残暑の熱風ともつかない突風が、紫のかぶる麦わら帽子を勢いよく吹き飛ばした。
一度上向きに舞い上がった麦藁帽子はあっという間に傾斜に沿って下へと飛ばされてしまう。
下へ付いた後もわずかな風と草に助けられて転がっていく。
「拾わなくていいんですか」
藍は首を動かさずに横目で帽子を追いながら聞く。
薄く雲のかかった空から、夕日が二人の顔を赤く照らした。風に乗って遅くも無く、早くも無く雲がだらだらと流れていく。
「幻想の外は外、内は内 分かる?」
麦藁帽子は草の茂り始めた土手にサクッと音を立てて落ちた。
紫は気力十分といった様子の藍と違って、気だるげに腰を下ろしていた。
藍は心得ているとばかりにその隣へ腰を下ろす。
夏草の伸びた土手は貴婦人にとってはともかく、寝転がるのに丁度いいスペースだ。
「人がいっぱい?」
藍と紫のいる土手の最上段から見て、一段下、20メートルほど下にたくさんの人がいた。
みな、一様に前を向いて黙っている。
「彼らも暇ですね」
「そうかしら、単純な考え方ね。それを言ったらこうしている私たちだって暇人じゃないの?」
紫が藍の頭の本来、耳がある所をがしがし掴むと藍は露骨に顔をしかめて「うう」と唸った。本日は出張中なので、耳と尻尾は仕舞っている。
「帰りますか……」
駄目? という含みを口の中で噛み殺して藍は夕陽に目を細める。
紫は「ふう」と溜め息を吐いた。
「私たちだけ?」
真っ直ぐに持ち上げた頭をゆっくり下ろすと飽きもせず河原に集まる人間が目に入った。
ある者は家族連れ、ある者はカメラを提げ、ある者は真っ白な帽子を被っている。
「何だかこのままお祭りでも始まりそうね」
風が吹き抜けて、藍の柔らかい金髪を揺らす。
藍はふと家族連れの上に視線を動かしては戻す。
「橙も連れて来ればよかったです」
「そうかしら? 私は貴方と二人が好きだけれど」
「はい?」
がやがや、という群集のざわめきがうるさく聞こえる。
「からかわないでください」
「からかっていないわよ」
「今、からかったじゃありませんか」
がや。がやがや。がやがやがやがや。
群集の声は届きそうで届かない微妙な距離だった。
藍の頬は先ほどより赤く染まっていた。
紫がそれを見逃しているとも思えなかった。
「夕陽がきれいねって言ったのよ?」
「もう」
藍が再び顔を背けて前を見ると先ほどよりも沈んだ夕陽が水面に反射していた。
「藍。魔力があるのは月だけじゃないわ。あれも同じことよ」
「はい」
藍はただ返事としてだけの返答をする。
恐らくそれ以上は何も思いつかなかった。
「人間も妖怪も引き寄せられたでしょ?」
「はい、紫様……」
藍が先ほどとは趣きの異なる「はい」の後に、ふいに口をつぐんだのを見て紫は問いかける。
藍は知っていた。
自分が分かりやすい性格である事を紫が知っているのが分からないほど、自分は馬鹿ではないのだということを。
「どうしたの?」
「いえ、何でもないんです」
紫の顔が急速に藍へと迫った。
長い睫が夕陽に照らされて金色に輝いている。
藍が眉をしかめるのも気にせず、紫はそのまま身を乗り出しつづける。
藍の膝にずしり、と重みが乗る。
「本当に、何でもないんですよ……」
「嘘おっしゃい。何か言いたいことがあったんでしょう? 白状しなさい」
今にも触れそうなほど身をのりだしている紫から顔を背け、「何でもないんですってば」と前方へ顔を戻す。
藍は目を見開いた。
共に一台の新幹線が左からやって来たかと思うと右へと高速で走り抜けていく。
白と黒の入り混じった車体が空気ごと空間を引き裂く。
爆音が藍の爪先から頭の頂までを貫いた。
紫が高速で土手を転げ落ちていく。
打ち上げ花火が上がった。瞬時に夕陽が沈む。
遠くだ。この音はまだ遠い。
神輿だ。神輿がやってくる。
遠くのカップル共が熱烈なキスを交わしていた。
向日葵が狂い咲く。
屋台が土手を駆け上ってくる。
藍はぎりり、と歯を食いしばった。
虫取り網を持った子供と同時に凄まじい形相で走り抜けていく。
何気なく駐車した中年は周りが全てベンツであることに気づく。
移動式屋台が土手に手早く固定される。花火が上がる。
フィナーレだ。
どうせ、また始まる。
バシリ、バシリと数百枚のフラッシュが一度にたかれ、まともに光を浴びた美女が吹き飛ばされる。
川を虹色の桃が流れては、戻ってくる。
囃子のリズム、鳳凰の付いた神輿を半裸の男四人が同時に持ち上げた。
紫が頭から川に落ち、盛大な水しぶきを上げる。
車体が通り過ぎる間ずっと、尻尾と耳が外へ飛び出しているのにもかまわず、藍はただひたすら両の手を血が滲むほど硬く握り締めていた。
タグがついてないことを理解したww
「エレキング」とか、もっと極端に言えば「暗い嵐の夜だった」とか。
はたして誰に分かる例えか分かりませんが。
何だか大変に面白かったです。