Coolier - 新生・東方創想話

援助交際

2010/08/27 20:04:20
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 ――トゥルルルルルル、トゥルルルルルルル……ガチャ。

「お電話ありがとうございます。
 あなたの素敵な出会いを全力で応援するSNS『オーダーメイド・ラヴドール』へようこそ! 会員登録済みの方は十二桁の英数字を、そうでない方は『*』を入力してください」

 sana19901017



「――会員登録を確認しました。会員N0183723様のプロフィール作成を開始します。あなたの名前を入力してください」

 早苗



「――年齢を入力してください」

 16



「――メールアドレスを入力してください」

 [email protected]



「――携帯番号を入力してください。なお、この番号はマイフレンドにだけ表示されます。個別に設定可能でデフォルト設定は非公開になっております」

 080xxxxxxxxx



「――職種を次の内から選択してください。
 1.小学生 2.中学生 3.高校生 4.大学生 5.専門学校生 6.主婦 7.OL 8.公務員 9.その他。この項目は後にプロフィールサイトから入力・変更可能です」

 3



「――プロフィール作成が完了しました。
 詳しい項目はwebからアクセスしてご確認ください。写真のアップロードなど詳細設定が可能となっております。
 最後に、あなたからの自己紹介を録音します。あなたの想いを直接相手に届ける大切なメッセージです。
 交際したい相手の理想像等々、自分の気持ちを思う存分アピールしてくださいね!
 ピーっと言う発信音の後、1.を押して話しかけてください。録音完了後、登録したメッセージが再生されますので、宜しければ9.やり直す場合は『*』を入力してください」



 ――ピーっ。

「……私を、愛してくれる人を探しています。愛してくださるのなら、どなたでも構いません。
 私のことを全て好きになってくれたら、あなたに全てを捧げます。どんな酷いことだってお引き受けします。
 あなたが望むことならば、何もかも全てを受け入れます。だから……私に、愛をください」

 9



「――登録が完了しました。
 以降、携帯電話やwebからあなた宛のメッセージを直接受信・再生することができるようになります。
 メッセージを聞きたい場合は1.を、このまま終了する場合は2.を入力してください」

 1










「――現在、あなたへのメッセージは ヒャク ニジュウ ハチ ケン 登録されています」

 ぷつっ。ツー、ツー、ツー――――















 ☆★☆ エ ン ジ ョ コ ウ サ イ ☆★☆















 ――ジリリリリリリリリリリリリ、ジリリリリリリリリリリリリ。

 がしゃん。布団の中から手だけを伸ばして、やかましく鳴り響く目覚まし時計が置いてある辺りを無造作に叩いた。
 閉めきったカーテンの隙間から、輝かしい今日の始まりを告げる日光が差し込んでいる。
 眠い。超眠い。なかったことにして貰えないだろうか。朝はなかったことに。東風谷早苗には明日なんて必要ない。
 嗚呼、何度願ったことだろう。明日目が覚めませんように――そんな切なる願いを嘲笑うかのようにやってくる朝に絶望して始まる、ゴミクズみたいな一日。

 もぞもぞと起き上がって、パジャマを適当に脱ぎ散らかした。
 そのままお風呂場でシャワーを浴びる。熱いお湯を浴びても、頭はさっぱり目覚める気配がない。
 何時からだろうか、私は寝付きが極端に悪くなって慢性的な寝不足に悩まされ続けるようになった。
 明日が来るのが怖い。嫌だ。心が痛い。酷い時は泣いて、空言と妄想の中に救いを求めた。だけど、眠ることはできなくて。
 意識が消えて無くなったら、夢の中に逃げることができたら、きっと私は幸せになれるはずなのに。

 手早く身体と髪の毛を洗い流して、バスルームから出る。
 色気なんてこれっぽっちもない白の下着を身に付けてから、鏡台の前に座った。
 ドライヤーで髪を乾かす。長いから色々と面倒だし、時間も掛かる。余程切ってしまおうかと考えたこともあった。
 でも、この碧髪は母からの素敵な贈り物。私もお気に入りだし、諏訪子様のお気に入りでもある。
 小さな頃から諏訪子様は「早苗の髪は本当綺麗だね」なんて言いながら髪をすいて撫でてくださって……あの瞬間は、私の小さな幸せの一つだった。



 ――だけど、そんな大好きな諏訪子様も、優しい神奈子様も、大切な母も……此処には誰もいない。



 私は去年の春から、守矢神社を離れて一人暮らしをしている。
 トイレ・風呂別の六畳一間のワンルーム。備え付けのベッドやテレビに冷蔵庫、鏡台と小さなテーブル。
 最低限の家具しかない質素な部屋だけど、別に何ら困ることもなかった。
 不満なのは中学の時に何気なく始めたギターが弾けないことくらい。
 学校からも近いし、近所にはスーパーやコンビニ、飲食店が所狭しと並んでいる。
 不便なんて何一つない恵まれた環境だ。

 白いブラウスに袖を通して、チェックのプリーツスカートを穿く。
 冷蔵庫から作りおきのアイスティーをカップに注いで、そっと口を付けた。
 嗚呼、もう十五分もしたら学校に行かなければ。
 断罪の時を刻々と待つだけの死刑囚のような面持ちで、何となくリモコンを手にとってテレビの電源を入れた。
 いかにもリア充っぽい美人アナウンサーが営業スマイルで語りかける。
「本日最も幸運が訪れるであろう星座は双子座のあなたです! 素敵な運命の出会いと共に、良き友人や恋人に恵まれることでしょう。あなたの一日に神のご加護があらんことを……」
 そっか。今日私は素敵な友人や恋人が出来るのか。そんな絵空事みたいな現実はこの世界に存在しないのにね。
 忌々しく思いながらテレビを消した。紺色のブレザーを羽織って、タイを結ぶ。
 一体何の役に立つのか分からない知識がぎゅっと詰め込まれた教科書でずっしりと重いかばんを持って、アパートを出た。



 県内でも有数の進学校、公立諏訪晴陵高校へ向かう通学路は、三々五々登校していく生徒達の姿で埋め尽くされていた。
 友達とわいわい話しながら歩く集団もあれば、眠たそうな顔をしてる子や物憂げな表情をしている子。
 人それぞれだけど、彼らはどんな想いで日々を生きているのだろう。
 楽しいとか、嬉しいとか。めんどいなとか、嫌だなとか。きっと、皆色々考えてるんだと思う。
 やるせない日々にどうしようもない無常を感じているのは、私だけじゃないはずだ。
 それなのに、何故か自分以外の人達は嬉々として生を謳歌しているように見えてしまう。
 終いには苛立ちや嫉妬の類のような感情まで覚える始末。
 こんな忸怩たる想いを抱えながら登校する日常だって、いつものことだけど。





 そもそも、私は進学するつもりなんて全くなかった。
 守矢で風祝として働くことができたらよかったのだけど、信仰がほぼに失われたに等しい現代において、人々から忘れ去られた過去の神社で風祝を生業とすることは難しい。
 本殿にお参りに訪れる人もいなければ、当然お賽銭や御札、お守りの収入はない。地鎮祭や夏祭りなんて神事は頼まれもしないし、寄付で寺社を支えてくれる氏子がいるはずもない。
 私達人間は科学と情報を信じるようになった。神を祀るなんてことは形式上のしきたりにしか過ぎなくなったこの世界は、神々にとってあまりにも残酷。
 現人神の末裔にあたる私だってそう思うのだ。二柱の心情は察するに余りある。

 そんな守矢神社を、ずっと母は一人で守り続けてきた。
 二柱のために。一子相伝の秘術を伝承するために。そして――私のために。
 母は幾つもパートを掛け持ちしていて、いつも日が変わる頃に帰って来る。
 相当疲れているであろうことは、幼い私でも容易に想像が付いた。
 それなのに……睡眠なんてろくに取らないまま、丑三つ時には必ず起床して本殿の掃除は欠かさない。
 そして、朝食を作ってすぐに働きに出る。
 二柱が無理しなくてもいいと強く忠告しても、母は絶対に言うことを聞かなかった。
 守矢を守り続けるんだと言う強い意志と覚悟を心に秘めて、弱音なんて微塵も口にしない。
 そんな母のことが、私は大好きだった。ただ、いつも優しくて、何も言わず微笑んでくれて。
 私も母のようにありたい。今思えば……憧れていたのかもしれない。



 ――早苗、夢を探しなさい。

 中学卒業後の進路を決めるための三者面談の帰り道、はっきりとした口調で母はそう告げた。
 今も鮮明に覚えている。忘れられるはずもない。あの面談で私は高校には行かず働くと言ったのに、普段物静かで温厚な母が初めて反対した。
 担任も成績だけは良かった私に進学を強く勧めていたため、必死の抵抗虚しく結論は進学。
 自分が働けば少しは生活も、何より母が楽になる。そう思っていただけに、私は失望の色を隠せなかった。

 小さな頃から今に至るまで、夢なんて抱いたことがあっただろうか。
 将来の夢なんて作文が大嫌いだった記憶しかない。
 保育園の先生、医師とか看護士、パティシエや芸能人、あるいはお嫁さん……そんな風に考えたことなんて一度もなくて。
 結局その作文には巫女になりたいと書いて周りから失笑されたっけ。夢とか言われてもさっぱりぴんと来ない。
 どうせ道は最初から一つしか残されていないんだし、その先に希望がないことは確定的のような気がした。
 別に高校に通ったから未来が開けるなんて保障は何処にもないし、魅力だってこれっぽっちも感じない。
 どうせ働くことだって大変なんだし、華のような学園生活とは一切無縁だった私からしてみれば進学も就職も同じようなものだ。
 それなら、予定調和で構わない。風祝を生業とすることはできないけど、守矢神社を守りつつ働きながら慎ましく食べていけたらいい。
 私はどう足掻いたってシンデレラにはなれないのだから。

 嗚呼、私は夢を描くことさえ忘れてしまった。
 現実と理想の狭間で砕け散った夢は幻。夢は必ず叶う。それは嘘だと知ってしまった瞬間から、私の未来は完全に閉ざされて――





 通学する生徒達で賑わう校門を通り抜けて玄関へ。
 かばんから上履きが入った袋を取り出して、今履いてきた靴を代わりに収めた。
 きゃははははははははは。げらげらげらげらげらげら。幾重にも輻輳する笑い声が響き渡る廊下を歩く。
 うるさい。本当にうるさい。皆消えてなくなればいいのに。そんなことを思いながら階段を登って、横長な校舎の中間にある二年D組へ向かう。

 無事到着。静かに教室のドアを開いた瞬間、クラスにいた生徒ほぼ全員が私に冷ややかな視線を浴びせかけた。
 あからさまにふざけた顔。にやにやと醜悪に笑う男子。小馬鹿にするような嘲笑を浮かべる女子――私が目をやると、彼らは何事もなかったかのように元の会話に戻った。
 こんなことだって、いつもの日常。変わらない日々。私は小さくため息を付いて、俯いたまま自分の席へ移動する。





 ふと見上げると、机の上には花瓶が飾られていた。
 ご丁寧に干乾びたピンクのカーネーションが挿されている。
 よくドラマなんかで見かける、亡くなった生徒の机に手向ける花束の真似事。
 それに気付いた私を見て、クラス内にいた生徒達がくすくすと笑い出した。



「おい誰だよあんなことやったの可哀想だろ。あいつの家、神社なんだろ? ちゃんと仏花にしとかねーと怒られるじゃねーか」
「だってあれゴミ箱に捨てられた奴だもん。そもそも神社とかちょーダサくない? きゃはははははっ!」
「まあカーネーションって言うのはねーよな。菊とかタンポポだろ。刺身に添えられてる奴な」
「あははっ。そもそもさー俺さっき東風谷入ってきた時びっくりしたよ。ってかさ、あれ幽霊じゃね?
 地縛霊とかその類。勉強に取り憑かれてるからやべーよな。説教されるかもしれないぜ」
「悪霊退散悪霊退散!」
「やめろって逆に呪われるって!」
「きゃはははははははははは! だけどさー結局東風谷さんっていてもいなくても空気だしー」

 この高校は三年間クラス替えがない。
 私は一年の頃から、ずっとこの手のいじめを受け続けてきた。
 椅子や机、教科書や靴がなくなっていたり集団行動だと仲間ハズレにされたり。
 汚い言葉や卑猥な罵りの類は当たり前だし、時に殴られたりすることだってあった。
 いじめられる理由なんて、考えたって全然分からない。多分、他の人からしてみれば何だって良かったんだと思う。
 例えばちょっと頭がいいからとか適当な理屈を建前にして、自分達の鬱憤を晴らすためだけの相手をでっち上げる。

 そんないい加減な理由付けをする存在として、私は格好の的だった。
 通信簿によく書かれたものだ。協調性に欠けてます。性格は控えめでおとなしい。もうちょっと自己主張をしましょう。
 良く言えば温厚、悪く言えば根暗。自発性がなくて取り得がない。目立つのは緑色の髪だけ。そんな風に小学校の頃から散々言われ続けてきた。
 それらは欠点であり、人間として最低の屑だと彼らは声高らかに主張する。私だってそうなりたいと思ってこんな人間になった訳じゃないのに。

 本当は担任に言うなりすれば解決するのかもしれない。
 いじめの存在自体は薄々認識しているようだし、はっきり主張すればそれなりの対応をしてくれそうな普通の先生だから。
 だけど、それはできない。これ以上負担になるような事実を母に知らせてしまうことは、何としても避けたかった。
 私にとって母は勿論のこと、神奈子様と諏訪子様は大切な家族。皆、とても優しい。高校に通うことが決まった時も、満面の笑顔で送り出してくれた。
 母も二柱もとても辛い想いをして生きているのに、いつも私の前では優しく微笑んでくれる。何時だったか、諏訪子様はこう仰っていた。



 ――早苗。笑顔を絶やさぬことは、幸せに繋がるんだよ。

 母や二柱が悲しむ顔なんて、絶対に見たくない。
 だから、私も笑っていなければならない。どんなに辛くたって、家族の前では絶対に泣いたりしない。
 それは……何時しか私の中で誓いとなっていた。何よりも大切な家族に、私が唯一できること。それは、皆の前で笑うことだけだから――



 それでも、こんな毎日……辛いに決まってる。
 一人になったら、散々泣いた。泣いても泣いても、涙は留まることを知らない。
 ぼんやりと夜が明けていく空を見ているだけで怖くなって、カーテンを開けることさえできなくなった。
 雀や鴉の鳴き声。新聞配達の人がポストに朝刊を投げ入れる音。
 一日の始まり全てにびくびくと怯えながら、最低の気分を抱いて朝を迎える。
 声を上げることもできず、ただもがき苦しみ続けるだけの日々。この世界は残酷だ――何度そう思い悩み、絶望したことだろう。

 営利のために育てられて、観賞用として摘み取られて。
 綺麗なんてつまらない美辞麗句のために命を奪われた挙句、飽きられたらゴミみたいにポイ捨てにされるカーネーション。
 花に声があるならば、何て言うのだろうか。きっと、今の私と同じ気持ちに違いない。やるせない怒りと悲しみ、そして無常を心に秘めて、机の花瓶を窓際に移した。
 同時に鳴り響く始業のチャイム。どうしようもなくつまらなくて面白くも何ともない、授業と言う名前の暇潰しの合図が告げられた。
 こんなもの、何の役にも立たない。知っておいて損はないとか、未来への投資だとか『自分探し』だとか。くだらない。そんな簡単に幸せになれたら人間は何も苦労しないのに。










 退屈な授業を適当にやり過ごして掃除当番を終えた頃。
 誰もいない教室。外から聞こえてくる運動部の掛け声を遠目に聞き流しながら、私は教室の窓からぼんやりと空を見上げていた。
 夕焼けが美しい。地平線の彼方に沈んでいく太陽は、少しだけの猶予を与えてくれる。
 明日に怯えずに済む僅かな安らぎ。そんな想いだって、夜が終わると朝がやって来るなんて当たり前の絶望にすぐかき消されてしまうけれど。



 ――私は神様を信じていたかった。

 この世界を創造して、全ての運命を司る。そんな神様を信じることができたら、きっと今よりは幸せに生きることができたんだろうと思う。
 だって、全てを神様のせいにすることができる。神様が世界を作らなければ私はこんな目に遭わなかった。世界を作るにしても、こんな辛い世の中をを作った神様は絶対に悪者だ。
 夢とか希望とか未来とかその類。そんなの全部嘘。この世界はそれらがあるように見せかけて作られていて、私達はその偽りの真実を糧に日々生かされている。
 こんな世界を生み出した神様とか言う存在は本当に悪い人。そうやって全てを責任転嫁できたら、少しは楽になれたのかもしれないのに。

 そんな世の中の人々が想像するような神様はまやかし。
 残念なことに私は幼い頃から知ってしまっていた。本当の『神様』はちゃんと別に存在していることを。その神様達は随分と優しくて、私達人間と同じように喜び、苦悩することを。
 私が信じる神様は、善人だった。信仰を惜しまない人々には分け隔てなく奇跡の恵みを与え、慈悲深い心を以って……何よりも人を大切にする。
 人間と共に歩むことを望み、そのためならばあらゆる努力を惜しまない。
 そんな神々を、私は間近で見て育ってきた。その奇跡の力を借りる術を身に付けた。悪者だなんて、思えるはずがなかった。

 ただ、神様は万人を幸せにする奇跡を起こすことができない。
 雨風を操って農業に携わる人々を助けることはできても、祟り神を操って厄が集中しないように仕向けることはできても、それは全ての人を幸せに導く奇跡にはなり得ないのだから。
 八百万の神々全てが集まっても、世界の人々全てが幸せになれるなんて未来を作り出すことは不可能だと思う。
 全員に会ったことはないから断言はできないけど、少なくとも私の心の隙間は埋められない。
 結局、まやかしのニセモノだって本物だって何も変わらない。どちらの神様を信じたって私は救われないんだ。だったら、全てを神様のせいにできるニセモノの神様に願おう――





「神様私達の世界に幸せを」「神様世界を滅ぼしてください」





 私には何かが足りない。大切な何かがぽっかりと欠けている。
 多分、そのニセモノの神様が作った夢とか希望ってパズルのピースがはまるように人間の心は作られているのだろう。
 母や神奈子様、諏訪子様はそれを愛情と言う形で満たしてくれた。夢なんて探さなくても、誰かに愛されてさえいれば幸せになれる。
 心に空いた穴を埋めるためのカケラは、別に何だっていいんだ。
 どうせすぐ壊れて他が欠けてしまうのだから、その刹那だけでも心を満たしてくれる感情を繋いで生きていけばいいだけで。

 嗚呼、愛が欲しい。
 こんな私を愛してくれる人はいるだろうか。恋歌のように私のことを全て好きになってくれる人。
 寂しいの。ずっと傍にいて。私の全てを受け止めてよ。愛を感じさせてくれるのならば、何をされたって構わない。
 この黒ずんだ心を貴方色に染め上げて、貴方しか分からないようにずたずたに傷付けて欲しいの。
 貴方のことしか考えられなくなって、私は頭のネジが外れたお人形さんみたいに貴方の名前を呼んで「愛してる」って叫び続けるから……ぎゅっと抱きしめてよ。
 そしたら、きっと私はこの現実から逃げ出すことができる。狂って壊れてしまっても、それはそれで幸せ。
 キスとかxxxなんて行為はそんな現実逃避のために考え出されたに決まってる。
 誰でもいいの。快楽を与えて、与えられて、一緒におかしくなりたいの。
 幸いにしてこの世界は『愛』とか言う有耶無耶で曖昧な感情が大安売りされているし、自分から提供することもできる。
 こんな私でも、買ってくれる人がいるかもしれない。
 別に後ろめたくなんてない。5:5なんだから。援助交際って名目の相互支援なんだから。

 こんな世界に希望なんて存在しない。未来なんて考えられない。
 だって、今が辛いんだから。今が全てなんだから。今しかないんだから。
 夢は必ず見つかるなんて妄想、もう止そう――





 教室の窓際に寄り掛かりながら、携帯電話を開く。
 画面に表示されたSNSにログインして「メッセージを再生」と書かれたリンクをクリック。
 小さなビープ音がして、無機質な音声ガイダンスが耳元に流れる。



「――現在、あなたへのメッセージは ヒャク ゴジュウ ニ ケン 登録されています。
 1.をプッシュすると最初から順にメッセージを再生します。スキップは2.繰り返し再生する場合は3.終了は『*』を押してください」

 1.を押しケータイを耳に当てた。
 ノイズ混じりの向こう側から、全く知らない人間の声が次々と聞こえてくる。



「あなたの声を聞いた瞬間、一目惚れしてしまいました。よかったら付き合いませんか? 携帯は090xxxxxxxxです。金はあるんで幾らでも貢ぎます」
「写メカワイイね。君なら一日三万くらいなら出してもいい。おじさんいいところの社長だから、悪いようにはしないよ。話聞きたいからメッセしてね」
「俺も君に全てを捧げるよ。二人で愛し合ったらきっと楽しい生活になるんだと思う。一度飯でも食いにいかない? 俺会社員だけど有給取るからいつでもいいよ。連絡くれたらすぐ行く」
「あーヤリたい。その唇とか○×▲にぶち込んでfuxxしたいわー。一発幾らでヤらせてくれるの? どうせいやらしい糞ビッ○なんだからさっさと脱いで――」
「僕も早苗さんのこと、愛しています。貴女のことを全て受け入れると神に誓います。一度お会いしませんか? お互いのことをもっと分かりあえたら、きっと僕達は幸せになれると思う」
「同じ高校生なんだけど早苗ちゃん可愛いね。デートしてみたいなあ。俺バイトはしてないけど家金持ちだから、服とか何でも買ってあげるよ。[email protected]までメール頂戴」
「どんな酷いことだってお引き受けしますって、奴隷にでもなってくれんの? ひひ、Mっぽい顔してるもんなあ。金欲しいんだろ、金額言えよ。俺専用の雌豚になれよ。電話は――」

 2.
 2.
 2.
 2.2.2.2......

 笑っちゃうような綺麗事。嘘臭い愛の宣誓。汚らわしい卑猥な言葉――『今』しか考えてない人達のエゴ丸出しのメッセージが延々と続く。
 歪にねじれ曲がった世界の縮図が垣間見えた気がした。自分もその一員であることに改めてうんざりしてしまう。
 そして、私も彼らと同類。人間は所詮醜い生き物なんだってことを皆認めたらいいのに、一部の人達は夢だとか希望とか世迷い事でこの世界は美しいなんて戯言を必死に主張する。
 今幸せな人達は苦しんでる人のことなんて考えもしないのにね。
 上っ面だけで分かったフリして「可哀想」なんて言って……この世界は不幸な人達ばかりなのに、負の連鎖は止まらないのに。

 すぐに抱いてくれる人なら、誰でもよかった。
 どうせ刹那。ニセモノの愛を以って抱きしめられている間だけ心地良くて、安心したらさようなら。
 一瞬で寂しくなるなんて分かりきっている。最後のメッセージをくれた人にしようと何となく決めて、適当に聞き流してスキップを押し続けた。
 業に塗れた言の葉と共に、あっと言う間に時は流れる。152件目のメッセージを告げる音声ガイダンス。ぴーっと言う発信音の後、その声は届けられた。





「貴女はこの世界に絶望しているのでしょう?
 私が永遠を教えてあげる。貴女が望む夢を見せてあげる。
 貴女が夢を想い描くことを忘れたその訳も、吐き出す焦燥の否も……全て証明してあげる。
 貴女が夢見た世界が現実となって、この世界は幻と消えるの。全ては思いのまま。
 貴女は私のヒロインになることもできるし、神様にだってなれる。神様を殺すことさえできるの。そんな貴女が望む世界へ連れて行ってあげる――」

 受話器の先から流れてきた最後の伝言は、女性からのメッセージ。
 残念だけど、貴女の心は読めたわ。全てお見通しなの――私を見透かしたような艶やかな囁きが鼓膜を揺らす。
 その気高き矜持を感じさせる美しい声は、まるで神様みたいだった。欲望に塗れた言葉の数々とは全く異なる神の宣託。
 たった数分の独白は、私の願って止まない未来を鮮やかに提示して見せた。しかも、そんな叶わぬ願いを実現して見せると豪語している。
 胡散臭い台詞であることには変わりない。それでも、欠けた想いの断片と共鳴するような妖しい響きに心はゆらゆらと揺れ動いた。甘い誘惑が思考を蝕んでいく。

 ――何も難しく考えることはない。そもそも、嘘だとしても全然構わなかった。
 寧ろそんなニセモノの神様の言葉に騙されてみたい。ニセモノの神様を信じたい。信じさせて……欲しかった。
 頭がおかしいフリをするのが好きな人なのかもしれない。私と同じように病んでて、もう何もかもどうでもよくてカオスに犯されてて。
 そんな人と狂ってみるのも悪くない。愛してくれるのならば、男性だって女性だってどっちでもいいし。
 狂った者同士で、お互いの心に傷を刻む。互いのことを一生忘れられないようにずたずたに切り刻んで、片時も離れられないようになるの。
 二人なら痛みだって半分ずつだからね。足して二で割ったら、少しは楽になるかもしれないでしょう?





 --------------------

 ――メッセージありがとうございました。
 急な話で申し訳ありませんが、今日これから会えませんか?
 今とても辛くて、寂しいんです。貴女の愛が欲しい。今すぐにでも抱きしめて欲しいんです。
 誰かに慰めて貰わないと、自分が壊れてしまいそうで……怖いんです。
 私を助けてください。貴女のためなら何でもしますから、貴女の愛を……どうか私にお与えください。お返事、お待ちしております。

 --------------------





 ケータイを弄って、このメッセージをくれた人にメールを送った。
 時刻は17時半を過ぎている。相手は学生だとしても社会人だとしても、ちょうど帰宅の途に着く頃合のように思う。
 窓から吹き抜ける初夏の風が優しく髪を撫でる。ふと外に目をやると、運動部の部員達も帰り支度を始めていた。

 瞳を閉じる。
 自然と皆のことが頭を過ぎった。
 神奈子様は相変わらず険しい顔で信仰を集める手段を模索しているのだろうか。
 諏訪子様はまた雨に濡れたまま境内の石段をスキップしてはしゃいでいるのかな。

 そして母は――

 そんな想いを遮るかのように、ケータイの着信音が誰もいない教室に響き渡った。
 ニセモノの神様からのメール。顔文字や絵文字なんて一切使われていない素っ気ない文面には、簡潔にこう記されていた。



 ――喜んで。19時に長野駅善光寺口待ち合わせでどうかしら?
 目印はピンクでフリフリのレースが付いた花柄の日傘。すぐに分かると思うけど、もし何かあったら電話頂戴ね。楽しみにしてるわ。

 ありがとうございます。お会いできることを楽しみにしています。そんな適当な相槌メールを返信して、教室を後にした。
 放課後の廊下で立ち話に夢中な生徒達を横目に、玄関へ向けて歩を進める。
 ふと下駄箱の方を見ると、クラスメイトの男女が何やら楽しげに談笑していた。
 靴は一度隠されたことがあったので、あれ以来持ち歩いている。
 悪戯される心配はなかったけど、話しかけられるかもしれないと考えるだけで憂鬱。
 素知らぬフリをして、横を通り過ぎた。

 きゃははははははははははは。
 げらげらげらげらげらげらげらげら。
 彼らは私になんか目もくれず、笑っていた。
 きっとあの人達は私を馬鹿にしているんだ。嘲笑う。冷笑する。哀れみの目線で私の背中を見送っている。
 汚らわしい。死ねよ人間の屑。お前なんて生きてる価値ねえんだよ。身体売るとかサイテー。援交とか女の子としてどうかしてるよね――そんな幻聴が何処からともなく聞こえてくる。
 うるさい。黙れ。そんな汚らわしい顔を私に向けるな。知った風に言わないで。貴方達に一体私の何が分かるって言うの――




 嗚呼、神様。どうして私は『今』を愛せないのでしょう?
 人は『今』を繋いで『現在』を生きる。小さな頃、多分だけど私は未来がとても素敵なモノになると思っていました。
 きっと幸せになれる。何でもできる。何にでもなれる――漠然とそんな気がしていました。確証があった訳ではありませんけど。
 そんな感じで過去になってしまった『今』は幸せだったこともあったのに、今ではこんな酷い有様です。
 ある時私は知ってしまいました。この世界はどうしようもなく嫌なことばかりが溢れていて、逃げ出す術も見当たらないことに。
 何処かで幸せな時を繋ぐ手立てを間違ってしまったのでしょうか。それとも……辛いことさえ平等で、必ず皆同じ目に遭う。
 それは遅かれ早かれの違いだけで、私にはこんな早い時期に訪れてしまっただけなのでしょうか。
 何にせよ、こんな世界を作り上げたあなたは間違いなく悪者です。もし私が神様ならば、絶対にこんな世界は作らない。
 この世界は命を授かったこと自体が罪になる。それを償い続けるために『今』を生きなければならない。
 そんな世界、必要ない。こんなゴミみたいな世界は1.2.3...で滅んでしまえばいい。
 不幸は平等なのに、幸せは不平等。そんなの誰が考えたっておかしいでしょう?

 こんなどうしようもない世界を作った神様は、現人神でもなければ八百万の神々でもありません。
 この世の中を形作っているのは人間なんです。そう、つまり……気が付いたら私達は皆神様になっていたのです。
 大した意味もなく複雑で訳が分からなくてぐちゃぐちゃで血みどろになって毎日人が泣き喚いて死んで不幸と悲しみに包まれた『今』にしてしまったのは、私達人類なんです。



 だからね。
 皆、死ねばいいと思うの――










 ☆★☆★☆★☆★☆










 制服姿のまま、最寄から長野駅行きの普通列車に乗った。
 帰宅ラッシュのピークタイムと言うこともあって、車内は仕事や学校帰りの人々で埋め尽くされている。
 長い横椅子に座る人。手すりに捕まって車窓の外を眺めている人。ケータイを弄ってる人。iPodで音楽を聞いている人。
 ――皆、一様に疲れていた。この世界にうんざりしている。
 先の見えない生活に怯えながら、目の前にぶら下げられた偽りの希望を追いかけるような見通しの利かない日々。
 そんな毎日に嫌気が差しているのに、私達には何故か生きると言う選択肢だけが突き付けられていた。
 やっぱり色々おかしいのだ。この世界を作った神様は頭が狂ってる。

 人ごみを押し退けながらやっとの想いで列車から降りて、混雑する長い連絡通路を通って改札を抜ける。
 トイレで軽く化粧直しをしてから、ハンカチ等々最低限の小物だけ持って鞄をコインロッカーに預けた。
 軽く胸騒ぎがする。緊張や不安、それに多少なりとも持ち合わせていた後ろめたさはやっぱり隠し切れない。

 そんなこと、もうどうだっていい――ぶんぶんと頭を振って、人でごった返す駅の構内を歩く。
 程なくして善光寺口に到着。排気ガスが充満した停留所の傍では、家路に着く人々がバスを待つ列を幾重にも作っている。
 忙しない人々の往来は、私の住んでいた守矢周辺とは全く違う世界みたい。

 ふと周りを何となしに見回しただけで、目的の人物はあっさりと見つけることができた。
 制服に背広、作業服やTシャツ姿……様々な服装の人が行き交う駅の入り口にあって、彼女の服装は一際目立っていた。
 派手な胡蝶蘭の花柄があしらわれた日傘を差して、あからさまに肌の露出が多い品のあるドレスを着用している。
 色合いのせいか、服の間々から覗く白い肌がいっそう際立って見えた。歩いている人々もふと足を止めてその姿に見入っている。



 確認のためにケータイを取り出して、電話してみる。
 しとやかなドレスに身を包んだ女性は、ふと日傘を閉じて懐からケータイを取り出した。
 隠されていた表情が露になる。楚々とした品性を感じさせる美しい顔立ち。瞬間、心奪われた気がした。

 そのままワン切りして、おずおずと彼女に近寄る。
 私はおっかなびっくりしたまま、列車の通過する騒音や人々のざわめきでかき消されてしまうような小さな声で話しかけた。



「あの……『Yukari』さんですか?」

 Yukariと名指しされた女性は、私に気付くとやんわりと微笑んだ。

「ええ。貴女が早苗さん?」
「はい、そうです。今日は突然だったのにわざわざ来て頂いて本当にありがとうございました。それで――」

 言葉を続けようとした瞬間、ユカリさんは突然私のほっぺたに口付けを落とした。
 顔が朱に染まっていくのが自分でも分かる。こんな公衆の面前で突然そんなこと――

「あ、あの、そ、そのっ……ちょっと…………」

 頭が真っ白になった。顔は真っ赤なのに。
 そんな明らかに挙動不審な私を見て、ユカリさんはくすくすと笑う。
 恥ずかしさも勿論ある。恥ずかしいに決まってる。だけど自分から誘うようなことをしたのに、実際どうしたらいいのかなんて皆目見当も付かなかった。
 そんなことも相重なって、言葉に詰まってしまう。少しの沈黙が非常に気まずい。



「そう言えば、夕食は済んでるのかしら?」

 見かねたのか、ユカリさんが助け舟を出してくれる。

「あ、いえ……まだです」
「こんなところで立ち話も何だし、何処かで夕食でも取りながらゆっくり話さない? ちょうどいいお店知ってるの。貴女にも気に入って貰えると思うわ」
「いいですね、そうしましょうか」

 うん。とユカリさんは笑って頷くと、駅のコンコースへ向かって歩き出した。
 私もその後ろへと続く。雑踏の中でも、ユカリさんは宝石みたいに目立つ。
 出で立ちもそうだけど、ユカリさんから漂う雰囲気……オーラ・カリスマと言い換えても差し支えない存在感は、神奈子様や諏訪子様と比べても何ら劣ることのない魅力を感じさせる。

 それはともかく。間近で見ると、やっぱりユカリさんは綺麗だ。
 私も背丈は女子の平均身長よりは高い方だけど、ユカリさんはもうちょっと高い。
 目鼻立ちの整った美しい容貌。ぱっちりと大きな瞳にくるんとカールしたまつげが彩りを添える。
 さらさらとした黄金色の長髪をなびかせながら歩く仕草はファッションモデルみたいで、大人な女性の美を醸し出していた。
 こんな素敵な人が出会い系サイトに電話をかけて交際相手を探すなんて、とてもじゃないけど想像できない。

 嗚呼、何か話しかけてみたいけどきっかけがない。ユカリさんのプロフは真っ白だったし。
 まあ食事の時に色々聞けばいいかな。一体どんな人なのだろう……ふと、期待に胸躍らせている自分がいることに気付いた。





「いらっしゃいませ。お客様何名様でございますか?」
「二人です」

 いかにもファミレス的な営業スマイルを浮かべる店員に案内されて、私達はお店の一番奥にあるテーブル席に座った。
 メニューとにらめっこするユカリさんは、心なしかちょっと不服そう。
 それは何故かと言えば、私が我侭を言って無理矢理このファミレスに場所を変えて貰ったからだ。
 ユカリさんが案内してくれたお店は、滅茶苦茶高級感に溢れたいかにもリッチと言うか上品な感じの洋食料理店だった。
 私は母に仕送りして貰ってる身だし、バイトしてる分を合わせてもとてもお金が足りるとは思えない。
 ユカリさんは当然のように「奢るから」って言ってくれたけど、私が散々駄々を捏ねた結果、苦笑いしながら折れてくれた。



「ユカリさん、決まりました?」
「ええ。店員呼んでくれても構わないわ」

 備え付けの呼び鈴を押して、ウェイトレスを呼ぶ。

「ご注文はお決まりでしょうか?」
「トリュフと温泉卵のカルボナーラで。ユカリさんは?」
「梅しらすととろろの十八穀入り和風ドリア。食後に白玉宇治抹茶ミニパルフェとコーヒーを。早苗、デザートは?」
「じゃあ私は……フルーツミニパルフェ」
「ご注文は以上で?」
「はい」

 恭しく頭を垂れて店員が去っていく。
 ようやく、二人きり。嗚呼、でも緊張して何を話せばいいのかさっぱり分からない。
 取りあえず、素直に思ったことから話してみよう。



「ユカリさんのハンドルネームの由来って、やっぱりその綺麗なドレスの色……紫が好きだからなんですか?」

 ユカリさんは肘をテーブルに載せて、手のひらの上に顎を当ててやんわりと微笑んでいる。

「まず、その名前に『さん』って付けるのやめて貰ってもいいかしら? 私達はこれから恋人になるんだから、そんな敬語不要でしょう?」

 しれっととんでもないことを言う。
 恋人になる――とても甘い響き。
 こんな素敵な人に全てを捧げたら、幸せになれるのかもしれない。
 まだ一言二言も話していないのに、ふとそんなことを思う。
 ユカリさんの全てが私を惹き付ける。声、美貌、雰囲気、その類。あらゆる仕草に不思議な魅力を感じさせる人だった。

「すみません。私こんな喋り方が癖みたいになってしまってて……それに、いきなり名前を呼び捨てはちょっと恥ずかしいです」
「名前って不思議よね。呼び捨てで呼んで貰えた方が大切にして貰ってる気がしない?
『さん』って付いてると少し距離を置いてるのかなって感じてしまうし、逆に呼び捨ての方が愛でて貰ってる気がするわ」

 私は母を呼ぶ時だって「お母さん」だし、二柱の名前を呼ぶ時は『様』を付けるのが当たり前になっている。
 逆に『さん』付けに慣れてしまってるから、存外に高いハードルのような気がした。
 呼び捨てやあだ名で会話できる友達なんて、もうずっといたことがないし。
 でも、ユカリさんの言うことは分からないでもない。
 恋人には、飾らずに呼んで欲しい。そんな願いは多分恋に落ちる人々共通の想いなのだろう。

「ユカリさんが宜しいのであれば……そうします」
「勿論構わないわ。それで最初の質問はなんだったかしら?」
「ユカリさ……ユカリのハンドルネームの由来って、紫色が好きだから?」

 恥ずかしそうに言う私を見てご満悦なユカリさん。
 ちょっとツンとした驕慢そうな顔付きは、サディスティックな感じがしなくもない。



「紫って本名なのよ。八雲紫、そんな真名だから紫色が好き。自分が好きって裏返しなのかもしれないわね」
「実は私も本名なんです。それにしても紫は本当綺麗ですよね。てっきりモデルとかそんなお仕事をしている方なのかと思ってしまいました」
「うふふっ、ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」
「あ、いえ。本当にそう思うから……大人の女性らしくて、羨ましいです。憧れてしまいます」
「早苗だって綺麗よ。あどけないのに、美しい。両方なんてずるいわ」

 そんなことを言いながら、紫さんはやんわりと笑みを作って見せた。
 悪戯っぽい微笑みは小悪魔みたい。声も表情もとても艶やかで、どんな仕草をしてみても何かと色が見え隠れする。
 品のある美しさを醸し出す一方、その振る舞いの端々からは妖しい魅力が溢れ出していた。
 性的な倒錯の情を帯びた、いけないことに誘惑するような官能的な――

 程なくして、注文した料理が運ばれてきた。
 いただきます。と一言告げてから、カルボナーラをゆっくりと口に運ぶ。
 うん。クリーミーでとても美味しい。紫さんも黙々と料理を食べていた。
 何か会話のきっかけが欲しい。普段何してるのかとか、仕事のこととか……プライベートはまずいよね。
 趣味のことなら大丈夫かな。ドレスなんて着て来るくらいだし、相当お洒落好きなんだろうな。

 取りあえず服のことでも聞いてみようと前を向いたら、紫さんが私にスプーンを突き付けていた。
 その先端にはチーズたっぷりのドリアが乗っかっている。ふんわりと香る梅の匂い。とても美味しそうだけど……。



「早苗。あーんして?」

 とても楽しそうに言う紫さん。さも当然と言わんばかりに私の口の前までスプーンを移動させる。
 公衆の面前。とても恥ずかしい。今時の恋愛ドラマだって、こんなシーンは滅多にない。
 でも……やってみたい。して欲しい。人前で平然とキスできる人の気持ちが、1mm位は分かった気がした。
 大人しく口を開けると、紫さんは熱くないように吐息で冷ましてから口の中にドリアを置いてくれる。
 ふんわりとしたとろろとチーズの食感が絶妙にマッチしてて、口当たりはとてもよい。

「ん……美味しい」

 自然と笑みが零れた。
 そんな私を見て、紫さんも微笑んでくれる。
 目があった。何だかおかしくて、二人で笑う。
 口の中に広がったもの、それは幸せ。
 ずっと私は飢えていた。些細な言葉や何気ない仕草から感じる、小さな幸せに――

 私も負けじと同じようにしてやることにした。
 卵の白身と卵黄をたっぷりとまとわせたパスタをくるくるとフォークに巻きつける。
 その先っぽを恐る恐る突き付けると、紫さんは面白おかしそうに笑って口を開いてくれた。
 淡い紅に染まる唇が揺れ動いて、切先に絡まった麺を咀嚼していく。
 小さな愛を与えられること、それもまた嬉しくて……幸せが心を満たす。



「うふふっ。早苗って何となくMっぽい感じがしたんだけど、実はそんな感じでもないのね。
 貴女にもやらせてあげたんだから、私にもやらせなさいみたいな。確かに対等な関係は大切よね」
「だって、私もやってみたかったんです。駄目ですか?」
「ううん。そんなことないわ。寧ろもっとして欲しいくらいよ。何なら口移しでお願いしたいのだけど、どうかしら?」

 どきっとする台詞を言う紫さん。
 やっぱりSっ気満々なお方だったみたい。
 遊ばれてるようなフリをして、実は手のひらの上で弄んでるタイプ。
 でも、それも悪い気はしない。私は餌を与えられて手懐けられるだけの猫でも一向に構わないのだから。
 こんな風に恋人のように扱って貰えるだけでも、十分過ぎる程に幸せ。
 嗚呼、欲が出てしまう。もっと欲しい。もっと、もっと……貴女の愛が欲しいと心が疼いた。

 流石に口移しはできなかったけれど、時折お互いの口元に食事を運びながらゆったりと時は流れていく。
 最後にパフェのアイスクリームをあーんして貰った時、スプーンに残る紫さんの体温がやたらと生々しくて心臓が止まるかと思った。
 間々に挟まれた紫さんの話もロマンチックでとても素敵。それは恋愛論のようなものだったけれど、蒼く切なくて……私は夢中になってその話に聞き入っていた。
 嗚呼、思えば恋話なんて誰ともしたことがなかったんだな。私くらいの年頃の女の子は、きっと何時もこんな話をしているのかな。ようやく私は普通になれたのかな――



「さて、そろそろ出ましょうか。早苗、何処か行きたいところとかある?」

 ふと考えてみる。デートで二人っきりで回る場所……駅前だから娯楽施設は沢山あるけれど、ぱっと思い浮かばなかった。

「すみません。何処に行きたいとかこうしてみたいとか、少しは考えておくべきでしたね。会いたい一心で何も……」

 思わず頭を下げてしまう私を見て、紫さんはくすくすと笑っている。

「そうね、服でも見に行かない? ちょうどショッピングモールも空き始める時間だし、ゆっくり見て回ることができると思うの」
「それ、いいですね。私も紫さんがどんな服選ぶのか凄く興味あります。色々アドバイスも頂けそうですし、是非行ってみたいです」
「ほら、また『さん』付けになってる」
「あ、すみません……」

 一体私は何度謝っているのだろうか。一緒に席を立って、会計に向かう。
 紫さんが当然のように私の分まで支払おうとしたので、さっとレジにお札を二枚置いた。
 苦笑を横目に店を出る。外はすっかり暗くなっていて、繁華街のネオンがきらきらと輝いていた。

 道を行き交う人々は様々。
 既にほろ酔いのサラリーマン。
 道端でたむろする私と同い年くらいの子達。
 ケータイに向かって大声で叫んでいるおじいさん。

 ――皆、笑っていた。気味が悪いくらいに笑っていた。
 皆『今』を楽しんでいる。過去も未来も忘れて。其処には苦しみは存在しない。
 ただ、悩みや不安とか、色々なことを先送りにしてるだけに過ぎないのに。
 現在回答先延ばし。それは多分この辛い現実を生きる上において、最も効率的で賢いやり方なんだと思う。
 そんな処世術を、私は知らずにいた。だけど今だけは……愛をくれる人が傍にいる。

 紫さんに導かれるまま、隣を歩く。
 それは何だかとても誇らしいことのように思えて、心が躍った。
 ふと、横顔を覗き見る。ぱっちりとした大きな瞳には、一体この世界はどのように映っているのだろう。
 私と同じように絶望しているのだろうか。あのニセモノの夢とか希望を信じているのだろうか。それとも――



「……あの、紫」

 今度はちゃんと呼び捨てで言えた。
 大分ぎこちなかったと思うけれど。

「ん?」
「手……繋ぎたい」

 紫さんはただやんわりと微笑んで、そっと肩を寄せてくれた。
 真っ白な細くて長い指に、包み込むように手先を絡める。
 繋いだ手のひら。ゆらり、ゆらりとたゆたう体温は何かを伝えようと心に向かってくる。
 それはずっとずっと私が欲しかった想い。
 嗚呼、愛ってこんなに曖昧なんだ。何かとても不確かな感じ。
 だから言葉にしてみても、よく分からないのかな。言葉では伝えることができない想いだから、身体を重ねて確かめるのかな。



 ――今しかないとか言って?



「あ、ありがとうございます」

 お礼を言いつつも恥ずかしくて顔を背ける私を見て、紫さんはさもおかしそうに笑う。 
 夜の街を手を繋いで歩く。それはまるで自分が物語の主役になったみたいな錯覚を引き起こす。
 こんな私だってラブストーリーのヒロインになれる権利を有する素晴らしき世界。
 何時までも終わらない物語の中で、八雲紫と言う名のお姫様のキスで目を覚ました私は、彼女と共に旅に出るの。
 そして辿り着いた世界の果てで、私達は永遠の愛を誓う。咲き誇る一輪の薔薇となって――

 おかしな妄想に想いを馳せながら、駅前のパルコでウィンドウショッピングを楽しむ。
 途中で気付いたのだけど、どうも紫さんには連れて行きたい場所があるらしい。
 あれこれと色々なお店を簡単に見渡しながら、エスカレーターで次の階へ。
 何度か移動を繰り返した後、私達はお目当てのお店に到着した。



 ゴシックロリータ専門・オーダーメイドブランド「alice aurora」
 闇を照らす淡い光が独創的な雰囲気を醸し出す店内には、白と黒を基調したお姫様みたいな服が並んでいた。
 豪華なフリルやラッセルレースが用いられた白い可憐な衣装。退廃的でエレガントな漆黒のドレス。
 下着や小物、アクセサリーの類も全て一点モノらしく、値札が付いていない。

 ちょっと自分が着てる姿を想像してみる。
 どう考えても無理そうだった。紫さんはあんなにも似合っているのに、私には早すぎるような気がする。
 そもそも一生ご縁がなさそうな感じがしないでもない。まだ守矢の正装だって様になっていないと言うのに……。

 ふと訊ねてみると、紫さんはこのお店の常連らしい。
 身に付けている衣服はここで購入したものだと考えると、普通に納得できてしまう。
 絵画のように並んでいるお洋服の展示数は決して多い方ではない。
 そんな世界にたった一つしか存在しないオートクチュールの品々を見渡しながら、私達は店の奥へ入っていった。



「早苗って何着ても似合う気がするし羨ましいわ。どれがいいかしら……これとかどう? 早苗は身体のラインが綺麗だからとても映えると思うのだけど」

 そんな私の気持ちを他所に、紫さんは着せる気満々みたい。
 知らないうちに目配せしてたらしく、童話の中から出てきたような衣装を身にまとった店員がすっと近付いて来た。
 小慣れた手付きで展示されていたドレスを外して、そのまま手渡しされる。
 薔薇をモチーフにした白のプリーツレースと光沢鮮やかな透け透けな生地のフリルで彩られたオーロラのようなビスチェ。
 ありえない。どう考えても不可。あまりにも心臓に悪い。

「無理です。絶対無理ですから……私こんなの絶対似合いませんよ」
「いいからいいから。実際着てみたら考え方変わるかもしれないでしょう?」

 紫さんは滅茶苦茶楽しそうだった。
 半強制的に試着室へ連行される。比較的広めのゆったりとしたスペースに二人っきり。

「一人で大丈夫?」
「大丈夫ですから出てってください……本当に恥ずかしいんですから!」

 じゃあ外で待ってる。なんて言いながらくすくすと喉を鳴らして試着室から出て行く紫さん。
 もう後戻りはできない。覚悟を決めてブレザーのボタンに手を掛けて制服を脱いだ。
 四苦八苦しながらドレスを身に付けて、目の前にある鏡に映った自分の姿を見た瞬間……顔が真っ赤になった。
 さっきちょっと頭の中がお姫様になっていたけど、今は見た目までお姫様。こんな姿、ただの痛い子にしか見えない。これはない。絶対にない。



「ねえ、まだ? 入っていい?」

 急いで脱ごうとした途端、外から紫さんの声が聞こえた。

「駄目です。絶対駄目です!」

 そんな私の切望はあっさりと無視されてしまう。
 紫さんは私が着替え終わっていることを知っていたかのように、遠慮なく試着室の中に入ってきた。
 あまりにも恥ずかしくて顔を覆う。何だか値踏みされているような気がして、生きた心地がしない。



「とても綺麗ね。似合ってるわよ」

 うっとりと見つめてくれる紫さん。
 少し勘違いしてませんか……初めて紫さんの感性を疑ってしまった。

「こんなの私に似合う訳ないじゃないですか!」
「私、嘘付けないタイプだから大丈夫。安心していいわ。早苗的には何がお気に召さないのかしら?」
「色々と違うに決まってますよ……」
「そう言われてみると、確かにちょっと違う気はするわね。早苗に白はぴったりだとは思うけど、そうね……うん、ちょっと待ってて。もっと似合うの持ってくるから」

 紫さんは我が意を得たりとばかりに独り頷いて、試着室の外へと戻って行ってしまった。
 ちょっと違うどころじゃない。と言うか全然分かってない……。
 この手の服は紫さんのような大人の女性だから似合うのであって、私みたいな子供には夢みたいな話。
 そう、それこそ花嫁が身に付けるウェディングドレスくらいしか想像できないんだから。
 そもそもこんなお姫様っぽい衣装、普通な子がデートで着ることだって結構抵抗があるように思うのだけど。

 ――結局私は小一時間程、紫さんの着せ替え人形になっていた。
 フリルが一杯にあしらわれたクラシカルなジャンパースカートや中世のゴシック調なコルセット。
 大きなリボンのカチューシャにアンティークな感じのドレスハット等々――ありとあらゆる品々を身に付けさせられた。
 着替えが終わって披露と言う罪状の晒し刑が始まるたび、紫さんはいちいち大袈裟に褒めてくれる。
 それが嘘でも冗談でもなく、本気で嬉しそうな反応だから私は余計に困惑してしまう。
 もしかして、意外と似合ってるのかな。ちゃんとお洒落したら、私だって人並み……いやそれ以上に可愛いのかもしれない。
 ありえないおかしな妄想の類が頭の中を過ぎっては消える。

 そんな勘違いなんて、実はどうでもよかった。
 ただ、紫さんが可愛いねって言ってくれるのがとても嬉しくて。
 こんな私のことを認めてくれる。それだけでも、私はちょっとだけ救われるような想いがするから。



「これなら、何とか外出て歩けるような気がします。どうですか、似合ってますか?」

 最後に試着した、胸元にあしらわれた紫陽花のフリルが素敵な純白のキャミソール。
 コーディネートして貰ったフリフリなティアードスカートとも合ってるし、自分で言うのも何だけどなかなか素敵に見えるような気がする。

「うん、いいと思う。ちょっとシック過ぎる気もするけど、早苗が気に入ったならそれでいいわ。でも――」
「でも……?」
「そのキャミね、下着見せないといけないのよ。今早苗が着けてる白いブラだと味気ないわ。
 それに。今日は突然だったし仕方なかったんだろうけど、早苗も女の子なんだから。デートの時でなくても身嗜みくらいきちんとなさい」

 悪魔のように微笑む紫さんの手には既に下着が何点か用意されていた。
 こちらもフリルがふんだんに飾られたきわどい感じのブラジャーに、レースだらけで肌を覆い隠す布面積が異常に少ないセクシーなショーツ等々。
 色は全て黒。今身に付けている普通の下着に比べたらあまりにも派手過ぎる。だけど、この類のお店だ。きっとこんな品しかないんだろうし……私は小さくため息を付いた。

「……紫、私こんなの付けたことないですよ。べ、別にその、肌見せたりする機会なんてないですし……一糸纏わぬ姿になればどうせ一緒かな、なんて……」

 穴があったら入りたい。まさにそんな気分だった。
 そんな私が頬を赤らめる姿を見て、紫さんはくすくすと笑う。

「うふふっ。ランジェリーだって性的魅力を主張するための重要なアイテムよ?
 何にしろそろそろ閉店みたいだから、さっと選んで制服は袋に閉まっておいてね。私会計してくるから」

 何となく分かっていたけど、紫さんは最初から自分のために買うつもりなんて毛頭なくて。
 私に買って着せるために、わざわざこのお店に連れて来たらしい。だけど、買って貰うことには物凄く抵抗があった。
 それは、本当に後戻りできなくなるから。贈り物、所謂プレゼントの類は心に残る。
 在りし日の思い出としてそれを身に付けるたび思い出すことになるし、何よりも……相手に借りを作るのが嫌だった。



 ――今更、そんなの。綺麗事だよね。



「ちょっと待ってください。このお店は品物に値段が付いてなかったし、相当高いんじゃないですか?
 こんな高額なお洋服買って貰う訳にはいきません。お気持ちだけで十分ですから、もう出ましょう」
「そんなことは貴女が気にしなくていいの。これは私の我侭だから」
「気になるに決まってます。私は紫さんが今日来てくれただけでも、本当に嬉しかったんですから。それに比べたら、自分が紫さんにお返しできることなんて……」

 そんな私の言葉を聞いた瞬間、紫さんは妖しく微笑んだ。

「借りだなんて思ってるなら、それは勘違いよ。この世界には無償の想いなんて存在しない――
 つまりはそう言うこと。後で早苗にもちゃんと返して貰うわ。よく出世払いとか言うじゃない、要するにああいう感じでね」

 そう。この世界の人間と言うケモノは自分の思惑に従って生きる。
 貴女のために生きるなんて綺麗事を並べて人に尽くす物語の主人公は、何処にもいない。
 結局は皆己の欲望のためだけに生きているに過ぎなくて。私だってそうだ。紫さんだって多分きっとそうに違いなくて。

 私はそれ以上何も言わず、紫さんの後姿を静かに見送った。
 そそくさと着替えを済ませて、制服を畳んで紙袋に詰め込む。
 ふと、鏡に映る自分の姿に気付いた。
 純白のキャミソールに薄っすらと下着の黒が滲んでいる。
 本当の私は心の奥底までどす黒いのに、紫さんは白が似合うと言った。
 この胸を切り開いて中身を全て見せてあげたら、一体どんな顔をするのだろうか。
 それでも、貴女には白が似合うと言ってくれるのだろうか――





 ショッピングモールから出る頃には、時刻は22時を過ぎていた。
 天気予報は晴れだと言っていたのに、空からぽつり、ぽつりと雨の雫が落ち始めている。
 嗚呼、折角買って貰った服が汚れてしまう。駅から続くアーケード街は歩道に屋根が付いているけど、何にしろ帰りに傘は買わないといけない。
 爛々と輝く歓楽街のネオンを何となしに見上げていると、紫さんが小さく言葉を紡いだ。



「早苗、時間大丈夫? 一応門限とかあるでしょうし」
「いえ、全然問題ありませんよ。私一人暮らしなんです。だから終電までだったら大丈夫です」

 そんなことを言ってみたものの、元から帰るつもりなんてこれっぽっちもなかった。
 服は買って貰ったけど、一番欲しいモノはまだ。それを与えて貰わないと、今日紫さんと会った意味がない。

「そうね……映画とか定番だけど終電終わってしまうし難しいわね。どうしよっか?」

 ラブホ行きたい――自分からそう言えないことが何だかとても歯痒い。
 もし紫さんが男の人だったら言ってくれたのかな。
 普通の恋愛のこともよく分からないけど、女性同士だと尚更。
 私は今すぐにでも抱いて欲しいのに。キスしてハグして……全てを忘れさせて欲しいのに。
 戸惑いながらも妥協案を探る。結果、さり気なく二人きりになれる方法を選ぶことにした。



「私、カラオケ行きたいな。紫さん、この辺りのお店の会員証持ってます?」
「あるわ。ちょうどすぐ其処の……うん、私軽くお酒飲みたいしちょうどいいかも。時間的にもぴったりだしね」

 紫さんはゆったりと笑って頷くと、私の手を取って歩き出した。
 お姫様を招く王子様みたいな可憐な仕草。
 でも私はそんな優しい気遣いなんてお構いなしに、紫さんの腕に身体を絡ませるように抱きついた。
 多分滅茶苦茶歩き難いと思う。だけど、そんなことはどうでもよかった。
 恥ずかしくも何ともないし、逆に見せつけてやりたいくらい。
 私だって幸せになる権利を持っていることを、あのクラスメイト達に正々堂々と証明して見せたい。

 別にラブラブって感じで歩いてるのは私だけで、紫さんがどう感じているかは分からないのだけど。
 少なくとも傍から見ればいちゃいちゃしてるように見えるだろう。自分がようやく普通になれた気がして、酷く気分がいい。
 この世界の主人公は私で、ヒロインは紫さん。そんな妄想の物語が現実になったような気がして、心が空に浮かぶようにふわふわする。
 恋に恋焦がれてた私はもういない。全てを知った私は紫さんの愛に溺れて自分を見失ってぐちゃぐちゃになってばらばらになってきゃははははははって感じになった後で真っ白に――





 私達は歓楽街の一角のテナントに入っているカラオケ店に入った。
 平日のせいか待ち時間もなくて、そのまますぐに部屋へ案内される。
 横長のソファーに二人寄り添うように座った。
 今すぐ抱きしめて欲しい。そんな願いを暗に突き付けるように。
 私はメロンソーダ、紫さんはオリジナルカクテル「Secret Desire」を注文。
 拙い英語の知識を思い起こすとその意味は『下心』――何となく紫さんに見透かされてる感じがした。

 最新曲が掲載されている冊子のページをぱらぱらとめくっていると、すぐに店員が飲み物を運んで来て去って行く。
 ようやく、二人っきり。でも何から話せばいいのかやっぱり分からない。手を繋ぐことだって快く許してくれた紫さんだし、抱いて欲しいって言ってもきっとそうしてくれるだろう。
 別にやましいことなんて何もない。そもそも、そんな目的のために私達は今日こうして出会ったのだから。素直に言えばいいだけのこと。



「紫」「早苗」

 何故か絶妙のタイミングで被ってしまった。
 お互い顔を見合わせて苦笑い。私が言葉を待っている雰囲気を察してか、紫さんが先に口を開いてくれた。

「先に何か歌って欲しいんだけど」

 紫さんらしい素敵な言葉を期待してしまっていたので、極めて普通な感じの台詞に少しだけがっかりしてしまう。
 カラオケなんて来た回数は片手で事足りるくらいだけど、小さな頃から二柱や母がよく歌を聞かせてくれたりしたので、聞くのも歌うのも大好き。
 守矢に住んでいた頃はよく部屋に引き篭もってギターを弾いていたものだ。音楽の授業はあまり好きではなかったけれど。

 こくりと頷いて、付属のリモコンを操作する。
 目的の曲を探して送信。ぴぴぴぴぴっと音がして、画面にタイトルと作詞作曲者のクレジットが表示された。
 カラオケは好きな曲を思い切り歌うためだけのもの。アーティストのように歌に想いを乗せて届けるような真似は素人の私にできるはずがない。
 それでも……紫さんに届くといいな。ふとそんなことを思いながら、この曲を選んだ。私がギターを始めようと思ったきっかけの曲で、私の『現在』を象徴するような――





「サンタクロースが死んだ朝に――」





 耳をつんざくようなギターのリフから始まるこの曲は、私達が生きている世界の真理と景色を鮮やかに切り抜いてばらばらにしたような歌詞がとても印象的。
 その中で彼は歌う。パルコで買い物してラブホで誰かと寝てる女の子が一番幸せだと。そんなあの子達はワンダーランドはこの世界じゃないってことを知っていると。

 そう。素晴らしき理想郷――ワンダーランドなんてこの世界には存在しない。
 つまらない日常。残酷な現実。うだつの上がらない日々を過ごしていく中で、人々はそのことを知る。
 そしてワンダーランドへの切符を探し始めるんだ。その招待状は『夢』とか『希望』なんて様々な名称がある。随分と入手困難なチケットだと思う。
 それは当たり前。だってワンダーランドに辿り着いた人々は、素敵な幸せを手にすることができるんだから。

 ついに私もそんな素敵な世界へ旅立つ切符を手にすることができた。
 愛とか言う名前のチケットには、ついでに可愛い服までセットになっていた。
 嗚呼、どうして早く気付かなかったのだろう。幸せはこんな身近に落ちていることに。
 身体を捧げるだけで簡単に手に入るこのチケットさえあれば、きっと私はこの世界から抜け出すことができて――





「……とても素敵な歌ね。ロックとか全然聴かないし知らない曲だったけど、何か心に響くモノがあった気がするわ」

 歌い終わると、紫さんが小さく拍手しながら褒めてくれた。
 お世辞にも歌が上手いとは言えない私だけど、この曲を歌う時だけは魂が宿る。
 素の自分。ありのままの私をほんの少しでも分かって貰えたような気がして、紫さんの言葉がとても嬉しい。

 一応さっきの発言から察するに、紫さんも歌いたいのかな。
 そんな風に思っていたのだけど、少しの間……空白の時間が訪れた。
 隣の部屋から絶叫のような歌が漏れ聞こえる薄暗い室内。紫さんは別に曲を選ぶ訳でもなく、ぼーっと宙を眺めている。
 何やら思案でもしているのだろうか。沈黙も何だか気まずかったので適当に声を掛けようとした瞬間、薄めの唇がゆっくりと言葉を紡いだ。



「ねえ、早苗」

 小さく「はい」と返すと、紫さんは相変わらずな感じの緩慢とした笑顔を浮かべた。

「ちょっと、ゲームしない?」

 カラオケの機種によっては採点や消費カロリー表示等々……皆で遊べるような機能が色々付いているものが多い。
 正直なところ全然興味なかったけど、紫さんがやりたいと言うならやってもいいかな。それくらいに思っていい加減に返事をする。

「いいですね。何のゲームですか?」

 私が乗った瞬間、紫さんはしたり顔で答えた。



「王様ゲーム」

 王様ゲーム――例えばくじとか何らかの遊びの類で決まった勝者、要するに王様が指示する罰ゲームを参加者で行う遊び。
 王様の命令は絶対だから、逆らうことは許されない。聞いたことはあるけど、自分でやったことはない。そもそもこれって、結構大人数で楽しむゲームだったような気がする。

「二人で、ですか?」
「そう。早苗と私、必ずどちらかが勝つことになるわね。姫と従者、そんな感じになるのかしら」

 ふと、思考が過ぎる。
 紫さんだって、私を抱きたいだけなんじゃないかな。
 今日私達が出会った動機を考えると、こんな余興には何の意味もない。
 素直に「ヤリたい」って言ったらそれでお終い。だけど、一応建前が必要。紫さんはそう考えているのかもしれない。
 私なんてもう心の準備はとっくにできているのに。まあ別に理由なんてどうだって構わない。
 結局のところ、勝っても負けても私の望んだ結果になるのだから。



「分かりました。どうやって決めましょうか? 歌って点数勝負とか?」
「面倒だし古来からあるやり方にしましょう。この十円玉の表が出たら私が王様、裏が出たら早苗が王様ね」

 紫さんはそう言うと、おもむろにお財布から一枚のコインを取り出した。
 手品師みたいに、わざとらしく私の前にかざして見せる。何のことはない普通の十円玉が小さなミラーボールに反射して煌く。

「早苗、貴女が投げる?」
「紫さんがやってください」

 どうせ確率1/2。
 実は紫さん、手品が出来て必ず表が出せるなんて可能性も無きにしも非ず。
 寧ろそれで負けて抱いて貰った方が楽になれる。服のお返しもできるような気がするし。
 どちらにしろ互いの願いは叶うのだから、全ては当然の帰結に過ぎない。

 紫さんは左手でコインを水平になるように持って、その下に右手の人差し指をあてがった。
 私に軽く目配せする。その合図に軽く頷いて見せた瞬間、弾かれたコインは天高く舞い上がった。
 くるくると表裏を見せながら回転して、かたんと音を立ててテーブルの上に落ちる。私達の視線の先に転がっている十円玉は――










「裏ね」

 紫さんがにんまりと笑う。

「私の……私の言うこと、紫さんが何でも聞いてくれるってことですよね?」
「そうね。何なりとご命令を、姫君――」

 そんなことを言いながら、かしずくように恭しく頭を垂れる。
 紫色のドレスに身を纏った従者は、妖しく微笑んだまま……誘うような眼差しで、私をじっと見据えていた。

 嗚呼、ようやく私もワンダーランドに行ける。
 浅ましい悦びに心が躍った。最低な行為だって覚悟していたのに、紫さんがくれたモノはスウィートな甘い甘いキャンディ。
 恋は麻薬。あれはよく出来た言葉だと思う。気が付けば心を虫歯のように蝕んで、飢えた身体はもう愛なしでは生きられなくなる。
 こんないけないこと、知らなければよかった。そう後悔させてくれるような想いを与えた紫さんを私は一生恨むことになるだろう。

 つまり、八雲紫と言う人はニセモノの神様。
 神様は悪者だ。全て彼女が悪い。全て彼女のせいにしてもいい。
 人は何時だってそう。何もかも人のせいにして――



「……り」

 唇が震えて、声がまともに出ない。

「…………り」

 貴女の名前を呼ばせて欲しいの。

「………………り」

 その素敵な名前を呼ばせて欲しいの。
 紫。ゆかり。ゆかり。ゆかりゆかりゆかりゆかりゆかりゆかりゆかりゆかりゆかりゆかりゆかり――名前を呼ぶだけで、頭がおかしくなる。
 どうして私は今頃になって気付いたのだろう。貴女の名前がこんなにも美しくて……愛しいことに。

 メロンソーダを口に含む。
 人工甘味料のニセモノの甘さ。舌は騙されてる。
 きっと、これだって神様のせいなんだ。



「ゆかり」

 嗚呼、やっと……言えた。

「なあに?」

 なじるように見上げながら、紫さんは笑っていた。



「……抱いて、ください」

 お酒なんて飲んでいないのに、夢遊病患者のように彷徨う五体。
 そんなゆらゆらとしている私の身体を、紫さんは優しく抱きしめてくれた。
 人肌の温もりが布越しに伝わってくる。素肌同士が触れ合ったら、もっと温かいのかな。
 でも、こんなの私が望んでるハグじゃない。気遣ってなんか欲しくないの。
 もっと強く、強く。私と貴女が一緒になってしまうくらいに、強く抱きしめて。

 逆に紫さんをぎゅっとしてあげる。
 胸が押し当たる感触と共に、心臓の鼓動が届く。
 とくん。とくん。身体はちゃんと分かっている。
 今から始まること。互いが一つになる瞬間――



「そんな優しくなんてやだ。もっと乱暴にしてください。痛いほどに教えて。紫、貴女のこと……全て」

 お望み通りにしてあげるわ――そう言わんばかりに紫さんはぐいっと体重を掛けて私をソファーに押し倒した。
 さらさらで黄金色に輝く髪の毛のシャンプーの香り。柑橘系の香水のふんわりとした甘い匂い。大人の色を感じさせる芳しい色香がふんわりと鼻をかすめる。
 その中でも首筋に吹き付けられる吐息は格別だった。生温かくて艶かしいその感触だけで、頭がおかしくなる。身体の力がだらしなく抜けていく。
 紫さんの表情は窺えない。だけど、何となく思った。きっと……笑っているのだと。

 永遠に近い数分の間、私達は何も言わず抱き合っていた。
 手を繋いでいる時よりもはっきりした何かが伝わってくる。
 今まで体験したことのない理解不能な感覚。でも、身体は待ち焦がれていた。
 きっと、本能は知っているのだろう。ただ、それに全てを委ねたら気持ちよくなれることを。私が望む此処ではない何処かへ連れて行ってくれることを――

 ふと、紫さんが突然私のうなじをぺろりと舐めた。
 あは。なんてあられもない嗚咽と共に、むず痒い快感が身体中を駆け巡る。
 首筋を這いずり回る舌はゆらりゆらりとナメクジのように肌を伝い、耳元の辺りで止まった。
 そして得体の知れないナマモノを飼う口は、囁くように言葉を紡いだ。



「……後悔しても、知らないわよ?」

 今更だった。おかしいくらいに、笑ってしまう程に今更過ぎる。
 後戻りできないことなんて、最初から分かっているのに。寧ろそうして欲しいから、貴女に全てを任せようとしているのに。
 だって、今しかないんだから。過去とか未来なんてどうでもいい。何もかも忘れさせてくれたら、それでいいの。

 そもそも、此処まで来て後悔?
 貴女だって私を犯したいだけなのに?
 こんな綺麗な服を着せたのも、自分好みのオートクチュールに仕立て上げた子を蹂躙したいだけなのでしょう?
 本当は躊躇いなんてない癖に。もう綺麗事なんていらないの。もうじれったいだけ。早く。早く欲しいの。貴女の、全て――



「ゆ、か、り」

 そんな同意を求めるような問いに答える必要はない。
 既に感情の堰なんてとっくに崩壊していた。もう私には、貴女だけ。

「キス、して」

 カタコトの言葉を聞いて、紫さんは可憐に金髪を翻して私の顔を正面に見据えた。
 私が王様のはずなのに、まるで逆の立場。心底楽しそうに口端を歪めたその表情は、支配者としての悦びに満ち溢れている。
 妖しい宝石のような瞳。長いまつげが伏せられた儚げな視線の先には、私しか映っていないような気がした。
 凛とした風情と妖艶な佇まいが歪に同居する不思議な魅力を醸し出す細面が、ゆらりと近付いてくる。
 紫さんが小首を傾げる仕草はとても扇情的。色の悦びを感じさせるような艶やかな動きに、感情の昂りは最大限に増していく。

 静かに瞳を閉じた。
 嗚呼、終わる。全て、終わる。
 私は運がいい。こんな素敵な人に、初めてを奪って貰えるのだから。
 刻み付けて欲しい。貴女しか分からなくなるように、貴女しか感じなくなるように。
 貴女しか判別できなくなるの。そしたら、私は他の事を何も感じなくていい。
 貴女だけ。貴女だけ。貴女だけで、いいの。貴女に私の全てを捧げます。だから――



「んっ……」

 そっと、吐息が重なった。
 初めてのキス。甘い。甘い。アマイ。アマイ。アマイ。
 頭の中に流れ込んでくる、私をおかしくする何か。
 ゆらりとたゆたう体温も、伝う想いも……触れ合った先で溶けて消える。
 紡いだ口先の境界はとても曖昧。私と紫さんで唇を共有しているみたい。

「あ、は……」

 塞いだ唇から漏れる吐息が優しく頬を撫でる。
 同時に鼻孔をくすぐるような匂い。何もかも甘い。甘い。アマイ。アマイ。アマイアマイアマイアマイアマイアマイキャンディ。
 変だ。頭がどうにかなりそうだった。イケナイコトしようとしてるんだから、当たり前。堕ちていくことはこんなにも狂おしくて、美しいのね。
 今ならはっきりと分かる。あの曲で歌われていたあの子の気持ち。ワンダーランドに行くって言うのはこういうことなんだ。
 何もかも、失われていくの。多分私はなくなってしまう。紫さんと溶け合って一つになろうとしてる。全て貴女とお揃い。何て素敵なこと――

「ん、んっ、はぁ……ゆ、かり…………」

 唇の先から伝う紫さんの全て。
 手に取るように分かる。貴女が何をどう感じてて、何を伝えたいのか。
 私もその想いに答えたい。心の内に秘めた全ての想いを込めて、口付けを交わす。

 大好き。
 愛してる。
 もう離れたくない。
 私には貴女しかいないの。
 お願い。嫌いにならないで。捨てないで。
 奴隷にしてくれても構わない。貴女だけの玩具にして欲しいの。
 貴女のためなら何だってするから。

「あ、ん……」

 呼応するような喘ぎ声を漏らす紫さん。
 嗚呼、伝わってる。もっと、ちゃんと、はっきり教えて。八雲紫は東風谷早苗のことを愛――





 "ニセモノ"

 ふと、甘さに蝕まれた理性が呟いた。
 底冷えのするような、低い声。それは紛れもない自分自身の心の叫び。

 ――その愛とか言うモノって、さっき飲んだメロンソーダと同じ味がしない?

 うるさい。黙れ。
 嘘つき。そんなの嘘だ。
 私は感じてる。快感を覚えてる。本能はちゃんと分かってる。
 それが何よりの証拠。人工甘味料でデコレートされた味と一緒にしないで。
 理性なんてこんな時は必要ないの。紫さんは心から私のことを愛してくれている。





 ――だって、ニセモノの神様だもの。そんな存在から与えられる愛なんてやっぱりニセモノでしかないでしょう?





 電話越しから届いた艶やかな声。
 貴女の言葉は嘘にならない。そう思わせてくれるような、輝かしい希望の詩を聞かせてくれたね。

 初めて会った時の社交辞令的な口付け。
 素敵な物語が始まる気がしたの。貴女に手を引かれて導かれた先には、きっと夢のような未来が待っている気がして……心が躍った。

 ファミレスでいちゃいちゃした時だって。
 私達は普通の恋人同士だった。貴女とのさり気ないやり取りが楽しくて。
 小さな幸せを噛みしめると、心の中でふんわりと弾けるの。優しく溶けて消える感覚がたまらなく心地良くて、とても素敵だった。

 繋いだ手のひら。
 貴女の体温は真直ぐに私の心に向かってきた。
 有耶無耶な感情を乗せて。愛と言う感情は形だけはっきりしているのに、中身は随分と曖昧。
 だけど、それが愛と分かるだけでも幸せで。

 服を買ってくれたことも、とても嬉しかった。
 似合わない服だって沢山あったのに、いちいち貴女は褒めてくれる。
 可愛いねって言って貰えるだけで、心がときめいてしまうの。そして何より……貴女のお気に入りになれることに私は無償の悦びを感じた。

 そして、重ねた唇から伝わってくる貴女の想いも、全て――




















ニ セ モ ノ ナ ノ ?























 一筋の涙が頬を伝う。
 幸せなはずなのに、涙は留め止めもなく溢れ出した。
 ぽろぽろと零れ落ちる雫が、触れ合ったままの唇に染み込んだ。紫さんの甘い口先の感触に涙の塩気が混じる。
 枯れ果ててもおかしくなかったはずの涙は、埋められなかった心の隙間から流れ出していた。

 嗚呼、神様が突き付けた現実は残酷過ぎる。
 貴女がくれたニセモノの花束はこんなにも美しいのに。
 今抱えている自分の想いさえ信じることができないなんて――













「……早苗?」

 紫さんがそっと唇を離して、小さく呟いた。

「続けてください」
「何故、泣いているの?」
「続けてくださいと言ってるんです。聞こえなかったんですか?」

 私は騙され続けないといけない。
 ニセモノの幸せに。ニセモノの神様に。

「……嬉しくて泣いている訳じゃないなんてことくらい、誰だって分かるわ」

 そんなことを言う紫さんの顔すら、涙で霞んで見ることさえ叶わない。

「何でも命令聞くって言ったじゃないですか。あの言葉は嘘だったんですか?」
「幸せを分かち合うためのキス。悲しみを慰めあうためのキス……色々あってもいいと思うわ。今の貴女には何が必要なのか、それが大切なの」
「そんなのなんだっていいです。早くしてください。欲しいんです、貴女が与えてくれるモノなら、なんだっていい」

 紫さんは何も言わなかった。
 要するに拒否。分かりやすくていい。



「あはっ。そうですよね」

 自嘲気味に、私は笑った。

「キスしてくれたけど、本当は私のこと好きでもなんでもないんですよね。その愛って、ニセモノなんですよね」

 つまり、ただそれだけのこと。
 最初から私は知っていた。全て織り込み済みだったのだ。
 これは援助交際。互いの欲望を満たすために心と身体を売買して、刹那の幸福を得る。
 それでいいんだと思っていた。後悔なんてしたところで過去には戻れないし、未来なんて分かるはずもない。
 私には今しかない。今幸せだと思えるなら何でも良かった。そう感じられるならば、与えられたものがニセモノだろうと……そんなことはどうでもよくて。
 だから、紫さんが与えてくれる愛がニセモノだって全然構わない。そもそも私はそんなニセモノを与えてくれる、ニセモノの神様を信じたかったのだから。

「でも、ニセモノでもいいんです。それに騙されてる方が幸せなんです。
 だからお願いします。続けてください。どうせ紫だって、私の身体目当てなんでしょう?
 好きにしていいですよ。ほら、滅茶苦茶にして?」

 ふと、目の前が真っ白になって真っ暗になる。
 紫さんがドレスの袖で涙を拭ってくれた。開けた視線の先に映る、物憂げに瞳を伏せたニセモノの神様の悲しそうな表情。
 嫌だ。そんな顔しないで。要するに、もう綺麗事は必要ないって話なの。私は本性を曝け出した。紫さんだって好きにしたらいいのに。
 今しかないからとか言って得た幸せの代償は、必ず支払うことになる。私はもう十分に与えて貰ったのだから、今度は貴女が貪る番だ。

 それなのに、紫さんは微動だにしない。
 ソファーの両面に手を付いたまま、じっと私を見下している。





「早苗」

 切なく途切れるような声。

「私が差し出したドリアを嬉しそうに食べてくれた時の笑顔も」

 言葉を手繰るように語る。

「手を繋いだ時に感じた優しい体温も」

 美しく昇華された思い出のように。

「お洋服を着てはしゃいでた無邪気な悦びも」

 二人で築き上げた小さな幸せを広げて読み返す。



「唇から伝わる、儚い想いも……私が感じた貴女の全ては『ニセモノ』だったのかしら?」

 再び零れ落ちる大粒の涙。
 それは違う。絶対に違う。
 雫を振り払うように、ぶんぶんと首を横に振る。

「そんなこと、ありません。私は本当に幸せでした」

 紫さん。貴女の想いがもしニセモノだったならば、きっと私もそれ相応の想いしか感じなかったのでしょう。
 寧ろその方がずっと良かったのにね。だって、私は最初からニセモノを望んでいた。ニセモノの神様がくれる、ニセモノの想いが欲しかった。
 援助交際と言う名目の元に、ニセモノの愛を貪り尽くす。快楽で頭がおかしくなって何もかも分からなくなってはいお終い。
 後に残るものなんて事後の気だるい倦怠感、脱力感や無常感、自己嫌悪とかその類だけ。それでも構わない。そんなことだって全て分かっていた。
 この世界にはいつまでも続く幸せなんてあるはずがないのだから……そうやってニセモノに騙されて、刹那の快楽を繋いで生きる。
 一瞬だけでもニセモノを本物だと勘違いできればそれで十分で。

 だけど……おかしいよね。こんなの変だよね。貴女が与えてくれた想いはあまりにも美しかった。
 小さな唇が紡ぐ素敵な言の葉。繋いだ手のひらから伝うゆらりとたゆたう体温。重ねた吐息の先に見せてくれた夢のような世界。
 紫さんからもたらされた想いが全て『ニセモノ』だったなんて信じられない。ニセモノだと信じられるはずもないし、信じたくもなかった。
 ニセモノの愛を欲していたはずの私が垣間見たものは、紛れもない真実。そんなものはこの世界に存在しないと諦めていたはずの輝かしい未来と希望で――



「私と紫の想いは繋がっていたと思うんです。だからこそこんなにも楽しくて、嬉しくて、幸せで……きっと貴女も同じように感じていたはずです。違いますか?」

 紫さんは消え入るような声で「違いないわ」と言った。
 私が感じていた想いは絶対に貴女と一緒。心の中ではちゃんと気付いていたのに、私はそれを踏み躙るような嘘をついた。
 貴女の想いは『ニセモノ』だと――心を痛めたまま吐き出した嘘。完全に破綻した感情には矛盾しか生じない。

「私は今しかないとか言って刹那を求めた。それなのに、紫は永遠を与えてくれたような気がしたんです」

 所詮は援助交際。
 愛なんて嘘。架空。捏造。紛い物。模造品。デタラメ。
 つまり、全てニセモノだと思っていたのに。
 紫さんは美しくも惑わせる。
 ラブソングや絵空事みたいに切なくて心が張り裂けそうになるような永久に続く想いはある。
 永遠に繋がる恋は存在する――そんなずっと私が否定し続けてきた真実を、彼女は教えてくれた。



「だけど、信じられないんです。何故か、信じられない。
 どうしても神様を信じられないのと同じように……自分でも分からないんです。
 紫から頂いた想いは間違いなく本物なのに、それは嘘だと否定する自分が何処かにいる。
 心は確かに貴女の想いを受け取って悦んでいるのに。ばらばらなんです。心が、ばらばら……どうして、こうなっちゃったんだろう」

 嗚呼、私は知らなければ良かったのかな。
 こんな想いが存在するなんて分からないまま生きていた方がマシだったのかもしれない。
 よく考えてみれば当たり前のことなのに。今が幸せだったら、もっと欲しくなってしまうに決まってる。
 二度と手に入らない幸せを夢見ながら、刹那のためだけに心も身体もばらばらにして切り売りするような日々。
 所詮全ては繰り返しの業。朽ち果てて消え行くだけの想いだけなら、いっそのこと必要ない。幸せなんて望まなければよかった。

 もう私は忘れられない。永遠があることを知ってしまった。
 なのに……私の想像力があまりにも欠如し過ぎていて、そんな素敵な想いをくれた人を信じることができない。
 おかしな話だ。幾ら手を伸ばしても届かないと思い込んでいた、ずっと私が欲しかった幸せ。
 それはこんなにも身近なところに落ちていて、掴もうとした瞬間この様。
 ゆらゆら、ゆらゆらと墜落していく。
 見上げる空が眩しいと思うことはあっても、これ以上堕ちることはないと思ってたのに。

 時が止まったかのように、暫しの沈黙が流れた。
 紫さんは意を決したのか、ゆっくりと体勢を元に戻す。
 ソファーに寝そべるような格好になっている私の隣に座って、ぼんやりと虚空を眺めていた。
 犯す気も失せたのかな。想いも覚めてしまったのかな。そんな風に思わせるには十分すぎる仕草。
 二人で最高の昂りと最低の気分を抱いて。エンドロールのように流れる胡散臭い歌詞のJPOPが耳障り。
 終わり。The End...私はただ、紫さんの最後を告げる台詞を待った。



「早苗」

 紫さんはカクテルを口に含んでから、優しく私の名前を呼んだ。

「私には貴女の寂しさも、貴女の悲しみも癒すことはできないのかしら」

 首を左右に振る。
 大きな黒い瞳は、そんな素振りなんて見てもいなかったけれど。

「この世界には、何もかも信じられないなんて人はいないの。
 人間は必ず誰かと繋がっている生き物だから。貴女だって、自分のことは信じられないのかもしれない。だけど、信じられる人はいるでしょう?」

 ふと思い浮かぶ、母と二柱の面影。
 消えてしまったはずの夢や記憶が鮮やかにフラッシュバックする。
 幼い頃から今までずっと解けることのなかった、揺るぎない絆と信頼。
 永遠とは言い切れないものかもしれない。
 だけど永遠には限りなく近い、大切な想いで結ばれた赤い紐。
 私はそれを信じているから、きっと死ぬと言う選択肢を選ばない。選べない。

「そうかもしれませんね。自分の想いすらよく分からないけど、信じている人はいます。もし家族がいなかったら、私は……」

 命を絶つことを選んでいたのかもしれない。
 でも、こうして身体を売ろうとすることと自殺なんて行為自体が違うだけで、本質的な理由は同じなのだろう。
 今が苦しいから逃げたい。意識を飛ばして何もかも消してしまいたい。はしたない快楽の中に救いを求めること。
 それらは結局のところ、現実逃避の一言で片付いてしまう。これだけ苦しんでいる人々が沢山いるのに、世界は何事もなかったかのように回り続けるけれど。

 誰かのために生きることができたら良かった。
 だけど、信じる人のために生きるなんて物語のヒロインみたいな生き方は到底無理できっこない。
 それなのに、私を支えているのは間違いなく家族との絆。
 皆の笑顔だけが唯一の希望だった。それは紛れもない真実なんだと思う。私が信じることのできるたったひとつだけの――



「私は、早苗にとっての……そんな存在になることは叶わないの?」

 紫さんの言葉が、頭の中をぐるぐると回る。

「私の感じているこの想いが嘘ならば、貴女の想いも嘘になってしまう。
 でも、私は今日早苗から貰った想いは全て本物だと確信してる。貴女が信じられないのならば、私が証明して見せるまでよ」

 偽ることになれた私の心に響く、気高き矜持とプライドに満ち溢れた凛とした声。
 私は今日、紫さんを自分の欲望のためだけに誘った。そして私達は共犯。今しかないとか言ってニセモノの愛を与え合って、浅ましい快楽を貪る。
 それは互いにとって消したい過去。そして消えない罪になるはずだった。それなのに、貴女と言う人は全てを美しい想いに変えようとしている。
 ううん。違う。最初から何もかも、素敵な想いに包まれていたの。私は自分が信じられないから、それがニセモノか本物か分からない。
 でも、紫さんは言ってくれた。それは正しいと。分からせてくれると。
 それはつまり、私の存在の証明。自分の想いがちゃんと相手に伝わってるかどうか分かるのならば、私が感じる全ては真になる。

 魂が完全に抜けてしまった抜け殻みたいな私の身体を、紫さんは優しく抱き起こす。
 ふわっとしたフローラルなラストノートの香り。包み込むような柔らかい体温が、たまらなく心地良い。
 紫さんはやんわりと微笑んでいた。どんな顔をしたらいいのか分からない。だって、ニセモノだとかあれほど最低な台詞を吐いた後。嫌われてしまっても何らおかしくはない。
 だけど、発せられたのは救いの言葉。私の全てを受け入れようとする神の誓い。何も残されていない私は、すがるような想いで言葉を吐き出した。



「……信じさせて。私の、神様になって見せて」

 長い金髪を軽やかに躍らせて、ぱっちりとした瞳はじっと私を見据える。
 神様の口端は歪んでいた。狂気を感じさせるアメジストの美しさ。薔薇の花びらのような唇が紡ぐ宣誓は――

「教えてあげる。この世界の素敵な物語――」

 甘い吐息が香るキス。
 互いを確かめるように押し当てた唇から伝わる感触は、的確に私の理性を奪う。
 たゆたう体温。艶かしい吐息。甘い唾液のとろけるような味。紫さんの全てが心の奥底まで流れ込んでくる。

 嗚呼、貴女のくれた想いは嘘にならない。
 重ねた唇の先から、ゆらゆらと溶けて全てが一つになる。
 私が貴女で、貴女が私。私の存在の証明は、貴女の存在そのもの。
 貴女は私を映し出す魔法鏡。あの日失われてしまったはずの心のカケラは、貴女の胸の奥に眠っていた。
 叶わないと思っていた夢。想い描くことさえ忘れた希望。
 揺れた想いの伝う先に見える深緑スマシタ世界のサイハテには、母が探しなさいと言っていた答えが落ちていた。

 ――私は何処で間違えたのかしら?
 ずっとそんな想いを抱き続けて生きてきた。
 でも、もう大丈夫。貴女とならば、見たことのない場所へと歩いて行ける。
 見果てぬ空の向こう側。唯がある飛び方で。手を伸ばせばほら、広がり行く未来へ――










 ふと、紫さんが唇を離す。唾液の糸が彗星のように煌く尾を引いて、ぷつんと切れた。
 夢の世界から現実に引き戻されるような感覚は、あの朝目が覚めてしまった時と全く同じで少し憂鬱になる。
 もっと夢を見ていたい。貴女の見せてくれた夢を続きを映し出して見せて。無くしたくない記憶をくれた貴女を……。

 二人とも、肩で呼吸をしていた。
 浅くまどろんだ思考。倒錯の色を帯びた熱を孕んだままの身体。
 紫さんの指がそっと私の唇を撫でた。絡まった唾液をすくい取るように動かすと、そのまま自分の口にあーんしてしゃぶって見せる。
 そのまま少しだけ顔を俯けて、そっと囁いた。



「……貴女が見せた涙は、いつか必ず輝く価値がある」

 素敵な言の葉が心の中でゆらり、ゆらり。甘く溶けて消えていく。
 今与えて貰った想いが消えてしまうような気がして不安。心は浅ましい快楽を求めている。
 もっと痛くして。甘い刃で、心臓をえぐって欲しいの。それはつまり、貴女のこと忘れられなくなるような痕を刻むと言うこと。
 恋愛だって繰り返しの業。センチメンタルな恋なんてどうしようもなく不確かで、心が痛くなるだけだと思ってた。
 だけど、貴女に傷付けて貰えたら……きっとそんな風に思うこともなくなってしまうんだ。傷が疼くたびに思い出すの。貴女と交わした想いの全て。

 ぎゅっと紫さんを抱きしめる。
 神様にお願い事。もうニセモノとか本物なんてどうでもいい。
 私はただ、貴女が欲しい。身体はもう妖しい熱でおかしくなりそうなんだから。



「紫……もっと。もっとして。お願い。貴女の想いを、ずっと、ずっと……感じていたいの」

 そんな私の切なる願望を嘲笑うかのように、喉をくすくすと鳴らす紫さん。

「もう終電だと思うけど……帰らなくていいの?」
「帰るつもりなんて最初からありません。今更ですよね、そんなことなんて」
「明日学校は?」

 意地悪。わざと訊ねてるようにしか思えない。
 頭の中は紫さんのことで一杯なのに。もう貴女しか見えないのに。
 私は今見える未来を、もう少しだけ夢見させて欲しいだけ――

「現実なんて、考えたくもない」

 その言葉を聞いた瞬間、紫さんはしたり顔で微笑んだ。

「そうね。こんな世界なんてどうかしてるもの。色々と狂っているのよ。
 普通に『異常』な人達が『間違い』を主張して笑おうとする。何が正しくて何が間違っているのかなんて、誰にも分からないのにね」

 そう呟いて、ゆっくりと席を立った。
 伝票を手に取って歩き出そうとする背中に、声にならない声で呼びかける。

「紫――」
「明日はちゃんと学校に行くこと。それが約束できるなら何も言わないわ。
 貴女がおかしくなるように可愛がってあげる。夢の続きを、見せてあげる。こんな現実なんて忘れてしまうような深遠の世界をね」

 そう言って部屋を出て行った紫さんを、私はただ見送った。
 甘い誘惑の言葉。愛でて貰えるのだと思うだけで、心は不思議な火照りに包まれる。
 ゆらゆらと蜃気楼のようにたゆたう熱は、うっとりとした眠りに落ちるような酩酊を伴って身体中に広がった。



「あは」

 一人残された部屋。
 完全に炭酸の抜けたメロンソーダに、そっと口付け。
 ちっとも甘くない。馬鹿みたい。私はこんなニセモノに騙されてた。
 自分が信じることさえできれば、何だって真実になってしまう。
 きっかけなんて些細なこと。林檎が落ちる時の小さな振動だけでも、世界は変わって見える。
 そんな世界の理を紫さんはとても分かりやすく教えてくれた。これから始まる下卑た行為も手取り足取り……一から教えて貰うの。
 何もかも美しい。極彩色に染まるメモリー。あんなにも残酷に見えた現実が素敵な夢に変わる。夢と現が逆さま。快楽の虜になった私は貴女のマリオネットに――

 紫さんが残したカクテルを口に含む。
 頭がトランス。私がなくなっていく。私と紫さんの境界線がなくなって、全てが白の世界に変わる。





 ――イカナイデ

 浅い夢。鮮やかな幻に向かって私は叫んだ。
 貴女の中に、まだいたいのに。そんな想いさえ、消えてしまうの……?

 嗚呼、目が覚めたら貴女はいなくなっている気がして――










 ☆★☆★☆★☆★☆











 がたんがたんと揺れる車内。
 私は走馬灯のように流れる車窓の景色をぼんやりと眺めていた。
 実家に帰省するのは七ヶ月振り。春休みは短いので帰らなかったから、冬休み皆でお正月を向かえた時以来と言うことになる。
 夏は嫌い。苦しくて眠れない熱帯夜は悪夢でしかない。好きな季節があるのかと問われたらそれはノーだけど。



 ――母が倒れた。

 その知らせを聞いたのは夏休みが始まる一週間前の昨日昼過ぎ。
 電話口で応対してくれた人の話によると、働きすぎによる過労とのことだった。
 幸いにして大事には至らず安心したけれど、母は医師に二週間の療養を命じられたにも関わらず、すぐに仕事に戻ろうとしたらしい。
 それを見た二柱から散々お説教を受けた結果、今は渋々入院しているのだと言う。
 そのことを口実にして、私は少しだけ早い夏休みを認めて貰うことができた。
 大丈夫なんだろうけど、働き詰めていた母のことはやっぱり心配。一刻も早く笑顔が見たくて、私は朝一の電車に乗った。

 ふと、ケータイを取り出して電話をかける。
 車内で受話器に向かって大声で喋ってる場面を見るたびカッコ悪いなあと思うし、私だってそのつもりは全くない。
 でもどうせ、今かけている相手には繋がらないのだから。それは分かっていても、どうしても諦めきれなかった。
 声が聞きたい。あの美しい言の葉を紡ぐ艶やかな声を――



 あの日、紫さんと一夜を過ごした後……別れ際のホームで私はしつこいくらいに念を押した。
 これでお終いなんて絶対嫌です。学校終わったらすぐでもいいから会ってください。何処に住んでいるのか教えて。暫く一緒に暮らしませんか……等々。
 今考えてみれば、半ばストーカー紛いの行為だったように思う。紫さんは全ての詰問に対して何時もの緩慢な笑みを湛えたまま「また必ず会えるから大丈夫よ」とだけ答えた。
 別れ際にはちゃんとキスもしてくれた。通勤客の行き交う公衆の面前で舌を絡めてしまうようなディープなキス。それで私はすっかり信じ込んでしまったのが運の尽き。

 以来、紫さんとは全く連絡が取れなくなった。
 電話しても圏外だしメールも届かない。送信済みのメールボックスに溜まっていく愛の言葉。
 一夜限りの夢だったのだろうか。貴女が教えてくれたこの世界の素敵な物語はもうお終いで、その続きを二人で描くことは叶わぬ願い。
 映画のようなエンディングがあれば良かったのだけど、うだつの上がらない残酷な現実は延々と続く。
 それを乗り越えるためには、貴女の力が必要なのに。
 あの時から、もう私は貴女がいない世界なんて考えられなくなった。
 全ては貴女のために――自分には無理だと思ってたそんな生き方ができるような気にさせてくれた貴女がいないなんて……辛すぎる。



 最寄駅の到着を告げる、車内放送のアナウンス。
 ケータイを閉まって、ゆっくりと電車から降りる。
 うだるような暑さ。生を謳歌するように喚き叫ぶ蝉時雨は耳障りでしかない。
 少し歩いただけで肌から嫌な汗がじんわりと滲んだ。私は足早に母の入院している病院へと向かう。

 この街で唯一の総合病院は、様々な病気の治療のために診察を待つ人々で混雑していた。
 受付を済ませて、母のいる病棟へ向かう。白で統一された建物は無機質で、人が生活している心地が全くしない。
 東風谷と名札が付いた部屋の前で、私は小さく深呼吸をした。一人暮らしを始めてからはいつもこうなのだ。実家に帰って来て、母と二柱に会うと心が痛い。










 ――学校、楽しいよ。
 うん。元気でやってる。大丈夫だよ、心配しないで。
 バイトは大変だけど、友達もできたし皆とお喋りしてるだけでも楽しいの――










 面会を終えて病院を後にした頃には、すっかり夕暮れ時になっていた。
 バスに乗って守矢神社の最寄まで移動する。一軒家も少ない、のどかな田園風景が広がる私の故郷。
 見慣れた景色は、私の心に僅かな安堵を与えてくれる。



 母は案外元気そうに見えた。
 けろっとした顔で喜んで出迎えてくれたし、見舞い品のシュークリームだってぺろりと平らげてしまった。
 気丈に振舞おうとするのは何時ものことだけど、その笑顔を見ると安心する反面……やっぱり疲れているんだろうなと思うし、少しでも楽をさせてあげたい。
 それなのに、私は甘えてばかり。親孝行なんて何一つしてあげられないし、何よりも嘘の自分を話すことに途方もない罪悪感を感じてしまう。

 偽りの真実に安心するような笑みで応えてくれる母を見るたび、心が軋む音がする。
 母は私を信じてくれているからこそ、嘘偽りない表情で笑ってくれる。それは要するに『ニセモノ』でも信じられるのならば、何事だって本物になってしまうことを端的に表していた。
 空が飛べると信じて屋上から飛び降りる子供達。憧れのアーティストがこの世界に絶望して死んでしまったのだと信じ込んで後追い自殺する少女達。
 傍から見ればおかしいと思われるような振る舞いだって、自分の中で真実に変わればそれは世界の理。知らない方が幸せなことなんて、この世の中には溢れ返っている。
 果たして母はそんなニセモノの真実を望んでいるのだろうか。本当はありのままの私の本心を聞きたいのではないだろうか。
 だけど、私は知らないフリをする。自分の心、知らんぷり。そうやって笑うことを選ぶ。ニセモノの笑顔を幸せに感じてくれるならそれはそれでいいのかなって――



 そんなことを考えながらバス停から歩くこと十分程、小さな山麓の鬱蒼とした木々の中へ続く石段が見えた。
 その入り口、小さな人影に目が留まる。苔や黴がこびり付いた石段に、諏訪子様がぽつんと座っていた。
 人が滅多に通ることのないあぜ道をぼんやりと捉える視線は、眠るように穏やか。
 それはまるで世界の終わりを待っているかような安らかな表情で、思い残すことなんて何もないと言わんばかりで……心が締め付けられるような想いに駆られてしまう。

 二柱は以前から仰っていた。
 信仰が失われている現在において、いつ自分達は消えてもおかしくはないのだと。
 神奈子様はそれを好しとはせず、必死に信仰を集める手段を模索している。
 そんな神奈子様のことを諏訪子様は「人間が神様なんて必要ない世界を望むのならば、それはつまりそういうことなんだよ」と一笑に伏した。
 ありのままの現実を受け入れて、運命に抗うことを止めてしまった。
 諏訪子様の瞳には、もはや在りし日の思い出しか映っていないのではないだろうか。
 ニセモノとか嘘とかありもしない夢や希望を信じる人だらけの世界。目を背けたくなる気持ちは、私にだって痛いほど良く分かる。



「諏訪子様」

 心此処に在らず。帽子に付いてる蛙の瞳だって瞬きもしない。
 私が近付くまで全く気付いてなかったらしい諏訪子様は、びっくりしたような声を上げた。

「あ、わっ」

 ぴょんと蛙のように身体が跳ねて、小さな身体でぎゅっと抱きしめられる。

「おかえり、早苗!」
「ただいま戻りました。待っててくれたんですか?」

 ちょっぴり苦笑いを浮かべる諏訪子様。

「うんうん、そういうことにしておこう。早苗は元気してた?
 私はこの通り元気だよ。今年は雨が多くて神様要らずだね。日照りが多いよりはいいのかな。雨嫌いな人多いけどね、私は好きだからいい!」

 抱擁も早々に諏訪子様は石段を駆け上がっていく。
 ぴょんぴょんと軽快なステップ。私もその後ろを付いて歩いた。
 生い茂る樹木の呼吸によって澄みきったひんやりとした空気が心地良い。

「母は元気そうで何よりでしたが、神奈子様もお元気にされていますか?」
「相変わらず難しい顔してぶつぶつ何か言ってるよ。この前なんて机に突っ伏したまま寝てたし、あんまり根詰めて考えても仕方ないよって言ってるんだけどあの性格だからねえ」
「それも神奈子様らしくて、何だか安心してしまいますね」
「神奈子は早苗が何か言ってやらないと変わらないよ。このご時世もうちょっとフランクにした方が神様も受けがいいと思うんだけど」
「諏訪子様が仰っても駄目なら、私が何言っても駄目だと思いますけど……」

 他愛もない会話や何気ない仕草の端々から伝わる小さな幸せ。
 母も、神奈子様も、諏訪子様も……大切な人は相変わらず、変わりない。
 そんなことが分かるだけでも、私は何だかとても安心してしまう。

 長い石段を登り終えて、思い入れ深い紅い鳥居を抜ける。
 慣れ親しんだ境内の景色。物心付いた頃から時が止まったかのように変わらない風景は、懐かしくて、愛おしくて。
 お母さんの作った料理の味が恋しくなるのと似てる。離れているからこそ改めて分かる、大切な想い――



 ふと、本殿に人の気配を感じた。
 忘れ去られた守矢の神社に参拝客なんて訪れるはずもない。
 地元の人しか考えられないけれど、ちょうど夕餉の時間だし随分と遅いお散歩。
 少々訝しげに思いながら視線を前に向ける。沈む夕日に照らされて陽炎のように霞む人影を見た瞬間、私の心に渦巻いていた郷愁は一気に吹き飛んだ。










「ゆか、り……?」










 その名に相応しいアメジストの衣装を身に纏った女性は、妖しい笑みを湛えて佇んでいた。
 神々しいオーラは一際異彩を放つ。神奈子様や諏訪子様とは同じくして異なる類の雰囲気は、人を甘い過ちへと追い込む背徳の理を授けるような禍々しい魅惑を醸し出す。
 魔性の類と見紛う優艶とした美しさはあまりにも惑わしくて、惹き付けられた人々を心地良い闇の褥へと誘う――私の信じた神様。

 思考がぐるぐると回り続ける。
 何故どうして紫さんはここにいて、私が来ることを待ってたみたいにしているのか。
 疑問符だらけな頭の中。何もかも意味不明。ただ一つだけ分かる事実は、紫さんがちゃんと約束を守ってくれたと言うことだけ。



「早苗、こいつに近付いたら駄目っ!」

 ゆらゆらとおぼつかない足取りで紫さんに歩み寄ろうとした途端、諏訪子様が大きな声で叫びながら私の前に躍り出た。
 紫さんに立ちはだかるように、小さな体躯を一杯に伸ばして手を広げる。その後姿には、神としての威光は微塵も感じられない。
 ただ大切な人を守ろうとする一心だけが、諏訪子様を揺り動かしているのだとすぐに分かった。



「……何故ですか?」

 切なる想いを押し殺して、諏訪子様に問うた。
 できることなら、今すぐにでも抱きしめて欲しいのに。

「こいつは人間じゃない。妖怪よ。
 人を食らい、その生き血をすすって生き永らえるこの世界には存在しなくなったはずの生き物。しかもこいつは何か違う。妖気がおかしいの。何もかも……狂ってる」

 小さな頃から神様と共に暮らしてきた私からしてみれば、妖怪がいても何ら不思議には思わない。
 守矢の書物に描かれているような化け物は大体おどろおどろしい形相をしていたけれど、こんな美しい姿をしている妖怪なんて漫画やアニメの世界みたいな話。
 でも……確かに紫さんと初めて出会った時に感じた名状しがたい雰囲気は人間のそれと明らかに違ったし、独特な存在感はやはり二柱のカリスマに近い。
 それは諏訪子様の言葉が真実であることを明快にする確かな感触だった。だけど、突然そう言われても現実味に乏しい。どう解釈したらいいのか、頭の中で思索は回るけれど――

 今更そんなことなんて、どうだってよかった。
 紫さんが妖怪だからと言って、あの時交わした想いが嘘になることはない。



「お初にお目に掛かりますわ。土着神の頂点、洩矢諏訪子様。貴女のお噂は予々お伺いしております」

 紫さんは恭しく頭を垂れた後、ゆらりとこちらに近付いてきた。
 その様子を見て、諏訪子様は己を鼓舞するかのように大声を張り上げる。

「私達はあんたに用事なんてない。さっさと帰って!」

 やんわりとした笑みを浮かべながら、紫さんは歩を進めることを止めない。

「近付くな! それ以上近付いたら私は神の力を以ってあんたを排除する。早苗には絶対に触れさせない!」

 私を庇うように矢面に立っている諏訪子様の身体は、ふるふると小刻みに震えていた。
 この存在に関わるな。祟りが降りかかる。得体の知れないものに触れてしまう恐怖を感じているであろうことが、ひんやりとした空気から伝わってくる。
 そんな諏訪子様の様子を見て、紫さんはさもおかしそうに口元を歪めた。

「今の貴女にその子を守る力があるのかしら?」
「神の言葉を聞かない愚か者め。さっさとこの場から引きなさい。早苗に手を出したら貴女は一生を祟り神に呪われて生きることにしてやるんだから!」

 ぴたりと立ち止まる紫さん。
 くすくすと喉を鳴らしながら、見下すような目線で諏訪子様に笑い返す。

「この世界で信仰は失われている。貴女はその身体を維持するのがやっとなのに、早苗を守る? そんなこと、貴女にできると思っているの?」

 カナリヤのような美しい声は、諏訪子様の心を見透かすように言葉を続ける。

「かつてミシャグジを束ね、人々の絶大な信仰を得ていた神様も地に堕ちたものね。
 人なくして神は生きられない。人との関わりを捨てた神様には、この世界に未練なんてないのでしょうけど」

 その瞬間、紫さんの右手に諏訪子様の帽子が現れた。
 目の前に立ち尽くした諏訪子様のショートヘアが、優しい夕風になびいている。
 瞬きする間に起きた刹那の出来事。奪われた被り物の蛙は、悲しそうな瞳でこちらを見つめていた。
 それは笑顔を絶やさない諏訪子様の心の裏側。いつも笑っていてくれるけど、諏訪子様だって本当は寂しくて、悲しくて、叫びたい時もあるはずなんだ。
 でも、諏訪子様はとても強い人。きっと、同じように……私達に見えないところで泣いている。そんな想いは、これからもずっと話して貰えないのかな。

 醜悪に微笑む紫さんの方を睨みつけたまま、諏訪子様は決して動こうとはしない。
 小さな後姿から伝わる確たる決意。その口から紡ぎ出された言葉はとても力強かった。



「守矢を護る風祝がいる限り、信仰は決してなくならない。だから私達が消えることもない。
 神様だって何も大勢のために生きる必要はないわ。たった一人の、最愛の人のために生きることだってできる」

 普段は飄々としていて皆を和ませるムードメイカー的な印象とは真逆に近い、信念に満ち溢れた諏訪子様の声色。
 己の内に眠っていた威厳を開放するような、容貌の幼さに相応しくない歳不相応な風格で目の前の相手を威嚇する。
 その言葉は諏訪子様の嘘偽りない本心。神としてではなく、洩矢諏訪子としての万感の想い。自分の存在の証明――生きる理由を端的に語る姿には迷いなんて微塵もない。

 ――守矢の一族と共にありたい。諏訪子様の想いはたったそれだけで。
 そんな小さな幸せを糧にして生きるだけでいいと言う切なる感情がひしと伝わってくる。
 人間は強欲で、何もかもあれこれと求めようとするのに。そんな私達より神様の方がずっと人間らしくて慎ましい。
 何時からどうして、私達人間はそんな気持ちを忘れてしまったのだろうか。

 揺るぎない強い意志を感じさせる諏訪子様の口調に、紫さんは僅かに驚いたような表情を見せた。
 それでも余裕綽々な表情を崩すことはない。妖しく笑ったまま、小さくかしずくように会釈して非礼を詫びるような仕草を取った。



「これは失礼を。少々口が過ぎたようですわ」
「ここはあんたが来るよう場所じゃない。早々に立ち去りなさい!」

 一触即発な雰囲気に変わりはない。
 それすらも紫さんは楽しんでいるように見えたけれど。

「実は今日、神々にお話したいことがあって此方にお伺い致しました」

 紫さんの敬語は何だかとてもわざとらしくて、逆に嫌味な印象さえ与える。
 神にすら歯に衣着せぬような物言いで、ようやく彼女は本題らしき台詞を話し始めた。

「風の噂で、守矢の神々は新たな信仰を得るための道筋を模索していると言う話をお聞きしました。
 私の力を以ってすればその願いを叶える一助にもなろうかと思いまして、一つ妙案を提示させて頂きたくお訪ねした次第ですわ」

 そんな紫さんの言葉にも、諏訪子様は耳を貸そうとする様子は微塵もない。

「隠そうとしても無駄なんだから。あんたはおかしい。頭が狂ってる。
 自分を中心に世界が回ってると勘違いしてる。そんな奴の言うことなんて信用できる訳ないでしょ! あんたみたいな胡散臭い奴の話なんて――」

 まくし立てる諏訪子様の言葉を、一際威厳を感じさせる声が遮った。





「待って」

 まさに突然のことだった。
 紫さんと私達の間に、神奈子様が割って入った形で立っている。
 強い光を湛えた瞳で両者を一瞥すると、強い口調で言葉を発した。

「いいわ。貴女の話、聞かせて貰いましょう。ただ、その前に――」

 心底煩わしそうな視線で、紫さんを睨みつける。

「名前くらい名乗ったらどうなの? 貴女のそのふてぶてしい態度、気に入らないわ」

 神奈子様が威圧的なのは何時ものことだ。
 そんな威風堂々とした態度にも紫さんは表情一つ変えない。
 あの妖しい雰囲気を織り成すオーラをむき出しにしたまま、しれっと言葉を紡ぐ。

「申し遅れましたわ。私は八雲紫。以後、お見知りおきを」

 その言葉を聞いてから、ゆっくりと神奈子様がこちらに近付いて来る。
 神としての貫禄の中にふと覗かせる優しい笑顔を、そっと私に向けてくれた。
 誰よりも厳しいけど、誰よりも優しい。神奈子様はそんなお方で、私の中ではもう一人のお母さんみたいな感じ。



「おかえり、早苗」

 柔らかい笑顔。小さな幸せは、こんなところにもあって。

「ただいま、帰りました」

 私の声を聞いて、一瞬だけ安堵したような表情を見せる神奈子様。
 横目でちらりと紫さんの方を見るとその笑顔は一変、辺りは重々しい雰囲気に包まれた。

「早苗。帰って来て早々悪いんだけど、あちらを本殿の客間に通しておくからお茶の準備をお願い」

 こくりと頷いて、母屋の方へ踵を返す。
 後ろで諏訪子様が何やら文句を言っている声が聞こえた。
 余程紫さんのことが気に食わないのか、同席するのは嫌だと駄々を捏ねているのを神奈子様がたしなめている。

 正直私だって……何が起こっているのか理解不能、意味不明過ぎだった。
 紫さんは神様みたいに、まるで全てのことを把握しているかのような口調で物事を語る。
 私達だけしか知らないことだって、全部知っている。神奈子様や諏訪子様が神様であることも、信仰が失われて悩みに悩み続けていることも。
 口外しても普通の人なら誰だって信じないような事実を、紫さんはさも当然のように話す。そして、長きに渡る懸案を解決するための策までも擁していると言うのだ。

 電話口に録音された紫さんの声を聞いた時のことを、否が応でも思い出す。
 それは紫さんと再会した瞬間からデジャヴのように感じられて仕方なかった。
 全てお見通しで、想い描く未来を作り出すことさえ容易だと言わんばかりの自信と矜持に満ちた託宣。
 そして、それは本物だ。私が何よりも一番よく知っている。彼女が与えてくれた奇跡は、私を絶望から救ってくれたのだから。



 八雲紫。貴女は一体何者なの――?










 *****





 久し振りに戻ってきた我が家は、心を落ち着かせてくれる。
 自分の部屋で一息入れたかったけど、感傷に浸っている暇はない。
 台所で来訪もないのに用意してある客人用の玉露の封を切ってお茶を淹れる。
 茶菓子はなかったので、皆で食べようと思って買ってきた水羊羹を添えてお盆に乗せた。
 それを持って、そそくさと本殿の長い廊下を歩いて客間へと向かう。



「失礼します」

 一礼して襖を開ける。
 既に話は始まっているようで、神奈子様と紫さんが何やら話をしていた。
 諏訪子様は全く興味がないと言った感じで、蛙の被りものとじーっとにらめっこをしたり、きょろきょろと辺りを見回したり。
 難しそうな顔をしているのは神奈子様。紫さんの話はやはり核心を突く何かだったのだろうか。眉間にしわを寄せて、時折思慮に耽るような仕草を見せていた。

 そんな三人の前に、そっと緑茶と茶菓子を添える。
 神奈子様と諏訪子様は何も言わなかったけれど、紫さんだけは「ありがとう」と言って微笑んでくれた。
 どうも私との関係は素知らぬフリを通すつもりらしい。今は二柱には知られたくなかったし、素直にありがたい。
 事が済んでどうしようかと所在何気にしていると、神奈子様が小さく声を発した。

「早苗。悪いけど席外して貰ってもいいかしら? これからする話は貴女にも後でちゃんと説明するから。好からぬことで貴女を困らせたくもないの。分かって頂戴な」

 その言葉に、私は頷くことしかできなかった。
 紫さんのことは気になるけど……仕方ない。後から追いかけるなりすればいいし、何となくだけど何も告げず消えるような真似はしないような気がした。
 黙って立ち上がって、三人に背を向ける。その瞬間、妖しい声が空気を震わせた。



「お待ちを。この話は守矢の未来を決めるであろう重要な選択。貴女方を守護する風祝である彼女にも聞く権利はあるのではなくて?」

 紫さんの言葉に、神奈子様は不快感を露にするような声色で返す。

「早苗はもう新しい未来を歩み始めている。
 貴女みたいな妖しい世迷い事をぺらぺらと喋る存在に惑わされて欲しくない。取捨選択をするのは私と諏訪子。早苗に話すのは後からでも十分遅くないわ」
「その新しい未来、彼女は果たして望んでいるのかしら? 風祝であることを辞めて、普通の人間として生きること。
 そもそも……貴女方だって分かっているのでしょう? 風祝は命尽きるまで神々と共に在り続けたいと願っていると」

 全てを見透かした凛とした声は常に真実を物語る。
 私の全てを代弁するかのように、紫さんは朗々と心の中身を読み上げて見せた。

「妖怪風情に私達の何が分かると言うの? 他人の癖に知った口ばかり聞いて。
 人の想いは、貴女が簡単に理解できる程甘いものじゃないの。私達には私達にしか分からない大切な絆がある」
「あら、少なくとも風祝の心情は貴女方と同等くらいには理解できてるつもりですわ?
 寧ろ分かっていないのは八坂様、貴女の方ではなくて? 神々の常識はもはやこの世界に生けるものには通用しないと言うのに」
「身の程をわきまえなさい。貴女に口出しする権利は何処にもないのよ。貴女の持っている腹案とやらだけ聞かせて貰えればそれでいいの。大体さっきから回りくどい言い回しで――」

 その瞬間――神奈子様の声に割って入る形で、諏訪子様がぽつりと呟いた。



「もういいよ。やめなよ神奈子」

 淡々とした声で言葉を続ける。

「そいつの言うことは一理ある。私達は家族なんだ。早苗にもありのままを聞いて貰おうよ。どうせ、遅かれ早かれの違いでしかないんだからさ」

 神奈子様は自分の想いを押し殺すように胸に手を当てて「分かった」と答えた。
 したり顔で微笑む紫さん。私はおいでおいでと手招きする諏訪子様の隣にちょこんと座る。
 甘え擦り寄せられた身体からほんのりと漂うお香の匂い。小さな頃からずっと傍にいてくれた大切な人の温もりは、とても優しい。
 神奈子様だって私のことを想って、あえて紫さんから遠ざけようとしたのだろう。きっと話とやらだって、包み隠さず教えてくれたはず。
 二柱が私のことを蔑ろにしたことなんて一度もない。全ては私のために好かれと思ってしてくれている。こんなに素敵な家族に恵まれている私は本当幸せ者だ。

 上座に座る私達を見下すように、下座で花鳥風月があしらわれた扇子を口元に当ててやんわりと微笑む紫さん。
 その妖艶な雰囲気に完全に包み込まれた室内の静寂を切り裂くように、鈴の鳴るような綺麗な声色は誰も知ることのない守矢の未来を掲げてみせた。





 ――この世界で失われた信仰が集まる幻の世界『幻想郷』に守矢を移動させるのです。
 現在残された信仰は一時的に失われてしまいますが、新たなる信仰の神徳によって大いなる加護を受けた幻想郷の人妖は、貴女方を新たなる神々として崇め敬うことでしょう。





 中学生の頃、それとなりに神奈子様に教えて貰ったことがある。
 この日本には失われた物が流れ着く幻想郷と呼ばれる世界があって、そこには童話に出てくるような――妖精や天狗、河童とか様々な種族の生物が暮らしていると言う。
 私にとってみれば御伽噺みたいでにわかに信じられるような話でもなかったけれど、神奈子様は真剣に幻想郷について調べていた。
 夜が更けて朝が来るまで寝ずに書物を読み耽る姿を何度も見かけている。
 それでも、不確定要素は拭い去ることができなかったのかもしれない。
 紫さんが示した案件は図らずも神奈子様が画策していた考えと同一のものだったとしても、決断するに足る何かが欠けていたのだろう。

 神奈子様は色々な質問を投げかけた。
 幻想郷に住まう人々の数、移転する場所の風土や土地鑑、秩序あるいは歴史観や世界の成り立ちに至るまで、その内容は多岐に渡る。
 そんな問いかけの数々に紫さんはすらすらと答えていく。まるで幻想郷は自分の所有物で、全てのことを知り尽くしているかのように事細かに解を示して見せた。
 神々のような力を行使できる人々が、幻想郷には沢山暮らしている。本殿の移動なんて、紫さんの力を以ってすれば私達が瞬きする間に終わってしまうらしい。
 事が上手く運ぶかどうかは、貴女達の力次第。そう最後に紫さんは締めくくった。
 その言葉の数々に嘘はない。そう信じさせるには十分過ぎるほどに、彼女の言葉は説得力に満ち溢れていた。



「……三日、考えさせて欲しい。答えはその時までには必ず決めておくから」

 二時間に及ぶ話し合いの後、神奈子様は神妙な面持ちでそう告げた。
 紫さんは扇子をぱちりと閉じてゆっくりと席を立つ。背中を向けたまま、その艶めかしい声は妖しく囁いた。

「我々幻想郷の民は貴女方を歓迎致しますわ。守矢の神々が御賢明な判断を下されますよう」

 そのまま部屋を後にする紫さん。誰も引き止める者はいない。
 私は結局一言も発することができなかった。ただ美しい声だけが、頭の中に木霊する。
 嘘がないことなんて百も承知。だけど突然受け入れろと言われても無理がある話のように思う。
 あまりにも現実味に欠ける提案。でも……ふと頭に過ぎる想いがあった。

 あの時私に会ったことだって、何かの伏線だったのではないだろうか。
 仮にだけど。紫さんは万が一幻想郷に行かないと言う選択肢を選ばせないようにするために、愛なんて理由付けを以ってして私を惹き付けようとした。
 しかしそれでは辻褄が合わない。
 紫さんは私が風祝として生きたいと願う心さえ知っていたのだから。
 最初からそんなことをしなくても、私は二柱が選んだ道に付いて行こうとするなんて分かっていたはずだ。
 それに、私はこの世界に絶望している。こんな世界は滅んでしまえばいいとさえ考えている私にとって、奇跡の力が行使できる世界へ行くことは心躍る夢のような話。
 つまりそれは……この現実から逃げ出すことと同義。そんな想いだって、最初貰ったあのメッセージの時点で紫さんは全てお見通しだった。
 何もかも神様のように把握していて、未来さえ操ってしまうような聡明な頭脳の持ち主。貴女の考えていることはさっぱり分からない。だけど――





 ――貴女が残したこの想い、責任取ってくれるんですよね?





 しんと静まり返った室内は、何とも言いがたい雰囲気に包み込まれていた。
 神奈子様は難しい顔で考え込んだまま停止してしまっているし、諏訪子様は心底興味なさそうな感じで足をぱたぱたさせている。
 私はすくっと立ち上がって、二人に向かって言った。



「客人のお見送りしてきます。夕食まだみたいでしたから、後から急いで作りますね。ありあわせしかできないかもしれませんけど、久し振りに皆でご飯が食べたいです」

 神奈子様は無言だったけれど、諏訪子様は「うん、楽しみにしてる!」なんて声を掛けてくれた。
 客間から出て、小走りで境内の方向へ向かう。慣れ親しんだ本殿の廊下が、ぎしぎしと懐かしい音を立てる。
 そんなノスタルジーな想いに耽っている余裕はない。今は、ただあの人の本心が知りたくて……自然と歩を進める速度は上がっていった。





 *****










 夜の帳が下りた境内。ぼんやりとした蒼い月明かりが淡く辺りを照らし出している。
 紫さんは私を待っているかのように、ゆったりと歩いていた。美しい黄金色の髪の毛がさらさらと夜風になびいて、眩く輝かしい残像を描く。
 その神々しいカリスマを放つ後姿に追い付く頃には、既に鳥居の辺りまで辿り着いてしまっていた。軽く息を切らしたまま、必死で最愛の人の名を叫ぶ。



「紫!」

 ふと、歩みが止まる。
 振り向きもせず、艶やかな声は宙を舞う。

「……貴女はお年頃なんだし普通に綺麗なんだから、もう少し可愛くしないといけないわ。
 まだ連れて行きたいお店もあるの。残念ながら幻想郷にはあんなお洋服扱っているところはないけれど」

 冗談めかして、くすくすと笑う紫さん。
 私はそれどころじゃないのに。言いたいことは沢山ある。あり過ぎて、何から言えばいいのかも分からない。
 気持ちの整理だって全然付かないままだ。訊ねたいことは何だろうか。自分の心に問い詰めても返らない上の空。
 ぐるぐると回る思考の中で、私は必死に言葉を捜していた。だけど、紫さんの真意をえぐるための刃は何処を探しても見つからない。

 ――でも別に、そんな必要もない。
 今しかない私の全てを、伝えるだけでいい。



「紫。貴女は本当に全てお見通しだったんですね。私のことだって、神様達のことだって、何だって知ってる。
 貴女はまるでこの世界の人間が勝手に作り上げたまやかしの神様。全てを知り、思いのままに操る、全知全能の神様」

 紫さんは何も答えない。
 晩夏の生温い風が、そっと頬を撫でる。

「私の気持ちだって知っていたのでしょう?
 それなのに、全て受け入れてくれたのに……今日貴女に会うまで、私がどんな想いで過ごしてきたかも知ってる癖に、見て見ぬフリをしましたよね。意地悪です」

 胸から湧き上がって来る想いは、とても不思議な感じ。
 紫さんを責める気持ちなんて、これっぽっちも浮かんで来ない。
 寧ろその想いは強くなるばかり。あの時からずっと感じていたことを、素直に言の葉にして紡ぐ。

「……あれが、本当に援助交際だったら良かったのかもしれませんね。
 貴女は刹那の愛情を与えて、私は幻想郷に行くことを決断してその借りを返す。それでお終いだったら、きっと一瞬は楽になれたし、辛いままだったと思うんです」

 紫さんが何故あの時私と想いを重ねようとしたのか、その真意は分からない。分かるはずもなかった。
 でも、そんなことはもう関係ない。紫さんの思惑なんて今の私には大した問題にはならないのだから。

「だけど、貴女が与えてくれた想いは私にとって真実になりました。不思議ですよね。今日突然貴女と再開して、あんな話を聞いてもやっぱり変わらない。
 紫には何かしらの意図があったのだろうし、恋愛感情だけじゃなかったことなんて明らかなのに。やっぱりニセモノだなんて思えてもおかしくないのに。
 でも、貴女から与えて貰った全ては私の中で揺らぐことのない真実になった」

 それは、今まで生きてきて抱いたことのない想い。母や二柱への想いとは似て非なる感情だった。
 きゅんと胸が締め付けられるように切なくなって、甘いキャンディのように溶けてなくなってしまうのに、心の中にはふんわりとした余韻をいつまでも残す。

 ふと、色褪せてしまいそうになったら。
 私はただ、名前を呼ぶの。貴女の美しい名前を。
 そしたら何度でも甦る。アメジストに輝く淡い想いは、狂おしいほどに私の心を蝕んだまま。
 貴女が与えてくれた真実は甘い刃となって、私の心に突き刺さっている。重ね過ぎた想い。時に痛いと感じることもある。
 やっぱりどうしようもなくセンチメンタルで、もう二度と会えないのかなと思うだけで心が張り裂けそうで、ナイフの先からばらばらになってしまいそう。
 それでも、想いを保つことができるのは……あの時貴女が私の存在の証明をしてくれたから。貴女が私の想いが正しいことを教えてくれたから。貴女が、私を愛してくれたから。

 夏の日、残像。
 記憶の面影、夢現。
 私は報われぬ幻想に夢を馳せているのかもしれない。
 貴女の想う真実を私は知ることができない。だけど、私が想う全てを伝えることならできる。





「……早苗の言う『真実』とは、一体何を指すのかしら?」

 紫さんは振り向くこともせず、可憐な声で呟いた。
 表情は窺えない。でも、何となく分かる。紫さんは笑っているのだと。
 答えなんて知ってる癖に。貴女は私が何て言うのか分かってる癖に。
 ずるい。紫さんは本当に意地悪な人だ。こんな駆け引きはもう意味を成さない。

 あの日貴女と出会って……時を忘れて重ねあった夢や希望、美しい未来。
 貴女の想いに触れた瞬間、今までの現実が嘘に変わった。私はこのまま信じていけるわ。
 この胸に抱く切ない想い。貴女が証明してくれた私の全てを――










「私は紫のことを、愛していると言うことです」










 時が止まる。
 この世界には私と紫さんしかいない。
 そんな錯覚に惑わされてしまうような、永遠の一瞬。



「愛なら街で買える。夢なんて明日変わる。そんな世界で手に入れた貴女の真実だって、所詮その程度かもしれないわ?」

 それは紫さんらしからぬ、愚問のように思えた。
 変わらないものなんて何処にもない。ずっとそう考えて生きてきた私にそれは違うと突き付けて見せたのは、貴女に他ならないと言うのに。

「私は……何もかも、全て、信じることができませんでした。ニセモノとか本物とか考えているうちに、信じることの意味を忘れていた」

 そんな価値基準なんて、実は大した意味を成さない。
 大切なのは、もっと違うこと。何故、人は誰かを信じようとするのか。どうして、信じたいと願うのか。

「紫。貴女が教えてくれたことは、信じ続けることの意味。信じ続けることの強さです。
 想いは確かに変わってしまう。変わらない想いなんてない。でも……信じ続ける強さがあれば、必ずその想いは変わらないまま届くはずなんです」

 たとえニセモノだろうと本物だろうと、自分が信じている限りそれは真実であり続ける。
 あの時の貴女は、自分の感じている想いのありのままを私に伝えてくれた。私の想いが嘘にならないように、己の全てを以って私を愛してくれた。
 頭がおかしくなるような狂おしいキスの先に映し出して見せた鮮やかな未来は、私が信じ続けている限り変わることはない。
 貴女を愛している私であり続けたい。貴女に愛されるような私であり続けたい。そう願う私であり続けることが、貴女へ捧げる想いの全て。

 貴女がいない世界なんてもう考えられない。
 貴女を愛して止まないこの想いは、私が生きるための理由になった。
 今度は私が想いを伝える番。私の想いの全てを、貴女の心に映し出してみせるから。



「そうね。私もその通りだと思うわ」

 背を向けたまま、紫さんは押し殺していた想いを堪え切れないと言った感じで薄く笑って見せた。
 幾億の星々が瞬く宇宙が広がる空の下。草木の茂みで泣き喚く鈴虫の鳴き声を他所に、静かに言葉を続ける。

「傷を持った貴女なら、強くも……優しくもなれる」

 そう言い残すと、紫さんの背中が再び遠ざかっていく。
 闇夜に煌く黄金の髪が一際美しく見えた。幻のように、その面影はゆらり、ゆらり。

 嗚呼、貴女はすぐ傍にいるのに。
 どうして、こんなにも遠くて届かない気がしてしまうのだろう。
 縮まることのない心の距離。貴女と重ねた想いの中に見えた「アナタ」は嘘偽りない心の内を見せてくれたけれど、それすらもきっとほんの一部にしか過ぎなくて。
 私はもっと貴女のことが知りたい。貴女が何を考えて、何を思うのか。貴女の全てを理解して、貴女のお気に入りのオートクチュールになりたいの。
 でも、どんなに手を伸ばしても貴女には届かないのかな。そんなの、嫌だ。絶対に嫌なんだから。

 貴女の凶悪なエレクトで踏み躙られたい。
 あの時みたいに、蹂躙して見せて。神のように振舞って見せて。
 そうやって、貴女の心を少しずつ、少しずつ分からせて欲しいの。
 白いまっさらな心を、貴女好みに思うがまま。アメジストに染め上げて――



「待って。待ってください! これでお終いなんて絶対嫌なんです。
 紫との物語の続きを、夢の続きを……もっと、見ていたいんです。
 貴女が消えてしまったら、信じるものがなくなってしまったら、私は……どうすればいいんですか」

 哀願する私の声に、紫さんは小さく言葉を返した。

「また、幻想郷で会いましょう」

 煌びやかで美しい面影は、宵闇に溶けるようにして消えていく。
 慌ててその背中を追いかけても、紫さんは何処にもいない。
 まるで神隠しみたいに、その姿は完全に消失していた。

 独り取り残されて、天を仰いだ。
 淡く光る星の海は、気が遠くなる程に遠い。
 私と紫さんとの距離も、ここからあの銀河くらいまであるのかな。
 こんなに近くで綺麗に輝いて見えるのに。手を伸ばせばすぐに掴める気がするのに……貴女の傍はとても遠い。



 貴女が一緒に生きてくれるのならば、何処の世界だって構わない。
 今は……貴女は幻。私の夢の中にいるの。触れた瞬間、消えてしまうの。
 だけど、私は貴女を強く、強く抱きしめる。貴女の全ては、貴女のために。私の全ては、貴女のために。

 でもね、よく考えてみて。
 夢で幻に逢えたら、それは幻じゃない。
 私は夢を見ている訳じゃないから。
 この現実に八雲紫と言う妖怪は確かに存在していて、私の中で彼女は真実になっただけに過ぎない。
 今日はちゃんと言えなかった言葉。また必ず貴女に届けてみせる。
 貴女が居る場所が幾億光年の遥か彼方であろうとも、私はアンドロメダを駆け抜けて、宇宙を手に入れてでも貴女の元へ行って、その鼓膜を震えさせて見せるから。





 ――愛してる。
 その一言は、世界を変えるだろう。










 ☆★☆★☆★☆★☆












 本日も晴天也。
 美しい蒼に染まる空を颯爽と飛ぶ。
 頬を撫でる初秋の風はふんわりと優しくて、髪をすいてくれる感触が心地良い。
 眼下に広がる山々は僅かに色付き始めていて、椛や銀杏、楓の彩りが木々の緑に鮮やかな暖色を添えていた。

 その山麓の中腹を切り裂くように伸びている、古びた石段の頂上付近にそっと足を下ろす。
 朱色の鳥居をくぐった先では、紅白を基調とした装束に身を包んだ巫女が何となしに境内を掃除していた。
 かの人は表情や気配から察するにいつも不機嫌そうと言うか、いい意味でも悪い意味でも適当そうな印象を受けるのだけど、実にさばさばとしてて付き合い易い人。
 紅や黄で染まる枯葉の絨毯を踏み出して、いい加減な感じで箒を動かす博麗神社の守護者にそっと近付いて挨拶をする。



「こんにちは。霊夢さん」
「嗚呼、早苗か。あんたはいつも元気そうでいいわね」

 素っ気ない感じも、何だか霊夢さんらしい。
 まだ数回しか会ったことないけれど、多分いつもこんな風なんだろう。
 飾ることのない人は嫌いじゃない。

「別にいつも、と言う訳ではないと思いますけど。それにしても今日はとてもいい天気ですね。
 空を飛ぶのがとても気持ちよかったです。夏の暑さが少しだけ恋しくなるような……秋もすぐそこですね」
「もう思いっきり始まってるわよ。見てよこの落ち葉。掃いても掃いてもこんなのいつまで経っても片付かない。
 あんたみたいに奇跡とやらで風を起こせば一発なのかもしれないけどさ」

 そもそも本気で片付けようとしている節もないし「掃除を行った」と言う既成事実だけあればいいと思う。
 それにしても、霊夢さんはかなり眠たそうな顔をしている。昨日も妖怪達と何か派手にやらかしていたのだろうか。

「……霊夢さん、昨日は宴会か何かだったんですか?」

 その問いに、霊夢さんは大きなあくびをしながらこくりと頷いて見せる。

「そうそう。朝方まで散々騒いだ挙句、今日は朝から人来るって分かってたから眠る時間全然なくて。いや、別にその後寝てても良かったんだけどね」

 そのまま「うーん」と大きな背伸びをすると、本殿の方へ向かってゆっくりと歩き出した。
 霊夢さんは付いて来いと無言で促すような仕草を見せながら、ぶっきらぼうな感じで言葉を続ける。



「例のあれ、ちゃんと出来てるわよ」

 この『例のあれ』のためには色々と紆余曲折あった。
 勿論、それだけではない。この幻想郷に来てからの出来事は全て、何もかもが新しかった。





 ――この世界に移り住んでから、もう一ヶ月が経とうとしている。

 あの日紫さんの提示した案を受け入れることは、すんなりと決まった。
 神奈子様は失われた信仰を取り戻すため。諏訪子様は新しい余生を謳歌するため。

 どうしようもない現実からさよなら。
 それは一挙両得なんて言葉は当てはまらないほどに、私の願いを全て叶えてくれる理想的な選択だった。
 世の中はあまりに複雑で混沌とした、やるせない怒りとか、訳の分からない不安、途方もない不幸や理不尽な悲しみ、行き場のない憎悪で満たされている。
 そんな世界で生きることなんてやっぱり耐えられなかったし、あの世界には夢や希望、その類は存在しない。正確に言えば「失われつつ」あるのだろう。
 少なくとも、私の夢は現世と幻想郷の狭間を彷徨っている。
 それを掴むためならば、どんな手段だって厭わない。今まで住んでいた世界を捨てることに未練なんてこれっぽっちも感じなかった。
 二柱に付いて行きたい気持ちだって勿論強くて。だけど、それだって自分のため。そう、全ては自分のために私はこの幻想郷にやってきた。失われた夢を、探すために。

 最初は何もかも、分からないことだらけ。それでも不思議と事は全てが上手く運んでいったように思う。
 山々に住まう妖怪からの信仰を得て、二柱は完全に力を取り戻した。その下で風祝として奇跡の力を振るうことができた瞬間、万感の想いが胸の中で一杯になって……。
 だけど、幼い頃からの唯一の夢が叶ったと言うのに、いまいち実感が湧いてこなかった。
 母から受け継いだ一子相伝の秘術。自分にはできて当たり前と思っていた節はあったのかもしれない。

 ――多分、叶う夢だって分かってしまったからだと思う。
 届きそうで届かない。もしかしたら叶うかも……でも、叶わぬ願い。
 酷く有耶無耶で曖昧。だからこそ『夢』って言うんだよね。私が抱く想い。それもきっと同じで――





 霊夢さんに案内された場所は、境内から少し離れた桜の下。
 幻想郷が一望できる絶景に『例のあれ』はひっそりと佇んでいた。
 百葉箱を少しだけ大きくしたような四角形の中には、小さな本殿が収められている。
 四本の御柱から左右に片拝殿が並ぶ独自配置まで、守矢神社の特長が精巧かつ緻密に再現されていた。
 最初はプラモデルみたいな稚拙なものだと思っていたのだけど、意外過ぎる程によく出来ている。私は思わず感嘆の声を上げた。



「うん、とてもいいと思います。守矢の分社としては申し分ない出来ですね!」

 最初はこの博麗神社自体を乗っ取ろうなんて考えていたのだけど、今にしてみればそれは愚かな行いだったように思う。
 妖怪達にとって格好の遊び場となっている此処には、神奈子様の理想とする信仰の形が確かに存在していたのだから。
 それに、霊夢さんは分社建立に快く同意してくれた。霊夢さんは霊夢さんなりに、信仰に対する信念があるのだろう。
 同じ巫女としてもいい友達になれそうな気がして、話をすること自体がとても楽しい。

「一応、里の宮大工に頼んだから。やっぱり神様が宿る場所はそれなりに立派じゃないといけないと思うのよ。あ、請求は守矢にしておいてって言ったから後宜しく」

 それは構わないけど、霊夢さんは以前「うちに来る妖怪はお賽銭をびた一文入れない」とか言っていた気がする。
 収入源は妖怪退治とか異変解決が主になるのだろうか。
 妖怪の山に住まう人妖はちゃんとお賽銭を入れてくれるし差し入れの類も多いから、あまりその手のことを考えたことはなかったけれど。
 幻想郷も地域落差なんてあるのかな。ふとそんなことを思いながら言葉を返す。

「折角こんな立派な分社を建立して頂いたのですから、一度ちゃんと神事も執り行わなくてはいけませんね」
「ほら、だから一度守矢の神様達もここに連れて来なさいよ。新しい面子と宴会でもして交流が深まれば、さらに信仰が集まるかもしれないわよ?」
「霊夢さんが宜しければ是非! 絶対二柱もお喜びになると思います」

 分社の管理と言う雑事は増えてしまったけれど、空を飛んで来たらあっと言う間だし些細なこと。
 風祝として生きる喜びに勝るものはない。あっちの世界なんて皆嫌々仕事を選ばざるを得なくて、仕方なくその職種で働いている人ばかり。
 あんなつまらない学校に通うより、自分のやりたいことをやってる方が楽しいに決まってる。



「まあ立ち話も何だし、ちょっと休んでいきなさいよ。
 宮大工の人に出した美味しいおはぎが残っているから一緒に食べましょう?
 分社は取りあえず一度は神様に来て貰わないと話にならない訳だし」

 そう言ってすたすたと歩き出した霊夢さんの後ろを慌てて追いかける。
 私にとっては大歓迎な申し出だった。何だかんだで霊夢さんとちゃんと話したことはなかったし、訊ねたいことは山のようにある。
 まだ私達には知らないことがあまりにも多すぎた。きっと後学のためになるに違いない。

 紅葉で染まる山々と幻想郷の景色を横目に、母屋に向かって歩を進める。
 季節の移ろいは確かに存在するのに、この世界はまるで時が止まってしまっているかのよう。
 幻想郷に生きる人々は、あちらと違って皆想い想いに時を紡ぐ。常に時間に追われて、忙しなく生きている人が殆どいない。
 何もかも緩やかに、ゆっくりと流れ行く時の循環は心に優しい。





 ――それから小一時間程、霊夢さんと他愛もないお喋りを楽しんだ。

 霊夢さんの話はウィットに富んでいて、聞いていてとても面白い。
 くすくすと笑っている私を見て「異変解決に駆り出される側になってごらんなさいよ」なんて本気で不満そうな顔をしていたけれど。
 確かに毎日がハプニングだらけだとそれはそれで疲れるのかもしれない。
 博麗神社には自然と変わり者な妖怪が集まるのだろうか。それとも、妖怪は皆変わり者とか……それも普通にありそう。
 何にしろ、この幻想郷で常識に囚われてはいけない。私もそのことを常に念頭に置いておかないと。

「あの、霊夢さんに一つお聞きしたいことがあるのですが」

 話も一段落したところで、私は本題を切り出した。
 ん? と適当な相槌を打つ霊夢さんに、そっと言葉を紡ぐ。

「八雲紫、と言うお方をご存知ありませんか?」

 あの日の守矢で行われた話し合いの時以来、紫さんとは一度も会っていない。
 三日後に答えを聞きに現れたのは同じ姓を名乗る九尾の狐だったし、幻想郷に移り住んでからも紫さんはその姿を一度も現すことはなかった。



 ――会いたい。

 そんな想いだけが募る日々。
 散々聞いて回った。守矢を訪れる参拝客にも、諏訪子様に会いに来た魔法使いにも、新聞記者の天狗にも、何度も何度も詰問したけれど……。
 皆その名は知っていても所在は分からないと言う。
 そして、口を揃えて忠告する。「あれには近寄らない方がいい」と。
 伝え聞く紫さんの話はお世辞にもあまり宜しいものとは言えなかったし、彼女のことを狂ってると評した諏訪子様はあながち間違ってはいなかったのだろう。


 八雲紫――幻想郷縁起にもその名を残す偉大なる賢者はこの世界を創造した妖怪の一人とも言われており、人々から畏怖と尊敬の念を以ってして恐れ敬われている。
 その主義思想は極めて不明瞭。八雲紫の関わる異変全ては崇高なる目的のために行われていると考えられるが、その真意を知る者は彼女以外に存在しない。

 人々の口から漏れ聞く噂の数々。
 つまらないし、くだらない。だから何だって言うんだ。
 逆に心躍ってしまう。そんな紫さんの真を知る唯一の存在に私がなれたら……おかしな妄想で気が狂いそうになる。
 あのキスの感触を知っている存在は私以外に何人いるのか知らない。
 だけど、あの時紫さんは確かに私を愛してくれた。
 それが私の感じた貴女の全て。真実なんてたったそれだけでいい――



「嗚呼、紫ね。知ってるけど……あれに関わるとろくなことにならないから止めときなさい。
 一応これ、忠告よ。何も起こらない平凡な日常が一番の幸せなのに、あいつはどうして面倒事ばかり持ってくるんだか」

 霊夢さんはおはぎをつまみながら、皆と大体同じようなことを言った。
 何故か何だか悔しい。霊夢さんは私の知らない紫さんを知っているような素振りだったから。

「霊夢さん、紫と仲良いんですか?」
「どうかしら。腐れ縁とか悪友とかその類の何かだけど、どちらにしろあまりいいもんじゃないわ」

 必死に冷静を装って、小さな声で問う。

「紫にどうしても会いたいんです。何か方法があれば是非とも教えて頂きたかったのですが……守矢の件もありますし、一度お礼がしたくて」

 半分は本当で、半分は嘘。
 お礼はしたいけど、理由なんてない。
 ただ会いたいだけ。それさえ叶えば、私の願いは達成されることになるのだから。

「そうねえ。あいつは本当に神出鬼没だし、何処に住んでるかも誰も知らないの。
 結界を緩めると取りあえず飛んで来るのは藍だし、藍に住処を聞いたこともあったけど「それは絶対に言えない」ことになってるらしいし」
「藍さんに伝言したら、もしかしたら紫まで取り次いでくれたりするのでしょうか?」
「それも怪しいわね。結局は紫の気分次第だから。
 あれは基本的に寝てるみたいだし、ふらっと現れたと思えば訳の分からないこと喋ってすぐ消えちゃうし。
 大体紫の話はとにかく胡散臭くて、本当か嘘か分からないことが多すぎるのよ」

 霊夢さんはちょっとうんざりした感じでそう答えると、ぬるくなった麦茶をぐいっと飲み干した。
 普段余程紫さんに引っ張り回されているのだろうか。やたらと言葉が真実味を帯びている気がする。



「そうですか……」

 私は肩を落として、がっくりとうなだれることしかできなかった。
 この瞳に紫さんが映るのは何時になるのだろうか。記憶の片隅で、貴女はずっと笑っていると言うのに。
 心の中でしか、貴女の面影を追いかけることはできない。揺れた想いの先に霞む残像は、日を追うごとに美しくなるだけ。

 どうしようもないくらいに愛おしいからこそ、余計に切なくなる。
 嗚呼、センチメンタルな恋はどうしてこんなにも心が苦しいの――?



「ところでさ」

 そんな私の様子を少し不思議そうな顔で見つめながら、霊夢さんが言葉を紡いだ。

「あんた、私や魔理沙とか文のことは『さん』付けなのに、紫だけ呼び捨てなのね。神様に『様』を付けるのは分かるけど、何か違和感ありまくりなんだけど」

 ――私達は恋人同士なんだから当たり前でしょう?
 そう言えたら良かったのに。そんなこと、言える訳がなかった。

「え、あの、えっと、その……」
「何よ。あんたまさか紫と何かあるの?」

 勘だけは妙に鋭いっぽい霊夢さんの的確な突っ込み。

「いえ、私同級生に『紫』って名前の友達がいて、ついそう呼んでしまうんです。ほとんど会ったことないようなものですし、何故か色々と被ってしまって」

 見苦しい嘘。霊夢さんはジト目でこちらを見ていたけれど「まあいいわ」となかったことにしてくれた。
 これ以上喋ってもボロが出るだけのような気がしたので、潔く退散することにする。分社の件に深い感謝の意を込めて礼をして、ゆっくりと席を立つ。

 帰りの境内を、わざわざ見送りに来てくれた霊夢さんと並んで歩く。
 二柱を連れて来る日取りを適当に決めて、神事の後は宴会を開くことになった。
 誰が来るか分からないけど、あんた達なら何とかなるわよね。なんてけらけら笑う霊夢さん。
 実際はその日いる人達だけで軽くお酒を酌み交わすだけだから特段準備がある訳でもなくて、軽くお酒のおつまみを用意するだけらしい。
 私はお酒が飲めないけれど、普段会えないような人と会えると思うと今からとても楽しみ。

 鳥居の近くまで来てから、もう一度深々とお辞儀をする。
 そんなかしこまられても困ると霊夢さんは少し困ったような顔をした後、突然ぽつりと呟いた。



「……紫は必ず何処かで私達を見てる。
 たまにお菓子が勝手になくなるんだから、少なくともたまには見てるのよね。何か用事があるなら、問いかければそのうち答えてくれるかもしれないわ」

 嗚呼、きっとそうなのだろう。
 あの人は私の神様。ずっと私のことなんてお見通し。
 だから、今抱く私の想いだってきっと知っているのだろう。
 それなのに……会いに来てくれない。意地悪なやり方だと思う。
 貴女に会いたいと願う程に貴女を想う気持ちは強くなって、こんなにも愛しくてたまらなくなる。
 そうやって貴女は私の心を傷付けて、甘い快楽を求めて疼く痕を残す。そして、貴女への想いはまた永遠に近付いていく。



 ――ずるいよね。
 貴女はその気になれば何時でも私に会うことができるのに、私は貴女の幻を追うことしかできない。
 でも、何でかな。それでもいいかなって思えてしまうの。頭おかしくなっちゃったのかな。全部、貴女のせいだけどね。

 貴女の言葉は嘘にならない。
 だからきっと、いつか必ず会えるのだと思う。
 でも、やっぱり、今すぐに。強く、強く、抱きしめて欲しいの――










 ☆★☆★☆★☆★☆










 帰り道。ふと眼下に広がる絶景に目をやると、太陽の光を浴びて燦々と輝く黄金の絨毯が見えた。
 高度を落として近付いてみると、その美しいレイルロードを織り成す花々は向日葵。
 背丈はばらばらだけど、皆東の空に昇る太陽の方を見上げて真直ぐに背を伸ばしている。
 あまりにも綺麗だったので、ちょっと寄り道をしていくことにした。
 花畑が一望できる小高い丘の頂上にそっと着地する。とても優しい秋爽の風。ゆらり肌を掠めて宙に舞う。



 蒼い草原に足を伸ばして座る。
 そう言えば、幻想郷にやってきてからは何かと忙しくて働き詰めだった。
 別に好きでやっていることだから苦に感じたりはしなかったけれど、こうして独りになったのは久し振りのような気がする。
 鬱屈とした学生時代は、もはや遠き過去。悔いはない。だけど「if」は……。そんなこと考えたって、結局あの世界が残酷であると言う事実は変わりないけれど。

 それだって、きっと思い込みに過ぎなくて。
 この瞳に映る景色は、色とりどりの世界。この向日葵畑のように美しくも見える時もあれば、朽ち果てたカーネーションの紅が色褪せて見える時もあるのだろう。
 見える世界なんて十人十色。だけど、この世界の仕組みがどうなっていたって、その時その瞬間に自分が感じている想いが世界の理になる。
 貴女はたった一瞬で、それを証明して見せた。



「……り」

 掠れそうな声で、この世界の素敵な物語を教えてくれた人の名を呼ぶ。

「…………り」

 重ねすぎた想い。
 今も緩やかに私の心を蝕んでいる。
 色褪せることなく、こんなにも色鮮やかなのに……貴女の名前は空の蒼さに吸い込まれるように消えて行く。

「、か、り」

 小さく、息を吐いた。
 溢れ出す想い。心に降り積もった粉雪は、その色をいつくしい白に変えた。
 この世界に絶望して嘆き叫んで消え行くその想いも。
 ニセモノはいらないと泣き喚いてばらばらになったその想いも。
 去り行く貴女を引き止めることさえできないと知るその無力さでほつれるその想いも。
 貴女は、全て美しく塗り替えて見せた。貴女の存在が世界を変えた。
 貴女が見せてくれた世界の果てに、私は……蒼い夢を見たの。それはずっと捜し求めていた希望のカケラ。

 この世界は私達二人のためだけに回り続けているのに。
 貴女の名前を呼んで、その鼓膜を揺らすことさえ叶わないの?
 心に映る幻は何も答えてくれない。もう一度だけでいい。私はこの瞳に、貴女の面影を映し出したいのに。

 嗚呼、神様。
 私の信じた神様。
 貴女に、私の声はもう届かないのでしょうか――



「ゆ、か、り」

 その瞬間、自分の鼓膜が揺れた。
 夢に誘うような艶やかな声が、空気に触れて耳元に届く。






























「ようやく、呼んでくれた」

 奇跡のフレーズが聞こえる。

「あの時のように呼んでくれた。私の、名前」

 凛とした澄んだ音と妖艶な色がない混ぜになった声は、愛おしそうに呟いた。

「大切にしてくれて、嬉しい。貴女の記憶の中で永遠になるのも悪くない」

 後ろから真っ白なか細い腕がすっと伸びて来て、私の首下に巻きつけられる。
 長い指は僅かに滲んだ汗をすくいとるように、ゆっくりと肌の表面をなぞっていく。
 そして、優しく私の口端に触れる。その美しい名前を紡いだ唇の感触を愛でるように、ざらついた表面の僅かな水分を掠め取った。
 うなじに吹きかけられる艶かしい吐息。ぞくっとするような浅ましい快楽が甦る感覚に、身体が打ち震える。

 嗚呼、どうしてかな。
 こんなに嬉しいのに、どうして泣いてしまうんだろう。
 言葉なんて、出るはずがなかった。その代わりに零れた涙の粒が、未来を想って此処に光る――



「御機嫌よう、早苗」

 そっと顔を近付ける紫さんにそっぽを向けるように、私は顔を横に振った。

「いじわる」

 そんな意味なんて分かってる癖に「意地悪?」なんて言葉をわざとらしく反芻してみせる紫さん。

「貴女は私の気持ちを知ってて弄んでる。ずっと最初からそうじゃないですか。私がどんなに貴女のことを想っていて、貴女にどうして欲しいと願っているとか……全部お見通しな癖に」

 紫さんはくすくすと笑いながら、身体をぐいっと寄せてきた。
 柔らかくカールする黄金色の髪の毛がふんわりと秋風になびく。

「あら、私にそんな下衆な趣味はなくてよ?」
「それならどうしてすぐに会いに来てくれなかったんですか。私はずっとずっと……気が遠くなるような時間、貴女のことだけを想って生きていたのに」

 ぷいっと背けた泣き顔に、ゆらりと吐息が近付けられた。
 焦らされているような雰囲気に耐えられない。逆にいきなり唇を奪ってやりたくなるような衝動を、必死になって堪える。

「好きな人と毎日一緒にいると、その人のことが何故どうして好きなのか分からなくなる。
「恋は盲目」なんてよく言われるでしょう? だから、少しくらい距離を置いた方がお互いの大切さが分かるものなのよ」

 もっともらしいような、納得いかないような台詞。

「だからこそ、お互いを確かめ合うんですよ。キスとか、ハグとかして……そうやって教えてあげるんです。
 貴女のことが好きでたまらないってことを、貴女のことがこんなにも愛しいと感じる想いの全てを、神に誓うように捧げる」

 恋愛って、多分そういうことなんだと思う。
 紫さんの言う何故どうして好きになったかなんて、言葉だけなら幾らでも説明することができる。
 でも、それだけでは足りない。足りるはずないんだ。恋する気持ちなんて何処までも曖昧で有耶無耶。
 その手を繋ぐ意味を残しているのは、そんな言葉にならない想いをはっきりと伝えるため。
 結んだ手のひらの先に、重ねた唇の先に、想いの全ては込められているのだから。

「そもそも、盲目で何がいけないんですか?
 この世界は知らない方がいいことばかりです。
 そんな中で見つけたかけがえのない想い……それが全てになってしまったら、他のことは分からなくなる。それはとても幸せなことじゃないですか?」

 半ば開き直ったように飛び出す言葉の数々。
 何を言っても許されるような気がした。どうせ私が何を説教しようと考え方を変えるような人ではないし。

「そうね、違いないわ。うふふっ、まるで早苗の方が恋愛経験豊富みたいな言い方ね」

 耳元で薄く笑った紫さんは、ゆっくりと私の首に回していた腕を解いて隣に座った。
 こんなにも近いのに、とても遠い。貴女の傍は、どうしてこんなにも遠くに感じてしまうのだろう。



「……大体、紫はずるいんですよ。こんなの、不公平じゃないですか」

 涙で滲んだ景色。
 ぼんやりと、霞んで見える。
 次の「またね」なんて何時になるか分からない。
 だからこそ、今此処で美しい貴女の面影をこの瞼に焼き付けておきたいのに。

「貴女は私のことを何でも知っているのに、私は貴女のことをたった一つしか知らない」

 私が知る紫さんの唯、それはあの口付けを交わした時に感じた想い。
 もはやそんな感情にどんな裏が隠されていようとも、私にとっては全く関係ないこと。
 貴女は己の全てを以って、私を愛してくれた。こんなのニセモノだと狂い叫ぶ私の想いを、優しく受け止めてくれた。
 心に映し出された想いは重なり合う。
 貴女が私で、私が貴女。そう、つまり……私は紫さんのことが好きなのだから、紫さんだって私のことを好いていてくれるはずなんだ。
 きっと心の何処かで、私を想っているからこそ紫さんはあの日私を抱いてくれた。
 それはもう揺るぎない真実。私のことさえ想ってくれていたら、その形は何だってよかった。
 ふしだらな快楽のためだろうと、永遠の愛だろうと。私を愛でてくれるのならば、貴女が与えてくれる想いは全て美しく色鮮やかに染まるのだから。

「私だって、紫のことならどんな些細なことでも知りたいと思うのに。
 私の知らない秘密があるなんて嫌だから。全てを受け入れる覚悟なんてもうとっくにできてます。でも……貴女は、何時も最初に結論だけが其処にありきで」

 ぽろぽろと零れ出す思いの丈は、留まることを知らない。
 紫さんを責める気持ちなんて、これっぽっちもないのに。

「紫の想いは確かに手に取るように伝わってくるのに、過程は何時も曖昧。
 恋することに理由なんて必要ないのかもしれませんけど、やっぱり不安にはなります。紫だってそんなことくらい、分かってる癖にそんなだから……やっぱり、意地悪です」

 紫さんが何故どうして私を好きになってくれたのか、理由は分からないまま。
 そんなこと、当たり前の話。だって、あのデートには最初恋愛感情なんて前提は存在しなかったのだから。
 それなのに自分が抱いていた想いは何かと言えば……紛れもなくそれは恋人同士が共有しているであろう甘くて切ない気持ち。
 狂おしいほどに愛しくて頭がおかしくなるような渇望。全てを思いのままにぐちゃぐちゃにしてやりたいと願う醜悪な支配欲。
 私の感情は溢れ出して止まらないのに、紫さんはその心の片鱗も見せていないような気がした。
 貴女が何故どうして何を思っているのかとか、その想いの形を全てきっちり正確に把握していたいのに、貴女の深遠なる想いが垣間見えたのは心と身体を重ねた瞬間だけ。
 そんなの、やっぱり不公平だ。私だって、貴女の全てを知る権利があって然るべき。

 私は願う。強く願っている。
 貴女の全てを、もう一度見せて欲しいと――そして、その心に映し出された想いを、しっかりと刻み付けておきたい。
 そして、受け入れる。貴女の全てを私のものとして、私は貴女の全てを愛したい。

 こんな気持ちなんて、ある種我侭なんだよね。
 紫さんとまともに話したのは、これで三回目。最初の思い出があまりに美しかったとは言え、たったそれだけで相手の全てなんて理解できるはずがない。
 私が焦ってしまうのは、貴女はふと何処かに行ってしまって消えてしまいそうな気がするから。貴女は何処までも自己完結的で、突然目の前からいなくなってしまうような感じがするの。
 だからこそ、今伝えたい。今自分が胸に秘めた想いの全てを――



「……私は、どうしたらいいのかしら?」

 その言い方自体が意地悪なのに。
 そんなことだって知ってて言うのだから、本当にたちが悪い。

 とくん。とくん。
 心臓の鼓動がうるさい。頭がぐるぐると回る。
 言葉はたった一つだけでいいのに。勇気をください、神様――



「紫。私、わたし、貴女の――」

 カタコトになってしまった言葉を突然遮る声。

「そうだ。いいこと考えた」

 ほんのりと紅く染まった顔を向けると、紫さんはやんわりと微笑んで言葉を続けた。

「また王様ゲームしてみない? 早苗が勝ったら一つだけ言うこと聞いてあげる。内容は問わないわ。貴女が望むのならば、神様だって鮮やかに殺して見せましょう」

 紫さんらしいとも言える、回りくどいやり方。
 悪くない提案だ。私が負けた場合に指図される内容如何にはこの際目を瞑ろう。

「……紫が勝った場合は?」
「内緒」

 ふと、紫さんの表情を窺う。
 大人の美貌を醸し出す端整な横顔に、無邪気な子供らしいあどけなさが見え隠れする。
 妖艶な微笑みの中に秘められた想い。飲み込んでしまえるのは私だけだと信じて、小さく頷いた。

「分かりました」
「決まりね。ルールは同じ。表が出たら私の勝ち、裏が出たら早苗の勝ちよ」

 そう言って、紫さんはゆったりとした仕草でお財布から小銭を取り出した。
 かざすように見せてくれたコインは、幻想郷の貨幣ではなくあの時使ったのと同じ元居た世界の十円玉。
 何の変哲もなくて種も仕掛けも施しようがない見慣れた通貨は、太陽の光を反射して四方八方に紅い線を放っている。

「早苗、貴女が投げる?」

 何処か、聞き覚えのある言葉。

「いえ、どうぞ」

 あらそう。なんて笑いながら、紫さんは人差し指を軽く曲げてその上にコインを置いた。
 左の手のひらを真下に添えてから、ちらりと私を一瞥する。
 無言の問いに首を縦に振ると、細い親指がピンと天に向かって伸びた。弾かれたコインはきらきらと輝きながら回転する。
 やがて推進力を失って重力に引き寄せられた運命の円は、紫さんの手中に。その視線の先に見える、真っ白な手のひらの上で煌く硬貨は――










「裏ね」

 紫さんがにんまりと笑って囁いた瞬間、私の手は動いていた。
 その手のひらのコインをさっと掠め取る。
 裏だ。何処からどう見ても裏だ。表面があるはずのコインには、裏面しかなかった。
 未来を決める権利さえ有している神様のこと。サイの出目なんて当然のように操ることができるのだろう。
 私がこうして気付くことだって、容易に想像していたのかもしれない。



「……こういうのがずるいって言うんです。
 どうせあの時だって、貴女は最初から裏を出すつもりで話を持ちかけたのでしょう?
 全てを知っているのに知らないフリをする。何が面白いのかさっぱり分かりません」

 そう。結局のところ、全ては紫さんの思い通りに事は運んでいた。
 私が望んでいることなんて全部お見通し。それなら最初からすんなり願いを聞き入れてくれたらいいのに、私の神様は何故かどうしてかこんなに遠回りなやり方を選ぶ。
 その思考の深遠は私如きの理解が及ぶ範疇には存在しないのかもしれない。やっぱりその過程は何処までも曖昧で不明瞭。
 しかし、その結論の帰結は非常に分かりやすく人に伝わるようにできている。

 つまり――紫さんだって私と同じことを望んでいるに過ぎない。
 あの時は、キスしたかったんだ。抱きしめたかったんだ。いけないことも、したかったんだ。
 ちゃんと愛してくれていたからこそ、紫さんは私を求めた。やり方はお世辞にもスマートだとは言えない。
 そんな素直じゃない貴女も、愛しくてたまらない。寧ろ、貴女らしくていい。
 嗚呼、一度惚れてしまったらどうしようもないの。今は知らない貴女のことも、きっと同じように愛することができる。
 そんな淡い想いが粉雪のように白く心に降り積もっていく。



「何がどうして何故面白いと感じるのかなんて、誰にも分からないでしょう? ニセモノとか本物とか、その違いが人それぞれなのと同じことよ」
「確かにそうかもしれませんね。でも、私の望みは貴女の望み。私と紫が感じてる想いは一緒なのだから、そんな理屈は通用しない。それを教えてくれたのは他ならぬ貴女ですよね?」

 私の想いを証明することができる存在が貴女だけならば、逆も然り。
 貴女の想いを証明することができる存在は私だけ。貴女のための唯になれる。なんて素敵なことだろう。
 手を伸ばせば、すぐ其処にあるの。想いの先に見据えた鮮やかな未来。貴女と私の瞳に映る景色は、あの日からずっと淡い紅に輝き続けている。

 貴女の優しい想いに導かれて、此処までやってきた。
 暗い暗い絶望の底から、晴れ渡る空が広がる世界へ……随分遠くまで来てしまったように思う。
 だけど、ここはまだ「始まり」だから。また旅の支度をしなくちゃいけないね。あの空の向こう側に見える、まだ知らないその先に――



「貴女みたいに、夢に夢見てた季節が多分……私にもあったと思うの」

 ふっと鼻で笑いながら、紫さんが小さく言葉を紡ぐ。

「嘆いても嘆いても、この心臓が鼓動を止めるまで世界は続いていく。
 そんな世界の理は知れば知るほど、瞳に映る景色はモノクロになって色褪せた。そんな世界にうんざりすることさえ、もう忘れてしまったけれどね」

 初めて触れた、紫さんの心のカケラ。
 私の心に欠けていたピースと合わさるような、不思議な肌触り。

「だって、瞬き一つでこの世界は変わるわ。
 たった一つ信じ続けられる想いがあれば、世界はプリズムのように色鮮やかに見えるの。そんな簡単なことに気が付いた瞬間、私はこの世界がとても美しいと思えるようになった」

 その真理は、あの残酷な世界でも幻想郷でも変わらない。
 目線が少し変わるだけで、この世界は醜くも美しくも映る。
 貴女は唇から伝う体温だけで、この世界に絶望していた私の瞳に映る景色を変えて見せた。
 そんな貴女が信じ続ける想いは、きっと私と同じはずなんだ。

「だから、すぐに答えを出す癖が付いた。境界線の見方を変えてやるだけで、色褪せた世界は光を取り戻すわ。
 世界を美しく彩る術を知る――全てを知ると言うことは、つまりそういうことなの。もう私は、貴女みたいに悩める夜には帰りたくても帰れないから」

 貴女の想う唯は私の真実。
 だから私だって、もうあの日には帰ることはできない。
 別に後悔なんてこれっぽっちもないけれど。紫さん。責任取ってくださいね。
 ずっと決めていたの。貴女の教えてくれた魔法、私も使わせて貰うって。



「紫。貴女は分かってるつもりになっているだけです。だから、教えてあげます」

 傍に座る紫さんに思いっきり抱きついて、蒼い芝生の上に押し倒した。
 ゆらりと地面に流れる、ふんわりとした花の香りがするさらさらな金髪。
 圧し掛かるような形で、その端整な美貌を見下ろす。私の神様は笑っていた。
 まるでこの時を待ち焦がれていたかのように、くるんとした大きな黒い瞳はじっと私を見据えている。

「……何を?」
「私の、全て」

 そっと、顔を寄せた。
 浅い呼吸。淡雪のように真っ白な頬を、優しく指でなぞる。
 紫さんの身体が僅かに震えた。快楽に従順な反応はその歪な性格と不相応で、尚更愛おしい。

「早苗の、好きにしたらいいわ」

 そう言って、紫さんは儚げに目を伏せた。
 雪色の肌に叙情的な紅を帯びた艶かしい表情。
 其処に幻想郷の賢者たる面影は微塵も感じられない。
 それはただ、一人の少女が夢を見ているに過ぎなくて。
 永久に続く鮮やかな未来を想う貴女は……とても、美しい。

 嗚呼、私はこの一瞬のために生きていたんだ。
 貴女の心に私の全てを映し出す。貴女のその想いが唯であることを証明してみせる。
 此処で光る心のカケラ。必ず貴女に届くと信じて、そっと空へ浮かべるの。

 群青に染まる空は秋爽。
 万感の想いを込めて、薔薇のように咲き誇る唇に優しい魔法をかけた。





「紫、愛してる」

 重ねた吐息。その唇の先から伝わる全ての想いの先に見えたのは、真っ白な空白――

























 貴女のこと。
 今は、分からなくてもいい。
 その想いの色。形。つまり……思想とか主義とか、何故どうして私のことを愛してくれたのかとか。
 そんな他諸々の全ては、後からゆっくり教えてくれたら許してあげる。だから、今はただ、強く、強く抱きしめてくれたらいいの。
 もしも貴女の想いが嘘だったとしても、私が変えてみせる。きっと貴女が好きでたまらなくなるような私になればいいだけの話なのだから。
 貴女があの時教えてくれた想いは揺るぎない真実。貴女好みに歪むことはあっても、貴女を愛して止まない想いの根本は決して変わることのない永遠。
 もう誰も私を止めることなんてできない。貴女が首を絞めて息の根を止めるまで、私の心は貴女の想いと共に何処までも羽ばたいていける。

 この白い世界の意味だって、きっと貴女は分かっているのでしょう。
 ここから先は私達の想いのまま。白紙になっているページに描く素敵な物語は自由自在で、どんな色にも染まる。
 貴女色になってしまうのも悪くない。だけど、アメジストの中に少しだけ碧があってもいい。私は貴女の中で、エヴァーグリーンに輝くエメラルドのような存在でありたい。

 貴女と交わした、初めてのキス。
 あの時に映し出された夢や希望、その類。今は……何も見えない。
 それは当然のこと。だって、何もかも、全ては此処から始まるのだから。
 やがてこの世界にも小さな息吹が芽生える。その苗は貴女の与えてくれた想いを吸い込むと紫色の綺麗な薔薇に――





「んっ……」

 そっと、唇を離す。
 優しいキスの余韻が、緩い快楽を伴ってゆっくりと身体に染み込んで行く。
 このまま時が止まってしまえばいいのに。ずっと貴女の想いを感じていたら、気が狂ってしまうだろうけど。

 紫さんも、小刻みに呼吸を繰り返していた。
 甘く香る吐息。浅くまどろむ夢から覚めた瞳は、うっとりと虚空を眺めている。
 魔法に掛かってしまったかのような陶然とした細面は、小さく天を仰いだ。



「白。真っ白だった」

 紫さんは、まるで独り言のように囁く。

「……貴女も、私もいない。境界線が何処にもない、白の世界」

 想いを馳せるように、訥々と話す。

「口先から溶けて、消えてなくなって……何もかも、白くなった。貴女と私を繋ぐ唇は、確かに重なったままなのに」

 快楽の余韻が残る身体を、秋風は優しく冷ましてくれる。
 ふと我に帰って、紫さんに預けていた全身を離そうとした瞬間――思い切り引き寄せられて、再びぎゅっと抱きしめられた。



「ゆ、紫……?」

 再び近付いた吐息に、心臓の鼓動が鳴り止まない。
 花の匂いがするキスの残り香が、ふんわりと風に流れた。

「あれが、貴女の全て?」
「拙いキスだってことくらい、分かってます。お気に召さなかったのならば、本当に申し訳ありません……」

 ふっと鼻で笑う声。
 紫さんは惚気たような表情を隠そうともせずに、優しく私の頬を撫でた。

「そんなことないわ。とても、素敵だった」
「想いの全て、込めたつもりだったんです。だけど、何故か見えた世界は何もなくて。最初に紫と交わしたキスは、とても素敵な想いに溢れていて……色鮮やかだったのに」

 くすくすと喉を鳴らす紫さん。
 私が唱えたおまじないの意味なんて、すぐに気付いたに違いない。
 その意味も全て知った上で満足そうにしてくれている。私の想いは、確かに届いた。
 切なくて張り裂けそうだった心の枷が外れる音。解き放たれた私の全ては、今貴女の心の中に。

「あの時、貴女の想いは様々な感情がない混ぜになっていた。限りなく黒に近い灰色。それは多分、貴女が世界に絶望していたことの証だったんでしょうね」
「そうですね。だから……私を白く塗り替えたのは紫、貴女です。今は見えるんです。
 叶うはずがなかった夢も、あての無かった希望も……貴女がくれた想いの先に見えた未来は、とても素敵な、美しいものでした」

 嗚呼、もう言葉なんて必要ないの。
 貴女だってそんなこと、とっくに分かっているはず。

 光沢のある髪を勢いよく翻して、紫さんが私を見下ろす。
 その妖艶な微笑みは、支配者としての悦びに満ち溢れていた。
 それでいい。貴女は私の神様。貴女の思うがままに、私を狂わせて欲しいの。
 そうやって、少しずつ、少しずつ……私は貴女のことを知る。
 手取り足取り教えて。あの時のキスみたいに、優しく、狂おしいほどに切なく……。



「……次に唇を重ねた時に見える世界は、あの夢の続きよ」

 その美しい声に、そっと目を伏せて……キスを求めた。

「嬉しい。私の心を、貴女の美しいその名前で……染め上げて見せて?」

 再び吐息が触れ合った瞬間、瞳に映る景色はアメジストに――










 ☆★☆★☆★☆★☆











 お母さんへ

 お元気ですか?
 療養明けなのですから、くれぐれもお身体にお気をつけくださいね。
 お母さんは相変わらず無茶をしているのではないかと、こちらにいても心配でたまりません。

 私は元気でやっています。
 幻想郷に来てから数ヶ月が経ちましたが、ようやく慣れてきました。
 何となく以前の守矢より敷地が広くなった気がするので、お掃除等々色々大変だけど……その分、やりがいもあって毎日が楽しくて。
 風祝としてはまだまだ未熟な身ですが、二柱のお力になれることに心からの喜びを感じています。
 神奈子様や諏訪子様もお変わりありませんし、そちらの世界に住んでいた時より生き生きとしている気がします。
 毎日宴会で大盛り上がり。お友達も沢山できました。ちょっと変わった人が多いんですけど、皆気さくでとてもいい人ばかりです。
 たまにどうしようもないくだらない騒ぎが起きたりしますが、それも皆楽しんでいるようで。
 こちらの常識を知るにはまだまだ時間が掛かりそうですが、小さな幸せを噛みしめる優しい日々が続いています。

 今も、よく思い出します。
 忘れもしません。あの三者面談の帰り道のお母さんの言葉。
 あの時は、夢を探すなんて絶対に無理だと思っていました。
 私は世界に絶望していた。今思えば、お母さんはそんな私の気持ちなんてとっくに知っていたのかもしれませんね。
 ずっと辛かったです。お母さんを恨んだことさえありました。自分なんて存在しなかったら、こんな想いをしなくてもいいのにってずっと考えてた。
 生き続けることは苦痛以外の何物でもない。だから……夢も、希望も、未来なんて、見えるはずがないって。

 でも、今はそんなこと全然思いません。
 お母さんの言ってた探し物を、私は運良く見つけることができました。
 夢みたいでした。夢なんだから夢なんですけど、そんな素敵な未来が見えた瞬間、この世界がとても素晴らしいものに感じられて。
 今必死でその夢に向かって走っている真っ只中です。叶うかどうか、正直なところ分かりません。
 届きそうで届かないから夢って言うんですよね。だけど、それを追いかけることに意味があるのだと思います。

 私は生きてて良かったんだと、心から思えるようなりました。
 それはお母さんと二柱がずっと私を支えてくれていたからに他なりません。
 この世界に生まれたことを、お母さんの娘であったことを、本当に感謝しています。お母さん、本当にありがとう。
 立派な風祝になって、必ず迎えに行きます。その日まで、どうか体調にはくれぐれもお気遣いください。
 嗚呼、とても楽しみです。お母さんに守矢の正装でお会いできる日を、心待ちにしております。



 P.S.
 この手紙をお母さんに届けてくれた女性が、私に『夢』があると証明して見せた素敵な方です。
 お母さんがこちらに来たら、真っ先に紹介したいと思っています。私にとって本当に大切な人なんですよ。
 見目麗しい容貌もそうですが、紡ぐ言の葉がとても美しいんです。それはまるで神様みたいで――








こんにちは、夜空です。
長編読了お疲れ様でした。
ここまで読んで頂いたことに、心から感謝の気持ちで一杯です。

黒から白に透き通る瞬間が描きたかったと言いますか
ほんの些細なきっかけで人は変われるものだと言うことを端的に表現したかったのですが
リアルJK的な意味でも早苗さんがいい感じで一人歩きしてくれて、こんな形に収まることに。
きっと早苗さんはセカイ系。何故かどうしてか自分の中ではそんなイメージが滅茶苦茶強くて。
馴初めが不純でも、美しく昇華される想いがあってもいいと思うんです。
この世界がどんなに残酷でも、一縷の希望は必ず何処かに残されているはずだから。

そんなこんなで、諸々の想いが詰まった作品になりました。
明日はきっと良き日になる。そう信じて俺は今日も生きています。
そしてこの作品を書いてた頃の自分ともさよなら!
楽しんで頂けたら幸いです。

#8/30追記
ご指摘の誤字脱字と改行を三箇所修正致しました。
沢山のコメント、本当にありがとうございます。
夜空
http://twitter.com/yozora_M
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コメント



0.6740簡易評価
4.60名前が無い程度の能力削除
文章が小気味よくて一気に読めました。
内容はこそばゆかったですね。
色んな意味で。
5.100喚く削除
やべぇ
超やべぇ
大好きですこれ
7.100紳士的ロリコン削除
おかしくなっちゃった早苗さんいいですね
キレキレです、こういうの大好物です
12.90名前が無い程度の能力削除
これは新しい。おもしろかったです。
14.100名前が無い程度の能力削除
上の人も仰ってますがこれは新しいですね
この手の百合はそそわに今までなかったように思います
日常系アニメが流行る昨今、現実を直視した上で歪ませて真っ直ぐに持ってくる手腕に感服です
早苗が恋心を抱いてからのぶっ飛び方とか中盤の諏訪子様が何気にかっこいい
16.100名前が無い程度の能力削除
創想話ではあまり見ない、どっちかというとあっちのテンションですね。不思議と新鮮に見えます。
20.100名前が無い程度の能力削除
力作ですねー。
序盤はどうなってしまう事かと思いましたが、その後の展開からラストへと見事だったと思います。
22.80名前が無い程度の能力削除
長編お疲れ様でした。なかなか新鮮な展開で、面白く読ませていただきました。
言葉の修飾が若者らしく、早苗さんをよく表しているなぁと思いましたが、
もう少し早苗さんの学生生活について解決する爽快感が欲しかったので、この点数とさせていただきます。
作者様の作品をもっと読みたいと思いました。
25.100名前が無い程度の能力削除
ゆかさなとはまた新しいジャンルですな
27.80名前が無い程度の能力削除
んー……作品としては面白いですよ?
でもなんだか東方の二次というよりは暗めの恋愛小説の百合バージョン。
設定だけをオリジナルの恋愛小説に挿入してストーリーはそのままって感じがするんです。
良作なのは勿論良作なのでこの点数
30.100名前が無い程度の能力削除
ふー、気づいたら読みきってた。ハッピーエンドはいいですね。
恋する少女は止められない!
最初某ドキドキ以下略を思い起こしてどうなるかびくびくしてましたがw
できれば幻想郷に行く時の母とのくだりとかも読みたかったかな。
32.100名前が無い程度の能力削除
文の雰囲気、ストーリー、とてもよかったです。

この早苗さんは新鮮ですね。
33.90名前が無い程度の能力削除
157kb・・・だと・・・
一気に読めてしまいました
しかしこの紫の性格、早苗だけに恋愛感情を向けてる様には見えないというか、
もう二、三人はそういう相手がいるんじゃないのかなんて勘ぐっちゃって真っ当な恋愛モノには見えないですね。
まあ怪しいわいかがわしいわ。
35.90名前が無い程度の能力削除
まず容量に驚愕した
36.100名前が無い程度の能力削除
心の動き方が本当にリアリティあって素晴らしい
ほのぼのSSが溢れる中これを出してきた作者に敬意を
37.100名前が無い程度の能力削除
まずタイトルにホイホイされて容量にびびってゆかサナに驚いてストーリーの素晴らしさに感嘆させられて……もう最高
39.100名前が無い程度の能力削除
久しぶりにティンときた
40.100名前が無い程度の能力削除
気の利いたコメントは出来ないけど100点を入れたい
44.100遠野はりま削除
いいですねぇ、こういう作品。
まんまとタイトルに釣られた甲斐がありました
46.100名前が無い程度の能力削除
読み終わってから一息つかなくてはコメントできなかったです。
読みやすく、また新鮮。よかったです。
47.100normalA削除
この作品を読みながら自分の生き方を少し見つめ直してしまいました。
大変素晴らしい物語をありがとうございます。
51.100リペヤー削除
うひゃー、一気に読んじまったぁーい。
悩み苦しんでいたけど幻想郷で夢を掴めた早苗さんも、なんだかんだで「いいひと」な紫もキャラが立っていました。
大変面白かったです。


……なのですがっ。
なんというか、こう……現代を貶めてるという感じが。
誰もがわかりやすい「現代の不幸」が浮き彫りになりすぎていて、(キャラでは無いのに)現代社会が無理矢理悪役をやらされていると思ってしまいました。
それに早苗さん、お母さんのこともあるんだからちょっとくらい未練残しててもいいじゃないですか……。

以上、少し気になった点はありましたが、面白かったです。
52.90名前が無い程度の能力削除
序盤のインパクトって言うか、女子高生早苗さんって割と明るめなイメージあるから結構グッと引き込まれました
あとは百合描写の濃厚さが印象に残ってます。エロイエロイ
後半からちょっとだけ退屈だったかな、でも描写がしっかりしてたから展開に目立った派手さが無くても最後までサラッと読めました
54.100名前が無い程度の能力削除
あれだろ?
早苗は軽くRADに感化されてるだろ?w
56.100名前が無い程度の能力削除
すごく一面的。目に映るすべてが世界のすべてだと決めつけている。
三人称でこんな視野の狭さを語られたら鬱屈した気分になりますが、早苗の心情で語られる一人称、雰囲気が良かったです。
ただ、早苗が自身で成し遂げたというよりは、紫の手による救済に見えて仕方ありません。
抗えない現実からの逃避、という命題を隠すために恋愛要素を全面に出しているようにも見えます。
紫の助言を得て、早苗だけで何か『現実』に対して強烈なカウンターを放って欲しかった気持ちがあります。
なんか熱血ものになりそうですが、それ。
ここまで丁寧に描写されている作品は少ないと思います。良かったです。

RADとFF6の影が見えた。
58.100名前が無い程度の能力削除
だいぶ長いですがさらっと読めました。
表現の仕方がよかったです。
65.100名前が無い程度の能力削除
淀んでた水が流れ出すような雰囲気のお話でした。
それと、早苗の心理描写が細かくてすっかり惹き込まれてしまっていました。
66.100名前が無い程度の能力削除
確かにあまり見ないタイプの話
なんだか新しい世界が開きそうな。またこのお話を読みたいです
68.100名前が無い程度の能力削除
百点のクオリティ。
69.100名前が無い程度の能力削除
早苗の細やかな心理描写にやられました
そそわには珍しい題材でしたが、楽しんで読ませていただきました
71.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい、ただその一言
72.90名前が無い程度の能力削除
これは素敵!
75.80名前が無い程度の能力削除
今や神奈子と諏訪湖が好きでしかたがない、というのがデフォの早苗さんですがこれは皆さんおっしゃるように新鮮ですね。
ただ、求めるものを与えてくれる紫に早苗さんが惹かれるのは当然として、紫がなぜ早苗にここまで惹かれているのかがちょっと曖昧な気も。
そういうの置いておいてとりあえず言いたいのは、このゆかりんは私の理想とする”妖怪 八雲紫”でした。
いいものを読ませていただきました。ありがとうございます。
79.90名前が無い程度の能力削除
面白かったです
84.100武蔵削除
時々、こういう話が出てくるから、東方創想話は侮れない。鬱屈とした早苗の心理描写が非常に良かったです。現代世界の見方が自虐的とか。恋をしている心理描写とかが、思春期の女の子がしそうな感じ。紫も大人のずるさというか、そういうのが出ていていい。上手いこと大事な選択は早苗に任せるあたりが。
今までにないタイプの小説で面白く読めました。ありがとうございます。GJ!
87.100名前が無い程度の能力削除
ゆかりんの妖艶な雰囲気がにじみ出てて最高
長編にも関わらずしっかり纏まった内容といい、すごく楽しかったです
素晴らしい読み物をありがとうございました。
88.100名前が無い程度の能力削除
この分量で、このテーマで、このカップリングでここまで読ませる
凄いわ貴方。
89.無評価名前が無い程度の能力削除
確認ですけどこれBADEDじゃないですよね?
始終早苗が自分にとって都合のいいように解釈しているように見えます
このゆかりは妄想の産物なのでは?
最後の手紙などもう戻ってこれない感じがしてとても不気味です
90.80名前が無い程度の能力削除
ROSSO好きなんでより楽しめました
92.90名前が無い程度の能力削除
Eraseっぽいフレーズが
93.100Taku削除
僕の中の何もかもをぶち抜かれた気分です。
がりがりごりごり、と無骨な音と共に心を抉られました。
つまり……この作品がどうしようもなく素敵で仕方ありませんでした。
あなたの作品に出会えたことを感謝します。ありがとうございました。
94.100現役高校3年生削除
好きな子に告白してくる
100.100名前が無い程度の能力削除
ここで終わり・・・だと・・・
続け!俺を安心させてくれぇ!

思惑や過程なんてものは脇に置いといて、早苗と紫がお互いを好きだと信じたい・・・
でもどうしても不安になってしまうんだよ、紫→早苗に対する気持ちが本当にあるのかどうか

ここで終わってる事が残念でならないけど、でも最後までどっぷり浸かって堪能出来たこの作品は満点だわ
103.100名前が無い程度の能力削除
テーマも分かりやすく、キャラも「らしく」ていい作品でした
素晴しい!
104.100名前が無い程度の能力削除
タイトル通りのことを真剣にやってくれるとは思いませんでした。
……さなゆか…そういうのもあるのか!
紫が妖怪やってますねえ、人の心を惑わしてこそ妖怪。
早苗の心象に合わせて世界が変わっていく様、それを描く手腕に脱帽です。
しかし凄い人が来てくれました。次回作は必ず読ませて頂きます。
105.100るてちうむ削除
ディスプレイが、見、えね、ぇ
106.100名前が無い程度の能力削除
ディストピアも、百合ネタも創想話では結構あるのですが、
この舞台設定でこの組み合わせというのは創想話ではあまり見ない、少なくとも自分は初めてでした。
鬱屈とした早苗の心理描写が非常に生々しかったです。
108.100名前が無い程度の能力削除
読後感が実に良い
110.100名前が無い程度の能力削除
とても、リアルに早苗の心が迫ってくるような小説でした。

読後感がよく力づけられました。
111.100名前が無い程度の能力削除
いや、読み進みながら目が覚めるような気分です。
信じ続けることにはエネルギーが必要で、眠って日を跨げば夢は消えてしまう。
しかし、そうだとしても、やはり信じることに意味はある。
そう思わせてくれる作品でした。

タイトルと中身を照らし合わせると、確かに作者さんの言うとおり、早苗さんの一人歩きが感じられるのですが、これはただの一人歩きにあらず!
夜空さん渾身の思いが早苗さんの歩み時々疾走を導いた感ありまじお見事っす!
しかし、ゆかりんのこの胡散臭さには参りましたね!
どこまでが表でどこから裏なのかわからない! わかりにくい!
と思ったら、実は全部表も裏もなかった! ちゅっちゅ! ちゅっちゅ!
112.80名前が無い程度の能力削除
こういう「濃い」のを書けるのは凄いなぁ・・・
113.90名前が無い程度の能力削除
150KBもあったんだ。
読む前に分かっていた筈なのに、そう言わずにはいられない。
作者自身もまるで紫のように夢に酔わせるのが上手だ。
114.90名前が無い程度の能力削除
何と言うことだ……、非常に良かったです。
早苗さんは多面的に捉えることを諦めてる感じがしましたが、ssなので千差万別ですね;
ゆかりんに来訪させたことが一番の奇跡なのかな

ただ、文章的に矛盾した部分があった気がします
自分の読解力がなかっただけだとは思いますが…
117.100名前が無い程度の能力削除
どっちかっていうとあちら向けの文章だとも思いましたが、こういう雰囲気を最後まで崩さない話は好きです。
118.100444削除
 色気のある文章と、五里霧中の中を駆け回る早苗さん。
 容量よりも短く感じたのは、面白かったからに他ならないからです。
 奇異ながらしっかりとした文章、ごちそうさまでした。
119.80名前が無い程度の能力削除
愛があれば生きていけるのは真理だ。
雰囲気いいです。
122.100サイン削除
のめり込んでしまいました。
多くのものを感じられました。その表現力諸々に感服です。
123.100山の賢者削除
これは100点を突っ込まんわけにはいかない。
自分は、物語性ってのは悲劇性をその母体とすると信じているので、こういう始めの暗い話は非常に好みでした。
文章も最初から最後まで引き込まれて長さを感じさせませんし、文句の付けようもないです。
メロンソーダが偽物ってのは個人的にちょっとタイムリーな表現でした。
昨日の夜に食べたメロンソーダのアイスバーの原料が、メロンでなく青りんご果汁だったものですから。
 
ひょっとして作者はアジカン好きじゃなかろうか。
124.100名前が無い程度の能力削除
すごくいい
128.100Seji Murasame削除
所々唸りながら、一気に読み耽ってしまいました。
外の世界における早苗が若者らしい鬱屈に苛まれ絶望を感じていたところを、
紫によって癒され、そして幻想郷において希望と幸福に満たされるようになる。
早苗たちを取り囲む環境だけでなく、彼女の心の内面そのものをも越境を迎えさせる
という構成が、他には無い深みと迫力をもたらしている様に思えました。

鬼気迫ると言ってよいくらいに迫力に満ちた濃密な文章と、
タブー的な領域にも躊躇なく踏み入れる潔いストーリー。
堪能させていただきました。お見事です。
129.80名前が無い程度の能力削除
題材の選択、ストーリー構成、描写力、技術が非常に高いと感じます。近年では最上級の作品だとも思います。事実、私もとても楽しめましたし、感情も揺さぶられました。
しかし、だからこそ残念な点がいくつかあったことも否めません。粗探しの様に思われるかもしれませんが、聞いていただければ幸いです。
まず一つ目、早苗が一人暮らしをしていることに、物語としての理由付がないこと。
長野県の教育の実情は存じませんが、一般的には高校に通うために一人暮らしをすることは稀です。しかも、裕福でない家庭に育ち、進学に興味のない早苗が、実家から通える範囲にない高校に一人暮らしをしてまで通うにはもう一つ何らかの意味を持たせるべきであった様に思います。現状の表現では、紫とのデートの際に家に帰らなくても良い理由をつけるためのギミックにしか感じません。
二つ目に、紫が早苗に惹かれた理由が明示されていないこと。このせいで、終盤まで二柱の神を幻想郷に連れてくるための外堀として早苗に言い寄ったのではないかという不安がついて回りました。もしかしたら、これは早苗の不安に感情移入させるための作者の意図なのかもしれませんが、だとすれば終盤でわかりやすく回収して欲しかったという思いが強いです。
三つ目に、あれだけ大きな愛を受けて育った早苗が、なぜ母を自分が絶望した世界においてきたのかという理由付がないこと。後半の手紙が、母の愛ではなく紫の愛を選んだ早苗の、自らに対するエクスキューズに感じてしまいます。

以上、私の感じた残念な点を述べさせていただきました。解釈の誤りや読解に至らぬ点があるかもしれませんが、その際はさらっと諏訪湖の藻屑としていただければ幸いです。

失礼いたしました。
130.100名前が無い程度の能力削除
これは容量といい、内容といい、まさに力作ですね。
守矢が幻想郷に来る前の話で、紫が絡むのは
割りと見かけるのですが、早苗と紫が恋人というのは珍しい。
今どきの女子高生な早苗も、正に妖怪という感じの紫も、凄く好みでした。
むせかえるような百合の濃密な表現も凄かったです……

早苗の紫に対する熱烈な恋愛感情は、信仰を失って影のように儚い二柱
との対比もあいまって、鮮烈でした。

秘封とか、外にいた頃の守矢が、紫と絡む話は大好物なのでとても満足でした。
132.90名前が無い程度の能力削除
また一つ早苗さんが深くなった。
かつ、描写もすごく深いです。ここまで書けるようになりたい。

シナリオ的に少し違和感を覚える点もありましたが、
矛盾無く作るのにこだわりすぎてもなんですし、何より面白かったです。
134.100可南削除
深い話に感嘆とさせられました。
物語の意味を考える、良い作品でした。非常に面白かったです、ありがとうございました。
137.100名前が無い程度の能力削除
ずーっとこの話に心を預けてしまいました
心理描写が、もうホンモノな感じがして読んでいる時は息すら忘れてましたね
おもしろかったです!結局はこの一言に限る!
140.90電気羊削除
誤字報告を
服を来て→着て の部分と
真剣→神剣の部分がありました

誤字は1個見つけるとわらわら

よかったとおもいます まる
142.100桜田ぴよこ削除
とても良かったです
145.100MR削除
素晴しい、その一言に尽きる。

ただ言わせて頂くなら、もう少し早苗さんは、こっちの世界に未練があっても良かった気がするかな。
146.100名前が無い程度の能力削除
タイトルに釣られてきてまさかこんな胸のすくような気持ちになるとは思いませんでした
この作品を読めて良かったです
これからのさなゆかに乾杯
147.60名前が無い程度の能力削除
いや、凄い作品でした。
レベルの高さに驚くばかりです。
でも、だからこそ、物足りない。
ここまで救われてしまっている早苗と包み込んでいるように見える紫。
後半に再び落として欲しかった。
紫に対する勝手なイメージなんですけどね。
こんなに優しいだけで終わる筈がないと期待してそのまま終わってしまいました。
主題を読み取れなかったといえばそうなんですけどね。
148.70名前が無い程度の能力削除
早苗にとって紫は大切だけど、紫にとって早苗はそこまで大切じゃ
ないように感じた。
そこまで紫が早苗に惹かれる要素もないし。
てか同じやり方で何人か誑かしてそうw

あと結局早苗が綺麗綺麗なままで終わってるけど、そこは最初別の相手に
騙されて本当に誰かに必要とされたくて紫に出会った、とかの方が話的にも
しっくりきそうな印象。

とは言えこの分量で圧巻の描写力を見せられるとどうでも良くなって
くるのが不思議。

続編も見てみたいけど、宴会で紫が他の誰かと仲良さそうに話してただけで
早苗が黒(ヤンデレ)化しそうなんで書きにくいかw
150.90名前が無い程度の能力削除
背後に漂う空気がとても素敵なお話でした。
やや紫の心情の説得力に欠け、重要な箇所故に大きく響いた感があり惜しいですが。
ですが、とても楽しめました。良い読後感です、ありがとう
151.100名前が無い程度の能力削除
序章から引き込まれて、気づいたら最後まで一気に読んでしまいました
154.100名前が無い程度の能力削除
この手の百合を読んだことがないのですが、面白かったです。
守矢一家の幻想入りと紫を絡める設定でこう持ってくるとは。
紫のはっきりしない言い方とそれに対する早苗の行動の描写が印象的でした。
説明不足に感じるシーンもありますが、よかったです。

余談ですが、表現的にここ(そそわで)大丈夫かなと思いましたが杞憂でしたね。
ちょっと恥ました。
156.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしかった
161.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしかったです。一気に読んでしまいましたが、とても楽しめました。
163.100名前が無い程度の能力削除
余りに面白かったので、一気に読んでしまいました。
175.100図書屋he-suke削除
力作お疲れ様です。
終始張りつめた空気で不安を煽られましたが最後まで集中力が続いてホッとしました。

細かくコメントをつけるならば幾つかありそうですが既にコメントで上がっているようなので割愛。
そそわに新風を吹き込むSSだと思います。今後に期待させていただきつつ。
176.100名前が無い程度の能力削除
紫が早苗をどう思ってるのかがわからなくて、最後までもやもやでした
このあと星蓮船をやるとギャップで噴くだろうなぁなんて。そそわ読んだあと原作やるの好きなんです
すごく楽しそうに。幸せそうに見えるんです
特にこっちで不幸せだったりしたキャラが原作で元気だと、それはもう幸せになります
作中の早苗は暗くて、壊れてて、少し読むのが辛かったです
早苗はこのあと紫とどうなるのかな
179.100名前が無い程度の能力削除
うっはすごいなこれ・・・
お母さん死ななくて良かった。最後の最後までそれだけが気がかりだった
180.100名前が無い程度の能力削除
感服いたしました。
181.100euclid削除
こいをしたい。
182.80ガニメデ削除
これも力作ですね。塗り込められた濃さと深み、
並ならぬ思い入れのようなものをひしひしと感じました。
ただいまいち波に乗り切れませんでした。
早苗にとっては満ち足りたものを手に入れたのかもしれませんが、
それが時が経てばすぐに忘れてしまうような、一時的な幸せのように思えてなりませんでした。

恋に恋してる少女が夢を見ているような話でしょうか。
いつまで夢を見せられるのだろう、いつ醒めるのだろう、
物語の転は何処だろう、と思いながら読んでました。
そうしたら恋に恋してる少女が夢を叶えて終わったので、
紫はこれからどうするつもりなんだ? というのが感想です。

早苗を黒から白に染め上げる。それだけのために紫が存在していたような気がします。
紫が機械的で、早苗に熱をあげる理由が弱いので、話しとしては何かよく解らないまま終わった感じでした。
まったく続きが想像できないです。だって紫が本気だとは思えない。
これが百合作品ならばそうなのかとも思えますが……、百合としてでない結末が見たいです。
夢から醒めて、現実を生きる強さを手に入れた早苗の姿を。
183.100名前が無い程度の能力削除
ゆかりん素敵だよー!

お母さんが死ぬフラグかとおもたら違ったという
185.100名前が無い程度の能力削除
\すげえ!/
186.100名前が無い程度の能力削除
早苗さんの病みっぷりが素敵。
人の身でなんと言うガチ。
楽しませて頂きました!
192.100yunta削除
強烈な作品でした。最初、色々キツくて止めそうになったけど、全て読ませていただきました。
はっきり申し上げると、自分の中にある世界観やキャラクター等のイメージとは真逆なのですが、それでも引きこまれて最後まで読んでしまいましたね。
私は普段百合はみないのですが、この作品での百合(というかビアン?)表現には理由付けがされているので、比較的間口が広かったのかと思います。
そして文章力や構成が良いというのが、読み切らされてしまった要因でしたね。読ませる文章ってこういう事か、と思いました。
ただ雑感としては良い意味でも悪い意味でもなく、東方の世界観ならではの物語であったのか、という印象は受けました。
まぁ感想をグダグダ書いたんですけど結局は「すげぇな」という結論です。
196.100名前が無い程度の能力削除
気づいたら読み終わっていた。
すごい引き込まれました
199.90即奏削除
良い一人称を読めました。
恋の力。永遠を信じてしまう純粋性。若さ。
そのどれもがリアルに感じられました。
あと、紫の描き方が凄くカッコ良かったです。
200.100名前が無い程度の能力削除
長さを感じさせない、良いお話でした。
夢のようなお話、素敵。
202.100名前が無い程度の能力削除
この濃厚な一人称は素晴らしいですね
こんな長編の百合ものがもっと増えてほしい
207.90おるふぇ削除
耽美で素敵な「私だけの神様」、堪能させて頂きました!
209.100名前が無い程度の能力削除
ふと、コーラを飲んだすごく甘かった。
210.100名前が無い程度の能力削除
なんて耽美で、なんて鮮明な世界。
ふと時を忘れて読みふけってしまいました。面白かったです!
213.100名前が無い程度の能力削除
これからメロンソーダを飲む度に、このSSのことを思い出しそうです。
それがはたして良いことなのかどうかはわかりませんがw 面白くて記憶に残るお話でした。
215.100名前が無い程度の能力削除
未来を諦観する早苗の姿が惨めだった自分の学生生活と重なるようでした
それからの救いはまさに神に与えられたようで若干の疑問は残りますが
最後に青空のように美しくなる情景が目の前に浮かぶようでした
227.80名前が無い程度の能力削除
早苗視点だけなので悩める少女の恋話となっていますが、総体的に見ると紫の『手慣れた感』と早苗の悪い女に騙されてる感が強くて、素直に受け止められない。私が汚れているからなのか。この紫はこうやって何人も食ってきた気がする。彼女視点での一連も見てみたい。
228.100名前が無い程度の能力削除
おお!神の祝福と共にあらんことを!
230.100名前が無い程度の能力削除
気づいたら俺の心が浄化されていた。
い、一体なにが・・・・
231.100名前が無い程度の能力削除
おおおおおお
ありがたや!ありがたや!
232.90名前が無い程度の能力削除
すんげえ鬱いやつなのかなと思っていたけれど、ふたを開けてみればすんげえ百合百合していて俺得。
おもしろかった!
234.80zon削除
なかなか素直に読めない不思議な世界観。
引き込まれる感じがして面白かったです。
236.100文月匠削除
ものすごい作品
引き込まれてしまいました
237.100名前が無い程度の能力削除
おもしろいという形容詞だけでは表しきれない
245.100名前が無い程度の能力削除
諏訪子様がくそかわいかったんじゃああ
246.100Yuya削除
ゆかさな初めて見た
247.無評価Yuya削除
紫が早苗を好きなのかわからなくて不安っていう意見多いけど、あなたに好きになってもらえる自分になればいいって早苗が言ってるんだから大した問題じゃないんじゃない?
248.100名前が無い程度の能力削除
読了してから141KBもあるという事に気が付いて仰天。
凄艶にして不可思議、まさしく"これぞ"というゆかりんもさる事ながら、早苗さんも実にいい。
好きなキャラが美しく描かれていて幸せだぜ……
252.100終身名誉東方愚民削除
いいお話でした。個人的に早苗が幻想入り決意する話は好きなんですが、その過程に有りがちな葛藤に加えて、その前提となる夢か現か、信とは何かみたいなところにテーマを感じました。
最後は早苗さんは信じることができ、自然葛藤もなくなり、自分自身の物語を歩んでいく決意ができていて良かったと思います。
この感想を見たあなた、私に愛をください