※この話は、前作『いぢわる』(創想話・作品集124)の続編となっております。先にそちらを読んで頂いた方が、より楽しんで頂けるかと思います。
「ん……むぅ。ふわぁ……」
真っ暗な部屋の中、比較的大きなベットの上で霊夢はむくりと上半身を起こした。漏れ出るあくびを抑えず、少し涙ぐんだ目を軽くこする。ぼやけた思考のまま、今にも閉じそうな目で周囲を見まわす。
やがて自分のすぐ隣で眠っている女性を確認すると、安心したのか再び身体を倒した。もぞもぞとその女性に身を寄せて、彼女の胸に顔をうずめ、すぐに穏やかな寝息を立て始める。
「ふふっ……子猫みたいね」
霊夢の寝息を確認してから、幽香は右手をゆっくりと動かして自分の胸元にある霊夢の口に持っていく。少しだけ身を引いてから寝巻の袖で霊夢の緩んだ口元を優しく拭うと、霊夢はむにゃむにゃと寝言を発して胸元に額をこすりつけた。肌蹴た掛け布団をそっとかぶせ、一度だけ霊夢の髪を梳き、そのまま右手は霊夢の背中へとまわす。
そして、自身も再び眠りに落ちた。……その口元は、優しい笑みを湛えている。
丑三つ時。鴉も狐も丸くなって眠っている時刻。外を出歩くのは、もうじき役目を終える夏の風くらい。今夜は夜空の星達でさえも、眠りこけていて見えない。ただ、ぼやけた月の光だけが、やわらかく二人を見守っていた。
○○○○○
とくん、とくん。
私は夢見心地のまま、身を包む柔らかさと微かに耳に伝わる鼓動に身を預けていた。
とくん、とくん。
まるで、次第に私の鼓動も合わさってくるようだ。
私は、ぼうっとした頭で不思議な懐かしさに浸っていた。
しかしやがて息苦しさを感じて目を開けると、視界は真っ暗だった。徐々に靄が晴れて、思考が明瞭になってくる。何か柔らかいものに顔を押し付けられているようだ。
いい加減暑苦しくなってきた。なんとか拘束を逃れようと身を捩ってみる。しかし、頭を抱えられていて抜け出せない。自由な腕を突っ張って、私をとらえているものを押し退けてみる。
「何を暴れてるのよ。おとなしくなさい」
「む……幽香、さっさと離してちょうだい」
「もう少しくらいいいじゃない。まだ日の出前よ」
「いいから、さっさと離せ」
「……照れなくてもいいのよ」
「照れてない! はーやーくー」
「もう、仕方ないわね。……昨日は霊夢の方から来たくせに」
「うっさい! 床で寝るよりはマシだったからよ!」
上体を起こし、隣でにやにやと笑っている幽香を睨みつける。
こいつは昨日、『ベッドは一つしかないから床で良い?』なんて言ってきて、仕方なく私が一緒に寝るようにお願いするまで、ずっとにやけ顔で眺めてたのだ。
この性悪妖怪め、さんざん私をからかいおって……。後で仕返しをしてやろうか。幽香、今に見てろ。
「良く眠れたようだし、いいじゃない」
「良く眠れなかったわよ」
「あんなに気持ち良さそうに寝てたのに?」
「あんたの方が早く寝てたじゃない。 ……もしかして、起きてたの?」
「……そのパジャマちょうど良さそうでよかったわ」
「話を逸らすな」
「似合っていて、可愛いわよ」
言われて、つい自分の寝巻を見る。私が着ているのは、桃色の生地に白のチェック柄というなんとも単純なものだ。一方幽香のものは、生地を水色に変えただけのお揃い。幽香は私より少し背が高いので、サイズは私の方が小さくなっていて、偶然なのかちょうど身体に合っている。
「そういえば、よくこんなサイズがあったわね。しかもお揃いで」
「アリスのお古よ」
「はぁ? なんであんたの家にアリスのお古があんのよ」
「それは、ねぇ……うふふ。何でかしら。アリスにでも聞いてごらんなさい。……ふふっ」
まったく意味が分からない。あんた達は一体どんな関係なのよ。良く分からないけど、なんだか腹が立つなぁ。……アリス、今に見てろ。
「霊夢、こっちにいらっしゃい」
壁に浮き出てきたしたり顔のアリスを軽く睨みつけて追い返していると、いつの間に移動したのか、洗面所の方から幽香に呼ばれた。なんだろう。
「来たわよ。何?」
「寝ぐせがついてるから、直してあげるわ」
「え?」
「ほら、ここに立って」
「……うん。……ありがと」
鏡の奥では、幽香が私の髪を櫛で梳きながら得意げな顔をしている。でも、何も言い返せない。誰かにこんな事をしてもらうのは初めてで、嬉しいような、恥ずかしいような……。
くそう。……アリス、覚悟してなさい。
○○○○○
「じゃあ、約束通りに手伝ってもらうわよ」
朝ごはんを食べ終えて一息ついた頃、幽香が話しかけてきた。そういえば、泊めてもらう代わりに何か手伝う事になっていたわね。
「何をすればいいの?」
「はい、これ。それと、これも……あと……」
麦わら帽子を頭に乗っけられた。それから、軍手、手ぬぐい、草刈鎌を押し付けられる。なんとなく渡された鎌を見ていると、柄に書かれた小さな文字に気付いた。子供が書いたような歪な字で書かれている。
ありす
「だから、あんた達はどんな関係なのよ」
そうこうしている間に幽香はさっさと外に出て行ってしまったので、私も慌てて後を追う。玄関を出ると、強烈な日差しに出迎えられた。つい振り返って見ると、涼しげな部屋の中で本棚が私に向かって妖しげに手招きしている。
おいで……おいで……こっちは、涼しいよ……さあ……おいで……
「やっぱり、読書の秋よね」
「何してるの? 早くいらっしゃい」
家の中へと足を一歩踏み出そうとしたところで、突然玄関の扉に本棚との赤い糸を断ち切らた。幽香に手を引かれて、しぶしぶ歩いて行く。二人とも軍手なのが少し残念だ、と思ったのは秘密。
私の背よりも高い向日葵畑を抜け、広い花畑に出る。そこには、色取り取りの花が無節操に咲いていた。黄、白、薄紅、青緑、赤紫、水色、橙……。まるで地面に直接咲いているかのように見えるものから、私の腰ほどまで伸びているものまである。大きな花弁を持つものから、細かい花の寄り集まったもの、果ては猫耳を付けたものまで。
「何と言うか、ごちゃごちゃしてるわね」
「この一角は自然に任せてあるのよ」
「それにしたって、もう少しまとまって咲くんじゃないの?」
「大方、どこぞの悪戯妖精たちが適当に色んな種をばら撒いたんでしょう。それだって自然の要素だから、放っておいたのよ」
「猫は?」
「そのうち勝手に帰るでしょう」
マタタビでも生えているのか、赤い服を着た化け猫が畑の向こうで転げまわっている。
「それで、私は何をすればいいの?」
「雑草だけを抜いておいて頂戴。根っこごと引っこ抜いても、鎌を使ってもいいから。そうしたら一か所にまとめておいてくれると助かるわ」
「自然に任せるんじゃなかったの?」
「これからの植物の為に場所を作っておくのよ」
「ふーん」
「花が咲いていないものは、抜いてしまっていいから。それと、きっちり全部でなくても、全体的に適当な間隔でいいから。大変そうなのがあったら放っておいて」
「私は向こうで他の仕事をしているから。何かあったら呼んで頂戴」
そう言い残して、幽香は向日葵畑の中へと消えていった。
しかし、暑いわね。いい加減、秋を寄越しなさい。これでは熱中症になってしまう。つい、太陽に抗議の視線を送る。
でもまあ、文句を言っても仕方がない。さっさと作業を始めよう。
草刈鎌は畑の端に置いておく。とりあえず目についた草を引っこ抜き、根から土を落として鎌の近くに放り投げた。
○○○○○
作業を始めてからどれ程経ったか。順調に雑草の山を拵えつつ、首にかけた手ぬぐいで額の汗を吸い取る。だいぶ水分が出て行った気がする。手ぬぐいは汗でびっしょりだ。
もう一度太陽に抗議しようと天を仰いだ時、鋭い日差しと共に天の啓示が舞い降りて来た。
ふむ、熱中症か……。これは、使えるかもしれない。突然のひらめきに、思わず唇が吊りあがる。作戦を、練らなくては……。
刹那、二本の尻尾は一目散に逃げて行った。
○○○○○
「霊夢? 大丈夫!?」
そろそろ少し休憩を挟もうと思って霊夢を呼びに行くと、霊夢はぐったりと地面に横たわっていた。傍に積んである引っこ抜いた雑草の山の脇には、草刈鎌とひっくり返った麦わら帽子が落ちている。
急いで傍に駆け寄り、軽く頬を叩く。霊夢は小さく呻きながら、少しだけ目蓋を開いた。
きっと熱中症だろう。人間の霊夢には、もう少し小まめな休憩が必要だったのか。
反省しながらも、迅速に処置を行う。なめてもらっては困る。この程度でうろたえる私ではない。
「まずは逆さ吊りにして、蝋燭を……」
懐を探るが蝋燭は無い。マスタースパークでは強すぎる……もっと、じわじわと……。
「……ゆ、か。みず……たい」
霊夢の声で我に返る。霊夢は薄眼で私を見上げ、弱弱しく口を開いている。……水? 水が欲しいのね。 ……水筒はあったかしら。
そこでふと自分の手元を見ると、霊夢の足首に鞭を巻きつける途中だった。
「そうだった。早く、逆さ吊りに……」
「……あた、ま……たい」
今度こそ目が覚めた。
私は何を錯乱しているのだ。霊夢の意識があるなら、涼しいところで安静にさせなくては……。慌てて鞭を解き、懐にしまう。水は、家に行かなければ無いわね。
熱中症は、確か首筋や脇を冷やして……。
霊夢の背中と膝の裏を腕で支え、そっと抱きあげる。憎き太陽に視線で復讐を誓い、家へと急いだ。
え? 待って下さいよ! ……僕のせいですか?
困惑顔の太陽をからかうように、草刈鎌がキラリと光る。取り残された麦わら帽子は、仕方なく一人で風に揺れていた。
○○○○○
幽香に抱き上げられ、向日葵の中を運ばれている。途中、腕に水滴がいくつか当たるのを感じた。うっすらと目蓋を開いてみると、幽香は真剣なまなざしで家の方向を見据えている。その額には汗が滲み、頬を伝って顎から滴り落ちていた。
私は必死に唇を緩ませ、頬から力を抜く。油断していると、にやけてしまいそうだ。
大きな振動に身を任せていると、やがて視界が開け、すぐにまた影に覆われた。
「霊夢、大丈夫?」
「……うん」
「水と氷を持って来るわ」
「ま、て。……行かない、で」
「すぐに戻ってくるから、少しだけ待っていて頂戴」
今や大して涼しくもない、けれど太陽はいない家の中。幽香の遠ざかってゆく足音が聞こえる。ベッドの上に仰向けになったまま、こっそりと目を開けてみる。
……よし、幽香はいない。ここまでは計画通りだ。幽香ったら、そうとう慌てていたわね。あとは、こっそりと後ろから近づいて……。ふふっ、幽香の驚く顔が目に浮かぶわ。
崩れる表情もそのままに、静かにベッドから起き上がり、台所へと向かう。居間の入口から少しだけ顔を出して、台所の様子を窺う。
……しかし、そこには誰もいなかった。
あれ? 幽香はどこに――。
「うひゃう!」
突然首筋に冷たいものが当たり、心臓が飛び上がった。慌てて後ろを振り向くと、幽香が氷水の入った透明なコップを左手に持って、にっこりと微笑んでいる。右手には水の滴る氷が一つ。
……な、なんで幽香が私の後ろに? さっき部屋を出て行ったばかりなのに……。
「霊夢?」
「……な、なによ」
「やっぱり、嘘だったのね」
「やっぱり、って……気付いてたの?」
「むしろ、私が気付かないとでも思っていたのかしら?」
まさか、見抜かれていたの? だけど、さっきはあんなに慌てていたのに……。混乱して、物騒な事を口走って……。もし私の方から声を掛けなかったら一体何をされていたことか。あれは全部幽香の演技で、騙されていたのは私の方だったというの?
「そういうことよ。さて、覚悟はいいかしら?」
そう言って、幽香は手に持った氷を冷や汗をかいたコップに落とし、それを床に置いた。ことん、という硬く鋭い音が廊下に響く。
「さあ、歯をくいしばりなさい」
幽香は私の前に立ちはだかり、拳を引いた。口元の優しげな微笑みとは裏腹に、細められた目は獲物を見つけた獅子の様だ。さらに幻覚だろうか、幽香の背後には靄のようなものが微かに揺らめいている。
「ちょ、ちょっと待って! なにも、そこまでしなくても――」
「そのままでいいの? 舌が切れるわよ」
言うと同時に拳が飛んできた。……私は思わず目をつぶり、身を硬くして衝撃に備えた。
すると次の瞬間、予想通りのタイミングで、思いもしない方向から攻撃はやって来た。それは全方位から、私を包み込むように……。
……気付くと私は、柔らかく温かい拘束に捕らわれていた。
「……え? 幽香?」
私は驚いて目を開けた。しかし、私の頭は幽香の腕に抱えられていて、今朝のように視界は閉ざされている。
幽香は私を抱きしめたまま、ぽつりと呟いた。
「嘘で、よかったわ」
心配してくれてたの? 本当は、気付いて無かったの?
私が混乱していると、不意に拘束を解かれ、額に鈍い痛みが走る。幽香に、でこぴんをされたようだ。
幽香は、じっと私を見つめながら、額を弾いた手を私の頬に添えた。
「……いじわる」
幽香のその一言に、私の中で何かが目覚めた。
ゆうかれいむひゃっほい!
けど幽香ママとアリスはどないな関係なのか…
いじわるっ子は良いものです。