窓枠は世界を切り取る。しかし写真と違って、時までは切り取らない。三次元の絵画。それは人間の生み出す芸術よりも高次元の、自然の芸術。
いつか、どこかでそんなことを聞いた気がする。私はその移りゆく絵画に暫し見惚れる。空には深い赤がにじみ、山が黒く浮き出ている。地上の太陽たちは既に山の影にのまれている。やがて赤は暗く暗く染まってゆき、山は次第に闇に溶けて消え去ってゆく。光の勢力図が置き換わり、家の明かりが外の世界へ手を伸ばす。庭の向日葵達の中で儚く橙が踊る。ああ、今日も漸く日が落ちた。
いえ、漸くという表現は良くないわね。まるで邪険にしているみたいに思えるわ。実は結構感謝しているのだ、太陽には。今日一日頑張ってもらったのだから。おかげで私は愛しい花たちの喜びを浴びることが出来たわけで……。
「でも、もう少し控えてくれても良かったんだけどね。あなたも、そう思わない?」
「なによ、遠慮しなくていいって言ったじゃない。……おかわり」
ふふん、今日の私はいつにも増して感性が冴え渡っている。そんなこと思いつつ、窓から視線を外し、首を正面に戻して言う。
食卓の反対側では紅白巫女服の栗鼠が一匹、両頬を膨らませて茶碗を差し出している。投げ遣りな言葉の割に、つぶらな視線が私を射抜く。……これは、愛玩動物になるわね。
私はそれを受け取って、横を向く。可動式の台の上には河童印の炊飯器。動力は水と枯れ葉だけ。夏は地味に困るが、胡瓜でも動くらしい――やってみたら実際に動いた。これはこの間私の素敵な笑顔を対価に、河童と交換したのだ。
……交換したのよ。訝しげに光る白粒達に向かって、心の中で念を押す。そして茶碗にご飯を山盛りにして、『待て』をしている小動物に返す。
「空の向日葵のことよ。今日も笑顔に身が焦がされたわ」
「そこまで言われると照れるわね。……おかわり」
一心に米を食らっていた霊夢は、適当に言の葉を放って寄越した。そしてすぐに、また栗鼠になって茶碗を差し出す。いえ、一遍に飲み込む様はむしろペリカンかしら? いつだったか霧の湖で見たことがある。内に氷精を秘めて。
それにしても、霊夢は一体いつまで食べているつもりなのか。私はとっくに食べ終わっているというのに。でも、これだけ食べてもらうと悪い気はしないわね。
「向日葵に謝りなさい。それにあなたは、そうね……空飛ぶ……ペンペン草かしら」
「もぐもぐ……その心は」
「割としぶとくて引っこ抜けない」
そうなのだ、奴らは意外としぶとい。土が柔らかいとホイホイ抜けるくせに、硬い土に根を張っていると全然抜けないことがある。まあ、この私がちょっと本気を出せば造作もないけどね。この巫女も普段は頭も体もふわふわ飛んでいるくせに、ここぞという時には人間にしては割とやるものだ。
「それ、褒め言葉なの? ……おかわり」
「ええ、もちろん。……はい」
「ありがと。まあ、いいけどね」
良くない。少し周りを見渡してみれば引く手数多だ。いつか誰かに引っこ抜かれやしないかと……気が気ではない。別に私は霊夢を独占したい訳ではないが、誰かに独占されるのは……面白くない。
私は湯呑を手に取り、こっそりため息をつく。皿の上からポテトサラダが減ってゆく様を見ながら、ぬるくなった麦茶を一口。液体が胃に流れ込むの感じながら、ぼうっと思案する。
私の手料理を食べたいって言う割には、量的にはご飯の方が圧倒的に多いわね。せっかくなら炊き込みご飯にでもすればよかったかしら。でも、急なことだったし仕方ないわね。
……ふと、昨日のやり取りを思い出した。
○○○○○
――また、幽香の手料理食べたいな
夏の終わり、月明かりに照らされた博麗神社の境内で、霊夢は私に向かってそう呟いた。意図せずに言葉が勝手に飛び出したような感じだった。周りで騒いでいる連中の声にかき消されてしまいそうなくらいの大きさで。呟いた後、霊夢は少し驚いたような顔をしていた。
「突然どうしたのよ?」
「え? えっと、これは……あれよ! 最近ちょっと蓄えが少なくなって来たから、誰かの家で御馳走になろうかと思ってて……」
「あなた、相変わらず貧乏生活しているのね。この時期に危ないって、どうやって冬を越すのよ。しょっちゅうこんな宴会開いてるからじゃないの?」
「いつも、材料はほとんど紫や萃香が持ってくんのよ」
私が周囲をさっと見渡して言うと、霊夢も同じように見回して答えた。見れば隙間妖怪は来ていなかったが、鬼なら少し離れた場所で鼠に絡んでいた。
「ふーん。で、何で私の所に?」
「へ? 何でって……」
「他にも行く当てはあるでしょう。隙間妖怪とか吸血鬼とか、今日来ている寺の連中とか」
「それは、その……前に持ってきてくれた幽香の料理が、美味しかったから。……それに! 他の所にはその後で行くつもりなのよ!」
霊夢はごにょごにょと躊躇うように言った後、どこか、誤魔化すように付け足した。
「そう。まあ、私はかまわないわよ。一食や二食程度なら。代わりに、後で何か手伝ってもらうけど。例えば、そうねぇ……ふふふっ」
「いいの?」
「ええ」
「ほんと? じゃあ、明日とか――」
「明日? また随分と急ね」
「……い、いいじゃない! 善は急げって言うし!」
「意味が分からないわよ。どうせ今夜も遅くなるんでしょう。今あるものでしか作れないわよ? もう少し先だったら――」
「誠に危うく、冷汗三斗であるっ! いざ、南無三!」
「はあ……ご主人様、また失せものかい? どうせ隠していても被害が拡大するだけだから、正直に話してごらん……」
「貴方が噂のフラワーマスターね! 正体不明の種に埋もれて――」
「おぉー海原っ、夜のー闇ぃをー掻き分ぁけぇー」
妙に意気込んでいる霊夢をなだめようとすると、私の言葉を遮るように酔っぱらい共が雪崩れ込んできた。さっきまで捕まっていた鼠だけは素面に近い。
「と、とにかく! 明日のお昼ね!」
正体不明娘を空の一升瓶で黙らせていたら、霊夢はそう言い放って、今は入道を分裂させようとしている鬼のもとへ駆けて行った。なんとなく空を仰ぎ見ると、月が苦笑していた。
「船長さん、耳元で大声で歌わないで頂戴」
「そこーにチルノが――ごふっ!」
まあ、いいか。何か簡単なものでも作っておこうと思い、考えることを止め、その後は結局月が隠れるまで虎と一緒に鼠娘で遊んでいたのだった。
○○○○○
黙々と食べ続ける霊夢を密かに視線で愛でていると、食卓から殆どおかずが消え去った頃に声をかけてきた。
「そうだ、幽香。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「何かしら?」
本人は気軽なふうを装っているつもりなのだろう。しかし身体はどことなくそわそわとしている。そして僅かに躊躇うような視線が茶碗へと注がれている。
霊夢は黙したまま箸を動かした。一口、二口……三口食べてよく咀嚼して飲みこみ、湯呑を空にして一息ついたところで視線を上げ、やっと言葉を発した。
「おかわり」
刹那。硬い木と金属のぶつかる、重く鈍い音が食卓を震わせる。少量の肉野菜炒めが残った皿が僅かに浮きあがり、永遠亭の人参が飛び跳ねる。食卓の空いた場所に突如炊飯器が出現した。
霊夢は一瞬身体を震わせた。さっきまでのふてぶてしい態度が一転、不安げな表情を私に向ける。なにこれ、可愛い。……いけない、思わずにやけてしまいそうだ。どうやら結構驚かせてしまったみたいだ。本当は炊飯器が予想以上に重たかっただけで――攻防一体型護身用炊飯器、確か河童はそう言っていた――私は別に怒っているわけではない。この程度のことで動揺するなんて、いつもの霊夢らしくないわね。せっかくだし、霊夢の貴重な様子をもっと堪能したいから、少し意地悪をしてみようかしら。うふふ。
「あの……幽香?」
「おかわりなら自分でよそりなさい」
「え? うん……その、ごめん」
霊夢はおずおずと炊飯器のふたを開け、茶碗に控えめな山を作る。俯いて箸を持ち小さなご飯の塊を一つ、ゆっくりと口に運ぶ。本当に、珍しいわね。
追い打ちをかけるために、霊夢が口をあけたその時、私は出来るだけそっと無感情につぶやく。
「まだ食べるのね」
霊夢の両肩が跳ね上がり、白い欠片が茶碗へと帰還する。箸が小刻みに震えている。霊夢は恐る恐る顔を上げ、上目遣いで私を見る。不安と恐怖と後悔を足して三ではなく二で割っってしまったような表情だ。目には雫が溜まり始めている。あとひと押しで容易に堰は切れるだろう。いつもの堂々とした姿からは想像もできない。本当に、今日はどうしたのか。さっきまでのペリカンが、今や寒さに震える子猫のようだ。ああ、これ以上私の心をくすぐらないで。あまりの可愛らしさに思い切り抱きしめてしまいたくなる。
少し時間を置こうと思い、私はゆっくりと麦茶を飲みほして立ちあがる。ところが霊夢は、椅子が立てる音にも過敏に反応した。……かわいそうなくらいに怯えている。
途端に私の熱が冷める。まったく、私は何をしていたのか。少し、調子に乗りすぎたわね。どこかに出かけていた自重と反省の文字が、愛想笑いを浮かべながら私のもとへ帰って来た。
いけない。普段の霊夢の毅然とした態度や、私自身が癖のある妖怪どもを相手にしていることもあって、忘れかけていた。まだ霊夢はか弱い少女であるということを……。弾幕ごっこがなければ妖怪退治などする力は備わっていない。精神的にも、肉体的にも。冷静に思い返してみれば、今日はどこか様子もおかしかった。何かあったのかもしれない。きっとこれ以上は心を傷つけてしまう。生憎極めて一般的・普遍的で健全な心しか持ち合わせていない私にとっては、残念ながらその行為に喜びを覚えることはできない。
「お茶、淹れて来るわね」
少なくとも霊夢をこれ以上刺激しないように、普段通りの声を出す。私自身こんな霊夢を見たのは初めてで、少しばかり戸惑っている。私は無言の霊夢の湯呑も手に取り、静かに台所へ向かう。途中でこっそりと振り返ってみると、その背中はまるで泣いているようだ。
……やっぱり、謝ろう。どうやって慰めたらいいのだろうか。とりあえず、温かいお茶が良いわね。
脳内で理性にしがみついて必死に抵抗している現状維持を黙らせた。
○○○○○
「お茶、淹れて来るわね」
幽香のいつもよりも硬い声が頭の中を駆け抜けて行った。
幽香を怒らせてしまった。……嫌われて……しまった。
強引に約束を取り付けるようなことをしてしちゃって、やっぱり迷惑だったのかな。夢中になって、ただ食べ続けるばっかりで、図々しかったかな。
滲み出て来る涙を、必死に瞬きで追い返す。震える膝を拳で押さえつける。
悔やんでも、もう遅い。
いつだったか神社の宴会で幽香の手料理を食べて、とても感心したことがある。その時は他のみんなも手料理を持ってきたが、幽香の料理は殊更になんだか優しい味がした。普段身にまとう雰囲気とは似ても似つかない、でも心のどこかでは当たり前のように受け入れている、不思議な優しさがあった。もしかしたらあの温もりは、普段は花たちだけに注いでいた愛情なのかもしれない。
それからずっと気になっていた。あの味の事も、幽香の事も……。もっと、幽香の優しさに触れてみたい。一緒に色んな、日常的なことをしてみたい。そう願っていた。だからだと思う。昨日の宴会で久しぶりに幽香が来てくれて、柄にもなく舞い上がってしまって……。
失敗が眼前に立ちはだかり、後悔の闇が私の心を握りつぶす。
――おかわり
ちがう。そんなことが言いたかったんじゃない。
――ねえ、何日か幽香のとこに泊めてくれない?
前から、昨日よりもずっと前から考えていた。何気なく、さらっと言ってしまうはずだった。そのために、何回も練習したし、その後の言い訳を考えたりもした。でも、異変以外ではなかなか会う機会がなくて、言えなかった。
今日、せっかく絶好の機会が来たのに……いざ言おうとしたら、頭が白くなってしまった。なんとかセリフの準備をしたけど、口が動いてくれなくて……やっと出た言葉は最悪で……。
ただ、ただ、悲しみが込み上げてくる。昨日に戻ってしまいたい。……もう、どこにも居たくない。
○○○○○
自分の湯呑に緑茶を注ぎ、一口飲む。すぐに飲める温度になっていることを確認して、霊夢の湯呑にも満たす。そしてそっと食卓に戻り、それぞれの湯呑を置いて声をかける。
「霊夢」
「あ……ありが、とう」
「一口飲んで、ちょっと立ってみなさい」
すっかり元気をなくしている。……少しだけ、心が痛む。
霊夢は目の前に置かれた湯呑を不安な両手で包むようにして持ち、恐る恐る口を付ける。湯呑を置いてからやっと飲みこみ、言われるがままに立ちあがった。
頭を垂れる霊夢の正面に立ち、私は出来る限り優しく抱きしめた。
霊夢は身体を硬くして、驚いた様子で私を仰ぎ見る。
「ごめんなさい、霊夢。少しふざけすぎたわ」
「……え?」
「ごめんなさい。ちょっとだけの、意地悪のつもりだったの。でも……度が過ぎてしまったわね。……ごめんなさい」
「……いじ、わる? ……怒って、ないの?」
「ええ」
「本当に? 幽香……私の事、嫌いに――」
「大好きよ、霊夢」
私はそう言って両腕に少しだけ力を込める。そのまま、言葉が滲み込むのを待つ。すると霊夢の張りつめていた表情が緩み、身体からも力が抜ける。
しかし続く言葉の意味を理解したのか、すぐに再び背筋を棒にして、今度は顔がみるみるうちに赤熱してゆく。
交差した視線が、凍った時の中に閉じ込められる。私はそれを溶かすために、霊夢のきらめく瞳を見つめて花を愛でるときのように微笑む。
「……幽香」
「何?」
多分無意識に私に名前を発したのだろう。私が答えると、霊夢は私の腰にまわした手にきゅっと力を込める。そして私の胸に顔をうずめて、かすかな声で呟いた。
「……いぢわる」
後悔が、旅立っていった。
だめだ、嬉し過ぎて言葉にならない
点数=感想ってことでひとつ
良かったです。本当に。
ところで船長さん、その歌はちょっと…(苦笑
そんなあなたにはケツ○ンカーを…
あぁもう霊夢可愛すぎる…
いょっしゃあああげほっごはっ
姉妹みたいだ……なんて微笑ましいんだろう。
後半の乙女心全開描写とのギャップは堪らないものがある。
好きな娘にいぢわるしてしまう幽香が私は好きだ。対象が霊夢ならばその勢いは天井知らずだ。
本気でヘコんだ霊夢を慰める、そのアメとムチの使い分けは絶妙なものがある。
だがこのような物語への感想も、最後に霊夢が呟いた「……いぢわる」に全て吹き飛ばされた。
俺も言われてみてぇぇぇぇぇぇ!!
怯えちゃってる霊夢可愛い