「もう一度だけ聞くわ」
青い空の下。
陽炎立ち上る神社の敷地。
本殿の裏で人影がそう言った。
その人影はサラシにドロワーズ姿の巫女だった。
彼女は全身に噴出した汗が、肌を伝うのも構わずに仁王立ち。
尖らせていた口を開き、こう続けた。
「うちの神社でこそこそと何をやっているの?」
彼女の視線の先には四つの人影がある。
白い霊魂を侍らせ、背に一振りの刀を背負う銀髪の少女。
青と白とを基調とした侍女服に身を包んだ銀髪のメイド。
灰色の細い尻尾を揺らし、二本の棒を腰に差す鼠の妖怪。
黒い二つの翼を背に具え、カメラを首から提げた鴉天狗。
四者四様の様態を持つ彼女達だったが、三つ共通点があった。
一つ、巫女の肌を伝う汗とは異なる種の汗を浮べていること。
二つ、各々の腕には大量の向日葵の花が抱えられていること。
三つ、彼女達の向う、山積みになった向日葵の花があること。
冷や汗を浮かばせた彼女達は互いに顔を突き合わせて、二言三言相談しあった後。
頬を引き攣らせながらも、努めて穏やかな笑みを浮かべてこう言った。
『残暑お持ち致しました』
「お持ち帰り願うわ」
その言葉は巫女によって一蹴された。
*
照り付ける陽光が肌を焼く神社の裏手。
サラシ姿の巫女が一輪の向日葵の花を手で弄んでいた。
珠のような汗を肌に浮かばせる彼女の正面には、正座して地面に座る四人の少女がいる。
彼女等は一様に肩をがくがくと震わせて、俯き加減に座っていた。
その内の一人、背に黒い羽を持つ鴉天狗が恐る恐る手を挙げて、
「あ、あのー……霊夢さん?」
「文、静かになさい。考え事中よ」
霊夢と呼んだ巫女の取り付く島の無い様子にしゅんっと肩を落とした。
一方の霊夢は汗が肌を伝い、地面に疎らな跡をつけるのも構わずに向日葵の花を眺めている。
その向日葵は花だけになっているにもかかわらずに萎れていない。
そもそも、と霊夢は一人ごちながら向日葵の花を裏返す。
そこには本来あるべきだった茎と繋がっていた痕跡が無かった。
逡巡の後に答えは出ず。
仕方無しに霊夢は向日葵の花を指差すと、それを持ってきた四人組を一瞥し、
「それで……あんた達が持ってきたこの変な向日葵と、この異常な暑さは何か関係しているのかしら?」
夏も半ばを過ぎて暑さが和らぎだした頃合。
昨日までと一転して、酷暑と形容してもいい現状になったことを霊夢は問い質す。
霊夢の問いかけに対して最初に反応したのは銀髪の少女で、彼女は文と呼ばれた鴉天狗がしたように恐る恐る手を挙げて、
「妖夢、発言を許すわ。正直に話しなさい」
「え、ええ……ここまで来て嘘はつきませんよ。あの……幽々子様が春を集められてた時のことを覚えていますか?」
妖夢は恐る恐るといった様子で言葉を紡ぎ、
「ええ、冬が長かったなーって事ぐらいは」
「あの時は春だったので桜でしたが、今回は夏なので向日葵という事です」
問いかけに対して遠回しな答えを返してきた。
はて? と霊夢は首を傾げながら、過去に解決した異変を思い出す。
春を奪われてしまった為、冬が終わらなかった異変。
向日葵を押し付けられて、異常なまでの暑さの現状。
その時の事と現状を照らし合わせ、妖夢の口にした二つの花のことを思い浮かべる。
春と夏。
桜と向日葵。
そうか、と前置きをして、霊夢は導き出した結論を口にする。
「この向日葵はただの花じゃなくて、夏の象徴としての向日葵。夏度が一箇所に集められてるから、この異常な暑さになっているって言うこと?」
「端的に言えばそうなりますね」
「持って帰りなさい」
妖夢が端的に答えたので、彼女に向かって端的にそれを投げ付けた。
大げさに痛がり、顔に張り付いた向日葵を剥がす妖夢を、霊夢は半目で見ながら嘆息。
剥がした向日葵を膝に抱いた妖夢が、抗議するように前のめりになって、
「ま、待ってください! ここに夏を捨てようとしたのは深い事情があって……」
響いた制止の声を、そう、と受けて、で? と返した。
こちらが聞く耳を持ったと解したのか、妖夢は咳払いをして乱れた呼吸を整える。
「その……幽々子様が素麺はもう飽きたから、夏を捨ててきてと仰ったので」
浅い事情だ! と皆が叫び、言った本人が驚愕する結果となった。
霊夢は落ち込んだ様子の妖夢からは視線を逸らし、隣に座る銀髪のメイドを見遣る。
彼女は視線が合うと、酷暑ともいえる気温の中でも涼やかな顔に笑みを浮かべて会釈をよこして来た。
その事を羨ましがりつつ、腕を這う汗を払い、
「それで咲夜、あんたの方はどうなの?」
彼女――咲夜は、ええ、と前置きをして悪びれた様子もなく呟いた。
「お嬢様が日差しが強いばかりで外にも出れず、中に居ても暑いこの季節はもう嫌だと……」
同じ程度の理由が続いたことに霊夢は肩を落とす。
茹だる様な暑さの中ではもう怒り出す気力も生まれず、少しでも涼を求めてふらつきながら木陰へと歩み寄った。
咲夜はこちらが脱力した理由が分からないらしく、不思議そうに首を傾げている。
その仕草に眉間に寄った皺を指で慣らしながら、霊夢は咲夜の隣へと視線を移す。
そこにはうずうずと、灰色に耳と尻尾を忙しなく振って、構って欲しいと言いたげな鼠の妖怪がいた。
彼女の態度に一抹の不安を覚えた霊夢は、溜息を付いてから彼女の名前を呼ぶ。
「ええっと……ナズーリン、あんたは?」
「安心したまえ霊夢。私の理由はそこの二人とは違ってとても深刻なものだ」
待ってました、とナズーリンは胸を張って、片手をそこに添え、演技がかった口調で喋りだす。
深刻な理由を安心して聞けというのはどうしたものかと思いつつ、霊夢は適当に相槌を打つ。
こちらの様子に気付かぬのか、彼女は自信満々に言い放つ。
「この夏の暑さで雲山が積乱雲級入道に発達してしまってね……」
場に沈黙が満ちた。
雲山?
ナズーリンの発言の中で聞き覚えのある単語があった。
一輪という尼僧の傍に侍る、老年の入道がそんな名前だったと霊夢は思い出す。
彼女の発言には、彼が発達したという表現があった。
彼が発達してもくもくと大きくなっていく様を思い浮かべてみるが、微笑ましい風景にしか思えず霊夢は首を傾げる。
ナズーリンは場の沈黙を自分が述べた理由の深刻さへの評価と捉えたのか、満足げに胸を張っている。
自分の想像と深刻という言葉に違和感を覚えて、今度は霊夢が手を挙げて彼女へと声をかけた。
「えっと……それってそんなに大変なこと?」
その言葉は彼女の表情を一変させるには十分なようだった。
霊夢の言葉が心外だと言わんばかりに、ナズーリンは尻尾と耳を逆立て、
「な、な、なにを言い出すんだ君は! あの雲山が積乱雲級になったんだぞ!」
わなわなと肩を震わせ始めた。
どうしても深刻な状況に思えず、はて? と霊夢は首を傾げてしまう。
その事が気に食わないらしく、果てにはキーッっと金切り声で鳴き始めた。
指で耳を塞ぎ、ナズーリンの抗議を受け流しつつ、霊夢は最後に残った鴉天狗へと声をかける。
「それで……文はどうなのよ」
「あ、はい。私は鴉天狗の情報網を通じて、皆さんが夏の捨て場を探してるということだったので、捨てに来られる前にと……」
「後ろにあるやつ、全部妖怪の山に持って行って」
「何故に!?」
挙がった疑問の声に、だって、と霊夢は応え、
「あんたの理由が一番不純じゃない! 責任持って夏全部持って行きなさいよ! もう暑いのいーやーっ!」
びしびしと山積みになっている向日葵を指し示す。
正座して座る彼女等の言い分は聞いたものの、何の解決にもならず、せめて押し付け先にと妖怪の山を指定した。
同意を得られることを望んで文以外の三人に視線をやる。
しかし何故か彼女達が申し訳なさそうに俯くばかりだった。
その事に疑問が浮かぶ。
彼女達としても自分達以外の場所に押し付け先が落ち着くならば賛成するはずだ。
同意が得られなかった事に、嫌な汗が首筋を伝うのを感じる中。
妖夢が恐る恐ると手を挙げ、ぽつりぽつりと話し出す。
「私達も最初は弾幕で勝負決めて、誰かに押し付けようとしたんですが……」
だけど、と彼女は続け、
「説明するより見てもらったほうが早いかと。空から見ればすぐ分かるはず」
と指を立てて空を指し示す。
空? と疑問は解消されないまま、霊夢はゆっくりと空へと舞い上がる。
どうやら向日葵を中心に熱気の範囲が確定しているようで、空へと上がるにつれて熱気は和らいでいく。
ようやく涼しさを得て胸を撫で下ろし、しかしすぐに息を飲む事になった。
「な、なによこれっ!?」
空から見下ろすことで開けた視界の中。
下に居る四人の本拠地がある方角を中心に、木々が既に紅葉を迎えて、その彩を緑から赤へと変えていた。
つい昨日までは鮮やかな緑に埋め尽くされていた大地が、だ。
一夜にして変貌を遂げた光景に霊夢が困惑する中、言葉と共に下から上ってくるものがあった。
「私達の所はもう秋が来てしまっているんです」
翼を羽ばたかせ舞い上がってくる文を先頭にした、今回の騒動を起こした四人組だ。
彼女等は霊夢の背後に並ぶように浮かび、
「残っていた夏が過ぎたので、必然的に秋が来たわけです。過ぎたことになってる夏をを戻しても、来てしまった秋に対抗できないんです」
だから私達の所にはもう戻せない、と彼女等は口々に言う。
申し訳なさそうな声を背後から聞き、霊夢は肩を震わせる。
理不尽極まりない現状ではあるが、ここで憤っていても仕方が無い。
そう結論付けて、暫しの沈黙の後に振り返り、背後に居た四人を見据えて、
「この落とし前は後日つけてもらうとして。まずは秋が来てない場所に夏を分配するわよ!」
自分の背後、転々と緑が残る大地を指差した。
*
竹が生い茂る大地。
その奥に佇む屋敷がある。
向日葵を屋敷の裏手に置き去った五人組が空から見下ろす中。
屋敷の中では主を筆頭に兎達がだれきっていた。
「あーつーいー」
少しでも涼を求めて彼女等は板張りの床だったり、日陰だったりに這いよって行く。
その一群から一歩離れて、彼女等を見守る人影が二つあった。
その内の一人、長い耳を持つ獣人が、傍らに立つ女性に語り掛ける。
「師匠、確かそろそろ残暑も終わる頃だと思ったんですが……」
「そうね……暦上はそのはずなんだけど」
師匠と呼ばれた女性は、だらしなく寝そべる兎達を見て嘆息。
自分も額に浮かばせた汗を拭きながら、獣人へと振り返り、
「仕方ないわね。原因は後で探るとして、押入れから『アレ』だしてきて頂戴。少しでも涼しくしてやらないと、兎達働かなくなっちゃうわ」
「はい、わかりました……てゐはこの期に乗じてサボっているだけな気がしますが」
それもそうね、と苦笑する女性に対し、獣人は釣られて頬を緩めると、屋敷の奥へと消えてゆく。
屋敷の住民達が増強された夏に順応していく様を見届けると、空に浮かんでいた五人組は残りの向日葵を取りに神社へと戻っていった。
彼女達が去って行った後、屋敷からは涼やかな音が響いた。
人里から伸びる路の先。
子供達に歴史を教える寺子屋がある。
普段は子供達の活気で賑わうはずの頃合だが、静けさを保っていた。
障子が開け放たれた教室の中、座布団を枕代わりに子供や妖怪が大の字に寝そべっている。
それぞれが額に汗を浮かべ、だらしなく口を開き、
「あーつーいー」
口々に同じ言葉を呟き、開け放たれた間口から風が吹き込む度に心地良さそうな声を漏らす。
生徒達がだらけた教室に、教師と思しき獣人が入ってくる。
彼女は手には人数分に切り分けた西瓜を乗せたお盆を持っていた。
「ほらほらお前達。まだ授業の時間なんだぞ? きちんとしろきちんと」
お盆を机に置いた彼女も、暑さには堪えているらしく、浮かぶ汗を拭った。
寝そべっていた生徒達がよろよろと起き上がり、冷えた西瓜に群がっていく。
その光景を見て彼女は笑い、一人だけ西瓜を載せた盆から離れると、庭に面した間口へと歩む。
獣人の行動に気付き、興味を持ったのか左右彩の異なる瞳を持つ妖怪が声を上げて、
「けーねは食べないの?」
「ああ、私は後でいい。それよりもこれをつけて少しでも涼しくしておきたいからな」
そういって獣人は前掛けについていた袋から、硝子で出来た小物を取り出して掲げてみせた。
急に暑くなったことに疑問を抱いていない様子を見届けて、空に浮かんでいた五人組は次の目的地へと去っていった。
彼女達が去って行った後、寺子屋からは涼やかな音が響いた。
何度目かの往復の後、向日葵の数が大分減った頃合。
霊夢は次の目的地を告げることなく、神社の社務所の中へと入っていった。
四人は手持ち無沙汰に、縁側の外に立ち尽くして、霊夢が押入れに頭を突っ込んで探し物をする様を見ていた。
霊夢の周りに箱が積み重なり始めた頃、待ちきれなくなったのかナズーリンが一歩前に出て、
「なあ、霊夢。まだ向日葵は少し残っているし、もともとこの神社にあった夏が残っているがどうするんだい?」
彼女の問いかけに対し、霊夢は突き出した御尻を振りながら答えた。
「んー……押し付けただけじゃ悪いし、どうせ夏もあと少しだから残ってる分は引き受けるわよ」
その答えが意外だったらしく、四人が顔を見合わせる。
そしてようやく探し物を見つけて霊夢が押入れから顔を出した。
霊夢は埃が積もった箱を手に持って、縁側まで戻ると腰を下ろす。
積もった埃を払いながら、きょとんとしている四人に視線を巡らし、
「そんな不思議そうな顔しなくてもいいでしょ。この夏でやり残したことも思い出したし」
呟いてから、手に持った箱の蓋を開いた。
四人の視線が箱の中身へと注がれる中、霊夢は言葉を続けて、
「あんた達の所は夏が終わって、もう使わないのあるでしょ? それ、持ってきてよ」
四人は霊夢の言葉を聞き、箱の中身を見て、お互いの顔を見合わせる。
そして納得したように、ああ、と声を漏らしながら各々手を叩いた。
陽も落ちて、月が登る頃合。
月明かり差し込む畳敷きの部屋に霊夢はいた。
中央に敷かれた布団の上、上半身を起こして開け放ったままの間口を見ている。
霊夢の視線の先には五種類の風鈴が釣らされていた。
それぞれが微風に揺らされて澄んだ音を立てていることに、霊夢は満足そうに笑みを浮かべる。
熱気和らいだ風が吹く中、霊夢は小さく欠伸をすると布団に横になった。
彼女の穏やかな寝息が立ち始めた頃、五種の風鈴は涼やかな音を奏でた。
翌朝。
立ち込める焼け付くような熱気に霊夢は目を覚ます。
昨日も味わった汗が吹き出る感覚に煩わしさを覚えながら、霊夢は体を起こした。
外を見遣れば、既に陽炎立ちこめる大地が目に入る。
その陽炎の向う、揺らめく人影がおぼろげにいくつか見えた。
それが誰なのか判別がつかないほど揺らめく視界の中、霊夢は一つの色彩を見つけて肩を強張らせる。
人影には共通点が一つあった。
それぞれの胸の辺りに抱えられている黄色の色彩。
それが何なのか、霊夢が理解するのに数秒もかからなかった。
額から頬、顎と伝った汗が滴り、半ばまで捲れた掛け布団に疎らな跡をつける。
熱気を孕んだ風が吹き、吊るされた風鈴が涼やかな音を奏でた。
陽炎の向うにいる人影達が一歩前に踏み出てこう言った。
『残暑お持ち致しました』
我が家の周りの夏もだれか持って行ってくれないかな
積乱雲山は何が起こるかわからなくて確かにデンジャラス
>その答えが以外だったらしく(意外
おかしい、全く秋がじゃなくて飽きが来ない。いい加減自分のアホ舌が怖ろしくなってくる。
それはそうと残暑。もういいよ残暑。お腹いっぱいだよこの残暑野郎!
早く秋風に身を包まれながら懐かしく思い出す、そんな存在になってくれよ。霊夢もそう思うよね?
駄目だ。現実&物語の暑さにやられてまともなコメントが思いつかん。
だけどこれだけは言わせて下さい……
祝 寺子屋入学! 良かったね、小傘ちゃん!!
これだと、秋の終わりには某姉妹神が「それをすてるなんてとんでもない!」運動をやってそうw
「地震雷火事親父」のうち、「雷」と「親父」が真上にあり続けるんだぜ?おっかねぇ……
その上大雨と洪水のおまけつき。おっかねぇ……
各所でほっこりした描写があって、最後まで穏やかかと思ったんですが、オチも秀逸で面白かったです。