非常に唐突な話ではあるのだけれど、私―――アリス・マーガトロイドは自分で思っている以上にお節介焼きのようだ。
少なくとも、明らかにご立腹な月の妖精の、他愛もない愚痴を聞いてやるぐらいには。
呆れたようにため息をひとつつく。いや、事実私は呆れてものも言えずに、目の前の妖精に視線を向けている。
呆れているのは目の前で愚痴をこぼす妖精にか、それとも、その愚痴を律儀に聞いてやっている自分自身にか。
それに気づいているのかいないのか、目の前のおチビさんはグッとこぶしを握り締めてまくし立てている。
「もう、本当に酷いんだから! ねぇ、聞いてる!?」
「……はいはい、聞いてるわよ。……コーヒーはブラックでいいんだっけ?」
「あ、うん。ありがとう」
「でもまぁ、サニーミルクだっけあの子。あなたが変わり者だって言う意見には、私も賛同できるかしらね」
「うぅ、アリスまでそんなこというの? そりゃあ、自覚はあるけれどさ……」
自覚はあるけれど、実際に言われると我慢がならないというやつか。こういうの、図星をつかれたっていうんでしょうね。
げんなりとした様子でため息をつく妖精に苦笑しつつ、私はテーブルにお望みのコーヒーを置く。
もちろん、私だって何も愚痴をただで聞いてあげるほど暇じゃない。
というのも、この妖精―――ルナチャイルドは、先ほども述べたとおりに妖精としては変わり者だ。
妖精とは大半が子供のような趣味や性格、味覚を持つとされるのだけれど、この子は他の妖精とは違う部分が多い。
コーヒーを目の前でおいしそうに飲む姿を見ればわかるように苦いものを好み、性格も騒がしいほかの妖精とは違って比較的落ち着いているほうだ。
その精神の在りようは、妖精というよりはむしろ妖怪のほうに近い。根本的なところで、彼女の判断はどこか冷めているものが多いのがわかる。
ゆえに、興味深い。
不本意ながら長い付き合いになる黒白の魔法使いに言わせれば、「そりゃ、ただの建前だろ」なんてのたまってくれたが、あくまで私は彼女を観察しているのである。
そう、観察だ観察。決してお節介を焼いているわけじゃないのだと思いたい。
もう一度、小さなため息。
そんな思考の紐に絡まった私をよそに、目の前の妖精は私でも顔をしかめる様な苦味のあるコーヒーをおいしそうに飲んでいる。
何がそんなにおいしいのか知らないが、先ほどの剣幕が嘘のようだ。
私だってコーヒーは飲むが、彼女が今飲んでいるほどの苦いコーヒーは、研究が行き詰ったときぐらいにしか飲みたいとは思わない。
……存外、彼女よりも私のほうが子供舌なのかも知れない。
「……どうしたの、アリス?」
「別に、どうもしないわよ。クッキー焼いてきてあげるから、コーヒーのおかわりは上海に言ってね」
「うん。アリスのクッキーおいしいから、すごく楽しみだわ」
満面の笑顔を向ける妖精のその表情は、あどけなさが残っていて子供そのものだ。
ルナチャイルドなんて名前、誰がつけたか知らないけれどよくもまぁ考え付いたものだと思う。
月の子供なんていうその名のとおり、どこか落ち着きを持ったこの少女にはとてもお似合いに思えたのだ。
踵を返し、彼女の笑顔を背中に受けながら、私はキッチンに足を運ぶ。
用意するのはクッキーと、それから自分とアレ『二人分』の紅茶。
どうせ、もうそろそろあの黒白がやってくる時間帯だろう。
黒白にあれこれと言われるよりも先に、さっさと用意しておいたほうが精神衛生的によろしい気がするし。
そんな自分の思考に気がついて、本当にアレと長い付き合いになってしまったのだとため息をひとつ。
しかも、なんだかんだと言いながらライバルの分の紅茶とクッキーを用意しているんだから目も当てられない。
本当、一体誰に似たのか知らないけれど。
私、アリス・マーガトロイドは、自分が思っている以上にお節介焼きらしかった。
▼
さて、この場合は予想通りと表現すればいいのやら。
クッキーと紅茶を用意して妖精の元に戻れば、黒白の魔法使いこと霧雨魔理沙が我が物顔でルナチャイルドの対面に座っている。
「よっ」とのんきに手を上げて挨拶する魔理沙を見て、げんなりとため息をひとつ。
この場合、のんきな彼女に対してのため息だったのか、それとも予想通り過ぎる自分の考えにか。
ルナチャイルドが申し訳なさそうにこちらに視線を向けてきたが、彼女が気にする必要もない。
変わり者とはいえ、妖精である彼女に魔理沙が止められるとは思えないし。
「……帰ってくれるとうれしいんだけど?」
「なんだなんだ、今時の魔法使いは客に苦言を叩きつけるもんなのか?」
「あんたは別よ。不法侵入してくる黒と白のナマモノは駆除対象なの」
「そういうなよ。私とお前の仲じゃないか」
「冗談。愉快なのはあなたの頭の中だけにしてほしいものだわ」
ぴしゃりと言ってやれば、魔理沙は苦笑して「こりゃ手厳しい」なんて言葉を漏らす。
本当、こんな皮肉の応酬が自然と出来るくらいには私たちの縁は長いもので、それをお互い不快に思わないものだから始末に終えない。
要するに、私たちの仲というのはそういうものなのだ。
居ると鬱陶しいが、居ないなら居ないで何かが物足りない。不快になるはずの言葉も、なまじ付き合いが長く会う度に皮肉を言ってしまえばそれにも慣れてしまうわけで。
本当に不本意な話なのだけれど、どうやら私と魔理沙は切っても切れない仲であるらしい。
まったく、ゾッとする話ではあるが。
「それで、今日は何の用?」
「さすがに話が早いな。ちょいと面白い魔法の本を見つけたんだが、実験しようにも私ひとりじゃ手に余ってな」
「危険な類のものじゃないでしょうね? 研究するのはかまわないけれど、あなたは時々無茶をするからいけないわ。
前向きなのも良い。努力するのも結構。ただ、万全の準備をしてから実験に望みなさい。怪我とかしてないでしょうね?」
「相変わらずお節介だなぁ、お前は。そんくらいわかってるよ」
誰がお節介なものか。そう言葉を紡ごうとして、けれどもやめた。
思えば思い当たる節がありすぎて、反論しようにも出来なくなってしまったのだ。
その時その時だとわからないものだが、いざ思い返してみると確かにお節介なところがちらほらと思い出せた。
……そのお節介の相手がほとんどコイツっていうのが、非常に納得いかないのだけれど。
はぁっと、疲れたようなため息がついて出る。
焼きたてのクッキーをテーブルに置き、紅茶を自分と魔理沙の分も置いていく。
小憎らしい笑顔を振りまいて「サンキュー」などとのたまってクッキーを頬張る魔理沙に、遠慮の「え」の字も見つけられやしない。
どーしてこう、コイツとはこんなに長い付き合いになったんだろうか。我ながら不思議だ。
「……うーん」
「どうしたの、ルナ。何かおかしいことでもあった?」
「いや、今のやり取り見てて思ったんだけどさ、こういうのなんて言うんだっけ?」
難しい顔をして、言葉を捜そうとする月の妖精。
そんな風に一生懸命に言葉を捜す彼女を見ていると、なんだか微笑ましい気分を覚えるのはどうしてか。
こぽこぽとティーカップに紅茶を注ぎながら、ふと違和感を覚えた。
そういえば、前にも似たような状況があったような……。
一体それはいつの頃だったか。記憶の片隅に引っかかるような、わずかな違和感。
古い古い記憶の断片。懐かしく、どこか暖かいはずの、遠い記憶。
時がたてば忘れてしまうような、なんでもない記憶。磨耗し、かすれ、いずれ消えてしまうだろう思い出の断片。
果たして、それはどんなものだったのか。
「ねぇ、アリス」
「ん、何?」
彼女の言葉に、意識が引き戻される。
今は考えても仕方がないと思考を打ち切り、くすくすと苦笑しながら、空になった彼女のコップにコーヒーを注いでやる。
するとどうだろう、妖精の少女はなにやら困惑したような仕草で、そして紡ぐ。
「なんというか、こういうこと言うと怒るかもしれないけど」
「はっきりしないわね。怒らないから言ってみなさい」
「そう? それじゃあ、言うけれどさ……」
ごにょごにょと、後半の言葉が小さくなって聞き取れなかった。
いつもはっきりと言葉を言う彼女にしては珍しい。顔を俯かせているのも妙だし、何か体に悪影響でもあったのか。
彼女の顔を覗き込み、「どうしたの?」と言葉をかければ、なぜか彼女は困惑したように私を見て、もう一回俯いて。
それを何度か繰り返し、私がわけもわからず首を傾げ始めた頃に、ようやく彼女は口を開いた。
「その、アリスってさ、お世話焼きのお母さんみたいだなっと思って」
思わず、きょとんとして目を瞬かせる。
後ろで黒白(バカ)が盛大に紅茶を噴出す気配がするが、私はそんなことに気が回らないくらいに彼女の言葉を意外に思っていた。
ゲホゲホッと盛大に咽る魔理沙は、今の言葉に一体どんな意味を見出したのやら。
呆れたようにため息をついて後ろを振り向けば、顔を真っ赤にした魔理沙がワナワナと震える指でこちらを指差していた。
「わ、私はアリスみたいなのが母親だなんて絶対に嫌だからな!!?」
「安心なさい。私もあんたみたいな娘は御免こうむるわ。というか、人を指差さないの」
「行儀悪いわねぇ」と呆れたようにため息をつく。なんだか今日はため息ばかりついている気がするけれど、ため息でもつかないとやってられない。
何故かルナが「やっぱりお母さんだ」などとのたまったが、私は当たり前のことを指摘しただけなのにこの言いぐさである。
それにしても……そっか、お母さんか。
違和感の正体。忘れかけていた記憶の欠片。
そうだった。そういえば、昔こんな風に母代わりだった『あの人』が、クッキーを焼いてくれたりしたんだっけか。
味が気に入ったときはいいのだけれど、気に入らない味のクッキーがあったときは文句の一つでも言ってた気がする。
我ながら、なんとも可愛げのない子供だったものだ。
けれど、そのたびに『あの人』は困ったように笑って、「じゃあ、次はもっとおいしいのを焼いてあげる」って息巻いて。
それから、あの白く細い手のひらで、優しく頭をなでてくれたんだっけ。
さわさわと、髪を梳くように撫でる指の感触。
壊れ物を扱うように、髪を傷めぬように優しく。
それは、欠けた記憶。ここ最近、すっかり思い出さなくなったあの頃の思い出。
「本当、しょうがないやつだわ。あんたは」
「おい、やめろアリス。お前、そんなこと言ってると一気に老け込むぞ」
「失礼ね。むしろあんたこそ、そんなに生き急いでるとあっという間に老け込むわよ」
ムグゥッと、言葉を詰まらせる黒白魔法使い。
ふーん、自覚がないと思っていたのだけれど、一応は生き急いでいるという自覚があったらしい。
魔理沙が勝手にライバル認定している博麗の巫女の前じゃ絶対に見せないけれど、この子が影で努力してるのは知ってる。
それこそ、私がはたから見ていて生き急いでいると感じるぐらいには。
どうやら拗ねてしまったみたいで、フンッとそっぽを向いて魔理沙は紅茶を口に含む。
まったく、あいも変わらず可愛げのない。少しぐらい素直になれば、まだ可愛げもあるというのに。
……いや、それじゃあ張り合いがなくなってしまいそうね。それはそれで、なんだか物足りない気もする。
そうやってため息をつくと、妖精が笑っているのに気がついた。
「何よ?」
「ううん、やっぱりアリスはお節介焼きだと思って」
「まったく、どの口がそんなことを言うのかしらね」
そんな風に苦笑して、髪を梳くようにルナの頭を撫でる。
帽子を取っているおかげで見える彼女の金紗の髪は、さらさらと柔らかで心地よい。
撫でられている彼女はどこか恥ずかしそうで、けれども嫌がるそぶりも見せずになされるがまま。
そうやって、しばらく撫でていると、恥ずかしがっていた彼女がいつの間にか、どこか嬉しそうに目を細めているのに気がついた。
その顔を、私は知っている。その表情を、きっと私は何度も晒してきただろうから。
大好きな『あの人』に。誰よりも尊敬して、誰よりも愛しかった大切な『母』へ。
子が母親に見せる表情。嬉しがるような、甘えるような、そんな愛らしい感情表現。
ふと、妙な視線に気がついて魔理沙に視線を向ける。
こちらを見る彼女は、どこかうらやましそうで、どこか懐かしんでいるような、そんな不思議な表情をしていて。
私とこの子を見て、彼女が何を見ているのか。何を感じているのか。
生憎、付き合いの長い私でもそれがわからない。
それも当然か。私は確かに彼女との付き合いは長いけれど、かといって彼女のすべてを知っているわけではないのだから。
「なんて顔してるのよ」
「いや、なんつーかお前とそいつ見てたらちょっと懐かしくなってな」
「懐かしい?」
「そ、私のお母さんだよ。元気してるかなーって、思ってさ」
彼女が吐息にのせた感情は、はたしてどのようなものだったのか。
郷愁か、あるいはそれに似た別の何かか。
ただ……そういえば、魔理沙は小さな頃に親から勘当されたと聞いた覚えがある。
詳しいことを聞いたことはなかったけれど、もし、それが母親に甘えたい盛りの子供の頃だったなら?
仮にそうだったとしたら、魔理沙は母親と満足に触れ合えなかったのではないかと、そう勘ぐってしまう。
なんとも身勝手な考えだ。仮にそうだったとして、何だって私がそんなことを気にしなくちゃいけないって言うのか。
彼女の事情は彼女のものだ。例えそれがどんなものであれ、私があれこれ邪推していい代物じゃない。
「頭、撫でてあげましょうか?」
「うるせー。私の自慢の頭は、お前に撫でられるためにあるんじゃないんでね」
からかうように言葉にしてやれば、いつもどおり不遜な言葉が返ってくる。
そこには先ほどまで思い出に浸る少女の姿はなく、いつもどおりの唯我独尊で不遜な霧雨魔理沙がそこにいた。
ニヤニヤと笑う彼女に、私も呆れたように微笑んだ。
うん、やっぱり彼女はこうでないと私も調子が出ない。
視線を妖精に戻せば、先ほどのやり取りも気にしなかったのか、今も目を細めて心地よさそうだ。
こうやって目を細めてなすがままにされている彼女を見ていると、なんだか微笑ましい。
見ていると落ち着くというか、和むというか、こう……胸の内側がぽかぽかと暖かくなるというか。
なんと言い表せばいいのかわからないけれど、『あの人』もこんな風に、甘える私を見てこんな気持ちになったのだろうか?
さてっと呟いて、思う存分堪能した私は、撫でていた手を離した。
すると、どこか名残惜しそうな表情を一瞬だけのぞかせたルナは、ハッとしてぶんぶんと首を振る。
そんな彼女の様子がおかしくて、クスクスと私と魔理沙は笑みをこぼした。
うん、たまにはこんな日常を送るのも、悪くはない。
「な、何よ。何を笑ってるの?」
「さぁてね。魔理沙に聞いてみるといいんじゃないかしら?」
「さぁ、私に聞かれても答えかねると思うけどな」
「……なんか釈然としない」
未だにぶつくさと何か呟いていたが、コーヒーを一口飲めばあっさりと笑顔を見せるのはやっぱり妖精らしいのか。
いつも仲間に振り回されてばかりだとよく聞くけれど、そういった意味では、私はこのルナチャイルドという妖精と気が合うのかもしれない。
何しろ、程度の違いはあれ、私もそこの黒白に振り回されているのだし。
認めるのは実に癪な事実だけれど、事実というそれから目を背けてしまっては魔法使いとして失格だ。
「コーヒー、おかわり!」
「はいはい、ちょっと待ってて」
苦笑しながら彼女からコップを受け取って、コーヒーをこぽこぽと注いでいく。
「あんまりコーヒー飲んでるとおなか壊すわよ」なんて注意を一つして、黒々とした飲み物を彼女に手渡す。
口を尖らせ、「わかってるわよぉ」なんて呟く彼女の頭を、もう一度撫でた。
あぁ本当に、この柔らかい暖かな感触が癖になりそうで。
けれども、あの黒白がニヤニヤとこちらを意地悪そうに眺めているのに気がついて、私は誤魔化す様に咳払いを一つするのだった。
▼
―――はたして、それはいつの頃の話だっただろうか。
夢を見ている。思い出を覗いている。
自我は溶けてしまいそうにあやふやで、私はその光景をただ俯瞰する―――
「忘れ物はない? ちゃんと歯磨きするのよ? 夜更かしもお肌の天敵だから絶対にだめ! 知らない人がお家に来ても、絶対にあげちゃだめだからね?」
「神綺様、私はもう子供じゃないんですから……」
「そんなことありません。アリスちゃんはいつまでたっても私の子供です!」
うんうんと自己完結する魔界の神様。
のほほんとしておっとりとした性格の彼女だけど、魔界の者たち全ての母とも言うべき存在。
威厳なんて欠片もない。本来ならもうちょっと神様らしい態度をしててもいいはずなのだけれど、その様はどこからどう見ても子供の巣立ちを心配する母親そのものだった。
あぁ、この人がこんなんだから夢子さんが苦労することになるのねぇと、我が家最強の姉を思い浮かべる。
私たちに、直接的な血のつながりはない。そも、私たちは一般的な家族という枠組みから見ればとても歪だ。
文字通り、私たちは目の前の彼女に『創られた』のだから、ある意味では当然だったのか。
それでも、目の前のこの人は私たちをみんな子供のように扱ってくれた。
誰に対しても平等に、本当の我が子のように愛情を注いで。
そんな人柄の彼女だからこそ……うん、我が家は皆例外なく、この人のことが好きなのだろう。
誰も言葉にはしないけれど、きっとそう思ってるに違いない。
「それに、アリスちゃんは私に似てお節介焼きだから、変な人に騙されないかお母さんは心配です」
「いや、それはないわ」
私がお節介焼きだなんて、そんなことを聞けばマイあたり鼻で笑いそうな言葉だ。
あと、彼女には悪いのだけれど、私はこの人とは致命的に似てないような気がするんだけど、そのへんどうなのか。
だというのに、彼女はくすくすと笑う。
どこかおかしそうに、優しい笑みを浮かべたまま。
「そんなことはないよ。アリスちゃんはね、本当は優しい子なんだってお母さんは知ってるんだから」
そんな言葉を、自信満々に言葉にしたのだった。
その言葉が意外すぎて、きょとんっと目を瞬かせてしまう。
目の前の神様は気がついているんだかいないんだか、両手を腰に当ててふんぞり返っている。
なんというか、この人には悪いのだけれど私はそうとは思えない。
むしろ、私は優しさという言葉からはとんと無縁のような気がしてならないのだ。
愛想はないし、かける言葉も何処か刺々しい。優しい、という言葉は私には似合わない気がして。
むしろその言葉は、目の前のこの人にこそもっとも相応しいだろうに。
「あ、信用してないよね、その目」
「そんなことないですよ」
「嘘だー、絶対に信用してないもん。その目は信じていない目だもん!!」
「神様が『もん』とか使わないでください。夢子さん泣きますよ?」
「うぐぅ、それは嫌」
むむむぅと額に眉を寄せて唸る神様。本当、私の一体どこがこの人に似ているというのか。
けれども、そう言われて悪い気がしないのは……やっぱり、私にとってこの人は愛しい母なんだということなんだろう。
いや、やっぱり似てるとは思えないんだけどね。
「とにかく、向こうについたら連絡頂戴ね。一ヶ月に一回は、手紙を頂戴。たまには、……たまには帰ってきてね?」
「わかってますよ」
何処か寂しそうな表情を見せる彼女に苦笑して、私は返事をする。
まったく、こんなんじゃどっちが子供なのかわからないじゃないか。
こういう子供っぽいところも、きっとこの人の魅力なんだろうとは思うけれど。
でもやっぱり、私はこの人に似てないんじゃないかなぁと、そんなことを思う。
だって、お節介という言葉も優しいという言葉も、私にはきっと最も遠い言葉だろうと、そんなことを思ってしまうのだから。
▼
コチコチという、時計の時を刻む音で目が覚めた。
一体いつの間に眠っていたのやら、ぼんやりとした頭で思い出そうとするのだけれど、どうにもうまくいかない。
机に伏したまま眠るなんて、よっぽど疲れていたのだろうか。
ふと、カリカリとペンを走らせる音に気がついて、視線を上げる。
そこにあったのは、真剣な表情。
普段の人を小馬鹿にするような笑みからは想像もつかない表情をした、霧雨魔理沙の姿がそこにあった。
「……あぁ、思い出したわ」
ため息をついて、そんな言葉がついて出た。
確か、例の魔法の本の解析作業を進めていたはずなのだけれど、その途中からの記憶がバッサリと途切れている。
いつの間にか眠ってしまったようだけど、あれから随分と時間がたったのかもう真夜中だ。
眠気の残る頭を振りながら上半身を起こすと、ようやく私が起きたのに気がついたのか魔理沙がこちらに視線を向けた。
「よう、お目覚めか?」
「えぇ。悪かったわね、あんた一人に任せて」
「気にするなって。お前さんも疲れてたんだろうさ」
肩をすくめた彼女は、再び紙にペンを走らせる。
いったん集中すれば普段とは想像もつかないほどに魔女らしいその姿は、なるほど、彼女も立派な魔女の一人であると思わせるには十分だった。
「コーヒー、いる?」
「ん、眠気が吹っ飛ぶようなキッツイのを頼むぜ」
視線をこちらにも向けずに、そんな返事を返してくる。
その様子が好きなことに熱中する子供みたいで、たまらず苦笑してしまったのだけれど彼女は気がついていないらしい。
席を立ち、キッチンへと足を向ける。
その途中、一人の妖精がソファーでぐっすりと眠り込んでいるのが見えて、思わず足を止めた。
ずり落ちた毛布を見て苦笑し、私はそちらに歩み寄るともう一度毛布をかけてやる。
幼いあどけなさの残る寝顔を覗き込んで、さわさわと、柔らかな金紗の髪を梳くように撫でる。
少しだけ、くすぐったそうにもぞもぞと動いたけれど、それでも起きる気配は見せずに夢の中。
もうこんな時間なのだけれど、この寝顔を見ているとどうしても起こす気にはなれなくて。
クスクスと私は苦笑する。
あぁ、今更のように思い知らされることになるとは、夢にも思わなかった。
結局、あの人は魔界を一から作り上げた創造神である以上に、紛れもない私たちの母親であったのだ。
「まったく、かなわないなぁ」
紡いだ言葉は、きっと『あの人』に届くことはないだろうけれど。
けれども、血の繋がりはなくとも私たちは親子であるのだと実感できて、それがこんなにも嬉しかった。
さらさらと髪を撫でる。思い出すのは、やはり昔こんなことがあったという幼い日の記憶。
「本当、そうしてると親子だな」
ふと、声がかかってそちらに視線を向ける。
いつの間にこっちに気がついたのやら、意地の悪そうな笑みを浮かべてニヤニヤとこちらを見る魔理沙の姿。
けれど、その言葉に暖かさが宿っていたのは、はたして私の気のせいだったのか。
「そうね、……私もそう思うわ」
「おぉ、珍しく素直だな。……でもまぁ、お前さんのそのお節介な所は誰に似たんかねぇ」
のんびりとした、それでいて不思議そうな言葉で、魔理沙は紡ぐ。
なんだ、そんなの答えなんて決まってる。
きっとそれ以外に答えなんてなく、それはきっとどんなことよりも誇らしい言葉だ。
彼女に振り向き、自らの胸に手を当てる。
その時、私は一体どんな表情をしていただろうか。
嬉しそうだったのか、誇らしそうだったのか。
どちらにしても―――きっと、笑っていたことには変わりない。
「そんなの、他でもない母さんに似たに決まってるじゃない」
その言葉を聞いて、「なるほど、違いない」と魔理沙は笑い、私も不快になるでもなく、お互いにくすくすと笑いあう。
たまには、こんな風に魔理沙と笑いあうのも悪くはない。
少なくとも、こんな時間がもう少し続くように、そんなことを自然と思えるぐらいには。
▼
私、アリス・マーガトロイドは、自分が思っている以上にお節介焼きらしい。
もし、どこかの誰かに一体誰に似たのかと問われたのならば。
きっと私は、誇らしげに『母』に似たのだと、そう答えることだろう。
ねぇ、『お母さん』。聞こえてる?
私はやっぱり、のほほんとして寂しがりでとても優しいあなたによく似た、お節介焼きの『娘』だったみたいです。
少なくとも、明らかにご立腹な月の妖精の、他愛もない愚痴を聞いてやるぐらいには。
呆れたようにため息をひとつつく。いや、事実私は呆れてものも言えずに、目の前の妖精に視線を向けている。
呆れているのは目の前で愚痴をこぼす妖精にか、それとも、その愚痴を律儀に聞いてやっている自分自身にか。
それに気づいているのかいないのか、目の前のおチビさんはグッとこぶしを握り締めてまくし立てている。
「もう、本当に酷いんだから! ねぇ、聞いてる!?」
「……はいはい、聞いてるわよ。……コーヒーはブラックでいいんだっけ?」
「あ、うん。ありがとう」
「でもまぁ、サニーミルクだっけあの子。あなたが変わり者だって言う意見には、私も賛同できるかしらね」
「うぅ、アリスまでそんなこというの? そりゃあ、自覚はあるけれどさ……」
自覚はあるけれど、実際に言われると我慢がならないというやつか。こういうの、図星をつかれたっていうんでしょうね。
げんなりとした様子でため息をつく妖精に苦笑しつつ、私はテーブルにお望みのコーヒーを置く。
もちろん、私だって何も愚痴をただで聞いてあげるほど暇じゃない。
というのも、この妖精―――ルナチャイルドは、先ほども述べたとおりに妖精としては変わり者だ。
妖精とは大半が子供のような趣味や性格、味覚を持つとされるのだけれど、この子は他の妖精とは違う部分が多い。
コーヒーを目の前でおいしそうに飲む姿を見ればわかるように苦いものを好み、性格も騒がしいほかの妖精とは違って比較的落ち着いているほうだ。
その精神の在りようは、妖精というよりはむしろ妖怪のほうに近い。根本的なところで、彼女の判断はどこか冷めているものが多いのがわかる。
ゆえに、興味深い。
不本意ながら長い付き合いになる黒白の魔法使いに言わせれば、「そりゃ、ただの建前だろ」なんてのたまってくれたが、あくまで私は彼女を観察しているのである。
そう、観察だ観察。決してお節介を焼いているわけじゃないのだと思いたい。
もう一度、小さなため息。
そんな思考の紐に絡まった私をよそに、目の前の妖精は私でも顔をしかめる様な苦味のあるコーヒーをおいしそうに飲んでいる。
何がそんなにおいしいのか知らないが、先ほどの剣幕が嘘のようだ。
私だってコーヒーは飲むが、彼女が今飲んでいるほどの苦いコーヒーは、研究が行き詰ったときぐらいにしか飲みたいとは思わない。
……存外、彼女よりも私のほうが子供舌なのかも知れない。
「……どうしたの、アリス?」
「別に、どうもしないわよ。クッキー焼いてきてあげるから、コーヒーのおかわりは上海に言ってね」
「うん。アリスのクッキーおいしいから、すごく楽しみだわ」
満面の笑顔を向ける妖精のその表情は、あどけなさが残っていて子供そのものだ。
ルナチャイルドなんて名前、誰がつけたか知らないけれどよくもまぁ考え付いたものだと思う。
月の子供なんていうその名のとおり、どこか落ち着きを持ったこの少女にはとてもお似合いに思えたのだ。
踵を返し、彼女の笑顔を背中に受けながら、私はキッチンに足を運ぶ。
用意するのはクッキーと、それから自分とアレ『二人分』の紅茶。
どうせ、もうそろそろあの黒白がやってくる時間帯だろう。
黒白にあれこれと言われるよりも先に、さっさと用意しておいたほうが精神衛生的によろしい気がするし。
そんな自分の思考に気がついて、本当にアレと長い付き合いになってしまったのだとため息をひとつ。
しかも、なんだかんだと言いながらライバルの分の紅茶とクッキーを用意しているんだから目も当てられない。
本当、一体誰に似たのか知らないけれど。
私、アリス・マーガトロイドは、自分が思っている以上にお節介焼きらしかった。
▼
さて、この場合は予想通りと表現すればいいのやら。
クッキーと紅茶を用意して妖精の元に戻れば、黒白の魔法使いこと霧雨魔理沙が我が物顔でルナチャイルドの対面に座っている。
「よっ」とのんきに手を上げて挨拶する魔理沙を見て、げんなりとため息をひとつ。
この場合、のんきな彼女に対してのため息だったのか、それとも予想通り過ぎる自分の考えにか。
ルナチャイルドが申し訳なさそうにこちらに視線を向けてきたが、彼女が気にする必要もない。
変わり者とはいえ、妖精である彼女に魔理沙が止められるとは思えないし。
「……帰ってくれるとうれしいんだけど?」
「なんだなんだ、今時の魔法使いは客に苦言を叩きつけるもんなのか?」
「あんたは別よ。不法侵入してくる黒と白のナマモノは駆除対象なの」
「そういうなよ。私とお前の仲じゃないか」
「冗談。愉快なのはあなたの頭の中だけにしてほしいものだわ」
ぴしゃりと言ってやれば、魔理沙は苦笑して「こりゃ手厳しい」なんて言葉を漏らす。
本当、こんな皮肉の応酬が自然と出来るくらいには私たちの縁は長いもので、それをお互い不快に思わないものだから始末に終えない。
要するに、私たちの仲というのはそういうものなのだ。
居ると鬱陶しいが、居ないなら居ないで何かが物足りない。不快になるはずの言葉も、なまじ付き合いが長く会う度に皮肉を言ってしまえばそれにも慣れてしまうわけで。
本当に不本意な話なのだけれど、どうやら私と魔理沙は切っても切れない仲であるらしい。
まったく、ゾッとする話ではあるが。
「それで、今日は何の用?」
「さすがに話が早いな。ちょいと面白い魔法の本を見つけたんだが、実験しようにも私ひとりじゃ手に余ってな」
「危険な類のものじゃないでしょうね? 研究するのはかまわないけれど、あなたは時々無茶をするからいけないわ。
前向きなのも良い。努力するのも結構。ただ、万全の準備をしてから実験に望みなさい。怪我とかしてないでしょうね?」
「相変わらずお節介だなぁ、お前は。そんくらいわかってるよ」
誰がお節介なものか。そう言葉を紡ごうとして、けれどもやめた。
思えば思い当たる節がありすぎて、反論しようにも出来なくなってしまったのだ。
その時その時だとわからないものだが、いざ思い返してみると確かにお節介なところがちらほらと思い出せた。
……そのお節介の相手がほとんどコイツっていうのが、非常に納得いかないのだけれど。
はぁっと、疲れたようなため息がついて出る。
焼きたてのクッキーをテーブルに置き、紅茶を自分と魔理沙の分も置いていく。
小憎らしい笑顔を振りまいて「サンキュー」などとのたまってクッキーを頬張る魔理沙に、遠慮の「え」の字も見つけられやしない。
どーしてこう、コイツとはこんなに長い付き合いになったんだろうか。我ながら不思議だ。
「……うーん」
「どうしたの、ルナ。何かおかしいことでもあった?」
「いや、今のやり取り見てて思ったんだけどさ、こういうのなんて言うんだっけ?」
難しい顔をして、言葉を捜そうとする月の妖精。
そんな風に一生懸命に言葉を捜す彼女を見ていると、なんだか微笑ましい気分を覚えるのはどうしてか。
こぽこぽとティーカップに紅茶を注ぎながら、ふと違和感を覚えた。
そういえば、前にも似たような状況があったような……。
一体それはいつの頃だったか。記憶の片隅に引っかかるような、わずかな違和感。
古い古い記憶の断片。懐かしく、どこか暖かいはずの、遠い記憶。
時がたてば忘れてしまうような、なんでもない記憶。磨耗し、かすれ、いずれ消えてしまうだろう思い出の断片。
果たして、それはどんなものだったのか。
「ねぇ、アリス」
「ん、何?」
彼女の言葉に、意識が引き戻される。
今は考えても仕方がないと思考を打ち切り、くすくすと苦笑しながら、空になった彼女のコップにコーヒーを注いでやる。
するとどうだろう、妖精の少女はなにやら困惑したような仕草で、そして紡ぐ。
「なんというか、こういうこと言うと怒るかもしれないけど」
「はっきりしないわね。怒らないから言ってみなさい」
「そう? それじゃあ、言うけれどさ……」
ごにょごにょと、後半の言葉が小さくなって聞き取れなかった。
いつもはっきりと言葉を言う彼女にしては珍しい。顔を俯かせているのも妙だし、何か体に悪影響でもあったのか。
彼女の顔を覗き込み、「どうしたの?」と言葉をかければ、なぜか彼女は困惑したように私を見て、もう一回俯いて。
それを何度か繰り返し、私がわけもわからず首を傾げ始めた頃に、ようやく彼女は口を開いた。
「その、アリスってさ、お世話焼きのお母さんみたいだなっと思って」
思わず、きょとんとして目を瞬かせる。
後ろで黒白(バカ)が盛大に紅茶を噴出す気配がするが、私はそんなことに気が回らないくらいに彼女の言葉を意外に思っていた。
ゲホゲホッと盛大に咽る魔理沙は、今の言葉に一体どんな意味を見出したのやら。
呆れたようにため息をついて後ろを振り向けば、顔を真っ赤にした魔理沙がワナワナと震える指でこちらを指差していた。
「わ、私はアリスみたいなのが母親だなんて絶対に嫌だからな!!?」
「安心なさい。私もあんたみたいな娘は御免こうむるわ。というか、人を指差さないの」
「行儀悪いわねぇ」と呆れたようにため息をつく。なんだか今日はため息ばかりついている気がするけれど、ため息でもつかないとやってられない。
何故かルナが「やっぱりお母さんだ」などとのたまったが、私は当たり前のことを指摘しただけなのにこの言いぐさである。
それにしても……そっか、お母さんか。
違和感の正体。忘れかけていた記憶の欠片。
そうだった。そういえば、昔こんな風に母代わりだった『あの人』が、クッキーを焼いてくれたりしたんだっけか。
味が気に入ったときはいいのだけれど、気に入らない味のクッキーがあったときは文句の一つでも言ってた気がする。
我ながら、なんとも可愛げのない子供だったものだ。
けれど、そのたびに『あの人』は困ったように笑って、「じゃあ、次はもっとおいしいのを焼いてあげる」って息巻いて。
それから、あの白く細い手のひらで、優しく頭をなでてくれたんだっけ。
さわさわと、髪を梳くように撫でる指の感触。
壊れ物を扱うように、髪を傷めぬように優しく。
それは、欠けた記憶。ここ最近、すっかり思い出さなくなったあの頃の思い出。
「本当、しょうがないやつだわ。あんたは」
「おい、やめろアリス。お前、そんなこと言ってると一気に老け込むぞ」
「失礼ね。むしろあんたこそ、そんなに生き急いでるとあっという間に老け込むわよ」
ムグゥッと、言葉を詰まらせる黒白魔法使い。
ふーん、自覚がないと思っていたのだけれど、一応は生き急いでいるという自覚があったらしい。
魔理沙が勝手にライバル認定している博麗の巫女の前じゃ絶対に見せないけれど、この子が影で努力してるのは知ってる。
それこそ、私がはたから見ていて生き急いでいると感じるぐらいには。
どうやら拗ねてしまったみたいで、フンッとそっぽを向いて魔理沙は紅茶を口に含む。
まったく、あいも変わらず可愛げのない。少しぐらい素直になれば、まだ可愛げもあるというのに。
……いや、それじゃあ張り合いがなくなってしまいそうね。それはそれで、なんだか物足りない気もする。
そうやってため息をつくと、妖精が笑っているのに気がついた。
「何よ?」
「ううん、やっぱりアリスはお節介焼きだと思って」
「まったく、どの口がそんなことを言うのかしらね」
そんな風に苦笑して、髪を梳くようにルナの頭を撫でる。
帽子を取っているおかげで見える彼女の金紗の髪は、さらさらと柔らかで心地よい。
撫でられている彼女はどこか恥ずかしそうで、けれども嫌がるそぶりも見せずになされるがまま。
そうやって、しばらく撫でていると、恥ずかしがっていた彼女がいつの間にか、どこか嬉しそうに目を細めているのに気がついた。
その顔を、私は知っている。その表情を、きっと私は何度も晒してきただろうから。
大好きな『あの人』に。誰よりも尊敬して、誰よりも愛しかった大切な『母』へ。
子が母親に見せる表情。嬉しがるような、甘えるような、そんな愛らしい感情表現。
ふと、妙な視線に気がついて魔理沙に視線を向ける。
こちらを見る彼女は、どこかうらやましそうで、どこか懐かしんでいるような、そんな不思議な表情をしていて。
私とこの子を見て、彼女が何を見ているのか。何を感じているのか。
生憎、付き合いの長い私でもそれがわからない。
それも当然か。私は確かに彼女との付き合いは長いけれど、かといって彼女のすべてを知っているわけではないのだから。
「なんて顔してるのよ」
「いや、なんつーかお前とそいつ見てたらちょっと懐かしくなってな」
「懐かしい?」
「そ、私のお母さんだよ。元気してるかなーって、思ってさ」
彼女が吐息にのせた感情は、はたしてどのようなものだったのか。
郷愁か、あるいはそれに似た別の何かか。
ただ……そういえば、魔理沙は小さな頃に親から勘当されたと聞いた覚えがある。
詳しいことを聞いたことはなかったけれど、もし、それが母親に甘えたい盛りの子供の頃だったなら?
仮にそうだったとしたら、魔理沙は母親と満足に触れ合えなかったのではないかと、そう勘ぐってしまう。
なんとも身勝手な考えだ。仮にそうだったとして、何だって私がそんなことを気にしなくちゃいけないって言うのか。
彼女の事情は彼女のものだ。例えそれがどんなものであれ、私があれこれ邪推していい代物じゃない。
「頭、撫でてあげましょうか?」
「うるせー。私の自慢の頭は、お前に撫でられるためにあるんじゃないんでね」
からかうように言葉にしてやれば、いつもどおり不遜な言葉が返ってくる。
そこには先ほどまで思い出に浸る少女の姿はなく、いつもどおりの唯我独尊で不遜な霧雨魔理沙がそこにいた。
ニヤニヤと笑う彼女に、私も呆れたように微笑んだ。
うん、やっぱり彼女はこうでないと私も調子が出ない。
視線を妖精に戻せば、先ほどのやり取りも気にしなかったのか、今も目を細めて心地よさそうだ。
こうやって目を細めてなすがままにされている彼女を見ていると、なんだか微笑ましい。
見ていると落ち着くというか、和むというか、こう……胸の内側がぽかぽかと暖かくなるというか。
なんと言い表せばいいのかわからないけれど、『あの人』もこんな風に、甘える私を見てこんな気持ちになったのだろうか?
さてっと呟いて、思う存分堪能した私は、撫でていた手を離した。
すると、どこか名残惜しそうな表情を一瞬だけのぞかせたルナは、ハッとしてぶんぶんと首を振る。
そんな彼女の様子がおかしくて、クスクスと私と魔理沙は笑みをこぼした。
うん、たまにはこんな日常を送るのも、悪くはない。
「な、何よ。何を笑ってるの?」
「さぁてね。魔理沙に聞いてみるといいんじゃないかしら?」
「さぁ、私に聞かれても答えかねると思うけどな」
「……なんか釈然としない」
未だにぶつくさと何か呟いていたが、コーヒーを一口飲めばあっさりと笑顔を見せるのはやっぱり妖精らしいのか。
いつも仲間に振り回されてばかりだとよく聞くけれど、そういった意味では、私はこのルナチャイルドという妖精と気が合うのかもしれない。
何しろ、程度の違いはあれ、私もそこの黒白に振り回されているのだし。
認めるのは実に癪な事実だけれど、事実というそれから目を背けてしまっては魔法使いとして失格だ。
「コーヒー、おかわり!」
「はいはい、ちょっと待ってて」
苦笑しながら彼女からコップを受け取って、コーヒーをこぽこぽと注いでいく。
「あんまりコーヒー飲んでるとおなか壊すわよ」なんて注意を一つして、黒々とした飲み物を彼女に手渡す。
口を尖らせ、「わかってるわよぉ」なんて呟く彼女の頭を、もう一度撫でた。
あぁ本当に、この柔らかい暖かな感触が癖になりそうで。
けれども、あの黒白がニヤニヤとこちらを意地悪そうに眺めているのに気がついて、私は誤魔化す様に咳払いを一つするのだった。
▼
―――はたして、それはいつの頃の話だっただろうか。
夢を見ている。思い出を覗いている。
自我は溶けてしまいそうにあやふやで、私はその光景をただ俯瞰する―――
「忘れ物はない? ちゃんと歯磨きするのよ? 夜更かしもお肌の天敵だから絶対にだめ! 知らない人がお家に来ても、絶対にあげちゃだめだからね?」
「神綺様、私はもう子供じゃないんですから……」
「そんなことありません。アリスちゃんはいつまでたっても私の子供です!」
うんうんと自己完結する魔界の神様。
のほほんとしておっとりとした性格の彼女だけど、魔界の者たち全ての母とも言うべき存在。
威厳なんて欠片もない。本来ならもうちょっと神様らしい態度をしててもいいはずなのだけれど、その様はどこからどう見ても子供の巣立ちを心配する母親そのものだった。
あぁ、この人がこんなんだから夢子さんが苦労することになるのねぇと、我が家最強の姉を思い浮かべる。
私たちに、直接的な血のつながりはない。そも、私たちは一般的な家族という枠組みから見ればとても歪だ。
文字通り、私たちは目の前の彼女に『創られた』のだから、ある意味では当然だったのか。
それでも、目の前のこの人は私たちをみんな子供のように扱ってくれた。
誰に対しても平等に、本当の我が子のように愛情を注いで。
そんな人柄の彼女だからこそ……うん、我が家は皆例外なく、この人のことが好きなのだろう。
誰も言葉にはしないけれど、きっとそう思ってるに違いない。
「それに、アリスちゃんは私に似てお節介焼きだから、変な人に騙されないかお母さんは心配です」
「いや、それはないわ」
私がお節介焼きだなんて、そんなことを聞けばマイあたり鼻で笑いそうな言葉だ。
あと、彼女には悪いのだけれど、私はこの人とは致命的に似てないような気がするんだけど、そのへんどうなのか。
だというのに、彼女はくすくすと笑う。
どこかおかしそうに、優しい笑みを浮かべたまま。
「そんなことはないよ。アリスちゃんはね、本当は優しい子なんだってお母さんは知ってるんだから」
そんな言葉を、自信満々に言葉にしたのだった。
その言葉が意外すぎて、きょとんっと目を瞬かせてしまう。
目の前の神様は気がついているんだかいないんだか、両手を腰に当ててふんぞり返っている。
なんというか、この人には悪いのだけれど私はそうとは思えない。
むしろ、私は優しさという言葉からはとんと無縁のような気がしてならないのだ。
愛想はないし、かける言葉も何処か刺々しい。優しい、という言葉は私には似合わない気がして。
むしろその言葉は、目の前のこの人にこそもっとも相応しいだろうに。
「あ、信用してないよね、その目」
「そんなことないですよ」
「嘘だー、絶対に信用してないもん。その目は信じていない目だもん!!」
「神様が『もん』とか使わないでください。夢子さん泣きますよ?」
「うぐぅ、それは嫌」
むむむぅと額に眉を寄せて唸る神様。本当、私の一体どこがこの人に似ているというのか。
けれども、そう言われて悪い気がしないのは……やっぱり、私にとってこの人は愛しい母なんだということなんだろう。
いや、やっぱり似てるとは思えないんだけどね。
「とにかく、向こうについたら連絡頂戴ね。一ヶ月に一回は、手紙を頂戴。たまには、……たまには帰ってきてね?」
「わかってますよ」
何処か寂しそうな表情を見せる彼女に苦笑して、私は返事をする。
まったく、こんなんじゃどっちが子供なのかわからないじゃないか。
こういう子供っぽいところも、きっとこの人の魅力なんだろうとは思うけれど。
でもやっぱり、私はこの人に似てないんじゃないかなぁと、そんなことを思う。
だって、お節介という言葉も優しいという言葉も、私にはきっと最も遠い言葉だろうと、そんなことを思ってしまうのだから。
▼
コチコチという、時計の時を刻む音で目が覚めた。
一体いつの間に眠っていたのやら、ぼんやりとした頭で思い出そうとするのだけれど、どうにもうまくいかない。
机に伏したまま眠るなんて、よっぽど疲れていたのだろうか。
ふと、カリカリとペンを走らせる音に気がついて、視線を上げる。
そこにあったのは、真剣な表情。
普段の人を小馬鹿にするような笑みからは想像もつかない表情をした、霧雨魔理沙の姿がそこにあった。
「……あぁ、思い出したわ」
ため息をついて、そんな言葉がついて出た。
確か、例の魔法の本の解析作業を進めていたはずなのだけれど、その途中からの記憶がバッサリと途切れている。
いつの間にか眠ってしまったようだけど、あれから随分と時間がたったのかもう真夜中だ。
眠気の残る頭を振りながら上半身を起こすと、ようやく私が起きたのに気がついたのか魔理沙がこちらに視線を向けた。
「よう、お目覚めか?」
「えぇ。悪かったわね、あんた一人に任せて」
「気にするなって。お前さんも疲れてたんだろうさ」
肩をすくめた彼女は、再び紙にペンを走らせる。
いったん集中すれば普段とは想像もつかないほどに魔女らしいその姿は、なるほど、彼女も立派な魔女の一人であると思わせるには十分だった。
「コーヒー、いる?」
「ん、眠気が吹っ飛ぶようなキッツイのを頼むぜ」
視線をこちらにも向けずに、そんな返事を返してくる。
その様子が好きなことに熱中する子供みたいで、たまらず苦笑してしまったのだけれど彼女は気がついていないらしい。
席を立ち、キッチンへと足を向ける。
その途中、一人の妖精がソファーでぐっすりと眠り込んでいるのが見えて、思わず足を止めた。
ずり落ちた毛布を見て苦笑し、私はそちらに歩み寄るともう一度毛布をかけてやる。
幼いあどけなさの残る寝顔を覗き込んで、さわさわと、柔らかな金紗の髪を梳くように撫でる。
少しだけ、くすぐったそうにもぞもぞと動いたけれど、それでも起きる気配は見せずに夢の中。
もうこんな時間なのだけれど、この寝顔を見ているとどうしても起こす気にはなれなくて。
クスクスと私は苦笑する。
あぁ、今更のように思い知らされることになるとは、夢にも思わなかった。
結局、あの人は魔界を一から作り上げた創造神である以上に、紛れもない私たちの母親であったのだ。
「まったく、かなわないなぁ」
紡いだ言葉は、きっと『あの人』に届くことはないだろうけれど。
けれども、血の繋がりはなくとも私たちは親子であるのだと実感できて、それがこんなにも嬉しかった。
さらさらと髪を撫でる。思い出すのは、やはり昔こんなことがあったという幼い日の記憶。
「本当、そうしてると親子だな」
ふと、声がかかってそちらに視線を向ける。
いつの間にこっちに気がついたのやら、意地の悪そうな笑みを浮かべてニヤニヤとこちらを見る魔理沙の姿。
けれど、その言葉に暖かさが宿っていたのは、はたして私の気のせいだったのか。
「そうね、……私もそう思うわ」
「おぉ、珍しく素直だな。……でもまぁ、お前さんのそのお節介な所は誰に似たんかねぇ」
のんびりとした、それでいて不思議そうな言葉で、魔理沙は紡ぐ。
なんだ、そんなの答えなんて決まってる。
きっとそれ以外に答えなんてなく、それはきっとどんなことよりも誇らしい言葉だ。
彼女に振り向き、自らの胸に手を当てる。
その時、私は一体どんな表情をしていただろうか。
嬉しそうだったのか、誇らしそうだったのか。
どちらにしても―――きっと、笑っていたことには変わりない。
「そんなの、他でもない母さんに似たに決まってるじゃない」
その言葉を聞いて、「なるほど、違いない」と魔理沙は笑い、私も不快になるでもなく、お互いにくすくすと笑いあう。
たまには、こんな風に魔理沙と笑いあうのも悪くはない。
少なくとも、こんな時間がもう少し続くように、そんなことを自然と思えるぐらいには。
▼
私、アリス・マーガトロイドは、自分が思っている以上にお節介焼きらしい。
もし、どこかの誰かに一体誰に似たのかと問われたのならば。
きっと私は、誇らしげに『母』に似たのだと、そう答えることだろう。
ねぇ、『お母さん』。聞こえてる?
私はやっぱり、のほほんとして寂しがりでとても優しいあなたによく似た、お節介焼きの『娘』だったみたいです。
でも思い直してざっくり書き直す気概に100点!
それに改訂版の方がいいね!満足感が三割増!
ルナチャ可愛いよルナチャ
僕の評価は変わりません!
自作にこだわりを持つのは良いと思いますよ。
改訂前のも読みたいですが、それは我が儘というものですね。
この話も、かなり好きな感じです。
今後にも期待大、です(笑)
まぁ冗談はさておき、忘れてしまいがちな母の温もりを感じました
それにキャラの性格や関係が俺の中のイメージにぴったりすぎです
特に魔理沙とアリスの関係とか
迷わず満点
母は子に愛を注ぎ、その子も又母となり全ては受け継がれていくんですね。
ルナチャはアリスの娘じゃないけど、だからこそ血の繋がりの無い家族愛が生まれるんだろうね。
そしていずれはルナチャもその愛を……って、なんか愛愛言ってたら恥ずかしくなってきた。
後書きの「あなたが好きな本」を
真似したくて書いた
わけじゃ無くて
出来上がったら似ていた
なら別に良いんじゃないかと思った
お金とってるわけじゃないしねw
きっとその本、本当に好きなんだろうな
と後書き読んで思ったりした
自分で許せないなら削除も仕方無かったんだろうけど改訂前も読みたかったw
神綺が直接でてくるんじゃ無いのが新鮮だったし自然で良かった
あとルナチャが可愛い
真剣な魔理沙も新鮮だったw
でも何故かイメージしやすいという不思議w
あとルナチャが可愛い
それとルナチャが(ry