。
頭には白いターバンのような布を巻き付けており、動きやすそうな中華風の青い服を上下に纏っている。
美鈴の姿を見た男は、ただ一言だけ言った。
「お手合わせ願いたい」
その男の闘気を肌で感じた。
なかなかの強敵のようだ。相手にとって不足は無い。
挑戦を受けて断るつもりは毛頭ないが、今は気分が良いので、暑苦しい挑戦も喜んで受けたい気持ちになっていた。
「いいですよ。どこからでも来てください」
弾幕ごっこではない。
コブシとコブシの真剣勝負。
男は一礼した後、戦闘態勢になった。
左手を前に突き出し、右手は腰のあたりに留めてある。
左の拳はアゴの高さに、右の拳は腹の高さに。
左足を前に出し、右足を後ろにし、肩幅ほど両足を開けた。
そして、軽く両足で跳ねながら。こちらにゆっくりと近づいてきた。
これは、空手の基本的な型であった。
相手が間合いに入ったら左の拳で牽制し、左をいなしたら右の本命を腹、もしくはアゴに突き刺す。
ステップを踏んでいるのは、相手の動きに反応して後ろに跳びのく、逆に隙を見て懐に飛び込む、どちらにも対応できるようにするためである。
見たところ、隙は無い。
筋骨隆々な肉体の男性から一撃を貰えば、いくら美鈴が妖怪と言ってもかなり痛そうだ。
痛いのは嫌だなぁ。
そんなことを考えながら戦闘態勢に入った。
美鈴は、あえて男と同じ空手の型を取った。
だがステップは踏むことなく、ぐっと大地を踏みしめて動かない。
右手に力を込め、いつでも発射できるようにしていた。待ちに入ったのだ。
これは、罠であった。
こうすることで、男はこちらの間合いの外からの攻撃を仕掛けてくるだろう。
見たところ、男の身長はでかく、手足のリーチは向こうの方が有利だ。
なら、あえて攻めさせる。
リーチが長いということは、懐に入られたら無力ということに他ならない。
男は、ゆっくりゆっくりとステップを踏みながら近づいてくる。
距離は徐々に縮まり、緊張も増してくる。
まだだ、あと五メートル。
あと四メートル。
三メートル。
そして、男は動いた。
予想していたよりも、ずっと遠くから男の攻撃は飛んできた。
(―――足ッ!!)
男は、ステップを踏んでいた前の足……左足を思い切り持ち上げ、美鈴のアゴを蹴りあげに来た。
美鈴はすんでのところでそれに勘付き、上半身を反らす。
鼻の頭を男のつま先がかすった。
避けたことにより、いざ反撃に出ようと試みる。
反らした上半身を反動をつけて戻し、その勢いで飛び込もうと考えた。
「―――まだだぁっ!!」
しかし、男の強烈な叫び声が、攻撃がまだ続いていることを美鈴に教えた。
蹴りあげられた足は頂点まで昇り切り、後は落ちるだけとなっていた。
そう、後は落ちるだけ。
持ち上げられた反動で勢いを増して、かかとが降ってきた。
避けきれないと悟ると、あえてさらに前進した。
後ろ脚で地を蹴り、男のふとももにぶつかる。
ふとももを押さえられた男のかかと落としは不発に終わり、美鈴と男は密着した。
「っは!よくぞ避けた!しかし、こう密着していてはそちらも打撃が出せまい!」
密着したことにより、拳の攻撃力は互いに落ちていた。
拳を突き出そうにも、突き出すための空間が存在しないのだ。
滑走路無しで飛行機は離陸できない。
だが、美鈴にはそんなことは全く関係がなかった。
「打撃が無理ならっ!」
持ち上がったふとももを体をずらして地面に落とす。
落とした反動で男の体が一瞬ぐらついたのを見逃さなかった。
構えていた左手を取り、妖怪の膂力をふんだんに使って男を背負い―――
「ぅぅううううりゃあああぁぁあ!!」
「ぬ、う、お、おお、おおおぉぉ、おっぉぉぉおおおおおおおぉぉぉ!!」
そして投げた。
見事な一本背負いである。
男の叫び声はあっという間に遠くへと吹き飛んで行った。
つい力んでしまい、男はとんでもない高さまで舞い上がる。
そして、男の飛び行く先には、紅魔館があった。
「…………あ」
男が、ニ階の窓を突き破って入ってしまったのを見て、美鈴は青ざめた。
やってしまった……。
しばらく、投げた姿勢のまま固まっていた。
あーあー、こりゃまたとんでもないことをしてしまった。
門番が邸内に部外者を投げ込むとは、もしも知られたら大変なお仕置きが待っていることだろう。
「…………まぁ、いっか」
美鈴はどこまでも楽天家だった。
怒られたら怒られただ。折檻も甘んじて受けよう。
くよくよしても始まりはしない。飛び込んでしまったという事実は、もう変えられないのだ。
ドンマイドンマイと自分を慰めつつ、何事も無かったかのように門番を再開した。
確かにあの男はなかなかに強かったが、あくまでそれは人間としての話だ。
咲夜やレミリアが相手をしたとしても、万が一にも負けはないだろう。
え?報告?侵入者アリの報告?
誰が好きこのんで死期を早めようというのか。
まだおゆはんを食べても居ないのに死ぬわけにはいかない。
というか、ばれたらおゆはん抜きは確実なので、おゆはんを食べてから報告するつもりなのだ。
それにしても今日は暑い。夏も間近ということだろうか。
久しぶりに曇りじゃない日だと喜んでいたが、これは流石にきついものがある。
妖怪である美鈴は寒さ暑さには強いが、流石に一日中立ちっぱなしだと辛い。
一度自分の体を過信して立ち続けていたら、脱水症状で倒れたこともあるし。
あれは情けなかった。
お叱りを受けるどころか大笑いされた。
折檻は受けなかったが、あれはあれで嫌だ、とても嫌だ。
視界の奥には、大きな湖が広がっている。
一年中涼しい風が吹くこともあり、夏は人気のスポットだ。
美鈴にも時折涼しい風が吹いてきて、夏場の仕事を助けてくれる。
湖の端を見ていると、誰かがこちらに向かって飛んできた。
青と白を基調にした服に、太陽で輝く氷の羽。
「めーりーん!」
「あれ、チルノ?」
チルノは手を振りながら門に近づいてきた。
それと同時に、涼しげな風が門周辺を渦巻く。
これは涼しい。やっぱり暑い日には一家に一人チルノちゃん。
「どうしたのよ、こんな暑い日に」
「暑い日だろうとなんだろうと関係ないよ!あたいが遊びに来たかったから遊びに来たの!」
今日も元気いっぱいな姿を見て、自然と笑顔がこぼれた。
湖と近いということもあってか交流も長く、軽いノリで話しやすい。
以前は「どーじょーやぶりよ!」みたいなノリで戦いを挑まれたこともあったが、今ではすっかり友達だ。
「あたいね!あたいね!さっき山の大ガマをついに氷漬けにしてやったんだ!」
「ほほぉ、進歩したねぇチルノ。前は食べられてたのに」
「む、昔のことでしょ!?」
「で、その大ガマはどうしたの?」
「でっかくて重くて持てないから、置いてきちゃった」
「じゃあ明日には氷が解けて元気になってるわね」
「な、なにぃ!?復活するのか!?」
「そうよー、復活復活。復活した魔王大ガマを凍らせられるのはチルノしかいないわ」
「まかせといて!!またあたいがカッキンコッチンに凍らせてやるんだから!!」
門前はあっという間に騒々しくなった。
女三人寄れば姦しいと言うが、チルノが二人分をまかなっているのではなかろうか。
二人は楽しく可笑しく話し続けた。
そんなこんなで、十分ほどたった時だった。
「そんなに暑いなら、あたいが氷を作ってあげるよ!」
「お!そいつは嬉しいわぁ。チルノの氷はおいしいしね」
「オススメはいちご味よ!」
「いいわね、おいしそ―――ッ!?」
笑顔の談笑中、美鈴は唐突に表れた殺気に戦慄した。
直後に聞こえる、風を切る音。
「チルノッ!!」
「え?うぅぇえええ!!?」
まずはチルノの安全を。
そう考えて前に飛び出したのが幸いした。
背後からと、左右から、それぞれ三本づつ飛んできた銀のナイフを、地面に伏せることで回避したのだ。
チルノを地面に押し倒してから、美鈴は素早く起き上がる。
門の奥から、誰かが近づいてきた。
「……よく避けたわね、美鈴」
紅魔館のメイド長、十六夜咲夜。
両手には多数のナイフ。
その顔には感情と言うものがまるで見えず、美鈴の脳内に殺人マシーンという単語が浮かんで消えた。
「あら、咲夜さん。今はお嬢様のティータイムのはずですが、お仕事はよろしいので?」
「今日のお嬢様はお目覚めになられるのが遅かったの。だから先ほど、遅めの昼食を取られたばかり。ティータイムなんてまだまだ先の話ですわ」
今晩のおゆはんと、心の中で別れを告げる。
これは間違いなくバレた。おそらく、あの挑戦者が正直に話したのだろう。
余計な事を、とは思わない。結局、悪事と言うものは最後にはバレるものなのだ。
咲夜は完全にお仕置きモードになっている。
紅魔館で働いていて唯一嫌な事があるとすれば、お仕置きの際に本物の殺気をこちらに向けられることだろう。
まぁ、こちらの自業自得な事が多いので、やめてくれなんて言えないのだが。
咲夜がゆっくりとこちらに近づいてくるのに対し、こちらもゆっくりと戦闘態勢を取った。
本来なら抵抗せずに折檻を受けるところだが、今は抵抗しなければなるまい。
私の後ろには、怯えた友達がいる。この子を巻き込むわけにはいかない。
「な……なによ、あんた……めーりんをいじめるんじゃないわよぉ!」
友人が、胸が熱くなる一言を叫んでいる。
まったく、可愛いお馬鹿さんだ。
「咲夜さん……折檻は受けますから、せめてチルノを返してあげられませんかね?」
「そうしたいけど、その妖精は離れる気がないみたいよ」
チルノは美鈴の後ろで、がるるるると唸っていた。
「面倒だから、まとめて折檻してあげるわ」
「だから咲夜さん……それは駄目ですってば!」
美鈴は覚悟を決めた。
チルノは逃げてはくれないだろう。こう見えて、友達を体を張って助けられる勇気があるやつだ。
この場合は蛮勇になってしまうのだが、今は言って聞かせる時間は無い。
両手を前に突き出し、手刀を作った。
ナイフを全て弾き落とすつもりの、完全なる防御の姿勢。
咲夜はそれを見てフンッと鼻で笑った。
次の瞬間、美鈴の目の前に五本のナイフが現れた。
さらに、左右からは三本づつの風を切る音。
「っぐ!?うぉぉおおお!!」
かろうじて、右手と左手で左右から来た六本を、振りあげた右膝で、目の前の二本を弾き飛ばす。
だが、残りの三本ははじけない。
ナイフの刃の部分ではなく、柄の部分が飛んでくるのは折檻だからかなぁ。
痛いんだろうなぁ。
そんなことが頭をよぎった時だった。
最後のナイフも、無事に弾き飛ばされた。
一瞬、何が起こったか理解できなかった。突然背後から飛んできた何かが、ナイフを地面へと押し込んだのだ。
地面を見ると、氷の塊。
背後の空を見ると、チルノが飛んでいた。
「あんた……あたいの友達になんてことするのよっ!!」
ああもう、お馬鹿。
邪魔したことで、咲夜さんは完全にチルノも標的に入れただろう。
かっこいい娘じゃないか。
チルノは、もう一つ氷の塊を作ると、咲夜に向かってぶん投げた。
「っっうりゃああああぁぁぁあっぁ!」
空から斜め四十五度の角度で落ちてくる氷塊。
重力による加速も相まって、スピードも十分だ。
「……ふん」
それを咲夜は、あえて蹴り飛ばした。
バック転の要領で繰り出される強烈な蹴りあげ。
見事なジェノサイドカッター、いやさサマーソルト。
(黒か……)
美鈴はついそんなことを考えた。
いや、だって、見せる方が悪いでしょう常識的に考えて。
蹴られたことにより氷塊はバラバラに砕け散り、紅魔館の方角へと四散した。
あの程度なら、館への被害は無いだろう。
咲夜は無言で新たなナイフを取り出した。
美鈴もそれを見て、再び構えなおす。
空を飛ぶチルノも、新しい氷を作り始めていた。
緊張感が漂う。
人間からの挑戦を受けるようになったが、この緊張感を味あわせてくれる猛者には未だ出会えていない。
これでこそ紅魔館。護り甲斐があるというものだ。
美鈴の頬を汗が流れ、顎にたまり、水滴となって乾いた大地に落ちた。
その瞬間。
―――紅魔館は爆発した。
「―――!?」
「―――っな!?」
「え、えぇええ!?」
三者三様の叫び声が、爆音にかき消される。
そして、三人は湖へと吹き飛ばされた。
「あっつ……つつつ」
美鈴は湖の上に浮かぶ小島に叩きつけられた。
水しぶきが全身を濡らす。
全身の痛みが脳に訴えかける。
骨が折れた、体を擦った、打撲だ、捻挫だ、大けがだと。
キノコ型の黒煙が空へと舞い上っていくのが見えた。
目線をゆっくりと下げる。
紅魔館は跡形もなくなっていた。
2、十六夜 咲夜の場合
十六夜咲夜は、主であるレミリア・スカーレットの寝室の前に立った。
この荘厳な扉の奥に、館の主が居る。
スカートのポケットから銀時計を取り出し、時間を確認する。
現在の時間は一時五十九分。
レミリアは普段一時に昼食を取るのだが、今日は時間きっかりに声をかけたら門前払いを受けた。
「今は駄目よ!あと一時間待ちなさい!」
そういうわけで、後三十秒だ。
これで出てこられなかった場合、今日のおやつは無しということになるだろう。
レミリアは小食だから、すぐにお腹がいっぱいになってしまうのだ。
時計の針がニ時を指したのを確認して、咲夜はドアをノックした。
コン コン コン
ドサッ
「うえっ!?、あ、何?」
部屋の中から声が聞こえてきた。
同時に、何かが落ちる音も響いた。
何故か少し慌てている。どうしたのだろうか。
「咲夜です。お嬢様、そろそろお昼の時間にいたしませんか?」
「わ、わかったわ、今出るからちょっと待ってて」
声をかけると、部屋の中が少し騒がしくなった。
ドタンバタンと物をひっくり返す音が聞こえる。
そのうち、ゆっくりと扉が開かれた。
中から、普段通りのレミリアが優雅に歩み出た。
若干息が荒い気がするが、気のせいだろう。
その手には、分厚い本が抱えられていた。
「さあ、行きましょう咲夜」
「はい。参りましょう」
主の後ろを歩く。
食堂にはすでにパチュリーが居るはずだ。
待たせてしまって申し訳ないが、メイドは主を第一に行動しなければならない。
スタスタと軽快に歩く主人。
その手には大きな一冊の本。
咲夜はその本が気になったが、詳細は聞かないことにした。
メイドが主の趣味趣向にとやかく言う必要性は無いのだ。
そういえば、レミリアは妙に機嫌が良かった。
鼻歌など歌っているのを聞くのはいつ振りだろうか。
そんなことを考えているうちに、食堂の大扉の前に到着した。
レミリアはドアノブに手をかけ、開け放つ前にこちらへ振り返り言った。
「咲夜、今日は昼食に居なくてもいいわよ」
「……よろしいのですか?」
「大丈夫よ。あなたは他に仕事があるでしょう?そちらをこなしなさい」
「しかし、まだ準備が……」
「あなたのような従者なら、すでに全ての用意が済んでいるわよね?」
有無を言わさぬ鋭い目つきで睨みつけられる。
咲夜はそれを見つめ返し、意図を汲み取った。
「……わかりました。昼食をお楽しみください」
そう言うと咲夜は恭しく一礼し……能力を発動した。
世界が、止まる。
止まった世界は色彩が失われ、全ての者は皆等しく灰色の石像に変わる。
それは目の前のレミリアも例外ではない。
この瞬間においては、レミリアの心臓も血流もなにもかも、完全に静止しているのだ。
この世界で動けるのは、咲夜のみ。
動かせるのも、咲夜のみ。
咲夜は、レミリアの前を通り過ぎ、廊下を進んだ。
この食堂には三つの入り口がある。
いくら制止しているとはいえ、主の体を押しのけて中に入るなどとんでもない。
そう考え、他の入り口へと向かった。
重く大きい大扉を開けて、食堂へと入る。
中には、横に長い大テーブルと、沢山の職台と、パチュリーが居た。
止まったパチュリーは、読んでいる本を丁度めくっている最中のようだった。
それらを全て通り過ぎ、厨房へと入る。
厨房にはすでに、調理された料理がズラリと並んでいた。
今日のメニューは、人間の血とトマトのカクテルと、特製のカルボナーラスパゲッティ。
付け合わせにチェダーチーズとレタスのサラダもつけておいた。
もちろん、パチュリーの飲み物は普通のトマトジュースだ。
それらを一つ一つ運び、テーブルに置いていく。
ものの三分で全てを並べ終えた。
時が止まっているのに三分などと考えるのは少しおかしいが、咲夜の体内時計においておよそ三分の出来事であったことは間違いない。
音を立てずに食堂から出た咲夜は、扉を閉める。
閉め切ってから、能力を解除し、時を進ませ始めた。
世界に色が戻った。
まるで、この世のすべてが花開いたかのように、多彩な色が視界のあちこちからあふれ出る。
咲夜は、能力を解除する瞬間の景色が、一番好きだった。
この美しさを知るのは、世界で私だけだから。
レミリアの言いつけ通り、咲夜は残った仕事に取り掛かるべく、廊下を歩きだした。
~~~~~~~~~~
およそ三十分が経過した。
咲夜は東館の廊下に飾られた花の水交換を終え、歩いていた。
ズラリと並んだ窓からは光が差し込むことは無い。
分厚い黒のカーテンが、全ての日光を完全に遮断していた。
ようやく、今日の仕事も半分と言ったところだ。
そろそろレミリアとパチュリーの食事も終わっているころだろうし、食器洗いにでも向かおうか。
そんなことを考えて歩いている咲夜の前で、窓ガラスが割れた。
甲高い音が鼓膜を揺らす。
打ち破られた窓からは風と日光が入り込んだ。
咲夜は敵の襲来を感じ取り、ふとももに下げたホルスターから素早くナイフを取り出した。
だが、そのナイフが使われることは無かった。
侵入者は壁に叩きつけられ、気を失って倒れていたのだ。
白いターバンのような布を巻き付け、蒼い中華風の上下を身にまとった筋骨隆々の男。
反撃の心配が無くなったことで、咲夜は周囲を見回した。
もしかしたら、この後何者かが侵入してくるかもしれない。
もしかしたら、すでに内部に侵入されているのかもしれない。
すぐさま時を止めて確認を行った。
しかし、結局そのどちらも無かった。
安全を確認した咲夜は警戒を解き、破られた窓ガラスを見てため息をついた。
これは、今日は徹夜だろうな……。
とりあえず処遇を決めてもらうため、レミリアの元へと運ぶことにした。
両手で男を掴み、空を飛びながら運ぶ。
重い。筋肉は重いうえに美しさに欠けるから好きではない。
こんなものを進んで手に入れようとする門番の気持ちがわからない。
関係の無いことを考えて重さを紛らわせようとしたが、重いものは重い。
咲夜は珍しく汗などを流しながら、レミリアの部屋へと運んだのだった。
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「お嬢様、賊を連れてまいりました」
レミリアの部屋の前で、咲夜は少し大きい声で言った。
もう食事を終えて戻っていると思うのだが、居るだろうか。
「―――んあぁ、入って頂戴」
どうやら杞憂だったようだ。
許可を受けて、咲夜は扉を開ける。
レミリアは安楽椅子に腰かけて、先ほどの本に栞を挟んでいるところだった。
男を床に置き、レミリアを見る。
欠伸をかいており、かなりどうでもよさそうだった。
「賊ねぇ。なんでここに連れてきたの?」
「はい。追い返しても良かったのですが、丁度良く気絶しておりましたので。お嬢様の許可が下りれば、食用にでもしようかと」
「あなたも貧乏性ね。私は拾い食いをする趣味は無いわ」
「左様でございますか」
人間の調達も最近は難しくなってきた。それをレミリアも知っているのだから、素直に認めてくれればいいのだが。
そういう打算的な思惑を持っていたが、レミリアの言葉に逆らうつもりは毛頭なかった。
たしかに、落ちていた……もとい降って湧いたものを食べるなど、貴族であり誇り高い吸血鬼であるレミリアは承諾し難いのだろう。
「……あれ、この人間」
レミリアは男に目線を落とすと、じろじろと観察しだした。
妙に意味ありげに「えっと」とか「確か」などのセリフを口に出す。
「この男のことを御存じで?」
「えっと……どこかで……あっ」
何かに思い当たったのか、声を上げた。
そして、左の手のひらに握った右手を振りおろした。なんともわざとらしい。
「そうだそうだ、さっき正門で美鈴と闘っていた男だ」
「……ということは、美鈴が門を破られたということですか?」
にわかには信じられないことだった。
美鈴は弾幕ごっこが苦手なので、確かに魔理沙や一部の人妖には負けてしまう。
だが、肉弾戦において美鈴の右に出る者など、一握りしかおるまい。
私だって、時を止めなければ三分と持たずに負けるだろう。
咲夜はその程度には、門番としての美鈴を信頼していた。
それに、そうだ。
万が一美鈴に勝ったとするならば、どうして窓を突き破って入ってきた。
それほどの腕があるのなら、堂々と玄関から入ってくるだろう。
打ちどころが悪かったのか知らないが、結果的に気を失い、こうして捉えられることとなってしまっている。
どうしてもそこが腑に落ちなかった。
そんなことをあれこれ考えていると、レミリアが口を開いた。
「まーたなにか難しいことを考えているでしょう?」
「……はい。美鈴が負けるというのが信じられずに。」
尋ねられ、正直に胸の内を話す。
レミリアはぽかんとした顔になり、その後クックックと忍び笑いを始めた。
なんだ。なにかおかしなことでも言っただろうか。
「どうなさいました?」
「いや、なんでもない。ごめんごめん」
まだにんまりと笑顔のレミリア。咲夜は薄ら寒いものを背筋に感じた。
「―――っぐ、ん……うっ」
そうこうしていると、倒れていた男が声をあげた。
どうやら、目を覚ましたらしい。
咲夜は、男が起き上がるのを待った。
「……?こ、ここは……」
「動かないでください、首が飛びますから」
男がハッキリと意識を取り戻したのを確認して、咲夜はナイフを首筋にそっと当てた。
男の方も、その冷たさとただならぬ雰囲気に気がついたのだろう。
こちらが動くなと言ってから、体がピクリとも動かなくなった。
流石に美鈴に挑もうというだけのことはある。危機管理能力は常人よりはあるようだ。
「……動きはしない、だから一つだけ教えてもらえぬか?」
「どうぞ」
「私はなぜここに居る」
侵入者の口から、侵入者らしからぬ言葉が紡がれる。
咲夜はあまりの返答にニ秒ほど動けないでいた。
レミリアは笑顔のまま動いていない。
「私も訊かせていただきたいですわ。なぜあなたは窓を打ち破りこの館に侵入したのか。どうやって門番をやり過ごしたのか」
咲夜はナイフを動かし、プレッシャーを与えながら男から情報を引き出そうとする。
だが、男の声色には一切の恐怖は混じっていない。
「私の質問に答えてはくれないのか?」
「私の質問と同じなのだから、私が答えられる道理はありません」
男はナイフに恐怖しない。
このような小娘が刃物をちらつかせたところで、特に危険は無い―――とでも思っているのだろうか。
おそらくこの男は、私の能力を知らないのだろう。
でなければ、ここまでの余裕を見せることは無い。
男は咲夜の返答を訊いてから、「なるほど」と言い、何かを一人で納得した。
そして、続けて言った。
「ならば質問を変えよう。なぜ門番に負けた私が、いつまでも拘束されているのだ」
「……なんですって?」
負けた?
この男は美鈴に負けたというのか。
ならば、何故。
「何故敗者であるはずのあなたが、この館に侵入できたというのですか?門番は健在なのでしょう?」
「侵入も糞もないではないか。私はその門番に館へ向けて投げ飛ばされたと言うのに」
咲夜は、文字通り固まった。
なにか、美鈴へと抱いていた大切な何かが音を立てて崩れたような気がする。
レミリアは隣で忍び笑いをしていた。
恐らく呆れているのだろう。咲夜は呆れを通り越して怒りがこみ上げて来ていたが。
「……咲夜、美鈴に仕置きをしてきなさい」
「は、はい。ただちに」
少々頭に血が上った咲夜は、レミリアの許可に感謝した。
今回はちょっと本気で折檻してやろう。
それはもう、泣き喚き許しを請うくらいに。
時を止めようとして、ハッと気がついた。
「お嬢様、この者の処遇はいかがいたしましょう」
レミリアは人差し指を立て左右に振りながら、チッチッチとわざとらしく舌打ちをした。
「私はこの男が本当になにもしていないかを調べるわ。科学的に」
「科学的に……ですか?」
およそレミリアらしくない言葉を聞き、咲夜は思わず訊き返してしまった。
レミリアはフンと鼻を鳴らしてから語気を強めて言う。
「そう、科学的によ!わかったらあなたはすぐに美鈴をスナイプしに行きなさい!」
「わかりました」
レミリアの言動がおかしいのが少々気になるが、主の言葉は最優先だ。
咲夜は賊を任せ、再び時を止めた。
そして、音をたてないように静かに扉から廊下に出た。
時が止まっていても、咲夜はどこまでも瀟洒なのだった。
~~~~~~~~~~
一度部屋に戻りナイフをそろえてから、咲夜は館の外に出た。
普段は美鈴の手入れが施された花々の彩りが美しいのだが、今はモノクロームの世界へと変貌している。
紫陽花の花々を急ぎ足で横切り、正門前へとたどり着く。
閉められた門の向こう側では、美鈴がチルノと談笑している状態のまま止まっていた。
何とも楽しそうな顔で話している二人を見て、咲夜の怒りは頂点に達した。
あんな情けない失敗をしておいて。私の期待を裏切って。
何事も無かったかのように会話して!
気がついたら咲夜は、ナイフを投げて時を動かし始めていた。
時を動かすのは、そうしないとナイフが飛んでいかないからだ。
あくまで動けるのは咲夜と、咲夜が動かすものだけなのである。
美鈴は、時が動き出した瞬間に反応し、チルノを庇って地面に伏せた。
いい判断だ。あれなら、チルノと自分自身を同時に護ることができる。
美鈴はやはりいい門番だ。
そう思ってしまったことで、咲夜の怒りはさらに増すことになった。
ツカツカと、わざとらしく足音を立てて倒れた二人に近づく。
「……良く避けたわね、美鈴」
美鈴は、声をかけると同時に飛び起きた。
苦笑いをしながらこちらを見ている。
「あら、咲夜さん。今はお嬢様のティータイムのはずですが、お仕事はよろしいので?」
「今日のお嬢様はお目覚めになられるのが遅かったの。だから先ほど、遅めの昼食を取られたばかり。ティータイムなんてまだまだ先の話ですわ」
聞かされた美鈴は明らかに顔をしかめた。
なんだ、何が不満だというのだ。
失敗をしたのは美鈴の方の癖に。
これは、食事抜きどころろ話ではない。
『一晩妹様の遊び相手』くらいはやってもらわなくては。
「な……なによ、あんた……めーりんをいじめるんじゃないわよぉ!」
ようやく起きあがったチルノが、こちらを指さしてなにやら喚いている。
沸々と煮えたぎる憤怒の感情は、外野からの一言でさらに燃え上がった。
「咲夜さん……折檻は受けますから、せめてチルノを返してあげられませんかね?」
「そうしたいけど、その妖精は離れる気がないみたいよ」
がるるるると唸るチルノもまとめて狙いに入れる。
チルノをかばってくれた方が、こちらはやりやすいというものだ。
その隙に鳩尾に数発ぶち込んで悶絶させてくれる。
「面倒だから、まとめて折檻してあげるわ」
「だから咲夜さん……それは駄目ですってば!」
美鈴はここで初めて戦闘態勢になった。
といっても、こちらに向かってくるつもりはないのだろう。
足を開き、どっしりと構える美鈴。両手は手刀を作っている。
美鈴は本気ではないのだろう。
本人は折檻を受けるつもりなのだから、それはある意味当然でもあった。
だが、チルノのことは護るつもりのようだ。
だからこその防御の姿勢。
あちらから向かってこないのなら好都合だ。
咲夜は時を止め、ゆっくりと動き出した。
まずはナイフを正面に五本。
次は美鈴の右側に回り込み三本。
同様に左側に三本設置した。
簡単には終わらせてやらない。
下手に近づけば時が動き出した瞬間に反撃を受ける可能性があるが、今回はチルノが居るのでそちらを人質にとれば簡単に終わる。
だが、咲夜はすぐにこの抵抗を終わらせるつもりはなかった。
もう、お仕置きは始まっているのだ。
咲夜は、美鈴が精神的に辛くなるように三方位からのナイフ攻撃を仕掛け、時を動かした。
止まっていたナイフが色を取り戻し、美鈴へ向けて動き始める。
ナイフより遅く動き始めたはずの美鈴は、しかし人間には不可能な早さで左右のナイフを同時に弾いた。
一瞬遅れて飛んできた正面のナイフも、足で弾こうとする。
しかし、左右の間隔が広く開いている五本のナイフを、右足一本で弾き切ることはできなかった。
まずは、腹。
内臓にダメージを与え、動きを鈍くさせる。
手足へのダメージは最小限に。
明日もここに立ってもらわねばならないのだ。
……いや、この後の仕置きの内容によっては、明日は楽しい休暇ということになるが。
咲夜が勝利を確信した瞬間、美鈴の背後から何かが飛んできて、残り二本のナイフを弾き落とした。
鋭くとがった氷の塊が、ナイフとともに地面に刺さっている。
空を見上げると、美鈴の背後にチルノが飛んでいた。
「あんた……あたいの友達になんてことするのよっ!!」
咲夜はチルノを、『美鈴の動きを鈍らせる的』から、『標的』へとランクをあげた。
飛んでいるのが標的なら、全力で潰さねばなるまい。
新たな標的は、再び氷を作りだし、こちらへ向けて投げ飛ばしてきた。
「っっうりゃああああぁぁぁあっぁ!」
今度のは、丸い氷塊だった。
先ほどの物よりも大きく、まともにあたったら気絶くらいはするだろう代物だ。
咲夜は、チルノの投げはなった氷を避けるのではなく、あえて蹴り飛ばすことを選んだ。
「……ふん」
サマーソルトの要領で、氷塊を思い切り蹴りあげる。
氷塊はその場で粉々に砕け、破片は飛び散り四散した。
これだけ粉々なら、館の方へ飛び散っても被害はあるまい。
ご自慢の能力で作りだした氷がいともたやすく壊された気分はどう?
咲夜がチルノのを見ると、チルノは新しい氷を作っている最中だった。
なんだ、せっかく精神的なショックを与えてやろうと思ったのに。
咲夜は無言で新たなナイフを取り出した。
美鈴もそれを見て、再び構えなおす。
美鈴はうっすらと笑っていた。
全身からは力があふれ出していて、何とも力強い。
その姿勢を、何故もう少し門番の仕事へと向けてやれないのか。
もう一度ナイフを投げてやろうと咲夜が思った。
その瞬間。
―――紅魔館は爆発した。
「―――!?」
「―――っな!?」
「え、えぇええ!?」
三者三様の叫び声が、爆音にかき消される。
そして、三人は湖へと吹き飛ばされた。
咲夜は飛ばされながらも、咄嗟に時を止めた。
動く物は咲夜だけとなり、強烈な爆風も完全に動きを止める。
姿勢を立てなおした咲夜は、すぐさま紅魔館を確認した。
すでにそこに館はなく、きのこ型の黒煙が立ち上っていた。
瓦礫となった紅魔館を見て、瀟洒で通っている十六夜咲夜も放心してしまった。
混乱する脳から、言葉が一つだけ溢れ出た。
「何が……起こったの……?」
3、レミリア・スカーレットの場合
ジェームズは待っていた。
小屋の扉に狙いをつけて、暗闇で待っていた。
木製のボロい扉の影には、ダイアナとジョニィが今か今かと待ちかまえている。
ライフルの照準を少しずらし、部屋の中央を見た。
そこには三人の黒服の男が、麻のロープで縛られ、横たわっていた。
口には猿ぐつわがはめられ、声を上げることも許されない。
この位置からは見えないが、ロックが三人にS&Wを突き付けているはずだ。
本当に、ジョナサンは来るのだろうか。
今更になってそんな不安が心を占めていた。
いや、この情報に間違いは無いはずだ。
ロックの情報は的確だ。今までに何度も危機を救ってもらっている。
ジョナサンは間違いなく、この小屋に来るはずだ。
国内での最後の取引をするために。
最後の高性能時限爆弾を金に変えるために。
そこを、叩く。
俺たちを舐めてかかったことを後悔させてやる。
ダイアナが自白剤を持っているし、ジョニィは近接戦闘のエキスパート。
加えてこの位置からの麻酔銃での狙撃。
完璧だ。
これでようやく、マリーを救える。
なんとしてもジョナサンから、マリーの監禁場所と、爆弾の解除コードを聞き出さねばならない。
そのためなら俺は悪魔にでもなろう。
それにしても、屋根裏というものはジメジメして嫌なものだ。
全てが終わったら、マリーと我が家へ帰って、熱いシャワーを浴びたい。
そしてキングサイズのふかふかのベッドに横たわって、死体のように眠ろう。
明日はきっといつもの一日が待っている。
未来に想いを馳せていると、トランシーバーからベックの声が流れた。
「黒塗りのベンツだ。小屋に向かっているぞ」
奴だ。
ついに来やがったか、ここで引導を渡してやる。
殺してはやらない。ジョナサンにはニュービリビット刑務所の天井のシミの数を数えてもらおう。
そして、全世界の被害者の前で、法による裁きを受けさせてやるのだ。
俺が貴様にお似合いの棺桶を用意してやる!
ノック音が三回響く。
全員が息をのみ、緊張が走った。
コン コン コン
「うえっ!?、あ、何?」
三回のノック音で、レミリア・スカーレットの意識は現実へと戻って来た。
あまりに驚いたので、読んでいた本を落としてしまう。
分厚い文庫本には、『科学捜査官ジェームズの事件簿』という表題が書かれている。
「咲夜です。お嬢様、そろそろお昼の時間にいたしませんか?」
「わ、わかったわ、今出るからちょっと待ってて」
すぐさま出ようとして気がついた。
まだ寝間着のままではないか。
これはいかんと慌ててクローゼットをひっくり返す。
普段着を取り出し、寝間着をベッドの上に放り投げ、急いで着替えた。
何事も無かったかの様に外に出るまで、かれこれ五分はかかってしまった。
「さあ、行きましょう咲夜」
「はい。参りましょう」
何事も無かったかのように、優雅に見えるように努めた。
決して、急ぎすぎて汗をかいたことを悟られてはならない。
なんというか恥ずかしいし、なにより貴族らしくない。
もっと高潔な姿こそ、自分には似合っているのだ。
それにしても、この本は大当たりだった。
元々あまり活字を読む方ではないのだが、このハラハラドキドキのスリルは小説ならではのものだろう。
かつてここまで物語の続きが気になったことは無い。
それにしてもジョナサンはなんて卑怯な男なのだろうか。
捜査官の動きを封じるために、捜査官の家族に爆弾を埋め込むだなんて。
爆弾が埋め込まれているという事実に金属探知機で気がついたジェームズも凄いが、捜査官の身元を割り出してあっという間に爆弾を仕込んだジョナサンも凄い男だ。
まさに『出来る悪』だ。
そうだ、悪とは出来る者でなければならない。
ああ、それにしても続きが気になる。
ジョナサンは本当に来るのだろうか。
確かに海外へと高飛びするには大金が必要だろうが、ジョナサン程の男ならそれくらいの資金はすでに持っているのではないだろうか。
レミリアは、本で得た知識を総動員して物語の先を予想していた。
こういった小説は、先読みをすることが面白い。
そして、自分の予想をはるかに超えた結末が飛び出してきて度肝を抜かれた時が、さらに面白いのだ。
すでにレミリアは、小説内で数回ほどその面白さを味わっており、先読みが止まらずにすぐにでも読み進めたい衝動に駆られていた。
それゆえに、食堂の前にたどり着いた時に咲夜に言い放った。
「咲夜、今日は昼食に居なくてもいいわよ」
「……よろしいのですか?」
「大丈夫よ。あなたは他に仕事があるでしょう?そちらをこなしなさい」
「しかし、まだ準備が……」
「あなたのような従者なら、すでに全ての用意が済んでいるわよね?」
あえて、咲夜にさも当然のように言った。
咲夜はそれを聞いて、さも当然のように言った。
「……わかりました。昼食をお楽しみください」
そして、そのセリフを言い終わると共に、一瞬で姿がかき消える。
計画通り。レミリアは心の中でそう呟いた。
扉を開けると、そこには四つのモノがあった。
白いテーブルクロスがかけられた横長のテーブル。
その上に所狭しと並べられた今日の昼食。
豪奢な作りの、座り心地の良いチェア。
そして、友人のパチュリーだった。
レミリアの席の向かい側に座っているパチュリーは、分厚い本をパラリとめくったところだった。
めくった後、チラリとこちらを見てから本に栞を挟む。
本を閉じると、バタンという重低音が周囲に響いた。
「あら、読書はもうおしまい?」
「もともとは、誰かさんが遅いから咲夜に持ってきてもらった本よ」
「悪かったよ」
レミリアの態度は悪びれもせず、口だけである。
まぁ、いつものことだしパチュリーも許してくれるだろう。
根拠の無い自信を溢れさせながら、レミリアは自分の席についた。
そして本を、食事の右隣にドンと置き、栞の挟まったページを開く。
その後、ナプキンを膝に広げてから一言。
「いただきます」
「……いただきます」
チラリとパチュリーの方を見るが、何の反応も無く、無表情だ。
少しは何か言ってくると思っていたが、杞憂だったらしい。
レミリアは、食事をしながら文章を目で追い続けた。
ページを読み終わるたびに食器を置き、パラリとめくってから食事を再開する。
貴族としてこれは許されざる行為であった。下品にもほどがある。
だから、咲夜を遠ざけた。従者に見られて良い行動では決してない。
幻想郷では常識に囚われてはいけないと、どこぞの巫女も言っていたらしいし、別に良いだろう。
貴族の吸血鬼が、スパゲッティーを咀嚼しながら小説を読み進めたって良いだろう。
「…………レミィ、ちょっと」
食事を初めておよそ10分
パチュリーは初めて口を開いた。
流石に注意されるかと思いながら顔をあげる。
「こういう花があったら探しているのだけど」
そう呟くと、パチュリーが先ほどまで読んでいた本が浮き上がり、ひとりでにパラパラとめくれていく。
あっというまに栞の挟んであるページにたどり着くと、レミリアの眼前までフヨフヨと近寄って来た。
どうやらマナーの話ではないと知り、少し安堵しつつも、レミリアは本に描かれたものをみる。
そこには、一輪の白い花が描かれていた。
手書きの絵で、かなり立体感がある。
どこにでもありそうな花なのだが、レミリアはそれを見たことがなかった。
食事を続けながら、レミリアは言う。
「なんていう花?見たことは無いけど……」
「その花は、気温の変化に敏感な薬草でね。新しい実験に必要なのよ」
「そうなの。残念ながら心当たりは無いよ」
「まぁ、最初から期待はしていなかったけれど」
パチュリーがそういうと、本は再び浮き上がり、戻って行った。
それと同時に、レミリアは食事を終えて立ちあがった。
早く部屋に戻ろう。ベッドに転がって続きが読みたい。
「じゃあ、私は部屋に戻る」
「……」
反応を見せない友人。
いつものことなのでそのまま食堂を出た。
咲夜は今頃何をしている頃だろうか。
廊下を歩きながらそんなことを考える。
まぁ、妖精メイドも烏合の衆だし、仕事自体は山積みなのだろうけど。
レミリアは部屋に戻る途中、テラスの前を通り、何の気なしに外を見た。
そこからは、紅魔館の正門が見える。
美鈴は何者かと戦闘中のようだった。大方、力試しに来た挑戦者だろう。
それにしても、派手な服装の相手だ。空色の中華服なんて初めて見た。
立ち止まってしまったことに気がつくと、レミリアは再び歩き出した。
今は、そう、小説だ。
今日のレミリアは、そのことしか頭になかった。
~~~~~~~~~~
「お嬢様、賊を連れてまいりました」
レミリアが小説を読み進めていると、咲夜の声が聞こえてきた。
賊を連れてきた。魔理沙だろうか。
しかし、わざわざ報告に来るほどのことでもないだろうに。
「―――んあぁ、入って頂戴」
少々間延びした、間抜けな声が出てしまった。
流石にだらけすぎだと心の中で戒める。
賊とはいえ、外部の者がここに入るのだ。
せめて吸血鬼としての威厳くらいは見せつけてやらねばなるまい。
そう考えて、軽く身だしなみを整え、座りなおした。
そして、咲夜が入ってきた。
「賊ねぇ。なんでここに連れてきたの?」
「はい。追い返しても良かったのですが、丁度良く気絶しておりましたので。お嬢様の許可が下りれば、食用にでもしようかと」
「あなたも貧乏性ね。私は拾い食いをする趣味は無いわ」
「左様でございますか」
なるほど、納得した。
咲夜には紅魔館の財政管理と食料管理も任せてある。食料である人間が手に入り辛いのだろう。
しかし、血液型がわからない賊の血液など、飲みたくは無い。
私は、私の好きなB型の血液でなければ飲みたくは無いのだ。
だからこそ、入念に血液型を調べ上げた者の血でなければ飲まない。
まぁ、ただの好き嫌いなのだが。
「……あれ、この人間」
見覚えのある服だった。
白いターバンのような布を頭に巻き付け、蒼い中華風の上下を身にまとった筋骨隆々の男。
今はターバンは外れ床に落ちている。
この空色の中華服は……
「この男のことを御存じで?」
「えっと……どこかで……あっ」
思い出して、つい左の手のひらに握った右手を振りおろした。
わざとらしい?言ってればいい。一度やってみたかったんだこういう反応。
「そうだそうだ、さっき正門で美鈴と闘っていた男だ」
「……ということは、美鈴が門を破られたということですか?」
そういうことになる。
が、にわかには信じがたい。
美鈴の肉弾戦での実力は、相当なものだ。
相手が吸血鬼やら鬼やらならともかく、並の人間が簡単に勝てるものではない。
それはレミリアが一番よく知っていた。
万が一この男が美鈴を倒したとしても、なぜ気を失っているのか。
いや、咲夜が気絶させたというのなら納得できるのだが。
目の前で明らかに動揺している咲夜を見る。何を考えているのやら。
恐らく、自分と同じことを考えているに違いないが。
美鈴が負けることはあり得ない。
「まーたなにか難しいことを考えているでしょう?」
「……はい。美鈴が負けるというのが信じられずに。」
やっぱりそうだったか。自分の考えが的中しレミリアは悦に入る。
普段は絶対に表に出さない、咲夜の美鈴への信頼。
部下同士のコミュニケーションが上手く取れていることを感じて、レミリアはつい笑顔になった。
「どうなさいました?」
「いや、なんでもない。ごめんごめん」
笑顔のまま咲夜に返した。
ああ、今の自分の顔は見たくないな。
気持ち悪い顔をしているに違いない。
「―――っぐ、ん……うっ」
そうこうしていると、倒れていた男が声をあげた。
どうやら、目を覚ましたらしい。
男は右手で頭を押さえながら、ゆっくりと上半身を起き上がらせた。
「……?こ、ここは……」
「動かないでください、首が飛びますから」
男がハッキリと意識を取り戻したのを確認して、咲夜が動いた。
次の瞬間、ピクリとも動かなくなる。
どうやら、人間にしてはそこそこに腕が立つようだ。
「……動きはしない、だから一つだけ教えてもらえぬか?」
「どうぞ」
「私はなぜここに居る」
男の言葉に、咲夜が目の前で固まった。
想定外の言葉だったのだろう、無理は無い。
正直レミリアにもさっぱりだった。
「私も訊かせていただきたいですわ。なぜあなたは窓を打ち破りこの館に侵入したのか。どうやって門番をやり過ごしたのか」
咲夜はナイフを動かし、プレッシャーを与えながら男から情報を引き出そうとしている。
だが、男の声色には一切の恐怖は混じっていない。
「私の質問に答えてはくれないのか?」
「私の質問と同じなのだから、私が答えられる道理はありません」
男の態度は堂々としたものだった。昏倒していたにもかかわらず、咲夜から情報を引き出そうとしている。
いつ殺されてもおかしくない、圧倒的不利な状況で、男は咲夜と対等に話していた。
男は咲夜の返答を訊いてから、「なるほど」と言い、何かを一人で納得した。
そして、続けて言った。
「ならば質問を変えよう。なぜ門番に負けた私が、いつまでも拘束されているのだ」
「……なんですって?」
やはり、美鈴は男に勝っていたようだ。
ならばなぜ男はここに居るのか。
来客の報告は、全て咲夜に伝わるはずだが。
「何故敗者であるはずのあなたが、この館に侵入できたというのですか?門番は健在なのでしょう?」
「侵入も糞もないではないか。私はその門番に館へ向けて投げ飛ばされたと言うのに」
ああ、なんだそういうことか。
腹の底からこみ上げてくる笑いが抑えきれなかった。
どうやら男はこの館に、文字通り飛び込んできたらしい。
美鈴も馬鹿をやったものだ。これで夕食抜きは確定だ。
いや、それ以上の過酷な仕打ちが待っているに違いない。
それは、額に青筋を立てている咲夜を見れば容易に想像できた。
咲夜も普段からやりすぎなのだ。
ちょっとのミスですぐに夕食を抜こうとする。これはどうかと思う。
美鈴に対する期待の裏返しというのはわかるのだが、これでは失敗の報告をしようという気が無くなってしまうではないか。
美鈴には同情する。小食な私だが、夕食抜きは耐えられない。
「……咲夜、美鈴に仕置きをしてきなさい」
「は、はい。ただちに」
しかし、けじめは必要だ。そうしなければ咲夜も収まりがつかないだろう。
美鈴を気の毒には思うが、失敗は失敗なのだ。
しかし、今回は一体どんな仕打ちを味わうことになるのだろうか。
今度美鈴の元へと赴いて、待遇改善について話し合った方がいいかもしれない。
「お嬢様、この者の処遇はいかがいたしましょう」
すぐに飛び出すかと思った咲夜が、レミリアに尋ねてきた。
流石咲夜だ。頭に血が上っても、必要な事はちゃんとこなす。
調べていない者を食用にはしたくないが、ここまで入りこまれたらただで返すわけにもいくまい。
気の毒だが死んでもらおうか。
そんなことを考えていると、男のターバンが目に入った。
緩んでいたらしく、今は床に落ちてしまっている白い布。
そして、そこから覗く一輪の白い花。
それを見たレミリアは人差し指を立て左右に振りながら、チッチッチとわざとらしく舌打ちをした。
「私はこの男が本当になにもしていないかを調べるわ。科学的に」
「科学的に……ですか?」
科学的にというのは、ジェームズの口癖だ。
レミリアはこのフレーズを少し気にいっている。
「そう、科学的によ!わかったらあなたはすぐに美鈴をスナイプしに行きなさい!」
「わかりました」
咲夜が瞬時に消え去った。
それを見ていた男は茫然としている。
肝が座ったこの男でも、流石に人間が消えるのには驚いたようだ。
「―――さぁ、立て人間。ついてこい」
レミリアはベッドから降りて部屋の出口へと歩き出す。
扉を開こうとした時、背後から男に尋ねられた。
「私を殺さないのか?」
扉を開け放ち、外に出る。
男もちゃんとついてきているようだ。
薄暗い廊下に響く二つの足音。
男はもう一度声をかけてきた。
「どこへ行くんだ?」
声に恐怖が感じられないのは流石と行ったところか。
すでに死を覚悟している。
いいねぇ、ジェームズみたいな男だ。
少し男が気に行ったレミリアは、冗談交じりに答えた。
「博士のところさ」
「は、博士?」
詰まった返答に、レミリアは再び笑う。
今日はなんともおかしな日だ。
門番が賊を門内に投げ飛ばし、メイドが青筋を立てて怒り、友人への土産は自分から来てくれた。
見て居る分には何とも面白い。
「そうさ。優秀な科学捜査官には、天才的な博士が相棒としているものさ」
男は今、どんな顔をしているのだろうか。
想像するだけで楽しい。だから、男の顔は見ない。
科学捜査官気分を味わいながら、レミリアは館の地下へと向かって歩いていった。
~~~~~~~~~~
「パチェ、入るわよ」
聞こえないと知ってはいたが、一応言うだけ言ってから入った。
入り口の小さな扉からは想像できないほどに、この地下図書館は広大だ。
入ってまず目に入るのが、どこまでも続く本棚の山。
本棚の数は、ざっと見ても500はくだらない量があるだろう。
パチェが言うには、実際の本棚の現在数は890個。本の数は1341398冊あるそうだ。
その数字も、今現在は当てにならない。
毎日この図書館の蔵書数は増え続けているのだから。
「おお……」
背後の男も感嘆の声を漏らしている。
無理も無い。初めてこの光景を見た者は皆そうだった。
石造りの階段を下り、本棚の迷路へと入り込む。
パチェのいる場所へ行くためには、この迷路の道順を覚えなければならない。
レミリアは迷路をスイスイと進んだ。
右には本、左にも本。
この中にも、自分をワクワクさせてくれる小説が眠っているのだろうか。
そう考えただけで期待で胸が膨らむ。ここは宝の山だ。
早く読み終わって、またパチェから本を借りることにしよう。
しかし、本の量が少し少ない気がした。
以前はぎっちりと本が詰まっていたような気がしたが、今はところどころに隙間があり、本が傾き倒れている。
まぁ、気のせいだろう。ここの本をパチュリーが読んでいる最中なのかもしれないし。
迷路を歩くこと三分。少し開けた空間に出た。
四方八方を本棚に囲まれたそこには、大きな木製のテーブルと、シックな振り子時計が置かれている。
チクタクチクタクという周期的な音に囲まれて、パチュリー・ノーレッジが使い魔と話をしていた。
「パチェー、ちょっといい?」
「……なによ、珍しいわねレミィ」
パチュリーはなんとも不機嫌そうな声で迎えてくれた。
テーブルの上には散乱した紙と、フラスコやバーナーなどの研究機材。
どうやら、食事の時に言っていた研究が上手くいっていないようだった。
まぁ、こいつさえあれば進展はするのだろうが。
「パチェに土産」
「は?」
レミリアは一言だけ言うと、男の方へ初めて振り返り、首だけで合図した。
パチュリーの方へ行け。ただそれだけを。
男は素直に従い、ゆっくりと歩き出した。
男がレミリアを隣を通り過ぎる時に、レミリアは小さな声で言った。
「花を見せるんだ。そうすればお前は助かる」
男は立ち止まり、振り返った。
レミリアはわざとらしくウィンクをして見せた。
ちょっと小説を意識しすぎただろうか。
男が再び歩き出してから、レミリアはパチュリーに言った。
「貰うものを貰ったら、そいつは館から出してやってくれ。ああ、正門以外のところからで頼む」
正門から出ようものなら、咲夜の折檻に遭遇してしまうからな。
賊が館から出て行くのを見たら、咲夜の心に不満が残るのは間違いない。
それだけ言って、レミリアは踵を返した。
もうここに用は無い。
後は自室でゆっくりさせてもらおう。
「ちょっとレミィ!一体なんなのよ!」
パチェの叫び声が聞こえるが気にしない。
プレゼントというものは、受け取って見てもらうまで秘密だから味があるのだ。
右手をあげて左右に振ってやる。
親愛なる我が友人よ。どうか君に幸あらんことを。
レミリアはそのまま、地下図書館を後にした。
~~~~~~~~~~
「よっこらしょっと」
レミリアはベッドの上に座り、本を手に取った。
後はクライマックスだけだ。どのような内容なのだろう。
自分が予想した結末を上回っているのだろうか。
それとも、ありきたりなハッピーエンドで終わるのだろうか。
レミリアは栞を外し、本を読み始めた。
駄目だ、もう時間が無い。
すでに爆弾のタイマーは一分を切っていた。
「ああ、ジェームズ!あなただけでも逃げて!」
「馬鹿を言うな。お前を置いて行けるか!」
マリーが泣きながら懇願している。
くそっ、手錠さえ壊す時間があれば、こんな理不尽な選択を迫られはしなかったのに!
爆弾のタイマー部分から、発火装置へと伸びている二本のコード。
赤のコードと、青のコード。
どちらか片方、間違えた方を切ってしまったら、その瞬間に爆発するに違いない。
ジョナサンめ、とんだ置き土産だ!
三十秒を切った。
もう、悩む時間も無い。
結局、マリーを助けるにはどちらかを切るしかないのだ。
科学捜査官ともあろう者が、最後の最後で運に頼ることになるとは。
「マリー、お前を愛している」
「ああ、ジェームズ!」
マリーの涙を指先で掬い、そっと口づけた。
貪るようなキスなんていらない。
この唇で、彼女の存在を感じられるだけでよかった。
これでもう、悔いはない。
十字を切り、生まれて初めて神に祈った。
天にまします我らが神よ、どうかマリーをお救いください……!
タイマーが十秒を切る。
ペンチを手に取り、二本のコードを見た。
この選択に、俺の運命がかかっている。
ジェームズはペンチを、青のコードへと噛ませた。
後は力を込めるだけで、決断できる。
残り三秒。
迷うな、恐れるな、行け!
残り二秒。
ジェームズは右手に力を込めた。
残り一秒。
青のコードは、あっけなく切断された。
その瞬間。
―――紅魔館は爆発した。
4、パチュリー・ノーレッジの場合
パチュリーは一人、食堂の椅子に座っていた。
手には一冊の分厚い本。
それは植物図鑑だった。
早急にだ。
早急に見つけ出さなければならない。
植物でも鉱物でも、触媒になれば何でもよかった。
ただ二つ、「温度に過敏に反応する」という性質と、「触媒としての適応力が高い」という性質。
それだけを求めて、パチュリーは本を開いていた。
そして、あるページで発見した。
幻想郷に今の時期に咲いている可能性がある、触媒として適切な白い花を。
これだ。これがあれば、ようやく作ることができる。
秘密兵器を。
そう考えたところで、食堂の扉が音を立てて開かれた。
本から目を離し、館の主の姿を確認する。
友人である吸血鬼、レミリア・スカーレットだ。
ふと香りを感じて下を見ると、いつの間にか食事が並んでいた。
咲夜の仕業だろう。こんなことができるのは、幻想郷広しと言えども咲夜くらいのものだ。
本に栞を挟んでから、バタンという音をたてて本を閉じた。
遅くなったが、昼食の時間だ。
最近は体力をつけるために、積極的に食事をとることにしている。
効果のほどは、さほど悪くは無いといったところか。
「あら、読書はもうおしまい?」
「もともとは、誰かさんが遅いから咲夜に持ってきてもらった本よ」
「悪かったよ」
レミリアの態度は悪びれもせず、口だけである。それはわかっていた。
おおかた、『いつものことだし許してくれるだろう』程度のことしか考えていないに違いない。
レミリアは右手に大きな本を持っており、パチュリーはすぐに貸した小説だと気がついた。
レミリアは本を食事の右隣に置き、栞の挟まったページを開く。
その後、ナプキンを膝に広げた。
「いただきます」
「……いただきます」
レミリアはチラリとこちらを見てから食べ始めた。
貴族としての後ろめたさを感じて居るなら、食事中には読まなければいいものを。
そうは思ったが、本を勧めたのはこちらだ。
一度ハマるとドップリな事を忘れて、レミリアにあの本を勧めたこちらにも少なからず非はあるだろう。
だから、咲夜には言うつもりはなかった。
レミリアは、食事をしながら文章を目で追い続けている。
まったく、呆れるほどの集中力だ。普段からあれの一割くらいの集中を出していれば、もう少しは威厳も上がるだろうに。
こんなシーンを咲夜が見たら、威厳もへったくれも無くなることは目に見えていたが。
貴族の吸血鬼が、スパゲッティーを咀嚼しながら小説を読み進める世界など、幻想郷くらいのものだろう。
珍しいものを見れて良しとすることにした。
そしてパチュリーは、先ほどの白い花のことを思い出した。
まぁ、聞いても無駄だとはわかっているが、万が一ということもあると思った。
何もしなければ可能性はゼロだが、何かすれば可能性は上がるかもしれない。
「…………レミィ、ちょっと」
パチュリーは口を開いた。
レミリアはおっかなびっくりと言った感じに首を上げる。
そんなにビクビクしなくても、別に小説のことは何も言わないのに。
「こういう花があったら探しているのだけど」
パチュリーが先ほどまで読んでいた本を操り、先ほどの花のページまでめくった。
そしてそれを、レミリアの眼前まで魔法で運ぶ。
レミリアは始めはうろたえていたが、小説の話ではないとわかると、ゆっくりと口を開いた。
ただし、食事は続けたままだが。
「なんていう花?見たことは無いけど……」
「その花は、気温の変化に敏感な薬草でね。新しい実験に必要なのよ」
「そうなの。残念ながら心当たりは無いよ」
「まぁ、最初から期待はしていなかったけれど」
一瞬でも期待しながら見せてしまった二分前の自分が恨めしい。
こういう結果になることはわかりきっていたのに、無駄な魔力を使ってしまった。
ため息をついていると、レミリアは立ちあがり、本を手に取った。
「じゃあ、私は部屋に戻る」
「……」
いつものことながら、レミリアは完全にハマっていた。
部屋に戻って続きを読むのだろう。
こちらをチラチラを確認しながら、逃げるように食堂から出て行った。
とたんに訪れる静寂。
もう、目の前のテーブルから響く食器の音もしなくなってしまった。
「ごちそうさま」
レミリアが食堂から出ていってからおよそ五分。
ゆっくりと食べ終わったパチュリーは、のっそりと立ち上がり、気だるそうに食堂を後にした。
まずは、触媒を使う直前までのサンプルを作ろう。
そして、経過を観察をしよう。
そう心に決めて、パチュリーは階段を降り、地下図書館へと向かった。
~~~~~~~~~~
紅魔館地下図書館
紅魔館お抱えの魔女であるパチュリーの住処にして実験場。
今日もここでは、とある実験の準備が進められていた。
パチュリーは、大きな木製のテーブルの上に実験機材を並べている。
もちろん全て魔法でだ。
力が無いからというよりも、この方が早くでき、楽だからである。
指を振るごとに、機材はテーブルに上に並んでいく。
設置されたバーナーには火が点き、炎の先には緑色の液体が入ったフラスコが浮いている。
そこに、次々と入れられる無数の調合素材。
黄色の粉や、赤い花、蒼い液体、何かの尻尾。
素材が入るたびに液体の色は変化した。
素材を全て入れ終わった時には、液体は白濁色になっていた。
「……ふぅ」
「何をしていらっしゃるのですか?」
試作品を作り一息ついたパチュリーは、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには一匹の悪魔が居た。
数年前に魔界へ観光旅行に行った時にスカウトした、パチュリーの助手である。
「うわぁ、凄い魔力」
助手は、目を輝かせながらフラスコの中身を覗いている。
子供のようにはしゃいでいる姿を見て、自然とため息をついてしまった。
「これ一体なんなんですか!?エリクサーの一種ですか!?」
息を荒げてこちらへと振り向く助手。
興奮しているようだ。そんなに珍しいものを作ったつもりはないのだが。
「ただの爆薬よ」
「ば、爆薬ですか?」
「そうよ。ちょっとばかり細工はしてあるけれど」
パチュリーはテーブルに近づき、フラスコを手にとって眺める。
そして助手へと向き合った。
「そうね。じゃあ、この爆薬の説明がてら、いくつか質問しようかしら」
「またですかー!?すっきりと教えてくださいよー!」
「あなたは助手でしょう?私のやっていることくらい、自分の力で理解しなければ駄目よ」
「う~~」
パチュリーはフラスコを差し出す。
受け取った助手は、様々な角度から観察を始めた。
「質問その一。光が自分に向かって照射されている。自分の位置を変えずに光に照らされないようにしたい。どうすればいいと思う?」
「え、えっと……光源の照射角度を変えるとか」
「……それ以外の方法で」
「え!?ええと、えっと」
この子は、頭が良いのに考えがズレているから困る。
光源の向き自体を変えられるなら最初からそうしている。
これは、光が自分に向かってくるという前提で考えないと駄目だというのに。
「……光の角度が変わるのは、反射か屈折が一般的です」
「そうね。じゃあ、光の反射と屈折の具体例をあげてみなさい」
「具体例……鏡で光が反射するとか?」
「そうね。屈折の方は?」
「水に棒を入れると、棒が少し曲がって見えるとかですかね」
「そうね、それらが一般的だわ」
パチュリーは、助手が順序良く理解していることを確認しながらしゃべり続けた。
「もう一つ質問ね。水に棒を浸すと光の屈折が起こるのはなぜ?」
「確か、温度差ですよね」
「そのとおり。空気中の温度と水の温度の差が、光を屈折させるのよ」
滑らかな助手の返答に満足するパチュリー。
魔法使いは研究者であり、科学者だ。
科学的に証明が為された時、魔法は科学と名を変える。
魔力という、原理不明のエネルギーを使い、感じ、行使するのが魔法使いだ。
パチュリー自身は精霊という、実際に見ることも存在を証明することもできない者の力を借りていたりもする。
捨食・捨虫の魔法という、人体の構成や寿命自体を変化させる魔法も存在する。
しかしそれすらも、原理や構造が明確にされた瞬間からは科学と呼ばれるようになるのだ。
入れておくだけで水がお湯に変化する瓶は魔法瓶と呼ばれている。
そういうことなのだ。
魔法と科学は密接な関係にある。
魔法使いが科学を利用しないなんてことはない。むしろ、毎日のように利用しているのだ。
助手として科学の最低限の知識はつけておいてもらわねばならない。
「私は研究の末、光を通常の2倍屈折させる気体を製造することができたわ」
「あー、この間大はしゃぎで喜んでいましたね」
「その大はしゃぎという言い方、気に食わないわね。まるで私が餓鬼のようじゃない」
「私としては微笑ましかったのですが」
ニヤニヤ顔の助手を睨みつける。
しかし、顔のニヤケは取れることが無い。
なんだ、良いではないか喜んでも。
私がやったあと叫ぶことは、そんなにも悪いことなのか。
「……話がそれたわね。ともかく、あなたの持っているその爆薬が私のここ最近の研究成果よ」
「え、爆薬ですよね?屈折とか気体とかとなんの関係があるんですか?」
「その爆薬が爆発すると、屈折の気体が発生するようになっているのよ」
「ああなるほど」と呟きながら、助手はもう一度フラスコを覗いていた。
あの白濁色の液体が、パチュリーの秘密兵器だ。
まだ完成ではないのが口惜しい。
一刻も早く完成させなければならないというのに。
「―――あっ、あああそうか!わかった!」
助手は突然大声を張り上げた。
パチュリーへと向き直り、フラスコを揺らしながら叫ぶ。
「これ、これが白黒の、マスタースパーク対策ですか!」
「……ビンゴ」
先ほどの助手の顔に負けないくらいのニヤケ顔になるパチュリー。
真意を汲みとれたことが相当嬉しいのか、助手はフラスコをさらに注意深く観察していた。
そう、パチュリーが光を屈折させようと爆薬を作り始めたのには理由がある。
理由というか、原因。むしろ、元凶がいる。
その元凶の名は、霧雨魔理沙という名前だった。
魔理沙は、以前から図書館の蔵書を勝手に持ち出していた。
死んだら返す死んだら返すと言い続け、一度現れるとニ十冊は蔵書が消えていたのだ。
しかしパチュリーは、それを本気で止めることは無かった。
読みかけの本を持っていかれたり、研究に必要な本を持っていかれたりしたので、少々イラつくことはあった。
しかし、それだってほんの百年程度で終わることだ。
パチュリーの研究は、自身の知識欲を満足させるために行うことがほとんどであり、必須と言える研究は全体の一割にも満たない。
だからこそ、『まぁ、魔理沙が死んでからでもいいか』程度の認識で、研究を後回しにしていたのだ。
しかし、ある日その考えは一変する。
その日、魔理沙が珍しく本を返しに来たのだ。
パチュリーは「槍でも降るのかしら」などと茶化しながら、十冊の本を回収した。
まぁ、魔理沙はその日十五冊の本を持って行ったので、結局蔵書量は減少したのだが。
回収した本の中に、パチュリーの研究途中に持ちだされた本があった。
帰って来たことだし、もう魔理沙はこの本を持ち出しはしないだろう。
ならば、この研究を再開することにしよう。
そう思い、その本を開いた。
パチュリーは絶句した。
本の中身は、見るも無残な姿になっていたのだ。
本のほとんどが一度水で濡れたのだろう。ほぼ全てのページが張り付いてしまいめくることができない。
この色と香りは、恐らくオレンジジュースのものだろう。
さらに、張り付いたページのど真ん中が虫に食われ、貫通していた。
表紙は固かったから食べられなかったのだろう。外から見ただけじゃ気がつかなかった。
私が甘かった。
パチュリーは、己の認識の足りなさを深く反省した。
魔理沙には、借りものを大事に扱うという心は欠片もない。
ジュースをこぼし、虫に食われた本を平気で置いて行くほどだ。
いや、魔理沙が、本が虫に食われたという事実を知っているかも怪しい。
一度読んだ本はほっぽり出すのが魔理沙だ。
ジュースをこぼしてから放置し、こぼしたという事実を忘れてから持ってきたとしても不思議ではない。
この時から、パチュリーと魔理沙の戦争は始まった。
現在、42戦2勝40敗。圧倒的に負け越している。
準備を整えた魔法使いに勝てる者はいないとパチュリーは信じている。
しかし、準備万端待っていてもパチュリーは勝てなかった。
それもそうだろう。
魔理沙は侵入したとたん、マスタースパークを図書館全体に乱射するのだ。
ここの本が魔法コーティングされていると知り、それを逆手に取られてしまった。
あの火力を不意打ちで乱射されれば、そりゃいくら準備をしていても勝てるわけがない。
いつも、魔法の詠唱をする前に魔砲に飲み込まれてしまうのだ。
マスタースパークの破壊力は凄まじく、真正面からはとうてい受けきれない。
考えに考えたパチュリーは、ある結論に達した。
受けられないのなら、当たらなければよい。
「これで、どうやってマスタースパークを屈折させるんですか!?」
助手は鼻息を荒げ、パチュリーの返答を待っている。
まるで、親からのバースデープレゼントを心待ちにしている子供のようだ。
パチュリーは、フラスコを助手の手から掴みとった。
「まだ未完成だけど、この爆薬は温度の変化によって爆発するようになるわ」
「温度の変化ですか?」
「そう。爆薬の温度は22度。爆薬自体の温度よりも±20度の温度の物質に触れた瞬間爆発するわ」
フラスコをテーブルの上に置いた。
そして、目を爛々と輝かせる助手の顔を見る。
「爆発した瞬間、例の気体が爆風となって四散し、マスタースパークはその煙の中を通過する。温度差によりマスタースパークは煙の中で屈折、私には当たらずに背後へと消えるわ」
「す……すごい!すごいですよ!」
凄いだろう。と、パチュリーは心の中で胸を張った。
何と言ってもパチュリーの自信作だ。これが完成すれば、不意にマスタースパークを撃たれても対処ができる。
なんといっても、魔法の詠唱時間が必要ないのだ。
液体の入ったシリンダーをマスタースパークへと投げつける。
理論上は、それだけで完全に回避することができる。
不意の一撃さえなんとかできればあとはもう怖いものは無い。
魔法の詠唱さえできれば、あんな力だけの半人前に負ける道理は無いのだ。
「パチュリー様、質問が」
良い気分に浸っていると、助手がそれに水を差した。
なんだ。理解できたのではないのか。
「何?」
「マスタースパークは高温の熱光線です。なんで±20度に設定したんですか?+20度で十分な気がするんですが」
「ああ、そのことね」
当然と言えば当然の疑問だった。
まぁ、この子は外部の情報に疎いし、思い当たらないのも無理はないかとパチュリーは思った。
「魔理沙が、新しい熱魔法を覚えたらしいの。コールドインフェルノっていう、低温の熱魔法よ」
「……あー、納得しました。それ対策でもあるんですね」
「そうよ。情報だけで、どんなものなのか実際に見たことが無いからね」
パチュリーは未だに名前しか知らなかった。
万が一、マスタースパークのような威力とスピードを持っていたら。
そう考えて、マイナスの温度にも対応できるようにしたのだ。
念を入れておいて損をすることはないだろう。
「これで、この図書館も安泰ですね!」
「……そうもいかないのよ」
「え、どういうことですか?」
そう、これで終わりではない。
まだ最大の問題が残っている。
「さっきも言った通り、この爆薬は未完成なのよ。温度の変化に反応する性質が未だに付加されていないわ」
「未完成……なるほど。温度変化への反応は、今回のキモですからね」
そうなのだ。
その性質が無い限り、この爆薬に利用価値はない。
「パチェー、ちょっといい?」
「……なによ、珍しいわねレミィ」
そのとき、なんとも珍しい来客が現れた。
紅魔館の主、レミリア・スカーレット。
普段は咲夜を使って自分の部屋に呼び出す癖に、今日はわざわざ自分から現れた。
この忙しい時に一体何だというのだ。
これから触媒の薬草を探しに出ねばならないというのに。
「パチェに土産」
「は?」
レミリアは一言だけ言うと、背後へ振り返った。
よく見ると、レミリアの背後には見慣れぬ男が立っている。
どうやら男に『前に出ろ』という合図をしているようだ。
男はそれに従い、こちらへと歩いてきた。
レミリアの隣を通る時、突然男は立ち止まり、レミリアの方を見た。
レミリアは何やらウィンクしている。似合わないものだ。
男が再び歩き出してから、レミリアは言った。
「貰うものを貰ったら、そいつは館から出してやって頂戴。ああ、正門以外のところからで頼むよ」
まったくもって意味がわからない。この男は客人ではないのだろうか。
正門から堂々と出ていけないのだろうか。
そもそも、受け取るものとはいったいなんなのだろうか。
突っ込みどころが多すぎる。
しかしレミリアは、それだけ言って踵を返した。
ツカツカと早足で去ろうとする。
「ちょっとレミィ!一体なんなのよ!」
レミリアは振り返らずに、右手をあげて左右に振りながら去っていった。
かっこつけてるつもりなのだろう。
突然の来訪者は嵐のようにあっという間に去っていった。
残されたのは、人間と思しき一人の男。
白いターバンのような布を頭に巻き付け、筋骨隆々の肉体の上から蒼い中華風の服を纏っている。
男はしばらくこちらを見つめ、その後ターバンに手を突っ込んだ。
しばらくの間もぞもぞと動かし、やがて何かを取り出す。
握られていたのは、一輪の白い花。
パチュリーは己の目を疑った。
「その花、いったいどうしたの?」
すでに、男の素性などどうでもいい。
目の前にある花が、今のパチュリーの関心の全てだった。
「……この花は薬草として優秀だからな。門番への力試しで怪我をしたときのために持ってきたのだ」
門番?力試し?いや、今はそんなことどうでもいい。
さっきレミリアは「貰うものを貰え」と言っていた。
すでにその意味をパチュリーは理解している。
まさか、食堂で本を見せたことが本当に役に立つとは思わなかった。
「この花を見せれば良いと言われたのだが。私の怪我は大したことないし、譲ってもいい。その代わり、ここから出してくれ」
「……交渉成立ね」
パチュリーは背後で控えていた助手へと目配せした。
すぐに理解した助手は、先のレミリアの言葉通りに館の裏手へと男を連れて歩いていった。
途中、こちらを振りかえってガッツポーズをする助手。
そんなことしなくてもわかっているだろう。
私はどこかの半人前と違って、常に全力を尽くす。
「さて、と」
パチュリーは薬草を観察する。
白い花の中には黄色い花弁が収まっており、小さい可憐な花だ。
ひとしきり観察すると、花びらを一枚むしり取ってみる。
そして、指先の温度を次々と変化させていった。
時には熱く、時には冷たく。
そのたびに花びらの色が変化していく。
そうだ、これだ。温度に敏感に反応するこの性質だ。
これで、ついに完成する。
パチュリーは魔女らしい猟奇的な笑みを浮かべながら、原液の入ったフラスコを手に取った。
この図書館内は湿気や塵埃が多すぎる。
できればカラッとした場所で、不純物をあまり入れないように調合したい。
この薬草は、調合素材として使用するときは不純物に敏感だ……と本にも書いてあったのだ。
パチュリーはテラスへと出て調合することにした。
今日は快晴だ。この場所と比べれば湿気も少ないだろうし、塵埃もないだろう。
パチュリーはゆっくりとテラスへ向けて歩き出した。
~~~~~~~~~~
紅魔館のテラス。
正門や霧の湖を一望でき、レミリアのティータイムでも頻繁に使用される。
ちゃんとした天井が設置されているため、レミリアも安心して使用できる数少ない屋外である。
栓をしたフラスコと、例の花。それに乳鉢。
テラスの白いテーブルの上にそれらを並べ、椅子に腰かける。
乳鉢で花をゴリゴリとすりつぶす。意外と重労働だ。
すりつぶした一欠片をフラスコへと入れ、すかさず魔法の呪文を唱える。
一瞬にして欠片は溶け、液体爆薬と混ざりあった。
そして、すりつぶした花の残りを空のビーカーに入れ、蓋をした。
これはこれからも使っていくことになるのだ。
「とりあえず、これで良し……っと」
試作品は完成した。
理論と調合を間違えていなければ、これは実際に使用する物の約500倍の濃度の原液だ。
これから濃度を薄め、実用可能にしていかなければいけないが、ひとまずは完成である。
「……ふぅ」
少々力が抜けてしまった。
気の抜けた自身のため息を聞いて、人間臭い挙動だと感じ、すこし可笑しくなった。
さぁ、後は図書館でやれる。すぐに戻ろう。
立ちあがって、目の前に広がる広大な湖を見た。
爽やかな風が髪を撫ぜ、なんとも清々しい。
風を気持ちいいと感じたのなんて、いつぶりだったろう。
ふと、テラスから地上を見下ろすと、門のそばに数名の人妖が見えた。
咲夜に美鈴に、湖の氷精。
何の気なしに眺めていると、氷精が何かを振りおろし、咲夜は突然バック転をし始めた。
もう夏も間近だというのに、いつまでも脳内春では困る。
ガツン
「いたったぁ!?」
突如おでこに鋭い痛みが広がった。
反射的に手で押さえると、その手にも痛みが走る。
「あたっ!いた、いたいいたいいいたいぃ!」
正面から何か、小石のようなものが降り注いだようだ。
痛みに悶えながらもテラスの床を確認すると、そこには透明に輝く氷の破片。
何故かは知らないが、氷片が飛んできている。
氷片……
氷……
「――ッいけない!」
パチュリーは慌てて振り返り、テーブルの上のフラスコを手にとって屋内へと逃げ込んだ。
栓をせずに置いておくなどという、普段のパチュリーならばあり得ないようなミス。
それさえなければここまで慌てることもなかっただろう。
廊下の壁に背をもたれて、ふぅとため息を一つ。
危なかった。
万が一、氷片などがフラスコに入ってしまったら。
考えただけでもぞっとする。
この液体爆弾の濃度は濃く、爆発すればロイヤルフレアの10倍……いや20倍近い威力だろう。
この館くらい簡単に吹き飛んでしまうのだ。
荒い息が収まってから、手もとのフラスコを再確認する。
栓の役割をしていた左手をどけて、中を良く覗きこみ、観察した。
良かった、どうやら不純物はなにも混ざっていないようだ。
その時、何かが髪の毛から転がり落ちて、フラスコの中に入り込んだ。
ぽちゃん という音を聞いた時には手遅れだった。
「あっ――――」
―――紅魔館は爆発した。
終劇
十六夜咲夜www
展開が読めても面白いw
でも、ちょっと視点が多いような気がしました。
不運が重なってボンッということですが、伏線があまり伏線として思い返せないような印象を持ちました。
う~ん、うまく表現できませんが...結果、少し冗長になったかなあ、と思います。
幻想郷の呑気なところが良く書けてるなぁと思いました
徹頭徹尾面白かったです。
・・・そうか、黒か。
パッチェさんにはぜひ爆薬を完成させて魔理沙をぎゃふんと言わせてもらいたい。
この、「スペカルールを無視しまくり、且つ誰からも咎められない魔理沙」は誰が最初に使い始めたのだろう。
まぁ、二次創作では良くある誤解だし評価点を下げようとは思わないけど、これが原作を無視した設定である事だけは理解してほしい。
とりあえず内容については、オチが最初から見えすぎな所が引っかかったのでこの点を。
と言うことが気になって気になって最後のオチが頭に入ってこなかった