「あなたは今までに尻から出した槍の数を覚えてるの?」
「13本。私は剣派だからな」
「あら、上級者なのね」
――ヤマ記 13章8節「剣と星々の狂宴」より
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レミリア・スカーレットは苦悩していた。
場所は紅魔館の一角。当主の間。
小柄な体躯に合っていないサイズのマホガニー机に肘をつきながら、レミリアはただ只管に懊悩とした時間を過ごしていたのである。
夜の帝王とまで恐れられ、人間に絶対的な戦慄の念を抱かせていた吸血鬼一族の少女は、今や「うーうー」と愛らしい苦悶の声を響かせるばかり。
普段なら愛らしい少女然とした目元は苦難に歪み、ぷにぷにとした肌質が何とも柔らかそうな額には深く皺が刻み込まれている。
ポタリ。純白をしたロングスカートの膝元に、一粒の水滴が落ちて水跡を作る。レミリアの額からだらだらと溢れる冷や汗が、あごの先から落ちたせいだ。
「お嬢様」
背後に控える咲夜の言葉に、レミリアの肩がびくりと小さく震える。
その姿はまるで、蛇に睨まれた子鼠の如く、どうしようもない恐怖と絶望に震えている様。
永遠に幼き紅い月と呼ばれた畏怖すべき吸血鬼は、もはや見た目相応の童女そのものである。
「……申し訳御座いません。私には、もはやどうすれば良いのか……」
咲夜の表情もまた、主と同じく険しい物だった。
彼女もまた苦難していたのだ。
完璧で瀟洒な頭脳を、頭蓋の隙間から血飛沫が噴出する寸前にまで酷使しながら、主の為を思って事態の解決策を模索し続けた。
それでも、無理だった。
完璧で瀟洒な従者の頭脳を以ってしても、事態を打開するには至れなかったのだ。
「大丈夫。咲夜が気にする事じゃあないわ。だから、そんな悲しい顔をしないで頂戴」
精一杯の勇気で表情を引き締めながらレミリアが返答する。
「……分かっているわ。これは、私の罪。だから、償わなければならない」
「罪、ですか」
「ええ。罪よ。嘘吐きは罪なの。そして、私は嘘を吐いた」
過去の過ちを悔やみながら、レミリアが消え入りそうな声色で呟く。
目元に浮かぶのは悲しみと後悔の色。現在のレミリアに出来るのは、過去の己がしでかした罪を悔やむ事だけなのだ。
「……どうして、あんな嘘を吐いてしまったのかしらねえ。
尻から槍を発射するだなんて、とんでもない嘘を」
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ここで、物語は時を遡る。
事の始まりは数年前。レミリア率いる紅魔館が、幻想郷を紅い霧で包み込む異変に乗り出した日の事である。
紅魔館最奥にて魔理沙と相対したレミリアは、相手を怖気づかせようとして、突拍子も無い事を口走ってしまったのだ。
「私の能力は、尻からスピア・ザ・グングニルを発射する程度の能力よ」
そんな、出来もしない嘘を。
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愚かしい過去を追想しながら、レミリアと咲夜は苦悩する。
神槍「スピア・ザ・グングニル」と言えば、その名を幻想郷の実力者達によって広く認識されたスペルカードである。
北欧の神話に登場する伝説の槍。主神オーディンに愛用され、軍勢に必勝を齎すとされた伝説の武装。
そのグングニルの名を冠したスペルカードは、魔力によって形作られた槍を投擲し、相対した敵を一撃で貫き屠ると言う恐るべき物。
そんなスペルカードを尻から発射する。
不可能だ。そんな事をすれば、とても嫌な意味で血塗れの少女になってしまう。スカートが真っ赤になるのは避けられない。
幼きデーモンロードがボンバードナイトになるのは確実だ。小さな吸血鬼幻想は、やがて残酷な全世界ナイトメアを迎えるだろう。想像するだけで恐ろしい。
レミリアの額を、再び冷や汗が伝っていた。
「どうしよう咲夜」
「どうしようもありませんわ」
「何とかならないの?」
「何とも」
苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべながら、二人は再び苦悩する。
「大体……どうしてあいつは、こんな魔法を成功させちゃったのかしら……」
ちらりと移されたレミリアの視線の先には一通の封筒。差出人の名は霧雨魔理沙。
中には一枚の写真と、一枚の便箋が封じられていた。
満足気な表情で、刃渡り80センチはありそうな剣を持った魔理沙の写真と「一週間後、お前の自慢の槍を見させてもらうからな。勝負だぜ、吸血鬼」と記された手紙。
咲夜の調査によれば、それは最近になって人里に現れた僧侶の入れ知恵らしかった。彼女が、護符を剣に変える魔法を魔理沙に伝授した結果がその写真なのである。
ああ、そう言えば魔理沙は紅霧異変の時に「尻から剣を出す」と言っていたか――ハッタリだとばかり思っていたが、まさか本当だったとは。よくぞここまで成長した物だ。
レミリアの胸中を、えもいえぬ感動にも似た、不思議な感情が駆け抜けていた。
「……」
「……」
当主の間の中で、二人は共に目を伏せ合いながら沈黙する。
迫り来る魔理沙襲来の刻は、レミリア・スカーレットのカリスマが地の底にまで失墜する悪夢の一時となろう。
魔理沙はレミリアが尻から槍を出すのを見たいと願い、その為にまず己の魔法を研ぎ澄ます事で、尻から剣をひり出したのだ。その苦痛たるや、想像を絶するに違いない。
勇気ある人間に敬意を表するのは、悪魔の矜持である。吸血鬼とてまた然り。それ故に、レミリアは魔理沙の挑戦を受けなければならないのだが。
魔理沙の挑戦を受けないと言う事はつまり、悪魔の矜持を損失する事に繋がるのだ。それは何としてでも避けなければならないだろう。永遠に幼き紅い月のカリスマを保つ為に。
「……くそっ」
相手を驚かす為に吐いた嘘が、己の首を絞める結果になってしまった。
正しく、レミリア一生の不覚である。
どうしようもない無力感と罪悪感に苛まされながら、二人はただ、沈痛な面持ちを浮かべるばかり。
その時、
「レミィ! 私に良い考えがあるわよ!」
紅魔館の知識人。百年を生きた魔女。レミリアの友人にして、紅魔館の食客であるパチュリーが部屋のドアを開いたのだ。
その手の内には一冊の書物。
図書館から当主の間までを走って来たのだろう。パチュリーの息は、痛々しい程に荒い。
「……良い考えって?」
パチュリーの身体を気遣いながら、レミリアが返答する。
その口調には、藁にも縋る気持ちが含まれていた。
「これよ!」
「……童話の本ね。タイトルは「狼と羊飼い」」
「レミィでも、この本の内容は知っているでしょう?」
「ええ。勿論」
パチュリーが持ち出した童話。「狼と羊飼い」と言う名の物語。
それは、嘘吐きの羊飼い少年が大人を困らせようとして「狼が来たぞ」と嘘を吐き続けた結果、本当に狼が訪れた時には大人達は来てくれず、羊飼いの少年は狼に食われてしまうと言う教訓めいた話である。
その程度、知っている。むしろ、それがどう役に立つんだ――そうとでも言いたげな視線で、レミリアはパチュリーの手の中の本を見つめていた。
「この本から得られる教訓は一つ……それはつまり、"嘘を吐き続ければそれは本当になる"って事だと思うの。信じる者は救われる! どんな嘘でも、吐き続ければ本当になるって事なのよ!
これを利用すれば、レミィは本当にお尻からスピア・ザ・グングニルを発射出来る様になるわ!」
ピンと指を立て、レミリアを指差しながら。
紅魔館の知識人は、そんな突拍子も無い台詞を言い放っていた。
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その日から、レミリアの特訓が始まった。
己に「私は尻から槍を出せる」と信じ込ませる為の、催眠術めいた特訓の日々。
紅魔館の各所に「尻」「槍」と描かれた二種類のカードを貼り付け、生活の随所において尻から槍が出る場景を思い描ける環境とした。
館の中では常に槍を持ち、ヒマさえあれば尻から槍を発射する自分の姿ををイメージする。
館内のBGMは咲夜が作詞と作曲を担当した「お尻から槍を発射するマーチ」に変更。ちなみにこの曲、ヒップホップである。尻だけに。
「お前は出来る……出来る……出来るんだ……出来る娘なんだ、レミリア・スカーレット……尻から槍を、出せるんだ……!」
寝室から、レミリアのうつろな声が聞こえていた。
彼女はここ数日の間、寝る前には必ず三十分以上を費やして「お前は尻から槍を出せる吸血鬼だ」と諭す様に言い聞かせ続けているのだ。
それは、もはや催眠術と言うよりも洗脳だった。
けれども、レミリアにはそこから逃げると言う選択肢は与えられていない。
勇気ある人間。霧雨魔理沙の行いに対して、正面から相対する事こそが、悪魔たるレミリアの矜持なのだから。
そして、洗脳じみた狂気の日々が過ぎ去った後の事。
レミリアは、ホールに紅魔館の面々を集めていた。
「諸君! ここ数日、本当にご苦労だったシリ!」
洗脳の結果、無意識の内に語尾が変形してしまったレミリアが言い放つ。
「思えば、辛い日々だったヤリ! でも、私はついにこの能力を体得したのでシリ!」
オオ、とホールに集った面々が喚声を漏らしていた。
「今宵、レミリア・スカーレットは生まれ変わるでシリ! 運命を司る吸血鬼だったのはもはや過去の話でヤリ!
今や、私は尻から槍を発射する程度の能力を有する、幻想郷最強の吸血鬼なのでシリ!」
主の努力に感涙し、目元を濡らす咲夜。
己の友人が辛い修行を乗り越えた満足感に、感無量となっているパチュリー。
当主の成長を祝う妖精メイド達。
何が何やら分からないけれども、とりあえずおめでたそうなので祝っている美鈴と小悪魔とフランドール。
皆が、レミリアに向けて盛大に拍手を送っている。
そして、レミリアは懐から一枚のスペルカードを取り出す。
紅蓮色の槍を構えた己を描いた一枚――神槍「スピア・ザ・グングニル」のカードである。
「いよいよお披露目でシリ! いざ、初披露でヤリ!」
そして、レミリアは手元のカードに魔力を注ぎ込み、
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同刻。人間の里の近く。命蓮寺の一室にて。
魔理沙と白蓮が一振りの剣を挟んで語り合っていた。
「いやあ、しかしながら……本当に立派な剣ですねぇ」
「白蓮の魔法のおかげだな。私一人じゃあ、こんな剣は作れなかっただろうなあ。
何せ、魔法の力を持った武器なんだ。この剣を使いこなせる様になれば……例えばだけど、レミリアの槍とだって戦えそうだぜ」
「ふふふっ。お役に立てたならば何よりです。護符に対吸血鬼用の魔法を仕込んでから、それを魔法で剣にする。
最初は失敗続きでしたが、こうして形にする事が出来て、本当に良かった」
「ああ。白蓮には頭が上がらないな。今度、お礼に美味しい団子の店を紹介するよ」
「あらまあ、それはありがたいです」
二人は、魔法で作った剣を前にして、のほほんとした一時を楽しんでいた。
護符を変化させた剣は、二人の共同制作物である。
魔理沙の長年の研究成果である様々な魔法を護符に込め、それを白蓮が魔法で剣へと変化させた一振り。
当然ながら、魔理沙が尻から出した剣ではなく。そもそも、魔理沙は紅霧異変の際にレミリアと交わしたやりとりなんて物はとっくに忘れていて。
ずず、と茶を啜る音が、命蓮寺の一室に響いていた。
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その頃の紅魔館。
嗚呼。
レミリアの幼きデーモンロードは、もはやボンバードナイトである。
尻を拭いたトイレットペーパーを見てみたら、見事に鮮血に染まっていたあの夜を――――
レミリアには肛門科を
作者には精神科を
病院を建てるのは正解ですねwwww
馬鹿野郎朝から笑わせんじゃねえwww
と言わざるを得ない……wwwwwwwwwww
全体的に酷いwレミリアの語尾ww
広間のホールとレミリアのホールを掛けたこの一文に感動しました。
お上手ですね。
…スペカじゃねぇやそれ。
負けたよ、何がとは言えないくらいあらゆる面で負けましたよ、完敗ですwwww
さぁ、病院行きましょうか!
すぐ上の作品とのコンボも含め、これは運命を感じざるを得ない。
尻穴から、とは言ってないのでまだ逃げ道はある!
さて、作者さん。病院行こうか
先祖が尻を槍で貫いたのならば、己はその逆を為すというその気概、私は支持する。
泉下にてヴラドも座りションベンを漏らして馬鹿になっていることだろう。結構な事だ。
追記:未だかつてこれほど人を脱力させる語尾を私は知らない。見事である。
最後まで読んでどうしてこうなった?となったよ
作者、尻だせ 槍ブッ刺してやる……いや 大笑いしつつ脱力したよ。
お嬢様を見習いなさい!
これから一生トイレに行けなくなるじゃないか!どうしてくれる!
月まで届け、えーりんの匙。って。
このレミリアと作者は希代の勇者だ(まずい方向に)。
しかしお嬢様は有言実行を体言されたわけですから、これはこれで新しいカリスマのカタチなのかも知れませんね…