こんな私みたいな妖怪が紅魔館のパーティにお呼ばれするなんて、確か月に行くロケットとやらが完成した時以来だったか。
そういえば、そのロケットで月に戦争を吹っかけた。なんて話だったけど、結果はどうだったんだろう。
煌々と輝くシャンデリア。三角ベースくらいできそうな広いホール。それをせわしなく動き回る妖精メイドたち。やはり、こういうのを見ると、吸血鬼ってそんじょそこらの妖怪とは格が違うんだなと思う。並べられている料理もミスティアには悪いけど――どれも宝石のように見えるし、置いてあるお酒も見たこともないような高そうなものばかりだ。
「リグル、何か言った?」とミスティアが私の顔を見る。
「いや、なんでもないよ」
ホールの中央にいるのは霊夢さんか。館の主レミリアや八雲紫など力ある妖怪に囲まれて雑談をしている。
「霊夢、あいかわらず人気者だねー」と間延びした声で話すのはルーミアだ。ニコニコと純粋そうな笑顔が眩しく、満月みたいだなと思う。
「あー、おなかすいたー。楽しみだなー。だってここの料理って、みすちーには作れないものばっかりだもん」
その笑顔でそんな皮肉を言うのは反則だと思う。
「何だと?」
とルーミアにつっかかるミスティアもどこか楽しそうだ。
そんなこんなで、宴もたけなわとなったところで、
突如、シャンデリアの明かりが落ちた。目に映るのはただひたすらの――闇。
「一体、何なのよ!」
悲鳴の混じったざわめきが自分の鼓動と一緒になって聞こえる。これだけ人妖入り混じった場所だ。混乱はすぐには収まらないだろう。
だが、ほどなくしてシャンデリアに明かりが戻り、ホールは落ち着きを取り戻しはじめる。なんだ停電か、といった安堵の声は近くにいた大妖精からだ。
一度深呼吸をする。まったく、心臓に悪い。今でもバクバクいってる……。ただでさえ虫の心臓なんだ。丈夫にはできていない。
「あー、もう。びっくりしたぁ」
なんて呟く私を見て、ミスティアがからかって言ってくる。
「リグルってさ、結構ビビリだよねー」
……だって、苦手なんだもん。
「みすちーだってさ、怖かったんじゃない? チキンハートだし」反撃だ。
「わ、わたしは……別に、ちっとも、まったく、こ、怖くなんてなかったんだからっ」
と手をバタバタさせているミスティア。実にわかりやすい悪友だ。
「今の何? 何? 誰かの必殺技? ババッって真っ暗になって、またズバーンって明るくなったよ!? すげー! かっけー!」
なんて興奮して語るのはこれまた悪友の一人であるチルノだ。
……それにしても『ババッ』も『ズバーン』もいまの停電にはなかったと思うけど。彼女のこの冒険心溢れる発想力は時々うらやましいと感じる。
「何よ? あたい何か変なこと言ってる?」
「いや、チルノは楽しそうだな――って」
ふとここで違和感を感じた。いつもならこういうとき、チルノにバッサリと突っ込みを入れる彼女の声が聞こえないのだ。
あたりを見回して、あのニコニコ顔を探す。――さっきまでは一緒にいたのに!
「これ……見てください!」
大妖精が青ざめた表情で一枚の紙を示した。
『宵闇の妖怪は頂戴いたしました。――怪盗ルナ』
え?
何?
どういうこと?
心臓が再び暴れだす。
私は再び声にならない悲鳴をあげて、意識を失った。
□■□
「で、私は停電が起こる前の様子をあなた方にお伺いしたいのですが……」
今、私の家にいるのはミスティア、チルノ、大妖精、それから射命丸文さんだ。ルーミアはまだ見つかっていない。焦りと怒りと緊張と悲しさを心に浮かべながら私たちは文さんの取材を受けている。
「もちろん、悲しいのはわかってます。思い出すのもつらいかもしれません。……ご友人があんなことになってしまったのですから」
何がわかってるというのだ? 所詮、興味本位で私たちのことを突っつきまわそうとしているに違いない。友人を失った弱い妖怪たちのことを内心嘲笑っているに違いない。そう思うとこの取材には協力的にはなれないのだ。
「あんたに何がわかるってのよ!」
ミスティアが目に涙を浮かべながら叫ぶ。殴りかかりそうな勢いだ。
「……失礼しました。でも私だってこの事件の真相を知りたいのです。ルーミアさんを無事、助け出したい。少なくともこの気持ちは共有できるかと思うのですが……」
「あの……」大妖精が遠慮がちに口を開いた。「少し、考えさせてください。みんな困っているんです。大事な友達がいなくなって。だからまた、明日来てもらえますか?」
それを聞いた文さんは、少しの間ペンを額に押し当てて何か考えたあと、
「わかりました。また改めてお伺いします。こちらも他をあたって調べておきますね」と言い残して去っていった。音をも凌ぐ速さだった。
「で、どうする?」私は複雑な表情を浮かべるみんなに向かって聞いた。
「あたい、あんなムカツクやつの言うことなんて聞きたくない」
さっきまで珍しくおとなしくなっていたチルノだ。
「あたいたちだけで怪盗るなってやつをとっ捕まえて、ルーミアを取り戻すのよ!」
「わたしもチルノに賛成。ルーミアはわたしたちで救うのよっ!」
とミスティアも拳を上げる。
私も同意見だ。でも、どうやって……。ルーミアはあの停電した一瞬のうちに姿を消してしまったのだ。何の痕跡も残さずに。
「手がかりとかってあるのかな?」
そう言うと、チルノとミスティアはしゅんと肩を落とした。こんな時、何かいいアイディアを持っているのはいつもルーミアだった。あの子はいつもへらへら笑っているように見えるけど、ここぞという時に鋭くなる。そんな不思議な子だった。
「あの……犯行声明から何かわらないでしょうか?」
大妖精の声ではっと思い出す。『宵闇の妖怪は頂戴いたしました』なんてふざけた怪文書だ。
「怪盗ルナだっけ? 見つけたらただじゃおかないわ」
「怪盗ルナねぇ」
ルナ……つまり月ということは、永遠亭の関係者かな。でも、あそこの人たちもパーティに参加していたはずだし、私たちとは反対側の離れたテーブルに座っていたはずだ。つまり、犯行は不可能だろう。
「あたい、知ってるよ! ひっせきかんてーって言うんでしょ? この手紙は誰が書いたのかってやつ」
へぇ、以外だな。チルノが筆跡鑑定を知ってるなんて。でも……
「筆跡鑑定は無理でしょうね。だってあの文書は……」
「新聞の見出し文字を切り貼りして作っってあった」と私は大妖精のあとを引き継いだ。
つまり、筆跡から怪盗ルナなるものの正体を突き止めることはできない。
「じゃあどうするのよー」とミスティアは不満げだ。
「そうだ!」突然チルノが立ちあがって叫んだ。
「あの新聞屋、またあしたも来るんでしょ? だから罠をしかけてとっ捕まえるのよっ!」
言ってる意味がわからない。
「あの……チルノちゃん、もしかして……犯人は射命丸さんだって思ってませんか?」
「え? 違うの?」
そういうことか。新聞→新聞屋ね。単純すぎるだろ。
「さすがにそれはないよ――」と言いかけてふと気づく。あの速さなら一瞬の停電の間に犯行を行えるのではないか。でも動機がわからないな。あんないけ好かないやつでもジャーナリストの端くれだ。自作自演なんてことはしないだろう。
でも、またあいつに会う必要があるな。訊きたいことができた。
「いや、明日はチルノの作戦でいこう」
「リグルちゃん、何か考えがあるんですか?」
「まあね。新聞屋なんだ。誰が新聞を購読しているかってこと位はわかるんじゃない?」
□■□
で、翌日。
私たちは今、人里の寺小屋にいる。
さて、どうしてこうなったか、だ。
宣言どおり、私たちの前に現れた文さんは、あっさりと私たちの張った罠を回避し、ついでにといわんばかり、私たちは漏れなく弾幕を頂戴した。文さんが犯人だって思ってたチルノなんかは本気で悔しがっていたけれども、まぁ吸血鬼が月にいく時代なんだ。天狗に落とし穴が効くはずない。
「あなた方が私を信用していないことはわかりました」
「うるさい! ばーか!」
文さんが放った小粒の弾幕がチルノの額に的中する。
「痛っ! 何すんのよバカ!」
「そのことは別に構いません。信用は無くても互いの利益が一致していれば協力はできますから」
何が言いたいのだろう?
「実は、怪盗ルナに関するとっておきの情報を手に入れたのです」
「……何だってのよ」沸点の低いミスティアにしては今日はよくこらえてると思う。
「うまくいけば怪盗ルナを捕まえられるかもしれません」
文さんはニヤリと笑った。
「犯行予告ですよ」
犯行予告の内容はこうだ。
『今宵、人里の幼子を一人頂戴いたします。――怪盗ルナ』
寺小屋では今晩、『宿泊学習』だとか言ってお泊り会が開かれる予定だったらしい。
慧音さん曰く、
「ああ、いきなり中止にしても子供たちは残念がるだろうし、それに寺小屋でみんな集まるんだ。かえって護りやすい」
とのことなので、そのまま決行される。もっとも、さすがにプログラムのひとつである肝試しは中止になったが。慧音さんはひどく残念そうな様子だったけど。
文さんは外から見張ってるとのことだ。なんでも「人間の子供って苦手なんですよ」だそうだ。妖怪の子供は容赦ないくせに。理不尽極まりない。
ちなみに犯行予告があったことは公表されていない。不要な混乱を避けるためだ。
「だいたい私のところにこれを送りつけてきたんですよ? 騒ぎが大きくなるのが狙いに決まってるんでしょう。その手には乗りませんよ」なんて文さんは楽しげに語っていた。私たちとはこの事件に対するノリが違う。こいつのことを信用できないのはこういう態度だからだ。
「ええ。楽しいですよ。なんたって特ダネのチャンスですからね」
「わかったから……できたらそのニヤニヤ笑いはやめてくれないかな?」
「やめません」
そうかい。心証最悪だ。ミスティアあたりだったら完全にキレるだろうな。
「そういえば、さっきのミスティアさん、泣かせてくれますねぇ」
私たちが寺小屋の警護に加われたのはミスティアの活躍があってのことだ。
当然といえば当然なのだが、私たちは人間寄りである慧音さんに信用されていない。犯行予告だって私たちの手の込んだイタズラだと疑われている位だ。そんな不信と敵意の目線を向ける慧音さんに向かって、
「そんなにわたしたちが怪しいのなら、わたしが人質になります。みんなが裏切ったらわたしを退治すればいい。煮るなり焼くなり好きにしろっ!」
なんて啖呵を切ったのだ。この『退治』っていうのはもちろん弾幕で落とされるなんていう生優しい意味じゃない。
慧音さんにもその覚悟は伝わったのだろう。「まるでセリヌンティウスだな……」とつぶやきつつ私たちの参加を了承した。
結果、ミスティアは現在、慧音さんの自宅に監禁されている。結界だかなんだかで絶対に逃げ出せないように。
みすちーのばか。そんなことされたら絶対に怪盗ルナを捕まえなきゃいけないじゃないか!
そして夜がやってきた。草木も寝静まる妖怪たちの時間。犯行予告のとおりならもうすぐ怪盗ルナがやってくるはずだ。緊張が音を立てずににじり寄ってくる。
やっとのことで寝かしつけた子供たちを私、大妖精、慧音さん、それから妹紅さんの四人で見張ってる。チルノは子供たちと遊び疲れたのだろう、一緒になって眠っていた。そういえば、大妖精もすごく眠たそうだ。
「私は夜更かしなんてしませんからね」
「あんまり無理しなくていいよ、何かあったら私がなんとかするから」
「いや……ルーミアちゃんと、ミスティアちゃんの為ですから」そう言って大妖精は自らの頬をぱちりと叩く。「大丈夫です」
大妖精も大妖精なりに頑張っているのだ。私も頑張らないと、と気合いを入れ直す。
「外の空気吸ってくる」
妹紅さんが立ち上がった。そして、
「それから、ちょっとこいつ借りてくな」
私の服をつかんで言った。突然のことに体がびくりと反応する。妹紅さんは近寄りがたい雰囲気を持っていて、正直おっかないのだ。私は抵抗するまもなく引きずられて外に出た。
「一体なんなんですかっ!」
と抗議するも、涙目になってしまって悔しい。
「息抜きだよ。お前らみてると危なっかしいんだ」
妹紅さんは煙草を咥えて、それに火を灯す。『外の空気を吸う』ってこういう意味か。ゆっくりと吐き出された煙は月明かりに照らされ幻想的に漂った。
「月、綺麗だな」
「そうですね……」
中秋の名月だったっけ。今日の月は確かに大きく明るい。
「知ってるか? ……月ってのはな、いつも同じ面をこっちに向けて、その裏側は絶対こっちに見せてくれないんだ」
「そうなんですか……」と相槌を打つ。『そーなのかー』と無垢に笑うルーミアがふと脳裏に浮かんで無性に悲しくなった。そんな私の様子を気にせず、紅妹さんは続ける。
「月の裏側には何があると思う?」
答えられなかった。だって、今声をだせばギリギリで堰き止められている何かが崩れそうだったからだ。
「くそったれだ」
また口元に煙草を運ぶ。紅妹さんの呼吸に呼応して明滅するその火は、ホタルの明かりに似ていて妙に優しく見える。
「真っ黒で、どうしようもなく汚くて、わがままで、だらしなくて……」次々と罵倒語を並べる。月の裏側に恨みでもあるのだろうか。
「月ってのはな、こうやって明るく夜を照らしながらも決して裏側を見せずに地上の私らのことを嘲笑ってるんだよ。でもな、それでも……だからこそ、か。どうしようもなく綺麗で、ほっとけないんだ」
なんで妹紅さんはこんな話を私にするのだろう。今はいつ怪盗ルナが現れてもおかしくない状況だ。こんな話をしている場合じゃないのに。でもなぜかこの話がとても大切なことのように思えて聞き入ってしまう。
空高く上った月を見る。そういえば確かに私は兎が餅を搗いている顔でしか月を知らない。月の裏側、か。
「綺麗な月ですね……」
「ああ」
それはどうしようもなく正しい。裏側に何が隠されていても、だ。
「私はな、正直お前らが羨ましいんだ。ミスティアだったっけ? 私は友達のために『命を賭ける』なんて馬鹿なこと、絶対にできないからな」
確かこの人は不老不死なんだったか。
「月の裏側に縛られている。こうやって永く死ねないでいると、やっぱり希薄になるんだよ、人とのつながりがさ」
「……慧音さんは友達じゃないんですか?」
「あいつはいい奴だよ。……だけど、あいつが私より先におっ死んじまうのは確定していることなんだ。だから心の中でどこか予防線を張って、壁を作ってしまう。どうしても今よりも後のことを考えてしまうんだ」
「それって――」逃げてるだけじゃないんですか? という言葉は何とか飲み込んだ。「ああ、わかってるさ」と妹紅さんの唇が動いたような気がした。
「ま、私は私。お前らはお前らだ。頑張れよ。それとあんま無茶はすんな。友達を助け出すんだろ?」
「……ありがとうございます」
子供たちの部屋に戻る前、妹紅さんは「一本、吸ってみるか?」と私に煙草を勧めてきた。丁重に辞退すると妹紅さんはつまらなさそうに「ガキだな」とこぼした。余計なお世話だ。
「気分転換にしては長かったな」帰ってきた私たちに慧音さんが問いかける。
「ああ。こいつに煙草を教えてた」
慧音さんが頭突きをかました。ゴツンという重たく鈍い音に思わず顔をしかめる。見ているだけで痛々しい。
「あのなぁ」
「いってー……冗談だよ」
そんな二人のやり取りを見ているとクスリと笑いがこみ上げてきた。少し肩の力が抜けた気がする。
「ええー? リグルちゃん、た、煙草なんて……」
大妖精が本気で驚いてるじゃないか。私はちょっとした悪戯心で「まあね」と返した。
そんなことをしていると、一人の子供が頭突きの音に目を覚ましたらしくぼんやりと立ち上がって伸びをした。背丈はルーミアやチルノと同じくらいか。目元が隠れるくらいに伸びた前髪が印象的な女の子だ。
「ほら、まだ寝てなさいな」と布団に入るよう促す。
するとその子は泣き出しそうな声で訴える。
「うぅー。おにーちゃん、おしっこー」
「私は女だっ!」
ほとんど反射で一喝。その子がビクリと体を振るわせるのを見て慌てて取り繕った。
「ごめんごめん、びっくりしちゃったかな? それじゃぁ『おねえちゃん』と一緒にお手洗い行こうか」
あどけない仕草でコクリと頷いてくれた。
消灯した廊下を女の子と二人並んで歩く。もちろんいつ怪盗ルナが現れてもいいよう警戒は怠らない。窓からは月明かりが差し込んで、足元が不安になるというほど暗くはなく、怖がりな私でもなんとか平気でいられた。だいたいこの子の前で怖がってしまっては本末転倒だ。
ぱたり、と突然女の子が足を止める。
「どうしたの?」
女の子は答えず、窓の外の月を見る。
「今日は月が綺麗だね。十五夜ってわかるかな?」
淡い金色に照らされた口元が微笑みを形作った。そこから真っ白な犬歯がこぼれる。そして、先ほどの少女とは思えない落ち着いた口調で言う。
「ごめんなさい。あなたにちょっと痛いことをします」
両手を前に突き出して、
「え?」
いきなり頭を揺さぶる強烈な衝撃。熱を伴った鮮やかな痛み。――これは弾幕だ、と気付いた時には景色が暗転し……て…………はらりと揺れた髪の奥で、紅色の瞳が光っていた。
□■□
夢を見ていた。
いつものなじみのメンバーで月の裏側を目指す夢だ。特にそれを目指す理由なんて無かったと思う。私たちの日常はだいたいこんなものだ。
ようやく月の裏側にたどり着いた。「やったね!」とみんなに声をかける。でも、そこにみんなはいなかった。月の裏側には私一人しか立っていなかったのだ。
「みんなどこいったの?」
声を上げるも返事はない。真っ暗で、汚い場所を私はひたすら歩き続けた。どうしようもないくらい寂しくて、悲しかった。そして、歩きつかれて歩みを止める。すると、藍色の地球が地平線から昇っていく光景が見えた。言葉にできないくらい美しい光景だった。
目を開けると、私はどこかに寝かされていたようで、真新しい布団をかけられている。
「……どこだろう?」
「気がついたか……。私の家だ」
答えてくれたのは慧音さんだった。険しい顔つき。眉間に皺が寄っている。
「大丈夫か? 随分うなされてたみたいだが……」
「……はい」
まだ意識はぼんやりしているけど、徐々に頭が回転を始める。
「……っ! みすちーはっ? それからあの子も……」
「まぁとりあえず落ち着いてくれ。あの子は大丈夫だ。暴虐の王扱いされるのは心外だな。それに私も君に何があったのか聞きたい」
私は慧音の後に続いて階段を下る。どうやらさっきの寝室は二階だったらしい。そして、案内された居間には寺小屋を見張ってたメンバーと、
「みすちーっ! 生きてたんだ!」
「勝手に殺すなっ!」
ミスティアの姿があった。殺されたんじゃないかって頭に浮かんでたものだから安堵で体の力が抜けた。
慧音さんが、パンパンと手のひらを叩いた。
「さて、昨日の晩のことを整理しようか。リグル……何でお前は昨日あんなところで倒れてたんだ?」
「信じてくれるかどうかわかりませんが……、あの女の子をお手洗いに連れて行こうとする途中、突然その子が豹変したんです。それで、いきなり襲われて、弾幕を喰らって……。ごめんなさい。いきなりのことだったんで何もできなかったんです。……あの子はどうなったんですか?」
「見つかってないよ。里の周りは私らで探したけど見つからなかった」
答えてくれたのは妹紅さんだ。顔には疲れが見て取れる。
「実はな……お前が倒れてた場所にこれが置いてあったんだ」
慧音さんが一枚の紙を取り出す。憎たらしい新聞の切り抜き文字で、
『人里の幼子、頂戴いたしました。――怪盗ルナ』
と、書かれていた。
どこまで人を馬鹿にすれば気が済むんだろう。
どこまで人を嘲笑うつもりなんだろう。
「なんだ、簡単じゃん!」
チルノが突然口を開く。
「リグルの言ったとおりだったら、怪盗ルナはその女の子だよっ! 早く見つけてとっ捕まえようよっ!」
「それはないですよ」と大妖精。「入れ替わってたんでしょうね」
「そうだな。宿泊学習が始まったころには既に攫われてたんだろうな。まったく、気付けなかった自分が腹立たしいよ」
慧音さんは悔しそうに大妖精の意見を補足する。
「攫われた女の子って、どんな子だったんですか?」
「普通の、いや、ちょっとおとなしい子供だった。休み時間も教室の隅で本を読んでるような……」
やっぱり。その子イコール怪盗ルナなんてことはありえないだろう。大体、普通の人間の子供は弾幕なんて撃つことができないのだ。
入れ替わっていたというのなら、後は隙を見て逃げ出せばいい。そうすれば一見、その時間に『盗まれた』ように見える。
ここであるひとつの仮説が浮かんだ。最初の事件も同じ手口だったのでは……?
だとすれば、それを実行できる一番確実な人物がいる。
でも……、いや。ありえない。私が知ってるそいつはこんな事件を起こさない。
「女の子が見つかりましたよ!!」
突然文さんが私たちのいる部屋に駆け込んできた。
「本当か!」
と慧音さんが立ち上がる。
「それから、大変なことになりました!」
女の子は里から離れた森の中で見つかった。大きな樹の上でもたれかかる様に眠っていたそうだ。周囲には簡単なトラップが仕掛けられていて、それがちょうど妖怪避けとして機能していた。
その報告を聞いた慧音さんはかなり安心した様子だった。
「これです! これ見てください! 女の子が持ってたんですよ!」
文さんは興奮した調子でそれを取り出した。おなじみ新聞切り抜き文字でできた犯行予告文書だった。
『今宵、博麗の巫女を頂戴いたします。――怪盗ルナ』
ははは、と笑いに似た溜息が私の口から漏れた。
□■□
犯行予告を知った博麗の巫女――霊夢の反応は、
「あ、そう」
というえらく淡白なものだった。
なんでも、例の女の子を見つけたのが魔理沙だったそうで、この件は隠す間も無く幻想郷中に知れ渡って大騒ぎとなっていた。
当然といえば当然なのだが多くの人物が霊夢の護衛を申し出た。しかし、
「果たし状が送られてきたのよ? サシで迎え撃つのが礼儀ってもんでしょ」
とすべて断った。
「だから、アンタも早く帰りなさい。他のみんなは帰ったわよ」
「嫌です」
「なんでよ?」
「……私の話を聞いてくれますか?」
私は残った。ミスティアや大妖精に「霊夢に任せちゃおうよ」と促されたが、それでも最後まで残った。ある作戦があったからだ。
慧音の家で浮かんだ仮説。それを何度か検討しているうちに確信へと変わっていった。この犯行予告で不明だった動機にも想像がついた。
私の作戦を聞いた霊夢は、渋々ながらそれに乗っかってくれた。おそらく霊夢さんも怪盗ルナの正体に察しがついているのだろう。
「わかったわ。本当に構わないのね」
「ええ。友達のためですから」
もし推測が間違っていれば、私は殺されるかもしれない。そんな危険な作戦だった。いや、間違っていなくても万が一のことはありうる。私は月の裏側を推測しているだけなのだから。
でも、私は信じようと思う。夢の中の月の裏側はとても寂しい場所だったけど、最後には美しい光景を見せてくれたのだ。
夜。人里から遠いこの神社では頼りになるのは月明かりだけだ。
コオロギの泣き声を聞きながら彼女の登場を待った。
不安だ。もし推測が誤っていたなら……。でも、ほんの少しだけ誤っていて欲しいとも思った。月に裏側なんてないと信じていたかった。
「夜の境内はロマンティックね」
彼女が現れた。推測どおり、真正面からやって来た。ハンチングを目深にかぶり目元を隠している。細みの黒いパンツに真っ黒のジャケットを合わせて、変装のつもりなのだろうか。馬鹿馬鹿しい。
「霊夢、あなたをもらいに来たわ」
俯いて何も答えない私に向かって、彼女はジリジリと歩み寄る。
「何とか言いなさいよ」
もう少し、彼女を引きつけて――よし。この距離なら届く。
「…………バッカじゃないの? 怪盗ルナ? はぁ? だっさい名前だなぁ!」
私はカツラと飾りを脱ぎ棄てながら、弾幕を放った。私の手を離れた光弾は彼女のハンチングを吹き飛ばす。彼女に向って私は叫ぶ。
「何やってんのさ、ルーミアっ!」
露わとなった金髪に、トレードマークの赤いリボンが揺れた。
「……そっか。ばれちゃってたんだ。一応訊くけど、何でばれたの?」
ルーミアはそれこそイタズラがばれた子供みたいに舌を出して笑った。私がよく知っているルーミアの表情だった。
「寺小屋での事件だよ。あれが入れ替わりだってのはすぐにわかったからね。隙を見て逃げ出すっていう方法。それを最初の事件にも当てはめてみたんだ。ルーミアが犯人だったらこれも簡単にできる。最初から入れ替わる必要がないからね。それに、あの停電のときだけど、停電にしてはあまりに真っ暗だったのを思い出したんだ。だって、いくら停電が起こっても月とかの明かりで光がゼロになるなんてことはありえない。一応私も妖怪だからそれなりに夜目は利くつもりなんだ。でも、あの時はほんとに真っ暗で何も見えなかった。能力使ってたんでしょ? 闇を操る程度の能力を」
「私って、そんなことするように見えるかな?」
「見えなかったよ。だから、気付くのも遅くなった。でもねぇルーミア、月って裏側があるの知ってる?」
いつもニコニコと笑っているルーミアは月の表側だ。裏側は想像することはできても決して見ることは叶わない。それでも私は言葉という名のロケットに乗ってそれを確かめようとしている。裏側にはどんな風景が広がっているのか、ルーミアは一見無垢な笑顔の裏で一体何を考えていたのか。
「ルーミア、何でこんなことしたの?」
私は言葉の推進剤を噴かした。
「……霊夢のこと、好きなの?」
沈黙。
風が草木を揺らす音に混じって、コオロギのコロコロという鳴き声がいっそう大きく聞こえる。
やがて、永遠かに思われた沈黙を破り、ルーミアはゆっくりと口を開いた。
「そこまで、わかってて、邪魔、するんだ……」
いつもの無垢な笑顔が嘘に思えるような、憤怒の表情だった。まるで般若のような友人に全身が粟立つ。
「邪魔、するんだったら、リグルでも……容赦しない」
いつも一緒に遊んでいた友達のはずなのに、恐怖で足が棒になってやがる。でも、ここで逃げ出したら、作戦を立てた意味がない!
「カードは一枚でいい? ルーミアが勝ったら霊夢の居場所を教えてあげる!」
「ないと思うけど……、もしリグルが勝ったら?」
「そうだな……みんなに心配かけてんだ。幻想郷中にごめんなさいを言って廻ってもらうよ!」
「あー、それは嫌だなぁ」
ルーミアはほんの少しだけ笑った。そんな気がした。
「それじゃ、いくよっ!」
私たちは同時に地面を蹴って、満月をバックに飛翔した。我ながら、けっこう恰好いいシチュエーションだと思う。
□■□
ここからは、後日談、ということになるのだろうか。
本気でルーミアと弾幕を交わしたのは、そういえばあの日が初めてだった気がする。ルーミアが切ったスペルカードはよりにもよって闇符「ダークサイドオブムーン」――月の裏側そのものだ。
普段のほんわかしたルーミアからは想像もつかないような過激な弾幕だった。それでいて、綺麗でまっすぐで、ルーミアらしい弾幕だった。
勝負の結果? それは私たちにもわからない。いつのまにか取っ組み合いの喧嘩になっていたからだ。
お互い引っかき傷だらけになって、服もぐしゃぐしゃになったんだっけ? 顔もなんだか泣き笑いでぐちゃぐちゃだった。
引き分けということにして、ルーミアには一番迷惑をかけた慧音さんのところには謝りに行かせた。さすがにそこは悪いと思っていたらしく、殊勝な態度で頭を下げていた。――案の定、頭突きをもらって大きなたんこぶを拵えていたけども。それ以上はお咎め無しということになった。
寺小屋の件に関連して、蛇足かもしれないがあの女の子のことも話しておこう。
あの女の子は、まぁ早い話が共犯者だったのだ。物語に登場する囚われのお姫様に憧れて……とのことだそうだ。その後、その女の子を救出した魔理沙にとてもなついたらしく、今は魔理沙に魔法を教わっていると聞いた。師匠の選択を間違ったことに気付くのは時間の問題かもしれない。
事件から一か月、今日は宴会だった。場所は博麗神社。よっぽど暇なのか、多くの人妖が終結している。
相変わらず、人だかりに中心にいるのは霊夢だ。よっぽどの人気者なんだろう。
「ほら、行ってきな」
私はルーミアの尻を叩いた。
「うー、いじわるー。……腋巫女リグル」
「うっさい!」
あの日、作戦のためとはいえ、自分のしていた恰好を思い出して恥ずかしくなる。そんなにも似合ってなかったかな? 巫女服。
「ルーミアだって大概だったじゃん!」
まぁ、あのボーイッシュな服、けっこう似合ってたと思うけど。
「それは言わないお約束ー」
「つべこべ言ってないでさっ!」
私は無理やりルーミアを、霊夢のところの人垣に向かって押し飛ばした。体が軽いルーミアはいとも簡単に飛んでいった。
霊夢のところに集まる人たちは、鬼や吸血鬼、天人、神様など、みんな私たちのようなちっぽけな妖怪とは違う、圧倒的ともいえるオーラを持っている。何せ、異変を起こしちゃったりできるやつらなのだ。格で敵うはずがない。
だから、ルーミアはあんな事件を起こした。異変未満のささやかな事件を。霊夢に解決してもらうために、少しでも霊夢の隣にいれるように。
まぁ、最後は私が邪魔しちゃったわけだけど――だって悪いことをするのを叱ってあげるのが友達だろ?
それに、格とかオーラとかカリスマとかって、関係ないんじゃないかな? 誰かの隣にいたいと思うんだったらまっすぐそのまま行動すればいいんだ。身近な友達に相談したりするのもいいかもしれない。隠れてこそこそやっててもしょうがないだろ。
ルーミアは最初こそ挙動不審気味にブンブン首を振っていたけれど、霊夢に何か話しかけられると、パァっと笑顔の花が咲いた。
私たちがよく知っているあの笑顔だ。満月みたいで、眩しくて、とてもとてもよく似合っている。
リグルが何処までもステキなヒーロ……ヒロインで、
そして寺子屋の少女が果てしなく可愛いお話。
冒頭での霊夢へ視線を向けるシーンや、妹紅との会話、これらは本来物語には不必要な部分じゃないかと読みながら思っていましたが、後半に活かしてきましたね。
ただルーミアがさらわれた後に、リグル達が深刻に受け止めすぎているのが引っかかりました。
悪戯の可能性は考えなかったのか。何かの余興だとは思わなかったのか。
深刻に受け止めるまでが一瞬すぎて、読んでいて少しキャラの心情に置いて行かれた感じがします。ほんの少し隙間があった方が物語がいくぶん自然になるように感じました。
コメントありがとうございます。
彼女たちのまっすぐさと可愛さが伝わったようで何よりです。
書いてよかったと思えました。
>10 様
コメント、アドバイスありがとうございます。
伏線としてうまく機能していたようで安心しました。
指摘点に関して、改めて見直してみると、確かに展開を急ぎすぎたなと感じました。
折角、一人称で書いているのだから、もっと心理描写を掘り下げるべきでしたね。
小説(?)を書き上げたのはまったくの初めてだったもので、推敲不足というのもあります。
これから、反省点を生かしてより良い物語を作れるよう精進致します。
最後まで読んでくださった方、評価してくださった方も、本当にありがとうございます。