食卓に沈黙が居座るのはいつものことで、寺の食事風景なんてものはうちに限らずだいたいどこもこんな感じなんでしょう。私と彼女以外は皆珍しく出払っているので、今日は寂しく二人並んで黙々と目の前の料理を片づけています。分量も二人分だけでよかったものを、ついついいつもの要領でうっかり多めに作ってしまったものですから、鍋には私の作った味噌汁が夕飯時に再び食膳の上へ躍り出る時をまだかまだかと待ち構えて居ります。
それはそうと、先程から視界の左端にちらちらと彼女の尻尾が見え隠れしているのが非常に気になります。食事とあって流石に同志の入った籠はその先に引っかけておらず、そのせいなのか、手持無沙汰ならぬ尾持無沙汰とでもいった具合に見えます。ゆらりゆらりと左右に揺れる尻尾の先はさながら猫じゃらしのようで、食膳よりも尻尾の方に意識を引かれるのも致し方ないでしょう。ご飯を口に運んではいるものの、目玉だけを目一杯左へ向けてそれと気付かれないように盗み見てみる。が、なかなか上手くはいかない。ただ目が痛くなるばかりで、焦れた私は首ごとそちらに向く。黙々と食べている彼女を、黙々と食べながら首をひねって凝視しているというのは、傍から見ればなかなかに変質的な光景に映るんじゃないかなとちょっと不安に。
この距離で見ていれば相手も視線に気付かないはずもなく、なんだいと言う代わりに「ん?」と咀嚼している口を閉じたまま上目遣いに聞いてくる。いえなんでもと適当にあしらうと、彼女は怪訝な顔をしつつも前へ向き直った。その後も尻尾は相も変わらず私を誘ってくるものですから、ついでに悪戯心もくすぐられ、どうにも辛抱ならなくなり、無作法を承知で味噌汁の椀の上に箸を渡して、少し体を後ろに反らし彼女の視界から軽く消える。そろりそろりと手を伸ばして、揺れる尻尾の先に狙いを定めてぐわしっと一掴みにしてみた。
途端、彼女は箸を落とし、「んぐっ」と蟇でも潰したようなくぐもった声が喉の奥から出かかり、尻尾のみならず少し丸めていた背筋までぴんと硬直させ全身の毛という毛を逆立て、勢い余って口に入れていた米粒を呑みこみ喉に詰まらせ、俎と見紛うほどの胸板をどんどんと叩きだした。自分でやっておきながらあまりの反応にびっくらしたものの、とりあえず適度に温くなっていたお茶を掴ませてやる。乱雑に受けとったせいで中身が零れたのもお構いなしに飲み干した。がたんと湯呑を置くのと同時に顔を伏せ土左衛門のなりそこないよろしくぜぇぜぇと荒く呼吸を乱し、しばしの間はそんな具合だった。
肩の上下幅が少なくなったのを見るに落ち着いたかなと思いきや、うつ伏せのまま顔だけ傾けてこちらを睨むものですから怖いなんてもんじゃありません。井戸に落ちた女の霊が這い上がってくる時だってこんなに恐ろしい顔はしないでしょう。十二分以上に怒気を孕んだ地鳴りのごとき呻り声で、
「一体、な ん の マ ネ だ」
なんて問いただされた日には、怖い顔見たくなさに平身低頭となるのもしょうがないことでしょう。窮鼠に睨まれた猫のビビり方と言ったら、蛇に睨まれた蛙なんて霞んでしまうのも必定。とにかく、
「すみません」「ちょっとした出来心で」「別に悪気があった訳ではなく」
などといった言い訳を弾幕の如く並べ立てて、どうにか窮鼠大明神のお怒りを鎮めることに心血を注ぎます。
「それじゃあ君も尻尾を出しなさい。どこぞの法典みたくお返しで済ましてやろうじゃないか」
たかが尻尾を掴まれるくらいで大明神の機嫌がとれるならお安い御用。あんまり機嫌を損ねると失せ物探しをしてくれない時があるので有事の際に非常に困るんですよね。軽く掛けていた変化の術を解いて尻尾と耳を露わにする。後ろを向けと言われたので黙って従う。上司の面目なんてものは鼻からありません。うぅっ。
するやいなや、何の予告もなしにがっしりと尻尾を掴まれた。あふ、たしかにびっくりはするけども、なんとなくこのむず痒さは癖になるかもしらん。なんて思っているうちに、彼女は私の尻尾を思い切り引っ張った。
そのときの感覚と言ったら、なかなか言葉では説明しづらいのですが、焼き魚の骨をきれいに抜くときを思い出せば分かる通り、尻尾は背骨、ひいては頭蓋に通ずる訳でして、まるで脳天に落ちた雷が尻尾の先に抜けていくような、立ち上がりざまに頭をぶつけた時の衝撃が尻尾の先まで伝動するような、蜜蜂が針を抜くときについでに内蔵もろとも飛び出してしまうような、そんな感覚です。もし家の明かりに紐のついているお宅があったら、それを強めに引くと似たような感触を味わえると思います。もっとも引くほうのだけど。なんで電気の明かりなんてものを知っているかというと、洩矢さんちの神社にお邪魔した時に天井からぶら下がる紐に興味を引かれて、実際に引いてみたらいきなり明かりが消えてあたふたしたこともありました。今は昔です。
足が痺れたときのあの感覚のように、尻尾を引っ張られる感覚というのは結構尾を引くものです。背骨中を蟲が這いずるようにびりびりします。尻尾の付け根を両手で押さえて、もんどり打ってのた打ち回る私を見て、
「全くこの独活の大木は碌なことをしない」
と酷い言いようですが、なんとか溜飲を下げてくれたようで、また食膳に向き直ります。ようやっと回復した私もそれに倣います。座布団に座りなおすと、横からの視線が痛いです。座布団も針のむしろの上ではなんの役にも立たないもので、これに懲りてから私は今まで尻尾を掴んだ事はありません。自分のを触る時ですらおっかなびっくりやっています。
皆さん、猫であれ鼠であれ、尻尾を引っ張ってはいけませんよ。
>鼻からありません
→「端から」
はな【端】
[一]〔名〕
(1)物の先端部。はし。平家物語(9)「後陣におとす人々のあぶみの―は、先陣の鎧甲にあたるほどなり」
(2)物事の始まり。最初。「―から調子がいい」「聞いた―から忘れる」
広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書店
でも二度と自分の作品を駄文と言うな。読む前に萎える。
しかし、これが駄文であれば、私には文章を書く権利すらありますまい。チクショー。
ネズミの尻尾はどうか分かりませんが、ナズの尻尾ならきっと飽きないだろうなぁ
1行が長いのが読みづらいかと思ったけど独特の文体で読んでたらそうでもなかった。
ネズミの尻尾は猫科のよりクッションが無いから握ったら普通に痛そうだな。
でも突然握ったからアレなのであって、優しく撫でてあげたら一体どんな状態になるのだろうとか考えてみたら朝から元気。
タイトルは失念したんですが、日本の小説で鼻としているのが確かあったと思うのでそれに倣いました。なので、ご指摘いただきましたが修正はしません。あしからず。
>>8さん
>>12さん 駄文うんぬんに関して
あまり真面目な気持ちで書かなかったもので。というのも、ルーミアの比較的真面目な話を書いていて、筆が進まなくなったので気分転換に30分くらいで書いたんですよこれ。不快に思われるようなのでタグは消しときます。
>>10さん
獣の弱点といえば鼻面に尻尾と相場が決まっとります。
>>13さん
あったらいいな、というか便利そうだなとは思いますね。バイトで品出しするときとか。
>>15さん
ハムスターの短い尻尾をつまむのも乙なもんです。
通い猫の尻尾を触るのもいいですけど野良なんであんまり触らせてくれないんですよね。
>>17さん
>>朝から元気
一体どこがw
文体に関しては昔の日本文学に影響されていると思います。
綺麗で豊かな表現が凄く面白かったです。ありがとうございました。
よりテンポを重視して改行をもっとすべきなのか大いに悩んどります。
しかし山も谷もないような話だなんて言いますけども
文章の価値はなにもストーリーだけじゃなく、文体というか、書かれ方もその一つだと思います
こういう文章はたぶん創想話には珍しい部類ですし、きっとこのままで書いてもらえれば。
そういってもらえると幾分助かります。
こういう文体で長々書くのは結構難しそうなんですよね。やってみたくはあるんですが。
それよかルーミアの話を完結させんといきませんので暫し先のことになりそうです。
しっかりとした文章を書ける地力の備わってる方だとお見受けしました。(偉そうな事言ってすいません)
サイヤ人の尻尾のくだりはエッチくて良かったですw
いやぁ、照れるぜっ。そんな褒められるほどのものではありませんよ。
尻尾を触られるのって人間に例えるとどんなかんじなんでしょうね?お尻かな。
どれをとっても心温まるお話でした。
これはいい尻尾。
お褒めいただきありがとうございます。
短いながら、すらすらと書けた作品ですし、自分でも気に入っているので嬉しいです。
>>>「俎と見紛うほどの胸板」地味にひどいこと言うね星ちゃんw
ナズーリンは勿論のこと、星はどじっ子だったりで可愛いですね。
ナズが俎なら、星は俎上の鯉と言ったところでしょう。悪さして案の定捌かれましたから。