天界に存在する比那名居の屋敷。
その一室にて、二人の少女がお互いを見つめるように座っている。
蒼く長い髪をふわりと揺らし、いつになく真剣な表情で、比那名居天子は紅の瞳を目の前の女性に向けていた。
女性は、居住まいを正して静かに瞑目する。藤色のセミロングの間からのぞく瞳は閉じられ、ただ静かに少女の言葉を待っている。
「衣玖」
鈴を転がしたような美しい声、少女らしい音質の中に凛々しさを交えながら、比那名居天子は女性の名を呼んだ。
女性、永江衣玖はその声を聞いても身じろぎひとつせず、ただ「はい」と一言の言葉を返すのみ。
しゃんとした姿勢は崩れることはなく、それだけで彼女がいかに少女の言葉を真面目に聞こうとしているのかが伺える。
「この話、あなたの決断力が試されるわ」
有無を言わせぬ言葉。すでに彼女に選択権はないのだと、そう語りかける声。
そんな言葉にも、永江衣玖は静かに頷いた。
表情を変えることはなく、けれどもどこか優しさが垣間見える、そんな顔で。
「ケツ弾力ですね。わかりました、ではさっそく―――」
「ちげぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?」
おもむろに立ち上がってスカートを脱ごうとしたもんだから、天子から盛大にハリセンの洗礼を受けることになったのであった。マル。
スパァンッという空気の弾ける様な響き渡り、古風なお笑いのツッコミアイテムはもれなく衣玖の顔面を打ち抜く。
顔面を打たれてヒリヒリと痛む場所を押さえつつ、衣玖は不思議そうな表情で長い付き合いになる彼女を見た。
「チゲ? なるほど、今日は鍋ですね」
「だから違うってば!! あんた、それわざとやってるでしょ!!?」
ムガーっと怒りを顕にする天子の様子を、きょとんとした様子で首を傾げる衣玖を見れば、なぜ彼女が怒っているのか理解できていないのがよくわかることだろう。
そんな衣玖を見て、怒るのが馬鹿らしくなったのか天子はため息をつきながら元の位置に座った。
「……はぁ、あんたは本当にどうしてこう……妙なところでずれてるのかしらね」
「総領娘様、ケツ弾力は?」
「いや、だからそれ違うってば。いいから座れ」
促されて、どこか納得がいっていない風だったが、それでも彼女は言われるがままに元の場所に座る。
小さく、ため息をひとつ。
何事にもまじめで礼儀正しいのはいいのだけれど、この時折かます天然ボケはどうにかならないものか。
天子もまぁ、それは彼女の個性だと思うようにしてはいるのだけれど、だからってそれが気にならないなんてことはないわけで。
「あんたさ、よくそんなんで竜宮の使いが務まるわね。まじめだけどめんどくさがりだし、変なところでボケるし」
「そうは言われましても……面接では5秒でOKが出たのですが」
「え、何、面接? 竜宮の使いって面接でなれるもんなの? ていうか面接5秒でOKとか仕事しなさいよ面接官」
「面接官は龍神様でしたけど?」
「うん、もうだめだわこの世界」
「いや、まあそれはともかく」といったんそこで言葉を止め、天子は小さくため息をこぼす。
本題はそんなことじゃないのだ。
危うく本来の話題を忘れてしまうところだったと、自分のうかつさを呪うと同時に彼女のペースに振り回される自分が虚しくなってきた。
「衣玖、あなたは今度の宴会どう思う?」
「コンドル転回Do思う……?」
「よし、今から寺小屋行って言葉の勉強してきましょう。いやマジで。できれば聞き取りのほうを」
「失敬な。総領娘様、お言葉ですが私はそんなに言葉に不自由ではありません」
「不自由してるから言ってるんでしょうが!! もしくは耳鼻科行け!!」
「はて? ……先ほど打たれた鼻のほうは特に異常はありませんが……」
「耳のほうよ!!」
思いっきりツッコミを一ついれ、話が進まないと悟ったのかそれ以上は何も言わない。
はぁっと深いため息をついた天子を見て、衣玖はむにむにと鼻を弄りながら不思議そうに首を傾げるあたり、やっぱりツッコミを入れられた理由はわかってないらしい。
さもありなん。彼女自身はいたってまじめなつもりなのである。
いやまぁ、まじめでこれだから始末に終えないのだが、それはさておき。
「とにかく、宴会よ宴会。ほら、吸血鬼のところのさぁ」
「あぁ、紅魔館のですね。それがどうかしたのですか?」
「どうもこうもないわよ。あんたは不思議に思わなかったの?」
ビシッと指を突きつける天子の様子に、衣玖は首をかしげて「はぁ」と困惑した言葉をこぼすのみ。
そんな様子にあきれたようにため息をつき、天子は立ち上がると部屋の窓まで歩き、外に視線を向ける。
天界の空は眩しく輝いており、壮観な風景を惜しげもなく照らし出している。
その光景を視界に納めながら、天子は眉をひそめた。
苛立っているのか、それとも困惑しているのか、どちらとも取れるような表情で、天子は言葉を続ける。
「今回の宴会、あの吸血鬼が仕切ってるそうじゃない。それも、いつものメンバー全員に招待状を送ってる。勿論、話を聞けば私のところにも送ったと、あのメイドから聞いたわ。
けれど、おかしいのよ。私は未だにそんな招待状もらってないし、届けられた形跡もない。だったら、誰かが私の招待状を隠したってことでしょう?」
そう言葉をつむぎながら、天子は振り返る。
そこに、きっと永江衣玖がこちらにまじめな表情を向けているだろうから。
その予想のとおりに、彼女はこちらを向いていた。
……向いていたのだけれど。
「……ねぇ、衣玖さん。その立派な手紙は何ですか?」
なんか、予想外なもんを手に持っていたもんだから、思わず敬語で彼女に問いかけてしまう。
すると、衣玖はなんでもないような表情で静かに目をつぶり、頬に手を当ててほぅっと息をつく。
「総領娘様の招待状です。メイドさんから渡すように頼まれていたのをすっかり忘れて―――いひゃい、いひゃいれす総領娘ひゃま!!?」
「あぁんたわぁぁぁぁぁぁぁ!!? なんでさっさと渡さないのよ!!? 延々と講釈たれてた私が恥ずかしいでしょうが!!?」
彼女の言葉の途中で思いっきり頬をつねる不良天人。
しかし、彼女の心情もみな理解してあげてほしい。思わずこんな行動に走ってしまうぐらいにはしょうがない事実だったのである。
そんな状況でも「えぇ!!?」と驚きを顕にするこの竜宮の使いは、ある意味では猛者だったのかもしれない。
「延々と公爵垂れていた!!? 総領娘様、いくら私でも下ネタはちょっと……」
「違ぁぁぁぁぁぁぁぁぁう! あんたはいったい何を想像したのよ!!?」
「なんと、では公爵は何を垂らしていたのですか!!? 女ですか!? 女誑しだったのですか!!? いけません総領娘様、家政婦は見たのようなドロドロとした人間関係に―――」
「だから違うッ!!? どこをどうしたらそんな回答に行き着くのよ!!?」
「いひゃい!!? 総領娘ひゃまいひゃいれす!!?」
グニグニ面白いぐらいにほっぺたを伸ばせば、さすがに痛かったのか涙目になってタップする竜宮の使い。
珍しい表情を見れて気をよくしたがたまった疲れはごまかせず、溜まった疲れを吐き出すようにため息をついて抓っていた手を離す。
それから掻っ攫うように手紙をつかみ、改めて中身を確認すればちゃんと自分宛の招待状でほっと一安心。
「よかったぁ。ちゃんと私宛の招待状だぁ」
「……? どうかしたのですか?」
「べ、別になんでもないわよ。大体ね、あんたなんで渡すの遅れたのよ」
「なんやかんやで忘れました」
「大事なところ丸ごとはしょりやがったよコイツ」
いやまぁ、それも彼女らしい一面ではあるのだが、だからといってそこは直したほうがいいと切実に思うわけで。
今度、彼女にその辺を徹底的に教育したほうがいいのかもしれない。
「あんた、ほかの連中にもそんな風に迷惑かけてるんじゃないでしょうね?」
「いいえ、決してそのようなことは」
「本当でしょうねぇ」
ジトリとにらみつけてやるものの、当の本人は涼しげな表情で受け流している。
もっとも、彼女のことだから迷惑かけてても自覚なんてないのだろうけれどと、そんな答えに行き着いて天子はため息を一つ。
大体、どうして自分はこんなにもコイツと仲がよくなってしまったのだろうか。
もともとは赤の他人で、せいぜい会えば挨拶する程度の顔見知りでしかなかったはずなのに。
それがいつの間にか、こんな風に気楽に話をする仲になっていたりするのだから、世の中不思議だ。
「あぁ、そういえば総領娘様」
「なによ、衣玖。お父様の小言なら遠慮したいのだけど?」
考え事をしていたら衣玖に話しかけられ、意識を現実に引き戻す。
露骨に嫌そうな表情をして彼女に視線を向ければ、それを気にした風もなく衣玖は穏やかな笑みを浮かべ。
「是非、宴会を楽しんできてください。あそこの宴会ですから、きっと総領娘様の好みそうな楽しい宴会になることでしょう」
そんな、楽しそうな我が子を送り出すような言葉を、彼女は紡いでいた。
その言葉はどこまでも優しくて、その言葉は包み込むように温かい。
心地よい声。温かい言葉。その言葉を聴いて、あぁと、天子は納得する。
どうして彼女と仲良くなったのか、どうして彼女とそばにいるようになったのか。
そんな当たり前のことに気がつかなかった自分に苦笑する。
なんてことはない。彼女は、自分が一緒にいてほしいと願ったからここにいる。
その暖かな声をもっと聞きたいと思ったから、天子は彼女が傍にいることを強く望んだのだ。
不良天人と蔑まれ、疎まれ、遠ざけられて、独りだった自分に声をかけてくれた、あの時から。
そうだ、そうだったのだ。
あの日、あの時から。
比那名居天子にとって、永江衣玖はただ一人の友人であり、そして得がたい理解者であったのだ。
「あんたは、行かないの?」
「私は、招待状をもらっていないので」
なんでもないことのように、衣玖は答える。
そこには淡々と事実だけを伝える彼女がいるだけで、そこには悲しみも落胆も存在しない。
けれども、そんな様子に納得しないのは、やっぱり彼女らしかったのか。
「駄目よ、あんたも参加しなさい」
「はい? しかし―――」
「しかしもかかしもないわよ。招待状をもらってなかろうがなんだろうが、アンタは私の『友人』として参加するのよ!
せっかくの宴会ですもの。友人を連れて行っちゃいけないなんてルール、どこにもないでしょう?」
困惑した様子の竜宮の使いに、天子はしてやったりといった様子でニィッと笑った。
腕を組み、蒼い髪を揺らして、その赤い眼が永江衣玖に有無を言わさず問いかける。
選択権はない。これはすでに決定事項だと、そう語るかのように。
そんな彼女の様子に、衣玖は苦笑する。
それが彼女なりの気の使い方だと知っていて、それをこんなにもうれしいと思ってしまう。
存外に、自分は現金な性格なんですねぇと、内心でつぶやく。
「わかりました。では、不肖この永江衣玖、総領娘様のご友人として同行させていただきますね」
「よろしい。あんたは黙って、私の後ろをついてくればいいのよ」
そんな風に言葉を交わして、二人は笑いあった。
その言葉のやり取りがおかしくて、お互いが「この人らしい」と素直に思える言葉だったから。
まったくもって、長い付き合いになったものだと天子は思う。
礼儀正しくて、まじめで、けれどもめんどくさがりで、それでいて天然で。
いつも迷惑ばかりかけて、でも時々突拍子もないボケでげんなりさせられる事もあるけれど。
それでもと、天子は思うのだ。
こうやって彼女と一緒にいられてよかったと。
これだけ長く続いた関係は、それだけできれいなものだと、そう思えるから。
「ところでさ、衣玖」
「はい、なんですか?」
天子は問いかける。
やさしく微笑んでくれる目の前の女性に。
言葉にはしないけれど、とても感謝をしている、心優しい彼女に。
「5秒で終わる面接って、どんなだったの?」
「それはですね、席に座ったら龍神様が『ケツ弾力』が試されると申されましたので―――」
「OK、もういい。なんとなくわかったわ」
なんか、いろいろ台無しになった気分の天子さんだった。
その発想はなかった
ケツ弾力は誤変換で出来たネタだろうかと想像(怪盗アンデス、みたいな)……。
いくてんは両方ともボケツッコミできるから便利でしょうね。
無論、善し悪しは作者の見せ所ですが。なら今回は?言わずもがな良かったです。
それはともかくケツ弾力についてもっと詳しくプリーズ
みなさんと同様にケツ弾力が気になって仕様が無い。
天然な衣玖さんが可愛いです。
………面接の様子が気になる、主にケツ弾力のあたりが。
天子ちゃんマジ天使
「ちょ、何してんの!分かったから!合格でいいから!」
と竜神様も慌てて口走ったりしたんじゃないだろうか