私を溶けたアイスクリームにしてしまいそうなくらいに、太陽が暑く照っている日だった。
「霊夢さん、霊夢さん」
「何よ。この暑いのに」
話しかけてみると、とても冷たい言葉が返ってきた。
私は冷たさよりも涼が欲しいというのに。
汗ではりつくシャツの襟を引っ張って、団扇で胸元を仰ぐ。
行儀が悪いのは分かっているけれど、今は彼女しかいないし、まあいいだろう。
「新聞、取りませんか?」
「やだ」
ちぇ。でろでろに溶けていても、そういう部分はちゃんと回ってるから困る。
一度取ると言わせたなら、こっちのものなのに。
「霊夢さんのケチ」
「ケチだから新聞も取りません」
「ばーかばーか」
「あんた、大丈夫?」
暑さでおかしくなってないわよね、とちょっぴり心配そうな目で見られてしまった。
大丈夫です、と適当に返して縁側で俯せになる。
そんなだらしない私を見て、霊夢さんは太陽を覗き込んだ。
「ああ、でも、この暑さはきついわね」
「きついですね」
彼女はぐい、と汗を拭って、私の方に視線を戻した。
それから、手に持った団扇をじっと見つめている。
気づかぬふりをしてみるものの、刺し続ける視線が痛い。
「……貸しませんよ」
「ケチ」
「新聞取ってくれない人よりマシです」
「ばーかばーか」
「大丈夫ですか?」
あんたよりは、と霊夢さん。
そうか。今の私は今の霊夢さんよりもおかしいのか。
ショックだった。
ちょっとした恨みを込めて、なんとなく彼女を扇いでみる。
ありがと、と全く感謝していない返事に、やっぱりこの人間よりはマシだなと思いなおした。
「あー。これでも暑いわねー」
「そうですか。扇いでいる私は、なぜかもっと暑いんです」
なぜでしょう。純粋な疑問をぶつけてやる。
さあ? と軽く首を傾げられた。
「あー。やっぱり涼しい」
「ちょっと、扇いでよ」
「嫌ですよ」
人間っていうのは甘やかすとロクなことにならないのだ。
特に彼女は、甘えるくせにその好意を疑うのだからたまったものじゃない。
「扇いでほしいのなら、新聞を取りましょう」
「それはやだ」
わがままめ。
最初に扇いだのだって、気まぐれなのに。
「新聞以外のことだったら考えるわよ」
「そうですねぇ……」
彼女の目は、団扇にくぎ付けにされている。
「私をもらう、とか」
「はは。お断りだわ」
そんな楽しそうに即答するものじゃないですって。
笑顔が眩しいのが、なんか余計に悔しいじゃないか。
「霊夢さん、霊夢さん」
「何よ。この暑いのに」
「はい、チーズ」
とりあえず、断られた記念にぱしゃりと一枚。
さっきの笑顔とは裏腹な仏頂面が収まっていた。
「いつもながら、いきなりよね」
「シャッターチャンスは待ってくれませんからね」
さっきの笑顔は私だけのものだから。
写っていたものは笑顔からずっとずっと遠いけれど。
ごろりと仰向けになって空を見上げてみる。
だいぶ高くなった空は夏の終わりを告げているようだった。
「すぐに涼しくなればいいんですけど」
「この分じゃ、当分は無理そうね」
ああいやだ。ぽつりとそうつぶやいて、彼女は私の団扇を強引に奪う。
ぱたぱたと、けだるげな表情で風を起こしている姿を止める気には、ちょっとなれなかった。
「はあ。終わったら返してくださいね」
「これ快適よねー」
聞く耳持たずだった。
彼女のことだから、返してくれるんだろうとは分かっていても、ため息が漏れてしまう。
むしろ、分かっているからこそ盛大なため息を吐いてやるのだった。
「空が青いなあ」
「そうねー。一枚撮っとけば?」
「フィルムを無駄に消費してどうするんですか」
「さあ? 言っただけだし」
「ああそう」
そこで会話が途切れて、私たちはぼんやりと暑さを恨むだけの人間と天狗になる。
ごろ、と頭だけを動かしてなんとはなしに彼女を見てみると、ばっちり目があった。
「なんですか?」
「あんたこそ何よ」
「団扇返してくれないかなーと思って」
「暑そうだなーと思って」
誰のせいですか。
暑さで歪みそうな視界で、鮮やかな紅白をじっとりと見つめつづけてやる。
二、三回だけ扇いでくれた。
「……ありがとう、ございます」
「あんた、変なとこ律儀よねぇ」
「そうでしょう。見習いなさい」
やだ、と簡単な返事。
そう言うだろうとは思ったけれど。
「そういえばあんた、いつ帰るの?」
「とりあえず今は、動ける気がしないですね」
「ふうん。泊めないわよ」
「そんなの期待してません」
溶けきったアイスクリームのようにべたりと床に突っ伏して、いつ帰ろうかなあと働かない頭を回す。
できるなら、涼しくなってきた頃にしたいけれど――
「あやややや」
「伸びるわね、これ」
そこまで考えたところで頬をひっぱられて、思考を遮られた。
このまましゃべったとしても、まともな言語になりはしないと抵抗を諦める。
しゃべるのも動くのもめんどうくさくなるほどに、暑いし。
「されるがままって、珍しいわね」
「んー」
天狗だって、べたべたに溶けてしまうのだ。
ぎゅうぎゅうと頬をひっぱり続ける彼女を放置して、さっきまで考えていたことを思い出そうとする。
「ねえ。その顔、写真に撮るとかしない?」
そうして少しばかり遊ばせてあげていると、霊夢さんはぱっと手を離して笑いながら言った。
「そんな趣味ありませんよ」
短く言い返して、よいしょと体を起こす。
霊夢さんがつまんないの、と残念そうに唇を尖らせた。
「霊夢さんの写真だったとしたら、撮りますけどね」
「嫌よ。そんな写真」
「そういうことです」
「あっそう」
じゃあしょうがないか、とやけにあっさり納得して、扇ぐのを再開する。
隣に座っている私にもその風が伝わって、頭の中がちょっとだけ動かされた気がした。
「霊夢さん、霊夢さん」
何よ、と返される前に腕をひっぱって、無理矢理体を引き寄せる。
慌てたような表情の彼女を横目に、カメラのシャッターを切った。
「どうしたのよ」
「シャッターチャンスは待ってくれないんですよ」
写真の中の彼女は、さっきより笑顔に近づいていた。
「霊夢さん、霊夢さん」
「何よ。この暑いのに」
話しかけてみると、とても冷たい言葉が返ってきた。
私は冷たさよりも涼が欲しいというのに。
汗ではりつくシャツの襟を引っ張って、団扇で胸元を仰ぐ。
行儀が悪いのは分かっているけれど、今は彼女しかいないし、まあいいだろう。
「新聞、取りませんか?」
「やだ」
ちぇ。でろでろに溶けていても、そういう部分はちゃんと回ってるから困る。
一度取ると言わせたなら、こっちのものなのに。
「霊夢さんのケチ」
「ケチだから新聞も取りません」
「ばーかばーか」
「あんた、大丈夫?」
暑さでおかしくなってないわよね、とちょっぴり心配そうな目で見られてしまった。
大丈夫です、と適当に返して縁側で俯せになる。
そんなだらしない私を見て、霊夢さんは太陽を覗き込んだ。
「ああ、でも、この暑さはきついわね」
「きついですね」
彼女はぐい、と汗を拭って、私の方に視線を戻した。
それから、手に持った団扇をじっと見つめている。
気づかぬふりをしてみるものの、刺し続ける視線が痛い。
「……貸しませんよ」
「ケチ」
「新聞取ってくれない人よりマシです」
「ばーかばーか」
「大丈夫ですか?」
あんたよりは、と霊夢さん。
そうか。今の私は今の霊夢さんよりもおかしいのか。
ショックだった。
ちょっとした恨みを込めて、なんとなく彼女を扇いでみる。
ありがと、と全く感謝していない返事に、やっぱりこの人間よりはマシだなと思いなおした。
「あー。これでも暑いわねー」
「そうですか。扇いでいる私は、なぜかもっと暑いんです」
なぜでしょう。純粋な疑問をぶつけてやる。
さあ? と軽く首を傾げられた。
「あー。やっぱり涼しい」
「ちょっと、扇いでよ」
「嫌ですよ」
人間っていうのは甘やかすとロクなことにならないのだ。
特に彼女は、甘えるくせにその好意を疑うのだからたまったものじゃない。
「扇いでほしいのなら、新聞を取りましょう」
「それはやだ」
わがままめ。
最初に扇いだのだって、気まぐれなのに。
「新聞以外のことだったら考えるわよ」
「そうですねぇ……」
彼女の目は、団扇にくぎ付けにされている。
「私をもらう、とか」
「はは。お断りだわ」
そんな楽しそうに即答するものじゃないですって。
笑顔が眩しいのが、なんか余計に悔しいじゃないか。
「霊夢さん、霊夢さん」
「何よ。この暑いのに」
「はい、チーズ」
とりあえず、断られた記念にぱしゃりと一枚。
さっきの笑顔とは裏腹な仏頂面が収まっていた。
「いつもながら、いきなりよね」
「シャッターチャンスは待ってくれませんからね」
さっきの笑顔は私だけのものだから。
写っていたものは笑顔からずっとずっと遠いけれど。
ごろりと仰向けになって空を見上げてみる。
だいぶ高くなった空は夏の終わりを告げているようだった。
「すぐに涼しくなればいいんですけど」
「この分じゃ、当分は無理そうね」
ああいやだ。ぽつりとそうつぶやいて、彼女は私の団扇を強引に奪う。
ぱたぱたと、けだるげな表情で風を起こしている姿を止める気には、ちょっとなれなかった。
「はあ。終わったら返してくださいね」
「これ快適よねー」
聞く耳持たずだった。
彼女のことだから、返してくれるんだろうとは分かっていても、ため息が漏れてしまう。
むしろ、分かっているからこそ盛大なため息を吐いてやるのだった。
「空が青いなあ」
「そうねー。一枚撮っとけば?」
「フィルムを無駄に消費してどうするんですか」
「さあ? 言っただけだし」
「ああそう」
そこで会話が途切れて、私たちはぼんやりと暑さを恨むだけの人間と天狗になる。
ごろ、と頭だけを動かしてなんとはなしに彼女を見てみると、ばっちり目があった。
「なんですか?」
「あんたこそ何よ」
「団扇返してくれないかなーと思って」
「暑そうだなーと思って」
誰のせいですか。
暑さで歪みそうな視界で、鮮やかな紅白をじっとりと見つめつづけてやる。
二、三回だけ扇いでくれた。
「……ありがとう、ございます」
「あんた、変なとこ律儀よねぇ」
「そうでしょう。見習いなさい」
やだ、と簡単な返事。
そう言うだろうとは思ったけれど。
「そういえばあんた、いつ帰るの?」
「とりあえず今は、動ける気がしないですね」
「ふうん。泊めないわよ」
「そんなの期待してません」
溶けきったアイスクリームのようにべたりと床に突っ伏して、いつ帰ろうかなあと働かない頭を回す。
できるなら、涼しくなってきた頃にしたいけれど――
「あやややや」
「伸びるわね、これ」
そこまで考えたところで頬をひっぱられて、思考を遮られた。
このまましゃべったとしても、まともな言語になりはしないと抵抗を諦める。
しゃべるのも動くのもめんどうくさくなるほどに、暑いし。
「されるがままって、珍しいわね」
「んー」
天狗だって、べたべたに溶けてしまうのだ。
ぎゅうぎゅうと頬をひっぱり続ける彼女を放置して、さっきまで考えていたことを思い出そうとする。
「ねえ。その顔、写真に撮るとかしない?」
そうして少しばかり遊ばせてあげていると、霊夢さんはぱっと手を離して笑いながら言った。
「そんな趣味ありませんよ」
短く言い返して、よいしょと体を起こす。
霊夢さんがつまんないの、と残念そうに唇を尖らせた。
「霊夢さんの写真だったとしたら、撮りますけどね」
「嫌よ。そんな写真」
「そういうことです」
「あっそう」
じゃあしょうがないか、とやけにあっさり納得して、扇ぐのを再開する。
隣に座っている私にもその風が伝わって、頭の中がちょっとだけ動かされた気がした。
「霊夢さん、霊夢さん」
何よ、と返される前に腕をひっぱって、無理矢理体を引き寄せる。
慌てたような表情の彼女を横目に、カメラのシャッターを切った。
「どうしたのよ」
「シャッターチャンスは待ってくれないんですよ」
写真の中の彼女は、さっきより笑顔に近づいていた。
安心と信頼の霊文でした。ごちそうさま
これが教育されるということか。
ごちそうさまでした
妖怪と人間の種族の差を色々考えさせられます
霊夢さんはそんなものに囚われないよう見えて実は一番雁字搦めになってそうで困る
でもなるほど、ちょっとだけ切なさが見え隠れするのが良いスパイスに……
頭溶けかけてまずいですが、ともかくいいお話でした。
次は5℃ほど上げてみましょうか
この距離感がとても心にキます。
感謝。